閉じる


夜明けの旅人

 

小さな宇宙は、できあがってもできあがっても、壊されていく。
どんな理想を閉じ込めた宇宙の卵も、また理想を抱いて育とうとする赤子も、狼犬によ って食われてしまう。
それは大きな宇宙を存続させるために必要なのか?
いままでその片棒を担がされてきたのが、その成行を哀しむ当の鶴と亀、そして火の鳥 なのか?
そんなときに、ネアンにはこれといって解答は出せなかったが、本体である梵天がかつ てのように、ネアンの抱える 様々な疑問に少しずつ説明を与えていた。

「人界の人々の歴史が大きなゲームとするなら、神々もゲーム好きだったことになる。
トップレベルの神々は、神話をもって神々を舞わせ、人界に神話の象徴する出来事の集 成、つまり歴史を作ろうとした。
このために、人界に神話作りの権限を持たせ、神々はそれに基づいて神話の舞を舞い、 理念が言霊界の振動を介して時系列的に人々の精神に作用し、ひ とりでに歴史顕現の機 運となるような仕組みを作ったのだ。
いっぽう神々はその中に、みずからの分霊を化身させ、歴史の展開をモニターさせた。 そのモニターにもレベルがある。
単に世相を見聞きして、歴 史が所期のとおり作動しているかどうか調べる第一レベルの 者。
時の兆候として、神話の役柄を小宇宙にそのまま持ちこみ、自らの行動で歴史を牽引す る第二レベルの者。
第二レベルの者は、宇宙から小宇宙に至るあらゆる相似像の中で多様な存在となり、ま たいっぽうで陰と陽の役柄があった。

彼らを”時の雫”という。
陽の役柄の者は、小宇宙の歴史の上に確かな歩みをつけるために、神々の公認で現実を 思うようにできる力を持たされていた。
いっぽう、陰の”時の雫”は、神々がそれぞれに任意に放った者であり、他の神々には 易々とそうとは気取られぬ特質が持たせてあった。
いわば隠密であり、工 作員なのだ。神 話の役柄を持ち併せながら、表 立たず市井に生き、 神話の型を演じて祭り事をすることにより時の兆候を先導し、歴 史を円滑に誘導すると いう特質を持っていた。
人体も小宇宙といえる。” 時の雫”の中には時の兆候を、つまり歴史の相似像を自分の 体に体現している者もいた。彼は彼自身の病態で世間の病態を演じ、世間が死に瀕する とき、彼も死に瀕した。
かつて維摩という者がそうであった。そ の特質の多様さは神霊のプライバシーのような ものであり、たとえ同列の神々といえども、理解しにくいものがある。
それはまるで氷山のようなものである。力も現れも、表立って少ないが、海面下には巨 大な作用を及ぼしている場合がある。
ネアン。君にはそうした役割がある。世間の誰にも、理解されることはないし、神々す らも君の存在意義は理解し難いだろう。
だが、役割を付与する者が確かにいることを知っていてくれたまえ」

また、イナンナにも夢を介して梵天が現れて、主として視覚に訴えるやり方で知識を付 与していた。
だが現実に知識を持ち越すには、翻訳機である頭脳が予備知識不足であったり、機能的 にまだ未熟さがあった。

このため、「本体様が出てきて、空間にいろいろあらわして見せてくれたのよ。そのと きには分かった気がしたんだけど、どんなだったか忘れてしまったわ」としばしばネア ンに残念そうに答えていた。

イナンナは、その年の秋に不思議な夢を見た。
幸せなある日の昼下がり、いちばん下の子の相手をするうち、その子が眠ってしまった 合間に、うとうとして夢を見たのである。その内容が驚異的であったため、電脳的手段 でネアンのところに書いてよこした。

