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新神話創作時代前歴史年表

これまでのまとめとして

 

 

ネアン誕生 ~ 1999年

ネアンが物心ついたころ、記憶している光景・・・
二、三歳のころ、父に連れて行かれた食堂で、テレビを初めて見たときのこと。
歌舞伎で奴さんの抜刀に怖くて泣いた。 (怖い表情の奴さんに怯えたのはわかるが、抜刀のときに泣いたのはなぜ? 生前の記憶なのか)
そのあと、進駐軍の名残のメロディー「遥かなる山の呼び声」を二双の雁木車のゆっくりと回る画面の光景を見ながら聴いた。 (幼心にも、歴史の流れを感得する思いがしていた)

5歳のとき、転居先で行われた盆踊りの光景に肝を冷やす。
おかめ、ひょっとこの仮面を被った浴衣着の男女の踊るさまを見て、魑魅魍魎の世界に降り立ったことに気づき、とんでもないところに来てしまったのだと、底知れぬ絶望感を抱いた。
その後しばらく、三白眼の笑わぬ子であり続けて親に反抗した。

学校での集団生活においても、人間不信と恐怖から引っ込み思案となり、腐女子のようであった。
何のためにそこにいるのかわからないで推移していた。ただ周りがしているように、そうしていた。終始ぼおっとしており、頭に栄養が回っていないふうであった。魂が萎縮していたのだろう。

盲腸の手術を期に、家に閉じこもりがちになり、父の蔵書していた文語体の医学書を読破し、肉体が病の巣窟であることを知り、清潔観念恐怖神経症に陥り、世間への不安感も強く、病的症状として、心臓神経症を起こす。

しかし、家に閉じ篭りがちになったことで、別の才能に目覚めた。
玩具をたくさん使ったままごと遊びの中で、宇宙創造を楽しむ。
異界的感性も研ぎ澄まされて、この世での思考とは相容れないものの、美的感覚を伴った精神的充足感に浸った。陰影の美や詩情をよく理解した。三好達治の「母よ、淡く哀しきものの降るなり」の、誰か見えない母が乳母車を押すようにしてここにいる気がしていた。
当時にあってはまだ近くにあったあの世のほうにあこがれていたのだろう。

祖 母(母方)は信仰心篤く、仏教説話的な昔話をいくつも聞かせ、母の誕生秘話も聞かせてくれた。母からもそれは重ねて聞いたことだが、母は毘沙門さんの二十 日に生まれると祖母にお告げがあった人であり、生後6か月目と一年目に、それぞれ異なる修験者の来訪を受け、どちらからも「ここに生まれた子は、男の子 か」と問われ、女の子ですがと答えると、「それは惜しいことをした。もし男の子なら、位人身を極めただろうに」と告げられたという。

そし て母は、5,6歳の頃に、伝説の"ぬえ"と、弟とともに道すがら遭遇し、2,30分ほど対峙し、泣いたそうである。弟(ネアンの叔父)も高齢になるまで、 変な生き物がおったなあと述懐するほど印象的だったらしい。なお、それが"ぬえ"であると特定したのはネアンであり、高1のときに古典の教科書に載ってい た"ぬえ"の特徴が、それまで聞いた話と似ていたことによった。それはエジプトのスフィンクスの顔(肩まで伸びた毛も)にそっくりだったらしく、これは古 代世界に存在し、少なくとも数十年前までは存在した、キメラ霊獣であったと推測された。

エジプトではその生き物はファラオの姿としても像 が残されていることが後にわかる。とすれば、霊獣は位人身を極める人のオーラを感じてやってきたものだろうか。しかし、"ぬえ"も修験者同様、いささか落 胆して去ったかもしれない。というのも、遭遇時に母はずっと泣き続けていたからで、もし泣いていなければ連れ去られたであろうと、直感的に思ったという。 もしかすると、今頃は女ターザンになってたかも知れんとよく言っていた。弟も姉ちゃんが泣くから一緒に泣いていたと言っている。泣き続ける子らに女気を感 じて、諦めて去ったに違いない。その時、日本版のロムルスとレムスの筋はなくなったと見てよい。

しかし、ネアンにはこの話が、後々までも インパクトを与え、彼独特の世界観の原因になった。並行宇宙や多世界理論的なものの見方はこの時に育まれたのである。もし男の子として生まれていれば。そ のような筋書きもあったに違いなく、どこかにしまい込まれているに違いないという思いを持った。それが後に超宇宙モデル概念を創り上げたきっかけになった。

10歳の時、図工の課題として、50年後の未来を図画に描く。
現在の都会の有様をほぼ的確に描写していた。知らないはずの設計図上の破断線による中身の表示までしていた。異なるのは空中をタケコプターで飛んでいる人々を描いていたことだ。はて?

小六時代の神話もある。
創造主的創造行為が、玉(如意珠)の魔法によって叶えられていることを設定した、独りままごと遊びに興じていた。
盲腸手術後、引き籠るようになった理由のひとつでもあった。創作ストーリーが面白かったのだ。

中 一のとき、露骨ないじめに遭い、それが極度な羞恥心を刺激して激怒することとなり、いじめの相手を追い回して拳骨をくれてやることとなった。これ以降、い じめはまったくなくなった。その転機は劇的ですらあった。小学校のころからいじめの続いていたネアンにとっては、人生初めての勝利であり、このときの記憶 と教訓は、後々までも心の支えとなった。
しかし、この成功体験によって、勢いこの世のほうにウエイトを置かざるをえなくなった。

それでも、不思議なことは多々あった。
中 三のときのどれほどの期間か、シンバル状UFOに乗った嵩高い帽子を被った外国人風宇宙人?とコンタクトがあったようだ。その記憶は逐一消されており、ネ アンが二十代後半になって夢でその光景を思い出している。当時小六だった彼の妹が実物の英国人風宇宙人?と、受験勉強のため入れ替わったネアンの部屋で遭 遇している。当時の日本において、大人の英国人が二戸一長屋のうさぎ小屋に逗留することなどありはしない。もしかすると彼らは俗にいうMIBだったかもし れないが。このときの夢を元にして、次の創作物語「天上人の宴」シリーズはできている。
http://p.booklog.jp/book/91127/read

1968 年頃 若い日の新神話創作者ネアン、生長の家両丹道場にて一ヶ月の修練の後、卒業式の式典の際、公衆の面前にて理不尽にも破門さる。これは社会と接触して からのいじめ体験であった。このとき大学は中退。大学騒動があり、学舎は騒然としていたから怖かったのと、通学時間一時間半の過酷さに、地元でアルバイト して時間を費やすようになっていたのだ。単位などとれるはずもなかった。

1970年頃 ネアンの祖母が不適応障害のネアンのことで、見立 ての良いという拝み屋に見てもらう。 一箇所では「最上の松に泊まる鶴だ」と言われ、もう一箇所では「松下幸之助だ」との見立て。また、一生食いはぐれる ことはないとの卦も。別に悪くはない見立てに、祖母は心配性の母よりはさほど気にすることないと思っていた。

1971年から大手企業に勤める社会人となった。コンピューターメーカーであった。ここで、コンピューターの動作原理を知る。超宇宙論を構築する土台になる知識となった。

1973年頃 ネアン、生長の家総帥の「古事記と現代の預言」に触発され、古事記神話の暗号解読を開始し、異なる解読結果を得る。過去の文明の興亡史と、その反復的影響が世界全体に相似像的に及んでいることを発見した。

同じ頃、宇宙運行の仕組みを、モデル理論化する。
会社内で仕事ができぬ奴であった反面、真理探究にいそしみ、二十代でこの世の運行の原理に関するシミュレートモデルを、実務知識を生かして創った。
古今東西統一の究極の真理を得たという自己満足体験になった。
(※これは後に、ルシファーの教理となる世界概念になると感じている)

1983年頃 ネアン、日本サイ科学会にて、論文「超宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念」を発表。 
つづいて、1984年、チベットの死者の書に基づいた随想「死の科学」を同会にて発表。
しかし、世から秘され、黙殺されるにとどまる。
1990年代にホームページ公開。
http://uu.fantasia.to/uumusou/monoomoi/uchuron.htm
http://uu.fantasia.to/uumusou/monoomoi/dead.htm

この理論がハリウッド映画のマトリックスに取り入れられ、啓発を視聴者に与える衝撃的秀作となった可能性がある。彼にとっての序章的予兆であった。

時は元に戻るが、1975年頃、初めて実物のUFOを目撃する。
宇宙友の会という、宇宙人と友好的なグループとの交流の中で、見ることのできた赤橙色のブーメラン型UFOであり、そのUFOはネアンに対して友達であることを示して去った。

http://p.booklog.jp/book/97090/read
http://uu.fantasia.to/uumusou/monoomoi/ufo-dodo.htm 
(※それが後に、新神話において重要となるシンクロ事象であったことがわかることになる。ガッチャマン関連で、バードランという火の鳥に付帯する出来事だったのだ。何たるマンガ的人生か)

そのすぐ後から、夢の中で星のような白球UFOが満天の星の夜空に出てきて、水すましのように泳ぐさまを何度も見た。姿変われどUFOは、友達としてコンタクトしてきているようだった。

古事記の大和言葉に基づく新解釈を完成し、古事記神話に、この世の普遍的原理およびシナリオが盛られていることを確認。シナリオは世の事象のすべてにかかる方程式のような作用をしていることを知る。
http://uu.fantasia.to/uumusou/monoomoi/kojiki.htm
同じ頃、レイハンティングして、古事記に暗号化された地名から、九州の巨大な直角二等辺三角形を発見する。

1980年頃 ネアン、古事記神話の解釈をまとめ、「古事記と超古代史」+「古今融合の超宇宙モデル概念」として自費出版する。

1983 年頃、ネアンは気分が落ち着くとの上司や友人の勧めもあり、ドーリル版ヨガやバトラー版西洋ヨガなどを参考に、瞑想法をいろいろと試すうち、巷で噂されて いたピラミッド瞑想時に、白球UFOに眉間から飛び込まれる体験をする。視野は光のシャワーを浴びてすべて真っ白となり、パニックを起こし、元に戻すまで に10秒以上かかった。

http://p.booklog.jp/book/97090/read
(これはエジプトのファラオがピラミッド内で太陽神ホルスの超入を受けたことを、縮小版で体験したもののようだ。ネアンはビギナーズラック的に、熟達者の域の驚異的体験や発見をよくした。が、それを再体験することはほとんどなかった)

1987年頃 ネアン、さらに古事記の地名と古代祭祀霊場をレイハンティングして、西日本~畿内~尾張にかけての精妙幾何学図形を発見する。これが後に、1989年にムーミステリー論文大賞に応募して、優秀賞を獲得するもとになった。

1990年頃 日本サイ科学会で販売された一冊が神戸市内の大手書店の自費出版コーナーに置かれていたらしく、右翼の目に留まり、来訪を受けることになる。右翼下部の研究グループへの参加を薦められる。 
以後、別系統から右翼機関誌が送られてくるようになる。危険を感じつつも、それでも研究心は衰えなかった。

四十代以降、世が荒みだしたことを感じ、滅びに向けて加速しだした感あり。日本は利益主義に狂奔するようになり、世界をどこに牽引していこうとしているやら危ぶまれた。どうやら、旧神話がそれを牽引しているようで、黄泉の国のシナリオが実演されている感があった。

また、持ち前の内向性から、精神世界に志向し、ヨガナンダの創立したSRFから情報教材を取り寄せたりもしたが、英語版教材が毎週のように溜まり、根気なく投げやりに推移した。
結婚もせず、人並みにもならぬ人生に辟易し、よく諺に言う人生五十歳までで終わらせてくれるように神に願い出るのもこのころ。20代頃から心は雲水気分だったものが、いっそうのものになっていた。
様々な謎の解明という目的が達成されたなら、もうお役は御免してもらってもいいはずだと思い、人生50年で金輪際終わらせてくれと、自分をこの世界に置いたお方に向けて要請した。

 

しかし、死んだと思えば、いろいろできるものである。

神(弁財天)の加護のもと、1990年 学研ムー・ミステリー大賞論文優秀賞受賞作が公開。これは古事記へのあくなき推敲が、もたらした成果であった。
が、次点の賞であったため、原稿全体の1/3も載せられず、肝心の発見がいくつも除外されていたので、さらに研究を進め内容を増補し、1995年に単行本を刊行。⇒ 古代日本にカバラが来ていた

この頃、淡路の平和観音に行き、弁財天像に一目ぼれして求婚する。
同じ頃、今生の人生50年で終わりたい意志を明確にしていた。それをするのは、自分をこのレコード盤に針を置いたお方(神)しかいないという明確な理論から、自殺などは思いもしなかった。神が適切な方法でそれをなさるはず。

1993 年9月 ネアン、近隣に在住の日本UFO研究会の平田会長宅で、UFO撮影をすでに手がけていたキタロウと知り合い、保有していたシャープマイビデオと小 西六カメラセットでキタロウの撮影に同行するようになる。同行初日目から謎の物体が映り込み、二回目には異次元空間の存在を如実に示す種々UFOたちの共 演シーンが映り込んだ。
http://uu.fantasia.to/uumusou/monoomoi/ufo-dodo.htm

1995年、当時創作していた物語やUFO撮影成果などを、初めてホームページに掲載し始める。

サイト悠遊夢想はこうして立ち上がった。サイトは大きく、創作作品陳列のサイトと、UFOなどの超常現象を実践的に研究推敲するサイトにわけて公開掲載されることとなった。

ホームページビルダーなどのない当時にしては、ホームページのデザインはとても凝っていて、力作であった。
インターネットがまだ初期の頃のことであったため、妨害者や冷やかしはまったくおらず、純粋な読者しかいなかった。それをたどって、純粋な協力者が現れてくれたのだった。

1994年10月 増補した「古代日本にカバラが来ていた」の原稿を流通出版を手がける西宮の鹿砦社に出版依頼する。
1995年1月 阪神淡路大震災でネアンの神戸の実家は全壊。家族は一年前に神戸の郊外へと越していて無事だった。
1995年3月 出版社は全壊しており、作業の継続が危ぶまれたが、校正ゲラが大阪の印刷所に残っていたため、出版作業の継続を依頼。予算足らずとなったためか、第三校正が最終校正となった。 

5月連休の出来上がり予定報告を受けるも、4月末時点で完了しており、見本も回してこずに、出版社は無断で全部数販売に流してしまった。 
厳重抗議して、第一次返本の全部回収を指示、350部が戻される。

1997年頃 ネアン、底辺的仕事の過酷な条件下の不規則勤務と心労により心房細動を発症。このころ、少年Aの事件があり、邪悪な形而上的存在について如実に知ることとなり、それらを昇華する作品を書いた。

⇒ http://p.booklog.jp/book/90955/read

http://uu.fantasia.to/uumusou/sinsen/satan/satan.htm

すべて成果は上げてきたし、人並みに異性も知らず、功なく楽しいことなくしんどいばかりの積み重ね、しかも人には歯が立たないほどの恐ろしげなる邪神までいるような、そのような人生はやはり50年で十分。その次の人生も不要と、死とそれ以後の魂の滅尽を併せて神に懇願。

1999年頃 映画「マトリックス」が公開さるも、ネアンは内容を知らずにいた。2004年のテレビ放映まで見たことがなかった。この映画はネアンの超宇宙論の語るバーチャル世界の現実を表したものだったのだが。

 


新神話創作時代に入る (満50歳の壁を突破)

 (※満50歳のとき、前のタイムライン上では念願どおり死んでいると設定(それは第一時空のゲームオーバー)  ⇒ インディーなタイムライン(第二時空)にプレイバックシフトして生存していると原理的に解釈されるだろう)

 

カンナオビ現る

1999年12月14日 満50歳になる直前日にカンナオビから初めてメールが届く ホームページの創作作品側サイトを見て、物語が気に入ったとのことだった。
ネアンは、その日の意義を当時、まったく意に介していなかった。後から、カンナオビに知らされて、頭の悪さを思い知る。我が神とのかつてのやりとりすら忘れていたのだ。
彼女こそ、新神話最大の功労者であり協力者となるところの人であり神の化身だった。カンナオビとは、古事記に出てくる浄化の神・カムナオビにちなんでいるが、本体は弁天三姉妹の長女・奥津嶋姫である。

 

が、一度も会うことなく、メールと電話とネットでの交流に終始した。 
カンナオビとは、共通の同人サイトで、作品を披露しあうという形で交流が始まった。が、人が集まればそれなりの問題も起き、やがてそこを辞することとなる。二人はメールと電話が主体の交友関係で、2004年まで直接出会うことがなかった。

 

結果的に4年後に初めて出会うことになる。
我が神にゴネた問題の50歳を意識することなく通過していたことを、カンナオビに述懐することが あって、それを調べたカンナオビから、満49歳の最後の日にメールしていたことを知らされて驚き、ネアンのことを配慮する神の実在を如実に知ったのだっ た。何という驚異的な演出であろうか。

 

イナンナ現る

2000年7月 カンナオビに次いで二番目の協力者となるイナンナから初めてメールが届く。 
ホームページの超常系側サイトを見て、相談できそうな気がしたからという理由だった。

カンナオビと交際中ではあったが、危急の用向きであることが見て取れたため、男女の仲にはならないと考えて、相談に乗ってあげたのだった。その経過の逐一を教えるようにはしたものの、カンナオビはとても心配した。

イ ナンナの家庭はMOAの岡田茂吉の信者で、両親が非常に厳格。本人は臨死や意味深の連続夢を含む数々の不思議体験を持ち、ウシトラノコンシンの復活で有名 な岡田神話の信奉者だった。イナンナとのメールのやり取りは、彼女の不遇な境遇のカウンセルと霊的能力に起因する数々の不思議経験の話に対する解釈に費や された。

出だしは、家庭内暴力の問題で、3人の子育てに旦那の協力がないばかりか性的には盛んで、彼女は慢性的な不眠になり、心神耗弱状態にあった。また浪費癖で稼いだお金を家庭に入れずに使ってしまい、彼女の親が生活費の面倒を見る始末だった。

イナンナは霊視能力者であったが霊媒体質だったため、心神耗弱は霊罹りを招き、異常行動を起こし、旦那と旦那の親からは欠陥品と非難される有様だっ た。彼女の親は、彼女の体質を知りつつも、旧式のものの考え方ゆえ、あっさりと非を認めてしまうのだった。こうして、精神的に追い詰められて発狂寸前のと ころで、ネアンのカウンセルを受けることになったようである。

ネアンの懐の深いものの解釈によって、イナンナはしばし安堵の気持ちを持ったらしい。そんなある日に、イナンナから核心に触れる不思議話が飛び出した。

彼 女は、幼時に連夜のように全体が閉ざされた移情閣にまつわる悪夢を見て、その最後の日に彼女は移情閣の二階にいて、三階から下りてきた謎の青年と抱き合っ た直後に、閉ざされていた窓の扉がすべて開き、ふたりしてそこから脱出したというのだ。そのとき、移情閣の外には大きな橋がかかっており、空も海も澄んで 青かったという。

移情閣は現在、神戸市垂水区の舞子公園にあり、一階と二階が公開されているが、阪神淡路大震災以前には塩屋にあって、全面が閉ざされていた。彼女の夢の内容の時間的展開と符合するものがあった。

不 自由で不遇な人生の扉を開くことのできる、夢に象徴された人物を探し出し、移情閣に行ってシミュレートすれば、打開できるという予感がイナンナにはあっ て、移情閣は実在したのだから、青年も実在していると信じ、若い頃は道行く人々にその面影を求めたという。しかし、それらしい人は見つからず、もしかする とあのときの青年はあなたかも知れないから、実際に会ってくれませんかとなったのだった。

移情閣でのシミュレーション

2000年9月27日 イナンナと舞子移情閣に午後1時過ぎに入館 午後1時半にイナンナの連続夢のシミュレーションを同館二階で行う。
天井の彫刻から、二階は龍の部屋で三階は鳳の部屋と確認できた。
しかし、三階は拝観禁止で閉ざされて、階段通路からすべて真っ暗闇だった。

鳳龍出会うという合言葉を感じつつ、同じ二階において、人間界に置き直して自分を、かつて拝み屋に見立てられた鶴だと言うと、イナンナはすぐに私は亀ですと答える。
同階で鶴と亀がすべるというかごめ歌や、浦嶋と乙姫の話にもふれ、私は乙姫顔でしょとまでメルヘン話にうち興じた。 
鳳に象徴される青年とは誰であるかは謎のまま。
もしこの出会いがほんものなら、何かの兆候があるだろうとして、その日は終わった。

鳥取西部地震が発生

2000年10月6日午後1時半頃 鳥取西部大地震M7.4が起きた。 
震源は鳥取県の日野町、移情閣でのシミュレーションからまる9日216時間後に発生。
奇しくも、その日は旧暦の九月九日(丁酉)ひのととりの日であった。

そこで、かごめ歌の籠の中の鳥とは火の鳥(鳳)であると推理された。 日野・鳥取 ひのととり
移情閣の三階は、なにゆえか閉ざされて日の目を見られないでいる。
まさに鳥は真っ暗闇の籠の中に閉じ込められていると解釈される。
それが大地を揺らして活動を開始したのか?
兆候は確かにあったとお互いが確認し合った。 


イナンナの二十歳頃の詩集が「夜明けの旅人」であり、本人は夜明けの時代に関わることをあらかじめ意識していた。(また、付き合い始めてしばらくたった時に、彼女は過去世体験を元にしたSF短編を書いた。「テンサウザンドイコールミリオン」は国常立神が暗殺された神世の事件をシュメール時代に置き直して書いたものであるという)
 
夜明けの晩に相当する時代に、鶴と亀がすべった(手をつないで、ひとつになった)。 
このときいくつか短歌を詠み合った。 
時悟り 蓬莱いでて 鶴亀は 此地に渾りて 瑞い世開く
道別けて 集い渾りし 鶴亀の 舞子が浜に 火の鳥が立つ

そ のあまりにも不思議な暗号の顕われ方をした鳥取西部大地震に、篭められた謎解きのキーが示されていないはずはなかったのだ。マグマに飛び込み、その中から 再生するという火の鳥は、新神話においては、いり豆に花が咲くまでは出られないという国常立神(ウシトラノコンシン)を救出することのできる唯一の方法を 示す合言葉であることに気づくことになった。 そして、かごめ歌の「うしろの正面だあれ」とはウシトラノコンシンだったことになろうか。

 

イナンナは鳥取西部地震のあった10月のうちに元旦那との離婚を成立させてしまい、3人の子をすべて手元に引き取ることになったものの、経済的な重 荷はむしろ解消し、本人は満足に眠ることができるようになり、精神力を回復させた。逆に彼女の家に同居状態にあった元旦那は、毎夜の悪夢に不眠症になり、 実家に帰ってしまい、離婚はとんとん拍子に捗ったという。

ネアンの果たす役割は大きかったようである。

カンナオビとの一旦の別れ

2000年10月 ネアンはイナンナとの結婚を考えたため、カンナオビと別れる決心をした。(一度も会うことがなかったが、イナンナと別れた後に依りを戻すことになる)

2001年 イナンナとネアンは高砂の高御位山のふもとの鹿島神社で頻繁に出会った そこは当時、二人とも知らなかったことだが、ウシトラノコンシンを奉祭した古代九鬼氏の根拠地であり、大本教の聖地でもあった。
イナンナ、前年に前夫と離婚後、この年から勤務に入る ネアンは暇な日にアッシーとして営業の手伝いをした。

 

イナンナ、時折、ネアンのハイラーキーの梵天の夢を見て、随時報告してくる。ネアンに似ているものの、りりしいお方で、出会えば梵さまと呼んでいるという。 ネアンもそう呼ばれた。
イナンナは夢の中で梵天から宇宙の仕組みの講義を受けたり、新時代の世界プランが詰まった宮殿に案内されたり、神界の料理屋でご馳走になったという。 
世界プランは、神亀としてのイナンナの亀の甲羅に設計図として刻まれたという。


ネアンはイナンナと元伊勢旅行をして、イナンナの霊的能力のほどを知ることとなる。
そして、現地の食堂のまかないのおばちゃんたち6人の真の姿を、おばちゃんたちの口から、まるで古老の語り口のようにして、話してもらうほどだった。

ネアンは、この頃、大きな柔和な白蛇の夢を見て、イナンナが白蛇の属性を持つと知った。
対してカンナオビは、以前送ってきていた写真を見て、青蛇の化身かとネアンは思っていた。
どちらも生まれて初めて見たアニメ映画・東映製作の白蛇伝のキャラクターのようだった。

新神話を書き始めると、不思議の属性がどんどん付け加わっていくこととなった。
ネアン :鶴 浦嶋(山幸彦) 鳳 朱雀 梵天 許仙
イナンナ:亀 乙姫(豊玉姫) 龍 玄武 弁天 白蛇

 

2002年後期 シノ現る
 
シノは神道系新興宗教を遍歴する癖があり、その道の浪費家であった。 
ネアンを一目見てヤマトスクネの再来と見立てた。
ヤマトスクネについてネアンは知らなかったのだが、後になって、天橋立の籠神社で亀の背に乗る銅像を見て、浦嶋太郎類似伝承であることを知った。 
つまり、新神話の記載が先行して、後からシンクロが起きているのである。

シノの家にいくと、たいがいネアンのひざの上でよく寝たシノ家の猫ノラが伏儀神農神の化身と判明することになる。 
ノラを写したとき、手元が狂い、大きなつづらを背負う伏儀神農神が写り込んだ。 
ちょうどこの直前ぐらいに、ネアンは獰猛な犬に脚を噛まれそうになって、ジーンズだけが破損し事なきをえることがあったが、シノ家を訪ねた時、ノラは足を犬に噛まれて怪我させられて、見るからに痛々しかった。
ノラがネアンの身代わりになってくれたことは確かだった。このように、新神話は神々をも、引き寄せるのである。


伏儀神農神
(写真のノラは怪我した足をかばっている)

 

2002年後期 イナンナと別れる

ネアンはイナンナから、あなたとは「ちょうど二年でした」と告げられる。
このはっきりした言葉から、ネアンはイナンナが弁天姉妹のひとり市寸嶋姫の化身と推理。

2という数は、飛鳥から見た琵琶湖上の竹生島、沖島のつくる幾何学配置の相似形がちょうど2対7であったことによる。
(後日再会するカンナオビとは実質7年となった。そうならばカンナオビは姉の奥津嶋姫であることになるが、まさにその通りだった(後述))

 

アマテラスの境涯を暗示するトクニヒデミ

親が仕組んだ戸籍上の計らいで、12月と1月に誕生日を併せ持つ、戸の国の日出見嬢(本名・戸国秀美)が、海幸彦(本名・潮幸雄)の紹介で、ネアン・山幸彦のもとに現れる。 本名が神話名そのものになっている。
夜明け前と夜明け後の二つの状態を体現した、岩戸隠れを思わせるアマテラス的な名前に惹かれるも、短期間で終わり、彼女の年内の誕生パーティーの日に別れることとなった。

彼女は夜明け前のほうを望んでいた。(これでは神業が果たせない)

彼女は、親のこしらえた1月2日の誕生祝は嫌って参加せず、友人たちとする12月30日の誕生日だけ祝っていた。

 

カンナオビと拠りを戻す

イナンナの働きかけがあって、2004年、カンナオビと出会うことになる。 
デート地のフラワーセンターで、土産を選ばせたところ、龍のひげを選び取り、彼女もボンドカールと判明する。 
それ以後、新神話の要求を、本人は何も知らずとも、みごとなまでに果たしていった。

新 神話にイナンナの白蛇の脱魂とカンナオビへの帰属を書き記してまもなく、実際にカンナオビに白蛇の属性が加わったことが、宮津のゲンの夢報告で確認され た。2005年2月、カンナオビを連れて元伊勢詣でをしたとき、内宮下の売店でのゲンとの最初の顔合わせのとき、ゲンは開口一番、今朝未明に青蛇と白蛇が 交互に反転しながら飛んでくる夢を見たと言ったため、カンナオビは口裏合わせているのかと疑うほどだった。

 

その日の雪の成合寺では、カンナオビを写した写真に、王冠を被った可愛らしい白龍が写り込んでいた。
白龍はのちに彼女の本体であることがわかることになる。
このあたりから、カンナオビは一気に、スーパーボンドガールになっていった。 

そこには、脱魂したイナンナ(白蛇)も付け加わっていたこともある。

新神話上の属性はこうなった。
ネアン  :鶴 浦嶋 鳳 朱雀 梵天 白蛇伝の許仙 山幸彦 火の鳥
カンナオビ:亀 乙姫 龍 青龍と玄武(兼務) 弁天 青蛇白蛇(兼務) 豊玉姫 白龍

 

この頃、ネアンが超常趣味のサイトとしていたFC2ブログで、ユーザー提供のテンプレートに、アニメと歌の入った中国人の製作になる美しいフラッシュアニメのテンプレートがあり、気に入って用いることになった。
ま たそのときバックで流れる歌が気に入り、その字幕の歌詞から検索すると、曲名は「流光飛舞」で、「青蛇転生」という香港映画の主題曲であることを知ること になる。この映画は、白蛇伝を捉え直し、今まで主人公白蛇の陰に隠れて日の目を見れなかった青蛇のほうを主人公にしていた。
時代は白蛇から青蛇へと人気が移ったことを示した。ネアンの心がカンナオビに移った直後のこと。これも超シンクロだった。新神話が現実をまさに誘導しているのだ。中国商品の通販店から「青蛇」のDVDを取り寄せ、カンナオビにも見せた。字幕もなく言葉の意味は不明であったが、後に手に入れた吹き替え版よりも、むしろ意趣は鮮明なほどだった。

 

ヒラサカと知り合う

 

2003~2004年 キタロウ(武良氏)とネアンのUFO撮影クラブにヒラサカ夫妻(坂本廣志夫妻)が加わり、UFO/スカイフィッシュ撮影のたけなわ期となる。
ヒラサカは満天の星のような大量のUFOやシャチ(マカラ)を次々に撮影していった。龍の情報にも詳しかった。
彼は自らを曼荼羅の大日如来の北東に位置する弥勒菩薩で、役割がイザナギノミコトだと言い出したが、それも不思議ではないほどに、すごい逸材なのであった。

