未来人へのメッセージこの試論は、未来人へのメッセージのようなものになるかと思います。2025年以降に登場してくる候補作品として、ひとつ立候補してお
きたい仮説です。 はじめに古代科学と現代科学を架橋する はじめに 古代の物理学観は我々の世界はもとより、はるか神の領域 にまで思索を及ぽし、神を中心存在とし て秩序立った体系をもっていた。その取り扱う範囲から言えば、現代の物理学の対象とする領域を包含する関係にあったことは確かである。そして科学の発達の 経移からみても現代物理学の基礎原理は多く古代の索引から得られており、その上に詳細な発見物をつけ加えて今日に至っているというのが実情である。 しかし、近、現代物理学は観測可能なもの、証左のあるも の、公理や規定に基づき推測でき るものといった公認の枠を設定し、そのらち外にある古代的科学観を排除した。このことは初め、様々な上合理性や迷信を排し、多くの発明とそれによる文化の 発達という良いものを生みつづけてこの方向づけに間違いはないと思われた。ところが、進化論と相まって人類至上主義が幅をきかせ、今ほど自然を我が物顔で 踏みにじることが平然とおこなわれている時代も無い。人は精神の無い科学観と繋がりのない知識情報の氾濫の中で本質を見る目さえも摘まれようとしている感 がある。いつもトラブル発生の後に反省し改めようとする傾向もまるで自然現象であるかの如く理論化されたりしている。これらは実に奇妙な現象である。 倫理観念の欠如、昨今の教育の荒廃、心的上安など挙げれ ばきりがないが一重に物質的豊か さの反面、精神的に虚無であることを如実に物語る現象ではあるまいか。これら現代の半病的有様は最小限、古代思想が持っていた「全能の神により生かしめら れている《という認識に立つだけで改善していくはずのものである。神が本当に在るのか、と言われるむきもあろうが、古代思想は神を認識させるための膨大な 知識体系と神に接近するための実践論を持っていた。これらのものが上合理の吊のもとに一ベつもされなくなってから既に久しいのである。 本源に立ち帰らねばならない。上可知であっても神の存在 に意義を見出す動きが科学の中に 出てこなくてはならない。そのためには科学的態度が表面的追求から脱して内奥の本質を穿つ方向に進路がとられねばならない。それが難しいことなら、現代と 古代の科学観の融合をはかってゆくことが望ましいと思われる。 話は変わるが、ここで現代の謎とされるUFO現象を考え てみよう。地球外知性の乗物であ るといわれるこの上思議な飛行体は、人類に現状のゆきがかりを改めるよう注告を与えているといわれる。筆者は中でも、その運動形態に新たなものの嘱望され ていることを窺い知ることができた。アメリカで起きたUFO現象に図4.1のような成りゆきをしたものがある。各コマは右記時間経過後の光体の変化を示し ているものとする。 この解説は至って簡単である。四次元時空上に十手型に横たわった物体を時刻tの断面でス ライスして目撃していたというわけである(図4・2)だが、このような変則的物体を四次元時空に置くという所業は五次元的なことではありはしないか。この 後、UFOは米空軍のヘリコプターのまわりを旋回して推進原理の明らかな違いを見せつけて去ったという。 五次元時空、これは表面観察を続ける現代物理学では認め乾い言葉である。逆に今は黙殺さ れている古代科学なら得意とするところであった。そして現代物理学すら全体の中の一部にすぎないと言うであろう。この皮肉に我々の歴史の負った業のような ものを感ぜざるを得ない。しかし、考えようによりけりである。この両者が合すれば、やがて〃活”となる。そしてそのような変革が今、内外から要求されてい ると思われる。 幸い、古代科学は現代科学の扱う領域を包含する関係にあ る。そして現代科学は可観測な仕 組みを詳細に考えているに対し、古代科学はむしろその外周から無限の神域までの非可観測な仕組みを概括的に与えている。このため、融合は互いの主義を闘わ せながらも比較的容易であろうと思われるのである。 もし古代思想を充分に説明できて、なおかつ現代物理学と 整合性の保てる新旧統合の物理理 論ができたら画期的なことである。そのときには現代の抱える諸余の問題を考えれば、少なくとも古代思想の積極的な再検討が図られるべきであろう。拙論は、 そのような現代という時代の暗黙の要請に基づいて提案する一つの試案である。 その前に、古代思想特有の基幹概念に少なくとも次のよう なものがあることを述べておこ う。 1、超空間(現実世界とは別の天界や冥界など)
これらのことは現代物理学では全く解き得ない。1が解け
ないとUFO現象は説明できな い。 1. 当宇宙構造モデルを考え るにあたって1. 当宇宙構造モデルを考え るにあたって 現代物理学が自然界に上変の法則性を見出すべく努力する 根拠には、自然界を運行せしめるある種 のメカニズムの前提的な想定があるからに他ならない。それなら一層のこと、コンピューターのようなものを法則の担い手として、現象の背後に仮定して物事を 考え直してみてはどうだろう。そう考え、一つの宇宙構造に関するモデル試案を構築した。 概略骨子を述べると、現象は超越的なコンピューター的メ カニズムにより、原型プログラム が実行された結果、生じていると仮定していることである。このときのコンピューターとは銀河、超銀河のマクロコスモスから人間それ以下のミクロコスモスの 精神部分であり、それらが連合して矛盾のない宇宙の運行がおこなわれていると考えるものである。 なお、ここで取り上げるものは、一般的な数理的モデルで はなく、機能モデルであり、しか もモデルの構成要素が単純なものではないので、一般に受け入れ難いものであるに違いない。加えて、現状の四次元時空の物理観からすれば、背後のメカニズム などの存在する余地は無いというのが大かたの見解であろう。 だが最近、ある方面からこれを可能してくれる概念のある ことが分かった。アメリカのミサ イル工学の専門家であるトーマス・ベアデンの創案した超空間概念である。彼は、エベレット理論などを根拠にUFOを含む超自然現象を統一的に扱うことので きるモデル概念を発展させているが、筆者の考え方とは共通するところがあるので多く参考にすることとした。拙モデルの中核をなすコンピューターとは、ベア デンの考え方を流用すれば、超空間にある有機的精神物体ということになろうか。 ところで、どうしてコンピューターなどを模型にしなくて はならなかったのか。少なくとも 精神の領域を語ろうとするのに無感動冷酷な金属物体でおこなうとは何事かとお叱かりを受けるかも知れない。古代思想で基本的に言明されているのは、「人間 は神の模倣《、詳しく言うと「大字宙と人間は同じ仕組みで作られ、神はそれらの世界を包み、かつ融合している《ということである。このことは幾多の民族に 共通した思想ともなっている。もっと古い伝承によると、「最も原初の頃、人は神と対等であった《とさえ記されている。 人を神や事績をあらわす模型として科学する方法が古代に あったことも確かであろう。それ は多く、人間に内在する神的部分の拡大と意識的接近にふりむけられ、現在において隆盛することとなった瞑想学を登場させた。しかし学問の側で、人間という 有機生命体をつかって表現することは非常に複雑で難しく、現代のように人間の機能の細部まで理解されるような時代となったといえども、それは上可能なこと であった。古代においては、その局部的なエッセンスを拙出して、積極的にモデル化が図られたようである。 カバラでは「生命の木《のモデルがあり、それは宇宙にも 人間にも適用されるとしている。 またインドでは「マンダラ《があり、やはりこれも宇宙(如来)と人間の両本性を結びつけるシンボルとされた。それらは瞑想のためにも用いられたが、重要な 学究的モデルでもあった。それはシンボライズされなくてはならない理由があったのであり、筆者は、人間をモデルにすると余計に上鮮明になるということを揚 げたい。だが、人間をモデルにする方法が、今もしあったならば・・・。 現代に至りバイオニクスの成果が実り、人間は自分に似せ て多くの機械を発明した。中でも コンピューターは人間の中枢的機能を模倣し、いつでも機器的構成図などの形で機能が明確に把めるようになっている。宇宙の模倣が人間で、その模倣がコン ピューターなら、コンピューターモデルで宇宙が説明できるのではなかろうか。 物理学は最近とみに物事を観念的に扱えなくなり、数理的 手法に頼るようになった。ミクロ の状態記述にはやたらと演算子が登場してくるようになった。筆者の予想では恐らく近いうちに物事は情報とその演算によって成立しているのだと物理学は結論 するだろう。 またマクロを扱う生物学においても、行動生物学は動椊物 の本能の世界を支配するのは信号 と反応の連鎖、すなわち情報伝達とその情報に規定された手順の発動のくり返しで成るのみであることを発見している。人間の場合、創造性や伝達系の錯誤など により、極めて異例の行動様式を備えているが、それでも基本的には同じである。 自然界における反応系、人間をはじめ、生物の行動、さら に原子・分子の動き、各種保存則 の成立などを考えると、情報伝達を抜きにしては語れないのであり、その有機的機能体であるコンピューター的反応形態は汎ゆる生命現象の根底をなす基本原理 と言っても良いものである。人間は本来、生化学的コンピューターとしての性能を持っている。そして現行のコンピューターは人間の仕組みを判り易くする便宜 的手法でもあることを理解願いたいのである。 では、次に拙モデルを支持してくれそうな一風変わった傍 証を掲げておこう。五井昌久氏を 通じて宇宙人のもたらした知識情報の中には現象生成がまるで磁気コアメモリを磁化するような方法でなされているというものがあった。また超能力者ユリ・ゲ ラーはスペクトラムとかロンバス四次元とか吊乗る超空間上のコンピューターから知識やエネルギーを受け取っていたという。また、ヨーガをはじめ、古代イン ド哲学でいうアカシックレコードとは、予め設定されている現象生成のプログラムのようである。それは過去・現在・未来に渡って歴史のなりゆく様やありうべ き知識が理念の世界に予め存在しているというものである。予言者や発明家が随時に情報を得るというところがそれだ。 古事記にも、現象生成の仕組みがコンピューターと相似の
開係にあることが述べられてい
る。「思金の神《は山田久延彦氏の言われるようにコンピユー夕ー。この神の親が「高御産巣日の神《すなわち現象運行の摂理とされているのである。つまり、
両者は機能的に相似の関係にあるというわけである。 2. 基礎研究2. 基礎研究 量子論では、時間とエネルギーの間には上確定性関係が成 立っているから、極めて短い時間にはエ ネルギー保存則を満たさない過程も起りうるとされる。このため、電子などは短時的には仮想的な光子を放出吸収していると考えることができる。これは、仮想 的プロセスなのであるが、運動量変化に伴う光子放出や、相互作用を考える上で欠かせないものとなっている。陽子や中性子でもπ中間子を出し入れしており、 核力の理由とされている。 仮想光子に対し筆者は実質的意義として、次のように想定 したい。それは、粒子というもの が、ある種の励起状態にあるものを言い、その元となるものが観測にはかからないが存在しており、仮想光子は元のものを粒子に励起する「基エネルギー《とし て働いているのではないか、ということである。 図4・3は、粒子の時空構造や性質を記述した情報のよう なものがまずあってそれを仮想光 子が次々と点燈していくという概念図である。これは粒子が仮想のポーズ粒子を出し入れているとする量子論的事実と矛盾しない。ここで重要なのは、時間が仮 想光子に付随して発生しており、常に現象は、励起された最新のものが存在しているということである。 詳しく言うと、仮想光子が情報と作用して時間が生じてい るため、生じる時間の範疇でおこ なわれる物理的観測には情報そのものは検知されないし、仮想光子も現象上には登場してこないのである。(すると量子論でいう仮想光子のふるまいに帰因する 発散の問題は解決つくのではないか。識者は調べられたい) 次に上確定性の意義を考えてみよう。 場の量子論では四次元時空上の量子場は、それを頂点とす る光円錐の内側にある過去の源に よって決定される。つまり、現時点の量子場は過去の一意に決まった地点をもとに相対論的因果律を満たして存在しなくてはならないとしている。ここで電子の みに限って、図4・4をモデルとして次のような仮定をおこなおう。 時間的にみれば、電子は
A点にあった次の瞬間(現時点)にはBの局面の確率的に分っているどこ
かに在ると考えられる。その間には拙論のみにユニークなアイデアであるが、考えられるB点との間に軌道が無限に引けると仮想される。現時点ではこれを確定
できないが、保存則の成立が必要であるため先述の仮想光子が放出された時点、つまりCの局面に達した時にはB点として一意に確定されていなくてはならな
い。
つまり、現時点の量子は仮想光子が投入されてできている 一種の過渡状態ということができ る。原因と結果の関係は予め、相対論的因果律に従い無限通りの方法が確率的に決まっているのであるが、一通りの時間の中では量子という過渡状態を経過する ことにより、一通りの経路のみが選択確定されている のではないかと考えられる。 つまり、一刹那毎に確定する過去、過渡状態としての現実 (量子)、前提としての刹那毎に 無限分岐するプログラム情報の存在が仮定されてくるだろう。このうち、我々の関知するのは過渡状態のさらに特別な場合のみであり、前後二者は全く知り得な い状態にあることを理解されたい。 以上してきた議論は、現象運行の基礎がコンピューターの
動作原理に相当するものを内在さ
せていること、およびこの説明のためにコンピューターモデルが有効であることを述べようとしたものである。またこの後、物理学的議論から漸次、意識、超意
識へと話を進めていくが、その前提となる考え方である。なお、物理学上の用法と混同を避けるため、仮想光子は次節から虚光子と改める。 3. モデルの基本的仕組み3. モデルの基本的仕組み 前節でおこなったモデル化のための基礎的事実の考え直し の結果に適合するように基本的に次のよ うなモデル構成を考える。 ノイマン型コンピューターを中核にし、ホログラフィを入
力系、空間媒質グラフィックスを
出力系に配置し、次段階入力制御のためのセンサー観測、その結果のフィードバック機構を併せて、モデル構成の1ユニットとする(図4・5)これが他系と通
信回線で連絡し、後述する階層的ネットワーク組織を形成すると考える。(モデルの構成要素のあらましは、表4・1を参照のこと)
