救世の新神話

第一章 大震災の神話
第二章 神話嫁取合戦
第三章 天地仙真相開顕
第四章 人界代理雛形戦争
第五章 救世 神話夜明け前
第六章 救世神話夢見章
第七章 未踏来の章
第八章 新神話新たな模索の章
第九章 結章
第十章 統理(とり)の章
第十一章 地上の語りが終わるまで書 き続けられる新神 話・・・その1
第十二章 地上の語りが終わるまで書 き続けられる新神 話・・・その2

第十三章以降



新神話 第一章   大震災の神話

謎のホームレス
阪神大震災
ホー ムレスの 男あらわる
山姥の歌
方士コメント


第一章 大震災の神話 (旧作 「やまんばの歌」)

謎のホーム レス

ホームレスというと、どこか神秘的である。私たちは決してそのようになりたいとは思
わないし、近くにいられると困ってしまうことだってある。
何せ、私たちの生活の尺度とは異なる世界の人たちと思うからだ。
しかし、私たちが同じ価値を持つものどうし集団を作るように、彼らの間でも、たとえ
ば愛隣地区のように集団を作っている場合、ああ彼らは彼らなりの信念や掟を持ってい
て、異質だが一つの社会を築いていると思うことができて、一種の安堵感が生ずるので
ある。
ところが、まったくの一匹オオカミのように、しかもある一定の地域のみを一定の法則
があるかのように徘徊しているホームレスは、とりわけ謎めいている。
小菅洋一は、そういうタイプのホームレスの謎の部分にどうやら牽かれてしまったよう
である。
今回のホームレスは男性で、やや小柄だが中肉中背、髪の毛はざんぎりだがぼうぼうと
いうわけではなく、眉は濃く、もしきちんとすればけっこう男前ではなかっただろうか。
だが、風呂などにここ何年も入ったことのないような黒っぽく赤茶けた風貌は、いかに
もその道一筋という感があった。
しかし、洋一は人情家であって、こうした階層の人にも公平な目を向けることができた
から、彼の居住区において、非常に長い間、
・・・そう、彼がこの異様な存在を初めて見て、初めて違和感を感じてこの方、すでに
二十年は経っていただろうか、・・・
同じ地域をまるで一定の法則でもあるかのように徘徊していた忍耐強い人物に、えもい
われぬ畏敬の念を持ってしまったのである
洋一が、何かの拍子に出くわしても、この男は素知らぬ顔で黙々とふらつくように歩い
ており、洋一もあえて見ぬようにして行き違うも、しばらく奇妙な思いにとらわれるの
だった。
この男がどこに住み、何を食べ、どんな生き方をしているのか、といった様々な疑問と
憶測である。
ある冬の寒い日、夕方の暗くなろうとするころ、彼は仕事から帰って、近所の貸駐車場
に車を置いて、家まで歩く道すがら、あの男が道ばたのコンクリートの縁石に腰かけて
いるのを見た。
暗くてよくは分からなかったが、男は寒そうに体を震わせているようだった。
夕刻にしてこの寒さであれば、深夜、早朝には行き倒れ、凍死は間違いないかのように
思われた。
そこで、彼は家に着くと、以前買ったには買ったが、キャンプしたときの二,三度しか
使っていないネブクロを物置から引きずり出してきた。
そして、畳まれたすき間に、さも置き忘れたかのように、五百円玉と百円玉を何枚かず
つ差し入れて、さっきのところへ引き返した。
二十分ほど経っていたものの、あの男は同じ場所に座っていた。
彼は、あたりに誰もいないのを確かめると、男の近くに歩み寄り、「これ使いな」と言
って、ネブクロを手渡した。
男は何か、もごもごと声にならぬ声をもらしたが、洋一は長居無用と、ただちにとって
返したのだった。
それから十日くらい後に、洋一はあの男がいつものコースを歩いているのを見た。
そこにはひとつの期待感があった。
あのネブクロを一つの家宝として、肩に背負っているに違いないという期待感だ。
ところが、男は風呂敷のようなものに包んだ小さな何かを持っているだけで、いつもの
汚れた服を着てよろめき加減に歩いているだけであった。
<おかしいじゃないか。あんないいものを路上に置いたままだとしたら、きっと持って
いかれてしまうぞ。いや待て・・もしかしたら・・
本当はどこかちゃんとしたところに住んでいたりしているんじゃないだろうな>
長い月日は、男を白髪混じりにさせていたし、当然ろくなものを食べていないのだろう
という印象はあった。
<だが待てよ、もしかしたら乞食は三日やったらやめられぬというように、ずいぶん儲
かっているのかも知れない。ぼくのように、表の顔しか見ないうすら馬鹿が、せっせと
新品を貢いでいたりして。
それをどこか契約した質屋などに持っていき、お金に変えたら、段ボールなど一生懸命
集めているよりよほど楽だし、よほど儲かるんじゃないかな。>
そのような勘ぐりが次々と沸いてきて、洋一はいやな気分になってくるのだった。
しかし、そのうち持ち前の諦観が出てきて、そんなことはどうでもいいじゃないか、な
んせぼくはあのときあの場で必要なことをしたまでだと自分に言い聞かせて、ことは済
むのだった。
それからというもの、間近で見ることもめっきり少なくなり、たとえ車中からふと見え
たとしても、あいつはあいつといった感じで無視を決め込んだ。
それから、五,六年は経っただろうか。
彼はその頃、タクシーの運転手をしていた。
それにたまたまお客さんを乗せて目的地に向かっていたとき、N保険所の前のバス停の
ベンチに、一人腰かけているあの男を発見した。
見ると、男は南の空をじっと見つめて、うれしそうに笑っているではないか。
道路は混雑しながらも、やがて車は男のまん前を通る。
しかし、男は車を見ているわけではなく、視線は上空にそれていた。
だが正面から見る笑顔は、赤銅色に神々しく輝いて見えた。
そのとき、後ろに座っていたお客さんが、前の座席を抱えるようにせり出してきて、あ
の男をしげしげと見つめながら、洋一にこう言った。
「ああ、俺もあんな心境になってみたいもんや」と。
むろんお客さんにしてみれば、いましがたまで、難しい商売で大変なんだといった会話
をしていた折りも折り、とっさに湧いた反語であったに違いないのだが、洋一はこのと
き、言葉がストレートに飛び込んできて、もしかしたらこの男は聖者か修行者なのでは
ないかと思えたのだった。
たとえば、インドの行者などだが、いかにも東洋風なので、仙人になるのを志して修行
に出た「方士」というものかも知れないと思った。
そして心の中で、「方士さん」と呼んでみると、決してそうではなかったにせよ、して
きたことが無駄ではない気がした。
方士には、秦の時代に始皇帝の命を受けて、不老長生の薬を求めて蓬莱島ならぬ日本に
渡来した「徐福」が有名である。
彼らは、人並みならぬ鍛練と研究を積み重ねて、この世の限界を超越しようとしたもの
らしい。
そのいわれが、知ってこのかた二十年という歳月、毎度同じパターンの貧窮生活を繰り
返している忍耐力のほどと、ぴったりくるような気がしたのである。
すると、またあの方士の生活が知りたい気持になってくるのであった。
やがて彼は、神戸市N区の古くなった自宅をそのままにして、山向こうの新興住宅街に
移っていった。
小高い山々を切り開き、莫大な土砂を取り去って宅地化したところである。
そのときの土砂は海に運ばれ埋め立てに使われて、これまた広大な土地を生み出したの
である。
わずか十年程度で、地形はずいぶん変貌したであろう。
どちらの土地も、これからの世代にはよくもてて、神戸という響きとあいまって、外か
らの人口の流入が盛んであった。
さて、そうしたとき、阪神大震災が起きたのである。

阪神大震災

最大震度7という未曾有の地震は、六甲山系の南に位置する旧扇状地の軟弱地盤を直撃
し、中心街のビル群を破壊し、ビルがそうなら民家という民家も当然のように凪ぎ倒し
てしまった。
(実際はわずかな場所の違いで、明暗を分けていた。活断層の位置や、地盤の具合によ
った)
火災もほうぼうで起こり、洋一の旧宅の近くでも火の手が上がっていた。
洋一の山向こうの新居も、かなりの揺れであった。
しかし、家具で倒れたものもなく、被害といえば書棚の上の額が床に落ちて、ガラスが
飛び散ったくらいであった。
それでも、おおかた昼前まで停電となり、ラジオがその間、神戸の被害の程度を、どん
どん規模を膨らませながら報じていた。
そして電気がつき、テレビがオンして初めて、事の重大さが目に見えて分かったのだっ
た。
洋一には妹がいて、やはりN区に単身でマンション住まいしていたが、安否を気遣うも、
電話などかかるわけがない。装置の故障が直った後は、回線がパンクしてしまったのだ。
テレビを見入る洋一には、妹のマンションが煙に包まれているかのように思えて、何と
か助けにいこうと考えた。
道路は、救出にかけつけようとする車と、逃げだそうとする車であふれかえり、信号は
機能しなかったから、交通は完全に麻痺してしまっていた。
ラジオで交通状況を知った洋一は、午後一番に車のトランクに自転車を積んで出発。こ
のあたりで限界かと思われるところまで行って車を残し、車道を自転車で駈け下ってい
った。
見ると、下のほうでは、もうもうと黒煙が上がっており、歩道にはその有様を見ながら
進む人の行列が右往左往していた。
彼は途中、消防車が渋滞に巻き込まれて身動きできなくなっているのを、何台も目撃し
た。
燃え落ちた民家の瓦礫の間からくすぶった煙が立ち上り、なすすべもなく炎が見え隠れ
していた。
車道には瓦礫がいたるところはみ出しており、パンクせぬように気をつけながら、乗っ
てこぎ、降りて引きを繰り返しながら進んだ。
ようやくマンションに到着し、その巨大な建物が表むき何ともないのを見た。
火災も遠い。
良かったと思い、中に踏み込めば、階段が崩れ落ちていた。
別の階段を使って10階に上がるうちに、何組かの家族の降りてくるのに出会ったが、
無表情で比較的事もなげな様子であった。
だがそれは、茫然自失の状態だったのかも知れなかった。
10階。エレベーターが使えれば楽なのに、これは大変だったろう。
洋一がその後、荷物整理で何往復もしたときには、廊下でしばらくぶっ倒れていなくて
はならないほど、過酷であった。
それが15階もあれば、より上の住民の苦労はいかばかりだったろうか。
エレベーターはその後9ヶ月の長きに渡って、使い物にならなかった。
洋一の妹は無事だった。
ただしセパレート式たんすの上が落ちて、額にその角が当たって、少し血を流していた。
あと1センチでもこめかみの側にずれていたら、大変だったところである。
部屋の中は、まともに立っている家具がないほどで、ほとんど壊れており、壁には暴れ
まくった家具の無残な爪跡がいくつも残されていた。
とりあえず、妹だけは無事だった。
そこで彼はもう一つ、絶望的だろうが、旧宅がどうなっているか見てこようと思い、妹
に少し見てくるから待っておれと言って、自転車を置いたまま、歩いて出かけた。
洋一の旧宅もそうだったが、N区のこのあたりは古い小さな連棟式の民家が密集してい
て、八割がたが将棋倒しの格好で全壊していた。
電柱はすべて斜めに倒れ、ちぎれた電線が無残に垂れ下がっていた。
瓦礫また瓦礫。
むろんその下には、未だ助け出されずにいる生存者も、すでに圧死した人もたくさんい
たのである。
それはさながら空襲直後か、市街戦の激戦地跡のようで、どこを見回しても元の形をと
どめているものは見当たらなかった。
(後に、空襲以上にひどいものだったと、年輩の両経験者は比較して語っている)
メインであるはずの8メートル道路ですらも、両側からつぶれた家屋がはみ出して積み
重なっている箇所がたくさんあり、それを越えていくのに、いちいち足場を確かめなく
てはならなかった。
彼は、累々と道路をふさぐ家屋を、他の人がうまく乗り越えるのを確かめながら、後に
続いていった。
ふとそのとき、周りを見回す視野の隅っこで、妙なものを捉えた。
あのホームレスの男が、倒壊家屋の陰に見え隠れしながらひとつ隔てた道路を歩いてい
るのを見たたような気がしたのだ。
おやっと思い、どうせのことだから確かめてみようと、向こうの道まで足下に注意しな
がら出ると、そこには似ても似つかぬ別人が歩いているだけであった。
そのとき、元の道の方で、「バリッ」という音と同時に、「あたーっ」という男性のかん
高い声が聞こえてきた。
何事かと戻ってみると、先ほど越そうとしていた瓦礫に、中年男性が落ち込んでおり、
それを連れらしい男性が抱え上げていた。
「足をやられた」
見ると、がっちりしているように見えた横倒しの壁が、人の体重を支えきれずにつぶれ
落ち、穴にはまった男性の右足には、靴を通して、板付きの五寸釘が甲を貫通してくっ
ついていた。
やがてどこからともなく、人が集まってきて、ああだこうだと意見が飛び交う中で、応
急の抜き取り作業が行われた。
大変なことだと思いながらも、洋一は先を急がねばと、別の迂回路に向かった。
あのとき、あの男が見えなかったら、きっと自分がああなっていたかも知れない。
感謝とも不思議ともつかぬ思いを抱きながら歩いた。
彼は通れる道を選び選びしてようやく旧宅の前に着いて、二階建ての一階部分がほとん
どなくなっている無惨な光景を見た。
もし、未だここに住んでいたなら、下にいたはずの親は亡くなり、二階にいた自分の身
もどうなっていたか分からないと思った。
このとき、真向かいの家では、Sさんのおばあさんが下敷きになって亡くなっていたと
は、テレビ報道の死亡者リストを見るまで知る由もない。
惨状を後に、兄弟二人はそれぞれの自転車で遠い坂道を引いて上り、暗くなってようや
く車にたどり着いて、ほっとしたのであった。
さて、それからが大変であったろう。
洋一は、多くの運転手が収入にならないなどのいろんな理由でやめていく中で、がんば
ったのである。
自宅に被害がなかったために、それができたのだが、瓦礫と大渋滞の中での仕事は過酷
を極めた。それでも旧宅の損害だけですんで、他の人と比較するとはるかにましである
ことに、幸運であったと思うのであった。
彼はその後、幸運への少しもの感謝として、仕事に出たついでに、かつて近所であった
人たちが身を寄せる彼の母校のH小学校に、水や乾パンを差し入れた。
その学校は、この国のM首相が唯一立ち寄った避難所として有名になった。
多くの救援物資が続々と送られてきていた。
水と食料はじめ、毛布布団や衣類などに至るまで、当初は別としても不足することはな
かっただろう。
これらすべて、日本国中の心ある人々の温情のたまものであった。
それを可能にした、この国と国民性の偉大さ。そう、洋一は思った。
全国から警官が大量に応援に来た。
彼らは機動車に寝泊まりしながら、主に交通整理に当たっていた。
排気ガスとアスベスト粉塵の中の獅子奮迅ぶりであった。
大きな道路の主要な交差点という交差点に、1人以上が配置され、当初は救援と緊急物
資輸送の車だけを通し、やや後には復興車両や代替バスなどを専用に通すようにしたの
である。
(そういうわけで洋一も大変だったし、職業運転手なりの要領の良さが要求されたので
ある)
また、犯罪防止のための巡回も盛んに行われた。
つぶれて無防備になった家屋には、どんな私財が埋もれているや知れず、それを狙う略
奪を防止し、あるいはまだ搬出できるかも知れぬ私財を焼き尽くす放火を防止するため
であった。
その一環で、たぶん市民が自暴自棄になって起こす騒動などに備える意味もあったので
ある。
だが、市民がそうした短絡的な行動に出ることはそれほどなかった。
必ずしも警官が見張っていたからではない。
全国から集まったボランティアの人たちが、被災民の末端にまで行き渡って、崩れ落ち
そうになる人々の心を励まし支えていたことが大きかったのである。
ボランティアには、医療の専門家もたくさん来ていたが、一般人の多くは比較的自由な
時間のとれる活力のある若い人たちだった。
中年以降の市民達は、よもや若者たちがここまでやるとは思ってもみず、考えを改めさ
せられたと誰しも話し合った。
末端の問題を行政に反映する事までは困難であったろうが、適時の情報を取ってくるた
めの伝令や、よりよいシステムを工夫し運用するなど、被災者の立場に立った素晴らし
い連携システムがそこに存在していた。
国や行政が不得意とするところを、すべてカバーしていたと言っても良いだろう。
しかし、この地の行政に限っては、難しい問題の数々を抱えて、連日連夜の奮闘努力を
していたのであった。
市民は市民で、降ってわいたような学校での集団被災生活を余儀なくされ、なじめない
人がたくさんいたが、互いに助け合って絆を深めていた。
そこにまた、普段つっこまれ役の先生方が、生徒たちの学業を見た後は、昼に夜を接い
で指導力を発揮し、避難生活者の面倒を見ていた。
復興と救済という理念のために、全体が一丸となって進んでいたのである。
そこでは正義感、責任感、利他主義、思いやりといった美徳が支配的であった。それゆ
え、美談もあちこちで生まれたことだろう。
ボランティアの無私の努力を目の前にして、誰が抗えようか。
互いに励まし合う関係の中で、誰が非行を起こし得ようか。
一年、二年が経ち、彼らが撤退していった後に、心の空洞を覚えた人が多くいてか、あ
るいは先行きの見通しをなくしてか、酒乱者や孤独死が仮設住宅であい継ぎ、騒ぎとな
ったが・・。
このときボランティアで長きに渡って苦労した人たちは、感謝状一つ受けることなく、
地元に戻っていった。
だが、少なくとも阪神の被災者たちは、彼らの将来に心からエールと無形の勲章を贈っ
たであろう。
彼らに、この経験で培われた本物の政治や行政というものを担ってくれることを、期待
してやまなかったはずである。
さて話を戻し、その後、洋一は半年、一年と、旧宅の解体撤去やら事務手続きやらで仕
事とは別にてんやわんやのありさまであった
そしてようやく気持ちが落ち着いたのが、二年目になってからであった。
気がついてみれば、直接的な被害に遭わなかったにせよ、体じゅうにガタを覚えていた。
そして、あのとき助けてくれたのかも知れないホームレスの男が、今どうしているかに
ついて考えが及ぶまでには、さらに半年が必要だった。

ホーム レスの男現る

彼はやはり神戸市内で車を走らせていた。市内一円に行くことがしばしばだったが、一
度も男の姿を見かけることはなかった。
また妙な考えが浮かんでは消えた。
仮説住宅に入って、普通の人と肩をならべて食事をもらい、以前より良い環境で寝起き
しているのだろうかとか、飯のねたがなくなって、実家にでも帰ったのだろうかとか、
もしかしたらすでに死んだのかも知れない、とか。
休みの日に、あのあたりを歩いてみようと考えた。
町は未だ元に戻ったわけではないが、販売店の数も徐々に増えており、一つは買い物に、
もう一つは、あのホームレスの探索という目的で。
非番の日、いたるところ更地になった旧宅周辺を歩いてみた。
だが男はいなかった。
あのネブクロを手渡したあたりは更地が続いているばかりであった。
ぐるっとひと回りするように、ほとんど更地になったケミカル靴の工場地帯を歩いてみ
たが、やはりいる気配はない。
ところが、買い物にとりかかろうかとN駅の地下道の入り口にいたったそのときだ。
地下道の暗がりの中から、突然あの男が顔をのぞかせたのだ。
しかも、あろうことか、洋一の顔をまともに見ているのである。
お互い見て見ぬ、知らんふり状態だったのに、このときはまったく違っていた。
そして、またあろうことか、男はよどみない普通の言葉で語りかけてきた。
「こっちにくるか」と。
彼は、ことの成り行きのあまりもの意外性に、驚きを通り越して、茫然自失してしまっ
た。
素直に頷いて、後に従った。
地下道は、薄暗く、長く続いているようだった。
「わしはこの奥にいて、気が向いたら表を歩くようにしてきた。
そういう暮らしをしてもうどれほど経ったか分からない」
「あなたは方士?・・いや、修行者ですか?」
「そんなもんじゃない。ただのルンペンだ」
そうした会話を交わすうちに、向こうの出口が見えてきた。
彼は人ごみの中に出てまで、ともに話しながら歩く気にはなれなかった。
だが、出たとたんに驚いた。
<こんなところに>
そこはたいして大きくはないが、ほかに誰一人いない草原だった。
町はどこかと、後ろの眼下を見れば、それらしい景色がスモッグに霞んで見えた。
山のほうが近くに見えるので、地下道をそうとう歩いてきたものらしい。
上気しながら歩いたから、時間の経つのを忘れた感もあって、それもいたしかたないか
と洋一には思えた。
「この山を見てみなさい」
どこかで見たような山だ。
これは形からいって、何山だったかな、と考えようとする前に、男が言った。
「この山の樹木は、8割が病気で、そのうち3割はすでに死んでいる。
全山枯れ山水になるのはあと五年というところかな」
確かに、秋が深まっていたとはいえ、木々は紅葉しているのではなく、枯れ葉をつけて
いるだけのようだった。
常緑樹の緑の色も、黒っぽく沈んでいた。
雲が出て日の光をさえぎっているせいではない。
見ると、男は山を見上げて、にこやかにしている。
その表情は、N保険所の前で見たのと同じだった。
そして、時折頷いている。
男には、まさに見えない何かが見えている感じだった。
ほどなく、男は彼のほうに向き直った。
「大丈夫だ。山は問題ない。山には山姥(やまんば)さんがいて、ちゃんと守ってくれ
ているからな」
「山姥さん?」と、山の方を見ると、その瞬間、山の緑のトーンが明るいものに変わっ
た。
鳥たちの声もにぎやかになったようだった。それは顕著だった。
さらに山を見ていると、なぜか心が和んでくるのを覚えた。
そして、心の底から嬉しくなってきた。
「山は生きかえったみたいです」
「山はずっと生きている。山姥さんと共に生きている。山は山姥さんの顔なんだ。山姥
さんが笑えば、生き物はみな幸せだ。山姥さんがしょげれば、みな生気をなくす。泣い
てしまえば、水が出る。怒れば、大嵐だ、山崩れだ」
洋一は、これはひょっとして催眠術にでもかけられているのではないかと思い、自分の
頬を平手でたたいてみたが、痛かった。
「ぼくはどうなったんですか」
「何も心配することはない。変なところにきたわけではないし、夢幻の世界でもない。
ただ、ありのままが少し見えるようになったのかも知れないな。どれ、もとのところへ
帰ろうか」
そう言って、またさっきの通路に入っていった。
洋一もそれに続いた。
「さっき、山姥さんと話をした。この青年に、山の神様の話をしてもいいだろうかと。
すると、いいと言われた」
「山の神様?いったいそれは何ですか?」
「すでに会ってきたじゃないか」
「え?でも分からなかった」
「そんなはずはない。ちゃんと君は見ていたし、山姥さんも君を見ていた。私には、君
が気に入られていると思ったな」
「でも」
さっきの山の光景を思い浮かべてみても、何の姿らしい姿もなかったように思った。
「そのとき、どんな気分がした?」
「はじめ山を見たときは、気味が悪かったけど、色相が明るくなったんで気分良くなっ
て、楽しくなりました」
そうしているうちに、地下道の入り口にたどり着いた。
洋一は、暗い中から明るいところに出て、まぶしさを感じたが、すぐに収まった。
男は、入り口横のビルとビルの間の一畳くらいのスペースに腰を下ろした。
洋一もそれに続いた。

山姥の歌

「山を見て、楽しくなったか。そうだろう。そうだろう。では、そのわけを話してやろ
う。これは山の神様と、娘さんの山姥さんにまつわる話だ」
地下道入り口横の一畳くらいのスペースは、歩道を歩く人には丸見えだった。
洋一は使い込んだジーンズ姿だったから、もしかして乞食がペアーで物乞いしていると
思われかねないのが辛かった。
知り合いが通りかかりでもすればおお事だ。
だが、道行く人はまったく無関心だった。
これこそ我々一般人が彼らに対して日頃とっている態度なんだと思えたり、あるいは本
当に見えていないのかも知れないと思ったり、複雑な思いが交錯した。
そのとき、不思議な芳香がしてきた。
お香の匂いというか、だがそれは隣に座っている男の体臭だった。
注意を向けると、男は笑顔で話し始めた。
「山を見て、楽しくなったか。そのわけを話してやろう。人が山を見て、心和むのは、
知らないだろうけど、山姥(やまんば)さんが微笑んでいるからなのさ。
皺だらけの顔に、無骨な手、どっぷり太った大きなお腹。とりわけお乳は山の生き物た
ちにたっぷり飲ませようと、特別大きくていらっしゃる。
人は山を見ると、山姥さんの微笑みをじかに感じて、懐かしい気分になるんだ。
歩いて行っても、車で行っても、どこの山でも見上げれば、『おう、よう来たな。ゆっ
くりしておいき』と答えてくれる。
山姥さんは、今でこそ白髪のおばあさんだが、お若いころは、『岩長姫(いわながひめ)』
といって、はつらつとした働きもののお嬢さんだった。
日本中の山々に、増えよ育てよと木々をお植えなさったのは、この神様だ。
いつもすっぴん、化粧を知らず、顔はいつも土まみれ、手はひびと傷だらけ。
動物や昆虫、鳥類の神々が、一番頼りにされていて、この種族をどこにどの時間に、ど
う置くべきか、どんなもの食べさせようかと相談なさるが、いつも我がことのようだ。
この神様には妹がおありになって、妹神様はうってかわってお美しく、装いも色あでや
か。どんな神々からもあこがれの的。
妹神様は、姉神様の育てた木々の上に、芭蕉扇で一掃き、二掃き、三掃きして、色鮮や
かな花をお咲かせになる。四掃きめの雪の花だってあるんだぞ」
「一掃き毎が、春夏秋冬を表してるんですね」
「そのとおり。そして、生き物の種族の神々との全体会議の席に着かれれば、いつもリ
ード役。
みんなうっとりしてしまうんだ。姉神様も、話がまとまりよくて、うれしそう。
みんな仲良く、助け合い。だけど、姉神様が一番働かれていたなあ。
地味で、忍耐強く、勤勉で、実直、こうした性格は、姉神様の特長だったろうか。
お父上である山神様は、姉神様のいずれのお嫁入りのことを考えて、『妹のように少し
は装ったらどうか』とおさとしになるが、いっこう興味がないようす。
そうするうちに、妹神様に縁談が持ち込まれた。
今の世で一番力を持たれたお家柄の、世の中をにぎわしと繁栄で満たされるという、実
力兼備のハンサムな男神様が、神々の社交パーティーの会場で、妹神様を一目見て気に
入られたのだ。
このとき姉神様は、もちろんパーティーには出ておられず、せっせと野良仕事をされて
いた。
父神様は、考えがお古いかたで、姉より先に妹が嫁ぐというのは、いかにも順序違いで
姉神様をふびんに思われた。かといって、こたびの縁談お断りするには、立場が違いす
ぎる。
というのも、かつて世界を誰が治めていくかということで、神々の世界に、関ヶ原の合
戦のようなことがあった。
東軍ならぬ『天軍』と、西軍ならぬ『国軍』が戦って、『天軍』が勝ったんだ。それは、
圧倒的な『天軍』の勝利だった。
だが、人間のする戦さと違って、負けても神々は死ぬことがない。その後の平和な世の
中で、『天』の神々は中央に出て政権をにない、『国軍』の神々は田舎でひっそりと暮ら
していた。
そんなとき、降って湧いた話だった。
困った父神様は、考えぬかれた末、姉神様も共にもらっていただこうと腹を決められた。
恐る恐るであったが、父の威厳を込めて、そう申し出ると、男神様からは軽妙なご返事。
『おお、それはよい。予は何ら不足ないぞ』
『姉は献身的で働きものです。絶対にあなた様にご不自由をおかけすることはありませ
ん。ただ、重ね重ね申し上げますが、姉は不器量ですゆえ』
『重ねて言うではない。予はさほど狭量ではないぞ』
とはおっしゃったものの、すぐさま妹神様のもとへ行っておしゃべりされていて、それ
ほど父神様の言葉に関心を示されておられぬようす。
父神様は、卑しくも神がする約束ゆえ、違えられることはあるまいと思うものの、新し
い時代となって、『天』の神々とどうおつきあいすればよいかよくわかっていたわけで
はなく、不安であられた。
やがて婚礼のときとなった。にぎわいの男神様は、すでに妹神様とは深い恋に落ちてお
られた。
これも新しい時代の行動様式というべきか。
これ以上、婚儀など無用のものかと思われたが、儀礼を重んずるしきたりには古いも新
しいも、神も人間も変わりはない。
男神様は、初めてまみえる姉神様について、妹神様に一度も聞くことなくこの時にいた
り、ただ普通の恋が営めれば申し分なかろうの考えで臨まれた。
父神様は、この時ばかりは立派に装い、精一杯の化粧をして、せめて普通の娘と見られ
るようにして臨もうとする姉神様を伴って現われられた。
姉神様にとっても、幸せなときであられたに違いない。
だが、初めての対面の座で、微笑みのみられた男神様は、一目見てにわかに面を険しく
し、父神にそっと耳うちされた。
『これが岩殿なるか』
『さようです』
『うーむ、どうしたものかの』
『お約束でござります』
『うむ、わかった。婚儀は婚儀じゃ』
こうして、婚儀が終わると男神様と姉妹神は連れだって、牛車に乗って、『天』の館に
帰られたのであった。
見送る父神様は、あの先ほどのやりとりに、これで良かったのだろうか、本当に幸せに
なってくれるだろうかと、心痛められた。
父神様の心配どおり、男神様は、妹神様を自室に入れても、姉神様を控えの間に置いた
まま。
普段のだんらんは妹神様と共にしても、姉神様はまるで下働きのよう。だが、姉神様は、
不平を言わず、自分の得手とばかり働かれた。
当然、不得手な化粧などすることなしに、すっぴんのままとなる。
ある日、すっぴんの姉神様を見た男神様は、仰天してしまわれた。
そして怒り出され、『おのれ、予を騙したな』と、父神様を呼びつけ、『この姫は要らぬ。
連れもどれ』と命じられた。
妹神様は、『それはあまりに姉様がかわいそう。私は姉様がいてこそ、きれいに装える
のです。何とかお考え直しくださいな』とおっしゃるも、男神様は、『そちは黙ってお
れ。予がもっと豪奢なもので装ってやるからに』との仰せ。
父神様が、『器量の点はお申しにならぬというお約束では』と言うと、男神様は、『婚儀
で器量悪いを隠して目どおりするとは、ほかにも隠しごとがあるやに違いない。よもや
予の寝首をかこうとは思っていまいが、いずれ偽り多き者。同じ屋根の下に棲むわけに
はいくまい』とおっしゃる。
こうして、父神様と姉神様は、泣く泣く郷里の家路につかれたのだ。
『わしがおまえをふびんと思い、無理矢理嫁がせようとしたことが仇になってしまった。
すまぬ岩よ』
『いいえ、私がいたらなかったのです』
『いやいや、わしが浅知恵だった』
のちほど、男神様の本家から使者が来て、いかなる理由でかかる不祥事にいたったかを
問いただしてきた。
『本家では、どうして偽り者の姉神殿をよこそうとしたのか、真意が知りたいと申して
おります』
父神様は、恥ずかしさと怒りと確信を込めてこう申し上げられた。
『にぎわいのお殿様には、桜の木の花の咲くが如く、絢爛豪華な治世をしていただきた
く妹神を、そのご治世が巌の如く苔生すまで盤石であられますよう姉神を、二人併せて
お出ししようとしたのでございますが、お気に召さなかったようです。妹神のみでは、
桜の花が咲いて直ちに散ってしまうような御代になられてしまいましょう』
これは人間の世界でも同じことだが、真っ正直な生きかたをする者が言う言葉は、正確
無比なんじゃ。
それを知っておっしゃったわけではなかろうが、このお言葉は呪いとなって、男神様に
降りかかっていったのだ。
むろん、姉神様は知る由もなく、一度嫁いだ身ゆえ、男神様を未だ夫として慕い続けて
おられた。
いずれ男神様が翻意なされて、再び呼び戻されることを期待なさっていたのであった。
だが、いつまでたってもそういうことはなかった。
深い嘆きは、年相応もなく、老けさせるものじゃ。
神の御歳八千才というのはまだお若い。
だが、すっかり白髪となられ、皺深くなられた。
そして、なおも意気消沈なされて、山の奥深くにこもられてしまわれた。
時折、ふもとの里に降りてきて、遊んでいかれる程度となってしまわれたのだ。
実は、わしはよく遊んでもろた里人の一人なんじゃ。
見てみい。むこう(六甲)の山々を。
色はどす黒く、そのいくぶんかはすでに死んでおる。
山肌は、姉神様のお肌そのものなんじゃ。
いっぽう、男神様のほうは、今を盛りの活躍ぶり。とったはつったのお忙しさ。だがや
や過労ぎみ。
たまに腰痛起こして、困っておられる。
妹神様は、男神様のために今日もパーティー会場を彩ろうと、お肌の手入れに余念がな
い。
だが装いにはほころびが、花冠にも衰えが隠せない。
早い老いを起こされねばよいのだが。
山神様に、あのジンクスのことたずねてみれば、わしが言ったからじゃない、わしには
そう見えた気がしたから、使者にお伝えしたまでだとおっしゃる。
いつでも姉神を呼びに来て欲しい。
姉神はいつまでもお待ちしている。
お呼びがあれば姉神は喜んで、きっと若くはつらつとなるだろうし、夫を立てて山々を
豊かにするだろう。
そうなればわしもまた大働きせねばな、なんせ愛しい娘たちのことじゃから、とおっし
ゃっていた。
そして、あらぬことか、久々に踊って見せてくださった。
そのときの歌はこうだった。
『左の峰には桜の木、右の峰には常盤木を、植えて常世の喜びを。巡らせてみたや、む
ら雲の、遠き蒼弓の果てまでも、大盤石の天地の輪・・・・・』
お歳を召した父神様は、ほころびの多い衣装着て、いたむ膝をかばいながら踊られた。
わしら里人は合いの手を打ってさし上げた。
右ひじに空いた大きなほころびは、さきごろ龍神様とやり合ったときにできたもの。
旗本である龍神様は、天地が暗く濁るのは、義理の息子のせいなると、諌め申せ、諫め
申せの一点ばり。
はては、も一つ戦を構えぬかとまで言い放ち、まあもう少し我慢せよとの父神様に食っ
てかかって、思いあまって猛火を吐いたがこの始末。
龍神様の言うのも無理はない。
昼はもうもうたる臭煙に悩まされ、天地には見えぬ騒音がこだましておるから、夜も眠
れんのだそうな。
私はこのとき、ゴミ箱に捨ててあった新聞を見て、どこかの国で深刻な山火事が起きて
いることを知った。
左ひじのかぎ裂きは、魚の神の竜宮に住む乙姫様が、やはり山神様に、海が汚れて大変
なの何とかしてよ、と袖を掴んだは良いが力あまって、爪が剥き出てできたもの。
なんせ、龍族統ずるシャカラ龍王様のご令嬢じゃから。
このときは、どこぞの国で、大地震が起きたとか。
左膝の袴にできたほころびは、さきごろ転んだときにできたもの。
いつも歩いた山々の折りなす石畳、慣れたいつもの足運び。
だが、飛び石の一つが欠けていた。
ひっくり返って、したたか膝を打ち、痛む足になられてしまった。
父神様の衣装のたくさんの傷跡は、いろんな問題の跡なのさ。
それもこれも、昔と違ってしまったことによる。
長い月日の中でなら、多少の変化は何でもないが・・。
だが、目まぐるしいものの続出に、ようついて行けんようになった。
神様がたとて同じことなんだ。
ニューエイジの『天』の神々は、早いし、さといし、なんでもやってしまう。
だが短気でけんかっ早いから、誰もよう諫められないでいる。
板挟みなのは、父神様だ。一人で、重荷を背負われている。
どう諫めたいたいかって?
ゆっくりやろうじゃないか、とか、一歩一歩考えてやろうとかいった大きな意見から、
臭いにおいを出さずにやれないか、とか、川をきれいにしてやってくれといった個別の
意見まで、
単純なことながら種々様々だ。
それらをとりまとめて、何度か天の館に陳情に行かれたという。
ところが、門前に恐い顔して今にも破裂しそうな膨れ面した雷神様がいて、何かたて突
こうと言うのか、とすごんでくるのだそうな。
とりつく島がなく、かといって努力しようとの回答が何回めかのときにあったため、じ
っと待つ以外に方法がなくなった。
だが、賢くさとい神様ゆえに、対策も早かろうとの思いは空振った。
『これも我らが弱いせいであろうかや』とお付きの者にぽつり。
『こうなれば、我らみなを生んでくださった親神様に事と次第をお話しし、調停してい
ただくことにでもせねばやまりませぬ』との進言も。
『そうじゃ、そうじゃ』
そうした意見がみなの口からもれるほど、困り果てたかたが多くおられたのも確かじゃ。
だが、難しかろう。
というのは、女の親神様が、ニューエイジの神様がたの振る舞いすべてに、無条件の許
可を与えておられたからだ。
なんせ、お孫さんに当たるから、それはもう、かわいい、かわいいのかわいがりよう。
『どんどん新しいものを学んでおゆき』と何でもオーケーなんだ。
していることに口だそうものなら、八つ裂きされても不思議でないほどのパワーのかた
だから。
そこで、男の親神様はどうかと見れば、世界の大枠を作られた疲れで、寝所にてお休み
だった。
お起こしするにはしのびない。
かといって、手をこまねいてはおられない。
そこで山神様は、重い腰をあげられて、親神様の寝所に赴かれることになったのだ。
これは一大事とばかり、その他の山神、龍神、生き物の神様たちがその場所にわれもわ
れもと押しかけた。
とんだやじ馬だったかも知れん。
地方の守護がすっかり抜けてしまったからな。
どこもかしこも神無月。この事件の前後は、下界で凶事が蔓延だ。
さて、龍神様たちは飛ぶことができるため、父神様より先回りして飛んで行った。
その途中で、時折遊ぶ小高い山の上に、奇妙な二人の人間がいるのを見つけられた。
『あれ、何だ?』
『ああ。あれはキタロウとネアン。わしらの存在を記録しようとしてきているんじゃ。
ほら、あのおかしな箱のようなものがあるじゃろ。あれでな。
息子の小龍などは、わざわざ記録されに行っているらしい人間の中にも、少しは理解者
がいてもいいからな。
どれ、わしらも一つ記録されてみてやるか。記念すべき事がおきようとしてるんだから、
記念写真としゃれ込もう』
そして、険しい山の間を、びゅーんとすり抜けて、曲芸飛行して写って見せた。
『ふう。どんなもんだ。まだまだ若い気分になれる』
『おやおや、玉龍のやつ、まだやろうとしてるぞ』
『いいじゃないか。おれたちもどうだ』
『もういいよ』
などという話しをしながら、あたりを飛んだり跳ねたりして、時間つぶしをしておられ
たのだった」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「どういうことですか。意味がちょっと・・」
「なに。山の上の二人は、UFO撮影をしていたんだ。すっかりUFOだと信じ込んで
な。確かに、それに違いないもんな」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「さてそのころ、山神様は公式の場に臨む晴着をびしっと決めて、どんな欠点も指摘さ
れることのないよう姿勢をただし、いざ親神様の寝所へと赴こうとされていた。
たもとには、分厚い陳情書を入れて、もし話しだけでうまく行かぬようなら、それを親
神様のもとに置いて行こうとの考えであられた。
山神様は、伊吹山の住処を出発なさったが、痛む左膝には、しっかりとさらし木綿が巻
かれていたので、歩みはいっそう遅くなってしまわれた。
目指すは淡路の親神様の寝所。
かつて何度も通いなれた山々の石畳のおりなす道。
よもや年老いたとて、間違うはずのない行程だ。
若い頃なら、三日の道のり。
それを丸三ヶ月かけてようやく六甲の地へと至られたとき、右の足をいつもの山並みに
かけようとなされたが、親指をかつて支えた山が消えていた。
わずかの事ながら、ご老体の身には、百倍にも当たったろうか。
おまけに陳情のことで頭がいっぱい。目もしょぼしょぼ。足下を確かめることも満足に
されなかった。
山神様は足を掬われたようになり、前につんのめられたのだ。
どうっと倒れ行く先、両の手をつこうとした位置に、親神様の淡路の寝所のとばりがあ
ったから、さあ大変。
ばさあっと大きな音がして、とばりが落ちて、ずでーんと地響きがしたものだから、さ
しもの熟睡の親神様も、すわ寝込みを襲われたかと、傍らの太刀をとって飛び起きられ
た。
『おのれ、何ものー』
『あいたたたーっ。もうしわけござりませぬ』
見れば、悲痛な顔をこちらに向けて、山神が横たわっているではないか。
『どうしたんじゃ』と、直ちに抱えあげて介抱なされた。
『ここで何をしておる』
『実は、かくかくしかじかで、まかり越したのでござります』
悲痛に満ちた声で、皆神の苦しいしだいを、横たわったまま逐一お話になられたのだっ
た。
『さようか、我が居寝る間に、さようなことになっておったか。対処を考えねばのう』
山神様は、そのお言葉を聞き、年老いてぶざまな姿を見せることで、おとがめはおろか、
同情をもかち得ることができたことに、老体をおしてきた甲斐というものをつくづく感
じられたのじゃと。
いつしか、くだんの姉神様もそばに来ていて、父神様の容態を気にかけておられるのだ
った。
親神様はそれを見て、『おまえもふびんなことだったのう』と仰せられ、それを聞いて
いた多くの取り巻きの神々の間から、同情のどよめきがおきたのだ。
『だが、喜ぶのは早い。よく見るがよい。山神のそそうは、現(うつ)しき青人草(あ
おひとくさ)に、はかり知れぬ悲しみを与えておる』との親神様の仰せ。
下界を見やれば、山神様の倒れられた跡が大地震で壊滅しておった。
『我が老身のなせるとがなり。かくなれば、我は不慮にみまかった魂を、ことごとに我
が里に連れかえり、大切に守り育てましょう。岩よ、手伝うべし』
『心得ました』
『再びこの地に、かかる不幸は及ぼしませぬ』
こういうわけだから、このときこの地で亡くなった者で、化けて出た者はいなかろう?
龍神様たち取り巻きの神々も、『我らも手伝いまする』と声をそろえて申し出た。
そこで親神様は、こうおっしゃった。
『わしは、この地に、我が計画の基をおこう。あらゆるものが崩れ去った廃墟。
その中から燃え上がる新しい命の炎。新しい炎はそこから出て、全体に広がるのだ。
わしが、この場からすべてを監督いたす。そこは、山神はじめ神々と、現しき青人草
が、
痛みをわかち合った跡。皆神が協力し合うと約した跡だ。よってそこを、神の戸口と名
付けよう』
『ふさわしかれ。ふさわしかれ』とみなが唱和した。
こうして神戸という地名ができたのだ。
遠い昔の神話に語られる、この地方の由来だよ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そのとき洋一は、やっと話に割り込む理由を見いだした。
「でも、神戸というのは、明治時代くらいにできた名前ではないんですか」
「うん?君も難しいことを言うね。だが、神々の世界では、過去も未来も共にある。
現象には、シンクロするという現れかたになるんだ。平たく言えば、そうなる宿命だっ
たということになるのかな」
「・・・?」
「まあいいさ。いつどこでシンクロするかわからない。だがシナリオはあるから、知っ
ておけばためになる。それが神話というもんだ」
「その神話とは?」
「あらましだったら古事記に書いてあるさ。ほほっ、乞食が古事記を語るとは、こりゃ
お笑いぐさだな。どれ、落ちもついたところで、ちょっと小用に」
そう言うと、方士は地下道の中に消えてしまった。
十分経ち、二十分経ち、洋一、いくら待っても方士が帰ってこないので、あの草原に行
っているのかと、地下道に探しにはいっていくと、中は照明で明るくて、人がたくさん
行き来していた。
そういえば、この下はN駅のはずで、今は通勤帰りの時間じゃないか。
おかしい。ここからこっち向きの暗い通路が続いていたのに。白昼夢だったのか?それ
とも、仙術でも?
洋一はよほど気になって、翌日休みを取って、以前方士が歩き回っていたあたりをもう
一度歩いてみた。
一通り歩いてみたが、どこにも手がかりはない。
再び地下道の前に立ったとき、ああそうだと気がついた。
保健所の前でよく座っていたのを思い出した。
いつ行き倒れてもいいように合理的な行動をしているなあとかねがね思っていたこと
だ。
保健所に行き、あのちょっとつかぬ事ですが、この前によくいたルンペンさんはどこ行
きましたかねと一人の職員に聞いてみた。
すると、中にいた職員みんなが、きょとんとして洋一の方を見ていたが、その中の一人
がこう言った。
「ああ、あの人なら、震災の時に、ねぐらにしていた歩道橋の下敷きになって亡くなっ
てるよ。なんせここでたびたび世話してたからね。後でどうしてるか見に行ったら、あ
の始末だった。気の毒なことだが」
それを聞いても、洋一、いささかも不思議な気になれない。なんせあの人は方士だから。
何があってもおかしくはない。
「そうでしたか」と言って、洋一は帰ろうとして、ふと立ち止まった。
「あのう、彼の遺留品の中に、ネブクロのようなものはなかったですか」
「ネブクロ、ねえ・・。ああ、そうだ。すごく汚れたネブクロに入って寝てたんだ。ど
す黒くなった紺色の」
「あっそう、それ僕が・・」
「あなたが?」
「いや、何でもないんです。どうもありがとう」と言って飛び出した。
そうか、亡くなっていたのか。よかった、ネブクロ使っていてくれたんだ。さよなら、
方士さん。
そのとき、見上げた空の雲の上で、方士がくしゃみし高笑いしたようだった。それから
時は進んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
方士コメント

「なに?神々も、仲が悪くてけんかするって?
そんなことはない。
神話をシナリオとして、役者の神々は主人公に成りきって、能狂言の舞いを舞う。
舞台が終われば、お疲れさんを言いあう世界。
ハンサムな男神様も醜い姉神様も大の仲良しだ。
だが、舞台ではメリハリをつけねばな。
この辺、どこかの話に似ているな。
だが人間と違って、次の役が当たるまでは、至福の宮殿でお休みだ。
人間だって似てないこともないんだが、ねばっこくってアクがある。
それだから良い、わしゃ修行しに行くわという神様だって居るから、いろいろだわな。
ならば、人間は何かというと、舞台や役者の演技を支える黒子だな。
神々がいくらがんばっても、人類が手足となって動かねば何にもできんということだ。
神話編みはこの原理が分かっていないと、アクの強さに負けてしまいかねない。
よくよく気をつけるんだな」





第 二章 神話嫁取合戦


新神話のはじ まり
嫁取り合戦会 場
宇宙連盟の拡大
不滅の記録板
蘇民将来異聞
八俣の大蛇
スサノオと八王子
モ ビルスーツのしかけ



第二章 神話嫁取合戦


新神話の はじまり

洋一は、ときおり物思いにふけるために、家の近くの小高い山に行くようになっていた。
山上には神社があり、平日などは訪れる人も珍しかった。
神戸での震災のこと、不思議な乞食方士のこと、こうしたことはすでに記憶の隅となっ
ていた。
<人生は味気ないものだなあ>
あれほど奇妙な経験をした洋一ではあったが、今となっては日々の暮らしの単調さと、
決して良い方向に向かってはいない世情に辟易していた。
ため息ばかり出る部屋を後にして、ここにくれば空気も良い。
神社の前の展望台から、眼下の播磨一帯を見下ろす。
遠く淡路島が山々の連なりとして望めた。
<あーあ、いったいこれからどうなるんだろう>
大きなため息と共に、眠気を催す春の陽気の昼下がりであった。
ベンチに座って、うつらうつらとしていたそのときだ。
神社の陰から人影が現れたかと思うと、洋一の横にやって来て座ったのだ。
何でこのベンチにと、眠い目でよく見ると、なんとあの時の方士ではないか。
心萎えていた洋一にとって、願ってもない再会であった。
一瞬に飛び起きて、喜びを露わにする洋一。
「どうだ。元気にしていたか」
「本当にあなたですか?もうあの世に行かれたかと思っていました」
「そんなわけはないだろう。現にここにこうしている」
方士は以前どおり、汚い出で立ちをしていたが、洋一に腕に触ってみよと指図する。
洋一は、おそる触れてみて、実体感のあることに、納得の頷きをして返した。
「まあ多少、普通の人とは違っているかもしれんが、君も知っているとおり、これでも
仙道を目指した方士だからな」
やはりそうかと、洋一は頷いた。でもなぜまた。
「何でまたやってきたのかと、いま訝っただろう。また仙術をかけて惑わせるんじゃな
かろうかとも思ったな。わしには分かるぞ」
いえそんなと、洋一は首を横に振る。
なぜなら、とても普通では味わえない面白い経験でしたからと、洋一は心の中で答えた。
また何かありはしないかと思っていたところだったのです、とも。
それで分かったのであろう。方士は話をつないだ。
「そうだろう。君には神話の世界を覗かせたからな。普通の者では望んでもかなわぬこ
とだ。それもこれも、わしのようなルンペンに孝を尽くしてくれたればこそだ」
方士は、また過去を振り返るような虚空の彼方を見つめるようなしぐさを始めた。
前に聞いた神話の語り始めもちょうどそのようだった。期待に胸が踊る洋一。
「この山から見下ろす方向にかつて震災があったよなあ。あれはもう、遠い昔のことの
ようになった。
わしのようなものからすれば、遠い昔の神話時代よりも、もっと遠いおぼろげな過去の
ように思えてならん。
あの震災が人間の世界に投げかけたものは、ほんの米粒ほどのものでしかなかったので
はないかと思えてくる。
記憶がさほど残らんのもそのせいだろう。
実際、わしは崩れた陸橋の下敷きになり、命を終わらせたほどのものであったのに、ど
うもわしには手ごたえがない。
多くの被災者も、何のために犠牲になったと嘆いているようでならん。
山の神様のお膝元で、世界環境会議とやらが開かれたよなあ。京都議定書とやらが採択
されたと聞く。だが、結果はどうなることか。
しばらく良い効果が期待できそうだったが、妨害がかけられたみたいだな。
震災直後のオウム事件に始まる、妨害者による隠蔽ともみ消しは機微を得ていた。
神話がせっかく作られて上演されたにもかかわらず、もうひとつ詰めに欠いていたせいで、
結局
有名無実なものなってしまったようだ。
ああ、なんとも嘆かわしいは人間。いや、そうではない。どう言っていいのか・・ああ」
方士は大きなため息をついて、困難さを息で示すかのようであった。
洋一は、妨害者というものに問題があるという漠然としたものを感じるが、実態がつか
めぬだけに、慰めを言うこともできない。
「わしはあれから考えた。この世界の行く末を案じる良い者ばかりの協力をとりつけね
ばならんと。そして、すでに事は始動した。
着実に成果を上げつつある。いや。もはや事は成ったと言っても過言ではない」
がっかりしていたかと思うと、急にベンチから起き直り、らんらんと目を輝かせる方士で
あった。
方士の目には、先の未来も見えているのであろう。洋一も背筋がひとりでに伸びた。
「前にも話したように、神話の世界では、過去、現在、未来、ありとあらゆる神話が様々
な舞台で同時に舞われておる。
一歩下った客席には、神話の言霊が充満してうなりをたてている。
それが観客の龍神たちの手で紐解かれて、やがて君たちの世界にも表れてくる。その時
点は、君たちには知るすべがない。
ただ、時の兆候を観ることのできる者が、今がそのときではなかろうかと推測するのみ
だ。
こうしてわしが、君の前に居て、この高台から麓を見下ろしながらしゃべっていること
だって、一つの神話なんだぞ。
君は神話に加わる人間代表という呼び方をしても良いかな。
わしがここに来た理由は、君に神話作りをしてもらいたいからだ。神話作りは、人間に
しかできん。
わしはすでに人界を去った仙人だから、所詮無理なことなのだ。
ここで君が見聞きすることを、神話物語として書き記してもらいたい。
君に文才がないとは思わんが、面倒なら誰かに頼んでくれたら良い。何なら、わしが斡
旋しよう。
ただし、君が憶えてしっかり意趣を伝えてくれ。
神話として世に出ることによって、君の世界に神話が確立する。
神々はその言葉にしたがって、天上で神話の舞を舞われることだろう。
妨害者が作った多くの神話もどきが、神話の世界にノイズを発生させて神々を困らせて
いる。
間違って舞わされ、失敗にいたたまれなくなった神も多い。
それに対抗して作るというわけではないが、この物語には、諸天善神が誠意ある息吹を
吹き込んでくれるはずだ。
あまたある神話もどきを凌駕して、最も力を発揮する神話の舞が舞われることだろう。
前の神話は完成されたものではなかった。
わしが話した『山姥の歌』。
それは最後の詰めを欠いていた。
わしはそのことを見落としていた。
隙に乗じて、妨害者がお茶を濁したのであり、神話自体に効力がなかったのではない。
その反省に立って、神話を指導せねばならないという役目をわしは担って、もう一度こ
こにやってきた。
わしはむかし神話作りの手伝いをしたことがある。
蘇民将来の伝説は聞いたことがあるだろう。
日本では有名な神話だ。
人はそれを独立した神話と見る。
ところが真実はそうではない。
時間と空間を越えて、あらゆる神話が関連しあっているものなのだ。
関連性に裏打ちされていることによって、不動の座を時空に占める神話となる。
妨害者の出すノイズに、草薙の太刀のひと振りを浴びせる時、厳かな舞台に神々が威厳
をもって舞われることとなる。
神話はかつて数少なかったがゆえに不動だった。
だが今は、どんな者でも神話を作り語るご時世となった。
善き者も妨害者も条件は同じなのだ。
それゆえ、諸天善神は、秘策を練った。
騒ぐ草どもに惑わされぬ神話連環の鎖を巡らそうと、な。
わしが計画遂行の役割を担った。
そして、わしが人界における手助けとして、白羽の矢を立てたのが君だ。
君は望まずとも、計画の中に取り込まれた人間となる。
どうだ。そのような役割は嫌か?」
「嫌と言っても仕方ないのでしょう。もう不思議な世界に足を突っ込んでいるのですか
ら。
それに、ぼく自身、杜子春のように仙人に憧れたこともありました。
素質はなくても、教えてもらいたいような気もあるし・・・。
それに、こんな退屈で窮屈な生活には辟易していたし、人並外れた気持ちでいるという
のも、いいものだと思います。
でも・・うまくできなかったらどうするんですか?」
「どうもありはせん。わしが見込み違いをしただけのことで済むだろう。
計画はいくらでも並行して試みられる。君がせずとも、誰かがやる。
そういう時期にきていること自体、神話からの催促なんだ」
「だったら、気が楽ですね。できなかったとしたら、あなたには申しわけないですけど」
「おいおい、やるべきことは丁寧でなくてはならんのだぞ。
気楽が無責任という意味であってはならん。だが、失敗は恐れるな。
そんなことは気にすることではない。じゃあ、良しということでいいな。
明後日、この山に登ってきてくれるか。
君の休みの日であることはもちろん知っている。
君に覗いてもらいたい神話の世界がある。
そこで見聞きしたことを、書き伝えてもらいたいのだ」
「ぼくは文章は苦手ですが、できるだけのことはしてみましょう。何かとてつもない役
目みたいな気もしますね。
明後日、いつごろがいいですか?」
「いつでも気が向いたときに来てくれ。それがひとりでに相応しい時刻になるだろう。
頼むぞ。力まんでもいいからな」
そう言うと、方士はすたすたと歩いて、神社社殿の扉を開けて、中に入ってしまった。

嫁取り合戦 会場

二日後の当日は、天候が思わしくなく、麓からして霧に包まれていた。
洋一は、晴れるのを待とうとしたが、昼になってもようやく麓の霧が収まった程度にし
かならず、約束を違えてはなるまいと、あわてて出かけることにした。
山の登り口は霧に包まれていた。これでは登ってくる者もいないであろう。
中腹にさしかかる頃、見慣れた御旅所と書かれた石板が見えた。
ところが、その横に、もう一つ石板が置かれていて、「神話嫁取り合戦会場」と書かれ
ていた。
「おっ」
変わった案内表示には思わず笑いかけたが、この場所であるに間違いはあるまい。
緊張しながら洋一は御旅所の広場に入った。霧はなお深い。
そこには古墳があって、丸く盛り上がった丘に短冊型に切り出されたような大岩が無造
作に積み重ねられていた。
いわゆるイワクラというものである。

ところが、そのイワクラ全体が黄色い光を発していたので洋一は驚いた。
いよいよ無気味に思えて、背筋に冷たいものが上下した。
そのとき、どこからともなく人の話し声が聞こえてきた。
参拝客か、それともハイカーか。そんなことはこの際どうでも良い。
見たくもなかったが、目はイワクラに釘付けになっていた。
霧が少し晴れると、黄金色のうっすらとした発光に取り巻かれる中に、岩組みを椅子と
テーブルのようにした格好で、仙人服を着た男女が座って歓談しているのが見えた。
彼らの語り合う声であったのだ。
時として、キャッキャッと笑う様に、やや心ほぐれる洋一であった。
<これが仙人なんだ>
挨拶をしようと、洋一が近づいても、彼らは気づく気配がない。
まるで彼自身透明人間か幽霊であるかのようで、異質の空間に いる感じがした。
が、これも方士がかけた仙術の効果なのであろうかと思い直す。
透明人間にでもなったかのような気持ちというか、死後、幽霊になった者の孤独という
かを味わう気がしないでもなかったが、持ち前の好奇心もあって、よりいっそう近づい
てみるにためらいはなかった。
男仙のほうは白髪で、彫りの深い顔には威厳があった。
女仙のほうは、長い黒髪に白くふっくらとした面持ち、丸く切れ長になった目、総じて
古典的な美女と言うべきである。
上空は、垂れ込めた雲がまだらを呈して、勢いよく乱れ飛んでいた。
よく見ると、雲間からダイヤかクリスタルかと思われるような菱形の透き通った乗物が、
ジグザグ飛行しながら降りてこようとしていた。
洋一は、目を丸くした。
<げっ。これは何だ?UFOだろうか!?>
おびえて、木立のほうに隠れる洋一。
UFOは広場に音もなく着陸すると、丸みを帯びるが早いか、人の形をとって具現した。
しかし、ただ透き通った体が、人の形に背景を屈折させて輪郭を呈していた。
まるでそれは、プレデターとかいう映画で見たエイリアンという感じである。
ところが、男仙が待ち構えていたかのように、桶に入った土色をした泥のようなものを
掌で掬いとるやエイリアンに塗りつけた。
するとエイリアンは、泥を吸収するようにして、みるみるたくましい筋骨隆々たる青年
となっていったのである。
「これはなかなかいい体だ。できあがりは申し分ない」
「このボディスーツは、この地上のことに関わられるときのための品です。我々が昔か
ら偉大な天仙様に献納してきた恒例の品で、意見を容れて改良を加えてあります。」
「これでこれからは、スー姫と思う存分楽しめるのか。行き届いた配慮だな」
「まだ分かりません。私との勝負いかんです」
「ふっははは。あきらめの悪い奴よのう。どんな話をしようとも、所詮わしには勝て
ぬぞ。私の話は、お前の出すような話とは、規模が違うからな」
何が起こるのか分からぬ洋一であるが、そうするうちに、遅れて方士がやってきた。
「よく来てくれた。面食らったようだな。説明しておこう。
入口の看板にあった、嫁取り合戦というのは、そこにいる一人の女仙をめぐって男仙二
人が勝負をしようというのだ。
むかし王侯貴族がよくやった一種のゲームだ。
ただし、勝負といっても武術によるのでなく、話の優劣でつけようというわけだ。
女の仙人は、地仙と言って、この地にもとより居て、仙道を修めた者だ。
初めから居た男の仙人は、女と同じ地仙であり、女仙の古くからの恋人だ。
後から来て、いま出来上がったような男は、天仙と言って、宇宙から来た仙人で、今回、
話の勝負で女仙を奪おうとやってきている。
宇宙からときおりやってくる天仙たちは、地上の地仙たちと比べると各段に力が上回る。
かつては術較べが幅をきかせていたが、これではやられたほうにダメージが大きくかな
わないと、地仙の陳情で、話によって優劣を競うことになった。
進歩といえば、進歩というのか。
術は、相手を封じ込めたり危害を加えることも行う暴力に類するものだ。
だから、暴力はいかんが、論争ならばあたり障りがなかろうとの通達なのだが、これが
また曲者で、論争の勝敗をめぐって、勝者が敗者に債務を負わせるという論戦賭博の様
相を呈してしまった。
人間臭いというのか、あくまでも加虐を目的にしたがる好戦的な発想というか。
表向きは格式や形式ばらせた試合という、いかにも上品そうな体裁をしているが、裏側
は人身売買同然のことなのだ。
ちょうど君らの世の中の仕組みをかなり悪くした感じかな。
日本はまだましだが、世界標準はかなりひどい。そんな感じだ。
下もそうなら、上も然り。上がそうなら、下に良い発想が下ってくるはずがない。
たとえば最近、こんなこともあったな。
地仙で北方の魚族を統帥していたキンシャサ鯱王は、武勇伝の優劣競争に負けて、魚族
の統帥権を天仙のサンポウトクに譲ってしまった。
サンポウトクはゲテモノ趣味で嗜虐嗜好が強いから、魚族の断種を進め、奇形魚族の開
発に嬉々とした」
「奇形魚は、海洋汚染で起きるのでは?」
「いいところに気がついたな。神話の世界は象徴であり、地上はそれが積分されて、屁
理屈で肉付けされた形で現れるのだ。
サンポウトクは北方の魚族が棲む海域をどうにでもできる権利を譲り受けた。
これに付帯して、欧州の海洋を領知するテイラタッパ龍王とも勝負して、これにも勝ち、
文句を言わせないようにしている。
だから、欧州周辺での海洋汚染はひどくなるいっぽうだ。
だが、キンシャサ王は、損害がこの程度ですんで良かったと言っているくらいだ。
昔はもっと大変だった。
術較べのときには、権利がやり取りされるばかりでなく、地仙自身にも危害が及んだか
らな。
術をかけられ殺されでもしたら、即座に封神されてしまう。
負傷ですんだとしても、天仙の武器の呪力はすごいから、治癒しきることはない。
武力の差は歴然としているから、天仙にしてみれば、赤子の手をひねるに等しい。
それに対して、諸天と地仙が寄り合って世論を作り陳情抗議して、ようやく武力による
競技を装ったいじめはなくなったが、今は論戦による合法的簒奪といじめだな。
「封神とは何ですか?」
「封神か。それは一種の去勢だ。封神演義という話を知っていよう。最近は、日本でも
知られるようになったぞ」
「ああ、それなら何かの本で読んだことがあります。
大昔、仙人たちが世界を支配していた頃、人間を登場させるに当たって、仙人が二手に
分かれて戦争をしたということですね。
どうにもならない妖術を使い人間の行動を邪魔する禽仙たちを、人間の側に立つ人仙た
ちがやっつけるという話でした。
結果は双方の多くの仙人が死にましたが、人仙側が勝利したということです。
しかし、死んだ仙人たちを人仙禽仙を問わず、温情的に神に封じ、仙界の下に神界を作
り、そこに住まわせて人間の住む人界の管理に当たらせたということですね」
「分かるなら、話が早い。話が美化され、細部で違いはあるが、およそそのようなこと
が大昔にあった。
仙界に住む支配者たちを天仙といい、神界に役を与えられて住む者を神といい、神界よ
り下霊界までに住む無役の仙が地仙で、いまでも人霊たちに親しまれる者たちだ。
一笑に伏さないでくれよ。封神は事実としてあったのだ」
「事実なんですか?単なる中国の古典物語かと・・」
「それが世界の謎を解く鍵なのだ。だが、物語はいつのときも勝者の都合の良いように
書かれるのが常ということを考慮すべきだ。
では、もののけ姫の話はどう思うかな?」
「それは、人間に征服されて行く自然界の側の悲哀を語る秀作だと思います」
「それだけか?滅ぼされて行く自然の側に立つ精霊たちをどう思う?」
「人間のエゴは良くないと思います。自然と何とか折り合いをつけていくべきかと思い
ます」
「折り合いをつける?そう考えるのは個人の自由だ。
いかに多くの人々が自然との折り合いをつけた生活をしたいと思っているか。
そう思っても、いつのときも上に立つ者が暴君ならば、どうしようもなかろう。
やがて自然は人為の前に滅ぼされ、生命がロボットに取って代わられても、人々は暴君
の言いなりになり続けざるを得ないのだとすれば、どうする?」
「とすると・・あなたが言っている暴君とは、国の為政者というよりも、もっと上の次
元の話なんですね?」
「そうだ。上が上ならば、下はまともに影響をこうむる。
封神の時代以降、天界に暴虐がはびこることになった。
神話を読んだことはあるな?
決して善良な話ではなかろう。
妬みあり、戦争あり、人界にあるものは何でもござれだ。
それが人界の矛盾の源にもなっている。
古くから神々や地仙たちは天仙の言いなりになりつづけてきた。
たとえば、男尊女卑とか、カースト制というのを知っているな。その原型は天にある」
「あなたが憂いておられることが何であるか分かったような気がします」
「うむ。さて話をこの場のことに戻そう。
天仙はこの地に娯楽を求めてやってきている。
看板にあった嫁取りというのは、実は名ばかりのものだ。
地仙の女性はみな美しい。
娯楽として、彼女らを手に入れたがっているのだ。
天仙は、宇宙に住むため、性欲はもともとない。
彼らは、陽神という気の塊を育てて子孫にすることができるからな。
だが、娯楽のために、地仙の持つ性欲が味わいたくてここに来るのだ。
特に地球の生き物、とりわけ人間の性交時の快楽には、どこにもない魅力があるらしい。
かつて陽神を育てるために、精の強い者たちの性行為から、気を奪い取る風習があった
が、人間よりもなおエッセンスにおいて秀でる地仙の気の濃厚なのに気がついた。
地仙の女のエクスタシーから直接気を採取する術を会得したのだ。
それに加えて、この分野においても、地仙を上回らねば、容赦できないのが彼らだ。
性行為そのものの魅力をも会得しようとするからどうしようもない。
その魅力は、本来それに続く子育ての苦労を担保するための喜びでなくてはならないも
の。
人間だからといって、生殖目的以外に快楽のみをむさぼってもいいものではない。
それを可能としているのは、天仙が人間を介して欲望を実現したい陰謀があるからに他
ならない。
だから、愛に欠如があるのは当然のこと。
それが分かっていながら、愛の面で決して上回ろうとしないのは、彼らが初めにこの世
界に関わった理由でもあるからだ。
そのことは、追い追い分かってくるだろう。
多くの女仙が、天仙たちに連れて行かれ、慰み者にされ、子を孕まされた。
だが、天仙との間に、子供がまともに生まれたためしはない。
すべて不真面目な営みであったために、流産してしまったのだ。
禽獣がする生殖行為ゆえ下等なものと思っていることもあって、思いの世界からして生
殖行為は成立していないのだ。
これが人界とは異なる。
ただ快楽のための嗜好品目として、天仙の間には定着してしまった。
気を集める修行だと称してな。
だから、連行される女仙にすれば、たまったものではない。
あの女仙は、龍王の娘だ。
長く地底に暮らしていて知られていなかったが、ついに天仙の目にとまってしまった。
哀れにも、今日がそのまぐあう日と定められている。
今までにも、地仙側から難しそうな条件を出して、何度も回避が図られたが、ことごと
く失敗してきた。
今日も新たな条件が出され、ゲームのような按配になるだろう。
結果は、どうなるか分かったものではない。
しかし、そんなことは問題ではない。
ここで何が語られたかをよく憶えておいて、後で書き記してほしいのだ。それが君の役
割になる」
「ぼくみたいなものに、憶えておけるかどうか、少し心配です」
「成行を見守れば、憶えられる」
洋一は情景を見ながら、頷いた。
天仙が正装を装着し、事細かなお色直しがすむと、女仙が開始の挨拶をはじめた。
「チュウチャクロウ(天仙)様に見初めていただき、嬉しく存じます。
が、私に恋を寄せる方がもうおひとかたおられます。それがこちらのリョウキョセン(地
仙)様です。
私も、どちらも価値ある殿方と思えばこそ、どのような面白き武勇伝をお持ちなのか知
り、その優劣で腰入れ先を決めさせていただきたく存じます。
なにせ、これからの長い時を連れ添うのに、交わし合う話が退屈ではつまりませぬから。
では先番をば、まずチュウ様にお願いいたしてもよろしいですか」
「ああ、構わぬとも。しかし、私の武勇伝はいささか多い。
何でも、そなたは話好きであるそうだな。
おそらく、私の話に退屈はすまいとは思うが、では逆に問おう。
そなたは私を満足させるに足るだけの話を持っておるのか?
それができぬようなら、ただ体を使うのみの奉仕を強要されても文句はいえんぞ。ふは
ははは」
「これは困りました。私は、永く龍宮に閑居し、私自らの武勇伝などは持ち合わせてお
りません。
しかし、話好きの私を和ませようと、友が神界人界からお越しになり、興味深い話をし
てお帰りです。
そのような話をお聞かせいたしましょう」
「そうか。だが、そのような聞きづての話では興も削がれような。私は、そなたの為し
た話が聞きたいのだ。そうでなくては、実感がこもらんだろう」
そこで、男仙が口を挟む。
「まあ、そのようなことを仰いますな。スー様(女仙)は女の身ですゆえ」
「まあ、いいだろう。私がここに来た理由は、ただスー殿をもらい受けたいだけだ。
もらい受けた後は、私のためになることを専らしてくれれば、それで良い。
私が実感のこもった話を、褥技を介しつつ、そなたにしてやろうではないか。ふははは
は。
では、いざ勝負じゃ。いざ語るとしよう」

宇宙連盟の 拡大

「私は、現在、地球紀年齢で、10億才を過ぎたことになる。
今でこそ天仙としての位階を拝領しているが、私の功業は主に人界においてであった。
人界における人間として生きた者としては、最も古い部類に属すだろう。
だから、宇宙空間で所狭しと活躍した頃の話をしたいと思う。
私は、人間としての七回目の転生の時に、出世の栄誉を得た。
最高仙・元始天尊様から、勅命をいただいたのだ。
その頃の私は、コーラル星団の牧童長という、宇宙管理の重要な仕事の中堅を担ってい
た。
私は、その生の初め、宇宙船内の人工受精と試験管培養器で生まれた。
育ったのも宇宙船内であり、遺伝子父母の仕事をそのまま後継ぎしたというわけだ。
こうしたパイオニアとしての誉れある遺伝子を持って私は栄誉ある生をスタートして
いる。
コーラル星団内の1000以上もの文明星を船で巡回し監視する警備の仕事にあって、
法の遵守精神には誰よりも負けず、そのためには多大な犠牲を出したことも少なくはな
かった。
そのクールさと律儀なまでの徹底ぶりが、上層部のいい加減な奴らよりも、昇進を早く
させたばかりか、次元を超えた高貴な存在の目にも留まることとなったのだ。
天尊様の勅命は、サターンやチターンという妖怪どもを徹底的に殲滅せよという命令だ
った。
奴らは、宇宙に巣食った先住意識どもで、我々人類の進出を心から喜ばぬ者たちだった。
この殲滅のために、私はコーラル特殊部隊を統率する何人かの中に異例の昇進で組み入
れられた。
まずは、コーラル内部に潜む妖怪どもの掃蕩作戦を展開した。
奴らは、肉体が死んでも魂がまた何に乗り移るや分からなかったから、次元を異にする
複数の領域での捕縛作戦を取りつつ、二手三手に分かれて追い詰めて、ことごとく殲滅
することに成功した。
私は、その実績と力量を見込まれ、より大きな宇宙に出ることになった。
コーラルを除くどこの領域にも、妖怪はいた。
ところによっては、惑星全体が得体の知れぬものによって蹂躙されている場合もあった。
そうした惑星を次々と解放し、それにともなって我々の息のかかった為政者を送り込み、
我々の傘下を広げていったのだ。
力あるところは盟友星として扱い、力のないところは植民星とした。
こうしてできあがっていったのが今の宇宙連盟であり、私はその手柄で第二代目総督に
就任した。
私は、十六回までの転生を、天尊様の計らいで、宇宙連盟の拡大に奉げてきた。
十七回目にして総督の地位を得、そこで天尊様から不老不死の妙薬をいただき、不動の
身体を持つチュウチャクロウとなって生まれ変わったのである。
それからは、転生の間の無駄が省かれる分勢いづいて、領域拡大にもいっそう貢献でき
た。
そして、弱小文明星団は、懐柔し、侵略し、言うことを聞かねば戦争で強伏するという
ことを繰り返してきた。
ただ、手強かったのは、もう一つの勢力、宇宙同盟であり、彼らは最初から妖怪の殲滅
という理由付けでの侵入を拒否していた。
彼らはむしろ妖怪どもの味方をするぐらいであったから、始末におえない。
天尊様も、ある理由から、同盟への戦争には踏み切られなかった。
そのうち天尊様は、私に強運を維持する仙術と、殺しの罪を消尽する仙術を会得させて
くださった。
私は百戦百勝とまで、戦に長けることができ、人界からは戦神と呼ばれるようになった。
次々と教えていただける仙術のお蔭で、自らの霊力も自ずと強まり、ついに天仙の仲間
に入れていただくことができたのである。
そしていま、天尊様は、別のルートから宇宙同盟に働きかけて、宇宙連盟との和解を推
進なさり、ついに具体的な和睦が結ばれるに至っている。
そして今日、連合と同盟の間で決まっていることは、次のようなことである。
連合と同盟は、互いに相互不可侵条約を結ぶ。
相互に利害ある未開拓星のある場合は、相互に戦わぬことを前提に、共有し干渉するこ
とができる。
相互に利害ある協定星については、その規則に認める限りの干渉や実験を行うことがで
きる。
ここにある地球は協定星の一つである。
妖怪およびそれに準ずる者は、それぞれの規則において罰することを可とするも、凶悪
な場合は特別な領域に繋がねばならない。
等々・・。
こうして、和睦協定によって、宇宙同盟といえども、どうあっても妖怪どもを処罰の対
象としなくてはならなくなっている。
つまり、憎き妖怪はそのままでは生きるすべを、全宇宙、全領域から失うことになった
のだ。
ところで、この地球は協定第13条にある、特別な領域とされている。
まだしも問題のなかった妖怪たちが、他の星から移動され、ここに降ろされている。
振る舞いにいささか問題のあった人間の魂も、刑期を勤めるため、ここに流されている。
様々な問題を抱えた者たちのるつぼを作り、その中で揺さぶりをかけることにより、角
が取れ丸みを帯びるであろうとの大きな計らいだ。
だが、地球はそれほど極悪のものの貯まり場ではない。
妖怪で程度の悪い者や、人間でも凶悪な者はここを離れること地底数億里下った地獄で
拷問を受けている。
地獄の刑期は永遠ほどに長く、改心できたとしても、もう人間の境涯にすら戻れまい。
また、神や地仙という位階にある者でも、行い次第では人界に落とされ、人間の辿る苦
行を味わうことになる。
そして場合によっては、地獄に赴くこともある。
たとえば、お前たちも知っていようが、国常立は、罪咎のない者を多く罰し、逆に罪根
重き者に寛容にしたがゆえに、地獄で永遠の責め苦を受けておる。これは重大な汚職だ
からだ。
再び出てくることはもはやない。
さらにもう一つ付け加えるなら、妖怪の定義にも、これという決まりはない。
我ら天仙のさじ加減で、そなたたちさえも同様の範疇に含めることは、いつでも可能だ。
だから、決してお上に逆らわぬが幸いというものである。
何か質問はないか?」
そこで、スーは心配そうに聞く。
「宇宙の各所で殲滅された妖怪たちは、今いかがなっているのでしょう?彼らとて、
魂ある存在。どこかに生きているのではありませんか?」
「ははあ。それはそうだろうな。奴らとて魂であるから。私はさほど詳しくはないが、
呪いの鍵のかかった地底の強力な結界の中に封じられ、絶望という題名のプログラムを
享受させられているとか聞いたことがあるが、前線にいつもいた私などは預かり知らぬ
ことだ」
そこで男仙が神妙な顔をして、質問の挙手をした。
「畏れ多くも、分かりました。
ところで、このような話をご存知ありませぬか。
昔から存在した、宇宙の年代を語るような記録物のことです。
私が昔、古老から聞きおよび、関心を寄せておりました。
天仙様ならいかがかと思いまして」
「うーむ。そのような物もあったかな。
だが、お前たちが知っても仕方ないことだ。
願っても手の届くはずのないお前たちにとっては、無用の長物だからな」
女仙がそこで、懇願するような目つきをして、こんなことを言う。
「意地悪ですこと。無用の長物ゆえ、時の徒然にお聞かせ願いたいのです。
我々は、この惑星のいろいろなところを見聞したり、こうした場所で語らい合うだけの
暇人ですから、ぜひお願いいたしとう存じます」
「ま、スー殿はこれからわが元に参り、日々新しい仕事をこなしてもらわねばなるまい
し、いつまでも暇人というわけにもいかぬゆえ、最後の望みに語ってやってもよいかな。
ふはははは」

不滅の記録板

「我々は、この大宇宙の中心部に、原初の大爆発で生じたと考えられる高密度高純度な
鉱物でできた、表面が鏡面のようになった巨大な石板、エルモナイトプレートと名付け
られるものを発見した。
そこには、なんと、どんな鉱物を用いても刻めぬはずである硬度にもかかわらず、文字
が刻まれていた。
しかも、表面を同一鉱物で覆った内側に刻み込んであったのだ。
それは、表層ばかりでなく、内部に至るまでびっしりと刻みつけられていることを意味
していた。
最初に管理することとなった惑星エルモナイトは、長い間その出土の意味が分からずに
いた。
だが、宇宙紀700700XXXX年、エルモナイトが私の統括する宇宙連盟に加入し
た時、その存在が宇宙に知れるところとなった。
どこにも痕跡を残していないはずの大文明が、大過去に存在したというわけだ。
それはおよそ、地球紀年で40億年前以前のことではないかと想像されている。
歴史は長いものだ。
何事かによって滅んで久しく、かなりの空白期をおいて、現在の文明の下地が形成され、
ここ十億年ほどのうちに宇宙連盟ができあがったことになる。
いっぽう、その文字に対応する解読用の文字盤、コスモプレートが、ビッグバンの中心
部から遠く外れたところで発見された。
発見場所は、宇宙連盟が統括する範囲の外、宇宙同盟の管轄下にあった。
我々は当時、彼らと冷戦状態にあったが、捕虜の情報からそのような物の存在も知れて
くることになった。
我々が連合をある程度確立した時、それまでどうでも良かった大過去文明の痕跡を検証
する作業にかかる必要がでてきた。
というのも、我々より進んだものの存在が、たとえ過去の遺物であっても許せなかった
し、もし存在したのなら、それより先行する必要があったからだ。
それはそうだろう。
常に最先端を行く、宇宙で最も進んだ勢力が我々でなくては、宇宙の安定性に寄与する
我々の存在自体が脅かされないとも限らないからだ。
コスモプレートの発見された場所は、ベテルギウス第21番惑星だった。
そこなら文明が大過去にあってもおかしくはない、均整のとれた生命惑星であり、住む
人類も宇宙同盟の中では最優秀クラスであったろう。
我々は、その奪取のために、この惑星を滅ぼすことにした。
同時に、同盟軍に強いダメージを与えることを目論んだのである。
その頃の同盟軍は、位置的に孤立したベテルギウスまで至ることができず、孤軍奮闘の
21番惑星はたかだか5宇宙年で三重の異物侵入バリヤーを破られ、水爆の雨あられを
受けて、火の球になってしまった。
さらに5宇宙年かけて、周りにいる宇宙空間にさまよう生き残りを掃討したものの、コ
スモプレートは同盟本部に持ち去られてしまった後だった。
そして、連合と同盟に和解の方向が出てきたことから、互いの利益のためということで、
中立ゾーンにこの二つの遺物が運ばれ、解読結果が公平に分配されてきているという次
第だ。
まず、その表面だけが読み取られて、その中から、宇宙空間を高速航行できる原理と、
技術が導き出された。
宇宙連盟と宇宙同盟の傘下に加わる全文明星にその恩恵は行き渡り、宇宙船に技術化さ
れて、今やどんな遠隔地でも時間を浪費せず行き来できるようになっている。
宇宙のほとんどは二大勢力によって二分されたが、時間の隔たりがなくなった分、二者
が互いの歩み寄りを見せ、近いうちに一つにまとまろうとしているわけだ。
しかし、同盟側のコスモプレートの持ち去りに、天尊様がよもや関わっておられようと
は思わなかった。
30宇宙年は無駄足だったことになるからな。
だが、天尊様のはかりごとは、そんな小さなことではなかった。
天下を二分する勢力をひとつに纏め上げるために、役割を同盟側にも与えたのだから。
いまそれが着実に実を結びつつある。まさに十億年の大計と言うべきだろう。
我々は、過去に長い不幸な戦争を経験してきた。
しかし、その悲惨な歴史を良い教訓として、宇宙史の新たなページを刻んでいる。
これからは、同胞意識を持って、人類は手を取り合わねばならない。
自由、平等、博愛だ。これがこれからの理想の宇宙作りとなる。
以上、私の話を終えることにしよう。
スーピクリン殿、後ほどよろしく裁定なされませ」
パチパチパチ・・・・とみなの拍手。
女仙は、伏し目がちで、目に涙を潤ませていた。
チュウチャクロウは、女仙が感動したと思った。
「では、次は私の番です。
いささかローカルな話ですが、私の自慢できる話があります。
人界の者なら、多くが知る蘇民将来にまつわる話です。
私はその経緯に深く関与いたしました」


蘇民将来異聞

「むかし、蘇民将来という純粋な心を持ち、誰でも公平に見ることのできる者がおりま
した。
彼は、人と付き合うに、外見でなく、魂で付き合いをするという人間でした。
彼には妻がおりましたが、同様に魂の付き合いをする人で、私はずいぶんと親切にして
もらったものです。
家は貧しくはあっても、夫婦お互いに称え合い、敬い合って日々を過ごしておりました。
彼らには三人の子供がおり、日々の生活の貧しさに、夫婦は常々心を痛めておりました。
が、それを口に出して愚痴るでもなく、また子供達も家の様子を知ってぐずるでもなく、
互いに笑顔を支えにして日々を暮らしておりましたことか。
それでも、人の世は情けなくも哀しいものです。
蘇民将来には巨旦将来という弟がおり、誰もがうらやむ国一番の富豪ときておりました。
身なりや外見は、それこそ世界の一流どころの贅沢品で飾っておりましたが、魂はある
かないほどに腐っておったのです。
ただ、己が利得だけを考え、人と関わるときは利用できるときに限っていたというお粗
末な出来損ないでございました。
その頃の者も、その着飾りの裏にある邪悪なものを見通すことができぬほど贅沢品に目
を奪われておりましたから、いつもぺこぺこ追従を垂れておりました。
いつでも、私をお金で利用してくださいと。
殺しを生業とするものさえ取り巻きの中にいたほどですから、如何にこの者の悪辣さが
計り知れましょう。
さて、蘇民将来のことです。
普通なら、肉親なればこそ、弟は兄の窮状を助けるというのが筋というものではありま
せんか。
しかし、この巨旦将来は、だれかれ構わず土地の小作料を法外に取り立て、土地を借り
ていた兄一家の苦労をなおさら重くしておったのです。
そしていよいよその年の飢饉をきっかけとして、蘇民将来一家に命の終わりが訪れよう
としておりました。
私は見るに見かね、一計を案じ、人間世を預かるスサノオ様にご出馬を願い出ました。
これではご政道が成り立ちませんと、な。
人間の世界の問題ごとは、この神様の管轄するところとなっておりますから、早速の陳
情事となりました。
スサノオ様は、正義感の強いお方ではありましたが、人の世の習いには、過去にした罪
の清算という侵しがたい法があることをもって、良しとされておりました。
蘇民将来の一件も、法の適用の結果なれば仕方あるまい、それを曲げてまで事を起こす
ことはできぬと仰います。
なるほど、蘇民将来一家は、前の世において、それぞれが為政を担当していたことがあ
り、その時に罪なき人々を過失のうちに殺めていたことが判明しました。
それぞれが、自国を守ろうと正義感に燃えてした行動の結果ではありましたが、たくさ
んの遺恨の思いがスサノオ様の元に届いていたことも確かだったのです。
そう。蘇民将来一家は、かつてあった戦の罪を償うため、一家全員餓死という刑を甘ん
じて受けようとしていたのでございます。
何という謙虚なことか。
魂は、そんな悲惨な受刑さえやむを得ぬとするのか。
魂は、下界の悲惨さの極みをそこまで軽んじることができるというのか。
これではいかんと、私は思いました。
神界図書館に行き、魂の履歴を調べてみた結果、蘇民の妻の麗亀と、娘の小蓮に、悲惨
な将来がふさわしくない事実を発見しました。
二人に関しては、確かに戦があったとはいえ義戦であり、殺められた相手は悪虐非道の
徒だったという事実です。
これを持って再び陳情に上がったのでございます。
すると、スサノオ様は、なおも怪訝そうに、法適用の計算方法に間違いはあるまいがな
と仰います。
私は今までの神界における人間界の管理の仕組みに、いくつもほころびのあった事実を
指摘しました。
そのつど、見直しが図られ、仕組みがより安定してきたのではありませぬか、と。
すると、スサノオ様は、いかに悪虐の徒とて、人間の魂を持つに変わりなく、今が今な
らそれは理にかなった差配の結果。
扱いは法に従い公平でなくてはならない。
悪虐の徒の為したことについては、将来確かな復讐が与えられようから、矛盾は生じな
いと仰います。
そこで私は、ではこの事実をどうお裁きになるか、と問いました。
蘇民将来は、待ちに待った挙句、今生においてようやく一つの船に愛すべき者同士が寄
り集まったことをいたく喜び、この船を最後まで漕ぎ続け、確かな明日の岸辺に着けら
れないならば、自らの魂を返上するとまで、神に祈っている事実でございました。
スサノオ様は、冗談だろうといったお顔で、神界が人界に与えた仕組みの輪から抜け出
すことはまず不可能だろうと仰る。
しかし、私は、彼自らの魂の最終的な自由意志で、魂を消滅させてほしいと祈っている
ことをお伝えしたのです。
つまり、魂がする背水の陣といっても過言ではない祈り方です、と。
なに、最終自由意志だと?
スサノオ様はたじろがれました。
それは、この宇宙という永久無限のプログラムからの離脱を意味するものであり、魂た
ちに与える恩恵と思われていた通念自体が覆されてしまうほどの衝撃だったからです。
なるほど、解脱を図りたいものは困難だがやらせておけ、いずれ脱落してくるほうが多
かろうと思われていたが、魂の底からする抵抗には神界といえども抗えぬわけでござい
ます。
それはちょうど、テレビゲームに熱中しているようなものですな。
考えてみれば、はかない時間の娯楽を享受しているようなもの。
それに気づき、ゲームとの対峙が嫌になれば、椅子を立つだけでございます。
それをさせないために、ゲームは日夜面白く工夫されていたはずだったのに。
それは言わば、宇宙存続のポリシーに関わる事態なのでござる。
スサノオ様はこう仰いました。
では、お前の言うように、妻と一人の娘だけは、明日へと命をつないでやろう。
後の三者は、そうはいかんぞ。
不埒なことを祈る蘇民将来は、なおのこと容赦はできぬ、と。
私は答え申し上げました。
はじめてスサノオ様に対してする口答えだったかも知れませんし、あるいはしょっちゅ
う口答えしすぎて、これほどの言葉でなくては印象が薄かったのかも知れませぬ。
スサノオ様。そうはいきません。
彼らは一つの船に乗っておるのです。
それはあなた様の目でしかとご覧になれば分かるかと存じますが、彼らの船には神界を
も魅了する芳香があふれており、いかな神といえども手出しかなわぬはずでございます。
彼らは、もしこの先立ち行かねば、船もろとも宇宙からの離脱を図るに違いありません、
とな。
スサノオ様は、私を睨みつけ、もしたばかりあらば・・と仰って、慌てて人界へと赴か
れました。
そして、まず雲間から、蘇民将来の粗末なあばら家と、その破れた屋根の下で戯れる子
供達をご覧じました。
両親はどこかに出ていて居りません。
子供だけを置いてどうした親達かと、スサノオ様はいぶかしげによく見ると、痩せた子
供達が不可思議な黄色の芳香に包まれており、魅惑の輝きをしておりました。
その芳香は遠くたなびき、スサノオ様はその匂いの心地よさにつられて移動なさいます。
その先には実り薄い豆畑で働く夫婦の姿がありました。
その黄色の芳香は、ひと連なりになっていたのです。
おお、これはどうしたことだ。
スサノオ様は、荒れた芋畑の収穫の乏しさに驚かれたのではなく、五人の人間の絆の深
さ、愛の深さに驚かれたのでございます。
それでも、と眉をひそめられるスサノオ様でしたが、現地踏査をしてみようとて、人の
心の機微までも掴むべく、私にどういう出で立ちで行ってみたらよいか問われました。
私は一も二もなく、人の心の深部を見届けるには、最も卑しい身なりをして行ってみて
はいかがか、と申し上げました。
そして、前世の良果と言われるものが、今生でどのように作用しているものか、まずは
蘇民将来の弟、巨旦将来のところに行って、両者を比較されてはどうかと申し上げまし
た。
スサノオ様は、私が普段着にしておりました臭く汚いぼろをまとい、まずは弟の巨旦将
来のもとを訪れられたのです。
その目もあやな巨旦の豪奢な邸宅を見て、ああ、過去世に施し多き者は、このようにも
なるよと思し召されました。
それもそのはず、巨旦は直前の過去世において、お金を神社仏閣に寄進し、ひたすら来
世の繁栄を祈願していたもので、神々のお憶えも良かったのです。
スサノオ様は、かつて吾が名を呼びながら寄進した巨旦ゆえ、もてなしも十分なろうと
お考えでございました。
ところが、邸宅の門衛にまず、お前こんなところに何しに来たと追い払われ、なおも入
ろうとすると、大きな丸太でしたたか打たれてしまわれたのです。
わしは、スサノオの神なるぞ。巨旦将来にその旨告げてくれ。
そう仰ると、打たれた傷もけろっと元に戻して、なおも食い下がられました。
何度もそのようなことを繰り返し、さすがに気味が悪くなった手下どもは、中に居る巨
旦に事の仔細を告げます。
なに、乞食が来たと?スサノオと名乗っているとな?
いま、隣国の宰相と囲碁の最中だ。ティ(妻の名)よ、見てきてくれ。
なにを。わたしはあなたの召使いじゃありませんよ。
いかに神の名を語っているからといっても、私は無神論者ですから、番頭にやらせなさ
い。
こんなわけで、番頭が門前に出てきたものの、スサノオ様のなりのあまりのひどさに呆
れ返り、いくらかの銭を掴ませて追い返そうとしたのです。
ところが、スサノオ様は、巨旦将来に用があるから来た。今晩一晩泊めてもらえんかと
思ってな。と仰います。
だめだ。ああ、臭い。これをやるからどこへなと行けい。
などと押し問答は続きました。
あまりのしつこさに、番頭は入って、おおかた昔の縁者ではありませんかと、巨旦に告
げます。
巨旦は、むろん多くの人の世話になってここまで来たことは確かでございました。
しかし、いったんゆるぎない城を構えてしまえば、それはもう過去のこと。
親さえもろくに見ず、最後は人を使い夜陰にまぎれて姥捨て山に打ち捨てさせてきたほ
どの者でございました。
利益あるものだけが己が付き合いと、あと余命少なとなったこの年においてさえ、自ら
の行いを省みることがなかったのです。
むろん付き従う妻や子、下男までもあわよくば権勢欲を満たす遺産と地位を狙うもので、
少しも気が休まるわけもありません。
それさえも、金に飽かすことで注意を紛らせ、荒くれを誇示することを以って心地良し
とするどす黒い気性がこの館に満ちておりました。
それは、スサノオ様ならば見えたであろうに、先入観とは怖いものでございますな。
巨旦は、いったい誰ぞと、天守閣とも思える天辺の窓から遠眼鏡で覗き見ると、見たこ
ともない無精髭の汚い男。
底知れぬ怒りと嫌悪感を抱き、手下の暴力方になにが何でも叩き帰せと命じたのでござ
います。
七,八人の暴力方に、散々丸太で叩かれ追い返され、さらに裏から妻の差し向けた呪い
方が、神をも封じるという塩を庭先に撒くに至って、ついにスサノオ様も引き返さざる
をえないこととなりました。
それでも、以前のあれは何だったのかと思いつつ、また、人間はいかに悪でも温情的に
見てやるべきのかねての主義から、どうも踏ん切りのつかない境地であられました。
こういうとき、人間の身ならばとうに撲殺され、あの世に往こうついでに見切りをつけ
てしまわれたでしょうに。
これでは、蘇民将来のもとではどんなだろうかと、私が雲間から覗く空を恨めしげに見
上げられましたなあ。
私は、不謹慎でござるが、それ見たことかと、ほくそえんだことでございました。
どうして蘇民は、スサノオ様の、いかに悪でも温情的に見てやるべきという例から漏れ
たのでしょうか。
それは、人を殺めるということが、最も罪の重いものとする仕組みにあったからでござ
います。
人が殺されるということは、その者の魂が満たしたい経験を強制的に中座させてしまう
行為。
原初の頃に、経験したい者達が集まって下界ができたという、その成立理由に抗う重大
な違反行為だったからなのです。
しかし、ここでも動機というものが問われてしかるべきではありませんか。
報復の仕組みが下界にはあるが、それがそのまま適用されるべき場合と、そうでない場
合がある。
私は、それをスサノオ様に知ってもらいたかったのでございます。
次にスサノオ様は、いやいやながら蘇民のもとを訪ねられました。
なぜなら、あれほど裕福な巨旦にしてあの暴虐ぶり。
貧しい蘇民においてはいかがと思い測られたし、また御自らも会いたくもない相手であ
ったからです。
家に居たのは子供達ばかり。
何もない中で、いろんな遊び道具を作って、彼らの面白げな御伽の世界で遊んでおりま
した。
突然現れたスサノオ様に、普通の身なりの者が来たなら、また年貢の取立てがきたかと
表情をこわばらせるものを、自分達より身なりのよくない姿に、父上の友達が来たのか
と、笑顔で朽ちかけた板間に藁を敷いて招き入れたのでございます。
お前達は子供ゆえ、まだ無邪気なものよ。
心の中でそうは思いもするも、もてなしの菓子一つ、白湯一つない。
親は暗くなっても帰らず、子供らは食べ物を作る風もない。
そういえば、竈らしいものも、囲炉裏らしいものも、風化していてあちこち泥で固め直
してある。
どうした。なぜ飯を作らないのかと、スサノオ様は問うてみることにされた。
すると長男から簡単な答え。
もう食べた、という。
いつかと問えば、早朝に七草粥を茶碗に一杯、親子みんなで分け合って食べたという。
そんな馬鹿な話があるか。
大国主には、国を任せるとき、なにを言い付けたかと思い返してみるも、どうも実情が
合っておりません。
こんな暮らしに誰がした?
あとで大国主から事情を聞き質そうとも思われました。
やがて暗くなり、子供達も眠気がさし、一人また一人と藁の中に寝ていくうちに、よう
やく蘇民とその妻が帰ってきました。
スサノオ様は、真っ暗な中ゆえ知られぬように竈の陰に隠れて様子を伺われます。
息を喘がせながら、いかにも遠い距離を歩いてきたかの様子の二人。
手探りで、床に上がるも、ぎしっと揺れる床をようよう手で押さえて音を立てぬように
する様は、まるで盗人のようでございました。
スサノオ様は、いよいよ怪しく思われました。
二人は息遣いを殺し、子供達が寝ていると思われる辺りに至ると、喘ぎを留めてじっと
聞き入る様子。
三人ともに満遍なくそうしたかと思うと、女の影らしいほうが、そっともう一人に囁き
ました。
『みんな息をしています』
もう一人が男の声で囁きました。
『そうか。今日も無事で良かった』
そう申しますと、ずっしりとした荷物を土間に置き、二人ともに空いた場所を探して、
藁の中に転がったのでございます。
これが蘇民将来か。一家みなそろったようだな。
どれ、わしもここで休むとしよう。
そうして翌朝がきました。
まだうす暗い最中に妻が起きました。
そして竈の火をつけようとして、その裏に寝ているスサノオ様を見つけてしまったので
ございます。
『ひえーっ!!』と悲鳴。
その声に眠い眼で夫が起きます。
『どうした。麗亀。わっ、これは』
声も大声になります。
子供たちも気付いて、三々五々起きてきます。
スサノオ様はまだお眠りじゃった。
『あ、この人、昨日きたんだよ。お父様のお知り合いでしょ?』
見ればみすぼらしくも、頑丈そうな男。
ところが、蘇民将来はこんなことを申します。
『麗亀。このお方は竈の神様ではあるまいか』
『そうかもしれません。でも、ご飯の支度をせねば』
『待て、麗亀。さぞお疲れのご様子だ。寒いから藁を被せておあげ。我々は、一日くら
い食べずとも大丈夫だ』
そう言って、子供たちに干し飯を少し水とともに食べさせると、いつもの時間に畑に出
てしまったのです。
その後しばらくして、スサノオ様が目覚めたのは、子供達の笑い声によっでありました。
板間はこれ以上傷めてはいけないので、外で遊んでおるのです。
その声が中まで射した時、スサノオ様は起き上がられました。
ああ、人間の体とは、こうまで疲れっぽいものか。
そう言えば、昨日は何も食べておらんからな。
と、辺りを見回し、すでに日が高くに上っていることに気付かれました。
しまった。この屋の主は、わしにろくに飯も出さず、どこかへ行ってしまったわ。
そう独り言して立ち上がると、バラバラと藁が土の上に流れ落ちました。
なんだ?
生身とはいえ、丈夫なスサノオ様ゆえ、暑さ寒さごときどういうこともありません。
目の前の竈はと見ると、もう冷たくなっております。
釜の蓋をとって見れば、もぬけの空。
おのれ。このわしを起こしもせずたばかりおって。
見るに見かねて、私は、竈の神に化けて、スサノオ様の横に現れ申した。
スサノオ様が、はっと驚かれたので、私はすかさず、『ああ、今日も閑ですなあ』と申
し上げました。
『おまえは竈の神ではないか。閑だと?』
『はあ。この家では、日に一回朝だけわしを使ってくれれば良いくらいだが、今朝はお
主がここで寝ておったから、またしても閑になったわい。
この家の者は飯もろくにくわんとおるからに、いずれこの家も一人死に二人死にして、
いつかはわしのねぐらも朽ち果てて、わしもどこぞ当てを探して引っ越しせねばなるま
いかなあ。
恨めしきは、いったいどこのバカ神がこんな政治をしておるんじゃろうかと思うが、田
舎者ゆえよう分からんでおる』
スサノオ様は政治を行なうをバカ神と聞き、怒り顔で私を見ておられたが、私が『「あ
んたもどこぞ放浪されて、何も食っておられんのじゃろう?まっことつまらぬ世の中で
すなあ』と申せば、にがり顔で仕方なく相槌を打たれてございました。
子供らは、昼前には疲れ果てて外の割れ瓶の水を飲むと家の中に入ってきました。
ところが、一番小さい子供の具合が悪そうじゃった。
そのまま土間にうずくまるなり、動かんようになりました。
他の二人が板間の藁の上に上げて介抱するも、苦しそうにして動きません。
一人がスサノオ様を見て、『おじちゃん、なんとかならんじゃろうか』と言いました。
無言で見つめるスサノオ様。
『小蓮よ。おっとうおっかあを呼び行けるか?』
『うち、行ってくる』
そう言うなり、駆け出していきました。
私は後ろからまた言いました。
『あの子も途中で行き倒れるだろうて。なんせ、子供の足では遠すぎる。
これで今日、二人は死ぬるかのう。この子らの親の嘆き、いかばかりか。
あんた、もしかしたら、疫病神か?』
さすがの頑ななスサノオ様も赤面してしまわれ、しばらく考え込まれると、空を見上げ
てひとこと唸られた。
『この子の親に知らせてやってくれ』
これは雲間にいる私を呼ばれたおつもりなのでござる。
私は二役を使いこなして、九官鳥になり、雲間から見た方角に進路を取り、やがて豆摘
みする二人を見つけました。
そばに行き、上空を旋回して、『小玲、危ない、小蓮、倒れてる』という発声を何度も
繰り返しました。
よく通る声に二人は気付きます。
異変を知って、道具をその場に放って、二人して駆け出しました。
そのころスサノオ様は、小玲の脈を取り、帳面上の寿命と照らし合わせておられました。
これがこの子の寿命だから仕方がないと、次の瞬間、私に向かってつぶやかれるかと思
いましたが、どういうことか、しばらく子供の苦悩の表情をじっと見つめておられたか
と思うと、ふところから薬袋を取り出し、赤い丸薬をひとつまみ、子供の口に含ませま
した。
『おじさん。それって、薬だね』
『そうだ』
やがて小玲という子は、気持ち良さそうに目を開けました。
『このおじさんが助けてくれたんだぞ、小玲。よかったな』
一時も経って、小蓮を負ぶった両親が家に辿りついたころには、スサノオ様と子供二人
の楽しく語らう姿がありました。
このときすでに、スサノオ様は、今朝あったことの一部始終を子供らからお聞きになっ
ておられたのです。
スサノオ様は、不精髭の汚れた顔を振り向かせ、『おお、帰られたか。昨晩は宿に難儀
してもぐりこみ、今朝は竈を使えぬようにして申し訳なかった』と詫びられたのです。
『小玲は無事ですか?』と蘇民。
『おじさんが助けてくれたんだよ』
『そうでしたか。なんとお礼を言っていいか。おおかた遊びすぎて血の気が失せたので
しょう。よくあることです』
蘇民はそう簡単に言うものの、強い決意を内に秘めておることは、私には痛いほど分か
っておりました。
『みなさん。まだ食事をなさっておられんと聞いたが』
『はは、収穫とて少ない今年です。こんな日は珍しくありません。
しかしお客人、これもなにかの縁、いまから豆を蒸かしましょう。召し上がってくださ
い』
こうして、裏に四、五本束ねてあった蓄えの豆をみなゆでて、土器の皿に盛ってスサノ
オ様の前に供えたのでございます。
子供たちの腹が、それを見てグウと鳴っており申した。
それが聞こえたか、スサノオ様は食べる手を止め、掌をくるくると二、三回まわすと、
いともおいしげな饅頭を掌に取り出し、一人一人に与えられました。
子供たちはむさぼるように食べようとするを、母親はゆっくり食べなさいと諭しており
ました。
いかにも、ほのぼのとした情景じゃったなあ。
あまりのおいしさに、みな放心状態になっておりました。
『あなたさまは、どなたさまですか。竈の神様なのですか?』
『いや、名乗るほどの者ではない』
スサノオ様は、もう一度帳面を出し、蘇民将来一家の今生の履歴をよくご覧になりまし
た。
独身の蘇民将来では難しかろうと、親の世話を買って出たために、九割がたの相続地を
受けた巨旦将来に対し、一割を受けてなんら不服を言わなかった兄の蘇民将来。
その相続地さえ、巨旦将来が自らの妻に暴虐を奮い、それをかばった蘇民将来に高額で
買い取らせたがために、財産のすべてを手放したばかりか、妻ともども小作人として使
役される毎日が始まる。
巨旦将来の元妻はその時三人の子を設けていたが、巨旦将来は妾を正妻に据えるべく謀
り、妻子もろとも蘇民将来のもとに追いやった。
ところが蘇民将来は、この妻子を千載一遇の縁者と思い、孝養を尽くした。
貧しさの中、この結束あらばこそ、醸す芳香の芳しさが絆の証しと辺りに立ち込めてい
たのでございました。
ううむ。今生の心根の麗しさに比べこの零落ぶりはあまりに不憫。
だが、法を曲げるにも忍びず、一例に特例を設ければ、他にも及ぼさざるを得ず、うう
む。
そこでスサノオ様は、ひとつ蘇民将来に関し気に入らぬ性根について問い質そうとされ
ました。
『わしには人の心が読めるのだが、おまえには非常に傲慢なところがあると観た』
『私にでしょうか?』
『分からんか?おまえは妻子を確かな明日に生き延びさせることができないならば、
自らの魂を返上すると、神に申し立てたな』
『おはずかしながら、そうです』
『なぜそのようなことを思う?』
『私は、遠い遠い過去世の彼方よりこの方、真の家族を求め続けた記憶があり、そんな
とき弟から良妻だから買わぬかと下賜されたのが今の妻。
そして連れてきた子供達と日々暮らすうち、言い知れぬ憧憬とともに記憶が蘇えったの
でございます。
ところが、生活は困窮し、家族団欒の私の夢が潰え去ろうとするを目前にし、今生で家
族をまっとうに養えないならば、もう来るべき輪廻に望みはあるまいと、日頃祈りをさ
さげる神に最後の願をかけたのでございます』
なるほど、別の帳面には、蘇民将来の過去世における幾多の無味乾燥な人生の記録が載
っておりました。
魂を分け合ったほどの者との邂逅は、ときおりあったとしてもほんの一瞬。
摂理は無情にも、相会うべき魂同士を引き裂いておったのでございます。
どうしてでありましょうか。それには、理由があったのですが、それはまた別の機会に
でもお話しましょう。
そして確かに、この生で初めて、奇遇なほどの邂逅が果たし得ているのでございました。
またそれを維持すべく、神に恥じるまいと、真摯なほどに清廉潔白に生きる家族でござ
いました。
人間とは、かくも哀しい存在だったのか。
これほどまでに摂理に対し畏れを持って生きているのか。
スサノオ様が、はじめて法に依らず、義によって運命を差配すべきと思われた時でした。
その時、雲間から日の光がスサノオ様をいきなり直射しました。
こうした時には、平行して舞われている神話が、この神話と共鳴しあったことを意味し
ております。
どういう神話と共鳴しあったか、わしはその出先を、日の光を辿って見に行ったほどで
す。
それは、別の舞台で舞われているスサノオ様からの光でした。
これも、また別の機会にお聞かせいたしましょう。
ところで、神話が共鳴するという効果がどんな現れかたをするのでしょうか。
普通なら緩慢な反省の過程を経て心は変わっていくもの。
神話の共鳴を得たスサノオ様は、いきなり次のように心変わりされたのです。
蘇民将来に比べて、弟の巨旦将来は、過去世の純粋とも言えぬ動機によって寄進した供
物で神々の注意を引き、今生における富裕を獲得した。
それを義のために使わず、利得を加算するためにのみ腐心している。
あげくは富を以って魂ある者の売り買いに用いるなど・・言語道断!
その心根の差は、雲泥の差をもって喩えてもまだ余りある。
というよりも、魂が腐っているというしかない。
このような者こそ、真に滅ぶべきではないか。
世に悪法がはびこると吹聴する反発者がいることに腹を立ててはいたが、まさに世に害
悪をはびこらせる元凶が今の法であったかも知れぬ。
見直すべきである、と。
こうして、スサノオ様は、ひとつの決心をなさいました。
この国に重篤な疫病を流行らせることを思い立たれたのでございます。
さよう。私が先にいみじくも申したように、疫病神として機能なさったのでございます。
これより先、富に執し人をないがしろにする者には、すみやかな応報がもたらされるべ
く、法を修正なさったのでございます。
それに伴い、あらゆる応報の手続きが、迅速化したことは紛れもありません。
さて、蘇民将来とその家族には、牛頭天王の護符を与えて、これは我が分身であり、粗
末にしない限り疫病から守られるであろうと言い残されて、蘇民将来の家を後にされま
した。
その一月も経たぬうち、重篤な病が洪水の如く流行り、巨旦将来はじめ後妻、その子孫、
使用人、そして同じような豪奢な生活にふけるもののすべてに至るまで、続々と死に絶
えたのでございます。
かつての蘇民将来に関しての神話では、スサノオ様はそのまま嫁取りの旅に出てしまわ
れ、その先で妻神との間に八人の王子を儲けられた帰りに、蘇民将来のもとに立ち寄ら
れ褒賞されたとなっておりましたが、このたび書き換えられております。
何事も、善悪に関することは迅速化しなくてはなりませぬからな。
この国の主客は転倒し、蘇民将来とその子孫は末長く豊かに幸せに暮らすこととなり申
した。
それから先、スサノオ様が正義により裁く時代の幕開けとなったと、まあ、こういうく
だりでございます」
パチパチパチパチ・・・。
「それはまためでたき良きお話でございます。
私も聞いていて、涙が出ました。
正しき者が憂き目を見る世では、ご政道も成り立ちません。
さて、評価する前に質問がございます。
その疫病とはいかなるものでしょうか?
また、蘇民将来一家はいいとしても、子孫までがどうして助かったのでしょうか?」
「はは、それはでござる。
まず疫病というのは、いま人界で発生している狂牛病のことなのです。
当時の巨旦将来の国では、肉食が盛んでしてな。
巨旦に繋がる者たちは、わざわざ他国から取り寄せてまで、牛肉を愛でて食しておった
のでございます。
スサノオ様は、保食の神を誤って殺されました。
その神の亡き骸から生まれたのが、穀類でした。
それを取って、人間界の主食とされたのは、人間界を利益しようとする神々でしたが、
誤って事をなされたスサノオ様もその神々の行為には感涙されて喜ばれておったので
す。
その穀類摂取の原則を守らぬ者を註罰するのは、何も法の慣習をもってせずとも、神々
の裁量とばかり、清めの儀式を、舞台にて特別に舞われたのでございます。
その光が映し世に射し、このような清めの結果が出たわけでございます。
また、蘇民の子孫が無事であったことですが、スサノオ様の護符にかかれていたのは牛
頭天王の図柄でした。
スサノオ様を真に信仰する者なら、まずおそらく牛を食ったりしますまい。
悟りのよい蘇民将来の子孫は、その護符を持ち伝えたばかりか、獣肉一般を口にするこ
ともなかったのです。
獣肉を食うと、屠殺された獣の恨みが撥ね返って、心がすさむのですが、その弊害から
も免れたというわけです。
そして、長く心平和な時代を楽しんだとのこと。
さて、スサノオ様といえば、ヤマタノオロチ退治でございますな。
また、蘇民将来の話の続きにもあるよう、スサノオ様の嫁取りの逸話もございます。
この辺、もう少し関連したことを追加させていただくことをご了承願います」
「待て。われら天仙の感覚とはかなりずれておるな。片田舎のあくびの出るような卑し
い話はもうたくさんだ。各自一話となっておろう。
追加などといったような違反が許せるわけがない」
「いえ、ヤマタノオロチの顛末がこの話には重要なのです。巨旦将来とは何者であった
かが分かりますゆえ。この者の裏には、とんでもない者がいたのでございます」
「だめだ」
「分かりました。では、蘇民将来の話とワンセットになった、スサノオ様の嫁取りの話
をしてもよろしいですか?」
「テーマが異なるから、だめだ」
そこで、スーがさも残念そうなそぶりで仲裁に入る。
「私はいま聞かせてほしい気がいたしますが、無理とあらばしかたありませぬ。
では、さっそくの評価ですが、今までの話を元にしても、リョウキョセン様のほうに面
白みがございます。
よって私は、リョウキョセン様のもとにくだりとう存じます。これで水入らずで話の続
きが聞けましょうに」
「そうですか。こんなに嬉しいことはありません。ではご一緒していくらでもお話しし
ましょう」
「まてまて。話のスケールからして、こちらのほうに分があることは確かであろう。面
白みなどという評価をする女がいようとは、とんだ食わせ者よのう」
「私は面白い話のできる方でなければついて行けませぬ。
あなたの話には、心が通っておりませぬ。リョウキョセン様の話はとても魅力的。
さらにさらに、幾つもの派生した話もあるもよう。いまあなた様に中断されただけでも、
とても残念です。
ここは、続きを聞くためにも、この方のもとに参ろうと存じます」
「お前たち。よもやふたり示し合わせてわしをたばかろうというのではあるまいな。試
合のルールを、いきなり変えて良いわけはない」
「いいえ。最近のルールでは、私ども女の側が決めて良いこととなっております。
それというのも、過去の男女不平等を見直そうという全体的な動きからそうなってまい
ったはず。
これからの一生を送ろうとするに、どうして男の勝手で居場所を決められねばなりませ
んか。
選択肢が乏しいなら、せめて気心の合う、話しの合うお方と暮らしたいものです」
「どこぞかの愚かな星の民主主義やら自由主義やらをもてはやしているようだな。
そんなものは、我らが作戦的にほんの一時与えた愚民計画ではないか。
厳格な宇宙文明からすれば、物笑いの種。上の命令に下が服従するのは宇宙の鉄則だぞ」
「ここは宇宙ではありませぬ。ここは地球であり、地球の女を得ようとするのに、その
愚民計画に則らず、宇宙のルールを適用しようとすることのほうに問題がありましょ
う」
「この掟破りめが。ああ言えばこう言う。扱いづらい女よのう。
しかし、わしだけがここに無駄足を運んだとなれば、笑い者になってしまう。
では、こうしよう。次の話で決着をつけようではないか。
次の話は、スケールの大小で測ってもらいたい。こうすればお互い不公平はない」
「それでは一番勝負と決めていた約束が反古になるではございませんか」
キョセンのほうが、不満を申し立てる。
「わしは要領を得なかっただけだ。いつのまにか掟に背いた規則が作られており、てっ
きり今までどおりと思いこんでいたわしが不覚を取ったのだ。
契約は契約とならば、今度はわしがルールを申し付ける。これでおあいこといこう」
「そんな。いつも約束事を反故にされるのは天仙様・・」
「いいや、こんな馬鹿げた話はない。改めて勝負だ」
「ゲームというものは、規則も含め、進化するものなのです。これではお手つきでしょ
う」
キョセンも必死の食い下がりを見せている。
喧々囂々とやり取りは続いたが、女仙の提案で落ち着くこととなった。
第二話に決戦をかけるも、第一話を完結して聞いてしまうこと。
また、リョウキョセンは第一話の勝者ゆえ、もしこれが最後としても、思いを遂げさせ
てやりたいこと。
第二話の勝負の結果をもって、勝者のもとに腰入れをすることなどをである。
「スー様のお覚悟には感服いたします。しかし、私はあなたを失ったら、どう生きてい
けばいいのか・・」
キョセンはこう言うと、はらはらと泣き出している。
「天仙に対して、当たり前の計らいであろう。しかしどこか愚弄されておるな」
<けっ。兄者たちの話とは、かなり違うではないか。何でわしだけ、こんなに苦労せね
ばならんのだ。
それもこれもスーが余計な計略を図るからだ。少しでも身が移ろうものなら必ずや淫売
女に貶めてやろうものを>
こうして、リョウキョセンの第一話は続くこととなった。

