それは一つの文明の風俗描写から始まった。大事業の推進とは、大土木工事のこと。石でできた家、館、神殿などが造られ、採光、送風など、建築物の主要な構成要素が挙げられている。
次に、「大綿津見」(大渡つ海)で大航海を暗示し、港を示す「速飽き津」で物資の速やかな充足を図る貿易港を暗示している。
さらに水との関連から、運河や水路の水量の調節の様子、水の分配や採水設備について語っている。
その次は、風、樹木、山野の神名で長い時の経過と雄大さを示し、のどかさを感じさせる情景描写である。
だが、その次から二通りの意味を帯びてくる。 縁語を使い、わざと両面から話を進めているのだ。
それまでの流れからいうと、土木関連用語を並べ、倉庫の扉や大きな窓からの採光について語っているようにみえる。ところが、もう一方では、区画線引による領土や縄張り争いから、利己的な心根が招く世情の暗転や大きな混迷について語っているのである。
すると、その次には石や楠のように堅牢であるが鳥のように速やかに飛ぶ船、飛行機が登場してくる。
これは歴史の必然なのか??!!
大宜都比賣は穀物生産の神であるが、ここでは工業生産に関係した表現となる。
大規模な生産が始まり、急燃焼するもの(石油など)の登場によって、生産神イザナミの病態、さらに死へと繋がっていくのであるが、その前に、イザナミのミホトによらぬ嘔吐物から金属工業が、糞から非金属土類の(セラミックなどの)工業が、尿から満ち溢れた種々の物を飲み取るだけの需要、湧き出る生産物をそれに結びつける経済体制、その下に豊かな受皿としての市場流通体制が生まれたという。
この部分はまさに、現在の我々の世界の有様を、先取りして語っているように思われてならない。
一応、イザナギ、イザナミの二神の協力で創られた神々という扱いになっているが、あまり良い展開ではなかったことを、汚物からの神生みで表現しているわけだ。
つまり、根底には利己主義、利益主義の影が濃厚に横たわっており、そうである限り、その先には着実な歩みで(必然的に!!)黄泉の国が到来すると、古事記は語っているのである。
しかし、これらのことは過去にあったことであり、決して今の世にそのような進展を保証するものではない。
では、この節で語られる過去とは、いったい何をモデルにしたのであろう。
それは、一万年前に栄えたという、かのアトランティス文明ではないかと考えられる。
プラトンの著作「ティマイオス」によれば、先古ギリシァ時代にアトランティスという国家がジブラルタル海峡の外に広大な島上にあり、多くの植民地を持って君臨し(ヨーロッパではイタリア中北部、アフリカではエジプト、アメリカ大陸に及んでいた)ていたが、なおもアジアに向けて大軍を以て侵攻したとき、アテネ軍を最強としたギリシァに敗れた後、恐ろしい地震と洪水が起こり、アトランティスは海中に没したという。
もう一つの書「クリティアス」によれば、アトランティス島には、全島にわたる美しく豊かな平原があり、その近くの丘に、支配者ポセイドンは都を構え、海水と土でなる大小様々の環帯を交互に造ったという。環帯には、海から港へ入る通路が開かれ、大きな船が出入りでき、また環帯から次の環帯へ三段櫂船で移動できたという。
「神々の生成」の段の前半部分が、港や水利設備に関して特別な記載をしているのは、偶然のこととは思えない。これらはアトランティス島の特徴である。
その文明のレベルは、ちょうど中世からルネサンス期にかけてのヨーロッパほどであったかも知れない。
だが、文明は一度火がつくと急激に進展をみせる。産業革命から、はや二百年で宇宙に人が飛び、核兵器が世界に充満した。
よく考えてみると、その原動力は人間の飽くなき知識欲や探求心といった綺麗事でも、人間の生活をより豊かにしようという高尚な欲求によるのでもなかった。他を凌ぐための飽くなき利益追求のために競争を激化させたというのが本質ではなかったか。
そこに触媒的な作用をする石油などの燃焼原料や軍事兵器類の登場があり、事態を深刻化したのである。
古事記は利己主義的迷妄の世情の先に黄泉の世界、さらにその先に生命枯渇の天変地異の事件(いずれも後述)を置いて、強く現代を戒めているのである。