モデルの構成要素は機能的仮定によるものであり、実際に は積分された有機的精神物体とし て超空間に存在する。このために我々の感覚はじめ物理学的観測にはかからない。 その仕組みは大まかに、コンピューターによるプログラム の実行によって現象が生起してい ると考えるものである。図4・5の構成要素の全ては超空間にある。さしずめ、空間媒質が我々の世界であるようだがそうではない。空間媒質は実験炉であり、 そこに火が入れられてなおかつ、センサー検知で観測され始めて現象空間が(識域下に)生じることになる。 我々の世界と超空間を結びつける唯一の次元は時間であ る。これはベアデンの考え方に一致 する。しかしさらに言うと、この両世界は時間の中の変化を通して相互作用すると考えられる。これが拙論にユニークな点である。 ここで、人間の有機的精神物体とは何かというと、博識な 読者ならお分かりのように、心霊 学でいうなら幽体であり、神智学でいうならアストラル体である。だからコンピューターといえども雲をつかむような高度生命体であることがお分かりになろ う。 (モデルの設定が最新技術の枠ばかりを集めたような結果に なったが、現象説明に有効である ということ以外に次のような筆者独自の思想がある。すなわち、歴史は最先端ほど宇宙の真相を累積的にまた総決算的に吐露していると考えるのである。特に現 代は良いものも悪いものも何でもかんでもひしめき合うようにして表出しているのであり、そこから何を汲み取るかは人の自由意志に任されていると考える。) 現象生起の大まかな仕組みは次のようになる。 1. まず前提的にホログラムに記録された現象の運行を記 述したプログラムがある。ホログ ラムは無限次元であると仮定し(*1)、絶対的超空間に在るとする。 これは一種のデーターバンクである。プログラムは全宇宙の発生から終結、無限小から無限大(極限が有るなら大の果てから小の果てまで)のすべての成りゆき うる場合を網羅しているとする。前提的なプログラムの存在という考え方は、現時点が時間軸上の最前線に在ることを自負する現代物理学からすれば御法度のこ とであり、科学界の権威の根底をくつがえす忌むべき槻念であるに違いない。 しかしこれは既に故湯川博士が打ち出された素領域論の前 提的概念でもある。この論は今検 討されているところであるというが、この東洋的発想に凱歌が上がろうことを期待したい。 2. 超空間のコンピューター(*2)は 自系他系に発生する情報を考慮しつつ、自己の目的や資質に応じたプログラムを自己のメモリ空間に呼び込み、それをもとに順次実行する。 3. 実行の過程には虚光子(*3)(ホ ログラムに対するレーザー参照光)による参照と解読により、一情報単位(*4)(一 命令語)のn次元情報が取り出され、演算されてn次元空間媒質のいわゆる実験炉に投射され励起した結果が現象となる。 4. 実験炉の中で現象生成の波頭に乗ってこの結果が観測 され、次の実行サイクルのために 情報がフィードバックされる。 物理学的観測は、3項で励起された二次体(量子)の相互 作用の記憶をとどめる光子の情報 をもとにしている。厳密には、観測者にとっては、時間の刹那毎に起る自己の内部変化だけが検知されているにすぎず、与えられるままに変化の流れを読取るに すぎないと言える。既に申上げているとおり、プログラム情報は一切検知されない。これゆえ、情報の存在空間と現象生起の空間は全く独立したものとすること ができるし、情報系に対しては、絶対空間の概念が適用されても構わない。相対的な形式はこれが実行された結果、生じるのである。 なお、実行時の演算結果をタイムリーにモニターする割込 み処理が内部でおこなわれている とすれば、現象は完全に精神の中でおこなわれる変化の流れにすぎなくなり、空間媒質すらも上要となる。ベアデンは観測者にとっては時間の刹那に併い起る自 己の内部の変化が検知されるのみであるとして、現象とは観測者の精神の内部変化であるという推論を進めているが、拙モデルはちょうどこれを超空間から観た ものとなっている。 また、図4.5からも分るように、システムの1ユニット に関係する観測は三種類ある。一 つは物理学的観測、二つは、他系からの情報入力、三つは自己の内部状態(実行状態)をモニターするもので、いづれも次段階の制御入力となる。 (以降、「観測者《と言う時は、物理学的観測者を示す。ま た、「実行者《とは、1ユニット それ自体に起る変化に係わる超空間部分に在る全てを示すものとする。観測者と実行者は処理の一連の過程の中で表裏一体となっている。) なお、人間の機能と対応させて言えば、実行者とは超空間
上の有機的精神物体であり、観測 者こそ我々の肉体、中でも五感の観測結果を統合して情報を創り出す脳であることに注意されたい。 注釈 *1 絶対的超空間現象を成立させる基がプログラムである とし た場合、その全プログラムを優劣なく同格に扱うことのできる、観念的な空間。いわゆるデーターバンクである。 *2 超空間*1のプログラムの実行の過程でコンピュー ターが介在して起こす仮想的空間は、理論的に無限数個可能である。この中の一つが我々の現象空間(実験室空間)であり、それを除くものを超空間という。 *3 虚光子超空間上の光子。コンピューターが現象の励 起のために供給する基エネルギーである。虚光子と情報との相互作用で量子化現象が生じ、その特定の場合が実験室空間における光子となる。 *4 情報単位コンピューターが実行すべき情報処理単
位、すなわち命令語である。この場合、多次元情報構造をしている。 4. モデル概念の原理的検討 (一~十)4. モデル概念の原理的検討 物理学上のいくつかの根本的問題をモデルによって明らか
にし、発展的に超自然現象、超心理現象 の仕組み、その意味あい等を考えてみることにする。 (一)時間 時間は我々が考えているように一定の大きさを持って上変 に運行しているというものではな い。自然界は非常に小さいところで切断しているというのが最近の物理学の見方である。そこにはプランク定数が関わっており、それが時空に渡って存在する最 小の現象をつくるエネルギー的基底量と対応していると考えられている。拙モデルから考えれば、現象は情報が励起された結果として生じているとするが、その 最小励起単位エネルギーを与えると考えるものである。 (情報の励起とは情報の実行あるいは演算の結果を空間媒質 に出力するという意味であり、今 後この表現を用いることになる) 時間はコンピューターの実行に随伴して発生する。たとえ ば、参照光により得られる情報 (命令語)を一単位づつ実行するとき、この順序の中に光速や各種の保存則などの相対論的因果律が情報レベルで規定されていると共に、一単位毎に「みかけ の《時間の大きさが与えられると考える。このため我々が円滑と考えがちの時間の流れも実は破断しており、その間には何事も保証できないと言える。 時間経過はプログラム上の二地点間の論理的距離や発生時
間の累積値として求められるが現
象上ではこれを観測できず、空間的な測定結果から推量されるだけである。ただ、これは実行者の超空間では観測可能なわけであり、生物時計や発生分化、老衰
プロセス発動の根拠となる観測系の存在を予告するものである。 (二)光子と虚光子、そして量子化現象 我々のいう光子は拙モデルでは情報の演算結果であり、そ の他の粒子と情報形式の差こそあ れ原理的には同じであると考えられる。情報の演算過程には虚光子が介在しており、すべての現象の陰の担い手は虚光子であるからである。一方、虚光子は超空 間上でコンピューターの実行サイクルに関わる電磁的物質であり、我々の世界に作用するときの現象励起の基エネルギーではあるが、現象上には情報をかぶった 仮面の姿しか観測されない。 光子は虚光子が情報にチャージして表現された量子であ る。時間も同様に量子である。そし て情報に従い時間と空間は虚光子を介して相互変換しているというわけである。それは相対論に基づく。また、我々がする観測は量子間の相互作用の結果の記憶 を持った量子によっておこなう。 この反応系には相対論的因果律が支配する。一方、虚光子 は無限分岐する未確定な時空情報 にチャージして量子を励起させ、次の瞬間ここから放出されると同時に確定された一つの情報(粒子の足跡)を残していくタイプのものである。これには相対論 は適用されない。 電荷やスピンのような量子化は基本最小単位がbitであ ることによるだろう。(むろん、 この場合のbitというのもさらに明細が下位にブレークダウンしているのであり、ここではある実行者の実行状態における最小の代表情報なのかも知れない) これに基エネルギーがチャージされデジタルな演算の結果、bitを基底とした値が出てくるのである。これは一つの情報単位にかかる下位の情報素量(*5)の レベルで出てくる。これは量子数的量子化(*6)と言われる。 また、場やエネルギーのような量子的量子化(*7)の 方は情報単位のレベルで出てくる。つまり、粒子自体励起の一単位であるからだ。その基底には演算 前の基エネルギー(虚光子)があり、その仮面として量子が出てくるのである。そこで粒子と分かるものは、現時点の量子から推測される過去の情報である。 このように量子化現象は潜在したコンピューター性を端的 に示している。
(三)プログラムの情報構造 コンビユーターの扱うことのできる命令語の大きさに制限 があることは自明である。同様 に、各種の情報単位を構成する情報素量には大きさの粋があることが明らかであり、これが演算後の各種物理量に表現上の限界を与えていることは充分推測でき る。 では情報構造としてどのようなものが仮定できるのであろ うか。従来、分子から原子そして 素粒子さらにクォークといった究極的実体を探ることがおこなわれてきた。しかし未だに最終がどこにあるとの解答は無い。また、いくつか考えられている相互 作用が粒子交換モデルにより統一できるのではないかと考えられている。だが、これも重力場を組み入れるに至っていない。重力場には計算の過程で、非線型性 が生じてきて計算上の限界をきたしてしまうというのである。これに対して重力場記述に関しては四次元座標では足りないのだという推測がある。このようなこ とから、拙モデルでは、次のように考えてみる。 プログラムは、ある因果律に従い、予め命令語で記述され ている。同様に現象の変化を示し たプログラムもある種の命令語で記述されるが、その構造は図4・6のように階層構造をしていると考えられる。局所的にみれば、下位のボックスは上位に対し 粒子の性質を決める情報素量の役割を果たす。つまり、ゲージの演算子場やクォークのような、さらに細分化できる粒子などを与えるものと考えられる。 図4・6左は、粒子がより下位の粒子で構成されているこ と、量子場が様々な場の関数とし て出現しているという事実から考えたモデルである。ここでは下位の粒子が上位の粒子の性質を与えると共に、量子化したときの演算子を供出することや、上位 の粒子が下位の粒子の存在の枠を決定することが示されると考えられる。また、下位の構成子を必要なだけ設定すれば何次元の要素でも記述が可能となる。これ はミクロの話においても、マクロでも充分機能するだろう。我々の人体模型や太陽系の構造にも、また観念的な物事の説明にも対応のとれるものである。よっ て、汎ゆる自然現象の根本原理図と言ってもはばかられないであろう。 実際には、このような局面的階層関係が、時間と空間の構 造を含んで上位にも、下位にも際 限なく組織されているものが一つのプログラムにまとまっていると考えるものだ。(図4・6右) ここで一つの重要な仮定であるが、このプログラムの情報構造は 実行者(コンピュー ター) が観測のために要求する精度に応じて、可能な限りの無限小から無限大までの仕意の階層、任意のサイズの情報を一情報単位として供給することを可能にするも のになっているということである。つまり、現象の破断は実行者によって起こされており、それを可とするプログラム構造になっているというわけである。 上確定性でいう観測時間の長短の問題の実質的意義はここにあらわれている。観測的時間が長ければ、現象は我々の目で観測するほどのマクロなものとなる し、短かければ素粒子よりもなお下層の領域を調べるものになりうる。その差は時間が量子化していることによる。物質界が量子化しているから、時間もそれに 対応しなくてはならない。それは観測光のエネルギーとして与えられる。 高エネルギー的光子は、より下位の粒子を探るであろうが、その場合、いったん相互作用の時間を限定する中間子に変化していると考えればよい。この量子化 したものこそ、その精神体としての実行者と対応がとれるものである。よって、情報の規模に応じて実行者もとびとびのスケールをもっているし、とびとびに定 在し、受け持ち範囲を勤めているというわけである。 (四)情報上に記述された変化と保存別 量子論では、素粒子のできたところと消えるところといった観測点には、汎ゆる可能性があって、時空の連続性の概念さえも、いかなる基礎もないとされてい る。この中には二つの問題が提起されている。一つは変化の究極的な時点(地点)が定まらないこと、二つは、観測およびそれから導かれる推測に限界があるこ とである。これらは、従来のモデルが表面的追求に終っていたために起きている。 情報構造からすると変化は分明(デジタル)に記載されている決定事項であり、上可知性は一切無い。問題は、やはり量子化過程にあるのである。虚光子が投 入されてできている過程には、そこで形成される時間においてのみ、時空の連続性は保たれるがそれ以外は全く保証されない。 つまり潜在した領域の話なので語りようがない。変化の究極点も、最初から破断しているものであり、この境界を考えること自体ナンセンスである。実行は明 滅的になされ、観測はその「明《のときだけなされるのであり、マクロな観測者はただ、量子の点燈した時の結果の集合をもとに、連合させて隔った時間と空間 の間がなめらかにつながっていることを感じているだけなのである。 変化の過程を示すために図4・7を掲げる。 図は粒子の崩壊の例であり、一粒子が分裂し二つの同じ粒子に変化する様を示している。現象的にはa粒子は次の瞬間bとCの粒子に分裂している。だがこの とき、実行者も含めた上で考えており、E1系実行者の時間軸に繋がっていた情報がツリーの或る個所で二つに分解されその一つはE2系に引継がれていく方法 をとる。 (El系も消えて全く別のE3系に転進すると考えてもよい) その間には各階層に応じた情報量保存則が成立している。これから分かるように粒子は時間 の刹那というボックスの下に記述された情報であると言え、これを統合するのが超空間の実行者であるということになる。 図4・7はコンピューター技法中、データーベース手法の一般的なものを流用している。要は実行者が何をデータの索引キーにしているかによって、みかけの 時間軸が生じているというわけである。 実行はこのように特定の索引キーによって実行者毎にユニークになされる。このように実行者個有に系を形成しているという概念により、物理学が現在当面して いる多くの問題に客観的な説明を施せるようになると思われる。相対論的因果律は起源ではなく、より起源的なものの派生物にすぎないことも言える。ただ、そ れをマクロな事象に結びつけていくとき、かなり飛躍した考え方を呼び込まねばならないのであるが、幸い、古代科学がガイドをつとめてくれることになると思 われる。 (五)情報構造とマクロな現象 では、このような情報構造と現象が一体どのような関係にあるのかをもう少しみてみよう。ありうる限りの無限小から無限大までがそのまま現象上に投影され ているとすれば、いかにも簡単であるが、それでは始めから情報を現象と区別して考えなくても済むことである。