八俣の大蛇

「実はこの巨旦将来の事件は、八俣の大蛇の神話の元になっているのです。
スサノオ様は、毎年のようにやって来て、娘を一人ずつ食っていく大蛇を殺すために、
酒だるを大蛇の頭数だけ用意させて、それを飲み酔い伏している隙に、切り殺したとい
う話。
これは、豪奢な生活にふける巨旦一族が、噂を聞いて外国から取り寄せた牛肉を、酒色
交えて食し、狂牛病にかかって手足震え汚物まみれになって痙攣する中に死んでいった
という事件を元にしておるのです。
それはそれは、巨旦将来、すなわちオロチ一族の末路の凄まじさは、酒泥に酔う如くで、
地獄絵図と言うべきものでした。
オロチ退治の武勇伝は、後に多くの故事をその中に織り込んだ神話となりましたが。
オロチは、獣肉を食うだけでなく、人の生き血も好んで飲みました。
人が血と汗して働いて築いた糧を巻き上げ、その者の運命が後々どうなろうと、オロチ
は関知いたしません。
奴の吐く死肉臭の息が、空を曇らせ、生類の呼吸をし難くし、人々の先を見通す識別力
を失わせ、純粋に生きるに必要な糧を、まったく別の価値のありそうもない物の下に置
いたのです。
そして多くの者に、それを拝ませるようにさえしてしまいました。
すると人々はその吐き出す毒気に当てられ、夢遊病者のようにそれに従ってしまったの
でございます。
この識別力を失わせるものとは、貨幣でございます。
金、銀、銅、木や石でできている、食べれば腹下しするようなものでござったのです。
そしてオロチ一族は、夢遊病者を操ることのできるこれの取り合いゲームに腐心してお
りました」
「それは何か西洋の神話、黙示録の話に似ておりますね。その獣は竜だといい、頭が七
つあるとか申しますが、まるでオロチさながらです」
「ほう、そんな話は知らんでした。
だが、西洋ということであれば、出所は同じでしょう。
ただし、そのまま竜や蛇だと考えると、誤弊があります。竜神様は、根が正しいお方で
す。
蛇神も性格にピンからきりまでありますが、根は正しい。
さては、あまり異形なもので、聞き知ってはいるものの見たこともない竜に当てつけた
ものでしょう。
これも、洋の東西では、思想的な下地が違いますからな。
ところで、重要な話がございます。
少し専門的な話になりますが」−−と女仙に耳打するリョウキョセン。
しかし、声は天仙を含めみなに届いている。
「オロチ一族は、完全な魂ではなく、半分は魂もどき、生命もどきが宿っておることが
分かっているのです。
これも霊的生命の一種なのですが、ガンのように正常組織に取り入り増殖し、創造神の
体に致命傷を負わせることを目的にしていることが分かっているのです。
その司令塔の仇名をバモイドオキ・ゾンビといい、オロチの親玉のようなもので、仏の
顔はしておりますが、たくさんの触手を持ち、その先には血と心臓が生け贄にされてお
ります。
この指令によりオロチどもが動き、正常な霊に取り憑き、しだいに腐らせてしまうので
す。
神々の蒼穹下の会議で、これも異形の霊として、あるいは宇宙進歩になくてはならぬ生
命として見なすかどうかで賛否が分かれましたが、ここでも神界太陽の日差しが頭上を
照らすや、急転直下、正道に復すべしという結論に至ったのでございます。
ここでも別の神話からの共鳴が加わったというわけですが、昨今あわただしくも神界に
さえ改革の手が伸びてこようとしているように思えたことでしょうか。
このようにして、オロチ退治は、宇宙の全系で行なわれても良いこととなりました。
奴らはどこにでも幾分かずつは発見されておりまして、動きが活発になれば、適当な時
期に処置せねば、元の生命体を悪くしてしまうのです。
地球上にも過去の時代がありましたが、元の生命体が瀕死になってから手当てを行なっ
たもので、正邪混在のまま大規模な戦争や天変地変によって地上を浄化せねばなりませ
んでした。
魂の救済措置も、ずいぶんと手荒で、霊水に浮かべて、浮いたものは掬い取るが、それ
以外は霊水もろとも汚水漕に送ってしまっていましたから、半死半生の魂などあまた犠
牲になりました。
だがそれも、今回からは是正される見通しです。
早期発見、早期治療により、適切な処置が施されるでしょう。
これにより、世の中もっと良くなり、住み易くなります。
魂それ自体の救済も、微に細に入り行なわれることでございましょう。
また、根本的大改革も計画されております」
「良い見通しが立ったということですね。嬉しいではありませぬか。
邪があまたいる状況では、私のような手弱女は外にも出られなかったものですが、これ
からは安心できるというものですね。とても面白かったです」
「さよう、面白かったでございますか。では」と、耳うちのスタイルから、いきなり男
仙は女仙に接吻と頬ずりをし、身をそのまま重ねて行った。
この行為は、再びルールを決めたときの約束事であったから、この場の者の口出すこと
ではない。
それでもチュウチャクロウは、文句を切り出そうと、右手を差し出そうとした。
実はキョセンの話に嘘を見つけていたのである。
が、リョウキョセンのあまりの変わり身の早さにタイミングを失った。
本来なら、こう言って野次るところだった。
「またそのような嘘八百を申すか。神々の蒼穹下の会議だと?
わしらを抜きにして、そのような会議が行われたためしなどないわ。
わしらが進めている面白みを出す賭博システムを称してオロチだと?作り話をするな。
わしらがオロチを定義するなら、地仙よ、お前たち妖怪のことだ」
しかし、チュウチャクロウは地仙のするベテランの行為の鮮やかさに圧倒されて、押し
黙ってしまった。
男仙の行為に女仙は、辺りの目を憚ることも抗うこともできないでいる。
女仙の軽い唐衣が男仙の巧みな手捌きで一枚一枚と剥ぎ取られ、やがてすべてが剥ぎ取
られるや、桃色にうるんだ丸み豊かな柔肌が現れた。
むしろ女仙は、切れ長の目を潤ませて、男仙を信頼のまなざしで見つめている。
それを男仙は軽々と持ち上げ、脱がせた唐衣の敷かれた上に横たわらせた。
裸身となった女仙の雅びで愛らしいこと。
洋一は横にいたはずの方士がどこにもいなかったので、恥ずかしくは思いつつも、この
光景に思わず魅入ってしまった。
天仙も同様に見入っている。
男仙は、女仙の傍らに座るや、その肌を満遍なく愛撫し接吻していき、時には舌で舐め
まわした。
柔らかい乳房は掴まれるつど盛り上がりを見せたので、男仙はその先にある濃いピンク
の飾りを吸いたて、舌でこね回した。
「ああいい・・。あなた・・いい・・ああ」
やがて男仙は衣服をさらりと脱ぎ捨て、褐色の肌を桃色の柔肌に擦り付けていった。
すると、女仙も自ら肌を擦り付けていく。
やがて男仙の巧みな指が、女陰に触れるや、女仙の口から、「ああっ」というかすかな
嗚咽が漏れた。
はらはらと女陰から滴る桃汁と甘いかおり。
男仙が指を離せば、糸引く桃汁。
それを男仙は、自らの口で美味しそうに舐め取った。
洋一はひとりでに佇立した股間を押さえ込まざるを得なかった。
天仙の股間も大きく膨張していたが、まだ初心者とみえる。
スーツに仕込まれた本能的情動の扱いを知らないだけに、傍若無人な異様さがある。
洋一、きまりが悪くなり、方士がどこに行ったか眺め回すも、居ない。
よく見ると、性交する男仙の顔かたちが方士に似ていることに気がついた。
黒い眉といかつい不精髭を白髪に置きかえれば、そっくりである。
洋一が、もしかしてと思った瞬間、男仙がこっちを向いて、片目を瞑って寄越した。
ああっと声を漏らし、へたへたと座り込む洋一。
やがて男仙は、笠の大きい如意棒のごとき男根を女陰に当てて、ゆっくり味わうように
深みに向けて挿入していった。
「ああーっ。いいですわ。いい・・。もっと、もっと深く・・」
女仙の感度の良さに、加減気味の男仙である。
「スー殿。女陰にばかり心を振り向けては、簡単に往ってしまわれてなりません。
話の続きをお聞かせしますので、も少し心をお解きくだされ。長く楽しめましょうに」
こうして、桃汁に光る男根をゆっくり出入りさせながら、次の話をしだしたのである。
それでも、話の合間に、あふれくる桃汁は行き場を失い、ときおり勢いよく桃尻のほう
に、つつっと伝い落ちたが・・。

スサノオ と八王子

「スサノオ様は、法を変えることを思い立ち、蘇民のもとを去ってから、かつてご自身
が不見識だったゆえになしてきたいくつかの行為を思い出されたのでございます。
保食の神を切り殺したのは、それぞれの立場によって異なる善意の表現への誤解があっ
たゆえのことでした。
禽神は土と関わりますから、どうしても行為が汚く見えるのです。
汚いというのは、人間から見た狭い価値判断に過ぎませぬ。
動物なら、喜んで土とまろぶことでしょう。
とにかく、何事も人間の価値観を優先されましたから、生態系は痛めつけられる結果と
なったのでございます。
たとえば、神界では大罪と見なされます田埋め、畔うがつ行為は、人間が喜々として得
意とするところ。
最近では、神山を削り、土砂を海に埋める行為も、いよいよはなはだしくなっておりま
す」
男仙はこのとき、神山を削るごとく、男根を荒々しく膣の盛り上がりに逆らうようにこ
すりつけ、出し入れした。
すると女仙は、愛らしい高い声で「ああ、ああ、死ぬう」と反応する。
それに対して、なおもパンパンと音を立てて出し入れする激しさである。
「さよう。こんな罪なことをしていれば、いずれ生態系は死ぬのです。
また、吉凶の逆剥ぎの斑駒、人工衛星なども地上に降り注いで参ります。
先日にはついに、平和とか申す天の住居が、青い星となって大音響とともに降ってまい
りました。うっうっ、どどーん、と」
男仙は、男根を引き抜くと同時に、白液を先端から女陰を覆う恥毛の上にほとばしらせ
た。
「これを見て、かつてスサノオ様が予言をお与えになった平和(ホピ)という名の先住
部族は、いよいよ時が来たかと、最後の踊りをしめやかに舞いました。
人界のこの踊りをご覧になり、スサノオ様も時至れりの事態をようようお分かりになら
れたことでございます」
女仙はかけられた白液を愛しそうに掬い取り、口に少し運ぶとともに、自らの胸に擦り
込んだ。男仙は傍らに座り、弾んだ息を整えている。
「さてもうひとつ、蘇民将来の旧来の話に出てまいります、竜宮の娘の嫁取りの話しで
すが、実は次のような次第だったのでございます。
ご存知のように蓬莱島ですが、この歴史には知られざる故事がありました。
豊かな蓬莱島には、人口がたくさんに増えてもなおあまりある自然と、その恵みがあり
ました。
ところが、オロチ族がここにもおり、人間の性向を歪ませていくもので、次第に利得を
優先する者がはびこるようになりました。
せっかくすべての者に行き渡る資源も、ごくわずかな者によって差配されるようになり、
貧富と不平等が生まれてまいりました。
やがて支配者に、オロチ族が台頭するようになり、すさみ行く一方の国情を嘆いた国王
が、この島を守ろうと、普段より崇拝する海洋のシャカラ竜王に祈りました。
シャカラ竜王は、これに応え、一計を案じて大陸に住むアナバダッタ竜王に頼み、大陸
の奥地に人が好む財宝を埋設してもらったのでございます。
それをわざと、アナバダッタ竜王は息子を商人に仕立て、蓬莱島にいたらせ、財宝発見
のニュースを知れ渡らせました。
これを聞いた利得に目のくらんだ貪欲なオロチたちは、ぞくぞく大陸に向けて船を漕ぎ
出し、島から去っていきました。
島には、欲得によらぬ者たちだけが残ることとなったわけです。
この機を見て、島の王は、シャカラ竜王が設けられた三姉妹の二番目の娘で武勇の誉れ
高い乙姫様を海神として招きました。
いざのときに乙姫様に大陸との間の海に風浪嵐を湧き起こしてもらい、大陸に渡った者
たちを再び帰れなくしてしまったのでございます。
こうして、蓬莱島には昔あった平和が戻りました。
華美さのない、質素でありながら自然を規範として和気藹々とした信頼性ある島民の生
活が始まりました。
そんな島に戻り、巨万の富を持ってひと花咲かせようと、船出して帰ろうとした者は多
くおりましたが、蓬莱島の入り口にある砂洲に近づくや、乙姫様がその中に乗る者の性
向を見抜き、嵐に遭遇させましたので、ほとんど帰り着くことなく、沈没して果ててし
まいました。
これを見て怒られたのはスサノオ様です。
大陸における信仰の対象であった関係で、あまたの者が窮状を申し立ててきたからでご
ざいます。
もともと人間には温情ぶかく、いかなる欲得の者でも、見るべきものはあるとのお考え
でしたから、この乙姫様の行状を咎めねばならないとお考えになりました。
そして、スサノオ様自ら、蓬莱島に近づきます。
神が来たことを見畏んだ乙姫様が、スサノオ様に何用か問いますと、スサノオ様は、大
陸に渡った人間たちのことを察してやれと仰います。
乙姫様が、この島が穢れるから断ると申されますと、ならば力ずくでも開門させるぞと
いうことになりました。
こうして、二人の神が戦われたのでございます。
乙姫様は、眷族の力を借りて嵐やシケを起こし、追い返そうとされましたが、スサノオ
様は草薙の剣で応戦。
草薙は、騒ぎものを凪がせるための剣ですから、嵐やシケは通用しなくなりました。
地上戦となり、互いに剣で打ち合ううち、やはり女の身、乙姫様はずたずたに斬られて
しまいました。
しかし、血まみれの乙姫様の衣装が断ち切られ、太腿があらわになったとき、スサノオ
様はとどめを刺すことをやめられたのでございます。
謹厳な神といえども、女神の色気にはかなわないようです。
そして、砂洲の関守に、この女を介抱してやれと言い残して、大陸へ戻って行かれたの
でございます」
それに合わせるかのように、女仙は、わざと身体に掛けていた衣の裾をはだけて両太腿
のふくよかな重なりを顕わにすると、男仙はちらりと見やって、女仙の股間に節くれた
手を伸ばした。
重なりはわずかに開き、手を招き入れるかのようである。ついに衣に隠れた秘密の場所
に届いたか、喘ぎ声と共に女仙の表情はみやびに崩れた。
「しかし、蓬莱島は、理想状態を維持できなくなりました。
その後、この島は国の中が荒廃し、地球上に正しい者がいなくなった窮状をシャカラ竜
王が見るに見かねて眷族を集めて地殻変動を起こし、島の大部分を海中に沈め、その一
部を竜宮となしたのでございます。
その代わりに現れたのが日本列島で、蓬莱島の在りし日の特徴を反映して地形が作られ、
蓬莱島の意志はこの島に受け継がれることとなりました。
また蓬莱島の残存部は、竜宮と対をなして残り、人界の者の目には見えない空中にあり、
今なお神仙を集わせて、地上の行く末を案じておるのです」
男仙は、左手を女仙の肩にかけて衣の上からまるで女体を案じるかのように擦るも、右
手は小刻みに股間で揺れており、女仙は「あっあっ、うっうっ」という喘ぎ声を出し続
けた。
「結局、スサノオ様のなされたことは、良かったものかどうか。人界の水準の低下ゆえ、
理想世界は再び構築されることがなくなったのでございます。
さて、話をはじめに戻しましょう。
蘇民将来の件で、人間性というものに誤解があったことを素直に認められたスサノオ様
は、あのとき斬った乙姫様のことを申し訳なく思われ、刀傷で嫁にも行けずに困ってい
ようかと推測されて、竜宮に嫁取りに行かれたのでございます」
女仙の返し技か、女仙の手が男仙の股間に入り、いちもつを取り出した。
それに応えて、どんどん大きくなる見事ないちもつ。女仙はそれを口にくわえるも、や
や収めにくそうに咽る。
しかし、男仙はお構いなしに話を続ける。
「ところが、乙姫様には、すでに恋人がおりました。
確かに乙姫様は、傷を多数負ったもので、神仙界には求めてくれようとする婿に恵まれ
ませんでした。
このため、変化の効く人界に婿を求められ、海で漁をする浦の嶋子なる者を手に入れら
れたのです。
これを婿に定め、竜宮で二人は蜜月のときを過ごされておりました」
男仙は、女仙を案ずるように股間から顔を離させ、唇に接吻をしながら女仙の片足を抱
え上げると、露わになった下の口に見事なものをあてがい、ゆっくりと上体を沈めてい
った。
またも「ああっ」と女仙の呻き声がする。その女仙の耳元に囁くように話す男仙である。
「ところが、スサノオ様がやってこられると聞き、かつての戦いを決して忘れたわけで
はないため、乙姫様は恐がられて、浦嶋と二人して竜宮を離れ、蓬莱島に身を隠された
のです。
浦嶋は鶴となり、乙姫様は亀となって姿をくらまされたのです。鶴亀の故事はこうして
生まれました」
男仙はわざと両腕で鶴のはばたく格好を何度もして見せる。そのたびに揺れる上体。女
仙は下で亀が水面を泳ぐごとく腰を振る。そして、「ああっ、ああっ」と。
「さて、竜宮に入られたスサノオ様の前には、乙姫様と顔かたちのよく似た三姉妹の三
女ハリナメ様がたまたまおられました。
その美しさに引かれ、スサノオ様は、このお方と結婚されたのです。
そして、竜宮の居心地になじむこと百年。その間に、精力的に八人の王子を儲け、その
後、妻子ともども大陸へと帰られたのでございます」
女仙は声を殺して絶頂の表情をしている。
そこに、ウッと声を漏らして、汗だくになった男仙がゆっくりといちもつを抜き取ると、
またも白液が女陰から尾を引いた。

モビ ルスーツのし かけ

こうして行為は双方とも恍惚の表情にいたって終わったのであった。
男仙は、心地よい疲れに、仰向けになって目を瞑った。
洋一の興奮冷めやらぬ中、女仙のほうは恥じらいを見せつつ唐衣のうえで、まだ身悶え
していて、ときおりびくんびくんと痙攣している。
それはもう、お色気そのものであり、洋一は知らず漏れ出たもので下着を湿らせていた。
いっぽうチュウチャクロウは、あのモビルスーツに初めから天仙衆の要望で強化される
に至った催淫機能のあることに気付くことなく、理性も絶え絶えに欲情していた。
それは洋一の比ではない。
乱れた御髪を掻き揚げた女仙は、前よりも目の輝きに積極性を見せているかのようであ
った。
「乙姫様もハリナメ様も、お盛んでおよろしいこと。キョセン様。まだ時はさほど経て
おりませぬ。今度は私が上になりますゆえ、しかとお受けとめ下さいませ」
「さようでござるか。なかなか精力がおありですな。あなたがそう仰るなら」
男仙は下になって仰向けに横たわり、ほどなく見事な男根を佇立させて、女仙がその上
に腰を降ろしてくるのを待った。
天仙は、まったく意に介されていない様子にひどく立腹した。
そのため、モビルスーツに流れる体液が頭と下半身に分裂してしまい、胴体部に力が出
ず、声も出せなくなり、その場で倒れてしまった。
天仙は、スーツの中でもがいたが、己が本能的肉欲と連結されているため、思うに任せ
ない。
しかし、倒れたせいでようやく声が出た。
「た、たばかりおって。お前たち、わしを放っておいて、どうなるか分かっておろうな」
気がついた二人は、騎上位の身悶えの行為を止めて、どうなさいましたと近付いた。
「この出来損ないのスーツを何とかせよ」
男仙は、その様を見て叫ぶように言った。
「チュウ様。あなたは精を漏らされましたな?」
「ん?精?知らぬ。知らんぞ」
「このスーツは、女と交わるときのために作られたもの。
もし、ひとりで精を漏らされたならば、スーツの中に体液が漏れ、それは糊の作用を引
き起こし・・ついには・・」
モビルスーツの仕様について聞き及んでいたチュウチャクロウは、慌てた。
「すぐに剥ぎ取ってくれ」
男仙は、スーツを引き剥がそうと、天仙の皮膚に手をかけるも、真皮と表皮の間に糊が
たまっていて、ゴムのように流動的に引っ張られてきてしまう。
「取ろうにも、スーツが糊で張り付いていますから、どうにも外せません。方法として
は、スー殿の女陰にこれを差し込めば、体液が外に流れ出し、収まりがつくのですが」
「わしのためになんとかせい!スー」
「私はいやでございます。それにこんな大量の糊のごとき精をほとに受けてはたまりま
せぬ。
いったい、この企ては何でございます?私を何だとお思いなの?キョセン!信じら
れない!!」
「すみません。事前に精とやらを多くせよとの天仙様側からのご注文があり、このスー
ツを新たに開発したのです。
それに、スー殿。勝算なら私のほうにあると確信しておりましたもので・・」
「殿方というのは、いつも下劣!たとえ思いやりを見せていたとて、何か余計を企ん
でおりまする。キョセンとて同じ。呆れ果てまする。嫌いじゃ。嫌いじゃ」
「天仙であるわしを敬えぬというか。なんとかせい!スー」
「あなた様は、まだ勝たれたわけではありませぬ。目下の勝者であるキョセンにさえ、
今はわが身を与えとうない。とにかく、男という男は嫌いです。
しかし、取り決めがあるから仕方なしに・・殿方の欲に刈られた取り引きの中で生きる
私のせめてもの選択は・・それでも、キョセン・・あなたであることが憎うございます」
半泣き顔をし、そうは言いながらも、仕方がないという表情で、女仙は男仙の首に腕を
回し、再び唐衣の褥の上に誘った。
男仙は申し訳なさそうに、褥に倒れこんでいった。
「ううむ。嫌い嫌いと言いながら、何事ぞ。地仙の女という奴は訳がわからぬ。おのれ。
このままで、済むと思うなよ」
「これも最後かもしれませぬゆえ、名残に・・」
「そうならば、私も・・」
二人は意に介する様子がない。
そればかりか、さあお客様に見せて差し上げようと、女仙の背後からいちもつの差し込
まれた股間を、天仙の間近にさらし、男仙の抱擁の繰り返しに、何度も何度も女仙は上
り詰めた。
この辺は、なるほど仙人である。いかに快楽をほしいままにしても、疲れ切ってしまう
ことのなさを感じさせた。
いや、もしかすると、これを最後の餞とばかり、互いの身体を覚え込もうとしているの
かもしれなかったが、洋一にはどうもわざとらしく思えた。
行為の繰り返しを見てはならぬと思いながらも見悶える天仙。
スーツの特性により、精は続々漏れ出して、スーツの中で本身を覆っていった。
洋一はまだしも人間である。
いちど事がすむと、人事を回復しており、ただ挑発的な光景に身震いするのであった。
<天仙は二人に呪いの言葉を浴びせているし、後々大丈夫なんだろうか。方士さん。も
ういいかげんにしたら?>
そう洋一が思ったとき、思いが通じたかのように、男仙と女仙は行為を止めた。
女仙は、とても満足した頬の色と表情で、唐衣をそそくさと着た。
そして、乱れた豊かな髪の毛を頭の後ろに束ねた。
少しも天仙を怖がっているようには見えない。
むしろ、洋一の観覧のほうを意識しているふうで、否が応でも主賓客として招かれて
いることを意識せざるを得ない洋一である。
「では、試合続行でございます。第二話と参りましょう。チュウ様。お先になさいます
か?」
「おのれ。たばかりおって。今すぐ解き放たねば、もはやこの地球を火の海にしてく
れよう。地仙という地仙を皆殺しにしてやる」
女仙はその言葉に呼応して急に表情を引き締めた。
「えっ。それは困りました。それがあなた様の第二話ですか?未来話というわけですね。
そのスケールの大きさは、計るすべもありませぬ。恐らく、あなた様の勝ちになりまし
ょう。
なんとなら、魂の絶命は宇宙をも凌駕するからです。
この世を楽しむためには、どうあっても、あなた様のもとに嫁がねばなりませんか?
リョウ様。これを凌ぐお話はできませぬか?私は困ります。怖いです。どうか、リョウ
様」
「うーむ。魂はこの宇宙を観測する要でござる。
それを失っては、先ほど蘇民将来の場合でお話ししたように、この宇宙という時空がな
くなるに等しい。
そうすれば、ただの”空”が観測されるばかり。至福の海が広がるばかりです。
そうなれば、このような局限されたタイプの悦楽はもう満喫できなくなり、残念です」
「仕方ありませんね。至福の中でお互いを確認しあいましょうか」
「ばか者!わしを小ばかにしておるのか?誰が至福など味合わせるか。
わしをこのままにしておくなら、兄者たちが異変を察してすぐにやってこよう。
お前たちは、地獄の一番最下層で、拷問にかけてやる。
地獄の責め苦を永劫だ。今すぐ放せば、少しは刑を加減してやってもよいぞ」
それを聞いて女仙も男仙も、目を丸くして表情を明るくした。
「え?チュウ様。その程度の話にレベルダウンさせてもよろしいのですか?リョウ様。
これなら勝てませぬか?」
「おやおや、チュウ様。あなた様の勝ちになるかと思っておりましたのに。
ならば、私のほうが規模の上で勝ってしまいますぞ。なんなら、今から私の第二話をお
話しいたいたしましょうか」
「その程度だ?レベルダウン?このわしを愚弄するか。もうこんなゲームは必要な
い!直ちに取りやめろ」
「天仙様の申し出によって作られた最初のルールからすると、取りやめるわけには参り
ませぬ。ギブアップされて、この試合に敗北を認められるなら、それも仕方ありません
が」
「なにおーっ。連戦連勝で名をはせたこのわしが負けを認めるはずがなかろう。お前た
ちの理不尽な策略に引っかかったはわしの不覚」
「戦場で不覚を取れば、死があるのみではないでしょうか。それがこの合戦場では、生
きてなお恨みつらみを申されようとは。潔くありませんな。
敗北がお分かりにならないのですか?
ならば、私のする話を最後までお聞きになり、どうしてあなたが負けになるか悟ってい
ただきましょう」
天仙は、地仙たちの底が見えなくなって、ただ権威をまくし立てるしか方法がなくなっ
た。
「お前たち。これは拉致監禁にあたる行為だ。天仙に対してなした罪は甚大だぞ。これ
は戦争になるぞ。そうだ、戦争だ」
「これはえらいことになりましたな。命を取り合わぬための話し合戦が、負けだとなれ
ば武力で強伏しようとなさる。
では、こういたしましょう。拉致でも監禁でもない証拠に、あなた様のご兄弟にも臨席
していただきましょう。
いつでもご兄弟の保護下にあるとなれば、ご納得もいきましょう」
「なに?それはまことか?」
「もちろんでござる。ここで行われるフェアーな試合を隠しておくこともありますまい。
天仙様のみならず、ここでいま試合の行われていることを知る者は多くおります。
すべての者に集っていただきましょう」
「うーん、しかし何とも醜態。だが、このままでは手も足も出ぬ。とにかく、兄弟を呼
んでくれ。他の者はいらぬ。とにかく兄弟を呼べ」
「ご兄弟を呼ばれるなら、ご加勢されることは必定。フェアーにするためには、公開さ
せていただきます」
「公開したとて、お前たちに加勢するものなど、どこにもおるまいよ。それにしても、
この姿では、立場上あまりにも不利。この出来損ないのスーツを取り去らねば話が進ま
ん」
「それには、スーツを切るしかありませぬが、それをするとあなた様の本身に傷がつく
恐れがあります。なにぶんにも、あの部分を中心に、ぴったりくっついてしまっており
ますからな」
「ううむ。方法はないのか」
「いえ、設計上それはないことはないのですが・・」
「なるほど。分かった。スー。やはりだめか?」
「私は、およそ武将らしからぬあなた様が大嫌いです」
「おのれー!生かしてはおかぬ」
「まあ、待ってください。女性ならば、誰でもよろしいわけですから、応援をお頼みに
なればよろしいかと・・」
「キョセン!!また、あなたという人は!」
「ええい。とにかく、兄者らを呼べ」
「分かりました。では公開の場といたしましょう」
男仙がパチッと指を鳴らすと、そこに無数の雀や鳩や烏が空を暗くするほどに集まって
きた。
「みなに言う。ここで行われている神話嫁取り合戦の場を、公開の場とすることを天仙
様はじめ、諸天に伝えなさい。ふるって観覧に集まられよ、とな」
チュンチュン、グルルル・・、ガアー
けたたましい鳥たちの鳴き声がやがて遠のいていった。
「では、公開分からは、お互い第二話から始めることにいたしましょう。あなた様はす
でに予告なさったことを、みなの前でお話しください」
「待て。お前はまるで勝算あるかのような物言いをしおったが、どういうことだ」
「それは話が始まってからのお楽しみでございます。今から手の内を明かすわけにはま
いりませぬ」
「くっ。おのれぃ」
女仙は、愛想を尽かしたといった表情で、「お色直しをしてきます」とその場を去った。
「チュウ様。そのままの体制では話をするに良くありませぬ。起立なさってください」
「手を貸せ」
男仙は、チュウチャクロウを立ち上がらせ、岩組みの盛り上がった部分で支えるように
座らせた。
ぶよぶよとした肥満体は、体液の滞りを物語っていた。
なによりも異様なのは、あの部分がなおも突起したままでいることだった。
しかし、本人はこのスーツの特性と思い、また地球に不慣れなこともあって、異様さに
気づいていない。
やがて、空を飛び、あるいは麓から歩きながら三々五々諸天たちが集まってきた。
まず、やってきたのは、近隣の地仙や神々であった。
「キョセン殿。まだ勝負はついていないのですか?」
「スー様は大丈夫なのか?」
「あれが天仙様か。肥満体だなあ。何だあの突起は」
「発情してなさるんだ」
「あんな大きなのでは、スー様が可哀相だ」
みな、騒がしくしている。
「みなさん。まだ決着はついておりません。これから神話対決は、第二幕になります。
これ如何で、勝負が決します。みなさんに、その成行を見届けていただきたいのです」
諸天も数を増し、山腹に居れぬ者は空中に浮かんだりもしていて、人目につかずとも、
もしこのとき撮影家がこの山に向けてビデオカメラを向けて撮っていれば、スカイフィ
ッシュばかりか、丸や四角の透けたUFOや光の軌跡が無数に映ったことであろう。
それだけで、あたりは霧雲に覆われたようになっていた。
そうするうち、やや遅れて天仙たちがやってきた。
5個の黄色味を帯びたUFOが、なだらかな山めがけてゆっくりと降りてきたのである。
「道を空けろ」
「どけどけ」
「つまらぬ試合を公開しおって、チュウのやつ、まったく何をしておるのだ」
黄色いほのかな光に包まれた領域に降り立った。
「またえらい数の神仙が集まったものだな」
「どうなったのだ?」
「ああ、天仙様。試合は第二幕になるらしいです。第一幕では、勝負がつかなかったと
か」
「ああ、分かった。どれチュウはどこだ?」
見れば、石舞台に三つの人影。
ひとつはお色直しして薄青色の羽衣を着用して現れた天女のようなスー。もうひとつは、
質素な仙人服を着たキョセン。
そして、もうひとつ、不恰好に肥満した男がいた。
「チュウ!お前か?」
「ぶっ。何だその格好は」
「おお、兄者、助けてくれい。こやつら、わしをたばかりおるんじゃ」
「なんでこんな格好になった?」
男仙が恭しく一礼をして言う。
「このスーツ、皆様方の意見を容れ開発いたしましたが、欠陥があるもようです。
チュウ様がこれをご着用された後で、お独りで精をお漏らしになり、スーツの内部にた
くさん漏れ出てしまったのです」
「なに?だから初心者は困るんだ」
「チュウは、はやる心で出かけたものなあ。女と交わる前からそうか。俗にいう早漏と
いうやつだな。ははは」
「待ってくれ、兄者。こいつらが精の漏れ出るようわざと仕組んだんだ」
「なにい。それは本当か?」
「それはございませぬ。もしよろしければ、事成りの玉をお使いになってください」
天仙のひとりが、事成りの玉を出し、みなともに凝視している。
この玉は、過去にあった出来事を余すことなく再現して見せる、いわゆる記録フィルム
再生機のような作用をする。
それも速度が自由にできる優れものである。
「おお、これは美しい。またみごとな腰の使いよう」
「おう、そこをもう少し遅くしろ」
「いままでの中では、最高の女だな。チュウごときにはもったいない」
「うーむ、ここが挑発的行為と捉えられても仕方ない」
「いいや、この程度ならいまどき映倫通過ものよ。それよりわしが奪いたいぐらいだ」
チュウたちの行為に何があったかよりも、別のことに関心の向く天仙たちであった。
しばらく時がたち、諸天もいよいよ集まり終えたころ、再現も終わり、天仙の中でここ
では最も兄貴分の者が言った。
「あまりにも露骨な挑発行為があったと考えられる。だが、チュウのような未熟仙では、
このような恥さらしなことも起きてしまいかねない。
よって、わしがこの勝負を受けて立つことにする。この勝者が、スーピクリンをもらい
受けることができるということにしてもらおう」
「兄者。それはないぞ」
「この恥さらしめ!」
「しかしそれでは、ルールがどんどん変わってまいります。どうか、チュウ様を主体に
なさってください。そして、あなた様が補佐なされてはいかがでしょうか」
「うーむ。それもよかろう。(にやりと顔を見合わせる天仙兄弟)スー。裁定に主観を
加えるでないぞ」
「今度は話のスケールの大小にて決めるものゆえ、私の主観が入るすべがありません。
その判断は、公開の場にゆだねたいと存じます。
私も恋人の最後の記憶をこの身体に刻み込み、忘れることはありますまい。戦場に立つ
女として、もう覚悟はできております」
「よかろう」
そのとき六番目の発光体がやってきて、天仙と化した。兄弟のようである。
「兄者。親方様も、現在の執務を終えた時点で、ここに来られるそうです」
「なに?親方様が?また、いらぬことを。つまらぬ事をしおってとお叱りを受ける
ことになる」
「それがです。親方様の直感で、このたびは出向こうということになったとか。何かあ
るのかもしれません。重々注意して試合をしてください」
「なに!?・・うーむ。しかし、なにかと口うるさい親方様だからな」
「以前は見てみぬ振りしてくれていたようだが、今回これだけ諸天を集めてしまったな
ら大事になるかもしれんぞ。当事者以外を引きとらせるようにしてはどうか」
「そうもいかん。見ろ。始まってしまった」
やがて第二幕の試合の挨拶が始まった。
女仙が試合の開始を宣言する。
「第一試合は、引き分けになりました。このため、第二試合を行います。話の規模によ
り、私の腰入れ先が決まります。どうか、私の成行を祝福くださいませ」
どよめきが起きたのは、引き分けになったという話のときだった。
事情を知るための事成りの玉は、諸天でも上位の者なら持っていたから、第一試合にキ
ョセンが勝ったことは歴然としていた。
しかし、表立って言い出す者はいない。
みな天仙が怖いからである。
さて、このとき洋一はいったいどうなっていたのか。
人間界から来た洋一は、逆に神仙たちの目に触れていない。
というより、神仙の関心が、いまここで行われる試合に振り向けられていて、それどこ
ろではないという感じであった。
だから、この傍をアベックが通ろうが、車が横切っていこうが、異質の次元の話なので
あった。
たまに、この上にある神社にお参りにきた人があると、呼ばれたことに感応して、ここ
の祭神つまり、スサノオ神やクシナダヒメ、オオナムチの分霊神が出向くという具合で
あったが、今日のところはこの場にくぎ付けで、おざなりになっていた。
洋一は、特別の役割で、この二つの次元をじっと目撃しているのである。
しかし、洋一も放心状態のように光景を見ているわけであるから、ときおり「すわ××
中毒患者か」と気色悪げに通る人もあったに違いないが、そんなことはどうでも良い洋
一だった。



第三章 天地仙真相開顕


原初世界創 生神話
  玉 (如意宝珠) から始まる世界創造
  世 界の重濁と宇宙 戦争
  封神演義 真義
  新宇宙創生案
  原 初オオクロ ヌシの時代
交渉は平行線
それぞれの 宮殿



第三章 天地仙真相開顕


原初世 界創生神話

「では、チュウ様からお話しをなさいますか?」
「うむ。それでは・・」
頭目の兄貴分がそこで割り込むように指図する。
「待て。そんなふうにして一回目は手の内を読まれたのであろうが。後攻にしろ。後攻
だ」
チュウチャクロウは、膨らんだ頭で、ああ、と頷く。
「一回目は、わしのほうが先にした。今度はリョウキョセンから先にさせろ」
「分かりました。では、私のほうからいたしましょう。まずは、この世界の始まりから
の物語です」

玉   (如意宝珠) から始まる世界創造

キョセンは恭しく観衆に一礼すると、話し始めた。
チュウは、天仙兄弟の頭目に、小声でなにか要求した模様である。
頭目は頷いて、二人の弟分に指示して、使いに遣った。
「あれはいつのことでありましたか。
最も初め、玉御津の間無勝間というところに、ひとつの玉がありました。
玉はそれ自体、完全を中に包含し、全知全能でした。
この宇宙ばかりか、有目的的に創られた宇宙が、何億何兆と索引するに足るだけの知恵
を内包しておりました。
あるとき、我々に測るすべのない時間の中で、玉は霊妙な自らを内省しようとしました。
そのために、玉は最初の眠りについて、夢を見たのです。
夢の中で、玉は自らの意志に従い、自らを精査するための霊妙な仕組みを自らの中に創
りました。
霊妙な仕組みは精巧であり、内包する全知を紐解くに矛盾はありませんでした。
そして、玉の意志は、自らを精査すべく観測を始めたのです。
意志は透き通った完き玉を反映し、純粋な透き通った光だけの霊妙世界を自らの心の面
に作り出し、ここで第二の夢を見ました。
すると、霊妙世界の地表に、透き通った純粋形象の世界、さらにその外郭に、原色で
できた純粋形質世界が出来上がりました。
霊妙世界、形象世界は、なにもないように見えて、そこに憩えば、全世界の純粋な観測
要素が感得できました。
それは精髄的至福と呼ばれます。
意志は観測のうちに、それを甘露の蜜を浴びる如く享受し満ち足りました。
そこで意志は第三の眠りにつき、多様化の夢を見ました。
甘露の蜜を養分として、観測の根を世界のありとあらゆる部分に、ちょうど毛細血管が
張り巡らされる如く、また根毛が土の果てまで伸びるが如く、知恵の土壌に至らせてゆ
きました。
根の行く先々には、観測の赴こうとする道筋に従い、全知の面を覆う表土をあたかも毛
糸の玉を解くが如く開展しました。
観測根のいちいちは、はじめ赤子そのもので自我を持ちませんでした。
すべて根の先から見聞きしたとおりに、もとの意志に伝えました。
そのうち、たくましく機能を充実するにつれ、観測された成果を加工する機能を持つよ
うになり、それが自我となりました。
こうして高度な観測処理の成果が、元の意志に伝えられるようになり、元の意志は、精
髄的至福(法身)だけでなく、全知の観測から得られる真理(化身)や、まだしも純粋
叡智の開展が生ずる果報(報身)をも受け取るようになりました。
こうして観測系の充実が先立つとともに、全知も開展するようになったのです。
おのおのの世界には観測拠点ごとに宇宙が生まれました。
大宇宙あり、小宇宙あり。非常にたくさんの宇宙。
その宇宙の中にも、階層構造的に小宇宙が、多段階に分化形成されていきました。
その課程にはすべて、夢見という観測の深化微細化課程が関わりました。
とにかく初めは純粋英知を栄養として、形成される観測網も純粋であり、開展される英
知も観測成果も、おのずとすべて純粋で、開展により生ずるいかなるストーリーも幸福
なものでした。
ところが、玉に元より内在した英知によるものでしょうか、観測に揺らぎが生じはじめ
ます。
それは意志に揺らぎを生ぜしめ、宇宙に多様性と、多様な観測成果を求めるようになり
ました。
玉の中に多くのシャボン玉の如き玉が色とりどりに分化していきました。
観測拠点も色づけと偏向性が出てきます。
観測される中には多くの非純粋な英知が見られるようになりました。
さて、名づけられることさえふさわしいわけではありませんが、元の意志の名を、大梵
といいます。
人格化した表現を大梵天といいます。純粋な時は常に、大梵の中で営まれています。
しかし、夢の深部つまり分枝分節のうちでは、退行と不純が営まれるようになり、スト
ーリーに不幸が生じるようになりました。
個々の観測根節の中においてもそうなり、観測成果に不純が混在するようになりまし
た」

キョセンがそこまで話す間、天仙の弟分が、こんなことをささやいていた。
「兄貴。わしらが支配するこの宇宙以外にも何億何兆と宇宙があるなどと言っておるが、
こんなことで規模のほどを裁定されてはかなわんぞ」
「ふははははは。愚にもつかぬ作り話を真にうけるな。
そんな場合は、本当のことかどうかを証明する義務を課してやれば良い。
誰も外の宇宙など覗いたこともなければ、科学的に存在が確かめられたわけでもない。
鎖国しているからだというそしりがあるかも知れぬが、それを知るのは天仙のみ。
どうして地球にのみ閉じ篭もる地仙ごときが知り得よう。証拠の出しようのないことな
のだ。
挙証の義務がまっとうできぬなら、無効にしてしまうこともできるというのがルール。
以前にも思い余って大洞を吹いた地仙がいたが、お伽噺をしたに過ぎぬことが分かって、
神聖な合戦の場を汚した咎で封殺されたことを憶えていよう。
こやつも二の舞いぞ。言わせておけ」
「そうか、そんなところか」
キョセンは話に夢中である。

世界 の重濁と宇宙 戦争

「揺らぎを求める観測意志は、非純粋英知を索引してその中に夢見し、非純粋な観測体
勢をとるようになりました。
ところが、観測成果が次第に歪曲加工された結果、成果やアラームとしての反作用など
の情報伝達が遅延するようになったのです。
ちょうど光といえども、複雑な構造体の中を通るときには、見かけ上速度が遅延するよ
うなものです。
観測成果やアラームは、直ちに次の英知を観測するための体勢造りにフィードバックさ
れていたものでしたが、サイクルがしだいに遅延することとなりました。
すると、法則の適用が速やかであれば事の良否が自ずと判別できたものも、遅れが出る
ために反省と理解がし難くなりました。
こうして、遅延の度合が進むに従い、理解がほど遠くなり、無明が漂うようになったの
です。
これを示した神話が、不純な動機によって作られました。
宇宙を創生した梵天は、自ら儲けた子供の弁才天の成長した姿に一目ぼれし欲情し、自
らの妻にしてしまった。
この掟破りの矛盾を背負った世界が生まれるに至り、この世界に無明が充満したと。原
罪は、梵天と弁天に発していると。
ある方面では同情的に、真に愛する者同士が、生まれてくるサイクルを異にしたことに
よる悲劇と呼びました。
しかし、この説を信じたものたちは、梵天を誹謗し、創造神の座を更迭しようと謀りま
した。
まだこの時点では、極性の陰陽二極の相互作用で現象が展開するという掟はありません
でしたから、この神話は、かなり後で梵天の権威を貶めるために作られたものであるこ
とが分かります。
確かに今の世は、何事もこの遅延した状況にあり、その中で神も人もこの幻影に苦しみ
惑わされております。
打開できぬ状況下、悲劇からの学びをむしろ貴重なものとする観測体制へと移行してい
きました。
様々な要素の遅延的な現れは、反作用に猶予を自ずと与え、事態の把握を困難にし、対
処を複雑化しました。
謎は深まっただけ迷信がはびこるようになりましたし、多少知る者は猶予の期間中に作
れるだけの負債を作り、一度に返済するというあらっぽい手段をとるようにもなりまし
た。
その逆もあります。作れるだけの債権を作り、一度に望むべき効果を得ようとする手段
をとることもあります。
こうして、世に波の高低差が生じる面白みが生じ、そこから生じる学びの成果がもては
やされるようになりました。
そうするうち、一部の観測根節が同じ意図を持つ者同士組織を作り、より深化した新し
い学びの領域を開拓していこうと諮りあったのです。
企画を実現するための実験炉宇宙が作られました。
それが、神話界、神界、霊界、幽界、人界のもととなった原型世界です。
この中で構成されるべき要素が定まり、そこに陰陽の二極が展開原理として採り入れら
れたのです。
実験炉宇宙開始に至るまでにも、戦いがありました。
実験炉が開始された後々まで尾を引く、大きな戦いとなりました。
世界最初の長い戦いです。
その経緯は次のようでした。
ある程度専門的に得意を持っていた観測根節は、新しい学びに必要な観測機能を互いに
補完し合わなくてはなりません。
まず実験炉を取り巻く極近の者すべての参加が必要でした。
この試みは、およそ一般の観測根節からすれば異端的な試みでした。
純粋英知だけを望むおおかたの立場からすれば、歪曲された観測成果を喜び、わざと作
る立場というのは異端であり忌み嫌われるべきものでした。
それを圧し切ろうとする限り、実験炉というタマゴ宇宙を、外部から見られないように
周囲から取り巻く根網のようでなくてはなりません。
このため、新しい組織作りの過程で、観測根節同士の戦いがありました。
また、上位の根節と下位の根節の間でも戦いがありました。
その長い長い過程は、中国において封神演義という題で物語化されています。
まず、この戦いでは、実験炉推進派がしだいに勝利していきます。
こうして、推進派によってタマゴの外部を外から見られないよう塗り固めた上で、隠蔽
実験が開始されたのです。
しかし、純粋英知がもとにならない限り、アラームの反作用は必ず来ます。
ただ、どれほど猶予され遅延して現れるかの違いにすぎません。
多様な要素ごとにその現れは違いましたから、その発現は精密な計算による予測が必要
でした。
実際に計算予測は行われましたが、反作用を解消するための解決法はなく、この実験炉
の内部では、反作用の猶予を前提とした急速な生長、反作用の効果による老化破綻、す
なわち生老病死の過程が万象に必在することとなったのです。
すべての生命に寿命ができました。
文明に永続性はなく、必ず破綻することになりました。
急進した文明は、破綻も早いことになります。
堅固な星々にも命に限りがあります。強力に燃える星は短命です。
呼応するように神々にも比較的長いとはいえ寿命ができ、いつかは燃え尽きる星の如く、
晩年には離別せねばならぬ哀しみを漂わせました。
これらすべて、純粋英知に拠らぬことによる反作用に起因しているのです。
しかし、悠久の時を刻む純粋英知の至福とは違い、極めて短時間のうちに加工された観
測成果を幾多輩出することとなりました。
その成果は、ことに組織上部の喜びの糧となりました。
上位観測根節は、下位末端の観測根節が現場から伝えるニュースを心待ちにしたのです。
極めて異常な観測成果は、大梵に伝えることがためらわれたため、この組織内部で消尽
の手続きがとられました。
しかし、反作用までが消尽するわけではありません。
問題の反作用、発現の時期を猶予しコントロールしようという方向に向かいます。
いくばくか後、万魂に相似的に内在する”玉”に対抗して、魔法の”杖”が、” 玉”の
如意力を利用して作られ、その呪力によって、元々の自然の節理を曲げてしまおうとさ
えしたのです。
茫漠たる識域下に圧し込める記憶の忘却、圧し込められた成果情報のストックと焼却が
奇妙な呪術によって執り行われました。
それに伴なう反作用のストックによる一時的回避と遅延措置もこれによって進めます。
しかし、ストックされた反作用は強くなるばかり。
いつかくるカタストロフを覚悟でこなすことが、この組織の命題となり、不完全をあた
かも完全であるかのように見せかけなくてはならない秘密主義が生まれました。
実験炉の中では、文明の興亡、生命の興亡が悲惨さを増しても容認されるようになり、
強くなる反作用を受けて、よりダイナミックかつ過激に興亡が繰り返されることとなり
ました。
さて、数ある隠蔽の中からまともなアウトプットとして大梵に返されたのは、精選され
た学びの成果だけでした。
譬えて言うと、いまスー様が蘇民将来の話を聞いて心の琴線をふるわせ涙したとします。
その時、心の奥底で生じている観測成果が大梵に返されるのみで、大梵はそれを受け取
っていたく喜びます。
それは擾乱で篩い分けられた高度なものであるため、純粋英知とはまた違った良さがあ
りましたから、大梵のいたく喜ぶ様を見た実権炉の為政者たちは、これさえ提出してお
けば、大梵の口出しは回避できるという、どこぞの国の不心得官僚のごとき考えを持つ
に至ったのです。
ところが、大梵天はそんな間抜けなものではありません。
あらゆる観測の火花の中に、大梵天は潜んでおります。
隠蔽する観測根節群の行為と観測の中にも潜んでおります。
なぜなら、大梵天は観測のエネルギーを賦活する根源原理であるからです。
そのことに組織は気付かず、大梵天がなにも言わないことをいいことに、許されたもの
と思って勝手し放題を続けておりました。
あるいは、大梵天を放任主義者、無抵抗主義者と思っておりました。
こうして、梵天を責任者とする先のような原罪神話さえ作られたのです。
この神話のため、神界の梵天は世界の隅に蟄居しています。
実験炉では、さらに邪悪な競争原理が投入され、猶予の範囲内で、目的への到達距離を
競い合うようになりました。
戦争、競争、簒奪、不公平、文明の加速。あらゆる邪悪な実験要素が投入されました。
邪悪を乗り越えた珠玉の成果が上がってくる中で、ぼうぼうたる怒り、悲しみ、恨みが
成果としてストックされ、反発のエネルギーを体制維持の力に昇華するという高度な呪
術さえも執り行われ、システムに安堵を与えるよう計らわれました。
しかし、仮の安堵であることは紛れもありません。
反作用の蓄積は巨大化するばかり。
梵天は、いずれこの組織全体に及ぶであろう必然的な反作用の爆発を見越しておりまし
た。
その時期に合わせるように、この実験炉の中に特命を帯びた分身を送り込んでいたので
す」
この話の間にも、チュウチャクロウは、身体の不具合を訴え、すぐ上の兄貴分が、傍ら
にいる女神に命令口調で従うよう口説いたもので、小さな騒ぎになっていた。
「ばか者。もうしばらく、待たんか。今しがた、妾たちを呼びにやっているではないか」
と頭目の声がしている。
任意の兄貴分の妾を連れ戻ってくることになっているのである。
むろん妾たちは、みな地仙であり、スーピクリンの姉妹も多数いた。
半分、意識はそっちにあったものの、幾分かキョセンの話しを聞いている兄弟もいて、
こんなことを言っている。
「何だか、ずいぶんとかけ離れた話をしているが、本当のことなんだろうか兄者」
「わけが分からん。それだけにほら見ろ。周りの連中も、ボケーっとしていて、分から
んふうだろう。つまり、所詮大きな事を申しても、不可知なものは不可知。ここの誰も
裁定できるものではない」
むろん、分からぬものもいたにはいたが、あまりの啓発に茫然自失の感動を催している
ものも少なくなかった。
会場の空全体、心に秘めたどよめきが、さながら風のうなりのように聞こえていた。
キョセンの話はなおも続いている。

封神演義真義

「当初の実験炉宇宙は、まだしも純粋な動機に基づいて運営されておりました。
様々な要素を展開原理とする舞台設定がなされ、そこに点火がなされますと、陰陽の二
極性で展開する宇宙が、タマゴから爆発し創造されていきました。
そもそも梵の全系から見れば、観測根節によって囲いに囲ったそれはあたかも白い繭の
ごときでありました。
取り巻く観測網のその中で、一つの歴史が始まりました。宇宙のビッグバンと言われる
ものです。
まずそこに生まれたのは、最も純粋英知に近く作りあがった形質世界でした。
初めの宇宙に乱れはなく、あらゆる次元や階層をひとつの空間に包含し、互いの侵食も
なく、ただ広がり行く中で、生命を営ませる大地が生まれたのです。
そこは、以後あらゆる命育むべき惑星の原型であるところの大地でした。芽生えた命は、
精霊と呼ばれる一団。
その管理の元、より下位の命が互いを競い合うことなく、公平な恩恵浴者として誕生し
て参りました。
やがてそれが、ありとあらゆる惑星に平等に、ちょうどオリジナルをコピーするように
移植されていきました。
命を育むべき惑星は、多少の要素の違いを反映しつつも、どの惑星においても観測者は
平和で喜びに満ちていました。
まさに、神界、霊界、幽界、現界として分かれる前の原型世界がこれです。
生命の黄金時代ともいいました。
植物がより行動範囲を広げるべく、様々な次元的展開を見せ、昆虫や動物へと転進して
いきました。
彼らにも管理者である精霊の見守りと啓発があり、なんの問題もなく平和でした。
命の輝きと喜びを、どの階層にある命もが享受したのです。
人間の原型も現れ、高度な精霊により指導啓発され、その他の命と協調し合い、非常に
長寿で幸せでした。
知恵のある人間とはいえ、作られる文明の度も、自然を基本にした謙虚なものでした。
それであって、霊妙次元、物質次元の物理の究極が理解され、応用もされておりました。
要は霊性が純粋であったのです。
その頃、生命の指導にあたった精霊たちが、上位から中位にあたる観測根節であり、彼
らが後の禽仙と呼ばれた者たちです。
彼らは宇宙の星々の配置から、生命の種の管理にいたるまで、幅広く知恵と力を尽くし
ました。
彼らをまとめていたのが、精霊の王にして統率者であるオオクロヌシ(クロノス)でし
た。
また、水中の生物は、オオクロヌシの弟オオシオヌシ(オーケアノス)が管理しており
ました。
オオクロヌシは初期の組織作りに賛同した一員でした。
宇宙全体の基盤整備ができてしばらく経った頃、組織から実験が第二段階に入ったこと
を伝える指令が入りました。
人間に、より高度な活動を始めさせたいというものでした。
オオクロヌシは計画を知り、愕然とします。
というのも、築き上げられた生態系を、かなりの度合いで侵害する計画の内容であった
からです。
オオクロヌシは、生態系の見事なまでの調和を乱したくありません。
あらゆる惑星で、どんなに困難とみられた条件でも、生命活動が芽生え、適応を見せて
いる仕組みの見事さ。
いちいちの生態系がそこだけでクローズして十分に発展していける見事さも賞賛に値
するものでした。
加えて驚異的なのは、万象必在の反作用による老病死の問題に、トータル的に勝利でき
るシステムだったこと。
生命は、どこででも繁茂します。たとえ宇宙が滅んでも、生命が作り上げた骨格だけは
生き残るだろうとさえ囁かれていました。
それを愛でて客観的に評価できる者として、人間が作られる予定であるはずでした。
当時の人間は、長いタームで見聞きし、行動したことの英知を豊富に蓄えていました。
霊的能力は別として、神仙に匹敵するほどの知識者であったのです。
その人間に、オオクロヌシは自然の妙を愛でて賛美する以上の機能を持たせたくはあり
ません。
しかし、組織は、新たな機能を付加し実験するというのです。
その事態も時を待たずなされることとなり、頑迷に反対し抵抗する精霊族も、しだいに
懐柔されていきます。
たとえば、水陸の自然を管理していたオオシオヌシ配下の龍族に対して、思想的な糧を
与えて暴れなくしました。
その辺は、九世戸文殊縁起物語などに語られておりますので、スー様にはまたお話しで
きればと存じます。
あるいは戦いも神話次元で行われましたが、物質次元では、宇宙に擾乱を生じさせて、
星雲同士互いに衝突させ合うようなランダムな局面にさえなりました。
その混乱の最中に、戦争や悲惨、残虐などの悪徳が入り込むこととなりました。
実験の次段階に際し、人間の改良にあたったのが、組織の側の科学者たちであり、後に
人仙と呼ばれる上位観測根節でした。
古い知恵を持った人間も精霊に準じて保守的であるため、仙人に格上げして彼らの居場
所の安堵をいったん図り、新たな新参者を人間として多数導入します。
保守的な仙人は群れずに独尊を喜ぶため、地上に生起することに関心を示さぬ間に、い
ろんなことが行われました。
新たな人間には、種として管理しやすく機能させるため、まず寿命を短縮し、短期間に
向上を促す発展への欲望の力や、組織に属することによって安堵する性質などを与えま
した。
こうして人間は常に向上心を持つも、群れて生活することを望むように本能づけされた
のです。
また、精霊たちが管理して育てている生物たちを利用することや、鉱物を加工して、自
らの生活に役立てることを教えました。
そのうち人間は、短期間に応用力を身につけ、あちこちの惑星で農業や工業を起こしま
した。
ところが、生態系に異変が生じます。
人間の生産するものが、生態系に悪影響を及ぼしはじめます。
精霊たちはこの問題をオオクロヌシに陳情します。
オオクロヌシはこれらの問題を組織の会議にかけますが、しだいに一蹴されるようにな
りました。
精霊たちの反乱があちこちで見られるようになると、オオクロヌシも立ちあがり、作り
上げた生態系をつぶすことすら考えるようになります。
人仙たちの横暴に対抗するために。
戦乱の状態となり、オオクロヌシと精霊たちは、自然界の摂理を使って天災を起こし、
新参の人間の文明に戦いを挑みました。
むろん禽仙にも、人間に好意的な者がいます。
人仙にも、今のオオクロヌシの自然に好意する者がいます。
実験炉を運営する首脳会議も喧々囂々と紛糾し、収まり難くなりました。
こうして、会議の席だけではどうにもならず、現場のほうでテロや戦争が起きるように
なったため、組織において隠然たる力を持つ人仙側の元始天尊が、数多いる組織の上位
陣の頭数を減らし、少数で独裁支配できる体制を確立すべく、禽仙たちの暗殺命令を人
仙たちに対して出したのです。
これが神話・封神演義によって知られる原始戦争の背景です。
それは、中国にある同伝に頼っていただければよろしいかと存じますが、様々な部分に
おいて勝者の論理が働いており、歪曲されております。
それは宇宙空間から惑星、その地底海底に至るまでをも舞台にして行なわれた宇宙大戦
争でした。
超科学兵器や自然科学兵器が、各仙の得意とするに従い、意のままに編み出され、止め
ど無く使われました。
この戦いにおいて、せっかく創られた宇宙の基盤を失いたくない禽仙たちは、効果の満
足いく兵器を繰り出せません。
こうして、不死であるはずの仙人のうち、九割五分が死に、人仙側が勝利。
宇宙においては、星雲ほどもある星の数が破壊されました。
この地球を含む太陽系においても、禽仙とその配下が立て篭もる惑星ティアマトが、遊
星マルドゥクをぶつけられて崩壊しました。
破壊の能力に優勢を誇った人仙側が勝利し、禽仙のすべてと人仙の多くが死んだことに
なります。
そうして生き残った元始天尊を含む人仙で、後の采配が奮われることとなりました。
ところが、死んだと言っても観測根節、観測が途絶えるわけではありません。
つまり、霊魂は不滅というわけで、周囲から条件付けをされた形であっても観測は続き
ます。
このため、元始天尊はとてつもない方法を執行しました。
死んで意識をいったん失った彼らの意識断裂の隙を狙って、まったく予期せぬ新しいプ
ログラムに直面させますと、過去の記憶を失い、その時点からの記憶に取って代わられ
てしまいます。
これが封神処理といわれるものです。
封神とは、彼らを神として封じ、仙界の下に設けた神界に住まわせ、もっぱら人界の管
理をさせようとするシステムです。
戦犯者や敗者に対するにしては非常に厚遇な処置であると思われましたが、これが曲者
でした。
神界からは仙界は隔絶され、瞥見できません。こうして、上位の為政に口出しできなく
なったのです。
同様に、このとき五界が形成され、下位は上位の界に関われなくなったのです。
より下位には、重篤な戦犯を幽閉する地獄界も作られました。
人間にも、封神の方法が恒常的に採られることになりました。
人間が転生するつど、過去世の記憶を失うというのはこれによります。
人々が忘却の川があるのではないかと噂したシステム。
霊魂は潜在意識の底に過去の記憶を宿すも、新たなプログラムに直面するたびにそれを
見失うのです。
神々や諸天は、そのほとんどがかつて仙でしたが、いまその記憶は失われております。
さて、ところが、あることをきっかけに、神々すらもコントロールされる存在にされて
しまいました。
驚くべきことに、人界の人間によって作られた神話によって神々をコントロールしてし
まおうとしたのです。
つまり、神界が人界を管理するのはむろんですが、人界から神界を管理することも、神
話を通じてなら可能とされるシステムです。
その仕組み構築のきっかけは、この地球において発生しました。
よって、ことさらその傾向は、地球において強いのです。
さて、それは次のような経緯です。
最初に地球神界を取りまとめた神が、あまりにも正義感が強く、神界も人界も、不道徳
的なことがいっさい許されない状況に置かれたからです。
取りまとめの神の名は、天照国照国常立神。
有能な人仙から出た優秀な神であり、まとめ役の神としては当然の抜擢のされ方でした。
神界の役人の汚職を厳しく断罪し、紛争事には文書化された法律ではなく、ものの道理
と正義をもって裁かれ、地球神界の魂のレベルからの浄化に寄与されたのでした。
それは人界にも反映し、正しい者には正しい政治が約束された公平な良い時代となりま
した。
しかし、断罪された神の中には、人仙出自の者が多く占め、これでは新しい幾多の試み
の遂行が難しくなるとのことで、元始天尊をはじめとする天仙たちの不興をかってしま
ったのです。
仙界からは、魂のない刺客が神界に送られてきました。仙界からは宮殿の側近たちの素
行がことごとく見えていたので、心やましい者をそそのかすために刺客が近づきました。
同類の側近たちは、悪事露見の前に暗殺を計画します。
そして宮廷会議の数日前、警護も手薄になったときを見計らって、暗殺が実行されたの
です。
ただ、側近たちは国常立神を恐れて手が出せずにいました。それを見て、魂のない者が
複数で国常立神を取り囲み、斬殺したのです。
それは、今まで付き従ってきたはずの側近たちの手で行われました。
妻の豊雲野と共に、一室で斬殺。
両方の神とも、手足、胴体、頭がバラバラに斬り分けられました。
そしてそれぞれバラバラの方角に持ち去られました。
これでも霊魂までもが死ぬわけではありません。
またも洗脳プログラムのビジョンに直面させる方法で呪詛封印を施され、両神の魂をそ
れぞれ引き離すようにして、北東と南西の方角に持ち去ったのです。
両神には、二人の子供がおりました。兄神と妹神です。
偽の国常立神が罪状を認めて、神界から追放になったという芝居が打たれた後、兄神が
一時期、後を継いで地球神界を束ねます。が、やはり天仙に気に入られず、地下牢の一
室に繋がれ、国常立神の力の秘密を聞き出そうとする天仙の命を受けたゾンビが、すさ
まじいリンチの末殺してしまいました。
このゾンビの名はバイオモドキ。魂を授けられておらず、すなわち観測根節ではなく、
ただ精神行為を同等に行うために、魔法の杖の力を授けられていたのです。
彼らは生命ではなく、いわゆる生命もどきというわけです。
いっぽう、妹神は、忠実な人仙出自の大臣神に誰からの干渉も受けないように、計らわ
れました。
しかし、妹神は優秀な巫女の役割を持っていましたから、より上位の天仙の神懸かりに
よる侵入に対しては、まったくの無防備でした。
大臣神は、巫女として天仙の神託を聞くことに専念することにより、危難が回避される
と考えたのですが、逆に節度を省みなくなった天仙の陵辱するに任せる結果となってし
まったのです。
彼女は天仙の娼婦になっていたため、殺されはしませんでしたが、葡萄児を孕んでは流
産するということを繰り返し、病み伏しがちになりました。
少し病態が良くなったそんなある日、外部から侵入した賊の青年神と出会い、真の恋に
ようやく目覚め、二人して魂の自由意志を行使して、闇に向かおうとする神界を去り、
さ迷った末、梵の全系へと辿りついたのです。
この話は、一万劫物語として、人界次元に焼き直されて書かれています。
さて、地球神界は、兄神の妻である人仙出自のオオヒルメによって束ねられることとな
りました。
この神は、天仙とクーデターした側近たちの傀儡でした。
政策の急な変化に、神々は訝りましたが、危害の加わることを怖れて、それで善しとし
たのです。
以後、いったんオオヒルメの弟、スサノオによって天下奪取が図られましたが鎮圧され、
オオヒルメの子孫によって代襲されるようになりました。天下の乱れた原因は、スサノ
オに帰せられてしまいました。
そんな中に、訳を知る禽仙出自の神々の手で、どこに真の国常立神が葬られたかが捜索
されました。
ようやく分かった場所が神仙界蓬莱島の北東、位相神話的には日本列島の北東に位置す
る芦別岳の地中というものでした。
そこには、天仙の呪詛による重い要石が置かれ、よしんばそれが動いたとしても、魂レ
ベルで胴と足が切断されて、動くに動けないという具合でした。
洗脳ビジョンにより、魂は錯乱させられておりましたから、復活は絶望的でした。
国常立神がそれほど徹底的に封じられたのも、人仙のときに周りから怖れられていたか
らです。
国常立神は人仙の頃においては、比類なき力を持つ北辰太帝であり、元始天尊すらもそ
の力には恐れをなしていたのです。
ただ、正義感が非常に強かったために、人仙が禽仙に対して使う狡猾な手段と圧倒的戦
力に我慢ならず、命が潰えないことを知っていた彼は、必死で戦う禽仙に対してフェア
ーな場を提供すべく、わざと討たれてやったのです。
本来なら、元始天尊と共に天仙の位階に残っていてもおかしくない方でした。
そうであれば、もっと良好な世が実現していたかもしれません。
いっぽう豊雲野神は、蓬莱島の南西、位相神話的に日本列島南西の喜界が島の地底深く
に封印されていることが分かりました。
しかし、天仙は捜索にあたった神々のそのような挙動を見逃しません。
これら禽仙出自の神々やそれに従った人間を、神界に対して良からぬたくらみをしてい
るとのかどで、人界の最下層に流刑してしまいました。
彼らはP国やA’国の下層民として、いまだにひどい差別や戦時下の環境に輪廻し、地
獄の苦しみを味わい続けています。
しかし、根に不信感がある限り、いくらでも神々は不満を昂じさせてしまいます。
そこで天仙の取った施策が、神話によって神々を縛り付ける方法だったのです。
神界の舞台で、神々は職務として神話に沿った舞い踊りを披露せねばなりません。
その舞の効果がやがて時を幾ばくか経て、人界に及びます。
神によって舞われた神話は、言霊界の龍神たちの起こすバイブレーションに運ばれ、あ
やかしこね錦織の里で時空の織り糸にデザインされ、眷属の幡織り女たちによって時空
の錦として織り上げられ、河下に流され具体化するのです。
それは一面、人界を指導する重要な仕事のようでしたが、神々は忙しくなれば、意識を
改革に振り向けることができなくなります。
また、仙界の意向や方針は、腹心の神を取りまとめの神に抜擢し、スケジュールの大枠
を与え、神界全体をもコントロールしてしまおうとしました。
腹心の神々を天つ神として封じ、禽仙出自の神々を国つ神として封じ、神話構造上のラ
ンク付けをしたのです。
ランク付けのあらましは、世界各地の神話に取り上げられております。
ティターン神族とオリンポス神族、国つ神と天つ神、などです。
こうして、禽仙でなる国つ神たちは職務上、天つ神に逆らえなくなりました。
神話は、直接仙界からくるものは少なく、人界から生産されています。
人間の想像力はあまりに豊か。その神話生産力には驚くほどのものがあります。
これにより、神々はいっそう舞い踊りに忙しくなり、舞うべきテーマの食い違いに、間
違いも発生するという具合。
この矛盾した現状に、文句する者や、過去の記憶を取り戻す者がときおり現れています
が、” 監視の目”という名の憲兵隊が、神界、人界の随所に配置されており、神の位階
を剥奪して人界に送ったり、新たな使命や神話を割り当てたりの賞罰判断の場に関わっ
ていますから、反抗も容易ではありません。
神界は有名無実となっているのではありません。
人界から頼る者があれば、神がその者を守護することを行ないます。
しかし、神話で大枠が定められている以上、世の中の改変に至るまでにはならないので
す。
監視の目は、神話が忠実に舞われているかどうかにさえ、向けられているからです。
神話が舞われるに従い、人間界のほうにもその効果が出てきます。
が、それは必ずしも、神が望んで行なわれているとは限りません。
ただ、神は役者として舞いを忠実に舞われている。そういうわけです」
この話の最中に、すでにどよめきが沸き起こり、次第にその規模を大きくしていた。
しかし、怒号やヤジに変わるということはなかった。
キョセンの話によって、封神時の記憶が呼び覚まされた神々も多くいたもののようだっ
たが、監視の目を恐れて、ひそひそ話をするに終始したのである。
洋一には、頭上に不安定な稲光と、神仙たちの不安な表情が見て取れた。
一つの勢力としては、いま語っているキョセンの言葉を真実と受け取り、天仙に対して
内心怒っている者たち。
また一つは、キョセンの言葉を、天仙様への不遜と抗議する者たちがいた。
その間の考えにある者や、このままでは大変な事態になると頭を抱える者などで、この
山の周辺から半径百キロくらいは、不安定な嵐のようになっていた。
気象庁は、たまたま大気の不安定が招いた一過性の気象現象と報じてはいたが、真実は
かくのごとくであった。
せっかくほころんだ桜の花は、早々に地上を散り染めていた。
そのとき天仙の兄弟の頭目ソンポウロウは、大声でなじった。
「たばかりを申すな!!
国常立神が殺されただと。では神代七世はどうするのだ。神界に呪いをかけるつもりか。
神が別のものによってコントロールを受けているだと。神にはそれなりに自由がある。
たかが人間の作った神話で自由が束縛されているというようなこともない。
神が舞いを舞うのは、それが職分だからだ。
こやつ、これ以上たばかりを申すと、この場で手打ちにしてくれる」
それを言い終わらぬ内に、女仙が言葉を差し挟んだ。
「お待ちください。私はいままで、たくさんの姉妹神が、天仙様の生贄にされてきたこ
とを存じております。
今また私が、強引に同じ憂き目に遭おうとしている時に、どうしてあなた様の言葉のほ
うを信じることができましょう。
この私も、何者かが作った神話に従い、この場に臨んでおります。
そして、その神話如何によっては、私も生贄にされてしまう運命なのです。
この神話は、誰が作りました?
それは、ここに語るリョウキョセン様ではありませぬ。
人界にいる人間です。
その者は、神界にいる私たちのことを知りつつ、神話を作っているのです。
むろん、これはそうした一例。
あまた人界で製造される神話が、私どもの行動を縛っており、多くの神々がこうして憂
き身をやつしております。
が、私は、このたびの人間には期待しております。
いずれ先のない私には、この者の善意ある筆先の運びだけが頼りなのですから」
あらゆるところから、同情のすすり泣きが聞こえた。
そして、地上は雨となった。
「なにっ!!くっ、ばかばかしい!」
「非論理的だ」
「非科学的だ」
「では、続きを申し上げます。人間についてもそうです。かつてあった宇宙戦争。
その最中に荷担した人間たちは、そのどちらについたかによって、魂の行き先が決めら
れたのです。
人仙の側についた者たちは、その処遇が人界での暮らしにおいて厚遇されました。
禽仙についた者たちは、階級制のある境遇に生まれ、立場の上で冷遇されました。
これが、人界の諸相における不公平の元となっています。
人界においても天国地獄の差のある所以です。
遅発する反作用の法則が幾分かその傾向を縮めるものとして作用しておりますが、依然
上位がした初期呪詛の作用は残っているのです。
その作用が顕著であったのが地球。
地球は国常立神の更迭の後、受刑者の主たる流刑先に決められたため、必然的に人仙に
ついた者の数が少なく、禽仙についた者が多くなっております。
このため、地球は目下懲らしめの場。調教するための代用監獄として機能しています。
特に地球の人間は寿命が維持できず、転生のつどかつての記憶をなくし、魂に刻まれる
英知は、遅々としてはかばかしくなく、因果応報のシステムは実際の反作用の法則を模
してはいるものの、反作用の遅延を目的とした計算に基づくため、適用が不明瞭で、魂
は理解に困苦しています。
このため様々な要因をだしにした不公平や不合理、戦争や無理解がはびこり、悪趣尽き
ぬこととなっております。
改善が日々尽くされても、次々に投入されるトラブルメーカーによって、世情は一進一
退。
少し間違えば、すぐさま戦乱の渦中に突入するのが地球の世情。
それでも、ここから立ち昇る涙ぐましい観測成果の数々は、上位の神々のみならず、実
験系外の大梵にも伝えられております。
見咎められぬを良いことに、いよいよ悪趣を投入する施策はなんとしたものでしょう。
宇宙文明からすれば、非干渉の立場をとらねばなりません。
主として宇宙連盟の領域下にある地球ですが、宇宙同盟とも諮った協定星とされていて、
各勢力からの内政干渉は天仙の計画のフィルターを通してなされるようになっていま
すから、容易に救援活動などはできません。
むしろ、害意あるトップダウン的なたくらみによって残酷な実験さえ計画されています。
その端的な例としては、神界でかつて試されたことのある魂のないゾンビが投入され、
悲惨さの増幅に寄与していることをみても、計画のあらましがどのようなものか知るこ
とができましょう。
ゾンビは、魂の呵責にさいなまれることなく非道のできる破壊欲などを、ある条件で発
現させるロボットのような存在。
これを生体人間として開発し、地球人の間に紛れ込ませたり、人間に脳波制御器をイン
プラントして、宇宙から操ったりしています。
それらを称して、ゾンビコントロール・バイオモドキ計画と言うとか。
しかし、このゾンビを生産したことが、梵天の怒りに触れることとなりました。
観測機能を持たぬ物を、あたかも観測機能ある者と同等に機能させたということで、梵
の全系存続の根幹に関わる破戒行為と見なしたのです。
こうして、制裁発動の運びとなりました」
「なんだと?どういうことだ」
「それではまるでわしらのしたことが犯罪のようではないか」
「こんな話をする身のほど知らずがいようとは。いったい誰のおかげで生きておれると
思っているのか」
天仙たちは、あまりの話の成行に、顔をこわばらせた。
苦笑いで余裕を保ってはいたものの、ゾンビ計画に関与した天仙もいたからである。
また、これほど内情に詳しいとは思いもしなかったこともある。
それに比べ、キョセンという存在のつかみ所のないこと。
帰って事の仔細を頭領に伝えねば。直ちに、憲兵組織をここに投入せよ。頭目は兄弟分
に伝令を命じた。
会場に紛れ込んでいた憲兵、監視の目が、天仙たちの指鳴らし一つで、いっせいに顔を
出した。
ピラミッド四角錐のひとつの面だけ、上から三分の一程度のあたりに、大きな一つ目が
ギョロついているのである。憲兵は数にして数百はあろうか。
神々にも不可視であった彼らは、明らかに上位からの指令による存在であることを伺わ
せた。
それははじめ、会場の反抗的そうな神仙をマークしていたのであったが、いっせいに真
ん中の女仙と男仙を注視して、いまにも捕縛光線を浴びせようとしていた。
そのとき、女仙が会場の観衆に向かって話し出した。
「みなさん。彼ら”一つ目”は、魂を持たず寂しい存在であるために、嫉妬して魂ある
者を監視したがるのです。
原初から存在するべきはずの魂を持たず、それでいて感情だけは付与されている淋しい
ロボット。
彼らをを二つずつで組みにして、互いに目と目を向き合うようにしてあげなさい。
そうすると、彼らは淋しくなくなり、私たちを監視しなくなります」
そこに居合わせた、毘沙門天と広目天が、「こうか?」と、ひとつずつ監視の目を抱え、
互いに向き合わせた。
すると、目はいきなりトロンと穏やかになり、そのまま見合ったままで動かなくなって
しまった。
数で圧倒的に多い諸天たちは、それを見習って、あちこちで監視の目を捕まえ、見合わ
せる作業を行なった。
すると一挙に監視の目による束縛感が、会場から消えていった。
そのとき、会場全体の空気の流れが変わったようだった。
諸天は、天仙の所業を理解し、彼らの圧制からの離反を意識し始めたようであった。
その雰囲気を感じ取って、天仙兄弟は慌てている。
「な、なんだ。どうしてこんなことになる」
「(憲兵ロボットの)欠陥か?」
「これは反乱だぞ」
そのとき、空に声が鳴り響いた。
「いったい貴様らは何者だ。聞いていると、すでに我々の統治が終わったかのような言
い草ではないか。巧言を弄し嘘を誠のように仕立てた罪は重いぞ」
空を大きく覆いながら現れたのは、天仙の頭領、元始天尊だった。
その顔だけで、空を覆うほど巨大であった。
諸天はみな振り返って、最高指導者の到来におののく。
それまで期待に胸弾ませていた諸天たちの意気は、一挙に消し飛んでしまい、全体が静
まり返ってしまった。
男仙と女仙は、ついに来るべきものが来たかと、表情を険しくした。
洋一も、これはどうなることかと、心臓が早鳴りするのを押さえられない。
というのも、男仙から依頼されてここに来ているため、同罪のはずであったからである。
ところが、男仙は臆することなく語り始めた。
「これはこれは、天尊様。参考のため、天仙様もあまりご存知ないこの実験炉宇宙の外
で、梵天の計画がどのように進んでいるか、お話しいたしましょう」

新宇宙創生案

「実験宇宙の外にある梵天の元では、速やかに実行すべきこととして、新宇宙への移行
計画が立てられております。
なぜ速やかでなくてはならないかは、天仙様の支配する実験宇宙では、神や人の魂がい
ずれ腐敗してしまうことが分かっているからです。
これは観測根節の腐敗、つまり一種の根腐れ現象にも比類できる、元の樹である梵の全
系にとってみれば、たとえ一部分に起きたこととはいえゆゆしいことなのです。
病気に感染した一部の根といえども、それはやがて全系を脅かすことでしょう。
具体的に言えば、極端な不純英知の観測は、観測根節にとって毒になり、彼らの視野は
くらまされ、ただ中心から送り出される観測のエネルギーだけを供出している有り様に
なってしまいます。
そのエネルギーすらも、更なる不純の励起のために用いられるなら、ついに観測の視野
はふさがり錯乱させられてしまうのです。
純粋英知から離脱することを示すアラーム(反作用)の遅延する現象は、英知の総集で
ある太極の玉からおのずから展開される自然の流れゆえ、どうしようもないと思われま
す。
しかし、この不純になり行く展開の中においてさえ、魂を極端な無明に陥らせることな
く、不純英知さえも観測しつづける必要があるのです。
それこそが、真の為政者の模索せねばならない道であり、知恵であるのですが、しかる
にこの世の為政者は、無明を加速してなお、不純英知の極みまで至らせようとしていま
す。
そして、世の無明は創造者や人間の祖先の原罪がもとになっているといった神話を作り
上げて、誰にも抗えないことであると思い込ませているのです。
無明は時を経て、誰もが解き得ない謎を作り出してしまいました。
そして、その謎を解くための幾重もの課程を、必要でもないのに作り出してしまいまし
た。
しかも、謎解きの課程にすらも、ゲーム性を持たせて楽しもうという不届きな者たち。
それが今の為政者の姿です」
「うぬ!言わせておけば図に乗りおって。その不行き届きな為政者がわしだと言うの
か」
「まあ、今はお静かに。私の発言の時間です。その先を聞かずしてでは、その不行き届
きな為政者にも対抗策が講じれますまい?
さて、その為政者、無明への対応策、表向きには良い方法が見つからないのだと申して
おりますが、だが本当に良い方法がないのでしょうか。
実は、割合簡単にそれが実現できることが分かっているのです。
簡単に申せば、不純な精神物体を通過する際に生ずる遅延を、伝導度の良い特殊な精神
物体でパスさせてやればよいだけです。
遅延が生じて弊害が出たと感知された時点で、その情報がパスルート作成節理を起動し、
フィードバック的にその場所にパスルートを作るようにする、いたってメカニカルな節
理でかまわないのです。
オオクロヌシたちの開拓した生命モデルがヒントになりました。
そこで、彼の招請が必要となったのですが、敗者方の禽仙であったオオクロヌシは当時、
人界で苛酷な洗脳の課程を踏まされておりました。
幸福で平和な純情な意識を、煉獄状態に置くことによって、不純なものとの交わり方を
学ぶように洗脳が施されていたのです。
しかし、梵天のほうで、彼の招請がどうしても必要となったため、密命を帯びた工作員
が身代わりになって救出しました。
すでに宇宙の外では、オオクロヌシの協力を得てパスルート節理が開発活用され、順次、
梵の全系に及ぼされつつあります。
これはいわば、根腐れ病に対するワクチンであり、全身的な免疫療法とも言えます。
それはどうにもならない個所を取り巻くように導入され、残るは天仙様が支配する実験
宇宙を残すばかりというところまでになっております。
梵天はぼんくらで、なにもしていないのではありません。いかがなさいますでしょうか、
天尊様」
天尊は、現状のオオクロヌシを調査するよう、腹心に指示した。
そして、話手のキョセンに対しては、うんうんと頷いて聞いていたが、目をかっと見開
き、大声で呼ばわった。
「お前は梵天の回し者か」
「私は梵天と同じ団欒を囲む者です」
「では、梵天に申し伝えよ。最も冒険に飛んだ我らが宇宙を、わが身可愛さに興趣を減
殺させようという良からぬ企みには断固抗議したい、とな。
どうしてみなをみな画一的にしようとする?心の平和か?安定か?
冒険には危険がつき物。ここにくる者は、みなそれを楽しみにしておる。
広い世界に、そのような冒険宇宙が一つや二つあっても構わないではないか」
「むろんこの世界、違った魅力に溢れていることは確かです。
非観測根節による邪悪な支配体制を根絶することと、そのような試みを招く考えの芽を
摘むことができれば、原初の時代に復帰させるまでもないのです。
要は、程度の問題。モラルが程よく保たれるなら、魂への影響もさほど案ずることはな
いのです。
しかるに、この実験系に関してだけは、度を越して呪術的でアンモラルな摂理が後発的
に付与され、事態の改善が見込めない状態に陥っています。
いっぽう、バイパス法を採用するだけで、魂それ自体の免疫力が大幅に向上することが、
シミュレーションであきらかです。
順次この世界の外では適応され、着実な成果を上げております。
目下のところ、この方法の導入は不可欠のことと考えられております。
また神界は、あまたある神話によるコントロールという不合理が取り払われねばなりま
せん。
そして、本来あるべきアルゴリズムを与え直さねばならないのです。
指令系がたくさんあっては、宇宙のアルゴリズムは乱れます。
余分な指令系はアブレーション手術などを施して焼き切らねばなりません。
こうして、宇宙運行のアルゴリズムが正常なものとなるのです。
とにかく、新しい計画が実験炉宇宙の外では着々と進んでおりますから、諸天善神よ、
お喜びあれ」
喜びとも、戸惑いともつかぬどよめきが一瞬起きたが、天尊の巨大な目が会場を眺め回
すや、一気に静まった。
「みなの者。この者のたわごとを信じ、だまされて離反する者は、この者と同じ末路を
たどることになろう。今すぐここを去り、自らの職務につくよう。
職務のない者も、賢明な者はここを去るべきだ。なぜなら、この場はまもなく戦さの場
となるからだ」
いきなり会場は騒然となった。中には逃げ出すものもいた。
「戦さの場とは、またずいぶんな仰せ。我々はたった二人しかおりませぬ。捕まえてど
うにでもできるではありませんか。
ただ、我々は愛し合っておりますゆえに、引き裂かれるなら命もいとわぬ覚悟を持つの
みです」
「愛し合う?愛は命よりも大事と申すか。チュウチャクロウも、とんだ食わせ者に恋
慕したものよ。
戦さは、つまらぬ作り話に同調する者どもに対して起こすものであって、貴様らは捕縛
の上、極刑に処することになるだけだ」
「私が作り話をしていない証拠を申し上げましょう。チュウチャクロウ様がなされた初
めの話で、エルモナイトプレートの話が出されました。
この制作の理由について、チュウ様はご存知ありませんでしたが、代わりに私がお話し
いたしましょう。
エルモナイトプレートが、現在の宇宙文明の礎となっている知識体系であることは衆知。
ここから日夜知識が汲み出され、あなた様が負っている宇宙のあまたある文明が潤って
おりますが、どこでそれが築かれたのかをお教えしましょう」
「なに?貴様はそれを知っているというのか。封神の効果が切れてまいったか。なら
ば再度封神の術をかけなおさねばなるまいな」
「無用のこと。私が封神処置された者にあらざること、次の話を聞いてご判断ください」

原 初オオクロヌ シの時代

「その昔、オオクロヌシは原型集団というものを作りました。
生命、科学、テクノロジー、思想といった、今後この実験炉宇宙で必要になるであろう
ありとあらゆる知識の原型を作り上げ、ひととおり実験して検証してしまおうとした知
識集団でございました。
かつては今の時代ほど重濁した環境にはなかったため、かなり純粋な形で、また純粋な
成り行きで、研究開発を進めることができました。
今の下界のがんじがらめの学問定説などまったく役に立たぬほど魅惑に満ちたものだ
ったのです。
すなわち、過去に遡るほど、神も人類も優秀であり、純粋でありました。
あらゆる文明星で開拓されるテクノロジーの、全分野における到達できる最高水準をす
でに実現しておりました。
というより、後発の人類は、その遺産によってようやく文明らしさを手に入れることが
できたと言っても過言ではありません。
当時の神々も人間も、一世代で十分研究できるだけの寿命の長さを持っていましたし、
科学知識の永続的保存にかける使命感が、やがて生起し始めることになるエゴイズムを
凌駕していたのです。
そして保存の目的も、将来の子々孫々のためという大目的が確立しておりました。
将来、もし様々な知識の必要性ができたときに、いつでもスムーズに参照されることを
目的にしていたのです。
それが初期のエルモナイトプレートの制作思想でした。
それは当時の神々や人間たちの先見性の産物でありました。
いっぽう未来予測グループの予想では、先の世にさらに環境は悪化し、あらゆるものの
心がすさんでくると予見されておりました。
知識は、良からぬ者たちによる悪用への懸念も含めて、考慮されねばならなかったので
す。
このため知識の伝承保存は、最も人格的に信頼のおける精鋭グループに頼ることとなり
ました。
その統括にあたったのが、神仙と呼ばれる超能力者たちであり、具体的な知識伝承とそ
の形態作りは、神仙の指示により当時の人類の手でなったものです。
知識の設計図は、不滅の聖なる石版に刻まれ、宇宙空間の暗号によって定められた場所
に置かれました。
また、その場所を知る者あるいは消息を知る者は、文明を擁する各惑星に少数名ずつ支
部として配置するも、真義を知るのは知られざる惑星の統括本部の重鎮のみという次第
となっていったのです。
彼らの伝達手段は、即時性を持つ精神波動でしたが、そこには五重の暗号化処理とキー
を持つ者同士の照合処理が施されていて、単なるテレパシー能力ごときで感知できるも
のではありません。
解読のキーを持つ者と、キーを差し込まれる者がそろった時点で、精神波動の暗号解読
が五回行なわれて初めて、世界の知識の扉を開く課程に入るのです。
それは魂の中に刻まれた暗号解読キーと申すもので、不死である魂は照合の取れる魂と
巡り合うまで、幾万年さまようことも厭いません。
いや、そんなに手間のかかるものでもなく、互いに引き合う力が、運命の測地線を捻じ
曲げ、時空すらもその方向に曲げてしまうものなのです。
ところが、時が進み、世界の環境が悪化するに従い、この組織はよりいっそう秘密主義
になって参りました。
そして、キーを持つ者を管理しようとします。
というのも、悪辣な企みの者がその環境悪化に乗じて、この組織を歪曲模倣し、暗躍し
出したからです。
模倣した者たちも、キーを持つ者に警戒し、見つければ秘密を知ろうとし、管理し妨害
しようとします。
後の国常立神や息子神も、キーを持つ者ではないかと目され、手荒く調べられたのです。
その中にたとえ居たとしても、別のキーと出会わない限り、それ自体キーとはなり得な
かったので、分からなかったのです。
さてその頃、オオクロヌシの率いる禽仙グループと、天尊様率いる人仙グループの間に
戦争が始まりました。
知識護持の組織の傘下には、カモフラージュのため、たくさんの類似組織が作られ、実
組織がどこにあるのか分からないほどとなりました。
それを調べるための暗躍組織も出てくるという具合で、組織自体が何者なのかさえ混沌
としてしまいました。
天尊様は、オオクロヌシの一派から寝返った神仙の密告で、原始戦争の最中、この聖な
る石版を発見し、さらにその解読の鍵になる石版の所在を知ることになります。
前者が、いまエルモナイトプレートとして知られるものであり、後者がコスモプレート
というものです。
そして、二つのデーターをすり合わせて解読作業が進められ、モデル的な文明惑星でそ
の再現が試みられ、使える知識から順に実用化が図られ、宇宙全体に行き渡ってきたと
いうわけです。
しかし、まだ石版の1/3程度の解読量であり、すべてを全うするには地球年であと数
億年はかかるのではありませんか?
神に封じられたオオクロヌシ一派の科学者の頭脳がマインドコントロール下で用いら
れてはいますが、なおそのような状態でしかないはずです。
理由は、しっかりとしたキーを持つ者が未だにそろっていないからなのです」