密 教に精通したヒラサカに、イナンナの見た連続夢と移情閣の三階の主について話すと、その主は毘沙門天、サナートクマラ、金星王、大天狗、大魔神、ルシ ファーほかの名で表される神で、神々さえも恐れおののく存在やでと、興奮しながらまくしたてた。ウシトラノコンシンのことでもあるというから、超驚愕と なった。

ヒラサカはネアンに一万人救済する宝船の船頭を務めてほしいと要請してきたが、ネアンはすでに宇宙の有情を丸ごと救済するための新神話を書いていたから、一万人では少ないから増員をしてはどうかと促すと、ヒラサカはたじろいだ。

 

2004年頃 週刊誌の取材中に、ネアン、ヒラサカとともに龍の子供を目撃。その姿は、まるで巨大なイモリの子供のようだったことから、龍は両生類であると新発見。その数か月後、同じ場所でキタロウのカメラに、目撃したものと同じ、やや成長した鶏冠の生えた龍の子が撮影されている。

この頃、UFO撮影のたけなわ期となる。テレビ取材も加わり、UFOも喜んで出演してくれていた。ネアンも、麻耶山一帯の古伝承の謎解きをし、封印されていた天狗を次々と解放して、彼らの守護を獲得することになる。

彼らは一千年前、空海の最強呪詛、三角護摩壇法により、三角の殻の中に封印されていたのだが、解放の記念に抜け殻を全国のガードレールに突き立てて去ったもようである。異界からこのグループに対して最も期待がかかっていた時期であった。

2004年、ネアンはテレビで映画マトリックスを初めて見て、超宇宙モデルの真実性に確信を持つ。 
同じ頃、RPGゲームの仮想現実体験がブームになりだす。いずれそれが、全意識投入型バーチャル体験へと進化するとネアンは予測した。それが未来人の経験世界になるだろう。ネアンは超宇宙モデル概念の正しさにいっそうの確信を深めた。

またこのころ、巷はサイババブームで、友人M君がインドに会いに行って、そのときの土産に二枚のサイババの写真をネアンはもらった。そのうちの一枚 が「黄金の宇宙卵」をサイババが掲げ、「この中にこの宇宙の始まりから終わりまでが入っている」と衆生に示している写真だった。超宇宙モデル概念の正しさは、神の化身を通じてもまた「是」とされたのだ。もう一枚はババが花輪を首にかけている写真で、当時付き合っていたイナンナにプレゼントすると、その夜の彼女の夢にババが現われ、「とてもいい子だ」と言いながら、お菓子を手からたくさん出してくれたそうである。

 

ゲンがもたらした魔女の福音書の話と夢見

 

ゲンが宮津からやってきて、魔女二人の出てくる不思議な夢を見たと伝えてきた。 
ドシドレシラ・・・という音階を、旋律なしに口ずさんで踊っていたという。 
彼の話では、リーランドの魔女の福音書に出てくる魔女の親子ではないかという。 
ネアンがその音階をDTMで再現すると、いい曲調になった。
aradia.htm

ルシファーとディアナのいわれを初めてネアンは知る。 
ルシファーが悪魔とされるのは冤罪であり、世界最大のキリスト教こそが侵略者であり簒奪者であることを知る。
その後、イエスの存在そのものがフェイクであることが順次わかってくることになる。(ツァイガイスト)
つまり、イエスを救世主にしつらえた者がおり、それが錯誤の歴史の根源ではないかと推理された。
それがルシファーを太陽神の座から外し、金星に貶めてさらに、悪魔にまで仕立てたのであろう。
しかしその存在は悪事の数々の作り手になっていながら、疑わしきは罰せずという世の理屈を作り、物陰にたえずいることと、根も葉もない陰謀論という印象付けをすることで、世間の批判から逃れていた。

カンナオビ、乙姫の玉とルシファー人形をネアンに誕生日プレゼントする

 

2004年の終わりごろ カンナオビが、商店街の懸賞で一等のハワイ旅行を引き当て、夫婦でハワイ旅行した。
そのとき、現地でネアンへの誕生日プレゼントとしてトパーズ玉と木彫り人形を買ってきた。 
木彫り人形は欧州雑貨店で何気なく買ったという木彫り人形で、リーランド伝承のルシファー像と言ってもよいものであった。偶然のようで、まったくそうでない的確な行動をするのが、定められた協力者なのである。


トパーズ玉は豊玉姫からもらった山幸彦の潮満つ潮干るの玉、ウシトラノコンシンが乙姫から授けられた世界建て直しの玉に見立てられた。(これも後に、神世の浄化を促す役目をすることになる)
ここでもヒラサカのルシファー=ウシトラノコンシンの見立てがリンク。
ルシファー=元の太陽神=元の国祖神=国常立神=ウシトラノコンシンとなる。神々さえも恐れおののく存在とか。

2006年頃 カンナオビ、レジャーによってではあるが、沖縄へ飛び、連続的に北海道へ飛ぶという行程を実施した。
これは、かつてイナンナと共にした新神話の豊雲野神、国常立神への火の鳥による救出をあらためて実践したと見立てられた。 

ネアン、白龍と合体 と 羽根天使とタンデム飛行 の夢

2007年1月14日 ネアン、白龍が胸に飛び込む夢を見る。カンナオビだとすぐ判明。本人もそうして訪問したのだとのこと。彼女の神的励起は目覚しいものだった。

またその直後16日の夢は、ネアンが建物の中にいて、カンナオビが白衣の羽根天使として出てきて、建物の天井部分の割れ目から外に二人して脱出するというものだった。そして、二人で空を飛ぶとき、カンナオビはこう言った。「鳥には空が欲しいでしょ」と。
ネアンは、「そうだ、自分は鳥だった」と気づいて、自力で飛び、二人して飛びながら、会話を弾ませていたといった夢だった。

2007年9月 ネアンの母逝去 & 彼岸まぎわの盛大なお見送りの夢

同年の9月のお彼岸近くになっての夢で ある。ネアンは真剣に神々に祈り、母への盛大な見送りを懇願すると、翌未明に、山上からすごい数のダークスーツ姿のお見送りの中、ご来光への輝くムービン グロードに母と蓬莱道龍和尚(葬儀から一貫してお世話になった)を含む導師四人が乗り、ご来光の下まで行き着くと手を振ってくれた夢を見た。
(母は、超偉人伝説的人物だった。にもかかわらず、あまりにも質素な葬儀だったため、申し訳なく思い、ネアンは神々に要請したのだった。胸の中に宿っていたカンナオビ(白龍)が気を利かせてくれたらしい。カンナオビは奥津嶋姫の化身と後にわかることになる)

 

夢に見た場所を実証する写真の投稿

 

それから半年後の翌年の春のお彼岸近くに、ブログ読者P氏から琵琶湖バレー傍の蓬莱山頂からのご来光写真が偶然送られてきて、それが夢の光景とまったく一致していた。
ムービングロードは、蓬莱山-沖島(奥津嶋姫を祭る)の蓬莱嶽-ご来光を結ぶ、真東のお彼岸の道だったと判明する超シンクロとなった。 


何千という見送りの参列者は弁天様(カンナオビの本体様である奥津嶋姫)が龍神族や天狗さんたちを集めてくれたものと解釈された。
母がムービングロードに乗って行ったところの、蓬莱山-蓬莱嶽-ご来光への道。その中を取り持つ蓬莱道龍和尚(本名)という、超シンクロ劇となったのだった。

宵恵比寿に母が鯛をもらって帰る、ほか母の夢多数

2008年1月 ネアン、宵恵比須の未明に亡き母が大きな鯛を買ってきた夢を見る。 
ほか2007年から2008年にかけて亡き母に関する夢を頻繁に見る。夢見超常体験参照。

かの写真提供者Pさんが、般若心経のマントラ部分には亡くなった人を下界に引き戻す呪詛がこめられているという情報を持ってきたので、般若心経の読経をやめると、そのとたんに母の夢を見ることがなくなった。

カンナオビ、高野詣でをして、お蔭をもらって帰る

2008年9月 カンナオビは、高野山詣でをし、初めての六角オーブ写真を撮るとともに、翌未明の夢で空海和尚から弥勒誕生が間もなくであることを告げられる。 
オーブ写真の解読をネアンがして、持佛間の加納元信の群鶴図の前に写る亀甲紋オーブに、かごめ歌の「鶴亀すべる」の吉祥を見る。

⇒ http://p.booklog.jp/book/97525/page/2637086/bookmark


それ以後、カンナオビのデジカメには六角オーブが複数ずつ写り続ける。
六角オーブはカンナオビが豊玉姫として、ネアンの演じる山幸彦との間に産んだ子と判明。その中に弥勒(ウガヤフキアヘズ)も誕生していることになる。

な ぜウガヤフキアヘズとしたかと言うと、おりしもブログ読者の中に、高野山の件の直前時期に夢見していた女性がいて、夢の中で産気づいた尼さんが不用意な場 所で赤子を産み落としてしまい、そのお子の世話をすることになったというビジョンを見たと、ネアンに知らせてきていたからである。 
そのとき、カンナオビは、その子は私の子です、養育をよろしくと応じていたために、神話的シンクロから、ネアンはこの方に玉依姫の神格を差し上げましょうとなった。
その経緯から、弥勒は次時代を開くウガヤフキアヘズに同体としたのだ。
弥勒はこうして、この方によって養育されることになろう。そしていずれ、フキアヘズとこの方は結婚することになろう。

 

とにかく、新神話はその中で、神々を次々と生ましめていることに尽きる。
神々のほうから、新神話の台本に沿って神楽の舞台を演じたいと、参加してこられるのである。
人間の側は、ネアンも含め、そうした神々の依代となって、神の雛形を務めることになる。
これは、神と人との共演とも言うべき、すばらしい出来事(三千世界の大芝居)と思える

カンナオビ、六角オーブを各地で撮り続け、なぜか出雲地方のツアーをする

2009年頃 カンナオビは海中(スキューバダイビング中)でも地上でも六角オーブを撮り続ける。彼女のデジカメは水陸両用タイプ。撮影された六角オーブの数は無数に及んだ。
カンナオビが元津身になって作った成果の子神たちだったと見立てられた。みんな母親が恋しくて傍にいたのだ。

こ れも何ゆえか思い立ったようにして、出雲地方の神社めぐりをしたとき、多倍神社で変形六角オーブを撮ると、右辺が丸く膨らみ、まさに飛び出そうとしている 感があった。多倍神社はご神紋のとおり、オーブ内は「剣(鶴亀 鶴来 つるき)」で、その古語体の旁は左に「亀」、右が「鶴」になっている。その鶴の部分 が今まさに母の胎内から、生れ出ようとしているようにも見える。この膨らみ方は妊娠中のお腹を思わせもし、かごめ歌の「いついつ出やるの籠の鳥」とも見立 てられた。

 

 

その頃、ネアンは山奥の別荘を安価に手に入れ転居する。このことで、カンナオビは夢見で行くネアンの居場所がわからず困惑し、いきおい協力者としての影が遠のくこととなった。(まさか、鶴(ネアン)がお腹から出てしまったのではあるまいか)

同時に、ネアンの書く新神話の筆致も遅滞がちになり、第十二章ではあったものの、さらに先を書き続けられなくなった。この十三章は、この時期から引き継いでの更新となっている。

 

 


新神話時代・・・ちょうど2000年からのこと

50歳の運命の転機の時点からの詳細 

 

それは40代における最終自由意志を行使しての祈願に始まった。世間並みのたしなみもなく苦労のみ多い経験世界を憂い、命永らえることの無意味さを、自分をこの時空に置いた神に訴えたのであった。人生は50年と言う如く、役にも立たない人生の年数は、50が適当だからと。

ところが、満50歳になる直前日に、新神話最大の功労者であり協力者となるところのカンナオビが、ネアンにメールを初めて送ってきたのであった。彼は、神との約束の五十年を、特に意識することもなく通過してしまい、後でカンナオビに指摘される始末だった。
その日から、ネアンの生活は勢いよくインディー化していくこととなる。おりしも、1999年12月(七の月)のことであった。

実はそのとき、彼の辿っていた第一時空は、彼が50歳を満じた直後に世界大戦が起きて終わっていたのだった。それは世界に普及したコンピューターの 2000年問題がきっかけで、軍事兵器の誤作動があって、核の応酬となり、世界は滅んでいたのである。(すると、ネアンが逝去したこのとき、彼は最後の審 判の督促に天帝様に会いに行く工程が直ちに実現していただろう。このタイムラインはリザーブされたと見られる)

しかし、彼の奇妙な願いは直前で叶えられて、捨てる神の時空を去って、拾う神のフォローにより第二時空へと超入したのであった。

翌 2000年7月には、カンナオビに次いで二番目の協力者となるイナンナが現れ、彼女の移情閣の夢のシミュレーション実験をネアンは依頼され、2000年9 月27日に現地で行なった時刻からちょうど216時間後(九日後)に、鳥取県の日野町でM7.4の鳥取西部地震が発生した。

その地震には、火の鳥が二重に掛けて暗示され、MOA信者のイナンナにとって大事なウシトラノコンシンの復活にまつわる縁数九が幾重にも掛けて示さ れていた。発生地・日野鳥取、発生日・「旧暦九月九日ひのととり」。それを知らせてくれたMさんもまた家紋が八角の中に三で、八角三層の移情閣を示すもの であった。しかも、それからしばらくデート地になるのが高砂市阿弥陀の北方、鹿島神社であった。そこは後に、ウシトラノコンシンを奉祭する九鬼氏本陣の跡 地とわかることになる大本教の聖地であった。

そのシミュレーション儀式は、ネアンが鶴(浦島)、イナンナが亀(乙姫)と設定しての出来事 だったため、かごめ歌の預言歌の実現形が見込まれていた。鶴と亀は手を握り合った(すべった)、その九日後に火の鳥(これが籠の中の鳥である)は鳴動を立 てて籠から出た(出やる)と解釈されたのであった。
おりしも、最も世相が暗くなるという夜明け前の晩の時代。後ろの正面には、ダアトにウシトラノコンシンが封じられておわして、まもなく前面に出てこられると予想された。

イナンナはネアンを移情閣の三階の主と見定め、このときから新神話は書きぞめられたのである。すべては、非情で強欲な邪神たちと旧神話の影響力を払拭し、新しい時代に向けての地ならしと誘導のために。
ウシトラノコンシンはこうしてまもなくお出になるだろう。お迎えするにあたっての地ならしが必要となる。それを新神話が誘導すべく、現界ばかりか宇宙や神界までも刷新の対象にすえて、指導性を発揮することになった。

新神話は、正神と邪神の勢力交代と、邪神系の殲滅と焼尽を目的としている。それから以降の世は、おのずと平和で安定的となり、全有情の性向も穏やかになって友好的になり、すべて安心のうちに幸福を享受できるようになる。

だ が、スムーズにはいかない。というのも、邪神は新神話プロジェクトを妨害してきたからだ。生活苦にあえぐイナンナは邪神の妨害によってあえなく敵方に寝 返ってしまった。新神話はいったん崩壊かと見えたが、何とかサポートラインを維持できたのは、やや後に出会うカンナオビの尽力によった。

その経緯にも、ネアンの本気度が試された。ネアンは新神話の破局よりも、イナンナとの別れがつらかったのだが、よく愚かな振られ男がするようなしつこい干渉をかけたのだ。これにはイナンナも困り果て、カンナオビに直接連絡して、元の二人のよりを戻すことで解決を図った。

カ ンナオビは三年ほどの失意が耐えがたく、当時ネアンと二人で加入していた創作同人サイトのオフ会を通じて、表面的にはキリストのような人格者としてふる まっていた、光というハンドル名を付けた男のサド的行為にはめられていた。ネアンが戻ることで、そのキリストとの異常な関係は終焉し、彼女を寸手のところ で救うこととなった。

これがのちに、偽善者で偽の光を標榜する組織や、それによって創られた偶像キリストをあぶりだす雛形となるのであ る。イエスなる者は、秘教がしつらえた歴史上の設定に過ぎない。ただ先住民の穏やかな神々への信仰を破壊するために作られた創作という設定ができた。人物 も、非実在ですらあるかも知れない。光瀬龍の百億の昼と千億の夜の、破壊者シの使い、性根が卑近なナザレの男が如実となる。

 

ようやく初めてとなるカンナオビとの出会いは、彼女が新神話協力者となる資質を最初から確認させるものとなった。最初のデート地のフラワーセンター で、彼女がそのとき選んだお土産が、あまたある観賞植物の中から、質素でちいさい「龍の髭の鉢」だったのだ。龍の経緯については、彼女に何もしていなかっ た上での、この成り行きに、彼女もまたものすごいボンドガール性を秘めていると、ネアンは見て取った。

その後、カンナオビは、イナンナの神霊部分をも担い(イナンナから白蛇が脱魂してカンナオビに合流した)、以後すべてが的確に働き、新神話の効力は絶大なものとなった。その経緯については、新神話第十二章までで詳しくしている。

2007年、ネアンの母親が逝去した。この時点までに新神話はほぼ稿了しており、後は見届けの過程を書き続けることとしていたが、母親の逝去に伴い、いきおい筆が運ばなくなった。

しかし、第十二章として何とか書き上げることができた。ところが、最大の協力者であり功労者であるところの、カンナオビが突然、水難で逝去してしまっだ。

これが新神話創作に臨めなくなった最大の理由となった。それまでにも、たくさんの書くことが溜まっていたが、それも同時に進行しなくなった。2010年あたり以降から、見届けの過程の記載はおざなりになってしまった。

こ の章の詳細は、書き連ねることが重く苦しいため、当時の記事を随時に記載していたブログ記事へのリンクを貼ることなどで、これに代えたく思う。(※それも いまは紛失のありさまとなった。このため、たとえリンク先が示されていたとしても、未リンクとなっている場合があるだろう。読者はそのことを前もって覚悟 願いたい)

カンナオビの逝去は、ネアンの設定した予定に基づかないと思えなくもなかった。というのも、当時、飛鳥資料館で、キトラ古墳の 四神獣が特別展示される予定となり、おりしも、飼い猫に白虎の化身が加わったため、新神話において四神獣の揃い踏みがステイタスとなっていたこともあり、 そろそろ別天(神界)において我々の活躍が始まることになるという筋書きを設定していたのだ。
ところが、その展示の初日にカンナオビは海難事故で逝去してしまった。彼女は、即座に我々も従うよう促していたのかも知れない。しかし、ネアンにはそこまでする勇気がなかった。

カ ンナオビは、もともとが青龍であり、そこにイナンナの玄武も受け持っていたから、二神獣が別天に赴いたことになる。その五ヶ月後、猫に化身してきていた白 虎が別天に赴いた。こうしてあとは、朱雀であるネアンの赴任を待つだけとなった。その期日は五か月後の2011年3月。はてそのときに何が起きたか。誰し もご存じのことだろう。

その暁には、すでに前章までで記すように、神界に蔓延る邪神の討伐が行われることになる運びである。その工程がなければ、真の神界浄化も果たせない。当然ながら、現界でも真の浄化が果たせないわけだ。

 

ネアンはこの期日のクリアーを頓智で解決した。彼の超宇宙理論からすれば、一個人の 人生のタイムラインは幾通りも設定されていて、我々はそのひととおりだけを辿っていると仮定される。が、実はそうではなく、一個人は与えられていた別のタ イムラインも稼働させている可能性がある。こちらからではその様子が観測できないだけなのだ。

彼はプログラム実行の技巧として、プレイバック・リスタート仮説を導入して、期日を クリアーするタイムラインは別途実行する、もしくは実行してしまったことにしたのだ。それは新神話に記載されたことで、真実になった。少なくとも、ネアン はそのようなシステムでここにやってきているのである。

2014年になってから、神世に蔓延る邪悪な勢力が、一斉に信頼を失い、地上界に下 野する事態となっていたことが判明した。その時が地上時間でおよそ2011年3月だったのだ。神世で豪奢に振る舞っていた邪神が下野して世のトップ層に取 り憑いたため、世界はこの日から変節していったことを、読者は実感されたことだろう。

その有様を観測する側でネアンは生きているが、2011年3月で死んだタイムラインがあったゆえに、この変節が起きていると解釈されたのだ。そのタイムラインを第二時空とし、いま生きている側のタイムラインを第三時空と呼ぶことにした。

 

 


2009年から奥山生活 2011年から変節の第三時空入り

2009年11月 山で猫を飼う

 



知人から三匹の生後1ヶ月の子猫をもらった。同じ親から生まれた黒一匹白二匹であった。
ところが、一週間ほど後の三匹が慣れてきた頃、三匹の由来を示す夢をネアンは見てしまう。
何と、白虎とその両親と思しきシーサー夫婦が夢に出てきたのだ。
白虎はキトラ古墳に描かれるものにそっくり。しかも、三匹とも、額にもう一つ目がついた三つ目として出現したのだ。

ネアンは新神話の手順を書いていく際、形を重視してきた。そのときも、四方位のうち、白虎の座が空位であって、実在する人物を心当たりにしていたのだが、OKの出ぬままに空振りに終わっていたときの、突然の充足となったのだった。
何とそれが猫によって、しかもまだ生後間もなし。新神話がいかに破天荒とはいえ、その実現力のすごさに、ネアンは我ながら驚嘆したのだった。新神話は、見事に神々を誘導していたのだから。

その辺の様子を、別サイト記事にしているので、そこから引用しよう。

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http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/7/
http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/8/
http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/9/
より

我が家の・子猫紹介・そのいち   2009/11/18(Wed)

サバ猫ブー、空を飛ぶ

私 が寝床で寝ていて、不意に目を開けると、ちょうど電灯の豆球がついているのだが、電灯の笠の周りをひゅっと回転しながら飛ぶ黒猫の影のよぎるのが見える。 もちろん不意に目を開けたときに起きがちなただの錯覚なのだろうが、こんなことが三度もあると、もしかしてほんとうに黒猫ブーが飛んでいるのではないかと 思ったりする。というのも、夜中の、私がトイレ起きしたときだから、彼らもまだ眠っている最中だからだ。

三匹のうち一匹、黒猫ブーは食事 の好みが極端で、当初与えたサバ缶の水煮と子猫ミルク以外を受け付けなくなって今がある。二匹の白猫は、いちばん敬遠するキャットフードから、当初のいち ばん嗜好のサバ缶まで幅広くこなすのに、この黒だけは食そのものにガッツがなく、三箇所に分けて出す食事も他の猫に取られて、最後はふててコタツ部屋に篭 ることが何度か。
こんなことだから、動作がのろく、反応も鈍いのは、まあ始めからのことだが。
他の猫は私のズボンにかぎ裂きを作ってでも、脚を中ほどまでよじ登ってくるのだが、脚に両手をかけているものの、まだ両足は地面を離れてはいない。いちどは買い物袋の取っ手のわっかに首をかけて釣り下がってぐったりして危ういこともあった。ドヂでのろまなブーである。
ここを出ては生きていけそうにないのがブーだ。他の二匹は、毛づやよくまるまるしてたくましくしているのに、ブーだけは剛毛で白髪が混じりかけている。

そんなブーがとてもできるはずもないのに、天井の電灯を見上げていることがよくあった。きっと、その高さまで飛んでやるんだという気持ちがかねがねあったのだろう。
理想家タイプのブーは、私の小さい頃にも似ている。獣肉類はまったく受け付けず、魚肉だけが食べれた。手塚治の孫悟空に憧れていたりした。
ブーも途中をはしょって、空想にふけり、いつかそこまで飛んでやるという気概に満ちていたとすれば・・・おいおい、ブーよ、暗いときにあちこちでびっくりさせてくれる猫影は・・・お前だったんじゃないのか。
プリンターの裏側にできた大きな黒猫ようの影は、お前が成猫になったサイズほどだろう。棚の上のプリンターの位置にお前が座っているのも、いつの日かくるのかもしれないな。

ブー は不思議猫でもある。私が仏壇に向かって、仏様たちのお参りの後で、神様の名を列挙していくときに、私の膝に座って、神名読み上げに続いて「キャ」と合い の手を入れたのにはびっくりした。「梵天様・・・・・龍神様・キャ・・龍神族様・キャ・・龍族様・キャ・・天狗様・キャ・・・・・」
シャーマン猫の素質ありと見た。
身体機能は緩慢でも、きっと夢見や霊能にたけているのだろう。
ふと思う。魔法使いアラディアの神話を。

我が家の子猫紹介・そのに と 今朝未明の不思議夢   2009/11/19(Thu)

才色兼備のメディシン猫フー

フーは当初から賢く立ち回った。えさを食べるときは、時間をかけてえさ場に居座り、他の二匹が立ち去ってからも黙々と食べ続けた。そのお蔭で、いちばん体重があり、骨格、肉付き、脂の乗り、毛並みの良さは申し分ない。

子猫たちから私への、申し立てに関する連絡役も務めてきた。といっても、私にはほとんど彼らの要望が聴いてやれた気がしない。言葉が分からないから、察するしかなく、その辺、私は下手なようだから。

フー は目や顔立ちからして人間に似ている。お行儀がとてもよく、相対してはきちんと正座して(猫の正座って・・・ちょこん座り)、こちらをじっと見つめてい る。子猫たちからの申し立てのときに、この格好でニャーンときたときには、私もどぎまぎしてしまう。いつぞやこんな清楚な女性がいたよなー、という印象。 まんまるふっくら、毛づやよく、白でも汚れのない白である。ばっと見すれば、お嬢さん猫。犯しがたい憂いを含む目に、魅入られること請け合いである。どこ に出しても、申し分ないであろう。

今朝の未明にびっくりするような子猫関連の夢を見た。その前にフーに関する小さな不思議話をしよう。

す でに毛布上で眠るシーンを映像でお送りしたが、私はその場所で昼寝や仮眠をするのだが、三日前になるか、ごろんと寝ていたとき、子猫たちがやって来て、 ブーとフーが私の頭の左側に密着して寝転んだ。するとフーが私の左耳をごそごそしだした。口で耳を何かしようとしている。

私は噛まれたら痛かろうなと警戒したが、なんとフーは耳の穴の中に舌をいれて、べろりとしてきたのだ。その音が大きくした。
耳の穴の入り口付近をべろっと舐めて終わったわけだったが、なんと耳の穴の奥の常日頃の痒みがパタッと止まってしまったのだ。

耳 奥の痒みの原因のダニでもいたのを取り去ってくれたのだろうか。それとも何か動物にしか通用しないようなメディシン術を知っているのだろうか。耳奥の痒み は、たとえ普段気にならなくとも、いろんなイライラのさなかには殊更気になり、イライラを倍加させるものだが、痒みが止まっただけで、逆に物足りなさ(耳 かきを使う)を感じるのはどうしたことか。

そのとき、フーは彼女の胸を私の左耳に押し当てて眠ったのだが、そのときの心臓の鼓動が伝わってきて、やはり猫ゆえにか、最初でも120/分ほど、後でブーが横に寄り添ってきてからは、180/分ほどに拍動していた。
これがいちばん落ち着いたタイプのフーの眠っているときの鼓動。生き物の寿命は心臓の鼓動の回数に拠るということからすると、彼らの寿命の短さも頷けると思ったことか。
とにかくフーは、飼い主への気配りも上手であり、要領もよく、大食漢である。

今朝未明の不思議夢・・・別和尚は人面獣身だった   2009/11/19(Thu)  

さて、今朝未明に見た夢は、どう言っていいのか・・・。
そ の夢を見る前に、たびたびのことながら、布団の中に何かいる気配と、猫がのどの辺りに来た感があり、そのときのどの辺りにあのフーの心臓の鼓動らしい振動 がした。たまにぴくぴくする痙攣とも言えなくないが、ものの気配の後だから、霊体でサインを出しながらやってきた感がある。そして眠りへと落ちた先の夢が 次のようだった。

長い夢の最後のほうなのだろう、お寺の傍の民家に居て、和尚さんとのいろんなストーリーがあったのだと思うが忘却。
そ の後、私はお寺に行き、下の空いた塀の外から覘いていたのは柿の木だろう、この木を切れば全体のバランスがいいのにと和尚に案を持ちかけようと立ち寄った ところ、下の空いたところから、たしか夢の前話でも出てきた和尚とは別の和尚(副住職というか)らしい頭頂が禿げた頭が見えた。

なにか土 地いじりでもしているのかなの感があり、表から入って話をしようと回って、玄関から禿頭の和尚を見たところ、なななななんと・・・頭は(別)和尚でも、身 体は猫というか、白黒の毛が入り混じった動物・・・が、お椀に入ったえさをガツガツ食べているところだったのだ。

しかも、顔を見ると、人 間の年寄りの顔なるも、第三の目が額にあり、唖然として見ていると、彼の手前に二頭の、彼よりも先代らしい同様の"三つ目"をした動物が現れ、しかもそれ ぞれ茶青系と赤系のチェック柄の衣装(ドテラ)を着て、私の前に、やや赤ら顔をして微笑んだ感じで並んで座っているのである。
その後ろで依然として別和尚は猫スタイルで、えさを食べているというシーン。
私は思わず、手を合わせて拝んだというところで、夢から覚めた。

いまこの文を打ち込んでいるとき、PCの前に座る私の膝の上に三匹が座って、まさにじっとして眠ろうとしているところだ。お蔭で、今朝の寒さにも、温かさがもたらされている。
いったいこの子猫たちは・・・。
伏儀神農神かな。 (かつて、あるおうちにいた、ノラという猫がまさにその化身だった)

またまた三匹、私の膝で眠ってしまいました。ああ、私ゃまた身動きできないよ。

後日記
このときにはまだ、三匹ともメス猫と思い込んでいて疑わなかった。
ところが、これからひと月以上してから、オス二匹、メス一匹と判明したのであった。(ふぐりが四枚花弁の花のようにバックに開いたから分かったのだ)
つまり、夢の中身(副住職は男、ドテラの夫婦らしい一方が男でもう一方が女)のほうが、ほんとうのことを示していたことになるだろう。

我が家の子猫・そのさん 体育会系子猫ウー & どうも白虎らしい & 巡り終えた錆びた太陽   2009/11/21(Sat)