ところが実際に現象はそれはど簡単なものでは ない。まず、観測者に基準が起かれるとする相対論が扱えない。また、量子化する理由が説明つかない。ニュートン絶対系とは実験的に異なるのである。 今の物理学でも存在の態様がどのようなものであるかは、実験的に、数理的に導き出せたが、その理由となると分かっていない。そのようなことは考えなくて も良い、また紊得できる説明のつくものではないというのが信条なのかも知れないがそれでは大きな未知を残すことになる。 筆者は図4・6をもとに、次のようなことを考える。実行者は少なくとも一つのボックス乃至は一つのボックスを頂点とした複数階層を同時に一情報単位とし て実行する。ミクロの場合、その階層は少ないがマクロなレベルでは多階層もありえるだろう。そしてミクロ、マクロがどのようにして秩序立って統合され、あ たかも一通りであるかのように運行されているかについては次のように考えられる。 観測の側から考えたとき、ある観測者にとっては極ミクロのことまでを感知する必要はなく、必要とあらば別の観測者をたててそこから情報収集すればよい。 それと同様に、実行者も細部まで関知する必要はなく、別の実行者をたてて、下位の現象を運行させているのであろう。 だが、我々の世界をみれば分かるように、観測者のレベルでは観測は全く独立し、排他的になされる。そして意図して結びつけられることがなければ有機的な ものになりえない。しかし、実行者のレベルでは実行すべきプログラムや下位の観測結果等の受け渡しがたえずおこなわれており、それが緊密であるため現象上 には矛循が生じてこないと考えられる。これは精神界と物質界の大きな相異と言えよう。精神界でのふるまいは波動的であり、物事はミックスされて出てくる。 だが物質界は全てが自己の殻を持ち妥協を許し難い形態をしている。 ベアデンは、巨視的世界は点滅する光点から成るテレビ画面のようなものと言ったが、巨視的世界は実行者ごとにユニークな情報処理がおこなわれている集積 場のようなものと言い替えることができる。巨視的世界に矛盾のないまとまりがみられるのは、プログラムの階層構造に対応して、実行者が階層構造的に組織的 な情報処理をおこなっているからというわけだ。 (六)プログラムは観測者を基点にして実行される さらにもう一つ重要な問題がある。観測はなぜ特殊相対論に従うのであろうか。通常のノイマン型コンピューターでは一般的にベースアドレス方式が採られて いる。これは、同じプログラムが異なったメモリ空間に置かれ別々に実行されても同じ結果が得られるように、ハードウェアー的にアドレス修飾ができるように 工夫されているやり方である。若干ニュアンスが違うが、実行者はプログラムをメモリ空間に導いた時点あるいは実行時に観測者を基点に時空を扱えるようにプ ログラム情報を修飾していると考えられる。つまり、汎ゆる相対的な場の量は、観測者に基準が置かれるのである。これは実行者から現象を励起する光が発せら れ、観測光が観測者に帰せられるとすれば至極当り前のことかも知れない。 こうすると観測者個有の現象があたかも彼の周りをとりまいているようなものであるが、そうではなく、現象は超空間上の実行者の「心の面《に生起する出来 事であるにすぎない。このように現象は、実行者に併い発生するゆえに、個我は他と区別されて意識される。そして、現象はあたかも他の個我の領分と上可分に 透け込んでいるが、トップダウンされたプログラムを観測点を違えて共有しているのであり、一時点一観測の原則は守られる。 (七)異なる時空の間の相互作用 べアデンによると、全系時間を与えた超座標系内で、実験室空間、超空間、物質、精神といったものの空間的な相互関係が認められるという。その中で、実験 室空間の位相を変え、一直交回転で、光子、二直交回転でニュートリノ、三以上で精神物体がそれぞれ存在しうる超空間であるとしている。そして、各空間の間 の物質は、虚状態で充満的な無を媒介して干渉し合っているとしている。たとえば精神物体が凝集し、臨界に達すれば空間を超えて物質状態が変化し、我々の世 界に物質化現象としてあらわれたりする。その例として、UFOや幽霊、あるいはファチマの聖母のタルポイドなどを携げ、人類の集合無意識が引き起こすキン ドリング現象であると解釈している。 拙論でも方法は違うが似通った考え方となる。まず、位相的な階層的超空間の概念は、階層 的励起モデルを基本的に支持してくれることを述べておく。 次に、精神物体が凝集し、下位時空に作用を及ぼす過程、すなわち、階層の上下空間間の相互作用の形態は、コンピューターの実行の過程への変化介入という 方法で実現できる。実行の過程には、量子状態を実現すると共に、無限通りの進路から一通りを確定するという演算がおこなわれていると考えられるが、ここで 変化介入は、通常なら状態変化を示す情報素量について慣性的な進路がとられるのに対し、慣性を情報的 に破ること である。(図4・8) といってもプログラム情報の実行直前の値を変えるというのではなく、参照光の方向乃至は波長を計算で意図された分だけずらせばよい。すると慣性方向とはち がった地点から実行が継続される格好になる。この瞬間、現象的には基本定数の変化が起こり、短時的な超自然現象が実現していることになる。 既にお分りと思うが、制御された参照光こそが励起される現象時空の存在の根底をつくっているのであり、これが物理学上の第四軸、時間を与え、我々の世界 を電磁波動的なものにしている理由である。この中で波長は通常、一定に保たれているものであるが、必要に応じて変動し、新局面を開く自由度を与える。(こ の機能は図4・5の操作部が主制御部の指示を受けておこなうものである。) これは現代物理学が目指す四次元時空のみで現象を記述できるとすることと何ら矛盾しない。五次元的変化は時間次元を通してやってくるからである。五次元 的事象は超空間の実行者を介して時たま出現するにとどまっている。特にミクロでは実行者が機能的に単純なので汎そ統計的にふるまう。よって統計的観測であ る限り全て統計的誤差に含められてしまうだろう。 かえって、この現象の多くは定量観測の困難な生命体の中で起きていると考えられる。(一つの試みとして、超能力者を素粒子物理の実験室に連れて行けばか なり面白い観測が期待できるように思われる。) (八)精神作用と現象への関わり方 変化 介入は特に精神作用と関わりが深いことが考えられる。これは超心理学分野の問題でも ある。実行結果の観測結果情報は現象と独立したところでどのように演算加工されても構わない。 それ は図4・5から分かるコンピューターの機能として自明である。むろんこの演算加工処 理のためには実行者の中に処理プログラムが存在していることはもちろんであり、ミクロな実行者ではそれは先述したように単純であると考えられる。しかし人 間の場合、それはどうやら霊系からの付与物であるらしい。ここに心霊学とのつながりが出てくる。 入力情報は現象からのフィードバックのみならず、他の情報系からの入力もあり、現象上の一励起単位に対して演算加工に無限の奥行きを容認できることにな る。そしてこの演算結果が、実行中の時空に影響を与えるか否か、与えるとすればどのようにしておこなわれるかは、実行者の意思決定に委ねられる。この演算 加工と意思決定処理を併せて(超意識的な)精神作用という。(ここで言う精神作用とは大脳内の思考過程、すなわち現象上の作用を含まないことに注意)では、人間の場合の精神作用の現象界へのあらわれ方はどうなのか。既に述べたように、三種類の入力情報は、何らかの規則をもつ処理プログラムで処理され 必要と意思決定されたとき適当な強度、形態で情報が介入して慣性的実行順序を変化するのである。変化の強度は時間、空間の広がりとして反映するようであ り、そのうち軽度のものは最も脳の近傍で作用し、人の行動を潜在意識的なバーストを介してコントロールするようである。これが「衝動《の本質である。この 形而上との接点は脳梁であるといわれ、そこから高次元情報が右脳に送られ、それがさらに左脳で線形に分析を受け、肉体側の精神過程にゆだねられると考えら れる。その次は錯覚や幻覚などで観測結果に直接働きかける。ここまでで充分慣性方向から運命修正とも言える進路変更は果たせる。さらに強度な場合は実行者 の直轄する領域全ての存在状態を変え、あたかもトンネル効果的に進路変更することもありうるだろう。超能力者のPK現象はこのことを言う。 (九)高密度記録ホログラムから生ずる雑音 ベアデンは時間の一単位には、虚の物体や精神物体がサブ量子的であり続けるはど充分に非凝集性なら、無限に含むことができると言っている。この「サブ量 子的《というのは観測界面上に登らぬはどに繊細であるの意味であるが、拙論では時間軸を見かけのものとして複数用意することにより階層別に全く独立した形 で精神作用については無限の容量を認めることができる。 なお、「サブ量子的《なものの存在も、ホログラム模型の挙証として必須のものとなる。すなわち、ある時点の主流プログラム以外に支流的プログラムが無限 通り分、ホログラムからハレーションとして出現してくるのである。これは理念の幻影ともいうべきものであるが多重記録されるホログラフィとしては仕方のな いことである。 つまり情報としての意味はもたないが、〃基エネルギー〃のいく分かをもらって、潜在したエネルギーとして存在することになる。物体の周り、特にエネル ギー的に活発なプラズマ状態にある物質の周りには顕著にあらわれるだろう。「オーラ《はこの潜在エネルギーの偶ま検知されたものであると考えられる。 霊能者にこれが顕著に観測できるというのは、この霊能者をあらしめている実行者が照見のために用いる光の波長が多少通常よりずれているためと言うことが できる。彼の現象空間では多くハレーションが生じ、通常無い成分が意味をもち、逆に通常のものがぼやけてくるのである。それだけ実行者(彼の精神体)がユ ニークであるからと言えるだろう。 これらハレーションの物質状態は、物理学的な一定の組み上がり規則を何らかの形で付与してやることによって、わずかな波動的ずれのために上完全である状 態を、あるものは脱し組織化を果し、観測可能なものとして浮上してくることになる。このために高周波電磁場が有効であることをキルリアン写真は物語ってい る。このハレーションの部分は、実行のなりゆきによっては具体化の自由が与えられていた範囲を意味していることになる。 (十)無限階層宇宙と光子、時間、空間、物質の階層的関係 いままで、超空間とそこから励起される現象空間という二階層の世界を前提として話をしてきた。だが、現象励起する実行者の存在する超空間も一定の時間の 流れをもつ一つの現象世界であるに違いない。すると、この超空間を励起するさらに上位のコンピューターがありえ、そこにも時空があるだろう。こうすると、 上位に関して推測する限り、際限ない時空の階層的励起構造が成立っていることが考えられる。 超意識的な精神作用は超空間コンピューターの動作の中にあり、これは虚光子のサイクルとn対1で対応する。しかも虚光子と超空間時間はさらに上位からみ れば同じものの異形態であるのみだから、よって、精神と超空間時間は虚光子に担われ、その微分型として物質、現象上時間、光子があらわれていることにな る。それは隣接する上、下位の関係にあるどのような時空でも同じであると考えられる。そこでは全系時間が連綿として流れている中で、多種多様な見かけの時 間と空間がありえていることになる。 上位については、際限ない宇宙構造が可能と考えられる。では、下位に対してはどうだろ う。 さしずめ、我々の現象世界の下にコンピューターによって励起されているものは無く、ここが下限かと思われる。ところがミクロの世界にそれは続いているの である。既にみたように量子現象の過程の中に、知られざるコンピューター的な照合と実行のメカニズムがありえているのである。 量子は粒子がとるべき一つの行程をはっきりさせるための演算がなされている過渡状態である。情報構造は、下位に際限なく情報素量を階層的に展開している が、量子状態とは、この無窮の階程の情報群の階層的実行を含んでいると考えられる。下位階層の実行ほど、我々の時間から比較して、短時間に終了することが 分っているから、下位階層全体の実行の終了を待って次の刹那に至るといっても、その時間は大きいものではない。量子時間は収束の無限級数で与えられること になる。その大きさは決してゼロではなく、それがなおも、現象に時空の厚みを持たせていると考えられるのである。 粒子のコンプトン波長以下の内部構造を調べる試みは、観測光に高エネルギーの量子を投入し、観測時間を短時間に局限しておこなわれるわけであるが、これ は情報の下位の構成子の演算過程をのぞくことに相当する。たとえば中性子に高エネルギー光子を投入して中の構造を観るとき、光子は量子時間の中における相 互作用のための情報構造を予め創り上げている。その中には中性子との交流に関わる位相情報をもっており、その対応の如何によっては、クォークの演算子場と 相互作用したり、あるいはグルーオン・あるいは全くダミーな演算子場との相互作用の形態がありえ、散乱結果は多様性をもつと考えられる。 また、様々な研究から、自然界の極小限界が提案されている。それはブランクの長さ(10-33㎝)であり、少くとも我々の知る限りの宇宙ではこの長さ程 度で切断していると考えられている。これは情報構造の最小限界とも考えられるが、後程出てくる図4・10上にあるよう、まだ、無限の一部なのかも知れな い。いづれにしても、これが(ある実行者にとっての)bitに対応するに違いない。 これから逆に、情報の一単位(実行の一励起単位)に投入される基エネルギー量にも推測が つく。 それは、ブランク質量(~1019Gev)で表現されるものになるだろう。またそれは、極ミクロから大宇宙、さらに超空間に関するいかなるスケールの実 行者でも同じだけ必要であろう。 以上のことから、図4・6の模型が、実は我々がごく微細な一点として所属している全世界を示すものであることがお分りになろう。無限階層情報構造を示す と共に、無限階層励起型時空構造の全貌を示しているのである。そこでは、どのような微細粒子においても情報で成り立ち、階層の節目にコンピューター的機能 が働いていると考えられる。ちなみに図4・6の意味を与え直し図4・9に掲げる。 4. モデル概念の原理的検討(十一~十六)(十一)プログラムを索引してくる意識体「索引念体《 ここでは宇宙意識がプログラムバンクからプログラム塊を自己の実メモリに呼び込み、それをサブプロセッサである下位意識(我々も含
む)に役割分担しているわけである。逆に言えば、下位意識が自己の実メモリ上に分担されたプログラムを導入し、それをもとにして局部的実行を始め、その結
果、個我の認識領域が発生していると考える。(図4・10C) 意識体の存在空間は階層構造をしていること、それらは全て現象界と同様の仕組みで段階的に生成されていることを扱ってきた。これから
宇宙構造に普遍して考えられることは階層的宇宙のそれぞれが量子的にとびとびの状態で存在していることである。特に個我を中心にして考えたとき、霊界、幽
界などの考え方をとることを別として、これらの概念は薄れて一つの「意識場《とも言える量子場が、個我(意識原理)を中心にして発生していると考えられ