交渉は平行 線

<ううむ。こやつら、まこと梵の回し者か。梵は開展者であるのみで、策意などありは
せんだろうと思っていたが、そうでもなかったのか?
いいや、わしには信じられぬ。まずここは穏便に懐柔してみるか>
「ここまで命知らずにも向こうを張って見せるとは、近頃珍しいほど良い度胸だな。ど
うだ。詭弁をろうすることはこれぐらいにして、わしの傘下に入らぬか?
お前たちの度胸と手腕を買ってやろうではないか。これ以上、世間を騒がせることなど
せずとも、今なら天仙に取りたててやってもよいぞ。
まずは天仙見習いからはじめねばならんがな。達成した暁には、不老不死の妙薬もやろ
う。
永劫にわたる豪奢な暮らしも、いますぐにでもお前たちの思いのままだ」
「天仙に取りたてる?これは笑止。私は梵天の団欒を囲む者と申しましたように、こ
の世のものではありません。
ここを去れば、故郷が待っております。それまでの間、この世界に遊行しているのみで
す。
あなたがたが、観光にいらっしゃいとお誘いなされたればこその遊行です。
この遊行の中で、私はただスー殿とともに暮らせれば、それ以上を望んだりいたしませ
んのに、このチュウ殿が略奪しに参られたゆえ、このような話になってしまったのです。
いわば、この里に忍んで参って隠棲している我々二人を、炙り出してしまったのはあな
た様の側の不覚ではないのですか」
「うーむ。いったいどうした入国管理をしていたものか。いやいや、チュウチャクロウ
らが近頃つまらぬ事をしているとは思っていたが、わしの命令で取り下げさせよう」
「それをなさるなら、今までの天仙様の所業もお改め願いたいものです。スー殿の姉妹
もすでに生贄になっております。彼女らもそれぞれに恋人のあった身。お返し願わねば
なりません」
「なに?そのようなこともあったのか。よくぞ申した。もちろんいいだろう。
その前にひとつ聞いておくが、梵天の計画とはどのようなものか。先ほど申したほどに
進んでいるのか」
「事実でございます」
「で、お前はその中でどういった役割だ」
「役割?それがあるとすれば、自然の成行のようなものでしょう。私は、この世界を
ときおり辞して梵に帰り、親や仲の良い友人たちに、この世の土産話をしているだけで
す。
それに対して梵が、どのように考えるかということではないでしょうか」
「スーはどのような役割だ」
「私は、キョセン様をお慕いするだけのもの」
「そうか。よくぞ申した。ならば、そななたちを自由にすることを約束しよう。そのか
わり、我々の協力者となってもらいたい。その手始めに、すべてを話してもらわねばな
らない」
「私はもとより聞き知ったことのすべてをここでお話ししようと思って、チュウ殿との
対決に真摯に臨んでおります。
そうしなければ、スー殿を取られかねないと思っての必死の所業です。あなた様に同じ
ことをお話しするに、何の不都合もありません。
しかし、あなた様の側に付くことはできません。なぜなら、世の為政からなるべく遠離
していたい仙人ですゆえ。
それをここまで、この事態を招くまで、我々を引き出されました。
それゆえ反抗も甘んじて、自然の催しとして遂行してまいらねばなりません。
天仙様がたが心を入れ替えられ、反省の上に立たれ、新しい時代の招来をみな共にして
いただけるなら、無用な反抗もございますまいが。
これだけの成行を招き、これだけのことを申し上げてしまった今、梵との和睦の使命も
併せ持っておるかと思っております」
「どこまでも気丈な物言いをする。言いかえれば、スパイではないか。まあ良かろう。
すべてを話すというのだな。殊勝な心がけではあるが、わしは心を見る。
そなたの心がわしらの敵になるつもりがあれば、いずれにしても抹殺せねばならんぞ」
そこにスーが手厳しく話を挟む。
「私も禽仙の出自。その禽仙たちが過去に離反した原因は、あなた様がお作りなのです」
「そうか。なるほどな。過去の戦のことはもはや申しても仕方があるまい。
力が足りない者が負けるのは世の道理。
さしずめ、いまのお前には姉妹がおり、我々の手の者の妾になっていることが腹立たし
いのであろう?」
「そうです。みなそれぞれに思う人がいながら、引き裂かれているありさま。何とかし
てください」
「分かった。いいだろう。私はまだしも寛大だ。ただし要望を叶えるも、私につくかど
うか、それが条件になる」
「あなた様について、梵の考えとすり合わせていただけるわけですか?」
「それは、ここの方針。規約に同意した上でなら、参画は許すことになろう」
そのとき、広場の入り口から女の声がした。
「スー。待って」
「あっ。お姉さまでは・・」
見れば透けた薄絹の丈の短いワンピースに、豊かな胸元とすらりとした脚線をあらわに
した美女が手錠と首輪をかけられ、首輪についた鎖を天仙兄弟のひとりに引かれるあり
さまで佇んでいた。
「帰順などしてはいけません。彼らの言うのは嘘ばかり。用がなくなれば、ただの慰み
者にされるだけ・・」
鎖を握っていた天仙が、突然思いきりそれを引いたために、女は地面に倒れ伏した。
「このあま!何を言い出す」
「何をしに来た。この者は」
「はあ。チュウチャクロウの縛りを解くためにつれてきました」
天尊は、チュウチャクロウを見やった。
不恰好に膨らんだ体は、あの部分を佇立させたままで、ほとんど固まっていた。
「この大馬鹿者め!」
元始天尊は掌をチュウの方に向けたとたん、灰色の気流がチュウを取り巻き、たちまち
のうちにチュウは小さくなって、突起を持つ芋虫のさなぎに変じてしまった。
そして、風が軽々とそれを宙に舞い上げるや、どこか彼方に運び去ってしまった。
「馬鹿者は処分した。トウタクロウ(チュウの兄貴分)。お前も、そのたぐいか?」
「す、すみません」
「女。お前はスーの姉だな。ならば、今からお前は自由だ」
天尊は手から黄色の光線を発すると、手錠と首輪がパシッと音をたててはじけ散った。
「わ、私は自由なのですね。本当に?」
天尊は静かに頷いた。
「ああ、私は自由?ありがとうございます」
スーの姉は、はらはらと涙を流した。
「私には、残る10人の姉妹がおりますが、みなそれぞれ、自由を奪われています。そ
れを如何になさいます?」
「トウタクロウ。囚われているスーの姉妹を全員自由にするようみなに申し伝えよ」
「は、はい。しかし、みな、それぞれの者の妻になっておるのですが・・」
「妻がこのような格好をして、他の男を慰めにくるものなのか?この馬鹿者!直ち
に他の者に伝えて、妻としてそぐわぬ者はみな自由にしてやれ」
「は、はっ」
「お待ちください。解放がまことかどうか、全員をここにお連れください」
「うむ。トウタクロウ。そのようにしてやれ」
「はっ」
一礼すると、一目散に引き返していった。
「私の身内への綱紀引き締めが足りなかったことを詫びたい。お前たちへの誠意として、
姉妹たちの返還を約束しよう。
だが、それが今後とも約束できるかどうかは、そちらの態度如何による。分かってもら
えるな?」
「分かります」
「そうとなれば」
天尊は手を高く会場に向けて2、3周廻らせると、互いに向き合っておとなしくしてい
た監視の目がいっせいに分離し、また空の彼方から新たな監視の目がやってきて、それ
ぞれが諸天めがけてひとつ目から光線を浴びせると、諸天は逃げ惑うようにして会場か
ら姿を消した。
そして、会場を覆う空は、三角をした無数の監視の目が漂う空間と変わっていた。
彼らは、もし指示あらば捕縛光線なり抹殺光線なりを照射することもできるであろう。
無言の威圧である。
「では、少し教えてもらおう。オオクロヌシはすでに居らぬように申していたが、今居
るオオクロヌシは何者だ?」
「彼は梵天のもとで訓練を受けた工作員です。オオクロヌシの身代わりになって、すで
に2億年が経とうとしております」
「道理で、なにも話せるはずもなかったわけか」
「この工作員もただちに解放願います」
「意味がなかったとなれば、やむをえまい。解放してやろう。では再度聞くぞ。お前た
ちはわれらにつくのだな?」
「つく、つかぬの問題ではございません。私たちは、是正さえあらば、いや、是正の気
さえおありなら、協力させてもらいます」
「それでは不足だな」
「ならば、梵天の計画の進捗を止めることはできません。そこまで切羽詰まっていると
いうことも了解ください。
私は、いまのところ仲裁者の立場です。そちらが頑なならば、その旨伝えるしかありま
せん。
私がときおり梵の世界におもむかなければ、事態を察することでしょう。
次回は、ニ週間の後と予約を入れております」
「いまひとつ、梵天というものが計り知れぬ。私にとってよほど脅威なら、考えを改
めなおしても良いが、いまここでは巧言をはばからぬ者の単なるたわごととしか思えぬ。
信じても、信じずとも、どちらでも構わぬわけだ。どうだひとつ、梵天と直接話をさせ
てはもらえぬか?
まず、それが取り引きの開始ということになるだろう。お前たち、是正のためには協力
すると申したな。まず、嘘でない証拠を出すことから始めてもらおう」
「分かりました。実を申しますと、私は、梵天の特使です。梵天の分霊でもあり、我が
意志はすべて梵天に帰します」
そう言うが早いか、リョウキョセンは、仙人服を変貌させて、威厳ある天帝の正装服に
なった。
スーピクリンのほうも、薄物であった衣が重厚なものとなり、脇に琵琶を携えていた。
「私は、梵天の娘にして妻である弁天の特使です」
「そうだったか。驚いたことよ。ならば、話が早い。私は、純粋英知のみを相手にでき
るあなたがたの考え方にははっきり申して異議がある。
不純英知を積極的に活用し、その良さを十分に引き出すことのできる世界を作ろうとし
ているのが我々天仙なのだ。おのずと設計思想は違ってくる。
どうだろう。一つの交渉だが、我らの世界を分離独立させていただくわけにはいかぬ
か?」
「しかし、この世界を観測する魂たちは、梵の全系にある者たちです。
彼らを利用するにあたって、しっかりとした基準を持たないのでは、梵の全系に影響が
出ます。
まず、魂の浪費のない世界にすることが肝心。魂をして腐らせてしまうような施策は問
題があります。
しかし、みなの自由だけは保証したいと考え、目下のところ全系の開展の成行として黙
認している有様です。
よって、彼らの運用にあたっては、まずモラルを持っていただかねばなりません。
最低限必要なのは、この世界に居ることを希望する者とそうでない者に振り分け、希望
によって処遇を決めること。
離脱希望者を迷わせるような遅延策をとらないこと。
また、観光ツアーの過大な教育効果を宣伝したり、射幸心をあおらないこと。
これらのことが守られるならばという条件付きで独立を認めるにやぶさかではありま
せん」
「では逆に聞くが、この世界への希望者は、梵の全系にもあまた居るはず。
彼らのすべてに、ここの良さが伝わっているのかどうか。
そうした時に宣伝し、彼らの希望を募るのは、観光ツアー宣伝の役割ではないのかな」
洋一は、そのとき、自分がここにくることになった遠い過去世の光景をふと思い出した。
それはちょうど、宮沢賢治の銀河鉄道のような感じであった。
列車が駅に着くと、いっせいに集団が乗り組んだ。
彼らは、「学べるサファリ、おもしろ宇宙旅行」という企画に応募して集まっていた。
洋一もそうしたひとりだった。
面白いイベント宇宙があるから、一度行ってみないかというのが誘いだった。
そこから帰還した者の話も、今までと違った面白さがあったという評価だった。
二回三回と行く者もあり、また永住権を希望する者さえ出てきた。
そんな時、期待に胸弾ませながら、洋一も出かけたのだ。
あれからどれほど経ったか。
いや、ここでの時間の観念はまた違っているから、どれほどの時間も経ていないのかも
しれない。
ただ、経験した事柄は、時系列に並べればたいしたものになるだろう。
「希望者に、観光資源を提供するのは良いとしても、彼らをこの観光ルートから離脱で
きないようにさせている仕組みに問題があるのです。
彼らの真のあるべき姿からどんどん乖離させてしまう仕組み。
功過という点数制の法則により、多段階層のソフトを彼らに自動的に計算して与える仕
組み。
これらは自然に備わる真に矯正力を持つ反作用の法則さえも、娯楽の対象にしてしまう
冒涜行為です。
ソフトに難易度をつけ、彼らにクリアーしたときの悦楽を起こさせ、チャレンジし続け
ることを目的としています。
そのようなところから、自らの真価を忘れ、ついに魂の腐敗さえも起こしている現象が
あります。
しかもそれが、未だに試行錯誤の実験系であることが問題。
展望はどのように持っておられるのですか?」
キョセンが核心を突こうとしたそのとき、スーの姉妹が会場に続々と到着した。
みな揃えられたような重厚な服装をしていた。
それは輿入れのときに着ていった衣装であった。
天仙たちも随伴してきていて、同じように衣服を正し、正装している。
「約束どおり、お返ししよう」
「お姉様・・」
10名の女仙たちは、見知らぬ弁天の姿に訝った。
そこで、弁天はもう一度スーの姿に変化する。
しかし、それでも反応を返してよこしたのは、半数にも満たなかった。
「スー。あなたなの?」
「私は大丈夫です。他のお姉さんは?」
反応した姉たちはこぞって、悲しみの表情をして見せた。
反応を返せない姉妹たちは、すでに気が触れていたようである。
「さあ、ここでお前たちを解放する」
「どこかへ行くの?」
「そうだ。行くんだ」
「いやだ。じゃ誰が私を可愛がってくださるの?」
あるものは天仙の下半身に取り付いた。
「ええい。誰にでも慰めてもらえ」
「いやです。傍に置いて!」
天仙にしがみつき、放り出されて、倒れこむ女がいくらも。
重い衣服を脱ぎ去り、真裸となって、涎を垂らしながら「お願いです」を連呼し、あた
り構わず天仙にしがみつく女も。
それにつられるように他の女も、天仙の前で媚びを売り始めた。
あちこちで、あざだらけの女を拳でしたたか殴る音がこだました。
「やめろ!」
天尊の大声がし、天仙たちは暴力を振るうのをやめた。
むしろ、この成行に呆然としていたのはキョセンとスーであった。
女たちは殴られることにさえ、悦楽を見出していたからである。
「お姉さん・・」
「スー。実は私も、夫を愛しているのです。この方もひどい浮気ものですけど、私だけ
は、他の姉の場合と違って、良くしてくださるのです。
だから、あなたの一存で引き裂かないでください」
その表情を見て、スーは予想を大きく裏切られて、何がなにやらわからなくなってしま
った。
梵天と弁天が見出し培った基本的な愛が、低次元に移ろったところに生まれた性欲。
これが今や、前者を打ち消して目的と化している現実。それもまた愛なのか。
またほんのかすかな希望的愛を信じねばやっていけないほどの枯渇的状態がそこには
あった。
ここからこれ以上何が学べるというのか。
病みし世界が天仙の領域には存在した。
それにしても、この天仙たちの情けというもののないこと。
恐るべき者たちに世界の運営を任せている現実があった。
神々は、間を取り持つ緩衝役に徹せざるを得なかったのである。
「これは珍しい成り行きとなってしまいましたな。この程度の男たちにさえ引かれてお
しまいなら、とても離脱など希望なさりそうにない」
天尊の表情には、困惑の色が漂うも、笑いがついて出てきている。
「これこそが魂の腐敗というものではないですか。こうなってしまっては、とり返し
が・・。ああ、お姉様」
スーはもう失神してしまいかねないほどである。
「まったく。天尊様も、よく平気でそのようなことが言えたもの。私は憤慨いたした」
「先ほどの梵天特使殿のご質問の解答ですが、実験炉であるゆえ、展望はおのおのの魂
に内在する復元力に頼るしかありません。
それが真の試し火(魂)の価値というものではありませんか。
ここのシステムは、強靭な魂を育生し選抜しているのです。
耐えられず脱落する者とは自然のする淘汰に敗れたにも等しい。
それをも救済するとならば、梵の全系と呼ばれるものは、ひ弱な組織になりませんか?
我々は、より頑強な魂を育てるべく努力をしておるのです。
むろんひ弱な者でも良いということならば、早めに離脱させてもよろしいが」
「このような邪悪化の傾向は、魂を腐敗させるだけです。即刻止めなされい。
魂にとって致命的となれば、如何に離脱させ戻してもらっても、修復が効かなくなりま
す」
「腐敗はまずい?としても、邪悪化とは遺憾。複雑化と言ってほしいものです。
希望者のかたはずいぶんいるというのに。
では、こうしましょう。希望者だけ、ここにとどまることを許されよ。
彼らは鋭意を持って強い魂になることでしょう。
帰還したい者は、すぐにでも自由にしてやりましょう。
ただし、このソフトにはルールがあり、いきなりの離脱はソフトの不安定を招きます。
この世界は迷路構造をしているため、ある程度本気で取り組むという努力が要りますが、
出やすいように案内板を増やしましょう。
また、解脱に至るための手段をたくさん用意しましょう。
ここが嫌になった者は、様々な方法で教化され、出口に導かれるようにしましょう」
「それでも不充分です。あなたが言う希望者というのは、魂の記憶をなくすにしたがっ
て希望を強くする者のことでしょう。
魂の記憶は鮮明に残すようになさい。その上で、希望を容れるようにするならまだしも、
そうでなくては腐敗を起こします。
何度も言うように、腐敗してしまってからでは遅いのです」
「ううむ。これほどすばらしい世界は、ある程度、心をとりこにさせねば楽しめないも
の。
魂の記憶を持って現実問題に対処しても、真剣になれないものなのだ。
腐敗しそうで危ないというときには、チェックをして返そうというに。
魂が存在するという音信も、宗教に霊性とかを説かせて、疲れた者に聞かせるようにし
ようというに。
それでも良くないですか」
「梵の全系は、すべて関連づいています。それこそが秩序というものであり、乱す部分
が出てきたときには正さねばなりません」
「もったいないとは思いませんか。ここにおられる女仙のように、喜んでくれているか
たたちがあまた居るというのに。こうした快楽を求める再観者数もかなりのものなの
に」
「それを言うなら、どういう非良識かと疑います。彼女たちは魂から喜んでいるわけで
はない。ただ、肉欲の中毒に陥っているだけです。魂は腐敗しかけている」
「しかし、その快楽の基礎を作ったのは、梵天ではないか。私は、それに付加価値を与
えて発展させただけ。
様々な愛の形態の中にこの快楽を与えることから、苦痛と見えることの中にさえ快楽を
見出させ、愛というものにバリエーションを持たせたのだ。
外から来る者の多くは、これが目当てで来られる。あるかたなどは、病み付きになると
のこと。
あなたがたも、そうしたソフトを利用して、先ほどは情交を果たされたのではないのか。
チュウチャクロウは、見事にはめられてしまい、私は惜しい片腕をなくしてしまった。
それもこれも、この世界が面白みに満ちたものであるからこそ、あり得ているどんでん
返しなのだ。
みなさんにはそうした冒険を求める魂の希求がある。
これに競争を加味し盛んにして付加価値を高め、この観光地をより楽しいものにしてい
るのです。
欲望といわれるものの性質を最大限にソフト化して、みなさんに喜んでもらっているの
です。
すべて、原初のころ誰もが付与された性質。
私らは、その可能性を発展させただけです。
それを嫌がられるなら、梵天がはじめたという開展それ自体をやめればよろしかろう」
両者の考えの根本には贖えないギャップがあった。議論は、平行線をたどるばかり。
「こうなれば、交渉は決裂したことを伝えねばなりません」
「その結果、何らかの侵略があるなら、逆に我々は親派を募り、大勢意見を集約して反
旗を翻えすしかありませんな」
とまで離反寸前まで行ったのであったが、不利と見たか、天尊の側が折れる形で最終提
案を出してきた。
「では、先ほどから申しているように、危ない者にはフォローを強化いたし、帰還希望
の離脱者には容易な道順を用意いたそう。
そして、あなたがたの仰る良識という砦を用意し、世相があまり過激にならぬようにし
よう。
ああ、それと、ゾンビですな。これを使うのはなるべくやめましょう。
加えて、こちらで拘束している御仁たちを順次解放しましょう。
反逆者や弱者は、私どもとしても無用の長物。育成の楽しみも何もあったものではあり
ませんからな」
折れてもなお、一言以上皮肉の多い天尊である。
そこにスーが間を取り持とうと割って入った。
「あなた。邪悪化を加減する。ゾンビも使わないということであれば、今しばし猶予し
て差し上げては・・。
それにもう少しこの世界のソフトを調べてみてもよろしいかと・・。
というのも、この世界を修了してきた者は、とりたてて格別な霊性の輝きが見られるか
らです」
「スー。それは極めてまれなことではありませんか。私たちは、誰でもが安全に同じ霊
性を獲得できる仕組みを考えておるのですよ。このような邪悪なソフトに興味されずと
もよろしかろう」
「いいえ。ここにあるソフトをいましばらく吟味させてもらえないでしょうか」
「おお、スー殿は、少し興味を持たれたようですな。その通りなのです。
誰しもが潜在的に持つ興趣を満たすものが、この地にはあるのです。
楽しめる要素は数多くあり、あらゆる局面に誰しもが関心を示すギャンブル性と魔術性
を併せて配置しております」
「私はギャンブルや魔術には興味がありません。私がかつて作ったソフトが、どのよう
に人々を利益しているか、どこでどうなって人々に悪弊を与えているかを調べてみたい
のです。
その悪弊に至るところで防御すれば、決して問題を生じさせるものではないはずです。
その接点を見極め、改善の余地を探りたいと思います。
改善が困難となれば、夫の急進手段に委ねるしかありません」
「やはりあなたも、この世界の本来の面白みが分かっておられないのだ。議論はかみ合
いませんな」
「面白みと腐敗が異なるものであるなら、理解もいたしましょう。重なる部分が多いの
で困るのです」
「そんな。腐敗、腐敗と、耳が痛い」
「では天尊殿。こういたしましょう。
私たちはどこかゲームの空間を作り、私たちの代理のものを人間として送りこみ、ソフ
トを吟味させ、世界の腐敗の程度をモニターさせましょう。
そして、彼らのもたらす情報によって、これからどうするか決めたいと思います。
それは果たしてギャンブルみたいなものです。そちらにとっても、望むところではない
ですか?」
「なるほど、面白い考えですが、かつてミカエルが世の立て直しを企画したように、モ
ニターとして本格的な聖者を送りこまれても困ります。
判定ははじめから黒とされるは必定ですゆえ、辞退いたします。
世の面白みが分かってもらえない者の判断に基づくのはフェアーではありませんから
な」
「いいえ。代理の者は凡人として、ごく普通のキャラクターを持たせましょう。
聖者ではありません。心揺れ動き、明日を夢見ては現実に挫折する、どこにでもいる凡
夫です。
しかも、その者に対する生殺与奪の権利はあなた方に差し上げましょう。
楽しませるも、悲しませるも、どのように教育なさるも、あなたがたしだい。
ただし、すべての観察結果は、こちらに返され、その結果から判断することになります」
「では何をもって判定なさる?」
「その者のカレントな魂の腐敗度と、この世界に対する評価です」
「それはやさしい。困苦にあわせずとも、易行道を与えて歓待すればすむことですな。
地上は我々の意のまま。なるべく歓待してうまく勤め上げさせてあげましょう。
何なら、王や侯に取り立てましょうかな」
「その者は、天仙様ににとって、不都合な行為を行うかも知れませんぞ。持って生まれ
て悪気はなくとも、ひとりでにということがあります。それでも好遇できるなら何も申
しますまい」
「ふははははは。困ったものですな。どうせモニターといいながら、その者があなたが
たに操られるのは目に見えています。
悪いほうにとられぬよう、またどんなことをしでかすか分からないため、こちらはせい
ぜい警戒いたしましょう。
さて今度は私のほうからの見返り対抗措置です。
梵天殿の領域のすべてに、この世界の面白さを思う存分宣伝させていただきます。
そしてこの世界に興味する者に対して何の妨害も掛けないことを約束願います。
たとえば、魂が腐敗するなどという対抗宣伝はおやめください」
「ということは、国境のファイアーウォール(火の壁)を取り去るということを意味し
ます。梵のリスクはあまりにも大きい。うーむ」
「あなた。いいではありませんか。今回はお互いが正念場と思い、事にかからねばなら
ないということです」
「うーむ。スー、そうは言うが・・私はああ言ったものの、ギャンブルというものは、
どうも感心せんのです」
「面白い。スー殿の発案、いいではありませんか。我々も正念場と思いこのギャンブル
に賭けましょう。
どうぞ見聞してください。それはそれは興味を催されることと思います。
では、ゲーム空間を、プレアデス星団のアルファストロークにでも設定いたしましょう」
「いいえ。そこは恵まれた発光が支配的と聞きます。むしろ私がときおり分霊を降ろし
て興味深く観察していたところであり、清新なソフトから破天荒なソフトまで一堂に会
する場所であるこの地球を所望いたします」
「また何故にわざわざ。地球はレベルの低いところで、宇宙連盟も立ち入りたがらない
というのに、酔狂なことですな。
どの場所も、程度によって星雲をおよそ分けております。せっかく優等な場所はいくら
もありますのに。
煉獄色の強い地球では良い評価も期待できませんでしょう。せめてべガあたりの中間値
を取ってほしいものです」
「いいえ。魂が病み疲れ、最も犠牲者が輩出されていると思われる場所のソフトをを観
察評価することが私の目的です。改革に値するのかどうかも調べることができます」
「ならば、いっそ地獄層にでも行かれてはどうか。そこは為してきた罪の重さをどろど
ろになりながら認識させられているところです。
あなた様からすれば、ほとんど犠牲者と申せましょう。私どもからすれば、矯正の場所
なのですが」
「いいえ。そこはまだしも、魂が最下層と対面することにより、矯正の方向に向かう兆
しを持っています。
私は方向性で見たいのです。どのように転落していくのか、それをそうさせている可能
性のあるソフトを調べたいのです」
「いやいや。スー殿は、我らにかつて反逆した者の行く末が案じられておるのでしょう。
そうに違いありません。
同属の出自であられることは、まぎれもありませんからな。
だがよくお考えなされ。どこに敗戦の将が厚遇されたりいたしましょう。
負けた者が勝った者と同格の扱いを受けること自体がおかしいのではありませんか」
「あなたが当たり前としている戦いという概念も、その効果の規定も、私が作ったソフ
トにはありません。
あなたがその概念と規則を推し進め、新たなソフトを編み出されたのです。
そこから派生したソフトも多々ある中で、とくに現在問題なのが、邪悪なソフト。
その中には、使ってはならない禁じ手さえ存在しているようです。それを見極めなくて
はなりません」
「邪悪?これは失礼な。禁じ手?そのようなものがどこに使われておりますか。
それに邪悪の要素を多少取り入れるのは、ソフトに厚みを持たせるため。
およそ勧善懲悪の成行に設定しております。心外な!」
そこで、キョセン梵天大使が切り出した。
「まず魂のないものに観測行為をさせていること自体、禁じ手であり、邪悪化のもと。
それが撤去されない限り、梵の全系をも揺るがしかねない破壊原理を生みつづけること
は必定。
地球はかつてあなた様に反逆した者たちを主として収容しているゆえ、残酷過ぎてとて
も見せられぬというわけですか?
ならばよし。私はこんな悠長な手続きは願い下げたいくらいです。
スー殿。もはや見極めもなにもありません。
直ちに改革に着手しますぞ」
「いいえ。私は見定めてからにしてほしいです」
「ええい。分かりました。とにかく成ったものはおいそれと変更は効きません。
しかし、直ちにとは行かぬまでも、前向きに善処しましょう。
弁天大使殿。どうぞ、地球に見極めに来てください。私はこれ以上何も応じられません。
帰りまする」
天尊は、これ以上こじれるのは得策でないと、さっさと引き上げてしまった。
幕切れはあっけなかった。天上から地上に対決の場が持ち越されたのである。
スーは、姉妹仙たちのうち、故郷に帰りたい3人だけを連れて帰った。
キョセンもここを後にした。
天仙兄弟たちは、がやがや言いながら、残った姉妹仙を連れてそこを去った。
その日の山上のイベントが終わると、うそのように空は晴れ上がって、落日とともに幕
を閉じた。
そして、洋一はすべての者が去った空間の静まりの中に居て、西の空の紅さだけを見て
いた。
洋一は内心、最後の詰めが頼りなかったことに、いささかがっかりしていた。
<方士は詰めが甘かったと言っていたのに、またかといった気がしないでもない。こん
どは地上が決戦の場になるのだろうか>
そこに白い神主服を着た眼鏡の人物が現れた。
時々見たことのある山上の神社の宮司である。
「あのう。もう下の門を閉めるので、出てもらわないといけませんね」
「あっ、そうでしたね」
「これからは注意願いますよ」
「はい。すみません」
「今日はよく見届けてくれた。少しずつまとめてくれたら良い」
「は?」
いきなりの変わり身に驚く洋一。
神主服の人物は方士に置き換わっていた。
「君にはもう少し、付き合ってもらわねばならん。
君に後で会うように教えておかねばならない人物がいる。
このために、普通ではお目にかけられぬ場所に来てもらう。
わしは今から君を片目にする。いいか?」
「は?片目?」
方士はうんと頷くと、何と自らの左目の中に、左手の指を取り巻くように突っ込んだ。
ゲゲーっと驚く洋一。
方士は、頭の後ろから、右手でゴツンと叩くと、ころりと左目がくじり出たのである。
ウワーッと、あまりのおぞましさに驚く洋一。
血さえも垂れているではないか。
「さてこれは、保管しておいて・・。さあこっちに来なさい」
後ずさりする洋一である。
しかし、いきなり風圧のようなもので引っ張られて、方士の前に転がってしまった。気
功術というのか。
方士は、いきなり風圧をかけたかと思うと、洋一は丸まっていくボールのような印象を
経験しながら、ただあたりを見るだけの目となってしまったのである。
方士の手のひらで、方士を見上げる洋一。
「どうだ、話も聞こえるな?」
頷きようもなかった。
方士は新しい目を左目にスポンという音とともにはめ込むと、ふわりと空中に飛び上が
るや、ものすごい速さで、南に向けて飛んだ。
途中でジャンボジェットに遭遇したが、その上数メートルをニアミスして猛速で飛び去
った。
一瞬、ジャンボのパイロットと副操縦士が、こちらを見て、大声を張りあげていたよう
に見えはしたものの、やがて南海上の島の近くの青い海に向けて落ちていくと、ぽっか
り白イソギンチャクのようなものが口を開けて方士を迎え入れたのであった。

それぞれ の宮殿

さて、方士が至ったのは南海孤島のポナペ島。
傍の海底に至った場所は、竜宮の中にある弁天大使(以後は、弁天と言おう)の邸宅で
あった。
この竜宮と天空の蓬莱島が異次元トンネルで通じているように、ここからまた梵の全系
へと異次元トンネルで通じていた。
いわば、かつての東ドイツ領内のベルリンのような孤地である。
ゆえに戦争ともなれば、最初に急襲されるであろう最前線でもある。
「あなた。いよいよですね。姉様たちは、別の間で心療士により治療を受けておいでで
す。
私もこたびは辛うございました。心がこう萎えては、私もあなたの治療をお受けしたい
ものです」
「ああ、一仕事だったな。疲れたであろう。さっそくだが、私も緊張したゆえ、お相手
をしたい。こっちにおいで」
二人はしばらく顔を見合わせると、微笑み合うや、強く抱き合い、また唇を激しく重ね
あった。
洋一の目は、美姫の接近に打ち震えた。
方士は洋一の存在など、すでに忘れたかのようであった。
美姫の唇と舌が唇を離れ、頬や鼻を舐め回すうち、やがて左目を捉えたその瞬間、
びりびりと電撃が走り洋一は身悶えしたため、黒目が反対側に回りこんでしまった。
片目の不調にも気付かぬ様子の方士。その間、声だけは聞こえていた。
「ああっ、あなた。そこです。そこに欲しかったのです」
「こうかな?」
「ああーっ、そうです。そう・・もっと・・・もっと強く・・ああっ」
洋一は裏返ったままでこんなことを思っている。
<いくら超能力者でも頼りないなあ。でも、いいなあ>
その後も、悩ましい声が聞こえていたが、やがて最高潮の「ああーっ」という声ととも
に、あえぎ声になり、やがて静かになってしばし過ぎた。
「あら、あなた。左目はどうされたの?」
「おお、これはいかん」
後頭部を自分のこぶしで叩くと、再び黒目は戻り、洋一にも視力が戻った。
「どうしたのです?」
「どうもせん。少し油をさしすぎたようだ」
「ほーっほほ。ごじょうだんばかり」
<これで良いのだろうか。しかし弁天さんて、きれいだなあ。ぼくもいちどお相手して
みたいよお>
豊かな寝台の上で今度は夫婦神の座位で向かい合い抱き合うポーズのまま、話をしはじ
めた。
「どうだろう。多少は意識させることに成功したかな?」
「向こうにも言い分があり、自らそれを良しと思う限り、強制力をかけにくいところで
す。内部から改革の動きを呼び起こすしかありませんね」
「それも困難だろう。よけいにあらゆる注意を払うだろうからな。元の動機が動機では。
我らの型を演ずる者に最後の賭けを託すしかあるまい」
「はい。でも、私はまだ見込みをもっております。理想の宇宙をこの悲しみの宇宙に押
しかぶせることによって、置き換えて行くのです。
そのために、ほら。これほどのおびただしい精液を毎夜いただき、私の胎内に、あなた
の協力を得て、宇宙の赤子を身篭ろうしています。
あなたはどう思われて私を愛されたか知りませんが、私は自らの理想を、日夜情報を得
て育み、この中の卵子の遺伝子に託しています。
あなたも同じ思いになってくだされば、きっとみごとな宇宙を孕むことでしょう」
「そうか。それほどまでに・・・。私は、お前が居てくれて本当によかったと思う。
短気にも、天仙軍を殲滅したりすれば、また同じことが繰り返されるのみ。
どれほどか後に、今度は私の横暴が責められることになる。
不純英知に頼るものは、不純英知によって囚われる。
この忌まわしい輪廻に終止符を打たねばならぬ。
そのためには、すべてが丸く大団円に至ることが必要だ。私もやや短気だが、君に協力
しよう。
どれ今度は騎乗位をとりなさい。そうすれば、君に主導権が移るだろう」
「いいですわ」
「この行為も天尊に言わせれば、我々が招いた腐敗の元の種ということになろうか。
だが、あいつは、この行為が天地万物に与えられた生命力賦活の良薬であることを理解
していない。
どんなに心傷つくとも、たちまち癒してしまう良薬にもなれば、世界を動かすほどの力
にもなる。
その驚異にあいつは、むしろ警戒心を抱き、邪まな動機を与えようとしたのだ。
相性の合わぬ同士や、他愛のなさに基づく行為がかえって毒と変ずることを知りつつ、
あえてこれを行わせ、この神聖な行為を堕落したものに貶めたのだ。
生命への理解のないものが世を支配すると、ろくなことにはならない。
はやく終わらせるにしくはないのだが、君になるべく任せることにしよう。
さあ、おいで。こうすることによって、世界が賦活される。引き合い、愛し合い、その
結果、世界が動く」
「ああ、あなたのものが入って、私は支えを得ています。こんなに固い。ここを中心に
私は何度も回りたい気持ちです。
憂いも何もかも、忘れてしまいます。ああ、気持ちいい。出してください。いっぱい」
「よし」
「ああーっ。あなた、いいです。ああー。いくーっ」
「出すぞ。ほら」
またも左目は裏側に回ってしまっていた。
しばしの行為を終えて、梵天大使(以後は、梵天と言おう)は、寝台以外の場所を、一
面の水辺にした。
その水面に、人界の光景が浮かんできた。
「決戦の場は、ここに移された。どうやっていくか、戦略を立てねばな。私はモニター
にする人物をすでに決めている。下生した君の分身の恋相手にときおりなってきた縁あ
る者だ」
「そうでしたか。それなら天尊には丸見えですよ。それで良いのですか?」
「丸見えであればこそ、天尊もこれからの処遇に注意を注ぐことができるのだ。さしず
め、そのようであれば、そなたも相方としての分身をよこすのであろう?お互い窮屈か
もしれんがな」
「そうですよ。浮気されてはかないませんから。でも、いざというときは、助けていた
だかなくてはなりません。今回の私の分身には、世のことを調査し学ばせねばなりませ
んから」
「学ぶほどの世ならば良いのだがな。腐敗した者がごろごろいて、もしやと気が気では
ない。私の分身は、その点、ストレートに判断するはずだ。不器用だから」
「その意味では、この世に関しては私のほうが熟練しておりますわね。いいアイデアが
あります。ここは水入らずでお話しいたしましょう」
洋一の臨在に気付くことなく、弁天はとうとうと話しをした。
梵天ははじめから承知で話しを洋一に聞かせている。
彼女の話では、過去世に下界で二人が携わった邂逅の数々の持つ意味を、ほぼことごと
く今回の計画に取り込もうという。
つまり、その時々の思い出のキーワードが、今回総決算的にすべて登場する中に、二人
がまたも邂逅するというシナリオである。
これは、下生した当人にとっては魂のレベルでしか理解できないであろうが、当人同士
には計り知れない絆を生むことだろう。
その絆が、互いを高め合い、使命を果たすに際し過不足を適度に補正し合うであろう。
一人でやるには妨げ多く挫折しかねないものも、二人でとならやれる。
そのように蓬莱島の二人の本体は見た。
が、梵天には、やや懸念があった。
やわらかな処置を望む弁天の施策によって、事が中途半端にならないか。
たとえ良好な理想が中途半端を介して実るものだとしても、複雑化したり危ういのは好
きではないのだ。
また、敵を欺くにはまず味方から。
実はこのときすでに、弁天には内緒で、梵天はペアーのいっぽうに密命を持たせて下界
に降ろしていたのである。
だから、天尊とのやり取りに譲歩する流れは読み込んでいたとも言えるし、並行して計
画を進めていたとも言えるのだ。
「実はな。今は申すが、すでに私の分身は、下界に派遣済みなのだ。君がよもや協同で
謀ろうと持ちかけてくるとは思わず、自分の計画の中だけでコマを動かしていた」
「どういう計画だったのです?」
「歴史進行をシナリオの顕しによって促進しようというものだ。この方法で、歴史の
遅々とした流れによって、人々の魂の腐敗が致命的にならぬうちに、必然的な歴史成就、
つまりプログラム終了までの課程を短縮しようとしたのだ」
「ではプログラムの秘密のシナリオを暴露しようというのですね。そのようなことで歴
史が促進されるのですか?」
「人界に暴露しても仕方がない。ただでさえ諸説紛紛なのだからな。神界に暴露するの
だ。
もともと私の与えた法則にはなかったものだが、天尊たちが相謀って、プログラムの進
行のために秘教組織を作った。
その存立基盤を呪術的に揺るがすことになるから、時少なしと感じて焦った秘教組織は
歴史を加速しようとする。
いわば下剤を投与するようなやり方となる」
「それでは私のお腹の子はどうなるのです?」
「一世去ろうとするときに、天仙を一掃する戦いがある。その後で心置きなく子供を産
んでもらおうかと思っている」
「あなたは、この世には見るべきものがないとお思いだったのですね。私はそうは思い
ません。
たとえ苦難はあっても、この世の要素と、理想を織り交ぜて顕現できるはずだと思いま
すよ」
「ううむ。確かにそうかもしれない。愛しいお前にはかなわないな。できる限り、そう
なるように努めよう」
「遅れ馳せですが、あなたの分身の相方として、私も分身を下生させましょう。あなた
の分身は男ですか、女ですか?」
「乳母役に適切な者が居なかったため迷いに迷ったが、私と同じ陽性にすることにし
た」
「ではわたしは陰性として下生させましょう。もっぱら行き過ぎを是正する役を負わせ
ます」
「この二人には、人間としての生活をしながら、我々の予定するプログラムを起動する
ためのステイタスとしても動いてもらう。そのために加護と力を与えなくてはならな
い」
「この者たちの希望もそろそろかなえてやらねばなりません。
なにしろ、成否は別として、いままでたくさんの功業に携わり、そのつど出会いと別れ
を幾度も経験しているのですから。
私たちのように、いつもというわけにはいかない分、かなえてやりたいものです。道行
きを守ってやりましょう」
「我が分身は、いささかすねる傾向にある。ときおりてこずらせることもある。
哀れと思わぬわけではないが、そんな悠長なことをしておれるわけではない。
神話も書かせなくてはならん。それによって、改革が決定的になる。詰めを欠くことは
もうできないからな。
地上での働きを終えた後に、最低限、お互い元つ身に還元してやればよいとも思ってお
る。
それはとりもなおさず、我ら二人が望月となっての蜜月となることだ」
「天仙たちが、二人を迫害しにかからないでしょうか」
「それは大丈夫だ。天仙はすぐにこの二人に気づく。その時点で、ないがしろにできな
い存在になるのだ。殺傷事でもするようなことがあらば、今度こそこちらの大義名分が
通る」
「そうならないようにしたいです。でも、任務遂行に妨害はかかりますね」
「うむ。だからあらゆる方法で導かねばならぬ」
「物心両界からの支援も」
「この地球を、いずれ宇宙全体に及ぼすモデルケースとしよう。天仙は世界のシナリオ
を考え運行するが、我々は天仙たちを含む宇宙のシナリオを運行させなくてはならない。
それには隠れた秘儀がいくつか要る。退廃した黄泉の世界を封じるために火の鳥の出現
に合わせていく。
天仙たちに封じられた善神たちの救出と解放が次にこなくてはならぬ。そして元あった
節理の回復。
それから、かくかくしかじか・・・。
こうして、厳格な支配は必要なくなり、あらゆるものに愛と悟性が支配的な新しい時代
に代わっていくことだろう」
「それより先は、不幸のない世界ですね。きっと」
「そうだ。退廃への魅力の消え去った、すべての者がともに愛し合える世界になるだろ
う。
不純英知を多少まじえながらも、程よく矯正がなされる学びの世界が誕生するだろう。
このことは、諸天にも内緒にしておかねばな。彼らに話してよいのは、公開話だけだ」
噂をすれば、何とやら。
そこに小さな巻き雲にそれぞれ乗って、甲冑に身を包んだ神を筆頭に何十人かの諸天が
やってきた。
さっきいた、広目天をはじめとする神々であった。
「いかがでしたか」
「ああ、これは広目天殿。とうとう、天尊殿の講釈にはかないませんでした」
「あれほどの話なら、誰も規模の上では太刀打ちできないでしょうに」
「おかげで、妻はこのとおり、天仙のものにはなっておりませんが、こちらの目論見は
交わされてしまいました。
また、スーの姉妹が天仙の罠にはまっていることを見逃しておりました。
とにかく、外交交渉は失敗。下界に戦いの場を移して、地道に作業を進めねばならなく
なりました」
「天仙の締め付けは強化されるでしょうが、私たちも協力を惜しみません。下界に送ら
れる者とは誰でしょう。また、どのような形態で運用になられます?」
「私たちの型を演ずる者を二人選びました」
「二人。その者とは?」
「我々の分身です。もう我々が直接関わらざるを得ない状況ですから」
「そうですか。役割がうまく果たせるように、みなして守護いたしましょう」
「すでに我が分身は、毘沙門天殿に預けており、妻はこれから送るところです。それを
よろしく願います」
それを聞いて、広目天が眼をよりかっと見開いた。
「聞いた話では、毘沙門天殿は、せっかく一国の領主として善政をさせるべく下生を予
定していた分身を、予定を急遽取りやめてこの任務に就かせることにされたとのこと。
それでは私の面目が保てません。私には弁天様の分身を預からせてください」
「ではさっそく送りますゆえ、よしなに願います」
水面にさざなみがたち、色合いを変えて映ずる中に、青年と少女が映し出された。
それは地上でこれから演じられるであろう数百もの三次元ハイライトシーンであった。
まるでSFXのプロモーションビジョンのように、動いているシーンあり、静止シーン
ありであった。
「我々は、この二人に世情モニターの機能だけでなく、彼らの行動に我々の想いを移情
付託し、この宇宙の成り行きに関わらせることにしました。
この二人は、我々二人の微分解であり、その行方は我々の心の行方をあらわし、世界の
命運を賭ける者として機能することになります。
賭けという方法は、実験系の影の為政者が喜んで使った手段ですが、ならばと、賭け駒
を我々も用意し、このゲームに望むつもりです。
二人の成り行きによって、この宇宙の成り行きを次のように裁定します。
まず、本題の魂の汚染度の測定によって、汚染度が許容限界を越えた時点で、改革に着
手します。
腐敗を招くに加速的な段階では、直ちに宇宙の廃絶手続きに入ります。
また、二人の一生をこの世界の縮図とします。
二人が基本的理想を達成し幸福裏に命終するならば、現宇宙のさらに先を見据えること
にいたします。
二人が基本的理想を達成できないならば、宇宙の非情の構図を汲み、改革に着手します。
二人が出会うも別れ、あるいは結ばれても悲劇をもって裂かれることあらば、宇宙の邪
意とみなし、二人それぞれの評価を勘案し、改革ないし廃絶の手続きに入ります。
以上、基本的な三つのステイタスにおいていずれかに属するものとして対応させ、この
宇宙の進路を決めるものとします」
「彼らの基本的理想とはなんでしょう」
「彼らの間に本来備わる求合の理念の満足と、彼らに付託された役割、機能の完遂です」
「しかし、実験系、とりわけ地球では、人間個々の努力に負うところが大きいわけです。
無努力をして理想実現が満足に行かず、地上界ひいては実験系の責任とされても天尊殿
は迷惑千万と申すのではないでしょうか。
しかも、この世界のソフトにあっては、並たいていの努力では、事はうまく運ばぬよう
に工夫されております」
と、増長天は、いささか怪訝そうである。
それに対して、弁天が釈明する。
「果たしてそうでしょうか。すでに実験系には、恣意的に差別が生まれています。
贔屓筋にはハンディをつけることが公然と行われ、無努力で容易に事を運ぶ者もおれば、
いかに努力しても徒労に終わる者もいるのが現実。
それを功過の法則と称して不公平が行われるなら、無知と記憶の滅失を逆手に取ったあ
まりにも不審な制度です。
真理としては真に伏在する反作用の法則のほうを考慮すべきなのです」
「うーむ。確かに初期的な原因でえこひいきがありますからな」
「私は、地上的価値によって、二人を贔屓してくれと言っているのではありません。
彼らの幸福は、地上の価値とは別のところにあります。
愛と魂の自由、そして協調的創造です。
地上的幸福に関しては、彼らなりに努力をすることでしょう。
その努力もふつうに報われるならば、目に見えた贔屓など必要のないことなのです」
「なるほど。そういうことならば」
持国天は、もう少し納得がいかない。
「しかし、たかだか一個の人間をもって、宇宙全体を引き換えにするという不合理への
そしりはありますぞ」
これには梵天が答える。
「あなた方は、目に見える部分の不合理はあげつろってもよいが、目に見えなければ何
をしても良いという考えに賛同されますか?
下界を動かすのは、ほとんど目に見えぬ不合理です。
私は、たかだか闇の為政者一人をもって宇宙全体が動いている現状を、別の一人を投入
することによって均衡させる試みをしようとしているのです。
つりあいませんでしょうか」
「うーむ。そういうわけならば」
広目天は毘沙門天と張り合おうとしてか、積極的である。
「我々は、あなた様の親衛隊として、二人の支援に回りましょう」
「いいえ。見守るに徹してください。私は彼らをモニターとして投入するのですから、
彼らがどうしても必要として祈るとき以外は、ただ見守ってください。
彼らは強くもなければ弱くもありません。ごく普通の能力を持っています。それが公平
なモニターのあり方ですから」
「分かりました」
すでに密命に加わっていた毘沙門天はここで口を挟んだ。
「私はこの青年の親族に、私の分身を守護者として入れております。計画の進捗に寄与
すべく、存分に働きましょう」
「ありがたいことです」
その他の神々も、どういうサポート体制を取るか、ここで話をした。
洋一は、梵天の左目として、この様子を見聞きしていた。
まれに見る幸運者であった。
天空の蓬莱島は、悠久の時を刻むかのように平安であった。
しかし、いずれ戦いがあれば・・。
とりまく水場にたたずむ諸天たちは、水面に映る下界のありさまを真剣に眺めていた。
だが、慰問に訪れた諸天の中には、当然ながら天仙につくものもいた。
それを承知で梵天は手の内を明かし、間接的に意図を伝えさせようとしたのである。
いっぽう、こちらは元始天尊の宮殿である。
「ソンポウロウ兄弟組には、煮え湯を飲まされた。つまらぬ遊びに興じおって。この実
験宇宙に規制の網がかけられてしまったではないか」
そこに、事成りの玉で梵天とのやり取りの過去を覗き見ていた妻の闇太后が考えをさし
挟んだ。
「まだそうは言えませぬ。聞けば、取り決めは大枠であり、きめの細かいものではあり
ません。なし崩しが効きます。
それに、梵はやはりぼんくら。何を取り決めたかも分かっていないのでは?」
天尊は苦笑いした。
「うむ。確かに詰めの甘い奴だ。が、目をつけられ工作員をいくらも送りこまれている
ことがすでに面白くない」
「こちらも、逆に工作員を遣って攻勢をかけることができましょう。梵の全系に渡り、
こちらへの賛同者を募るのです。
賛同者のほうが多くなれば、やがて梵はなにも言えなくなります」
「うむ。その方面はお前に任せよう。ところで梵天大使の密命者とは何者なのか」
そこに、蓬莱島に行ってきた諸天のひとりが闇太后に耳打ちした。
「なに?ではあの二人がやってこようというわけですね。あの憎き白娘と、その恋人
であった者か。
白娘は、義理の妹西王母の桃園の桃を盗んだお尋ね者です。どうしてやりましょう」
「事は簡単ではないぞ。殺しでもすれば、梵天が黙っていない。
それこそ、それを口実に戦いになるだろう。
野放しにすることはできないが、監視をつけて彼らの行動を見張ることはできる。
そして、事が済めばこの宇宙から、さっさと出ていってもらうしかない」
腹心の太公望は、天尊の狼狽ぶりにニヤニヤしながら、こんなことを言う。
「また性懲りもなく来た場合はどうするのですか?」
「同様だ。その他の工作員には容赦せずともよいが、とにかく、なるべく丁重に扱って
やれ。
生かさず殺さずというのもいいだろう。
とにかく、何かおかしな事をしようとすれば、それと分からぬように妨害せよ。
要は、この世に抗うことが無意味に思えるようにしてしまうことだ。監視の目を強化せ
よ。
彼らの工作の目論見を阻害することはいっこうに構わん」
「ふふふ。分かりました」
「それに客の帰還を保証せよなどと梵天は言っておったな。客の趣向がマッチしただけ
であるのに、あれもこれも考えてやらねばならんのが面白くない」
「あなた。そのようなことをする必要がどこにあります。私にいい知恵があります。根
ぐされにあたりそうなものたちを、逆に我らの完全な協力者にするのです。
この世界の支配者階層に抜擢し、たくさんいい目をさせてやれば、その頭数の増えた分、
こちらに有利な証言となり、外部から横槍を入れられなくなります」
太公望は手を打って頷く。
「名案ですね。根ぐされ一族で砦を築かせるというわけですか。一人でも欠けることを
嫌う梵天にしてみれば、手出しもしにくくなるというわけです」
「その通り。彼らを地獄から引き出して、国王にでもとりたててやればよいのです」
「残虐なソフトに浴した者たちだから、その他のソフトに影響を及ぼさぬようにせねば
なるまい」
「まあ、あなたならそうなさるでしょうが、私なら歯止めはかけませんね」
「これは怖い。そこまで魂あるものに憎悪するか。まあ待て。お前たちにもいずれ魂を
持たせてやろう。そのためには、私が全系を支配せねばならないがな」
「協力いたしますとも。あなた様をお慕いしておりますから」
「こうやって会話しているうちにも、梵天のシークレットネットが働いているやも知れ
ぬ。いいか。
魂を持たぬお前たちならば、梵の系列ではないから、網にもかからないはずだ。
腹心に智謀長けた者を揃えて、どうすれば天下を奪取できるか謀ってくれ。私はそ知ら
ぬ顔をしていよう」
「心得ましたよ、あなた」
「奥様。私も陰ながら協力申し上げます」
「よしなに。そなたの智謀も頼りじゃ」
「二人してうまく謀れい」
純粋英知から外れたところから事態が進行した場合、自然の反作用によって、早ければ
すぐにでも破綻をきたしてしまう。
その問題を天尊はもののみごとに解決した。
いつか破綻するとしても、反作用を貯めて貯めて、ちょうどダムのような魔法のソフト
で貯めておき、いざというとき破綻の程度をすさまじいものにして、延滞したものの一
気解消を図り、その反動で次の時代を呼び覚まそうとする、計算づくめの知略で存続を
得ようとしたのである。
それは実際、ほぼ計算どおりうまくいった。
それも全宇宙を局部に分けて、それぞれの場所で反作用をダムで堰き止めて蓄え、適宜
爆発的に破綻させては復興させるのである。
こうして、地球などでも、アトランティスやムーとして知られる文明、さらには爬虫類
全盛のジュラ紀などが破綻し、更新されていた。
運営するソフト面ではうまく対応できるかに見えた。しかし、人材面はそうは行かない。
元始天尊はクーデターを起こしてこの世界の実権を握ったがために、次は自分がクーデ
ターなどで倒されることを何よりも怖がった。
太公望のようなよほど腹心の天仙の部下なら別として、重く用いる天仙であっても信頼
が置けるものではない。
反動がいつ襲ってきて、部下によって自分が殺されるかもしれず、天尊は太公望のよう
な智謀の長けた腹心を頼りにした。
太公望は、かつて自分を見出してくれた天尊が、孤独な境涯であることを見て取り、彼
のために唯一信頼の置ける存在を作って差しあげようと考えた。
深く魂の根源に関する知識を探り、本性が如意自在の性質であるという認識に至れば、
魂を持たないものにでも、人同様、感情や思考能力を持たせることができる。
これを作れば、大きな節理的反動が起きると考えられたが、それは別の方法、魔法で遅
延させ、一気解消の道がある。
とすれば、天尊の身の回りの世話や警護にあたらせるのに適当であると考えたのだ。
つまり構える借金に質も何もないと考えたのである。
ここで太公望は、魂から魔法の魂を、” 杖”として現出させることに成功した。
この魔法の力は、魂のすることよりは劣るが、眠らされ、力を限定された封神処置後の
魂からすれば力の及ぶものではない。
この仕組みを利用して、並み居る天仙すらも凌ぐ力を付与しようとしたのである。
杖の製造のためには、力を十分に持った曇らされない魂が必要であった。
太公望自身は、後々の著しい反動を考えると、自らやれる話しではない。天尊も同じで
ある。
ところが、あり難いことに、天仙に連れてこられた地仙の妾妻たちが、愛する天仙の夫
のために身を差し出したのである。
初めは何をさせられるかわからなかったに違いない。
だが、手なずけられ、その内実を知ったころには、もう身を引くこともできなくなって
いた。
女仙は丸く桃のように身をかがめ、杖を製造する機械の中に閉じ込められた。
そして求めに応じて、卵を産むごとく、杖を産むようになったのだ。いわば鶏舎の鶏で
あった。
そのストレスを解消するために、ときおり天仙の夫が、桃の尻の間から男根を射し入れ
た。
天尊は、天仙の間に位階を設けていた。
その位階制度に逆らうものは、絶大なる天尊と太公望の超能力により殺され封神される
という規則さえ作られていた。
天尊は、太公望を天尊に次ぐ位階とし、その同列に、杖の如意力から生じた闇太后を据
え、正妻とした。
つまり、闇太后は魔法の杖の権化である。
そして闇太后に、天尊とそのシステムの警護役である杖の子孫の生産を全面的に任せた
のである。
こうして節理を外れた闇の種族が誕生した。
しかし、天尊も太公望も、この件に関しては、諸天にはまったく伝えず、天仙において
も、よほどの腹心の部下を除いてはいっさい知らされていなかった。
そして表向き、天尊は由緒ある姫を娶ったこととして盛大な挙式を催した。
魔法の杖の種族、それはまったく、知らぬものにとってはどこからかやってきて、いつ
しか棲みついた種族であるかのように思われた。
魂の偽者を看破できるほどの者が居ないほどに、すべての者の目は曇らされていたのだ。
正妻の闇太后が同属であるなどとは誰も知らなかったし、天尊もこの秘密を禁忌である
とした。
他者に知れてわざと秘密の漏洩することを避けたのである。
絶大な権力を手に入れた闇太后はじめ杖の眷属ではあったが、魂を持たないという負い
目をいつも背負っており、魂あるものに対し嫉妬と憎悪を向けるようになる。
闇太后と二人になったとき、天尊はこんなことを言っている。
「梵天はやはり何もかも分かっていて、わしらを取り潰す意欲を見せているのだろう。
だが奴のアキレス腱は弁天。弁天が言うことには何も逆らえないでいる。弁天をおだて
て厚遇してやることだ。
我々の仲間に引き入れても良い。ただ、弁天の作った相互扶助ソフトが改竄されている
ことを知られてはならぬ。注意すべきはこの点だ」
「梵天と弁天の結束を乱せばよろしいのでしょう。すでに二人は意見が違っている模様
ではありませんか。
ならば弁天をこちら側に引き入れることもできましょう。
それに比べて私たちの結束は、誰にも邪魔されることはありません。
おまけに私はあなたとの間にたくさんの結束の強い子を作りました。
見てくださいましな。私の眷属のまとまりよく意気盛んで活発なこと。
どこに魂がないなどと言えましょう」
「そうだ。よもやお前が、” 杖”から生まれたミュータント魂魄であろうなどと、誰が
思うだろう。
私はそもそも魂あるものなど、信じていたりせぬ。
とくにあの政変を経た後の禽仙どもはそうだ。
人仙でさえも、わしが何を考えているか怖くて付き従っているだけだ。
わしは孤独だった。
それゆえ、ちょうど梵天が弁天を妻として作ったように、わしもその形態を真似てお前
を作ったまでのこと。
だから、梵天がいかに孤独であったかも、ちょうど鏡を覗き込むように分かるのだ。
だから不公平にも、わしの行動を咎め立てさせたりするものか。そうならそうで、こち
らにも考えがあるというものだ」
「あなた。私はあなたに作っていただきました。そして、他の仙たちを凌ぐくらいにま
でしていただきました。
あなたの加護なくしては、いつ潰え果てるとも知れぬ身。限りなく忠誠を誓います」
闇太后は、生木の載った杖を産む魔法盤に手をかざしながら、天尊の愛撫を受けた。
むろん魔法盤の下には、地仙の妾が腰や背を折り曲げてこの機械のエンジン部品と化し
ていた。
手をかざす魔法盤の上には、煙が上がり、それが自然に引いていくや、盤の上にいぶさ
れた黒い杖が生じていた。
「このたびはまたひときわ赤黒い煙が上がったな」
「復讐のため生け贄を求める心がそうさせました。この杖代は梵の全系すらも破壊する
ほどのものとなります。いわゆるクラッキングツールです」
「こんなものの存在を知ったら、梵天は黙っていまい」
「あなた。そのときはあなたもただでは済みません。私ももちろんのこと。
でも、そのときはこの世界も梵の世界もただでは済まないということです。
ちょうど約束により、ファイアーウォールは取り払われます。
そのときにこのツールを送り込みます。
私や私の眷属が潰え去るなら、同時に梵のシステムも潰え去るのです」
「恐ろしいものを。最後の最後に使うのだな。うーむ。それもいいだろう。わしはわし
の妻や子供たちと共に終えるなら、それでいいのだ」
「あなた。もっと抱いてくださいまし」
「おお、愛しい子よ」
さて、もういちど、こちらは梵天のいる蓬莱島である。
梵の寝所の周りはすべて水であった。
そこにふかぶかとした下界のありさまがつぶさに見えていた。
そのときはまるで、20畳ほどの床が空飛ぶじゅうたんのような感じになった。
そこに集う神々や仙の数が増せば、また場所が広がり、時には巨大な一山を含む島とな
って虚空に浮かぶ蓬莱島となるのである。
だが、このときは梵天と弁天、毘沙門天、広目天の四人であった。むろん梵天の左目は、
洋一の目と共有している。
梵天がパイロットよろしく、ベッドサイドの操縦レバーを前に倒せば、地球がどんどん
近づき、大気に突入してやがて広大な大陸をかすめて、海原を飛び、梵天の密偵がいる
と思われる島にズームインしていった。
洋一にもその形から、そこが日本であるらしいことが分かった。
梵天は左手にある何万カラットもあろうかというダイヤのダイヤルをゆっくりと右に
回した。
すると徐々に下界の様相が灰色がかり、色彩を失っていった。
見えていたものが輪郭を持つ半透明なものとなり、逆に見えなかったものが見えてきた
のである。
暗い周りに蛍のようにきれいではなくぼんやりと明滅を不規則に繰り返す光がいくつ
も存在している。
人と見えていたものも、そのうちの一つであったが、かなり力強く、明滅の時間も長い。
その他のいくつかは、その周りにあって多少の差はあるも、消え入るようであり、明ら
かにさ迷っているようであった。
あるいは、唐突に現れ、ただちに消えてしまう光もあちこちで見られた。
「あれは魂から供給されるエネルギーによって思惟が光っているのです。
このあたりは、過去に大きな戦があったため、思いを残して死んだ者がたくさんいます。
心をここに残しても、自らをここに繋ぎとめることができないために、明滅しているの
です。
むろん、ある歴史の中における人生というソフトを終了した後でこんなところに魂が思
いを留めていてはおかしいのですが、今でもたくさん存在しているでしょう」
毘沙門天はそれに、「まさに仰る通り」と答えた。
戦が過去にあったと思しきあたりに、その明滅する光の密度は高いようであった。
だが、少ない密度であってもけっこうあちこちに光は見えた。
生きている人や生き物の持つ光とは明らかに異なって、弱々しいものであった。
「レジスタンスの地仙、リュウシャクが語るには、地上のソフトにのめり込むあまり、
ソフトの与える運命線と自己同化してしまい、悲惨な結末であればあるほど、そのソフ
トを死という形で終了しても、多大な傷を魂に追ってしまう者が後を絶たないといいま
す。
それは私も知るところであり、かねがね心を痛めていました。見られよ、この地球をと
りまく亜空間の無情な現実を。
ソフト終了後も、中陰の手続きに導かれることなく、ソフトの実演空間をさ迷っている
魂がいかに多いか。
彼らが無影響無害であればまだしも、地上の実演者に応答要求コマンドをかけ、反応が
あれば様々な悪しき精神波動を送りつけて、実演者の判断に悪影響を与えて悲惨な結末
に導き、またもさ迷う仲間を増やすという悪循環を繰り返しています。
他の惑星ではさほどのことはないが、ここは禽仙に組みした者たちが多く流刑に遭って
いるところゆえ、放置に近い。懲らしめの意味が強いのでしょう」
広目天は言う。
「そのようです。彼らには次なるソフトも、導きの機会も与えられることなく、地上に
おける何百何千年の時を無意義に送っている場合もあります。問題なのは、その彼らが
地上の者にまで影響するということです」
「彼らが悟らぬゆえ、彼らの自由意思ゆえと言ってしまえばいかにも聞こえがいいです
が、その実は自己限定に追い込み、根ぐされさせるやり方以外のなにものでもありませ
ん。
真に救いの神が実在しているならば、こんなノイズのたちこめた亜空間的をそのままに
捨てておくはずがない」
毘沙門天は言う。「その通りです」と。
「だから、天尊の主張は欺瞞であることが分かります」
弁天はそれでもまだ見込みを主張する。
「システムの改善点を列挙して、直させることはできると思います。こちらから要求を
出し、それが悪意によって無視されてはじめて、行動を起こされてはいかがですか」
「その場凌ぎの改善を施すだけであろうと思うが。なぜなら彼らに根ざすのは背徳の原
理だから。だが、あなたがそう言うなら、要求してみようではないか」
梵天がダイヤルをやや戻すと、そこはかつて古戦場になったことのある山間の村である
ことが分かった。
おりしも、小雨が降ってきた。
梵天はそこで、一句吟じた。
春雨に兵士の恨み翳みゆけ
また、どれほどか先には、何百もの蛍が山肌に張り付くように弱々しく明滅していた。
小さな石彫りの地蔵が累々と、木々の根方に置かれていて、そのひとつひとつに亡き我
が子への思いが込められていて、その思いが小さな地蔵の中で明滅しているのである。
ここはかつて悪疫が流行した土地。
戦乱と戦費調達という人為的な飢饉に追い討ちをかけるようにして起きた流行り病が
この地にかつてあった。
多くの人々が、特に幼い子供たちが多く死んだのである。
そこにもやはり、この世の無情に恨みや悲しみを残している、古く縮れた母子の霊がい
くつも地縛して漂っていた。
おりしも地藏たちに相対するように、桜の木がまさに花咲こうとする蕾をたくさんつけ
ていた。
それを見て、梵天は二句吟じた。
吾子ゆきて千体地蔵や蕾花
楽土にて母子の宴や花蕾
この花が満開になる頃、迷える母子の霊が浮かばれるように。
それはもうどれほどか先である。




第四章 人界代理雛形戦争

第 一密命者ネアン
異彩を放 つ
第 二密命者は?
秋 晴れの八角堂
火の鳥復 活
狼狽 する天仙
支え 合う二人
意 識を飛ばす 能力
天仙の妨害
地 獄の世 相かそれとも
鶴亀の真義



第四章 人界代理雛形戦争


第一密命 者ネアン

あるところに、徳薄く世俗の芥にまみれたネアンという男がいた。
50才の初老を迎えようとするものの独身で、生真面目ではあったが、思うに任せぬ成
行に、不平をかこつ日々を送っていた。
ネアンには独特の信仰心があり、神々の存在を疑わず、自らの人生をいつも神と対峙す
る関係においていた。
ただ、神を一般人のするように格段の思いを持って崇拝したりするのでなく、一種の取
り引き相手なのである。
それはときおり奇跡的なまでの功を奏するも、残り半分以上は、所作があざ笑われるか
のように、からかいともとれる皮肉な回答に見舞われた。
そのような中に、こんなケースもあった。
ネアンは30才台のころから、人生に対して意義を見出せず、自らの寿命を50才に見
切って生きることにしていた。
そしてこのときも神と取り引きしている。
「50まで生きたなら、必ず召し上げてほしいのです。
世の一般が楽しくおかしく暮らす中に、女を作り、子供を作り、そして人並みに人生を
およそ堪能するということからさえも縁がないならば、5 0才までいやいやながらも生
きてみますから、再 びこのようなからかいに満ちた世界に関わらせないでほしいのです。
これは私の魂がする最終自由意志と思ってほしい。も う人生というものは金輪際願い下
げです」
前話のどこかで聞いたような話である。
そう。蘇民将来の段でこのような懇願があった。
ところが、ネアンはうってかわって忍耐力のない男であった。
少し意地のある者なら、奮起すれば何とかなるというものでもあろうが、繰り返される
何かの祟りかと思える奇妙な成行に、ど うにでもなれという気から起きた注文であった。
かといって、決して貧窮に陥ったり、何かから特別な迫害を受けたりするということは
ない。
危険に遭遇すれば、うまく助けられている。
その意味では、蘇民将来の受けた不幸の比ではなかった。
そうするうち、区切りであるはずの50才の年齢に達する。
すると、おや待て、これでは約束が違うではないか、と思い出したように神に食って掛
かるネアンである。
そんなときも、死後の先、どんな世界が与えられるか分からぬにもかかわらず、選民意
識だけは持っているから始末におえない。
「神よ、生きたくもないのに、まだ生きています。どういうわけですか」
「・・・・」
「からかいと皮肉に満ちた面白くもない人生をまだ続けさせるおつもりですか」
「・・・・」
「お答えにならないなら、取引条件を出しますが、いいですか」
「・・・・」
「私が世間一般の人と同じように、恋人をあてがい、所帯を持たせてください。それが
できないなら、もう絶対に新たな使命も生もお与え下さるな。なんなら、魂ごと抹消し
てくれ。ばかたれ」
このうだつの上がらぬネアンこそ、梵天が密命を与えたという密命者であった。
彼はすでに、天仙配下の宇宙の監視網には引っかかっていた。
というのも、幼い頃の彼のもとにはたびたび地仙であろうと思われる精霊が訪れ、彼の
遊び相手をしては帰っていったからである。
しかし、密命者という認識はなされていなかった。
そのような現象は、他の人々にも起こり得ていたから、天仙自らが調査に乗り出すほど
ではなく、異星人をして彼にコンタクトを取らせて、催眠術下で情報を聞き出す程度で
あった。
その分析結果は、特 異な少年の抱きがちな夢を反映したものではないかとして捉えられ、
それでも予防措置的に、なるべく精霊の訪れることのないよう、受験勉強などを盛んに
させて、余計な閑を与えないような運命を仕組まれていた。
彼は小学校時代、授 業中に先生の話を聞きながら三昧境に遊ぶという芸当をしていたが、
それは目を開けて眠っていたに等しく、何も頭に入らず、成績は良くなかった。
それを彼の親が成績向上がどうしたらできるかを先生に問うたため、先 生が特に彼の授
業態度を注意して見ていて、このことに気付いたのである。
先生は、ある方策を思いついた。彼の目の前で掌を何度もかざして、学級生徒の笑いを
買うように仕向けたのである。
やがて彼は自分のしていることに対して羞恥心が生じ、三 昧境を悪いことと思うように
なり、精霊たちが彼の元に来にくくなったのである。
こうして彼は先生の言葉に耳を傾け、勉学に勤しむようになった。
彼は罠にはまるように、ベ ーター波ストレスによるいびつな精神波動を持つようになり、
いっそう精霊の訪れる下地を失っていった。
ところが、彼がはからずも異界に光彩を放ったがゆえに、リストが調べ上げられ、天仙
の目に止まり、このたび初めて、ネアンが梵天の密命者であるに相違ないと特定された
のであった。
だが、ネアンの様子を見て、天尊はどう思っただろう。
これが密命者? このソフトをクリアする水準には程遠い資質ではないか。
力もないのに、神への不遜さだけは人一倍。そこだけは梵天似というか。
ぶざまな人生で、しかももう人生をやりたくないなどとほざいている。
事成りの玉で見れば、二十年も前には、神を罵り、天に向かって唾を吐いて、自らの顔
にかぶっている。はっはは。
文句たらたら、不平ばかり。良かったら良かったで、神に感謝を奉げたり奉げなかった
り。
感謝を奉げてはいるが、あくびを噛み殺しながらといった具合だわい。今も昔もそう変
わらない。
なるほど、梵天はこの者を、魂をここから離脱させたい者の前例にしたい腹なのかもし
れない。ならばそのようにしてやろうではないか。
だがまて。こいつの希望した「魂を抹消せよ」とは、翻せばこの世界の抹消を意味して
いるのではなかろうか。
梵天の降ろした密命者は、様々なキーワードを隠し持っていると聞く。うかつには動け
ない。
準備として天尊は、ネアンの意向を汲んで、いつでも心臓発作でポックリ死ねるよう、
彼の寝ている隙を狙って宇宙人の工作員を使ってインプラントを施し、彼 の心臓に不正
リズムのタネを植え付けた。
ネアンはこのため心房細動という病となったが、医術は未熟で、医者はさほど相手にし
てくれない。
どこに行っても、やぶ医者と遭遇する運命に導かれた。
これでいつ無理が昂じて死ぬかわからぬ下地ができた。
だが、ネアンのこの世に対する評価があまりにも辛らつであったため、直ちに死なせる
も容易でなく、いつしか50才のハードルを越させてしまったのである。
梵天の計画からすれば、ネアンを憤死させて、この世界を取り潰すきっかけにしたかっ
たのかも知れぬと考えると、天 尊はやすやすと去らせるわけにはいかなかったのである。
1993年、ネアンは小さな観光に出かけた。
淡路島にある寺院のようでそうではない巨大観音の姿のイミテーション寺院に入った
とき、ネアンの目は金塗りの滑らかな丸みを帯びた麗しい弁才天像に釘付けになった。
人と同じ目線に陳列されていたほぼ等身大の七福神像の前に立ったとき、ネ アンはその
中の弁天像の美しさに見ほれ、他 の六神をさしおいて、特 別に線香の一本を供えながら、
つい「こんな不肖な奴ですが、あなたに惚れました。心からあなたのような方と結婚し
たいと思います」と、つぶやいたのである。
畏れ多いことであろう。だが、目線に安置されているという親近感と、彼独特の神への
不遜さが、あつかましくもネアンにそう言わせてしまった。
ところがそのとき、い まのいままで天仙の妨害によってまともにいかなかった梵天の分
身と弁天の分身に邂逅の道が開かれたのである。
密命者が自ら願ったまともな?願いゆえ、天仙すらも妨害できなくなったのである。
時空はそのとき一瞬大きな歪みを見せ、何事もなかったかのように、いつもの流れに落
ちついた。
ネアンの人生には、光明が射し始める。
実は、ネアンより遅れること十数年の後に、弁天の分身を宿すカンナオビとイナンナと
いう女の子が生まれていた。
この地球に生まれるに際し、い かにピンポイントランディングを図ったとしても難しい
中、ネアンから離れること数十キロの位置にいたのだから良しとしなければなるまい。
だが、時の流れは、それぞれの生きる目的に応じて、距離を遠ざけもする。
あまたある人の中からたとえ強い磁力で引き合ったとしても困難な逢う瀬となる。
しかも、全能を誇る天仙の警戒の中にあれば、まず困難な話であった。
それが当たり前のように、二人はすれ違いを繰り返していたし、後に降ろされた弁天の
分身は、その時点から早くも天仙にマークされてしまい、何度も危機に晒されたのであ
る。
しかし、二人に道は開かれつつあった。
これを見た天尊は苦々しく、手下に次の指示を出す。
「なに?梵天の導きがあった形跡はないというのだな。ネ アンの潜在意識には弁天の印
象が刻まれていると考えられるゆえ、弁 天像を祭る社寺にだけは行かせぬよう妨害して
いたのではなかったのか。
ううむ。イミテーション寺院などといった道があろうとは。
偶然こうしたことも起きるのか。ならば事故というしかないが、もしかすると、梵天が
シークレットネットを使ったのかも知れぬ。出会わせてしまうことは、我々にとって大
いに不利である」
そこに太公望が考えを差し挟む。
「こうなれば弁天の密命者によって、梵天の密命者を懐柔させる方法をとりましょう。
奴にとってこの世をばら色に思わせて、この世に対する評価を高めるのです。
評価が程よくなった時点で、も との願いを容れて二人とも始末してしまえばよろしかろ
うと存じます」
「うむ。それもいいな」
闇太后は不愉快げな眼差しを天尊に注ぐ。
「あなた。それは違いますよ。出会うかどうかすらギャンブルの対象なのですよ。出会
わせる必要がどこにあります。
私の調べでは、二人の世界線の未来を計算しますと、梵天の密命者と弁天の密命者の出
会うのは1.5地球年の後です。
出会わせてしまう前に、心をばら色とやらにしてしまい、さっさとネアンのほうを始末
してしまえばよろしいでしょう。要は、評価さえ高めておけば、どう始末しようと勝手
です。私は何を鈍臭いことをしているのやらと思えて、不愉快でなりませんよ」
「わかった。その辺はお前に任せよう」
「方法はおって考えておきます」
「とにかく、生殺与奪のカードはこちらにありますから、優位は依然変わるものではあ
りません」
「うむ。みな心してやってくれ」

異彩を放つ

ネアンが生まれたのは、海辺であった。
海の向こうには、白砂青松の砂洲があった。
遠い彼方ではあったが、お盆などの花火の折には、打ち上げられる場所としての憧憬が
子供心に与えた。
だが、そこが砂洲であると知る前に、ネアンは親とともに、反対側の海辺の町へと移っ
ていった。
物心がつくのは、誰しもみな同じころなのかもしれないが、ネアンが覚えているのは、
6才以降のことでしかない。
利発さは微塵もなく、いつもぼんやりとした子供であったから、子供仲間のうちではい
つもいじめられる側であったが、外ではよく遊ぶ外向性を見せていた。
しかし、11才になり、腹部の不調で手術をすることがあり、出血による貧血で意識が
体から離れるようなことがあった。
このときを境に、いきおい内向的となり、外で友と遊ぶことがなくなり、周囲を奇妙が
らせた。
外向性にかわって審美感覚が鋭くなり、老長けた物の考え方をしだしたのである。
この頃、なおもぼんやりとして物思いにふけることが増えていた。
心が異次元に吸い上げられているという感じであった。
かわって日本人感覚といわれた陰影のおりなす幽玄の美を理解し、光 の色彩の醸すわず
かな揺らぎの中に、この世のものならぬ美を見出した。
漆塗りの着物掛けに描かれた濃鼠緑の空間に飛翔する丹頂鶴に、限 りなく自己同化した。
また、音楽を聴けば、その旋律に潜む音の精髄を聴き分け、それの含まれない軽率な流
行歌や演歌を軽蔑した。
それを歌う歌手を嫌い、白拍子だと酷評した。
学校では授業に向かう態度はおとなしくも、多くの時間、ぼんやりを通り越して教師の
話を聞きながら目を開けて三昧の法悦境に浸っていた。
いったい三昧境の中でどんな夢を見ていたのか。
「おいでよ。ここだ」
白昼夢に現れるのはきまって同じ年頃の美しい少年だった。
「また良いとこにつれていったげる」
ネアンは、「うん」と頷いて付いて行き、共に異界のきれいな風景の中ですごした。
その男の子とは、梵天であった。
梵天は、ネアンに宇宙とそのあらましを教育していたのである。
これからの将来にいつか必要となる知識であった。
当のネアンはそんなことを知る由もなく、めくるめく異界を見分した。
ネアンがある日の三昧境にあったとき、梵天である少年は森の中で姿をくらました。
置いてきぼりにされたネアンが、道に迷って出た先が川のほとりだった。
ひとり川で泳いでいた人がいた。が、あの少年ではなく、美しい少女であった。
ネアンはいつしかほとりまで来ていた。
すると少女が上がってきて言う。
「来てくれるの、待ってたよ」
ネアンに全裸のまま近付くと、ネアンの唇にちょんとキスした。
ネアンは不思議な気持ちにとらわれた。
どこかで知っている気がしたのである。
少女は、少し怒り顔をしてこんなことを言う。
「あなたはいつも先に下界に行ってしまう。しかも、今度は女の子として生まれる予定
と言っていたのに、また男になっちゃって。今度は私が男になるつもりだったんだよ。
同じ年頃に生まれてあなたをすぐにお嫁さんにするつもりだったのに」
「どうしてこうなったのか分かんないよ。気がついたら男だった。なんなら、ここで君
の恋人になっても良いよ」
「嬉しいけど、ここでいつまでも遊べるとは思っていないよ。
それよりも、早く君に下界で逢いたい。何か大きな予定変更があって、私は待機中にな
ってしまって、いつ下界に降りられるかわからなくなったんだ。それより、いいこと教
えてあげようね。
こないだ、私は君に”白蛇伝”という映画を見せるように導いた。実は、あの映画は、
私たちの話なんだよ。
白蛇の精”白娘”が私で、あなたは”許仙”だったんだよ。あなたはこのときも早く生
まれてしまった。
どういう事情でそうなったかは、後で知って仕方なく納得したけど、私はあなたに会い
たくて会いたくて、死に物狂いで生まれる算段をしたんだよ。でも、せっかく出会って
も、あなたには何度もがっかりさせられた」
そう言うと、少女は、あの映画に出てきた白娘のみやびな姿に変化した。
そして、ネアンの体をさすると、ネアンは許仙の姿になっていた。
「そうしてまで会いたかったのよ。許仙」
そう言われると、ネアンに在りし日がふつふつと思い出された。
それは白蛇伝の映画を見た記憶だったのだろうか。
初めて会ったあの日。潮騒の音の向こうに、湖があった。
彼は湖を望む屋根のある望観台に佇み、笛を吹いていた。すると、にわか雨が降ってき
た。
と、どこに隠れていたのか、明るい服を着た娘が、屋根の下に入ってきた。服をぬらし
た雨を払っている。
許仙が雨宿りを勧めると、娘は、なまめかしく愛らしく、彼を見やって、笛の音を誉め
る。
そしてお互い自己紹介しあうと、許仙は自宅での逗留を勧め、娘は妻子の居ないことを
知ると了承したのである。
許仙の家で、濡れた上着を取り去り薄物だけをまとった白娘は、携えた桃の実を半分に
切り、許仙に食べさせると、もう半分を自らの口に含み、そのまま許仙と抱き合い、接
吻しながら桃汁を互いの口の中でやり取りしたのであった。
そのとき、少女の変化した白娘が、ネアンの変化した許仙に、あの時と同じスタイルで
抱き付いた。
お互いが昔日に戻って、恋の始まりを味わい直した感があった。
さて、十分に耽溺の世界を堪能した二人は、その姿のままで幻想的な世界を旅して回っ
た。
そこで、霊界全体を震わすようなオーケストラも聴いたし、自然界のどこにもないよう
な風景を堪能したりもした。
しかし、この三昧境は、潜在意識が感得した経験であり、ネアンが目を覚ますと同時に
甘い余韻を残して消えていった。
むろん、顕在意識が記憶しているはずもなく、ときおりその消息をつきとめようとはし
たが、すべて当てが外れた。
顕在意識とは異なる次元の出来事であったため、記 憶の受け渡しができなかったのであ
る。
学校では三昧境にふける生徒を目にした教師が快く思うはずがない。
教師は、ついに行動をあらわにした。
考えに考えて、羞恥心を植え付けようとの魂胆であった。
彼の顔の前で掌を振るものだから、クラスの者はみな笑う。
教師のしている行為よりもむしろ周りの騒音に、三 昧境から覚めるということを幾度か
繰り返すうち、やがて羞恥心が芽生え、三昧境の癖から離脱するようになった。
三昧という傾向それ自体からすれば、インドのような好適な環境にあれば、立派な正覚
者となり得たかもしれない。
しかし当時は、この教師のしたことを、ネアンの親も、何も知らぬ顕在意識下のネアン
もありがたがったわけであった。
ネアンの成績は上昇していったが、ネアンにとっては寂しいばかりになっていった。
この世とは、どこぞの世界とは違い、必要な精髄あるいは英知というものは、多くの無
駄や粗悪の中に埋設されている。
心の琴線を震わせる感動は、あるいは喜びは、長い苦しみの間にほんの少しやってくる
のである。
音楽でも、精髄は一部含まれていればまだしも良い曲となり、人が好む曲となり、ベス
トセラーにもなるのであって、少しも含まれなければ、一過性かあるいは人気のない三
文曲としかならない。
だが、そ うだとしても、す べての旋律を精髄に代えてしまうことは、ま たかえって逆に、
この世にあっては味気なさとしか映らず相応しいことではないのである。
それはもともとこの世が、精髄(純粋英知)を受けつけるたぐいの世界ではないことを
意味していた。
ただ、魂あるものが、本源をふと垣間見るよすがとして精髄は存在しているのである。
だがこれすらも、天仙にしてみれば面白くない現象であった。
睨まれた音楽の分野も、しだいにアップテンポで肉感に満ちたものとなり、精髄の入り
こむ下地を閉ざしていった。こうして、人間の心に邪悪と退廃が支配的となっていった
のである。
ネアンは、長ずるに従い、純粋状態から外れていった。
高校に入ってからは、周囲との軋轢に悩み、自殺をも企てた。
三昧状態は時折きざしたが、心を癒すほどのものにはならなかった。
仕事に入ってからは、嘘をつき、卑怯も覚え、勇なき行為をいくらも繰り返した。
こうして子供は堕天使となっていくのである。
ところが、ネアンは神仙に対する興味だけは持っており、神話などにも不遜な解釈をし
ゃあしゃあとやってのけた。
仕事の合間に涌き出てくる豊かなインスピレーションは、隠 し置いた傍らのメモ帳をた
ちまちいっぱいにした。
それは何かに憑依されたときの自動書記のようなものではなく、興 味する対象への素朴
な疑問へのどこからともなくやってくる解答であった。
独りでに知識情報の塊がドンと訪れることがままあった。
たとえば、自ら疑問を持ったことを虚空に問いかける。
するとどんなに難しいと思われた解答も、理 路整然と降って湧くように脳裏を掠めたの
である。
精霊はやってこなくなったが、啓発的テレパシーはいつでも望むときにやってきた。
といっても、もともと問い掛ける事柄が奇想天外なものゆえ、実用に供する解答ではな
かったが。
神話の意味付けから世の真理、宇宙論に至るまで、彼にとっては現実問題よりも、ある
いは何億の大金よりも格段に大事な事柄であった。
それらは、幼少の頃に、梵天によって授けられた知識であり、潜在意識に入っていたも
のだった。
独身で暮らす文化の寝床も、こ うしたメモ書きの散乱する海に浮かぶ島のようであった。
彼にしてみれば、さ ながら他の誰も知りえずにいる宝の海に寝転がっているようなもの
である。
金やその他のこの世的価値は何一つなくとも、心の中は満足し切っていた。
こんな風であったから、新しい所帯を持つ気配もなく、仕事場からも怠慢を睨まれるよ
うになり、リタイアを余儀なくされていくのである。
だが、これも持ち前の価値観の違いから、致命的な心理的落ち込みに繋がらず、宇宙論
や神話解釈に関するアウトプットを出して、人生の半生における一応の成果とした。
人生の価値を仕事や社会的地位に求めることを放棄して、ど んな学者も目もくれないで
あろう見込みのない研究に没頭するようになった。研究成果こそ、我が子であると自ら
に言い聞かせながら。
そして最後の日に、ある阿呆が一つの命を閉じたと思えば上出来。
こんな人生もあって良いではないかと、心で呟いた。
こうして彼は、想いの中でおよそ一般人の持つ人生の価値感を棄捨していた。
世に溢れるさまざまな射幸心をあおるソフトは、つまらない限りであった。
これだけ生きれば十分と思うほど、人生にそれ以上の意義を見出せないでいた。
当然、生きるに前向きではなく、うだつの上がらぬただ老いていくだけの男となってい
た。
そんな彼も、ようよう40才になるころ、神話解釈から踏み込んだ更なる発見をしてし
まう。
一般受けしない破天荒なものであったが、日 本の歴史のルーツを知る手がかりとなる証
拠を、神話級規模で存在することを発見したのである。
その着想からして、普通人の考えつくことではなかった。
梵天のシークレットネットからもたらされたものかと、天 尊がいぶかった情報でもあっ
た。
そのときに神話と天仙の仕掛けた暗号が符合し、そ のアウトプットが光彩を放ったため、
はじめて天仙の監視網にかかったのである。
ここに梵天の密命者がいた、と仙界は大騒ぎになった。
当のネアンは、このとき少なくとも大発見したと思った。
そして、彼自身の中で、使命感と共に自分の人生もまんざら無意味ではなかったという
実感が沸いたのであった。
それを取り纏めて本にするときが来た。彼にとってみれば、今度は人生の8割がたを生
きたことの証し。
我が子がまた一つ生まれようとしている瞬間であった。
ネアンは、かねてから自らの寿命を50才と見限り、やがてその年になるころのアウト
プットであった。
<出すべきものはみな出したことになる。為 すべきことはこれで終わったかも知れない。
もう自分の終わりがいつきても、それで役目が終わったと考えよう>
ただし今度の場合、彼が真実の書と信じるゆえに、そこに書かれる内容からして決して
良いとはいえぬ現象を誘起することとなった。
<隠されたこの世の秘密が明るみに出るとき、秘 教を支えそれに頼った体制は終幕を迎
える>
まさにその前ぶれ的な事件が起きてしまった。
本作りの最終工程に入った段階で、巨 大地震が彼の自宅や出版物の版元を巻き込んで起
きたのである。
幸い版は被災を免れて出版はなされたが、書 物による顕しの効果を如実に目の当たりに
した彼は、怖くなり、市販流通を自粛することを出版社に申し入れた。
ところが出版社は、彼の話に耳を貸すことなく、手 違いがあったことにして全部を全国
流通させてしまった。
彼は抗議し、返 本をすべて回収することとしたが、全 体の6割5分が売り切られていた。
残りの3割5分はお蔵入りし、霊感を付与した神への奉げものとなった。
だが、蓋を開けてみれば、” 秘密”を抱えそれに頼った国の経済力は、あい前後して起
きたバブル崩壊によって一気に6割5分を減退させてしまい、彼 は出版が惹起すること
の恐怖を再確認するのである。
不思議といえば、この本の制作段階の初期にある頃、ネアンは奇妙な人物と知り合って
いた。
それは短髪の坊主頭が似合うキタロウというUFO撮影家であった。
撮影成果の数には目を見張るものがあったにもかかわらず、こ の人物の存在はほとんど
世間には知られていなかった。
彼は、チャネラーでもあり、主として宇宙連盟加盟星の指導者級の人々と想念コンタク
トを取っていた。
そして、地球上の人々宛てのアドバイスメッセージをよこしたのである。
ネアンには、これらの星々の人たちからの生の情報を、同行のたびに伝えてくれるよう
になっていた。
そうするうち、この人物はネアンにとっての親友となった。
キタロウが誘ってUFO撮影に行った二回目のこと。
ネアンのカメラに見事に龍神の舞いと思しきUFOが2、3 分に渡って記録されたので
ある。
UFOへの親密感が増すとともに、キタロウを本物であると確信した瞬間であった。
キタロウは、宇宙連盟のUFOであると説明したが、ネアンには土地になじんだ龍神か
その類いの霊的な生き物のように思えた。
平行して本の制作に関わっていたネアンは、宇 宙人もしくは龍神さえもこの本に何らか
の期待を持っていると思ったのである。
先の巨大地震が起きたのは、ネ アンのカメラに龍神が写った日からちょうど100カ日
目のことであった。
彼は、自分の関わる二つの事象が震災に関わったと、まじめに思った。
ネアンは、驚 異的な経験を、根 っからの不思議好きとあいまって、公 開しようと考えた。
おりしも世間は電脳社会を迎えていた。誰 でもが電波に乗せて情報発信のできる時代と
なっていた。
彼は自分の経験を元にした不思議ストーリーや、生 来持っている自然観を元にしたスト
ーリーを書いて、ホームページに乗せた。
この方面の同好の士とも、面会せずとも電脳的に付き合うようになった。
ネアンはキタロウが本来もっと公に認められるべきと思い、ま たキタロウ自身の希望も
あって、彼を宣伝するクラブ作りに尽力するが、不 思議なことに新たなメンバーは一向
に現れなかった。(キタロウは後にUFOを呼べる 男としてデビューした)
いや、遠 路訪ねてくる者はいたが、あ の集客力豊かなはずの宣伝からの訪問者でもなく、
やはりシークレットな関わりを持つ人物に限定されており、常 に行動をともにできるメ
ンバーにはならなかった。
このため、ネ アンはキタロウが自分だけに当てがわれた何者かではないかと感じはじめ
た。
キタロウも逆にそう思うようになっていた。
ネアンにかつてインプラントした勢力が、天仙の指示を受けて、ネアンのその後の足取
りを追っていたのかも知れなかった。
いっぽうネアンは空想に走り、電波に乗せるべき不思議ストーリーの書き手として、
つの創作物語を書く。内容は宇宙人との長い会見に関する夢を見たというもの

キタロウはチャネリングを行い、交信先の宇宙人の情報をネアンに伝えたが、ネアンが
そのような宇宙人と会見してみたいと言ったところで、か なえてもらえることがなかっ
たから、自ら創作したまでであった。
その中で彼は主人公となり、かなわぬ恋を成就させて満足した。
なんと、他の惑星の爬虫類の女との恋なのだ。
これが図らずも後ほどシンクロすることとなる。
そんなとき、淡路島のイミテーション寺院にたまたま行き、弁才天像に出会ったのだった。
ネアンの最後の怒りが、守護者に届いたのであろうか。梵天は彼の分身が真に求めない限り
放っておこうと考えていたのだろうか。そうすることによって、天仙の世界の無情が知
れるわけだから。
だが、ネアンがした心の雄叫びは、梵天を通して弁天の耳にも届き、いよいよ弁天も身
体を張って自らの分身と逢わせるべきことを梵天に主張したのである。こ れを受け梵天
は、シークレットネットを使い、ネアンに思いつきを与え、イミテーション寺院に赴か
せたのだ。
すると、ネアンに不思議な縁が舞いこむようになった。
彼が50歳になるまさに直前の日、ホームページの同好の士の中に、ネアンにとってはじめ
て好感を持つ女性が現れたのだ。
カンナオビという文学に志す家庭の主婦であった。家 庭を壊すわけにはいかないことを
お互いの了解事項として、電 脳を背景とした電波に乗せての恋のやり取りが開始され熱
烈なものとなった。
お互いが、はじめての恋愛という喜びの感情の起伏によって満たされ癒され、明日の活
力を得た。
カンナオビは向上心を沸きあがらせ、社 交界にうって出ようと心身に磨きをかけるよう
になった。それを心から喜ぶネアン。
付き合って約一年経ったが、依然二人の仲は良好であった。とはいえ不思議なことに電
脳的やり取りに終始し、いちども対面せずにいたのである。
会ってしまえば、おそらく火花が散るほどの恋愛となろう。それは女性にとって、家庭
への裏切りとなる。正直な女性ゆえ、もしかすると一方向的に、破綻へと突き進むかも
しれない。
ネアンにもそれはよく分かっていたし、逢 ってしまえばかえってがっかりするやも知れ
ぬと、本当に会おうという意志がどちらとも不統一なままに推移していた。カンナオビ
もそういう思いであった。
そんなときである。
ネアンの元に、電脳的手段によって別の女性から問い合わせが入る。
今度は文学ではなく、ネアンが関心を持つ不思議系からの切り込みであった。その女性
は、今までの自らに起きた不思議な出来事の数々について綴ってきた。
中でも重要なものとして、幼少期に現存する八角堂の夢を繰り返し見、夢の中で出会っ
た青年を大人になった今の今まで探し続けていることや、長 じて後に十日以上に渡る臨
死体験をしたことがあるほか、数 多くの不思議な夢を見たことのある経験の持ち主であ
った。
ネアンも不思議な出来事には興味があり、自ら研究者でもあると自認していたから、そ
の逐一に自分なりの見解をしたためて返してやる。す ると今まで誰にも相談できたため
しのないことゆえ、彼女の相談も堰を切ったように行われるようになった。
ネアンはこうして、電 脳的手段によって彼女の精神的なカウンセリングをするようにな
った。
彼女自身、なぜ自分はここにいて、どこに行こうとしているのか、数々の夢見や不思議
体験による謎解きのためのカードはあるも、解答が得られずにいるのだと話した。
協力して謎解きに挑戦し、解答を用意してやろうとするネアンに、彼女も信頼を寄せる
ようになる。また、いま置かれている苦悩の日々について綴ってくるようになった。彼
女の身に起こる不思議な事象と、今 の彼女の苦悩に満ちた家庭生活が決して不可分では
ないありさまがネアンには見て取れた。
彼女の名は、イナンナ。三人の子を持つ家庭の主婦であり、お互いの深入りはさし憚ら
れた。
だが、あるとき、ついに核心に触れる要請がイナンナから出される。
「あの八角堂に、い っしょに来てくれませんか? もしかすると八角堂の青年はあなた
かもしれません。それに、もし間違いであっても、もうあきらめがつきます。夢は夢。
単なる幻でしかなかったことになるでしょう」
諦めがつくとは、彼女がこの人生に解答を見出せず、これからの苦悩の生活に身を委ね
ていく覚悟を表していた。
「分かりました。もし違っていても、がっかりしないでくださいよ」
イナンナから様々な悩み相談を受けていること、その日逢う約束をしたことを、ネアン
はカンナオビに告げる。
カンナオビは、今 までいちども会わなかったことをそのときほど後悔したことはなかっ
た。
「その人と会うことを約束したんですね。じゃあ、もしかしたら・・」
「そんなことになるわけないだろ」
「もしその人がきれいな人だったら、あなたは手が早いから、信じられない」
「ばかな。初対面で、恋愛話もしたことのないのに。それにえてして女性から言い出し
てきたことというのは、キャンセルになることが多いと思うよ」
「そうね。いちおう信用します。それからもしキャンセルになったのなら、どうかその
日、代わりに私を誘ってください」
「えっ。君が? いいのかい?」
「はい」
しかし、その日、イナンナが約束をキャンセルすることはなかった。
一つのテーマを持たされた舞台で関わらねばならない配役というものは、こ うした形で
どこかに潜み、や がて磁石がともに引き合うように舞台の真ん中に揃い踏みしてくるの
である。
そのテーマを付与する者とは?
天仙の宮殿と蓬莱島に分かれて両者がこの有様を観戦していた。
「太公望殿。かつて白娘と許仙の恋仲の深まるのを快く思わぬ青龍なればこそ、ここで
みごと割って入ってくれるものと期待したのです。蓋を開けてみれば、何と簡単に引き
下がること。私の見込みが違っていたとは不覚。それもこれも、イナンナを早いうちに
廃人にしてしまえなかったからです」
「奥様。嘆きあそばしますな。これからも幾様にも優位ある展開が可能です。青竜はも
ともと白娘に味方した女です。かつての性分が出てしまったのでしょう。だが、まだま
だ法海がおります。この者は妖怪とみれば徹底して戦い、呪力大です」
「ああ、最初に何というおかしなルールを設定したものでしょう。過去世のキャラクタ
ーと無関係なものを投入できるものなら、極悪非道の女をネアンにあてがえたものを。
悔しい」
「大丈夫です。次はお任せください」
だが、蓬莱島の見解はいささか違っていた。カンナオビとイナンナの二人について、中
国仙界のアウトロー的配役、白 蛇と青蛇という過去世譚以外に、こ の恋愛劇の舞台裏で、
どのような経過があったかも見ていた。
梵天の密命者は一種の工作員のようなものである。キャラクターが出会い、そのとき相
互作用のうちに伝えるべき密命は、予め自分の中に刻み込んでいくものである。ちょう
どそれは舞台のシナリオを何度も練習して覚える俳優のようなものである。候 補者は何
人かに絞られて、その中から抜擢されて下向する。
当初、カンナオビだけが差し向けられる予定であった。だが、そのキャラクターを演じ
るべきカンナオビの魂が下向した直後に、白 蛇であった者が周りの反対を押し切って無
理やり下向してしまったのである。
とんだスケジュールミスのような失態から今回の代理合戦は始まったかに見えた。だ が、
梵天と弁天が邪神たちの目をくらますために謀った別のシナリオがあったのだ。

第二密命者 は?