「今日お昼、うとうとしていたら不思議な夢を見ました。
夢の中でイナンナは大きな亀になって水に浮かんでいました。
背中の六角の甲羅のひとつひとつには違う世界が詰まっていて、そ れぞれに七色に輝い ていました。
ああこれが玄武、五 色の亀とは私のことなのだと、不 思議なほど自然にそう思いました。
ところが浮かんでいた湖が旱魃でどんどん水が減っていきました。
あたりの村村ではたくさんの人々が餓えに苦しんでいます。
イナンナにはわかりました。
イナンナがこの玄武の体を捨てて、背中の世界を解放すれば、皆を救えるのです。
甲羅の中には、豊かな水と、地上天国の基になる世界の、なんて言えばいいのかな?
細胞の元、のようなものがいっぱい詰まっているのですから。
とうとうイナンナはあきらめました。
この肉体を捨てようと思いました。
でも最後にあなたに会いたいと思いました。
肉体をすてれば、愛しいあなたにもう抱きしめてもらうこともできません。
そしてまるで人魚姫のように、美しい乙女になって、水から上がりあなたに会いに行き ました。
でも不思議なことに、捜し求めたあなたも実は朱雀の化身だったのです。
朱雀は痛みきったこの世界を火炎で焼き尽くし、良 い世界にたてなおそうと思っていま した。
あなたもその火炎を解放する為に、解脱しようと考えていました。
そこで二人は話し合い、お互いの肉体を捨て、解脱することにしました。
鶴と亀の、朱雀と玄武の魂が交じり合い、新しい世界が生まれ、はぐくまれていきまし た。
ああこれが鶴と亀が統べるという意味なのだと、イナンナにはわかりました。
そして私たちはひとつになって、宇宙そのものに戻って行ったのです。
とてもとても暖かな世界でした」

そしてある日、出会って、その夢のことを語らい合う。
「付け加えて言うけど、それがあまりにリアルで不思議なの。
私は湖の中から、目だけを水の上に出していて、陸や空を見ているのだけれど、亀は目 が頭の両側についているじゃない。
視界が人間のそれじゃあなくて、広角レンズのように広い視界が得られていたのよ。あ んなの初めて」

「それはまったく、そのものずばりに成りきっていたってことだ。
君の前世の記憶、いや君自身が本体に戻って経験したのでなければ、何なのだろう。
ぼくらは宇宙を創るためにいたんだろうか。
ぼくが朱雀で火炎で世界を焼き尽くす。
君は、そこからどう立て直すか知っている。
絶妙なコンビネーションじゃないか。
確かに、ぼくは過激な火の鳥のような短気な気性をしている。
君はぼくの性格や考え方を的確に夢に見てくれたんだ。
前に発案して作った本は、これを出せば、邪まな秘教に支配された世界が終焉を迎える だろうという確信を半分抱きながら世に出した。
まさにその通りになりつつあるのを見て、恐ろしい気にもなっている。これで良かった のだろうかと。
だが、そんな過激なぼくに、もっと豊かなプランへの誘いをしてくれたのが君だ。
ただつぶれて、そ の後反省したものが一から作り直せば良いというのでは救世にならな い。
また同じことの繰り返しになるだろう。
君が現れて、ぼくを愛してくれたからこそ、目が開けたんだ。
ぼくはこれからは、一人で事をやるのではなく、君 と二人で協力し合わないといけない と知った。
イナンナは亀をシンボルとする乙姫であり、御 神体は神亀であり玄武であり竜神であり 白蛇なんだ。
つまり、海陸、大地を守る神だ。それを補おうとするなら、空を知る鶴、朱雀、火の鳥 がなくてはならない。
空と大地の知恵が合して、はじめて地球は円満になる。
それが、鶴亀渾るの意味ではないのか」

「私には亀甲紋のそれぞれに、この世を作るに必要な要素が詰まっていると、自分で分 かるの。
それを元にすれば、必ず良い世界が作れることも分かっていた。
玄武の私は素材を提供し、朱雀のあなたはこの世を浄化し、二人して要素を撹拌して新 しい宇宙を育むの。そう直感したわ」
「それはそうと、ぼくが朱雀だなんて、本当なんだろうか。まだ半信半疑だよ。
ぼくは鈍感で、夢見も満足にいかない。この年になったから、夢見に至るほどのスタミ ナがないのかと思ったりもする」