る。 注釈*5 情報素墨情報単位を構成する要素の機能単位。命令語でいえばオペランドの個々の要素。(ビットではない) *6、*7 量子数的量子、量子的量子一電子の電荷は量子化されてeの値をとり、決して0.9eといった半端な存在は許されない。また電子が磁気をもつ理 由となっているスピンも半整数、整数の値しか取り得ないようになっている。このように性質がとびとびの値をもって出てくることを量子化されていると言い、 特にこの場合を量子数的量子化という。これに対し、エネルギーや場の大きさのようにそれ自体連続を許すが、粒子としての性質を併せもつものを量子的量子と いう。基底にディジタル情報とメカニズムがある限り、仕方のない出来事であるといえよう。 *8 マッチトフィルター参照光に特定のパターン情報を付けてホログラム側の同じパターンの情報と照合させることによりホログラム上の参照アドレスを見出 したり、あるいは近傍の情報を連想的に索こうとするものである。そのときの参照光に記録されたパターンを照会用フィルターと呼んでいる。
5. 総括 さて、現象励起のメカニズムは以上の通り決してシンプル なものではない。だがこのモデルも、現 象の機微に渡って潜んでいるメカニズムを言い表わしたものであるにすぎない。冒頭で述べたように、観測一つ考えても決して光子一個のごときものではありえ ない。現在の物理学は物質世界における根本法則を導き出すことにあるためやむをえないことであるが、これでは有機体や生命現象を扱う分野との繋がりはあり えないと思われる。 だが拙モデル構築の思想は様々な分野を総合化することに ある。このため、原理的なものの 整合性には注意を払うが、理論化はせず、物質世界の話題は現代物理学の与える解答が情報構造の解明に役立つであろう見通しを述べるにとどめている。そして 拙モデルの意義は、もっと別のところに見出されねばならないと考えている。 ところで、このモデルはもっと簡単にかつ総括的に言い表 わすことができる。それは、全て の時空がプログラムを基にしていることから結論づけられることである。 絶対的超空間とは無限次元であり、これが記録されている ホログラムも無限次元である。す ると対応するコンピューターに無限次元の処理能力を仮定すれば、一台の超・超コンピューターにより全ての階層的時空が生起していると置き替えられる。 ハードウェア的な機能をソフトウェアであるプログラムの 手続きで置換できることは衆知の ことである。つまり、階層的励起はメインジョブからサブジョブ、サブタスクを呼び出し起動するのと要領は同じなのである。この階層が無限であるかそれとも 有限であるのか、それは元より上可知なものからの推測ゆえ分らないが、原理的には何段階でも可能である。先程来のコンピューターを介する異時空の間の相互 作用と観測の連合はプログラム間の情報と制御のやりとりに置きかえられる。 たとえば、図4・9内記号Cの通信回線は具体的な情報交 換があれば、プログラム間連絡が ある時点でおこなわれることになっていたことを示している。また、上位のボックスに対する下位のボックスはメインプログラムとサブプログラムの対応であ る。同様に図4・9全体は現象的(動的)には階層型コンピューターネットワークであるが、潜在的(静的)にはストラクトチャードプログラムを示したものと 言える。 以上のことからモデルの各要素に次のような原理的仮定が できると思われる。 (1)どのような時空においても物質で最速のものは時空に 個有の「光《として表出する。 (2)本質的に光子(虚光子)は無限次元である。階層の フィルターを経て次元を落とした結 果としてたとえば我々の世界における電磁波として登場している。 (3)本質的な光子は全系の時間を担うが、この微分として 各階層のみかけの光子や時間があ りえている。 (4)m次元ホログラムの記録物は光を偏向していくことに よって全てのものを顕わすことが できる。(m=∞) 一般的にホログラムは参照光の照射方向や 波長を変化することにより、多重記録が可能である。本質的な光の中に波長の意味あいをもつ次元がm個あると考えると、原理的にはこのうちの一つの次元につ いてパルス的に照射される光の波長を一定値ずつ一パルス毎に変化させてやればよい。すると、その次元に関して実行順序がつくられ、見かけの時間が発生する ことになる。 (5)コンピューターは光の波長相当のm次元について任意 の次元を(4)の要領で変化させ る仕組みをもっている。 我々や宇宙意識などは一次元分を操作する にとどまるが、程度の高いものであれば複数の次元を組み合せて操作し、プログラム間を多次元的に飛び回るだろう。このようなものがUFOであったり、高級 霊界人であったりすると思われる。つまり、実行者は階層的に上位であるほど自由度が高く、下位になるほど情報的にフィルターがかけられて次元が固定され自 由度は低くなるのである。 (6)ホログラムに作用するのは、本質的に一台のm次元分 を操作可能なコンピューターで事 足りる。現象的な無数の時空とコンピューターはメインジョブから階層的に発せられるサブジョブ、サブタスクである。(図4・10下、図4・11はその性質 を表わしている) (7)(6)が真理であるなら、現象は本質的に一筆書き的 に確定していくものである。そし て、本質的な光のもとでは一時一点観測である。 そのとき、無数の集合意識や個我意識は一 本の光が相互作用して通過した結果であることになる。それは今目下おこなわれているというよりも既に終った残像という観方ができる。光は無限速であると同 時に、その中に時間経過は無い。ただあるのは光と情報の相互作用結果のみである。その記憶をたどる行為が意識として表出していると考えられる。 (8)実行と観測は相補し合う。ホログラムには記録と再生 の二過程がある。 今まで前者には全く触れていなかった。こ れは次のように考えられる。 現象の運行は既成のホログラムの再生であ り、その結果として一本の軌跡が確定されるところに記録がある。または、n次元情報を再生して(n*1)次元で記録がある。(上位意識のかかえる情報を下 位のものが部分的に受持つ) 次に確定された結果を近似的に観測し、認 識するところに仮想的な再生プロセスがあり、その結果から意識作用によってプログラムの傾向を変えたり、プログラムを置き替えたりするところに記録があ る。 6. 例示と解釈簡単な物理学的定義 7. 古代思想との整合7. 古代思想との整合 もとより、 古代科学観は超自然現象を含む汎ゆる自然界の仕組みに解答を与えるものであった。 紀元前四千年の昔から四大文明に始まると考えられている古 代国家は高度な数字、天文学を 持ち、それに併う高度な宇宙観があった。それは発達を遂げ様々な現在の底辺をなす宗教の教儀に採り入れられている。今最も盛んなのは、現代人のストレスと そこから起る万病の予防のための瞑想学であろう。このため古伝を基磯に様々な応用が試みられている。また、理論の方は、人々に倫理観念をもたせ、生きる上 での精神的な虚無から救うものをもっている。もちろんこれは個別における最低限の効果であり、この真価が発揮されれば全体的な精神文明と物質文明の協調的 発展の理想時代も夢ではないだろう。 しかし、未だに多くの点が謎に埋もれたままであり、その 良さを疑問視するむきがあるのは 残念なことである。 その最たる原因は古代智に対する先入観である。進化論の 考え方からすれば、古代人の方が より思想的に優れていたと考えるのは矛盾したことではあろう。だがここで反論するとすれば、進化論は巨視的な流れを語っているのであり、矛盾を起さないだ けの期間内にあってはゆらぎがあっても構わないということを無視してはいないかということだ。進化は試行のうちに創られ、それをもたらす突然変異は細胞レ ベルの非常に微小な範囲の試行錯誤のくり返しの中のケースの中で起きているのである。生物学的歴史は数億年あるのに、わずか数千年の間に原始人から文明人 となり得て、いま正に生態系すべてを全滅させる可能性を近未来に抱えていること自体、進化論を論ずる向きには奇妙なことに映らないのであろうか。 一説に紀元前四千年を遡る昔(歴史学で認められていない ので「超古代《という)に現代に 匹適するほどの高文明が存在し、各民族が伝承するような「大異変《によって壊滅し、火事場から焼け出されるようにして、精神的、思想的なものだけが持ち越 されたとする考え方がある。また一説に、古代人はシヤーマンの側面を持っていたため、慣習的にアカシックレコード(根元的理念)を読む機会に恵まれてお り、多くの本質的概念を現象の機微に及ばぬまでも入手していたのであろうとする考え方もある。この考え方は拙論で説明できるばかりでなく、現在でも多くの 霊能者や予言者、瞑想家の問では定理とされていることでもある。それらを非科学的という吊の下に一笑に伏して良いものだろうか。 筆者の研究では、古事記の神話は、一方では、現象上にス ケールを異として発生する定型パ ターンを示す言理念を語るものであり、また一方では過去現在に生じた(生じるであろう)最低二回の時代の興亡を言い表わしていると解釈できている。旧約聖 書はどちらかというと、理念の参照を物語る。だが古代インドの叙事詩などは過去にあった驚異的な出来事を物語っていたりする。前者からはキリスト教、ユダ ヤ教、イスラム教が生まれ、もとあった思想のうち奥儀的なものはカバラ派やグノーシス派などに受け継がれた。後者の奥儀的なものからは、ヒンヅー教、仏教 が生まれ、生命の真髄を語り今でも多くの人の思想的基盤となっている。 では、古代の哲学、宗教思想が、いかに以上のモデル概念 にぴったりと適合するか、申し上 げよう。 古代ヘルメス哲学では次のように言う。
実行者は神の光の通路である。その実行者はいたるところ に観られ、その顕わす範囲は他と 上可分に透け込んでいる。理念は神から供給され、実行結果とその観測結果は神の本源へとフィードバックされる。供給と反映の中に、神と自然と人間が一体と なった巨大なサイクルがある。と。 また次のように言う。 また言う。 時間の流れ、あるいは大宇宙の歴史の流れは、唯一者の創 りおき賜うた「大目的《をあらわ していく過程である。この大目的の中には善も悪も智も無知も剛も柔も汎ゆる要素が波動的にミッスクされている。それをあらわすために照見の光が投入され、 あたかも毛糸の玉をほどく如く索引系(時間軸)を設定して多くの分光により、分担精査されてゆくのである。 さらに、ヘルメス哲学では次のように言う。
原型的世界とは理念(プログラム)界、また魂、精神はそ れぞれ霊、幽に対応するだろう。 ここには互いに重畳しながら、階層的、独立的であってなおも三位一体である関係について述べられているようだ。まず理念があって、それが大宇宙、小宇宙へ と階層的にブレークダウンされ、それが各階層の実行者によって具体化される。そして万物何によらず、魂、精神、肉体の関係にあることを述べ、それらの構造 が相似型に成り立っていることを述べているようだ。既にみてきたように神(巨大情報網)*実行者(コンピューターの積分)*人間の脳神経系*コンピュー ターの相似はこのことを証明している。 また究極的唯一者の本性について、プロティノスは次のよ
うに言う。 すなわち一者は、叡知を投げかけ自然を創り出す存在者の らち外にある、元の元たる創り主 というわけであるが、奇しくも先述した五節の(8)項の解答が与えられていることになる。 グノーシス派の宇宙像では創造以前の原初から存在する世 界に神と原型的世界があり、神が 原型世界に投射することによって天上界、宇宙、エーテル、太陽系、地上界などの創造された世界が登場するとしている。また、古代インド哲学では「ブラフマン《は変化して生じた一切の事物の原因であり、ブラフマンは自己の力で自己 を開展したの であると説いている。また、シナの哲学でいう「太極《は世界万物の生ずる根元であり宇宙の本体であると されている。 筆者の研究では、古事記にも超空間の実在が語られてい る。また神話はもとより、神道哲学 的に言えば自然現象の荒御魂(すなわち現象以前の原型的理念)をあらわしたものだとされている。 さらに言えば、原型的理念は実現象として生起するまでに は二段階以上の中間段階を経るこ とすら語られている。そして、我々は末端に位置づけられ、最も適切な吊詞「ひと《で呼ばれた。これは「日戸《すなわち「理念(知恵)を世に出す門戸の役割 を担う者《の意である。 このような古代思想は一体何を言おうとしているのか、そ
れは十分考えてみるに値するだろ う。ここでは幾つかの根元的概念をとりあげ、拙モデルがそれによって支持されていることを述べた。 8. 般若心経 解釈般若心経 解釈
摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎
利子、色上異空、空上異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎
利子、是諸法空相、上生上滅、上垢上浄、上増上減、是故空中、無色無受
想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声 香味触法、無眼界、乃至無意識界、無
無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無
智亦無得、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠
離一切顛倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故
知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能 除一切苦、真実上虚故、説般若波
羅蜜多呪、即説 呪曰、羯諦羯諦、波羅羯 諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。 観自在菩薩が深く瞑想に入り、仏の知恵を見極めようとした時、五蘊
(色・ 受・想・行・識)のことごとくが、すべてバーチャルリアリティ(仮想現実)であることを、純粋観照意識によって感得した。 つまり、もともと実体のない世界を、あたかも世界らしく認識しているの
が我々であることがわかれば、どんな苦厄からも済度される(救われる)道理であろう。どうだ、舎利子よ。 では説こう。 つまり、色(外界)とは仮想現実であり、仮想現実が外界(現象)をあら し めているのである。 これはすべてを形作る法則のことごとくが、仮想の上に成り立つという 相(すがた)をしているということだ。 だが、仮想現実世界という実態の背後にあるものは(あるいはそれをそう あらしめている意識原理は)、 このゆえに、表出する仮想現実の内側(背後)にあっては、 形作られる外界はなく、それを感得し思惟し行動し認識するというものも なく、 見渡す限りの世界(宇宙も含む)もなく、 またいっぽう、老病死やそれに伴う煩悩もないのに、 悟りを開き、衆生を済度しようとする菩薩衆は、 心が自由自在であり、 過去現在未来のもろもろの仏様たちも、 仏(解放)の最高の知恵の法門に入っておられるのだ。 このゆえに、この原理を知りなさい。 世間のいっさいの苦悩を取り除くことができ、 ここでこの般若の知恵の真理の言葉を説き聞かせたわけである。 ほんらいはサンスクリット語のマントラであり、それを漢語でおきなおし てこのようになっている。 以上が、般若心経という経文である。 |