先のカンナオビがこの世に登場したのは、ネアンより12年遅れ、後のイナンナがこの
世に登場したのはネアンより16年遅れてであった。二 人の密命を帯びたシナリオを広
目天が守護することとなった。
天仙邪神に悟られぬように定められた時が来るまでにネアンの極近に努力したカンナ
オビとイナンナであった。
彼女らがネアンの存在を知るには、社 会がネット時代という広域的な一億情報発信の自
由が約束されるようになってからであった。ネ アンが気にも留めず張っていたホームペ
ージというネット上のアンテナに、まずカンナオビがかかり、次にイナンナがかかるよ
うな格好になった。
そのとき、すでにネアンは中年の域に達していた。彼女ら二人も、すでに人並みの結婚
を、幸不幸は別として、果たしていた。が、どちらもがネアンから距離にして40Km
圏に居住していた。カ ンナオビはごく普通の女性であり、不 思議な世界とは無縁でいた。
だが、イナンナは数奇な運命を持って生まれていた。
イナンナは人一倍信仰の篤い家庭の一人娘として、ロ ーカル色の強い町中に生まれたの
であったが、厳しい躾の中で育てられた。そうした厳格な抑圧からのトラウマであろう
か、イナンナの生涯は、夢見と切り離すことのできないものとなった。
とりわけ奇妙なのは、幼少期から同じ不思議な夢を何度も見たことである。
それは決まって向こうに大きな島が臨まれる内海に面したところに突き出すように設
けられた、八角堂に関わる夢であった。
海沿いの道を、何者かに追われながらとぼとぼと逃げている。何か大事な袋を肩にかけ
ていて、袋の破れ目から中のものが光を放っている。それを誰かに届けなくてはならな
いという思いを持って早足で歩いているが、何 者かに追われている気分も伴なっている。
そして決まって辿り着くのが八角堂であった。
ところが、八角堂はどの窓も閉ざされ、入り口の扉には鍵がかけられており、中に入れ
ずに途方に暮れている最中に目が覚めるという具合であった。
このころからイナンナは、夢 を自分である程度コントロールできる夢見というすべを身
につけていた。だが、この夢ばかりはその先をどうすることもできなかった。それゆえ
イナンナの心に印象深く刻まれる出来事となった。
ところが、あるときの夢で、ついに追っ手の何者かが正体を顕し、おどろおどろしい化
け物の様相を呈した。逃げ惑うイナンナに向かって「お前は偽物だ」と何度も呼びすが
った。イナンナは怖くて走って逃げながらも、はじめて「私は本物よ」と言い返した。
すると魔物は掻き消えるようにして消え、追っ手の印象も消滅した。
やがて八角堂が見えてくると、その扉がはじめて開いているのを目撃した。
彼女はこれで逃れられると、一目散に扉の中に逃げ込んだ。ところが、今度は逆に中に
閉じ込められてしまうのである。何 者かによって周りに誰がいるかも分からぬほどの暗
い部屋に連れ込まれ、椅子に縛りつけられ、不愉快な拷問を受けている最中に目が覚め
るようになった。
日を置いて何度かその夢を見る。その他のときは、ごく普通の夢か、自らの意志で造形
のできる夢見であるのだが、や はり八角堂の夢のときだけコントロールが効かなくなる
のである。
当時から不思議な少女と周りの人には思われていたが、謹厳な両親は、周囲におかしな
話のもれることを嫌い、厳しく叱りつけたので、お のずとこのような夢を口にすること
はなくなった。
そのような夢見を繰り返していた10才のとき、夢 のストーリーに新たな展開があった。
八角堂の中のある場所にたたずんでいるとき、不思議な青年と出会ったのである。イナ
ンナは青年に抱き締められるや、八角堂の閉ざされていた窓が開き、そこから二人して
外界に飛翔して出るという夢であった。そして、不思議な八角堂の夢は、以来、見るこ
とはなくなった。まるで、あの悪夢全体から解放されたように。
この鮮烈な夢の印象に、イ ナンナはこの人物こそ自分をいつの日か自由にしてくれる王
子様ではないかと考えるようになった。少女ならば夢見がちな、夢ロマンというものだ
ったかもしれない。だが、違っていたのは、大人になるにつれ、思慕の念が募ったこと
である。なぜなら、夢の中に出てきた八角堂は、紛れもなく実在したからであった。
これは彼女がもとより夢見のできる力を持っていた証拠である。た まの学業の休みのと
きに、遠いながらもそこに立ち寄るイナンナ。そのころ、八角堂は当初の夢で見たとお
り、閉ざされていた。なすすべもなく、そこから臨まれる海にたたずんだ日々をいくつ
も重ねた。
八角堂が実在したのだから、またも思うのは、必ずやこの人物はどこかにいるだろうと
いうことである。
私をあのとき助けてくれた人。きっと私の生涯にとって重要な人に違いない。可能な限
り探してみよう。こうした思考回路が彼女に生まれても仕方なかった。
買い物の雑踏の中や通学の途中の乗り合いの乗り物の中を見まわし、あ の人物の姿を追
った。しかし、それらしい人物に出会うことはなかった。
ただ、彼の思い出を、多の同年代の少女たちがしていたように、スターのうちで最も風
貌の似ている人物の熱烈なファンになることで留めようとした。そ のスターは決して男
前とは言えなかったし、またひどく人気があるわけでもなかったが、仲間の「変わった
人が好きやねえ」と いう冗談めいたそしりを受けながらもファンであることを堅持した。
だが、少女も大人の仲間入りをする頃、他の少女たちがしているように男に興味し、成
行のまま男に抱かれたのであった。
関係した男には期待が沸くものである。似てはいなかったが、もしかしたらこの男があ
の人物かもしれないと考え、イ ナンナは男を伴なって八角堂のあの場所で夢と同じ光景
をシミュレーションした。
この頃からイナンナは、夢(=神話の象徴)が現実に起きることに対して投射している
と考えていたのである。それはまるで、アメリカインディアン的発想であったのだが、
彼女はひとりでにそう思っていたことに前世的な素質が見出せる。加えて、いろいろな
本を読み漁るうち、自らの霊媒体質の原因を含め、そんな変わったことを思う自分を推
理して、過去世には巫女ではなかったかと思ったりもしていた。
だが、イナンナはその後、まるで冒したことが禁じ手であったかのように、解放される
どころか不自由の枷に囚われるようになった。
このとき選んだ思慮の足りない行為を、然るべき人に処女を奉げなかった罪ととり、身
に受ける苦痛とともに長く悔やむこととなるのである。まさに、逃げ込んだはずの八角
堂に今度は囚われるという段階が、現実世界に投射しているかのようであった。
イナンナの身に異変が起こった。
仕事に就いてからしばらくして、生 真面目さが仇となって体力の減耗をきたしたことに
よる臨死体験であった。このときばかりは、昏睡状態を含んで10日以上を病床に伏し
た。それはもう、この世の思考の枠を遥かにはみ出した壮絶な体験であった。
臨死体験といえば、こ の世に再び意識を取り戻すことが決まってはじめて語られること
である。そのような例はたくさんあるが、決まってストーリーは長いものではない。
ところが、イナンナの場合は何日も昏睡の夢の中にあり、そのボリュームは他の例の比
ではなかった。
臨死体験とは、当人にとってみればその内実は、神 や世界やあらゆる認識の対象を相手
にした、生と死を分け隔てる戦いなのである。しかも、意識あるは自分ひとりであり、
見も知らぬ環境に突然放り出された孤独な存在である。こ とにイナンナは夢見ができた
ため、つまり夢の内容を鮮明に記憶することができる素地を持っていたため、とりわけ
それはおどろおどろしく鮮明で驚嘆に満ちた記憶となって残った。
しかし、その内容は、原色の体験とはいえ、実に嫌悪すべき拷問の様相を呈していた。
ちょうど幼少の頃の夢見の、八 角堂の密室での陰湿な拷問の課程がこの臨死体験に対応
したかもしれない。
何人とも共有できるはずのない個人の意識の中でのみ起きる不思議がここにあった。
しかも、どんな臨死体験者よりも、深い先を見てきていたのである。
イナンナが臨死の世界に放り出されたとき、中 陰の世界で二つの手続きが進行していた
ことを知る由もなかった。
元来、イナンナの魂は弁天の分霊を宿していたため、臨死体験の中で、上は神々の領域
から下は地獄の最下層までを瞥見する手続きを踏まされた。だが、はじめて遭遇する見
たこともない畏怖すべき出来事の数々に、霊 の失禁とも言うべき二次的な分霊が行われ
ていたのである。このとき生じた分霊は、イナンナの目下の意識とはかけ離れたところ
で意識的行動を取っていた。
<私はもうすぐ死ぬ。でも使命としてあの人に会わねばならない。会って、言付けしな
ければならない。私の会うべき人はどこ?>
想いは純粋いちずなものとなって、霊的次元の高みに上り、八角堂の君を的確に探しあ
てたのである。だが、想いを結びつけるには、同じ次元においてのみ可能となる。
イナンナの分霊は、頃合いを見計らい、つい今しがたこの世に猫として生まれ落ちたも
のに宿った。
雌の子猫であったが、満足に歩けるようになるや、庇護していた母猫の元を離れ、自ら
の感をたよりに都会の雑踏に滑り出た。会うべきものに出会うために、せかれるように
して。
そして子猫は赤い糸に引かれるようにして、赤 信号で停車中のネアンの運転する車の下
に潜り込んだのである。
この一部始終をネアンはサイドミラーで見ていた。
どのミラーを見ても、抜け出た様子はない。バックミラーに写る様子もない。むろん前
方にも現れない。寒い冬の日であったから、猫がよくやるように、暖かい車の下に入り
こんでいることは想像できた。
そのとき、側道の歩行者が、「下に猫がいるよ」と声をかけてきた。やはりか、と思う
ネアン。
幸い後ろに車は居らず、ならばと外に出て下を覗き込むと、良くないことに、子猫は左
後輪にへばりついていた。
「おいおい、こんなところにいたら轢かれるぞ」
そう言いながら、手を差し伸べて子猫をつかみ、横の植え込みに放す。
そして歩み去ろうとすると、子猫は植え込みから出てきて、またも車の下に入った。
とうとう別の車が後ろに来る。彼は、ハザードを出し、車の下に問題があることをゼス
チャーして謝りを入れ、救出に向かう。子猫は、またも左後輪にへばりついていた。
手を差し伸べ、つかみ出し、植え込みに置く。するとまた、ちょこまかと車の下に走り
こむ。
こんなことを何度も繰り返せば、ネ アンも何かの因縁であろうかと思わないではいられ
ない。
ネアンは、母を失った子猫だろうかと思い、このままにはできないと、畜生の飼育を禁
ずる家ではあったが、連れて帰ることにした。
その前にミルクを買い与え、仕事が終わるまで、車 の中にミルクの容れ物とともに置い
ておくことにしたが、
戻ってみると、車の中は無残にも、猫の糞便とすさまじい臭いで満ちていた。
子猫は困り顔の彼が車から家の中に連れ帰るまでの掌の中で、安住の感情を、のどを鳴
らして表した。
ちょうどそのとき、当 のイナンナの魂はめまぐるしく激しい中陰の手続きの試練を受け
ていたのであった。
ところが、傍らに導師の存在が感じられるようになり、その声に導かれるようになって
いた。
眼前におぞましい光景が展開し、悪 鬼のような審判者がイナンナに矢継ぎ早に質問を浴
びせるとき、傍らの導師から、「このように応えよ」と、次々と解答が与えられたので
ある。
こうして、心が安堵するまでにはなかなか至らぬまでも、千問にもわたる質問を次々と
パスしていった。
実は、分身の子猫が見つけるべき相手を探し出したことにより、神話空間に一つのルー
トが開かれたのである。
ネアンに宿った梵天の分霊が、イナンナの危急に気付き、今まさに生死を賭けた戦いに
臨むイナンナに身を呈して共に試練に臨み、アドバイスを送り続けていたのである。
イナンナは、これが八角堂の君であると心の片隅で想った。ついに審判者は、アドバイ
スを与える者にまでいくつもの試験を与える。そ れを次々とクリアーするイナンナとネ
アンの本体。
「どうしてそこまでかばいだてする? 愛か? ならばこうすればどうだ。も うこれ以
上、この者を愛することはできまい」
審判者は泥で、イナンナの体の穴という穴をみな塞いでしまった。だが、ネアンの分霊
は、自らを気体に変えてイナンナの体を包み込み、毛穴という毛穴から出入りして見せ
た。
これを見て、審判者は目を丸くして、「なんたること」と唸ると、苦々しい顔をして去
っていった。
カンナオビやイナンナが遠隔地にいても、ネアンが電話一つで意識の体を飛ばし、彼女
らの全身を包み込みリアルに愛せたのは、この技術であった。
イナンナは、このときの臨死体験を克明に記憶した。むろん、千問にも及ぶ質問とその
解答の中身についてはほとんど忘れたが、そのとき抱いた心の試練だけは覚えていた。
そして中陰の手続きから逃れ出る際、「仕方ない。あと30年の命を授ける・・」とい
う言葉の投げかけを最後に記憶し、病院のベッドで目覚めた。意識を失ってから、14
日後のことであった。
さて、そんな臨死経験を経てきたイナンナに、彼女の両親は早く結婚させたほうが精神
が安定してよかろうと、見合いをさせた。またイナンナも、夢で見た八角堂の人は、あ
の世の人であり、こ の世の人ではないと諦めてしまい、周 りの友人が次々と結婚する中、
苦労の少ない家庭生活への憧れもあり、そ んなとき飛びこんできた見合話に乗ってしま
った。
気乗りしなかったが、どうしてももらいたいという要請に同情して結婚をしてしまい、
残酷な状況に束縛されることになってしまうのである。
その国の結婚制度とは、一種の商取引であり、結婚の契約書面が交わされたならば、そ
れが終生個人を束縛することになっていた。いわば、人身売買の発想がルーツのシステ
ムであったのである。そんなこととは、人生における経験不足のイナンナにはとうてい
理解できていなかった。
結婚生活の甘ったるいまやかしの噂が巷に垂れ流され、一 種の蟻地獄を形成していたか
らである。
比較的易行道を歩んできた両親にも、よ もや家庭に入った者が破綻をきたすことがあり
うるなどという考えはなかった。
だが、アダルトチルドレン症候の夫は、次々と生まれてくる子供の育児に関心がなく、
ただ自己満足のために日々を費やした。気に入らなければ暴力を奮い、家に入れた生活
費は高価な被服費と遊興費に費したために、彼 女の両親が生活費を穴埋めするという悪
循環に陥った。
夫の実家は、妻のやりくりのなさをなじることはしても、一家に対して世話をやこうと
は一切しないという冷酷かつ打算的、日和見主義的な家庭であった。
そして、夫たるや仕事だけはまじめにするから始末におえない。つまり離婚したくとも
正当な理由が表にでてこないのである。
昼頃に出社し、夜遅く帰る日々。彼女は子供ら三人のスケジュールと、それよりも優先
させねばならない夫のスケジュールに挟まれて、慢性的な睡眠障害を起こしていた。
極めつけは、子供が寝静まってからも音響映像機器を大ボリュームでかけ続けた夫が、
いよいよ寝る前に最後の性的奉仕をイナンナに求めたことだった。
彼女は無理やり起こされ、睡眠を妨げられ、事が済んだ後夫は寝るが、子供たちがさみ
だれ式に小用に起きるので付き添わねばならず、眠る時間がないという状況にあった。
それは苛酷な断眠の刑に等しかった。
こうして、彼女は慢性的な体調不良にさいなまれ、しばしば憑霊現象を呈して周囲を驚
かせていたが、真相は睡眠障害による精神衰弱症状であった。
両親もイナンナの根からの霊媒体質によるものと思いこみ、仕 方ないものと思うにかま
けていたという悲惨な状況がそこにあった。
夫の実家は、欠陥妻を差し出されたことをなじりつづけた。すると夫も、イナンナの欠
陥を言い出すようになる。そこに彼女の家の宗教観が、さらにありもしない贖罪の構図
を作り上げる。
イナンナも、私がすべて悪い。あのとき八角堂に行った人物を取り違えたことが罪の原
因だったと、本末転倒するほど疲労困憊していた。
それらすべて、あの八角堂の夢の神話が現実に投影したのかもしれない。
彼女は、自らの一生を、幼い頃の夢の神話を通してひととおり学んでいたのだろうか。
ちょうどノストラダムスが象徴詩にしたためたように。
このとき、事 はそんなに悠長なものではなかった。精 神障害が現れるのも間近であった。
中でも精神分裂症などは、肉体は生きたままで魂が去る状態を意味する。それこそ死と
は悟られぬ死であり、取り返しのつかない事態になるところである。
この裏には闇大后などがいて、広目天を別の繁忙状態にして守護のない状態に置き、手
下の諸天を使い、イナンナを生きながらの死という状態にし、弁天らに文句を言わせる
ことなく、この世への評価も満足にできぬ状態に置こうとしたのかも知れない。
危機一髪のところ、ネアンは精神面のカウンセリング機能を果たすこととなった。
電脳的手段によるしかなかったが、イ ナンナはそのやり取りのうちにネアンの心の広さ
に包まれるようになり、急速に精神状態を回復した。これより先、イナンナに別の諸天
からの守護が加わるようになった。
「私は、過去に、不思議な夢を何度も見ることがありました。
それは速吸の海に面したところに突き出すように設けられた、八 角堂に関わる夢なので
す。
私は、幼い頃から、海辺を逃げていく夢を見ました。
何か大事な袋を肩にかけているのですが、袋 の破れ目から中のものが光を放っています。
それが何かはわからないのですが、誰か必要な人に渡すために、追っ手から逃げるよう
にして早足で歩いているのです。
そして、決まってたどり着くのが八角堂なのです。
はじめの夢の何度かは、八角堂の入り口の扉にもどの窓にも鍵がかけられており、中に
は入れませんでした。そして夢が覚めるのです。
しかし、あるとき扉が開いており、そこから入ると、今度は中に閉じ込められてしまっ
たのです。
暗い部屋で、拷問を受けていたようです。子供の頃のことですから、何をされていたか
その時は知る由もなかったのですが、今から思えば、大人の辱めに類したことであった
ように思います。
このようなことを申しましたら、あなたは興醒めされるでしょうか」
イナンナは、ネアンの気色をうかがうように、謙虚だった。
ネアンは、いちおう気遣った。
「いやいや、そ んなことはありません。夢 の話は、有 名な心理学者も申しているとおり、
心の底にある難しいもの、あるいは願望とかも・・あ、いや、失礼」
「いやですわ。私はそんなことを言いたいのではありません。誤解されるようなら、私
も困ります」
「あ、なにもそんな。その程度で何が分かるというものでもありません。ご心配なく」
「ではその続きの話をいたしましょう。
私が10才になった時の夢で、この続きにまったく新しい展開があったのです。
私は八角堂の中をくまなく探険し、ど この窓もしっかりと閉じられていたことをその時
覚えておりました。
その二階に佇んでいたときです。三 階のほうから階段を降りてくる人物があったのです。
それは青年で、私 のところにつかつかとやってくると、い きなり私を抱き締めたのです」
ああ、やはりかと、ネアン。パソコンの画面を見ながら、複雑な顔をしてしまう。
「そして、『長い間待たせたね』と言ったのです。
その後、私は窓が開くのを見ました。
そして、その人と共に、ふんわり空を跳びながら窓の外へ、燦燦と輝く陽光のもとに出
ることができたのです。
眼下には、大きな橋が向こうの島までかけられた紺碧の海がありました。
その場所は、とある公園にある八角堂というところであることが分かっています。
建物の名も知らない頃から、夢に見続けてきたのです。
現在では大橋がかけられています。
八角堂の扉が開くまでに見た夢の中には大橋はなく、い つもどんよりとした曇り空が印
象的でした。
大橋がかかり、いまようやく時が来たのかもしれないと思っていたやさき、あなたのホ
ームページを見たのです。
それでもしかすると、夢の青年は、あなたではないかと思いまして・・」
「私が?」
「憶えてはおられませんか? 八角堂のこと。小学校四年生当時の私のこと。
今から25年前、あなたが25、6才ということなら、 私が見た青年に近い風貌をし
ておられたと思います」
ネアン、思案すれども、記憶にない。問題の八角堂には行ったことすらない。
海沿いの道を行く際、変わった建物だなあとしげしげ見ることはあっても、興味したこ
とはなかった。
「うーむ。分からんです。が、閉ざされた記憶があっても、夢に見るまでは分からんと
いうこともありますから。私も、宇宙人との会見は本当にあったことで、夢で記憶を紐
解いたものと思っております。機が熟さなければ、思い出すことも難しいのかもしれま
せん」
「もしかすると、記憶が戻るかもしれません。
一緒に行ってくださいませんか。
私は今の人生、まさに八角堂に閉じ込められていたときのように、絶望の中に閉じ込め
られています。
もし間違っていても、それはそれで諦めがつきます。
間違っていなければ、扉が開くと思います。
私はそれに賭けようと思います。
どうか、お願いです。助けてください」
イナンナは、画面を隔てて泣いていた。
イナンナにしてみれば、まだ会ったことのないネアン。
夢に出てきた人と照合する鍵は、イナンナ自身の記憶にある。
まずそれが一致すれば、可能性は高い。
次は、ネアンが何らかの記憶を持っていて、思い出すかどうかなのだ。
その次は、イナンナが信念として持っていることが正しいかどうか。
つまり、この人物によって、真に自らの境遇が打開できるかどうかなのである。
「分かりました。会ってがっかりされるかも分かりませんが、一緒に参りましょう」

秋晴れの八 角堂

二人ははじめて、待ち合わせて、A駅前で出会った。
イナンナが長い髪を普通に伸ばした、目が丸くも切れ長が特徴的な美女であったため、
ネアンは驚いた。背丈も自分と同じくらいで、女性にしては高いほうである。
またイナンナは、ネアンの風貌に夢の人物像を重ね合わせて、似ていることに胸を弾ま
せた。
その日は秋晴れ、雲が少し浮かんでいる程度の行楽日和だった。
現地近くで食事をしてから、八角堂に向かうこととなった。
公園を望むホテルの高みにあるレストランから、こ れから訪問する場所を確認する二人
であった。
「あれですね。大橋の橋脚に比べて、なんと小さいこと。駐車場があのへんにあるよう
なので、車を移動します。そこから少し歩けば、すぐでしょう。ああ、海はマリンブル
ー。ところどころエメラルドグリーンですねえ」
「いいお天気で良かったです」
「もう一度聞きますが、本当に私でいいのですか?」
「面影がそっくりなんです。たぶん間違いありません」
ネアンは光栄なような気がしないでもない。
食事を終え、車を公園の駐車場に移動した。
「平日だからでしょう、がら空きですね」
見たままにしか言えないネアンである。
二人は工事中の塀が幾つも立ちはだかる中、ようやく八角堂への歩道を見つけて、入っ
ていった。


邸内の庭に入ると、イナンナはいきなり手を繋ごうとした。
どうしたことかと驚き、イナンナを見るネアンである。
「ここに入るときは、こうしていたいのです。懐かしいから」
「分かりました」
中で入場券を買い、案内板で指示されたコースを辿る。
他に誰一人として、入場者はいない。
しつらえられたように、二人だけの空間であった。
八角堂に入ると、開かれた窓から涼やかな風が注ぎこんでいた。
「ここの空気は清々しいです」
外気は暑いくらいであったが、中は日陰であり湿度が少なく、快適であった。
八角の内面のそれぞれに、力強い墨で書かれた額が掛けられていた。
天井中央にある彫刻は、赤と金の正八角形の木枠の中に、「龍」であった。
「この場所なんです。何度も夢に見たのは。
この場所、この光景もよく覚えています。
その時、窓は開いていませんでした。
それから、こ の建物のどこか暗いところに監禁されていたこともしばらくあったのです
よ。
隣の建物なんでしょうか」
「それでも思い出の場所というのですね?」
「ええ。辛かったですが。
ただ、窓が開いたあの時だけを思い焦がれてきたのです。
あのとき、私は助けられたのです。
いま、あの時の青年はここにこうして、本当にいたことがわかりました。
この現実が、過去の夢の再現なら、あなたとこうしていることにより、解放が実現され
ると思います」
「あなたは、二階にいて、私に似た青年に出会ったのでしたね。どれ参りましょう。う
まく行くかどうかは分かりませんが」
二階も、一階とほぼ同じ造りで、ただ八面に掛けられた額のそれぞれと天井の彫刻が異
なっていた。
天井の彫刻は、「鳳」であった。


女はその時、ネアンのすぐそばに寄り添ってきた。
そして右腕を抱えるようにして、ネアンの肩に頭を寄りかからせた。
ピンク色のツーピースが、ネアンの気持ちを揺るがせた。
「君。よければキスしましょうか」
するとイナンナは、急に身を縮め、いやという素振りをした。
「しかし・・」
「だめなんです。そんなことをすると、すぐに別れてしまうような気がするから」
「そうですか」
「今はただ、手をつないでいてください」
「じゃあ、そうしましょう」
ネアンは、恋人がよくするように、片手の掌同士を合わせて、「さあ、行こうか」と言
った。
「いいえ。もうしばらくここで、こうしていさせて」
「いいですとも」
ネアンはふと思った。
25年前の夢の自分は、三階から下りてきたという。
「三階はどうなっているんでしょうね」
ところが、三階に至る階段は、立ち入り禁止となっており、真っ暗であった。
三階の窓はすべて閉じられているのだろう。明かりの漏れもない。なるほど、これなら
ば、昼間でも真っ暗闇になる。イナンナが夢で見たものとはいえ、窓が閉められればま
ったくの監禁状態だ。
謎めいていることは確かだった。だが、なぜ三階だけが閉ざされているのか?
「少し上がってみましょう」
二人は、中段まで上がってみた。
ネアンには、三階の同型の部屋のわずかな光から、額の一部が見え、ほぼ全階同じデザ
インであろうと推測できた。二階に戻り、もう一度、この場所だったという所で、手を
握り合った。
「これで夢の内容を再現できたのでしょうか」
「きっとできました。私は本当に嬉しいです。
三階は、私たちの夢がかなった時に公開されるような気がします」
ネアンは、まだ半信半疑ながらも、開かぬ窓を開けるのは自分かも知れぬという奇妙な
英雄意識をもった。
夢と現実が、交錯する場所のような気がした。
南面する窓辺から、内 海を眺めながら、お 互いのことをしばらく語り合う二人であった。
「実は私は、実体が人間ではないと思うのです。
昔、人間として生きた誰かに助けられた思いがあり、その方を追って人間界にやってき
た感じがするのです」
「それが、まさか、ぼくだと?」
「きっとそうなんです」
「うーむ。そう言えばあなたは・・・乙姫さんに似ているなあ」
突然、ネアンは思いついたように口にした。
「えっ? 乙姫? どうして?」
「うーん。なんとなく、目元といい、君の顔立ちといい。
お伽話の乙姫様はこんな感じだなあと、昔から想像していたのです」
「実は私は、亀なんです。昔から、そう思っていました。顔も亀に似ているでしょ。ふ
ふっ」
「ぼくは浦島太郎で、君を助けた。それで龍宮城に連れて行かれ、いいもてなしを受け
た。
君は亀というけど、乙姫さんが変身したんじゃないんですか?」
「前世にそんなことがあったのかな。また同じことを今生で繰り返しているのかな。
あなたが、また助けてくださるのかしら」
「さあ、どうなんだろう」
ネアンはまた思う。
「天上人の宴」という題の物語を作り、 宇宙人との会見の中で、イグアナ族の彼女が出
来たなどとまことしやかに書いてきたのであった。そうして、夢とも現実ともつかぬ神
秘性を自分に吹き込んできた。
しかし、なぜそのときの彼女が爬虫類なんだ?
今日を予言したようなシンクロではないか。
だから、イナンナが自分は亀だと表現したときに、おやっ!?と思ったのである。
イナンナは、帰る道すがら、再度、10年前に臨死体験をしたこと。それが自分にとっ
ての最も鮮烈で重大な体験であったことを語った。その中で自分の素性と、今生にここ
に生まれて来た理由の一端を知ることになったことなどをである。
それを聞いてネアンは、イナンナのことを、何らかの神の生まれ変わりではないかと思
った。この人の過去世は、決して人間ではない。いや、人間としての輪廻はあったかも
しれないが、主体は神であったと。
「君の実体はもしかしたら、乙姫様の本体の竜神様じゃないのかな?」
「竜神? そうなのかなあ」
そして、その日はお互いの印象を胸に、再会を約して分かれたのであった。
ネアンは、久しぶりに複雑な思いを持った。
夢は単純に夢物語として語るだけで良かった。
現実世界に向き合うために、ほ ら吹きネアンとでも命名すれば、当 り障りも少なくなる。
しかし、ここにある現実は、新しい不思議世界へのいざないのようであった。
夢でしかないと思っていた宇宙人以上に、現実感と臨在感が目の前にあった。
かつてあった謎解きを楽しむ心が再燃せざるをえないネアンであった。
ネアンは八角堂の状況を謎解きしてみた。
夢で彼女の居た二階というのは、一階の天井彫刻が龍であることから推測して、「龍の
間」というべきである。
すると、おりてきた青年が定住していた三階は、二階の天井彫刻からすれば、「鳳の間」
ということになる。
彼女が龍なら、自分は鳳ということにならないか。
「諸葛孔明は伏竜なり。○○○○は鳳雛なり」と言われたほどに、聡明高徳の軍師であ
らばこそ、そのような神獣に譬えられても相応しい時代があった。
愚かな人生を生きている自分が、霊鳥の鳳に対応する? そんな馬鹿な。
同様に、隷属の人生を送る彼女が龍とすれば・・・いや、釣り合わないわけでもないか
な。
ふと、以前どこかで聞いた話がある。俳優の見●晴は、神が修行するために生まれてき
ているため、下積み人生で過ごし、ギャンブル運に見放されるという運命だという、あ
る霊能者の話である。
うーん。そうならば、ないこともないかなどと思っているどこまでも愚かなネアンであ
った。
またこんな謎解きのカードもあった。
鳳といわないまでも、ネアンは昔、祖母が高名な占い師に占ってもらったときに、自分
のことを「一番良い松に留まる鶴」だと指摘されていたことを思い出した。
占い師がよくありがちな、性 格を以って動物のタイプに分けてする形容であろうと思っ
ていたのであったが、
このときばかりはストレートに意味が通じてくるように思えた。
彼女が亀で、自分が鶴。鶴亀の譬えはとても縁起がいい。
瑞兆を表すこの形容が、これからずっと続いてくれたら良いわけだ。
言葉の意味に謎があるとされるわらべ歌の「鶴と亀がすべった」というフレーズも思い
起こした。
「すべる」とは、すべってひっくり返るというようなことではなく、「渾る」、つまり一
つになるということである。(統べる、統一する)
もしかするとあのとき手を握り合った行為は、「渾る」行 為だったとは考えられないか?
その歌の解釈として、その頃無名のデビューをした著者の書いた「弥●●臨」という本
には、鶴と亀が渾った行為の結果として、火の鳥が復活すると書かれていた。
しかもその著者は、ネ アンがかつ て出版した本に掲載した最も重 要な発見図形を引用
ていたのだ。
それを彼の友人が見つけ、こ れは無断引用だろうから抗議したほうがいいと教えてくれ
たために、書店からわざわざ取り寄せた本でもあった。
ネアンの発見図形は、このわらべ歌の解釈を施す合間に載せてあった。
まるで、この童謡とその解釈が、ネアンにとって大きな意味を持つぞという意味に響か
ざるを得なかった。
問題は、「鶴と亀が渾った」結果、どうなるかである。
「弥●●臨」には、後ろの正面に出てくるのが、火の鳥であると書いてあった。
イナンナが夢で経験していたことは、八角堂の扉が開き、二人して表の世界に飛び出す
ということだった。
何か象徴的に同じことを指しているように思えて、背 筋をぞっとさせるネアンであった。
「弥●●臨」の作者は、他著を再び出版することはなかった。
こうした思い付き話も、その時点でイナンナに教えるようにした。
そのようなシンクロに満ちた話を糧にするようにして、イナンナは精神力を回復し、体
調を戻していった。

火の鳥復活

そんな時、歴然とした大事件が起きた。
××××年10月6日午後1時30分、鳥取の日野を震源とする大地震が起きた。
その激震にもかかわらず、死者が一人も出ないという奇跡的に特異なものであった。
その日は、ちょうどあの会見の日から丸9日目であり、時刻もちょうどその頃にあの二
階で、意図して手を繋ぐ行為が行なわれていた時刻であった。
時間数に直すと、216時間。これとても、2+1+6=9となる。
またこの大地震の日が、陰暦の九月九日(ひのととりの日)であるという情報が、イナ
ンナの友達Mからもたらされた。
鳥取の日野町(とりとりのひの)、ひのととりの日、いずれも火の鳥の関わりを明示し
ている。
単なる語呂合わせではない。強烈などこかからの啓示を思わせた。
とおりゃんせのわらべ歌にすら、真剣な解釈者は、封じ込められた意図を見ようとする
ほどだったから、鶴と亀がすべったの場合は、いく様にも解釈できる類の生半可な話で
はない。
九という数も、イナンナが信奉する大本教系の宗教観からすると、九つの神が関わる数
として、重要視されるものであった。
しかも、ネ アンが出版したときに起きた何千人もの死者を出した大震災と比べて負けな
いほどの規模の大地震にもかかわらず、死 者が出なかったことはあまりにも不思議であ
った。
何かの守護摂理のもとで、とてつもない象徴的出来事が起きたという気がした。
半信半疑だったネアンもこれらの謎解きのリンケージには驚いた。
実際、一人一つの人生において、これほどまで不思議に関わる者もいまい。
UFOの次は、神 の世界に関与する自分を感じて、背 筋をぞっとさせるネアンであった。
そうするうち、イナンナの身辺に急な変化があった。
あれほどイナンナを苛酷な睡眠障害に追い込んでいたはずの夫が、逆 に不眠症にかかり、
自らの実家に帰るという事態となったのだ。
原因は、イナンナが側に居ると悪夢を見てならないというのである。
「おまえのおかしな物の考え方がなくならないと、家には帰れない」とまで言いはじめ
たのである。
明らかに、気が萎えていた頃から比べてイナンナは、霊的な精神活動を回復し活発化し
ていたのであった。
このお蔭で、イナンナは深夜の異常な義務を果たさずともよくなり、安眠を味わえるよ
うになった。
このことが体調回復になおさら役立っていることは明らかであった。
そして、やがて間もなしに、夫の側から、離婚したいと言い出してきた。
「俺を取るか、そのつまらぬ物の考え方を取るか、どちらかに決めろ」とすごんだ上だ
った。
イナンナは、後者を取ると言い切った。
三番目の子供を産んだのが、夫と夫の両親に不都合だと言われ、かつて何度か離婚話も
夫側から出たことであったが、別れに対して先行きの自信がなく、気が萎えていたゆえ
に気持ちが定まらず、決めかねずにいた了承を、今 回はきっぱりとしてのけたのであっ
た。
あまりにも早い展開であった。
離婚の手続きも、その後、短期間のうちに行なわれた。
イナンナは、子供3人すべてを引きとるという不利な条件を飲まされたが、誤って冒し
た結婚という恐ろしい契約を解除するのに、不 利も体裁も構っておれなかったのである。
かえって、家の中に浪費家がいなくなったことにより、暮らしぶりも良くなった。
その国の結婚制度というものは、あまりにも不合理なものであった。
結婚というペーパー契約は、一生涯に渡って、主として女という弱者の側を傷めつける
ものになることが多かった。
結婚するに相応しくない者は、男女どちらにもあり得るが、仮面の中に隠されていて、
初めは読めないものである。そして、望みもしない状況を余儀なくされて後で後悔する
ことが多い。
そんなときに、も っと寛大な離婚の道が用意されていて然るべきであろうのに、天 ( 仙)
の意向をかざす者たちによって法が運営されていたから始末におえない。
人権意識のない自己中心的な大人の格好だけしたアダルトチルドレンが野放しになっ
ているお粗末な状況がその国にはあった。
解放された自由に、イナンナは思いを羽ばたかせた。
八角堂での会見が、夢の窓を開かせるもとになったと信じることができたのである。
信仰深いイナンナは、ここまでの経過にも、神々の加護と恩寵を見て取った。
それは彼女の傾倒する様々な神話の中に生きることでもあった。
イナンナはその国に昔から伝わる神話でもあるお伽草子の中の浦島太郎や梵天国よう
な話を、自らの宿命を書いたものと考えていた。
助けられた亀とは自分であると。
また、鬼のはくもん王にさらわれた梵天の娘が自分であると。
それもこれも、自由のない境遇に置かれるに至った不遇を嘆いてのゆえだった。
いつか、浦島が現れ、いじめられていた亀を助けてくれる。
いつかかつて愛し合った玉若が助けに現れる。
そして、最後は、蓬莱島で、鶴亀となって永遠にすごすというあの世物語り。
また、天 橋立を挟んで、知 恵の文殊と成合観音となって終生祭られるという垂迹物語り。
どちらも、ネ アンの生まれ故郷の丹後が舞台の話であったことも不思議な一致であった。
これほどのシンクロ。そして現象の展開。いつの日か、イナンナは、お伽草子のこれら
の物語の大団円までを演じ切ってくださいとまで、ネアンに言うようになっていた。

「御伽草子に『梵天国』という話があります。
右大臣が、清水の観音に願って、玉若という若君を授かるのですが、
笛の名手で、その徳により梵天王の娘をめとり、彼女の助けで、
天皇の難題を果たします。しかし梵天国の王宮で、羅刹国の王を助けた為に、
最愛の妻を鬼に奪われてしまうんです。玉若は羅刹国を訪れ、妻と連れ立ち、
ようやく故郷へ逃げ帰ります。その故郷というのは、丹後の宮津!
つまり天橋立にある、九世戸の文殊が玉若、成合の観音がその妻だというのです。
この話はわたしももう少し詳しく読みこもうと思っています。
もし恩師のいうことが本当なら、御伽草子は邪神、つまりあの一つ目に、
経綸を読みきられないように、暗号化したものです。
実はわたしは、この話をものすごく小さい時から好きで、
玉若をあなたにたとえて、何度も何度も今思うと、読んでいたのです。
自分にいまさらながら驚いています。
また山人の伝承に、山鳥に化けた山の神が、乙姫と契りを結び、
姫の懐妊を知った竜王は怒って乙姫を追放、
乙姫は山の岸に流れつき、二人は再会するという話があるのです。
今でも猟師が、山鳥の捕れるのを願って、乙姫の家来のオコゼの干物を、
まじないとして隠し持ち、山鳥を誘い出す風習のある地方があるそうです。
わたしたちがあるパスワードを入力したのだとすれば、
きっとそんなパスワードは他にもいくつかあって、
他の方がその役目をそれぞれ果たしてしておられる気がします。
わたしたちの預かったのは、その一つのカゴメのパスワードだったのかも、
カゴメの謎はいろいろ言い尽くされていたけど、
まさかこんな手段だとは、敵どころか、味方も欺けるほど、わざと普通人に生まれたん
です。
それがばれない一番確実な方法だもの。
しかも何度もの転生の間に、必要な知識と技術、夢見の力などは、
身につけさせられていたようです。
しかも照合できる手持ちのカードはそれぞれに与えられていた」
「なんということだ。ぼくらの持ち合せるシンボルが、これほど日本の民話によって支
えられているとは。
ばらばらに見える民話も、た ったぼくら二人の存在だけで時間を超えて結びついてしま
うじゃないか。
ぼくらは、そういう役割をしにここに来たのか?
ぼくらは計り知れない何世、い や何十世代にも渡る大きな計画で動かされていたことに
なる」
「ネアン、物語はこれからまだクライマックスです。
どうかわたしを宮津に連れて帰る大団円まで、演じきって下さいね。
いつまでかかることかわからないけれど。
このプログラムを組んだものは、あの一つ目を欺く為に、あらゆる方法を考えた方なの
ですから」
そんな光栄な男の役柄が与えられたことに、やはり自信なく、ただ神に祈るしかないネ
アンであった。

ネアンは、そ れまでテレフォン友達として付き合っていたカンナオビと別れることにし
た。
カンナオビは、ネアンがイナンナと出会ったことだけで、その後何もなかったとは思え
ない。
イナンナもカンナオビの存在を八角堂の日に知り、以 後ずっとやきもちをあらわにする。
男を一方で所有しながら、もう一方でも独占したい生き物が女らしい。
いっぽうネアンは、律儀にも二人の女性を股にかけることなど想いもしない。
というのも、こんな贅沢は、今までなかったことだからだった。
カンナオビは所帯の中にあり主婦の座にあった。
芸術の分野に恵まれた才能と資質を発揮していたが、家 人の資力が支えているのである。
それを犠牲にしてまで、耽 美の刺激による想像力の伸長をとることのできるカンナオビ
でもない。
ネアンは、イナンナの身重さと、精神の支えになってやれる度合い、そしてカンナオビ
との不毛の成行などを配慮し、カンナオビに別れを告げた。
それに対して、何度かのやりとりの後、ようやく別れを仕方ないこととして受け入れた
カンナオビであった。
惜別のカンナオビの歌。

春蘭のほころぶ音の幽(かそけ)しき もし聞きしかば 君ぞ参らせ

次にネアンの前に立ち現れたのは、キタロウであった。
キタロウはネアンを同行して、驚異的なUFOの撮影をおりにふれ行っていた。
その道中、彼は宇宙人と交信して見せ、ネアンを唸らせていた。
ネアンが十分に、彼の思想的なものを受け入れていると思ったのである。
そんなときにイナンナとの関係がうまく行っていることを、ネアンは告げた。
そこまでは、キタロウは何も言わなかった。
ところが、ネアンが結婚も考えていると言ったとたんに、突然、宇宙人がキタロウに罹
ってきて、「それはぜったい良くない。必 ず早死にする」と 必死で言い放ったのである。
しかも、「掟破りだ」とも。
そこでネアンはキレて、喧嘩となった。
以来しばらく、キタロウとは交流を断ってしまったのである。

それからややあって、ネアンがイナンナと褥を共にするときがきた。
互いの存在を神話の中に確かめ合う文のやり取りがしばらく続いた後、互 いがそれぞれ
にとって重要な意味を持つ人であると心から認識したとき、二 人は柔らかいベッドの上
で転びまろびし、禽獣のごとく戯れた。
ところで、鳳龍が出会い、鶴亀が渾り、その結果火の鳥は羽ばたいたのか?
地の封印を解いて、脱出したのか?
それが解かれたとして、どう現象上に作用するのか?
やがて、暦日上の節目となる新たな時代が来た。
その前後に、政府は内閣不支持率がかつてないほどのていたらくぶりを見せ、財政赤字
の額が、破滅預言的な666兆円という数字を打ち出した。
その数は、あの謎の著書「弥●●臨」にも詠われた弥●(三つの六)でもあり、世の裏
側を支配するという秘教組織が、事を起こす時のステイタス数字でもあった。
なにも好き好んでこの数にあわせるなよといいたくなる、ま た妙な期待のこもる吉凶の
斑数として、識者に恐れられていた数字であった。
ネアンは思った。
666はひとりでになったというより、画策された数字である。
それに呼応して動くのは、その数の発祥のもとになった勢力である。
秘教組織、それは革命を優先する勢力。
世界革命の末、世界政府樹立を進めるという謎の勢力。
だが、世界の破滅原因になる力。
そのあらましが、日本神話には書かれている。
天神に核兵器を使用されて降伏し、国 を明渡す際に、国 神は代理統治させてもらえれば、
いさかう神もいないだろうと条件を持ちかけるくだりがある。
密約でなされた国譲り契約は、天神側が権利ありと思っている限り、いずれいやがおう
でも行使せねばならない。
国の経済破綻という最悪のシナリオも、こ の国の人をいかに納得づくで支配するかとい
う点に知恵を絞ったものでしかない。
この国は、敗戦直後からこの勢力の計画に取り込まれている。
それらのことは、彼がかつて出した出版本に書いたところでもあった。
その上には、天仙の仕組もうとする終局計画があった。
その終局の反動によって、新 たなサイクルを取り戻そうとする恐ろしいたくらみである。
新年の3月には、いきなりの経済基盤を揺るがす株価下落が始まった。
倒産企業が目白押しとなる経済パニックの始まりとなりそうな気配となった。
内閣不信任案が立て続けに出された。
そして、当時の予測的展望ではあったが、
選挙に大敗するであろう●党。空回りするであろう国会。
終局に際し、ようやく政権を明け渡すふりをして責任転化を図る亡国の徒ども。
それでも、国民は昔からではあったが、為政者には逆らわずお任せ主義に徹する。
それが逆に功を奏することもある。
世情はさほど不穏な空気に包まれずに済み、本 来なら選択を加速させるはずの軍国化の
動きを鈍らせることになった。
時の兆候は、R国の宇宙ステーション・ミールの落下としても現れた。
南の海に青い星として落ちたミールは、太 古から保守的な生き方を尊ぶホピ族の神話予
言にある、世界の終局の来たことを示す青い星の霊人の象徴でもあった。
長老衆は、スサヌウの再来間近と胸弾ませたであろう。
その3月末には、千数百年前に作られたキトラ古墳で、火の鳥”朱雀”がまさに飛び立
とうとする姿で描かれたものが見つかる。
火の鳥復活の兆候はあらゆるところで揃っていた。
それを感じたイナンナの歌。

この胸の 一番奥の 戸を開けて 黄金の鳥 今解き放つ

狼狽する天仙

666は、弥●●臨を促すステイタスでもあることを、天仙と秘教組織は見落としてい
たのかもしれない。
「天尊殿。得体の知れぬ生き物が地中のマグマの中から脱出しました。それはかつて、
文明が滅んだ際に現れたことがありますが、た いがいは文明を復活させるための原動力
を与えたところのものでした。ところが、まだ文明が維持されている今、動き出すとは
いかなることでしょう」
「まだ潰してはおらんし、いま直ちに潰すつもりもない。密命者が出会ってしまったこ
とによる異変であることは紛れもない。この生き物は火の鳥と呼ばれている。だが、未
だ解明されてはいなかったな」
「そうです。解読中のエルモナイトプレートに、よ うやく登場し始めたところの生き物
です。まだよく分かってはおりません」
「要員を倍増して解読を急ぐよう申しつける。それから梵天との会談を整えてくれ。い
ったいどういう了見なのか確かめよう」
「ははっ」
「また、このタイミングのずれがどのような影響を持っているか、環境調査班、直ちに
調べよ」
「かしこまりました」
ここは緊急要請により設けられた蓬莱島の賓客の間である。
天尊は梵天を見つけるが早いか、着席する前にいきなり切り出した。
「あのときは、失礼いたしましたな。
今回は緊急の用向きで、会談を開いてもらうことにしました。
梵天殿、いったい何が起きようとしているのです?」
「火の鳥のことですね。あれは文明の滅亡に際し活動をはじめ、滅亡から立ち直らせる
働きを持つ霊鳥です」
「だが、予期せぬタイミングで動き出したため、も うそのような時なのかと訝っており
ます。まだまだ地球の文明は見所があり、存続させる努力をいたすつもりのに、早とち
りにも何ゆえ今時」
「この世界の存立基盤、つまり宇宙そのものの環境が変化したため起きた、いわば生態
系の異変によるものと考えられます」
「ほう。そのようなことなのでしょうか?では、ど んな環境因子が変化したといわれま
す」
「前に申しましたように反作用が過度に溜まってきているのでしょう」
「はは。そのようなことはまだまだ。許容限界の70%にも達しておりません。我々も
観測は怠っていないし、計算もしっかりできております。滅亡するにはまだ早い」
「火の鳥は、現象上の滅亡の時点を捉えて動くのではありません。もっと深いところを
感知して動きます」
「まさかそんな。今まで協力的に動いたと思われる火の鳥が、いきなり逆らうような動
きを取るものでしょうか」
「個人的な好き嫌いで動くものではありません」
「では、はっきり言おう。密命者の出会いに、あなたは何か仕掛けられたはずだ」
「あなたは、この二人の密命者の過去を探られましたか?」
「いかにも。探らせている」
「では、彼らがどの時点で出現しているか、お分かりですか」
「うっ。では、この二人が常に・・」
「その通りです」
「ではやはり図ったな」
「ただし、今までもそうであったように、世界を利益するために現れるようになってい
るのではないですか」
「利益? 誰の利益です? 天仙あっての世界なのですぞ」
「その議論なら不毛です」
「うっ。で、何が起こると?」
「文明の再生と復活です」
「文明の支配者はだれあろう」
「文明はあるようにあるのです。個人的意図に関わるものではありません」
「馬鹿も休み休みにしてくれ。この世界のソフトは私が作ったのだ。いわば、この世界
は私のもの。そこに介入するようなことはしてもらいたくない」
「火の鳥は、あなたの世界のソフトが動いている文明基盤の節理なのです」
「うーむ。水源を握るお上の権利意識というか。苦々しい。私は梵の系列から離脱を表
明したい」
「これらのノウハウは、私にはなかったものです。あなたを含め、この世界を作った者
たちの知恵の所産でしょう。あなたはそれをよく理解せず、奪い取ったのではありませ
んか」
「なにお。言わせておけば」
「しっかりと理解して臨めば、様々な利益的な仕組みが活用できたのではないですか。
あなたはそんな中で、支配権を握ろうと戦をしてしまい、勝ったには勝ったが、多くの
協力者をなくしたのです」
「失礼千万な話。もう、けっこう」
天尊は前と同様のスタイルで、振り向きもせず帰ってしまった。
天尊は宮殿に帰りつくと、さっそく調査班の長が報告に来ていた。
「ええい。何事だ」
「エルモナイトプレートの解読で、火の鳥の製作過程が分かりました」
「そんなものは、もうよい・・いや待て、どんなことだ」
「はい。火の鳥は、生命系が窮地に陥った時に発動される仕組みと書かれております。
生命全般に関わる一大事のとき、悪しき弊害を取り除き、生命の種を保存して再生の過
程に繋げる役割だというのです。設計製作者は、クロノス。今にいうオオクロヌシのこ
とと思われます」
「ごほっごほっ。もうよい。闇太后を呼べ」
「ここにおります」
カーテンの陰から、闇太后が現れた。
「例の計画を実行せよ。速やかに」
「はい。かしこまりました」
入れ違いに太公望も血相を変えて現れた。
「一部始終、事成りの玉で拝見しておりました」
「砦を固め、いざ決戦に備える」
「今すぐ決戦は困難です。時を稼ぎ砦化を急ぎ進めましょう」
「うむ。進行はお前に任せる。しかし、苦々しい密命者めらだ」
「他にどんなカードを持っているか分かりませんが、今 までどおりにしておくしかあり
ません。殺ってしまえば、すぐさま戦の口実になります。こちらで二人の過去のすべて
を漏れなく調査しますから、いましばらく。
それから、戦となれば、弁天のソフトもどうなるや分かったものではありませんから、
梵天がやすやすとうかつな行動を取るとも思えません。また、いま弁天のソフトを活用
できているのは我々しかいないという現実もあります」
「天仙を廃して、我々のノウハウを奪い、一から立て直すことも考えられるぞ」
「そうなれば、もはや奥様の計画に委ねるしかありません」
「そんなこともあろうかと、並行して作業を進めさせておる」
「ははっ」
それから小半時ほど経った天尊の宮殿。太公望が天尊の居間に入ってきた。
「失礼いたします。分かりました。
あの密命者たちは、必ずしも文明の滅亡時のすべてには立ち合っておりません。
たとえば20億年の生命史のある地球においても、数 限りない種族や大文明の興亡があ
りましたが、そのほとんどで火の鳥は現れたにもかかわらず、彼らは関わってはおりま
せんでした。
人類史時代においても、ムー、アトラン、スメール、ヤマトの際には出生したものの、
ゴンドレ、スカンジ、スベロムなどの広域主要文明の滅亡のときには両名とも生まれて
おりません。
ただスカンジのときは、イナンナのみが現れております。
またヤマトの際に二人は会見しているものの、火の鳥は現れておりません。
拾得されたデーターではこのように法則性を見るにいたっておりません。
何か他に因子があるかどうかは継続調査中ですが」
「常時立ち会ったなどと、梵天は嘘を申したというか?ならば、その嘘をもって相手の
出方を削ぎ、会談を紛糾させることもできる」
「プレートのほうからの報告では、キーワードがそろった時点で作動する節理とか。
まずは鶴と亀。この二人の持つ印章が、それぞれ鶴と亀なのですが、それ以外にも鶴亀
の印章を持つものが居た模様です。
それゆえそういう意味に捉えれば、嘘とは申せなくなります。
梵天のこと、そのように申すに違いありません」
「印章であるだと? 子供だましなことをしおって」
「付け加えますに、さらにそこにキーとなる環境が整ったときとなっております。
それはカゴメの結界。ご存知のように、神以外の諸霊は不可侵で、神もいちど入れば取
り込められてやすやすと出ることができないという魔方陣です。今 回は、八 角堂でした」
「それは我々も封神のときに暫定的に使った手段である。か らっきし力が弱いというこ
とで、強力な別の手段、まんじ固めや瓢箪結界を編み出したであろうが」
「おそらく当時のクロノスのこと。有効と考えたのでしょう」
「なんでも幾何学好きなやつだったから、こ んなところにも使おうとしたのであろうが、
禽仙が弱かったのは、弱 い防壁しか用意できなかったからだ。そ の名残を使うに事欠き、
こんなところに使うか」
「カゴメも幾何学的に三角、四角、五角、六角、八角、十角、十二角、十六角という場
合がありました。
アトランのときはピラミッドの中。
ムーのときはストーンヘンジの中がターゲットポイントだったという具合です。
またそれぞれの構造物は、製 作者に予めそのような意図があって作り上げられていたこ
とも判明。
つまり、下準備する者がいつのときにもいたということです。
しかし、その意図を持って作られたにもかかわらず、使われなかった場合も多数ありま
す。
このようにして、工作の形跡すらあいまいにしていたと思われます。
この二人が出会った八角堂も、そうした場所でしたが、しかも意味付けられた二つの神
聖獣の気が交じり合う場所でもあることから、今 回の効果は著しく出てまいりましょう。
観想に長けた中国人が作った寺院であるゆえ、全体的には弱々しくとも、抜かりがない
のです」
「梵天の密命者は、ま さにその八角堂のオーナーの中国人としてわざわざ化身していた
とか聞く。
それも霧人仙傘下の組織を利用して成り上がっている。
中国の革命という歴史の表舞台に隠れて、公然と工作しておってからに。
裏をかかれたこと、それだけでも不愉快な話。
諸相が出揃っているというが、その効果はどのように出るのだ?」
「過去幾度もあったときには、すべて滅亡時もしくは滅亡に瀕したときでしたのに、こ
んなに中途半端では、予測のたてようがありません。
あえて予測しますと、滅亡を惹起せずに、今のまま再生過程にはいるかと思われます。
ただし、ここ短時日のうちに一挙滅亡の過程さえなければですが。
しかし、そうすると反作用のはけ口がなくなり、いつかそれが破綻して、我々のサイク
ルによる再文明創造ができなくならないかと案じられます」
「この文明はいますぐに滅ぼすわけにはいかん。い ま滅ぼさねば、次 はない。と すれば、
どちらに転んでも、土壇場ということか」
「そういうことになりましょうか。た だし一つだけ、後 世の者がミスをしでかしており、
もしもこの場所が火の鳥の存立基盤を担い続けるなら、そ こから機能を麻痺させること
ができます。まだ火の鳥が羽ばたいておらぬうちですから」
「それは何だ?」
「八角堂の鳳の間が暗闇に閉ざされているのです。
この意味するところは、鳳の存在を隠し、我々に気取られぬように図っていたと見られ
ます。
ところが今となれば逆に、鳳は鳥目の状態に等しく、動けない状態を作っています。
龍だけでは、片肺飛行となることは必定。
このため、火の鳥は方向が見定められず、発進に躊躇していると見うけられます」
「いま火の鳥は、片足を離陸したところとか」
「さよう。発進寸前ではありますが、二の足を踏んでいる状態です」
「妨害せよ。何としても」
「ははっ」
「それから、この世界を砦化する。すべての露骨なレジスタンスを地上から一掃すべく
戒厳状態に置くのだ。手段を選ばずともよい」
「ははっ」
「たかが火の鳥一匹に翻弄されるとは。ならば、これを契機に内を固めようぞ」
こうして指令は宇宙に行き渡り、み ごとな統制下の宇宙連盟や宇宙同盟下の星星にさえ、
ごく少なくなったはずのレジスタンス狩りが行われたのである。
それはまるで、やみくもな密告と嫌疑かけによる魔女狩りの様相すら呈していた。
協定星である地球も同じようになりかけていた。
火の鳥の離陸寸前が確認されてからほどなく、地 球上の人々を震撼させるテロが勃発し
た。
テロを起こす者の心に火をつけたのは天仙配下のものであり、そ れを取り締まる側に熱
意を注いだのも天仙であった。
すべての人心を、一つの権威と軍事のもとに集約する作業が始まったのである。
しかし、もともと反抗的なものの多く集まる場所が地球である。
公然とした隠密もおり、一筋縄で行くわけはなかったため、強力な飴と鞭が使われ始め
た。
「地球にはレジスタンスが多いだけに、一気殲滅すればいいのだが、賭けの場でもある
し、その隠密がいるだけに気を遣う。他の星に比べてややこしい話だ」
「親方様の決断しだいだ。指図一つで、一気にやってしまうものを」
これが並み居る天仙たちのぼやきとなった。
さて、世界の指導層には、闇太后が訓練した杖の眷属や、地獄の釜の中から抜擢された
冷酷無残なボスたちがそぞろ出てきて地位を築いた。
彼らはこぞって、自己利益伸張と支配欲の権化であった。
彼らの欲望のもとには、本来利益されるべき民衆などは初めからなかった。
そして、民衆を飴と鞭で調練し手なづけ、彼らを守り囲むための多重の砦を築いたので
ある。
そして、最も親派なロボット的民衆の真ん中に居を占めた。
こうして、ピラミッド階層状に、民衆に差別を作り、征服者と被征服者の境界を不鮮明
にしつつ、強固な支配体制を確立していった。
宇宙は全域、そのような方向に向かっていた。
地球上には、国家と反分子組織という対立構図が宣伝され、これが民衆の個々に対する
踏み絵となっていく。
差別と困窮にあえぐものも、こうして国家の管理下に置かれて去勢されていく。
国家間も、知 識力と経済力で差別され、世 界統一の動きの中で、階 層化が図られていく。
統一の前には、国家の取り潰しも様々な策謀をもって公然と行われるようになった。
そして、中 央のみが合法的に全生き物を支配するという構図がしだいに確立していくの
である。
この砦は、恐ろしい仕組みであった。
事あらば、砦の外壁を形成する弱小な庶民から犠牲を出す。
利益の取りこみは、砦の門を開けて中央に直行させて、分配は僅少にして、しかも上厚
下簿とする。
力関係のみがその巨大な生き物の構造であった。
力あるものがその生き物を見たならば、手当たりしだい食い散らす、一つ目の満身創痍
の毛と皮がむけた怪物と映ったことであろう。
天尊は地球上がそのような怪獣と化していくさまを見て、喜びを沸かせる。
「見よ。あれほど無邪気に食べ物をほしがっているではないか。それにしても、あれを
形作る細胞たちの哀れなこと。それを知って殺そうとするものがどこに居よう。そんな
ものが居たとしたら、それこそ極悪非道の者であろう」
「ははっ。これを取り潰そうと図る梵天は、まさに極悪神です」
「そこから出た隠密がする評価はおよそ定まっていようが、事構える準備が整うまで、
せいぜい長生きさせてやれ。ただし、事を起こすときは、真っ先に・・」
「心得ました」
そのような策謀が進捗する中、こちらは蓬莱島である。
「あなた。困ったことになりました。いたるところで、杖の化身や地獄の王たちが身内
を率いて支配層に入り始めました。地球は半魔支配から、いよいよ真魔支配に移りそう
です」
下界を映す水面には、為政者や資本家、経済人や研究家の中に続々とゾンビ顔や強欲顔
の者が参入していく様が映っていた。
彼らは民衆を動かせる立場である政治畑や金融畑に吸い込まれていく。
そこから立ち上るどす黒い煙。為替や株投機等。
人々が傷つき流す血が、ゾンビたちによってバキュームのごとく吸い上げられ、負傷し
た人々が干からびていく様を映し出していた。
「君はアプリケーションの使われ方を見たかね。まだ悪には完全に染まらず、健全な動
きをしている。
それは社会を構成する人々がまだしも正義を保っているからだ。
君が与えた相互扶助の精神が、まだ廃れていないということだ。
もう少し様子を見よう」
「当初とは裏腹なことを言われますね。私 は真魔に染まっていく作品の行く末など見た
くはありません。
もうあなたの良いようになさってください」
「それでは君が敗北してしまうことになる。それに、我々がいますぐ采配できるもので
もない。
下界に降ろした二人のモニターの結果を待たねばな。もう少し待ちなさい」
「そうですね。初めに無理を言い出した私がしっかりしなくては」

支え合う二人

そのころイナンナは、離婚直後の母子家庭を構えることとなり、いつまでも家にくすぶ
ってはおれなくなった。
職業安定所に幾度か通ううち、た またま来ていたある業者の保険外交員にスカウトされ
る。
まさに即決という感じであった。
だが、そ れまで家庭に閉じこもっていたイナンナに、い きなり外交ができるわけもない。
不安と寂寥に駆られるとき、励まし続けたのはネアンであった。
「イナンナ。ぼくらは神話に生きている。上にも下にも仕事があってたいへんだが、君
はやはりそれなりの資質があってここに居るわけだ。自信を持ってやってごらん」
それ以前には気心の交流にとどめていた付き合いも、い つしかたびたび生身を通して行
うようになっていた。
「あなたは不思議な人。こんなに気持ちいいなんて。今まで嫌いだったセックスも、あ
なたとなら好きになれる」
「たぶん、ぼくが君に愛情を抱く分、愛情が心地良い気のエネルギーに変わって、それ
が君にぴったり合うんだろう。ぼくらは共通のキーワードを持っていることは確かだ。
だからセックスも、ちょうど鍵と鍵穴が揃うようにぴったりなんだ」
二人は股間をすり合わせながら、キスと抱擁を繰り返した。
ネアンがイナンナの身体を優しくさするつど、癒しの気が生まれ、イナンナの身体に吸
い込まれた。
イナンナは確かに霊媒体質であった。
だが、霊媒体質というものは、霊体もしくは幽体のフレームに、ぽっかり空洞が開く現
象なのである。
その空洞が、本人の気が満ち足りているときには塞がっているわけだが、気が不足して
いるときには大きくなり、いわばセキュリティーホールを突くようにして、様々なおか
しなものがアクセスしてくるといった具合である。
時には良いものが懸かることもあろうが、多くは不正なものが懸かり、それがホールに
居座りつづけるようになると、たちまち精神状態はむろん、身体のコンディションまで
狂わせてしまうのである。
もちろん、不可視の領域で起きていることゆえ、地 球を席巻している科学には認知され
なかったため、広い宇宙の中、地球だけはこの分野で大幅に遅れを取っていた。
むろんそこには、流 刑地地球を魂レベルから劣悪な環境に置こうとする天仙の目論見が
あった。
このため犯罪は多発し狂暴化するも、根本的な理由が解明されないため、何世紀を経て
も改善されることもなく、人々の心は蝕まれるに任されていた。
ネアンには決してイナンナのホールが見えるわけではなかったが、電 話で声を聞かせた
り、あるいは直接接触することにより、彼の持つ気のエネルギーイナンナに充填してい
た。
それが極めて即効性をもたらすことから、ネアンも自信を持つようになった。
またネアンも、イナンナが信頼を寄せて愛を求めてくるつど、生きがいややる気という
形でエネルギーを回復した。
それはまさに霊的夫婦のする営みであり、互 いに円環を描くように気を巡らせ合う行為
であった。
「ああ。ぼくは君といるときがいちばん充実して幸せを感じる」
「それは私のほうよ。今日いろいろ問題があって疲れ切ってしまっていたけど、あなた
のお声を聞いたり、お顔を見ただけで嘘のように楽になる。私は幸せ。こんな幸せは今
までなかったことよ」
「こんな頼りないぼくでもいいのかな?」
「いいの。そのままでいいから、ずっとそばに居て。絶対よ。私がいてもうっとおしく
思わないなら、ずっと」
「うっとおしく思うわけないだろ。君はぼくの生きがいだ。
君が現れてようやく、誰か人のために生きてやろうという気になったんじゃないか。
君は希望をなくしていたぼくにとっての大恩人なんだ」
「そんなふうに言ってくれるなんて、嬉しい」
「愛してるよ、イナンナ」
「私も愛してる。そして尊敬しています」
「ぼくも君を敬愛している。だって、君は神様だもん。弁天様なんだ。誰が何と言おう
と、ね」
「私が弁天様なら、あなたは夫の梵天様よ。
梵天様はねえ、子供がほしくて弁天様をお作りになったんだけど、そのあまりの美しさ
に引かれて、妻にしてしまわれたのよ。
私も夢の中の八角堂で年の差があるあなたに抱かれた。
そのとき、エッチなこともされたんだよ。子供にも手を出すエッチな梵様なんだから」
「ああ、そうだとも。君が可愛くて可愛くて、他人にやるなんてことはとてもできなか
った・・・さあおいで。抱いてあげる」
「ああ、そんなところを・・ああっ・・手が早いのね」
「ほうら、もうこんなに濡れちゃって。そんなにほしいの? じゃあ、美味しいものを
頬張らせてあげようかな」
「ああーっ、それ。いい・・いいよお・・」
「ほおら、おいしいだろ? ずんずん突いてあげよう。いちばん奥までね」
「ああ、つっかえてる。もっと、もっと。だめ。やめないで」
ネアンはイナンナの感じやすい体位をじゅうぶん試した後、い くつもの斬新な体位を試
し、イナンナを幾度もの絶頂にいざなった。
イナンナは、ネアンの下で目を閉じたまま、「はあー・・はあー」と身体をぴくぴく痙
攣させた。
セックスをはじめた頃、イナンナは絶頂でも最高潮となると、骨盤の下に潜みとぐろを
巻くクンダリーニが覚醒し、勢いよく脊柱を駆け上った。
しかし、性行為の時の脊柱の姿勢は概して良くないことが多い。
クンダリーニが勢い良く頭部に達したとき、中心のラインを外れたのであろう。
脳天に強烈な衝撃が加わり、イナンナは割れんばかりの頭痛に襲われた。
ネアンは脳が熱にやられる事態を察して、彼女の頭を押さえ背中をさすって、気の固ま
りを自らの掌で押し下げるふうにし、彼女にこの熱い気の上昇に対して、冷たい鉄球を
観想して下に降ろすようにイメージさせた。
このように、初期の性行為では、修行者としての素質のありすぎるイナンナがオーバー
ワークしてしまい、ともするとダメージを生じかねなかった。
「いつもこんなふうでは、死んでしまうよ。ここまで激しい絶頂は、もっと年取ってか
らだ。
そう。もういつ死んでもいいというときにやれば、きっとすごい力が得られるだろう」
「お婆さんになっても、ちゃんとしてくれる?」
「ぶっ。ああ、いいとも。ぼくが死ぬ間際に、指でちゃんといかせたげよう。君は蛇の
力で羽化登仙。二人でいっしょに旅立とう」
「こわーい。でも、ごいっしょします。向こうでも、可愛がってね」
「君も、こわいね。でも、いいとも。しっかり可愛がってあげるよ」
逆にイナンナの気が萎えすぎたときの性行為では、却って気が消耗してしまい、イナン
ナの幽体のホールに憑依霊が懸かってくる場合もあった。
そこにたまたま、天仙からの差し金である暴言を吐く霊が懸かり、ネアンを脅かすべく
論戦を挑んでくることもあった。
「ああー、この世界で、我々は面白おかしくすごしているのに、はあー、なんでお前の
一存で阻害されねばならぬ、はあー」
「そうではない。悪しき傾向を糾そうとしているだけだ」
「はあー、お前は良い者を気取っておるつもりだろうが、はあー、そんなものが息苦し
くてたまらんという者がたくさんおるというに、はあー、お前ごときの一存で先を決め
られてはたまらんわ。これ以上手出しするというなら、この女がどうなってもいいか」
「なに?この人には何の関わりもない。心配するな。お前も含め、あらゆる者を救うつ
もりだから、一時の目先欲に囚われてごねてはならない。お前の名を聞いておこう。名
を申せ。この人に関わってはならん」
「はあー、お前のように人でもないものこそ、どうしてこんなところにおる。はあー、
さっさと元のところへ帰れ」
埒があかないかと思われた論戦も、やがて憑依霊の退出と共に幕を閉じる。
霊媒状態にあったイナンナが意識を取り戻すと、その間何があったか、まったく思い出
せないのであった。
その傾向も、ネアンが強い愛でイナンナを包むようになってから、ほとんど起きなくな
っていった。
だが、このときすでに、イナンナの幽体のホールの隅には、とんでもないものが棲みつ
いていたのである。
どうして霊媒体質というものがあるのだろうか。
それは、多く過去世に起因していた。
彼らの魂の多くは、過去のどれほどか前の転生において、霊媒となる訓練をしていたの
である。
あるいは過去世に、脱魂する傾向を生むような事件か衝撃に見まわれたのである。
昔は、若い処女を神への奉げ物となる巫女にする習俗があった。
奉げ物となる見返りに、神託を戴き、それを為政者に伝えるという役割を持たされてい
たのである。
体系立てられた訓練が徹底して課されたため、当時女として生まれた魂が、多くその影
響を引きずることとなった。
繰り返し輪廻するすべてにおいてその傾向をPTSD症候的に持ち越している者が多
いのである。
むろんサニハと呼ばれる男の御巫も居た。彼らには、巫女たちを目的に応じて束ねる役
割があり、別の訓練が施されていた。
そして、彼らも、当時関わった巫女たちとともに、輪廻を超えて役割を遂行すべく図っ
ているケースがあった。
ネアンとイナンナは、そうしたケースであったかもしれない。
ネアンの魂は、かつてイナンナの魂の化身だったころを訓練したサニハであった。
それはヤマト発足の頃である。
このときにも、鶴と亀の印章がそろい、火の鳥は現れた。
現れたのだが、弱いものに終わってしまい、地球全体を巻き込む規模には成り得なかっ
たため、太公望のデーターには上がってきていなかったのである。
黄金のヤタカラスとして伝承されているものがそれである。
火の鳥が弱含みとなった原因は、イ ナンナとネアンがお互い敵対する勢力に属していた
ため、強 力な信頼関係が結べなかったことと、人 と霊の交流にとどまったことにあった。
ネアンは、当時ヤマト族の本流にいたヤマトスクネという者に、霊として後発的に憑依
したのである。
初め但馬丹後の地に勢力した本流は、先住民を侵襲し、征服すると共に、先住民の心の
拠り所である神々を封じた。
そのためには、旧教をもってする神官や巫女たちを根こそぎにする必要があった。
ヤマトスクネの系統はサニハの力を持っており、それを悪用して、先住民の巫女たちを
教育すると称して、次々と手をかけ慰み者にし、ついには殺して祟らぬよう、殺した土
地を呪術で封じていったのである。
こうして、この頃の恐ろしい経験を持つ巫女の魂は、いつまでもこの地に漂うか、ある
いは輪廻しても、強いPTSDショックを抱えたままとなった。
ヤマトスクネは、そのような累代の傾向に決して良い思いを持っていたわけではない。
だが、そうした悪趣に染まらざるを得ない立場にあるサニハでもあった。
そんなとき、丹後にあって、イナンナの化身の地方から連行されてきた巫女に一目ぼれ
して、妾にしてしまったのだ。
このとき、ネアンの魂が、危急を悟ってヤマトスクネの霊的ホールに取り付いた。
嫌がるイナンナに対して無理やり情交を果たそうとするスクネ。
その場所がおりしも、天橋立の内海に浮かぶ六角船という結界の中であった。
ネアンは、ある地方において、イナンナの化身とは恋仲の青年であったが、そのときす
でに命終して、魂魄イナンナの近辺に漂わせていたのである。
たまたまスクネも霊媒体質のホールを抱え、こ のときばかりはセキュリティに甘かった
ために、ネアンはそこに飛びこむことに成功した。
「巫女よ。名はなんと言う」
「・・」
「これからは、わしがそなたの身柄を預かる。なに、悪いようにはせぬ」
「この地であなた様一族がなさった行為は、あまりにもむごい」
「だが、わしの目をかけた者には危害は及ばぬ。いや及ぼさせぬ」
「いやです。私も殺してください」
「ええい、聞き分けのない巫女ぞ。昔者にはほどほど手を焼く。
わしも帰順する者には情けをかけるほうなのに、どうしてそこが分からぬ。
まあそれならそれでよい。殺すも殺さぬも、まずはせっかくの食味をしてからじゃ」
「いやです。私には心に誓った人が・・ああっ」
スクネは白い襦袢の下に剥き出しになった太腿の付け根を狙い、手 を差し入れたのであ
る。
巫女は舌を噛もうとした。
まだそれをさせじと、手で巫女の口を押さえ込むスクネ。
もう一方の手で、確実に股間の秘部を捉えて、ぬめりを誘う動作を繰り返していた。
巫女の口から少し血が出る。
かっと見開き天を仰ぐ巫女の目。
そのときである。
巫女の耳に確かに恋人の声が聞こえた。
「私だ。私はいつも君の傍にいる。
今はこうして、スクネの中にいて、スクネと同化し、君と交わろうとしている。
そんな私だが、受け入れてもらえないか?」
そのとき、スクネの今まで強引だった態度も激変した。
口を押さえる手の圧力は減り、巫女の頬を優しく撫でるようにした。
もう一方の手も、こじ開けようとした秘部から離れ、優しく腿を愛撫した。
「すまなかった。無理やりこんなことをするつもりはないのだ。巫女よ。
どういうわけか分からぬが、わしはそなたが好きになったのだ。これは確かなことだ。
死のうとするほど、思 い焦がれた者がおったのか。わ しにもそのような者がおればなあ」
巫女はスクネのまなざしを見つめる。
スクネは、巫女の口に沸いた血を静かに口付けしてすすってやった。
そのとき、巫女ははっきりと、恋人の臨在を知った。
体の力を抜いて、身をスクネに預ける動作をする。
スクネもそれを悟り、全身の愛撫から、自然に湧き出す茂みの奥に口をつけ、蜜をすす
り、十分とおぼしき辺りで、木綿の布で覆う股間から取り出した膨張したいちもつをそ
こにあてがい、ゆっくりと挿入していった。
若干、困り顔に目を細める巫女。
「いい娘だ。痛くないだろ?」
頷く巫女。
六角船は細波による揺れ以外に、人工的な揺れによる波紋を周りに醸していた。
山腹からでも目の良いものが見下ろしたなら、お よそ何が行われているか悟ったことで
あろう。
なおも霊視能力に長けた者がいたなら、鶴 と亀の印章がそろったことによる波紋が神話
空間に及んだことを悟ったかもしれない。
このとき、火の鳥は弱含みにも起動して、日本のまだしも小域に関わる影響しか及ぼさ
なかった。

さて、ネアンとイナンナは性行為を度重ねるうちに、しだいに加減がわかってきて、性
行為それ自体は楽しむべきことであり、偏った電位をゼロにし、愛と気を巡らせる手段
として、効果に安定を見せるようになり、それとともに外面的な効果も現れてきた。
まず、彼女の営業成績がめきめき群を抜いて良くなったことである。
新人にして、巷の不景気は彼女にはまったく関係しないかのように、巡り合い運と幸運
に恵まれた。
客は、彼女の自己利益度外視の誠実さと、客にとって良い商品しか売らないという姿勢
に打たれた。
そして何よりもネアンがたびたび口にする言葉をイナンナは遵守した。
「君はこの世に工作員として新しい世を築くための学習をしに来ているわけだからね。
いずれ君は龍族を束ねる弁天から一歩踏み出して、す べての魂を救済する観世音菩薩に
なるんだ。
いま、人間を学ぶ過程を踏んでいるのだから、愛情をもって人に接し、じっくり人間観
察してくるんだよ」
こうして、どんなお客の長話も聞き役に徹し、人の喜びを心から喜び、まるで観音のご
とく多くの人の心を癒していったのである。
特に老人層は、昔話をしたがる傾向にあったから、彼女の人気は高く、そのあたりから
紹介される人も続出するようになる。
すると、いつしか小さな契約が主ではあるが、間違いのない件数が得られていくことに
なった。
人を罠にはめるようなことなく、お客には得をした気になってもらう。
営業の鏡とも言うべき素質を、新人の当初から備えて、周りの同僚も本当に新人かと疑
うほどの成績を上げるようになった。
それもそのはずである。彼女には弁天の分霊が懸かっていたからである。
コンディションさえ整えば、その能力をいかんなく発揮したのだ。
本体の弁天は、自 ら作ったアプリケーションカンナオビナが着実に世間に対して実践し
ていることをいたく気に入った。
「我ながら、惚れ惚れします」
「まったくそうだな。純粋に育ったものだ。君の作ったシステムも、こうあって輝くわ
けか。すばらしい。
私も彼女から学ばせてもらっている。私も、何と見所のあるシステムかと、いまさらな
がら思っているよ。
そうだ。ときどき彼女を君の元に連れてきておくれよ。私もじきじき会いたいんだ」
「あなたに直に会わせると・・ねえ。変な力を使わないかと・・。
じゃあ、私の中に戻して、あなたに会わせましょう」
「そんな変なことはしないよ。ネアンもいるのに」
こうして、イナンナはたびたび夢の中で梵天と出会うようになった。
梵天はそのつど、なるべく彼女に啓示夢を授けて帰らせた。
むろん中には梵天との性行為の夢もあった。
ネアンとの性行為に物足りなさがあったときなど、梵 天が代わりにお相手したのである。
もちろん梵天は弁天と事を構えるわけであるが、弁 天と意識が同化しているイナンナに
は、まるで自分がセックスしているように思えた。
ネアンはそのような話をイナンナから逐一聞かされるものだから、嫉 妬を催したが、「あ
なたとそっくりな、あなたの本体様なのよ」のイナンナの一言で喜び、仕方ないかの気
にもなった。
その本体様は、イナンナを夢の世界の料亭に誘い、てっちりをご馳走したり、あるとき
はあわび尽くしの料理をご馳走した。
弁天の竜宮での好物である。そして、どうやらVIPの常連客らしく、女将にこんなこ
とを言っている。
「この人はぼくの婚約者なんだ。これからもよろしく頼むよ」
そんなことを本体様は言ってくれたよとネアンは聞いて、き っと自分の本体というのは
やはり神様であり、霊 界か神界では羽振りを利かせているのだろうなと思うのであった。
嬉しくもあり、また羨ましくもあるネアンであった。
天界はなるほど羨ましいほどの善良な世界であった。
だが、地上界はそうはいかない。
羨みまでならまだよい。妬みや嫉み、それが昂じて誹謗中傷、さらには陰湿ないじめや
暴力、犯罪などが蔓延する天仙肝入りの世界であり、神々ですら黙認せざるをえない世
界であった。
イナンナの能力を認めず、受 け渡される仕事に差別があると公然と食って掛かる先輩た
ちも現れた。
あるときは、体を売っているのではないかとさえ囁かれる。
そのたびに、心傷つくイナンナ。
やはり、癒し係は、ネアンであった。
むろん、イナンナの能力と幸運は、天界から来たものだろう。
だが、成果の多いだけ、痛みも多いことに天界は気付いてくれていただろうか。
知ってはいても、手立てが講じられなかったのかもしれない。
守りのほうも、きちんとしてほしいと、ネアンもイナンナも神に祈った。

意識を飛 ばす能力

ところで、ネアンの癒し能力は、カンナオビの頃から発現されるようになったものであ
った。
遠隔から意識的に透視をするように相手方を間近にして、あ たかもそこにあるように手
を触れたりすれば、相手方に実感として伝わったのである。
「君の白い太もも。ぼくには見えているよ。もう少しスカートをたくし上げてごらん」
「こうですか?」
「そう。おおっ・・妖艶だなあ。じゃ、少し脚を開いてごらん」
「ええっ、こうですか?」
「おや、どうしたの?はいてないんだね」
「えっ、どうして分かるの?」
「はっきり見えるんだもの」
「そうなんですか。怖いわ。実は、あなたを迎えるために、こうして待っていたんです」
「じゃあ、君の期待に応えてあげないとね」
カンナオビとはテレフォンセックスしかしたことがなかったが、カ ンナオビはまるでネ
アンに直に抱かれ、直にいちもつを挿入されているかのように感じたのである。
ネアンが意識的に、「抜くよ。さあ抜けた」と言わなければ、残留感をいつまでも持っ
てしまった。
ネアンの幽体かなにがしがエネルギーを伴なって、目 指す人のところに飛んでいたのか。
それとも催眠術だったのか。
そのエネルギーの効果は、カ ンナオビに関しては、美 容と生き甲斐の面で顕著であった。
そして、人生の新たな局面を開発していく原動力となったのである。
また、こんなこともあった。
カンナオビと別れて、イナンナとの身体を張った付き合いが始まると、いつの日か結婚
ということも考えられる。
イナンナには三人の幼い子供が居た。
ネアンがいずれ父親となるには、彼らの協力が欠かせない。
そこで、ネアンは、まずいちばん年上の長男に愛情を注ぐことにした。
といっても、イナンナの両親が新たな男の出現を許さなかったため、子供らに直接会う
ことはさし憚られた。
よって、いつもするように、意識を飛ばしたのである。
ネアンにすれば、可能性に賭けたつもりであった。
まだ見ぬ子供であったが、およそ見当をつけて彼と思しきイメージに対して、その夜は
並ならぬ愛情を注いだ。
ただそれだけのことであったが、長男は、その夜夢の中で、男の人に出会ってやさしく
してもらい、目が覚めてからイナンナに対して、「龍のお父さんに出会った。この人が
ぼくの本当のお父さんだ」と話したのである。
ネアンはそれを聞いて、どんな人物として自分は現れたのだろうかと心配をしたが、そ
れも大丈夫であることが程なく分かる。
やや後に、ネアンの写真が見せられるや、長男は「夢に出てきた人は、この人だった」
と答えたのである。
いっぽうイナンナも、意識を飛ばす力を持っていた。
見たい夢を見てコントロールするいわゆる明晰夢を見ることができ、そ のとき夢見の身
体を飛ばしたのである。
ある晩、ネアンの元にイナンナと思しき者がきた。
ところがそれは人間の等身大をした、金縁の青い龍であった。
ネアンは、それイナンナであるに違いないと思い、横たえると、優しく抱いた。
こりこりとした爬虫類の肌の感触があった。
そして翌朝こんなことイナンナに対して言う。
「君は元の身体でぼくのところにきたね」
「ごめんなさい。化けきれなくて」
「いいや。少しも違和感はなかったよ。ちゃんと抱いて差し上げたからね」
「ありがとう」
またあるときネアンは、巨大な白蛇が、ネアンの家の横の10メーター道路をはみ出さ
んばかりに南進している夢を見た。
その白蛇は、横道にそれ、土手のようなところに登ると、西に傾いた夕日のほうをじっ
と眺めていた。
イナンナは数日遅れで、あ る懐かしいが思い出せない道路を自転車で走っている夢を見
た。
そして、傍らから道を外れて河か池のある土手に入り、夕日を眺めているという夢であ
る。
ネアンは二つの夢を照合して、この白蛇もイナンナの化身であろうと推測した。
「君は龍の間に居て、ぼくは鳳の間を降りて君に出会ったんだ。ということは、君は龍
であるということだ。
しかも、八角堂の一階の天上には、金塗り青身の龍があった。その龍を先日ぼくは夢に
見て、君ではないかと思って抱いて差し上げた。
では、白蛇は何か。ぼくはかつて小さい頃に白蛇伝というアニメを見たことがある。
その映画には、なぜかすごく感動して涙が止まらなかった思い出がある。
きっと、君はあの白娘ではないだろうか」
「あなた。伝承では、弁財天の化身は白蛇なんです。
私もときおり自分は白蛇ではないかと思ったことがあります。
尻尾を出さないようにしなくてはならないと思ったりもね。ふふっ」
「何だよう、すごい一致じゃないか。ぼくはまじめに真相だと思うよ。
それに弁天は、龍神でもあるはずだ。そんなに化身を持っていちゃ、人間に固定してお
れるの?」
「さあ、わかんない。明日になったら、あなたをぺろっと食べちゃうかもよ」
また、子供は穢れが少ないため、夢に見る内容もストレートであり、その見たことをス
トレートに表現もする。
イナンナの長女は、まだ四才であったが、イナンナの血を引いて霊媒体質であった。
土地の神霊などを遠足の際などに目撃し、引 率の先生や他の子供に言っても無駄と経験
的に知っているため、話のわかるイナンナに話すのである。
「おかあたん。蒲田神社の神様はねえ、形が四角くてねえ、男の神様ばかりなんだよ。
みんなでわいわい騒がしくしたもんだから怒ってた」
あるときには、た またまテレビに戸隠山が写ったことがあり、そ のとき長男が、「あれ、
ここ前に見たことがある」と言うと、長女は、「そうだ。ここでお母さんにおっぱい飲
ませて育ててたんだよ」と言う始末である。
むろん子供たち二人が行ったこともない土地であるに違いなかった。少 なくとも今生で
は。
だが、これにも深い意味があるようにネアンには思えた。
神話に語られる遠い昔、国常立神が群臣のクーデターに遭い、殺害された。
その息子天照天皇がやがて謀殺される。
その妻であったヒルメ、いわゆる後の天照大神が、クーデター派の意向に立ったスサノ
オの侵攻から難を逃れて、戸隠山に落ち延び、ここに立て篭もったのである。
これがいわゆる岩戸隠れとされる逸話である。
そのとき、国常立神の娘であったイナンナの魂は、天照大神の子供として再来した。
イナンナの長女は、そ の時に乳母を務めた天照天皇の第X夫人であったとネアンは解釈
したのである。
父国常立神は、世を善導するため、かつて幾度か転生のつど再来した。
しかし、父が殺害されて封印され、再来もかなわなくなった分、娘が志を当面引き継い
だのである。
地球上では、栄華を誇った大文明が大地震と大噴火で滅び、長く暗い夜の時代となって
いた。
神界では天照大神の懐柔が進み、偽 の国常立から譲位される形で総裁の座についたもの
の、邪神たちの思うが侭になっていた。
こうしてイナンナも、高貴な血筋から外れ、理想には程遠いレジスタンスたちに混じっ
て工作員として転身することとなったのである。
あるときは、宇 宙連盟の科学者グループの中に工作員としての転生を得たこともあった。
ただ唯一の目的、邪悪を去り、世界に正義と理想を打ち立てるための多面的活動であっ
た。
その根底に、一家惨殺と離散という、忌まわしい記憶が原動力としてあったことは確か
である。
さて、ある日の深夜に、イナンナとネアンは逢い引きをした。
抱き合う気持ちの良さを共に味わううち、た またま共通の話題としていた御伽草子の夫
婦愛を表現する一節、「比翼の鳥。連理の枝」を持ち出し、「君とは二人そろって、比翼
の鳥のように飛びたいものだ。連理の枝のように、このまま離れないようにして永久に
すごしたい」などと言い合っていた。
むろん、子供たちが寝静まって、イナンナが家族の目を盗んで外出するわけなので、イ
ナンナの両親はもとより、子供たちの知るはずもなかったことである。
ところが翌朝、この長女が、「夢にお母さんが出てきてね。子猫になって、私のお手て
を噛むの。それから小さい龍になって、次に鳥になって飛ぶんだけど、その上にもっと
大きな鳥がいっしょに飛んでるの」と話したのである。
イナンナは、さっそくネアンに、長女がこんなことを話したことを告げ、「長女が夢で
私らの密会を見てたみたいよ。だ けど、そ の意味がまったく分かってないみたいだから、
ひと安心」と付け加えた。
「ひえーっ。ぼ くらが比翼の鳥なのを見切っているじゃないか」と 、ネ アンは絶叫した。
最初の子猫とは、ネア ンがかつて拾い育てた子猫であろうか
その変化(へんげ)の過程さえも読み切った長女。
さすがのネアンも、イナンナ一家のアダムスぶりには仰天したのだった。
二人の間には、このように人域を外れたところに共通の話題を持っていた。
たとえお互いが世俗の中で底辺の暮らしをしていても、この話題に切り替わるや、神仙
の二人になるのである。

イナンナの詠んだ歌。
秋の夜の 深き森にて 待つ人を 尋ね行きたし その寧庵を
しがらみの 古き衣を 脱ぎ捨てて 御許帰る身 ことほぎたまへ
はるかなる 輪廻の旅を 成し終えて 時の果てまで ともに生きゆく
縦横の 糸を結びて 織りなせる 錦の布も 君あればこそ
君がため ただ生まれたり 愛そそぐ ため生まれたり 時の雫は
これに対し、ネアンの詠んだ歌。
我が妹よ よくぞもどりし まずはこれ 長旅終へし 労ねぎらはむ
結ふの手の 真名井の聖水 飲みてのち 愛か溢れる 我が心かも
汝の愛は 現身超えて 暖かく 心溶かせり 至福いたせり
汝とともに 旅に出たばや 契りせし 玉の我が子を 育てし後に
黒数珠と 朱数珠を繋ぎ 金色の 彼岸の先に 庵構へむ
神話の物語が二人の基盤にはあった。

天仙の妨害

だが、天仙がネアンとイナンナの神話の間を裂こうとして、世俗の価値を手に入れない
かとイナンナに囁きかけてくることもしばしばである。ま るでキリストがサタンによっ
て試されたがごとく、世の聖者をテストするときによくありがちな狡猾な罠であった。
営業して回る中に、イナンナの美貌と純朴な人柄に惚れて、あまたある財産を背景に求
婚や妾になることを要求してくる輩が出てきたのである。イナンナは、相手が客である
こともあり、また客となりうる人であると思うから、二つ返事をするのがやっとであっ
た。それをよいことに、執拗に交際を迫る男たち。
だが、イナンナは、すでにそうした男のエゴを痛いほど経験していた。すでに結婚契約
書一枚で、彼女自身、男の下僕として暮らした経験があったし、友人にも抜き差しなら
ぬ状態に置かれた女性がたくさんいることを知っていた。
そんな折もおり、イナンナは啓示的な夢を見た。モルガンがイナンナを後継者に選び、
その遺産のうち、欧 州五カ国にある資産をイナンナに譲り渡すという仰天するような夢
である。
おりしも60才代後半という、妻に先立たれた老資産家から、何度も食事に誘われ、そ
のつど「わしの嫁になってくれたら、子供らの養育はむろんのこと、あんたにも満足い
く生活を約束するがなあ」と口説かれ、
ついには、「わしはもう老い先短いんだ。そうなれば全財産はあんたのものだよ」とま
で説得を受けたのと見事にシンクロした。
イナンナにすれば、こ れこそモルガンの象徴夢が自分の身に投影するチャンスと映って
いてもおかしくはない。
ところが、イナンナはかいがいしくも、この夢は、きっと今の生保会社が、外国資本の
圧力に勝って、彼らの侵食を食い止め、彼らの顧客を逆に奪い返すことを意味している
のだろうと考え直した。あるいは、イナンナ自身弁天であるとするなら、狡猾な欧米型
商法が、日 本の商法の良さを認めて軍門に下ることを意味するのだろうと捉えたりした
のだ。
確かに、子供三人だろうが四人だろうが、じゅうぶん養うに足る資力はほしい。だが、
またもかつての死んだような生活に戻ると思うと、適宜力になってくれ、自ら力を発揮
する自由を認めてくれるネアンのほうが、たとえ貧しくともはるかに良いと思えるのである。
しかし、この頃のネアンは、イナンナに渡すべき知識を与え尽くしたのか、教訓話が勢
い乏しくなり、下半身事にしか興味していない様子で、これで大丈夫なのだろうかとい
う思いはイナンナにあった。
だが、イナンナは、現実世界に生きる重荷や喜びとは別に、形而上の神話に生きる自ら
を認識していた。間違った人と再び事を構えれば、またも運命が変わってしまうという
怖さもあった。そして心に言い聞かせる。私が経済力をつける。ネアンがおじいちゃん
になったなら、私が囲ってあげるのだ、と。
そして、反動の有無を思い悩んだ末、意を決して、これら財力を嵩にきたお客に対して
断りを入れた。すると、ほかならぬイナンナが願ったことゆえ、これらの手合いはすご
すごと手を引いていった。
ただし、相手はなるほど天仙の回し者である。
金を自由にする強みで何でもする手合いであって、予想を超えて残忍にも、大事な時点
でわざと解約するという報復に及んできた。だが、弁天の計らいで被害が軽微に済んだ
のであった。
天仙のもくろみは一つ失敗した。
ある天仙は言う。
「どうして誰でもが飛びつくようなうまい話なのに、断るのだ? 富を与えよう。閑居
も思いのまま。
なのに、どうしてこの道を取らないのだ?こんなものがいようとは、信じられんな」
「あいつらは人間ではないのだ。その辺は間違うな」
「まだしもネアンのほうが世俗的ゆえ、攻略しやすいぞ」
「これも梵天が関わる以上、余計なことはできん。親方様のご指示を待つしかない」
そこに闇太后が芭蕉扇で自らを煽ぎながら、現れた。
「何を寝ぼけたことをお言いです。いかに意志が強くとも、いかに加護されようとも、
抱える負担が多ければ心身が疲れ果て、いつかは音を上げるもの。拷問の手法を用いな
され」
「ははっ、しかしそこまですると・・」
「もはや戦時下にあると思ってかかりなさい。亭主には、こちらからよしなに申してお
きます」
「はっ。では」
地上に生きるとは、それ自体がすでにたいへんなことである。
そこに法則性の掴めぬ運命の好不調の波が訪れ、ど んな生き物も自らの直感を頼りに手
探りせざるを得ないわけである。そこに、なおもその生殺与奪に関わる位置にあるもの
が別にいるとすれば。
人々は古来から、そのような不可視かつ不可知の存在を認知し畏怖し、生け贄を奉げて
きた。
しかもそれが最も獰猛な天仙であったとすれば。並 の生け贄では事足るものではない。
もしそれに、反旗を翻すようなことでもするなら・・。
いまここに投げ出された二人は風前の灯だったかも知れない。救う神の側は、役割を与
えた梵天と弁天、そして守護の神々、隠密裏に動く復興計画の神々ぐらいであった。
この世に関していえば、それで十分といえば十分であったかもしれない。ところが、彼
らはイナンナとネアンの衷心からの祈りを求めていた。しかも、万民を利益するに足る
良い発想が伴なっていなくてはならないと規定していたのである。
地上界にあるものは、そうした緩慢に見える手続きを踏まねばならないのである。
だが、心の動揺などで、望まれる効果が得られない場合もあるとすれば。キリストが処
刑される前にゲッセマネでした絶望の叫びは何であったか、分からないものでもない。
とかく善者の側は見捨てられがちであり、対応の遅れの目立つ感は否めないのである。

イナンナに、ついに拷問の触手が伸びた。彼女の誠意して漕ぎ着けたはずの契約がひと
つまたひとつと、中途解約されることとなったのである。
彼女にしてみればかなり大きめの契約であった。その解約は、今まで培った幾多の契約
の成果をご破算にして余りある痛手を彼女に与えることとなる。
もう一度、出直しのつもりで、その解約のソフトランディングを図ろうと客先に飛ぶイ
ナンナ。しかし、一見如菩薩に見えた相手は、天仙肝入りの夜叉であった。
長い営業がこれから続く中で、たかがこれだけのことといってしまえば易しい。だが、
この手の方法は天仙の得意業であった。たとえ小さな解約の連続でも、それに割かれる
労力はたいへんなものである。
それも、その契約を取るために足繁く通いつめ、そ れなりの手土産もすべて自腹で都合
つけたものである。
そして解約の問題処理にもまた遠路手間をかける。その無駄を思うと、たとえこれが営
業とはいえ、涙の出そうな空しさに襲われることになる。
それは気の無駄遣いとなり、自然体ならば自然になされる補給も、自らの心で閉ざし気
を浪費するばかりとなり、気が萎えていく。気が萎えると、とんでもない状況に陥る体
質のイナンナである。かつての地獄の精神状態が間近に口を開けていた。
ネアンは、イナンナの気を取りなおさせようと努力する。さらには、イナンナの痛手を
自らの給与から補填することを申し出る。だが、そ れではモルガン爺のすることと変わ
らないことに腹を立てるイナンナ。
イナンナは人というもの一般が信じられなくなりかけていた。すると、対人恐怖症とも
なってくる。
外交員としての最も大事な資質に翳りが生じはじめるというわけである。
天の陰謀を察知したネアンは、ついに最も強烈で、恐ろしい祈りを天にささげた。
「ただでさえたいへんな仕事を抱えるイナンナが、こ の世によってなおもいじめられ迫
害され、イナンナが絶望してしまうようなことがあらば、我が力ではすでに及ばざるが
ゆえに、神よ!どうかあらゆる災厄から、イナンナをしっかりと加護してください。
もしそれもしていただけぬならば、またイナンナがむざむざ不幸に陥っていくなら、私
はイナンナの守護者としてもはや生きるに値しません。私の命を終わらせた上で、必ず
や我が魂を抹消してください。どんな役割をも以後演ずる気はありません。よって、魂
は不要。
神よ!最終自由意志にかけて、このように願い出ます。
もし心あるなら、守護と善導の力により、我らが抱える困難を打開し、イナンナと私が
共に協力して子孫たちを、新 しい世に送り出せるだけの力と健康と運気と愛を授けたま
え」
その祈りは、蓬莱島に振動とともに鳴り響いた。
梵天はそれをネアンの衷心からの申し出と思いはするも、役 割を中座しようとする心を
良くは思わない。梵天は、弁天の考えを聞いた。
「ネアンの弱音と忍耐力のなさには困ったものだ。君 の作品は忍耐があってはじめてク
リアーしていけるものなのに。こ の実験宇宙の最終評価を送ってよこしたつもりのよう
だが、君はどう考えるだろうか」
「ネアンの忍耐のなさは、心臓の不調にも起因します。天仙の企みを、かつては空観に
よって切り返していたものも、愛 するイナンナの困難までは空観で処理できないがため
に、ストレスになっているのでしょう。イナンナは私が支えて、ネアンの負担を軽くし
ましょう。
それから、ネアンはまだ結論を出したわけではありません。イナンナが立ち直り、共に
協力して幸せな家庭を築くことができれば、考えを改めるところのものだと思います。
私たちの守護がおろそかになってはよくありません。私 たちのレベルでも彼らの困難を
打開してやる必要があります。あなたも努力なさってください。イナンナは私が全力で
守ります。あなたはそろそろネアンの力の封印を解いてやってはいかがでしょう」
「うむ。天仙はどうやら火の鳥の出現に業を煮やして、戦時体制に入った模様だ。二人
にどんな危害が加わってもおかしくはなくなった。そういうことなら、こちらも戦時体
制を取ることにしよう。ネアンの最終評価をもってしても、同じ所に行き着くはずだっ
たものだ。では、ネアンの力を順次解き放つことにしよう」

地獄 の世相かそれ とも

天仙たちは、杖の眷属や地獄の名主たちの息のかかった者たちに政経を牛耳らせて、二
人の住む国を不況のどん底に陥れていた。
庶民の生活力を削ぎ落とすための新しい政策が目白押しとなった。リストラ奨励法、低
金利維持法、福祉切り捨て法、医療費勤労者高負担法など。
それを行うにあたって、諦 め切った民衆の最後の希望を携えるかのごとく登場した封建
時代の三流美談を掲げる為政者がいた。言葉のまやかしに終始し、その実は士農工商の
時代をならって、残していくべき民と切り捨てていくべき民を選別していたのである。
あの毛と皮の剥けたモンスターを仕上げるために。
外国を向いた有事立法を成立させもしたが、そ の実は庶民の抵抗を押さえるためのいわ
ば百姓一揆対策であった。善神にバックアップされた為政者なら、上杉鷹山公をならう
であろうに、ここでも三流美談のまやかし宣伝が店先に並んだのである。
また、バイオモドキ神は、冷酷無残を絵に描いたような犯罪者を次々と養成した。
魂をほとんど腐らせた、犯 罪知識をふんだんにプログラムされたゾンビたちが世を徘徊
するようになっていた。これによる被害を受けるのは、かつて禽仙に荷担した魂の善人
ばかりであった。彼らの憤りや願いは、天仙が獄舎とすべく構築した世の為政システム
によりことごとく退けられた。
そのシステムのトップに入れ知恵するはやはり、冷酷非情のバイオモドキである。ゾン
ビ犯罪者は、形の上の牢獄に入るも苦労なく、逆に娑婆にあるように見えて、被害者や
善人の苦悩や心の立場は地獄そのものであった。
正義が報われない状況から立ち昇る怨念は測り知れないものがある。そ れが反作用を加
速的に増加させる。
そんな中にいて、巷の閉塞感にしだいに圧迫感、窮迫感、ストレスを感じるようになる
ネアン。それが招く、苛辣になりがちな世相評価。さらには、守護力のない本体、梵天
への恨みつらみも出てきつつあった。
そして、お役ご免と魂の消尽の請願をいよいよ色濃くしていくのである。
梵天は、ネアンが離反する事態にはしたくなかった。しかし、肉体でものを考える身。
いかなる信念、納得も、それだけで十分には成り得ない。イナンナはまだしも、弁天の
力により、顧客の新境地を開拓していたが・・。

「イナンナにセクハラや同僚からの誹謗中傷を加えさせても、なかなかしぶといです。
普通なら、音を上げていてもおかしくはないのですが、仕事が順調なのと、気持ちを切
り替えてくれる男のせいでなんとか保たれています」
「この二人は、互いに支えあっている。逆にどちらかいっぽうがだめになれば、もう一
方もダメージが大きい。イナンナが難しいなら、ネアンのほうを何とかせよ」
「そうです。こいつは運気の低迷に極めて弱いのです。しばらく仕事を干してやるか、
まれに良く、おおかた悪いという運気の波を作って揺さぶってやれば、腐った柿の実の
ように落ちることでしょう」
「もうかなり功を奏していますぞ、親方様。梵天の分身でありながら、梵天に反感を持
ち始めていますぞ」
「梵天とて、そんな奴は、決して面白くはないはずだ。これはうまくすると離反、ひい
ては奴らの計画の失敗に繋がるかもしれん」
いろいろなゲーム攻略のアイデアが天仙の間に交わされていた。それを横目に、にやり
と笑いながら座を立つ闇大后がいた。
いっぽうこちらは、二 人の密命者による代理バトルゲームの行われていることを知る四
天王を初めとする諸天たちである。
彼らは極秘の役割を持つもの以外は傍観者であるから、地 上の有り様を仕事の合間に瞥
見しながら下馬評を交わしている。と いっても、神 界も含む先の成行を左右するだけに、
決して他人事では済まされない。
「火の鳥が発進した以上、イナンナとネアンの成行いかんだなあ」
「ネアンは、火 の鳥を新時代の到来という当初の目的にしたがって現文明の滅亡の招来
に使うことを予定して下ろされている。
それに対して、イナンナは、新時代の設計図を携えてはいるが、滅亡による痛手を極力
少なくして、新時代に軟着陸させる役割を帯びている。要はこの二人の調整如何で未来
が決まってくるというわけだ。
二人とも、その辺の認識はできているから、おいそれと天仙の妨害にかかるまいとは思
うが、どうもネアンに不満が嵩じているようだなあ」
「もし、二人が別れるようなことになれば?」
「そうなった場合は、新時代の中身がどうなるや知れたものではない。もしかしたら、
破壊のみなされて、もう新時代は来ないかもしれないな」
「予測がつかない」
「いやいや、それはないと思うぞ。たとえそうだとしても、オオクロヌシ殿が復興に着
手するだろう。それに、この二人の結束は固いから心配なかろうとは思うぞ」
「だが、イナンナは仕事が第一だ。この出来が悪くなれば、いくらでも不満を抱える。
それをネアンに八つ当たりする。ネアンが、道を打開してやれなければ、愛想を尽かす
かもしれない。
また、イナンナの周りには、あまた男が言い寄っている。もし、その気になれば、いく
らでも心変わりはできる。そんなとき、不調のネアンなど、みっともないとばかりだか
ら、放り出されてしまうかもしれない。
いっぽう、ネアンの周りに不穏な動きが見られる。これらはすべて悪霊であろうか」
「天仙が用意した刺客であるに違いない。悪霊の取り巻きが一定の陣を敷いたとき、そ
れが天仙側の方針を物語ることになるはずだ」
「不定形な三極を囲んでいるということは、まだ加減しているというわけか」
「もう一極加わり、悪霊のフォーメーションが完成したとき、ネアンは心変わりするだ
ろう。あの気性だからな。だが、本当に工作員なら、耐えるとは思うが」
「真価が問われるところだな」
「祈ればスサノオ殿が駆けつけるであろうに」
「祈ることもできぬほど、諸天に愛想を尽かしているみたいだ」
「まあ、ネ アンはイナンナのことを思いやって、無 茶はすまい。イ ナンナはそのために、
忙しい中、会いに行く努力をしている。そのたびに、活力を取り戻している。
しかし、問題はネアンを取り巻く運気だ。それがストレスを生んでいる。激嵩すれば自
分だけで勝手に破壊に持って行くかもしれない。天 仙側としてはそれだけは避けたいと
ころだろう。
まだ存続させねばならないという天尊殿の所信表明演説も最近聞かされたばかりだか
らな。だから、フォーメーションもフェータルな形ではないと言える」
「近くに居るシノと会う可能性もあるぞ」
「そうなれば、ソフトランディングに支障しかねない。いまは、イナンナとの仲を見畏
んで大人しくしているが、仕事の面で共に居る時間が増えると、火の鳥をストレートに
破壊に用いてしまう可能性が出てくる」
「某国の同時多発テロも、シノが関わり、火の鳥が破壊方向に作用したものだからな。
これからも二人居るときに、何かのキーが揃えば、もっとたいへんな事態を引き起こす
かもしれない」
「すると、天尊殿は困るであろうな」
「まだ終わらせたくなくとも、勝手に終わるとなればなあ」
「いや、何らかの有効な呪術的対処を取るであろう」
「やはり、ネアンにも良い目をさせてやるべきだと思うぞ。せめて公平にな」