「あなたは無理しなくていいの。そこにそうしているだけで偉大なんだから」
「自分で分からなくとも、分かってくれる人がいて、偉大な神獣にさえ数えてもらえる なんて。不思議で本当に光栄だ。
鶴亀が出会った後で、日野・鳥取で火の鳥復活。ぼくはその火の鳥でもあるのか?
そんな力など、どこにもないぞ。
鶴亀のシンボル合わせのように、二人して体現の形を合一させて新しい宇宙を作り、ぼ くらは霊的な宇宙父母として合身して、これを守護し育むというのか?
そんなとてつもない存在なのか?ぼくらは」

「私たちは、そのとてつもない存在の雫なのよ。
最低限、それは確かよ。梵様もそう言ってた。
そして、私たちが肉体を捨てるとき、つまりこの世を去るとき、きっと朱雀と玄武とな った意識のもとで、この神話を二人して演ずることになると思うわよ」
「だけど、時の雫だとすれば、なにもぼくらだけとは限らないんじゃないか?
ちょっと自信がないからこんなことを言うのかもしれないけれど、ぼ くらみたいなカッ プルが他にも幾組もいて、ぼくらがうまく行かなかったとしても、どこか別のところで 達成できたらいいようになっているんじゃないのかな?
だからといって、いい加減であってはいけないけどね」

「ネアン。違うよ。この世を救えるのは、私たちだけ。
私たちは、私たちの理想とする世界を作るのよ。
誰にも邪魔されない。
他のグループは、他の理想的宇宙を作ろうとするでしょう。
そうやって、彼らは彼らの、世の建て直しに向かって努力する。
私たちは私たちなのよ」

イナンナは世に出て見聞して、何が真の理想であるかを見極め、それを神亀の甲羅に蓄 える。
それはもうすでに始まっているわけだが、理 想は新しい宇宙という赤子を生むためのD NAにコピーされ、造形の原動力となる日を待つのである。
理想は日々新たな発見のたびにDNAの情報が追加更新されていくのである。
一歩一歩着実に、歴史も進む。理想の更新と理想発現に向けての象徴的な努力が重ねら れている。

一方では、二人の拠って来るところの謎解きが進められた。
その謎が解かれることそれ自体が、二人の持つ力を倍化させるものとなるのだ。
表面的には、互いの信頼関係を高め、絆の強さを生むだけのようであったが、二人の間 に伏在し還流するエネルギーに良い影響を与えるのである。
その結果、理想形の更新と発現に向けての動きがスムーズになるのである。
二人の良好な関係を永続させねばならぬかのように、イ ナンナの話題はまるでシェヘラ ザード姫のように尽きざる泉の如しであった。

夢見、宗教観、神話、御伽噺、臨死体験などから適宜出てくる話題は、かつて夢見やい くつもの神秘体験をしたとはいえ、今 はもう夢を見ることもめっきり減った現実にのみ 生きる精彩を欠く王ネアンの目を開き、神 話世界が紛れもなく存在することを思い描か せたのである。

たとえば、このような話は、ネアンを大いに驚かせた。
イナンナの臨死あるいはその前後の霊媒状態における話は、壮絶な迫力があった。
イナンナは、碧空にたくさんの仏たちがそれぞれ雲に乗り飛来して、イナンナの頭上で 雲上ダンスを踊るという、気味の悪いビジョンを見た。
それはそれぞれが躍動的にリアルに踊っているのであり、原色の世界像とあいまって、 鮮烈な印象をイナンナに与えた。
仏たちは、ま るで帰依の対象となるような静的な仏像のイメージではまったくなかった。
同じものを、柳田邦夫も臨死のときに見ているという。
初めて見る仏の素顔なのか?
そしてその中で最もイナンナを怖がらせたのは、恐ろしい顔の馬であった。
これは馬頭観音とされる神であったろう。(ネアン解釈)
謎のビジョンに曝されてなお目まぐるしく変わる世界像に翻弄されるイナンナ。
そのようなビジョンも、まだしも十日にも渡る臨死のビジョンの全体からすれば、ほん の一部。
その後、最後の審判であろうか、時の司祭の矢継ぎ早の質問に受け答えせねばならない 過程がやってくる。
それを全問正答してようやく、死の淵から生還することにもなるわけである。