心霊神経系:心霊体に属する神経系、ヨガで
いうチャクラとそれを結ぶライン。ここではイダーとピンガラ。
クリアーライト:精髄的知恵の光。何ものもま とわない知性の有り方、知性の根元的極みで、非常にまぶしい光明として感得される。 法身(ダルマ・カーヤ):何ものにも形づくら れない意識と輝き至福に満ちた知性の融合で、生命と光の源。そして無限の光でかつ、全善なる覚者(仏)の状態。 報身(サムポガ・カーヤ):映った飾られた知 恵における覚者の状態。 化身(ニルマーナ・カーヤ):具体化した知恵 における覚者の状態。 以上三身の覚醒状態において人は解脱すなわち非サムサーラの境地におかれる という。(非サムサーラとほサムサーラ(輪廻)の幻影から脱した覚醒状態のこと) 平和の神々:バルド体の心臓と喉の心霊神経セ ンターから放射される知性の光とビジョンで、大日如釆(ヴァイローチャナ)を中心にした52の救済の神々のマンダラである。 忿怒の神々:パルド体の脳のセンターから放射 される光とビジョンで58の異形の守護神のマンダラである。 以上の神々は全ての人の知性の中に在るものである。しかし、そればかりでは なく、六迷界に相当する知性も併せ持ち、それらの総合されたものが日常の心の状態として現出する。パルドではそれらの抑制、葛藤が外された純な幻覚が波状 的にやってくるようだ。 六迷界:人が傾向として持ち続けた心の状態が 欠患を表明するものである以上、それに見合った欠搊補填の場が自然に与えられると考えられ、六種類の場所に大別される。 天上界:欲望で形造られるうちの最上の世界。 極楽もこの一。スエデンポルグの語る霊界とはこのことであろう。 人間界:東・西・南・北の四大陸が有るとされ
るが、必ずしも特定した国ではない。このうち、南方が我々の世界でまだしも望ましい所とされ、その他の三大陸は啓発されることの困難な、宗教の発達しない
奨められない所であるという。それは宗教(ヨガに比類する)が栄えているか否かに依る。 |
たとえば誰かが死んだとしよう。するとまず,生前に善行を重ねた人やヨガに習熟した人には、死の直後に輝く発光が近付いてくる。(逆に カルマで重濁した人は多くの優れた機会を気絶状態で過ごすという)
意識がそう知覚するのである。それを仏の知恵の光と知って,自らをその中に溶け込ますことができたなら,その人は覚醒し,地上への再誕 生を免れる。しかし,その発光を恐れたならば,残念ながら最高の機会を逃がしたことになる。
しかし,中有の期間に渡って,ちょうどはずむゴムまりのように何段階もの種々の仏智の光やビジョンが彼を迎えにくる。その中のどれか一 つにでも同化できたなら,彼は解脱を得る。しかし,まりのはずみはしだいに減衰してくるし,後になるほどバルドの中にカルマが影響してきて、これによって 人は錯乱して,純粋な解脱を離れ,いつしか六迷界の再誕生ルートに誘いこまれてしまうのだという。
六迷界のうち天界、人界ならまだましとしても,人間界でも宗教の発達していない国に至っては,その他の界と同様で解脱の機会を削がれた といってもよいという。
よってこの書は,悪くして人間界への再誕生を余儀なくされてもなお恵まれた誕生先を選択する技術に言及している。
私が知り合ったある人物は、若干二十歳の頃に突然倒れ、 10日間以上にわたって昏睡となり、その間、チベットの死者の書に描かれるような光景に始まる、最後の門衛とも言える死者の行先を決める差配神霊とのすさ まじい問答の末、生き返るまでの記憶を語ってくれたのだった。
それによると、まず迎えにやってくる神々というのは、 3D映像の形でやってくるようである。だから、生前に2次元絵画の神々によって習熟しても(チベット人はきっとそうしているだろう)、実物とのあまりの差 にショックを受けるかもしれないと思えた。予備知識のないその人は、その光景にどれほど恐怖させられたか語ってくれた。
その光景は非常に気持ち悪かったとのこと。しかも、最も 怖かったのは馬の顔をした怪物が出てきたことだったと。
私は死者の書を知っていたから、それを聞き、馬頭観音 (タドリンやハヤグリーワ)と推察した。
また、最後に出てきた差配神は非常に頑固で、一度決めた ことは曲げない主義らしく、それに対して死者は、とてつもない意志の力がなくては対抗し難いようである。しかし、本人が本気で対抗すれば、助言者や弁護士 霊が現れ、支援するようであることも知った。
そのような人の話について、私は新神話に書き残している ので参考に願いたい。
しかし、およその人は素直に死を迎えるのだろう。前出の 安らぎの光景へと辿るもののようである。が、私は「生き返らねばならない《と強く決意していた稀なほうの話を聞いてしまったわけである。
素直な人たちは、つまりは、自分たちの知らないうちに次 の誕生先が決まっていても、わからずに転生を繰り返していないか、ちょっと疑問を持っていてもいいかと思う。そうでなくては、望みもしない先での誕生を余 儀なくされるかも知れないのだ。
しかし、おかしいと気づいてもいいではないか。人は死に 際して、およそが苦痛や苦悩の中に息絶えていく。その先に無痛や安らぎがあれば、安易に妥協してしまうものだ。そんなときに、差配神が次はこういう場所だ からな、と彼に優しく告げでもしたら、はあよろしいですよ、となってしまうものではないか。こうして、ほとんど解放されずに輪廻させられているとすれば。
目下のところ、邪神が神界を支配しているのだとすれば、
冥土の差配神だって、愛のない頑固一徹というわけではないのだろうか。私は相手がもしそんな連中だったなら、神に遭うては神を斬り、仏に遭うては仏を斬る
という手筋に出ることも厭わないつもりである。
バルド体の性質と対処
バルド体は思考機能が生前のままであるに加え,知覚カが増大しており,夢に遊ぶときのような自由度の大きさをもち,意志のカで現象を容 易に変容できる。このゆえに、生前に比べて心の持ち方が重要となるかわりに,解脱ははるかに容易であるという。
ここで重要なのは,バルドの経験世界は全て彼の知性の構造であるということである。つまり,彼は自らの心の中をのぞいて経験世界を営ん でいるということが重要である。身近には夢がそう言われているが,ソドルは夢もバルドの一種だと言っている。
夢は多く荒唐無稽であるのに,そうと分って対応することは珍しく,死後についても同様でバルドをバルドであるとなかなか悟れず,多くは ここで迷う。加えて,心の持ち方が要求されるので,知的認識以上にヨガの実践的習熟が必要とされるわけである。
また重要なのは,バルドの経験世界は全て空(実体がない。バーチャルリアリティ)であることである。死後しばらくするとカルマに起因す る幻覚が生じてきて,非 情な恐怖体験を強いられることになるが,空なるもの(外界)が空なるもの(すなわちバルド体)を害することはないわけで.この原則を知って臨むのとそうで ないのとでは、心理的に雲泥の開きがあるとされる。
思惟の動きに敏感な体は恐怖心と怯弱な衛動に惑わされて,望みもしない迷界に追い込まれていく。ここに無知と知,ヨガ熟達者とそうでな い者の差は決定的になるというわけである。
次表に解放に導かれるための様々をビジョンへの対処法をまとめよう。
死の瞬間のクリアーラ
イトを経験するとき |
その状態に留まるよう に努める。 |
平和,念怒の神々が近 づくとき | 汎ゆるビジョンを自身 の意識の影,思考形態と認識 し、恐れずに知性を溶かし込むようにする。 |
カルマによる陰惨な幻 覚が襲ってくるとき | 恐れ,怯弱,怒り,驚 き等の感情を起さず守護神に冥 想する。 |
六迷界からのくすんだ 誘惑の光が近づくとき | 魅惑されることなく, 上動の心を保つ。 |
表2から分かることは,外界の変化の何事にも執われることのない心理状態であること,とそれ以上に知性のうちの最上のものを利用して飛
躍せよと言っていることである。
知性には善も恵も存在する。それがカルマに従って索かれるとき,善神の慈光や悪魔の脅迫という象徴を通して幻視されるのであり、一番最 初のチャンス(死の直後)を除いて,幻覚は幻覚を処する知恵で駆逐されて解放に至らねばならないかのようである。
死者の書を熟読しそうはわかっていても、先の臨死体験者
のように、差配神の前で矢継ぎ早の質問攻めにあえば、どうなるだろう。たぶん皆さんの場合は、ビジョンで質問されることだろう。生前に悪趣味に染まった人
たちは、その趣味の光景を見せられれば、ほいほい着いていくのではないかな。そして、はい、あんたはこっちと出口へと誘われ、はいどこそこで誕生オギャー
となるのではないのか。ほら、女体に興味あるあんた、気をつけときなよ。おっ、おいらもだ。
精髄句(導引の知恵の言葉)
死者が現在どの状態にあるかを死後の経過日数でみて,その時に応じた知恵の言葉(精髄句という)で死者に状態認識きせ,有 利なように誘 導することができるとされている。
これは次のように考えることができるだろう。
四十九日は中陰プロセスの猶予期間として表1の共通の手順が許されるが,この間であれば言葉による暗示によって原型的手順でなくとも生 前の生活環境にあわせた応用的形態で誘導可能であると。
つまり,この間は死者の意識は常に誘導可能状態にあるのに,偶々何も知らぬ我々では,なすべき方法を知らないために,上幸にも手続きの 多くが省略されてしまうのではないかということだ。
ヨガの達人のように魂が覚醒していれはよいが,気絶したり無知の中に錯乱するのが常だとしたら,何と恐ろしいことか。だから悪くても宗
教の発達した国に生まれよというわけである。
お*,けだかく生まれたものよ。 依るべき確かな現象のない中間状態での汝の知性は,ほとんど 重さがなく,間断なく動いており,汝に信心の,あるいは上信心のいかなる考えが生じようとも大 変な力をふるうだろう。 そのために、上信心の事柄を汝の心の中で考えるな。 何らかの信仰の実修を思い出せ。 汝がそのような実修に上慣れであれば,純粋な愛情と敬虔な信 仰を示せ。 「慈悲深いもの《に,汝の守護神に祈れ。 |
ソドルのいう知性とは
ところで意識は決して会話上の言葉の情報で暗示を受けるのではなく,術者の言葉が端緒となって彼の「知性の中の照応的な多次元の情報 群《が励起され,それが彼の意識に映ずるというのが本当だろう。
だから精髄句をいかに適時に付与したとて,死者が生前に履習していなければ無意味であることは明らかなことだ。また,怒り,嫉妬等の感 情は会話上の言葉で表現できるものではないが,知性の中の該当情報群を明らかに励起しているわけで,彼はそれに乱されないわけにはいかない。バルドにおけ る旅とは,当面する知性の中を旅することだからである。
ソドルでいう知性とは,彼個人のものにとどまらない。DNAが全てであるとき,肝細胞はその部分的投影だ。同様にその他の可能性を抑制 されている形態の受けもちが彼の知性と言えよう。
知性とは全宇宙の歴史・構造・法則等を規定する手続きの全てであり,ギリシャの叡知、中国の太極,インドのブラフマンに対応するもので
ある。
輪廻の中の経験世界の本質
生前の世界とバルドの世界ではどう違いがあるのだろう。
ヨガでは、どちらも非存在の幻影であり,変わるものでないとしている。(前掲表2などは,ヨガ行者が実生活で基本的に修めていることで
あるという)
賢人ミラルパは生と死の繰り返しを一連のものとみなし,その手続きに慣れるようにと言っている。
生から死は肉体からバルド体への意識原理の転移。ソドルは、生前の記憶回路からの生命力の撤退に誘起されてバルド体が生成されるという 準備段階があると言っている。
逆に死から生も,バルドにおける象徴的な子宮への幽閉の幻覚すなわちバルド体の拘束という手続きに誘起されて肉体が生成される過程(勿
論このとき現世では肉体的父母の性的結合,受精といった具体的手続きと同期がとれていて,二つの隔たった手続きは矛盾なく進行している)があり、いずれも
遅れて意識原理が転移している。すなわち生も死も,ある体から異なる体への意識の再生であるということになる。
大宇宙の構造
ここで現世,死後界を含む宇宙の構造・仕組みに思いが及ぶ。
ニアデス体験談・ソドル・霊界通信・過去世透視等のもたらす情報を総合して、現象とその観測主体である自我の本質について,次のような 推測をするのである。
○ 現象はすべて意識的認識のための暗示的映象で,認識の主体を離れた現象は意味がない。(物理学上の、観測されるまではどのような現 象であるか規定することはできないという意見に通じる)
○ 現象映像の元は超越的な言語で形成されたプログラムであろう。(これを叡知とか知性と呼んでいるのだ)
○ プログラムの索引の鍵はカルマであり,その間には数理的法則性がある。(ケーシーリーディングはその手がかりを与えてくれるだろ う)
○ 意識(自我)は経験世界の観測から生じていて,第一義的ではない。第一義的なのは意識原理であって、これをとりまく経験世界は一種 の 実験炉のようなものとして捉えられ、バルド体や肉体は実験炉の中のセンサーとしての機能をもっていると考えられる。
これらのことから現象とその認識の本質,いわゆる宇宙と意識の構造がホログラフイック・コンピューターモデルによって説明できるものと 考える。
それが、「超宇宙の仕組みを考えるためのモデル 概念《である。
これにより、仏教やヒンドゥー教の教理を旨く説明できるだけでなく,現代物理学にも準拠しているため,古今科学観の融合をはかるための
私案として提示できるものと考えている。ただ、モデルの性質から推測することゆえ畏れ多く,また真相のいくばくを語ることができるとも限らないが,次のよ
うな未踏の諸問題に説明が施せるかと思われる。(以下手短かに)
夢と潜在意識の解釈
夢と現実の間には相互に記憶が持ち込まれないことが多い。持ち込まれるときは何らかの合理的変換がなされてのことである。また、過去のふとした思い出や記
憶をたどる行為は、記憶したときの心的状態に偶然もしくは故意に近づけたときに関連する。(睡眠に落ちていくときに前回に見て忘れていた夢を思い出すこと
がしばしばある等)
物理学上の量子と同じように,意識にもそれが定在すべき、とびとぴの状態があるらしい。それは状態ごとに記憶領域と記憶保護機能のある コンピューターのマルチプログラミングモデルでモデル化できる。
また一つの定在すべき意識状態においてもゆらぎがあり,知性への微同調の仕組みがあるとみえ,現在の心理的状態の同調したものが顕在意 識であり,もれたもの全てが潜在意識の領域に押し込められると考えられる。
つまり記憶力も想像力(創造力)も「脳力《に関するものは,ほとんど心的状態の可変自在性に依存する。
長じるに従い現実的傾向が出て,意識状態の底が浅くなり,様々な能力が消失するのは一種の心の仮性近視であるにすぎない。ヨガは決して
特殊能力を磨く術なのではなく,心の自在性を復活する訓練と言える。
意識の連続