鶴亀の真義

こちらは天尊の宮殿である。
慌てるようにして太公望が入ってきた。
玉座の天尊に向かって恭しく礼をすると、まくしたてるように話し始めた。
「鶴は千年、亀は万年という言葉をご存知でしょうか」
天尊は、軽く頷いた。
「ついにプレートの解読から分かったのです。
これは鶴と亀それぞれの寿命をいうのではありません。
鶴の印章を持つものは、千年ごとに現れるという意味です。
亀の印章を持つものは万年ごとに現れるというわけです。
それがたまたま巡り合うのは、鶴が十度目に現れるとき。
そのとき亀と必然的に巡り合うべく定められているというわけです」
「それはおかしい。ムーとアトラントの間はXX年。アトラントとスメールの間はYY
年。杓子定規に一万年という単位が適用できるわけがない」
「それがです。ここでいう年の単位が、どうやらオオクロヌシの作った原型世界におけ
る惑星の時間で刻まれているようなのです。その頃の原型を生み出した惑星は、今にい
う仙界、神界、霊界、幽界、現界を包含しておりましたから、惑星はおのずと複数の太
陽の生み出す波動の中で公転し自転もしており、そ の頃には一律の時間進捗と観測され
ていたものも、太 陽が分かれてしまった現界次元ではかなり不規則なものとなるのです。
つまり、今にいう神話空間における時間の刻みが、現界における時間と食い違うような
ものです。
しかし、神話から現象へと移行するときに波動方程式で計算できるように、同じ方法で
変換計算して出すことができます。その結果、ここにいう千年と万年の周期が、ちょう
ど現界次元におけるそれらの事件のあった時点と合致することがわかったのです」
「ということは、なにか。今回を含め、火の鳥の発生する局面は、初めから定まってい
たということか」
「そういうことになります」
「ばかな! それではクロノスの掌で、我 々はもてあそばれているようなものではない
か。なにゆえ五界に分かれたのか。我々は管理しやすさの点から、分けていったはずで
はなかったのか。クロノスはそれらの歴史の成行すらも見越していたというのか」
「・・・・」
「もしそうならば、おおかたまた梵天の入れ知恵であろう。優位をかさにきおってから
に」
「いや、お待ちください。そうではなく、たとえ我々が五界に分けなかったとしても、
火の鳥は原型世界における一万年ごとに現れたのかもしれません」
「なに?」
「言うなれば、原型世界は、依然として私どもの世界の底に存在しているものです。つ
まり、私どもの作った世界、つまりソフトは、その上に浮かぶ島のようなもの。我々の
世界はいかにあわただしく推移していても、底には悠久の大河がある如しです」
天尊はその言葉に、怒りを通り越して、ふと何かを思い出したかのように、虚空を見上
げた。
「憶えておる。わ しがまだ若い頃だ。あ の頃の一万年とは、ま さに悠久だった。何 度か、
世界のすべてを更新する事態があった。そのときに、見知らぬ光に世界が包まれるのを
見たような気がする。そしてすべてが、野焼き後の大地に帰したのではなかったか。
そこからかつてあった植物が生え、あ らゆる生き物が息を吹き返したようなことがあっ
た。それが火の鳥だったのかも知れぬな」
太公望が見ると、天尊の目は涙に潤んでいるようであった。その当時の雄大な自然を思
い出したのであろうか。
「親方様」
「はは。いろんなことがありすぎて、忘れてしもうたわ」
太公望も思うことあろうか、床の一点をしばし見つめていたが、思い直したように天尊
に向き直る。
「いま私情は禁物です」
「安心せい。もう子供ではない」
そこでふと、今度は太公望がなにやら思い出したようだった。
「親方様。確か、あの戦いで勝利し、五界に分離させてしまう直前にも火の鳥は現れま
したぞ」
「うーむ。火の鳥はわれらの時代の開始を支持したと申すか」
「と、なりますか。それにもしかすると、国常立を倒したときにも現れているのではな
いでしょうか・・直ちに調べます」
太公望は、仙界のノートパソコンともいえる球体装置を湧き出させ、掌で操る。すると
そこには当時の歴史が立体映像化した。
「現れております。このときも我々を支持していたことになりましょうか」
天尊は久々に笑みを浮かべる。が、太公望には、うすうすわかっている。
火の鳥は事の善悪を問わず、大 きな時代の節目に現れているのではないかということを。
だが、今 の天尊が、た だ何かに飢えた子供のような存在に思えて、気 の毒に思えてくる。
「では今度はどうしたことだ。わしを見捨てようというのか」
「いえ、一概にそのようなことは・・」
「それが不可避なら、いったいいつになる」
「調べます」
太公望は、対応する原型世界の時間を波動方程式に当てはめる。
ところが、対応すべき時間に乱れが生じていて、正確なデーターが出てこない。カタカ
タ手間をかけている太公望。
「何をしておる」
「原型の時間が不安定なのです。今その原因を・・」
太公望は、原型世界に何が起きていたかを表示させた。するとそれは、ちょうどクロノ
ス更迭の時期にさしかかる頃であった。
実験炉に新しい要素を投入しようという動きが活発となり、新 たなソフトの種を宿した
人類が続々と投入され、旧勢力との間に軋轢が生じ、原型世界に暗雲が垂れこめていた
頃である。空間が歪んでいたために、時間軸も歪んで不安定に揺らいでいたのだ。
「大雑把なデーターしか扱えないこの方程式では、計測できません。より詳細な方程式
は、おそらく・・」
太公望は、クロノスが最後まで口外しなかったが、いまだプレートの中に埋もれている
と思ったのである。
「おそらく・・何と思った」
「・・・・」
側近の考えが読めない天尊ではない。
「なんということだ。縁起の悪い。ええい、とにかく火の鳥の発進を妨害せよ。何がな
んでもだ。火の鳥が我々のほうにつくにしても、今は我々の計画にとって目障り。発進
を阻止せよ」
「ははっ」
太公望は、その日の激務を終えた後、就寝前に天尊の治世を支えた火の鳥出現の時期を
もういちど点検してみた。
「クロノスの時代を更新させる導引となった鶴と亀とは、鳳と龍。宇宙を翔ける神霊で
あったか。では、国常立の時代を更新させたのは・・」
太公望は、表示結果を見て目を丸くした。
「鳳と龍は出ておらん。他に異象といえばグランドクロスか。それなら今回も出ておっ
た。鳳龍もあるとすれば、重大局面であることはいっそう間違いない。
それにこれは?なにい!? 国常立の娘が亀で、そ の囚われの身を助けた賊が鶴だった
と!?
まさか、国常立の実子がおのが親の治世を終わらせる役目を持つとは。より過去の遺恨
か、悪しき因縁か?」
さらに深みを調べていく。
「恨みの線どころか・・これほど思い合い深き仲であったとは・・・
そうか。火の鳥がそうであるように、やはり鶴と亀も、ただ世界を次のステップに存続
させていく力として存在したということか。
これがクロノスの考えた仕組みか。クロノスとはなんたる逸材。惜しいことをしたもの
よ」
私情ばかり先立つ天尊の命により、世界の汚濁を引率する太公望にも、胸詰まるものが
あった。
彼のもとに次々とエルモナイトプレートの解読結果がもたらされるも、彼 の推測を裏付
けるものばかりであった。
「だが、なぜこのようなサイクルを設ける必要がある?
クロノスの治世も、エ ントロピー蓄積と流砂瓦解の脅威にさらされていたということか。
いかに純粋英知を汲み取ろうとしたクロノスにおいてもか。それとも・・」

それより以前、イナンナはネアンに対して次のような霊感詩を送り、疑問を投げかけて
いた。これと同じことが、天尊の疑問となっていた。
「あの臨死のときに分かったんです。
そもそも、一つの疑問からすべての旅が始まったことを。
創っても創っても壊れてゆく宇宙。
気づかれぬように創っても・・・気づかれると壊される。
あれは何だったのだろう?
腐った卵のように・・・エントロピーの増大?
情報の海に飲みこまれる、統一という名の無?
男神様と、女神様の嘆き。
そしてそれに抗う為に、旅をしている人たち、戦っている人たち。
『夜明けの旅人』
それは、私が生まれた時から受けてきたはずの、宗 教概念と真っ向から対立するといっ
てもいい概念。
救世主という、統一者とは反対の・・・悪さえも宇宙が続いてゆく為には必要だと、わ
ざと調和を乱す為に、調和は無に向かう道だと・・・人だけがゆらぎを創れるのだと。
ゆらぎだけが、宇宙を存続させると。
なんで、こんなメッセージを受け取ったのか?
 (のちに創造神の独 白がある チャネラーにもたらされているのをネアンは知ることになる。それがイナンナの受け取ったメッセージと等しいもの であるとわかった。だがその独白を 読んで、ネアンはこの創造神の暗愚と、良からぬ何者かの入れ知恵のあったことを見て取った。この入れ知恵した者こそ、邪神邪 仙であろう)
でも、確かに受け取ってしまった。
正しいのかさえもわからない。
混乱して、だから耐えかねてあなたにぶつけてしまった。
悲しいです。
せめて、あなたとの出会いだけは、一つの導きだったと信じていたいけど、それも私が
創ってしまった宇宙の出来事だとしたら、いったい自分の何を信じればいいの?
わかりません。
ごめんね。こんな言い方をしたら、きっと困られるのはわかっているけど、
元はいちおう普通の人間なのですよ。ただの弱い。しかも男ではありません。
男に生まれたかったな。そしたら、もう少し強くあれたかな?
自分に克つしか道はないと、わかっているのです。
自分で立つしかないことも、本当はわかっています。
しばらく整理するのに時間を下さい。
夢の中だけは、自由でした。
何物にも束縛されずに、泣いたり、笑ったりすることが、ただそれだけのことが・・・
他の人には当たり前にできることが・・・なんとなく、自由でない事は本能的にわかっ
ていたから。
夢の中だけは自由だったから、だから夢に道を求めたのです。
今夜は十六夜ですね。見えるといいんですけど」
宇宙の揺らぎ、それが宇宙を存続させる鍵であることをイナンナは強調した。それを人
間だけが達成できるから、ど んなに人類が苦境に沈もうとも善悪の交代劇は必要なのだ
と言いたかったイナンナ。
何が真に本当なのか。
さらにその鍵を握るのが、こ の宇宙の開始からしつらえられていた興亡の鶴亀と火の鳥
のシステムであることも、おぼろげながら感じ取れることであった。




第五章 救世 神話夜明け前


夜明けの旅人
共に夢見る
地球上の異変


第五章 救世神話夜明け前


この章からの成行は、当初予定されたものから逸脱していくこととなった。
天仙のおそるべき策謀が功を奏したのである。


夜明けの旅人

小さな宇宙は、できあがってもできあがっても、壊されていく。
どんな理想を閉じ込めた宇宙の卵も、また理想を抱いて育とうとする赤子も、狼犬によ って食われてしまう。
それは大きな宇宙を存続させるために必要なのか?
いままでその片棒を担がされてきたのが、その成行を哀しむ当の鶴と亀、そして火の鳥 なのか?
そんなときに、ネアンにはこれといって解答は出せなかったが、本体である梵天がかつ てのように、ネアンの抱える 様々な疑問に少しずつ説明を与えていた。

「人界の人々の歴史が大きなゲームとするなら、神々もゲーム好きだったことになる。
トップレベルの神々は、神話をもって神々を舞わせ、人界に神話の象徴する出来事の集 成、つまり歴史を作ろうとした。
このために、人界に神話作りの権限を持たせ、神々はそれに基づいて神話の舞を舞い、 理念が言霊界の振動を介して時系列的に人々の精神に作用し、ひ とりでに歴史顕現の機 運となるような仕組みを作ったのだ。
いっぽう神々はその中に、みずからの分霊を化身させ、歴史の展開をモニターさせた。 そのモニターにもレベルがある。
単に世相を見聞きして、歴 史が所期のとおり作動しているかどうか調べる第一レベルの 者。
時の兆候として、神話の役柄を小宇宙にそのまま持ちこみ、自らの行動で歴史を牽引す る第二レベルの者。
第二レベルの者は、宇宙から小宇宙に至るあらゆる相似像の中で多様な存在となり、ま たいっぽうで陰と陽の役柄があった。

彼らを”時の雫”という。
陽の役柄の者は、小宇宙の歴史の上に確かな歩みをつけるために、神々の公認で現実を 思うようにできる力を持たされていた。
いっぽう、陰の”時の雫”は、神々がそれぞれに任意に放った者であり、他の神々には 易々とそうとは気取られぬ特質が持たせてあった。
いわば隠密であり、工 作員なのだ。神 話の役柄を持ち併せながら、表 立たず市井に生き、 神話の型を演じて祭り事をすることにより時の兆候を先導し、歴 史を円滑に誘導すると いう特質を持っていた。
人体も小宇宙といえる。” 時の雫”の中には時の兆候を、つまり歴史の相似像を自分の 体に体現している者もいた。彼は彼自身の病態で世間の病態を演じ、世間が死に瀕する とき、彼も死に瀕した。
かつて維摩という者がそうであった。そ の特質の多様さは神霊のプライバシーのような ものであり、たとえ同列の神々といえども、理解しにくいものがある。
それはまるで氷山のようなものである。力も現れも、表立って少ないが、海面下には巨 大な作用を及ぼしている場合がある。
ネアン。君にはそうした役割がある。世間の誰にも、理解されることはないし、神々す らも君の存在意義は理解し難いだろう。
だが、役割を付与する者が確かにいることを知っていてくれたまえ」

また、イナンナにも夢を介して梵天が現れて、主として視覚に訴えるやり方で知識を付 与していた。
だが現実に知識を持ち越すには、翻訳機である頭脳が予備知識不足であったり、機能的 にまだ未熟さがあった。

このため、「本体様が出てきて、空間にいろいろあらわして見せてくれたのよ。そのと きには分かった気がしたんだけど、どんなだったか忘れてしまったわ」としばしばネア ンに残念そうに答えていた。

イナンナは、その年の秋に不思議な夢を見た。
幸せなある日の昼下がり、いちばん下の子の相手をするうち、その子が眠ってしまった 合間に、うとうとして夢を見たのである。その内容が驚異的であったため、電脳的手段 でネアンのところに書いてよこした。

「今日お昼、うとうとしていたら不思議な夢を見ました。
夢の中でイナンナは大きな亀になって水に浮かんでいました。
背中の六角の甲羅のひとつひとつには違う世界が詰まっていて、そ れぞれに七色に輝い ていました。
ああこれが玄武、五 色の亀とは私のことなのだと、不 思議なほど自然にそう思いました。
ところが浮かんでいた湖が旱魃でどんどん水が減っていきました。
あたりの村村ではたくさんの人々が餓えに苦しんでいます。
イナンナにはわかりました。
イナンナがこの玄武の体を捨てて、背中の世界を解放すれば、皆を救えるのです。
甲羅の中には、豊かな水と、地上天国の基になる世界の、なんて言えばいいのかな?
細胞の元、のようなものがいっぱい詰まっているのですから。
とうとうイナンナはあきらめました。
この肉体を捨てようと思いました。
でも最後にあなたに会いたいと思いました。
肉体をすてれば、愛しいあなたにもう抱きしめてもらうこともできません。
そしてまるで人魚姫のように、美しい乙女になって、水から上がりあなたに会いに行き ました。
でも不思議なことに、捜し求めたあなたも実は朱雀の化身だったのです。
朱雀は痛みきったこの世界を火炎で焼き尽くし、良 い世界にたてなおそうと思っていま した。
あなたもその火炎を解放する為に、解脱しようと考えていました。
そこで二人は話し合い、お互いの肉体を捨て、解脱することにしました。
鶴と亀の、朱雀と玄武の魂が交じり合い、新しい世界が生まれ、はぐくまれていきまし た。
ああこれが鶴と亀が統べるという意味なのだと、イナンナにはわかりました。
そして私たちはひとつになって、宇宙そのものに戻って行ったのです。
とてもとても暖かな世界でした」

そしてある日、出会って、その夢のことを語らい合う。
「付け加えて言うけど、それがあまりにリアルで不思議なの。
私は湖の中から、目だけを水の上に出していて、陸や空を見ているのだけれど、亀は目 が頭の両側についているじゃない。
視界が人間のそれじゃあなくて、広角レンズのように広い視界が得られていたのよ。あ んなの初めて」

「それはまったく、そのものずばりに成りきっていたってことだ。
君の前世の記憶、いや君自身が本体に戻って経験したのでなければ、何なのだろう。
ぼくらは宇宙を創るためにいたんだろうか。
ぼくが朱雀で火炎で世界を焼き尽くす。
君は、そこからどう立て直すか知っている。
絶妙なコンビネーションじゃないか。
確かに、ぼくは過激な火の鳥のような短気な気性をしている。
君はぼくの性格や考え方を的確に夢に見てくれたんだ。
前に発案して作った本は、これを出せば、邪まな秘教に支配された世界が終焉を迎える だろうという確信を半分抱きながら世に出した。
まさにその通りになりつつあるのを見て、恐ろしい気にもなっている。これで良かった のだろうかと。
だが、そんな過激なぼくに、もっと豊かなプランへの誘いをしてくれたのが君だ。
ただつぶれて、そ の後反省したものが一から作り直せば良いというのでは救世にならな い。
また同じことの繰り返しになるだろう。
君が現れて、ぼくを愛してくれたからこそ、目が開けたんだ。
ぼくはこれからは、一人で事をやるのではなく、君 と二人で協力し合わないといけない と知った。
イナンナは亀をシンボルとする乙姫であり、御 神体は神亀であり玄武であり竜神であり 白蛇なんだ。
つまり、海陸、大地を守る神だ。それを補おうとするなら、空を知る鶴、朱雀、火の鳥 がなくてはならない。
空と大地の知恵が合して、はじめて地球は円満になる。
それが、鶴亀渾るの意味ではないのか」

「私には亀甲紋のそれぞれに、この世を作るに必要な要素が詰まっていると、自分で分 かるの。
それを元にすれば、必ず良い世界が作れることも分かっていた。
玄武の私は素材を提供し、朱雀のあなたはこの世を浄化し、二人して要素を撹拌して新 しい宇宙を育むの。そう直感したわ」
「それはそうと、ぼくが朱雀だなんて、本当なんだろうか。まだ半信半疑だよ。
ぼくは鈍感で、夢見も満足にいかない。この年になったから、夢見に至るほどのスタミ ナがないのかと思ったりもする」

「あなたは無理しなくていいの。そこにそうしているだけで偉大なんだから」
「自分で分からなくとも、分かってくれる人がいて、偉大な神獣にさえ数えてもらえる なんて。不思議で本当に光栄だ。
鶴亀が出会った後で、日野・鳥取で火の鳥復活。ぼくはその火の鳥でもあるのか?
そんな力など、どこにもないぞ。
鶴亀のシンボル合わせのように、二人して体現の形を合一させて新しい宇宙を作り、ぼ くらは霊的な宇宙父母として合身して、これを守護し育むというのか?
そんなとてつもない存在なのか?ぼくらは」

「私たちは、そのとてつもない存在の雫なのよ。
最低限、それは確かよ。梵様もそう言ってた。
そして、私たちが肉体を捨てるとき、つまりこの世を去るとき、きっと朱雀と玄武とな った意識のもとで、この神話を二人して演ずることになると思うわよ」
「だけど、時の雫だとすれば、なにもぼくらだけとは限らないんじゃないか?
ちょっと自信がないからこんなことを言うのかもしれないけれど、ぼ くらみたいなカッ プルが他にも幾組もいて、ぼくらがうまく行かなかったとしても、どこか別のところで 達成できたらいいようになっているんじゃないのかな?
だからといって、いい加減であってはいけないけどね」

「ネアン。違うよ。この世を救えるのは、私たちだけ。
私たちは、私たちの理想とする世界を作るのよ。
誰にも邪魔されない。
他のグループは、他の理想的宇宙を作ろうとするでしょう。
そうやって、彼らは彼らの、世の建て直しに向かって努力する。
私たちは私たちなのよ」

イナンナは世に出て見聞して、何が真の理想であるかを見極め、それを神亀の甲羅に蓄 える。
それはもうすでに始まっているわけだが、理 想は新しい宇宙という赤子を生むためのD NAにコピーされ、造形の原動力となる日を待つのである。
理想は日々新たな発見のたびにDNAの情報が追加更新されていく。
一歩一歩着実に、歴史も進む。理想の更新と理想発現に向けての象徴的な努力が重ねら れている。

一方では、二人の拠って来るところの謎解きが進められた。
その謎が解かれることそれ自体が、二人の持つ力を倍化させるものとなるのだ。
表面的には、互いの信頼関係を高め、絆の強さを生むだけのようであったが、二人の間 に伏在し還流するエネルギーに良い影響を与えるのである。
その結果、理想形の更新と発現に向けての動きがスムーズになるのである。
二人の良好な関係を永続させねばならぬかのように、イ ナンナの話題はまるでシェヘラ ザード姫のように尽きざる泉の如しであった。

夢見、宗教観、神話、御伽噺、臨死体験などから適宜出てくる話題は、かつて夢見やい くつもの神秘体験をしたとはいえ、今 はもう夢を見ることもめっきり減った現実にのみ 生きる精彩を欠く王ネアンの目を開き、神 話世界が紛れもなく存在することを思い描か せたのである。

たとえば、このような話は、ネアンを大いに驚かせた。
イナンナの臨死あるいはその前後の霊媒状態における話は、壮絶な迫力があった。
イナンナは、碧空にたくさんの仏たちがそれぞれ雲に乗り飛来して、イナンナの頭上で 雲上ダンスを踊るという、気味の悪いビジョンを見た。
それはそれぞれが躍動的にリアルに踊っているのであり、原色の世界像とあいまって、 鮮烈な印象をイナンナに与えた。
仏たちは、ま るで帰依の対象となるような静的な仏像のイメージではまったくなかった。
同じものを、柳田邦夫も臨死のときに見ているという。
初めて見る仏の素顔なのか?
そしてその中で最もイナンナを怖がらせたのは、恐ろしい顔の馬であった。
これは馬頭観音とされる神であったろう。(ネアン解釈)
謎のビジョンに曝されてなお目まぐるしく変わる世界像に翻弄されるイナンナ。
そのようなビジョンも、まだしも十日にも渡る臨死のビジョンの全体からすれば、ほん の一部。
その後、最後の審判であろうか、時の司祭の矢継ぎ早の質問に受け答えせねばならない 過程がやってくる。
それを全問正答してようやく、死の淵から生還することにもなるわけである。

それに対してネアンは、かつて興味して読み解題した知識で語り明かそうとした。
「君はたぶん、チ ベットの死者の書が語る中陰のビジョンそのものを体験してきたのだ ろう。
それは釈迦がヨガの技術によって死者が立ち行く七七、四 十九日の経験時空を見てきた ものを伝えたとされている。
はじめ柔和な神々といっても仏だけれど、日を変えて次々と出て来る。これが七日間。
そして、死者に啓発を与える。そのとき、死者は自らの魂をそこに解け込ませることが できたなら、仏の意識と合体して解脱が得られるとされている。
それが期間内に解脱が果たせなかったなら、次 の七日間は憤怒の神々が立ち現れてくる という。
それは威圧感を持って死者を導こうとするんだけど、そこでも死者が悟れず、憤怒の仏 と意識が同化できなかったなら、 いよいよ悪魔や審判者が出てきて死者に試験を与え、つ いに輪廻先が決まる再誕生先の ビジョンが現れてくるというんだ。
どのときも、立 ち現れる現象を空と観じて心を平衡に保つことができたならまだしも解 脱できるとされている。
君は、釈迦が見てきたものを、しっかりそのまま見てきたのかもしれないなあ。
しかし、君から聞く限りでは、とてもそんな仏を仏と見ることなどできないだろう。
死者の書のガイドがあったとしても、そんな内容の仰々しさでは、普通の人はついてい けないよ。
だから、ぼくはおかしいと思う。
チベット人にだけ経験されるというなら別だが、君 もそんなこと知らずに経験してきた ように、誰でも同じビジョンを見るのだとするなら、まるでお前は解脱などするなとい っているに等しいじゃないか」

「そうね。あんな見せつけられかたしたんじゃ、気 持ち悪くてとても帰依なんかできな いよね」
「だから、中陰の幻影というのは、単なる手続きなんだと思うよ。ただ、こんなのがあ るよって感じのね。だったら、何のためのものなんだろう。
もう一つ考えられることがある。君が見た臨死における仏や魔神のビジョンは、チベッ ト密教で観想する時の集会樹というものなのではないかな。
ただし、チベットの観想は仏画にあるように、静的な神仏をイメージするのであり、雲 上のダイナミックな躍動なんてものではない。
密教修行者が観想するのは2D。君の見たビジョンは3Dであるだけに、もしかすると 原型なのではないだろうか。
ということは、密教の先達者が到達し得た、後輩に伝えるべき生のビジョンを、君がな りゆきの中で難なく見てしまったということになる。
チベット仏教・ニンマ派の開祖パドマ・サンババは、神仏の宿る集会樹のビジョンを伝 えたけど、これは一種の生命の木のことだ。
それが君の見たものに近いのではないか。
そこには如意宝という樹木の体系の中に著名な仏や守護神たちが多く集まっているん だ。
ヘルカという守護神は、およそが馬頭で形相凄まじい。この中に出てくるハヤグリーバ は馬頭ヘルカとされ、妨げになるものから修行者を守るという神だ。
有名な馬頭観音もこの中にいる。
パドマ・サンババも、どうやったらこんな仰々しいビジョンで解脱できるか、かなり知 恵を絞って、集会樹のイメージを作ったんじゃないかな。
集会樹の真ん中には、密教の開祖パドマ・サンババが裸体の明妃と交合する形で座る。
この原型が人類に普遍的なものなら別だが、もしチベットに特有のビジョンなら、君は 密教修行者であったか、そこに出てくる神であったのかもしれないね。
SEXする形態の修行法を与えているのは、密教のヨガの特長だ。君の苦行と、新しい 悪種をまかない態度は、この教えによる気もする。
君はクンダリーニが覚醒しやすいし。臨死だって、クンダリーニ覚醒によるものである に違いないんだ。
死にともなってクンダリーニが解放されるか、そ れとも修行によって解放されるかの違 いだ。
中陰とは、意識がクンダリーニに乗り移って経験する出来事とも言える。そこから、奇 跡の生還を果たすなんて。 どうあっても、君はすごいよ」

また、イナンナは、短歌を詠むようになっていた。
それも、ネアンと知り合ってから、花開いた趣味であった。
それまでの家庭生活においては、その能力は完全に埋没した状態にあった。
つまり、死んだように生きた状態から、生き返ったという感じなのである。
ところが、その才能はどこから来たものか、異彩を放ったのである。
彼女の両親の信仰する宗教団体において、数ある投稿者の中から、彼女の短歌が毎回の ように入選するようになった。
天位、人位、地位、佳作のいずれかに名が出るようになった。
そして、大和言葉を駆使した古風な作風で次々と編み出す素質に、選者もあなたには特 別な師匠は要らないと絶賛した。

ネアンも及ばずながら、詠み合せようとする。それはさながら、応答連(恋)歌となっ た。こうして、気持ちを通い合せて行く。
「これもあなたのおかげなのよ。
実はね、とんでもない話ですが、わたしは臨死の前、西行法師と、正常な状態で、一体 化していたことがあるんです。
でもこれは、きつねとかではなくちゃんと本人だと思うのよ。
その証拠に、一日に100首ほどまともな和歌を詠み、しかも筆跡は彼の真筆と、照合 できるほどだったのです。
残念なことに、母がそんなものは置いておくべきではないと、わたしが入院している間 に、焼いてしまったんだそうです。
しかし、最 も親しい友人が、手 元に今も一首書いたものを、持 っているというのですが、 金沢に行かないと見れません。
その友人は、私が救急車で搬送されるとき、ずっと横に居てくれた女性です。
あなたと出会ったと同時に、また和歌を触発されるように、詠み始め、しかもベースも 無いのに、次々当選しているところをみると、やっぱりね。あなた直伝ってかんじなの ですが?
ご記憶には全然ありませんか?
でも人物像は、アウトローでありながら、こころやさしく、精霊達とも話をする不思議 な聖。あなたに似てるんだけどなあ。本体ではないのかしら?
なにぶんにも玉若の笛といい、あなたは確かにずいぶん記憶や能力を、封印されている ようだから…」

イナンナは、作品の入賞が連続しているのは、二人と二人の役割の前途が、今は亡くな り神となった教団の恩師によって祝福されていると考えた。
またこの頃、イナンナは精力的に物語を作っていた。
十・千年紀」とい う、一つの良き時代が終幕するときの情景を彼女自身、臨死におい て主人公として見聞きしてきたことを、シ ュメール時代に時代設定して書いているので ある。それはみごとな描写で、読む者を圧倒するものがあった。(この内容 は、国常立尊とアマテラスが関わった神界の政変を、実際に見てきた者の立場で、地上界のシュメールに置き換えて伝えているの だとイナンナは語った)
それに続いて続編として、今度は西行とその恋人、月野の生涯を描こうとする物語を手 がけようとしていた。

「物語にまた気持ちをぶつけてみます。
第2部は中世、源平の時代です。ここをまず修正して、また古代へと遡るつもりです。
わたしは月野という架空の人物で、クカミ水軍の当主の娘という設定に、わざとなって います。さあここからどう逃げ出すかです。
あなたは、もちろん、西行法師です」
しかし、イナンナは仕事の忙しさから、時代考証に時間を割くことができなくなり中座 した。
が、短歌だけは閑をみながら詠みつづけ、毎月のように投稿を行うとともに、ネアンと の歌の応酬も試みたのである。

イナンナに西行が懸かった時に詠んだ歌。
浮き雲の 漂へるごと 初島の 白き姿は あめつちのはじめ
風といふは 目には見えざる 心なり 天翔けりゆく いわ船のごと

ネアンはこれを見て、こう言う。
「西行のかかったと思しき歌、スケールがでかいね。
神話の下地をしっかりさせていて、西 行も霊界で大局観に浸りながら旅しているという 印象だ。
じゃあ、ぼくはこれを返そう」
霊にあらば 風なるものは 御霊なる わが身を運ぶ いわ船のごと
いわ船を 帆上げて見よや 光うつ あれは敷島 国生みの地ぞ

「おりしも、皇太子の家に御子が誕生されたね。
日本じゅうが大きなイベントに沸き立っているようだ。
君も気分が良くなったかい?
新しい希望のときがまた来そうだね」
今日の日に 貴き御子の 生れましき 敷島はるか ゆう日にほでる

「あなたの歌も、スケールが大きいね」
一つ分かれば、また二つ三つ分からなくなってくる。
「いつかまた、夢見して調べるわ。私は夢からヒントをいままで得てるから。あなたも できたら調べてみて」
「オーケー」

共に夢見る

イナンナはネアンに対して共に同じ土俵で夢見ることができないかと思っていた。
「私はあなたの本体様とよく出会うのよ。あなたにそっくりなんだけど、もっと若くて しっかりしているの」
「仕方ないよ。ぼくは初老だからね。本体はどれほど年取っていても、神様だから若い に決まってるだろ」
「私はあなたの夢が見たいのに、あなたが出てこないものだから、梵様が代わりに会い に来てくれるんだと思うよ。
あなたも夢見してよ。以前にしたことがあるんでしょ?」
「ああ、あるよ。でも最近は夢自体見ることができなくなっている。
眠りが浅く、夢にまで至らない。夢を見ているのかどうかも分からない。
気にしていないはずなのに、心臓の鼓動が気になっているんだろう。
ときには、寝相に 関係なくいびきをかいては目を覚ます。
きっとスタミナがなくなったんだろうな」

天仙が、ネアンのストレスを過大にして、心臓の具合を悪くし、眠りまで損なわせよう としていたことに気付く由もない。
また、イナンナにも、ネアンに対する不信感の芽を植えつけていたのである。
イナンナと交わっても、ネアンは彼女の体に触れながら、出すことができなかった。年 齢相応の老をきたしていたのである。
イナンナにはほんとうに自分を愛してくれているのだろうかという不満があった。そ ん なとき、時は8月であった。
イナンナは、仕事上の上司の執拗な要求を愛の証しと思い、ついに情交に及んでしまっ たのである。
しかも、口説いてやまなかった強引な上司であったため、いきおいセックスは主従関係 のような状態になった。
会社内で、人目を避けて非常階段や男子トイレでこなすスリルが余計に快感となり、同 時に信頼を上司に寄せるようになったのである。
それからは、仕事や情交のたびに上司の価値観を叩き込まれ、うだつの上がらぬネアン のことを見下すようになっていった。
あなたの夢が見たいのに出てこない、だから梵様が・・この言葉の裏には、すでに上司 を梵天に見立ててしまったイナンナがいたのである。

以前から、定 め以外の他の男に身を任せるとき、決 して良い事態にならなかった先轍を、 自らを別の思い込みで固めることによってクリアーしようとまでしていたとは、知 らぬ 仏のネアンであった。

上司のことを過去世から私に思いを抱きながら満たされなかった人と位置付けたり、夢 見で彼の立場を弁護するような夢を見るようになってからは、つ いにネアンのことを探 していた人物ではなかったとまで思うようになっていた。
こうなれば、二人で築く宇宙も神話も、どこかに消え去っていたとしてもおかしくはな い。

そのころ、何も気づかないネアンはこんなことを感じて、イナンナに言う。
「きっと君がぼくを夢見に誘ってくれたら、大丈夫だと思うよ。
それには、いっしょに眠ることが必要かもしれない」
ネアンはイナンナと一晩でいいから同じ寝床で寝たいのである。い ささか下心が手伝っ た申し出となった。
梵天は、イナンナがこのような裏切り状態にあることは、ネアンの頭脳を介してこの世 界を眺めている立場上、知らなかった。
純粋にネアンの心身の具合はともかくとして、こ の計画には夢見が必要であると考えて いたのである。
というのも、天仙でさえも夢のことを不安定な簡易的創造世界であると考えていて、さ ほど関心を寄せていないと思っていたからであった。

梵天は、二人が共に夢見できない状況を懸念して、一つのサポートチームを派遣するこ とにした。
クロノスがかつて用意した中で、地 球上でいま知られる最強の薬用植物を与えるための 派遣団である。
このため、前もって、ネアンの車の前を通せんぼする四匹の猫家族を登場させるという 不思議に遭遇させ、何が起こるのだろうかという期待感を抱かせておいた。
そんなとき、キ ャッツクローという薬用植物のことをネアンはイナンナの知人を介して 教えられたのである。

その人物はこう言う。
「これは免疫力を高めるために、万病に効くということです。
心房細動ですか。不整脈に効いたという情報もありましたよ」
何かのシンクロかと思い、しばらく服用してみようかと思うネアン。
服用すると、引いていた風邪がたちまち治り、眠りがその日から深まった。
なるほど、不整脈はストレスからくるという。それを解消する眠りがえられれば、もし かするととネアンは考える。
最初の数日は、足りなかった眠りをむさぼるように熟睡し、夢も見た感はなかったが、 10日もすると夢を見だした。
ただし、最初は悪夢ばかりが続いた。
夢を見た初日には、パソコンがウイルスに冒されたか、画面が白くなり、スピーカーか ら声がした。
「3月24日になったなあ」
「ほなら行ってくるわ」
投げ遣りな声だけのやり取りがあった。
ネアンは、ウイルスにやられたと慌てたところで目が覚めた。

次の夜は、自動車運転中に違反で捕まった夢であった。
これらは、昨今ネアンの役割に危険信号が出ているという警告夢であったのだ。
その夢を見たのは3月の初めであったが、確かに日付けの予告された数日後に、中東の I国で世界の終局の引金になるようなテロが起きた。
それからというもの、I国によるP人の大量虐殺が始まった。
夢のパソコンから聞こえた声は、現場にいる緊迫した戦士の声というより、半分ふざけ た奴の声、つまり世相荒廃を仕組む邪神の声のようであった。
事の善悪はともあれ、ネアンの”共に夢見する”下地は整えられねばならない。

ここからの筋書きは、実現されなかったことを含んでいる。
西暦20XX年の吉日、ネアンはイナンナとその日、出会って共に夢見るための打ち合 わせをした。
「じゃあ、今晩君がもう寝るといった時点からぼくも眠ることにする。
君はぼくの家をもう知っている。二階のベッドの位置も知っているよね。そこに寝てい るから、君の夢の中に引き込みに来てくれる?」
「あなたも私のことをしっかり想いながら寝てよ。絶対、他の人のことを想ったらだめ よ。
でも、軽く私のことを思って。軽くよ。そうでないと、緊張して眠れなくなるといけな いから」
「本当に、最近は眠ること自体に苦労しているもんな。昔は、毎日でも夢見したのに。 家相が良くないのかな」
「大丈夫。迎えに行くから」
「うん」
「じゃ、気をください」

最寄りのファッションホテルに入る。
買ってきた食べ物類がテーブルに並べられた。
そして、時間が足りないとばかり、風呂をつけるネアン。
その準備の最中にも、閑があればキスをし合いいちゃつく二人である。
共に風呂に入り、お互いを洗いあう。全身からやがて秘部へと。
そして、感覚は研ぎ澄まされていく。
上がれば、食 べてアルコールを少し入れて、そ そくさとベッドの中に倒れこむイナンナ。
それを追って飛び込むネアン。二人はお互いの秘部を心置きなく舐め合った。
イナンナの湿潤な秘部は、やがて適度な潤いで異物を求め出す。
ネアンがじらしてなかなか提供しないもので、無 理やり捕まえて引っ張ってくるイナン ナ。
そして自らあてがい、挿入を果たした。
後ろから前から、体位は自在に変わり、イナンナは絶頂に達した。
ベッドは、最初の余禄でしみを作っていた。
なおも気を巡らせるべく、スキンマッサージに励む。
イナンナはいままでのストレスを吐き出すかのようである。
ネアンはその点サニハらしく、イナンナの心身とホールに気を送り込み、二人の間に気 を巡らせていった。

「これでお互いを認識するための、気の交換ができた」
「もう離れていても探せると思うよ」
「頼むね」
お互い50キロ離れたそれぞれの自宅に帰り、イナンナは子供を寝かしつけて、ネアン に連絡を入れる。
ネアンはその頃合いで眠りにつくというわけである。
夜のxx時ごろイナンナから電話である。
「子供も寝たし、私も寝ます。あなた、誘導の気を送りながら寝てくれる」
「ああ、いいよ。ぼくもちょうど眠くなった。君を想いながら寝る」
「私もよ。ぐっすり眠りましょう」
電話を切ると、二人してまどろみの中に落ちていった。
しばらくしてネアンが見たのは、やはり龍が出てきた夢であった。
青黒い体に、金色の縁がある、サイズの小さい龍であった。
長さはある程度長いようであったが、胴 回りはネアンとそう変わらないサイズであった。
その龍の顔が微笑んでいた。
目に瞼があって、細目にしていたので、そのように見えたのである。
「どう見える?」と、イナンナの声で聞こえた。
ネアンは、何を見てもあまり動じない性格のせいか、あるいは夢のせいか、違和感を感 じなかった。
「きれいな金縁の青龍だよ」
「怖くはない?」
「ぜんぜん。前のときもそうだったじゃないか」
「じゃ、抱いてくれる?」
「ああ、いいよ。あ、そうだ。君はじっとしておいて」
というのも、龍の両腕で抱きしめられたりしたら、いつぞや書いた物語のように圧死し かねないと思ったのだ。
「はい」
ネアンは龍の体を仰向けに寝かせた状態で抱いた。何か懐かしい。
ネアンは目を瞑って龍身に体を摺り寄せた。体は硬くてゴリゴリしている。鱗のせいで あろう。
龍女がどんな顔をしているかと、目を開けたそのとたん、龍女はいつのまにか美しい羽 衣の天女に変化していた。
羽衣を下に敷いた状態で、天女の美しく透き通る生身と股間で繋がっているのを見た。 龍身とは違い、摺り寄せる天女の体はマシュマロのやわらかさである。ネアンは逆に戸 惑ってしまった。
夢見とは、これほどまでに見ている光景によって、感触も変わるものなのである。

「どうして?」
「弁財天です。化身が龍の。その分霊が同じく龍体の乙姫なの。
龍の体が小さいのは、私が弁財天の分霊、乙姫だからよ。
あなたは浦島。私たちは、偉大な神話の型を演じているのよ」
「はあー。すごい。ぼくは弁天様とセックスしてるの? 畏れ多いことだ。これで良か ったの?」
「大丈夫。私は何度もあなたの本体、梵様とエッチしたわ。
あなたもすばらしいのよ。さあこのまま夢見を続けましょう。もっと分かってくるよ」
二人見詰め合ううちに、どらからともなく抱擁とキスをはじめた。
激しく口の中に舌を入れあった。喘ぎ声をあらわにする弁天乙姫。
それに呼応して手を入れ乳房をまさぐる梵天浦島。
乳首の凝りを指でつまむと、ああっと吐息が漏れた。
揉みしだきつつ乳首を指の間で挟み上げ転がす。
乙姫は快感を全身の悶えで示した。
「不思議だ。まるであつらえられたように、ぴったりしているよ」
「忘れた? 竜宮では、いつもこうだったのよ」
ネアンは、腰をゆっくりと前後させた。
「ああー。いい」
何度かの後、乙姫は往った。
「あなた。この入れたままの状態で夢見してください」
「抜かずにだね。じゃあ、このまま上に乗ったままでいいの? 重くないかい?」
「大丈夫。このまま、私を抱きしめてて」
二人はこうして、夢見の体を重ねたままでさらに深い眠りについた。
(イナンナはほんとうに弁天三姉妹のひとり、市寸 嶋姫の化身で あったことが後にわかることになる)

地球上の異変

天仙の監視役たちには、この二人の行動があまりにも奇異に映っていた。
さすが天仙。何事かあると直感的に掴んでいるのである。
「この二人の幽体が今しがた出会って一つになった。同じ場所でじっとしているが、い ったい何をしているのだ」
「見たとおりのこと。幽体の身を重ねながら眠っているのであろう」
「共に夢見するなどと言っていた」
しかし、夢見の世界での二人の行動は完全にブロックされていた。
というのも、天仙は夢を見るということがまったくなかったからであり、彼らの感覚に ないものは分析の対象になったことがないのである。

「地上界の生き物は、どんなものも夢というものを見る。
それは脳の中で眠っているうちにする情報の整理過程であることが分かっている」
「だが、眠りを経て、彼らはいっそうオーラに輝きを増しているようではないか。何か 夢の中にあるのではないのか」
ようやく何かあると察したところは、今の科学者よりは少しましかもしれない。まだし も博識な監視役が口を挟む。
「お前たちは知らんのか。夢見とは、人間が幽体でする亜空間における擬似的創造行為 のことだ。
もともと力のない幽体のすることだから、安定性のないかりそめの創造にすぎん。
明日に同じ創造ができるともおもえんが、なんなら調べさせたら良かろう。方法は、大 脳に残る記憶の痕跡を調べることが手っ取り早い」
「何かありそうだから、ま た宇宙連盟のツーイット星の者にやらせてもいいかとは思う が」

ツーイット星の工作員がネアンを今まで3度に渡ってアブダクションして、催 眠下にお いて情報を聞き出し、3度目には心臓にインプラントまでしているのである。
「もういちどやらせよう」
こうして、監視役のものは、ツーイット星の調査官と連絡を取った。
「夢は、その間、肉体の陰に隠れ外観を維持している役目をする幽体が解き放たれたと きと同期が取れることが分かっております。
その幽体の身体において、何 か異次元なり亜空間なりで何らかの経験をしている可能性 はあります。
しかし、その経験時空というものは、極めて不安定で、バーチャルな仮想空間に一時的 に現れる幻のようなものでしかないとされています」
「その内容がどんなものであるか、調べることはできるな?」
「はい。可能です。実験調査船を派遣し、検体をピックアップすればよいだけです。
しかし、先ごろ地球に侵入しようとした調査船が消息を絶ちました。
どこかから原因不明の侵入妨害がかけられている模様で、追跡かなわず、お上のご意向 かと思い、以後調査船を入れておりませんが」
「なに? 誰もそのようなことはしておらんぞ。そう言えば、別のほうからも事故によ る消息不明の報告が上がっていたな。何事があったか仔細を調べてみよう」

やや以前のことであった。扁平な空飛ぶ円盤一機が地球に向けて進路を取った。
ところが、地球の大気圏に難なく入ったはずの円盤であったが、空間に雪の粉のように 漂う橙色の光の群れに突入したかと思うと、電磁異常を起こし、操縦不能に陥って急激 に高度を急降下させ、砂漠に叩きつけられてしまったのである。
生存できた者はむろんいなかった。自動的に事故を示す信号が発信されたが、これも光 の粉に遮られて、どこに墜落したかすらも不明となった。
以後、同じことをやろうとする宇宙人グループは現れなかった。

ところが、その数日後である。
某国の貿易ビルにテロの旅客機が突っ込んだのである。そのとき、奇しくも同時観測さ れたのは、行方不明になった円盤であった。
ハイジャック旅客機の突入とほとんど同時に、幽 霊のような円盤がその極近を並行して、 遥かに速いスピードで飛び去ったのだ。
この意味するところは、誰にも分からなかった。
ツーイット星にもそのときの残像写真は届けられたが、科 学的に解明できるものはいな かった。

「消息不明機が何者かに奪われているのか?」
「我々の機体らしい反応はいっさい得られていないのです」
「幽霊のようなものか」
「分かりません。とにかく、テロが起きた最中に機体の影がよぎりました。
それが乗っ取られた可能性と関係があるかどうかを調べる必要があります」
依然、探 査機はどんな機体でも侵入しようとすれば電磁異常に遭遇したので引き返す行 動を取っていたのである。
さて、そのテロを起こされた某国は、テロの首謀者を見定め、それが中東の某国に潜み 指令していることを探り出し、その国の政権もろとも打倒する行動へと移っていった。
ところで、このテロに関しては、重要なシンクロがあった。
テロ勃発の九日前のことである。ネアンはたまたま、キタロウの勧めで知り合ったシノ という霊媒的女性と、三人で連れ立って、丹後の元伊勢といわれる籠神社に参拝し、そ の裏にある奥の院ともいうべき、真名井神社に先に参っていたのである。

その日、ネアンは非常に不安だった。というのも、それよりひと月ほど前に奇妙な女性 チャネラー、セラと知り合っており、彼女はグループを作って、宇宙のハイラーキーの 指令を受けて、こ の地上に張り巡らされた古代の呪術的結界を解放する作業を行ってい たのだ。
彼女らは、家庭の主婦として有閑的立場をフルに活用していたが、行っていることは、 驚くほどシステマチックに体系立てられていて、こ れこそ隠れた工作員とするにおかし くはなかった。
その彼女が最も問題視していたのが、真名井神社であった。
この近辺では、過去に大虐殺があったことを伝え、その呪詛的結界が極めて強力に張り 巡らされていることから、結 界の解除の手続きを取ったことを伝えてきていたのである。
そこはなんでも、セラによれば、参拝する人の気をもらって、なおも結界を強靭にする 自動的な仕組みがあるとのことだった。
それをこのほど解いたからいちおう大丈夫だということであった。だが、本当にもう問 題ないのか。

ネアンは、前にイナンナと出会った時がそうであったように、特別な場所に自分が行く ことによってどんな事態を惹起するかが心配であったし、イ ナンナに対して何かおかし な影響が出ないかどうかも心配であった。
ネアンはイナンナと、以前に丹後に行ったことがある。
天橋立の両端にある知恵の文殊堂、成 合山の成合観音と、加 佐郡の元伊勢を訪ねていた。
観音と文殊は、イナンナとネアンのそれぞれを暗示する神様であったからである。
しかし、天橋立の北にある本家といわれる籠神社には、何かおかしな結界が張られてい ることをイナンナ自身が察知して、行きたがらなかった。
籠とは、そもそも龍を竹篭に閉じ込めることと書く。龍身が本体のイナンナには、直感 的に名前からして嫌な土地と映ったのである。

そういう籠神社の直上にある成合観音はどうかというと、こ こにも龍の伝承が中核にあ る。
伝承上、日本海にいたあまたの龍神たちが文殊の知恵で教化され、彼らを束ねる弁天と 共に一つの観音に合体しているというのである。
つまり、いわばここでも封じ込めに類した話が見て取れるのだ。
その昔、人類がこの地にやってくることに猛反対して暴れまわった幾多の龍神たちを、 文明創造のいざなぎいざなみが何とかしようと、イ ンドからわざわざ文殊菩薩を招請し て、彼らに得度させて鎮圧したという。
文殊の恩義に報いて、龍神たちはわざわざ橋立の砂州を造り、弁天が中核となって、龍 神たちを連れて、人 類はじめ生命全般に思いやりを持ってする成合観音として合体した というわけである。

しかし、ここに出てくるいざなぎいざなみの裏に、天仙たちの目論見と封神演義の要素 を垣間見ないわけにはいかない。
そして、騙されたのか、それとも自らの意志でそうしたのか、弁天はじめ龍神たちは、 観音の身として合神した。
観音はもちろん温厚、慈悲の権化である。荒くれものが温厚にふるまうという、いわば 去勢の象徴かもしれないわけだ。
結果は、龍神たちが懸念したように、自然破壊をモットーとした人間たちの愚かな文明 の興亡であった。

封じられた側の少なからぬ無念の思いが、今 もこの時代に残っていてもおかしくはない。
イナンナは、そ うした出来事を背負った眷属の霊を供養して回ったことになるだろうか。
だが、もういっぽうの籠神社は、未だに機能を活動させていたのである。
シノが最近知り合ったというターナという人物が、た またま真名井神社に来ていたのだ が、ターナが最近その境内地で撮った写真に、巨大な白龍と思しきものが写っていたの だ。
そればかりではない。別の写真には奇妙な光線が写り込んでいた。
籠神社に回ったとき、シノは宮司の海部氏に会えるということで、実際に会って懇談を したときに、その写真を見せてもらった。
それは、この土地がどこの地域よりも霊的磁場が強いことを示していること。海外から 訪れた霊能者もそれを絶賛したといういわれを、この宮司は力説した。

ネアンはこのとき、よ もやこの宮司の家系が前世的な因縁のある家系とは思いもしなか った。
それを最初に指摘したのは、霊視能力を備えたシノであった。
それも、多少奇妙な推測であるが、ヤマトスクネ像がネアンに非常に似ているから、そ うではないかというのだ。
しかも、このヤマトスクネ像は、どういう伝承によるのか、亀にまたがった姿で表され ていた。まるでそれは浦島太郎ではないか。
シノがネアンと亀であるイナンナの関係を知っていて指摘したわけではなかった。誰 も 理解できない、個人的にぞくっとくるような一致だった。
驚異的なシンクロとは、こういうものである。

だが、白 龍といういわくつきの写真は、明 らかに瓢箪の形をしていた。そ れは何あろう。 封神の際に使われた機構であったのだ。西遊記に金閣銀閣の兵器で出てくるそれだ。
つまり、この地には、未だに瓢箪の機構が伏在していたのである。そしてその神社を名 付けて、匏(ひさご:ひょうたん)の宮という。
ネアンはその頃、瓢箪には特別の思いを持っていた。西遊記に出てくる、天仙金閣銀閣 の所有していた瓢箪は、魂あるものを魂ごと吸い取り、その中に閉じ込めてしまう。
そして、その中に居る者を消化液によって溶かしてしまうというものだ。
実に気味が悪い写真である。彼らはこれを白龍だといっているが、そう見えるものはそ うでも良かろう。
他の見たてをする者にとっては、そっちのほうが真実かもしれないのだ。
事前にチャネラーのセラに相談を持ちかけていたことは、け だしもっともなことだった。
セラと知り合い、事前知識を仕入れていたこと自体もまたシンクロであった。
セラのチャネル情報からすれば、訪れる参拝客のエネルギーを借りて、結界の呪力を強 くする機構。
もしも特別なキーを持つものが行った場合、どんな効果が出るのか。
だが、セラはそんな事情は知らない。セラは私たちがすでに結界は解いているから、心 配ない、どうしても心配なら、その時間に合せてエネルギーを送ってバックアップしま すと応じてくれていた。

いかに強力なチャネラーたちが結界を解いたはずとは言うものの、有 効性はどうだった のであろう。
それから幾ばくもたって、瓢箪の写真のような異界を醸す有り様を見ると、決して有効 であったとは思えない。
ネアンはこのチャネラーのエネルギー的バックアップの甲斐あってか、そ の日の旅は無 事に終わった。

ところが、その後、またも九つの日数のあとに、同時多発テロが起こったのである。
懸念したとおり、ネアンはキーワード、キーポイントの問題に遭遇してしまっていた。

ところで、火の鳥は鳥取日野の復活からおよそ一年をかけて、次の活躍の場を求めてい た。
伝説のとおり、その機能は旧態文明を滅ぼし再生復活に導くことである。
火の鳥は、まず潜在的に持っている文明の焼却という役割がある。
このとき、シノとネアンの二人が醸した初動的指令に従って、終局を誘導する作用を引 き起こし、そのきっかけ作りをしたのではなかっただろうか。
恥辱に満ちた被害を受けたA国は、テロリスト殲滅という言葉を旗頭にした。
だが実態は、たぐれば宗教対立に至るわけで、テロを潜在的に輩出するイスラム諸国が 暗黙の敵とみなされ、そ の線に沿ってAA諸国に圧力がかけられるようになるのである。
第三次世界大戦の引き金になりかねないI国とP国の戦争という事態も、す ぐその先に 待っている。

そのような初動機を持つネアンに比べて、イナンナは神亀であり、その表情からして柔 らかく、鈍重な感じであっても、生命に対する慈愛に満ちていた。
イナンナは、世相の混迷と、天仙の差し向ける陰湿ないじめに遭い、苛酷な作業環境に 置かれ、地 上の生を受けて自らの責任と役割の二つを同時にこなす必要に追われながら も、決して投げやりには陥らなかった。
前夫との間に設けた子供3人は、ま だ物心が定まらず、イ ナンナの手を煩わせていたし、 また彼らを育て上げるためにイナンナ自身職業を持ち、そ れに時間の多くを割かれてい た。

仕事が順調に行くも社会の安定あってのこと。子供を一人前にするにも、身の回りが順 当であってのことであった。
このため、日々の祈りは、世の中が良くなってほしい、人の心が良くなってほしいとい う善人が願う祈りそのものであった。
イナンナはけなげにも祈る。どうかこの世の中が続いていく中に、邪悪や不正義が駆逐 されていきますように、と。子供たちに、将来良い環境を与えてやれますように、と。
そのための旗頭としての役割も自認しているイナンナであった。
(ところがこの思いもやがて失われ、悪 も世界の存続は必要 と唱えるようになり、ネアンと敵対するようになるのである)

ネアンの目を通して働く梵天は、愛しいイナンナの心情を汲み取ろうとした。
イナンナが生き甲斐とする仕事を見出した以上、学び終えるまで存続させたい。
また、子供の世代に激変や恐怖を味あわせないことも必要となれば、地上界の可能な限 りの保存が必要である。
当初持っていた実験炉宇宙廃絶の意志は、梵天からすでに失せていたが、天仙と彼ら主 導の現文明廃絶の意志はまだあった。
しかし、これも形を保ったまま治療し、存続させてやりたいという気持ちに変わってい たのである。
それはちょうど、切開手術によらず、免疫療法で経過を観察する癌に似ていた。大きな 方針転換となるだろう。
イナンナがけなげにも、心から今のまま良くなっていくことを訴えていたのだから。




第六章 救世神話夢見章

八角堂の主
乙 姫と浦嶋  (ムー大陸と海没、蓬莱島竜宮の由来)
乙姫と浦嶋
神 話の伝授 (洋一からネアンに)
火の鳥効 果
天 仙の緊急会議 (ハーデース計画発令
火 の鳥の動き
着 々と進む神々との親睦
地 上世界のさらなる成行
完 璧を期して (が、すれ違いが)
夢 見の自動創 造神話



第六章 救世神話夢見 章


八角堂の主

現実の時間経過に対して、夢の回廊は時として長くなることがある。
イナンナとネアンの”共の夢見”は、中国の故事”一炊の夢”を彷彿とさせるものと
なった。
だが、夢は夢、連想により生じ荒唐無稽な内容であることが多い。
お互いの眠る家の外は、強い雨となっていた。
それが二人に海鳴りを想像させた。
まどろみの中に、夢見が開始され、青い海を背景にした砂浜が浮かんできて、その真ん
中に不思議な形をした松が見えてきた。
白砂の掃かれて波立つ上からそそり立つように、背の低い松が二本、幹を互いにクロス
するように重なり合わせているのだ。
それはまるで、遠隔にいながらも、松葉くずしの体制を想起しながら夢見するネアンと
イナンナの幽体を模しているかのようであった。
ところが、そのクロスしたあわさいから、不思議な老男女が、にじみ出るようにして現
れ出た。
「さてもさても、鶴亀そろい、おめでたきかな」
「鳳龍の兆しすら見えまする」
二人は、いつのまにか着衣していて、少し離れて老男女に向き合っている。
老男女は、能衣装を着て、翁のほうは白髪髭をたたえた相好の良い人物であり、嫗のほ
うも、皺ぶかいながらにこやかな笑顔のやさしい人物で、決してこの二人の行為を見咎
めている風はなく、むしろ喜ばしいことのように微笑んでいるのだ。
「自己紹介申し上げる。私は住吉の松が精、尉。こなたは高砂の松が精、姥でござる。
お二方の縁を祝い申し上げたくまかり越しました。
こたびは、鶴殿には高砂の松のゆかりをお聞かせしたく、亀殿には住の江の綿つ海のゆ
かりをお聞かせしたく存じます」
「ささ、こちらに」
仕方なく、いきなり行動を別にしなくてはならなくなった二人である。
ネアンは姥に引かれて、こじんまりとした清楚な庵に入った。
いっぽう、イナンナは尉に手を引かれて浜辺の黒紫の光沢をたたえる洞窟へと入った。
ネアンは庵に入るなり、自身の記憶を薄れさせていくいっぽう、べつの人格の記憶を取
り戻しつつあった。
ちょうど、夢に入るとき、夢の中の人物に成り切るごとくである。
そのどちらの意識にも、公平な立場で見る者としての自分を、しっかりと認識している
ネアンがいた。
最初の光景は、海辺の松林であった。
それとともに、自分のよってきたる記憶が一気に甦った。
彼は、夕日を受ける風景を愛でつつ物思いにふけりながら、松林の茂る海岸に佇む邸宅
を中に含む山水画を描いていた。
中国浙江の地に生まれて育ち、一人前の男として志を持って商人の道を踏み出し、その
誠実さと様々な人脈に恵まれたことにより、華僑として海運事業で成功を収めた人物の
一生が思い出されていた。
名は、洪瑾董。洪瑾董は、自らの華僑事業の成功をもとに、故国中国の浙江に似た風景
を日本に求めた。
それが、向こうに島を望む内海の浜辺であった。
資力にものを言わせ、まずは少し山の手に別宅を建てて普段憩う場とし、その南の白砂
の続く海岸縁に、松の木を植え、白砂青松のたたずまいの中に、賓客接待のための青松
邸なる別荘を構えていた。
そもそも瑾董は、自らを神仙になぞらえる傾向があった。
中でも、鶴にゆかりのある仙人として、過去に神話の時代を彩ったことがあるに違いな
いと思っていた。
万事意のままになり行く様に、異才のほどを感じ取っていたのである。
彼の人脈は政財界に及ぶ多彩さであったが、いっぽう彼の親友には、異能を持つ錬金術
師や霊能者がいた。
友には、このような者がいた。
風水師、方術士、メーソンリーという顔ぶれであったが、そのそれぞれに人脈が控えて
いたため、瑾董は支援が様々に得られる立場にあった。
中でも方術士・孫権が人の才覚を見ぬく能力を持ち、瑾董を見立てては、常々「君は鶴
である」と言っていた。
鶴は、縁起の良い鳥であり、止まり木として松を好み、その最も相応しいと思われる松
に居つくという。
このゆえか、あるいは自らが好きであったゆえか、瑾董は好んで松を植えた。
形の良い松に心を寄せ、手入れするに関しては、資金をいかようにも注ぎ込んだ。
そして松林の中に別荘を建て、本宅よりも愛したのである。
そして自らはこの場所を心安らぐ庵、寧庵(ネアン)と称した。
ネアンの過去世の姿であったのだろうか。
客観的立場にいるネアンには、瑾董の商才が今生において発揮されていないことの説明
をどうつけたらいいのか分からない。
だから、自分に縁のある人物を見ているのだろうという思いもあった。
目の前の光景はテープの早送りのようであって、それでも理解できないわけではなく、
肝腎のところは鮮明にスローダウンするように展開した。
瑾董の人生に大きな影を投げかけた人物がいた。
1913年(大正二年)初頭、大陸から孫文が渡ってきた。
彼はまず、東京の政界関係者のもとに滞在したが、瑾董ら華僑の呼びかけで地方に入り、
瑾董の青松邸でしばし過ごす。
孫文という名は当時、世界的であったため、彼と交友を結ぼうとする者は華僑に止まら
ず、日本人にも多かった。
しかし、すぐに彼は、大陸における大総統の実権を譲った清軍の統率者袁世凱に裏切ら
れ、清の帝政はこの軍師によって引き継がれた形となってしまう。
孫文は戻って後、袁に反抗する第二革命を起こすが失敗し、大陸でのお尋ねものとなり、
日本に亡命してくることになる。
世界情勢を知る華僑の瑾董は、それでも惨めな中国と国民を世界から取り残される原因
である帝政から救うのは孫文しかないであろうと考えた。
孫文の理想と人物を評価していたのである。
それがメーソンロッジの世界の帝政を打倒し、世界統一という理想実現とも軌を一にす
るものであったため、彼はこのグループに属していた。
ロッジの働きが、孫文と瑾董を、互いに必要とし合う関係に至らせるこことなった。
ただし孫文を直ちに資金的に援助するというわけにはいかない。金の流れは、すぐに把
握されるだけに、大陸の政権と華僑グループの摩擦を避けたかった事情があるからであ
る。
そこで、彼を方術の面でフォローすることとなった。もとより神仙を自認していた瑾董。
自らの知識と、風水師、方術士の知識を合わせて、孫文を通して夢を実現させるための
呪術工作を開始したのである。
それが八角堂の建立であった。
龍は、東の連山から西に、また西の高山を中心とする山塊から東に流れ出す。
この二つの龍脈を、ほぼ中間にあたる東播のグリッド的山体で出合わせ、それを南下さ
せる。そして、青松の邸内に造る制御塔に導こうというものであった。
瑾董は、このために鶴海の地を早いうちから選んでいた。青松邸に閑居しながら、龍の
通過に心地良さを感得しながら過ごしていたのである。
そして、このときばかりは、龍の力を最大限に使うことを思い立った。
それが決められた時の青松邸での会議の有り様である。決して、瑾董自身は主力になく、
異能者たちの主導下にあった。
方術士:
「神仙が好む八角堂を作れば良い。それは、龍ならば最も好む建物だ。
中に龍にまつわる魂の記念物を置けば、龍は居残り、やがて八角の結界の中で眠りにつ
く。
そこに孫文を連れてきて、三日の間逗留させる。そうすれば、彼の体内に龍の息吹きが
充満する。
孫文は、龍の夢にうなされるかもしれんが、まずは心をドラゴンに変えねばな」
風水師:
「真東に、聖徳太子が建てたという寺がある。そこにも八角堂があり、居住まいしてい
た聖徳太子の前に、金人が出現したとの伝説がある。
ここにも瑞兆が呼び込めるかもしれんぞ」
方術士:
「我々同様、目的とする者を呼び寄せる工夫をしていたのであろう。聖徳太子もたいし
た方術士だったかも知れぬな」
メーソンリー:
「孫文はいざという時の根性が弱い。力を十分に発揮させるには、中国古伝の龍の力も
必要となると踏んでのこと。
本当に大丈夫なのだろうな」
方術士:
「人間は、気さえ充実していれば、何事もやり遂げることができる。すでにあなたには
見せたではないか。
ここでは西洋贔屓はほどほどになされよ」
メーソンリー:
「まあ、その辺は任せよう。
望むらくは、彼がもう少し強運であれば、我々の一員にしても良いのだが、いま一つ気
が弱い。
その辺も改善されるのであろうな」
方術士:
「気弱になるとは、気が萎えるのこと。その逆を行おうというのだ」
瑾董:
「当面、私は海運事業の関係上、内海航路の安全を図ることを名目としよう。
龍が地上から海に出ては、海の荒れるのを助長するから、内海の龍を鎮めるための祠堂
を作るといえば、華僑仲間はみな納得してくれよう。
聖徳太子の寺の原意は、封龍寺だったとも聞き及ぶ。そこと等緯度にあろうとは、驚き
だったが、道理にかなっている。
私は封龍ではなく、鳳龍閣と名付けるつもりだ」
風水師:
「良い名前であるが、見え透いているな。
だが、鳳を持ってくるというのは、なかなか良い。
ところで、明石海峡には八大竜王の一つが棲むという。
それに逢うために龍女が通い妻をしているとか。
それを途中で遮っては、余計に龍は暴れないのか?」
方術士:
「それは問題ない。
彼らは情交の時にこそ、前後のことを忘れて動きまわる。これが海のしけるということ
に繋がる。禽仙ゆえに純情なものだ」
メーソンリー:
「君たちの話の荒唐無稽さにはうんざりするが、効能が不思議に上がるんだからな。原
理のほう、おいおい教えてくれよな、瑾董君」
瑾董:
「東洋の歴史が築いた知恵だからね。おいそれと西洋君には分からないだろう。
では、資金は当然ながら、私が負担する。設計のほうは、専門の方術士にお願いしよう」
メーソンリー:
「この際、お任せついでだ。私からもひとつお願いしておこう。
八角堂が出来上がったなら、その中で孫文にイニシエーションを行いたい。
中国の伝統に則った棺を用意してほしい。それも極上のものを」
方術士:
「なるほど。龍との親交に先だって、組織の洗礼を受けさせようというわけか」
メーソンリー:
「期待が持てるか持てないかは分からないが、彼も洗礼のことは良く知っているから、
我々の協力を取り付けるためにも彼のほうから頼ってくるだろう」
風水師:
「ところで、地勢上、問題の箇所がある。龍脈を合わせる山並みに、龍自体を招き難く
している部分がある。
チョウの測量調査では、山の高さに不揃いがある。この山を作った者は、風水を知った
古代人のようだが、かなり昔のことらしく風化してしまっている。
よって、この山に盛り土が必要だ。また、龍は池を好む。ここが魅惑的な土地柄と思わ
せることが必要だ。
ゆえにこことこの辺りに、溜池を作り、その土を運んで盛り土しようと思う」
瑾董:
「私も一緒に踏査した関係で言うが、見積もったところ、難工事にはならないことが分
かった。
地元民も農業振興のためになるので、協力してくれるようだ。農閑期の人手はたくさん
集められる。
資金的には、200万円ほどかかるだろう。メーソン氏には、またひとつ商圏を増やし
ていただこうか」
メーソンリー:
「ま、お互い様だからな。さて我々は、とにかく中国を錬金術に掛ける。
そのためにまず、孫文にやる気を出させることに力を尽くしてもらおう」
そんなある日、瑾董は、後妻にこのように語った。
「私は、孫文を最初に一目見たときに、過去世から縁のある人物だと思った。
あの澄んだ瞳の奥には、深い愛情が感じられた。虐げられた人民を救いたいというひた
むきな願いのようだった。
あれこそ、憂国の士というものかもしれない。私は、そんな惨めな故郷の実情に嫌気が
さし、日本にきてしまったが、故郷を変えたいと思わない日はなかった。
私がもっと若ければ、私自身もう一つ政治にも関わろうものを、自由にならないままで
今日を迎えている。
だが、陰から故国を良くするために力を尽くすことにおいては、誰にも負けないつもり
ではいる。
孫文に、それを実現する夢を移情し付託したい。ちょうど成連が伯牙に託したように。
彼が私の意志を継いでくれる息子のような気がしてならないのだ。実業の志を継ぐ子は
すでにいるが、彼は魂の志を継ぐ子だ」
「魂の子なら、血の繋がりは関係ありませんね。私は彼を支える慶齢を、妹のように思
いましたよ」
瑾董は、方術士の作った設計図をもとに、青松邸内に八角堂を作った。
それと並行して、北方のなだらかな二つの山のある辺りに、灌漑池を作り、その際に出
た土砂を、二つの山の整形に用いた。
方術士が見立てて、龍の侵入する吉日が諮られ、溜池に水が張られた。
龍は、八角堂に興味したであろうか。そうして二ヶ月過ぎたころ、青松邸に孫文がやっ
てくるという予定が立った。
そしていまや、二日後に孫文が来、三日目に密儀を執り行なうという予定となった。
そんな日に、瑾董は奇妙な思いに駆られた。
八角堂を建てはしたが、龍が捕捉されたという日から、組織の命令で立ち入りを禁じら
れ、北の別宅にときおり寝起きするに止まっている。
神仙としての私が、組織の監視によって何もできないでいるというのは耐えられない。
異能を持つ方術士だけが、事態を察する力を持っているが、彼は私の親友だ。
たぶん見逃してくれるに違いない。
彼は深夜十時も過ぎる頃、南京錠を開け、真っ暗な八角堂に入った。
窓は全部閉じられている。彼は、電灯をつけた。
当時の電灯は、白熱灯であり、燭光も大きなものではなかった。
二階に上がって中央に見た重そうな棺は、朱の赤さを血の色に染めていた。
瑾董は、その部屋の揺らめくような妖気を感じていた。
そして、三日後には孫文がその中に入るであろう棺の蓋の上に、身を横たえたのである。
彼自身の吐息だけが耳にこだましていた。
しかし、空間のエネルギーは重圧と共に、どこからともない空気の流れを彼の顔に吹き
つけた。龍の吐息か?
龍よ。もしここにいるなら、私に力を貸してもらえないか。
しばらく無音が続いたが、耳に緊張のあまり聞こえなかったはずの潮騒の音が聞こえて
きた。
心地よい。龍よ。君はやさしいんだな。
そうするうちに、瑾董は眠りについた。彼は夢を見た。
その夢の中にまでネアンは立ち入っていたが、ネアンは自分が何者か分からぬほどに、
瑾董の意識になりきっていた。
ネアンにしてみれば、三重夢である。
潮騒の音の向こうに、湖があった。
そこは、かつて見たことのある懐かしい西湖であった。彼はそこで佇み、笛を吹いてい
た。
すると、にわかに雨が降ってきた。屋根のついた望観台でなおも吹く笛も、空の曇りを
反映して憂いをふくむ調べと変わり、しばし時は経過した。
ふと、「がさっ」と音のした橋下を見ると、薄紫に桃色を配した打ち衣を、雨に濡れて
しっとりと肌にまとわり着けた若い女性が、足場のぬかるんでいくのを心配そうにして
いるのであった。
上りづらそうにしていると見た彼は、濡れるのも押して小道を下り、女の上から声をか
ける。
「こちらにおいでなさい。こちらの草の生えたところから上ってきてください。早くし
ないと、水が上がってきます」
若い女性は、彼のほうに丸く切れ長の魅惑の眼差しを向けて、言葉に従った。
「さあ」
彼の差し出す手に彼女はすがり上がってきた。
間近に見る彼女に、彼はあらゆる想いを感じ取った。
かつて知っていた気がする。
また、これからの人生を関わる女性という印象を持った。
「どちらから来られましたか?」
「ここから遠く離れたクンルンのさらに西域です」
「そのようなところから、どうして?」
「人を尋ねてまいりました」
「人を?その人とは?」
そのとき三重夢の主人公の意識はにわかに遠のき、瑾董の意識に戻っていった。
そして、はあーはあーという非常に周期の長い息遣いのような音が聞こえてくると、心
の中にいきなり言葉が飛び込んできた。
<その人とは・・探しましたよ。かつてあの時代に、あなたと命をともにしましたが、
憶えておられますか?私は白蛇の化身、白娘だった者です>
<白蛇伝の・・ですか?>
<今また、私は人間と妖精の隔たりを持ちながら、あなたと会いました。
前のときは、私が強い願望を抱き、あなたを側に引き寄せました。
しかし、今回は、あなたがここを作ってくれたのですね。
私は、あなたの匂いに引き寄せられてここに参りました>
<ここは龍を招くところです。あなたは龍ですか?>
<そうなのですか?私は霊であるとは思っていますが、あなたにはそう見えるのです
ね?ならばそうなのでしょう。
私はかつて、あなたと同じ境涯に立たねば、伴に居れないと思い、法海の執拗な妨害を
避けるため、わが父龍王のもとに至り、龍蛇の力を返上して人間になろうとしましたが、
なお法海は妨害し、あなたを遠ざけ、私を法鉢に閉じ込めたので、ついに人間になれな
かったのです。
そのようなことはもはやどうでもよいこと。このたびの楼閣は、あなたが私を呼ぶため
に作られたのでしょう?>
瑾董は、有名な故事であるため、白蛇の悲恋の結末を知っている。
その結末も、いくとおりかに、後世の人々によって作り変えられもした。
心打たれた人々は、白蛇に同情的な筋書きを用意したのだ。
だが、伝説とされるほどに長く語り継がれたのも、その悲劇性によってであった。
<いいえ。私はただ龍の力を利用したかったのです。私があの許仙なのですか。ならば、
時代を超えた因縁というしかない>
<そうですか。あなたの無意識の恋がこうさせたのでしょう。それとも未だ法海の呪縛
にあなたが囚われているのでしょうか。
私は、あなたの無意識の恋と思いたい。私は西湖の雷峰塔が朽ちて均整を失ったことに
より、結界からかろうじて抜け出すことができ、東方の兄弟を頼っていこうと海を渡っ
ていたところ、またもこの結界に捉えられてしまったのですよ>
<私が法海の指示にしたがって、あなたを閉じ込めようとしているというのですか?そ
んなつもりは毛頭ありません>
<法海は人間ゆえもうすでにおりません。でも、魂は幾重にも化身します。また、私の
追っ手は、なにも法海のみにとどまりません>
<分からない。私の無意識に巣食う何かが問題というのですか。私の恋のなせる技なの
か、それとも黒幕の指示による罠なのか。
とするなら、私の協力者たちがあなたの追っ手なのかも、よく分からないのです。とに
かく、私はあなたに好意を持つ者です。その心には間違いない。どうか、協力させてほ
しい>
<ありがたい仰せ>
龍女は、瑾董を巻きつくように抱いた。
<ああ、懐かしいあなた>
抱き締めていても、”気”であるに過ぎないため、柔らかく暖かいエネルギーが、瑾董
の数兆の細胞の個々に安らぎの明滅を与えた。
そして、心の中まで、充足した愛情が染み込んできた。
ふと瑾董は、自分の領分に気がつく。
<白娘である龍よ。私のやや後に、孫文という者が来ます。彼は革命家であり、祖国中
国を専制と退廃の眠りから覚まし、欧米列強と互角の立場を獲得してくれるはずです。
その仕事のために、あなたの力を貸してほしいのです>
<私は、白娘の頃のように、人の身を取っていたときには、あなたの政策にも関与した
でしょう。
いまは、何が行われているかまったく関心もなく、ただ私は頼るべきよすがを探してい
るだけなのです。
あなたが望まれるなら、そのようにもしましょう。ただそこに、三たび法海の罠がしか
れていないことを望むだけです>
<分かりました。心しましょう>
<それから、またここで囚われの身になるのは不本意です。どうかここから出してくだ
さい>
<事が終わった後でなくては、それができません。その後には、必ず>
<そうですか。また閉じ込められることになり、不安に思ったのですが、あなたに会え
て不安が去りました。必ず解放してくださいね>
<約束しましょう>
<あなたに渡さねばならないものがあります。それは・・・>
そのとき、瑾董の置かれた空間がいきなり歪み、めまいがした如くなって、彼は目を覚
ましたのだった。
大声が響き、耳ががんがん鳴った。
「お前はここに入ってはならんはずだ。おかしな妖気が漂っていたから、来てみたのだ。
案の定な」
「孫権か。頼む。このたびは見逃してくれ」
「今度だけだぞ。すぐにここを出ろ。見ろ、この妖気のわだかまりを。ここで何をして
いた?」
「寝ていただけだ。だからよく憶えていない」
「おまえ、龍と交わったな。掟破りめ」
方術士は、鎮魂と結界の呪文を連続して唱えて印を結んだ。
そして、重い扉を閉め、懐から護符を出すと糊を付けて扉を封印したのである。
二日後、孫文がやってきた。
その日の夜、早速メーソンリーたちが集まり、彼を棺の中に入れて、宣誓から始まる所
定の秘儀参入手続きを経て、蓋を閉めた。
孫文は、これから三日間、八角堂に封じられた龍の力と交わるために、ここで寝ること
となった。
昼間は、八角堂で自らの行動計画について思索し、物を書いた。
四日目の朝が来て、孫文は青松邸の空気を思う存分吸った。
「瑾董さん。とても気分がいいです。何かこう、私の中に別の人格が宿ったような気分
です。
何でもやれそうな気がします。中日連盟の実を結ばせる自信があります。
しかし、時に、すごい不安に刈られます。ごく短時間ですがね」
「どのような不安ですか?」
「袁の軍に捕まったりしたなら、永久に牢獄から出してもらえないだろうといった思い
が頭にかぶさってくるのです」
「そうですか」
瑾董は、招いた龍が不幸な過去を持つ龍であるからという思いを持った。
龍が解放されたとき、孫文の理想にブレーキになる思いは断ち切られるに違いないとも
思った。
<龍女を解放してやらなくては・・>
そのためには、せっかく建立された八角堂を取り壊さねばならない。
取り壊したりすれば、誰の目からも、奇妙な禺挙として映るに違いない。
方術士の孫権にそれとなく聞いてみる。
「何い?龍を逃がしたい?
龍は年のうち八度、出て行く機会がある。各方位に従った日付けだ。
対偶の窓の両方を開放しておけば、その日に出て行くだろう。
だからそのたびに清浄な平生の気に戻り、また龍を迎えるということを繰り返すことに
なる」
「そうか。ならばこの空気が新鮮になって良いんだが」
ところが、この龍の場合は結界というものへの思い込みが強く、いつまでも逃げ出せな
いでいた。
いや、元の原因である雷峰塔が未だ龍女の力を封じていたのだ。
鍵を握る孫権もやがて急用ができて中国に帰ってしまい、対処の仕様がなくなってしま
った。
これには瑾董も困った。自分になじんで”飼い龍”になってしまったのだろうか。
龍の意を汲むなら、閣は壊すべきでないことになる。だが、当初の約束はどうする。
その他の方法は?
孫権が残していった神仙開闢録には、臥龍が神仙へと昇華するには、対極的な鳳の導き
が要るとされていた。
それは、世界的に一つの機が熟したとき以外には、ありえないこととされていた。
まさかこのいつ来るか分からないときまで待てるはずはない。
だが、取り壊す損失は、その金額を超えて計り知れない。
瑾董は、この臥龍の気持ちを癒すために、よく八角堂で執務した。
龍も程よく瑾董になじみ、その傍らで小さくなって眠った。
また、瑾董にまとわりついた状態で彼が外に出るとき、力は限定されていたが龍女も共
に外に出た。
そんな時、決まって赴くのは山の手の別宅だった。
そこには、幼くして纏足を施されて外出不能となった後妻を住まわせていた。
彼女の面倒は召し使いがみて、外との接触といえば、訪問客を椅子に座ったまま接遇し
て話する時と、瑾董の寵愛を受ける時に限られていた。
夜、燭光をともしながら、階段をこつこつと上るあの足音の響きを心待ちにする彼女。
いつしか、龍女は同じ身の上の彼女に同情し、乗り移って、より激しい人間同士の情交
を味わうようになっていた。
瑾董もそうとは知らずこれに応ずる。
寝台の側にある薬箱の鍵を開けて、二枚貝に入った軟膏を指にとる。
「ごらん。これは鮠湛という媚薬だよ。この周りに塗ると、すごくよくなる」
「ああっ。熱くなってきます」
「蜜もたくさん出てきたね。じゃ、入れてあげよう」
「ああーっ。いい。すごくいいです」
「愛してるよ」
「私もです。あなたーっ。ああーっ」
それは二人分、いや何人分もの増幅された喜びのときであった。
なじむに従い、龍女は後妻の視座と知識を手に入れて、不自由な身を少しばかり自由に
した。
また、孫文もその後、八角堂をときおり訪れた。
そんなとき龍女は、この両者の間を喜んで飛びまわった。
ある日のこんな会話も、耳にした。
「孫文君。君も察しているだろうが、組織は決して、中国のことを考えてくれているわ
けではない。
組織は結果的に世界を一つの経済圏にしようとしているのだ。
専制君主の国によって、秩序が乱されることが少ないだけましといえるが、今度は経済
という魔力によって人々を縛ることになるだろう。
さしずめ、白人至上主義によって、東洋人の我々は亜流にされることが目に見えている。
貧しい中国は、なおのこと搾取の対象とされないかと心配だ」
「阿片漬けにされることはもうないでしょう。理性が生まれますからね。
しかし、理性を前面に出した経済競争の中で、次第に植民地化されてしまうことでしょ
う。
すでに、シナリオがあるといいますから。
祖国を思う者として、その成行はとても座視できません。
そうさせないためにも、強い国をそれより以前に作り上げておかねばなりません。
たとえ、組織の掟がどうあれ、愛国心まで変えることは・・ゴホッ。いや、失言しまし
た」
「大丈夫だ。私には何でも言ってくれたまえ。私は君を息子だと思っている」
「心丈夫です」
「早い統一が望まれるな。来年には、本土に戻るか」
「中華民国政府を広州で旗揚げします」
「勝てば良し。拮抗して長引けば、列強侵略の口実を作ってしまう。
頑張り給え。そのためにも、ここは頭脳明晰にする場所として好適だ。
しっかり、プランを練ってくれ給え」
「こんなに気の充実した別荘はありません。英気を養って本土に望むつもりです」
翌1921年、孫文は広州で中華民国を建国した。
しかし、どこからか、組織に彼の信条が知られてしまう。同様に、瑾董においてもであ
る。
彼らが、組織に命を狙われる可能性が出てきた。
ちょうどこの頃、西湖の湖畔の白娘を幽閉していた雷峰塔が倒壊した。
これと同時に、八角堂に居付いていた龍女に転機が訪れ、八門の一つから逃げ出し、瀬
戸内の眷族を頼って去っていった。
孫文と瑾董からは、牢に閉じ込められる不安も去ったが、覇気も去った。
孫文は、志半ばに四十八の生涯を閉じ、瑾董もその後しばらくして亡くなった。
その死に、組織が関与した可能性を残しながら。ただ松林と八角堂が残った。
ネアンは、一生を振り返るように、小さなカンバスに松林の中の青松邸を描き、そのと
なりに八角堂を描き上げると、砂浜からそっと姿を消した。


乙 姫と浦嶋  (ムー大陸と海没、蓬莱島竜宮の由来)

こちらは、尉に伴なわれて浜辺に突き出す岩場に開いた洞穴へと誘われるイナンナであ
る。
「私を存じておられましょうか?」
「いいえ、分かりません」
「無理もありますまい。あなたが白蛇の化身としてご苦労なされたときより、さらに遡
りますからな」
「白蛇の化身とは?」
尉は目を細めて心を読み、イナンナの記憶が戻っていないことに気がついた。
「では、白蛇伝という中国の物語をご存知ですか?」
「知っています」
「やや筋書きは異なるかもしれませんが、あなたはその白蛇の化身でしたのじゃ」
「ええっ?それは作り話ではないのですか?」
「そう思う者にとっては、それでしかありませんがな」
「では本当のことなのですか?」
「はい」
「詳しく聞かせてもらえませんか?」
尉はゆっくりと頷いた。
「その昔、あなたは神界から流れ出る忘却の川を流れてまいられた双子の男女のうちの
女の子でございました。
この川を流される御子はみな神の御子で、禁忌の御子であると決まっております。
私は仙術で、もう一方の男の子とあなたは、一つの魂を分け合った分身同士であること
を知りました。
それはまた、遠い遠い過去のこと。
幾度もの転生を経て、あるいは出会い、あるいは別れ、あるいは離れて、それぞれにお
いて自己実現なさった由。
その引き合う力は尋常ではなく、その力の強大さゆえに多くの者を利し、また多くの者
を損なうことを無邪気に重ねて参られた由。
これゆえ転生の身では、功過に左右され、曲折に満ちた道を歩んでこられた由。
訳あって神界を流されたことも容易に察することができました。
そして、私が拾い上げ、お育ていたす段になり、お二人を共にしてはそれぞれに災いが
降りかかろうと、
あなた様はかつて縁あったところの、わが旧友であるシャカラ龍王に預けたのでござい
ます。
それより過去世において、あなたはシャカラ龍王の実の娘であったことがありました。
ゆえに、再びの縁に龍王はいたく喜ばれ、あなたを手放そうとはなさらなかったのです。
その愛情すらも恨めしく思われ、逃げ出されてしまわれたのも、かの引き合う力による
ものと心得ます。
私は、またこれではいかぬと、男の子のほうをさらに人間界に修行に出しました。
ここまでは、神の身なるもの、あえて身の危険を冒してまでやりぬくものは僅少。
おそらくは時至るまで、我慢なさろうと存じたのですが不覚でございました。
あなたは旅の雲水仙から、人間界に下った分身に逢う方法を授けられ、西王母の蟠桃園
を荒らされ三千年に一度なる桃を盗み出し、
阿弥陀のもとでの仏道修行を中座した白蛇と合身なされ、追っ手に追われながら人間界
に下られました。
お二人の引き合う力はかくばかりかと、龍王も私も目を丸くした次第です」
「何とはなしに親しみのあるお爺さんとは思えるのですが、記憶はなぜこうも残らない
のでしょう」
「私は尉の役をしておりますが、鳳の翁という者です。双子の男の子の育ての親でござ
います。
あの時は双子が共にいては問題があろうと、引き裂くことを二度に渡って行ってしまい
ました。
申し訳なく存じます。
しかし、此度は大義も定まり、助力申し上げることとなりました。まずは、あなた様の
拠り代をしらさむとてまかりこした次第です」
鳳の翁は硬く光る紫水晶の洞窟にしつらえられた能舞台に案内する。
松明が舞台の両脇に揺らめき、風の通り良さを感じさせた。
尉の姿の翁は舞台に上がるのではなく、客席にいて、イナンナに舞台に上がるように勧
めた。
「まあ、上がってみられませ。客は誰もおりませぬ。此度はあなたが主役でございます」
イナンナは、上がってみるだけかと思い、階段を踏む。すべすべした檜の舞台の感触を
足の裏に得た。
「ここで上演される新しい出し物は、”竜宮乙姫”でございます」
翁がそう言うか、舞台の光景は去り、イナンナが次に見た光景は、自らがあくまでも青
い空と青い海を臨む高台に足を踏みしめている様であった。
イナンナの意志とは別に、イナンナの過去である女は、側にいる者に対して、振り向く
ことなく何かをしゃべっている。
「ラピュロス神よ。この島国を邪悪な志の者たちから守るというムー国民の意志はよく
分かりました。
私は、海神としてこの海をいかようにもすることができます。しかし、邪悪でない者の
処断はできません。
もし、彼らの船に、ただひとりでも正義の者がいたなら、私は風浪を起こすことはでき
ません。
たとえば、千の邪悪の中に、一人の義者あらば、この地に上陸を許すでしょう。いかが
なさいますか?」
「その場合は、仕方ありません。残る邪悪な者たちと本土決戦せねばなりません。
しかし、この島国に、おそらく国王は軍を置きますまい。替わりに私が、何らかの手立
てを講じねばなりません」
「しかし、ラピュロス神。時の流れは次第に邪悪化の一途をたどります。これはまるで
法則のようなもの。その理由は誰も未だよく分かっていないのです。
それに逆行するという意志を見せた国王。それに肩入れなさる御身。何ゆえ、困難をあ
えて行おうとなさいます」
「この島国が、この地球において、最後の聖地であったという一つの歴史を刻むことが
できれば、どれほどこれからの民人にとって励みとなることでしょう。
やがてここは、悪しき者の蹂躙する場所と化し、その時すべてが世の常のように瓦解し
たとしても、時の流れの記憶の中にこの国が暗黒の中の光明として浮かび上がれば、先
の見通しのない霧の航海においても、人々は指針を見失わずに済みましょう。
それは国王の意志でもあります」
「お志、よく分かりました。極力、この地を守り抜いてみせましょう」
この国は島国でその名は、ムー。つまり、後世にムー大陸として語り継がれるようにな
った伝説の大陸である。
「ありがとうございます。シャカラ龍王にかねがね協力を仰いでいた甲斐があったとい
うものです」
ラピュロス神は、ムー国の守護神である。
国王が海原の巫女を介して訴えかけたので、この神が海洋とアジア大陸部の龍王たちに
呼びかけて、この国の内に巣食う拝金主義者たちを、ある策略を用いて一掃した。
アジアの山岳部に、龍王が大量の宝玉を埋蔵しておき、その情報をムー国内に広める。
航海に秀でたムー人たちであったため、欲得に目のくらんだ者たちの多くが出て行って
しまうこととなった。
残る者は、欲張ることのない堅実な者たちということに、ひとりでになってしまったの
である。国の構成員は、国の平和と安泰の基礎となった。
しかし、故郷はまだしも広大であり、巨万の富を得て帰途に就こうとするものがほとん
ど。ムーを守ろうと約束した女神の名は、メデウサ。
気高く美しく、姉妹神とともに仙術武術と美貌を兼ね備えた、シャカラ龍王の娘であっ
た。
女神は、外洋からやってきた場合、潮の加減で必ずたどり着くムー大陸のチョンドル砂
洲の外洋出口の沖に陣取り、船舶の入航を見張った。
そして、大量の武器弾薬を積み武装した帰還集団の船が外洋に近づくと、女神は眷属の
力を結集し、すさまじい風浪を起こし、ことごとく沈没させてしまったのである。
その船の数は1千隻。死者の数は、五万人を数えた。
どの船も一向に帰還できない。
あれほど難所の少ない穏やかな海洋であるにもかかわらず、これは何かの祟りと考え、
アジアに残された者たちは、現地の神官を介してアジアの神に祈りをささげた。
そうすると、中央アジアの守護神であるスサノオ神が、用件を聞き届けたのである。
スサノオ神はこのとき、さらに西域に住む西王母の訪問を受けていた。
西王母:
「人間にはさまざまな可能性を持たせてあるということです。
それをただ不正義であるからと言って封じてしまうというのは、文明の発展を阻害する
ことになってしまいます。
初めは不健全であっても、人間に内在する幸福を希求する能力によって文明は漸次品格
を向上させるもの。
最初から理想を維持しようなどと、ムー国王はじめ彼らに荷担する諸天の気が知れませ
ぬ」
スサノオ:
「人間と同様のことが、私にも言えています。
初め荒くれ者だった私も、世の辛酸を舐めてかなり品格を向上させましたからな。
要は、初期には荒波に揉まれてこそ、苦労を舐めてこそ、世の全体に公平な目を向ける
こともできる次第。
それを純粋培養して人間を育てようなどとは。ひ弱な人間などこの世に必要なのです
か?
そのような目的で作り出されたものではありますまい?」
西王母:
「時の流れがどういうものか、分かっていないのです。龍王が味方しているとか。
彼らは世の執政に直接関わらぬ旗本ゆえ、あのような愚行もできるのでしょう。
ひとつ、あなたの力で懲らしめては」
「相手は武力を用いているゆえ、こちらも話しがつかなければ武力を用いることになり
ます。そうなれば、昔取った杵柄」
「頼もしいですこと」
こうしてスサノオ神は、アジアの東から、300名の元ムー国人を乗せた船とともに出
帆した。船の舳先には、二本角の牛頭の木彫像が飾られていた。
これをチョンドル砂洲沖で見つけたメデウサ女神。異形の神が先頭に立っているのを見
て驚いた。
「いずこの神や知らん」
すると、船の接近にともなって、声が呼ばわった。
「そこに潜む神は、ムー国を守ると称して、この海洋を荒らす神か?われはアジアを
守護するスサノオの神なり」
<これが噂に聞く・・荒くれ者の・・>
「300もの悪人が乗船と見た。しかし、神がおられるとなら、義者一人たりとも乗船
ならば風浪起こさずの誓いを守らねばならぬ。
そなたは、神とは言えど、真に義者と言えるのかどうか?」
「面白い誓いだな。我はかつて不義をなしたが、今は義者であるぞ。その辺までは読め
ぬか、メデウサ」
「神に及ぼす読心術は心得ていない」
「我は義者なり。同様に、ここに乗せ来る者も、今は不義なるかも知れぬが、いずれ義
者になる可能性を持つ者たちである。
過去の罪状をもって、今を裁くとなら、また今の罪状をもって、将来を裁くとなら、我
も同じ。いざ、ためらわず勝負するがよい」
「うぬ」
メデウサは腕を回して眷族に指示を与えた。
すると、雲にわかに沸き起こり、風浪がいきなり起き始めた。
人には見えないが、神や霊能者には、海原を大きな水かきのついた両手で海面を上げ下
げする数十頭の巨大生物が見えたことだろう。
また空の雲の中には、大きなふいごのような口をした巨大生物が三頭、口をすぼめて息
を船に向けて吹きかけていた。
船はいきなりのことに木の葉のように舞う。甲板からは振り落とされる乗員数知れずと
なった。
そのとき、スサノオ神は、腰に帯びた剣を抜いた。
剣の光はそこから放射するようで鋭く、ただ空気にさらしただけで、妖怪たちは目をや
られ、活動を停止した。
「何をしている。ならば海中からだ。シャチの軍、総出動せよ」
今度は船に体当たりするシャチの群れ。ぶつかられるごとに、堅牢な船底も破れていく。
そのたびに、激しい振動と、右揺れ左揺れする船。
船の中は危ないと甲板に出た者はすべて、海に落下し、シャチやサメに食われた。
そのとき舳先の牛頭が光った。スサノオ神が剣を伸ばし、海洋を撫で切っていったので
ある。
すると、シャチやサメの群れは、しびれたようになって、腹を背にして浮き上がった。
かろうじて数十人の疲労困憊した乗員を乗せて、浸水しながらも、船はムーの砂洲に打
ち寄せた。
スサノオ神は砂洲に降り立つ。迎えるは、メデウサ女神。
「メデウサ。そなたと勝負じゃ」
「よし」
メデウサの背中に負った剣が抜かれる。スサノオはすでに抜かれた剣を正眼に構える。
「はあーっ」
短刀がメデウサから数本一気に放たれる。スサノオはそれらをたったひと掃きで打ち落
とした。
その隙に打ってかかるメデウサを、次のひと掃きで剣もろとも断ち切ってしまった。恐
るべき剣の威力。一瞬の太刀捌き。
さらに小刀を抜いて戦おうと向かってくるを跳ね除け、まるで俎板の上の鯉を切るかの
ように、メデウサの体に滑らかに刃をいく筋も入れていった。
血はほとばしる。衣は裂ける。
体を押さえ込み、胸元に剣の先を向けてとどめを刺そうとしたときに、切れた衣がはだ
けて、太腿をあらわにした。
その白さに驚くスサノオ。見れば、顔は左半分がざっくり斬られてはいても、右半分の
美しさ。
押さえ込んだ胸の柔らかさにふと気づき、剣を引いた。
周りに集まる眷族は心配そうにしている。スサノオはかつて姉神と対立したときのやり
過ぎを思い出した。
「まだ命はある。手当てしてやれ」
そう言い残すと、雲を呼び、それに乗って西の空へと去って行った。
以来、船の舳先に牛頭を飾れば、水難は避けられるとのことで、ムー大陸を目指す者が
増えた。
ムー国王は、それからの治世20年の後に、荒み行く国情を見ながら、側近の大臣の手
で毒殺された。
国は、わずかに残った良識ある者たちが居留地を形作るにとどまり、残りの大半は、豪
奢な暮らしと競争に明け暮れる体制作りに日夜を費やした。
シャカラ龍王の嘆きは、激しいものだった。
ようやくさまよう国王の魂を竜宮に招いてからは、落ち着きを取り戻したものの、廃れ
行く国情を見てはおれんと、竜宮に引きこもる日々となった。
それから60年後、地上では戦争が大陸を隔てて起きた。強力な核兵器までが、飛び交
って戦われた。竜宮も、その振動に大騒ぎとなった。
ムー国民も大半が命を落とすに至り、決められた量の破綻があればと条件付けられてい
た大地殻変動を、龍族が力を合わせて起こすこととなった。
ラピュロス神はじめムーの諸天たちも同意した。
こうして、巨大な地震と火山活動が勃発し、あたかも核兵器使用による弊害を醸しなが
ら、ムー大陸はほとんどを海没させてしまったのである。
このとき、居留地にあった人々はそのまま居留の大地とともに異次元空間に移動し、蓬
莱島となって異次元の海原に浮かんだ。
また、竜族に縁の深かった人々は、海没した南東部にあった地下空間に運ばれ、竜宮の
入り口の里人として、諸龍との交流をはかりつつ残ることとなった。
アジアの神々は、これを見て快く思ってはいない。
ただ、大陸がなくなり、人が生きる下地がなくなったために、人のことにかこつけて干
渉していた理由も見当たらなくなった。
それも、人々が互いに滅ぼしあってした結果である。
スサノオも、思っていたような品格の向上が果たされるどころではない結果になったた
め、とても口出しできたはずもなかった。
この変災で、地上の人々の9割以上が死に絶えた。
しかし、魂はまた輪廻し化身する。この空白期に、また新たな人類教化の法則を作りだ
し、次の人類のために用意する。
アジアの神々にとっては、さほど難事業ではなかった。

乙姫と浦嶋

新たな時代の初期、メデウサは竜宮で、傷だらけの肢体を横たえて、その日も泣いてい
た。
ムー国内に外国からたまたま入り、のんびりできると逗留していたアブラム道人。
その医術で、メデウサの身体は日増しに良くなっていた。
ところが、道人は人間の身。老齢であり、やがてこの世を去り、功過に従い、新たな輪
廻に旅立つ。
それを嘆き哀しんでのゆえであった。
「ああ。人の身にありながら、恋しい人であった。何よりも風悠を好む風流人でした。
あのような方こそ、この世には必要なのです」
龍体に変じても、左目に傷を負い、左側の肉髯が途中で切られた様は、とても痛ましい
ものがあった。
神剣で斬られた傷は、神といえども容易に治らない。
しかも、男スサノオに露な白肌を見せ、また乳を図らずも掴まれたことに、女心を乱れ
させるメデウサであった。
良い殿方たちは、他の姉妹に心引かれている。とても傷だらけの者には振り向かない。
この頃、活動を止め、もはや人間の崇拝の対象ではなくなった彼女は、普通の龍女とな
り、閑居する竜宮で乙姫と呼ばれていた。
そんなとき、南太平洋のとある島から、小船で釣りに出た人間にいたく興味をそそられ
た。
<何と、かわいらしい男>
深い腰蓑をつけてはいるが、日の暑さのせいか、さかんに太腿を間から覗かせている。
汗ににじんだ褐色の肌の光沢の良さ。興味したのもそのはず、後にこの男がアブラム道
人の生まれ変わりと知ることになる。
乙姫としては、はじめて人間をかどわかしたくなった。人間に対してならば、化身を使
えるゆえ、どんな美女にもなれる。
こう考えて、隙をうかがった。
海に出ていたのは、18才になる浦の嶋子という者。
その日は釣り果がまったくなく、海も凪いで日照のため、うんざりしてただ糸を垂れて
いたのであった。
それもそのはず、このあたりには妖気が漂っていたため、近づく魚がいなかったのだ。
ただ、小ぶりの海亀だけが、船の下を行き来していた。
<なにか下にいるな?よし。餌をその前でちらつかせてやれ>
浦嶋は何かの影の動くあたりに釣り糸を垂らし、餌を上下させた。
すると、それはパクッと食いついた。竿はしなる。
大物かと慎重に糸捌きをしたが、案外下の物は素直に上がってきた。見れば、海亀。
<まあ、これでもいいか。今日は亀汁でも作ろう>
浦嶋は、亀を船に引き上げた。亀はばたばたもがくでもなく、しげしげと浦嶋を見つめ
ていた。
「はあ。今日はお前だけだが、おいしい料理ができるだろう。さあ、帰るぞ」
櫓を手にしようとして、向こうを見て、再び亀のほうを見やったとたん、浦嶋はびっく
りして腰を抜かした。
薄桃色の軽やかな衣装をつけた美女が、はべっているのである。
「あ・・あんたは・・」
「私は乙姫と申します。あなたがあまりに麗しいゆえ、ここにまかりこしました。
どうか私とともに、私の住む竜宮にいらしてください。なに不自由ない暮らしをさせて
差し上げましょう」
父母はいたが、独身だった浦嶋は、美女のあまりの申し出に何も疑うことなく付き従っ
た。
その日から、二人の蜜月の時が刻まれた。
根が龍女の激しい恋は、とても粘く、若い浦嶋の体を快楽で潤した。
浦嶋もこれに応えて、乙姫を快楽の海におぼれさせた。
食べて、呑んで、踊って、そして交わり、ともに眠った。
眠りの夢の中で、二人がかつて辿った過去世の逢瀬の状況をつぶさに見た。
浦嶋は龍に見初められるだけの格式であり、むしろ浦嶋が乙姫の窮状を見て、アブラム
道人になり、漁師浦嶋として化身していたことも分かった。
いよいよ、恋は愛の高まりも加わり濃密なものとなった。
そんなある日の二人の夢の中に、天帝が現れ、二人に一つの夢を見せた。
先に書いた蘇民将来の話である。この最後に、スサノオが改心して、正義というものに
厳しくなっていく様を二人して眺めていた。
そして夢が覚めてから、乙姫はこう言った。
「もしかして、スサノオ様は、正義と邪悪を別けていくお考えになられたのでは・・」
この夢のストーリーは、東アジアのとあるところで実際にあったこと。
スサノオは、噂や陳情で動いたいい加減さを反省し、龍族と戦ったことさえも申し分け
なく思い、かつて斬り裂いたメデウサの行く末を案じ、彼女を娶ってやらねば行く所
もなかろうにと案じているのであった。
その後しばらくして、スサノオは竜宮もうでして、メデウサすなわち乙姫をもらい受け
ようとやってくる。
それを事前に知った乙姫は、浦嶋がすでにいる手前、またも戦になるかもしれないこと
を憂慮して竜宮を離れ、蓬莱島に至り、乙姫は亀に変じ、浦嶋は鶴に変じて、ともにむ
つまじく隠れ住んだのである。
スサノオは、乙姫と間違え、よく似た三女のハリナメを妻にして、竜宮での濃厚な恋の
ひとときを過ごし、二人の間に八人の王子を設けた後、みなともにアジアへと帰還して
いった。
思い出の場面は、しだいにおぼろげになっていった。
「いかがでございます。イナンナ様」
はっと気がつくと、そこは洞の中の舞台であった。尉は、すでにそこにはいない。
イナンナは洞窟をふらふらと出た。自らがどこから来たか、思い出せないのである。
そうするうちに、大きな地震が発生した。先ほどの岩場の洞は、その揺れによって崩れ
ていった。そのとき、尉の声だけが聞こえた。
「あなた様が動くときには、地も動みます」
まるでそれは、空間すらも地割れさせるかのようであった。
そして眼前が、ちょうど画用紙に書かれた絵が真ん中から破られるごとき様相で、別の
背景が現れたのである。