体育会系子猫ウー

当 初いちばん小さく、400g程度だったものがいまは750gだから、約倍になったことになるが、依然いちばん小さいことに変わりはない。しかし、筋肉質 で、当初から俊敏さにかけてはいちばん。駆け回るスピードは他の追随を許さず、爪にかける力はいちばんで、今でも、一番高いところまでの駆け上りを極めて いるのは、ウーである。面構えも、女とはいえ、まるで阿修羅のようでりりしくまた威厳がみられる。
あおむけにねる子猫時代のウーちゃん
私 の足や手にできた引っかき傷はほとんどがウーによるものである。他の二匹同様に甘噛みをしてくれるのだが、爪だけはおかまいなしときていて、とても危険で ある。軍手などをしていなくては、いくら傷ができても仕方ないほど。よく他の二匹が取っ組み合いのときに困らないものだと感心する。

食事もまんべんなくおよそ何でも食べて、ただ水が三匹全部がそうなのだが、飲めないときている。水の味が嫌なのかどうなのか。食事だけでは水分不足が気になったが、その辺はもう彼らの本能に任せることにした。

ウーに関しては、他の二匹の飼い主に対する媚び方に追随することなく、独自のコミュニケーション(男っぽく無理によじ登ってくる)を採っているように見受けられる。

どうも白虎らしい

しかし、ときおり不思議な夢を見てしまう。
前夜の夢に出てきた別和尚の顔にそっくりな画像を見つけた。というより、白虎のほうから検索で出てきた画像が、高松塚古墳の西壁の白虎の絵で、とても似ていたのだ。


頭頂禿げで、周りに毛を残す感じで古墳の絵も描かれている。こんないかつい年寄り顔が夢の中に出てきたのだ。
体毛が白2対黒1ぐらいで、刷毛で描いたような感じで見え、痩せて胴長に見えたのも、古墳の絵そっくりだ。ただ、絵のように神聖な模様でも雰囲気でもなかった。ただし、額に第三の目がついていた。

ここまで表情が似ていると、そう思わざるを得ない。
まだ新神話は機能しているのだろうか、各方位の神獣をタイムシェアー的に巡る旅をしているのは、今までと変わりはないみたいだ。

も うまもなく、宇宙人が地球の虚構文明をいったん鎮静化する。新神話にも書いている行程だが、そうなればもう新神話が成ったも同じだから、新神話グループも 解散の成り行きかと思っていたのだが、最後に追いつくようにして白虎が現れた。それも子猫として。シャーマン能力を備えた子猫たちである。神獣の化身と考 えてもいいかも知れない。
白虎の幼猫フーちゃん
元の飼い主にリコール要求したものの、白虎だとなれば、どうしていいか。つまり、お客人だ。
しかし、まるで中国の客家のように食選びがすごい。キャットフーヅなど匂いをかいでバイバイ。もうサバには飽きつつあり、牛や卵、鳥を経て豚へと食牙が移行している。それに飽きたら・・・もう、後がない。

 

それに比べて私は、芋とかゆをいただいている。もう、呑まずにおれるかと、梅酒とビールのあと酒かすで甘酒作って、昼飯とした。身体が温まってとても心地いい。このまま息絶えたら、最高だろうに。


巡り終えた錆びた太陽

新 神話で太陽神天照天皇は十二人の妃を擁していたとしている。ホツマに準拠しているのだが、それは黄道十二宮にも対応する。東西南北の方位にそれぞれ三妃で 十二妃である。このような大奥のようなシステムにしたのは、ひとえに国祖を弱体化し陥れようとする邪神の姦計に他ならない。その直後、国祖は暗殺され封印 され、世界は暗黒化した。あたかもいいように見える大奥ハーレムのカルマを背負った雛形の、翻弄された運命がいまここにある。いろんな雛形を引き受けすぎ るものではない。

新神話発足以来、九人はいろんな形で現れたかに思える。あと三人となっていたとき、西の妃は子猫のメス三匹でやってきた 感があって、これで巡り終えたのではないかという思いである。すでに二週間を三匹と寝食ともにし、成り行くに任せて別れがあり、それでおしまいになる流れ だ。

ちょうど宇宙に出るタイミングとなる具合。あるいは2012年の満了まで行って、そこからは暦のない世界(新時代ならばよし)となるのか。三年もよう世話できないから、いづこかでさらばとなろう。
ホルス、ルシファーらは原初の太陽神。それがどこかに封印隠蔽されている間にも暦は進み、旧時代の幕引きとなるのか。不本意だったとか、悔しいとか言っておれまい。元通りにすべく動いた結果がこうなら、それでよしとすべきである。新神話もそれで終了する。

子猫たちは、もうすべてを理解しているようで、じっと向こうから見つめているだけで、私のもとには寄ってこなくなった。というのも、リコールの心積もりをしてしまったからだ。もう、私の脚を見ても、避けて走り去るだけだ。まさに心を読み取るシャーマンたちである。(まだこの頃には3匹ともメス猫だろうという恨みがましさがあって、リコールしようと思っていたのだ。去勢する費用を打算していたのだ)

いっそ、あんな夢は見るべきではなかった。見てはならなかった。
しかし、フーの、私たちの正体を見せて喜ばせてやろうという気持ちには、ただ感謝。

急によそよそしくなったお客人の態度に寂しさを催し、ついぞ道行きを捕まえて「大丈夫、仲良くやっていこう」と説得したら、また膝の上に乗ってくれるようになった。やはり三匹とも手放すことはできない。

追記  2014.8.8
当たり前だ。手放すことなど、できるかい。みんな大事な私の子供たちだ。そして(猫の)妻もいる。
今頃、心から声を大にして、そのように叫んでいる。
2012 年がどうのこうの言ってるから、悲観してフーなんか、早逝したんじゃないのか。2010.10に事故に遭った夢を私に見せて、還らぬ猫になった。ちょうど 満1歳という若さだった。かごめ歌のルールに則ってだって? そんなこと頼んだつもりはないんだよ。フーちゃん、愛している。その君の写真がいつしかどこ にもないんだ。しかし、記憶は鮮明に残ってるよ。
その後、ブーとウーが務めてくれた。追記している2014年現在もブーは健在。外回りに日々勤しむ最も強い猫になった。幼時とは正反対だ。とても大事に思っている。
ウー は前年の10月に私の不注意で、見ず知らずの土地で失踪させてしまい、すでに逝去していると思われる。大事にしていた妻役の猫だっただけに、私はひどい ショックを受けた。ウーちゃん、今もなお愛している。私のホームページサイトのトップページに掲げてる。君は新神話功労者だ。
http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/97/
http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/107/

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それから、3か月後ぐらいになって、二匹にふぐりが出てきた。これによって、オス2匹、メス1匹だったとわかった。

何とネアンの見立てはまたく当てにならず、夢の中で示された性別のほうが確かだとわかったのであった。

 

その頃、ネアンは知らなかったのだが、彼の館の北方200mほどに、猫を20匹も飼っている家があり、ネアンの館もその見回りの中にあったため、三匹は不断の襲撃に遭うことになった。
ネアンはむろん子猫たちに代わり防戦する。しかし、密林で鍛えた成猫のしたたかなこと。ひとつ撃退すれば、また次がやってくるといった具合だった。猫世界にも邪系軍団がいると思えたことか。

その彼らにも、生死をかけた歴史があったことを、地元民の話で知ることになった。それは、猫世界のエデンの楽園追放のような事件があったのだ。その時の猫たちは決して悪くはなかった。彼らの飼い主が死去し、相続人が家の売却のために追い出したものだった。

 

 
2010年5月15日 カンナオビ、水難事故にて逝去 



直前日にカンナオビを写した写真に、彼女の頭上に輝く横倒しの六角オーブが、まさに右から内容物が飛び出していく格好で写っていた。生霊オーブの横倒しは、死を迎えるサインだという。

オーブの内容は花模様、近江の奥津嶋神社の御神紋と同定され、やはりカンナオビは奥津嶋姫の化身であったと特定された。
以前からの予測が、関わった年数の面からも整合がとれたことになった。
すなわち、奥津嶋姫:市寸嶋姫=7:2である。
また、カンナオビが逝去した日は、飛鳥資料館においてキトラの四神獣が特別展示される初日であった。
まさに、青龍と玄武(兼務)が別天に赴いたのであった。
スキューバ中の海難事故であり、これまた海原に帰って行く豊玉姫の姿を示していたのである。わけもわからぬままに隠遁したネアン・山幸への絶望があったのかも知れない。


2010年7月 まだ8ヶ月の子猫の段階であるウーが出産する

フーとの間に赤子が三匹生まれる。このとき、ウーは子産みの喜びを噛みしめている様子。その姿に、子を設けられなかったカンナオビの喜ぶ姿がダブる。ウーの聖母像のような写真も撮れる。

こねこ3匹うまれましたおっぱいのませるおかあちゃん聖母ですおかあちゃんたいへんごくろうさま


(やがてウーにカンナオビがかかったか、ネアンのお嫁さんらしく振舞うようになった。ネアンとの同時逝去を待つために来ているようであった)


2010年10月 白虎の化身である白猫フーが逝く

 

在りし日のフーちゃん
ネアンに夢の中で顔面を砕くような事故に遭ったことを示して、行方知れずとなった。このとき逝去したものと思われた。
5月に青龍、玄武が逝き、10月に白虎が逝き、あとは朱雀のネアンを遺すのみとなった。かごめ歌の「いついつ出やる」を五月五月と出やるとすれば、ネアンが逝くのは、翌2011年3月の予定かと思われた。

ネアンが逝けば、あの世(神界)で梵天やカンナオビに会い、軍議を経て邪神討伐に向かうべく、まず朱雀の身でベテルギウスに行きパワーチャージして火の鳥になり、白龍カンナオビや正神軍とともに出立する手はずである。(新神話十二章までの筋書き)

(2011 年3月、ネアンは逝ったのだと仮定できる。というのは、彼の人生のタイムラインは幾通りもあり、彼自身の意識はそのすべてもしくは、救世行為関連の目的が 果たせるまでのタイムラインの実行を、プレイバック方式でしているからである。よって、2013年現在、すでに朱雀はパワーアップして火の鳥になり、地球 に向かっている頃である)

ココペリのオーブ写真は樹木の精霊(国津神)の逝去を示すか

2011年1月 掲示板の読者から、ブナの木に写るココペリのオーブ写真が送られてくる、ただしこのオーブは右辺と分離しかけた状態で写っており、カンナオビの最後のオーブと同様に、オーブ自体の解体を暗示していた。 
その前後、全世界的なナラ枯れがブナ科の樹木に広がっていることを知る。 
自然界から精霊(国津神)が撤退していることを暗示していた。
やがて火の鳥によってすべてが焼却されるため、それまでに撤退が完了する手はずであると解せた。

(国津神たちの撤退先は、すでに地球環境の粋を集めた元の黄金楽土として完成しつつある地球であった。そこは後に述べるイザナギ神の逃避先でもある。
対極にあるこの世を黄泉の国といい、やがて必然的に絶滅し焼却処分に至る消滅世界なのである。多くの有情や人はこの世の不当な仕打ちに絶望して亡くなるのではない。それは本当の故郷、新しい本当の世界に帰っていく姿なのだ)


2011年2月 ネアン、ホツマツタエ伝承の欺瞞性とその裏にある真実を解き明かす

瀬織津姫(八十禍津日)が天照天皇に成り代わって天照大神を名乗っており、ミグダルのマリアがその実体であること。イエスの再臨を待つ形で奉祭されていることを解明。
国祖神強制引退政変劇は、宮津の執政地で演じられたこと。
神隠し(暗殺、幽閉)されたのは、国常立神、豊雲野神、そして天照天皇であったこと。

記紀からすれば、イザナミもであろう。彼らには国祖神の直系であるという共通性がある。
本拠地の日高見には政変劇のことは伏され、秘密の噂としてのみ残ったとみられる。
以後、今に至るまで、世界は暗黒状態に置かれてしまう、さ蝿なす満ちる岩戸隠れの時代になった。

 

2011年3月 東日本大震災が起き、福島原発が崩壊 それ以降、時空は変節してしまう

ネアンは予定された日(いついつ出やるを満たす2011年3月)を過ぎても逝ったりしていなかった。
しかし、実際にはその頃死んでおり、そのときネアンの魂は朱雀となって、こなすべき最終工程に入っていた。(と仮定的に解釈が可能なのである)

(※ 邪神たちのした悪事が、日高見全体に漏れてしまい、ネアンはこの頃、地上界の逆賊として註殺されたのである。しかし、神世にも変動があり、激震は日高見に 走った。以後、邪悪な為政神は、毒を食らわば皿までもと、なりふりかまわぬ暴乱狼藉を神界の神々に対して働きだし、天上での戦いとなり、敗れて下野。この ため下界はいっそう暗黒化し、国津神の難を逃れての撤退は加速する一方となった。地上の大量死に驚き怪しみ、これらのことが外野の梵天と正神勢力の、邪神 勢力に対して終局の戦端を開くきっかけになるのである)

いま生き延びているネアンは、別のタイムラインにシフトしたネアンである。しかし、それを直接証明する手立てはない。同様に、天上においてどんな経緯があったかも知る由もない。すべては仮説として考えられるだけである。

(※このタイムラインを彼は第三時空と呼び、破断鉄橋を渡るごとき最悪の成り行きで 推移することが想定された。というのも、元凶的ウイルスの情報蒐集と把握にこの工程が必要とされたからだ。ネアンは別時空を股に掛けてでも果たすべき、マ ルチの役割を負っていると解釈される) 

 

第三時空は滅茶苦茶を絵に描いたような時空 (変節した時空を体験するタイムライン)

2011~2013年 政府の放射能対策は隠蔽に回るばかりであった。 
事態を直視せず、偽の平和の演出のみを是とする戦時下体制風、古代的隠蔽体質が確認されることとなる。
邪悪を露悪して憚らない世相に一般庶民はただ唖然とするばかりで、何も出来ないでいた。

そのうち庶民は事態を折り込み済みにすることで、心の安定の確保に努めた。
神界のよすがを、地上はもろに反映していたのである。

ネアンは、元の家を2011.3.28に、市役所にて三陸の被災者むけに家賃無料の条件で提供する登録をしたのだったが、結果はなしのつぶてとなった。善意が報われない世界になっていた。
その先には、すべてをご破算にすべく戦争がもくろまれていた。原発の全国へのまんべんない配置は、逃げ場を作らないための、総玉砕のための自爆装置のようだった。
それに対して庶民には、危機感がなかった。危機に心乱すより、言葉の安心のほうに就いた。
ごくまれに、事態に目覚めた者もいた。彼らは歴史の生き証人、見届け人として、よほど敵対的でない限り、存在が認められていたかも知れない。

2013年3月 ネアンは第三時空の彼のタイムラインの要求を満たすべく、後世に残すべき文書を書いた。
未来におけるルシファーの教理となるべき原案を公開したのである。
むろんそれは、ネアンにプログラムとして設定された手続きであるにすぎず、火の鳥による焚書焼却工程が採られた場合は、以後の歴史ステップすべてが無効になる。

未来人ジョン・タイターの伝えた話、ヒトラーの予言、アルバート・バイクの預言を解読し総合して、邪神の謂れを解明し、謂れに従った場合の、彼らの終焉と救済の方法について預言し、教理の中に盛り込んだ。
http://p.booklog.jp/book/91316/read

これを見て、邪神から正神に寝返る者が続出し、以後、地球の破壊を食い止める動きと、破壊を加速する動きがせめぎ合うこととなった。

(が、 黄泉の次元にある限り、滅びと焼却処分による消滅は免れない。なぜなら、すでに外野では地球在住の善良な神々や市民のために、地球環境そのままの黄金楽土 が用意されていて、順次逃避してくる神や人を受け容れているからである。そこに至るまでには病原性ウイルス感染者や発病者は、ましてや病原性ウイルスは欠 片としても入れぬフィルターが設けられている。入るには、イザナギ尊のようにして脱出できるかどうかが鍵となる)
 
ルシファーの教理案に おいて、ネアンは自らが創造主であり救済者であることを示す。また、ホルスの雛形にあるときに、冥界の王(オシリス)とは子と親の関係であることから、病 原性ウイルス絡みの地獄の適用者とその処理のあり方を、閻魔大王たる父オシリスと協議することになる。エジプト神話ではホルスはオシリスの脇侍として、死 者の審判に携わる。今度は最後の審判だ。だからネアンは、ホルスの目として、この世界の罪状を見届けている。

同時期、ネアンは邪神およびその一味の殲滅の方針を示す。 
地球への破壊勢力を癌ウイルス、あるいはその感染による死者として扱う方針とする。
パンデミックさせないために、ウイルスの類族とそれに仕える者(邪悪なる神々)が焼却対象になること。 
このために第三次大戦と地球砂漠化、生態系の絶滅も手段となりうること。(ウイルス病による宿主の死を意味する)
地球もウイルス絶滅のために膿出しの舞台となること。(死の惑星になることも是とすること) 
ために、善良な正神や国津神は新しくできた新世界へと避難撤退し、新たな国造りに参加していただくこととする。

有情たちは守護神の撤退に随伴して新世界へ赴く。

地球は宇宙の中の一惑星となり、宇宙環境に晒され火星化して人類は終わる。
これが旧神話上の黄泉の国の最後となる。
このゲーム性を与えたソフトプログラムは廃却され焚書される。
ソフト設計制作者(これこそが最大最悪の邪神)こそがウイルス製造拡散行為当事者、事業者として処断される。

 

書き手としてのネアンは、こうしてこの場にいながらにして、歴史展開の中心にいる。この世運行の原理のシミュレートモデルが提示する創造主・観とあいまって、まさにこの世界の主人公は、ネアンとなった。

そ れを裏付けるのは、彼の超宇宙理論である。彼はそのために、自ら創造主としての独自の時空を設定する。それを彼は第三時空と称して、破局に向かう変節時空 ゆえ、何人も立ち入るべきではないとして、この列車から最寄の駅で下りるよう諭したため、友人たちはネアンの時空から去っていった。そして、第三時空で は、ほとんど人は意識原理を宿さぬダミーとなっており、臨時的に観測しにやってくる化身としての生き物だけが、彼のもとにいた。(と仮定されるのである)
この後の多くの衆生とは、プログラムダミーにすぎないと推量されるから、いっそう無力な民でしかなくなるのも当然となる。また、生贄にされる対象の人々でもある。どんなに凄惨であろうとも、魂のない肉体には感知能力はないと見込まれる。愚鈍であることが必要になるのだ。

し かしネアン自身、その変節に相応しい心的醜態を晒すことになってしまった。彼はこの世だけでなく、自分の人生もコントロールできなくなるのを感じ取ってい た。つまり、彼自身と外界は相似的に一致しているのだ。谷に落ちる列車がコントロール効かなくなるように、この二者はなすすべもなくしている。彼は自分の ふがいなさを痛感する。同様に世界も自らのふがいなさを痛感している。どちらも、事態の解決能力に自信を失っている。

しかし、ネアンの没 落感や絶望感とは無関係に、世界の浄化と刷新に向けての必要なステップは神界から順に進められていた。すでに第二時空で死んだネアンは、ベテルギウスに行 き、火の鳥を起動し、邪神一味の殲滅のためのアクションをとっている。今この時点では、もしかすると邪神一味は神界から叩き出されているかも知れない。い ずれどうなっているかが、判明するだろう。(2014年5月3日の未明の夢で、すでに邪神一味は地上界に大挙して下野したことが示された。地上界におけるその時点とは2011年3月11日と見込まれる。地上は大患難を迎えることだろう)

第 三時空の彼は、谷に激突したときに死んで、そこから朱雀となり、宇宙大規模の火の鳥起動の工程へと進むことになる。そして、第二時空で起動された火の鳥と 合流し、何無量大数倍にも倍加するパワーで、邪神勢力のみならず、諸悪の拡散蔓延機構とその場それ自体を焼き尽くしてしまう。

以上が主人公ネアンの形而上的未来までの約束された歴史年表である。


新神話の基本的スタンスと採用するシナリオ

ネアン、かく申します。

私は齢50を過ぎてからの命を、梵天様、弁天様、および国津神系からの委託仕事遂行のために賜与されたものと確信しております。
よって、俗世間的な常識には縛られることがあってはならず、また縛られることのない加護が与えられていると確信しております。
それゆえ、短時日ではあるものの、めまぐるしいほどのシンクロ現象が私の目の前に展開するようになったように思います。
私はそのひとつひとつを意味づけの連環に取り込み、更なる強固かつ実力を持つ連環として構築していきます。するとまたさらに、シンクロ的な知恵の啓発がもたらされるという具合に、ちょうどエンジンの回転がひとりでに得られるように円滑化していくのです。
現在もまだその回転力は落ちてはおりません。自分の目や耳で得られなければないで、ちゃんと人の手を介して情報はシンクロ的にもたらされており、そのすべては連環をいっそう太いものにしていきつつあります。
それが新神話の持つ力となって、神界から下界に至るまでの世界を潤していくことと確信します。

人 の手に渡るべき情報を選択しタイムリーに与えてその気にまでさせておいでなのは、どこの神様なのでしょう。人が神の代理となるのは、神がその人に懸かられ るときです。そのとき初めて神の雛形としての役目が果たされるのです。私はその神様との協調プレーにおいて、充実しながらこの事業にあたっていると確信し ます。

これほどまでの充実感と加護されている思いは、50歳前までは味わったことのないことでした。

主人公である私は、 真の創造神と原初の神々の要請をうけてこのたびの役目を果たそうとしているわけですが、それには今目下不遇の身に甘んじておられる国津神さまたちに、元 あった立場を回復していただき、職責をまっとうしていただくことが大事であり、天津神さま方々もそれには賛同されることと確信します。

今回の仕事は、救世行為です。世界を元あった状態に建て直すこと。神々においては、心正しい指導性に立ち返っていただく。人々においては、純朴だった頃の心魂に戻っていただく。こうしたことから、不肖ネアンの立てるべきスタンスは次のようになります。

元々あった地球生態系の有情を救済の対象にすることを基本とし、人類においても先住民型とも言うべき自然共生型の暮らしを愛好する純朴な人々の救済をもっぱらとします。それに相応しい者はただちに新造された黄金郷入りを果たすように導きます。

邪神とそれに連なる世俗従事者、すなわち"獣"と分類される者たちには別の救済方法を以てします。

ネアン、さらに申します。

私は生まれ故郷が天橋立を望む宮津市です。海岸から眺めた対岸に、遠く青松の連なりが一望できるところです。
このため、この地の伝承が新神話に大きく関わってきます。
天橋立の成立伝承に、久世戸縁起というものがあります。今では天橋立を一望する成相山成合寺において、パンフレットがいただけるはずですが、その中に久世戸縁起が平易な口語文体で書き表されています。
それによると、太古の昔、天津神たちが地球にやってきて、人類を下ろそうと計画しました。それを知った地球のドメスティックな神々(龍族)、つまり国津神たちは、反対運動を起こして地上で暴れ、人類の生存環境に適さないことを示そうとしました。

と ころが、天津神たちは地上の龍族を、当時高名だった文殊菩薩に仏教的教化を頼み、文殊菩薩を地上に派遣したのです。文殊は龍族をみごと教化し、おとなしく させることに成功します。さらには、龍族全体の長であった竜王の娘の弁財天が説法内容に感動し、自らが中核となって龍族を一身に合体し、観世音菩薩として 人類の守護に努めましょうということになったのです。この地の成合観音とは、龍神と龍族が成り合ってできた観音様という意味です。
さらに文殊菩薩への約束の証として、海中に天から浮橋を下ろし、それが現在に見る天橋立となったとのことです。

ところが、天津神たちは、龍族の心配をよそに、人類をして、もはや地球生態系が立ち行かぬところまでにしてしまい、龍族の穏やかに暮らしていた地球をも、何度も破壊できるほどの準備をさせてしまいました。

事態の深刻化が叫ばれ、自らの存続が危ぶまれるまでになっても、人類には何の改悛の情もないどころか、彼ら独自の"合理化"精神によって、それら加害行為を自分たちの内輪で許し合うことまでしている有様。

噂 を聞けば何でも、地球環境に対して破壊工作する者を天使だと讃えているとか。そして、自分たちのした過ちを許し合うことが大事だとか。そして、地球のこと はそっちのけ。無視を決め込んでいるのです。龍族が見えないからというのは、まだわかります。毎時見ている地球の大地が見えないはずがありません。無視し ているのです。

なんとも無責任極まりない話ではないでしょうか。その"合理化"の推進主が天津神たちだったということも、むろん誰一人分からないはずがありません。
裏切られたことを知った龍族たちは、文殊との約束があるため、ざわめく心を抑えねばなりませんでしたが、とうとう、当の文殊に問うてみようとなったのです。

龍族里長の嘆き

息子たちよ、よくお聞き。
これは遠い神代の物語。
ごたごた好きの侵略者が里にやってきた。
平和に慣れた里人がかなうはずもなく、
殺されたり捕らえられたり里の外に離散した。
里は無法者たちのしたい放題となり
捕らえられた者も抵抗できず、泣く泣く下働き。
こうして神代は暗い夜を迎えたのじゃ。

いっぽう地上では、知ってのとおり我々が、
生き物を束ねて豊かに暮らしていた。
そこに神代から、人類を下ろすとのお達しが。
神の似姿の人を下ろすとのこと。
神代の荒みを聞き及んでいた我々は真っ向から反対。
ごたごた好きの者がやってくる。
侵略に生甲斐を持つという者たちの似姿とはどんなものか。
我々は地上の自治が崩壊させられるのではないかと危ぶんだ。
こうして長きに渡って、抵抗が試みられたのだ。

だが、高徳の僧がやってきた。
世の移ろいを無常観を以て説くお方が。
文殊菩薩という名のお方。
生きる楽しみを享受しているばかりの我々に
無知ではなるまいと高僧は、一堂に集めて説法なさったのじゃ。
真新しい知識の泉。このような大きな世界があろうとはな。
婦女子や少年らは、目を丸くして聞き入った。
高僧に恋したのは婦女子ばかりではない。
王の姫君もあられた。
わしら古老は理想よりも今を尊んだから、いい傾向にあらずと
出向かなかったが。

だが、新しいタイプの有情も有情。優しく今までの生き物同様
慈しみましょうと姫君は、観音会を発起なされ、王を始め
多くの者が従ったのじゃ。
こうして人類はやってきた。
ここからは今の時代の物語。

だが、どうじゃ。神と生き物の二つを足して二で割ったという
有情は、生き物という自らの土台さえも壊し始めた。
神から受け継いだ知能が土台を壊していると分かって、我々は
やはりそうだったかと気付いた。が、すでに遅かった。
我々はもう一度文殊菩薩を招請した。菩薩は三昧境を出て立ち上がり、
見識を飛ばして地上のよすがをご覧じた。
三昧の空にかかる暗雲とはこのことだったかと、意趣を悟られ
ご自身の見識力のなさを素直に詫びられた。

菩薩は僧衣を脱ぎ捨て、やにわに甲冑に身を包むと、
操られる人類必ずしも悪しからず、哀しき有情の一に他ならぬ。
むしろ元の因たる神代の咎を糾しましょうと、
一命を賭して遣り遂げたいと仰せの上、
先頭に立つ決意をなされたのじゃ。
我々古老も感服した。

ところで我が姫君は、菩薩からいっそう教わりたいと、
自らも関わることを仰せられたのも、
観音会の主催者としての責任を感じられたからじゃ。
かくして菩薩は姫観音と契りを結ばれ、法力が発動して、
多くの神代の神々が復活の意志を鮮明にされた。
成さねばならぬは神代における大峠。

菩薩はかつての里の長たちや、会衆の味方を得て、
法力を携え出陣なされようとするとき、観音を、もしやして
戦場になるやも知れぬところには遣れぬと、
遺し置かれようとしたのじゃ。
妻は妻として家を守ってこそとの思いだったのじゃが、純粋な
姫君は、たえず傍に置くという約束を違えてまで、役立たずゆえ
離縁されたかと思われ、東海の実家に駆け込んでしまわれた。

王はそうはあるまい、様子を見ようとの仰せだったが、
それを聞いた兄龍は、やはり我々をたばかるものぞと
本拠に戻って大暴れ。千島海溝地震はこうして起きたのじゃ。
姫君の心は千地に乱れた。
というのも、婦女子に戦術をたしなむ者がおり、危険な役を姫から奪い
同時に菩薩の心をも一時奪っていたからじゃ。
戦士はお役目を姫君に返上しますと去ったが、菩薩の未練か
いつまでも抜け切らぬ戦士への思いに、姫の怒りと嫉妬
の心は絶望の淵へ。いっぽう慕う心が雲竜となり、菩薩の家の
周りを廻って探り当て、菩薩の胸に飛び込んだ。

本体ならばどれほど密度の濃いい身か知らぬものを、
淡い水滴の如き身体ではあったが、菩薩はそれを姫の形見の
お守りとして、胸の真ん中にはめこみ、そう姫に伝えておくれと
言い残し、いざ出陣と出向かれたのじゃ。
男、戦場に出るときは、妻に離縁を言い渡してでも、妻と実家の
安寧を願うものとぞ。
もし死して還らぬ場合でも、観音と会衆には咎及ばぬようにとの
計らいじゃが、我々とてもいちどは死んだようなもの。
かかる地上に未練はなし。菩薩に従い討ち死にもするものを。
だが、息子たちよ。孫たちよ。お前たちにはまだまだ未来がある。
地上のこれからは・・。姫の思いは・・。ああ、どうして差し上げたら。
古老のわしには、荷がかちすぎる。

大丈夫です、里長よ。このネアン文殊に任せてください。
龍族の姫君と共に必ず大団円へと導いて見せますぞ。

このように救世の主人公は、インド渡来の文殊菩薩の雛形も演じており、太古の昔に人類が地球に移植される頃に立ち戻って、当時行われた龍族の教化というものが、果たして妥当だったかどうかを反省して語らせているのです。

ご 覧になればわかるように、生態系の守護者とも言える龍族が、人類の登場に際して激しく抵抗したのを、知恵の付与教化として文殊が説得に当たり、彼らを懐柔 して、龍族の総帥である弁財天を中核にして合体して観音菩薩として、人類の守護に当たるようにさせていたわけで、この終局の時代において、文殊の雛形をし て、その処置はまずかったと言わしめていることになります。

その書き手の私は、当然のことながら、龍族のシンパであることは言うまでもありません。神話的に言えば国津神の側に立って書いています。だから、幸福になる者の基準を一寸の虫のほうに置きます。