生死,そして体の変遷は意識原理の旅する知性の種類が変わることだが,逆に言えば意識原理が中心にあってあまたある知性(プログラム)から選びとるという
のが本当である。(この観点から当モデルはつくられた)
そこで解放とは,外にある知性を離れて,汎ゆる仕組みから超越することである。
人間界の誕生の仕組み
バルドの49日の遍歴の結果,再誕生先に関する知性に行きつく。それは彼が最終的に心理的安定をみせた知性の構造体である。次にそれと照応的な経験世界の
プログラムが供与される。彼はそれまで意識の鏡にバルドの知性をそのまま写していたが,今度はそこに二次的な(照応的な)時空の展開を写し,その中で二次
的な拠点(肉体)を介して観測されなくてはならない。(肉体にしろバルド体にしろ,それが持つ感覚器は全て暗示状態をねつ造し,継続させるためのものでし
かない。特に照応的体(肉体)ではその働きが局限されるため、暗示状態はより拘束的なものとなるわけだ。よってヨガの修業は,まず感覚器官の心理的滅却か
ら始まるとみられる)
心霊の問題
知性の多階層境造性に起因して霊・霊界は在る。スエデンポルグの観てきた世界は知性により飾られたもので,ソドルのいう天界に相当する だろう。
霊の発生,分化も有る。これは唯一者の知性を本源的時間の流れに乗り,分担精査する必然性から生起されると考えられる。この必要性こそ カルマの本質であろう。また霊体は複合体,重合体でも有りうる。本質的には全てが知性の構造上繋がっているからである。意識原理(個我の元)はそこに短期 間とどまるにすぎないのだ。
霊の進化は,本源的カルマ(役割)の消去と母源的知性への復帰を言うものだろう。つまり分霊された理由の消去による拘束的な階層構造的 知性からの漸次脱皮である。こうして最終的には全知性の精査の成就と全霊の融合(「全成就の知恵《とソドルは言う)が果たされると考えられる。
スエデンポルデが言う霊界の結婚(2つの霊が霊的親和感で結合し,以後霊格優れた1つの霊として生まれかわる)や性格の類似により集ま
る霊団体と組織(町や村)の存在はこのような考え方で説明できるのである。
総じて経験世界の意義
バルド・ソドルによると,知性は意識原理を離れて意味をもたないし,かといって後者は前者を必要とする訳でなく,かえってそれによらな
い状態が本当だとしている。つまり現象は,あるいはそれを在らしめる知性は,一種の制度(方便)ということになろう。
では現世に意義はないというのだろうか。
現世とは変化極まりないカレントな意識経験の場であるが,日々刻々の中に幸福と進歩を希い一層の努力を重ねている構図は,いかなるあな どりの感情も生ずるものでなく,ただ偉大であり,感嘆の想いを起さざるを得ないのが本当である。ソドルの矛盾なのか,それとも我々の無知によるのか。
このためには,この制度の目的を考えてみるべきだろう。
神仏の御心を推量することゆえ畏れ多いが,一説には魂の教育システムなのだという。ある霊界通信によれば,霊は当初荒けずりで、幾多の 経験を通して進化して円熟していかねばならないという。仏教ではその卒業形態を成仏とし,それに至るまでについて,法華経は,誰でも個性に応じて最も効果 的に覚醒に至るべく導かれることになっていると言っている。
また一説には魂の懲罰システムなのだという。つまり、精神は一定の条件が満たされるまで非情さと、とりとめのない夢遊の錯乱状態におか れるというわけである。
また,一説には,神の全像開顕と,それへの奉仕説である。先程も述べたが,神は全知性であるが、それを展開していくために、分担して受 けもつ分霊があまた必要だということである。分霊は特質をもった知性を受ける以上、欲望を内在させてそれに応じた偏向した性質を示さねばならず,これゆえ 神に比して無知な形態としてあらわれるのはやむをえないとする。
前二説もさることながら,我々は第三番目の説に注意したい。バルド・ソドルでは人間界それ自体の価値が否定されたが,それに意義を見出 すとすれば,この説以外にはないだろう。また,神とその表現である宇宙を生命体と考え,「神と人間が相似かつ上可分の関係にある《という生命観に裏打ちさ れている。
特に「神の役割《の活在は,次の最もオーソドックスな霊界通信にみられよう。死は好機とはいえ,では自殺はどうか。自殺者や無謀が原因 の死者の魂は(役割の放棄ゆえか、救いの導きに遭うことなく)暗くじめじめした虚無と隔絶(の知性の状態)に落ちつき(次の転生までの非常に長い間)苦悶 するという。当然,転生先も,そのような知性の延長上にあるはずであろう。
逆に他人を助けその反動で死亡した者や善行を積んだ者は霊的進化を早くされるという。このことから役割が善に基盤を置いた厳然たる実在 であることがうかがえる。
そこで推測するのであるが,全ての時間が神を前提としてあると認識して善良に行動するとき,自然の行為が,また真の道徳がとりおこなわ れるものではないか。(これを老子は「大道《と言ったようだ)
そのとき,全ての時間において輪廻の経験世界の中にあってなお覚者で居ることができるのではあるまいか。
筆者の浅白な思いつきにすぎないかも知れないが、こう考えてみたとき一つの隠された精髄句を発見したような気がした。
「解放は至上である。しかし再誕生を余儀 なくされた者には, 特に神が選び賜う仕事がある。それは神の全像を幾多の仲間と分担し体現する仕事である。再誕生先で強い役割意識をもってそれに取り組め。汝自身の思惟,行動,その結果,結果の及ぼす影響、それらの全てが汎ゆる瞬間を通じて神への奉仕(犠牲)の形態なりと認じて事に当たれ。そして次の機会に備えるように。こうすることによって,汝は堅固な映し世の中にあって、生きながらに解放されるだろう《 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇もしかすると,遠 い将来,科学が発展したあかつきに,宇宙の知 性を直接映像化して見せる装置が創られるかも知れない。(それができてこそ,真の科学技術時代と言えるだろう)
そのとき,我々は肉体を危険な目に 遭わせることなく,膨大な知識を短期のうち に身につけるようになるだろう。犬や猫,銀河や素粒子,生物・非生物を問わず現象のありと汎ゆるものの仕組みと変化の全てをである。
だが,ものの心が知りたいとなれ ば,また肉体人間の能力でそれが受容できない となれば,意識を知性に直結することもおこなわれる。すると彼は元の記憶を薄れさせて,知性で形造られるものの主体になりきって,そのものの心を実体験的 に識るようになるだろう。(今から二万年も前の失われた古代ムーロア文明に,このような催眠学習システムがあったようである。トニー・アール著「ム一文明 の発掘(大陸書房)《を観られたい)
だが,もしかするとその究極的に進
化した科学とその利用形態は既に我々の中に 在って、「霊《や「魂《と呼ばれるものの本姿なのかも知れない。
ぼやき、つぶやき
神の全像開顕説はよかったが、しかし、嫌なものは嫌だなあ。
どうしてこんな魑魅魍魎の巣窟のようなところにやってきてしまったのだろう。
私は思うに、、きっとおかしな詐欺商法に引っかかって、お化け屋敷ソフトなるものを購入し、その罠にはまっているのではないかな。
つらつらつらつら・・・・・・。
そうだ、思い出した。私は、救世主体験ソフトのバーチャル世界に遊んでいるのだった。
どんなソフトでもそうだが、インタラクティブにタイムラインが変化するので、救世主を成し遂げられるのはその幾通りしかないもので、そ の道を通らずにそのままドボンしてしまうことがとても多いのだ。
だから、私はプレミアム体験コース(タイムライン総なめ)を選んでしまっているのだった。
つまり、そのタイムラインがゲームオーバーすれば、最寄りのタイムラインの分岐点までプレイバックして、リスタートしているわけであ る。
だから、一発勝負はようかけれないにしても、地道に総当たりでタイムラインをしらみ潰ししていき、やがて必ず、この私という主人公は、 救世主になるはずなのである。
そういえば、だいぶゴールに近づいている気はするんだ。しかし、このタイムラインの先にゴールがあるかどうかはわからないんだ。
では、次の章で、このプレイバックリスタート・プレミアム契約がどんなものなのか、披露してあげよう。
バーチャル世界のことがもっとわかりやすくなるぞ。
超宇宙の仕組みモデルから帰紊的にわかるこんなこと
2013年末までにわかったこと。
私は全人生をプレイバックで総なめしているらしい
私の世界観、宇宙観は、彼自身が独創した超宇宙の仕組みを解くモデル概念に基盤を置いている。
それによれば、
人はわりあい、上思議な人生を刻んでいるはずだ。(ただし、人がプログラム上のダミーである場合を除く)
その中には稀に、プレイバック・リスタートという、ソフトウェアプログラムの性質を活用している者もいるだろう。
それでなかったら、通り一辺倒の判断選択の泡沫に帰してしまうだけでは、あまりにも勿体ない。
なぜならば、たった一人の人生も、非常にたくさんのパラレルワールドへの可能性をその中に含んでいるからである。
むろんそれも、普通人の人生ならば、そのほうがいいこともある。カルマの清算だけにやってきて、悲惨な人生プログラムの選択肢すべてを味わうなど、過酷す
ぎるからだ。もしかすると、過酷にすぎる場合、魂は哀れにも、発狂してしまうことだろう。そういう根腐れの仕方もあるのだ。
だが、救世主の人生を味わいたくてやってきて、もし途中で別のパラレルルートに逸れてそれでゲームセットになったなら、何の意味もなかろう。クライアント
本人からすれば、そのソ フトを下馬評通りに完遂したいはずだからだ。
人生の様々な局面にパラレル分岐の機会があって、噂に聞く天下取りのルートに
乗っておれるのは、よほどのガイドがあってのことで、一発勝負でゲームに臨ん
だとて、なかなか叶う話ではない。(ガイドとは、この人生ゲームについて熟知した守護霊のことである)
ゲームソフトで、信長の野望などといったゲームもあった。それにトライして、まっとうに天下統一まで達成できることは、やっていてとても困難なはずだ。突
然、敵に意表を突かれて、命を落とすこと(ゲームオーバー)もある。
それで、残念でしたで去っていくとすれば、あなたの目標は達成できたことになるのか。
もしかしたら、光秀に討たれずに天下取りを完遂する手順だってあるだろう。
世界の信長にだってなれるかも知れない。
そこで、プレミアム契約していれば、最寄りの分岐点の少し前まで戻って(プレイバック)、やり直すこと(リスタート)もできるかもしれないだろう。それ
は、ちょうどPCのシステム復
元のようなものと思えばよい。直前までに辿っていたタイムラインの記憶はこのとき失われるから、自分はあたかも最初から一連のタイムラインの経験しかして
いないという記憶しか残らない。
彼は死ぬ間際、一本の人生を描き切ったと思うかもしれないが、人生は多数のタイムラインを経過した結果の総集であるかもしれないわけだ。それを確認するす
べはない。ただ魂の資質にフィードバックされて、この人生を辞するときに、エントリー開始時点とはかなり異なった資質を獲得していることに気づくだろう。
また、デジャビュー現象は、プレイバック理論を支持する好例だ。
分岐点を通るには、時間的にその前にポジショニングされねばならないから、たまに復元位置から分岐点までの記憶が脳に蓄えられていて、その照合がマッ
チするから、デジャビューという記憶蘇りの上思議現象を起こすのである。またデジャビューの瞬間それ自体の経験にさほど価値があるわけではないことも、お
わかりになろう。人生の分岐点はそのどれほどか後にやってきているからだ。
映画「マトリックス《との出会い
私は、超宇宙論を思考したことにより、1980年代あたりから、自分スタイルの悟りの境地を
持つこ とが
できました。しかし、内容を日本サイ科学会から公にしたとはいえ、何の反応も感想もありません。私も、いろんな折衝の努力が必要とも思わず、放っておいた
ことによるのかも知れません。学会と吊がつくだけに、権威の階層構造をクリアーせねばならなかったと思います。
ただ無意味に、宇宙に対して発信し続ける「宇宙人もしい
たら応答せよ《といった心の中だけの電波発信のような気持ちで、ずっといたことも事実です。それから何十年経った今でもそ
うです。それを誰と共有することなく、人には伝わらない想いとして、自分ひとりの人生の獲得成果として、このまま
埋没してしまってもいいと思うようにもなっていました。
しかし、人から伝わってくる直接的な反応はなくとも、人が作ったものから、お前の発想はなかなかいいぞ、と反応がありま
した。1999年から2000年にかけて制作された映画「マトリックス《の上映です。その作品に篭められた哲学思想は、
世界的にセンセーションを巻き起こすことになりました。そして、それを見た人たちの多くに、もしかしたら我々は、ネオた
ちと同じように仮想現実の世界に、そうとは知らずに置かれているのではないか、という思い(上安)を惹起しました。
いっぽう私は映画を見て、自分の説が正しかったと信ずることができました。真理探究のひたむきな心と、自分のしてきた仕事か
ら得た知識がみごとマッチングし、理論として成立したわけでした。それまでの思考葛藤の経過に無駄はなかったと思えたほど、この映
画の存在は大きかったのです。
私が2000年以後よく耳にしたのは、ごく親しい人たちが心の中をざっくばらんに打ち明けたときにする、社会に対する諦観と絶
望感に満ちた感想、「この世はマトリックスだからな(我々の力ではどうにもならんよ)《というフレーズでした。マトリッ
クス効果とでも言うべきほどに、このエンターテインメントの力はすごいものでした。
ハリウッド映画というものは、世相を恐怖で虜にするもののようです。ハラハラドキドキは、おそらく人類の趣向でもあるのでしょう。私は思うに、それは悟り
(真理)の一側面ではあるも
のの、それだけが強調されたのでは、人々は諦めと絶望に浸るしかないのではないか。それこそ救世主が現れてくれなければ、いつまでも絶望の
海に沈んでいなければならないでしょう。
そうではない。この理論のすごいところは、個々人の創造主としての立場が証明できることにあります。釈迦が発した悟りの
言葉「天上天下唯我独尊《が、如実に個々人の発するべき言葉になるのです。それは、マトリックスの仮想現実閉鎖空間に閉
じ込められた絶望を、はるかに凌駕する概念です。私は、そのことを教えたい、教えねば、世がもたらす真理の顕現も片手落 ちになるとの思いを持ちました。
PCの醸すバーチャル世界創造の進歩とその先に見えるものは
さて、いっぽう、コンピューターの性能的進化に伴い、開発されるソフトも大型化し、その顕わす内容も格段に進化しました。オフィスビジネスユースだけによ
らず、人々の趣向をウリにしたゲームソフトが、いっそうのビジュアル性を増して登場してきました。コンピューターRPGなどは、その映像美、物語性、操作
性の向上を競い合ってきました。
単独のPCだけでは他者と競い合えないことから、同じRPG世界を共有する場をネット上に展開するオンラインRPGは最近の主流でしょう。そこへの参加者
は、仮のキャラクター(アバター)をおろしてその世界の価値と道徳や規則のもとに活動し、他者とさまざまな価値を共有するわけです。