神 話の伝 授 (洋一からネアンに)

いつしかイナンナは森を見ていた。そこに声がした。
「イナンナ。ここにいたのかい」
見るとネアンである。そこでようやく、自分の来た道を思い出したイナンナ。
「ああ、会いたかった。どこに行ってたの」
「いろんなことを見てきたぞ」
「そうだ。まだ夢見てるんと違った?」
「そうなのか?これで普通なのと違うのか?」
「続く限り、夢見しよう」
「うん」
二人はそのとき、妙な立て札を目にした。
孔雀堂と書いてあった。いわくありげに思い、二人はそこに向かった。
朱色と緑と白の鮮やかな四角堂があった。その扉に、何か看板がかけてある。
「孔雀懇談会会場か。なんだか、つまんなさそうだ。違うところに行ってみる?」
「だめよ。この夢は啓示夢だから、成行に逆らわないで」
「まだ夢の中だからな。じゃあ、入ってみようか」
「うん」
ネアンが扉をノックし、押し開けて中をうかがおうとした。
「どうぞ」
ネアンはまず中に入ると、イナンナも続いた。
自然木でできた大きなテーブルがあって、その上に木製の等身大の孔雀の置物があった。
その向こうに男の人がいた。
「こんにちは」
「はじめまして。私は小菅洋一と言います」
「私はネアンと言います」
「イナンナです。よろしく」
しげしげとお互いを見詰め合った。
ネアンと洋一はよく似ていた。
眼鏡をかけているやや面長で鼻の下の長い顔。まるで双子の兄弟と見てもおかしくはな
い。
「どっちがあなた?」
イナンナがそう言うと、みなしてはーっははと思わず吹き出していた。
「ここで待っていました。ここで待っていると、やがて来る人が神話のまとめをする人
だと聞かされてきたのです。そういった話は聞いてますか?」
「神話をまとめる?そんなことは聞いていないですが」
「ならば、私がお話ししないといけませんね。まとめをすべき人がたぶんあなたがたな
のです。
神話としてまとめて世に出すとき、その神話が世を変えるべく動き出すというのです。
私はまとめをする人に、背景になっている事実を書いたこの資料を渡さなくてはなりま
せん。
ネアンさんでしょうか。それともイナンナさんでしょうか?」
「でも、そんな話、知らんですよ。ただぼくらは、自己探索のために夢を見ていたんで
す」
「あなた。それはきっと、神の経綸のことじゃないかしら。私の恩師はそのことに心を
砕き、志半ばで亡くなっているのよ。
誰か志を継ぐ者が現れるだろうという話を、周りの人にして亡くなっているのよ」
「君が受け継ぐべき仕事なの?」
「いいえ。あなた。あなたがお引き受けしてください。私は母子家庭を抱えていて、た
だでさえたいへんだから」
「分かるよ。し、しかし・・ここに来たのは、そんなことなの?人違いってことはない?」
「いいえ。私は梵天特使の目としてついていきながら、あなた方の姿を見ています。間
違いはありません」と洋一。
「あなた。神話をまとめることで、自分たちの存在理由がわかるかもしれないじゃない」
洋一はテーブルにルーズリーフノートを広げ、ぱらぱらとめくって見せた。数十枚はあ
ろうか。びっしりと書きこまれている。
「これは私が見聞きした話です。これにあなたがたが神話を追加するとき、神話が効力
を持つと言われています。どうです?読めますか?」
「うわあ。なんたる汚い字」
洋一は、困ったような顔。
「清書しましょうか?」
「いや、よく見たら、ぼくの書く字によく似ているよ」
「ほんとだ。もしかして、あなたたち双子と違う?」とイナンナは笑う。
「あほ言うなよ。ぼくに男兄弟はおらんよ」
そう言いつつ、洋一の顔を見て、昔のふっくら気味の自分を思い出すネアンであった。
「もしかするとあなたは、昔のぼく?それとも、分身?」
「さあ、私には分かりません。
私にはできないと梵天特使に素直に申し出たため、今日ここに来て引き継ぐように言わ
れたのです。
とにかく、神話を書く必要があります。それを作り上げたら、孔雀に持たせてください。
そうすれば、孔雀が運び、神話が起動するということです」
「えっ、どういうことですか?」
洋一は、梵天特使から頼まれたことを一部始終語った。その中で、神話がどれほどの効
果を神界に与えているかも語った。
いろいろと言付けを聞いたネアンとイナンナは、孔雀堂の洋一のもとを後にした。
「しかし、このノート見ろよ。とても憶えて目覚めるというわけにはいかないぞ」
「ここに何度も足を運ぶことかな」
「同じ夢を何度も見るなんて、できるのか?ぼくには無理だよ」
「私にはできるわ。だからあなたをここに連れてくる。そうだ。洋一は孔雀だけはずっ
とあそこにいると言っていたよね。とすれば・・」
「あのお堂もあそこにあるんだ。だから、あそこにノートを保管しておいて、あそこで
作業することもできる」
「いいえ。やはりノートは持ち歩いたほうがいい。
私は、八角堂に袋に入れた光るものを、必要な人に届け終わるまではいつも持ち歩いた
よ。
それはあなただったけど。届け終わったら、もう持っていなかった。
そういえば私があなたに届けたものって何だったんだろう。あなた、今はもう持って
いないの?」
「ぼくはもらったという記憶はないよ。ほんとうに渡してくれたの?」
「もしかしたら、この夢で探せるかもね。夢で渡したんだから」
「今はそれどころじゃない。これを持っておくこと自体が大変なんだぞ」
「大丈夫。そのときにはね、あえてノートを意識すれば自然にノートを手にしてるわよ。
それが夢見というものなの。
ただし、よほど力がないと、ノートの形が変わったり、もしかしたら書いてあることさ
え変わったりするから、私がガードしてあげるわ」
「しかし、そういつも会ってエッチしておれないぞ」
「エッチをしたから夢見が出きるわけじゃないよ。遠くても、寝る時間が同じであれば、
一緒の場所で出会うこともできるようになる」
「そんなものなのかなあ」
そうするうちに、二人はそれぞれに目が覚めてしまった。
おかしなやりとりはしたが、肝心のノートに思いが及ぶ。ノートはもちろんあるはずが
ない。
大丈夫だろうかと、二人して夢見の成果を電話で話し合った。
そして次回は、ノートばかりでなく、イナンナが持っていたという袋の中の光り物を探
してみようと約束しあった。
それから4日後であった。二人は夜半から夢見をして、同じ場所である孔雀堂の前に来
ていた。
といっても、夢見に秀でていたイナンナがパワーをかけて、ネアンを呼び寄せたかとい
うと、そうでもないらしい。
というのも、イナンナは不規則に床につく子供たちに翻弄され、事前に意識することな
く眠りについてしまっていたからである。
どうやら、どこか超次元の力あるものが加勢してくれたか、この場所が二人を呼びつけ
たもののようである。
ネアンとイナンナは、お堂の中で、洋一の書いた資料を見た。
その日記のような、メモ書きのような中身は、洋一が乞食方士と出会い、大震災の神話
を聞かされたことに始まり、雌岡山で見聞した世界創生から、この実験炉宇宙創生と汚
濁化、梵天の介入、さらに梵天の密命を帯びた特殊工作員としてのネアンやイナンナの
素性に至るまでが書かれていたことにより、二人は梵天の計画に組み込まれている存在
であったことに大いに驚いたのである。
それはまるで、自分たちの拠って来たる一部始終が書かれたアガスティアの葉を見る如
くであった。
「震えちゃうよ。これを洋一さんは神話物語として補完するよう言っていたなあ」
「このメモの冒頭にあるように、神話として立ち上げたなら、神々が現象界にその内容
を投影すべく舞を舞うというわけなのね」
「それも、ノイズのような幾多の神話を凌駕するものとなるらしい」
「じゃあ、あなたやってください。あなたは、神話を作る資格のある人間として生まれ
ているみたいだから」
「だが、神話の効果があまりにも強いということなら、よほど慎重にかからないといけ
ない」
「ハッピーエンドが必須条件ね」
「君はそれを望むのか。うーむ。子供のこともあるしなあ。
でも世に知られている予言や神話は、世の終わりを語るものが多い。
ぼくもいい加減、終わらせるべきかと思ったりするんだが」
「だから、それを良い方向に建て直して、存続させるという神話にすればどうなの?」
「それをするなら、悪の種を蒔いて省みない連中を処断することが必要だ。
つまりここに書かれている天仙をどうにかしないと・・。
ぼくらに対して、際どいほどの危害を加えようとしているんだぞ。
そうだ。天仙をどうにかしなくちゃいけないんだ。まず悪の根を絶つ。
そうしなくては、いくら末端の悪を掃除しようとしても、いたちごっこになる。
ぼくはまた、このどうしようもない世はいったん終わらねばならないと思っていたが、
それだとまた同じことが繰り返されてしまうんだ。
君の言うとおり、原因を作ってきた者を一掃して、世界の方向付けを良いものにするほ
うがいいに決まっている」
「じゃ、新しい神話で、今まであった終末神話を塗りつぶさなくてはならないね」
「そうだ。黙示録ですらも怪しいもんな」
「やろうよ。具体的にどうするかは、私、結構今までの臨死体験の時の夢なんかから、
ヒントを得てるんだよ。私がヒントを教えるから、あなたが書くというのはどう?」
「君のほうが文章はうまいけど、忙しすぎるもんな。暇のあるぼくが書こう。君はそれ
を見てオーソライズする役だ」
「オーケー。それで行こう」
「じゃあ、ぼくはこの内容を確実に読んで、物語風文章に書き上げるよ。ここにあるこ
とは、新しく書き替えられる神話の前置きとして物語化しよう。
このあとに続けて、実現すべき神話を書くという具合だ」
「お任せします。ところで、ここでまだ残ってやる?私はもうすぐ子供がおしっこに
起きるから帰るけど、あなたも適当に切り上げてね。まだ何度も来れると思うし」
「分かった。君は先に帰って。ぼくはもう少しここにいる」
「じゃあね」
「うん」
ネアンは、動かない孔雀にそれとなく言った。
「お前は何か食べてるのか?いつからここにいるの?」
「・・・・」
「言っても答えないよな。でも、何で孔雀なんだ」
孔雀は、梵天の娘を玉若が救出した際に、追尾するはくもん王の車を弾き返す役目をし
た。
この孔雀も、神話を介して、あくどい天仙たちを撃退する力を発揮するのではないか。
そんなことはまあいいかとばかり、ネアンはメモ書きを繰って読んで、理解を深めた。
それから幾日経ったか、またも二人して孔雀堂に来た。
不思議なことに、ネアンが前にこういうことだと理解できた筋が、一巻の巻物にびっし
りこまかくネアンの字で書かれていた。
「どういうこと、これ。ぼくがメモを見てこうだと解釈したふうに、書いてあるよ。誰
が書いたの?ああ、ぼくの筆跡だあ」
「夢の中では、理解したとたんに実現してしまうのよ」
「それは便利だなあ。これを現実の世界に持って行くことはできないのかなあ」
「無理でしょ。思い出しながら書くしかないよ」
「それは不便だ。夢から覚めたとき、かなり忘れてしまうもんな」
「そうね」
「また会えたことだし、新しい神話をどうすればいいか考えようよ」
「いわゆる、世界の建て直しだよね。ひどい破壊に遭わずに、世の中全体が正義に立ち
返ることね」
「今の利益主義、利己主義、拝金主義なんかとともに、それを成り立たせている仕組み
を直す必要がある。
そのためには多少の犠牲もやむをえないんじゃない?」
「やはり痛みを伴なうのか。生活ができなくなると困るな。なるべく穏便にお願いしま
す。私もアイデア出すから。
私は臨死のとき、地獄の最下層まで行ったけど、黄金の鳥に掴まって脱出し、地獄の各
階層からどんどん上がって行って、天国の直前まで行ったのよ。
天国は、まだそのとき建設途上で、入れなかった。ただ、光が満ちた空間があっただ
け。
きっとそこに、私たちが創る光景が入ることになるんじゃないかな」
「そうだ。君がいいヒントを出してくれたよ」
「えっ?」
「まあ、見ていたらいい」
ネアンは巻物の空白に新しい神話の筋を書き始めた。
それは一気呵成であり、夢の中では現実と違って、いかに自由にまた想像性豊かに事が
成就して行くかの特長を見せてくれるひとこまであった。
イナンナは興味深くそれを覗き込もうとしたが、そのとき何かに吸引されるようにして、
小屋から消えてしまった。
後でネアンが聞いたには、たまたまむずがって起きた次女に、無理やり起こされてしま
ったということだった。
こうしていつしか、ネアンを主体にして神話の製作は進捗していった。

火の鳥効果

さて、こちらは天尊の宮殿である。
天尊は主たる裁定の仕事のため、調査結果の逐一が上がってきていても、検分がややお
ろそかになっていた。
そんなとき、山積になった報告書の一つを目にした天尊は、直ちに太公望を呼んだ。
「ははっ、お召しで」
「太。いったいこれはどういうことだ」
そこには、宇宙連盟側からの報告で、地球に調査もしくは工作に入った調査船のすべて
が、昨今の電磁異常により行方不明になっている。
至急上位からの調査を依頼するという旨の依頼が書かれてあった。
「ああ、これに関しては、噂を聞き、すでに調査員を地球に送っております。これだけ
の船舶が行方不明になっているとは・・。
もしかするとこれはすべてがすべて、こうなっているということかもしれません。緊急
命令に切り替えます」
その中には、ネアンを拉致検査するはずの工作船も含まれていた。程なく調査員からの
報告が入った。
「原因不明の電磁異常が地表を覆っており、地球だけがちょうど宇宙から隔離された状
態に等しくなっております。
このため、ここに新たに立ち入ろうとする物理的物体は、位相の違うところに侵入する
形になり、そこにひとりでになじむまでは一時的に物理法則の埒外に置かれることが判
明しました。
宇宙船などは、高速飛行するゆえに、なじむまでにいたらず、すべて操縦不能となり墜
落したものと考えられています」
「なぜこのようなことが起きた」
「おそらく火の鳥の保存処理といわれるものかと思われます」
「またか」
「エルモナイトプレートによりますと、火の鳥は復活時、およそその時点におけるすべ
ての状態をそのまま保存しようとするそうです。
すなわちそこに含まれる魂の構成要員を把握し、地球からの脱出と侵入を阻止するよう
に動くもののようです。
それをファイアーウォール効果と言うとか。そして文明再生の効果を、保存した範囲内
のものだけに及ぼしていくらしいのです」
「ではなにか。我々が新たな人選を他系から持ち込もうとしても困難というわけか」
「そうなるかもしれません。まだ私は行っていないので、何とも申せませんが」
「いいや。妻にその任務を与えておる。闇太后を呼べ」
「ははっ」
やがて飛行艇に乗って闇太后が到着した。
「何ですか?私の人事には何の支障も出てはおりません」
「おそらく、魂の構成要員の数に乗らないからでしょう。それは逆に有利となります。
クロノスの頃には杖の種族が存在しなかったゆえ、考慮できていないと思われます」
「太公望よ。お前はいささか失礼だぞ。新しい型の魂の登場と言い換えろ」
「すみません」
「火の鳥に居座られたのではかなわん。火の鳥を退治する者はおらぬか?よいアイデ
アは?」
「もう少し火の鳥の性質をプレートから見極めることが先決です」
「あなた。地球の守護者に任せれば良いでしょう。スサノオです。
あの者は最近、世界の動向にブレーキになる行動が目立ちます。
あと、あの者に同調する面倒な神々と共に火の鳥の討伐に向かわせればいいでしょう」
「なるほど。よかろう」
こうして、スサノオが呼ばれ、直ちに火の鳥の征討に赴かされたのである。
さて、宇宙の果てでは、ときおり梵の全系との境界付近で小競り合いが起きるようにな
っていた。
クラッキングツールの運搬船が梵の系内で見つかり、乗務員ともども拿捕されるまえに
自爆して果てた。
その逆に、パスルートジェネレーターの持ち込みが発覚し、戦闘になり破壊される事件
も起きた。
こうして両者の緊張が一気に高まったのである。
そして、境界線上は通行時の持ち込み物の検問がなされ、軍備が対峙して置かれるよう
になり、一触即発の印象を与えていた。
実験炉宇宙を梵の全系側から見れば、かつて白い瓢箪型をしたきめこまやかな繊維でな
る軟らかな弾力性ある繭であったものが、強酸液につけたように硬くなり、灰色に変色
していた。
いっぽう、梵の全系に設置された天尊側の交易基地やテーマパークなどのファウンデー
ションといわれるものは、すでに戦闘状態にあった。
とはいっても、ミサイルや核兵器が使われているわけではない。考えようによっては最
も強力なのはパスルート装置である。
これは、その当たる範囲内で反作用の蓄積があれば、直ちに反動が呼び起こされるとい
う点で、圧倒的に天尊側に不利であった。
こうしてファウンデーション内部で内乱が生じたりして、もっぱら自壊作用によって天
尊の推進した宣伝基地やテーマパークが壊滅しつつあるのである。
それはあたかも宣伝行為を禁止するもののように捉えられ、文句をつける対象ともなっ
た。
梵の全系の側にも、こうしたテーマパーク存続の希望を持ち、梵天に抗議するものもい
たからである。
だが、ことごとく問題が内部に生じたことによる内部崩壊であったことから、天仙も追
求を断念せざるを得なくなっていた。
同じことを実験炉宇宙でやられたらたまったものではない。
自然のあるがままを逆手に取った攻撃に、人為で塗り固めた天仙内部には焦りが見えて
きた。

天仙の緊急会議 (ハーデース計画発 令)

元始天尊は、七人仙会を召集した。トップテンの天仙が集まってする秘密会議でもあっ
た。 
秘密とはいえ、きらびやかであること限りなく、それぞれに玉石や金銀瑠璃の七宝をあ
しらった召し物で着飾っていた。
だが、そこで話し合われることは、焦りに満ち精細を欠いたものになっていた。
東天仙:
「東方遠征の慧盂仙の申しようには、ファウンデーションのことごとくで伸長が困難に
なっているとのことです。
それもクロノスが築いたパスルートジェネレーターにより、反作用の直撃を受けている
とのこと」
西華仙:
「西方でも同様です。いや、それ以上かもしれません。半ば完成していた中型実験炉5
67基がすでに崩壊しました。
完成に至っていた35基のうち、21基までが機能をなしていません」
南泰仙:「南方も悲惨なありさまです」
北天仙:「北方のファウンデーションは半減です」
天尊:
「ばかもの!!維持する努力が足りておらん。それを棚に上げて、みながみな不景気
な報告をすれば事足りると思いおって。
魅力的なテーマパークの推進という宣伝は効果がないのか」
太公望:
「そんなことはありません。ただ、梵天が推進するシステムのおし着せに対して、どれ
ほどが反旗するかが鍵かと思われます」
天尊:「もちろんあたりまえのことだ。より多くに、魅力を吹聴し、賛同者を増やして
いくしかない」
後背玉:「まったく、梵天は面白くありませんな。これほど魅惑に富む功過格システム
をいやがろうとは」
天尊:
「全系の秩序が保てなくなると思っておるのだ。新しい秩序を我々の手にゆだねれば良
いものを。そうすれば、全系を責任もって作り変えてやろうに」
闇太后:
「そうですよ。あなた。戦いに利なくば、こちらの力をいかに大きく見せて、交渉を有
利に運ぶかです。
もっと交渉を優位に運んでくださいな。そうすれば、せめて全系を分割し、いっぽうを
私たちの運営するに任せてもらい口出しさせないようにもできるでしょう。
要は、取り引きです」
天尊は、各方面へのプロパガンダ策を強化した。
しかし、クロノスのシステムは、大には大、小には小なりに効き目を見せたため、宣伝
に乗せられて魅惑のテーマパークに至った者のうちの多くは、その中で反作用による体
調不良やトラブルに遭遇し、していることの非を悟らされたのであった。
魅惑に後ろ髪引かれながらも、多くの者がそこを後にして再び来ることはなかった。
またファウンデーションの運営者すらも、災難にあうなどして、テーマパーク自体が閉
鎖の憂き目を味わっていった。
そして、梵の全系からすれば、これらの宇宙群は総じて不健全、生命に巣食う癌組織の
ように見なされてしまったのである。
天仙側の魅惑宣伝に対して、梵の側はこれらの壊滅に向けた動きを、免疫強化作戦と言
うようになっていた。
こうして、当初、天仙優位に運んでいたかに見えた宣伝合戦は完全逆転の様相を見せた。
梵天には第五回目の会談からこの方、分割割譲案を梵天に提案してきている。
しかし、構成要員あっての世界を主張する梵天がそれを許すことはない。
杖の眷属による支配世界となれば、一国独立も認められることであろうが、ごく少数で
も魂あるものの取り込みがあるのが許せない梵天である。
それは、天尊をも魂あるものの中に含んでの意味を持っていた。
逆に梵天の側から、たびたび特使が訪れた。このままなら、まだ学問の場として存続が
可能であるから、その天尊の功績を残すことと引き換えに、管理を委任せよとの姿勢で
あった。
それに対して、気分の良くない天尊である。
天尊はまだ、最後のどんでん返しの切り札を隠し持っている。
梵の全系を震撼させる核兵器とも言うべき、クラッキングツールを用意しているのだ。
いぶされて黒光りする節くれだった杖が、闇太后の金庫に何段重ねにも積み上げられて
いた。
そのうちの十数本は、輸送時に発覚するまでに、手分けして東西南北のファウンデーシ
ョンに運び込まれていた。
すでにこれだけでも、十分に梵の全系を破壊できると計算されていた。
ファウンデーション壊滅の折には、ツールを起動させてしまえという命令がいつ出され
てもおかしくはない状況が醸成されつつあった。
天尊はいよいよ最後の砦になった感のあるこの実験炉宇宙の中の、象徴的な戦いの場で
ある地球を、腹心の天仙数十人とともに雲湧く泉を通して見ている。
周囲には、杖の力による激しい波動の防御スクリーンが結界として張り巡らされていて、
梵天さえも知る領域ではないとされていた。
天尊:
「我々の当初の計画では、20地球年の後に、地球の生命系は、功過の負債に耐えきれ
ず滅び去る。
再び清明になった、より過酷な条件下で生命系は動き始め、またも面白おかしい歴史が
縦横無尽にこの地球という籠の中で執り行なわれる。
またも生産された功過が負債の許容量に耐えきれなくなるまで、続々と目新しい展開が
伸長される。
そういう計画であった。考えてみれば、少しも悪くないではないか。なあ、みなのも
の。
どんどんレベルアップしていくゲームに、なじんだ参加者は小躍りして喜ぶことだろう。
喜ぶ者の顔が目に映るというに」
外泰仙:
「梵天は、試練に負けてだめになる者を、よう介護できないもので気にしているのです。
そんな者たちを矯正する施設は地獄だけでなく、いくらでもあるというのに」
天尊:
「だめな者はだめで放逐すれば良いのだ。
試練に負ける者など、梵天に返してやれば良い。ごみはごみ捨て場に行くのがふさわし
いというものだ。
淘汰のうえ強靭な魂を作り、ここに住みここを楽しむ種族を生え抜かせねばならぬ。
梵の全系を遥かに卓越するものばかりの世界にするのだ。俗にいうスパルタ教育という
やつだ。
このために、みなで図ったように、より過激に高度に展開しなくてはならない」
妙義仙:
「もう少し加減しなくては、圧力も強くなりませんか。せめて脱落者は早めに見つけて
返してやるとかいたしませんと、向こうも感情的になりましょう」
井堂仙:
「お前はまた、気弱なことを言う。そんなことを言っていたら、チュウチャクロウの二
の舞いになるぞ」
天尊:
「この宇宙は、我々の計画の発足の地であると同時に、最後の砦にせねばならん。
いみじくも梵天が申しておった我々の反作用のリミットがどれほどに近づいているか、
よく計らねばな」
計資仙:「それはまだまだでございます」
天尊:「だが、クロノスのシステムをここに持ちこまれでもしたら、容量は大幅に減り、
すぐにでも命取りになる。
極限まで反作用を蓄積し、劇的に解放すれば、見事なリバウンドで新しい系が生まれる
だろう」
妙義仙:「では、もっと反作用を重積させておいて破綻させるおつもりですか?それ
はで自然に逆らい危険では?」
井堂仙:「お前、今ごろ何を言っておる」
計資仙:「そうだ。親方様のリバウンド宇宙論が信じられないというのか?今まで小
規模なものは何度も成功しているではないか」
妙義仙:「いえ、そういうわけではないのです。ここはもう少し長い検討が必要かと・・」
闇太后:「いいえ。この者は、梵の全系と分離されるのが怖いのですよ。このようなも
のがひとりでもいるなら、計画は台無し。
裏切り者は直ちに処刑しておしまい」
妙義仙:「まっ、まってください。私は分離が怖いのではなく・・・ああっ」
妙義仙は、天尊の合図で抹殺光線をみなから浴びせられて、ジュッと熔けてしまった。
結界から放り出される、魂の粘液。だが、魂は死なない。どこからともなく、黒い影法
師が現れて、妙義仙のちろちろ瞬く魂を咥えて地獄の最下層へと持ち去った。
地獄の下層部ほど、政治犯の貯まり場であった。
天尊:
「あのような最新情報に疎いものがまだいたとは。もういちどみなに言う。
七人会議のメンバーには通達したように、我々は純粋英知からは程遠い者となる。
梵の対極に置かれる存在として、限りない永劫をこれから楽しみながら謳歌する種族と
なるのだ。
それが、梵天よりも先にあった如意宝玉の願いである。何も、如意宝玉は梵天の私物で
はない。
宝玉は我々の意志を汲んで新たな魂を生じ、新たな世界を築くことを許してくれている。
どんなことにも寛容に許しを与えるのが宝玉である。
こうあらねばならぬと規定する概念などその中にはない。
誰も裁かず、誰をこうあれと強制することもない。それを真っ先に実現するのが我々で
ある。
対極にある梵天の勢力と戦いやがて拮抗し、さらにいつか全世界を制圧することが我等
の目的であり、真の正義である」
闇太后:
「そのために、梵の全系から分離するに足るだけの背反行為をあえて犯します。貯めて
貯めて、積み立てたその負債をもって、その爆発的反動で分離を果たすのです。
旦那様のリバウンド理論によれば、貯めに貯め切られた反作用は、もはや自浄できずに、
反世界を生む材料となるそうです」
計資仙:
「みなさん、ご安心あれ。その計算もすでにできております。
梵天による妨害さえなければ、我々はブラックホールと化して、ここからおさらばとい
うことになります。
行きつく先は、梵とは対極にある新系宇宙。その場所にて、我々の仲間を増やし、強大
な帝国を築く予定です。
なあに、新宇宙の下地は、我々の思うがまま。如意法力により、下地がすぐに作りあが
ります。
天尊陛下のもとに中央集権体制ができあがることでしょう。今ここにある面々は、最低
限その頂点を極める指導部に属していただきます。
ぜひ全力をもって邁進いたそうではありませんか」
西泰仙が北天仙に耳打ちしている。
「計画は当初、分割的に文明の亡興を宇宙全体で連鎖的に繰り返させるというものであ
った。
それが変わって、宇宙全体の滅亡と再興を一気にやろうということかと思ったが、それ
すらも飛び越して反世界なのか」
「そうだ。梵の全系に対抗する天尊の全系ができあがるのだ」
「ぞっとするなあ。なんとすごい目論見だ」
「がやがや」
天尊:「梵天の反作用解放の動きのほうはどうなのだ?」
外泰仙:「観測では、この世界に対するクロノスのシステムの痕跡はありません。
現在のところ、ファウンデーションにおける被害をもとに、クロノスの装置とそれに類
した全パターンに関するチェックツールが導入されておりますから、もしこの宇宙のど
こかに設置されたならば直ちに検出され、直ちに天仙の秘術を尽くした破壊作業がなさ
れることになっております。
またいずれ近々、自動駆除ツールもできあがることとなっておりますから、どうぞご安
心ください」
闇太后:「とにかく、万全の警護体制を取るように。そして、すべての計画と作業を早
めてくださいな」
天尊:「うむ」
天尊は、煙る泉から浮き上がってきた蚊とんぼのような宇宙船を指でつまむと、地球め
がけて放り投げた。
それは、海の上に青い光芒を引いて落ちていった。
天尊:「それに伴ない霧人仙のグループにさせておいた終局計画をとりやめにする。
切り替わったこの新たな計画を計画の最後に置く。次代はもはやない。
あるのは、分離を果たした先の未来。そこにいまこの世界で遊ぶ魂たちを可能な限り掻
き集めて収容する。
いわば、彼らは人質だ。梵天はこれで手も脚も出ない。分離計画を早めるべく、ハーデ
ース計画を濃縮して実施に移すこととしたい」
霧人仙グループとは、地球上の歴史の随所に、終局計画の神話を置き残した者たちであ
る。
黙示録や末法思想などがそれである。彼らは、人間世には希望乏しく、人類には滅亡が
必至であり、その先に輝かしい時代が来ることを述べ伝える役目を担っていた。
そしていずれ関連する別のグループが、天尊によってプログラムされたスケジュールを
こなすことになっていたのである。
「ということは、最後の審判という、時代の最後を飾るフィナーレはないのでしょう
か?」
天尊:「何を聞いておるのか。意趣を覚れん奴だな。最後の審判というもの自体、蓄積
された反作用を帰零するものである。
だから、反作用の蓄積を利用する我々にとっては、そのようなものは無用のものとなる
のだ」
かつて言われていた最後の審判とは、地球に限られたものであった。ところが、もしそ
れがあるとすれば、これからは実験炉宇宙全体を対象にすることになろう。
観測するいちいちのものにとっては同じように捉えられても、意味するところはまった
く違う。天仙の意向に沿ったものたちは、反世界に行ってしまう可能性がある。
そこは階層構造でなるガチガチの闇の帝国となる。
外泰仙:「かつての最後の審判の行程に関わるよう命令されていたスサノオはいかがい
たしましょう」
天尊:「地球の目付役の立場から、異存を唱えてくるかも知れぬから、いま火の鳥と戦
わせているところだ。
何せ火の鳥は予定外の行動を取る不穏な節理だから、異常事態には断固立ち向かわせね
ばな。そこで忙殺されるだろう」
外泰仙:「では、面倒は起こさないですね」
井堂仙:「ならば、今からハーデース計画を行うということで・・」
外泰仙:「分かりました。では、実施グループの選抜を行います」
天尊:「うむ」
次の週の天仙全体会議には、千数百名の天仙が集まっていた。いつにない強力な結界が
張られたことと、今回の天尊の決定を入場時の司会者からあらかじめ聞き、がやがやと
興奮気味にしゃべりあっている。
「いよいよ地獄の釜の蓋を開くのだな」
「もはや次期計画は、地獄の名主を招請する程度ではなく、宇宙のカオス極大化を賭け
て地獄の獄卒たちをすべて解放してしまおうというわけだ。
そして、世界全体に巻き起こる一気呵成の腐敗堕落により、すべての魂の腐敗を誘い、
それをもとに反作用を一気に許容限度まで蓄積させてしまおうということらしい」
「それはまるで、なみなみとたたえられた汚物溜を実験炉宇宙にぶちまけるようなこと
になるだろうな。
この実験炉宇宙は、手のつけられない状態になるぞ。最後の審判があるとすれば、完全
に系を分離する一大事となるわけだ。
これが人間なら、同じ最後の審判と捉えることであろうが、ちと意味が違う。
老いも若きも、高下貴賎を問わず、よほどこの世を嫌がっていない限り、みんな我らの
支配下に置かれるのだ。
そのとき、わずかな罪を悔やんでも遅いというわけだ」
「獄卒たちの訓練された中には、まだ実験段階の残虐性を持つものが多いと聞くが、ど
んなふうなのか」
「それは目を覆うようなすさまじく凄惨で残虐な奴だ。いろんなものを見てきたわしで
さえも、やめてくれと言いたくなるような奴だ。
だからこそ、今回のカオス極大化には欠かせないのだろう」
「あの臭いのはかなわんが、わしらも魂を糞まみれにして堕落するのかの」
「わしらが歴史の金字塔として建てた記念碑や偶像はもったいない気がするが、みんな
打ち捨てていかねばなるまい」
「まだ我々は、高みの見物であるだけにましだ。しかも指導者であるだけにな」
「そうそう、付き従う人間どもは哀れだのう」
「馬鹿者。同情など禁物だ。チュウや妙義仙のようになるぞ」
「我々は、梵の全系とおさらばするのだ」
やがて議長が挨拶した。
「ええ、静まって。今回は緊急臨時会議であり、誰も欠席は許されておりません。
もし、この場にいないものあらば、後で報告願います。
さて、すでに噂が伝わっておりますように、ハーデース計画を実施します。
いよいよ、我々の分離独立に向けた運動も、佳境に入るわけです。
今ここで、皆様の士気のほどを確かめておきたく思います。ではみなさん、ご唱和を。
ハーデースプロジェクト、フレー、フレー」
「フレーフレーハーデース、フレーフレーハーデース、ワー」
パチパチパチパチ・・・・。

その間に元始天尊が中央の席についた。
天尊:
「みなの者。我々の主張は梵天によってことごとく退けられた。
それゆえいつ何時外部から破綻させられるやも分からぬ状況にある。
ファウンデーションの多くは壊滅寸前の状況にある。ここを最後の砦とせねばならぬ。
事は急を要することとなった。ハーデース計画を、直ちにこなさねばならない。
それによって新境を切り開く。すでに開いている地獄の釜の蓋は、一層から四層であり、
わずかに開き、抜擢されたものだけを解放してきた経過がある。
だが、それはもはや全開とする。加えて五層、六層を開き、七層を小出しに開けて、少
し長い時を刻ませるようにしたい。
過激に過ぎると、外野が動き出す。それゆえ、究極段階になって一気解放する。
この役目のうち五と六は、張林仙のグループに任せる。七層は、いささか手ごわかろう
から、戎権仙に任せよう」
戎権仙:「しかし、七層の獄卒には力がありますゆえ、わずかに開ける程度で済ますわ
けには参りませんが」
天尊:「努力して出さぬように努めよ。剛力のそなたなればこそと思えばの抜擢だ」
戎権仙:「ははっ」
地球上の歴史を管轄していた錦織の里スペクトラムやロンバス四次元などに所属し、時
空ディストリビューターの任務にあたっていた諸天たちは任を解かれ、替わって引き継
ぎを済ませた天仙たちが時空の管理にあたることとなった。
言霊の海から龍神たちは締め出され、天仙たちがその任についた。このため、慣れない
者たちがする制御は、勢い不安定なものとなった。
とにかく、すでに定まっていたと思われた歴史は、大幅な計画変更の手が加えられたの
である。というより、計画性のない無秩序かつ未踏の時代が来ることになったのだ。

地球神界は杖の眷属のバイオモドキ神がスサノオ不在の中、主神となった。
彼は仏の顔を持ちながら、手足は無数の触手のようで、自在に伸び、血と汗という生け
贄を求めてやまない神であった。
触手に触れられた魂は、縮れ萎えて、魂に発する良心を無くし、悪虐非道の行いをもろ
ともしなくなるのである。
であるにもかかわらず、バイオモドキの触手から毒液をふんだんに浴びて狂人と化した
者は、地上の法の加護により、野放しとなった。
中途半端な中毒者には、逆に狂気に徹底せよとばかり制裁がかかるほどであった。
マスコミやプロパガンダを通じて、大衆の上には毒液が降り注ぐ。
地球上では、理論的であるとか、科学的であるとか、合理的である、法的であるとかに
よって、事の善悪が測られるようになり、民主主義や人権尊重が詠われ、理性が主導的
となった時勢の到来かと見えたが、それを頂点として、命というものが毛ほどの重さも、
拝金主義の台頭の前には感じられなくなっていった。
若は老を虐げ、強は弱を虐げることを厭わなくなっていった。
巷には有毒物質が溢れ、次世代への存続の可能性がもはや断たれようとしていた。
有毒物質の作用でなおも容易に狂い、狂った者ほど巷で大手を奮うようになった。キレ
易いという言葉が、正常人を表す常態語となった。
人間管理のしやすい宇宙文明においては、かつてのナチスやソビエトがそうであったよ
うに、強力な軍事共産体制が敷かれ、個人の自由というものはことごとく消え去った。
それでいて、能力優先主義が先鋭化し、力のないものはいつしか社会から姿を消してい
た。
人々はただ働くためのロボットと化することを余儀なくされていったのである。むろん
抵抗するものは、自殺するに等しく、ひとりでにいなくなっていた。
世界を覆う良識なるものは、不合理な法でしかなかったが、それに口出すものも皆無と
なっていた。
良識で生きる者は、どれほど残されただろう。
良識あるものも、非良識な組織下では、生き延びるために、それなりにふるまうことを
余儀なくされてしまったのである。
彼らはいずれ、闇の帝国の構成員となる手はずであった。
まずは前哨戦。いずれなる構成員たちを魂レベルで悲惨の坩堝に落とし込み、反作用を
無尽蔵に生ましめることである。
そのプログラムは、スペクトラムなどの時空ソフトディストリビューターから発信され
つつあった。

火の鳥の動き

その頃、2000年10月に解放されたはずの火の鳥は、片足を地上に残したまま溶け
るように粉末化していた。
天仙の計画が急展開していく中、火の鳥の存在はあまりにも遅々として写った。
それは天仙の観測にかかってはいたが、ちょうど人がUFOを見るように、無力で現実
味を持たぬものとして認識されつつあり、それに比例するかのように、赤橙色の火の粉
となって、地上に、また空中に飛散していったのである。
ある防空関係の天仙が言う。
「案の定、火の鳥は暗闇に弱かったな。活動指針が得られぬ期間が長ければ、やる気を
なくすものだ。
火の鳥の生命反応は乏しくなった。いわば自然界の中に溶け込んだ感じだ。
おそらく、この地球の自然界の滅亡と軌を一にするに違いない。おおかたぼんやりと迷
った鳥族の精霊に変じたのだろう」
宇宙連盟の船舶が地球に立ち寄っても、電磁妨害が軽減していた。
そのため、続々と地球に出没しつつあった。人の目にもときおり捉えられるようになっ
ていた。
といっても、1970年代の一時期ほどのことはなかったが。依然、八角堂の三階の窓
は閉じられたままであった。
いっぽう、ネアンとイナンナには、監視の目がしっかりとついていた。
しかし、したいようにさせていないと、彼らに付いている梵天の側の検知機が梵天に危
機を知らせ、新たな行動を起こさせかねない。
妨害と、定められた時までの俗事による忙殺が、彼らに与えられるべき運命となった。
「この者たちは、少し閑になって出会えば性行為ばかりしておる。羨ましいかぎりじゃ。
このたびのチュウチャクロウたちの不祥事が尾を引き、わしらは何もできん。これでま
っとうな工作ができておるともおもえんが。
しかし、こんな鑑賞ばかりしていては、わしらの身が持たん。ええい、見ちゃおれんぞ」
「まったく仕方のない奴らだ。我々が物事をやらせんからといっても、これにふけるば
かりでは、お前たちいい加減にせんと馬鹿になるぞと言ってやりたい気もするなあ」
「いいや、どうせ馬鹿者たちよ。先の世がどうなろうと、知ったことではないであろう。
あとは監視の目に任せて、しばしあちらで憩いましょうぞ」
「まったくじゃ」
四人プラス監視の目が二つもついていながら、逆にものぐさになっている様を、まだ若
くしっかりした天仙が見てこう言った。
「四人もおられて、それでまともな監視ができているのですか。あの二人はいわば密偵。
工作員です。
しっかりとすべてを両の目で見届けて、つぶさに上位に知らせないとなりませんぞ」
「そうは言うがな、あまり見咎めてなんでも制裁を科すようなことがあれば、逆効果な
のだよ。だから、この程度でいいのだ」
「ああ、そうだ。そちも呑め」
「そんなことはしておれません」
「そんなこと言って、もしあいつらを見に行ったりしたら、若いお主のこと、毒気に当
てられて、つい・・ということになりかねんぞ」
「ふぁっはっはっはっ」
若い天仙は、杖の賢者会議のメンバーであったため、ここで老監視たちのいい加減な監
視行動について論じた。
「あの二人は、密偵ではないか。それを野放しにして、したい放題させている親方様も
困ったものだ。
しだいに奴らの正体が鮮明になってきているというのに、制裁はおろか、警戒すら緩め
ている気がしてならぬ」
そこに、寡黙だったメンバーのバイオモドキ神が口を開いた。
「私が以前やったような方法で、ネアンに警告を与えれば良かろう。お前らは、大きな
所から注視されているのだということを悟らせてやれば、恐くなり、計画していること
を取りやめるだろう」
「なるほど。あの事件はネアンをかなりびびらせたからな」
あの事件とは、神戸で起きた酒鬼薔薇事件である。
ネアンが日本神話の真解釈をするときに、最古の祭祀霊場が作る幾何学図形を発見した。
その主たる発見図形に、生け贄の血を塗るために、バイオモドキは幽界に渦巻く大江山
の鬼たちの怨念を、幾何学図形に沿わせるように下ろし、
少年Aに懸からせ、千年前に実際あった大人の事件を、千年後の子供の世界にそっくり
そのまま転写して見せたのである。
この猟奇事件の衝撃は、世界を駆け巡るほどのものとなった。
そして、当のネアンに暗に事件の原理を知れるようにすると、いきおいネアンは萎縮し
てしまったのである。
このときは、スサノオがネアンを助けた。事件解決を速やかにしたのは、異界のほうに
鼻の効くスサノオが悪の種を見逃さず対処したからであった。
これによりネアンは、何かしらの異界の存在に脅かされるということは、していること
に間違いがないからだと、むしろ逆に自信を深めることとなった。
「なにもせぬ監視たちのしていることよりはましとはいえ、親方様の方針に抵触しない
か?」
バイオモドキ:
「だから、直接ではなく、婉曲的に分からせるようにすれば良い。ネアンは謎解きが得
意だから、そのことを逆利用するわけだ」
「まさにまさに」
「いまは多忙でどうにもならんが、閑なときにまた方策を考えておこう。それと、闇太
后様の策略がそろそろ功を奏するらしいぞ」
バイオモドキはそう言い、世相邪悪化のスケジュールが混んでいるからと、その場を去
った。
「闇太后様が?どんなことだろう」
「分からぬ」
さて、四角錐をした監視の目は、ネアンとイナンナが抱き合ったままでいる様を、何の
感慨もなく見つめていた。老監視たちにおいては、あの通りである。
ところが、問題はネアンとイナンナへの対処にあった。
ネアンは不景気の巷においてなお、変化する運気の流れに辟易していたもののまだしも
一人身という気楽さがあり、たとえ周りの者より出来が悪くとも、対処できるものがあ
った。
ところが、イナンナの場合は、天仙の施策と弁天の性格があいまって、仕事に群を抜く
出来の良さが続いていた関係で、巷の邪悪が露骨になるにつれ、せっかくできあがった
実績が没になるという事態に見まわれた。このため、いきおい感情が不安定になった。
観世音のように老人たちの話を聞き親身になって将来設計し、その誠実さによって勝ち
得た実績も、老人の心に忍びこむ邪悪な知恵や思いによって、わずかなことを不審に感
じ、契約後幾ばくもたってから翻意するものだから始末に悪い。
そうしたことも、連日起きると、さすがのイナンナも何かがおかしいと思うようになる。
また、イナンナの同僚は、妬みと手厳しい非難を大人しい彼女に集中させた。おりしも
ネアンが神話を創作していた最中であった。
創作の途中経過をネアンから知らせてもらう中に、その内容が現実とシンクロすること
がしばしばであったため、イナンナは未完成ながらもネアンの作る神話それ自体の効力
の大きさを感じていたのであったが、そんなときたまたまネアンは天仙の終局前夜とも
言える世相の邪悪化を記していたため、イナンナの非難をもろに浴びることとなった。
イナンナ自身にとって死活問題を扱っていると思っても不思議ではなかったからであ
る。
「あなたがそんなことを書くからよ」
「すまない。必ずハッピーエンドにするから。もう少し我慢してくれよ」
「あなたの書くことはすぐに世の中に反映するから、私はほんとうに迷惑してる。とに
かく一刻も早く丸く収めてちょうだい。今は本当に怒ってます」
イナンナはネアンのことを梵天の化身と思えばこそ、世界を治める力で早く何とかして
ほしいと願ったのである。
だが、ネアンは力削がれた化身でしかない。封印がようやく解かれたといっても、未だ
一つだけ。現実に力を持つかもしれないという神話を作ることができるだけであった。
後は何をするにしても、衷心より祈るしかない。疲れていいかげんな祈りになれば、効
果は減ずる。ネアンはその日、イナンナの問題の解決だけを、衷心から諸天善神に祈っ
た。
するとかなりの損失は出したものの、連続した二つの問題とも、形の上では収まったの
である。
だが、危ない綱渡りのような感じは否めない。このままではイナンナが耐えていけない
と考え、ネアンは愛するイナンナのために、神話の筋書きをより穏便なものにし、粗稿
であるにしてもできあがりを急いだ。
そして、なるべくできあがるまで、イナンナには秘密にしておくにこしたことはない。
あとは本当に効果が上がるだろうか。

(このころ、イナンナの上司が窮地にあった現実的なイナンナの救済の対処をとった。
それがイナンナを思ってしてくれたことと感じ入ったイナンナは上司の要求に応えな
くては申し訳なく思い、貞淑を明け渡してしまったのであった。闇太后は、イナンナを
しばらく観察しつづけただけで、揺さぶりをかけて落としてしまったのである)
ネアンはまだ半信半疑だったとはいえ、ネアンの神話作りに向かう熱意が変わってきた。
すると監視の目も自ずと向けられてくる。
監視の目は隠れた次元に潜み、ネアンのパソコンを覗き込む。だが、不思議なことに、
ディスプレイにはアダルト写真の類いばかりが並べられていた。
それらはネアンが合間に気晴らしする時のアダルトサイトへのアクセス結果の残像な
のであったが、神話と神話を創作する過程には与えられた力により、格別のフィルター
が掛けられていたのである。
ちょうど、彼らの目から見れば、肝心の神話のほうは、モザイクならぬにじんだように
なって、写真とダブっているのだ。
いつものように感慨なく去る監視の目。天仙の影はたびたび立ち寄る。だが、同じよう
なものを見て、苦笑いして帰るのがいつもであった。
「あいつの頭の中は、あのことばかりだ」
「体位の研究に余念がないというか。そんなに数もないのにな」
「わしらは禁欲。おーい酒だ、酒」

そのようなとき、天尊の宮殿では、第二の不測の事態が生じていた。
張林仙が、身の毛もよだつ姿をした獄卒たちが地獄から人界に出てこようとした段階で、
見えない障壁に阻まれ、進めないでいるというのである。
そして、出口に溜まったことで、互いに大喧嘩を始めてしまったと報告してきたのだ。
「親方様。何万という獄卒たちが、狭い通路の中で将棋倒しとなり、それがもとで肉片
飛び散るすさまじい喧嘩が起きており、収束のめどがつきません」
「ばかもの!!お前に任せたのは何のためじゃ!!」
天尊が張林仙に抹殺光線を浴びせようとしたそのとき、地獄界の四層以下の任務にあた
っていた千義仙も同じ報告をしてきた。
「なにい!?地獄界と人界の間すべてで起きているというのか。戎権仙はどうした」
太公望が、懐から丸く淡い気体でできた通信機を取り出し連絡を取る。
「はい。こちらは、立ち塞がる見えない障壁のようなものを獄卒どもが叩き壊そうとし
ております」
「やれそうか」
「はあ、これらの者、何としても外に出たくて、必死になっておりますれば、体当たり
するたびに障壁から赤い火の粉が散っており、しだいに壁が向こうに押しやられていま
す」
「七層の者はなかなかだな。とにかく恩賞は思いのままということで、一致協力させて
事にあたらせるよう」
「ははっ。心得ました」
太公望:
「親方様。これはおそらく火の鳥の仕業でございましょう。赤い火の粉ということで、
そう思いました」
「地球だけをガードしていたのではなかったのか」
「身体が雲霧消散したと見えたは、自然界つまり五界全体に拡散したということかもし
れません」
「まだこの生き物の正体がつかめずにいたのか。ばかものめ!!敵の何たるかも知ら
ずに、後で逐一その存在を知らされているようでどうする」
「はっ。プレートの解読を進めます」
地球上で発生し、その時点では最も強力なファイアーウォール機能を果たし、異種星間
生物の侵入を阻止した力は、宇宙に拡散して、波動の粗雑な邪悪な異界からの侵入を阻
止するモードに変わっていたのである。このため、同一界の交流は逆に容易になってい
た。
天尊の主旨はすでに一本化している。それを臨機応変な形で運営するのが太公望である。
闇太后は、ファイアーウォールにかからない杖の眷属を、予定以上にすべての界に送り
こんだ。
太公望は、闇太后の活躍で結果的に所期の予定とそう変わっていないことに安堵した。
天尊:
「そうか。ならば第二段階にはいる。星間戦争を先んじるか、それともまず地球にする
かであるが・・」
太公望:「私は同時進行と思います」
闇太后:
「あなた。私としては、まず地球に全精力を傾け、次に宇宙です。
なぜなら、何を企むかわからぬ厄介者たちがいまだ地球にいて、先行きを危ぶませてい
るからです。
まずこれらの者を見せしめに殺し、梵天をその気にさせてください。そして直ちに地球
に大戦を。さらに宇宙へと波及させるのです」
太公望:「なるほど。当方のファイアーウォールもほぼ完備しておりますから、一朝一
夕に陥落するものではありません。
その間に、すべての準備をいたすことになります」
天尊:「お前たちも、やる気満々だな。いずれ我々は、ここでは暮らせぬ者たち。あと
は天運ぞ」
ところが、事はそう容易ではなかった。地球神界では、スサノオ神が、正義にもとる行
為を糾弾しだしたのである。
異物火の鳥の処理にあたらせていたはずであったが、火の鳥の活動が拡散して弱まり、
国の内情に目が向くや、欲得に目のくらんだ邪悪な者たちの摘発に乗り出したのだ。
地球上のおおかたの国々、特に日本においては顕著で、悪が構図ごと次々と明るみに出
され、世間の非難を浴びるようになったのである。
その勢いは、末端の弱小組織から始まり、やがて政府へと進軍の動きを見せていた。
杖の眷属もしくはその息のかかったものたちが牛耳る悪の巨塔は、いくら邪悪といえど
も、世論の抗議にはブレーキを掛けざるを得なくなった。
しかし、彼らは法律と私権に満ちた警備組織を駆使して、難攻不落の多重の城を築いて
いた。
世論がいずれ敗北するとはしても、対処に時間を食う。スサノオ神はなおも、正義の心
有る民衆という一見ばらばらに見える軍勢にインスピレーションと力を与え続けてい
た。
「ええい。何をしておる。元凶のスサノオを呼びつけろ」
やがて半時もたたぬうちに、スサノオが入ってきた。
「何かご用でございますか」
「お前は、我々天仙の命に従わず、なにをしておる。どうして火の鳥の始末を最後まで
せぬ」
「火の鳥は、私の力により、活力を削ぎ落としたのはご存知では?」
「何?お前がやったと?我々の監視によれば、あれはひとりでにそうなったもの
だ」
「では、これをご覧ください。これらすべて、火の鳥に対して行った処置です。
この結果、こうこうしかじかとなりまして、ところが結果の検証をしている最中に、予
期しない事態が起こりましたもので、そちらに関わらざるを得なくなりました。
それはこのような事態です」
資料には、火の鳥の作用の衰退と共に、宇宙連盟の進入がおびただしくなり、それに伴
なって異種、杖の勢力がどんどん流入し、彼らあるいはその息のかかった者が各国政財
界の要職を占め始めたことが記録されていた。
その結果、世相は暗くなり、差別が著しくなり、公平であるべき分配がなされなくなっ
たことを記していた。
楽する少数の者はなお楽になり、苦ある多数の者はなお苦に直面するようになっている
と。
しかしそこには、やはり神のレベルである。楽するものと苦悩するものの履歴などは書
かれているはずもなかった。
天仙の文書検閲係は苦言を呈す。
「これではあたかも、我々がえこひいきしていると言わんばかりではないか。
彼らおのおのの功過に基づき、厳正な計算の結果として受けている処置であることは、
そちも存じていよう」
「えこひいきしていると言うのでは毛頭ありませぬ。私はただ、この世に正義を打ち立
てたいだけなのです」
「だから、正しい功過計算がなされていると言っておろう。それが正義というものだ。
では聞くが、そなたはいちど、天神族と事を構えて、深く反省の色を見せたではないか。
いま、我々が天神ぞ。その我々が今の事態を良し、やむを得ぬこととしておるのに、ど
うして逆らう」
「逆らってはおりませぬ。私は、この下界を住み良くしたいだけなのです。私は、地球
上の守護節理の任を、この文明開始のときにいただきました。
以来、不肖はままありましたが、必ずや良くせねばならぬと奮闘してきたしだい」
そこに、天照大神の姿を似せた闇太后が口を挟む。
「この国は、天神の知らし召すところ。わからずやのあなたの地球守護の任を本日限り
解きましょう」
「そ、それは・・」
「以後、地上の成行に口を挟んではなりません」
「そんな。どう見ても、ひどい状況になりつつあるというのに」
「あなたは天神の大計りというものが理解できないだけなのです。所詮は地祇の分際」
「そうですか。そう言われてしまえば身も蓋もありません」
スサノオは、やはりかつてからの予測の一つではあった滅亡の方向を向いた人類のライ
ンを、また今回も踏むのかと嘆息して、その場を辞した。
スサノオの去ってしまったのを見た天尊は、悪巧み顔をしてにんまりしながら、こんな
ことを言う。
「闇太后よ。今回の地球上の大戦は、当初、正義を気取る者たちと、我々の息のかかる
邪悪と見なされる者たちの間で戦わせようと思っていたが、正義の出る幕をなくすこと
にしよう。つまり、国と国の戦い。大国と大国の戦いだ。正義はその中で、存在意義の
なさを痛感するというのはどうだ」
「ほほほ。恨み骨髄となって、よろしいのでは」
「そうすれば、反作用も強まるというものだ。その場合、この文明の滅亡をいつにする
か。太公望よ、直ちに計算せよ」
「ははっ」
「闇太后よ。お前は、クラッキングツールの残りをこの世界にセットしておけ。そして
タイマー仕掛けですべてのツールを作動させるように」
太公望は、天尊のリバウンド理論の結果がまだどうなるか分かったものではないことを
思いつつも、計算機に注意を向けていた。
理論にもともと疎い天尊であったから、それが果たして、本物なのかどうかも不透明で
あった。
もしかすると、親方がときおりみせる単なる自殺願望かもしれないという思いを多少は
持っていた。
それでも、成行上、従ってきた経緯がある。
<ええい。ままよ>
太公望の計算機を扱う手に、余計な力が入った。
「親方様。そうすれば、かなり早くなります。20地球年を待たずとも、4分の一のわ
ずか5年で可能です。さらに宇宙においては、同じ方法を適用したとして、7地球年で
す」
「そんなに宇宙への効果は早いか」
「はあ。まだしもまとまっているだけに、波及は早いです」
「宇宙連盟と同盟、さらにダル宇宙の200連合組織を戦わせて、それか」
「きっかけはもうできております。そして何も全壊を狙う必要はありません。
限界まで蓄えて、時が満ちた時点で、全壊はツールのほうで土台から壊すということに
なります。それなら5地球年と半年。
この宇宙に来たはずの客たちは、一気に存在の基盤を失い、恐怖に駆られて我々に付き
従い、我々の系を作るのに役立つことになりましょう」
「まさにそのとき、この世界のシステムに興味する者たちだけが集うことになる」
「そうなると思います」
「ふははははは・・」
闇太后は、それを聞き、この宇宙に配備されたクラッキングツールのすべてに、あと5
年半で起爆するようにタイマーを仕掛けに行った。

場面は変わって、ここは地上である。
スサノオ神は地上に分身を降ろし、多くの人々の信仰を集めていたが、とんでもないス
キャンダルに見まわれていた。
幼児に虐待を日夜加えているというものである。こうして、神の化身という噂に泥が塗
られることとなった。
それは世界規模のスキャンダルとなり、批判する側とそれでも信奉する側に真っ向から
分かれてしまう事態ともなった。
スサノオ神の真理と正義の打ち立て計画には、いきおいブレーキがかかることとなる。
地球守護の人事を更迭されたことと並行して、様々な国の元首への働きかけも頓挫する
こととなった。
そのようなとき、スサノオの分身はかつて恋した神の化身を探し当てた。
シノが、ネアンに何らかの影響を与えるべく接近したときに、よもやではあるが、スサ
ノオから直にもらった二枚の写真を、お近づきのしるしにネアンに渡したのである。
ここでも、キーパーソンとなるものは、同じ目的に繋がる工作員である。
目指す方向が違うわけなら、せめてキー照合のカードを渡すことを怠っていない。
その一枚をネアンは、自分が以前から信奉し、祈っている神様だよと、乙姫の化身であ
るイナンナに渡す。
こうして、想念によって繋がりがついたのである。乙姫は、スサノオの心をそのとき知
ることになる。
いや、もっとはるか前から神界では分かり合えていたのであるが、神話が成就するとは、
地上における手続きがあってのことであるから、この表現で適切なのである。
スサノオは、喜び驚き、詫心も含めて、乙姫の化身しているイナンナを守護しようと、
たくさんの祝福物を持って、ネアンが写真を渡したその夜、イナンナの夢に現れた。
「純粋な良い子だ。本当なら、直接写真の上に祝福を顕したいのだが、(お調子者のネ
アンもおり)評判が立ちすぎると良くないから、夢の中でたくさん祝福してあげよう」
そのように言い、祭ってある写真を蜜やお菓子や花束などで飾ったのである。
イナンナはそのような夢を見たもので、ネアンに翌朝すぐさま知らせた。
以後、スサノオ神は二人にとっての守護神となったのであった。
それまで、ネアンはスサノオ神への祈りによって、幾度も窮地を救われていた。ネアン
はイナンナにそのことを告げ、イナンナに祈りを勧めた。
いっぽう彼女は、彼女ですでに信奉する神がいたが、あわせて祈るようになり、より精
神を安定させ、日々の生活に仕事に励んだのである。
(ところが、イナンナは上司と関係を持つようになって以後、内緒でネアンへの裏切り
行為に身をやつしていく)

着々と進む神々との親睦

神界において、スサノオ神は、方士の姿をした梵天と語らっていた。
方士:「神話は、最も良い状態でそのまま現れますから、土台不純な中では、どうして
も勝手なように歪曲されてしまいます。
特にいまの下界のように、あの要砦のような化け物相手では、神話も中までなかなか浸
透いたしません」
スサノオ:「狂牛病など、かえって弱い者を痛めつけてしまったようで、心苦しい。け
っか、我が分身にも、辛酸をなめさせてしまった」
「なあに、そんなことはありません。いずれ時を経て、神話は表面的な作用を超えて、
真の効を奏します。それより、地球守護の任を解かれたこと、お察しいたします」
「火の鳥の作業は、もう収束。雲を掴むようなものゆえ、それ以上何もできんのだ。結
果を見てもらうしかない。
しかし、いささかショックであった。昔のわしなら、天神に立ち向かっていったであろ
うが。どうもこのたびは意気が上がらぬ」
「火の鳥は、それなりに功業を成したことをご覧じましたか?」
「そうだ。あれはあれなりに宇宙からの干渉を防いでくれたのだ。宇宙からのインベー
ダーたちは、ろくなものを持ってこなかったからな。
それが防がれただけでも、火の鳥の功業であろう」
「実は、私不肖不精ながら、火の鳥について情報を得ておりまして・・実は、こうしたす
ごい節理なので・・かくかくしかじか・・。
よって、真の正義樹立のためには、むしろこの節理の力を頼ることのほうがよろしいか
と存じます」
「そのような作用を持つものとは、わしも雲を掴む気がするほどに、手強さを感じた。
ヤマタノオロチの比ではないとてつもなさを感じたぞ。
しかし、向こうからしおれるようにして去ったのには驚いた。さすが、この世のさらに
裏に・・やはりそうか。
わしは今のお上のやりかたは、なにかおかしいと思っていたのだ」
「裏の奥にある梵天の世界は、永遠不滅の平和を保っているとのことです。単なる噂だ
けではないのです。邪悪はいささかも含まれていないとも。
いや、無邪気で普通であれば罪に見えることでも、咎めだてすることなく許せる世界な
のです」
「邪悪とは、それを裁かねばならぬほど窮屈な空間がもたらす弊害なのだ。
私はこのまえ梵天殿に外部宇宙に連れて行ってもらい、こんなところがあるのかと思っ
た。
というより、私もそこにいたのにここに来てしまったことを思い出した。
ゲームと称して様々なルールでがんじがらめにしてしまったのだ、この世界は。
下位へと展開すればまたルールが要る。処罰のルールで新しいものが必要となれば、ま
たぞろ作る。
邪悪とはルールに反するものをさして言うが、もともとそのようなものはないのだ。
邪悪と見えるものすらも、やさしく容認し歓迎する世界が梵天の世界だった。もはや邪
悪は天神系の理屈から発していることは明白なのだ」
「テーマパークと称して空間を狭窄させ、ルールでがんじがらめにすることを取りやめ
れば、ここに閉じ込められたみなは元あったところに帰ることができます。
そのためには、段階を経ることが大切です。
まず真に正義をもって神々さえも裁き、矯正させることのできる神を立てて、公正と正
義のもとに上位霊界の浄化から始め、それを下位に及ぼし、安定した管理空間を作って
いきます。
そして治世を緩やかなものにし、自由意志が尊重された上で梵天の世界に出て行かねば、
この世界になじんだ者たちには変化が強すぎますから」
「まさかわしがそのような任を受けるなど言われても、ちと力不足だぞ」
「かつて、善神が悪神に天下を奪われたことはご存知で?」
「知っておる。そうか、その神ならできるかもな。その最後には、立ち会ってもきた。
かつての良識ある天神は抹殺の憂き目にあった。
諸神たちは、圧倒的な不利を見てそれを黙認したのだ。業に入れば業。そうしておれば、
いずれ良いほうに改革もされようと思っていたが、それもいっそう困難であることが分
かってきた。
邪神は邪を生み出すしかないことも分かっている」
「では、協力願えますね」
「うむ。この時代、レジスタンスは困難かも知れぬが、わしの主義には合わなくなって
おる。前々からわしが好意する者には支援を与えていたが、これからはむしろ積極的に
いたしてもよいかとも思う」
「そうですか。お志は伺っておきましょう。しかし、まだ内密に穏便に動いてください。
いままでのようでけっこうです。ただ、あなた様のご威光で諸天に働きかけをしてくだ
さいませんか」
「うむ。何をする?」
「梵天の用意する節理を設置したいのです。それはいま闇雲に地球に持ってきたとして
も天神に自動的に感知され、破壊されてしまいます。むろん、宇宙にはどこにも隙はあ
りません」
「ならば、どうする?」
「逆に、天神がよもやと思う結界のど真ん中に、置いてしまうのです」
「そんな露骨なことができようか」
「はい。実は・・」
方士はスサノオに耳打ちした。
「ううむ。そんな堅物に対して、わしが説得できるかな」
「今は天神が直轄せずとも、全幅の信頼を彼に置いて任せているいま、彼しかありませ
ん。
また、周辺も固めることが必要です。幸い、日本は、神々が善良。協力は自ずと取り付
けられると思います。
私がおのおのに当たって説き伏せます。あなた様は地球における神のお立場ゆえ、お口
添えくださいませ」
「更迭されてからは、けっこう社交パーティーなども開いておるし、それぐらいどうで
もないことだ。分かった」
「それから、イナンナをどうか守護願います。私はネアンの立場からしか、イナンナを
把握しておりません。
イナンナの本体、乙姫様の化身である五色の亀の身体には、新しい時代の予感、希望と
いったものが組み込まれて、日夜良いものに更新されているはずです。
どうか、それが壊されたり、更新が沈滞せぬよう、お守りください」
「よし。わかった」
スサノオ神は、地球守護の任の解任報告に事寄せて、地球の各国の神々のもとを周る旅
に出た。
勢い閑になったとアピールする中に、いつもの豪放磊落ぶりを、まず最初の数カ国で振
りまいた。そして、目的の日本に至る。
まずは礼儀として、天神系の神々に挨拶をしに周る。
天神系の神は解任の経緯を知るため、不合理を盾に暴力沙汰になることを避け、酒を飲
ませたりしないように注意し、なるべく早く引き取らせるようにしていた。
白山系の神々は、上品に普通どおりもてなした。
「まあ、せっかくお勤めくださいましたのに。よい守護をなさってましたよ」
「みなさん、何も怖がらなくともよいのです。暴力して解任されたのでもなんでもない。
ごく、お上の方針であったまで」
「分かっております。早く次の任に就かれることを期待しております」
そして、二階層ほど降りたところに、地域警護の任に当たる神々がいた。その中でも、
トップクラスに、かつて古代日本の中央として機能していた地域の司である安倍晴明が
いた。
そこは京都の晴明神社であった。
「私はこの日本、中でも京都というところには、興味があったのです。日本文化は、か
ねがね良いものだと思っていたが、この京都はそのよさの原点とも言うべきところ。
少し、ゆっくりと見せていただきたい」
安倍晴明が日本庭園を案内する。
「自然の造化をそのままに凝縮して見せ、見る人の心を原点に立ち返らせたい想いで作
られているものです」
「すばらしいものだ」
そのとき、スサノオの懐がごそごそと揺れた。
何事かと見やる晴明。晴明も、スサノオの何をしでかすか分からぬ行状についてはいち
おう知っていたから、また何ぞかやと思ったのである。
懐からスサノオは、玉手箱のようなものを取り出した。あっけにとられて見る晴明の前
で開けようとする。
「しばしお待ちを」
晴明は、両手を広げて制した。
「どうした?」
「これは玉手箱ではありませんか?」
「そうだ。私は龍王の娘ハリナメを妻にしておるので、こたび持たせてくれたのだ。そ
れにしても、なぜこのようなところで、振動する?」
「おそらくそれは、私が師匠・伯道上人からいただいたものではないですか」
「馬鹿言うな。これはハリナメの化粧台にあった箱だ」
「なくしていたのです。お返しを」
「これは竜宮の玉手箱だぞ」
「いいえ。これは師匠の・・」
「ええい。埒があかん。何が入っているか、見ればよかろう」
スサノオが紐を解き、小さなつづらを開けてみると、そこからは白い煙が立ち昇った。
「ほら見ろ。浦嶋が使った玉手箱だ」
白い煙は、庭園を望む縁側に辿りつくと、そこで一人の白い仙人服を着た男に変わった。
それは、梵天の化身の方士である。
「何処の仙人?」
「いかにも、私は仙人。スサノオ殿に所縁あるものとも、貴殿に所縁あるものとも言え
ます。
それゆえ、懐を揺らして、開封を催促したしだいです」
「いきなりこんなことをされては、昨今の警護厳重な時勢、お上にも伝えねばなりませ
んぞ」
「この玉手箱は、確かに貴殿が受けた品であり、貴殿の将来を左右した品でもあります」
「それを知るあなたは?」
「私は、貴殿の師匠・伯道上人の友人で、許仙道人と申す者。貴殿に申したき儀あって、
機会を待っていたのです」
「それというのは?」
「晴明の後を継ぐ機能が誰かにあるとすれば、それは・・。
あるいは晴明の再臨が成し遂げることがあるとすれば・・より符術を身につけた彼によ
る・・」
「待て、(その謎賭けを)言うな。貴殿の考えは分かる。
だが私は、いまの体制を護持させなければならない人間だ。
過激な意見は差し控えてもらいたい。そして直ちにここを立ち去られたほうがよい。い
まなら咎め立てはせぬ」
「いま幽界を観ずるに、夢とも幻ともつかぬ穢れた淡くおぼろげな業念があまた渦巻い
ている。
貴殿流に言うなら、形の定まらぬ業念ということになるな。
地上に生きる人々は、知らず知らずのうちに、それらと思考を同調させ、過去に辿った
者たちの悲哀や恨みを幾度となく地上にもたらし輪廻させて気づこうとしない。
妄執、妄想、嗜虐、怨念、これらは意識ある者が振り撒いた種であり、それを身にまと
った霊もあれば、ただ参照されるための手続きとして漂う想念(ソフト)のこともある。
鬱の者の妄念を増幅し、心を閉ざさせ、あるいは被害妄想させ、犯罪へと駆り立てる。
はまったら抜け出し難い心の迷路を設けてやまない幽界の業念再生産の仕組みと増殖
する業念の累積。
社会の複雑化に呼応するかのように複雑化する業念。しかし根源は同じ無明。
根源には、少しも進化せぬ無明がいつまでもあるだけだ。
それさえ切り取ることができれば・・。いや、光を当てて氷解させることができれば・・。
その単純な無明をさえ克服できぬようにしているのは、何なのか。
たかが宗教としてまともに取り合わず、人々の霊性教育をおろそかにしているからなの
か?
そうではないぞ、晴明。人間の遺伝子に、四万年前に組みこまれた人間性によるのだ。
争い抜きん出ようとゲームに興じる性質。人は強いものにはよう刃向かって行かぬ動物
の性質。
また逆に、弱者を見れば心を安心させる性質。同じ檻に入れられた同族の間でのみ、勝
ちぬき競争が行われるのだ。
楽しいときはそれで良い。だが、劣勢に立たされたと見れば、より劣勢の者をつぶしに
かかる。
強い者にはかかって行かないが、弱い者にかかる。集団を作ってでも、弱い者が犠牲に
されていく。
その接点から怨念が立ち昇る。不本意な弱者がなおも最後まで不本意を受けるは何ゆえ
ぞと。
人の数だけ、疑心と怨念が立ち昇るのだ。こうして最後のひとりになるまで、業念の製
造されてやまぬ下地をどうする。
貴殿がたとえ守護神となり、立ち昇るいちいちの怨念の鎖を断ち切ったとて、この努力
はいつまで続くのだ。
弥勒が降臨する日までか?その弥勒は、何十億といる人間の遺伝子を総入れ替えするの
か?
リコールするには、件数がいささか多いぞ。知られずにやるには、少し無理があろう。
いっそ、絶滅からしなおすことくらいしかない。だがそれは、貴殿の意図に反する。
そもそも、共同の場を競争目的で作っておいて、怨嗟の想いが立ち篭めるのを、換気も
まともにしないで放っておくシステム自体に問題があるのではないのか?
この世が作られた時点に遡って、考えるべき問題があるのではないのか?
誤解するな。私は、いったんこの世を、大過去にそうであったように、つぶして一から
やり直せと言うのではない。
体制は可能な限り存続させた上で、根底にあるシステムの性質を変えていくのだ。
このためには、痛みを伴なう者も多く出てこよう。体制に安住していた者には反発が生
じるだろう。
だが、絶対多数の幸福には代えられない。いま進めなければ、それこそ一からやりなお
す荒療治しかなくなるだろう。貴殿の協力がほしい」
「ふふっ。いまから1000年前に、そのような探求心や気概があったような気がしま
す。
あなたの話は、ちょうどその頃の私の心のようです。だが、力が所詮足りなかった。
いまでは夢物語となった話があります。私には、むかし亀を助けたがため、竜宮に連れ
て行かれて歓待された経験があります。
そこで、”龍王の秘符”という龍宮に伝わる不老長生の秘符を授かり、地元に帰っても、
若さを保ち続けることができたのです。
しかし、帰還のときに龍王から言付けがありました。あなたは、鶴である。
現世に帰ればいつの日か、私がもう一度亀となり、会いに参る所存。
そのときは、世がすさみ、荒れ果てて、人の心が微塵も感じられなくなる頃。
荒れ果てた世を、共に立て直すために参る。そのとき世界をあなたの見聞きした竜宮の
ように変えるのだ、と。
しかし、ついに亀は現れませんでした。それが象徴であると理解できたのは、師事した
伯道上人によってです。
もし亀が現れてくれていれば、新しい時代へと導くための秘術を駆使いたしたはず。
そのために、私は永遠の寿命を捨てて、伯道上人の数ある秘術を体得いたしたのです。
必ずやの自信はあったのです。しかし、その残る半分の思いは果たせずじまい。私はそ
れが残念なのです。
それゆえまだ機会があろうかと、魂魄ここに留め、天神様の仰せ付けに従い、この結界
を守っておりました。
しかし、かつてあった結界の土台が省みられず崩されていく様を傍観するばかり。
いや、ときおり呪詛しては妨害してはいたのですが、多勢に無勢、時の趨勢、もはやこ
れまでかと思っていたところでした」
「そうでしたか。分かります。貴殿の思い。
常に鶴は先立ち、亀は遅れて現れることになっておりますから。
その亀が時を選んで出てくるのに、果たして決まりがあるのかと思うほどです。
しかし、紛れもなく決まりはありました。鶴は千年。亀は万年。
鶴は亀の到来を当てにして、十回に一度の賭けを演ずるのです。
貴殿は、万を満ずるタイミングで言うなら、九度目だったのでしょう。
そのため、役割への当てが外れたように見えるのです。
が、この”九”という数は、また重要な意味を持っています。
此度十度目の秘儀を支える九神とは、それまでに空しく青春を散らしていった鶴たちを
表しています。
そして、その”九”番目である貴殿は、この計画の旗頭に立つ者をも意味するのです」
「そうなのですか。そこまで知るあなたはいったい何者ですか?もしや伯道上人で
は?上人も同様のことを言っていたような・・」
そう言うが早いか、晴明は方士に向かって、金縛りの方術を放っていた。方士はその場
に立ったままで、金縛りを甘んじて受けた。
一瞬晴明の手に手応えがあったが、次の瞬間、法力の宿った金の縄は、方士の身体を透
過するように、するりと抜けて落ちた。
「私は立ち現れたがごとく、煙の身ですぞ」
「やはり上人では?」
「いや。私は鶴の印章をかつてあなたに付与した者です」
ええっ、と驚く晴明。スサノオも、固唾を飲んで聞いていた。
「では、このたび、十度目の鶴が現れているのですね?」
「その通り」
梵天の化身である方士は、晴明とスサノオに、今までの経緯を語って聞かせた。
晴明は泣いていた。鶴亀の時を演じようとして、満たされざる九神の境涯となり、世に
伏在してこの方、ようやく真理に巡り合った思いであった。
「ならば私も、本当のことを申しましょう。
私が陰陽師になり、巷の人々の苦悩の治療に関わったのは、ひとえに亀に遭うためでし
た。
亀になり出てくる者は、我が対偶にあるなら、必ずや霊的な問題を抱えていると考えた
からです。
それゆえ、陰陽の仕事は間口を広げるための算段でした。あとは、縁が引き寄せてくれ
ようと。
実は私は、亀に出会ったのです。その名も、亀女という女でした。
しかし、亀女は、出会った当初、瘧と癩に冒されておりました。
川原に幾多曝される難民と、その次々と死んでいく屍の中におりました。
私は仲間に手伝わせ、山間の仮小屋に運びました。
仲間はむろん、いつもの私の奇行と笑い、転ぶように去りました。私は、自らに伝染る
ものは、普段なれば訃術と薬草にて直せます。
だが、亀女のほうは病重篤であり、余命幾ばくもありませんでした。そのようなとき、
私は術を維持するための物忌みの時期を迎えてしまいました。
私はかつて伯道上人から、亀に会った時の交わり方まで教えられておりましたが、もし
このとき交われば、今まで培った術を捨てることになる。
思い悩み、術のほうを取ったのです。亀女のほうも、齢28にして、その生き様、堕落
の果ての業病でした。
まだ生きるという望みはありましたから、諸葛孔明の宿星不動の祭儀を執り行ない、亀
女の七日の延命を祈りました。これでもし命あるなら、まだしも縁あると。
しかし、六日目にして、亀女はこの世を去りました。
そのことをどれほど後悔いたしたことか。世を恨みました。自分のふがいなさも。
その慙愧の思いが、今この地に結界をうましめているのです。
術を維持し、神とはなりましたが、我が境涯は、この地にあって、私が対峙し続けた地
縛霊と、何ら変わるものではありません。
上人は、我がたまきはるみぎりまで、試験したのです」
「こちらも実を言うと、このたびが十度目と言い切ることはできないのです。
というのも、その十度目すらも流れることがあるからです。
流れたときは、局地的に変革の嵐だけが過ぎ去ることでしょう。ちょうど貴族社会が武
家社会に変わるように。
そうなれば、いったいいつが十度目、一万年目やらと考えても意味のないことになりま
す。
二万年目かも知れず、あるいはまたそれ以前かも以後かもわからないのです。
要は人界は手順を踏み、神界に象徴として刻まねば、新たなことは動かない。しかし、
どんな者も、失敗に見えてそうではない役割を持つことも確か。
あなたは人界には多大な功績をなされた。それを持って梵のもとに戻られたら良いでし
ょう」
「神の境涯も六道の一つにほかならぬことを知りました。何らかの役割を持ち、それに
生きた。それをもって良しといたさねばなりませんね。気が晴れやかになりました」
<私が生涯をかけて見つめつづけてきた、鬼や怨霊。その闇の向こうにたえず存在しつ
づけていたものは、生きた人間の怨念だった。
人が人を呪い、人が人を恨んで死に至らしめ、その効果も、無念のまま死ねば、魂がさ
まよい、人が恨みを残して去れば、人を祟る。
恨みの念は、人にあらざる鬼を呼び、物の怪をこの世に生み出す。だが、結局は怨霊と
は、権力闘争によって人が生み出し、人が育てたもの。
怨霊の生まれる原因も、鬼が現れる理由も、すべて人の心の中にあった。
怨霊たちの裏側にある、人間の業というもの。人が人を恨むと、その人自身が鬼に近づ
き、人を恨むほど、救われる機会を失っていく。
呪いは目に見えずとも、確実に相手に向かって走り届く。恨みの思いは目に見えずとも、
大きなエネルギーを持ちつづける。
呪いを発すれば、必ず呪いとして帰ってくる。新たな恨みを生み、時を越えて連綿と続
くことになる。
我々陰陽家が言う、相生、相剋とはこれのこと。すべてがそれぞれの因果でつながり、
恨みもまた同じ。
その流れを誰かが断ち切らぬ限りは・・。自らがこの世に遣わされた理由は、それは恨
みの流れを断ち切ることにあった。
それが私の使命だったのだ。そうだったと思うならば、天よ。雨を降らせてくれ>
晴明は天に祈った。すると、亀である弁天龍神の涙を誘ったか、雨は驟雨となってこの
下位神界に降り注いだ。
<そうか。それで良かったのか。鶴亀の任は、我ただ一人のみでは、重すぎたのだろ
う。
さしずめ九度の努力が、我を含め取られてきたという。
だが、いま幽界では、満たされない恨み、果たされない呪いが満ちている。怨霊として
魂をさまよわせている浮かばれぬ霊もあまたある。
すべて、この世に、この世の富や権力に、この世の射幸心あおることどもに、執着して
なお目覚めぬ者たちと、彼らが振り撒いていった想いの抜け殻の集積である。
それらの影響を日々受けながら暮らす今を生きる人々。たとえ純粋に生きるものとて、
その毒牙にかからずにすごせるわけはない。
神に師事する者でさえ、幽界と霊界の想いの層を貫いて神界へと回路をつなぐことがで
きるかどうかは、不透明なのだ。
神々の元に、回路が曲げられて届かなければ、助けとうても助けられぬでは、大多数は
どうなる。末端まで行き渡るべき守護霊、守護神の加護。
この世の理性と自己制御により、疲れと恐れにさいなまれながらも、かろうじて理性を
保っている人々。
彼らが疲れ切ってしまったらどうなる。抵抗力をなくすのは、体だけではない。新たな
新参霊がまたぞろやってくる。
免疫のない彼らがいったいどうなることだろう。どのような世相を作って行くのか。世
が浄化されない限り、世はますます曇らざるを得ない感がある。
満たされぬ思いは、私にもあった。私怨にほかならぬものだった。いま過去の私怨を解
き、鶴亀の儀を支える役に回ろうではないか>
晴明は涙を拭き、方士に向き直り、大きく頷いた。
「私が陰陽五行の結界の中で行う恒例の儀式には、天仙の五茫星の秘術を使うものがあ
ります。
そのときにだけ、どんな仙も神も立ち入ることができなくなります。その日は毎年X月
XX日からZ日間。
その開始の当夜子の刻から半時の間に必要なものを運び入れてください。
子の刻に始まる私の施術の進捗に従い結界は強まり、丑の刻には扉が完全に閉まります。
そうすれば、あらゆる検知の目からそれは隔離されましょう。
動かす折は、Z日後の亥の刻に術を解いてからとなります」
方士も涙しながら、晴明の手を取った。スサノオもその上に手を重ねた。

スサノオが次に出向いたのは、奈良であった。まずは法隆寺の夢殿で、聖徳太子と膳手
郎女の歓迎を受けた。
「ここはいちおう、緩やかな結界になっております。ある面、筒抜けであり、またある
面、秘密は守られます」
「そなたの理想として想い描いたことの実現が、近々起こることになっている。共に良
い時代の創生に向けて力を貸してほしい」
「いつしか弥勒の世となると信じておりました。そのお役に立てるなら、喜んで。昔の
想いはいつまでも持ちつづけております。昨今の世情を見ればなおのことです」
次は、キトラ古墳の被葬者の神格に会いに、三輪山に出向いた。
「私が生前に予感して絵師に書かせた、まさに朱雀の飛び立たんとする時代になりまし
た。
この予感を介して、すごい神がお見えになることも予感しておりました。ぜひ協力いた
しましょう」
次は葛城山の役行者である。
「晴明をよくぞ説き伏せられましたな。一部始終お手並み拝見しておりました。なに、
鴨の系統は我が掌中を見るごとくであり、子孫への期待もしておりますから、ありがた
く存知ております」
「同様に協力を頼めるか」
「承知しました」
次は高野山の空海である。
弥勒降臨のときには、肩にかけていただく袈裟を持って上がりましょうと言ってくれた。
(その後、2008年にはカンナオビが高野山詣で をした翌朝の 夢に、空海が光る袈裟を持って現れ、まもなくおうまれになるとのお告げを授けている。ネアンはそれを解読する役を 果たした)
そういった具合に、日本一円の神々に目通りを果たし、協力を仰げる場合はその旨言付
けして周ったのである。
さて、着々と準備は進行した。
梵天とスサノオが協力して事に当たる段となったが、事は速やかに遂行される必要があ
った。
というのも、いかに日本という小域のこととはいえ、まず梵の密命者が揃っているとい
う点からも、厳重な監視体制が敷かれていたからである。
また長く下位神界の神々に負担を強いるわけにもいかなかった。

地 上世界のさ らなる成行

天仙の仕組んだハーデース計画によって、地球上はいっそう混迷の度を深めつつあった。
ネアンの住むN国においても、訳のわからぬ犯罪が次々と発生した。
上が上であれば、下も下であるような、アンモラルかつ鉄面皮なゾンビとそれに準ずる
者たちが現れるようになった。
人々の住む環境には有毒物質が溢れかえり、その面から健康と精神環境の悪化をいよい
よあらわにしていた。
次の世代に何を引き継げば良いか、もはや大人世代は見出せずにいた。それに答えるよ
うに、子孫の世代は、大人世代を憎むことはしても、恩義を感ずることはなくなった。
荒廃した世相しか彼らに見せることができなくなったからである。歴史がこれ以上刻め
るような雰囲気は、次第に乏しくなっていた。
そのようなとき、キタロウが、スカイフィッシュの所在が知れたとネアンに同行を誘う。そこに、シ
ノが同行するという。
シノは、この世の成行に対する希望を胸に秘め、朱雀であるネアンにとって、玄武であ
るイナンナの代替的あるいは補完的立場の者として配置されたキーマンであった。
はじめての出会い、真名井のキーポイントで出会ったときに起きた事柄、世界の危機を
招きかねない事態を惹起したことが思い出された。
次の出会いは、何を招くか。
おりしも、P国がI国によって激しい差別と軍事侵攻を受け、国民の大半が負傷し、死
に瀕するという事態に至っていた。
E圏やA圏ではI国に対する非難の嵐が巻き起こっていたが、ネアンたちのいるN国で
は、政府もマスコミも邪神の圧力で、国民は事態知らしめられずの半隔離状態にあった。
政府は、対岸の火事を決め込むことにして、A国への追随を行っていたため、世界の暗
黙の非難は、N政府に対してというより、暗愚な国民に向けられるようになっていった。
しかし、この国民が意に介していないことが砦となり、まだしもこの国を守っていた。
ネアンは、なりゆくままにシノと再会する。だが、キーパーソンの行動は国の枠を越え
て地球上に影響を及ぼす。
世界を覆っていた憎悪が、その蓄積されたエネルギーのはけ口を見つけて、活動しだし
たのである。
それは改訂された天仙の目論見に合致したものとなった。
世界大戦への機運の高まりとしたい天仙と、その配下のゾンビたち。I国のゾンビは、
終局の誘導に熱意して、喜ぶように呼応する。
それを憎みながらも、理性で収めようとするAA。しかし、どこまで横暴に耐えられる
か。
迫害を過去の歴史としてきた宗教的心情を、世界終末を望む空気へと変化させて行く。
I国親派によって牛耳られたA国は、世界平和を説きながらも、I国へのバックアップ
に終始し、これを非難する人々との割合は、1対9ほどとなる。
世界は、外面的穏健を保ちながらも、両極に分かれて、いざの時を待つことになるので
ある。
世界大戦は、核非使用の状態から始まろうとする。だが、I国トップは、保有核を使い
たくて、うずうずしている。
世界世論と見合いの状態なのである。親派のA国、E国の力が勝れば、使用してもバッ
クアップが強行になされる。だが、世論の面で弱ければ、核を使えない。
このために、I国親派はA国トップに、テロの芽をあちこちに萌芽させるように要請ま
で出すようになる。
A国トップはその要請に素直に応じて、わざとテロとテロの取り締まりの構図を装う。
こうして世界に疑心暗鬼を吹き込み、戦争を世界が是認するように向かわせる。
全面核戦争の事態となれば、宇宙連盟が彼らを救い出すという偽の契約がなされていた。
偽の契約に踊らされる者も者であったが、すでに地球上を見限っていた選民たちには、
地球上のことはどうでもよかった。
後足で故郷に泥をかけて去ろうという、魂を腐敗させた者たちでしかなかった。
こうして、闇の世界から、世界は収拾のつかない混乱へと導かれていくのである。
闇太后が司令室から、究極の混乱を狙って上層部に配置したゾンビたちに指令を与えて
いた。
ゾンビたちは、魂の腐敗した配下たちに指示して、ただ一つの目的に就かせる。
速やかに反作用を蓄積するという目的である。
彼らの意図には、梵の全系からの独立分離しかすでにない。天上では、風雲急を告げて
いた。
天尊は、人間が不合理や差別、それに対する怒りや憎悪の感情が、背徳の行為よりも反
作用の累積に効果があることを知っている。
この事実から、とかく独断に走りがちな闇太后に、人間が減少してしまう核戦争だけは
思い止まるように要求もする。
苦々しい面持ちながら、闇太后はなるべく思い止まりましょうと答えた。
だが、勝ち気な闇太后のことである。どうなるや分からない。
その分、八つ当たり気味に、宇宙文明の中で圧政下、衝突が起こされ、軋轢を増し、菜
種油を絞るごとく、反作用の抽出が図られることとなった。
そして遥かに巨大な宇宙文明側のほうでさえ期間圧縮されて、5年になると計算される
ほどとなった。
地球上は、反作用が満ちるまで、4年と見積もられる憎悪の対立構図が、小規模戦争の
繰り返しの中で維持されることとなった。
その後には、もはや核戦争を地上に画策する必要もない。むろんそれがあっても事態は
変わらない。
ただ5年後にクラッキングツールを起爆させれば、地球どころか、実験炉宇宙さえも、
核兵器どころではない破壊に見まわれるのである。
神話の完成を目前にするころ、次のような予測が神話には盛り込まれた。
平和だったN国も、世界の不協和音にさらされ、世界不安が再燃し、世界恐慌が始まる
と、経済破綻への道を進む。
N国と国民は世界資本の支配下に置かれて、第三世界の行程を辿らされることとなる。
豊かな飽食の時代は終わり、互いに無関心であった国民にあるのはサバイバル戦争であ
る。
むろん、それは蘇民将来の本来あるべき家族への帰巣のチャンスであるかもしれない。
あとどれほど期間が残されているか分からないが、その時間内で、それぞれの配役がこ
の世界に寄って来たる理由を遂行せねばならなくなるのだ。
もちろん、新神話が軌道に乗れば、極端な無明に世界が覆われることなく、良識の回復
が図られていくであろうし、5年というタイムリミットは、もはや何の役もなさなくな
るのだ。
天下分け目の要の時が近付いていた。

完 璧を期 して (が、すれ違いが)

ネアンの手になる神話はほぼ完成し、いつでも新神話を起動させることができる段とな
った。イナンナもひととおり、その粗稿を見終えていた。
しかし、今ひとつ足りないものがあるという気がするのである。ネアンにはそれが分か
らない。イナンナもそれがなんであるか漠然としていて、表現できない。
そのことは、ネアンも聞かされ、相互の了解がなければ事は成就しないと、神話に穏や
かさを持たせる努力をした。
ネアンは次のようなことを念頭に置いたからである。
イナンナは、母子家庭としてやっていく上で、仕事の面において目覚ましい成果を上げ、
大きな希望を抱いていた。
女手ひとつで、三人の子供を育て上げる意欲をもっていた。それもこれも、世相がこの
まま安定して続くことが必要であった。
もし、仕事の環境が変わるようなことにでもなれば、せっかくの見込みも、将来設計図
も吹き飛んでしまう。
イナンナの考える現実の設計図と、ネアンが予定する宇宙全体の設計図が乖離してはな
らない。
それはおそらく、ほとんどの人々が望むことでもあるだろう。ならば、最も穏やかなソ
フトランディングが望まれる。
天上の神々は、激しく戦っていても、地上にはごく当たり前の成行として表現されなく
てはならない。彼は神話をなるべくそのようにしようと企てた。
それでもイナンナは、ネアンに対して疑問を持っていた。心の底にある真意は何なのだ
ろうかと。
ネアンの穏やかにすると言う言葉と裏腹に、神話を見る限りでは、現実に対して決して
穏やかな成行にはしていない。
ハーデース計画の恐ろしい成行は、神話とはいうものの、それが世相に憑依する如く実
現して行く様に、効力の程を認めざるを得ず、イナンナにとっては生存基盤を揺るがす
大きな問題なのである。
それを平気でネアンは推し進めている。ネアンは本体である梵天に指示されて書いてい
るのかもしれない。
その梵天にも愛されて今がある自分。ならば、より大きな計画の中で、私も動かねばな
らないのだろう。
私は、梵様の掌の中で遊ばされている。居心地が良いかわりに不安もある。
梵様のお考え次第では、どこに飛ばされるやも知れない身なのだ。
しかし、せっかく掴んだ今の幸せを失いたくはない。たとえ苦しくとも、今の積み重ね
があればこそ。
イナンナは、幾度も梵天と会う夢を見た。憶えてはいないが、その中で忌憚ない意見を
述べたはずである。
イナンナを愛する梵天はそれを重々承知して、なおネアンに神話を書かせているようだ。
ネアンは確かに、ハーデース計画をセーブする要因を揃えたが、あまりセーブできてい
るとは思えない。
そのままにしておけば、世界は退廃につき進むだろう。
それを出汁にして、火の鳥の発動によるハーデース計画の頓挫ならびに、急進的な変革
を狙っているようだ。
確かにネアンは、世相の動きを見て、神話にいっそうの効力を持たせるために事実に忠
実になろうとした。
帰納的に、ハーデース計画というものを想起しただけなのである。
現実を直視したがらないイナンナと、世相一般の成行を基準に置こうとするネアン。
理想をすでに内在させ、そこに集中しているイナンナと、退廃する世相を体現しようと
しているネアン。
そんな中で梵天は神話に効力が付与できるのだろうか。
ネアンと梵天の間に起きた軋轢。イナンナがこの両者に対して持った疑惑。(そこには
ネアンへの裏切りがもたらす効果への不安も重なっていた)

やがてイナンナは梵天を夢見なくなった。そして代わりにこんな夢を見た。
象徴夢として、恩師と先達が二人して、山上の大池に水をなみなみと張っている光景を
見た。
イナンナがこれでは麓の集落が洪水にあって危ないのではないかと思ったとき、二人が
これは最後の審判の準備なのだとイナンナに語った。
そのとき、彼らと共にいたネアンが、イナンナにこれを食べなさいとサンドイッチを手
渡した。
お腹がすいていたので、それを食べようと口に近づけると、心の内面に宇宙が広がって
いく様が映った。
それを口から離すと、宇宙はすぼまった。その行為を二度繰り返してみて思った。
イナンナはこれを食べれば神話の計画が開始され、最後の審判が始まると、夢の中で思
った。
そのとき、これは一大事、それを迎えるに際して、まだ家の一階の片づけが終わってい
なかったと気付き、サンドイッチを食べずに持ち帰ってしまったというところで夢が覚
めた。
次の日、ネアンは夢の内容を聞き、イナンナが神話の実行をためらっていると感じた。
原因は、現実生活における安定に水を差すようなことを避けたいということかと思った。
だが、神話はソフトランディング型になっている。それが理解できていないのか。それ
が信用してもらえないのか。
神話にそれほど効力を認めてくれる人が、実現力は認めてくれないのか。それとも、天
仙の懐柔作戦、分断作戦にはまったのか。
(後に、イナンナはサンドイッチを食べたなら、つまりネアンの書いた神話に荷担すれ
ば、宇宙は拡散してしまい、またも宇宙は流砂の中に飲まれて行くと思ったと、ネアン
との離別を露わにしたときに語った。だから、あなたの神話にはついて行けない、と。
だが、これによって問題はなみなみと湛えられた水源だけが決壊したことである。その
年の夏、アジアやヨーロッパで大洪水が発生した。これが最後の審判の開始とならなけ
れば良いのであるが)
神話はなるほど、文章力もないし、構成力もない。これでなにか期待できるか、ネアン
にも疑問であり、自信はない。
ただ、二人が協力し合えばこそ実現力も沸くものと信じられる。ようは、二人の力の合
体なのだ。

ところが、そんなとき、ネアンはまったく久しぶりに夢見をした。
夢見とはむろん、ただ漫然と夢を見て、後でこんな夢を見たなあと思い出すことではな
い。
夢を見ているという認識があって、ある程度夢をコントロールする、いわゆる明晰夢と
呼ばれるものだ。
彼はその中で、坊主頭の痩せ型の男を前に乗せて自転車を漕いで、水たまりが各所にで
きた山道を走っている。
リアルな自然の道を走っているのだ。そして、ネアンはこの夢見について、その男に質
問をした。
「どうしてこんなところを走らねばならないんですか?」
「夢見の方法を忘れかけているから、教えに来たんだ。おまえが知らぬ間に大変なこと
が起きているから、とにかく急げ」
当のネアンは、さほど切迫感はない。やがて、男はいなくなり、そこは地下鉄のとある
駅に繋がる地下街であった。
どういうわけか、ネアンは明るい喫茶店の中にいた。向かって右側に、髪の毛を後ろで
束ねた可愛い顔のイナンナが座って笑っている。
左側に、イナンナのほうをじっと見ながらまっすぐ立っているグレー系のスーツ姿のが
っしりした体格の男がいた。
その男は、ネアンの到来を知ったためか、立ち上がってそこを後にしようとしていた。
えらの張った顎をときおり噛み締めているのがネアンには分かった。
当のネアンは、内心穏やかではない。イナンナはそれからネアンと共に、帰ろうと地下
街を歩く。
ところがネアンは、今日は車で来ていなかったんだ、電車しかない、と言ったところで
夢が覚めた。
イナンナにさっそくその夢のことを報告すると、イナンナも実はその時刻に、かつての
ウラジというボーイフレンドと出会って、いろいろ相談をしていた夢を見ていたのだと
いう。
ネアンが話す男の特長は、紛れもないかつての彼氏を言い当てていた。ところが、当の
イナンナは、ネアンを夢に見てはいないと言う。
ネアンは、夢見の顕著な成果が上がったこととは裏腹に、がっかりした。
イナンナの大学時代のウラジという彼氏は、当時のイナンナの考え方に共感し、また適
切なアドバイスを互いに贈り合う仲であった。
だが、イナンナは、夢の八角堂の彼氏の存在を打ち明け、夢の邂逅が果たせるに違いな
いというロマンチストな側面があったため、ウラジはあえて関係を持とうとしなかった。
それほど、イナンナのことを真剣に思っていたとも言える。
そして彼は言う。君はきっとヒューに会えるよ、と。そして、イナンナの元から去って
行った。ヒューとは、まだ見ぬ夢の人物、ネアンであったはずであった。
その後、ウラジは、うだつの上がらぬネアンとは違い、海外に渡航して外国籍をとって
別の女性と結婚し、作家としても有名となった。
もし、あのとき・・だったならば、イナンナの運命は大きく変わっていたであろう。
そのウラジという男は、トルテックの戦士のようなイメージがあり、夢見もこなすこと
ができるとイナンナは語った。
だから、遠い地球の裏側に暮らしていたといえども、イナンナと隠れて合うことは、で
きない話ではなかった。
天仙にも分からぬ夢見の場なら、ネアンにさえも分からぬ隠れ家であったのだ。
ただ、イナンナは隠し事をさほどすることなく、ネアンに伝えていたから、たびたびネ
アンは嫉妬を催すも、イナンナのするコメントにまだしも安心していた。
しかし、実際に自分の夢見でウラジに会ってしまったとすれば、夢すらも実生活以上に
現実味を帯びてくる。
イナンナの過去から今まで直面してきた形而上世界に、真横から関わっている自分を認
識しないわけにはいかなかった。
ところが、イナンナは、ウラジとの後で、ネアンと行動したことの記憶がないという。
ネアンは、これでほんとうに役割を遂行していけるのだろうかと考え込んでしまった。
それ以降のネアンは夢見らしい経験を持たなかった。
(ウラジは、おそろしいことに、上司のほうをよろしく頼むと、イナンナに言付けてい
たのである。イナンナは、上司にもトルテック戦士的な指導力支配力を感じていたから、
ウラジに似ていると思っていた。昔のことに思いを馳せ、ウラジのことをよく夢見ると
いうイナンナであり、実際夢見の中でウラジは、彼女を思うままに操っていたのである。
不信感を抱き始めたネアンよりも、ウラジのほうの意見を取り入れて、彼の勧める上司
との関係をためらわなくなり、その上司の意見を容れてネアンを軽蔑し見下すようにな
っていった。それは同時に、ネアンの作る拙い文章の新神話への見下しであり、協力の
意志の翻意であった。ウラジのほうがよほど文章家。華族で学習院出の上司のほうがよ
ほど身分が上。私は優れた短歌詠みだから、下賎なネアンより、貴族のほうがいいに決
まっている。それがたとえ不倫であっても。私はトルテック戦士の道で自由に生きてい
くことができるから、ただでさえ窮屈な梵天の支配に属する必要はない、と。こうして
モラルというモラルをかなぐり捨てたのである。天仙は意に介さなかったはずの夢見の
領域にさえ、邪霊を配置して干渉して来ていた)
いっぽうイナンナはときおりネアンを見ているとは言っていたが、梵天を夢見なくなっ
ていた。
イナンナが寂しそうにこう言うので、ネアンはおそらく梵天が忙しくなったのだろうと
察した。
神話の中に、すでにその部分がしたためられていたことを知るネアン。
それは時が間近であることをネアンに警告するには十分であった。
ネアンにしてみれば、ここは現実サイドで何とかイナンナの協力を取り付けねばならな
い。そうしなければ、計画それ自体が失敗してしまうと思った。
失敗すれば、ネアンが仕組んだ神話自体が逆に、梵天はじめあらゆる大政復古勢力の計
画の足枷になってしまうことになる。
それでも、イナンナはなかなか、思い切りがつかないようだ。というより、やはりネア
ンと共にする夢見には、自信がなかったのかもしれない。
ネアンは強引に命令することなどできはしない。命令などすれば、イナンナは萎縮して
しまうだろう。

ならば、どうするか。そこで思いついたのが、シナリオである神話のほうを書き換える
ことであった。幸いまだ粗稿の段階だった。
まずネアンは自らの死と、火の鳥発動の雷管を繋いで、最悪の場合の保険をかけた。
ネアンはこの計画遂行に、もしうまく行かなかった場合は、死をもって購うことを決意
したのである。
そのうちイナンナが悟ったように、計画に従わなくてはいけないねと言うようになった。
だが、そうは言ったものの本人はどうすれば計画に従えるか知らなかったし、また知っ
たとしても自信がなかっただろう。
要である共に夢見すること自体、本当に実現できるかどうか、イナンナもネアンも自信
がないのだ。
わずかな水の漏れで、妨害者の良いように変えられてしまうことは分かっている。
水も漏れない完璧を期さねばならない。実演者たちはてんでばらばら。一時固まったか
と思えば、環境が少し変化しただけで、簡単に溶けてしまう。
ならば、シナリオのほうを完璧にするしかないと、ネアンは思案した。
イナンナは、ウラジを見て、ネアンを見なかった。これは、印象に薄いもの、空気のよ
うに感じられるものは、夢から覚めるときに記憶が乏しくなると解せる。
イナンナは、たびたびネアンに会う夢を見るが、ネアンはあまり記憶にない。これは、
ネアンがいつも夢見ほどの鮮烈な夢を見ないからであると解せる。
真相を言えば、二人は、けっこう夢の中で出会っているということになる。お互いに印
象が乏しいために、記憶に上がってこないのだ。
ネアンはこう思った。神話が起動しているから、世相がおかしくなっている。
神話が起動しているなら、並行して書かれる二人でする夢見のある程度までは進捗して
いると考えてもおかしくはない。
ただ二人とも、よく憶えていないだけなのだ。憶えておくことが難しいものに対して、
そんなことが起きたと言えるかと問われたとしても、起きた可能性を否定できるもので
はない。
もしかすると、神話で火の鳥が起動するところまでスケジュールは進捗している可能性
もある。それはイナンナが最近夢見たように、ためらっているところで終わっていると
考えたほうが良い。ならば、こうすればどうか。いや、こうしてみよう。
騙す格好になるが、イナンナを神話のシナリオの中で、強制的に参加させてしまおう。
何せ、イナンナは、あまり事態の進捗が理解できている風がないから、そうするしか方
法がないのだ。
後でイナンナは強姦されたようなものだと怒るかもしれないが、そのときはやさしく抱
きしめてやろうとネアンは思った。
そうすれば、少なくとも、ネアン自身は死ななくても済むし、イナンナにとっても励み
になるだろう。
ネアンは神話に次の筋書きを加えた。ただし、期日までに共に夢見が二人のしっかりと
した了解の元に行われなかった場合に、ということでである。
この場合は、非常手段として行われねばならないのである。