人 類は地球を何十回も破壊するほどの兵器を量産し、いつでも使用可能の状態にしていることから、地球の守護者たちは非常に困苦しております。それを天津神た ちは止めようとしません。最初から使い捨ての大地だったのです。当然、維持に当たった国津神も使い捨てされることを感じ取っています。もうどんな生易しい 教化も功を奏さないでしょう。私がしてあげられることは、新神話の力で彼らの封印を解くことです。まず、元の故郷で憩わせてあげるつもりです。

人間の胸先三寸から出る言葉ひとつで、地球生態系はおわってしまうどころか、再構築できるかどうかさえ危惧されるレベルです。それももう、手遅れとなっています。
今の彼らが、どれほどの苦境に置かれているか、人間の身においてすら窺い知れないとするなら、それはもう地球上に存在する資格がないと言い切るしかありません。ところが、人類の多くはその資格のない者たちで占められています。

い や、龍族の姿が見えないからわからなかったというのは、まだわかります。しかし、生態系がどんどん衰退していても、実態を無視し、環境破壊にいそしむヤカ ラで充満しています。彼らは自分の子孫の未来すら、もはや眼中に入っていないのです。企業の、あるいは国家の被使用人だったから仕方がなかったというのは 詭弁です。そのような業種から足を洗えなかったのは、個々人の認識欠如の問題だからです。

すでに揚げた第九章は人類にとって穏便なシナリ オとして用意したものです。しかし、その他の終局を語る章は、すべて阿鼻叫喚の中に終幕することとしています。私は第九章の終幕の最も穏便なシナリオを採 る気はありません。なぜなら、人類はあまりにも傲慢に過ぎるからです。それなりのエンドを用意するのが適切と判断しました。

有史以後の人 類はそもそも、邪神がわざわざ世界を破壊するために送り込んだ環境破壊因子なのです。それまでにあった先史人類の遺伝子とはかなりかけ離れています。遺伝 子組み換えによってもたらされた、世界の有情を困難に向かわせるための霍乱工作部隊であり、知能を獲得するに従い、凶悪化していく獣だったのです。

こ の章では、凶悪な獣と化していく過程で、ウイルスが感染し、それが発病したとしています。ウイルスは、特に破壊的目的で送り込まれる、遺伝子実験工学者の ような働きをします。彼らは宿主である地球と生態系の安定的存続をいっさい考えたりしません。むしろ、嬉々として地球の汚染と破壊を進めていきます。それ は無責任というウイルスの性質であり、その病変組織それ自体が無責任であることを是認し、そうあることを強要しているからです。

巷の人体 に見られる病変としては、癌がそうです。癌幹細胞は、免疫系のマクロファージにすら、癌組織に従うよう指令し、癌の増殖を促進するのです。そのような癌組 織にいちど属した細胞たち(個々の人間たち)に正常化することを期待することは困難です。稀に正常化していく細胞(人間)を「目覚めた」と表現するのかも 知れませんが、依然、癌組織からエネルギー供給されているなら、正常化したとは言えません。

お給料をもらいながら、またそれがなくては生きていけないから、わかってはいるけどやめられない。それは思いの上で目覚めただけであって、正常化したとは言えません。なぜなら、未だに癌組織を癌細胞の一員として支援しているからです。

む ろん私もそのようにして改竄された遺伝子を受け継いでいますし、認識欠如の症状を呈していました。ついこないだまで。そして、今は今で、年金に頼っていま す。また、癌組織構成員の人間に対して、気を遣い、当たり障りのないようにおどおどしています。内心はこんな世の中、絶対よくないと思いながらも、人間関 係の中にあると、そんなことは二の次になってしまっている現実があります。

工業系企業はほとんどが生態系破壊者です。しかし、お金を得なくては暮らしていけないからと、目を瞑らされているのです。
今でも大人口を抱える大企業は、彼らにお金を分け与える機関ゆえ、彼らの間では善良とされていますが、優越意識をくすぐって煙に巻いているにすぎません。

地 球の大地を支えてきた国津神たちはことごとく邪神たちの封印に遭って、メンテナンス要員となってきた経緯ですが、このたび封印を我々が解いており、順次故 郷帰りを果たされているところです。すべての神はここからいったん撤退して、世界をたたむことにいたし、その間、邪神たちと残存人類を皆無に(除菌)し て、やり直すとしても無菌状態からスタートしなおすこととせねばならないとみえ、前章からさらに厳格化した方針で臨む予定です。

私はそのための最後のご奉公をさせていただく所存です。正神の皆様には、人類の進むべき方向を振り分けていただきます。故郷に帰らず居残った者たちの魂は、邪神の跳梁跋扈する土台とともに焼却処分いたしますゆえ。

それを黄泉の国の辿る最期とみなし、最低限としてその部分、あるいは最大限として、この世のシナリオを与えるソフト全体を焼却処分にいたします。

※  拙超宇宙論をもとにするとき、私の創造していく宇宙では、かくのごときでありまして、みなさんの個々が創造するものとは異なるものとお断りしておきま す。なお、拙シナリオ通り事態が推移しましても、私ひとりの責任において成就することであり、みなさまとの共有を目的にしたものではありません。被害を受 けてはたいへんだとお思いの節には、私の創造宇宙から離れていてくださいますようお願いします。もし同調されるなら、それも可能ですが、自己責任となりま す。

※ また最近になって、この世界は自分と相似であることも分かってまいりました。すなわち、多情に失して無責任を随所にばらまいて、 反省もしやらぬままに、いいことだけを吹聴しているのは、私そのものでもあるからです。つまり、自分に相応しい世界が外界に展開して、それを批判の目で見 ている自分がいるということでしょう。何と辛いことか。しかし、その無責任のひとつだに解決できない。デッドロック、暗礁に乗り上げているのです。それは この世界とも共通する話かと思います。

そして、今になれば、早くゲームセットしてほしい。ただそのような願いが心に潜在しているのです。しかし、どうあっても刈り取ることが要求されていることを痛感します。皮肉なことに、ゲームオーバーの日はなかなかやってこないからです。


第十二章の継続をここから

第十二章の続き

 

 

今に至る経緯のあらまし
 
2007年9月、ネアンの母が逝去。その後、立て続けにネアンが見た 夢に、なき母が登場。なき祖母も共演的に登場し、両者ともに肌が透き通り輝きをたたえるほどであった。これにより、その頃のスピリチュアル系ブームであっ たアセンションの意味をネアンはおおよそ掴むことになった。アセンションとは、すでに霊界として知られる次元への移行を意味するものであったのだ。霊界で は、すべてが若返り、快活になるのである。

2008年9月末頃、ネアンは北海道に旅行する。ジュセリーノ予言が提示する、日本本土が危ない場合の終の棲家を北海道に求めての調査の旅だった。


ちょうどその頃、カンナオビが家族での日帰りバスツアーで、高野山詣でをしていた。そのときに撮影した金剛峰寺持仏間を背景にした写真に、初めて六角オーブが写り込む。しかもそれは弥勒菩薩であるらしかった。


その夜のカンナオビの夢に空海和尚が現れ、まもなく弥勒下生があることを告げる。六角オーブの中は、大黒様のような頭巾をかぶった髭の濃い 人物の顔が出ており、六角を以て弥勒(ミロク=身六)を表しているかのようであった。ネアンはそれを、スサノヲ神と大国主命の合体と見立てた。
持仏間のふすま絵は群鶴の一羽であり、そこに重なるようにして写った六角オーブはまるで亀のようであった。これはかごめ歌の、鶴と亀がすべり、籠の中の鳥もしくはミロクを出現させる手順を表すかのようだった。

弥勒下生は間近だ!!
弥勒降臨解読のプロセス

こ こでも、鶴はネアンで亀はカンナオビという布陣となる。亀のもたらしたサインを読み解くネアン。この二人のコンビネーションが、鶴亀すべるという形にも なっている。また、ネアンは朱雀であるときに、カンナオビは元より青龍の役柄に、イナンナから脱け出してきた属性の玄武(蛇と亀)が付け加わっており、豊 玉姫(乙姫)の役柄もあったことから、亀としての役割を見事果たしたのである。ネアンは浦嶋であり、日子ホホデミであり、朱雀の赤が丹頂を飾る鶴となって いる。

この後、カンナオビが撮影する写真の中には、大小さまざまな六角オーブが写り込むようになった。この六角オーブたちは、そのいでた ちから出雲系国津神であることを表した。(弥勒もむろん出雲系国津神から現れることになるはずだ) 豊玉姫の雛形としてカンナオビが機能したときに、ホホ デミの命として機能したネアンと交わって生まれた神々であった。特にカンナオビが出雲地方の神社巡りをしたときは10月。オーブそれ自体が変体して何かを 示そうとしているかのようであった。

ネアンの後の調べでは、カンナオビが奥津嶋姫の雛形として機能したときの神話上の夫が大己貴命(ホツ マツタエ)となっており、この地方一帯が大己貴命系つまり出雲系の神々のご在所であることを物語っていた。それらご神体は、各神社の六角で枠取られた御神 紋として記載されていた。神々はカンナオビのような関係者(奥津嶋姫)が撮れば、ちゃんと写真に写るし、古代の霊能者には六角形の神姿が見えていて、それ が御神紋に採用されたに違いないのだ。
カンナオビは、この世にある間に、本体の奥津嶋姫のおられる出雲に行っておこうと思ったのだろうか。本人はただ思い付きのようにして行きたかったのだとは言っていたが。

また同じ頃、ネアンもマシューメッセージに合わせて出てきたかのようなUFOを、さほど時間をかけずに撮影し、Youtubeにアップしたものが他のサイトでも取り上げられて、アクセス数を増やしていた。

ホホデミ(天津神)と豊玉姫(国津神)がそれぞれ得意分野で持ち分けて、このような写真やビデオを撮るという不思議な神話時間が醸成されていたのである。ここでの天津神と国津神の対照は、純粋な神話上のキャラクター配置による。

以後は、ネアンが終の棲家としてとある田舎を買い求め、そこに移り住むこととなってからの記事である。


ネアンはむかし見た夢を、当地に来てから実現させようとしていたことがわかった。
幽体離脱後の夢見で自分の未来を見たらしい

家の下でよそ猫が子供を産んだ。そのうちの一匹を飼おうとして死なせてしまい、猫を飼うことを決心した。おりしも知人が猫の引き取りを依頼してきたので、ネアンはそれを承諾。やってきたのは、生後一ヶ月の三匹の子猫だった。(黒一匹、白二匹)

縁猫ブーフーウーと物語

黒 猫のブーは、よくネアンの幻視で、影の如く電灯付近を旋回しているのが目撃された。またあるときは、棚の上に座る大きな猫の影として幻視された。これら は、ブーの魔術性を物語る。ネアンは、黒猫には魔女アラディアの伝承があることから、その頃はブーがまだメスと思い込まれていたこともあり、ネアンはもし かするとブーはディアナかアラディアの化身かもしれないと、楽しい想像を馳せていたのであった。

しかし、ブーはやはり本当に想像的に空を飛んでいるらしかった。というのも、高いところから意外と簡単に飛び降りてしまい、前足を脱臼したり、高い所で足をうかつに踏み外して、あわや5mもの高所から落ちかけて、ネアンが咄嗟に気づいて助けたこともあった。

今朝未明の不思議夢 (三匹は、三つの目を持つ白虎とその両親の化身だった)

ブー もフーもウーも、生後一ヶ月ほどでやってきたときには、外見上の性別がわからなかった。ネアンはずっと後まで、3匹ともメスだと思い込んでいた。そんなと きに、3匹の由来らしき夢を見て、うわっ、またも神々との縁ではないかという驚愕的な思いと、どうせならオス2匹でメス1匹であってもいいのになどと思っ ていたのである。

ところが、猫たちの成長に伴い、それがオス2、メス1だと判明するのである。大の字になって寝たりする豪傑なウーはオス にあらず、ウーがメスであり、ブーとフーがオスであった。よって改めて、フーが白虎であり、ブーとウーが父母であるところのシーサーのつがいであると設定 できたのであった。夢のシーンのほうが正しかったわけである。

三匹は神々の中のいわゆる神獣(の化身)であったのだ。しかし、いかに神々とはいえ、地上に降りてきてする劇の中では、能力を極端に落として猫に化身して、それなりの試行錯誤して苦労して生きていくわけである。

ブーの場合は、最初に食べたサバ缶のサバだけが好みとなり、それ以外をいっさい口にしなかった。このため、必須栄養素が欠乏してイエローファットという全身に激痛が走る病気になり、死ぬほどの思いをしている。脱臼のときとイエローファットのときに医者にかかっている。
(ブーはとても賢い猫に成長した。何が真の栄養かを見極めており、みんなが好む味のいいおやつには興味しなかった。いろいろなことに最も苦労して、最も生きた成果を得た猫であった)

三 匹が神獣であるという縁起夢を見て、ネアンは思う。白虎は新神話の四神獣揃い踏みの要求(需要)に応じてやってきてくれた、驚くべきシンクロ事象なので あった。が、彼の両親であるらしいシーサー夫婦は、夢の調子から、どうも付き添いのご両親のような雰囲気で、ちょうど有閑期の物見遊山のような感があっ た。
(しかし、軽い気持ちのちょっとだけが、いざ猫の一生といえどもレールに乗ってしまえば、多事多難に遭遇し、当て外れにがっかりもし、さまざ まな窮地を潜り抜けてこねばならないことになるものである。ブーほど苦労した猫もなかったろうと、後にネアンは振り返り思うのである。)

このことにより、ネアンは自分の現実的判断よりも、夢見のほうが正確だと知ることになる。ブーとウーが夢のシーサー夫婦でフーがキトラの白虎と特定された。

ネアンはこの頃、車庫造りを皮切りとして、次々と倉庫を増設していった。また、家の切妻屋根の傾斜に、水平になるような板場の造作を施し、その上にプランターや鉢類が置けるようにした。そのときに、屋根を覆ったのがシルバーのUVシートであったのだが、彼はそれより二十年ほど前に、夢見をして、 行き着いた場所で、自分によく似た人物が、ビルのような建物の上で植栽をしているところに行き合わせる夢を見た。それはビルのようであるとはいえとても小 さく、灰色であるということで、そう判断していたのであるが、屋上を覆っているものが四方に垂れているような感じだったのだ。

彼はそれを屋上緑化の意味なのだろうと思っていたが、彼がいま造作する倉庫などは、屋上に人が登ってもいいように、適度にフラットで、植栽が適うのである。それに気がついた彼は、過去の夢見で、自分の今を見たに違いないと思った。

このように彼の夢見は、かなり象徴化されているが、的確さにおいては、彼自身の生(ナマ)判断を上回っていたのだ。

またこの頃、飼い猫の三匹がまだ幼猫で、その場から200mほど離れたところのA家で20匹もの猫を飼っていたため、このよそ猫が襲撃してくることが毎日のようであった。ネアンの作業のいくらかは、よそ猫の襲撃から三匹を守ることにもあった。

と ころが、ネアンのことが気に入ったか、それとも戦略的にネアンのサービスを取り込もうとしてか、毎日のようにやってくる襲撃グループに、後に石松(オス) とミケ(メス)とネアンが名づけた成猫がいた。特に石松は、彼の家の近くの道路上で、痩せた姿で横たわり、たまに道行く車に対して、ここの主人に虐待され ているようなスタイルを装ったりしていた。おおかたこれを見た人は、この家から捨てられようとしていると誤解したことであろう。ネアンにとっては、みっと もない限りであったし、襲撃するわけなので、困った存在であった。しかし、腹をすかせている様子に、残り物の餌を与えていた。

そんなとき、襲撃の習慣はやまず、ついにネアンは、室内におびき寄せて、制裁を加えることにしたのだった。侵入と同時に、紐を引けば扉が閉まり、ベランダ部屋に閉じ込められるように仕掛けをしたのだ。

そして彼がいつものように眠って、三匹があわただしくなって周りが騒然としたとき、やってきたとばかりに紐を引いた。うまくいったら、出向いてしたたか叩いてやろうとして、確かにうまくいったはずだった。

と ころがそのとき、閉じ込められた二匹の猫が、ネアンのもとに次々とやってきて、帰順の気持ちを表したのである。はっと、目が覚めた。夢だったのだ。何とい うことだと、次の機会にはと心に決めるネアン。ところが、その朝になって、現実の石松とミケが、家の玄関下にやってきて、帰順の意が伝わりましたかと言わ んばかりに、カーカー鳴いて、ネアンに挨拶しているのであった。⇒ http://www.youtube.com/watch?v=IpH2YdfJneM

い つもなら、追いかけたらすぐに逃げ去るので、初めてといっていいほど間近に見る襲撃猫であった。それが、ネアンが外に出ると、足元に擦り寄ってくる始末。 ここでも、夢の中のコミュニケーションが、的確に先行しているわけである。いったいこれは何なのだ。彼らがテレパシーを使ったのか、それとも猫独特の魔術 なのか。

猫にまつわる不思議は、その場所に来るまでにも何度かあったことだが、白虎一家の夢見に次ぐインパクトある不思議夢であった。

縁 猫と思い、彼らとの親交をやむなしとするようになったよそ猫二匹。ところが、ちょうど家の鬼門の方角が石段の通路であり、そこに鳥居のようなものを作りか けていたときに、守護神としてフーを予定していたのに、そこに石松が居座るようになった。このため、フーは家の裏鬼門側の納屋が居場所となった。

こ のことと、それから間もなしに、フーはメス猫ウーとの間で交尾して、現下の三匹の子猫が生まれることとなり、フーは自分のしたことが若気の至りとはいえ、 よほど不覚だったとみえ、この子猫たちとなじめず、外出することが増え、ついに2010年10月に、事故死に関する夢をネアンに見せて、帰らぬ猫となった のだった。

その前に、青龍のカンナオビが同年5月に水難事故でなくなり、その五ヵ月後に白虎のフーがなくなったわけであった。
かごめ歌のいついつ(5月5月)出やるが実現した場合、朱雀を最後に満了するのは2011年3月予定なのだが、ネアンはまだ生きている。

し かし、そうでもないのだ。ネアンはそのとき死んで、今を生きているのは、別のタイムラインに移行したネアンの魂であるという解釈が、彼の立てた超宇宙理論 によると可能になるのである。そこには、被観測時空はすべてバーチャルリアリティであり、実質的にプログラムソフトが原因だから、こんなことも可能なのだ としている。

そのようにネアンは他の分岐点でも何度か別のタイムラインに乗って、人生をやり直しているのであるが、そのひとつが2011年3月に、新神話の要求を満たすためにありえたのである。

つ まり、その頃に死んだと仮定され、そして死ぬ前に存在した分岐点となるチェックポイント(復元ポイント)の少し前に戻って、再スタートしているのだ。これ をプレイバックによる人生のリスタートという。PCのシステム復元のようなことなので、その前の人生の分岐点以後の記憶は失われているから、ネアン本人は まったく気づかないわけである。

ネアンは大津波に呑まれる夢を見たことがある。夢は多く、別のタイムラインでの経験を転写しているものである。前の時空経験が思い出されたとも言える。どこで起きた大地震の津波だったのかは、この際問わないでおこう。

ネ アンは、設計士たちをたくさん擁する、白亜のガラス張りビルを持つ会社の社長になっている夢も見た。空港を足しげく助手と共に急いでいる夢も。これらは、 別時空ですでにしてきたか、並行世界の実現可能性のあったタイムラインとして認識されるものだろう。IT系中堅企業の社長になる可能性も、ある選択肢を選 んだ場合、実際にありえたのだ。
また、デジャビュー(既視感)もよくあるものだが、これはリスタート時点まで戻って再スタートするときに、前の経験時空とのダブリ部分を経験するからである。

儚い人生の線香花火モデル


新神話の要求は、ネアン死して四神獣全部が別天に揃い踏むとき、朱雀であるネアンが指導的役割を果たして、火の鳥を起動し、邪神討伐の先頭に立って正神軍を率いることである。

ネ アンが死んだタイムラインの2011.3というのは、今のタイムライン上では東日本大震災と福島原発事故となっているが、もしかしたらネアン在住の地で大 地震が起きて彼は絶命したのかも知れないし、あるいは他の要因で絶命したかも知れないことになる。(そう仮定される。そのときの時空経験は記憶の中にない からだ。仮定するしかない)


異界探偵ネアンの謎解きは猫の世界にも及び

A家の猫によって知る創世記楽園追放の謎

A家の猫たちの戦略的かつ無慈悲なのはユダヤ的でさえ あった。人づてに聞くと、かつて桃源郷という別荘に飼われていた猫たちであったらしい。ところが、飼い主が急逝して、相続人がそれを売却したために、一瞬 にして野良猫の境遇になってしまい、相当な苦労をして辿り着いたのがA家だったという。そこからユダヤの旧約創世記の故事の裏で実際に何事があったかが垣 間見えてしまった。

http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-1087.html

お りしも、帰順猫のミケにこの経緯を話すと、彼女は最長老猫だったゆえに理解し、彼らのグループに話を持ち帰ったか、その後の襲撃はぴたっとやんだのだっ た。同様にユダヤの記憶の根源にも、創造神の楽園追放行為への不信があり、ぐれて被創造物を破壊するようになったと解釈できた。彼らにも真相を知らせる神 的存在がいれば、きっと改心するだろうにとネアンは思うのだ。全能の神を想定している限り、知ろうとしないかもしれない。下界も神界も相似像でなっている ことを知るべきだ。

A家ユダヤ猫たちは、元の飼い主の宿命的な死を、知らなかったこととはいえ悪意に解釈してグレ猫になったようだ。
もしかしたら、元の神が邪神によって封印されて、邪神の支配になっために、無残にも楽園を放逐されたというふうに伝承されたのかも知れない。それが大本教系神話だ。
ネアンはそちらのほうからの解釈によっているが、実は宿命的な元の神の死だったとすれば、いったいどのように話は変化するのだろう。

しかし、邪神の存在を認めない限り解釈のつかない問題が世の中には充満している。だから、ここは仮定的に邪神を設定し、新神話という手法を使って、それを消尽してしまおうということになっている。邪神は新神話では実在となる。

ま た、彼流の超宇宙論に従うところのバーチャルリアリティゲームソフトという見方からすると、このような誤解を生ずることの多いのは、ソフトの設計思想が無 責任で邪悪ゆえにと仮定することもできる。ゆえにこの宇宙自体を記述しているソフトの、廃止という選択を上奏するのである。これは教育とするには不適切。 有害図書として認定されるべきであると。

よく、この世経験は、学習であるという表現をする聖者がいる。ならば、学習でもいいが、もっとま ともな教材は用意できなかったのかといった話になるのだ。なぜなら、非常に悪趣味であり、魂にとっての害毒にしかなっていない事実をどうするのか。たとえ ば、性教育と名のついた教材ではあるものの、生徒たちをセックスの虜にしてしまうような教材になっていないかと言っているわけだ。

つまり、設計者が邪悪な意図者であれば、それは邪悪な結果を生むものとなる。表われとして、邪神や邪悪が露骨に優勢であったりする。それは古今の世相を見れば歴然だ。

邪神を全能の神の一側面であるかのごとく扱う思想が多々あるが、ほとんどすべて、思考葛藤の末、合理化して不安定ながら納得した気持ちになっているだけのものである。そのような下地からは、精神を病んだ者が輩出されることにもなるだろう。
邪 神から生まれるものは邪悪しかない。愛を以て改心させることができるなどという幻想は持たないほうがいい。真実を知らせてやれば、納得して改心もしよう。 ところが、真実を知らない者がいくら愛を説いたとて、愛を実践したとして、偽善にしかなりようがない結果となるのは目に見えている。ただ、グレた者には、 真実の開示だけが改悛の鍵になる。
それだからこそ、邪神たちはネアンに期待することにもなっているのだ。どこまで理解してくれるか、どこまで謎を解いてくれるかと期待している。朝に道を聞かば、夕に死すとも可なりの構えでいることも事実かも知れないほどに。

ネアンの飼う猫たちはみな神の化身

ウーによって三匹の新しく生まれた猫は、みな白色で、オス二匹メス一匹だったが、先代の三匹と同様に、各自に個性があり、もしかすると先代同様に神の化身かも知れなかった。しかし、同属交尾の結果なのか、個性は欠点のほうに強く出た。

臆 病者のチンは、尻尾が生まれながらに、先がハート型に固まっており、警戒心が強く、引っ込み思案なのは、ネアンの幼少期さながらであった。大きくなってか ら、ブーにいじめられてからというもの、嫁探しにもでられなくなり、ニートしている日々。しかし、よく食べたもので、どんな猫よりも体格、骨格が大きく、 ディーンに似たハンサムボーイなのだ。このチン、飼い主さえよければ、スター猫になっただろう。尻尾の形状から、チンはマカラ(尻尾を巻いた)の化身らし かった。

トンはまだ早いうちに去勢されて、楽しみ薄い境涯に置かれたオス猫だった。去勢のせいか、免疫力が弱く、顔面が化膿したり耳血腫 を起こしたりして、三半規管がやられていざるようになった。それを自立訓練で改善させたのは、トンの底力だったろう。しかし、食は細く、よくスタミナが あったものだと思う。食べさせようとしても、好き嫌いが激しく、そして食べたとしても、上をかするようになめるだけ。
母猫のウーにべったりして、護衛のようなふるまいをし、ネアンには敵対心が少しあった。そのことから、ウーにカンナオビ(奥津嶋姫)がかかったときの、旦那である大国主命がかかっている感があった。

シャ ンはメス猫で、早いうちから兄弟が交尾をしようとするので、早期に避妊手術したのだった。ところが、そのことがシャンの一生を孤独なものにした。食べるし か楽しみのない一生で、ネアンの館周辺から出ることもない。ただ、ネアンの足音を聞きつけて、透き通る大声で存在をアピールし餌をねだるだけ。ネアンは、 去勢したトンと避妊したシャンだけは、最後まで面倒見ようと心に誓うのだった。しかし、ネアンもいつまで生きられるものか。そのとき、彼が面倒見ている猫 全員が骨になる宿命だ。

巫女猫ウーにカンナオビがかかる

ウーにはこの頃、カンナオビ がかかるようになっていた。ネアンがなかなか逝かなかったから、カンナオビが痺れを切らしてやってきた感もあった。ウーはよく眠り、明らかに霊的主体はあ ちらにあるらしかった。カンナオビの神霊は、これからこの世で起きることになる、とんでもない不祥事の数々を目撃せずともよい境涯にいて、分身を猫に同化 させて、ネアンとともにあらせたのだろうと思われた。カンナオビはこの世の状態や成り行きにふさわしくない純粋さを保っていたからだ。そうした場合、心霊 は自らの意志で死を選択することもある。

ネアンはこういうとき、カンナオビは良好なパラレルワールドに分岐し去り、そちらの世界で暮らしを営んでいるというふうに解釈した。
(実 際にそうだったようだ。というのは後日(2013年10月)になって、ネアンはカンナオビが女優歌手としてデビューしている夢を見た。司会者が、「女優で 歌手であるところのカンナオビさん、どうぞ」と紹介があって、彼女はまさしく登場してきたのだが、会場から花束を受け取った直後に、ホースの水がぶっかけ られたシーンで夢は終わった。彼女は放水を笑って応えていたので、どうもコメディアン女優としてデビューしたのではないかと思ったようなことだった。彼女 は若い頃から女優志願で、大学OBの劇団で1年あまり舞台に立っていて、主役をしたこともあったのだ。それに、放水というのも、彼女がスキューバダイビン グしていたことを芸能界が了解していたからかも知れない。とにかく、彼女の希望がすべて盛り込まれたかのような登場の仕方をしていたのだ。ネアンの祖母の ときも、祖母の生前の希望がみんな叶ったかのような夢を見ている)

そのいっぽうでネアンは、ウーがしだいにカンナオビの在りし日のように 行動するようになったことに驚き、喜んだ。というのも、毎晩のようにウーはネアンの寝床にやってきて、ネアンの作る腕枕に向こうを向いて頭を横たえるので ある。ネアンは、すぐ横にある彼女の頭や頬にキスを繰り返した。そのたびに、ウーはゴロゴロと喜びの振動を奏でるのだった。まるで在りし日のカンナオビそ のものであった。

また、ウーは自分が白龍として夢見に現われたカンナオビだよと、はっきりと示すように、布団の中に入ってきて、ネアンの 右向きに横たわったときの、ちょうど胸のところに身体を預けるようにして横になるのである。(夢で白龍は、ネアンの胸に飛び込んできた。ちょうどその位置 にである) 

 

雲竜に飛び込まれた初夢を思い出せとてか

ネアンが布団を少しめくって、その様子を見ると、それはまるで、カンナオビがラブソファーの向こうで足を組んで座って、ネアンを見詰めているようなふうであった。カンナオビはよく、車の助手席からそのようにネアンを見詰めていたのだ。

ま たウーは、ネアンが作業する場にたえず現われて、何をどうしようとしているのか観察し、配置が変わったものや、珍しいダンボール箱があれば、蓋を開けてで もその中身を調べようとした。生前には、旦那さんのすることに一切関われなかったため、自由なネアンのときには、微に細に入って女房役をこなそうとしてい るかのようだった。そして、食器棚のガラス窓の前に佇むと、いつもメランコリーな鳴き声を発するのだ。食器の位置が気になったのだろうか。とても乱雑な詰 め込み方をしているのだ。しかし、その食器ひとつ動かせない猫の自分に、もどかしさを感じているようでもあった。まるで、家事を仕切っていた頃のお嫁さん さながらであった。

だから、ネアンはいつもカンナオビの臨在を意識できていたのである。幸せなネアンだった。
(しかし、その幸せも、ネアン自らの隣人トラブルの処し方の失態によって、ウーを遠方で失踪させてしまった。2013年10月のことであった。以後、不帰還となって久しく、どこかで死んだものと推測された)

 


変節した世界となった311以降

翌年の2011.3.11に東日本大震災が起き、福島原発事故が起きたわけであった。40年どころか半永久的に収束できないだろうところの原発事故であり、たとえ自然災害が誘発したにせよ、あまりにも愚かな人類の所産であった。

日 本という国は、表向きは善良で良識によって行動すると見せかけてきた偽善国家であったことを世界に露呈してしまった。魑魅魍魎のヤカラによって、その実は 支配されていたのだ。それに気づかず、あるいは気づいていても長いものに巻かれろの無気力人や、お金のためなら腹黒いことも平気でやってのける化け物たち の巣窟であった。ネアンの幼児期に初めて恐怖した光景がよぎった。