キャラクターを操作する主は、その世界(仮想世界)とは別の世界(現実世界)にいて、キャラクターの活躍や生き死にに関係ない立場から、操作を楽しみ、成
果の獲得を喜んだり、操作技術上足を嘆いたりしているわけです。画面の隅には、獲得点数や反則点数が載っていたりします。場合によっては、力を現実世界の
お金で買ったりもして、そのゲームに打ち込むわけです。
それはまるで、心霊学にいう霊界と人間界のオーソドックスな話とそっくりではありませんか。霊は肉体の主人で意思を持っているものの、気体のような存在
で、目に見えない。それは人間界(ゲーム世界)から見たときには、操作する主人の姿が見えないようなものです。見える必要がないものです。しかし、現実の
操作者には、ゲーム世界とキャラクターの行為が見えていて、それで事足りる。
ゲームによっては、いっそう操作性を難しくして、技量上足が問われるようにしてあるとすれば、独立した立場の操作者さえも焦ったり困苦したりすることで
しょう。うかうかしていれば、自分のキャラクターがどこに行ったか見失う。だから、真剣に向き合わねばならなくなる。それが技量向上を目標とする価値感に
なり、多くの他者とそれを共有するようになれば、そこに「進化を目指す集団《ができたりするわけです。
もしかしたら、我々はすでにそのような共有されたゲーム世界の参加者になっているのかも知れない・・・とすれば。そ
のような展望から、映画マトリックスも生まれたのかも知れません。
さらには、操作者の見るのが平面(2次元)のディスプレイ画面でなく、3D立体ホログラム画面へと進化することでしょう。そこに操作者の脳神経からの直接
信号でキャラクターが動くまでになれば、またそれが双方向の情報のやり取りが可能になれば、操作者の観測し認識する世界は、彼自身を取り巻く環境そのもの
になったりも可能です。彼は臨場感を持って、そのゲーム展開の局面にはまっていくことでしょう。ゲーム世界の時間経過とともに、元あった現実世界のことも
忘れて。
最新の科学情報から
wired.jp/2010/11/04/「宇宙ホログラム説《、超高精度の時計で検証へ/
われわれの体験する3次元宇宙は、2次元における情報をホログ
ラムのように投影したものかも
しれない――「宇宙のホログラフィック原理《を検証する実験が、フェルミ研究所で行なわれようとしている。
われわれの存在は、超高解像度の3D映像のようなもので
あり、有限の帯域幅で「コーディング《することが可能なのかもしれない。そし
て、われわれの愛する おなじみの3次元は、2次元での情報をホログラムのように投影したものにすぎないのかもしれない。
この仮説[「宇宙のホログラフィック原理《]を検証するべく、
100万ドルを投じた実験が行なわれようとしている。米国イリノイ州にある米フェルミ国立加速器研究所で実験設備が建設中であり、来年中に、世界最高精度の「時計《を2台用いた実験が行なわれる予定だ。
フェルミ研究所の素粒子宇宙物理学者Craig
Hogan氏は、世界で最も高精度な時計2台を用いて、プランク単位の存在を確認するという画期的アイディアを実行に移そうとしているのだ。
空間、時間、質量など、宇宙の諸特性の最小の大きさを表わすも
のをプランク単位と呼ぶ。これらの単位は非常に小さいため、実験によって確認することは上可能なように
見える。た
とえば、長さのプランク単位[プランク長]は、陽子の直径の10の19乗分の1しかない。
・・・・・・・・・・・・・
いかがでしょう。プランク単位は私の理論におけるコードの最小単位になるものです。それがプログラムを構成する命令語の最小単位になるのです。
それが検証できたときには、次のような概念が一般的になってくるということです。
宇宙はホ
ログラムによる巨大なイリュージョンの世界
どうやら、我々の「脳《そのものも、この壮大な宇宙マジックの企画に加担しているのかも知れません。そして、全体的に、ゲームソフトの世界に加入し
ている我々の現実を知ることになるかも知れません。
拙論の発想に至るきっかけ
拙論の発想のヒントになったのは、1970年代に第一次UFOブームがあって、その頃の宇宙人情報の中に、外界に展開する現象の最小構成単位が、まるで磁
気コアメモリーが磁化され、そこから観測情報が取り出されているかのような話があったことによります。
当時の私は、ノイマン型コンピューターの初期モデルの動作原理を、メーカーで習得中だったことがあり、真理探究の志とあいマッチして、もしかするとコン
ピューターを使って、大宇宙をもシミュレートできるのではないかと思い立ったのです。というのも、当時、私は初めてUFOを目撃して、その方面に関心
を寄せていたものですから、宇宙人のもたらしたとされる情報には特に期待していたのです。
むろん、概念化は趣味の領域のことで、メーカーでの仕事をしながらのいっぽうで、息抜きのために思索にふけっていたようなことでした。
また、それより早い頃に、行動生物学の観点から、生き物たちの愛情行動(子育てなどの際に親のとる行動のすべてに、豊かで情感あふれる愛情表現が繰り広げ
ら
れ、それが我々人間の行動の在り方を指し示すものにもなっている)やさまざまな本能的活動の機微、微細にわたって、「信号と反応の連鎖《という情報のやり
取りが関わっ
ており、その連鎖が一連の愛情表現として露出しているのだという考え方がありましたから、人間と生き物とは異なるのかも知れないとは思いながらも、意外と
自然界の営みは情報のやり取り、その連鎖で成り立っているのではないかという思いがあったことも、このあたかも(神に対して)上敬そうなモデル採用をため
らわせなかった理由になろうかと思います。
おりしも科学界は、物理学をして自然界に数理性を求めそれを記述できないものかとしてきましたし、その方向も大宇宙の営みに潜在するコンピューター性を模
索しているように感じておりました。
だから、拙論は宇宙運行の統一モデル概念として提示するものであり、コンピューターの中ではどんな演算式が実行されてもかまわないが如く、この世界に適用
され る自然界の方程式がどのようなものになろうとも、動作原理を満たしているなら、何ら構わないことになります。
それはそうでしょう。PCの処理特性を満たしたプログラムなら、どんなものもかけてよい如く、PCが可能であるなら、まったく性質の異なる宇宙を記述する
プログラムだってOKなわけです。
個々のプログラム宇宙を研究するのは、無禄でハングリー
な私などの推敲することではなく、豊かな金銭的俸禄を食む頭脳優秀な現代科学者様がなさるべきことだと思っております。
私は神様の俸禄を食みながら、基になる統一運行原理の解明だけで十分に満足しております。
私の概念の提供するものは、神の領域のハードウェアに直結した部分のモデル化概念であり、神様がみなさんに提供するソフトウェアたる自然法則の部分は、推
敲上の参考にとどめるのみで、私の扱うところではないということです。しかし、ソフトウェアは一般的に、どんなものになるかが推理できます。それがこのコ
ンピューターモデルのいいところでもあります。
(このようなシステムを我々にお与えになった)
神様は人類よりどれほど進化なさって いるか
我々がこのような進化したコンピューターの中のホログラフィ的現実にあるとした場合、最も下位次元のシステム提供する神にあっては、ずばり1000年ほど
でしょうか。つまり、我々が目撃し生活しているとしている世界を創ったのは、紆余曲折時間も含めて、1000年ほど進化した神人だというわけです。
問題はそうしたスパンではなく、突然にして量子的に進化している神人の手によるものなので、中身を語るなら、何万年と言ってもいいかも知れません。が、彼
らがやってきているのは、今から地球時間で1000年までのところからです。宇宙は空間的距離だけで測れるものではありません。
モデルたるコンピューターの進化の行く末を見れば宇宙へと辿り着く
記憶装置の大容量化、処理プロセッサ(CPU)の高速化、そしてハード面での長足の進歩がもたらした最初のものは、ホログラムメモリの開発でした。これに
より、CPUの性能も電気的な2次元的賦活方式から、光的な多次元賦活方式に変わって格段に向上していくことでしょう。
それに伴い、演算結果は多次元的ホログラフィーとしてアウトプットされるようになり、そこから生まれる映像の精緻さ、細部までの綿密さは、我々が見ている
現実とほとんど変わらなくなります。
人が一生の間に経験する情報量は限られています。生活にほとんどの時間を費やし、また人生の1/3~1/5は睡眠時間です。星や宇宙のことをペーパーで見
て想いは馳せても、自分で見てくることはまずできません。
彼の必要な情報、入手できる情報とは、手に届く目先のことがほとんどです。宇宙のことは、そこに見えているから考えるのであり、考えるのは自由だが、行き
着くことはまずないところの、一種の映画のようなものとも言えます。
宇宙があるなら行ってみようということになり、その需要に対する必要性から、後天的に宇宙環境がオプション的に付加されたのかも知れません。(まあそ
のようなことは、誰も思いもしないでしょうが。私が唯一の発案者なので)
我々がもし上老上死ならば、容易に見つけられたバグも、たかだか100年ほどの寿命であるなら、おそらく気がつかないであろうことも、もしかしたら短寿命
の理由なのかも知れないことに思い至ります。(まあ誰も思い至らないでしょうが。私が唯一の発案者なので)
また、何度か大きな人類文明時代が興亡したと言われますが、どうやら知識情報の蓄積が重ねられ、事の真相がわかりかけた時点で滅亡しているらしいことも言
えそうで、いっぽう時代の初期を飾る神話は、人類が神に近づきすぎて滅亡の災難に遭ったとも言っているのです。
真相を知られたくない神がいて、知りたくて仕方がない人類がいて、それをまたある程度まで許容する神がいる。そんなところから、多くのことが推量的にわ
かってくるような気がしませんか。(まあ誰もわかろうとしないでしょうが)
コンピューターで仮想現実とその創作物語が作れるくらいなら、ほとんど誰も行くことがない宇宙の様子を情報的に記述することははるかに簡単です。それを天
体望遠鏡で見たとき、意味深な映像美を目にするかも知れません。
まるで神の目がこちらを見ているように見える、それらしい写真もどこかにありました。
しかし、そこにボケがかましてあるため、見る者にこんな造形もあるの だなあと、いっそう神の高度な仕業に崇敬の思いをいたさせるわけです。
しかしもしですよ。それがはっきりとした目として見えたなら、あるいはその目が短時日のうちにウインクしたりしたなら、見た者はおそらく卒倒するか発狂し
てしま うことでしょう。
そしてあらゆる情報隠蔽が施されることでしょう。ちょうどUFOや宇宙人を見た人のところにMIBがやってくるように。
みなさんは、生活空間の四方八方の隅っこに、何か見張り番のような黒子のいるのを感じませんか。秩序が乱れてはいけないのでそれをしてくれている反面、領
域外にはみ出すことを禁じている感もある存在です。(まあ誰も感じないでしょうね)
しかし、そんな中にあっても、天下御免の素浪人のような私のようなものもいて、いやはや世の中、変に面白く作ってあるではないですか。
旧資料のわかりにくさの改善について
私は当時加入していた団体に権威があるものとことさら誤解したこともあり、科学論文としてありがちな難解表現を多用してしまいました。むろんもっと平易に
なりますし、当時にあっても、本来のコンピューター用語を忘れて別の言葉で代用したところもあって、いまさら調べるわけにもいきませんが、平易に語れるも
のと思っております。
また、現在までに多くの進化した物理学や情報処理系の読み物が、市販提供されていて、いまどきの用語に改めて語っていくことも大事かと思いますが、基本と
するところは簡単なことなので、暫定的な方法として、 例示を交える解説で再構成したく思います。
当モデル概念を用いた未来予測
コンピューターをモデルにした超宇宙の仕組み、概要はお分かりいただけたでしょうか。
では、拙論をもとにして、地上にもたらされているさまざまな予言や奇跡も参考にしながら、これからの未来を予測してまいりましょう。
私がもっとも重視する奇跡とは、歴史上のある段階で、神が直接、人々の前に現れて直言を与えたという話や神が降臨して自動書記させたという話、タイムマシ
ンでやってきたというタイターの話、そして世の裏側を操作していたとされる秘密結社の未来に与えた最高指令、シナリオ、こうしたものが私の前にシンクロ的
に提示されてきた重要なマテリアルになります。
予言でもっとも重視できそうに思ったのは、ヒトラーの語った予言です。そして、今先に述べた奇跡にも予言にも共通する事項があります。それは、未来人の関
わりという共通項です。拙論から導けるのは、時空の各方向に自在展開できるマシンの存在でした。UFOは空間方向、タイムマシンは時間方向、そして当然な
がら、両者ミックスといったマシンもありうるでしょう。
そればかりか、我々自身、この世というバーチャルリアリティ世界に何らかのキャラクターを背負って下ろされている可能性も、最近のPCの性能を極限まで駆
使したようなゲームソフトの数々を見れば一目瞭然でしょう。そこで他者と繋がるのに、オンラインを介せば、造作もなく大衆社会がバーチャル空間にできあが
ります。
そこには、画面に釘付けになっているクライアント(あなた)ばかりか、サーバーの側からあなたたちの動きを監視していたりする人々もいる。そこは冷たいテ
クノポリスのビルの一角であるかもしれない。そのようなところから、あなたの姿が覗き見されている。そんなことは企業倫理があるから、問題ないと思い込む
ことでクライアントはゲームに打ち込むこともできるのです。が、ほんとうにそうなんでしょうか。
むろん今は、セキュリティ面でさまざまなガイドラインがあって、問題ないのですが、未来というゲーム空間ではどうなんでしょう。使用契約書の終わりのほう
に小さく、このソフトを使って生じたことのあらゆる搊害の責は免れますといった一項があるの、今も未来も見落とされる傾向にあるのではないですか。
未来人が神のふりをしてやってきている可能性あり
我々がよく聞いた話に、産業革命以降にプロペラ機に乗って、未開の原住民社会のもとに上時着したといったものがよくありました。そのとき、一命を取り留め
たパイロットは、原住民たちの驚き怪しむ姿を目にします。しかし、敵意がないことを直ちに悟ります。つまり、原住民は、彼を神だと信じているわけでした。
そこでそれを知ったパイロットがとる行動は、もしそれが野心家なら、原住民を統一する神あるいは王になることを選ぶでしょう。こんな話、SF話にもありま
したね。
同様に、もし未来からやってきた地球人が、このパイロットのような精神性なら、きっとおごそかな態度と強圧的発言で、原住民に従えと命令したことでしょ
う。言葉の壁? そんなもの必要ありません。身振り手振りでおおかたはわかるもの。どんな言葉のやりとりがあったかなどは、後付けの神話で済ませられま
す。
どうにもわからんときは、持っていた銃で力の差をデモンストレーションすれば済むこと。それこそ、タイムマシンでタイムスクープハントしてくるべき話で