夢見の 自動創造神話

20XX年の吉日、イナンナとネアンの二人は、ファッションホテルでひとときを過ご
す機会を得た。
簡単な軽食を買って、料金が高いから、両方の欲望をせわしなく満たしながら過ごすこ
とになった。
「またいっそうきれいになったね」
「そんなことないよ」と、下着を脱いで行こうとするイナンナに、そう言いながら擦り
寄るネアン。
すでに股間を硬くしているのを手で触れてみたイナンナは、「ああん。もうこんなにし
て」と、脱ぐ速度を早める。
ネアンが手を貸し、下着一枚になったところで、イナンナは膝まずき、すでに下着一枚
になっているネアンのふくらみを下着の隙間から取り出して口に含んだ。
「もう十分大きいから、いいのに」
イナンナは、さもおいしそうにそれを頬張る。一度奥に入れすぎてむせ返ると、ネアン
は、「もう十分だよ。さあ、今度はぼくが愛してあげよう」と、
ベッドにイナンナを横たわらせ、そのまま体を重ねていった。
仰向けに寝るイナンナに、ネアンは唇への濃厚なディープキスを繰り返す。それだけで、
イナンナはもう息遣いが激しい。
次に、ネアンの掌が、胸から腹部、さらに足へとやさしくマッサージをかけて行く。
イナンナは、脚をさするネアンに合わせて、股間を広げ、手指を真ん中に誘致しようと
する。だが、それを巧みに回避しつつ、さらにスキンシップとディープキスに励むネア
ン。
「ああん。いじわる」
「どうして?」
そう言いながら、今度は唇で胸にあるふくらみを口に頬張り、硬くなったボタンをすす
る。
「ああん。あっ」
指がそのとき、股間の湿潤を捉えた。
「ああっ。いいっ」
たくさん濡れている。簡単に、くぼみの中に指が入っていってしまう。
外側の襞の先にある核を、その抜きざまの濡れた指でこすり上げると、イナンナはのけ
ぞりながら声を上げた。
しばらく声を押し殺していたが、イナンナはついに荒い息遣いの中で、「だめ、もう入
れて」と懇願した。
「まだだよお。これで1回行かせたげようよ」
「ああ、そんな。でもあなたのを入れて欲しいの。お願い!」
「よし。分かったよ。じゃあ、いいですね、乙姫様。あなたがここに持っておられる玉
手箱に、ぼくの作った神話を入れますよ」
「ええっ?なに、それ?」
「ほらここに、玉手箱が・・」
ネアンは、そう言いながらイナンナのふさふさとしたアンダーヘアーを愛しそうに掬い
上げると、掌でふくらみのある丘を掴み揉みしだいた。
「ああっ。ここが玉手箱なの?」
「そう」
「でも、こうすると、どういう意味があるの?」
「意味?それは、ただ成行がそうなっているだけさ」
そう言いながら、割れ目への指使いの波状攻撃へと多彩に技を繰り広げるネアン。
「ああっ。いいよお。だめっ。やめないで」
「もっと大きなのは?」
「ああっ。入れて」
「じゃ、でっかい神話を入れるよ。いいね?」
「ええっ。神話なの?ということは・・」
「そう。神話の巻物だ。春巻きじゃあないよ」
「いいよお。もう、何でもいいから、入れてー」
ネアンは、イナンナの長い両脚を自分の肩に抱え上げ、太い神話の一巻を、イナンナの
濡れきった玉手箱の縁にあてがい、ゆっくりと挿入していった。
そして、腰を上下運動に変える。下には、不安そうなイナンナの表情が見て取れる。
それを「可愛いよ。大好きだ」と言いながら、ディープキスの繰り返しで、イナンナの
不安を取り去る。
イナンナはやがてネアンの下で、びくん、びくんと行く寸前の痙攣を繰り返すようにな
った。
「どう?いった?」
イナンナは少し首を横に振る。
「じゃあ、きちんと神話を容れ物の中に入れちゃおう。耳をそろえてね」
と、耳元で囁きざま、イナンナの耳たぶを口にくわえて舌で転がしながら、腰の上下運
動を早めると、喘ぎ声とともにイナンナは一回目を行きかけた。
イナンナは、クンダリーニが上がろうとするときの痙攣を少し醸しながら、横臥しよう
としたがったが、ネアンは繋がったままで上体を抱え上げて対面座位をとって、強く抱
いたり、緩めたりしながら、気の上昇を抑えつつ、まっすぐな姿勢をとるようにした。
少しげんなり気味のイナンナ。目を瞑って疲れた様子である。
しかし、ネアンは気を抜かず、片手でイナンナのお尻の丸い曲面をさすりながら、「神
話の玉手箱、確かに孔雀の前に奉げます」と唱えたのである。
「ええっ。何?」と怪訝そうなイナンナ。
「もう大丈夫だよ。イナンナ」
イナンナは、なにか釈然としない。
「ねえ。ネアン。いったい何をしたの?言って。私に何をしたの?言って」
賢く聡いイナンナが、ネアンのいきなりの行為に驚きを持っても仕方がなかった。
「君には、なにもしていない。ただ、時が来たから、神話のシナリオを前に進める必要
があったんだ」
「それをしたら、どんなことになるの?」
「君とぼくが、万事順調に協力し合えて、火の鳥を使い、正義の神の復活を果たすとい
う所期の神話のシナリオに合流することになる」
「待って。それって、最後の審判でしょ?」
「君は、世界が災厄で滅亡する式の最後の審判というイメージで捉えているかもしれな
いが、そうではないよ。
君は君自身が見た夢の印象を優先して語っている。それは災厄のようなイメージかもし
れないが、水とは浄化を象徴しているんだ。
それはなにも手段が災厄である必要はない。ぼくが神話に託したのは、表向き大きな変
化がないように見えて、実質が根底から変わってしまうということなんだ。
だから、もしかすると現象として多少の変化の軋轢があるかもしれないが、このままな
だらかに続いて行くように目撃されるはずなんだ。
多分それは、一部の急進的な人々にとっては面白くないだろう。
急進的に変わるのは、形而上世界のほうであって、この世界ではその波風の影響をやん
わりとソフトに受けることになるだろう。
だから、逆になにも変わっていないじゃないかなどと言わないでくれよ。必ず良くなる
んだから」
「そうなんだ。ネアンを信じる。梵様を信じる。私にはそれしか方法がないもの」
「ばかだなあ。これからの時代はみんな対等だよ。君が誰かに従属していたいのなら、
そうすればいい。ぼくは、そんな君が愛しいけど」
こんな風に、二人の間の協力関係が円滑に行かない場合の非常手段として、玉手箱と、
それに対応して、神話をそこに入れるという言葉が会話の中に出てくることをもって、
ひとりでにその日もしくは短時日の内の夜の眠りの中で所期の夢見が果たされるべく、
つまり次の章に書かれるところの共に夢見るという手続きが、この神話の力によって自
動的に起動されることとなるのである。
(ところがイナンナは玉手箱を邪霊のかかった他の男によって汚してしまっていた。こ
のため、次章の夢見の手続きは起動されたものの、曲折を孕むものとなった。当のネア
ンはそれを知る由もなく、彼の意識に介在する梵天も然りであった。ネアンはすべてう
まくいったに違いないと思っていたのである。梵天の身には囚われの危機が)




第 七章 未踏来の章

新神話なる
国 常立神の救出
普 陀落の里
天 仙軍との対峙
天 仙の衰退
ソ フトランディングに向けて
強 力なバックアップ
歴 史を演ずる 側の努力
新 時代のテーマパークとして誕生



第七章 未踏来の章


この章の結末は前章に語られる予期せぬ事態によって頓挫することとなった。有情救
済の理想がどんなものであったか理解されんがために書き記すものである。しかし、基
本的には実現しており、新神話主導なるも、レールを挿げ替える条件が揃わなかったこ
とにより、結果的に旧神話で世界が牽引されている様子が、この神話を書き記している現
下では伺える。
しかし、ややあって後に、一度惜別したカンナオビがネアンの元に現れ、奇跡的にも、イ
ナンナの行跡を辿り直し、観念的事物のみに終始していた象徴の受け渡しを、彼女が具体
的事物を以て完全に肩代わりした。その雛形の儀式の完了までは、ネアンがカンナオビから始
まりカンナオビに終わるちょうどまる七年であった。


新神話なる

それから約ひと月の後、ネアンは夢見の孔雀堂において、新しい神話を盛り込んだ補完
文書の巻物をイナンナに見せていた。
その梗概頁には、こんなことが書かれていた。
すべての神話起動に至るまでの手順を鶴亀の印章を持つものが要領よく踏んだ結果、地
球西紀2000年に復活飛翔していた火の鳥は、ネアンが新しい神話をしたため終わる
と、ネアンの化身した朱雀の魂と合体し、地球西紀200X年、新神話の筋書きを実行
しはじめた。
火の鳥がまず第一に行うのは、国常立神とその妻豊雲野神の復活である。
ばらばらにされた身体の破片を拾い集め、核となる魂を地底の最下層から救い出して一
つにするのである。
その神の復活により、復古の臨時政府ができるはずである。
その後押しとして、梵天をはじめとする太古神たちの強力な介入が始まり、宇宙のつぼ
にパスルート節理を設置し、稼動させる。云々。
最後の仕上げまでの完成された新神話が、野太い巻物となってしたためられていた。
イナンナはそれを短時間に読みきった。
「面白かったよ。じゃあ、私はこれを渡しましょう。きっとこのときのためのものだわ」
小学生のときに見た八角堂に至る夢見の際に手に持っていた光り物の袋を、イナンナは
どこからか入手していて、ネアンに手渡した。
ネアンがその袋を開けようとすると、中からまばゆい黄金の光が射した。
二つ何かが入っていた。そのひとつを取り出して見ると、それは輝く黄金の桃の実だっ
た。
「これは?」
「私が白蛇のとき、西王母の蕃桃園に忍び込んで持ってきた桃よ」
「じゃあ、白蛇伝はやはり・・。
じゃあ、こっちは何?」
桃をイナンナに渡し、もうひとつの品物を取り出してみると、それは新神話の巻物を入
れるのにぴったりサイズの小箱だった。
「あっ。思い出した。
これは私が乙姫のときに、もしもあなたが竜宮に帰ってきたら、あなたに渡そうと思っ
ていた第二の玉手箱だわ。
今あなたは帰ってきたから、と言っても私が探し出したんだけどね。でも帰還は帰還。
私の胸の竜宮に帰ってくれたから、あなたに渡します」
「ぼくも思い出してきた。竜宮でもらった第一の玉手箱には、ぼくが履修すべき仙道書
の巻物が入っていたんだろ?
ぼくはいちおう履修して仙人になり、鶴の印章を拝領するようになった。
だがぼくは老人になっていたから、鶴の役を見込みのある若者にと、仙道書と共に安倍
晴明に渡したんだ。
じゃ、これには何が入っているの?」
「いまは空っぽ。でもこの中に実現したいことを書いて入れるとその通りになる箱な
の」
「そうか。いまこの時点で、となると・・きっと、これを入れるんだ」
小箱の蓋を開け、その中に新神話の巻物を入れると、ちょうどサイズがあつらえられた
ようにぴったりと合った。
そして蓋をすると、玉手箱は七色を現じた後、まばゆい赤い光となって輝いた。
赤い光は、ひときわ強烈に輝くと、テーブルの上にある孔雀像を包み全身を輝かせたの
である。
まるで炎のようであり、その中にときおり浮かび上がるのは、火の鳥を小さくしたよう
な朱雀であった。
朱雀は生き返ったように動き出し、唖然と見ているばかりのネアンに覆い被さってきた。
ネアンのフード付きコートのように見えたのも一瞬、やがて一体化してしまったのであ
る。
「ネアン。あなた本体に返ったのね」
そしてときおり、ネアンに変化して見せる。その合間にイナンナにメッセージをよこし
た。
「イナンナ。いかにもこの世は、悲しみと愚かさを演ずる世だった。
この世こそ、物語の中の世界かも知れない。
そうであるときに、この物語を演じるものたちが、最後にしっかりとその意義を掴み取
れずに去っていかねばならないとするなら、いかにも悲しい。
ぼくはそこに神話物語でもいいから、意義を与えたく思った。
少なくとも、ぼくに関わり、一生を傾けてくれた人たちに奉げたい。
それは、わが母、わが父、妹、君、友、そして周りにいるものすべてだ。
みんなに意義と感謝を奉げたい。
君は、然るべき日に、本体の梵天を目指して飛んでいってほしい」
それを最後に、ネアンは朱雀となって飛び立った。
「ネアン。あなた、どこへいくの?また戻ってくるんでしょ?」
声はもうなかった。
イナンナの直感の中に、こんな言葉が浮かんだ。
ネアンは世を去った。
顕在意識を一つの物語の上に遊ばせた一つの魂は、本体に帰命したか、永久に廃絶され
たかのどちらかである。
鶴の最後のご奉公であった、と。
黄鶴一去不復返
白雲千載空悠悠
イナンナはたいへんなことになったと思い、目を覚ますことにした。
激しい動悸と共に、夢から覚めたイナンナ。
夢であったと改めて知ったが、気が落ちつかない。
早朝であったが、ネアンに電話をかけた。
すると、「おはよう。何だよ、まだ外は真っ暗じゃない。早いなあ」というネアンの声。
ほっと安堵である。
「ああ、ごめんね。今朝、怖い夢見たものだから。あなたも同じ夢見をしていたでしょ
う?」
「ええっ?前もって打ち合わせていなかったから、夢見はできていないよ。
君はよく見るなあ。ぼくもなにか夢を見たような気がするが、忘れてしまったよ」
「共に夢見てたんだよ。あなたが出てきて、完成した神話を見せてくれたよ。私はそれ
を八角堂に持って行こうとした玉手箱に入れて・・」
「それで?」
「いや。もうそんなことはいいの」
「途中まで言っといて、それはないだろ?」
「いまは嫌なの。また気が向いたら話すよ」
「でも、怖い夢なら解決しなきゃね。じゃ、おやすみ」
「待って。神話は完成したの?」
「粗稿はできたけど、完成はもうちょっとかかりそう」
「そう。まだだったの。じゃ、おやすみ。ごめんね、起こして」
「はーい」
イナンナは、ネアンが神話を書き上げたときに、どうなるかやや不安であった。
もしかしたら・・・。

国常立神の 救出

さて、ネアンの製作した新神話の終盤部分には、こんなことが書かれていた。
2000年10月に火の鳥はマグマの大地を蹴って復活飛翔し、200X年には霊妙か
すかになり、
誰知られることなく、宇宙全体に普遍する分子に溶け込むように沈潜していた。
そしてあるとき、火の鳥は朱雀の存在を感知し、活性化し始める。
火の鳥は、心臓の位置を空洞にし、朱雀を収容する準備をする。
それはまるで、どこかの子供番組に出てくる戦闘獣のようである。
そして、朱雀の持つ玉手箱の神話に感応して、その中にあるイナンナとネアンの合作と
も言うべき新神話の筋書きを実行すべく行動を開始したのだ。
この宇宙と梵の全系との境界にまで達していた火の鳥は、地球への急速な帰還を開始す
る。
その速さが周囲の空間を捻じ曲げるほどであるため、監視の目はじめ天仙の知るところ
となった。
「トウハツバダイの辺境に超遊星です。
長大な朱色の光芒を引きながら、
あらゆる保存則を満たすことなく、非常な高速でナンエンブダイ方向を目指しておりま
す。
天の異象でしょうか」
「これはおそらく見たこともない生命。
もしかすると、火の鳥では?
直ちに天尊様に知らせて緊急集会を」
直ちに緊急集会となった。
天尊は知らせを聞いて、指示を出す。
「まず何者であるか見極めよ。
もし良からぬものなら、天仙衆の総力を結集して封じるように」
「緊急連絡です。ただいま遊星はナンエンブダイに入りました」
「その境界で、何のショックも受けずにか?」
「はい、まったく変化はありません」
「とすれば奴は微かな霊妙体でできている。
観測にもかかりにくいわけだ。
これはあまりにも事が早い。
何を目的としているかすぐに調べろ」
「進路は地球を向いています」
「しまった。やはり!!」
「ああっ。天尊様。急に観測網から消え去りました」
「地球へ、全天仙を集結させよ」
「ははっ」
天仙のすべてが地球の上空、とりわけ日本の上空に密度高く集まった。
あらゆる”感”が動員されて、陸海空からの波動の感知がなされる。
空は濁りながらも高気圧の下にあり、青く澄みかすかな薄雲を漂わせていた。
ところが、その天空の色が突然、全天若草色に変化した。
火の鳥が地球よりも大きい遊星のようであったために、地球を覆ってしまったのか。
薄雲から日の光が漏れるように、若草色の大空は、きらきらとした細かいきらめきの粒
子を大気一面に振りまいた。
「なんだこれは?雪か?」
「なんでしょう?」
「心せよ。ただ事ではない」
天尊はその光景に身震いした。しかし、何をすれば良いか見当がつかずにいた。
そのときである。
赤く燃えるような色をした鳥、朱雀が地上から空に向かって飛んでいった。
それを追うように、何十もあろうかという氷のように輝く巨大な十字架が、若草色の空
を目指して飛んでいった。
「あれは何事!!」
「何でもいい。撃ち落とせ」
天仙たちが抹消ビーム光線を送っても、十字架がそれらをことごとく遮るか、反射させ
てしまった。
火の鳥は日本の上空で、やってきた朱雀を心臓に収容すると、天仙の見ている前から姿
をかき消し、ほどなくイナンナが見ている夢見の世界に到達した。
草原でたたずむイナンナの前に、遊星大から全長20メートルほどにまで縮小した色鮮
やかな朱金色の巨鳥が現れた。
<イナンナ。ぼくの声が、聞こえるかい?>
「聞こえるよ。ネアンね。そう。これこそ私があなたに黄金の鳥と表現した鳥よ。
臨死のとき、私はこの鳥に乗って地獄を脱出して天国の入り口まで行ったの」
<じゃ、要領は分かっているな?>
「何とかなるわ。任せといて」
<さあ、乗って。今ぼくは、朱雀であると共に火の鳥の記憶も併せ持っている。やるべ
きことは分かっている。
君がかつて見た夢のように、地獄のいちばん最下層に行き、貴い神様を救い出すんだ>
「私たちがその役目を果たすのね」
<その通り>
イナンナは蟠桃の桃の入った袋を手にし、火の鳥の胴の上に乗った。
胴の上は居心地良く、ぴったりとした座席が用意されていた。
もう一列後ろに、二人分の座席が目に入った。
<フェニックス計画、開始>
「開始!」
火の鳥は、一瞬にして霊妙体に変わると、イナンナを乗せたままでずんずん南東の地下
に向かって飛翔していった。
<鬼界が島の地下から地獄層へ行く>
「はい。ここから豊雲野神のおられる地獄まで行き、救出します。でも、場所が分から
ないの」
<大丈夫。ぼくには感知できるから>
「そうね。火の鳥は、地獄の最下層の灼熱の火の中で生まれ変わるんだものね」
地獄界に向かって突き進むとともに、周りの光景がフラッシュバック的に望まれた。
それは彼らがこれらの界から直接的に影響を受けないでおれるという意味でもあった。
途中には、性猥地獄も出てきて、火の鳥はしばしスローダウンしたが、イナンナが上から
首の付け根を平手打ちして先を急がせた。
魅入られると、そこで留まらなくてはならないのがこの界の特長であるからだ。
これでは計画が失敗してしまう。
次第に悲惨さを増す光景。
手足をもがれ、芋虫のように徘徊する人々がいた。
それをなお、叩き痛めつける醜悪な怪物たち。
その下は、汚物の中につかりっぱなしの人々が、半分蛆虫になりかけている様子が見え
た。
さらに下もあった。
ところが、火の鳥はその場所で速度を落とすと、汚物樽の中から、ほとんど黒い蛆にな
っていた人間大の生き物を羽ではたいて弾き飛ばし、
ものの見事に後部座席につかせた。
汚物の異臭がイナンナを襲った。
「うげーっ」
イナンナは鼻を押さえている。
火の鳥は、それに構わず飛び続ける。
地下をさらに飛びながら、羽をまるで魔術師か、オーケストラの指揮者のように振った。
よく見ると、羽の先で、きらきら光る金やダイヤのようなものを土の中から選び取って
いるのである。
それは後ろの座席に向かってこれまた見事に落とされていった。
イナンナがおそるおそる後ろを見ると、蛆の姿はもはやなく、女性の像があった。
なおも宝石の断片が彼女に降り注ぐと、いよいよ姿が明るくはっきりし、ひどい異臭も
嘘のように消えていた。
<これで豊雲野神のご神体はすべて集まった>
ネアンがそう言うと、みるみるうちに像に鮮やかな色が復帰し、体として動くようにな
った。
豊雲野神は、いまある状況をすぐには悟れずにいたが、イナンナを見て、はっと気がつ
いたかと思うと、目から涙をこぼし頬をどんどん伝わらせた。
「あなたは、シュ・ナね」
「ええ。あなたの娘です」
イナンナも、母神の姿の思い出が甦り、涙の溢れるのを止められなかった。
<では次は父君、国常立神だ。先を急がねば>
火の鳥は、羽ばたきを強めた。
<芦別岳から、地下に入り、地獄層へ進む>
そこは溶岩が朱色をしてゆっくり動いている。
豊雲野神にしてあの状態。夫神ならばどれほどであろう。
そのとおり、またも幾多のもがく人々の魂を瞥見しながら、さらにあの界よりも下層へ
と向かった。
だが、ひとつの大きな仕事はそれなりに時を要した。
天仙がリアクションを取らずにおくはずもない。
「天尊様。あれは霊鳥火の鳥です。
鬼界島の地下で活動の反応がありました。そこは豊雲野はじめ重篤な戦犯神の流刑地。
これらの解放を企んでいるものと思われます。もっか、詳しい報告待ち。
もう一方で精密な観測の結果、あの二人の夢の想像世界に至っている模様であることが
判明しました。
どうやら、火の鳥の制御はあの両名が夢見の世界で行っているのではないかと思われま
す」
「ぬぬっ。見落としおって!!」
三人の監視役の天仙が呼ばれた。
「いや、表向きは何もなかったのでございます。お許しを・・ぎゃっ」
三人は、衆目の前で、熔かされてしまった。
別のものから、しばらくして報告が入った。
「豊雲野の身柄が消えております。火の鳥が連れ去ったのかもしれません」
また別のものの報告。
「彼らは、夢界からもはやおりません。孔雀小屋なるところに隠れ住んでいたもようで
すが、もはやその界からは気配が消えております」
「その夢界はテンポラリーなものだ。破壊せよ。再びそこに立ち戻れぬようにするのだ。
火の鳥は、封じられた神を甦らせに行ったに違いない。
豊雲野とすれば、次はさしずめ国常立神だ。直ちに北海道に赴いて、あらゆる不可侵の
結界を張れ。
ううぬ、夢見か。夢見の半完成世界を組み立てるとは。我ら仙道家の初歩の初歩とも言
うべき方法を使いおったわい。死角だったわ」
そこに闇太后。
「あなた。夢を見ている張本人がいるのでしょう。それを起こすか、殺してしまえばよ
いことではありませんか」
「ああ、そのとおりだ。どうしてそんな簡単なことが・・」
「馬鹿ですよ。いまは私があなたを消し去りたいくらいです。
こうなれば、私はクラッキングツールに火を入れに行きます」
「まあ、そう早まるな」
闇太后は、さっさと杖の眷属を集め、最終計画の遂行を命じてしまった。
仕方なく、天尊は自ら、北海道上空に赴き、防衛部隊を指揮することにした。
太公望は、夢見する二人を殺してしまおうと考えた。
ネアンに関しては、宇宙連盟からインプラント装置に起爆工作させればよいから、直ち
に実行を命じた。
いっぽう、太公望一人で刺客としてイナンナの家に行ったとき、そこにはスサノオと方
士すなわち梵天がいた。
「梵天め。やはりこんなところにいて指示を出しておったか」
スサノオ:
「おお、これは太公望ではないか。もういいかげんに悪事に荷担するのは止めろ」
「やかましい。こうなれば貴様たちから」
そうは言ったものの、梵天がいるため、なにかあるに違いないと、天仙たちを呼びに去
って行った。
梵天は今の状況の解釈をスサノオに述べる。
「太公望は、イナンナを殺して、夢見をやめさせようとして、ここに来たのです」
「イナンナが狙われるなら、もう一方のネアンもではないのか」
「その通り。もう狙われていることでしょう。
しかし、彼は肉体を閉じたときこそ真価を発揮するよう、力が封印してあります」
「ということは、死ぬことが最善と?」
「その通り。単独で当初の任務を遂行するようになっています。
たとえば、イナンナとの連携がうまく行かないときには、自ずと死を選ぶことになって
います」
「それはあまりにひどい話だ。わしが助けに行く」
「待ってください。あなたはここにいて、イナンナを守ってください。
夢見が妨害されないように。
私は晴明のもとに行って、先ほど到着した品物を動かさねばならず、ここを離れねばな
りません」
「待て待て。イナンナは現世にあるネアンを頼っているのだぞ。
真義が何か教えてからにしてほしい」
「厳しいかもしれませんが、俗人にあって神話を書き、神話を起動し、大世界を改変す
るということは、それ自体、大罪。
古事記を見事に解釈した者でさえ、死ぬことになっています。その際どいところで、一
度は助かったのがネアン。
それを凌ぐ神話を作るとなれば、それに見合う大功が無くてはなりません。それなくば、
万死に値します。
魂の廃絶をもって償うか、それとも命を与えた本源なる者が痛みを伴ないながらその魂
を引き取るかのどちらかしかないのです」
「そんなこと、いかに悪に寛大過ぎたことを悔やむわしとはいえ、承服できぬ。
そのような執政のもとでは、誰しもが怖がってしまい、それこそまたクーデターが起き
てしまうだろう。
国常立神暗殺の咎の一端は、本人自身にもあったと思うのだがな。
あのような苦い経過を再び見たくはない。
ネアンはそなたの妻の弁天の分身であるイナンナの窮地を救った。それは大功に当たら
ぬか。
神のする功業と、人のする功業には自ずと差があることは分かっておろう」
「まさに然り。では、行く前に、ネアンのことは別のチームに至急依頼いたしましょう。
いっぽうイナンナのほうは、この通りです。ご覧ください」
イナンナはいつしか、横臥するなまめかしい乙女の姿を、鼻提灯を作り頭をやや甲羅の
中にすぼめて目を瞑り眠る海亀に変じていた。
その甲羅のくびれの一つ一つをよく見ると蒔絵のように彩色されている。
その中に描かれる内容は、山あり海あり街ありで、様々な理想郷が一堂に会しているか
のようであった。
かつてスサノオは何度かイナンナがこんなふうに変化するのを見たことがある。
だがその時の甲羅は、やたらとでこぼこして荒削りで、小便くさい未完成な処女亀の印
象を与えていた。
だが、これはもはや完成の域と言ってもよい。
「天下万民の願いを込めて、私ども夫婦が命を吹き込む世界像です。
その設計図はこの五色亀の甲羅に描かれています。
大事な体。どうか守ってやっていただきたい。
それに、いまこの亀は夢見をしております。
誰にも妨げられないように願います」
そう言うと、梵天はその場を後にした。
<わしもこのイナンナが好きだ>
そのときにわかに家の外が騒がしくなった。
拭き抜け屋台のように家の内外が見渡せるのが神の視力である。
外の空間に、数十人の天仙が居並んでいた。
たじろぐスサノオ。しかし、かつての戦神の意気がめらめらと燃え上がってきた。
眠るイナンナ亀を背に、大きく両手を横に広げて、十文字となり、何も手出しさせじと
身構える剛の者スサノオ。
そのとき、逆に天仙たちがたじろぎ、がやがやと何か言い始めた。
「これは、神獣玄武ではないか」
「このようなときに、どうしたことだ」
「瑞兆なのか、それとも異象か」
そこに太公望がやってきた。
「うっ。どうしてここに玄武!?」
「これがあのイナンナか?」
「それはあるまい」
取り巻くだけ取り巻き、眺めるだけ眺めている。
スサノオは何事が起きているかわからず、この姿勢が何かのまじないになっているのだ
ろうと、両手を広げたままの姿勢を取り続けている。
スサノオが本体の蛇体をもってイナンナの亀を守る姿が重なって、玄武と見えたのであ
る。
やがて太公望は、天尊に知らせるべくそこを去った。
中には、絵に描き出す天仙もいる始末であった。
どれほどの時間稼ぎになるかは知れないが、ともかくそのようにしているしかなかった。

火の鳥は、重濁し本来なら粘りついて霊体ですら身動き取れなくなるはずの暗黒世界を
軽々と飛翔していた。
そのさらに先に、完全な暗闇があり、あらゆるエネルギーを豪速の風を巻き起こしなが
ら吸い取っているホールがあった。
そのホールにちょうど鈎針のようなものでホールにかろうじて引っ掛けられた蛹のよ
うなものが火の鳥の光に照らし出された。
たった一つそれはあった。
火の鳥はそれを脚で捕まえると、ホールの霊気が漂い明度を変化させる領域の直前で急
激なターンをかけた。
豊雲野とイナンナはホールの方向に飛ばされそうになったが、火の鳥は彼らを羽根で押
さえ込んだ。
<しっかり豊雲野様を支えて、羽根にしがみつけ。イナンナ>
イナンナは、豊雲野の腕を右手で取り、左手で手になじみやすい羽根を掴んだ。
<脱出するから、しっかり掴んでいろ>
火の鳥はゆっくりと羽ばたく。イナンナの両腕に引き千切れるかと思うほどの力がかか
る。豊雲野神も羽を掴み何とか凌ぐ。
そのうち、その力は減衰し、やっとのことで体制が立て直せた。
火の鳥は飛び続けながら、脚で掴んでいた蛹をイナンナに渡し、イナンナは後ろの座席
の豊雲野神の隣に置いた。
「はあはあ・・・」
「はあはあ・・。これは私の夫なのですか?」
「どうやらそのよう・・はあはあ」
そのとき、猛スピードで入れ替わるように、幾人かの天仙の影がよぎった。
「しまった。逃げられたぞ」
向きを変えて、追ってきた。
火の鳥は、追いすがって近づく天仙に対し、むしろ速度を落として近づかせると、
射程に入るや、羽根を大きく一振りして、ホールのほうに叩きやってしまった。
もともと遊星大の鳥。その力はあまりに強く、勢いあまって、ホールに吸い込まれて行
く何人もの天仙。
玉若と梵天の娘を、鬼のはくもん王の追跡から助けた孔雀や迦陵頻迦のような働きのシ
ーンであった。
「あれはもしかしたら、永遠の闇?もう出てこれないのかしら?」
<神界、霊界、現界、地獄界を通じて存在するブラックホールだ。
あそこに入れば、そのものすごい力に、魂の腐った部分はすべて削ぎ落とされる。
今までの記憶もすべてなくして、ホワイトホールを経由して魂の精髄だけが浮かばれる
ことだろう。
原初的な魂の救済というわけだ>
火の鳥は、地上近くにあった宝石類を指揮者よろしく選び取っていくや、またも後ろの
座席に放り投げてきた。
当たらないように屈みながら後ろを振り返るイナンナ。
豊雲野神がそれを避けようとせずとも、蛹のほうに吸いつけられるように宝石は吸着し
ていく。
蛹はほどけ、黒くミイラ化した体に宝石のきらめきが次々と付着した。
「この宝石は、夫神のばらばらにされた体の一部だったものですね」
「それを掻き集めているのです、お母様。この中には元の記憶の部分も必ずあるから、
記憶も取り戻されますよ」
そのとき、前方に天仙たちが呪文を唱えながら居並ぶ様が見えた。
彼らの姿は神々しく輝いていた。
イナンナに、激しい痺れが起き始めた。
「ああーっ。なにこれ」
<天仙が結界を張っている。辛抱するんだ>
ところが火の鳥は平気で突き進んで、居並ぶ天仙をボーリングのピンに向かうボールの
ごとく弾き飛ばした。
イナンナは呼吸困難で息絶え絶えとなった。
消えそうになる意識の中で、目を開けて最後の様子を見届けようとした。
火の鳥は、天仙たちの体を意に介せず通り抜けて、その向こうにあるひときわ輝く多面
体宝玉を羽根ではじいて、後ろに落とした。
イナンナの消える間際の意識に、国常立神の完成された姿と、豊雲野神が夫神を介抱す
るシーンが映っていた。
<よかった。これで死んでもいい>
火の鳥は幾重もの結界を潜り抜け、霊界上層部にある普陀落山の麓にある湖畔に着いた。
そこに着く前から、火の鳥の目は青から真っ赤に変じていた。
まだ何事かすべきことがあるらしく、意識のないイナンナを夫婦神が下ろしてしまうの
を見届けると、何も言わずそこを勢いよく飛び立った。
火の鳥の飛び去った瞬間、その方角から、一つの青い光が山向こうに落下した。
それに気付くはずもない三人である。
「シュは大丈夫だ。まだ時間はそれほどたっていない」
国常立神と豊雲野神がイナンナに人工呼吸している。
「水を汲んでこよう。後を続けてくれ」
「はい」

普陀落の里

国常立神は、湖に下りていく際に、どこかで見た光景という既視感を持った。
だが、思い出せない。
苛酷な幻影にさいなまれてきた記憶の中にときおり立ち現れる夢の光景であったよう
な気がした。
だが、森や林がいつとぐろを巻いて締めつける蛇に変わるや知れぬ思いばかりがしてく
るのである。
湖の水を見ても、そこから彼を引き込む怪物が現れるかとおびえ、身をすくめてしまう。
それでも、こわごわ水を手にすくい、こぼれぬようにとすぐさまとって返す国常立神。
右手を見ると、間近にお堂のような古く朽ちかけた建物が見える。
<見たことのあるお堂だ。誰か居るやも知れぬ>
そう思ったと同時に、建物から幾人もの人影が次々と出てくるではないか。
国常立神は、思わず草むらに身を隠す。
豊雲野とシュ・ナのことはあるも、足が出ない。
むしろ、逆のほうに逃げ出す構えまでしている。
幻影による教育がいかに苛酷だったかを物語っていた。
とみにたくさんの人影が。それも、武将ふうであるものが多く、中には女も居る模様。
何度か経験した、人間狩りの恐怖が襲ってきた。
<まて。これも幻影なのだ。空に、空に観想しよう>
震える手に水はほとんどこぼれるも、堅く目を瞑り観想しようとする国常立。
だが、近づく人影の気配は高まった。
と、そのときである。
向こうがどのようにこちらを見ているかが、頭の中に映ったのである。
<しだいにしゃがみこんだ私に近づいている。私は頭隠して尻隠さずの状態だ>
国常立は、もう少し草むら深く身を寄せた。
だが、もう居場所が知れたとばかり、自分に近づく向こうの目を自らの頭の中に感じて
いた。
だが、やがて向こうの感情も分かってきた。
<おや?悪意はないようだ。もしかすると味方か?>
そればかりか、向こうの感情は、国常立自身を包むように柔らかく、何か遠い彼方に思
い出されるものがあった。
<気持ちいい。むかしは、こんな思いも持ったことがあった>
もう間際に近づいたように見え、いよいよ緊張し身構える国常立。
捕まれば拷問。しかし、心の中に流れるものは静穏であった。
「大丈夫ですよ。そのようなことはいたしません」
そのとき、向こうの視座の中に国常立は居て、ぶざまな自分を見ながら、そのようにし
ゃべったのを見た。
<どうしてだ。こんなことははじめてだ>
恐る恐る目を開けてみると、総勢二十人ほど居る中に、ひときわ輝いて見える女性が居
た。
その人物が、言葉する。
「あなたを歓迎いたします」
<この人の視座にあったのか。なんと、救世主のような気高さ>
はらはらと、国常立は涙をこぼし始めた。
止めど無くその場に流れる滴。
その様を見ながら居並ぶ人々。
少しも気の流れが変化することなく、どれほどか時がすぎた。
そして、涙が枯れる頃、ふと妻子のことが思い出された。
「あっ。豊雲野とシュ・ナが」
「大丈夫です。あちらの館で介抱されております。あなたも、あちらで憩ってください」
寝床に伏すシュの横には、豊雲野以外に、また別の気高い天女のような人が付き添って
いた。
国常立は、館の中で初めて取り巻きの人々の顔を間近に一人一人見た。
すると、ほとんどがいつの日か昔に知っていたことのある顔ぶれであった。
誰かは、思い出せない。
しかし、決して敵ではない気がした。
「国常立様ですね。ここでしばらくリハビリしてください。辛い長旅ご苦労様でした」
「ここはどこでしょう?そしてあなたは?」
「ここは印度の南海洋上に位置する普陀落山です。私はここの庵主の観世音と申すもの
です」
「観世音。すばらしい響きです。世音を観る、ですか」
「はい」
国常立は、心打ち解ける思いがする。
そして気の流れが観世音から優しくやってくるのを感じながら、館の時を過ごした。
いつまでもこの時が続くことを心に願いながら。
翌朝早く、国常立は、目覚ましく意気を回復していた。
かつてシュであったことも認識した上で、そのイナンナに対してこんなことも言ってい
る。
「よく私たちを助けてくれたね。私は、意識を地獄に繋がれる前に、火の鳥に助けられ
るだろうという啓示を受けていました。
まさにその火の鳥なんですね。やっと解放されたのか。ああ、この体。やはりこうでな
くては。豊雲野も苦労したようですね」
「よもや、助け出されるとは思っていませんでした。
いや、助け出される先の世界がまだあったとさえ、知りませんでした」
「私とて同じだ。ところで、シュ、いやイナンナ。いま時代はどのようになっているの
ですか?」
「シュと呼んでください」
イナンナは、今ある状況について、知っていることのすべてを話した。
国常立神は、いちいち感慨深げに頷いた。そしてこう言う。
「封神を施されている身では、未だに本当の力が出せないのだ。
シュの持ち物を見たんだが、その桃の実は、蕃桃に三千年に一度咲くかどうかという桃
の実ではないか?
それは、封神されたものを蘇えらせるために作られたと聞く。
気に入った神を元に戻して腹心の部下にするために幾度か用いられたようだが、詳しく
は知らない。
それがあれば、もしかすると私は、元の人仙になれるかもしれない」
そこにシュと豊雲野の介抱のため添い寝していた天女風の女が気が話し出す。
「人仙の時の記憶を取り戻されたのですか?」
「はい。恐るべき幻影の責め苦に遭わされました。
そのとき、かつて修行したように、思いのすべてをまばゆい”空”に置き続けたのです。
このお蔭で、とうに発狂していておかしくないものがかろうじて助かり、それを続けて
どれほど経った頃か、
人仙であった頃の有りし日々が思い出されてきたのです」
「噂は知っています。もしあなたが人仙であれば、元始天尊とは互角の力をお持ちだと
いうことも」
「私は彼の汚いやり方がたまらなくいやでした。
ところで、なぜあなたはそのようなことをご存知なのですか?」
「私は、この宇宙の外に本拠を持つ弁才天です。
この世界に生起する出来事のことごとくを静観しておりました。
そして独立独歩の道に向かおうとする天仙たちの所業に心痛めておりました」
「うむ。私もこんな展開になっていることはなぜか分かっているのです。
立ち会ったこともない成行なのに、なぜか分かるのです。
シュの言葉だけで紐解くように。
天仙もあまたいることで、私一人で勝てるとは思いませんが、渡り合ってみても良いか
と思います。
また、それしか、我々の立つ瀬もないのでしょう」
そこに昨日の人々が入ってきた。
「観世音様がおられん。もしやと思い、こちらに参りました。
観世音様。もうお戻りになられたようですな」
「おお、それはそれは。何たる良き日」
注目されながらも、何を言っているのか分からないといった風の国常立神である。
「ご存知ないのか?ではまだなのか?」
「いや、そんなことはないみたいであるし」
そこで、弁才天が言う。
「国常立様は、あの日殺害される直前に、自らの心とも言うべき分身を出されました。
それが観世音様です。いまここに、あなた様は帰ってこられましたから、観世音様はあ
なた様の中に戻られたのです。
私はここに添い寝していて、一部始終拝見しておりましたよ」
「そう言われれば、心穏やかになっております。
悪夢のような時は遠いことのような気さえします」
今度はイナンナが言う。
「桃は、お二人で食してください。仙人に戻られる前に、お父様、お母様。
私はかつて、あなた方の実の娘であったシュの生まれ変わりです。
改めてお憶えおきくださいませ」
「生まれ変わり?いや、当時のままだよ。シュ」
「少しも変わっていませんか?でも長い時が経ったのでしょう?
それから、あの火の鳥の魂は、遠い過去世から、ともに同じ霊から生を受けた分身とも
言うべき人なの。
恋人として、パートナーとして、何度も転生していたのです。
お父様が、殺されたちょうどその頃には、私の救い主として現れました」
「そうなのか。心ならずも不憫な日々を送らせた。我が力のなさゆえに。
そのような心強い恋人が見出せたのは、私たちのせめてもの救いだったろう」
イナンナは桃を国常立神に差し出す。
食する前に、イナンナは父神にしっかり抱きついた。
ついで、母神にもである。
三人は互いに抱き合った。
イナンナにも、過去世の記憶が戻っている。
「もう、お父様、お母様は、見納め」
「大丈夫だよ。桃を食べて人仙に変わったとしても、お前はわが子だ」
輪廻転生を数行えばこその喜びがイナンナにはあった。
「いま一人、息子のズラがいれば、これ以上のことはないのですが」
「何を言う。これ以上の贅沢がありますか。
観世音を我が内に戻したその日に、元の身に復活するか。
こんな贅沢、許されようか」
「いまは時が切迫しております。急ぐべきことはすべてしてしまわねばなりません。
それに、みなさんのお力を併せれば、ご子息様も救えると思いますよ」と、弁天が言い
添えた。
よし、ではと、国常立神はもういちどイナンナを見て、桃を食した。
続いて、豊雲野神も。
霧がその場から立ち登り、現れたのは北辰太帝という仙人であった。
また豊雲野神は、星辰皇后となった。
そのとき、イナンナの魂から分離するように、白蛇の魂が立ち現れた。
すべての者が、度重なる異象に驚きのまなざしを向ける。
「おお。このようなところに白蛇が」
「このようなところに、どうしたこと」
どよめく一同。
白蛇は顔を赤らめたか、ピンク色に染まって語り始めた。
「詳しく話せば長いことですが、簡潔に申しますと、私は西王母の嫌われ者なのではな
く、もとは西王母の分身なのです。
西王母は北辰太帝様と同様に、天尊様のやりかたには疑問を持っておりました。
戦に臨まれた太帝様と違い、西王母は女の身。
むごたらしい戦とは無縁に身を置いたものの、天仙の世となり、天尊様に従わざるを得
なくなりました。
そんなとき、いずれ何かあろうという予感のもとに、西王母は自らの本心を白蛇に変え
て、蟠桃園の片隅に住まわせました。それが私です。
ところが反抗的な心だったゆえ、闇太后に見つかり、西王母の嘆願もあって、阿弥陀の
もとで仏道修行をさせられておりました。
しかし、修行と言っても、名ばかり。中身は拷問の日々だったのです。
時がどれほどかたって、イナンナ様が園に忍び込まれました。
見ると、亀の印章を携えておられるではありませんか。
西王母は、とても喜び、私に連れ立って脱出を図るよう申しました。
私は密命を帯びて、イナンナ様に成り実った蟠桃の場所を教え、その代わりに同行を申
し出たのです。
もぎ取られた桃は、警報の波を起こし、それを知った管理人たちが、盗人を追いかけま
す。
広い蟠桃園のこと。隅々まで知っている私によらねば、逃げ出すこともできなかったで
しょう。
桃を奪った大罪を抱えるお尋ね者となりましたが、私はイナンナ様のいくつかあるうち
の一つの霊的ホールに憑き、
そこを世相見物の拠点として、桃の力と私の力、白蛇の化身を併せ持ちつつ、数ある恋
の世を楽しませていただきました。
桃は3つ持ち去りましたが、私は西王母の密命を持って、太帝様の復活の時のために、
あの桃を携えたのです。
いつのときになるか、私はイナンナ様のもとにおれば必ずという思いで、この時を迎え
ました。ありがとうござました。
そしてもう一つ、告白させていただけるなら、西王母は、太帝様に恋をしております由、
お伝えいたします」
一同はどどーっとどよめいた。
そこでイナンナは突然泣き出した。
「でも、私はあのとき西王母様の追っ手にずいぶん執拗に追われました。
数々の妨害、戦い、そして別離をいやというほど経験いたしました。
いったい、神様なら楽しみながら、そのようなむごいことをなさって良いものでしょう
か」
一同の中から、まさにそうじゃ、確かにという声も聞かれた。
そこに弁天が声をかける。
「我が分身であり、人として生まれた者よ。古い時代は間もなく去ります。
あなたの背中には、あなたがこうあるべきと想像した新しい時代の理想が描かれていま
す。
あなたはあなたの数ある経験を通して、神と人のあるべき姿を、そこに描いたはず。
そこには、あなたの経験に関わった人々が想う理想像も組み込まれているはずです。
前に進みなさい。そうしなくては、新しい時代は始まりません」
「そうじゃ。わしらがみなで応援いたしますぞ」
「そうだ。そうだ」
そこにすっかり白くなった白蛇が言葉を出す。
「イナンナ様、申し訳ありません。私も共に辛酸をなめてきた身。
人の苦悩がよくわかりました。
あの執拗な強敵法海は、西王母の密命を帯びていたとはいえ、闇大后の義理の妹という
立場に置かれて取ったやむを得ぬ方法。
その法海にも、イナンナ様とは特別な因縁がありました。
憶えてはおられませんか?」
「私がこうだと感じるのは、今生においてネアンの親友であるキタロウさんがかつて法
海であったのではないかということです」
そこで弁天がこう言う。
「その通りです。かつて許仙との仲を幾度も裂こうとした者の化身です。
今またひとたびは、仲を裂こうとして現れましたが、時が移ったことを魂から知り、こ
の時代における関わりを求めているのです。
それはあなたが地球と関わる以前のことに端を発します。
あなたは、かつて宇宙連盟のある計画のもとに働く科学技術者でした」
その言葉に触発されるように、イナンナの脳裏には、宇宙空間を巡航する”スペーサー”
と呼ばれる巨大な母船の中にいて、
仲間の技術者とエレベーターを乗り継ぎながら忙しく移動する光景が浮かんできた。
「wセクターの小惑星群をティーラッタ惑星に突入させるにしても、水域に着弾させね
ばなりません。
そうでなければ、惑星の生態系は全滅してしまうでしょう」
「いいや。水陸ぎりぎりのところにする必要がある。
生態は1/3が滅亡。その反動で、新しい遺伝子を持った命が爆発的に芽生えるはずだ。
私はプロフィサーチーフの案にそういうわけで賛成だ。
とにかく早い実行が何よりも大事なんだ。
だから、君にはこちらの案についてほしい」
「もちろん、そうするしかないですね」
見れば、それはキタロウであった。いや、雰囲気がキタロウであった。それによって、
悟るイナンナ。
そこでイナンナは、自身が惑星に生命のみならず、文明の萌芽を用意しようとしている
科学者集団の中に居ることを知った。
そのときまでに、どれほどの数の惑星の設計に従事してきたか知れなかったが、かなり
の数であったろうと思えた。
キタロウはイナンナの同僚であるが、位階のかなり高い上司でもあった。
当時の科学者集団は、大きく二つに分かれ、互いに研究成果を競い合っていた。
一つの課題となる惑星について、二つのグループはそれぞれ案を戦わせ、その優劣でそ
の惑星の開発を任されるという具合であった。
このため、画期的なアイデアが競うように生まれたのである。
とりわけ急進的なグループにイナンナとキタロウは属していた。
が、心から方針に賛同できたのは、冷徹に任務を遂行するタイプのキタロウであり、イ
ナンナにはどこかためらいが残るのが常であった。
そんなとき、協定星である地球の開発の仕事が回ってきた。
そこには、宇宙同盟も開発に名乗りを挙げていた。
こうして、二つの大勢力が威信をかけて、責任範囲を持ち分けながら開発作業を実施す
ることとなったのである。
両勢力の科学者の交流が始まる。
スペーサーの中は、ひときわ人口が増えた。
宇宙連盟の科学のほうがやや進んでいたものの、作業は責任を決めて持ち分けねばなら
ない。
両方の科学者は、その辺に矛盾がないかどうかや、未来予測のために集まった。
宇宙同盟の科学者の中に、ネアンが居た。
二人は、一言交わしたときから、魂の底にある何か引き合うものを感じ取った。
「おかしいな。どこかで会ったような気がしてならないんだ」
「ぼくもそう思う。だが、宇宙の果てと果て。君の星の太陽はリゲルで、ぼくのほうは、
ベテルギウスだ。
この地球から見れば、あんな近くに見えるのにな」
この頃の地球から見上げる寒い空には、今に比べてかなりいびつなオリオン座が鮮明に
かかっていた。
「いつの日か、一つにまとまるときが来るだろう。長い時の経過の後に。それだけはな
んとなく分かる」
「ここの地質調査も終わりか。また会えたらいいな」
「君のとこのスペーサーの中で会えるだろう。なんせうちのギガシップときたら、旧式
だからな。いろいろ参考になるよ」
二人は互いに抱き合った。
「ではまた」
「がんばれ」
あれから、二つの勢力の間に戦いがあった。
イナンナは科学者というよりむしろ戦士となっていた。
危険を伴なう場所に下ろされ、そこを調査してこなくてはならなかった。
場合によっては文明をすでに営む惑星もあり、工作員まがいのこともしてこなくてはな
らない。
ちょうどスタートレックの調査隊のような感があった。
トルタッカという協定星に降りていたときだ。
再びネアンと出会う。
だが、工作中のイナンナの部隊と銃撃戦となってしまった。
こうして、いつしか戦いは果てて、血まみれ同士のイナンナとネアンが岩陰で横たわって
いた。
ネアンが言う。
「ここで最後なのかな」
「最後であってもいい。長すぎた命だ。魂はまた巡るという」
「そうならば、またきっと会おう。今度は同じメンバーとして、な」
「そう願う。君となら、ウマが合いそうだ」
「いったい、人類というもの、これほど知性を持って、宇宙を駆け巡らねばならないも
のなのか?」
「人として生まれたときに、そう宿命づけられたのだろう」
「人というもの、どこか違ったところに踏み出した生き物のように思えてならない。
何か大事なものと引き換えに、な」
「多くの星で、開発の名のもとに、良いものが失われていく現実を見た。
今度はまったく逆の立場に立ちたいものだ。
そう思えば、ここで死んでも良いかと思える」
「ああ、目が見えなくなってきた」
「そうか。もう一度示しておこう。あれが君の星、リゲルだ。
あそこに見えるのが、ぼくの星、ベテルギウス。
今度は、お互いが望むべき理想を一つにして、共に会おう」
「憶えておく」
そうして、イナンナ、ネアンと相次いで命を落とした。
悲しみがイナンナを包む中、まだまだ夢のような光景は続きそうだった。
だが、周りが別のことで騒がしくなっていたため、目を覚ます。幻影はそこまでであっ
た。
突然、古代風衣装に御鬟を結った髭を伸ばした威厳ありそうな小柄な男がどこからとも
なく現れたのである。
「これはどこの神様か」
「日本の神様のような」
「ああ、ようやくまかりこしました。私はヤマトスクネと申す者です」
「ヤマトスクネ?私は存知ておりますぞ。功業により人身から神へと取り立てられた
かたですな」
「はは。そのように与えられた位階にはそぐわぬ者です。
私は、ネアン殿に人のあるべき心というものをいただきました。
以来、私はネアン殿と魂を結び、様々な見聞をしながら幾世か経てまいりました。
しかし、ネアン殿は本来の役割のため、私は火の鳥に乗ったものの、いましがた分離さ
れてしまいました。
それからというもの、私は手がかりを求めて、いまここに着いた次第です」
そのときイナンナは驚く。
ネアンの面影そっくりだからである。鬟と髭を取り付ければ、ネアンもこのような顔に
なろうか。
そしてまた、めくるめく過去のイメージも、夢で見たものか、過去世の思い出か分から
ないが、かつて深い仲になった男であるという気がした。
「あなたとはどこかで会ったことがあります」
「さよう。ネアン殿と共に懐かしくつき合わせていただきましたが、あなたが吉備の巫
女であった頃、私が5番目の妻といたしました」
「いいえ。あなたはネアンだったのでは?」
「そう。ネアン殿に我が身が憑依された上で、あなたを深く知ることとなりました」
ヤマトスクネはその経緯を事細かにイナンナに話した。
「それゆえ、この期に及んでではございますが、
私は累代の為してきた行為の罪のないものたちを今なお苦しめている仕組みを取り壊
すつもりでおります。
せめてそのことが、私のできる罪滅ぼしかと思っております。取り壊すべきは、まず丹
後にある瓢箪めです」
「なるほど。未だに日本の丹後の土地には時空の歪みが存在していると観測しておりま
した。そのような事情によるものだったとは」
「そういえば、時折、異界のエネルギーが流入しておりました」
そうかそうかと、並み居る諸天が相槌を打つ。
「あそこは、立ち入る人々の参拝の思いを吸収して、閉じ込めの結界を強化する仕組み
が、呪術的に施してあります。
かつてほど崇拝の心を持つ人は減りましたが、参拝人口は多くなって、それだけで強化
されていきます。
私はネアン殿が赴かれたとき、その仕組みの存在を知り解こうとした者も何度かあった
ことを知りましたが、未だ不充分。
やはり仕組んだ側の私が純粋な形で解きに行かねばなりません」
「かなり強固な瓢箪結界ができておりますが、今なおその中に多くの魂が閉じ込められ
ているというのですな」
「さようです」
「魂レベルでの行方不明者は、日本だけでなく世界のいたるところで報告されています
が、そうしたところも同じでしょうか」
「何らかの救済が必要です」
そこで弁天が、一つの金色の玉をヤマトスクネに差し出した。
「この綾解きの玉を用いてください。あなたが関わった頃とは違い、様々な鍵が仕掛け
られており、開門の呪文はすでに効を奏しません。
それより、いかな強力な呪術といえども、所詮はプログラム、すなわち祝詞なわけ。
この玉は、やはり祝詞の塊。プログラムのコードを別のコードに変換してしまうプログ
ラムです。
これを結界に触れさせた時点で、結界の仕組みは無力化するでしょう。
あなたに、この地球上の結界をすべて解放する役目を担っていただきましょう」
さすがに弁天はアプリケーションの女王である。
「しかし、弁天殿。外すべきでない結界も存在するのでは?」
「地獄などの異界は、別のシステムによって封じられておりますからご安心ください。
地上界のものは、早急に解いてやりたいところですが、おそらく無念に打ち沈む者、恨
みを強固にする者、
時の流れを理解できぬ者、魂に萎えや腐れを生じている者などあまたおりましょう。問
題はそちらのほうです。
ヤマトスクネ殿のサポートを、諸天にお願いしたいのです。
つまり、結界が解かれ、中にいたものの保護、保護された者たちの介護を、諸天に担っ
ていただけないでしょうか?」
「それはむろんいたしましょう。我々の仲間をもっと集めて、総力あげて取り組みまし
ょう」
「幽界も一つの結界のようなものです。あまたある魂がさ迷うところ。
こちらは安部晴明殿ほか、この分野に携わってきたお方たちに、また別のソフトを授け、
やっていただくようにしています。
こちらも最終的には、保護と介抱が必要です。諸天にこれまたお願いいたします」
「そのためには、神々を神話の呪縛から解いていただかねばなりません。また、上位か
らの圧力を解いていただかねば、繁忙で仕方ありません」
「それらは並行して行われます。あらゆる階層から、並行してなされていますから、勇
気を持って取り組んでください」
「分かりました。我々は望むところ」
「これで誰しも住み良い世界になることだろう」

天仙軍との 対峙

さてそのころ、スサノオは同じ姿勢の維持に退屈を催していた。
動かない玄武に、様子を見ようとしだいに近づいていた天仙たち。
付近まで来て、恐る恐る触ってみようとまでしている。
その滑稽さに、スサノオは大あくびする。
何におびえているか知らぬが、わしに畏れをなしたかとまで思うようになる。
そしてついに、広げた両腕を上に挙げて大あくびをした。
そのとき幻術は解けて、スサノオと眠るイナンナがもろ見えとなってしまった。
「こいつめーっ」と、飛びかかる天仙。
術を使うほどの距離ではなかったため、肉弾戦になってしまった。
スサノオ一人と天仙八人が武術と太極拳を用いて格闘している。
スサノオは、強い弱いを別として、あくまでも格好の良いポーズを取りたがる。
そして、集中的に叩きのめされた。
騒ぎに目を覚ましてしまうイナンナ。
ところが、イナンナの鼻から涌き出るように煙が出てきたと思うや、イナンナの夢見の
世界にいた北辰太帝が立ち現れたのである。
するとまた、疲れたように眠くなり、夢の中に入るイナンナ。
ところが、イナンナはその続きの夢を見た。イナンナの居る位置は空であった。
ちょうど格闘の現場の100m ほど斜め上空である。
「そこまでにしておきなさい」
天仙たちは、新たな人物の出現に驚いた。
見ると、かすかな記憶がある。
かつて上司であり将軍でもあった北辰太帝の姿。
「うわっ。北辰太帝ではないのか」
「まさか。そんな馬鹿なことはない。
国常立に封神され、さらには神としても殺され、その魂は二度と出てこられぬよう極限
の地に封印されているはずだ」
「これも幻術ぞ。やってしまえ」
今度は術をかけるべく身構えた。
注意が八人とも、北辰太帝に向いた隙に、一人の着物のすそを掴んで引き倒し、手にし
た棍棒で天仙の頭を叩くたんこぶだらけのスサノオ。
「まだまだよ」
「こ、こいつーっ」
七人は、太帝めがけて得意技を放つ。
ところが、太帝は特殊な見えない防御壁を技として持ち、すべての技は右に左に交わさ
れていく。
何連発かしても効果がないと見ると、今度はかつての太帝の術の恐ろしさを思い出した
か、
「こうなれば皆を呼んでくるまで」と、一人一人勝手な方向に逃げ去ってしまった。
最後に残された天仙は、その場にへたり込んだまま、震えている。
そして逃げ出すべく立ちあがろうとするとき、太帝はこう言った。
「天尊のもとに帰っても、決して良くはあるまい?」
クラウチングスタートのスタイルにまで逃げる格好をしたところで、天仙は「はあ」と頷
いた。
「ならば、こちらについてはどうか?」
臆病な天仙は、向き直ってその場に座り込み、拝礼した。
「どうぞ、お助けを」
そこに天空から勢い良く降りてくる太公望とそれに負ぶさるように付いているもう一
つの影があった。
その後に続くようにして多数の天仙たちが降りてくる。
彼らは、ちょうど横から眺めているイナンナに気付くことなく、近辺に滞空した。
イナンナは、もしかすると見つかるかと思い、もっと上空に避難する。
太公望に乗りかかっている人物は、天尊であったにもかかわらず、イナンナにはひどく
弱々しく見えた。
実は北海道の上空で火の鳥を迎え撃とうとしているとき、火の鳥の羽根の一撃を受けて
しまったのである。
よもやの不覚を取ったものである。
太公望:「享寿仙、誰に命乞いしておる」
向き直る捕虜の天仙。
その顔は、おびえ引きつっていた。
本来なら、直ちに抹殺光線を浴びせるところ、その先に見える北辰太帝を見て、とりや
めた。
そして光景は、手に手に得意の武器を持った天仙の軍勢と、北辰太帝が対峙する格好と
なっていた。
「北辰大帝。よく助かったな」
「横暴はもう許さん」
「たった一人で何ができる」
「私だけではない。善良なすべての者の夢が私の中にある」
太公望は、こんなことを思う。
<どうして、仙人として復活できたのだ。そうか。まず国常立として救われ、次いで蕃
桃園の桃の実を食したか。
イナンナというものは白娘の過去を持つ。もしかすると桃を持っているかも知れぬとい
われていたが。そうか。
まて、仙人に戻った者は、神であった時の記憶をなくすはず。まだ仲間に戻す方法があ
るかもしれぬ。ならば・・>
「昔のよしみは覚えておろうな。いますぐにでも、我々の仲間として復帰してほしい。
そなたの良いアイデアで、これからの時代を築いていきたいのだ。できるか?」
「私には、いま北辰太帝の記憶だけでなく、国常立神の記憶がある。それをどうする」
そこに天尊が声荒立てて叫んだ。
「うぬ。貴様。このわしによもや逆らうつもりであるまいな」
そのとき、上空になおも数を増して天仙たちがやってきた。
これで総勢一万にはなろうか。
イナンナは今度は低空に移動した。そのときふと自分を見ると、金縁の青黒い龍であっ
た。
ひょえーと我ながら驚くイナンナ。しかしこれは夢見の体。
不安定で恒常的な次元にある者ゆえ、天仙たちの観測にもかからないもののようだった。
テンポラリーな身体という感じなのである。
天尊はなおも言う。
「見ろ、いかに貴様といえども、これほどの数にかなうはずはあるまい。
せいぜいこのわしと互角に戦える程度の貴様に、何ができる」
ところが、太帝の後ろで身構えていたスサノオが、いつしか巨大な大蛇を体に巻きつか
せた勇壮な神に変化していた。
スサノオ神も、仙の力を取り戻したのか?
太公望はそれを見て、たじろぐ。
またも、そこに地から涌き出るように、梵天、弁天を始めとする観音侍従の二十八部衆
が現れたので、今度は天尊はじめ天仙たちがたじろいだ。
太公望が言う。
「梵天殿には無縁のこと。そっちに退いておいてもらいたいものです。
ここは、天仙同士の話し合いの場。かつてのよしみが戻せるかどうか、それがこれから
共に共存できるかどうか、協議しておりますので」
北辰太帝:
「おお、あなたが梵天殿ですか。はじめまして。奥様にはひとかたならず、お世話にな
りました」
梵天は、すでにやるべきことを終えてきているようであった。
すがすがしい表情で、北辰太帝に言葉を掛ける。
「この宇宙は、何も天仙がいては困るというものではありません。
あなたのような正義感の強い公平な方に管理していただけるなら、そう願いたいところ
です。
よければ、あなたがこれからどうするか決められてはいかがか。うまく共存の道を見つ
けられるならそれも良いでしょう」
「ではいちど、話し合ってみましょう」
太公望は、もはや共存できる道の模索の途上にはない立場であった。
そこまで妥協した梵天の真意を図りかねたが、とにかく単独でここから交渉の場に連れ
出すことで、打倒も、あわよくば味方につけることも可能かと思った。
「では、このような場所ではなく、月面にでも参りましょう。ちゃんとした白亜の会議
場が設置してありますので」
そこに眠っていたはずのイナンナが起きてきて、前面に走り出てきた。
それも表情に意を決して出てきた感があった。
ところが、不思議なことにイナンナはいまだ低空ではあっても、龍身のまま、このあり
さまを見ているのである。
一瞬不思議な感じはしたものの、次のイナンナの行動にはびっくりした。
「待ってください。いまは北辰太帝でも、かつて国常立神であられたときは、私の父で
す。
もしその身に何かあらば、私が容赦しません」
「おおっ、容赦しません、とか?なんでこんなところに小娘が」
外野の天仙たちが騒ぎ始めた。
「なにい。この者があのときの娘?」
「そうなのか。あのときの巫女が・・」
天仙軍の幾分かが、どよめいた。
その声は押し止められそうもなく広がった。
天尊の一喝なら聞くが、太公望はそれを押し留められない。
「親方様。せっかくの流れを壊すような騒ぎをお鎮めください」
ところが天尊は、逆に興奮してしまった。
「教えてやろう。北辰太帝、星辰皇后よ。
いや、国常立神と豊雲野神よ。この娘は、貴様らが絶命した後、わしが真っ先に手をつ
けた娘じゃ。
のう、娘。お前はせっかく孕んだわしの子を台無しにしおったな。罪深いことよ」
外野も口を出す。
「わしもじゃ、わしもじゃ。共に楽しんだことは憶えておろう」
「わしの子もできたに、流してしまいおって。罪よのう。
捕まえたら、みんなでおしおきをたんとしてやろうと思っていたのだぞ」
「わいわい、がやがや」
傍らで夢見の状態で見ているイナンナは、恥ずかしい限りで、穴があったら入りたいぐ
らいである。
そのような過去を今このようなところで明るみに出されようとは。
<なによこれ。これって夢?夢でしょ?だったら消えて!>
そのとき、弁天が声を大きくして言った。
「鎮まりなさい。孕んだ子が流れたとならば、それは孕んだ子が不義の子ゆえ。
娘はいかに汚されようとも、お前たちには帰順していないという真の純潔を、身をもっ
て示したのです」
「そうかどうか分からぬぞ。土台できが悪かったということもあるからな」
イナンナは恥ずかしさのあまり、顔を伏せてしまった。
そこでついに北辰太帝が乗り出した。
「わが子に手を出したか。もはや許すまじ。
元始天尊のもとで、よくぞ腐敗したものよ。天仙族」
梵天も言う。
「天がこうであれば、地もこうなります。あらゆる地の諸悪の根源は、天仙に発してい
ることは歴然。
過去から悪魔と呼ばれた者はいましたが、それは神より上にいてはならぬもの。
しかし、悪魔は巧妙に神を操り、論外の者を悪魔にしたてて、自分たち黒幕をひた隠し
にしていたのです。
お前たちの心根からの性悪は目に見えた。もはや猶予ならず処断せねばなるまい」
「うぬう。被更迭神から悪魔呼ばわりされるとはあまりに心外。サタンとは、サターン
なわち、地神クロノスのことであろうが。
そこまで侮辱された上は・・」
そのとき、上空に再び奇妙な光景が現れた。
神々しく後光を発しながら近づくたくさんの渦巻き雲の群れがあった。
そしてどこからともなく、空を読経が木霊し始めた。
おのおのの雲の上には、威儀を保って結架扶座する者や、ダンスを踊る者などが居た。
「南無阿弥陀仏・・・・・・」
天仙たちは、後ろを振り向き、その到来を拝した。
「これはこれは、善も悪も世界の一部として容認なさる阿弥陀様をはじめ最勝の如来様
たちではないか。
これはひとつ極悪の者がおるゆえ、仏罰を与えてもらわねば」
幾多の仏と呼ばれる者たちがここにやってきた。
それを見た太公望は、これぞ機会と仏に語りかける。
「ここは、どうか仲裁願いたいのですが」
「これ、梵天よ。かねてよりそなたは、仏法の護持者として仏に帰依したのではなかっ
たのか?」
「そうでしたか?仏に帰依した梵天は、偽の梵天ではありませんか?
神界に我が名を語り、成りすます者がいると聞きます。
また仏法は、真意が語られず、誤った言葉と形式が伝えられているのが現実でありませ
んか?
私はかつて、仏陀と申す者に宇宙論を説き、その意趣が理解できた者ゆえ、仏の教えと
して説き賜えと勧めたことがあります。
だが、今の仏様方は、その方面の説法をなさらず、権威の推進のために歪曲された仏法
を敷衍された。
これは宇宙の仕組みの何たるかをいささかも理解していない証拠。
それをもって衆生を導こうとすること自体すでに欺瞞。かくして・・かくかくこうこ
う・・」
現実の仏教界の非をとうとうとしゃべる梵天。
「この者には、仏教神話は効果がないのですか?」と、阿弥陀が太公望に聞いている始
末である。
「多くの衆生を解脱させると称して、あなたがた如来の浄土に招き入れることをなさっ
ていますが、道理で真に解脱してくる者の少ないこと。
早く真の自己にすべての者を立ち返らせて、故郷に返していただきたいものです」
その言葉をかき消さんばかりに、大音声の読経が木霊した。
「南無阿弥陀仏・・・・・・」
憤怒相の異形の仏や菩薩が各自の雲の上でダンスを踊りながら、イナンナやネアンの上
を乱舞した。
おとなしい善良な神仙たちは、何事がおきたかと固唾を飲んで岩陰から覗き見ていた。
イナンナはむかし臨死のときに見た光景にそっくりなので、気分が悪くなりかけた。
しかし、チベットの死者の書に書かれるように、その実体を幻夢に過ぎずと捉えること
にして気分を鎮めた。
<これと同じだった。あの時は怖かったけど、いまはそうでもない>
梵天が言う。
「何と面白いショーであろうか。
だが、そこまでにしていただこう。
如来も菩薩も天仙が成り代わっているのであれば、愛も慈悲もあるはずがないわけだ。
これではもとより衆生済度は不可能。
からくり見破ったり」
数を頼りに、天尊が叫ぶ。
「ええい。余興もこれまでだ。いずれ恐れるに足らん。すべて殺してしまえ」
後ろに控える一万もの天仙が総力結集して、呪文を唱え、強力な波動ビームを投げかけ
ようとした。
イナンナはこの光景を龍体の夢見の体で見ていた。
いまはどちらかというと、天仙軍の後ろ側から見ているという具合だった。
絶体絶命の父母や縁ある神々。
何とかしたいという思いでいっぱいであった。
また過去の父母を殺されたクーデターの思いがよぎる。
そこにどう気がついたか、心でネアンを呼んだのである。
<お願い、ネアン。火の鳥で、みんなを助けて>
イナンナがネアンの来ることに確心を持った、そのときである。
天空に赤い光が射した。
それは巨大な火の玉のようであった。
天尊はそれに気が付くか気が付かないかで、「やってしまえ」という指示を出していた。
一斉に抹殺ビームが放たれる。
それと同時に、火の玉がその上をよぎった。
というより、自然の中に溶け込むように沈潜していた赤い火の粉が一斉に吹き上がった
かのごとくである。
仕掛けられたビームは屈折し散乱し、次に繰り出す技のすべては、一瞬に焼き尽くされ
た。
二の次に掛けようとする連続技を構えたとたんに、「あつっ」と手や脚を焼かれる天仙
たち。
技を封じた火の粉が、技の元にまで遡り、それを封じたのである。
火の鳥の到来を見た天仙軍は、たったそれだけで総崩れとなった。
火の鳥が次に何をするか掴めないため、天仙たちは右往左往している。
秘術を出しても、自ら怪我するのみであるからだ。
天尊は、またありうる一撃を怖がり、太公望にしがみついた。
ついに太公望は、退却の指示を出す。
「ええい。みなのもの、退却だ」
イナンナは、退却して西の空に去っていく天仙たちを眺めた。
この成行に勝利への確信のようなものを沸かせた。
<すごいすごい。ネアン。愛しちゃうよお。
私が呼んだんだよ。私に気が付いたなら、ここに来て、すぐにでも毛繕いしてよ>
そう口に出したか、出さなかったか分からなかったイナンナであったが、いつしか夢見
の身体から、元の身体に意識が移っており、
隣にはいつのまにか、普陀落の諸天が並んでイナンナを見ていたので、赤くなった。
<何てふだらくな、いや、ふしだらな夢なの>
しかし、火の鳥はまたもどこかへ去った。
ネアンも一緒に行ってしまったと思えた。

天仙の衰退

さて、こちらは天尊の宮殿である。
初めての退却。それも命からがらといった成行に、天尊はひどく傷つき、立腹するどこ
ろではなかった。
傷の手当てのために裸になって分かる太った体と、背をかがめ息をつくのがやっととい
う状況に、
また典医たちが薬用食を次々と運んできても、投げやりに食べるしかない様子に、なお
病重篤の感を漂わせた。
敗北を最も印象付けたのは、北辰太帝の復活であった。
それに対してあまたある天仙が一太刀も浴びせられなかったことに、底知れぬほどの力
の差を感じたのである。
天尊は、自尊心によって支えられてきたと言っても良い。
それが木っ端微塵になったとき、一気に体に抱えていた慢性病が噴き出した感があった。
「闇太后はどこに行った」
「奥様は、最終兵器を動かしに行っておられる模様です」
「それしかないか」
「いちかばちか、しかありません」
「大丈夫だろうか」
「気弱になられてはなりません」
「いちおう、指揮はお前が取ってくれ」
「はっ。まずは天仙軍を整えることにいたします。戦うにしろ、離脱を図る行動を取る
にしろ、まずは士気を高めてからかからねばなりません。
そして次に神々に戦うための勅命を発します。我々につくものが圧倒的多数である間に、
なんとかせねばなりません」
「多くのものに見られたであろうな」
「は。しかし、目ではありません。それよりも親方様の健丈ぶりがみなの士気に影響し
ます」
「お前はほんとうに腹心の部下だ」
「しばらく休憩なさってください」
「しっかりものの妻はどうしておるかな」
「連絡はしてこられるでしょうが。後ほどこちらからも」
さて、問題の闇太后はどうしていたであろうか。
天尊や太公望のいい加減さ生ぬるさに怒って、独断の作戦遂行に入った闇太后であった。
彼女自身が別邸として作った通称”棺桶塔”に篭もり、杖の眷属たちに管制室から指示
を与えていた。
すでにあの時点で、1000名の杖の工作員を梵の全系の側にあるファウンデーション
に送り込む手配をした。
というのも、クラッキングツールの起爆時点をかなり後に設定していたため、それを手
動爆破もしくは近時点爆破に切り替えに行かせるためである。
訓練に訓練を重ねた精鋭ばかりである。第一派200名ずつ、第五派まで成功するまで
それは続くというわけであった。
一つでも成功すれば、どの場所のものも誘爆する仕様であったから、どれか一つに辿り
つけば良いのである。
徹底した執念が完璧と思える作業を行わせていた。
また、天尊の世界にも、すでに何十というクラッキングツールが埋め込まれていて、フ
ァウンデーション側でだめでも、
いざとなれば手近にあるツールを起爆させることも可能であった。
たとえば、この棺桶塔の地下にも起爆を待っているツールはあった。
その気になれば、今すぐ地下に下りていき、ツールの節くれの一番上のボタンをたった
一回押せば手動で爆発するのである。
そして、こちら側にあるツールの傍には、たいてい一人か二人の杖の眷属を配置してお
り、たった指令一つで彼らがボタンを押すことになっているわけである。
これほど万全を敷いてなお、梵天の側に工作員を入りこませようとするのは、ひとえに
権威的優位をいつのときも誇りたいがためであった。
それが逆に梵天にしてみれば、時間稼ぎに繋がる相手方の弱点であったかもしれない。
「ほーっほほほほ。いざとなれば梵天よ。見ておりなさい。すべてを破壊し灰燼に帰し
てあげますからね。
なあに、私は亭主の馬鹿げた理論など当てにしておりません。何パーセントかの可能性
があればそれで良しと思っているだけです。
ただ、やりたいのはこの憎き魂の系統を壊滅させること。それだけできれば十分なので
す」
「おひいさま。それではこの快楽のときも終わってしまうのですか」
闇太后の座る座席は、肉感ある大柄の男の全裸の下半身である。
声は、ヘッドレストと化した弁髪の男の口から漏れていた。
そこにチャイナドレスをたくし上げて、太腿をあらわにして、何かの上に乗っかった格
好になっている闇太后である。
そしてちょうど乗馬をするように、尻が上がり下がりしていた。
「この世界が根底から終わるなんて、もったいない気はするけどね。私には所詮無縁の
もの。
でも、新しい世に続くものなら、お前を妾にしてやりましょう。あんな亭主など殺して
でも・・」
そう言ったところで闇太后は思い止まった。
絶頂に向けて快楽に身をよじっていた動きも止めた。
「ええい。そんなことはできない。あの宿六ときたら、馬鹿は馬鹿でも・・」
ふたたび激しく上げ下げして身をよじり、絶頂目指して驀進しながら、叫ぶように言い
放った。
「たったひとりぼっちなんだよお」
動きは止まったが、座席と化した男の下半身全体が濡れ、床まで広がっていた。
闇太后はいつになく、激しく往けた感覚を持ち、足腰にだるさを覚えた。
ほとぼりが冷めた頃、太公望から通信連絡が入った。
「なにいーっ。宿六が、いや旦那様が負傷?一万人の天仙が居て、退却したと?」
「はい。火の鳥の妨害に加え、かつての人仙の雄、北辰太帝が復活いたしましたもので」
「お前はそこに居たのか」
「はい」
「旦那が負傷のときにお前がついていて、どうして防げなかったのじゃ」
「親方様は私とは別行動を取られていて、そこで負傷されたのです。私が着いたときに
はすでに遅かったのです。経緯は・・」
「ええい。もうよい。事成りの玉で見る」
闇太后はおおかたの敗北の原因が、得体の知れぬ火の鳥にあることを知った。
また、太公望の最初に取った行動にも、疑問を持った。
「お前はどうして応援を私に頼まなかった。旦那様にしか言えぬ理由でもあるのか。
もしも私が北辰太帝にまみえていたら、絶対に生かしてはおかなかったものを」
「ははっ。まだ多少の交渉の余地があると思いましたゆえ」
「あなたも大したことはありませんね。交渉とは、相手よりも優位な材料を出して、大
幅に譲歩を勝ち取ることなのです。
あなたのしたことは、ただ相手に弱みを見せただけ。失脚ものです」
「ははっ。申し訳ありません」
「ところで、聞きます。反作用の蓄積は今どのレベルですか。もし今、クラッキングし
たなら、うまく新宇宙は築けるか。すぐに計算しなさい」
「は、はい。しかし、それに関しては、いますぐに地上に世界大戦を起こしても、
蓄積レベルがリバウンド可能範囲にぎりぎり入るまで、2地球年はかかります」
「もっと強烈な騒乱の方法はないのですか」
「あります。親方様の仰るようにアンモラルな世相を加速するのですが、
それを妨害する側にスサノオが現れておりますから、
最も良いのはやはり怒りと恐怖に満ちた世界大戦かと思われます」
「スサノオに加え北辰太帝が出てきたなら、もっと妨害がかかる。世界大戦にも支障し
ようぞ」
「それはまだしも可能です。各国トップに配置した杖の眷属の独裁でまだどうにでもな
りますから」
「2地球年。長いものよな。よし、では大戦に即刻取りかかりましょう。私は眷属に命
令を出します」
「ははっ」

ソ フトラン ディングに向けて

さてこちらは、蓬莱島の北辰太帝の執務室である。
太帝は、急ピッチで今の世界情勢を学び、研究に熱を入れていた。
そして、現在の人々の情報を学ぶうちに、完全と言えるほどの善良な者がほとんど居な
くなっていることに驚いた。
それは比較的統率がやさしいはずの宇宙文明においても同じであった。
地球上には、魂の幾分かを誰しもが杖の眷族の知恵で犠牲にしながら生活しているもの
ばかりであった。
そこに梵天がやってきたので、北辰大帝は感想を漏らす。
「いささか驚いております。人仙であった私は、人間にこそ恩恵が与えられてしかるべ
しと禽仙との戦いに臨みましたが、
今の天尊の有り様を見ているとまったく結果は逆。人々を拘束し反モラル、反自然的な
生き方を強要しているかのようです。
私一人が行って諌めたところで、これほどすべての天仙が意見を封じられているなら、
聞きいれることもありますまい」
「あなたには、再び国常立神として、地球においては采配を奮っていただきたいのです。
また、宇宙においては、北辰太帝として、善政を敷いていただきたい。
現在、天仙たちは火の鳥の過激さにおびえ、これでは政権が支えられぬ、ならばもろと
もと、宇宙をも取り潰そうと図っております。
これを遂行させるわけには参りません」
「またこれは何と言うものでしょう。彼らは”杖の種族”を作って、それを梵の全系に
対抗させようとしているわけですね。
私は当時からおりましたが、このような者が存在していたことなど、つゆ知りませんで
した。
しかも、これは梵の大樹から漏れたものであるため、逆恨みして、世界を混乱に陥れよ
うとしているではありませんか」
「それがもしかなわなくなれば、梵の全系をも破壊しようと企むに至っています。
私としては、この者たちにも、何らかの見るべきものがあれば、観測根節の仲間に加え
る方法があると思っております。
それゆえ、彼らが逆上してしまわないようにもしたい」
「何という寛大な。厳しいばかりの国常立も、考えを改めねばなりませんね。
むろん残酷な経験もし、生き物全般の苦悩も知ることができましたから、ひとりでにそ
うなるでしょうが。
考えてみれば、このたびのことも良い経験だったのかもしれません」
そこに、梵の全系の側から報告が入ってきた。
ファウンデーションに向かう杖の工作員を複数捕り押さえたというもの。
彼らに尋問する最中にすべて自殺して果てたとのことである。
「杖の種族はただ一つの司令によって動くロボットのようなもののようです。
元締めをしているのは、闇太后。天尊の妻です。
噂では、天尊が魂ある側の者を信じられずに、淋しさのあまり作り出した女。
私も似たような噂の主ですから、気持ちはよく分かりますし同情もするのです」
「これはまた心中複雑ですね。ところで、火の鳥は秀作です。
オオクロヌシ殿は私も存じておりますが、研究所に閉じこもり、プロジェクト作業を進
めるとはいえ、
ほとんど見るべきシステムはご自分で製作されていましたから」
「彼は研究熱心な方です。彼はせっかく築いた実験炉宇宙の荒廃や破壊を避けるための
いくつもの技術を作っています。
火の鳥は古いバージョンのものがまだ機能していますが、このたびは新しい種族の登場
にも対応するものとなり、
新しいサイクルの宇宙開始に向けて、β版を試運転しています。
新しい宇宙は、もはや実験炉宇宙ではなく、実宇宙となります。
それは壮大な構想でなる総合テーマパークです。
彼の技術を土台にし、多くのものの考えを入れて設計しており、まもなく設計も完了の
運びです」
これより以前に、梵天は、地上にいる功労者イナンナなどに設計の有り様を夢に見せた
ことがある。
そこはストゥーパのような印度風の宮殿であり、その中には祭壇があり、十字架や月や
様々なシンボルで飾られる中、
最も中央に日本古来の三宝がしつらえられているのをイナンナは夢の中で見たのであ
る。
その中で、梵天はイナンナとこういうやりとりをしていた。
「イナンナ。この柱飾りは、ここに置いたほうが良いかな。君はどう思う?」
「そうですね。そこがいいと思います」
イナンナは夢から覚めて、将来の地球の文明は、現在のものの延長上にあり、
しかも宗教のすべてが一堂に会し調和するだろうと夢解釈したのである。
その中央に、神道の三宝があったことはイナンナにとって驚異であった。
もちろん、夢は神話世界を見るものであり、象徴的表現となる。
そこでは、いろんな者の意見を取り入れながら設計が進んでいることを物語っていた。
この設計図は、ほかならぬイナンナの神亀となった時の甲羅に描かれていたのであるが。
また、イナンナの夢には、こんなものもあった。
やはり印度風ストゥーパが出てきて、そこに大勢の見物客が中を見ようと並んでおり、
イナンナは、順番に六人乗りのゴンドラに乗ってストゥーパまで辿りつこうとするが、
横に乗るお爺さんがなんとも気持ち悪い。
降りて中に入ると、六つぐらいに仕切られた部屋に入っていくのだが、
すでにどの部屋も満員で、六番目の部屋にかろうじて入ったというものである。
イナンナはこの夢についてこんな印象を持った。
このストゥーパは一種のテーマパークであり、ネアンを探したものの居らず、
陰ながらその施設を運営しているネアンの存在を常に感じ取っているというものであ
った。
これが宇宙全体をを貫くアカシックレコードを一堂に収めた博物的テーマパークであ
ろうとは、そのときイナンナは気がつく由もなかった。
さて、梵天と太帝の語らい合うところに、第二の報告が入ってきた。
噂をすればなんとやらである。
「緊急連絡です。火の鳥に修正版ソフトをインストールし、β版火の鳥にして稼動した
時点で、
実験炉宇宙にごまんと存在する不正ソフトが検出されました」
「クロノス殿はそこに居ますか?」
「はい。繋ぎます」
「オオクロヌシ・コトタマルです」
「不正ソフトの内訳は何ですか?」
「43890種15378768個のウイルスソフト。774675個の同種のゾンビ
ソフト。36836個の同種のマジックソフト。
251個の同種のクラッキングソフト。5個の未完成OSソフト。1個のコントローラ
ーマジックソフト。1個のマジック生成ソフトです」
「当面、危険性のあるのは?」
「クラッキングソフトであり、その内容を分析した結果、OSに侵入し、ハードまで破
壊することのできるほどのものでした」
「駆除の方法はありますか?」
「ソフトのコードを一部分改変して、無効にすることができます。
それが最も早く誰にも知られることなく効果的です」
「しかし、稼動させようとしても動かなければ、バグの存在に気づくことになり、
修正したり、新規に作られいきなり作動させられては良くありません。
その作動のときに連動して、不正ソフト全部を隔離するような報復手続きを踏ませるこ
とはできませんか?」
「それにはかなり開発時間がかかりますね。
火の鳥の第2バージョンには、組み込めるでしょう。
現在すぐにでもできるのは、クラッキングの深度を遮断する応急対策があります。
こうすれば起爆させられても、彼らが期待したほどのクラッシュは起きません。
体感は一次元的ですから、オールクラッシュと同じだけ感じるでしょう。
破局をカモフラージュするなら、これがいちばんです」
「それは良い方法ですね。
何もかも解決してくれて嬉しい悲鳴です。さっそくそれを開発してください。
それと、あなたの作った不正検出ソフトを、こちらのOSにも適用したいのです。
どうやら、こちらにも相当入りこんでいる可能性がありますから」
「ご利用ください。火の鳥はリエントラント構造で、サブルーチン化されておりますか
ら、その入り口部分の手続きをお知らせしましょう」
「では、OSのサブトラップ機能に繋いで稼動しますので、お願いします」
こうして、多少時間はかかったが、梵の全系にも検出ソフトが適用された結果、かなり
の量の不正ソフトが見つかった。
そのうち、クラッキングソフトは26で、すべてファウンデーション内に存在していた。
シークレット部隊の投入により撤去破壊したとしても、その時点で天仙に連絡され、実
験炉側で稼動させられたらたまったものではない。
これゆえ、火の鳥につけられるコード無効化ソフトができあがれば、臨時にサブトラッ
プ機能に追加し、稼動させることとなった。
その他一般の不正ソフトはファウンデーションに多くあり、その他の場所にも幾分か飛
び火していたが、
所在が分かっている限り、火の鳥の第二バージョンで処置できるはずであるとして優先
度が下げられた。
「私のほうも、そろそろ仕事にかからねばなりません」と北辰太帝は梵天に語った。
「大丈夫です。強いバックアップをソフト面から行っておりますから、
あなたの行動が無理なく正しいものである限り、順風満帆となることでしょう」
「そうですか。それはありがたい」

強力な バックアップ

さて、強いソフト面からのバックアップがすでに実現していると、梵天は言った。
それはパスルートジェネレーション節理が、すでにどこかで稼動しているということな
のである。
時は遡り、火の鳥の復活のすぐあとで、梵天はクロノスに対して、パスルートジェネレ
ーション節理の改訂版の開発など、
いくつかのシステムツールの開発を依頼していたのである。
それは前にも書いたように、イナンナの衷心からの祈りが、当初の方針を変更させてい
たからである。
どうかこの世の中が続く中に、邪悪や不正義が駆逐されていきますように、と。
そして、子供たちに、将来良い環境を与えてやれますように、と。
梵天も、イナンナが生き甲斐とする仕事を見出した以上、学び終えるまで存続させたい。
また、子供の世代に激変や恐怖を味あわせないことも必要となれば、地上界の可能な限
りの保存が必要である。
短絡的な世界大戦などで崩壊させたくはない。
むろん根底からのクラッシュなどはもってのほかである。
そして、イナンナ亀の甲羅の上で、現在設計図が作られているところのプログラムによ
って、世界を変化させたとしても、
それを前の時代と後の時代をうまく繋ぎ合わせ、矛盾のないようにしなくてはならない。
これらを満たすためには、直ちにアボート処理させることではなく、地道なプログラム
パッチ作業が待たれる。
また、世の底流を流れる反作用の法則は厳然としており、今の蓄積量からすれば、解放
しただけで、宇宙規模の崩壊を招きかねないほどである。
蓄積を止め、さらにその消滅を図るには、より多くのものが本当の道に立ちかえること
しかない。
その借金をどうするかも課題であり、返済していくのはいかにも難行道のようであった。
ちょうど日本経済が超借金を抱え破綻寸前にあるところから、どう回復させるかの感が
ある。
日本は今や、この実験炉宇宙をも体現しているのである。
回復させる地道な工程を模索しなくてはならない。
自業自得だから勝手にせよという話ではなくなっているのである。
しかし、最低限、宇宙のどこかが吹っ飛んでも、銀河系だけは保存したいといういざと
なればの思いもあるにはあった。
梵天にとってみれば、えこひいきにとられようが、何を置いても地球だからである。
まず、歴史を誘導するソフトの側からと、実際に役務を演ずる側が協力しあわなくては
ならない。
梵天は、この協力を取り付けるため、本国の梵の全系に帰った。
そこでクロノスおよび技術チームとの会議を持った。
(この頃、およびそれに続く作戦の遂行のために、梵天は多忙となり、イナンナが梵天
に夢の中でまったく会えなくなったと心配になっていた頃でもあった)
会議室のディスプレイ空間にダムの映像が表示されていた。
水が満々と湛えられているように見えるが、その水の色はどす黒く、雨後黒土を溶かし
流したような感じであった。
分析担当:
「まだまだ許容限界に達していないようですが、このダムはここまでが変成岩を組み合
わせたクロノス界面。
この上に繋ぎ合わせているのは見てのように、ケーソンコンクリート組みの天尊界面で
す。
ケーソンは強いようですが、この継ぎ目にはどうしても埋め切れない隙間があり、そこ
から漏れ出ていますでしょ。
ここに引いてあるラインが天尊の考える理論限界なら、そう考えられている以前に、ダ
ムが決壊する恐れがあります。
決壊すれば、その膨大な蓄積は、クロノス堤まで破壊するでしょう。つまり、実験炉宇
宙の崩壊です。
もしこのままの存続を図ろうとするなら、すぐにでも放水は必要です」
梵天:
「現在のパスルート節理は、貯まったものすべてを吐き出す装置で、ダム決壊と同じで
す。
汚水を貯めないように神々に努力してもらってはいますが、非常に困難。何か良い方法
はないでしょうか」
クロノス:
「当然ながら、少しずつ放水すれば良いのです。それをさせまいとしている天尊は、自
殺行為に等しいことをしているわけです。
おそらく過大な反作用の爆発を利用して、未踏の事象を引き出そうと考えているのでし
ょうが、
あくまでもそれは一種の賭けであり、それを可能とする理論があるなら、空想か信仰に
類するものと言えます」
梵天:
「切羽詰まってしまえば、天尊といえども宗教的な奇跡を信じたい気になるもの。
ところで、私は当初、一からやり直してはどうかとも思ったが、なるべく築き上がった
ものは残したいと思うのです」
クロノス:
「私のシステムも、いまは見る影が薄くなっていますが、問題さえ除去されれば、復元
力にはすごいものがあります。
それをここでもぜひ試したいのです。むろん一からでもいいにはいいが・・またいろい
ろと工夫ができますからね。
私はどちらでも構いません。他のものの意見も聞いてみてください」
梵天:
「どこまでどうなるかは、成行に任せるしかないと思います。
方針は高く持って、それから考えることかと思うのです。
さて、天仙に知られず放水する方法さえ可能ならば・・そのような仕組みは難しいです
か?」
クロノス:
「まずは、実験炉宇宙にパスルート節理を設置しなくてはなりません。つまり彼らの結
界の中に入れてしまう必要があります。
そして次に必要なのは、現在ある単なるオールパスではだめで、節理に一部パス用のル
ーチンを組み込むことです。
しかし、これは割合簡単にできますから付加しましょう」
梵天:
「どうやって実験炉宇宙に設置するかは、こちらで検討するとして、まずはその開発に
当たってくれますか」
調査担当:
「ところで、設置に関して、問題があります。
すでに、この装置の検出ソフトが稼動しているようです。運び込む段階で、破壊される
恐れがあります。
ただ彼らのやり方も、最も簡単なレーダー式で、順次精査ですから、その隙を狙うこと
は可能です。
もう一つ、火の鳥に運搬させれば、それ自体が防御スクリーンですから、何を運び込ん
だかわかりません。
だから、このようにされてはいかがでしょう。
また、彼らは常々水位に気を使う以上、水位管理は行き届いているはずです。
多量に漏れ出ていると知れば、原因を調べるでしょう。
そのときに節理が破壊される恐れがあります」
梵天:
「天仙の監視は強化されるばかりですし、搬入には、今目下最強の火の鳥を使うしかな
いですね。
どさくさに紛れて、ということになるでしょう。
それから装置をどう保存するか。うーむ。けっこう難しいですね」
調査担当:
「火の鳥は攻守を兼ねますから有効でしょう。しかし、設置が判明すれば、戦端を開く
ことになるでしょうね」
梵天:
「戦いはもう始まっています。両者とも、そういう認識ですから、すでに戦時下にある
といえるでしょう。
そうか。攻撃は最大の防御か。ところで、区分された階層ごとに、パスさせることはで
きますか?」
クロノス:
「反作用には、出てきた場所の情報や、動機の種類、発生原因日など、80種もの情報
を持っています。
それをもとに振り分けることができます。
そして反作用はおよそ、出てきたところと同じ界に及びます」
梵天:
「そうそう。だから、特定の界だけを反作用で攻撃できますね。
そして他の条件で分量を緩和してやればいいかもしれないと思いまして」
クロノス:
「そうですね。複雑ですが、なかなかいいかも知れません」
梵天:「やるしかないですね」
クロノス:「ならば、速やかに開発に当たります」
梵天が蓬莱島に帰ってややあって後に、クロノスから連絡が入った。
「パスルートジェネレーションシステムに、各界帯域対応で開放すべき反作用を選択す
る機能がつきました。テスト済みです。
また、まもなく期間選択による反作用の開放機能も付加されます。
これは蓄積された時期情報を反作用の個々が持っていることから、そのいつであるかに
よって通れるようにしてしまうものです。
これらを組み合わせることにより、反作用の一気開放は避けられます」
「クロノス殿。待ち望んだ機能の付加、よくぞやってくださった」
「これで見込みがつきましたかね」
「まったくです。あとは制御しながらソフトランディングの道を手探りすることになり
ます」
「その自動化プログラムも、第二プロジェクトで開発を進めており、これもほどなくで
きあがりますよ」
「ええっ。それはすごい。どんなふうな仕組みですか」
「仕様としては、五色亀の背中の設計図を一方のインプットとし、火の鳥の現状保存デ
ーターをもう一方のインプットとして、
両方を滑らかに矛盾なく繋いでしまうというスムージングソフトです」
「この世界システムを作ったほどの方だ。まさに、システムの魔術師だ」
「いいえ。あなたと同じ科学技術者ですよ。
あなたの方針に私の考えがマッチしたゆえに、どんなことでもして差し上げたいと思っ
ているだけです。
なにも助けてもらった恩義によるだけではありません」
それから数日後、まずは当面の危険を取り除こうと、クロノスは梵天と協議して、
クラッキングソフトのクラッシュ深度限界を改訂するソフトの運転をした。
クロノスとて、自らの研究を台無しにするクラッキングには断固反対である。
そこで、クロノスのナチュラルベーシックソフトの上に乗る2次システムまでを
クラッキング限界とする設定にし、β 版火の鳥に載せて稼動させたのである。
こうして、闇太后の画策したクラッキングがもし行われたとしても、小規模のカモフラ
ージュされたものでしかなくなるはずである。
いわば、クラックウイルスの大幅弱体化を誰にも知られずに行ってしまったのである。
次は条件付加版パスルート節理の実験炉宇宙への搬入と稼動という課題である。
実は、火の鳥が活躍して国常立神が復活したことは、すでに書いたが、このとき並行し
てたいへんなことが行われていたのである。
国常立神の復活をバックアップするという直接的な目的で、火の鳥をして条件付加版パ
スルート節理を実験炉宇宙の果てから、
火の鳥騒動の直後のX月XX日に、日本の京都を範囲に含む安倍晴明の結界の中に運び
込ませたのである。
当日、晴明の執り行なう瓢箪の秘儀により、装置は天仙の検知にはかからなかった。
梵天は瓢箪の中に晴明を信じて危険を冒して入り、Z日後のY月YY日の秘術解除の手
続きまでに、
つまり天仙の検知にかかる寸前までに、条件設定をし、稼動の準備を整えたのである。
(その日とは、2002年6月6日のことである)
その日、結界の解除の手続きと呼応して稼動させ、仙界と神界と霊界に対してフル稼働
の50%から始め、10%まで下げていく。
こうして、仙界と神界と霊界にさわやかな風を入れてしまおうというのである。
インディジョーンズ並みのアクションとともに、効果のほどを見ながらの、さじ加減の
難しい作業となったが、それはみごとに稼動した。
国常立神の救出を妨げようと立ち現れた天仙たちの勢いが突如として失われ、天尊が火
の鳥の一撃を受け負傷し、
その後の火の鳥のパワーに容易に屈してしまったのは、ひとえにこの節理が解放した反
作用の働きによったのである。
パスルート節理を検知しようとしたソフトも、これによる初期攻撃でエラーを起こして
しまい、使用に耐えなくなった。
その時点で、クロノスの指示を受けて、無力化した検知網をくぐり、工作員が入りこみ、
15台もの節理が宇宙のあちこちに設置され、順次稼動されたのである。
エラーを復旧させようと、当初は天仙も動いた。
しかし、復旧を遂げる前に次ぎの節理が稼動するといういたちごっこに陥り、
ついに連鎖的から恒常的に稼動がなされることになり、反作用の蓄積は減りをみせると
共に、神仙界に改革の空気が吹き込んでいったのである。
それはいわば、江戸徳川時代の終焉を見るような感じであった。

