御諸の山の神
地球外知性の支援
この節では、少那毘古の去った後、また別の地球外知性が訪れ、八重垣システムの効果的利用法を再教育し、地上民族だけで独立して国土経営ができるように図らったことを物語るようである。
―――――原文 御諸の山の神―――――
ここに大国主の神愁へて告りたまはく、「吾ひとりして、いかにかもよくこの国をえ作らむ。いづれの神とともに、吾はよくこの国を作らむ」とのりたまひき。この時に海をてらして寄り来る神あり。その神ののりたまはく、「我が前をよく治めば、吾よくともどもに作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大国主の神まをしたまはく、「然らば治めまつらむ状はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「吾をば倭の青垣の東の山の上に斎きまつれ」とのりたまひき。こは御諸の山の上にます神なり。
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「祭り事」の真義を教えた宇宙人
地球上は厳しい自然環境であるために、知識は容易に風化していくのであろう。再び国土経営に陰りがみえはじめ、宇宙からの援助を待望するようになった時、宇宙から再び使者が来た。それは、かつてスサノヲが築かせた八重垣システムを再認識させるための役割をもった宇宙人であったようである。
かつての大国主へのシステム運用法の伝授は、ただ火山活動の鎮静に関するものであった。その時は火山の鎮静が当面の課題であったからであるが、すでに安定期を迎え、多くの耕地が得られている時となっては、第二の運用法というべきものの方が望まれたわけである。
既に述べたように、不可見な八重垣エネルギーはUFOのエネルギー補給に伺いられるばかりか、自然界の多くの生命が利用している。その中でも最大のものは人類であり、彼等のもつ意思力によって有効な用いられ方をしなくてはならない。このエネルギーは意思力に感応して容易に異体的力をもつに至る。この宇宙人はそのことを教えるために、自ら御諸の山に鎮座し、システムの動作が祈り(祭ること)によって補完されることを示したのである。
人々が御諸の山に託して鎮護国家や豊穣を祈れば、エネルギーはその具体化を目指して働いていくという訳である。御諸の山は、奈良の三輪山とされているが、既に述べたように三輪山という特定した山ではない。それは津々浦々にある秀麗なマウンド(神体山〉のことである。
この時代は、次から次と宇宙から具体的な援助がもたらされ、良い知識が導入された。それも当時の古代人にとって適わしい農耕を主体にした素朴な知的介入であった。このような形で安定期を迎えた大国王の時代は人類の黄金時代と称されても不足は無いだろう。スサノヲによるマウンド造りが今から一万二千年前、引継いだ大国主の時代が一万二千年前〜四千年前と考えられる。
古事記に示される神の恩寵・・・地球環境コントロールシステム
地球上に設置されている生命維持、環境制御のための機構はかなり多彩に登場した。それらははとんどが時代の入れ替え期に起きる地球上の大事変に対処するために用意されていると言っていい。
後段の「豊玉姫」物語でも念を押すように語られていることであるが、人類文明史は地球という一つの実験炉の中でおこなわれる試し火の過程であるという考え方が明らかになる。
ひとつの実験が成功する失敗するというのは我々のレベルの分別智では何も言えないことである。しかし、恐らくは一つの実験が終れば次の実験のために様々な環境条件が復元されるのであるということは言える。
実験の終了と共に、種の保存と新時代の閉幕のためにUFOが飛来し、惰性で殺載を続ける地上の軍隊を撃退するということは理にかなっている。
また、地上の汚物の浄化のために荒療治であるが、水天体を衝突させる如きは宇宙の知性の超科学力からすれば難しいことではなかったであろう。このときもたらされる泥土により、毒物は洗浄され、全ての前時代の遺物は泥の下に埋め尽くされる。それに併いそれまで援徐に動いていた海洋浄化ダクトがフル回転すれば、短期のうちに無機的な下地は回復される。しばらくの凍結期間の後、地球を宇宙機と化すシステムを稼動させ、新たな理念を賦活し、地磁場を蘇らせ有機的な下地の回復をはかれば、新年を迎える準備が整うというものである。
すると今度は、かの天体の力学的影響で歪む地殻が火山活動を活発化させ生命の発展を脅かす。これを逆用して生命の賦活に効用すべく、宇宙の知性は地上に呪術的なメガリスやマウンドの超科学システム「出雲八重垣」を築けば、地殻のエネルギーは生命活生エネルギーへと変換され、地上の生命ばかりかUFOの動力源としても幅広く活用されるところとなる。
地球はかくて生命が繁茂し、宇宙を旅する船人のオアシスとして機能すると共に、宇宙文明の主要根拠地となるという具合である。