 

それに対してネアンは、かつて興味して読み解題した知識で語り明かそうとした。
「君はたぶん、チ ベットの死者の書が語る中陰のビジョンそのものを体験してきたのだ ろう。
それは釈迦がヨガの技術によって死者が立ち行く七七、四 十九日の経験時空を見てきた ものを伝えたとされている。
はじめ柔和な神々といっても仏だけれど、日を変えて次々と出て来る。これが七日間。
そして、死者に啓発を与える。そのとき、死者は自らの魂をそこに解け込ませることが できたなら、仏の意識と合体して解脱が得られるとされている。
それが期間内に解脱が果たせなかったなら、次 の七日間は憤怒の神々が立ち現れてくる という。
それは威圧感を持って死者を導こうとするんだけど、そこでも死者が悟れず、憤怒の仏 と意識が同化できなかったなら、 いよいよ悪魔や審判者が出てきて死者に試験を与え、つ いに輪廻先が決まる再誕生先の ビジョンが現れてくるというんだ。
どのときも、立 ち現れる現象を空と観じて心を平衡に保つことができたならまだしも解 脱できるとされている。
君は、釈迦が見てきたものを、しっかりそのまま見てきたのかもしれないなあ。
しかし、君から聞く限りでは、とてもそんな仏を仏と見ることなどできないだろう。
死者の書のガイドがあったとしても、そんな内容の仰々しさでは、普通の人はついてい けないよ。
だから、ぼくはおかしいと思う。
チベット人にだけ経験されるというなら別だが、君 もそんなこと知らずに経験してきた ように、誰でも同じビジョンを見るのだとするなら、まるでお前は解脱などするなとい っているに等しいじゃないか」

「そうね。あんな見せつけられかたしたんじゃ、気 持ち悪くてとても帰依なんかできな いよね」
「だから、中陰の幻影というのは、単なる手続きなんだと思うよ。ただ、こんなのがあ るよって感じのね。だったら、何のためのものなんだろう。
もう一つ考えられることがある。君が見た臨死における仏や魔神のビジョンは、チベッ ト密教で観想する時の集会樹というものなのではないかな。
ただし、チベットの観想は仏画にあるように、静的な神仏をイメージするのであり、雲 上のダイナミックな躍動なんてものではない。
密教修行者が観想するのは2D。君の見たビジョンは3Dであるだけに、もしかすると 原型なのではないだろうか。
ということは、密教の先達者が到達し得た、後輩に伝えるべき生のビジョンを、君がな りゆきの中で難なく見てしまったということになる。
チベット仏教・ニンマ派の開祖パドマ・サンババは、神仏の宿る集会樹のビジョンを伝 えたけど、これは一種の生命の木のことだ。
それが君の見たものに近いのではないか。
そこには如意宝という樹木の体系の中に著名な仏や守護神たちが多く集まっているん だ。
ヘルカという守護神は、およそが馬頭で形相凄まじい。この中に出てくるハヤグリーバ は馬頭ヘルカとされ、妨げになるものから修行者を守るという神だ。
有名な馬頭観音もこの中にいる。
パドマ・サンババも、どうやったらこんな仰々しいビジョンで解脱できるか、かなり知 恵を絞って、集会樹のイメージを作ったんじゃないかな。
集会樹の真ん中には、密教の開祖パドマ・サンババが裸体の明妃と交合する形で座る。
この原型が人類に普遍的なものなら別だが、もしチベットに特有のビジョンなら、君は 密教修行者であったか、そこに出てくる神であったのかもしれないね。
SEXする形態の修行法を与えているのは、密教のヨガの特長だ。君の苦行と、新しい 悪種をまかない態度は、この教えによる気もする。
君はクンダリーニが覚醒しやすいし。臨死だって、クンダリーニ覚醒によるものである に違いないんだ。
死にともなってクンダリーニが解放されるか、そ れとも修行によって解放されるかの違 いだ。
中陰とは、意識がクンダリーニに乗り移って経験する出来事とも言える。そこから、奇 跡の生還を果たすなんて。 どうあっても、君はすごいよ」