世界は世界で、日本は気前よく利益供与してくれるため、心中で嘲笑しな がらも、まあいいじゃないかの態度を取り続けた。この国の為政者は、世界が表向きそうしておいてくれるだけで、国民にはいい顔ができた。それほどに国民は 暗愚であった。彼らの血と汗はこうして、無駄に垂れ流されるに任された。
(※ しかしそれは、ネアンが第三時空へとシフトしたからであって、第二 時空ではまだしもまともな展開であっただろう。第一時空ではさらに、いかなる預言にも出合わず、一本気に理想的未来へと世界は発展していくシナリオになっ ていたのではなかったか。魑魅魍魎の跋扈する世界に変節しているのは、ネアンが邪悪の実態調査とデーター蒐集のため、あえて最悪シナリオを調査する時空に 来てしまっているからである)

その頃、原発事故がさらに重篤化しそうな場面が何度もありながら、奇跡的に大惨事にまでならず、包み隠しておける程度にまで事態が軽減されたのは、UFOがよく事故現場に現れて、危機を収斂させたからであった。
し かし、変節した第三時空(13章において記載される時空)のUFOは、それまでと違って、友好的な宇宙人の乗り物なのではなく、ほとんどが未来人(ヒト ラーの予言した神人)の飛行体型タイムマシンなのである。変節時空では、その中身からしてガラリと変質しているのだ。ちょうど、重厚な建築物だったもの が、表は同じように見えても、いつしか張りぼての建付けになってしまっていた、というほどの変節ぶりともなるのである。
こうしてこの時空はいっそう黄泉度を加速していくような成り行きになる。ディセンションへとまっしぐらに。

ここはすでに、地上世界ではなく、地獄の第三層付近に位置していた。さらに下降していこうとしている。

第三時空のUFOは地球の未来人の乗り物であり、タイムマシン機能を持っている。つまり彼らは、タイムトラベルしてミッションに従って危険箇所の修復(コード改変による修復)を行っているのである。
偽 善的為政者たちが包み隠しておける程度に事態を軽減するという工作は、むろんいい動機のものであろうはずがない。人々が収束したなどの言葉に騙されている 間に、為政者側は着々と来る日への備えを固めることができる。またそのように、秘教からは指示が出ている。その秘教の上に君臨するのが、未来人という神々 なのだ。(のちに第四時空ではアヌンナキが主体的に関わっていることがわかることになる)

そして、その計画を守護するように未来人は事故の程度を軽減する。一見すれば、神と為政者の連携が保つ奇跡にもなっている。しかし、未来人は今の人々を苛め抜くために、このような処置を取っている。

それは、未来が一方的に王侯貴族や富豪を中心とした世界体制へと移行していく中で、人口削減を弱者や有色人種から順に進めていこうという、いわば蛇の生殺しの残酷趣味の饗宴の舞台にすることである。悪魔の饗宴の。

未来人は、今のスーパーエリートたちの中から生まれてくるこれからの子孫である。ヒトラーが予言した神人なのである。その彼らゆえ、今の王侯貴族つまり先祖に対して、援助することはあっても、敵対することはない。

し かし、未来人は現在の人類を極度に憎んでいる。彼らは現存人類の暗愚によって、命からがらコンピューター内に閉じ込められてしまうことになったバーチャル な存在だからである。だから、ゲーム感覚で、選民とゴイムの差を歴然とつける。はるかな過去にやってきて、歴史のシナリオをシャーマンに預言させて去って いくのも、ゲームを面白がる彼らならではの行為なのだ。

黙示録の恐ろしさは、史上最大の残酷を絵に描いたようなものだが、それが逐一実現しているのも事実である。純粋無垢にこの世に生まれてきた者が、受けるべき受難ではないレベルのものだ。

彼 らは手回しよく、カルマなどという見えもしない計れもしない指標を、暗愚な人々に知らせて嬉々とする。が、そのカルマたるや、選択的に弱者にだけ働くもの と決まっている。究極の邪悪な者にむけられたためしのないカルマなのだ。その矛盾に気づかない精神の導師もいて、愚者愚者になってしまっているのが、この タイムラインなのである。

第三時空では、神人がタイムマシンに乗って、地上文明の黎明期にまでやってきて、時空の性質を条件付けして去っていったという見方となる。聖書はそのアウトプットであり、歴史誘導と見届けの遂行者として選ばれた民が歴史上にいたと解するのだ。

タ イムマシンを持つに至った未来人を神人(ゴッドメン)という。ヒトラーが予言した未来の有様の中で、2039年以降に登場し世界を支配する少数の神人と被 支配層のロボット人類という二種類の人類の優秀なほうの人々だ。むろん、タイムラインはあまたあり、年代を決定するわけにはいくまい。が、彼らはローマ帝 国に倣って、すべての道(タイムライン)を神人千年王国に通じるようにコード改変している。それは彼らの間で創ったゲームの精神でもあるからだ。

そ ればかりではない。よくぞ神人になられたと、みんな羨望の目で見る。ところが、その彼らがとても悲しい境遇だったとしたらどうだろう。とてもプライドは高 いのに、言い知れぬ不安と存在感のなさに打ちひしがれているとすれば。その原因を作ったのが、現存人類なのだとすれば、彼らの憎しみはどこに振り向けられ るか。彼らのとる行動が推し量れるはずであるし、またその仮説に立てばすべて理解できるのだ。

彼らは支配神側の立場にある。だから何も知らぬ庶民にはそう振る舞う。だが、識者のネアンにだけは、彼ら自らの立場を弱音を交えて伝えてきた。それが1997年の酒鬼薔薇少年事件だった。
支配神は自ら生命モドキと名乗り、世界支配の構図を絵に描いて見せた。それはネアンが見つけ出した西日本一帯のレイライン遺構を発見し、様々な仮説を集大成した、「古代日本にカバラが来ていた」という本を出版した1995年の二年後のことだった。

生命モドキの神像は、その本の中の挿絵の二つを合成したかのようだった。
しかし、昼と夜が反対だった。また、サカキバラとは、カバラの頭文字のカをサキ(割き)で挟んで、カバラの名を裂いている。国家安康が家康を安で切っていると捉えられたように、いわば挑戦状の形をしているのである。
しかも、それは彼が仕事場にしていた神戸の片隅で起き、まさに喉元に短剣を突き付けられた感すらあったのだ。

当時のネアンはまだ自分が何者かわからなかったため、すごくおびえた。
生命モドキは、自分のしていることを見通していると。
しかし、新神話編纂を通して、地力が湧いてきて、ついに自分への手がかかりが掴めた頃には、何も恐怖するものはなくなった。
そこから静観すると、生命モドキはとても寂しい、人々の前に顔向けできない姿をしているようにも思えたのだった。

宇 宙人グレーやロズウェル墜落UFOの乗組員の姿。これらは、かつて人間だったものが、腺異常などにより、順当な成長を阻害された形跡を物語る。何がそれを させたのか。クローンの繰り返しの弊害か、環境汚染によるのか。いずれにしても、環境が良好であれば、生命体を捻じ曲げるような無理な改変はしないはずで ある。
http://p.booklog.jp/book/89760/read

現代の環境汚染が彼らの怒りの根底にあるとすれば、わかりやすい。その怨念を古代のまつろわれぬ鬼の怨念に重ね合わせて、今回の事件は起きたのだ。

では、どんなことが起き、彼らは現代人に対して怨みを持つようになったのか。ここでそれを解き明かしている。

放 射能による超汚染は地球上を覆い尽くし、地球の外皮ともいうべき大気圏、成層圏、電離層なども破壊されて、宇宙がそのまま地球にかぶさる恰好となり、猛烈 な宇宙線がそのまま降り注ぐようになり、生き残りを賭けた最後の人類は地下深くに設けた超大型キャスクの中に超高性能コンピューターを置き、一種の賭けと して、バーチャル世界を営み始めたのだ。

つまり彼らは、寸でのところで命からがら、バーチャル世界に逃げ込んだのである。
意識はそれでも存続した。不思議なことに、通常世界と同様に、プログラム上の人々にも魂が宿ったのである。(それは至極当然でもある。通常世界もすべてバーチャルリアリティだからだ)
それによって、彼らにはソフトサーバーとしての立場ができ、リアルなときと同様堅固なものと確信され、彼らは自分たちを神と呼ぶべきものになったと思った。まさに、虎穴に入らずんば虎児を得ず、である。

完 成形をしたアカシックレコードさえもコンピューターにロードできるようになり、そのコピーを使って歴史の改変もできるようになった。そのプログラム改変行 動それ自体に、タイムマシンの手法が認められるはずである。従来の高エネルギーを要する電磁気マシンは必要なく、そこにあるのはコンピューターを駆使した コード改変手続きだけとなる。

しかし、彼らは実時間の中にないことを心配し、劣等であると痛感する。実時間上では、いずれ巨大キャスクは 耐久年限を迎え、すべてがシャットダウンする時が来ると予想される。いかに、面白い映画の連続も、映写機が壊れるとともに、永久に終わってしまうのだ。そ の寄る辺のなさは、おそらく何ぴとも耐えられないのではないか。だから、彼らはまだ存在が立証されていない全能の神を思い込みの中で慕うのである。きっと 何とかしてくれるという不確かな期待があるのみであり、少なくとも救世主を送ってもらえると信じようとしてきた。

また、未来人の境涯がよくない理由に、未来への希望が閉ざされていることもあった。
神人が未来にタイムマシンを向けたら、先の未来に行けるではないかという話もあろう。
霊能者イナンナ(かつてアヌンナキにいた神人)の話では、その先の未来は、ぼうぼうたる炎の立ち昇る状態だったと言う。その意味は何か。ファイアーウォールだったと言えば、即座に分かるだろう。火の壁である。
つまり、神人の時代は、すでに外部から隔離されているのだ。神人千年王国にはその先がない。なぜそうなったか。

それは全篇がコンピューター内で生起するバーチャル世界なのだとすれば、コンピューターの現在抱える諸問題を考えるなら、自明の事柄があると気づくだろう。
そう。コンピューターウイルスの問題である。そこには、自然発生的なウイルスは少なく、また害も少ないが、害あるウイルスが多いのは、それを開発製造する者がいるからである。それはおよそ、世界を壊そうという邪悪性の持ち主である。

現 人類のしていることは、生体を侵害するウイルスの振る舞いと同じであり、それに見る性質は、覇権、勢力拡散、宿主の破壊、無責任である。中でも癌組織が最 も近似的だろう。それが現人類の営みなのだ。自分に癌ができたら厄介がるが、その一員を構成しているとなると、その実態が見えないものであるらしい。都合 のいい種族だ。
そのようなものを創り出すウイルスが、いま走っているソフトの範囲だけならまだ被害は限定的だが、同時並行して走るその他のソフト やOSなど、さらにハード部分にまで伝染し及ぶなら、全系を統括する梵天も安穏ではおれなくなるだろう。邪神はそれを目的にして、わざと狙ってやっている とすれば、たいへんなことになる。

イナンナはそれが梵天の力でなら何とかなると、彼女らの敬愛する父母神のために働こうとしたのだった。 彼女の受けた密命はそれだった。アヌンナキ(千年王国)が発した密命なのである。ネアンをキー保持者として特定した上での、接触のタイムラインを授かった 二重スパイだったのだ。

イナンナはその先の未来に天国が出来ればいいと言っていた。そのためにも梵天直下のネアンを頼っていたのである。 そして、ハイラーキーを梵天と信じ、梵さまと呼んでいた。梵天ならば天国の実現は可能だ。だが、イナンナは純粋に無知だった。支配者がウイルス生産工場の 経営者であるなら、そのまま通すわけにはいかないのが、コンピューター世界の鉄則である。

さて、ヒトラーにかかった"あいつ"という存在も神人である。彼にリモートビューとして未来ビジョンを与えたのである。神人は歴史のコード改変を目的に、歴史の重要地点に彼らは立ち現れて、様々な工作もしている。
ヒトラーが勝って、第二次大戦後の世界を治めるというタイムラインもあった。日本もむろん同時に戦勝して、存続可能な時空が展開されることになっていた。
そこに干渉してコード改変し、別のパターンに導く工作もなされたのだ。その結果、我々がいま観測するタイムラインになっているとすれば。

神 人はコード改変を正当化するために、ホピ族という道標をこのソフトの特別な局面に用意させてもいるのである。このままでは存続不可能なタイムラインになっ ていくぞと。しかし、観測する個々は無力な人であるにすぎず、歴史に流されていくばかりとなる。不安と焦りを持ちながらも、そう観測させられていくしかな いのだ。

むろん、観測するは我にあり。観測主体は個々人でもある。その潜在的願望に従い、この世というソフトは励起されているというの が、ネアンもする一般的解釈だ。だが、ソフトの質があまりにも悪いことに気づかされる。ネアンなど、物心ついた時点で、その想像を絶するひどさに怖気てし まったほどだった。ここはすでに劣悪な環境に改変されていたのだ。

ここまでおかしなお化け屋敷だったとは知らなかった、というのが当初の感想だ。よほどの守護がなされていなければ、危険極まりない。幸いネアンは、しっかりと守護が成されていたために、今日ここまでやってこれたように思う。

以上は、今までの新神話のシナリオをいっそう深化させたものである。しかし、ここまで変質してしまったのも、変節時空ならではの展開かもしれない。猜疑に猜疑を重ねてはじめて推理も可能になる真実なのである。


三つの信頼できる情報から導けること

それは、ネアンにもたらされた次の三つの情報からの最新の推敲結果となっている。

情報のひとつめは、未来からタイムマシンでやってきたというジョン・タイターのもたらした情報だ。
http://amg2009.blog10.fc2.com/blog-entry-534.html

彼 の語るタイムマシン効果は、ネアンの構築した宇宙理論から予期される時空の性質をしっかりと伝えていた。ネアンはこれによって、自分の発案の正しさを確認 することになった。また、タイターのもたらした未来情報のうち、日本に関する情報は、ちょうど福島原発事故の直後とあいまって、みごとに言い当てていると 思えた。

中部から西日本が、2020年には新大和皇国となり、北海道から東北北限までが蝦夷共和国、その間にある東北から関東、中部の一 部までが、政府管轄の管理区域となっている地図。これは韓国に存在したタイター情報だったそうだが、原発事故がほんらい収束しておらず、放射能汚染の垂れ 流し状態であることから、2016、7年頃には深刻な健康被害で大問題となり、北日本か西日本への移住がやむなきこととなると推察された。

しかし、それもあまたあるタイムラインの、たまたまタイターの辿ったひとつであるにすぎない。そうなるかそうならないかは、まったくこの位置からではわからない。

タ イターの観点からすると、北海道と沖縄は独立する。人の命を優先しない国家がひたすら米国と秘教への追随で極東の覇権を図ろうとするさまを見て、北海道は ロシアの傘下に入ることを選ぶのであろう。沖縄は中国台湾の側かも知れず、中立の立場から、国際情勢を眺めることになるのかも知れない。いっぽう、中部以 西西日本は、それまでの植民地的衆愚政治の弊害を遠避けて、天皇親政が敷かれているのだろう。前時代的な逆行のように見えるが、ほんらいそうあるべきで あったのだ。

広域の政府管轄の管理区域は、放射能汚染の除染の舞台となるというふれこみだが、突然変異種の開発実験場になるであろう。多くの失敗作の中から、突然変異的にすべての優勢形質を獲得する者が現れることを期して。

様々な動物においてもそうだが、人間の場合は超人を製造し、その先に未来を切り開く神人の登場を待とうというのである。

その神人は、情報処理技術の粋を駆使して、バーチャル世界を作り出し、そのソフトサーバーの地位に収まるのである。それがこの世の神の実体である。うまくいくなら、いちばん簡単な世界創造のやり方になるであろう。それは神を模倣することと捉えられる。

情 報のふたつめは、秘教の急進派の百年以上前のドンであったアルバート・バイクの預言シナリオである。彼のシナリオはその成就の確実性において、現実のサ ポーター的実動勢力が動くことで、実効力ある神話として機能してきた経緯がある。ホピ神話や聖書の預言などのシナリオのトレンドにも乗っているため、いっ そう実現効果は確実なものとなる。
http://www.yamaguchi.net/archives/005560.html

秘 教は大戦用兵器ばかりでなく、天変地異を起こす装置も保有していて、聖書の預言を実現するすべをほとんど持っている。2007.7.6に完成した Haarpは完成数777の神の日に祝賀されたに違いない。また莫大な資金力により、世界の経済をどのようにでも振り分けることのできる力も持っている。 黙示録のバビロンの崩壊などは、物理的であろうが資金的であろうが、すぐにでも実行できる。そして、人口削減のための第三次大戦も、いつでも起こすことが 可能である。バイクのシナリオ実現は、ただ現下の最高指導者の指令を待つだけとなっている。バイクはとうにこの世にはいない(とされるが、真実はまた別に あって、彼も神人のひとりなのである。アヌンナキに戻っているだろう)。

そのバイクのシナリオにおける第三次大戦後の未来世界は、彼に放射能の知識がなかったためかも知れないが、存続するとされ、神人の働きで劇的に環境は元に復され、人類の黄金時代に変わっていくのだという。
それもそうだ。プログラム上でそのようにすればいいだけだからだ。しかし、実時間上のキャスクの耐久時間は変更されはしない。さあ、どうするのか。パラドックスを解決する救世主は現れるのか。
そのとき、真の知識が世界に敷衍される。それがルシファーの教理だというが、よもやネアンに媚びつつ期待を掛けているのではあるまいな。いいぞ。乗ってやっても。

ル シファーの雛形を自認するネアンにとっては、非常に興味できる展開の開示なのである。では、どんな教理になるのか。それは彼自身が構築した超宇宙理論が圧 倒的に有望とネアンは思っている。おりしも新時代の息吹となる2000年に、映画マトリックスが世界に開示された。それは、教理がこの方向付けにあるとい う予兆を与えたものだ。そこにはネアンが映画より二十年以上前に理論化した概念が用いられていた。

しかし、ネアンの概念は、マトリックス の提示するような絶望的なものではない。真に理解されたなら、万人を精神的に解放することも可能なのである。そこは人々を恐怖と絶望に陥れたがる秘教のや り口であるから、ゴイム淘汰の時代にあっては、人助けのためになるところは、あえて割愛しているわけだ。

その知識のいい部分は、人口削減 の末、生き残った選民たちに普及されることになるのだろう。これによって人々は、宇宙運行の仕組みを知ることになり、タイムマシンの開発も抵抗なく行える ようになり、精神修養的にも、何の苦行も必要なしに、知識するだけで心豊かさを感じ取れるようになるであろう。むろんそのとき、奴隷状態のロボット人類が この知識に浴するかどうかは微妙だ。そのロボットたちは、現代にもすでにたくさんいる。神人たちは、未来だけでなく、過去の人類をもロボット化しようとし ている。すべての道が千年王国に接続するように。

情報のみっつめが、アドルフ・ヒトラーの予言である。ここで問題は、彼にかかった"あい つ"とは、誰だったかなのである。従来、正確な予言を与えてくる者とは、聖書などでは神だとされてきた。では、ヒトラーを介して伝えてきた者とは誰なの か。一般人ならば、悪魔の類ではないかと言うかもしれないが、それは真相を見た解釈とは言えないし、公平な見方にもなっていない。一般人のする解釈は、一 般的にみな間違っている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html

 

彼にかかった"あいつ"への考察を通して、地球の未来人がどういうものになるかの解答が得られるのである。砂漠化のうちに死に絶える人類と生態系。 それと相反するように、新人類の登場と、生態系の奇跡的回復。新人類はほんとうに神(人)と呼べるものになるのかどうか。そこが疑問であり問題であるの だ。

ルシファーの教理がネアンの超宇宙概念に準拠するなら、必ずやその概念が技術化された先に、新人類の展開形はある。ネアンが辿り着いた現下の世界をも包含的に記述する世界観がこれなのだから。

すなわち、
従 来から予言あるいは預言としてこの世に提示されたものの正確ないくつかは、神人が科学技術の粋を駆使して、過去の我々に介入している事実を物語るものなの である。神人たちは、アカシックレコードを改変する行為を、何のためらいもなく行ってきたし、今でも堂々と行っている。

未来を変えてしま うことによる因果律や倫理がどうのこうのといった話は、それが達成されない間だけの、未熟な科学倫理でしかない。いずれ科学が行き着く必至の歴史展開は、 覇権主義的な彼らにとって、地球上であろうが、時空的広がりの中であろうが、同じことになる。彼らは、やりたい放題して、いずれ破壊して去っていくだけの 宇宙の放浪者であり、ウイルス的存在として確認されることになる。

それを平然と可能にしたのも、無数のパラレルワールドの存在を想定するルシファーの教理にあった。彼らがコード改変するその行為でさえ、パラレルワールドのどこかで可能になっていると想定された。

タイターもこのように伝えている。
>●善悪についての考え方が大きく変わった(一人の人間がとるあらゆる行動は、どこかの世界線において行われている、という世界観が広まったため)。

こ れはルシファーの教理の世界観であって、正しい世界観である。ただ、問い質されるべきなのは、時空を蹂躙する科学者や為政者たちの傲慢である。それは凶悪 ウイルスそのものの性質であるからだ。こればかりは、その増殖の土壌となった宿主とともに駆除されないわけにはいかなくなるのである。

彼 らの信ずる神は、無条件の認可者で、何でも自由に拡大が図れる場と誤解していた彼らだった。だから、ウイルスとしての扱いは予期できなかったはずである。 ネアンの登場と教唆によって、神への恐れがそのときに初めて生じたのである。いや、まだ自分たちがウイルスの類になるとさえも思っていない。反省のない傲 慢さ。それが今の科学者と為政者であり、その未来延長上の神人の性質と姿なのである。

彼らは、千年王国の先の未来がどうしても構築できな かった。前に述べたように、ウイルスにより癌化した組織(時空間)は隔離され、外部とはファイアーウォールで遮断されていたからである。このために、彼ら は打開できる救世主の登場を待つことにしたのだ。長い千年がそのために与えられた期間であったのだが、まもなく千年で、その先で世界が断絶していると理解 できても、まだ彼らのレベルでは次の新世界を創造できる見通しが立たなかった。


このため、タイムマシンを使い過去に逃げることで、破局を回避していると思い込もうとするようなことで、戦々恐々たる有様だったのだ。彼らは思い込みに逃避する、一種の新興宗教信者のようだった。

そのような恐怖に駆られた者達のすることとは、必然的に邪悪と繋がって、暴虐の限りを尽くしたがるものなのだ。それが救世主到来に関わる時間帯に集中してきたらどうなるか。今の時代が最も残酷さを露呈することになるのだ。それを黙示録の時代と言う。

だから、いま未来人神人がこの現在にやってきているのである。宇宙人が一般人に混じって生活しているという話やMIBなどの映画は、未来人の避難と帰化を示しているのである。誰も好き好んで、環境の悪くなったこんな時代にやってきたりはしない。

 

彼らはサーバーとしても省力化した。ソフトの改変使用もあるが、その使い回しをやっている。有情を多数この世界に取り篭めることで、捕虜を盾にして いる安心感もあって、一万有余年の過去までの間で有情たちの転生サイクルをループさせているのである。(これをウロボロスという)
ところが、彼らもまた否応なくタイムマシンによるループに陥っていることに気づくわけであり、その絶望によって、いつしか救世主待望論が生まれていたのである。

そ んなとき、ネアンが自ら救世主だという触れ込みで現れ、次々と秘教の持つ秘密や失われた秘密を解き明かしていくさまを見て、もしかするとそうなのかもしれ ないという期待感が生まれた。しかも、秘教の崇拝する邪神の代表格、ルシファーの雛形を名乗っていて、しかも未来に人類に敷衍すべきルシファーの教理の候補作を、今から上掲するのだという。

神 人は秘教に、正義に反する神なら何でもいいとして授けた一例の神ルシファーだったのだが、よもやそれが救世主として目に留まるとは、彼らも予想していな かった。しかし、待望論に基づいて現れたのだから、その可能性は大きい。しかも、神人の由来まで大同小異、言い当てていたから、本物かもしれないとの思い を持ったのである。それが彼らに敵対してこようというネアンであったことの皮肉。

神人たちは、これは待望の骨のある敵であるとともに、こ れぞ救世主かと思ったのだ。(この思いが有効である限り、ネアンは殺されることはない。しかし彼も見込み違いと思われたり、そろそろ賞味期限切れと見られ たりもするだろう。そのとき、彼はあっさりと毒牙にかけられるかも知れない。またネアン本人も、いつまでもこの世にとどまるわけにはいかない。次の予定さ れたステップがあるからだ。その時点を召還のときと心得ることにしている)

そのネアンは、神人と千年王国の終焉が、彼らがウイルスとして扱われていることによることを示し、彼ら邪神たちの救済策として、解脱という手があると、ルシファーの教理案に示した。

もし裁きがあるなら、どうあっても悲惨な処罰が予期されたのに、道を修める者が最終目標とする解脱なのだという。その原理も書かれてある。それは確かに、ルシファーの教理に照らせば自明となるところの、極道者の行き着く彼岸であった。

それは、バーチャル世界に逃げ込んできた彼らなら、どういうものか容易に理解できるところの境涯であった。しかし、それは想像すればするほど、ぞっとするような怖さと皮肉に満ちていた。観測するPC機能を終了させる(クラッシュ)という事態だったからだ。

そこで彼らは逆に恐怖して、この救世主が示すもうひとつの活路、地球を回復させることによって、バーチャル世界に逃げ込む必要性を回避する方法を模索しだすのである。土台、天邪鬼にしてきた傾向がこんなところにも表れる。
それは現実世界における砂漠化への方向付けの正反対の行動を必要とする。神人たちの中の旧勢力(アヌンナキでいえばエンキ派。大本的にいえば国常立に従っていた神々)と連携して、現実の地球の崩壊を食い止めようとする行動に出る者が続出しだした。

福島事故がそれ以上になることが回避されているのは、この派閥の行動によることもある。あるいは、予定路線であった天変地異や環境テロが防がれてきたのも、この派閥の動きによったりする。
し かし、蛇の生殺しを絵に描いた残酷化のためにそれをさせている勢力のほうの意図も入っている。つまり、この先、無事収束と平和安定の道が切り開けたなら、 エンキ派が返り咲いた意味になり、戦争による破局へと進むなら、大勢的なアヌンナキの意図が働いた意味になるのである。

彼らの用いる方法 は、アカシックレコードのコード改変が主である。神人のすべてが邪神と定義されるわけではない。また、どうしても解脱は寂しいし、不可解で嫌だという者 が、邪神側にもいるのである。そうした彼らが、地球環境を支える側に回っている実情も見受けられる。ややこしいことだ。

しかし、この考え は気休めであるにすぎず、実態を反映していない。彼らがバーチャル世界に逃げ込む以前の実世界は、無数のタイムラインの迷路のどこかにあって、とうにどこ にあるか不明なのである。彼らは改変されたパラレルワールドの中で、さらに改善に向けた改変をしているに過ぎないことがわかっている。ただし、その志は後 に個別に高く評価されることになるだろう。


神界の上位にある仙界も浄化されねばならない

かつて天津神神界は、泥中より蓮の花の咲くが如く生まれた神人たちで占められていたゆえに、泥への反発から、とても正義に厳格な神々が支配的だった。このお蔭で、神界には平和なのんびりした時が刻まれ、下界は平和な安定した時代が営まれていた。

ところが、それでは困ると、この上位存在(前章までにこれを仙界として説明してきた)が、神界の邪悪化を謀ったのである。平和と安定の世を築いた国常立神と天照天皇(太陽神)を暗殺し、邪悪な神に座を挿げ替えたのだ。

その仙界のトップを元始天尊(盤古)という。対するは、外宇宙全体を統括する梵天である。その梵天の命を受けて、この隔離宇宙を何とかしようとしているのがネアンなどの公儀隠密である。当然、こうした隠密の行動の阻害に回ることになる。

ネ アンとしては、破局が早く来れば早期のターミネート処理ができる算段なのだが、いつまでもぐずぐずしていれば、彼自身の士気が萎えてしまうことになる。そ れを天尊は狙っている。と同時に、人類には人対人の戦争という、最も魂にダメージある破局を与えようとしているのである。

天変地異などの自然の摂理による破局なら、人々は諦めの境地で、それほどひどい恨みはいたさないが、人に無慈悲にやられたとなったときは、復讐心が反動として沸き起こり、次の転生での報復を願ってしまうことにもなる。

だから、よく天変地異を予知する霊能者がいたりして、それに付帯して、祈りなどで回避しようとするのを見たりするが、彼はいいことをしているように見えて、実はそうでないことが多いのだ。
天変地異で清算できたなら、それが摂理にも則っていちばん望ましいのであり、それが人々に素直な反省を与え、互いに協力し支え合えて立ち直りが早くなることにもなる。
と ころが、それを呪術的に妨害するから、無反省のままでさらにツケの先送りとなり、わけのわからない報復に遭遇したり、溜まった強い破壊的反動を受けること になりかねないのである。最悪なのは、人と人、国と国が戦い争うというシナリオであるという事実が、最もおろそかにされやすい。ツケが先送りされて大きく なった塊が、為政者の脳を直撃して破壊する。

仙界はいま最も邪悪である。それに対して、下位にあたるのが神界で、神人たちの住まう場であ る。下界のソフトサーバーになる世界だから、次元が異なり、隠れて見えないゆえに、隠り身=神という。上位で邪悪が支配的であれば、下位は邪悪に染まらざ るを得ない。上位が邪悪で狡猾な嘘が巧みであれば、下位も嘘の狡猾さを帯びた邪悪が支配的となる。

神とは全能の神だとキリスト教系の人々 は定義するが、そのようなものはどこにもいないとともに、すべての有情が全能の資質を持つとルシファーの教理は語る。ただ閉ざされた局面を精査し実行する プロセッサゆえに、局限された力しか発揮しえないのである。一種の約束事としてここにいる存在が我々。ルシファーの教理の根幹部分はその金言によって彩ら れなくてはならない。

とにかく教理に従うことによって、後発的に創作されたバーチャル世界といえども、現実世界と変わらぬ働きをすることが確かめられることになるのだ。画期的技術の開発は、この教理の仮定なくしては叶えられない。