また、この八重垣エネルギーは理念界の新陳代謝を高める働きもする。このエネルギーは正しい用い方さえすれば、高次元の高みにまでの昇華力を持つ地中の蛇クンダリーニであるからだ。
また「八俣の大蛇」とは必ずしも火山活動や火山帯を示すものだけとは限らない。ちょうど人間が肉体部分と精神(霊)部分の複合体であるように、どのようなものにも精神がある。一説によると、人間をはじめ生物の出す破壊的想念が理念界の低所に「業」として蓄積し、それが地下に沈み火山エネルギーに転化しているという。そればかりか、人々の思考上に投影して破壊的、悪魔的な衝動にかりたてるという。
古来より卵をとりまく蛇のモチーフがあり、暗に世界を示すとされていた。蛇はどの神話でも良くないことをしでかすものに譬えられるが、これが地球をとりまくような格好で存在する業想念帯で、本来の理念が天降ってきてもそれを破壊的な方向に偏極し、生命系の潜在意識を通して破壊的衝動や錯乱、さらには戦争を起こさせ、実験炉のなりゆきを低質なものにしているのだ。とすれば実に問題があるだろう。
蛇は汎ゆるまとまりをみせようとする働きに逆らって、それを熱エントロピーに変化し消耗する摂理のようなものかも知れない。それは業想念帯という精神部分と、火山活動、戦争、破壊といった具体的部分の複合で成っている。そしてそれは、逆の良い方面の環理である生命的組織化の摂理とやはり重合する格好で世界の歴史を形成してきているわけである。
宇宙の法則から熱力学第二法則を外せというのが不可能なように、業的事象を取り去ることは不可能であろう。それでもこの働きを抑制して、バランスよく歴史が運行していくように地球には優れた設備が置かれているという考えができるだろう。
いま一説によると人類が光明化想念をもってすれば、宇宙にはそれを増幅して業想念を対消滅すべく作動する宇宙の知性の築いたシステムがあるという。二章三・(十六)節でも述べたように「威儀を正した祈り」の想念に感受して、具体化する。地球をとりまく物心両界のエネルギー循環系を考え、図3・9に示すことにする。その中で宇宙の知性がもたらした環境浄化システムがどのような働きをしているかを見てもらいたい。
こうしてみると、地球は一個の生命体である。そこには可見と不可見の領域に渡る循環系があり、さながら人体の仕組みを見る思いがする。その中で業的事象は一種の疲労物質であり、この除去のために肝腎に相当する環境浄化システムが日夜活躍しているというわけである。
このような対策が予じめ施してあるからこそ、今の時代の無謀な公害や汚染にも自然は未だ破壊し尽くされず残っていると言えるだろう。自然の浄化作用と我々が思っているものの多くは、実は地上を一つの実験系たらしめている知性の厚情の賜物によるものである。だがそれはどこまでも万全とは言えない。特に次の二つの面で心配されるものがある。
一つは、人類の横暴に基づく汚染の最大のもの。核戦争にでもなれば、決定的なオーバーワークをもたらすだろう。二つは、国つ神族の反乱とも言うべき、自然の猛威の復活である。火山の爆発は水爆に匹敵するはどの大気汚染をもたらす。これは八重垣システムが有効に働く限り大丈夫であろうが、山野の乱開発は明らかにシステムの破壊を引起し、活力を弱らせていないとは言えない。そればかりでなく、システムの機能が効果的に活用されねば地球生命も文明も早い老化をきたすことになるのは人体と同じである。だがこれも活用すべき人類の考え方の問題で効果的活用には程遠い。結局のところ、本当に心せねばならないのは人類なのであり、多くの人が真知に立ち帰り、知識者が一丸になっての大運動が今日下の急務なのである。
古代人は、これらの事実を、体験者、観てきた者、地球外知性などから聞いた伝えなどを着実に守って、彼ら自らその意義を理解していた。神道をはじめ、世界の民族の宗教はこぞって祭祀を教儀の中にとり入れ、自然的な浄化作用を賦活することに心がけてきた。祈れば理念界にその種を播くことになる原理を活用していた。鎮護国家、豊穣、世界の安定、よりよき理念の天降らされんこと等、実に様々な祈り方がありえただろう。それらは全て超科学力を駆使する神への従順と信頼により形成された方法であったことは間違いあるまい。
歴史の表層的流れは、しだいに単なる野望で動く者の手に渡り、価値の転倒が起こったが、過去の貧しくて豊かな人々は、今なお多くの人の中に見受けられる。これは人が本質的に霊であり、かつての記憶を持ち来たしているからと考えられる。このような人々の純粋な結束と新らしい動きこそが陰惨な破局を回避することに繋がると確心されるわけである。
すぐれた知恵の統治がなされた先古代文明を物語る
大年の神の系譜がこの後つづくのだが、
すでに大国主命の系譜と並べて対訳して
いるので省き、その次の段へと飛ぶ。
天若日子へ
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