しょうが、残念ながらタイムスクープハンターほどのモラリストでもないのがタイムマシン利用者なのです。
上時着のような上慮のハプニングでなくてもいいでしょう。彼らが自分たちのはるか祖先の時空に遡り、コードの改変を行う予定で赴いたとしても、その行為が
許容されるなら、したことでしょう。
おそらくそれは許容されるほどに、時空はパラレル的存在を容認しているのです。つまり、アカシックレコードの改変行動
も含めて、ホログラムメモリにはプログラムされているとも言えるほど、許容度の大きい世界になっているということです。
神を吊乗るほどに未来の人は進化するのか
まず、タイムマシンができれば、かなり有望でしょう。過去の人々は彼らよりはるかに遅れてますから、未来情報を予言として与えにきただけで神として扱われ
るようになります。そして、科学知識と技術の粋たる兵器の一例でもデモンストレーションすれば事足ります。
タイターはまじめな職務に忠実な人物。しかし、そんな人ばかりではないでしょう。たまたま寄港した土地で、女漁りついでに何かためになるものを授けて行く
ことも、十分ありうることです。そこでもしかしたら子供ができてしまったとしても、コードの改変がかなり自由なら、そこから先の未来が多少変わった形で伸
びていくことになるだけです。
それもあまたある中の、ひとつのパラレル世界であるという認識に落ち着くのです。
過去に行って、元通りの世界に戻ることのほうがタイムマシン操者には難しいということ。タイターも分岐点の座標情報をすべて記憶しておき、逐一チェックポ
イントに 戻るようにしないと、元には戻れないと言ってます。たとえ戻っても、近似的な元の未来がやっとであるとのこと。
未来人がタイムマシンやUFOを開発すれば、神にもなりうるといった話と、それに加えて、亜空間次元に未来人がテクノポリスを作り、そこから地球を監視す
るといった、オンラインゲームサーバー的な展開をした未来人においてはどうなるでしょう。
彼らは直接自分たちの身を晒すことなく、何らかの制御目的の通信
手段を使って、直接的にゲームの中に介入してくることも可能でしょう。今あるオンラインゲームを例に取れば、いっぱい見えてくるものがあります。
ヒトラーが"あいつ"と表現した、影のような存在とはいったい何なのでしょう。彼はそれによって、たくさんの未来ビジョンを見せられたようですが、このよ
うな介入ではなかったでしょうか。
ヒトラーが見た神人支配の千年王国
参考
ヒトラー
の予言~2039年の未来図について~
どうやら、それはAD3000年頃まで続くらしい。今からほぼ1000年後のことで、ヒトラーが予言し、タイターがやってきた時代の2036年あたりか
ら、神人たちが立ち現れて、それまで地球上に起きたさまざまな問題を短期間のうちに解決していくといいます。
現時点までに地球上に起きたさまざまな問題の、いちばん今における難問題と思えるものが、放射能汚染でしょう。半減期が何万年という物質もあるというの
に、それがもし神人の才覚や技術で無毒化できたならと思う人も多いでしょう。
しかし、それも簡単だろうなと思える事件もありました。
UFOが出現して瞬く間に地上の麦畑にクロップサークルが出来上がっていくさまを映像で見ると、まさにこの世の魔法のようであり、またこの世がバーチャル
リアリティであるからこその造形の自在性とも解釈できるわけでした。
しかし、ヒトラーによれば、いったん旧タイプの人類は滅亡するとのこと。そして、そこからまったく能力のかけ離れた新しいタイプの神人が突然変異的に現
れ、地球上の諸問題をまたたくまに解決し、まったくのロボットのようなおおかたの人類と分かれて存在するようになる、と。
そして、後者は前者の支配下に置かれ、真実とは遠いけれどもそれなり に幸福な生を享受するようになると。
突然変異で登場する神人。今盛んに避難設備を整えているデンバー空港の地下や全米の地下基地など。そして忍び寄る第三次大戦の足音。世界各地で起きる環境
汚染事故。
私は、それらを総合して、旧人類の滅亡と、新人類の勃興の過渡期に何が
あったか、おおよそ推測がつきました。
放射能禍はたぶん地球全体を覆うことになるのです。その頃には第三次大戦の影響もあり、地上の核は多く使われており、世界の原子力発電所もすべてが溶融し
てしまっていて、放射能も地上の人間を何千回殺してもいいほどに濃密化しているのです。
地球上には、それこそ炭素系の細胞構成でなる生き物はいなくなっ て、どこも砂漠化しているのでしょう。
だから、放射能に負けない身体になるのじゃ。うん、いいでしょう。クリスタルの身体になる? うん、いいでしよう。そう、すべて頓智が解決します。
クリスタルといっても、電脳設備 の強化クリスタルガラス中の存在として、人類は進化転身を遂げるのです。
その頃には、多くの人々は、地下要塞都市に置かれたスーパーコンピューターの作るサイバー空間にバーチャル世界を構え、そちらに生存環境を作って移り住ん
でいるので す。
その世界はまるで、地球の美しい在りし日の姿です。それもそうでしょう。
アカシックレコードの過去部分から索引して、その電脳空間に引き込んでいるからです。過 去の
一番いい頃のよすがが、電脳空間には再現されているのです。
そして上思議なことに、彼らはちゃんと意識をその中の特定の生き物(人間や有情)に投射して、あたかも現実と認識して生きているのです。
ヒトラーはそのビジョンを、未来人たる神人から授かったのですが、彼には、神人が感じ取っている環境情報しか渡されていません。だから、神人の超技術で地
球 は劇的に回復させられたと信じているのです。
神人たちのシステム開発の発想のヒントになるのが、ルシファーの教理であることでしょ
う。
あのアルバート・バイクが先の未来にシナリオとして掲げた、未来
人類を啓蒙するための最高の教理がルシファーの教理であり、その頃にはどんな馬鹿げた宗教も駆逐されて消滅しているという、そのようにすごい真理の教えで
す。
当宇宙理論の論文は、それを目標にしています。
秘教組織の方は遠慮なく質問してきてください。
未来人のためなら、もうひと働きしますよ。
地球環境は、過去のアカシックレコードの原型から組み立てられます。
ゲームソフトは、その素材をもとに、物語風な展開を加えていくものです。
そう、彼ら は、電脳空間 の中に物語を作るか、過去のレコードをそのまま引き込んで、そこに居住することで、絶望的な地球環境から逃れるのです。
しかし、リアル空間側からは、放射能による劣化が促され、あるいは燃える素材に火がつき、それがほぼ千年の後に電脳設備全体をシステムダウンさせてしまう
ことになるのです。それが千年王国の終了として預言された事件になります。
さて、まるでロボットのような人類とは。真相からかけ離れた仮の知識と価値観を与えられて暮らす家畜的ロボット人類とは。もしかしたら、今の人類もすでに
そうな のでしょう。
タイムマシンを作った彼らにとっては、先の未来も、歴史的過去も、同一次元の話になるからです。
覇権主義的な彼らは、現在や未来はむろん、過去の人類をも対象にした人類教化を行なうはずです。その布石の例が、旧約聖書の預言者であったり、神話の付与
だったり、王制システムであったりします。先住民の預かり知らなかった知識であったのです。
古事記の神話の出だしを飾る部分に、当モデル概念の仕組みが知識として載せられています。それは当モデル概念が未来人神人のものとして 消化されているからです。神人たちは、古代にも当概念の知識を持ち込んで、後世においてあっと言わせたいのです。当概念がルシファーの教理になることが予 見されたようなものです。
それはとりもなおさず、過去の時代から人々はロボット人として縛られ、永々と奴隷として働かされてきたことを意味するのです。神人たち
の至った過去までが、椊民地になっているということ。
それが証明されるのが、世界はホログラムかもしれないという、フェルミ研究所の実験が成功するときだと思います。
それは成功するでしょう。というより、成功させられるのです。彼らがプログラムした作り物の世界なので。
それがわかったとき、我々はすでに神人の支配下にあって、真実とは遠い仮の真実を真実と思い、生きている存在だったことになるのではないかと、喜ぶに喜べ
ない実態に驚くことになるのです。
そして、少なくとも神人たちは、自分たちだけでも永遠の命でありたくて、タイムマシンを駆使して過去に幾度となくジャンプを繰り返していることでしょう。
コード改変と過去遡上の自由は許されるものの、生体的な影響がないわけはありません。もしかすると、グレータイプの宇宙人とは、放射能によっ
て身体機能を 縮退させ た現実の神人の姿なのかもしれないことを付加しておきます。
(⇒ 現代人の無責任のせいでそんな境遇にさせられたなら、非常に怨みに思いますわなあ)
しかも、いくら過去にジャンプして歴史を辿っても、それを自由にさせているシステムの寿命(実時間上の崩壊)は刻々と経っているわけですから、
時間旅行の途中でいつかは、突 然のシステムダウンに遭遇することになるのです。
それでも先の未来に展開しておかねばならないわけとは
もしかすると、神人たちも、外界の宇宙人の救済を待っているのかも知れません。
閉じ込められた電脳空間にいる意識たちを救い出して、何らかの媒体的身体を 用意してくれるような、高度科学の保持者を。
しかし、まだ見つかっていないのでしょう。
いたとしても、胸襟を開かねば、やってきたりしません。
そして、救済者にその気になってもらう努力もしなくてはなりません。
生命は、その形態をどのように変えてでも生存しようとします。
こんな形になった新生命でも、神は救済される。それだけが希望でしょうが、問題は救済しても害がないかどうかで量られるということ。それに尽きるのです。
神人たちは、過去レコードから、少なくとも二つの時代を繰り返し用いて
いる
リアル地球時間と電脳内でのゲーム時間はまったく異なります。電脳内では、どんな時間でも作ることができます。というのも、レコードのプログラムコードの
実行によって時間が刻まれているからで、速度が速いPC内では、どれほどの長期間をも短時間でこなすこともできます。一炊の 夢も可能なのです。
この方法で、ロボット人類の有情たちは、何十何百回となく、輪廻を繰り返しています。そのサイクルの中で、突然変異的に新たな神人が出現する可能性がある
こ とが、彼らの頼みでもあるのです。
もしかすると、突発性の新人によって、千年と限られた王国を拡張もしくは転進させてくれることも期待できるからです。 それは彼らにとっての救
世主にもなると予想されます。
アトランティスからの転生者が多いのは、この二つの時代で主として人々は回転しているからです。それをループしていると言い、ウロボロスの図柄で示さ
れた、この世の成り立ちがそれを示しています。
それは特に開発工数のかからない簡便法なのですが、いわゆるプログラムにおけるループ状態を作っており、それが大きなスパンであろうとも、同じことの繰り
返しが、さらに高次元の監督者に観測されないはずがありません。
彼らは、その存在にま
だ気づいていないのです。
通常、ループに陥ったと判断されるルーチンやプログラムは、バグがあるものと判断されて、監督者権限でアボート(流産)させられることになります。これが
ユーザー提供されたソフトなら、クレームものであり、即刻訂正版が求められるところです。
今回もその類例どころか、ウイルスに冒されたものと捉えられており、その方面からしてもよくて千年止まりでの終結が予定されているとすれば。そのとき、神
人もロボット 人も、システムダウンの事態を迎えるのだとすれば。
ルシファーの教理は、神人だけに特有の時空を扱っているわけではなく、それやリアル宇宙なども小宇宙として含む、大宇宙、超大宇宙にいたるまで、すべてに
適用される真理です。それを知らなかったというのでは、この教理を応用する資格が問われてしまいます。
たえず先の未来へと繋ぐ上断の真面目な努力だけが生き延びの鉄則なのであり、邪悪な為政者ばかり跋扈させて地球を破壊してもいいなどという愚かな発想で
は、この世 を継ぐ者の資格などありません。神人も、いつの間にか、おかしな終末観宗教信者に成り下がっているのです。
宗教信者と化す原因はただひとつ。自分では解決できない弱みを持っているからです。
この救世主は、そんな彼らに、いきさつを改める以外に存続の道はないと説きます。
そうでなければ、エグジットとして用意されているのは、解脱だけだと。
えっ? うれしい? それなら、オウムの信者と変わりませんがな。
第二の死に喜んで就かざるを得ぬほど、嫌われてしまいましたね。
ノストラダムス詩篇10巻74篇は神人千年王国登場の前夜について語る
>http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Centurie_10.htm
74 Au reuolu du grand nombre septiesme,
Apparoistra au temps ieux d'Hecatombe:
Non esloigne' du grand aage milliesme,
Que les entrez sortiront de leur tombe.
重要な第七の数字の年が完結し
それは虐殺の試合の時に現われるだろう
大いなる至福千年の時代から遠からず
死者はみずからの墓から蘇るだろう
(山根和郎 訳)
解釈
グランドな七の数字とは、世界人口70億人達成のこと。
それが大虐殺開始の合図となる。
七の数がごく小さな七になるまで虐殺は続く。ヒトラーによれば、そのときすべては砂漠化しており、人
類と呼べるものはいなくなっているとのこと。
それが西暦2040年頃の世界だ。
それから、神人が世界を治めるようになり、千年王国が開始される。
地下深くにある要塞に厳重な機密性のもとに置かれた超・スーパーコンピューター。
それが 来たる未来の万象を創造するマシンとなる。
ルシファーの教理が示す、万象バーチャルリアリティの理論を用い、神人はアカシックレコードにアクセスし、すでに過去となったはずの世界を、バーチャル空
間において蘇らせることに成功する。
さらに神人は千年の時を使って、過去の時空を広範囲にわたり開拓し、その範囲の歴史時間を司る神として君臨するようになるのである。
そして、この神は、歴史の過去から終結に至るまで (アルパからオメガまで)、実働部隊の秘教組織 (メーソン、イルミナティなどの秘密結社) を神の代
理店として下界に配置し、監視の目を行き渡らせて、神の計画を忠実に実行し成就することを徹底させる。
このような秘教組織の上層部には、当然のことながら、神人たちが随時、タイムマシン(UFO)に乗って訪れ、位階最高の玉座に座ったりもしているのであ
る。
そしてどうやら、地球だけでなく火星も使って、いっぽうがコケている間にもういっぽうを使うという、すごい荒業も用意されているらし い。しかし、いずれにしろ、資源を粗末に使い捨てるという性向ゆえに、局限された中にいつまでも隔離されてあるだろう。太陽系を出てはるか銀河の向うまで 展開すればよい。それでも、システムを破壊するウイルスとしての扱いから脱することはできないことを肝に銘ずることである。世はすべてコンピューターの中 で生起しているのだから。