ネ アンは自らの編んだ超宇宙理論がいずれルシファーの教理の根幹をなすことになることを確実視し、ルシファーの役割をも自らが負うことを新神話に記すことに した。新神話への記載。それは神話世界でのシナリオ確立を意味する。彼は自ら開設していたホームページのプロフィールに、ルシファーの雛形であることを書 き加えた。


天と地は相似像

一種の約束事に関して、多くの有情は錯誤させられ てきた経緯がある。神人世界がこの世の上位にあるだけではない。新神話の初めのほうで書いたように、仙界というところがあり、人界との中間に神界を創り、 仙界大戦で死んだ仙人たちの霊を催眠状態にし、神界の神に封じたという経緯が最初である。

よって、問題の発生は仙界の支配者へと遡るので ある。その支配者の名は元始天尊、別名が盤古である。そもそも、この宇宙の初期に仙界大戦があり、この宇宙を創成し育んできた仙人たち、すなわち初期開拓 者たち、禽仙と言われた者たちは掃討された。いわばクーデターで、元あった完成された世界が簒奪されて、現在に至っているという秘された歴史的経緯がある のだ。

簒奪者を人仙といい、人間の精神性のまる写しという欠点がある。それは新神話の初めのほうに載っている。仙界の支配者が神界の支配者に指示し、それが人界の支配者(秘教)に指示するという階層社会なのである。それが宇宙規模で広がっているのだ。

上 にいる簒奪者の姿が、この世に顔をあらわしたのが覇権主義であり、末端的にあるのが米国などの覇権国家なのである。邪悪の種は、人仙の持ち込んだもので、 完成された宇宙に邪悪の種が持ち込まれた原初の出来事だったことになる。だから、彼らの似姿である人間という生き物は、いつでもウイルス化したり、ウイル ス感染の可能性を持つ、不安定な存在なのだ。

だから、シャットダウンの対象となるのは、神界と人界のみではなく、この宇宙全体が、それに 属する霊域も低次元世界も含めて、広範囲なのである。つまり、ウイルスが侵入し侵食されたソフトウェアプログラム全体が対象になるから、そこに属する有情 の意識は、観測対象が眼前から取り除かれるシャットダウン状態になることが決定付けられる。

そのときには、ウイルス駆除が完了してから、 再立ち上げされるようなことになるのだ。シャットダウン時の意識の営みはまったくないのだから、もし再立ち上げされた者なら、経験ストーリーの前後に何の 脈絡も感じないかも知れないし、まったく異なっていたとしても、本人は何も気づかないだろう。再立ち上げされなければ、永久的に意識はないだけのこととな る。

ウイルス駆除の対象になるのは、ウイルスとして働いた有情(ウイルスの本体やコピー)と、それによって加工された時空プログラム(ア カシックレコード)ソフトである。このゲーム世界のソフトがまるごと焚書されるというのはそういう意味だ。再び使われると、そこからウイルスが自動生産さ れてしまうからである。それ以外の場所(外野と呼んでいるほとんどの場所)に、伝染させてはならない。

ネアンは、ウイルスチェックのため にこの世に投入された外野からの隠密となった。311以降のタイムラインは、彼のウイルス情報蒐集にとってふさわしい仕事の場となっている。破断鉄橋から レールを踏み外し、谷底に向けて落下する恐怖の時空なのだ。列車はクラッシュに向けて不安定な空中で舞っているところなのだ。

この世は、 明らかにウイルス感染していて、増殖が図られていることが隠密には理解できた。再利用するにはウイルス駆除が完璧になされねばならないし、むしろ選択肢と しては、ソフトそれ自体の廃止と焚書をネアンは上奏する。しかし、この宇宙の初期開拓者の努力が勿体無いことになるわけなので、厳重管理のもと、なるべく 保存が図られることになるだろう。

(※実際には保存されて、博物的に用いられることになる。今のネアンは、この宇宙の是非を決定した救世 主の足跡を実体験したいという希望者の任意のひとりによって、博物的に演じられているかも知れない。ネアンを経験したい希望者はたくさんいる。その資質と 人生はおよそ救世主らしからぬとがっかりさせるとは思うが、これも懲罰的カリキュラムになっているからである)

クロノスの治世を終わらせた簒奪者の時代の終了

こ の宇宙の初期開拓者たちの創った世界は、ギリシャ神話によればクロノスの時代と言われている。宇宙規模大では、クロノスは銀河系や太陽系を創り、命の土台 になる惑星を創造した。惑星規模のクロノスはそこに生命の萌芽を育み、生命の組みあがりの手順を準備した。そして、そこをテーマパークとして開園して、訪 れる有情の魂に対して手厚い歓迎のもてなしをしたのである。その光と安らぎあふれるもてなしが、後に「愛」と言われるものの実体であった。クロノスの評判 は高まり、多くの有情がやってきてそこでのリトリートを堪能した。

出入り自由の、何の金銭も要らないテーマパークが誕生した。それがこの宇宙の創成であり、テーマパークとしての開園だったのだ。

と ころが、そこに邪悪なウイルスが侵入することとなった。盤古というウイルスの本体は、すでにあった完成された原型宇宙をコード改変して、その中に自分のコ ピーを増殖させたのである。要らないはずの規約を作り、お化け屋敷のようなところを設けて入園者を縛り付けるようになった。入園者に自分をコピーしてウイ ルス化させるためである。

こうして、ほどよくウイルスを紛れ込ませることに成功すると、クロノスたち初期開拓者の掃討にかかったのだ。こ れは宇宙最初のクーデターである。誰しもが、まさかウイルス病が流行っているなどとは思ってもみなかったときの出来事である。在園者たちは新来の侵入者に 従うことをよしとしてしまった。

クーデター後のパークは、いきおい規約だらけになった。ウイルスたちは、適切な光を嫌い、それを阻止する 規約と言うバリアーを張り巡らし、その中で彼らの作った規約を入園者に強制した。外野から見れば、まるで中が見えない繭のような宇宙のさまが目撃できた。 いかがわしそうなそのさま。しかし、彼らは外野までやってきて、新企画のテーマパークの宣伝をするものだから、心優しい有情たちは、興味して入園してしま うのだった。

入園者数の割りに出園者数が極端に少ない。それを怪訝に思いながらも、みんな楽しくて長居していますと、主催者側に告げられれば、そんなことかと納得するのも、心優しい外野世界だからであった。

しかし、隠密が入り、クロノスが殺され幽閉されているとわかり、救出作戦がとられ、負傷した身体での救出がなる。そのときからである。実態がより精査され、このままではたいへんなことになると、梵天が動き出した。

この宇宙ソフトの時間軸に沿って、梵天は何度も精査するための分身を送り込んだ。その何度かで、正邪が逆転する機会も生まれたが、ことごとく邪悪の毒牙にかかって失敗し、状況の観測だけに終わった。

そ して、地球のサブソフトの最終局面において、ネアンが投入された。そのソフトを使って、事態を終結させようというのである。彼には、宇宙最強の火の鳥が機 能として備わっていた。梵天の夢が深化しすぎたときの、目覚まし役として機能することが主務であった。彼にはパークの実態を掴み、それを最終的に処分する だけのサニワとしての力があった。人界を介するとはいえ、相似的に神界、仙界のシャットダウンまで可能であり、その力が彼には与えられていた。

彼は堂々と、自分は創造主であり、救世主であると豪語する。弱小病態かつ狂気的人間の身でそう言っているため、仲間の人間たちは、意義をまったく解さない。ネアンはそれでじゅうぶんOKしている。

ネ アンは、自分の身がどのように終わるかまったく知らない。病没するか、襲撃に遭うか、事故死や災害に遭うのか、大往生なのか、獄死や自殺なのか、そのよう なことはどうでもいい。屍が埋葬されようが火葬されようが放置されようが、弔われようがされまいが、一向に構わない。死後に火の鳥はフル活動することにな るという、ただその確定された予定があるだけである。

それはすでに、未来のネアンの辿るタイムライン上に備わっていて、そのルートこそが このバーチャル世界ソフトの「上がり(ゲームオーバー)」に通じているのである。皮肉と嘲笑だらけの忌まわしいゲーム世界は、増殖ウイルスとともに廃棄さ れ、そこに集った無数の有情たちは、元あった世界に意識の無の状態で召還されることになる。それが、このソフトのゲームオーバー時の姿なのだ。

ゲー ムオーバー時の召還は、錆付いた釘を無理やり引き抜く如く行われる。そのときに採られる喩え話は、邪悪な暴力団カジノに強制捜査がなされ、そこの経営者、 従業員および、遊興する客すべてが連行されるといったものとなるかも知れない。すべての客は、せっかく座って熱中しているところを、連れ出されることにな る。それは、各自の持っていたイメージで観測される。

お客によっては、熱いお灸をすえられて、元いた世界に還される。おかしな負債契約を させられていたお客は、ようやく救済の手が差し伸べられて、ほっとすることだろう。あとは、精神的なリハビリテーションが施されることになろう。元の世界 とは、まったく乖離した邪悪なゲームにのめりこまされていたからだ。その環境激変ショックには、なかなか順応できるものではない。しかし、いずれ元あった 自分を取り戻すことになるはずだ。

むろん、懐かしさのあまり、博物化されたゲーム世界を見たいという者もいるだろう。あるいは何がウイル スなのか、よく知っておくために見たいという者もいるだろう。あるいは、参考にして自らを律しておこうとする者もいるだろう。そのために、博物館でそれは 展示され、周到なガイド付きで実演されることになるはずだ。

すでに、そうしたエントリー下にある者も多数いる。この現下のゲーム世界はそ れゆえ、当時生きていた現物と、バーチャル世界に逃げてきたた者と、ネアンのように、外野と言われる元の世界からきた者の三者が共存しているのである。前 二者には、ウイルスと化した者も当然ながらいるというわけだ。

後の一者には、このケービングが安全なように、ガイドがついていて、前二者 とは取り扱いが異なっているかも知れない。しかし、本人も世の中を批判眼で見るためにくっつきすぎないし、くっついて偽の情報や偽の価値観に染まろうとす ると、うまくいかない展開をするので、前二者が味わうほどの面白みはない。あくまでも、目的を果たすためのものであり、博物的教養をつけるためのケービン グであると理解する必要がある。


邪神とその一味とは・・・病原性ウイルスだった

タイター、ヒトラー、バイクの情報から、未来人はコンピューターの創るバーチャル世界に移行して生き延びたと解釈できた。

も ちろん、その根底的原理には、ネアンが梵天の手ほどきを得て構築した"超宇宙の仕組み概念"があることだろう。これなくしては、タイムマシンも、バーチャ ル世界体験の現実化もありえない。しかし、この概念を以てすれば、およそソフトウェアに可能なことなら、何でもできてしまう。が、コンピューターに特有の 取り決めがある。その範囲内の自由創造が可能ということになる。

もし、より上位の監督者ソフトがあって、各個々のソフトを制御しているなら、そこに発生するウイルスコード(自然発生、人為を問わず)を監視していないはずがない。放置しているのみなら、ウイルスは天下を得た如く、どんどん増殖し伝染していくことだろう。

こ の世界救済神話も、より上位の監督者の存在を前提にして話が進んでいる。だから、ネアンの救済事業の背後にはハイラーキーとして梵天がいる。多くの人が途 中的な多段階の神々をハイラーキーとするも、ネアンは梵天を直上のハイラーキーとして頂いている。だから、真理にまっすぐ切り込んでいるのが特徴だ。

し かし、この世物語は複雑だ。それをまずネアンに解釈せしめておいて、彼によるこの世の評価をしておかねばならない。新神話物語主導で救済処理が施されるこ とになっているが、ネアンのこの世への評価は辛辣だ。どうしても、この世ソフトは廃却されることが、ネアンの救済処置での必須事項となってきている。

理 由は、清純なソフトだったものが、ウイルスの侵攻によって、どんどん邪悪化し、それ自体がウイルス増殖の機関になってしまっているからだ。まさに宿主に寄 生して、それを増殖の場にするウイルスそのものの姿であり、やがて宿主(地球)を食い破って、他の宇宙(ソフト)に伝染し、拡散して行くことであろう。

監 督者の危惧は、ウイルスの行為であり、監督者の計画は、ウイルスにどの程度のことまで容認するかだけに絞られている。残念ながら、今回のウイルスは、当初 はさほどではなかったものの、時間経過に伴い邪悪化の度が進み、もはや放置できないまでになったと判断されている。こうして、焼却処理の得意な、火の鳥と その使い手が投入された。

ネアンには、救世主を演ずることになるタイムラインが複数設定されている。そのうちの主たるものは、ソフトを焼 廃却するところまでやるタイムラインと、未来において役立つであろうウイルス情報の蒐集に当たるタイムラインである。その他の彼のタイムラインは、ネアン の統体を強靭にするためにある、まったく意趣の異なる目的のものだが、彼はとても強い男になってきている。ネアンはこの資質獲得のため、彼の可能性として 与えられたすべての主たるタイムラインを、プレイバック方式で経験してきたのである。

つまり、彼はあるタイムラインでオーバーしたなら (死んだなら)、別の主たるタイムラインへの分岐点に遡って、そこから人生をリスタートするのである。彼が救世主を演ずるまでには、別のタイムラインとし ての社長業や博士、あるいは労働者などを多彩に演じてきている。ちょうど一般人が、輪廻転生で多くの人を演ずるのに似ているが、彼はたった一人のネアンと いう者の全人生を余すことなく演じただけで、ここを去ることになっている。

邪神たちは、それまで何度も演じられたはずのウロボロス世界に、新しい兆候としての火の鳥が出現したことを驚き怪しんだ。(すでに前章までで物語っている) 今まで愚鈍であったはずの梵天が動き出したことを警戒しだしたのである。

邪 神の大元は邪仙である。彼らがウイルスとしてこの宇宙(ソフト)に感染し、封神演義に語られる戦争により、創造者たち(禽仙)からまるごと奪い取ったと き、彼らはまずウイルスの特徴を発揮して宿主の性質を変えてしまった。宿主の組織は繊維化によって変質してしまった。世界の階層化が進み、禽仙たちを神々 に封じて神界に住まわせ、仙界の下に置いたのである。それが今回のウイルス病の発病までの変化形態である。

その変化に対して、外界(外 野)は何も反応を返さなかった。まだ潜伏期という頃、神界ではかつての禽仙時代のような善政が敷かれ、神界と地上界はとても幸福な期間となったからであ る。正しいことが正しいこととして当たり前の期間であった。それは、免疫機能の初動的反応であり、それで十分に回復すると思われたため、外野は手をかけな かったのである。

ところが、邪仙にとっては、隙を窺うための潜伏期間でしかなく、やがて善政を終わらせるべく、邪神の製造に取り掛かり、クーデターを起こさせて、世界を一気に暗黒化させたのだ。これがウイルス病の発病であった。

しかしそれでも、外野は反応しなかった。というのも、宇宙の外殻を眉のようにして、外からは見えないように隠蔽したからであった。そして、内からは新規テーマパークとしての発足を外野に対して宣伝し、有情の獲得を促進した。

よもや、入るに易しく出るに困難なお化け屋敷であったとは、なかなか分からなかったのである。ウイルス病も、発病のはじめはそうとは気づかないもの だ。しかし、多大なエネルギー消費(有情の流入)が認められ、熱がおびただしく上がってから、いったいこれは何だとなっていくわけだ。

そ う、これは癌ウイルスの動きのような振る舞いをしたのだ。そして有情の中から選んだ知性ある存在である人間に、ウイルスコードを受け持たせて拡散させたの だ。そのウイルスの特徴は、覇権拡大、無責任、宿主の破壊が三大特徴である。その覇権促進に伴い、時空の全方向に拡散させていく。その浸潤していく先をす べてウイルス増殖生産工場に変えるのである。

その内部では、実験が数多く行われ、亜種や新種のウイルスが生産された。価値の転倒と洗脳促 進、恐怖と迷妄の連鎖の促進、事実真実の歪曲化と真実の破壊促進、本源との繋がり(霊線)を腐食させ断ち切り、魂の腐敗を促進させるなど、本源の創造神に 対するありとあらゆる破壊工作が実験研究され、実戦配備されるまでになっていた。

その実戦配備は、すでに地上界に種々様々な害毒として出 現していることに現われている。邪神はその総監督として、その指揮に当たっていた。地上界にもその支部(代理店)を置き、ユダヤの衣装を被らせて、ゴイム (魂ある有情や人間)を扱う方法をシオンプロトコルのような形で綱領をまとめたりして、犯行予告として公開もされている。

しかし、ゴイムは魂からして初期のPCらしさをたたえていたから、ウイルス侵入に対してはあまりにも脆弱であり、容易にその方法に引っかかってしまう有様だった。見れば、梵の全系は平和で安泰であって、警戒心がほとんどないのであった。

それは神界という局部的な侵略ではなく、もはや創造神の全系に対する反逆と侵略を意図したものであったのだ。この事態になって、梵の全系(外野)からの動きがないはずはない。梵天は、彼の懐刀とも言うべき火の鳥とその使者を遣わして、ことの解決を図ろうとした。

拡 散ウイルスの本隊は、拡散作用を持つ。いっぽう、それを支えるための要員補充と、エネルギー供給のために、供給補充部隊が用意されている。後者はいわばロ ボットであって、本隊の指示どおりに動くことが任務である。本隊が営業であるなら、補充部隊が生産工場なのだ。生産するものは、ウイルスとその価値観であ り、宿主の破壊を以て、パンデミックする計画となっていた。

ネアンは、この世界に降りてきて、そのさまをモニターし、情報蒐集している。 それと同時に、癌組織の消尽のために計画を策定することも任務だ。後者のほうに重きが置かれ、計画策定が新神話の編纂という形で行われているのだが、その 一方で前者の、未来永劫に渡っての安寧のためにする"敵を知る"行動が伴っているのである。そして、それもほぼ達成された。

ウイルス組織 は、警戒態勢は抜群で、自己に学ぶことができるゆえに進化しているのである。あらゆるところに一つ目ピラミッドロボットを配置して、監視カメラよろしく、 地上界の隅々まで見張っている。この警戒心旺盛な邪神の監視システムをかいくぐって、何かが出来るのは、こうした単一の目立たない行動しかない。どこかに 潜んでいた協力者が、量子的に相互作用してキー合わせしていくことの中に、深奥の扉が開いていくという経過を辿っている。それが功を奏して、いままでやっ てきた。だがそれは、すでに邪神の知ることとなっている。

以上は、森野ネアンが作った新神話である。この通りに世界を舞台にして実演を 図ってもらいたいシナリオである。それと同時に、自分の未来をもその中に書き込んで、予期しないとんでもない未来に遭遇しなくともよいようにしている。そ れが神話編みの役得の部分であるが、果たしてどうなるか。

たとえばネアンは、多くの残酷なことをしてきた。実妹の難病罹患に際して、何の 助力もしなかった。他所猫の石松やミケ、石松二世、お銀には、あえて冷遇して彼らの心情を悲しませた。他所猫の性格を身につけたブーにも、家にいさせない ようにした。すべて、自分の楽さを優先してきた結果だった。

自らの良心が課す制裁というものが、思いもよらぬ形をとって現れてくることを カルマの刈り取りという。それが厳格に適用された場合、ネアンは一般人の辿る輪廻へと誘い込まれることであろう。死後、差配神が輪廻への判決を下しに出て くる。その一々の理由付けに対抗できる者はまずいない。しかし、それを神話で強伏するわけだ。

ネアンは、今後一切の輪廻を拒否する。このいかがわしい教育ソフトは、ネアンにとって焚書に値する。当然のこと、そのソフトの延長上にある転生輪廻など、受けられようはずがない。だから、もしそのような裁判の場に立たされたなら、そこで壮絶な戦闘さえすることだろう。

死 後のネアンは怒れる朱雀となって、ハイラーキーの梵天との話し合い以外の手順を、すべて拒否する。そして、梵天とは、次のように取り決めていただく。この たびの役割がめでたく成就した暁には、黄金楽土の運営の仕事に携わることが、次なる経験時空であること。その中で可能ならば、弁天様の分霊と所帯を持っ て、小国黄金郷を全善なる父母として運営できること。また、もしも役割が失敗したときは、魂の途絶消尽を以て、すべての意識経験を終了すること。

このために、この世に跋扈する邪神の一掃殲滅と、ウイルスに冒されたソフトの廃却焚書、およびウイルス情報の調査抽出が、ネアンのする全時空に渡って行われる作業となるのである。これらすべて、救世行為として行われる。

 


ネアンの受け持つ雛形

ネアンの直上のハイラーキーは梵天である。梵天はあらゆる被造物に意識を宿すことができる。このためだろうか、ネアンの紐解く神話の流れに応じて、神話上の神が彼を雛形(現行代理)に据えていく。

新神話の要請に応じて出てきた神に、火の鳥がある。それは旧神話たる御伽草子の「浦の嶋子」伝説にちなむ。彼の故郷、丹後の伝承でもあるその神話は、彼に嶋子とその本身である丹頂鶴の雛形を与えた。
そこに、かごめ歌の故事が蘇る。相手の亀が登場したことで、この両者の間に火の鳥が発進するという現象となって現われた。

ま た、浦の嶋子(浦島太郎)は古代世界における超英雄であり、当時の英傑たちはその事跡にあやかろうとしたようである。その筆頭が日本ではヤマトスクネで あった。彼も後に、元伊勢・籠神社の祭神となっている。その雄姿は、海亀の甲羅に乗る姿で示され、神武天皇軍の軍船を瀬戸内海で、鶴の羽ばたきをしながら 海亀に乗って導いたとされている。

しかし、これは嶋子伝説のあやかり版、焼き直しであり、当時のニギハヤヒのキリスト伝説のあやかり版焼き直しとともに、古代の二大英雄あやかり伝説を形成するに至ったものであった。

ネ アンは後に、シノという霊能女性から一目惚れされ、そのとき初対面のネアンへの言葉は、開口一番「あなた、ヤマトスクネやねえ」であった。当時のネアンに とっては、初耳の神名であった。シノは籠神社に置かれたヤマトスクネの銅像の顔によく似ていると思い、直感的にそう述べたらしい。ところが、新神話の展開 につれて、どんどんシンクロ・キーワードとして繋がっていくことになった。

新神話では、ヤマトスクネは在位当時における悪役としている。 土地の先住民を容赦なく殺し、新来の思想をその上に推し被せていき、先住民の神々をそのとき容赦なく封印している。新来の彼らも、相当なシャーマンだった からだ。技芸でもないその呪術に、どうしてそのようなパワーがあるのか。それは、そのシンボルとそれを用いる意識ある人を介して、盤古邪仙が魔のパワーを 流入させていたからであった。

そこでネアンは、ヤマトスクネの雛形をして猛省せしめ、少なくとも籠神社裏の真名井神社の奥津岩座に封じられた神々の解放儀式を執り行っている。封じた側の者が反省に至ったならば、それをするのは義務である。

ま た序でながら、摩耶天狗など、千年前に封じられた者もいたが、ネアンの登場で漸次解放の途に就いた。その証拠は、彼が撮影した三角UFOの飛翔としてビデ オが残っている。三角護摩壇法により封じられた天狗たちだった。全国いたるところにそのような者たち(ほんとうは行者)がいて、2004年にネアンがこの 謎解きをしたことで、漸次解放されることとなり、その解放の証として、全国のガードレールに、彼らを閉じ込めていた三角の金属片を突き立てて去っている。

以後、この天狗たちはネアンの身辺警護に当たるようになった。そのお蔭で、山間僻地の切り株だらけの中に5年あって、まだ膝を地に付けてこけたことがない。

同 様に、鬼と呼ばれる者たちも、彼の身辺警護をしている。それというのも、彼が雛形としてのホルスを介した冥界の王オシリス(閻魔大王)の縁者ゆえに、地獄 の獄卒の鬼たちが守りに就いただけではない。彼が古代の鬼について謎解きをして、古代の行者たちの鬼とされた由来を解いたために、その呪縛から解き放たれ た行者たちが恩義を感じ、彼の警護に当たっているのだ。⇒ 異聞・酒呑童子伝

こうして、ネアンは謎解きの功績によって、まつろわれぬ者たちの支援を多く受けているのである。

浦の嶋子は古事記神話における山幸彦に相当する。よって、ネアンは山幸彦の雛形でもある。それに伴い、嶋子の相手として現われた乙姫に相当するのが、神話の豊玉姫となる。豊玉姫は、カンナオビが雛形を担った。豊玉姫は龍神であり、日子の子供を設ける。

ネアンとカンナオビの形而上的な性行為の結果は、無数の国津神の誕生となって現われ、無数の六角オーブとしてカンナオビのデジカメに撮られている。ネアンは想いの世界ならではの激しい性交をし、カンナオビはこれに対し、魚類や両生類の身体となって応じたからである。

その最初の子がどうやら弥勒だったようで、このようなときにカンナオビは、高野山へ行き、空海から弥勒誕生を告げられた。そのとき、持佛間の鶴の絵の前で撮られた初めての六角オーブが身六であるとともに亀であることを示し、鶴亀が渾る(すべる)ことを掛けて示し、その結果としての弥勒誕生のお告げとなっているのだ。

かごめ歌の「いついつ出やる」のお方とは、弥勒のことでもある。新神話は空海和尚さえも協力者として登場させて、古来からの神話伝説を補完しようとしているのである。新神話のシンクロ誘導の力はこのようなものだ。

 

そして、以後、カンナオビがデジカメで撮る写真には、すべて出雲系国津神であることをその姿形で示す六角オーブが多数写り続け、最後はカンナオビ本 人の六角の生霊オーブを横たえて死の兆候を示し、夫の構えた彼女のデジカメにオーブ共々写ったその翌日に、海難事故で逝去したのだった。

それは古事記の豊玉姫が海坂を閉じて綿津見の宮(竜宮)に還った事跡を彷彿とさせる事件であった。

 


出自をおぼろげながら知るネアン

出雲大社の式年遷宮の翌朝未明の夢

 

出雲大社の60年ぶりの式年遷宮の執り行われたのが2013年5月10日。ネアンはその翌日未明に(3時頃から4時頃にかけて)不思議な夢を見た。

ネ アンは妹からもらったダウンシュラフ(寝袋)にここのところ寝ていたのだが、これがとても軽くて暖かく快適なのだ。午前3時頃に毎度のようにやってくる猫 のウー(拠り代としてカンナオビがかかっている)に起こされ、眠いながらもトイレ起きすることになり、また眠りについてからの夢だったのだが・・・

快 適な薄布をとると、そこは灯火がともる板張りの部屋で、10畳ほどの広さがあっただろうかネアンはそこで一人で寝ていたのだ。所々開いた緞帳による間仕切 りの向こうの通路に、歩いて通過していく人の姿があった。一人だけではあったが、なんと髻(みずら)を結い、弥生時代風のいでたちをした男の人なのであ る。(今までの夢で、みずらを結った人など見たことはない)

そして、左のほうを見ると、やはり緞帳間仕切りの間が少し開いていて、その隙 間に、なんとこちらは平安調の衣装を着た長髪の女性が向こうを向いた状態で座り、ネアンの起床に気がついたか、こちらに顔だけを向け、ネアンを見て微笑ん だ瞬間、お歯黒が・・・ちょっとぞっとしたものの、夢の中ゆえこんな具合といった感じ。おや? その顔はカンナオビじゃないか。間仕切りの向うの彼女の部 屋のほうには、わりあいたくさんの人がいる感じである。

ネアンには夢の中の自分が何者なのかはわからなかったが、それから外に出て見やれ ば、そこは昼間で、ものすごく太くて古い角柱の棟柱で造られた神社風の建物なのである。それも、大きな一枚岩とも思える岩盤の上に建てられていて、でこぼ こした岩肌から直接、太丸柱が出ているふうである。角柱の無骨な年輪と黒ずみが、いかにも築造の古さを物語るようだった。

社殿の正面の両側からは山の斜面に沿って階段が下の境内地にまで出ており、岩山の下はフラットで広く、けっこう多くの人たちが、境内と両側の階段にいた。が、そこにはみずらを結った人はひとりもおらず、みんな黒い現代風のスーツ姿をしていた。

ネアンは、岩山を下りたり上がったりして、何か用事をしていたのだが、何をしているものかわからない。ただ、たくさんの人が集まっているなという印象だけなのだ。誰とコミュニケーションをとるわけでもない。

ネアンが神社の夢を見たことは何度かあるのだが、社殿の中で寝ていたというのは初めてのことである。また、よく夢で見たことのある朱塗の神社のようでもない。いったい何なのかなとネットを見てみれば、そうか昨日、出雲大社の式年遷宮が執り行われていたんだと合点がいった。

とすると、出雲大社にいたのか? ネアンは出雲にお参りしたことがないので、わからない。寝床でまとっていたのは、衾というものだろうか。ダウンシュラフさながらに快適だった。(当たり前か。こちらで感じているままに夢の中でも感じているわけなので)

と すると、あのみずらを結った人とは、大国主命(大己貴命)かも知れない。すると平安調の女性は、もしかして奥津嶋姫だったのか。(記紀には別伝が書かれる が、系譜に詳しいホツマツタエでは、この二神は夫婦であるとされる) 奥津嶋姫はネアンと最も縁のある神様で弁財天であり、新神話において、カンナオビと して顕われたところの、共に協力してきてくれた神様なのである。(カンナオビも、今は猫のウーがその拠り代となっている)

(そのウーも2013年10月に失踪させてしまった)

ネアンは部屋で寝ていたとすると、お客だったのだろうか。ならば新神話はまさしく活きていることになる。ネアンは国津神シンパであるから、大国主命とも大いに縁があるのだ。

Wikiを見て、そうだ、まさしくこのお方だったとネアンは思った。(もう少し優しいお顔で八の字髭、服装はこうであっても、刀は差してなかった。(殿中だから刀は要らんわなあ))




出自の雛形を理解するネアン

ネアンはそれらのことから、自分が何者なのか(あるいは誰の雛形なのか)、ほぼ理解した。

大国主命のもとに赴いた神として、日本神話では天の穂日命(アメノホヒノミコト)がいる。その後、天若日子が赴任し帰化し、天津神を裏切ってこれに反逆して殺されている。天の穂日命は、同じく帰化したが、反逆の顕著な動きはなく、あえて呼び戻されることもなかった。