また、イナンナは、短歌を詠むようになっていた。
それも、ネアンと知り合ってから、花開いた趣味であった。
それまでの家庭生活においては、その能力は完全に埋没した状態にあった。
つまり、死んだように生きた状態から、生き返ったという感じなのである。
ところが、その才能はどこから来たものか、異彩を放ったのである。
彼女の両親の信仰する宗教団体において、数ある投稿者の中から、彼女の短歌が毎回の ように入選するようになった。
天位、人位、地位、佳作のいずれかに名が出るようになった。
そして、大和言葉を駆使した古風な作風で次々と編み出す素質に、選者もあなたには特 別な師匠は要らないと絶賛した。

ネアンも及ばずながら、詠み合せようとする。それはさながら、応答連(恋)歌となっ た。こうして、気持ちを通い合せて行く。
「これもあなたのおかげなのよ。
実はね、とんでもない話ですが、わたしは臨死の前、西行法師と、正常な状態で、一体 化していたことがあるんです。
でもこれは、きつねとかではなくちゃんと本人だと思うのよ。
その証拠に、一日に100首ほどまともな和歌を詠み、しかも筆跡は彼の真筆と、照合 できるほどだったのです。
残念なことに、母がそんなものは置いておくべきではないと、わたしが入院している間 に、焼いてしまったんだそうです。
しかし、最 も親しい友人が、手 元に今も一首書いたものを、持 っているというのですが、 金沢に行かないと見れません。
その友人は、私が救急車で搬送されるとき、ずっと横に居てくれた女性です。
あなたと出会ったと同時に、また和歌を触発されるように、詠み始め、しかもベースも 無いのに、次々当選しているところをみると、やっぱりね。あなた直伝ってかんじなの ですが?
ご記憶には全然ありませんか?
でも人物像は、アウトローでありながら、こころやさしく、精霊達とも話をする不思議 な聖。あなたに似てるんだけどなあ。本体ではないのかしら?
なにぶんにも玉若の笛といい、あなたは確かにずいぶん記憶や能力を、封印されている ようだから…」

 

イナンナは、作品の入賞が連続しているのは、二人と二人の役割の前途が、今は亡くな り神となった教団の恩師によって祝福されていると考えた。
またこの頃、イナンナは精力的に物語を作っていた。
「十・千年紀」という、一つの良き時代が終幕するときの情景を彼女自身、臨死におい て主人公として見聞きしてきたことを、シ ュメール時代に時代設定して書いているので ある。それはみごとな描写で、読む者を圧倒するものがあった。
それに続いて続編として、今度は西行とその恋人、月野の生涯を描こうとする物語を手 がけようとしていた。

「物語にまた気持ちをぶつけてみます。
第2部は中世、源平の時代です。ここをまず修正して、また古代へと遡るつもりです。
わたしは月野という架空の人物で、クカミ水軍の当主の娘という設定に、わざとなって います。さあここからどう逃げ出すかです。
あなたは、もちろん、西行法師です」
しかし、イナンナは仕事の忙しさから、時代考証に時間を割くことができなくなり中座 した。
が、短歌だけは閑をみながら詠みつづけ、毎月のように投稿を行うとともに、ネアンと の歌の応酬も試みたのである。

イナンナに西行が懸かった時に詠んだ歌。
浮き雲の 漂へるごと 初島の 白き姿は あめつちのはじめ
風といふは 目には見えざる 心なり 天翔けりゆく いわ船のごと

ネアンはこれを見て、こう言う。
「西行のかかったと思しき歌、スケールがでかいね。
神話の下地をしっかりさせていて、西 行も霊界で大局観に浸りながら旅しているという 印象だ。
じゃあ、ぼくはこれを返そう」
霊にあらば 風なるものは 御霊なる わが身を運ぶ いわ船のごと
いわ船を 帆上げて見よや 光うつ あれは敷島 国生みの地ぞ

 

「おりしも、皇太子の家に御子が誕生されたね。
日本じゅうが大きなイベントに沸き立っているようだ。
君も気分が良くなったかい?
新しい希望のときがまた来そうだね」
今日の日に 貴き御子の 生れましき 敷島はるか ゆう日にほでる (ゆうは彼女のPNである)

「あなたの歌も、スケールが大きいね」
一つ分かれば、また二つ三つ分からなくなってくる。
「いつかまた、夢見して調べるわ。私は夢からヒントをいままで得てるから。あなたも できたら調べてみて」

 


共に夢見る

 

イナンナはネアンに対して共に同じ土俵で夢見ることができないかと思っていた。
「私はあなたの本体様とよく出会うのよ。あなたにそっくりなんだけど、もっと若くて しっかりしているの」
「仕方ないよ。ぼくは初老だからね。本体はどれほど年取っていても、神様だから若い に決まってるだろ」
「私はあなたの夢が見たいのに、あなたが出てこないものだから、梵様が代わりに会い に来てくれるんだと思うよ。
あなたも夢見してよ。以前にしたことがあるんでしょ?」
「ああ、あるよ。でも最近は夢自体見ることができなくなっている。
眠りが浅く、夢にまで至らない。夢を見ているのかどうかも分からない。
気にしていないはずなのに、心臓の鼓動が気になっているんだろう。ときには、寝相に 関係なくいびきをかいては目を覚ます。
きっとスタミナがなくなったんだろうな」

天仙が、ネアンのストレスを過大にして、心臓の具合を悪くし、眠りまで損なわせよう としていたことに気付く由もない。
また、イナンナにも、ネアンに対する不信感の芽を植えつけていたのである。
イナンナと交わっても、ネアンは彼女の体に触れながら、出すことができなかった。年 齢相応の老をきたしていたのである。
イナンナにはほんとうに自分を愛してくれているのだろうかという不満があった。そ ん なとき、時は8月であった。
イナンナは、仕事上の上司の執拗な要求を愛の証しと思い、ついに情交に及んでしまっ たのである。
しかも、口説いてやまなかった強引な上司であったため、いきおいセックスは主従関係 のような状態になった。
会社内で、人目を避けて非常階段や男子トイレでこなすスリルが余計に快感となり、同 時に信頼を上司に寄せるようになったのである。
それからは、仕事や情交のたびに上司の価値観を叩き込まれ、うだつの上がらぬネアン のことを見下すようになっていった。
あなたの夢が見たいのに出てこない、だから梵様が・・この言葉の裏には、すでに上司 を梵天に見立ててしまったイナンナがいたのである。

以前から、定 め以外の他の男に身を任せるとき、決 して良い事態にならなかった先轍を、 自らを別の思い込みで固めることによってクリアーしようとまでしていたとは、知 らぬ 仏のネアンであった。

上司のことを過去世から私に思いを抱きながら満たされなかった人と位置付けたり、夢 見で彼の立場を弁護するような夢を見るようになってからは、つ いにネアンのことを探 していた人物ではなかったとまで思うようになっていた。
こうなれば、二人で築く宇宙も神話も、どこかに消え去っていたとしてもおかしくはな い。

そのころ、何も気づかないネアンはこんなことを感じて、イナンナに言う。
「きっと君がぼくを夢見に誘ってくれたら、大丈夫だと思うよ。
それには、いっしょに眠ることが必要かもしれない」
ネアンはイナンナと一晩でいいから同じ寝床で寝たいのである。い ささか下心が手伝っ た申し出となった。
梵天は、イナンナがこのような裏切り状態にあることは、ネアンの頭脳を介してこの世 界を眺めている立場上、知らなかった。
純粋にネアンの心身の具合はともかくとして、こ の計画には夢見が必要であると考えて いたのである。
というのも、天仙でさえも夢のことを不安定な簡易的創造世界であると考えていて、さ ほど関心を寄せていないと思っていたからであった。