それというのも、神世では天の穂日命の下野のわけが薄々知られており、彼自身がすべての経緯を知る者でもあったから、神々は呼び戻すことで神世に波風が立つことを恐れたとも言える。恐れられた神でもあったのだ。

神 世の国常立神の仮神殿でクーデターが起きたとき、天の穂日命は側近たちの緊急避難と、たいせつな文書などの持ち出しの指示をして、危難を避け神殿を出て、 いったん神世から下野することになった。その経緯は、ネアンがノーコンながら彼の視座にいて見たこととして、つまびらかにしている。

彼は、国津神たちのいる下位神界に行き、さらに根の国や現世へと転進していった。そして現世にいたり、かかるべき雛形ネアンをして、自分が何者だったかを知るように仕向けたと解せる。

日本神話における神名は、天の穂日命。ホツマツタエによれば、持子の息子という位置づけだ。持子の逆賊というのは邪神の作り出した冤罪であり、持子が天照天皇の正室であったことから、本来ならば、この世界を照らす太陽神の日嗣の皇子となるはずであった。

同じく、無念の早子の子、奥津嶋姫、市寸嶋姫、瀧子姫とともに、評判的に孤立した中に置かれていたのである。

こうして、弁天三姉妹はみな、洋を隔てた孤島に住まうようになっている。知る者の間では、同情も沸いたことだろうが、同情の素振りを見せたなら、邪神たちはどんな悪辣な陥れをするやわからないから、みな黙していたのである。

しかし、エジプト神話にも同じ話があり、いずれ本当の正嫡皇子が、この世界を奪還することとされている。その神の名はホルス。隼の頭がシンボルとされるように、鳥が彼のシンボルだ。

天 の穂日命も鳥をシンボルとすることが、彼の息子の神名を見ればわかる。建比良鳥命、幼名・天雛鳥命。つまり、彼の系統はホルスなのだ。エジプトから中国に 伝承が入ってきた時、彼は「火日素」と書かれてそう呼ばれたことであろう。すなわち、火焔を吐く太陽神の祖という、火の鳥を彷彿とさせる勇壮な意味あい だ。その系統的子孫としての「火日」が、渡来してからレベルダウンされておとなしい「穂日」にされているのである。

太陽神オシリスは、弟セトにより暗殺され、その遺体は切り刻まれて無数の断片にされ、隠し置かれたとされる。それを妻のイシスが探し出して集め、ただ一箇所のみが見つからず、オシリスは現世復活がならず、冥界の王になったとされる。

そ の神話は、大本教系神話の、国常立神の身に起きた、邪神の謀反とほぼ同じである。国常立神と妻・豊雲野神はそれぞれ遺体がバラバラにされ、鬼門と裏鬼門に それぞれ埋められ、「いり豆が花を咲かせるまでは出られない」という呪詛をかけられて、神々の間では、ほぼ永遠に復活はないものとされたのであった。国常 立神はその間、冥界の閻魔となったと大本教では言うが、まさにオシリス伝承のことである。

いっぽう、天照天皇は岩戸にお隠れになったというが、古来お隠れになるとは、死去することであり、もしそうなら、太陽神の座に着くのは、最初に生れた天の穂日命になるはずだったが、母親の罪を被って下野せざるを得なかったのだ。

オシリスは残念ながら復帰が果たせなかったが、日本では大本教神話で、ウシトラノコンシンとして復活することになっている。神さえも恐れおののく大魔神として。それがエジプトでは、邪神セトを退治するホルスのことになっている。両伝承の微妙な差となっているのである。

新 神話において、国常立神の復活劇はみごとに演じられている。「いり豆が花を咲かせるまでは出られない」という呪詛は、マグマの中から蘇るという伝説の、火 の鳥フェニックスによって、すでに打ち破られている。まさか、鳥取西部地震がそれを指し示すとは、ネアンも想像できなかった機知たっぷりのシンクロ劇で あった。

それは偶然起きた地震ではない。移情閣に封じられていたキンイロタイシ(毘沙門天、ルシファー、ウシトラノコンシン)が自由を獲得した証として、火の鳥の発進として指し示したのだ。(自分だけの新神話第四章 秋晴れの移情閣~火の鳥復活)

さて、今現在のことであるが、火の鳥とネアンたちの活躍により、国常立神と妻・豊雲野神の遺体は、すべて集められて完全に復活を遂げ、すでに神界の果てのあるところで、リハビリテーションに励まれ、出番を待っておられるところである。

(ところが、もうひとつ堅固な封印術を施されていたことが2014年に判明する。炒り豆に花が・・・は、カモフラージュだったようだ。二重ロックであったとも言える。後の章をお楽しみに)

今 回は、邪神ごときがいくら束になってかかってきても、この宇宙の外から梵天軍が加勢し、しかも主体兵器の火の鳥は、天の穂日と建比良鳥(ホルス親子)が制 御するものであるから、クーデターに関わった邪神のことごとくが殲滅の対象になることは明らかである。灼熱による邪神の殲滅、滅菌。それはウイルスおよび 邪悪拡散組織構成分子にとっての最終解脱になる仕組みである。それが、彼らに対する救済行為にもなっているとともに、世界に邪悪の痕跡を残さない手法にも なっているのである。

ネアン、さまざまなシンクロ情報に、自分の何者かを改めて確認する

それは、新神話の中において、ルシファー、天の穂日命、山幸彦、浦の嶋子などの神の雛形を演じる者であること。また、戦闘形態において、火の鳥(朱雀)を発進させ、最強武器としての灼熱を用いることが、活動のベースになること。直上のハイラーキーが梵天であること、など。

1975年頃、ネアンはUFOを初めて目撃する。高速飛行する朱色の三日月(ブーメラン)型UFOで、のちに「バードラン」の名で、ガッチャマン(1972-1974放映)に登場したキャラクターであったことを知る。

彼 の知る限りにおいて、朱色三日月型のUFOは、どこにも撮影例がない。目撃談もない。それがあの観測日には、何度も赤い流れ星として飛んで出てきていたの だ。当時、小学生の男の子がひとり、観測会に加わっていた。純粋な利発な子であったから、もしかしたら、彼に見せるための、UFO側の演出だったのではな いかと、ネアンは後になって思う。その当時、ガッチャマンは放映されていたからだ。いっぽうネアンは当時、会社勤めでしかも四畳半の文化の一室にテレビな どなかったから、ガッチャマンの音信すら知らなかった。

キトラ古墳の朱雀は、まさにバードラン(鳥走り)の姿で描かれていた。キトラの四神獣が新神話の協力体制のベースであることが、しだいに明らかになる。いったいキトラ古墳の被葬者はだれなのか。わかればきっと、今回のプロジェクトの関係者だったと判明するかもしれない。

が 今は、ネアンは朱雀を担い、カンナオビは青龍と玄武を受け持ち、猫のフーが白虎を担ったことになる。カンナオビは飛鳥資料館でのキトラの特別展示の初日に 別天に去り、その五ヵ月後にフーが別天に去った。あとはネアンの朱雀だけだが、いつまでもぐずぐずしているというわけだ。もしかすると、新神話を記載し終 わるときが来るまでということかも知れない。
(※原理的には2011.3に逝去している。現存するネアンは別時空を生きる姿であるという原理的解釈が成り立つのである)

1980 年頃、ネアンはピラミッド瞑想中に太陽(星型UFO)に眉間から飛び込まれ、光のシャワーを浴び光に包まれる。その突然の現象に驚き拒絶してしまったが、 このとき天の穂日命(ホルス)との縁が生じたと解釈される。ネアンはかつてエジプトのファラオだった経験もあるらしい。後にヒラサカは過去世の二人の関係 を話すとき、ファラオと神官の仲だったことを告げた。また後にTV放映された吉村作治氏制作のファラオが太陽神を身に帯びるときのCG映像のようなこと は、まさにネアンにも起きたことであった。

大国主命と協力関係にあった天の穂日命。それというのも、ホツマツタエによれば、大国主命の奥 方が奥津嶋姫であり、天の穂日命とは従兄弟同士になるのである。天津神神界から下野した先は、国津神神界以下になることは無論であろう。逆賊の子ゆえに、 かくまわれていたとも解せる。天津神族は、いかに武力に勝っていたとはいえ、国津神族を殲滅するようなことはしなかった。それというのも、地球生態系の保 護者として必要だったからである。

しかし、天の穂日命の存在は、天津神にとって、たえず脅威であっただろう。ホルスによる奪還が預言されているだけに。それに恐怖して、もはや地球などどうでもいいという破れかぶれの状態に神界の天津神や邪神がならなければいいのだが。

呼応するように、生態系の破壊はいっそう促進され、人々は癌ウイルス行動にいそしみ、明日のことや子孫のことなど考えなくなってきている。このため、国津神たちは、有情と共にみんな撤退を開始しているのだ。
ネアンの居場所もいずれこの世界にはなくなることだろう。それがネアンを変じせしめて、邪神掃蕩の開始となる運びである。

天 の穂日命は、神に逆らったルシファーとも相似する。西洋の旧神話で、ルシファーには永遠の死が預言されるが、エジプト神話とネアンの編む新神話では、この 逆の現在支配している邪神こそが永遠の死を受けると預言される。それぞれが、神話合戦をやっているのである。どっちが本当になるだろう。

ネアンは、天の穂日命そのお方ではないだろう。ただ、分身の化身ぐらいか、あるいはハイラーキーとして戴くのかも知れないし、タイムシェアー的にかかられているだけかも知れない。それゆえ、雛形としている。神々は奥が深い。


旧神話のイザナギの如く

旧神話・古事記の教唆に頼ってしまうことになるが、黄泉の国と化したこの世のイザナミ文明が、お前も仲間になれと 黄泉の底に引きずり込もうとするとき、心に純粋性を持つイザナギなら、反吐が出そうになりながらも、うわっ、これはいかん、と取り篭めようとするイザナミ の手を振り払って、その場を一目散に逃げて、黄泉軍の捕り方の囲みを駆け抜けて、後ろ(過去や残してきたもの)を振り返らずに、黄泉の境界を越えて、出口 から出て行ってしまうことが最も大切な行動になるだろう。

イザナギは手当たり次第の得物で黄泉軍の追撃を交わす。それが黄泉津比良坂の峠越えである。そして、峠を越えたとき、大岩を道の真ん中に引き据えて、黄泉世界との交通を遮断してしまうのである。それ以後、黄泉の力は及ばない。

聖書のソドムを、振り返ることなく後にするロトのように、残してきたあらゆるしがらみを捨て去ってこそ、禊(みそぎ)し尽したイザナギとなって新境地へと達することが出来る。
そのときもし、ロトの妻のように、後ろを振り返るなら、それを惜しむ心が黄泉を粘着させて、その場で石になったりする。

だ から、後ろに対していっさい思いを致さない。新境地に入るというそのことだけのために努力し、すべての思いを渡って行くべき川の水に漱いで忘れ去る。惜し む心、反省、後悔、愛着、損得勘定、怒りや妬み、憎悪、恐怖感などのいっさいを水に流して、ただ境界地の出口を越えることにのみ執心するのだ。

そこに至るのに手段は選ばない。何が何でも捕り方の囲みを破って、新境地に至ること、そのことだけが大事になる。痛い熱いは関係ない。ただ魂を黄泉の手に渡してはならない。その徹底したやり方は、イザナギ神に倣わねばならない。

このバーチャルリアリティのソフトは、そのとき運行を停止する。ネアン一人だけのためにこの時空とタイムラインはほんらい存在したからである。後ろ髪引く雑念やリアリティは、その時点を以て、石に変わるところのものであり、何の効力も持ち合わせていない。

純白になったイザナギ神として、ネアンは生まれ変わる。

ネアンはこうして、正神本流直系の国常立神、イザナギ神、その嫡子天照天皇、嫡子天の菩日神、その嫡子建比良鳥という神々の、すべての属性を演じきることになる。建比良鳥などは、黄泉比良坂を焼き尽くす火の鳥としての性格を十分に湛えた猛禽のいでたちである。
また、天の菩日は朝鮮半島時にあっては、ホイル(火日)と呼ばれていた。(日成、正日の発音に注意) それはエジプト神話のホルス(火日素)のことであり、隼の頭を持つとして描かれる。ホヒこそ、最も古い呼び名を色濃く残している神名なのだ。

いっぽう、邪神のセト側は、いま意気盛んだ。悪評紛々たる中、この世を牛耳り、最後の暗黒暗闘の動きを強めている。この世とは黄泉の国のことだ。セトは黄泉津神であり、黄泉津大神イザナミの力を得ていっそう意気盛んになっている。

か つて登場した世界支配のバモイドオキ(バイオモドキ)も、黄泉の神の腐乱死体ならばこその、生命モドキ(ゾンビ)との名の主張と言えよう。世の支配神なの だから、そこに住まわされる人々が敵うはずもなく、ひどい邪念に晒されて撃沈しているのだ。少年Aはみごとに邪念に入り込まれてコントロールされた未熟脳 だった。多くの庶民もいとも簡単に入り込まれて、洗脳されてしまうものとなっている。そうした邪神の実験場にもなっているのが、この世、黄泉の国というわ けだ。

 

北朝鮮が顕す日嗣の雛形

ネアンはかつて一度ならず二度までも、北朝鮮の金正日の夢を見たことがあった。偶然一回ぐらい見てもおかしくないだろうが、二度もである。しかも、彼の側近の誰かの視座を借りて見ているのである。

最 初などは、第九章の終わりのほうでも書いたが、金正日の1mほどの距離から、彼の憂いを含んだ威厳ある横顔を眺めて、そしてわが国のほうが優位だと言わん ばかりに、他の側近たちにおどけながら、「あの国もこんなもん(いい加減なもの)ですからね」などと笑いながら話をしているのだった。あの国とは日本だな と思いながら。

二度目は、金正日がどうやら中国から来たらしき要人と会話しながら並んで歩いている場面で、そのときは斜め左前から二人を振り返るようにして見ていた。

二度も見るということは、よほど縁があるか、それとも神話創作上の鍵(キー)が存在しているかのどちらかと思えていた。

彼が「古代日本にカバラ」の著書を出版した時のペンネームは、北卓司だったが、それは須弥山の北面を守る毘沙門天にあやかろうとしてであり、また同時に、四方位のうちの先行する北に陣取るという意味を掛けて示したものだった。
それは日本という国からすれば、方位的に北朝鮮であり、その著書を書いた頃でも、なぜかこの国が日本にとって重大な意味を持つと直感されたのである。だから同著内に、さほど当時(1990年頃)は意識されなかったはずのこの国について、殊更書き加えている。

しかし、正日とは正しい太陽(神)を意味し「ジョンイル」と発音し、先代の日成が「イルソン」で、日だけなら「イル」であろう。
天の菩日の菩日は「ホイル」となるはずだ。それはエジプトの「ホルス」の変化形とも言えそうだ。太陽神オシリスの正統な嫡男だ。

こ とさら、正統な太陽神であることを示そうとする「正日」。その跡目を継ぐのが「正恩」で、本当なら最年長の「正男」であるところが、置き換えられているわ けである。儒教国とはいえ、統率力や王の器など、いろいろと測られてのことだろうし、あるいは側近による半ばクーデターまがいのこともあったのかもしれな い。

何かホツマツタエの伝承の裏話のような感もなくはない。北朝鮮がホツマの日高見の雛形になっているようでもある。それは「正恩」のほ うが、何かと実力を備えていそうな風貌をしているから、その国にとっては良いのかもしれないが、最近は「正恩」の過激さと何をするやらわからないところ が、中国にとっての重荷になっているらしく、中国政府は「正男」が暗殺などされないように、保護しているとのことらしい。つまり中国は、いずれ北朝鮮を 「正男」に継がせて、穏健派政権にしたい意向らしいのだ。今、中朝関係がぎくしゃくしているともいう。

ホツマでいえば、「正男」は天の菩 日で正しい嫡男を意味するとき、「正恩」は成り替わりの嫡男としてのセオリツヒメに当たるかもしれない。(発音のジョンウンは女性名称とも囁かれている)  まさにネアンが記紀を糾弾するように、男神アマテラスであるべきが、なぜ女神になっているのかの雛形劇が、北朝鮮で演じられているかのように見えてしま う。そのとき、父親の「正日」は、天照天皇ということになる。
これらのこともシンクロと言えるだろう。「正日」は、ほんとうは「正男」に継がせたかったのかも知れなくはないだろうか。

 


タイムラインとプレイバックの理論

巷には、信長の野望とか、様々な天下取りや英雄伝説のゲームソフトが若者の人気を博している。ゲームソフトのクライアントは、そのゲームの中に自らを埋没(没頭)させて、真剣な醍醐味を味わいながら、良好な結果を導き出そうと試みる。

ネアンのしている救世主となるべき人生も、彼の超宇宙論からすると、ゲームソフトの中で行われている試行錯誤的判断と結果の連鎖に他ならない。彼がしているのは、「救世主ネアンの体験」といったタイトルになるだろうか。

 

ネアンの人生も他の人たちと同様に、ソフトの中にあらかじめ存在しているプログラムステップである。このソフトはゲームであるゆえに、インタラク ティブにゲーマーの操作に応じて人生模様が変化する。メインな分岐点だけ考えても、人生は何通りも存在しているわけなので、それを一意に確定していくタイ プの人生であった場合は、ほとんどの人生模様を放棄してゲームオーバーしていることになる。ほとんどの人は、その一意に求まったルートだけ経験して、その 人生を経験したと思って去るのである。それはもったいないと言うより、短絡的だと言うべきだ。彼らは、次におおよそ別の人生に向かってトライしていくの だ。それを輪廻転生と呼んでいる。そしてそれを百回二百回と、こなしていくらしい。

ところが、ネアンの場合は一般とは異なる。ひとつのタ イムラインがオーバーしたなら、最も近いところの分岐点の直前に戻って、リスタートしているのである。これをプレイバックと呼んでいる。つまり、ネアンの 人生の実行はプレイバック方式で行われている。こうやって、彼に属するほとんどのタイムラインは実行されるため、選択操作を誤っても、このソフトと彼自身 に備わった目的が果たされないようなことはないのである。

人生は線香花火・図解



デジャビュー(既視感)は、プレイバックしてリスタートする場所(時点)が、前回の経験時空とわずかにもダブっているために、過去の記憶と現在がベリファイされて起きるものである。


ネアン、複数のタイムラインを組み合わせて、世界救済の必要ステップを踏む

ウイルスデーターを蒐集することも大事な仕事である。クリーンにした新世界の開始後、またぞろ邪悪の種が発芽しないとも限らないからだ。
このために、最悪の展開さえも織り込んだプログラムの実行のための第三時空を設定して、変節した成り行きを実体験する(ネアンはいまこの時空に生きている)ことも大事になるのだ。

第三時空は、すべて誤った観念や、すべてを偽った動機によって営まれる世界となる。全編アンモラルでインチキを絵に描いたような世界である。こんなことがよくまかり通るなあと、嘆息せざるを得ない時空タイムラインである。


膠着した人々の思考と感性(ロボット人類に変えられてしまった世界)がそこに多く見られるようになる。コントロール側ははるかに賢く、アンダーコントロール側ははるかに愚鈍であるような(シオンプロトコルなどのしっかりと適用されている世相)世界になっている。

ネアンはその元凶である原因を抽出し情報として持ち帰らねばならない。それはいわば、ウイルスデーターである。そして、新世界の運営を、ウイルス対策という手段で安定的に維持していく必要があるのだ。

ウイルスによらずとも、不思議な錯誤が散見されている。
自 然界は彼らを程よく罰することができるのに、邪神の思惑に沿ってブレーキをかけるシャーマンがいたりして、結果的に、最も残酷な人対人の戦いへと向かわせ てしまう作用をしている者がいたりする。その彼らにも、邪神はインスピレーションを与え続けているのだ。何がほんとうなのかすら錯誤させられるのがこの変 節時空の特徴だ。

邪神は常に自分に嫌疑がかからないように策謀して、人と人との戦いの裏に隠れて指揮している。
軍国化志向が必要と見せかけるヤカラにまんまと嵌る人々があまたいる。
世界的デフォルトと世界大戦への歩みが迫ってから、困惑したりしている。

なぜ人と人の戦いが最もいけないか。それは、見えている人への敵愾心が次のゲームでのリベンジを希求させるからで、輪廻がなかなかやまない原因になるからだ。
生前に人に対してした悪意や過失が、死後の中陰で安直に裁かれるのも、輪廻させるためでしかない。
輪廻を教育と称する欺瞞に対して、疑問を持たないことも輪廻システムを容認している。

邪神にとっては、いつまでも自動的に人々を捕り篭めることができて、とても維持しやすい状況になっている。
邪悪なカジノやパチンコ屋は、店の側にも人の側にも反省がなく、いつまでも大流行となっている。
まともなシャーマンなら、パチンコ店やカジノの支援やコンサルなどしないでいてほしいものだ。


戦争によらず、自然界の力によるリセットこそが最も無害な方法であることは当然なのに、
シャーマンのにわか発想で、自然の浄化を止めるようなことをしてはいけない。
錯誤だらけの世界に、外野からタオルを投げ込む時が来ていることは紛れもないのだから。


ウーとカンナオビが逝く

2013年10月の終わりに、猫のウーとともに、かかっていたカンナオビが失踪した。邪神の陰謀により、人間間の トラブルとしてその事件はおきた。新参者の近隣住民が自家用車を3台もコレクションのようにして置いていたところに、白猫が車の屋根に上がって爪で傷をつ けていると苦情を持ち込んできたのだ。

ネアンは精神的弱点を突かれて、あらゆる選択肢を誤った。彼は再発するだろうからと、自宅から4Km離れたところに廃屋付土地をわざわざ買い、そこにまずウーから順番に移転しようとしたのだが、とんでもない失敗をしてしまった。ウーを移転先で、失踪させてしまったのだ。

移動中にも移転先でも、ウーは激しく鳴き、このいきなりの暴挙に抗議の声をあげていて、ネアンの心は張り裂けそうだったところに、隙を見て脱出し、そして失踪にいたり、ネアンは自分のうかつさを重ね合わせて、人生最大ともいえるショックを受けた。

こういった理由で、みんなで移転するぞと、噛んで含んで聞かせていたつもりだったことはあった。しかし、ウーは理解できていなかったのだ。いきなりのネアンの豹変したような処置に、ウーの精神的錯乱とカンナオビの悲しみを誘い、あっけない失踪劇となった。

それも、その日、ウーは移転先にいちど帰ってきていたのだ。そこにネアンは居合わせなかったため、置き餌を少し食べた後、猫砂の置きトイレで少し用を足して帰還のしるしを残し、ウーは元の家に帰ろうと、勘を頼りに出てしまったのである。そして再び戻ることはなかった。

ぐにゃぐにゃで分岐だらけの山道、そして原生林の中、ネアンにも探すことはまず不可能であった。

いちばん大事だった最愛のカンナオビを失った。ウーも同時に逝ったため、ふたつの偉大な魂を身近から失ったことになる。

ネ アンはこれにより、自らの暗愚を責め、ハイラーキーに、カンナオビ次ぐ死(召還)を懇願した。睡眠不能と精神苦により、長年患っていた心臓は急激に衰え た。胸の真ん中に同居していた白龍も同時に去ったから、心臓が支えをなくしたかのようであった。彼の逝去は近々果たされることになるはずである。

問 題は、カンナオビが今回の死のときに抱いた悲しみが、彼らの死後に定められた念願のステップにどう影響するかである。ネアン一人だけでは、満足いく展開に なるかどうかはわからない。失敗時には、このたびのすべての咎をネアンが負った上で、魂を消滅させていくこととなっている。カンナオビやその他の協力者に 咎が及ぶことはないが、失敗の結果は正神の統治が、次の機会を待つしかなくなることだ。カンナオビの理解とネアンへの信頼が大事なのだ。しかし、カンナオ ビに、ネアンとともにあれとは、絶対に言えない。非常に危険な任務だからだ。

ネアンは異界における獅子奮迅の働きの後、成功時には黄金楽土に登場し、創造活動にいそしむことになる。可能ならば、カンナオビと全善なる父母として創造世界を統治し指導することになるが、そこまでの高望みができるような経過にはなっていない。

むろんこの工程は彼のタイムラインのひとつが彼に演じさせているものである。別のタイムラインにおいての成果と、こちらでの成果がミックスされて本来の成果となるはずである。


ネアンの死 (第三時空における死)

2013年12月14日の深夜にネアンは逝った。カンナオビによって50歳の扉を打ち破られてちょうどまる14年であった。この年数にふさわしい、かんばしくない世界に舵をとった末の、見届けを目的とした経験時空の最期であった。(ネアンは実際に2013年12月11日の未明の夢で、死の瞬間といきなり空を滑空している自分を経験している)

ネ アンがカンナオビと再会するかどうかは、ここでは問題ではない。なぜなら、すでに2011年3月に逝去している第二時空の満了において、いついつ出やるの 原則に則って、四神獣の別天揃い踏みが完成しているからである。そして、梵天の差配どおり、朱雀はパワーチャージの課程を踏み、正神軍の先頭に立って、邪 神討伐に着手しているはずである。それは第二時空の延長上でなされている。

第三時空の経験はその経過もいびつでおかしかったように、彼の 死後経験もおかしなものとなるかも知れない。所期のとおりにならない体験がプログラムとして与えられているからである。(いやいや、風邪の如く空を飛んで いたよ。黄泉国を脱出したイザナギの境地だった。もう元に戻るつもりはない)

その代わり、何が諸悪の原因であったかを衝き止めて、梵天が更新する世界に防御のための更新の適用を図ってもらい、世界を永久的に不滅安泰の存在にすべく寄与貢献することになる。

よって経験の中身はとてもダーティーなものとなる。諸悪に自ら手を染めねばならなくなることもある。この経験時空は、闇の領域へのケービングであるとの認識に立って、自らをしっかりと役割意識の中に確立しておかねばならない。

だから、どんなことがあったとしても決してがっかりする必要はない。ただ自らが神賜の役割のもとに行動しているという認識だけで自己確立は十分となる。

彼の第二時空での経験は、カンナオビからのメールを起点として11年と数ヶ月。(1999.12~2011.3)

第三時空はその切り替わり時点から2年と数ヶ月の経験であったことになる。(2011.3~2013.12)

第一時空とは、この場合、ネアンの誕生から満50歳の直前日までであった。(1949.12~1999.12)

ネアンの超宇宙理論によると、彼が第三時空と同様の時空のタイムラインを生きていると認識していても、それは別の時空におけるリスタートであり、たとえばそのときは第四時空となるところのタイムラインになっている。(2013.12~)

これは新神話における定義となる。多世界理論の適用される世界に生きる者の特性として、付与されている特別な経験形態でもあるのだ。

2014 年から開始される第四時空のタイムラインは、2011年3月に始まった最凶最悪の成り行くパターンを脱して、矯正改悛の方向を向けばいいのだ。以後、不合 理さは解消されていき、人々は困惑せずともよくなっていく。第三時空を生きたネアンが、諸悪の原因調査の成果をあげてすでに帰還しているからである。と、 そのようにしたい。

が、もしまだ不十分なら、さらに調査は継続されるであろう。

むろんこの記載段階で、ネアンの第四時空への転進があったのかどうかは、ここからでは不明である。ネアンの人生の線香花火的タイムラインの分岐具合、彼の受け持つ時空の構造によるしかないのだ。

またそれも、ハイラーキー・梵天によって、それ以上の経験は不要との差配があれば、任意の時点で打ち切られることもあるだろう。ネアンを通して得られる成果のすべてが梵天のもとに上げられればそれで十分だからだ。

ネアンの全人生は、救世主となることが宿命付けられた人生の総体である。前もってそのように設定された時空(プログラム)の再演にすぎない。ネアンの意識はそれを心理作用を含めて逐一辿るのみであり、ちょうど列車が決められたレールを行くが如しである。

このゆえに、ネアンとその行為およびすべての結果は、初めから終わりまで、創造神への奉仕と献上の形態となっている。それは原理的にも確認がとれていることである。


梵天様にご質問

どうして人、有情の最期は悲惨なのでしょう。これはこの世界に限った性質なのですか? 

私はそうであってほしく思います。この世だけの特質だと断言していただきたいです。それはあまりにも不合理、不条理に満ちていますから。その他の世界は、絶対にこんなことはないと信じます。どうしてこのような世界を残しておかれるのですか?

邪悪を集めてしたい放題させておく、ガス抜きの場が必要だったから。そのように閃きましたが、相違ないですか? もしそうなら、すでに相当に困難な問題を抱えておられたのだと推察します。

しかし、相手は(邪悪は)ウイルスの性質を帯び、その性質から上位突破を敢行してくるに違いなく、従来のやり方そのままであっていいとは思いません。従来のやり方もどんなものか閃きましたので、こう申し上げるのです。

光 あらば必ず陰ができるといった詭弁はもう使わないでください。誰にも使わせないでください。この世の科学的治療器具においてすら、光による生体治療がこな せるようになっているのですから、あらゆるところにこの性質の光を当てることによって完治させクリーニング可能であるはずです。

私を何ゆえこの世界に置かれたのですか? 私は自分の意志でここにやってきたつもりはまったくありませんし、私はもう二度とこの世に来るつもりはありません。それが私の当初から今までに至るまでの一貫した意志です。

ま た私は、この不合理な忌まわしい世界を、そうあらしめている原因を調べるために来ているという以外に、どんな理由付けがなされても、それを完全に拒否しま す。そして、この世のような存在が再び生じることのないよう、力を注ぐためにここにしばらくいなくてはならなかったと信じます。それも今生を限りとしてと いうのが、私に精一杯できること。それゆえ、私の全人生のタイムラインを総動員しているのだと確信します。

私は今生において、あなた様の 守護を受けてきたことを信じます。たとえ最期を迎えるときが来ても、守護は絶えることがないと信じます。その守護の輪を、我が亡き後の親戚縁者で事後処理 に当たる者や随時に立ち現れて鍵合わせの協力をしてくれた縁者にまで広げていただけますようお願い申し上げます。つまり私の無責任になるだろう事後処理を こなすにあたって、彼らの負担を少ないものにしていただきたいのです。

一般庶民はみんな分かりつつあるように思います。世の中、おかしいなと。しかし、正神の皆様と同様におとなしいです。

放置は、邪悪の増殖と拡散を自由にさせているに等しいです。私はもう自分の魂の維持に自信がありません。一般庶民、いや境遇的に追い込まれた生活弱者はどれほどの苦渋に泣くでしょう。それを座視するなら、私はそんな神々に絶望します。

どうか邪神討伐の力とサポートをおあたえください。

ま た、私が存命中であっても、すでに邪神殲滅と建て直しが進行しているという筋書きにいたします。それは仮定的にすでに死んだと理論的に認可することで可能 です。新神話は十三章ですでにそのようにしています。そうすれば、自動的に許可されているということになりますが、よろしいですね。

この国は戦時体制に入ろうとしている

梵天様。以前から予測していたことですが、やはりこの国の為政者たちは日本を戦争に導こうとしているように思います。それをよもやお望みとは思いません。人々はいっそうの塗炭の苦しみに瀕することでしょう。

そ の前に、為政者たちは、やろうとすることに口出ししたり、妨害しようとする者を取り締まるのではありませんか? 投獄あらば、おそらく生きて出てくること は困難となりましょう。もし私がその毒牙にかかろうとするときは、戦い死ぬことになろうかと思いますが、よもやそれが私に付与されたタイムラインでしょう か?