梵天は、二人が共に夢見できない状況を懸念して、一つのサポートチームを派遣するこ とにした。
クロノスがかつて用意した中で、地 球上でいま知られる最強の薬用植物を与えるための 派遣団である。
このため、前もって、ネアンの車の前を通せんぼする四匹の猫家族を登場させるという 不思議に遭遇させ、何が起こるのだろうかという期待感を抱かせておいた。
そんなとき、キ ャッツクローという薬用植物のことをネアンはイナンナの知人を介して 教えられたのである。

その人物はこう言う。
「これは免疫力を高めるために、万病に効くということです。
心房細動ですか。不整脈に効いたという情報もありましたよ」
何かのシンクロかと思い、しばらく服用してみようかと思うネアン。
服用すると、引いていた風邪がたちまち治り、眠りがその日から深まった。
なるほど、不整脈はストレスからくるという。それを解消する眠りがえられれば、もし かするととネアンは考える。
最初の数日は、足りなかった眠りをむさぼるように熟睡し、夢も見た感はなかったが、 10日もすると夢を見だした。
ただし、最初は悪夢ばかりが続いた。
夢を見た初日には、パソコンがウイルスに冒されたか、画面が白くなり、スピーカーか ら声がした。
「3月24日になったなあ」
「ほなら行ってくるわ」
投げ遣りな声だけのやり取りがあった。
ネアンは、ウイルスにやられたと慌てたところで目が覚めた。

次の夜は、自動車運転中に違反で捕まった夢であった。
これらは、昨今ネアンの役割に危険信号が出ているという警告夢であったのだ。
その夢を見たのは3月の初めであったが、確かに日付けの予告された数日後に、中東の I国で世界の終局の引金になるようなテロが起きた。
それからというもの、I国によるP人の大量虐殺が始まった。
夢のパソコンから聞こえた声は、現場にいる緊迫した戦士の声というより、半分ふざけ た奴の声、つまり世相荒廃を仕組む邪神の声のようであった。
事の善悪はともあれ、ネアンの”共に夢見する”下地は整えられねばならない。

 

ここからの筋書きは、実現されなかったことを含んでいる。
西暦20XX年の吉日、ネアンはイナンナとその日、出会って共に夢見るための打ち合 わせをした。
「じゃあ、今晩君がもう寝るといった時点からぼくも眠ることにする。
君はぼくの家をもう知っている。二階のベッドの位置も知っているよね。そこに寝てい るから、君の夢の中に引き込みに来てくれる?」
「あなたも私のことをしっかり想いながら寝てよ。絶対、他の人のことを想ったらだめ よ。
でも、軽く私のことを思って。軽くよ。そうでないと、緊張して眠れなくなるといけな いから」
「本当に、最近は眠ること自体に苦労しているもんな。昔は、毎日でも夢見したのに。 家相が良くないのかな」
「大丈夫。迎えに行くから」
「うん」
「じゃ、気をください」

最寄りのファッションホテルに入る。
買ってきた食べ物類がテーブルに並べられた。
そして、時間が足りないとばかり、風呂をつけるネアン。
その準備の最中にも、閑があればキスをし合いいちゃつく二人である。
共に風呂に入り、お互いを洗いあう。全身からやがて秘部へと。
そして、感覚は研ぎ澄まされていく。
上がれば、食 べてアルコールを少し入れて、そ そくさとベッドの中に倒れこむイナンナ。
それを追って飛び込むネアン。二人はお互いの秘部を心置きなく舐め合った。
イナンナの湿潤な秘部は、やがて適度な潤いで異物を求め出す。
ネアンがじらしてなかなか提供しないもので、無 理やり捕まえて引っ張ってくるイナン ナ。
そして自らあてがい、挿入を果たした。
後ろから前から、体位は自在に変わり、イナンナは絶頂に達した。
ベッドは、最初の余禄でしみを作っていた。
なおも気を巡らせるべく、スキンマッサージに励む。
イナンナはいままでのストレスを吐き出すかのようである。
ネアンはその点サニハらしく、イナンナの心身とホールに気を送り込み、二人の間に気 を巡らせていった。

「これでお互いを認識するための、気の交換ができた」
「もう離れていても探せると思うよ」
「頼むね」
お互い50キロ離れたそれぞれの自宅に帰り、イナンナは子供を寝かしつけて、ネアン に連絡を入れる。
ネアンはその頃合いで眠りにつくというわけである。
夜のxx時ごろイナンナから電話である。
「子供も寝たし、私も寝ます。あなた、誘導の気を送りながら寝てくれる」
「ああ、いいよ。ぼくもちょうど眠くなった。君を想いながら寝る」
「私もよ。ぐっすり眠りましょう」
電話を切ると、二人してまどろみの中に落ちていった。
しばらくしてネアンが見たのは、やはり龍が出てきた夢であった。
青黒い体に、金色の縁がある、サイズの小さい龍であった。
長さはある程度長いようであったが、胴 回りはネアンとそう変わらないサイズであった。
その龍の顔が微笑んでいた。
目に瞼があって、細目にしていたので、そのように見えたのである。
「どう見える?」と、イナンナの声で聞こえた。
ネアンは、何を見てもあまり動じない性格のせいか、あるいは夢のせいか、違和感を感 じなかった。
「きれいな金縁の青龍だよ」
「怖くはない?」
「ぜんぜん。前のときもそうだったじゃないか」
「じゃ、抱いてくれる?」
「ああ、いいよ。あ、そうだ。君はじっとしておいて」
というのも、龍の両腕で抱きしめられたりしたら、いつぞや書いた物語のように圧死し かねないと思ったのだ。
「はい」
ネアンは龍の体を仰向けに寝かせた状態で抱いた。何か懐かしい。
ネアンは目を瞑って龍身に体を摺り寄せた。体は硬くてゴリゴリしている。鱗のせいで あろう。
龍女がどんな顔をしているかと、目を開けたそのとたん、龍女はいつのまにか美しい羽 衣の天女に変化していた。
羽衣を下に敷いた状態で、天女の美しく透き通る生身と股間で繋がっているのを見た。 龍身とは違い、摺り寄せる天女の体はマシュマロのやわらかさである。ネアンは逆に戸 惑ってしまった。
夢見とは、これほどまでに見ている光景によって、感触も変わるものなのである。

 

「どうして?」
「弁財天です。化身が龍の。その分霊が同じく龍体の乙姫なの。
龍の体が小さいのは、私が弁財天の分霊、乙姫だからよ。
あなたは浦島。私たちは、偉大な神話の型を演じているのよ」
「はあー。すごい。ぼくは弁天様とセックスしてるの? 畏れ多いことだ。これで良か ったの?」
「大丈夫。私は何度もあなたの本体、梵様とエッチしたわ。
あなたもすばらしいのよ。さあこのまま夢見を続けましょう。もっと分かってくるよ」
二人見詰め合ううちに、どらからともなく抱擁とキスをはじめた。
激しく口の中に舌を入れあった。喘ぎ声をあらわにする弁天乙姫。
それに呼応して手を入れ乳房をまさぐる梵天浦島。
乳首の凝りを指でつまむと、ああっと吐息が漏れた。
揉みしだきつつ乳首を指の間で挟み上げ転がす。
乙姫は快感を全身の悶えで示した。
「不思議だ。まるであつらえられたように、ぴったりしているよ」
「忘れた? 竜宮では、いつもこうだったのよ」
ネアンは、腰をゆっくりと前後させた。
「ああー。いい」
何度かの後、乙姫は往った。
「あなた。この入れたままの状態で夢見してください」
「抜かずにだね。じゃあ、このまま上に乗ったままでいいの? 重くないかい?」
「大丈夫。このまま、私を抱きしめてて」
二人はこうして、夢見の体を重ねたままでさらに深い眠りについた。

 


この本の内容は以上です。