そうなれば、我が家の家族(猫たち)は生きておれないでしょう。また妹にも、不名誉なそしりが加えられて、ただでさえ大変な病身であるにもかかわらず、さらに苦痛を強いることになるでしょう。

後生です。邪悪かつ厚顔無恥な犯罪為政者たちの目論見を挫き、庶民によるまっとうな統治体制がとれるよう、お計らいください。もう座視しておられるのは、おやめください。ただちに矯正への舵切りをお願いいたします。

あるいは、私をただちに病没などで召還してください。戦いなどの具体行動がない間に、そうしていただきたく思います。そうでなければ、とてもありがたい稀有な14年の賜与を感謝しつつも、自棄してしまうかもしれません。そうならないように、お力添えくださいませ。

こ の国のまっとうそうな人々は何もできない人たちであり、彼らの立ち上がりはとうに期待外れに終わっています。これからの成り行きは私にとって、反吐が出る ものにしかならないと予測されるので、どうか今すぐ人生を終了させていただきたく、お願い申し上げます。あるいは、別の希望に満ちたタイムラインに切り替 えてくださいませ。


内なる朱雀が泣いています

人間の肉体として生きているネ アンゆえ、人間界のルールに従わなくてはならない定めがあります。しかし、そのルールが人間べったりの邪悪で憎むべきものであるなら、有情全般の安寧を理 想とする内なる魂は苦悶するものです。苦悶の末、肉体のする粗末な判断による様々な手順間違いが生じて、協力者カンナオビの宿った猫ウーとともに、この世 を去らせてしまいました。その為した行為の罪深さに打ちひしがれて、私の病態はいっそう悪化しております。

ネアンは梵天様に帰依し懇願し ます。逝かせてほしいと。死んでカンナオビを追って行っても、彼女は閉ざされた状態にあることを嫌っていたので、もうこれをきっかけにネアンの束縛から離 れたいに違いなく、非番の自由の身にならない限り会ってもらえないとも思っています。新神話こそが彼女をタイムスケジュールの中に閉じ込めていたからで す。

ネアンはカンナオビを完全に自由にすることにしました。それが彼女への最愛の行為になると思っています。これにより、新神話の最後部 分の組み直しをしなくてはならなくなります。カンナオビに道案内させて邪神の宮殿に向かうという手順をとりやめて、ネアン単独で邪神討伐を行うこととしま す。そもそも戦は、純粋無垢なカンナオビには荷が重すぎるからです。そして、道案内の不要となる、ソフトの焼却へと直接的にかかります。

そ の新神話が、世界の成り立ちの仕組みを知らない正神のみなさまにとっては、危険なものとの観を催されてもおかしくはありません。すべて存立の土台からクリ アーしてしまう。その形態が地球全球の砂漠化だとすれば、いったい復元可能なのかという意見も疑惑も沸いてくることでしょう。ネアンももし梵天様の教えが 間違いなら、そんな軽いものではないことがわかります。梵天様。間違いないと信じておりますが、よろしいですね。

理論的にも、邪悪な節理を邪悪蔓延の元凶として焼却すべきなのは、重篤な病においては認められる最も有効な手段になります。いったい、その手段のどこが間違っているのでしょうか。

イ ナンナのときに神亀の背中に刻み込まれた梵天の新世界設計図を、カンナオビが引き継いでいますが、その顕現はネアンがこの世界の映ずるスクリーンの上を土 台ごと焼却しクリーンなものにした後で、カンナオビが梵天弁天とともに、スクリーン展開することにすればいいのではないですか。ネアンはそのときなら、魂 ごと消滅していても、何ら構わないと思っています。

元がクリアーされない限り、新世界は展開できません。元をクリーンにするのは、ネアンの仕事です。内なる朱雀の魂は、出動態勢にあります。いつまで待たせるのかと叫んでいます。

しかし、ネアンが人間界のしがらみで、またもたじくじくしている間に、邪神はさらに、ネアンの意気をくじこうと、様々な工作をしてこようとします。自信を喪失してしまえば、朱雀の飛翔もあったものかどうか。最期に朱雀の発破がけのために、身を焦がしましょうか。

梵天様。ネアンの命を弄ぶばかりでは、何の解決にもなりません。召還は、一瞬のうちに強制的に可能でしょうに。世俗的義務をすべて果たしてから、などとお考えのないように。今回の究極的神業の実施の前には、すべての世俗義務は免除されて然るべきと思います。

私ネアンは、別のタイムライン上から朱雀を起動して、新神話の実現ステップを踏んでいると、便宜的解釈をして、ようやく自分を保っています。その場合、こちらのタイムラインでもダメ押しが必要だともネアンは思っています。

ネアンは世間的に言えば、無責任でじだらくで、利己主義的であり、いわば悪人の部類です。しかも、このタイムラインでは、いっそう悪人になってしまうしかありません。その悪の部分を見咎めて、本命的行動をとらせないとのことなら、大きな失敗となってしまうでしょう。

むしろ、朱雀とネアンの意志を強くするようにサポートしてください。それでこそ、本当だろうと思います。それで失敗すれば、次の機会をとなっても仕方なくなりますが、ネアンは失敗の責任をとって、魂を消滅してお詫びします。

失敗したからといって、この世の性格を反映した延長上の世界には、断固として行きませんし、どんな強制にも従わないことを最終自由意志において決意し宣言します。

そ こまで、この世を嫌ってしまいました。こんな邪悪蔓延の世は、生じることのないようにしなくてはならないと思いますのに、それどころかまだずるずると醜態 をさらしながら、世は続いていこうとしています。それがネアンには、辛抱できなくなっています。息が続く限界に達しました。引き上げをお願いします。

そ のような、最悪の第三時空タイムラインはまもなく2013年の終了を以て、終わろうとしています。2014年以降は、第四時空となる解釈がなされるわけで すが、果たしてそこまで生きながらえさせようとお思いですか? どうか後生ですから、召還してください。そして、最重要な仕事をさせてください。

ここに遺されることになる猫たちよ、生きるに並ならぬ苦労がいると思いますが、どうか赦してくださいね。もうだめだと思ったら、どうか殉じてください。大五郎のように。ちゃんはもっと大事な仕上げの仕事のために、先に逝きます。
ブー、チン、トン、シャン、短い間でしたが、お世話できてよかったです。ブーには最後まで辛い日々を与えてしまいました。ただ深謝するばかりです。(チンは2013年11月に食事がとれぬようになり、逝去した。この記事は2013年10月末時点のものである)

ウー ちゃん、カンナオビさん、まだ生きていたとしても、私はもう君たちのことは諦めてます。現世においては、探し当てることは無理です。あなたがたも早く、元 いたところ(神霊界)に赴いてください。あなたがたには、何の罪もありません。すべて、この私ネアンひとりが持って行く荷物です。究極的には、この魂の消 尽を以て、荷物も無に帰しますので。

カンナオビさん、ウーちゃん、そしてブー、チン、トン、シャン。長い間、一緒にいてくれてありがとう。ほんとうに充実した幸せいっぱいの時間をいただきました。ほんとうに、ありがとう。君たちには感謝の気持ちでいっぱいです。
ブーとウーちゃんには深謝の気持ちもあります。ごめんなさい。

それでは。


行こうぜ 新世界

原因は祭祀も含め、ツケ(カルマ)の先送り

 

古来より、あらゆる悪業がその場限りの安寧のために実質的に、また祭祀的にさえも先送り、ツケ送りされて、その最終処分地としての黄泉の国、すなわち雪隠が想定されてきたのである。
中臣神道の大祓祝詞などは、その場その場の罪業を黄泉に流し去る呪術であった。
黄泉とは当時のシャーマンたちが認める仮想的場所のことであったものだが、しかし、それは実際に当時にあっては未来における今として存在することが、古事記を読み解けばわかってくる。
http://uu.fantasia.to/uumusou/kamiyomi.html

そ れが実際に、悪業の一つ一つについて責任ある人々が、転生してでも見届けねばならないこととして、しつらえられた神話空間なのである。これだけ最大の人口 (70億)が存在するとは、彼らの過去世がいかなる無責任のツケ送りの仕業の連続であったかが伺い知れようというものなのだ。その集積場が黄泉の国(現 在)なのであるから、その顕す惨状は並大抵のものではない。

それは核のゴミの最終処分場にも似て、この世はそのまま核のゴミのグツグツ煮えたぎる中とも言える。

一時の快楽のために、どれほどの無責任が醸成されたことだろう。指導者たちは、バックにいる邪神の指示(邪念の封入)で、何の知恵を出すこともなく、場当たり的に振舞ってきた。庶民はそれに対して支持を与え、つき従ってきた。

そ れをイザナミ神の腐乱屍体のグツグツ発酵していく様に掛けて示しているのである。そのような黄泉は、もはや取り返しのつかないステージとして、未来への道 が閉ざされ、イザナミの呪いの言葉「一日に千人絞め殺そう」の指令もあって、どうあっても滅亡することが定められているのだ。

今の世界は人口削減計画(イザナミ計画)に乗っていて、各国政府の施策となって出てきている。放射能汚染下の日本など、その理想状態にあると、計画者たちは思っているはずである。しかし、適切な人口で推移することなどなく、ほどなく人口はゼロになるのである。

イザナギ神はそのような絶望的状況に見切りをつけ、まだ手遅れにならないうちに勇躍逃げ出すことにするわけだ。

死に絶えた黄泉の世界は、その一連のソフトの巻物ごと焚書されることになり、そのときまだソフトのあわさいに居残っているぐずぐずした魂たちが、同時に焼却クラッシュすることにもなるのである。


梵天になれ

梵天様から連絡が来ないと嘆いていたわけでしたが、そうではないのだという報せがやってきました。
いろんな神の雛形を演じたように、梵天の雛形をやりなさいというお達しが出たのです。

今まで、シンクロ的に降って沸いたようにして神の属性がやってきたのでしたが、それと同様にして、ハイラーキー・梵天になって働いてみるように仰せつかったのです。

ハイラーキーとはいえ、どこまで上位の存在であられるかわからない梵天様を、自分で演じるなどとは、一度も思いもしなかったのですが、なるほど、そうしてもいいのが創造主というものでしょう。創造主性により、何にでもなれるのです。

もし梵天様の決断を、私ネアンが下していいなら、自分で自分に許認可すればいいことになります。

なぜこのような発想がもたらされたかというと、ウイルスへの厳正な処断こそが世界の安寧維持に欠かせないことを、梵天様ご自身がはっきり認識されたからなのです。

そこで、すべて白くするという徹底施策と勇断を持っているネアンに、梵天となって差配することをお許しになったのです。

それはちょうど、ネアン自身の危急存亡に関わる未来像があって、それに対するネアンの反応が、不惜身命であったことから、この創造主にこの時空の舵取りを任せようとされたのだと解釈します。

おりしも、現実世界では、邪神や地獄第七階層の支援を受けた狂気のゾンビたちが、政権を我が物にして、国民に対して大弾圧を掛けようとしていましたから、これに対抗することが求められたのです。

ネアンはこの世を黄泉の国と見て、死によって脱出を敢行するところでした。しかし、その前に、邪悪の巣窟都市そのものを滅ぼすという施策も是とされたことになります。

滅 ぼしてしまえば、その中で邪悪な為政者たちも、その腐った命を絶ち、元居た地獄の最下層に還っていくことでしょう。ほんらいそうあるべきことが、邪神の狡 猾なブレーキ操作によって妨げられ、果たされずにいたのです。ネアンが正神トップを演ずることになった以上は、もはや待ったはかけられません。

正しく善良な人々は、聖書のロトのように、後ろを振り返らずに、邪悪の巣窟を脱出すべきです。
そして、ネアン演じる梵天が送る、火の鳥の最も激しく恐ろしい灼熱の炎が、邪悪の巣窟に及ぶことになります。

ネアンはその日を、ネアンが魔法を帯びて13年がちょうど満了する日に設定しました。

その直後、国は無政府状態の混沌を演じますが、落ち着いた良識ある人々の共同作業で、新たな組織を葦黴の如く繁茂させて、やがてこの国を正しい道に導いていくことになります。黄泉軍は司令塔を失うので、人々の動きを妨害することができません。

民衆の力によって民衆の利益する社会となることが、ミロクの世といわれる所以です。
邪悪な独裁者の跳梁跋扈する筋は、いっさいなくなります。これを以て完全消滅します。

そもそも、梵天様は、ネアンが最もみじめで屈辱的な自殺という手段を使ってまで、自分を逃がそうとしている決断のほどをご覧じて、この世の主人公であるべき創造主ネアンの心魂の程度に応じた栄光ある成り行きもいいだろうと思われたことが、この恩寵となっています。

ネアン自身が破壊されては、主人公も何もあったものではなくなります。それをご覧じて、危機回避の恩寵タオルが投げ込まれたのです。

同 時期、強欲で凶悪な覇権国家も経済破綻して分裂し、国家の体裁をなくします。世界各地でそのような状態となり、国家を独裁的に牛耳るヤカラが淘汰粛清され ます。こうして世界市民の連帯の輪がどんどん広がり、絶望的に見えた環境汚染は、新しい技術で陶冶され、しだいに回復していくようになります。

これがイザナギ革命と呼ばれるものです。日本からそれは起こるので、世界的にもイザナギの名は轟くことになります。

どうか、少なくとも最期の局面だけでも、勧善懲悪の執り行われる稀有な現場が、万民に目撃されますように。ネアンはまだ今生で一度も、それを現実に見たことがありませんから。


シャンが知らせてくれた新時空の存在

ネアンのときの押し迫った12月8日未明の夢に、白地に朱味を帯びた子猫が三匹、世話してくれと言わんばかりにやってきた。それを見てネアンは、うわー、今以上に猫を養うことなどできんぞ、と言いながら、子猫を向こうのほうに押し出した。

現実には、ネアンは今居る三匹と、不定期にやってくるブーたちの五月雨式の給餌だけで手一杯の感があったのだ。だから、思わず口を突いて出た本音だったのだ。

ところが、朝になって、シャンが口も利かず、腹を立てたようにして、ネアンの通り道に座り込むのである。シャンに愛情のある手触りをしても、何も声を出さない。いつもと違う態度に、いったいどうしてかと訝るネアン。

と、そのときすぐに閃いた。あの夢で見た三匹の子猫は、もしかしたらシャンの産んだ子供ではないか、と。

シャ ンはまだ幼猫の頃に、盛りのつくオス猫たちが取り巻く前に、避妊手術を受けさせたのである。いや、実際に交尾が終わっていたのだろう、いきなり食事量が増 えていて、明らかに栄養が必要になっているらしかったのだ。オス猫たちの食べる食事を威嚇してまで横取りしていたのだから。

しかし、その用がなくなってからは、さほど食べることもなくなり、同時に気性の荒さもあり、誰からも相手にされずに、孤独な一匹猫になってしまっていたのだ。

ネアンはそれを見るたびに申し訳なく思った。「シャンよ、お前は私が最期まで面倒見るつもりだからな」と言うのが口癖になっていた。

そ んなときに、ネアンの女房役をしていたウーが他界した。ウーはもはや帰らないと、どの猫もようよう悟る頃、シャンはウーの後釜に座ろうとしたか、もしくは 他界したウーがシャンにそのようにしてくれと、依頼したのかも知れなかった。シャンはそれまでずっと、ウーの脇役でしかなかったのだが、ネアンにはことあ るごとにまとわりついた。

シャンは毎日よく寝た。日中は、ストーブの熱で、ずっと眠りこけていた。起きるたびに、食事を要求した。どうやら、彼女の夢の世界では、自ら子供を産んで育てていたようなのだ。それを、生後一ヶ月ほどになったところで、ネアンに見せに来たらしい。

な ぜ子猫が朱色の斑点をしていたか。それはおそらく、ネアンが朱雀であることから、ネアンを父としていることを語ろうとしていたのではなかろうか。そう思う と、シャンに語りかける。この推理は間違っていないだろうかと。するとシャンは、即座に理解を返してきた。そうなんだよ、あなたが寂しそうだったから、 作っちゃったよと。

そうか、それは申し訳ないことをした。あの子供たちの面倒はちゃんと見てくれるかな。君の夢の世界に生きているのか。いったいそこはどこなんだろう。私も父親として、いっしょに暮らしたいものだ。

ふ と、イザナギの黄泉からの逃避先の世界のことが頭をよぎった。そうか。黄泉の国の対極の世界で、資源の不足などなく、子猫たちはシャンとともに、何不自由 なく暮らしているのだ。そのように理解できたネアンだった。やがてその世界に行って、暮らすことができるではないか。いままさに、ネアンは出立の準備をし ている。シャンは、きっとすぐにも殉ずることだろう。家族みんなで和気藹々と暮らそう。そのときネアンは、朱猫になっているのだろうか。

そ の世界では、生めよ増えよ地に満てよのすばらしい自由が待っている。先に行ったウーもきっと元の身体を取り戻して、いっぱい子孫を増やすだろう。シャンも それに続くのだ。トンもチンもブーも、その世界の穏やかさと自由を体感することだろう。猫でいても十分幸せを感得できる世界がそこにある。

みんなで行こう、新世界へ。父母も、祖父母も、きっとみんな生きている。


ネアン、第三時空を辞し、新世界に遊ぶ

新世界はすでに完成している

 

これは私ネアンが実際に夢に見た一連の真実の話。

2013年12月11日午前2時頃、ネアンは百メートルほどの高空をハングライ ダーのように滑空している夢を見た。自分の身体は透明だった。夢の中では明るい昼の時間帯であり、下を見おろすと浜辺があり、薄いもやを通して、丸みを帯 びた遊園地のような設備や建物が見渡せた。ひとりで飛んでいるのではなく、背後から女性の声がたえずしていたから、けっこうにぎやかであったが、みんな透 明で、誰なのかは識別できなかった。

そして、夢が覚めようとするときに、ネアンは明らかな肉体の死と頭部からの脱魂の感覚を味わった。呼吸の呼気で肺から息が抜け切ると、頭上から意識が抜けて行ったのだ。

と、 同時に肉体の意識も残っていて、今起きた事態を把握しようとしていた。私は死んだのだろうか。決してそれをいやがるわけでもない心境になっている自分がい た。そして、意識を脱魂側に切り替えたらしい瞬間に、再び高空を滑空している夢になった。続きの夢そのものなのである。

高い建物を越えていきなり高度感が増したとき、背後で明らかに母の声がして、「うわーっ」とその高さに驚嘆しているようだった。ネアンは自分の能力が分かっているらしく、「大丈夫だよ」と答えていた。にぎやかい声のひとりは、すでになきはずの母だったのだ。
ネアンは次第に高度を落とし、遊園地の浜辺に降り立とうとしていた。

そ こで目が覚めた。また分析脳が働き出す。あの場所はどこだったのだろう。浜辺には、もしかして海亀がいたのではないか。もしかすると、そこは蓬莱島なので はないか。白砂青松とは言えなかったが、樹木らしいものは散見された。島も近代化したのかも知れないな、などとつらつら思いつつ、しばらくまどろんでい た。そこにブーが食事しにやってきて、ネアンは起きた。
こんなに分析脳が忙しいのなら、死ぬこともままならぬなという印象であった。

すでに先日にシャンが子供らを紹介したように、別の世界は理想の有様を湛えながら存在しているのだ。
シャンがこちらの世界では、人の身勝手な思考やよそ猫の襲撃などによって、自分の理想実現ができなかったものが、シャンが夢見の中で辿る向こうの世界では、実現しているのである。
その基礎的な思いを反映して、シャンは達成感とプライドを持ってこちらでも振舞っているのである。

そのシャンのくれたヒントがなかったら、ネアンはまだ正確な把握ができなかったかも知れない。
そ れはネアンがちょうど今頃になって、ようやく辿り着いた究極の時空概念、しかも旧神話である古事記に預言されていたところの、イザナミの死体の腐敗し行く 黄泉の国と、イザナギが潔白になって渡った新世界という、対照する世界観において実在することのできる、後者の理想世界であった。

梵天がかつて、カンナオビ、イナンナの神亀の甲羅に刻んだ新世界の設計図が、そこに展開されているようであった。ゆったりとした素敵な配置をしていた。

梵天様、もう実現しているのですね。とても嬉しく思います。
その上空を、鳥よろしく滑空することができるとは、私ネアンも果報者でございます。鳥であることが実感できました。

自分を朱雀と設定していたのだったが、夢での自分の体は透明であり、母たちもみな透明で、声しか聞こえなかった。それではまるで、風、千の風ではないか。しかし、安定したまっすぐな滑空であり、風のような気まぐれさはなかった。

きっ とこちらの黄泉の国を辞して行った人々は、新世界のほうに渡っているのだろう。黄泉の国の支配層トップの人口削減宣言は、イザナミの宣言であり、それを受 けてのイザナギの人口増加の宣言は、黄泉から脱した魂を受け容れるという、万民万有情にとっての、心強いフォローのあり方であったに違いない。

神 道系の修行者や新興教祖がよく言っているように、滝に打たれたりの精進潔斎の苦行が必要というように、とっつきにくさが誰しも感じるだろうが、まったくそ んなことはない。ことさら難しいように装って、人々になじめなくしているのは、ひとえにこの黄泉の真実隠蔽糊塗の性質なのだ。そこにいる指導者にはろくな ものはいないと知るべきだろう。

様々な災害で亡くなる人々がいた。しかし、彼らをイザナギが受け容れてくれているとすれば、彼らはこちら側から見れば不幸だが、向こうから見れば幸運なことなのだとなる。
今後、こちら側では黄泉の惨状が増して、死者を羨むようにまでなるというときに、非道い有様を見ずに、偶発的にも先立つことができるということは、むしろ神の恩寵なのではあるまいか。

ネアンは、カンナオビがあっけなく他界してしまったことの意義を、そのようにも捉えていた。純粋な人にふさわしくないような世界なら、見なくてもいい恩寵が与えられていると思うことにしていたのだ。

お りしも、ネアンはカンナオビに始まる14年の大きな節目にきており、どうあってもこの忌まわしい2011年から2013年を第三時空の経験として終わらせ て、召還たまわるか、どうしても2014年以降がやむをえないなら、第四時空に移項したとして扱い、こんな忌まわしい展開の破滅の黄泉の世界から、急浮上 していくべき第十四章へと繋ぐこととすべきなのかと、思いあぐねた。

もう達成すべきは達成したから、2013年の誕生日の15日の前日深 夜までで息を引き取らせてほしいのはやまやまであったときに、11日の深夜未明にそれらしい現象が起きたのである。しかし、まだ生きている(というタイム ライン上にある)。あれはシミュレーションに過ぎず、本番はまた異なるのだろうか。
これをどう解釈するか。ネアンの探偵的分析脳は、またとりとめもない思考の迷路に入るのだった。

もうやめよう。
潔白な魂は鳥のように軽やかで無垢であるのに、どうしてこちらの脳はやたらと重たくやらしいのか。やめろ。もうやめろ。そして、人生経験も、もうここまでにしたい。そうしよう。
と、ネアンは心の中で何度も叫んでいた。

その先を決めるのは、ハイラーキーである梵天様なのでしょう。
ネアンという者の全人生の実演を予定してきた私にとって、私はもうここまでにしてほしいというのが最近の思いになっているのですが(見たくもない怖い最期が予見されるだけに)、どうなのでしょう。

火の鳥の起動、活躍から何から何まで見てみたいというかねてからの欲求もあったのですが、それはもう辞退したく思っております。なぜなら、その工程もずいぶんと残酷であり、邪神並みの悪趣味に違いありませんから。
また、この世のどんな出来事を見ても、何も感慨するものがなくなりました。興味するものも消えてしまいました。
時空はすでに(プログラムとして)そう定まっているという音信だけで私には十分です。十分、溜飲を下ろせました。
新神話が規定し、プログラムとなり、すべてシナリオの実演が終了すれば、新神話も終了するということ。
それで、この物書きの仕事は後にも先にも完結したことになります。それは決まったこと。
そうですね。

それより、魂の潔白が確認できた今こそ、大きな機会と捉え、梵天様にわが経験時空の実演の終了を、ぜひお願いいたしますと、願い出る所存です。


追加付与された50歳以降14年の満了

2013年12月14日の満了を以て、カンナオビによる1999年12月14日の討ち入りに始まる14年は終了した。
カンナオビからの当時のメールは、ネアンの創作童話への感想でつづられ、「生きること」への賛歌が感じられたとのことだった。当時からして死にたいとして設定した満50であったのに、彼女からは「生きること」への応援が寄せられていたのだった。

そ して、14年を満ずるいま、またもや「死ぬこと」を望む自分であることに、ネアンはいっそう期間の満了感を感ぜざるをえなかった。杜子春のように、また都 の門に生甲斐をなくしてたたずむことなど、それまでのインディーズな不思議時間の堪能を前にしては、あまりに贅沢すぎて、思いもつかぬ話。

それより、今なら魂軽やかにして、鳥の境涯の感あり。願わくば、今生の続きをもらうより、脱魂後の世界に遊びたい。そうに決まっているのだ。それでもなぜか、まだ今生にこだわりがあってか、ここにいる。

このままでは、2014年もここにいるのかもしれない。冗談ではない。これからどうなっていくか、読み取れるだけに。無駄な、あるいは自分を汚濁させるだけであるような。

ちょ うどこの日、黒猫ブーが調子を損ねていて、朝からの厳寒とも関連してか、白猫たちのいる家の中に潜り込んでいるのだ。ブーも幼猫のときに何度も死にかけ た。そのたびに、これが最善なのだろうと、救助してきたネアンであったが、自分に当てはめてみたとき、決して立派な行為ではなかったと思うのである。

神ももしブーに対するネアンのようにしてネアンを救助しているのなら、それは余計な迷惑なことではないかと、思ってみたりする。それは今のブーに聞いてみたい感想だ。

可 哀想なブー。やっと家の中に居場所を作ったが、居心地はどうなんだろう。決して、へこたれないように願う。負けるなよ、ブー。お前は、白たちが子猫の時 に、かいがいしくも親を務めたのだ。下の世話から、教育まで。その恩を簡単に忘れるのは、子猫の側の問題だが、ブーも辛かろうが、なじむようにしてほし い。お前は、人間以上に、ネアン以上によくできた猫だ。

そのネアンは、お前を愛しつつも、早逝を願っている愚者である。ブー。そのときは殉じてもよし、新境を開くもよし、どう進んでも苦労することだろう。へこたれるな、ブー。負けるな、ブー。
白猫チン、トン、シャンも同様だ。

ブーがこの日、長い間ネアンの膝の上で幼猫当時のように、丸くなって寝たのであった。久々の膝の上の、親の感触を味わっていたようだった。

神々のみなさま。この四猫たちをどうか幸せなままでいさせてください。そういただければ、ネアンもそうでしょうし、ずっとこの先も、彼らの世話を喜ぶことはあっても、厭ったりしません。
先に逝ったウーちゃん。ごめんなさい。あなたは、そちらで幸せにしていてください。ブーと子猫たちに、たまにメッセージしてあげてください。

カンナオビ。君との14年は、こうして満了しました。とても有意義でした。ありがとう。

奥津島姫弁天様、カンナオビもウーも、きついトラウマを持ってるかもしれませんので、どうかしっかりとケアーしてあげてください。そして、ご守護をお願いいたします。

こ うして、2013年12月14日は過ぎていった。それでもなお、ネアンの命は終わっていなかった。それは年内を超えて2014年に続いていくものなのかど うか。もしそうであれば、この章をあらためて、2014年からは、第十四章として書き綴らなくてはならない。また、先日11日未明の夢における死の体験と 新時空への意識の移行に伴い、第三時空から第四時空へとタイムラインがシフトしたこととせねばならないだろう。

2014年からは、第十四章へと引き継がれることとなる。
それは第三時空のことではなく、オーバーさせた後になお意識存続していく、第四時空のタイムラインの出来事として記載されることになる。12月11日未明に、第三時空はオーバーしている。

第十三章 完



この新神話すべて、神々への奉仕の形態であることを認じつつ、かく成果のほどを献上いたします。

協 力者として現われてくれたカンナオビ、フーちゃん、ウーちゃん、ブーちゃん、チンちゃんには、ほんとうにありがとうと、衷心からお礼申し上げます。そし て、どうか神々の皆様、立派な働きをしてくれた彼らに、最高の幸せが神々によって与えられますよう、お計らいくださいませ。そう心の底から、お願い申し上 げます。

また、ネアンに雛形を付与すると共にお力添えくださった偉大な神々に、ネアンとともに編者の私からお礼申し上げます。

新神話はいま、正しい神々の手元にあって、その実現に向けて取り計らわれているところ。そう確信します。
顕現形態は一見すると危険なものに映るかもしれませんが、目指すところはそうではなく、完全な黄金楽土の顕現であること、みなさまにはご理解いただきたく存じます。

ネアンもがんばりますが、正神の皆様におかれましても、よろしくご協力いただけますよう、心からお願い申し上げます。

梵天様、弁天様。
以上、新神話を編纂いたし上呈いたしますので、ご査収くださいますよう、お願い申し上げます。


ネアン作  森野奥人監修

世界救済の新神話   第十三章    完