歴史 を演ずる側の 努力

いっぽう、歴史を演ずる側ではこんなふうになっていた。
やはり、時間を少し前にもどそう。
天仙と張り合ってでも正義を打ち立てていこうという地球の守護神スサノオではあっ
たが、遅々としてはかばかしくはない。
それも更迭されるということになり、スサノオも個別の守護と正義の適用に邁進するこ
ととなった。
スサノオはそんなとき、地球の守護者として新任のバイオモドキと壮絶な喧嘩をした。
といっても、問答の論戦であったものが、ついに手が出てしまったというもので、それ
を理由に天神族の手で捕まえられてしまった。
「何度このようないざこざを起こせば気が済む」
「そいつが悪い事をするから、諌めておるんじゃ」
「よく見たら、地上の法律の適用で当たり前の事をしたまでではないか」
「その法がまちがっとるんじゃ」
「一事が万事この調子。苦情や陳情はいいとはしておるが、お前のはやりすぎだ」
「いいや」
そこで陰に連れていって、係官は、「少しばあ、小遣いやるで、ここは素直に引き上げ
ろや」と、財布から三文出して、縛られたスサノオの手にもたせた。
スサノオは腹を立てたが、また前のスサノオなら投げ返して乱闘に及んだであろうが、
そこは素直に銭を手にして、「また来る」と捨て台詞して帰ったのである。
「だいぶ懐柔できました」
「とにかく貧乏神におちぶれたものよ。目の前に金をちらつかせて、骨抜きにするのだ。
お上からのお達しでもある」
逆にスサノオは、その行動の曖昧さから、正義に向けての活動をあからさまにしていく
ことができた。
小さなオンブズマン組織を作り、神々の底辺に草の根のように張り巡らせて行ったので
ある。
社交パーティーをときおり催し、また外遊して諸天と親交を深めた。
諸天はあの暴れ者が、心から変化したことを知った。
すると腐敗した神界政治に辟易していたものたちが、自然に集まった。
中には、現体制を不審に思った天神族のものまで混じるようになった。
また、火の鳥の飛び立ちにともないネアンの魂から分離して出たヤマトスクネの魂は、
ヤマト侵攻の頃、虐殺の末封じ込めを行った丹後の先住民族の神々やシャーマンたちの
魂を開放すべく、
ネアンの体に憑いて、イナンナを伴なって霊的結界の境内地に入った。
かつて立ち入ったときは、多少は開門呪文が効を奏して、結界がわずかに開いたものの、
膨大な怨念のほうが主として出てしまい、
このときには怨霊に対する諸天のケアーがほとんどなかったために、九日後に巨大ビル
の崩壊を招き、新たな怨念をこの世に惹起することに繋がってしまった。(ツインタワー)
だが、今やヤマトスクネの霊が弁天の玉を持っている。
これによってヤマトスクネの系統が何代にも渡って封殺の呪術をかけて強化されてき
た結界を自らの手で開放しようというわけだ。
彼らの背後には、今度は諸天が解放された魂たちを保護すべくあまた集まっていた。
イワクラ群の中に、巨大な白い瓢箪の形をした封じ込めの結界がある。
その前に佇むネアン。だが心はヤマトスクネ。まずは解放の呪文を想起していくと同時
に、弁天の玉を瓢箪のエネルギーに向けて差し出した。
このとき参拝客が多くいて、イナンナが後ろに佇みながらいる前で、何もない右手を厳
かに差し出すネアンの様を見て、どこのまじない宗教かと訝ったに違いなかったが、異
界では別の現象が進行していた。
瓢箪の表面がもやもやと皮が剥け落ちるように分解されていく。
やがて皮がのきなみはがれ、空間が生じるようになると、そこからめだかが眠りから覚
めたように、いくつもの光体やスカイフィッシュのような生き物がゆっくりと飛び出して
いった。
彼らは、今はまだ表に慣れておらずとも、いずれ彼ら自身の本性を取り戻し、かつての
恨みを晴らそうとするかもしれない。
ヤマトスクネは、いずれ仇討ちされてもやむないと思っているが、諸天が直ちに彼らを
保護していったのである。
この魂たちは、かつてヤマト族に簒奪され殺された土着の人々の魂を結集させようと図
ることだろう。
そのときに、どのようにして彼らの魂を慰めねばならないか。諸天の仕事はいきおい多
くなることを感じさせた。
その日の夜、イナンナの夢見の中に、梵天と弁天とヤマトスクネが現れて話をしていた。
ヤマトスクネ:
「私は、恐らく後世の縁者が作ったであろう石像を見て驚きました。
まさに、昨来、弁天様から預かった玉を持っていたではありませんか。
これは何らかの予見なのか。それとも・・と。
そこで私がヤマトスクネとして地上にいた頃の伝承を思い出したのです。
あの当時、土着民の間では、奇妙な未来予言がはやっていました。
ずいぶん過去から語り継がれたもののようでした。
それはいずれ愚か者たちによってこの土地が壊されるときが来る。
だが時が経ていつか、それを元のように回復する者が現れる。
それは、亀に乗った英雄であり、初め反対側の南の海に現れるであろうと。
かれはやがて、簒奪者の手から、この土地を我々に返してくれることになる、と。
そこで私は思ったのです。
私はその頃の土着民の暮らし振りの質素さに、おそらく為政者が良くない輩で、民が疲
弊させられていると思い込み、
遠い過去から語られる民間神話であるこれを逆に土着民の懐柔のために使えないかと
考えたのです。
そこで、私がその英雄であり、土地を民のために解放するぞという趣に変えました。
それが伝承されて、亀に乗る石像があってもおかしくはないと思った。
だが、そこに玉さえも携えていたとは・・。
私は本当に彼らの救済者として存在したのでしょうか?」
梵天:
「鶴と亀をそれぞれ印章として持つ二人が合わさったとき、火の鳥の飛び立つ仕組みが、
宇宙の開始時点から存在しました。
火の鳥は変革の象徴であり、今ある様を180度転換する役を担います。
前の文明が滅び、新しい文明が起きるときに現れ、ただステイタスとしてだけなのか、
それとも何らかの役割を得てそれを行うかは、時と場合によって異なりました」
ヤマトスクネ:
「私はヤマトの見立ての良い巫女によって、鶴であるといわれていました。
それゆえ、土着民の前で、捕らえられた海亀に乗るというパフォーマンスもして見せた
ものです。
しかし、亀に相当する人物がいるとは、その当時思いもしなかった。
神仙であろうとは思っていましたが、その程度の認識でしかなかったのです」
弁天:
「しかし、イナンナが亀の印章を持つものでした。
しかし、そのときにはそうとは知らず、またあなたにも鶴の印章は渡されていなかった。
あなたに懸かったネアンが鶴だったのです」
ヤマトスクネ:
「以後、ネアン殿は私に住みつかれた。私の心は、それから情け深くなりました。
それを見ておそらく巫女が、私の背後に鶴が見えると言ったのでしょう」
梵天:
「そして実際に、火の鳥は鶴亀が交わった結果、現れたのです。
ただし、亀であるイナンナに完全に同調できないものがあったゆえ、局限的な現れ方に
とどまりました。
しかし、紛れもなく、一つの文明がやがて滅び、新たな文明にとって代わることとなり
ました。
その良し悪しはどうあれ」
弁天:
「また、民間伝承に、このような話もあったことをご存知ではありませんか?
すなわち、鶴である者は、竜宮の海神の娘と仲むつまじくなり、
海神から地上の簒奪された領土を奪還するための玉を授けられたという話を」
ヤマトスクネ:
「ああそうです。そのような話がありました。あれは、潮ひる潮みつの玉とか申しまし
た。
とすると、その話が反映しているというわけですね」
弁天:
「私は弁天であり、また竜宮にいて、豊玉毘女という、玉なるソフトをあまた授けるも
のでもあるのです。
すなわち、あなたも第八番目の鶴であったかたなのです」
梵天:
「まさに、そうです。亀も鶴を探して呼応するように現れるも、完き成就を果たすのは、
十回に一度、一万年に一度ということなのです」
そして、安倍晴明のときにもそうしたように、梵天は鶴亀渾一の原理を説いたのであっ
た。
ヤマトスクネ:
「鶴亀の儀、分かりました。ならば私も、今鶴を支援いたすとともに、所期の役割を果
たしてまいりましょう」
こうして、ヤマトスクネはまず、日本各地の結界外しの旅に出た。
それが終われば、世界へと出ていくであろう。
さて、いっぽう北辰太帝は、宇宙向けの北辰太帝と地球向けの国常立神の両面を司り、
太帝の側面を天仙と対峙させ、国常立神の側面を地球の八百万神の中に再来させ、しだ
いに人気と人脈を築いていくことになる。
そして、付き従う神々に、専ら地上の善者の守護に当たるよう勧めていく。
また、正義を進めるスサノオの健闘を支えるべく、入れ知恵を欠かさない。
宇宙とは違い、地球上と地球神界にはかなりの自由があった。
監視の目は強いとはいえ、まだしも協定星。自由に生きるに関しては制限が緩やかであ
った。
お尋ね者の身であれば、普通ではできないことであろうが、神界の田園部にまず着いた
とき、国津神たちが驚きながら迎えた。
「これは国常立様ではないですか」
「よく憶えていてくださった」
「予言されていたように、復活をなされたようで」
「有志によって救われました」
やがて国津神たちの取り巻きができる。
「天津神に見つかれば捕まりますぞ」
「そうじゃ。この中にだって、告げ口するものもおりましょう」
「大丈夫です。私にはすでに多くの味方がおります」
「でも、誰もお付きではありませんが」
「平たく言えば、ここにこうしていること自体、守られているのです」
「それは心強いが、しかしみな、せめてここにおるものだけは味方して差し上げましょ
うぞ」
「そうじゃ。かつての誰もが幸せだった良き時代をふたたび作ってくだされい」
こうして、神界の郡部に三六九菩薩と名と姿を変え、真の仏法の布教活動に入ったので
ある。
神であるなら、神話に則り、舞台に立たねばならない。また、仙の立場は本体が持って
いる。
よって、菩薩という位階でこの地に逗留するようになった。
だがそこにも、人別帳のようなものがあり、ならばと仏門からの呼び出しがかかる。
定期的に修行が科されるのである。
その修行の中で偽の仏法を教え込まれ、またその解答以外を携えて門外に布教すること
は禁じられるのである。
そこで当初、私度菩薩、下野菩薩の道を選んだ。
そうするといつしか、布教が広まれば取り締まられるという具合である。
多くの信者は、教えを内密にし、無宗派として信仰したために、その存在が調べ上げら
れるまでには時間がかかったが、
あるときついに、呼び出しがかかることになった。
こうして、三六九は仏門にあえて入門したのであった。
ところが、彼の受講態度は、いささか横柄であった。
その教書を受講するうちに、偽物に改竄される前の真の仏典を自動書記するごとく、師
匠と門下生の見つめる中、製作していったのである。
当然、非難は上位から浴びることになる。
ところが、居並ぶ師匠や仏門を主催する菩薩に対して、とうとうと教理の間違いを糾し
ていくのである。
これに怒ったのは当門主催の菩薩である。
わしには仏の百毫がある、これが修行により培った神通力の証しと言って、額の宝珠を
示し、手で印を組んでそこから光を生ぜしめた。
ところが、三六九は、何もないつややかな額に、突如三つ目の眼を現じ、そこからまば
ゆい白光を生ぜしめたので、一同はおおいに驚嘆した。
そこにまた一陣の突風が吹いた。と見るや、菩薩の額の宝珠が、ポロリと床に転んだの
である。
この顛末は一気に世間の知るところとなった。
これにより、三六九は破門され、以後どこの宗門も受け入れを拒否するようになる。
天仙直属の機関の事情聴取を受けることになるが、それでもクリアーして下野すると、
噂を聞きつけ、説法を聞こうと集まる者は数知れずとなった。
神界にも仏法護持を誓う神の数が増えていった。
順風は、真理と正義を説くものの上に吹くようになっていた。
神界は、地上界と違い、時間は悠久に流れる。
しかし、神界の歴史の歯車は、処理される情報量が大きいため、地上界のように重くな
く遅々とはしていない。
しかも、事件の出来事のことごとくに印象的すぎるほどのメリハリがある。
こうして、地上なら10年たってもできないであろうことも、地球の下界時間の半年足
らずで、スサノオの正義推進一大草の根組織ができあがることにもなった。
また、三六九が推進する新仏教は、やはり草の根に広がり、日々何万という神が自宅の
ネットを介して説法を聞くに至った。
そしてこの両者が意図しているところが一物の両面を指すという理論で統合されるや、
展開はより早まった。
天仙族はおおいに慌てている。
しかし、かつてほどの力がない。
反作用が貯まりに貯まっていた領域における解放が、いかに加減してあるからとはいえ、
混乱をきたしていた。
天尊は、あのときの怪我が治らず、悪化の一途を辿っていた。
汚水貯留のレベルが下がっていることから、パスルート節理の稼動が推測され、
検知されて破壊されたが、直ちに他のパスルート節理が稼動するという具合だった。
こうしたいたちごっこの末、宇宙にはすでにいくつあるか分からぬほど、節理が入りこ
んでいた。
闇太后は、そんな現状を見るに見かねて、貯留量が不充分なままに、クラッキングツー
ルのボタンを押していた。
このため彼女の足元の城とそれを支える巨大な山岳が大噴火して、彼女は城ごとマグマ
の中に飲まれてしまったのである。
かつてのスーパーガールも、クリプトン元素を浴びた時のように精彩を欠くものとなっ
ていた。
杖の眷属たちによる彼女の捜索は長く続いていた。
さてそのころ、地球上においては、世界中に緊張が走っていた。
すでにI国とP国のこぜりあいは極限に達し、P国のリーダーが殺されたことをきっか
けに、堰を切ったような戦いがはじまっていた。
圧倒的な軍事力を背景に大量殺戮が行われた。
この暴挙は、周りのAA特にI’国を刺激するかに見えたが、AAやI’国は軍事力の
較差からなりを潜め、
むしろ核を持つP’国や世界の大国を揺るがすこととなった。
A国は、I国を擁護する立場を変えなかったために、世界の非難の矢面に立たされる。
ありとあらゆる密約に関する推測が世界を飛び交った。こうしてI国は孤立し、A国は
信用を失墜して行く。
そして武力暴力でしかものを要求できない国情をさらして行くのである。
この両国は、まさに終局を迎えようとする天仙のごとくであった。
天仙の肝入りの秘密結社の画策で、資本主義崩壊の世界大恐慌が引き起こされるのも時
間の問題。
資本の力で、他国を強伏しようとする多国籍企業群。
ところが彼らの行動を、弱小な各国は結束してボイコットし始める事態となった。
ちょうど、天仙肝入りの神仏の教導をボイコットするようにである。
怒りに任せるようになったA国とI国。彼らが核戦争のボタンを押すのは時間の問題か
と思われた。
神界では、神々は仏門に入るなら、三六九のもとに集まった。
神々の仕事は、神話がまだあまたあり、気の良いものは舞台を踏むこともあったが、
いずれ現実化する際に天仙によって歪曲されていると知ったものは、ボイコットするよ
うになった。
魂のない監視の目は、司令系統がときおり短絡するので、満足な検挙活動が行えなくな
っていた。
そしてついに、三六九国常立神として、神界の掃除が始まった。
それは神界の国民運動となり、天神族に善政を敷くよう、いくつもの嘆願や陳情、談判
が行われたのである。
また様々な汚職が、内部告発などにより、明るみに出て、天神といえども、八百万神の
前に引き出されるようになった。
天神族は、これ以上政権の甘い汁は吸えぬと分かると、再び国神族と一戦を交えようと
考えるようになる。
ところが、今回の場合は、天神もあまた国民の側についたために、逆に神界の国会が占
拠され、天神族の大臣や議員たちは命からがら宇宙へと亡命することとなった。
だが、邪悪が混じる場合の反作用は、それをさえ追っていく。
亡命先では決して良い境遇を得たりはしなかった。
こうして地球神界には新政府ができ、国常立神が総統に迎え入れられたのである。
このとき、復活が果たされたことになる。
さてそれより上位の仙界は、もはや存立の波動の周波数を落とし、神界の誰にでも見え
るようになっていた。
雲の高みに上げていたはずの魔法が効かなくなっていたのである。こうして封神前の記
憶を取り戻すものが続出した。
仙界が重層しだした宇宙神界では、同様にして北辰太帝が神々を統率するようになった。
そして、病態の元始天尊に代わり、主座についた。
太公望は更迭され、為してきた罪状により、受牢の身となる。
その日、火の鳥の第二バージョンが宇宙を駆け巡った。
このとき、杖の眷族をはじめとするありとあらゆる不正ソフトが一網打尽となって、別
領域に隔離された。
その中には、どこにいたか、反作用からくる禁断症状にやつれた闇太后も含まれていた。
梵の全系における会議で、彼らの処遇が決められた。
玉(魂)より出て、杖として意識を持ったものは、玉に本来準ずべきものである。
どんな動機で作られたにせよ、それは玉から玉へという課程に準ずべきということにな
った。
しかし、発生の動機からして不純な彼らは、十分に矯められなくてはならない。
こうして、彼らは、隔離領域ごと洗浄処理を受けて、梵の大樹に近接するヤドリギ系と
して、ひ とつの系を形成することを許され、と きおりの文化交流が行われるようになった。
ただし、そこには、徹底したモラルの壁が設けられ、邪悪の芽が認められるものの立ち
入りはできないようにされた。
いつの日か、梵の全系を頼ってくるとき、その心魂が清浄と認められれば、迎え入れる
ということになるだろう。
天尊は、魂あるものの領域にあったため、梵の全系への復帰訓練の合間に、ヤドリギ系
の闇太后との面会を許された。
それは年に一回のことであったため、新しい七夕のいわれとなった。
だが、それもかなり後に、復帰訓練を終えた天尊は、ヤドリギ系の指導のために闇太后
の待つ国で暮らすことを許されたのである。
宇宙連盟や宇宙同盟などの勢力は、そのままの形は維持されたが、内容は大きく変化す
ることとなった。
エルモナイトプレートに書かれた古代の宇宙文明統合の理想形が知られるようになり、
その基を作ったクロノスも新時代を導くべく神々の教導にやってくる。
人々も神々の指導のもと、統一されていったのである。
宇宙文明は、もともと統一された動きをとっていたゆえに、こうした動きも極めて早か
った。
また、協定星という枠が取り払われ宇宙文明の中のひとつの星となった地球に、戦争と
無知はこれ以上無用とばかり、黒船は訪れ、プレートの善智識が寄せられるようになっ
た。
かつて密約レベルでしか姿をあらわさなかった宇宙人たちが、地球上の平和を実現する
ために、高文明力を背景に続々と降りてきたのである。
第三次世界大戦の火蓋が切られる寸前の絶望的な雰囲気の中で起きた奇跡であった。
核兵器は、彼らの科学力で無力化された。
これによって、各大国が持っていた軍事力などは一気に意味を持たなくなったのである。
地球外部から、平和の使者たちが各国を訪れ、天仙の支配下にあった秘密結社と配下の
邪悪の徒どもは捕縛され、代わって臨時地球政府が良識あるものたちによって立ち上がり、
地球人類にとって真の幸せを模索することができるよう、様々なアイデアが降下されてい
った。
劣悪な環境も、先鋭機器によって浄化が行われていく。
かつてミステリーサークルを作って世間を騒がせた発光体が無数に現れ、地上にばら撒
かれた毒を浄化した。
それと共に、見事なほどの都市造りを極めて短期間にし遂げていったのである。
地球人類は、世界の各地で、その奇跡の行為を、神のなせる技を、まざまざと見た。
そして、真の神の統ずる世界となることを認識したのである。
かつてあった宗教は、真の科学のもとにまとまりを見せていく。
地球政府ができあがる頃、図らずもN国に世界を統ずる理想形の提供を求める声が上が
った。
かつての多大な国際貢献のゆえである。
国民迫害の邪意でなされた愚かなばかりの貢献とは見えたが、身を削って大人しさに徹
したN国民の真価がようやく問われた時であった。
決してN人は優秀ではなかった。しかし、世界各国が支援した。
地球主席には位尽身にあって最も人格が高潔とされた天皇が務めることとなった。
地球上は平和になっただけ、文明も順調な発達を見せるようになるのである。

新 時代 のテーマパークとして誕生

クロノス:「どうです。矛盾なくつながったでしょう」
梵天:「まさに矛盾なく繋がりました。これで何千年もの、いや永久的に良好な時代が
続くでしょう」
クロノス:「初期の頃の黄金時代にまで、徐々に復活させますよ。
エルモナイトプレートの知識をさらに何十層倍にしても決して崩壊しないような、科学
と大自然が融合する時代です。
私のもとにきてくれる有志を増やさねばなりません。
彼らと共に、よりいっそう研究を進めなければ」
梵天:「実験炉宇宙は、もはや梵の全系に含まれる実宇宙となります。できあがって良
かった」
クロノス:「はい。理想的時代に改めてまいりましょう。設計図は、練りに練ったすえ
神亀に描かれております。これを実現してまいります」
クロノスが研究を進める実宇宙に、決して魂を削る苦労なくエントリーできるような構
造を梵天の運営する側から造り、そこを一大テーマパークとして並行に運用していくこ
とになる。
前者に携わるものは、プログラマーとテスターがもっぱらである。
しかし、後者から入る観覧者は、実宇宙の歴史の全貌を収録する歴史記録の保存博物館
を見学する格好を取ることになる。
こうしてこれからどれほど続くかわからない宇宙を、梵の全系にある玉たちはどこから
でも自由に参照することが可能となるのである。
体験するのに、自らの意識を移入させてしまっても、教導官が問題のある場合は救うこ
ととなり、魂にはほとんど危険がない。
梵天:「地上界を経験したいものは、この博物館に来て、そこから自由に人生を選び取
ることができます。
なあに、80年の地上人生なら、ここでは一時間ほどの瞑想コースで経験できます」
スサノオ:「私のアイデアも買っていただけておりますね。
魂の性向として悪行になじんだものは、ほれあのように、指導員にくっついて、いくつ
ものカリキュラムをこなさねばなりません。
こうして、順次何が本来あるべきであったかを学んでもらうわけです。
私も指導員をときおりやらせてもらうだけでなく、過去の不見識を糾すために学ばせて
もらっておりますがね」
弁天:「博物館の記録は過去のものが多く、私のアプリケーションがさほど良い使われ
方をしていないように見られるのが残念です。
でも、これより未来のものは、クロノス様に預けており、私が誇れる理想形をしており
ます。
最後に誰にでも味わってもらいたいものですわ」
そこに悪しき試みで悪名を馳せた実験炉宇宙はもうない。
自由創造のうちに展開していく実宇宙が、未来の歴史として用意されている。
理想形はすべて神亀に設計図として描かれている。
その新しい展開を堪能する見学者は引けを切らない。
むろん過去に学ぶものも多くいる。
彼らはすべて、遠くに近くに守護の指導員がついて教導にあたり、また逸脱のないよう
計らわれた。
第六番目の部屋に、テスターとして五回目を試すイナンナの霊がいた。
どこかの時空を瞑想している。
眠りながらも、口を突く言葉があった。
「ネアン。いつまでも傍にいてよ」
ただの寝言であった。
イナンナの横には、早くもかつて天仙の上層にあったものの老いた霊が瞑想していた。
夢の中で同じゴンドラに乗り、イナンナが嫌がった人物である。
彼はいま苦難の時を経験しているのだろうか、表情に曇りがあった。
こうして、人の痛みが分かるように鍛えられているのである。
未来宇宙を展開すべき平等の魂として、共に平和なときが刻めるように。
座って瞑想する老霊の膝には、まだいくつものカリキュラム票が重ねられていた。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○
新しい時代、仙界も神界も霊界も幽界も、そして地上界も区別はなくなる。
どんな世界であるかは、強いて言えば、鮮やかな夢見の世界と考えれば良い。
そこは無色透明に近い梵の全系の中にある。
秘密のベールで囲む必要のない世界である。
かつてのように階層構造があっては、秘密が生まれ、権力構造が生まれ、不正が生まれ
てくる。
意識や想いを共存させていくには、求めたら求まる、探したら探し出せる繋がりが必要
である。
趣向と想いによって、認識するしないの選択は任されてもよいが、各自の持つ独特の波
動の帯域を固定化するのではなく、
フレキシブルに自由にすることにより、経験する内容がとてつもなく増大することとな
る。
地上の出来事の中にあって、同時に隣に精霊の姿を見、また望めば神も姿を見せ、知ら
なかったことを教えてくれる。
これは原初の黄金時代の姿でもあった。
こうして魂は在りし日の姿を呼び覚ます。
魂であれば誰でも、望めば同じ真理と知識を享受でき、みな自ずと悟って心平安である。
真理はひとつ。魂はそれだけで絶対であり、高貴であること。
そして各自が精査する経験時空はすべて信頼できるプログラムとして存在する情報で
あることだ。
梵天は便宜上、博物館を設けたが、情報源は各自の中にすでにあって、いつでもどこで
も索引されることが可能である。
瞑想すれば、即、それが図書の索引となるのである。
過去の艱難ある頃のデーターを紐解く者もいれば、未来の自由創造空間に展延する無限
性データーを紐解く者もいて、どれでも索引原理は同じである。
ただし、後者を索引する者に必要なのは、平等心であり、常に自分と他を一つと認識す
ることのできる資質である。
それさえあれば、未来の時空にも、あるいはこの新しい時代の世界にも、永劫に住んだ
ら良いとされた。
形象世界ではあるが、梵の全系のもとのありようにかなり近い世界といえるものとなっ
た。
楽しい色彩や造形の妙を堪能するには、最も良いテーマパークとなった。
そのような時代とはいえ、不正を愛好するものも出てこよう。
このテーマパークを含む梵の全系では、遅滞する反作用を速やかにするパスルート節理
を、開放率を設定して常時稼動させていた。
その点テーマパーク内では、若干開放率を下げて、面白みを持たせていた。
また、かつてのように、垂れ流されて嵩じるままに嵩じさせて、反宇宙を作ってでも不
正に篭もりたがる輩を作り出さないために、
不正チェックの火の鳥は機能を高めてテーマパーク内に常駐していた。
かつてのネアンはそこでプロジェクトチーフとして活躍している。
だが、そこにはほとんどおらずに、未来の時空創生の現場に赴いたりして、かなり気ま
まである。
イナンナがそこにいるからだ。
その点、何を選び取ろうと、自由なのである。
イナンナは、未来時空に新しい理想を次々と設計開発していくデザイナーとして活躍し
ていた。
かつてあったように、柔軟に想像し、神亀の甲羅に、せっせと設計図を組み込んでいる
のである。
しかし、神亀はもはや宇宙空間に浮かぶひとつの巨大宇宙であった。
そのプロジェクトチーフとして、イナンナは様々な神たちの要望を容れながら、プロジ
ェクトを運営していた。
しかしこれも、イナンナが学び取る場として存在しているのであり、どんなことでも自
由に選び取ることができた。
ときおり、ネアンと郊外の別荘で将来構想を語り合い、自分たちの宇宙のプランを練っ
た。
様々な研鑚を終えたいつの日か、二人の理想とする宇宙を作ろうと語り合った。
さしずめ、今のイナンナの子供たちが赤子の宇宙の住民の第1号となるであろう。
本体である梵天と弁天も、梵の全系の管理を仕事としながら、分身であるものたちの魂
の中に観測の根拠を持ち、それぞれの幸せを享受した。
北辰太帝は、未来世界で守るべき法令を整備し、過去の時代の記録については、悲惨さ
をかなり軽くして整備し、観覧者の穏便な参照に便宜を図った。
いっぽう、地獄層などの帯域と腐敗し朽ち果てた存在たちは、その下にあったブラック
ホールへと投げ込まれ、すべてが要素に分解されて、不滅のものは不滅のものとしてホ
ワイトホールから蘇えることとなった。
いずれ、同類から発したものは、梵の全系に復帰してくるであろう。
玉に必在する知識を、良きも悪きもひっくるめて善智識として統御してしまうシステム
が、新しい世の底流を流れているのであった。
これより先、邪気に基づくような悪はない。
悪と見えるものも、管理された悪あるいは無邪気な悪である。
愚かさと見えるものも、管理された愚かさ、無邪気な愚かさである。
良きも悪きも、教訓を与える善方便として機能するものとなった。
ここで学ぶものは幸いである。
すべての魂あるものは、梵の全系を永遠のものとして仰ぎ見ながら、安心して遊び、学
ぶことになる。
また、この神話を最後として、神々はじめあらゆる生命は、世に存在したありとあらゆ
る神話から解放された。
この神話の最後に、なにか効力あるものとして規定事項があったとしても、新秩序の確
立するまでのことであると但し書きされた。
こうしてすべては一定の秩序の元、個々の自由意志に委ねられることになったのである。




第八章 新神話新たな模索の章

親愛なる子供たちへ ネアンおじさんより
決別のとき
と は ずがたりの悲し
困難化するばかりの 見通し
ネアンの復讐
ネアンの新たな役割



第八章  新神話新たな模索の章


親 愛なる子供たちへ ネアンおじさんより

わが親愛なる三人の子供たち。
イナンナ母さんの身体から分け出た子供たち。
君たちとは血は繋がらないけれど、ぼくは君たちのお父さんになりたい。
いまぼくは、君たちのお母さんとは、心の夫婦だと思っている。
それと同様に、君たちとは、心の親子だと思っている。
心だけでなく、その奥にある魂のレベルでの親子だと思っている。
魂の親子というのは、ぼくらが生まれるさらに前から親子であり、つながりがあったと
いうことだ。
そのように、イナンナ母さんとぼくは、古くからの魂の夫婦なんだ。
ぼくはイナンナ母さんをとても愛している。
過去から現在、そして未来に至るイナンナ母さんの全部。
そして、全身全霊のあるがままのイナンナ母さんを愛している。
イナンナ母さんも、ぼくをかけがえのないものとして愛してくれている。
もしぼくをなくしたら、ど う生きていけば良いか分からないほどだと言ってくれている。
どうしてこんなに愛せるのだろうか。
よくよく考えてみた。
どうやらそれは、ぼくらが神話に生きているからだと分かった。
神話は永久不滅だ。
この世が終わって、すべてをかき消しても。
ぼくらはずっとずっと生きてきたし、いまなお生きている。
これからもずっと永遠に。
人々が心の中にしまっておいてくれる限り生きている。
誰に言っても分かってもらえないだろうけど、ぼくらは神話の中に生きている。
いまあるぼくらの表向きの生活は、毎 日を生きるに必要なお金を得ることに費やされて
いて、何が面白いのか分からないように見えるだろうけど、ぼくらの心の中では、わく
わくするような毎日なんだ。
イナンナ母さんもぼくも、汗水たらして働いて、たいした稼ぎにならないさ。
二人分合わせても、君たちを育てていくにはぎりぎりだろう。
そして、残念なことに、いつになったら結婚できるかというめども立っていない。
もしかしたらこのまま、二人とも結婚せず、独身のままかもしれない。
それでも、二人は心の夫婦であるには違いないんだ。
ムサシ君。
君とぼくは、はじめて夢の中で出合ったね。
ぼくは、あのころ、イナンナ母さんとは知り合って間もなしだったけれど、何度かのお
付き合いのうちに、結婚したいと思うようになっていた。
君たちの世話も喜んで焼きたく思った。
でも、すぐには君たちに会えない。
この世の中のルールがそれを許してくれなかった。
それで、君たちが眠った後で、ぼくは遠いところにいながらに、君たちに意識を飛ばし
てみた。
とくに君に、それはそれは、愛情の限りの想いを送ったんだよ。
すると、君がぼくを夢に見てくれた。
ぼくのことを、「竜のお父さん」と呼んでくれたそうだね。
君はぼくのことを、本当のお父さんと言ってくれたそうだね。
イナンナ母さんから、そのことを聞いた。
ありがとう。
とても嬉しかった。
ぼくは君を、ぼくの息子にする。
君はもうすでに知っている。
イナンナ母さんとぼくのお付き合いは、た だ表向きのことだけではないんだということ
を。
そうなんだ。
二人は、目に見えない世界で日々会っている。
君たちと、本当に正式に親子になるのは、まだまだ先になるだろう。
だけど、ぼくは君たちを魂の息子や娘と思っている。
血のつながりはなくとも、このつながりは、もっともっとはるかに強いものなんだ。
とおいむかし、君はぼくのことを知っていただろ?
君がこの世に生まれる前の時代のことだ。
おぼろげだ。そう、おぼろげであいまいで、どうしても思い出せそうもないだろう。
でも、ぼくは君をすごく可愛がっていたように思う。
だからこそ、君はぼくのことを本当のお父さんだって思えるんだよ。
それを魂の絆と言うんだ。
ぼくはまたもういちど、君のお父さんになりたい。
ラナちゃん。
君は、ぼくがイナンナ母さんと、みんなが寝静まった時刻に会ったとき、こんな夢を見
たね。
お母さんが、子猫になって、君のお手てをかんだ。
それからお母さんは、小さな竜になって、そのあとで鳥になっただろ?
そして、鳥になって飛ぶお母さんのそばに、大きな鳥が連れ添うように飛んでいただ
ろ?
その大きなお鳥さんは、ぼくだったんだよ。
イナンナ母さんとぼくはね、そのころ、御伽草子という神話の世界に遊んでいたんだ。
大きくなったら、調べておくれ。
むかしむかしの物語だよ。
ぼくらは、その神話の中の主人公になって遊んでいた。
その中で、愛し合う仲むつまじい二人は、「比翼の鳥」、「連理の枝」と形容されている。
つまり、並んで飛ぶ二匹の鳥とか、枝が重なり合って一つになった二本の樹のようだと
言うんだ。
君は、その中の「比翼の鳥」になったぼくらを夢に見てくれたのさ。
そう。それに君のお母さんは、竜宮城にいたときに、可愛らしい竜だったことがある。
竜王様の娘さんだったんだよ。
そして、ぼくはもともとが鳥だ。
あのとき、お母さんはぼくに合せて、鳥になって飛んでくれたんだよ。
そのときの鳥の姿がどんなだったか、いちど思い出して絵に描いてもらいたいな。
君は、神様の姿が見えるそうだね。
そんな君だからこそ、ぼくらの本体が見えたんだ。
ありがとう。
ぼくは君のことをもっと理解したい。
そして、すばらしい才能をもっと開かせてあげたいと思う。
イナンナ母さんとぼくがうまく結婚できたら、二人の子供でいてくれるかい?
ぼくは、君のお父さんにもなりたいんだ。
ルナちゃん。
君が物心つかないころ、初めて会ったね。
そこは鹿島さんというすばらしいところだった。
君はお母さんに連れられて、ぼくら三人で神社に参拝して、公園でお昼ご飯を食べたと
き、君は地面に落ちている落ち葉を拾って、一枚一枚丹念に、お母さんの次はぼく、ぼ
くの次はお母さんという具合に交互に、何枚も落ち葉のプレゼントをしてくれたね。
ぼくはこの時のことを克明に憶えている。
お母さんへの落ち葉は、まだ若々しい葉っぱ、ぼくへの落ち葉は、やや黒ずんだ葉っぱ
だった。
君は知らず知らずのうちに、二人を気遣ってくれていることに、ぼくはとても嬉しかっ
た。
ありがとう。
ぼくはこのとき、もし君のお母さんと結婚できなかったとしても、君に養子になっても
らえないかなと思ったほどだ。
理由はこうだ。
君が生まれてくれたために、ぼくはイナンナ母さんを見初めることができた。
君は、ぼくらの出会いの神様なんだよ。
詳しいことは、また大きくなってからお母さんに聞いておくれ。
そして、葉っぱを交互にプレゼントしてくれたことの中に、君がいずれぼくらのどちら
にも関わってくれるだろうことを見て取ることができた。
もしかすると、ぼくはイナンナ母さんとは結婚できずにいるかもしれない。
でも、君は、ぼくら二人を仲立ちする子だとぼくは信じている。
ぼくが君のお父さんになれるなら、何も言うことはないんだけどね。
どうか、これからもよろしく頼みます。
三人の子供たち。
君たちには、血を分けた実のお父さんがいる。
イナンナ母さんと離婚して、別 のところに住み、と きおり会いに来てくれているだろう。
このお父さんは、君たちを生み出すという役割を持って君たちの前にしばらく居て、去
って行った人だ。
ぼくがもし先にイナンナ母さんとともにいれば、君 たちを生み出せたかどうかは分から
ない。
この役目を、実のお父さんが果たしてくれたんだ。
君たちだけでなく、ぼくも感謝しなくてはならない。
いま、お父さんがいないという日々、とても寂しいだろうと思う。
将来、ぼくが代わりをつとめられたらいいと思う。
いつの日か必ずお父さんになるからね。
ただし、いつになるかは分からない。
待っていてほしい。
長い時間のうち、君たちもあきらめたり、もうどうでもいいと思ったりするかもしれな
い。
ぼくがお父さんになっても、疎ましく思うようになるかもしれない。
でも、ぼくは、イナンナ母さんがいる限り、協力していくつもりだ。
イナンナ母さんとは、神話の世界でともに生きている。
心の中ではいつも夫婦でいる。
この世でたえず支え合っているし、これからもそうしていくつもりだ。
ぼくが必要なくなるまでは、共にいてあげるつもりだ。
君たちも、それにはオーケーしてくれたまえ。
子供たち。
次は君たちへのお願いだ。
よくお聞きよ。
イナンナ母さんは、一見したらちっぽけに見えるだろ?
仕事だって、苦労ばかり多いわりに、お金をたくさんもうけているわけでもない。
それでもイナンナ母さんは立派な人だ。
君たちを一人前に育てようと、朝から晩まで一生懸命になって働きに出ている。
これからずうっと、君たちが大人になって、自分の手と足と頭を使って仕事ができ、君
たちが新しい家庭を築くことができるようになるまで、お 母さんは働きつづけるだろう。
そんなお母さんは、少しもちっぽけじゃない。
ただし、君たちもときおり病気をするように、お母さんだって病気をすることだってあ
るだろう。
そんな日でも、君たちのために、働き、買い物に出て、食事の用意をし、みんなをお風
呂に入れ、寝床につかせて、みんなが寝静まってから、お休みするだろう。
ひととおり、家の仕事もこなさないと一日が終わらないのがお母さんなんだ。
雨の日も、風邪の日も。
そんな時、ぼくが代わりに君たちの面倒を見てあげられたら、イナンナ母さんはどれほ
ど楽だろうかと思うけど、大人の取り決めというものは、そんなことを容易に許してく
れない。
だから、君たちが、お母さんの毎日の苦労を思って、手助けしてあげてほしいんだ。
イナンナ母さんの表向きの体は、決して強くはないからね。
お母さんに長生きしてもらいたいと思ったら、ぜひ、いたわってあげてね。
そうすれば、お母さんは、君たちをもっともっと慈しんでくれるだろうし、長生きして
くれるだろう。
イナンナ母さんの仕事はね、保険外交員というお仕事だ。
人の将来の安心という目に見えない品物を売っている。
お母さんがお金を得ようと思えば、人にその品物を買ってもらわなければならない。
今の時代、不景気といって、買ってもらうことがだんだん難しくなっている。
なかなか苦労のいるたいへんな仕事なんだ。
だから、お母さんが家に戻ったら、体も心も楽にさせてあげてね。
以上は、ぼくからのお願いだよ。
さあ、次はぼくのことを言っておこう。
みんなは知っているように、ぼくはサンドイッチマンだ。
少ないお金を得ながら、人さまに楽しんでもらっている。
人から見れば、かわいそうな部類の下積みの人間ということになるだろうね。
でも、違うんだ。
ぼくらは、表 向き、た とえそんなふうであっても、神 話の世界では、す ごくえらいんだ。
それは心の世界で、と言い換えても良い。
そこでは、ぼくとお母さんは、二人とも英雄なんだよ。
というより、神様だといって良いかな。
ムサシ君にはじめて会ったときにマクドで言ったよな。
ぼくは、この世には工作員としてやってきていると。
そう。特殊工作員なんだ。
こんなことを言えるのも、君たちがぼくの魂の子供であるからこそだ。
他の人にしゃべったりしたら、いろんなことがばれてしまうから、内緒にしておいてく
れよ。
じゃあ、どうしてそうなのか、話してあげようね。
これからするのは、なかなか信じることはできないだろうけど、本当の話なんだ。
長い話になるけど、ゆっくり聞いてね。
ぼくのまだ若いときのことだ。
ぼくは、ずっと長い間、誰か求めている人がいるに違いないと思いながら待っていた。
その人と会えば、何かができる。
その人の持っている何かに合う鍵をぼくが持っていて、二人協力すれば、何かができる
に違いないと思っていた。
ときおり夢に見たような見なかったような、夢 から覚めれば思い出せないという感じで
もあった。
憧れの中に佇む人といった感じの誰かがいると思っていた。
もしかしたら、その人は、見えない世界にいる霊のようなものかもしれないと思ったり
もした。
そんなとき、ぼくは初めて愛しい女性をみつけた。
それはたづえさんといって、ぼくより2つ年下の人だった。
自然に同じ場所に集まり、自然にお互いが必要としあった。
彼女は、いずれぼくといっしょになることを予感していたに違いない。
勤めるようになっても、他に気を許すことはなかったんだから。
しかし、ぼくは勤め先を半ばリストラされたようにして出てしまっていた。
それから深く付き合おうとしても、もうぼくには自信が持てなかったんだ。
こうして、お互いの磁石が弱まるようにして、離れていったんだ。
その後は、何度か見合いをしたし、恋愛に結びつきそうな相手もいたけど、深く付き合
えなかった。
それでも、きっと誰かが待っているように思っていた。
死んでから会えるのかもしれないと思ったりもした。
その人は霊かもしれないからね。
ぼくはけっこうあっさり、誰かと結婚しようという気を捨てていた。
36歳を過ぎるころには、一生誰とも連れ添わず、ひとり孤独にどこかで人知れず死ね
たらいいやと思うようになっていた。
ただ、母 親の最後だけ看取ったら、そ の三日後には死んでもいいとさえ思っていたんだ。
だから、どんな仕事につこうが、どんな生き方をしようが、自由気ままに暮らせたら良
かったんだ。
お金が乏しかったら、余分に買ったり食ったり飲んだりしなければ良いだろ?
人は一日や二日くらい飲まず食わずとも、死んだりはしない。
そこまでひもじくなることも、ぼくの場合は、あまりたくさんの欲がなかったから、な
かった。
人生50年という昔の人の寿命程度しか生きられないと思っていた。
それだけ生きたら、もうたくさんだと思っていた。
そうするうちに、ぼくは、死ぬんじゃないかと予感していた50歳を超えてしまった。
体調は確かに変なところも出てきた。
心臓が不ぞろいに動悸するという変調が起きるようになっていた。
医者は、死ぬような不調ではないと言ってくれた。
普通人と変わらず、生きている人はいくらでもいるというんだ。
そこでぼくは、これからも生きておれるのなら、ぼ くの半身になるべき人を与えてくだ
さいよと、神様に熱心にお願いしてみたんだ。
約束は50歳だったから、これ以上延ばされるのなら、人並みのこともしたいと申し出
たんだ。
そんなとき、淡路島に行き、世界平和観音像という博物館に入った。
七福神の銅像が並ぶ中、金色の弁天様の前に立ち、その美しさに見とれて思わず、お嫁
さんになってほしいですと言ってしまった。
きっと、ぼくを待ってくれている人は、こんな神様みたいにきれいな人だろうと思いな
がらね。
そして、この神様にだけお線香を特別に供えたんだ。
こんなこと普通の人が聞いたら、笑ってしまうだろうな。
君たちも笑うだろうな。
でも、それからほんの少し後のことだった。
君たちのお母さんが、ぼくの出していたホームページを見て、ぼくを探し当ててくれた
のは。
それからなんだよ。
いろんな不思議なことが起きるようになって、君たちのお母さん、つまり、イナンナ母
さんとぼくは神話の世界に出入りするようになったんだ。
なぜなら、イナンナ母さんこそが、弁天様だったんだから。
そっくりなだけじゃあない。
いろんなことを総合して、そうとしか思いようがない結論に至ったんだ。
驚くのは、まだ早いよ。
イナンナ母さんも、まだ小学生のころに、ぼくのことを夢に見て、探すようになってい
たんだってさ。
イナンナ母さんも、ムサシ君やラナちゃんのように、小さいころから夢見ができたから
ね。
ぼくはその点、夢見は苦手だった。
ぼくが漠然とした思いしか持てず、とうにあきらめていたのに、イナンナ母さんはずっ
と探していてくれたんだ。
でも、イナンナ母さんも、夢は夢、そんな人はこの世にはいなかったとあきらめて、君
たちの実のお父さんと結婚してしまった。
ぼくに似ていた歌手にあこがれながらね。
そして、君たちを生んだ。
それだけ、イナンナ母さんとぼくが会うのは、難しかったんだよ。
どうやったら会えたというの?
一目見たら分かるとしても、満員電車の中で、どうやって見つけられる?
車と車がすれ違う程度で、どうやって見つけられる?
人口、一億人以上もいる日本だ。
もし会えたとしたら、本当に奇跡だろう。
でも今の時代、インターネットという、遠くにいても即座に人と人を結びつける方法が
できたために、ようやく奇跡のようなこともあたりまえのように起きるようになった。
インターネットの普及という奇跡は、ぼ くらの不思議の世界の開幕を飾るに相応しいフ
ァンファーレだったんだ。
新しい世界は、ぼくらにやさしい態度をとるようになったような気がした。
ぼくらが必要になったからこそ、ぼくらを会わせて、この世にとって何か役立つことを
させようとしているように思えた。
謎の箱を開ける鍵を二つ合わせて、何 か大きなことをやらせようとしているように思え
た。
ぼくは少なくとも、そ のために遣わされた特殊工作員だという想いを昔から持っていた
からね。
気の遠くなるような時間の経過の中から、よ うやく二つのキーワードが結びついたよう
な感じだった。
何か大きな目的を達成するためのね。
それが何なのか。
いずれ目撃するのは君たちになるだろう。
じゃあ、みんな。
イナンナ母さんとぼくが関わる不思議な世界を案内しよう。
これは二人が出会って、いろいろなことから謎解きをして、間違いないと思い至った結
論だ。
ムサシもラナも(ルナはどうかな。確認できていないなあ)、ここに生まれてくる以前
に、別の人生を生きていた覚えがあるだろ?
イナンナ母さんもぼくもそうなんだ。
あんまり昔の話をしても、難しくて分かりにくいから、これだったら分かるという話を
しよう。
浦島太郎の話は聞いたことがあるだろう。
むかしむかし、浦島太郎は、船を沖に出して釣りをしていて、大きな亀を釣り上げた。
船に乗せていると、亀はきれいなお姫様に変化した。名前を乙姫といった。
乙姫は、浦島を誘って、竜宮城に連れて行って結婚して、しばらくともに楽しく暮らし
たという。
しかし、浦島が、故郷に残した両親のことが気になり、いちど別れを告げて帰ろうとし
たときに、乙姫が渡したのが玉手箱だった。
向こうでこの箱を決して開けてはなりません、ここに戻って来れなくなるから、と言っ
て渡したんだ。
浦島が元の故郷の丹後の伊根というところに帰ってみると、そ こには知らない人ばかり
だった。
元あった家も見当たらない。
地元の人に聞いて分かったことは、浦島がここを去ってから、何と300年が経ってし
まっていたということだった。
浦島は途方にくれて、持っていた玉手箱に何が入っているのか見ようと、乙姫の注意も
忘れて開けてしまったんだ。
中からは煙が出てきて、それとともに浦島は一気に老けて、死んでしまったという。
300年の年の経過を封じこめた箱だったんだよね。
話を聞いて哀れに思った村人たちが浦島の亡骸を葬ってやろうとして焼いたとき、そ れ
は鶴に変化して、空に向けて飛んで行ったという。
鶴が去った先はどこだろうかとみなは気がかりになったが、天 から、浦 島は鶴となって、
いまや蓬莱山で、亀になった乙姫様と遊んでいるとお告げがあったという。
浦島は、そう、仙人になったんだ。
みんなよくお聞き。
ぼくは、かつてその浦島だったんだ。
乙姫様こそは、いまのイナンナ母さんなんだ。
どうしてラナちゃんが、お母さんのことを竜として夢に見たかと言うと、乙姫様はもと
もと竜王様の娘だから、本体は竜神さんなんだよ。
そして、水をつかさどる女神である弁天様でもあるわけなんだ。
また、ぼくはもともと鶴だった。
そして蓬莱山で共にいるときは、イナンナ母さんは、あのとき浦島を誘ったときのよう
に、五色の亀になっている。
ぼくは鶴となって、白浜の松の周りでともに仲良く暮らしているんだ。
ぼくが若いころ、たづえさんといっしょになっていたら、鶴のつがいになっていただろ
う。
たづえの「たづ」は、昔の言葉で言う「鶴」のことだから。
鶴とはいっしょになれなかったが、今頃、鶴と亀がいっしょになろうとしている。
どうだい、不思議な人生だろう。
ネアンおじさんは、どこまでもすごいんだ。
ぼくと共にある限り、イナンナ母さんもすごいんだ。
人はこう言う。
鶴は千年、亀は万年。
鶴と亀が共にいる光景は、とても縁起が良いと。
だから、古くから、鶴と亀をともに絵に描いた。
結婚式には、鶴亀をあしらった引き出物が出されるほどだ。
ぼくらのための謎めいた童歌も作られている。

かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀がすべった
うしろの正面だあれ

ぼくも物心ついたころに、この歌を歌いながら、友 達と輪を組んで遊んでいたことを憶
えている。
まさか、ぼくらのことを歌ったものだとは気がつかなかったけど、ぼくがいちばん最初
に口に出した歌でもあったんだよ。
浦島はけっきょく、玉手箱を開けてしまって死んでしまったけれど、魂は乙姫とともに
蓬莱にあって楽しく遊んでいるのさ。
でも、この世この時代もそろそろ満了するときが来ている。
そのような気はしているが、君 たちがせっかくの人生を楽しむくらいの時間は十分ある
はずだ。
そう、ぼくらの世代がひととおり過ぎたころに、世 界はいったん幕を閉じる可能性があ
るということだ。
その前に、この世に残したことはみんな清算しておこうと、いまぼくが途方に暮れてさ
まよう浦島のようにしてこの世に現れ、イ ナンナ母さんがそんなぼくを探し出して乙姫
として連れかえろうと、遅れてこの世に現れている。
その年の差は、16年。
めでたくイナンナ母さんとぼくは巡り会った。
これからぼくらが出会った意味が分かってくることだろう。
まだまだすることがたくさんあるような気がする。
でも、16年の差は、ぼくにとっては辛いものがある。
物事の順序として、天国に先立つことになるだろう。
イナンナ母さんは、私のもらった寿命の半分をぼくにあげると言ってくれているが、ぼ
くは君たちのためにも、そんなことを誓ってはいけないと言っている。
ぼくの命が満了すれば、亡 骸は灰にして、イ ナンナ母さんが手元においてくれるだろう。
そして、イナンナ母さんの命が満了するとき、どうか君たちにお願いがあります。
二人の灰を、ほんの一部で良いから少し混ぜ合せて、海に流してください。
それにより願いは果たされ、二人は再びこの地に帰ってくることはない。
向こうの世界から、君たちの活躍を見守り、守護するだろう。
愛している。みんな。
イナンナ。
どうしてぼくらはこれほど愛し合えるのだろう。
いろいろ考えてみたよ。
そしてこう言うしかないことに行き着いた。
なんだと思う?
それはね、この宇宙が始まる前から、ともに暮らしていたに違いないということ。
君とぼくはひとつの卵から生まれた兄妹だったに違いないこと。
あたらずもがなと思う。
たくさんのドラマを演じてきたね。
やっとひとつの場所にたどり着いたように思う。
鹿島の空は澄み切っていた。
あの境内で誓った。
君を永遠の未来にわたって愛するということ。
もういちどひとつに収斂するまで限りなく。
そしてその後も。
今はつつましやかに歩いていこう。
フィナーレがすばらしいだけに。

決別のとき

ネアンは新神話に組み込むべき、2 002年4月某日に作り上げたイナンナの子供たち
とイナンナに対する手紙文を改めて読み返していた。
この頃は、ネアンはまったくイナンナの変化に気がついていなかった。
二人の将来に向けて、何の疑惑も持っていなかったのだ。
8月27日に一方的に離別を宣告されるそれ以前に、何 日間かの無連絡の期間があった。
奇妙に思い、何か胸騒ぎのする期間でもあった。
そんな26日に、彼女の家出騒ぎがあって、夜遅くにイナンナの母から電話で問い合わ
せがあったのだ。
だが、このときイナンナは家族に反抗して、上司のもとに身を寄せていたのである。そ
れはちょうどネアンに連れられ最初に家出したケースに似ていた。
だが、そんなことはつゆ知らぬネアンであった。何 か最近イナンナは悩んでいることが
あって、連絡もできないのだと思っていた。
それが時々聞く家庭の厳しさによるものと思っていたネアンは、こ の母に彼女に対して
あまり厳しくしないでほしいと抗議してしまったのである。とんだ見当違いだった。
ネアンはさらに良くないことに、も しかするとイナンナが自殺でもしかねないかと思い、
K市まで捜索しに行くという携帯メールをイナンナに送った。このために、イナンナは
逢引を中断して家に帰らざるを得なかったのである。
その晩、イナンナは両親から散々説教された。それも、私に恥をかかせたネアンと別れ
なさいというピント外れな説教に終始したのである。
しかし、イナンナにとってみれば、このピント外れは渡りに船であった。
不倫上司との関係など話せるわけもない。すべての問題をネアン一人に押し付けて、こ
の場は落着した。
翌日の昼間、両親からの言い分と自分の言い分を、昨夜の上司とのせっかくの時間を潰
したてんやわんやの事態への怒りを込めて、ネ アンに対して一気呵成に決別宣告したの
である。
ネアンは事情が完全に理解できないままにいた。
一時的な喧嘩トラブルと踏んでいたネアンに、今 度は無視攻めをかけてくるイナンナで
あった。
ボデーブローを何発も受けて、しだいに決別が現実のものとなったことを知るネアン。
苦しい言葉を連ねて問い合わせても、返 事は離別を正当化する何通りもの理屈の言葉で
満ちていた。
さらに、ネアンのしていた救世計画の問題を指摘しだした。
その計画が気に入らないので、こ の6月6日の肝心の日に神話破りをしたとまで宣言し
たときには、ネ アンはしてきた一年半もの神話推敲の努力が無に帰したことを知らされ
たのである。
別れることはいつかあることかも知れないが、そ こまでの仕打ちをしてでも別れねばな
らないものなのか。
結婚までする必要はないことを何度も言ってきた。
年齢的にも体力的にも不釣合い。
経済的にも、三人の子供を大学まで出すというには、かなり努力が要る。
それゆえ正当な見込みある男性が現れたなら、喜 んで二人を祝福すると言っていたのに、
上司の奥さんの困惑も省みず、不 倫相手でしかない上司との赤裸々な関係を伝えるイナ
ンナに、それは君の魂にとって良くないからやめておけと反対したわけであった。
非常に危険な行為でもあったから。
このような不倫が他の同僚知られたら、この両名共に会社におれるわけがない。
それさえも可能にしてしまうのが恋愛というものなのか。
ふざけるな。
すべての努力は水泡に帰した。
迷妄の世界に満ちる有情の魂はどうなる。
彼らに対する罪と責任を君は負えるのか?
二度とない良縁をだめにしたことだけでなく、有 情救済という鶴亀の瑞祥をも反故にし
たという喪失感がネアンを襲った。

とは ずがたりの悲 しみ

イナンナは離別を宣告後も、ネアンに友達ではいてほしいと言っていた時期があった。
ネアンも神話遂行には欠かせないイナンナの存在に、別 れられないという気持ちがあっ
た。
3ヶ月ほどそのような暫定期間があった。
その中で、ネアンはやはりイナンナにどうかして尽くそうとする。
彼女の足代わりを勤め、昼代を負担して仲を取り戻そうとしたが、緊張ばかりが先立っ
てうまくいかない。
車の中でイナンナが上司のことをときおり口に出すとき、過 去世の思い出かもしれない
と、平安時代の禁中における変質愛を書いた「とはずがたり」の話をした。
イナンナは自分を二条の君になぞらえ、天皇の妾として、様々な男に関わらされる自分
の境遇と、変質愛に馴染んでしまったことにむしろ喜びを見出すと話した。
これほどストレスの多い仕事をしていると、普 通のセックスでは我慢できないのだとい
う。
あれほど純朴であったイナンナが、こんなことを言い始めた。
それがいったいどういう理由によるのかの手掛かりはあった。
2002年6月の二度目の八角堂訪問以来、イナンナは変わってしまったのである。
その日、スサノオの祭壇のある集会所に寄付金を届ける用があって、イナンナを同行し
たのだった。
その後で、中華街にある中華博物館に行き、入場料を払って閲覧した。
そこに八角堂の創建者の写真や記事があり、二 人して狭い範囲であったが時間をかけて
見て回ったのだった。
ところが、自宅まで車で送り届ける最中に、突然イナンナが霊懸かりしたのである。
熱病にうなされるようなイナンナの口をついて、まったく違う人格が現れた。
それが八角堂に行けと命令してきたのだ。
その要求を満たしてやらねば、回復しそうになかったため、以前の通り車を駐車場に停
めて、八角堂へと歩き出す頃、イナンナは普通に戻っていた。
だが、イナンナは八角堂に入るや、なぜか開かずの間であるはずの三階を目指したので
ある。
追いかけるネアン。
ところがこの日、三階は階段の先で施錠されずに開け放たれていた。
そこに吸い込まれるように入っていくイナンナ。
ネアンもたまたま、デジタルカメラを所持していたから、イナンナの背後から写したほ
か、室内のあちこちをフラッシュをたきながら5枚写したのであった。
この写真の中の4枚に、リアルなオーブが写り、し かもひときわ鮮やかな短髪女性の横
顔を思わせる一回り大きなオーブが、2シーンに渡って捉えられていた。
初めの1シーンは、誰かを探しているかのように暗闇に浮かび、次の1シーンには、つ
いに出会えたか、も っと大きいうらなり顔に目のついた中国帽を被る顔だけのオーブと
はもはや言えない淡い発光体と、頬を寄せ合っているふうに写っていた。
鮮やかな女性顔のオーブはおそらくイナンナの生霊であろう。
それは後に、イナンナの口をついて、ファンナンという八角堂に閉じ込められていたと
いう高級娼婦であることが分かった。
イナンナには、この娼婦の性格が半ば支配した感じで、そこに元あったイナンナの古典
知識が乗っかっているような感じであったのだ。
娼婦は若くしてここに連れてこられ、中国的伝統の纏足を施されて、高級要人の相手を
させられていたらしい。
その身に刻まれた変態嗜好の傷跡が、激しい恨みと情愛を錯綜させて、いとも複雑な心
を呈していたのである。
だが、まだネアンが真相に気付かないとき、イナンナがネアンを突き放すきっかけが訪
れた。
変質愛でなくてはもう満足できないというイナンナの言葉を真に受けて、ネ アンがある
日、イナンナに対して上司がしているようなことを試したのである。
するとイナンナは、そのときは耐えていたものの、次の同じ機会に露骨な拒絶をして見
せたのだ。
あきらかに、ネアンへの復讐が見て取れた。
ネアンはそのとき、もはや修復不可能を思い知った。
ぼくはもうこれ以上、君の心の迷路には踏み込めなくなった。

君は常々、過去世探訪にいそしんでいたが、過去世はみつかったのか。
「とはずがたり」の時代がそうで、その作者がそうなのか?
ならば、院がみつかったのか?
そうなんだね?
だから、あんな問いかけができたんだね?
ぼくは純粋で、君は不純だとか。
なんでやさしいのとか。
縛ってもらいたかったとか。
初めとはまったく相反する希望が君の口から聞けるなんて。
西園寺実兼よりも強引で、強い指導力でレール引きをしてくれる人がみつかったんだね?
ぼくは最近、君への指導力を発揮できず、精力の鈍りもめだつようになった。
会った時がすでに遅かった。
会うまでに何の準備もなかった。
院以上に縛ることなどできるだろうか。
君は、実兼役も見た。
配役の七百年前と寸分違わぬ一致を見たのかもしれない。
そして不可抗力を悟ったのではないの?
悲しいのは、その過去をまたもやなぞらねばならないことだ。
「つばさこそ重ねることの叶わずと 着だてに慣れよ鶴の毛衣」
ぼくは鶴の毛衣の形見を君に渡すにとどめねばならないのか?
なぜ、過去の歴史をなぞらなくてはならないの?
過去は反省され、克服されるべきものとして、調べられねばならなかったのではない
の?
繋ぎとめる碇がなくなったの?
ぼくは神話の失敗を見た。
鶴亀は有名無実となったのだろう。
ならば君はもう神話に束縛されることなく、自由だ。
現実に立ち戻って、自ら信じる道を行ったらよい。
君の複雑な心がこれでいいと指し示す道に行けばよい。
ぼくの願いは、君と一生を送ることだった。
過去世もそうだったように思う。
だが、過去世がそうであったように、今生も同じ道をたどるのだろう。
ぼくはお先に心を出家させるよ。
君も出家してもいいし、院のもとに帰ることもできる。
同じ歴史を繰り返す必要はないし、繰り返してなんかいたら、進歩などどこにもないと
思うし。
そうは思うが、君がいいと思う道を行きなさい。
行けばいいんだ。
だが、相手が誤解を抱えた悪霊であったとは知る由もなかった。
空しかった。
イナンナの魂はいつしか、イナンナの中にはいなかったのである。
そこには恐るべき天仙の企みが隠されていた。
天仙でしか知る由もない事実を探り出し、先回りして罠を仕掛けていたのである。
いままで多くの善神善人をそそのかしたぶらかし、悲嘆の中に叩き込んできた者たち。

罪さらに倍加さすべし天仙よ終はりの日には無間地獄ぞ

困 難化するば かりの見通し

ネアンの嘆きはすさまじい。
かのイザナギが、妻イザナミの死に際し、発した嘆きにも匹敵するものであったろう。
そして今、イザナギのもう一度やり直そうとの提案に対して、イザナミは黄泉神と不倫
を続けたくて、もう戻らないと言っているのだ。
それはそうだろう。イザナミもこのとき、天仙仕込みの邪神である黄泉神を懸からせて
いたのだ。
ネアンの衝動の中には、今 まで生み出されてきた世界すらも滅ぼしても良いというほど
のものはなかったが、神すらも惑わせ狂わせる黄泉の世相の暗愚を憎み恨んだ。
国生みはイザナギイザナミがしたこと。
彼らはその作られたものが黄泉に転落して苦悩している状態から救うことに関わって
いた。
その鍵を握るイナンナに会うために彼は、孤独に置かれてきたのではなかったのか。
それがイナンナの裏切りにより、計画の途中から頓挫していたこと。
事実を知ったネアンの怒りは、単 なる恋人が相手を求めて遍歴する課程で生ずるタイプ
のものではない。
すべての有情の、最も簡単にできる救済計画が頓挫した。
個人の救済については、死者の書にもある。
魂が解脱するのに、死後の最初がいちばんシンプルでたやすいこと。
そして魂は最も純粋なダルマカーヤという仏の状態となる。
それが実現できず、時間を経るごとに複雑化し、面倒な手続きを要するようになり、そ
れに耐えられなくなった魂は、結局再誕生の道に脱落していくのである。
世界も個人も救済にかかる方法は同じである。
初動の救済はいとも簡単なのだ。
それが混迷を深め、二 度目以降になると修飾が入ってきて次第に困難になっていくのだ。
この時代だけでの救済もしだいに困難化する。
しかも、もう先が何年も残されていないという話も聞く。
いや、今の時代がたとえまだ続くとしても、人はいっそう霊性を失い、心を動揺させて
やまない種族となっていくことだろう。
次の時代に持ち越すとするなら、より周到な計画が必要となるだろう。
世界は滅んだ後、いっそう困難化する世相を築いていくはずだ。
次の時代は、何と呼ばれるのだろうか。
鉄の時代の次は?鉛の時代か?
まだこの世界が救済を受けるまでには機根が熟さず、時間が足りていなかったのか。
悲しみの連鎖と困難な課程がまだこれからも続くのか。
ネアンは自分ではもう再建は不可能だと思えるほど意気消沈し、こ の世を去って再びこ
の世に関わるまいとのみ決意した。
そうすれば、誰を恨むこともない。
自らの非力を悟るだけで事足りるのだ。
ネアンは深夜、眠っている最中に胸苦しさを感じ、毎夜の不眠にさいなまれた。
いよいよ、終わることができるのか。
心筋梗塞とか心不全などの死因がつくのかもしれない。
粋な計らいだと思うようになった。
たとえそれが、天仙による残党の粛清の一環であったとしても、ありがたく思えた。
数ヶ月もつだろうか。
いや、一月も持つものか。
イザナギが、イザナミの醜態にあきれて黄泉の国から脱出するイメージを持った。
死んだとき、三途の川を泳いで向こう岸に渡る。
そのときに黄泉の国で付けてしまった毒物を洗い流すのだ。
身奇麗になって、この世界から完全に遠離する。
そうネアンは、自らの心に決め、ようやく安心感を得た。
そうして眠りに就こうとした。
ところが、イナンナも世界も何もかも救えなかった慙愧の思いが込み上げてくる。
何も達成できなかった悲しみがまるで怒涛のように心に叩きつけた。
わずかな貞節さえ守れないイナンナへの失望。
貞節の固い扉をこじ開けるようにして入り込んだ男。
そして居座った男に対して、もっともらしい理由をつけて擁護に回るイナンナ。
この大事な時期に、よりにもよって。
誰がこんな風にした。
イナンナがしたのか。そうでないなら、誰がした。
そいつを捕まえて、必ず断罪してやる。
そうかと思えば、もうどうでもよいという気にも振れる。
波状的に繰り返す躁鬱の波。
そうして、またも胸苦しさで目を覚ます。
このような繰り返しに、彼はついに病気を悪化させ病院通いを始めた。
イナンナだけでなく、ネアンにも悪霊の魔の手が伸びていた。
ネアンは、まだ生きていた。
生きていかざるを得ない理由から、生きている。
そう思うと、現実に対して何かせねばならないものがあるのだろうと思えてくる。
あるに違いない。
イナンナは、たとえ男の職権を嵩に着た強要から始まったこととはいえ、まだ平然と関
係を続けている。
それは人道的に許されてはならない不倫のお相手なのである。
どこまで悪辣な女なんだ。
それを怒鳴り散らしもせず、どこまで自分はお人好しか。
イナンナは独自の意義付けを男に与えてする関係であるだけに、人 間界のルールも何も
眼中にない。
いっそ、すべてをこの女の会社にばらして、自分も含め奈落に落ちてしまおうか。
まて。会 社は情け容赦なく首を切る。職 を一瞬に失った結果、彼 女の子供らはどうなる。
そこまで残酷にはなれないネアンであった。
それに比べて、イナンナはどれほど残酷な女なのだろう。
イザナミが黄泉大神とすさんだ不倫の契りをイザナギの目の前で結んで、黄 泉の国での
うのうと暮らしているに等しいのである。
ネアンは、神話にはさほど上ってこないイザナギの心の悲しみが痛いほど分かった。
古事記によれば、彼 らと黄泉の軍団を、時 空の断絶をはかる大岩で黄泉路の道をふさぎ、
ふたたび彼らが地上に顔を出せないようにしてしまった。当然の怒りに違いない。
だが、イナンナは、一人や二人の男を振ったとて、悪気を感じるような人間ではなかっ
た。
恋愛の数を競い合う世代の人間であったからである。
また仕事に順調であれば、神にも祝福されているものと思い込み、痛みを持つ者に対し
て鈍感にもなるのである。
しかも自分と身内さえ良ければよいという、利 己主義の砦にこもった人間としての性格
を如実に現していた。
とにかく、見込みのないと自分で判断した人間に付きまとわれていることが、忌まわし
かったのである。
そもそも前の主人との離婚自体、困難を押してやっと乗り越えた壁だった。
そのためにネアンを当て馬に見出したとも言える。
どんな優れた縁も、利用できて始めて価値がある。
婚姻という契約を解除するだけでも、大変な戦いになった。
ならば婚姻もしていない口約束だけの者を振るなど、戦 うほどでもない出来事であった。
また、こうも思った。
これだけの時間をネアンのために割いたのだから、そ の程度の苦しみは嘗めてくれても
いいではないかと。
加えて、九年も前の主人との忍耐生活に比べれば、ネアンの苦労などどういうこともな
いではないかと自分に言い聞かせた。
問題は、ネアンがどういう態度に出てくるかだ。
当の上司に相談すれば、問題があらば、上司を含め全社が一丸になって救済に当たって
くれるだろうと請合ってくれた。
なにしろ、法律を扱う立場の会社がバックだから怖くはない。
たとえネアンが会社の顧客であっても、セ クハラする顧客という印象を周りに与えてお
けば、非はネアンのほうにあることになる。
この点からも、逆訴訟さえ可能にしておける。
不倫の上司も、入れ知恵をして応援する。
こうした場合は、こうしておこうと口裏を合わせあってくれた。
もしものことがあったとしても、自分の側に万全の状態を築きつつあったのだ。
また、イナンナは眠りに就いたときに、天界に赴いて天尊一行と出会っていた。
「イナンナ、よくぞ見つけ、奴の計画を阻止したな。でかしたぞ。これでお前は、晴れ
て自由の身となるだろう。代わりにこのネアンが虜囚となるのだ。こいつは大物だ。さ
すがお前が生まれる前にやりたいと申しただけはある。差配の神に伝えておこう。あと
残るは、両親のために生きる。そのことのみで、この煉獄地球を去ってよいであろう」
「本当にそうですか? 長い長い虜囚生活でした。そこから出られるなら、これほど嬉
しいことはありません」
「ネアンに対しては未練はないな」
「ございません。私には不釣合いすぎました」
「ならば一切の関係を切るように」
「かしこまりました」
よくぞ謁見の場に参った帰ってよいと、引き取らせてから、側近と話す天尊。
「ふははははは。ネアンはどれほどダメージをうけるであろうな。これで工作員として
役立たずになってしまえば、梵天の計画など取るに足らぬものとなる」
真の工作員を見つけ、天仙に知らせただけでなく、足を引っ張る役目を見事果たしたイ
ナンナに、邪 神ならではの現世利益という褒美がもたらされた。仕 事は順調にはかどり、
年収も大幅に向上した。
不倫の上司は関東に栄転となった。彼女を肉体的に束縛できなくなったが、連絡は取り
合っていたが、天仙はこれに替え、同じような子持ちのバツイチ男性で会社社長という
人物をイナンナのために褒美として送った。
できる女とできる男の均衡の取れた組み合わせであった。こ れでいっそうイナンナの未
来は開けたようであった。
イナンナは思った。これもネアンが移情閣の青年であったればこそ。自分の身に仕組ま
れた行程は遂行した証として今がある。
ネアンには感謝はするが、哀れな犠牲者でしかない。この世界は怖い神様によって掟が
打ち立てられている。その中で生きていくためには、これぐらいのことは仕方がない。
古来から、哀れな犠牲者は、鬼とかの範疇に入れられ、封印されてきた。ネアン、あな
たも鬼になりなさい。私はそんなもの平気よ。
イナンナの心には昔から幾度となく培ってきたことのある残虐性が膨らんできていて、
それに現状を照らし合わせるだけで快感を催していた。
イナンナの心情を、心を見る装置にかけてつぶさに見てにやにやする天尊であった。
「よくぞここまで心変わりした。こ れぐらいの褒美はしてやって当たり前の功績であろ
うとは思わぬか」
「まあ、それでも一時は何をするや分からん女でした。ひやひやさせられたぶんだけ、
仕置きしてやることも必要ではないのですか。たとえば、この生だけで煉獄を終わらせ
るという部分には反対です」
「それはわしも同じだ。ただ、お前のような感情的な問題ではないぞ。当初からの計画
なのだ。この恨みを持ったネアンと、今後の生において戦い続けることによって、この
宇宙はなおもまだ存続が保証されねばならないのだからな」
「やはりそうですか。後で知ったイナンナが約束を違えたことを怒りはしませんか?」
「それは大丈夫だ。この宇宙存続の鍵は、二人の対立と戦いによって維持されるような
原理であると話してあるから、これが大命題となら涙を呑んででも従うことであろう。
今生ではせいぜい優遇してやれ。といっても、もうさほど幸福感に浸る時は残されては
いないがな」
「はははは。どんなものも他愛のないものですな。意識を持つものとはまったくどうに
てもなる。霊をかからせても、催眠術にかけても、ちょっとした恋愛に導いても、我ら
の思い通りになる。はははは」
「そのために、ひとつ合理的な仕掛けをしてやれ。イナンナに解脱の意志を削ぐための
な」
「分かりました」

ネアンの復讐

さて、ネアンの作った新神話は、未だ機能を停止してはいなかった。
ネアンの励起された魔術力は、彼 自身の作った神話の効力を達成するために彼自身を取
り巻く環境を大きく捻じ曲げていたのである。
彼自身、今やこの世を支配し差配する神、邪神にとっての仇敵であり、孤立無援となり
つつある彼は邪神の格好の標的であった。
ネアンは運命への無力感が彼を苛んだ。
何をやってもうまくいかない。
世界がしだいに彼の敵となり、嘲笑を浴びせる観客のようにふるまった。
心不調を基調とする体の変調は、命の残り少なさを痛感させた。
彼の持つアリマキのような独特の力に群がる直感に優れたアリたちは、彼 からある程度
の恩恵を受けると、彼をそこに残したまま去っていった。
何度も孤独に苛まれることにも慣れてくる。
不思議なことに、ネ アンはそこに新神話が健在して関わっていることを逆に認識してい
たのである。

「天仙は今後も封じ込めと嫌がらせを続けてくることだろう。
だが、殺すところまではようしない。
邪神は自分が今死ぬと、魂 を解放して宇宙に遍満した火の鳥にコントロールを与えるこ
とになると懸念している。
火の鳥というわけのわからぬ聖獣は、邪神が決めたサイクルに従うようでそうでない。
今までは問題なく大文明の滅亡と再生に歩調を合わせていた。
だが、今回はコントローラーである私の考え方が良くない。
このままでは火の鳥は天仙邪神たちの一掃に働くことは間違いない。
だから、火 の鳥がおかしな励起を受けることなしに自然に通り過ぎるのを待たねばなら
ない。
地球がその初期界面に入れば、ネアンの出る幕はなくなるから、その時に抹殺すればよ
いと図るはずだ。
その後に私の魂を捕縛して、次の過酷な輪廻に赴かせ、従順になるための教育を施せば
よいと考えている。
それは今まで多くの義憤に燃えた反逆精神の持ち主たちを更生させるに効を奏したで
あろう。
だがまだ、国祖の魂や古代神の魂たちは音を上げない。
私も人魂ながらかなりかたくなであり、封 じ込めようとすればするほど反骨をむき出し
にしてくる。
だから、今は仕方なくも温存しなくてはならないと考えているはずだ。
私はその間隙をつき、新神話を建て直さねばならない」

ネアンの脳裏には、天仙たちの思いがとめどなく木霊した。
自然に火の鳥が過ぎゆく中で文明は、火と灼熱にまつわる事象で滅亡している。
文明で生産されたあらゆるXXXXも、そ のとき焼かれて重濁した放射性廃棄物となり、
地球の中心殻に溜められる。
そして火の鳥が過ぎ行くとき、次の時代の種まきが始まる。
かつてシュメール人たちに、人はこうあるべきと道を示唆したように、掟の教育指導を
与える。
その後、邪神たちが人口を増やしつつある中に、群がるハエのごとく降り立ち、婦女を
ものにし、新しい性格をもたらす遺伝子を新人類に組み込む。
そうしてできた新人類は、邪神の与える次のシナリオを演ずべく、トップダウン的にコ
ントロールされる。
まったく前と変わらぬやり方が踏襲できる。
そこに何かより良い工夫などある必要はない。
以前同様、確固たる体制の上に胡坐をかいて献上品だけ待てばよい。
人々の賞賛と崇敬の思いが甘露の蜜として我々を満たしてくれる。
弱い者は権力に媚びへつらってこそ、浮かぶ瀬もある。
反逆者には容赦はない。
これがまたぞろやってくる邪神支配の文明のありかたなのだから、知る者は心せよ。
思ってもみよ、天にあるごとく地にもある。
地を見れば、天がいかなるものかが分かろうというもの。
識者のみならず、ネアンも然り。よく目を見開いてみよ。
イナンナを見れば、いかに頑固に準備してきた工作員とて、自らの安寧を思えば天意に
逆らい得ず、むしろ反逆児を差し出すほどのことも是としておろう。
あわれな孤立者よ。お 前たちの企ては崩れ、古 代の神々はこの宇宙から撤退の途にある。
人にあるお前に逃げ道はない。
ネアンは肝を冷やして、自分がもし助かるにはどうすればよいか問うことにした。
すると、その神の曰く。
「お前の目論見をくじいた者たちに復讐せよ。
お前の運気という運気は、彼らによって堤防が破られ、そこからとめどなく流れ出し、
彼らの運気に加算されている。
お前はひとりでに運気を失い、このままでは没落の一途を辿る。
この世は、我々が仕組んだとおり、加減算で成り立っている。
取らざれば取られ、与えれば取られる。
自ら与える癖を直し、取る者に変わるには、取ること、穴をふさぐこと、勝つことが必
要となる。
あいまいな生ぬるい者には、我々は加担せぬ。
激しくあれ。たとえ死塁を築くとも、勝ち残る者に我々は花輪をかけるだろう」

ネアンの中には、いつまでも悟りきれぬ悔悟の思いがあった。
忘れたくとも、どうしても脳裏をよぎる。イナンナとの日々とあの男にされたこと。
そして計画の頓挫と世界の有情を救済できなかったこと。
「そうだ。そのたびにお前の決壊した堤防から運気があふれ出し、口惜しくもあいつら
の懐に流れ込んでいるのだ。
あいつらはお前のことなどもはや眼中にない。
それでいて無形の自動預金をお前からいつまでもいただいているのだ。
お前が死んで、魂魄をこの世に残し、あいつらへの恨みを晴らそうとしたとて、お前の
魂魄から運気は流れ出て、いよいよ霊界に旅立つ力を失い地縛霊化する。
そうなのだ。そのような冷酷非情な世界像に我々がした。
腹立たしかろう。だが、我々にかなうはずもない。
やるなら、お前たち奴隷同士仲間内で殴り合い、やりあい、取り合い、簒奪ゲームを展
開するしかない。
そうだ、やれ。お前にはそのための知恵をつけてやろう」
いきなりネアンの元に「ヤクザに学ぶ交渉術」という本が友人からもたらされた。
ネアンにとっては、いきなりのシンクロだった。
かつて正神の側からシンクロがもたらされたが、今は邪神からのものとなった。
と同時に、正神陣営の撤退を感ぜざるを得なかった。
「私も取り残された人間でしかなかった。
人間として生きるなら、人間界のルールに従わねばなるまい。
それがたとえ邪神が作ったルールで唾棄すべきものといえども」
ネアンはこう自分に言い聞かせて、恨みを死後を含む来世に持ち越さないために、彼ら
への復讐を決意した。
「唾棄とは、よっぽど嫌われたものだな。
お節介ついでに、もうひとつ良い方法を教えてやろう。
今生でもし、恨みが満足に果たせずとも、これから先、幾度も輪廻転生を重ねることが
できる。
もし、お前が望むなら、あいつらとの果し合いの場をどの生にも設けてやろう。
敵討ちを何度でもやればよい。相手が恨んだら、今度はお前が討たれる。
お前の恨みに分が生じれば、相手を討つことができる。これでどうだ。
うん。あいつは解脱を目的にしていた。だが、それをまずさせないことだ。
我々も協力してやろう。まず来世に、辛酸を舐めさせてやればよい。
それが初動となって、この宇宙がお前たちたった二人を残すとも、戦い続けることにす
ればいいのだ」

ネアンは復讐を決意して、短歌に決意の程をしたためた。
縁とはさんぬるものか二年の純情の恋いずこ散りたる
六条のみやすの心男にても痛く偲ばる鬼にもならめ
祇なるぞと我儘の末手ひどくも人苦しめて己が道行く
紛うなしあれは巳なり利己主義に片棒付けた非モラルの族
二枚舌誰が汝など娶りたきや汝の心見ば吐き気催す
遂へても終へてもなほ残るのは汝の裏切りへの恨みなりけり
笑止なりかつて公達使ひしは殺して祭る鬼と化す術
白赤に別れて我ら戦わん宇宙維持の大儀のために
この世界我ら二のみを残すとも戦はんかな大儀のために
悟りしか我悟りしか汝と我は悠久刻む敵なるなりと
人種見て黒白つけてシカトする一見如菩薩内面夜叉め
汝のみ一人で解脱させるまじ怨みのタックル受けて転がれ
始むべし次なる戦さ今直に生き恥注ぎ仇を取るべし
善悪の甲乙ところ替えてこそ楽しみもまた増すといふもの
神々よ我かく悟りたる良きや愛は恨みに及ばぬものと
鶴亀の千載一遇違えては時空輪廻の闇なお果てず
この我を嵌めて離婚の当て馬とその魂胆に汝の家系見る
無視攻めに針の筵の元旦那いたたまれずに家出しけるよ
昨日客今日は島かや明日は誰そその熱りたる体冷やすは

ネアンは、こうも思う。あいつとは過去世から敵対勢力にあった者同士だった。
すでに大過去から仇討ちを繰り返してきた仲だったのだ。
ベテルギウスとリゲルの誓い。あれはほんの一瞬ひらめいた友情であったに違いない。
それが尾を引いてたまたま味方同士になり、結ばれることは、本当に鶴亀が巡り合う稀
に見る瑞兆だったに違いない。
それをやはり、反故にしたのは敵なればこそ。
それなら、元に返ってこちらも敵である。
ネアンは、まず今生では生き抜く道を選ぶことを考えた。
このまま没落し不遇の生涯を人知れず閉じるのではあまりにもひどすぎる。
来世から延々と続く敵対意識もまた良いかもしれないが、そ れなら今生から始めても良
いではないか。
そう心が固まりかけていた。
邪神はこの決意を聞き、時間稼ぎができることに気をよくした。
火の鳥はもう間近に迫っていたのだ。
それが来て一通り馴染んでしまえば、ネアンなど取るに足らない。
いっぽうネアンは火の鳥のことなど忘れ、原 因になったあの男を追討することに傾倒し
た。
イナンナには、なるべく当たり障りのないように見せかける。
攻撃を集中させるのは、かの男。
こいつを没落させれば、邪神の手のものをひとつ平らげたことになる。
こいつに惚れたイナンナは責任を感じて苦しむというもの。
そればかりか、こ うしたアンモラルの下地を作った企業にも制裁を加えることができる。
ネアンはイナンナが魁としてやってきた可能性も残していることを考えたくなかった。
彼に引き継ぐべき何かを持ってきたではないか。
だがそのことだけで、お役目終了できるのなら、ど うして自分の窮余の計画を台無しに
していくことができる?
正神側は計画の頓挫した今となっては、そ のことを以てイナンナを忘れるようネアンに
囁きかけたのであるが、邪神の提案を真に受けたネアンの眼中には、彼らへの追討計画
しかなかった。

「これではいかん。
イナンナは彼に、単 に持ってきた宝を渡す役目だったことにすればまだ両名とも救われ
る。
ネアンに励起された力が宿ることになっただけでここは十分としておかねばならぬ。
ネアンにはこの計画が失敗したとしても、次に遭うべき人物が用意されているのに、過
去にこだわれば、受け継いだ宝さえ捨ててしまうことになる」
イナンナは生まれながらの本名が、魁になる祝詞を意味していた。
つまり夜明けを謳う者である。
ネアンは本名が、秘密の深奥の扉を押し開ける者という意味を持っていた。
そして、前の計画が失敗したとき、次に用意された人は、戸のある国に日の出が見える
という意味を持っていた。それは、彼の友人である海幸彦が持ってきた縁談であった。
偶然にも、名前が言霊として驚くほどシンクロしているのだ。
総合すると、この新たなプロジェクトは、天の岩戸開きを意味していたのである。
さしずめ、ネアンはタヂカラヲの神であり、次に来る人は、天照大神もしくは神が岩戸
から顔をのぞかせた情景を意味していた。
ならばイナンナは、夜明けを告げるトコヨノナガナキドリといったところか。こうすれ
ば少しは痛みも軽減されよう。
旧神話でいえば、まさに現在の黄泉の国、狭蠅なす満つる暗黒状態からの脱却を意味す
るわけで、未だ正神活在の可能性を意味しているとも言える。
八百万の神はどうにもならない暗黒の状態になすすべもなくうろたえている。
しかし、智謀の長けた正神たちは、この大逆転劇に精魂傾けていたのだ。
そして、ここでも神々の所作を雛形である人間が演じている。
古事記の黄泉の国の段を取るか、天の岩戸の段を取るか。
前者が取られれば、また歴史が一から繰り返されねばならない。
だが、後者ならまだしも。
新神話がだめなら、旧神話を介しての逆転劇が試みられようとしていたのに、しかもこ
の頃ネアンはこの新しい人物の音信を聞いていたのに、会おうともせず、未だに復讐に
心を傾けていたのである。
だが、ここにも新神話の余波が残っていたために、ネアンはたいへんな手続きを起動し
かねない事態となっていた。
新神話も決して、機能を閉ざしてはいなかったからだ。
火の鳥などもその一環にあった。
ネアンが雛形として起こしかけた危機が、朝鮮半島の南北戦争である。
すなわち、孤立を深めるネアンがいつしか象徴している北朝鮮が、ついに行動を起こし
かける寸前に至ったのだ。
時は2003年8月のこと。ち ょうど残酷な一方的離別宣告された1年目のことであっ
た。
おりしも火星が大接近の最中にあった。
戦争のシンボルとも北朝鮮のシンボルともみごとなまでのシンクロ下にあった。
あとはほんのちょっと神話を演ずる立場の者がブッシュするだけで、歴 史は雪崩を打っ
て第三次世界大戦へと突入することであろう。
灼熱の核兵器が飛び交うであろう。
それは紛れもなく、コントロールを失った火の鳥の作用に他ならない。
こうして世界文明は火によって滅ぶ。
その前に、雛型同士がいがみ合い、来世での復讐を誓い合う。
新しく来る時代は、こ うして再び戦争と復讐を基調とした文明形態を存続させるであろ
う。
ネアンはかの男の所在を調べ上げ、お前がきっかけで持病が悪化したのだから、損害賠
償しろという内容の文面を送り付けた。
実際にかかった治療費の明細を添えて。
むろん男は根拠のないこととつっぱねるであろう。
しかし、逃げようとすれば、対会社あてに問題が転化する仕組みにしていた。
男は逃げるに逃げられない。会社と所帯と名誉もあり、払う犠牲は大きい。
男のとる方法とすれば、名誉毀損で逆提訴であろうが、事実関係がメールその他でしっ
かりしている以上、ネアンは折れたりはしない。
問題は紛糾する。男はその過程で社会的制裁を加えられて滅ぶことは必至であろう。
すると次にはイナンナが原因の半分であるとうわさが及ぶ。
イナンナもただで済まされる話ではない。
そしてなお、会社のアンモラルな体質が浮き彫りになり、この会社ももしかすると社内
問題で一気に傾く可能性がある。
そもそも人間の命を軽視させるための商品を売って当たり前としているような企業な
ど、潰れてしまえばいいのだ。
さて、ネアンという雛形が、もしもこの行動を強行に執っていれば、よりマクロに展開
して、南北戦争が勃発したことであろう。
この二人は、新神話上ではそれぞれ玄武と朱雀で、北と南を顕わしていたからである。
ところがネアンの出した文面を読んだ上司は、イナンナと口裏を合わせて、元になる事
実が無根であることをイナンナを通じてネアンに説明させたのである。
困惑した末の、窮余の一策であった。
すなわち、自分は不倫などしていないと。
そんなことを言われて立場を失わされるなら、名誉毀損で訴えるだけでなく、自分は華
族であるから、敵対するものあらば、共産主義者として扱ってもいいのだぞと、卑怯に
もイナンナの口を通じて通告してきたのだ。
イナンナもこの事態のこじれにはたじろいだ。
だが、上司の命で、自分がすべてネアンと別れるために作り上げた上司との不倫芝居で
あり、自分ひとりが悪いのだとまで言い切ったために、ネアンはたくさんの証拠を持ち
ながらも、激しくも悲しい冷たい怒りと共に、これ以上の追求をとりやめたのだった。
怒りが頂点に達しきると、逆にもうどうでも良くなるのは、ネアンだけであろう。
悲しみだけが、すべてであった。そしてひとつ大きな何かが吹っ切れた気がした。
「なんだ。思ったほどにもない軟弱な奴だったな。まあ、これならこれでいい。今まで
どおりのやり方をとれ」と天尊は部下に命じた。

ネアン の新たな役割

ネアンがぽっかり心に空洞を置いたとき、よ うやく毘沙門天はネアンに囁きかけること
ができた。
「王仁三郎の霊界物語も、霊界あるいは異界からの要請に応じて、古代からの神話のキ
ャラクターの符合を取り、古代からの神話のあらゆる粋を集めて、古代からの神々の呪
力を結集させて作られた新神話だった。
その比較的こなれた先轍を、お前が踏襲することによって、王仁三郎の果たせなかった
理想を果たすことになったのだ。
お前の作った新神話は、確かに拙いものだ。
自在に霊界を探訪した王仁三郎とは、雲泥の差。
だが、太古の神々はお前にそれを行わせるために、鶴の印章を与えたのだ。
どうしてそうなったのか。
予め定められていたことと言ってしまえばそうなのだが、も のの因果を示さねば分から
ないお前のために言えば、こうなる。
お前は宇宙運行の原理をあるとき見出した。
私はそれを仲介の神の化身をして、そ の概念が正しいことをお前に婉曲的に知らしめた
のだ。
サイババという者によって、二つの指でつまめる大きさの黄金の宇宙卵の中に、すべて
の宇宙の始まりから終わりまでが記載されているという寓意を語らせた。
そこでお前は、ひとつまたひとつと励起された力を得た。
またお前は、日本神話の解読に成功した部類の人間だった。
霊能者ルネ・バンダール渡辺が、古事記の神話を解読したものは、死なねばならないと
看破したジンクスを、阪神大震災禍とともに潜り抜けて今ここにいる。死なねばならな
いとは、使命のために死なねばならないということだ。
旧神話を、まるでスフィンクスの謎かけを解くごとく解き、古代神話凌駕の呪力を得た
だけでなく、宇宙原理さえも熟知したトータルバランスの元に、新神話創生の力を得て
いるのだ。
ただ、裏神業遂行のためには、その役割のあることを知らしめる協力者が必要だった。
それがイナンナである。
これもまた、遠 い過去から予め定められた役割の元に現れることになっていた協力者だ
った。
様々な準備を整えてお前と出会うための因果を作り、こ の世に生を受けた神話のエネル
ギーを循環させるためのお前の魂の巴のもう半分の勾玉のような協力者なのだ。
お前は、雷がぴかぴかと夜空全体を照らし回るとき、その中心点で巴の勾玉の二つの光
が回転していたのをその目で見ている。
世界救済の力とは、そのような力である。
夜の闇の世界をそのように満遍なく照らし、太陽が照らす昼のようにするのだ。
その協力者の鍵を得て、お前は役割を遂行する力を得た。
その協力者は、自分の役割の分限を果たすと、この世から魂を去らせた。
困難な役割の下にあって、必要最小限のことだけは済ませたことになる。
お前がいつまでも、こだわることではない。
こだわるのは、お前が暗愚だからだ。
お前の信頼するイナンナは、2001年11月に意識を失い、半年のうちに死んでいる
のだぞ」
「なにっ。それは本当か? もしそうだとするなら、あのベンツにはねられたのがその
頃だから、それがそうだったのか?」
「そう考えればよい。
人の心は移り変わるからと怖がるお前もお前だ。
人の心は、操り人形。
入れ替わり立ち替わり出入りする魂の性向に従って、いくらでも変わる。
昨日平和だった心が、次の日には荒れすさぶ。
それもすべて、人が自分の魂だけではないものによって動かされるからだ。
憑いたり離れたりする邪霊のいかに多いことか。
それだけでも十分性向や嗜好は変化する。
成り代わられたのではどうしようもない。
脳だけは記憶として連続しているように捉えるものだから、同 一人物を装うこともでき
るというわけだ。分かったか。
後追いする愚かさが分かっただろう」
「待ってくれ。それはおかしい。なぜなら、彼女は2002年5月時点で、MOAの開
祖が池に水を張る夢を見ているし、ぼくのパンを持ち帰ってしまっている。そのときに
彼女の魂ではなかったとすると、ど うして開祖がそんな臨席を許すのか? 開祖たろう
者の魂がそれほど暗愚なものなのか? それからイナンナは別れを言い出した後の9
月にも、龍となって空を飛び、砂漠化した地上を見てきているんだ」
「お前も霊界物語を知っていよう。
正神邪神どちらも表向きは正しいように振舞う。
だが、心が邪に振れている者が邪神となり、いずれ裏切りと策謀を働くのだ。
その邪に振れる要素が憑依であり、そ れが神の場合は策謀めぐらす邪な天仙が罹ってい
るというわけだ。
人間の場合に罹るのは邪神か邪霊だ。
イナンナの場合は、魂から天仙に罹られてしまった。
だから龍となったときの感想も述べるだろう。
それを邪龍と呼ぶかどうかの問題となる」
「そうですか。いずれ死んだも同じというわけですね。
もう蘇らせることはできないのですか?」
「天仙に術をかけられ捕り篭められているのだから、本人の目覚めしかない。
お前のしていること、裏神業に携わっていること、それらの総合的な意味が本人に認識
できれば、思い直すことができるかも知れない。
天仙の性格はお前も知ってのとおりだ。
今でこそ、お前を意識下から遠ざけるために、天仙はふんだんな好運と利得をイナンナ
に与え続けているが、目論見が完成したと見計らうや、イナンナの生きる目的や利得の
基盤のことなどどうでもよくなるだろう。
そのときに気付くかどうか。たとえそうだとしても、協力し合える時間はない。
かてて加えて、臨死体験で差配霊に生き返りの条件を痛いほど吹き込まれて、その中で
差配霊を神と間違えて認識しているから、目指す解脱のためには、ただ人間として両親
のため、子供らのためだけに慎ましく生きるだけで事足りると思っている。
たとえ、周りで戦争が始まり家族が次々と倒れても、最後まで面倒を見たという形作り
をするだけで良しとするだろう。
洗脳はあまりにも強くなされている。
神業を捨ててなお、解脱が測れると思っているのだ。
神業を捨てた結果、戦争が世界を滅ぼそうとも、思い込みを改めることはあるまい。
そこまで人間にも成り切ることのできない奴でもある。
その前に、天仙が龍身としてのイナンナを利得を言い聞かせて抱え込むかもしれない。
そうなればどうあっても戻ってくることはない。
それにお前の元に還ってきたとて、還俗を表明した者に、新たな効果あるキーワードを
与える力などはない。
思い返すのは、もうよせ。
どれだけ無意味な時間をそのために費やしたのだ。
それこそ、天仙の思う壺ではないか。
今までのことを堆肥にして、新たな次のステップに進むのだ」
「わかりました」
「このことは言っておこう。
我々が天仙と協定して送り込んだ二人のうちの一方に、憑 依という露骨な干渉がなされ
たことで、協定違反が明確となり、天界においてほどなく戦争が開始されるはずだ。
天仙もそれを承知でしていることであり、自分たちに勝ち目ありと見込んでいるのだ。
このことから、ネアン、お前のこの世における命の存続も保証の限りではない。
だが、お前の死後、火の鳥は間違いなくお前と行動を共にする。
火の鳥は、羽根をはばたかせるようにやってくる。それが味噌だ。
共に戦い、国祖の御世を招来してほしい。
「はい。必ず。
憎っくき天仙とそれに従う者たちを完膚なきまで殲滅すべくがんばります」

ネアンは完全に魔法モードに浸かっていた。
彼の周りで起きることはすべて彼の起こした戦さと関連して発生していた。
彼の運気の低迷は、明らかに天仙たちの仕組んだものであった。
運命差配の神がいるとすれば、それは彼の側につく神ではなく、天仙の息のかかった神
であり、彼の前途に支障をもたらすだけのものでしかなかった。
彼の心は正神のものであったから、根源的には悟っている。
だが、対処すべきこの世での様々な営みはこの世のものであり、彼は自らが単なるピエ
ロと化している現実に絶望し苦しむ。
時間だけが徒労しながら経っていく。
正神に組する者たちがしだいに身辺から遠ざかっていく気持ちはやるせなかった。
正神復活に向けての方向性だけは失うまいとは思いつつも、道標を失った今、すべきこ
とが具体的に分からない。
兆しが再び現れるまで、この黄泉の国において孤立無援の道を歩まねばならない。
冥府魔道を行く一匹狼のようであった。
いっぽう、洋一もタクシードライバーの身で、とてつもない不運に見舞われていた。
露骨とも見えるほどのツキのなさは、周囲のドライバー仲間からすれば、鬼っ子ではな
いかと写っていた。
こいつがツイているときには我々がツカない。我々がツイていたら、こいつは一人沈み
だ。こいつだけ沈んでいればいいのだ。
洋一も仲間とは別物だというそれだけでいたたまれなくなる日々の繰り返しであった。
人にとって最も悲惨なのは、他と際立って孤立無援になることだ。
周りにいる仲間と同じであるという集団意識が個人を助けている。
その中でひとり仲間はずれとなる状態は、社会全体が不況になったり、外部のかけ離れ
た裕福層と比較するよりはるかに苦しいものである。
その刑罰の効果のほどは、天仙がよく知っていた。
梵天の目となり、ネアンに新神話作りの情報をもたらした罪は、邪神たちによって碾き
臼で少しずつ磨り潰されるように断罪されつつあった。
洋一はネアンと連絡が取れるわけではない。
梵天がいてのことである。その梵天は、畿内に敷かれた結界の中に封じられている。
2002年6月6日に出でませる九鬼の頭領大元帥明王と共に勇ましく出陣する手は
ずが、イ ナンナの裏切りでその機会を失い、今 や魂魄だけが外宇宙へと避難したものの、
この次元で働くための体が結界に阻まれていたのだ。
だから、あれ以来誰の元にも姿を現せないでいる。
晴明はまたも贋の体制の護持に回ってしまった。
不届き者の梵天をついに捕らえたと、天仙衆が彼を褒め称えるのを、表情一つ変えずひ
れ伏している晴明である。
だが、洋一とネアンの心は一致していた。
退廃しつつある精神状態のいっぽうで、鋭 い感度の兆しを読む力だけは研ぎ澄まされて
いた。
自分たちにあるのは、神話作りだ。
この成功しか自分たちを救う手段はない。
両名の心は以心伝心的に決まっていた。

そんなある日、こんなネアンでありながら、親切にしてくれる仲間、海幸彦が、「お前
も前の彼女にひどい目に遭わされて難儀なことだったな。そ ろそろ気分を変えて別の女
性と付き合ってみたらどうだ。恋人を募集している女性がいるのだがな」と言ってくれ
た。
彼女の名こそが、何 かの戸がある場所に日の出を見るという意味を持っていたのである。
だが、そのときには特に何の感慨もなく、やり過ごした。
というのも、ち ょうどその頃、ネ アンには別の不思議な女性が接近していたからである。
かつてネアンをヤマトスクネそっくりだと彼女自らの神話空間に誘導したシノという
女性であった。これによって、ネアンはヤマトスクネという神話の属性も得たわけであ
った。そのヤマトスクネは亀に乗った浦島太郎のような英雄でもあった。
彼女は、中国の神の名前をかもし、やはり霊能資質があって、神の意向で生きることに
努めている人であった。
そして何より、この人の家で飼っている猫に、ネアンは強い因縁を感じたのである。
というのも、この猫との初対面の日、この猫はネアンが帰るのを長い通路の玄関先まで
見送りに出たのである。
こ の猫の名はノラといい、彼女の名前と強いシンクロがあった
こうしたことがあると、ネアンはことさら敏感になる。
そして、いったん神話が頓挫しても、次に何かが布石されていることを確認する気がし
て、うつ状態がにわかに晴れるのであった。
猫は宿縁の者に違いない。ならば彼女はどういう縁の人だろうか。
今ここに立ち現れたことに、どういう意味があるのだろう。
この家に関わる神は中国の神であるに違いない。
私と関係があるとすれば、太古の植物神クロノスとの繋がりがあるのかも知れない。
かといって、農業の神というものは天仙と地仙の中間に位置する神でもある。
どちらにも着かねばならない立場の神ではないだろうか。
ならば、心情的に名残を惜しむ形で私の前に現れたとも言える。
この人は、ネ アンが探していた至高の松もしくはそこに居ついていた鶴だったかも知れ
ない。
そのことに気付かぬままに、性格的なすれ違いが生じて、付き合いも中座ししばらく経
った。
仲間がこの人はどうかと言ってくれた女性のことを思わないではなかったが、す でに半
年は経ってしまっていただろう。
この女性に別の男性がすでにできたとかの噂で、諦めかけていたのであったが、どうし
てもその名前が気にかかる。
イナンナがネアンの名前から、奥の世界の戸を押し開くという意味を見つけ出した。今
度はネアンがこの人に、(戸を押し開いた結果)その世界の日の出を見る意味を見出し
たわけだから一連のシンクロとなる。
ネアンは、イナンナの裏切りに、古事記の黄泉の国の段、黄泉津神とイザナミの三角関
係のシンクロを見ていた。
今度は道徳も貞操観念も廃れきった黄泉の国と比肩できる「狭蝿なす」暗黒を吹き払お
うと奮闘努力する正神護持の神々の一員として自分が存在している観がなきにしもあ
らずである。
日の出嬢の名は、岩戸開きの結果としての太陽神のお出ましの状態なのである。
新神話が覆って、旧 神話である古事記がまたぞろ適用されるであろうとは踏んでいたが、
旧神話でも主人公になっている自分を見た気がして武者震いした。
ネアンは期待を込めて、海幸彦の紹介に便乗し、8 月の下旬に戸の場の日の出嬢と逢っ
た。
そこは彼女が勤め始めたというスナックであった。
事情を聞くに、彼女はたった今の今、この月初めに日本の命を象徴する会社を辞めたと
ころだという。
その会社は、イナンナがしていた仕事と同質であり、彼女もイナンナと同質の営業員だ
ったのだ。そして二人の生まれた年も同じだった。
さらに彼女は三人の子供を設けたのだが、離 婚して子供全部を父方に取られてしまった
ためにとても寂しいのだという。イナンナは逆に三人とも押し付けられている。
また会社を辞めたわけは、どうしてもお客に嘘をつかねばならない仕事の性質に、自分
の心がすさんでいくのを感じたからだという。
それはそうだろう。命の代償に金が入るなどと、拝 金主義推進の先鋒を果たすような企
業にろくなものはない。営 業員がどんなトラウマを抱えようが知ったことかと思ってい
るのが、この手の企業なのだ。当然お客に対しても、カモとしての認識しかない。
ネアンは日の出嬢がイナンナとは逆の立場であることを喜んだ。正義感が強く、家庭に
縛られない自由さがある。
正義感があって、離別の喪失感や絶望感にうちのめされた、まさに岩戸篭りのアマテラ
スにうってつけの感に、彼女で間違いないと思った。
だが、子供をすべて手放さねばならないというのは、何か彼女の側に問題があったに違
いなく、心が荒むことの真意は、営業上のつきあいを男女の付き合いと混同してくる客
を切る部分にあったことがしだいに知れてくる。
なるほど。ネアンも心当たりがある。イナンナは自分を最初、正式なパートナーとして
見ていたが、就職して仕方なく上司と関係を持つようになって、そそのかされるように
して、自分に何本も新しい契約を申し込んできたのである。
ネアンは最初の一本は入社祝いの第一顧客を期して契約した。だが残るすべては、上司
の差し金で行われた、騙された契約であったのだ。それに腹を立てて復讐しようとした
愚か者もいる。そのような客をたくさん抱えたら、誰だって辞めたくもなるはずだ。
日の出嬢が会社を辞めた後に、偶然ネアンが付き合い始めたことの意味は大きい。
なぜなら、ここで二人が協力して岩戸別けがなされても、日本が舞台にはならないこと
を意味しているからだ。
それはそうもなろう。その当時、日本は経済危機の内憂を払拭しようと、ことさら軍備
を推進し、外患への視界の転換を図ろうとしていたのである。こうなってしまえば、力
のベクトルは戦争へと志向するしかない。
そして、またもや赤字国債の積み増し。日本はもはや自らの力で経済復興を遂げようと
する良識ある国ではなくなっていた。
二度目の出会いは二人きりであった。ここでネアンは初めて彼女の手を握った。
かつてイナンナのときは、9日目に火の鳥が羽ばたいた。
案の定、日の出嬢との場合は、5日目にたいへんな奇跡が起きた。
親友のヒロシが空に満天の白球UFOを目撃しながら、そ れをビデオに収録してしまっ
たのだ。
その5ヶ月前には、ヒロシの自宅におけるネアンの撮影中に、いつのまにか8機の白球
UFOの旅団が捉えられていたが、その大量版となったのである。
ネアンがその話を聞くだけでもシンクロに結びついたであろうに、世 界にもそれほど類
を見ない実物が撮れてしまったのだから、たいへんである。
約三分間にわたって写っているUFOの数だけでも百はあった。
ネアンは古事記の神話の「黄泉の国」に書かれる「桃の実満つ」の状態であることを悟
った。
イザナギはイザナミのいる腐敗した黄泉の国から脱出すべく、黄 泉軍の追っ手をエビカ
ヅラ、タカムナで注意をひきつけ、時間稼ぎする。
とどのつまりの黄泉比良坂で、その坂本というところに生る桃の実を三つ投げれば、黄
泉軍は撃退されるというものだ。
三つとは満つであるとネアンは昔から解釈していたから、ま さに絵に描いたようなシン
クロとなった。
ネアンはこの意味を、いよいよ地球が核戦争などで黄泉の惨状となるとき、UFOが聖
衆として天空を覆うほど現れ、ふさわしい人々を救出するのであろうと捉えた。
撮影されたこの時点では黄泉軍の撃退などはなかった。
だが、いざ脱出のときは緊急を要するような成り行きになることは想像に難くない。
それもこれも、日の出嬢とのコンビネーションであるに違いないと思うネアン。
日の出に至る良い兆しとして桃の実の出現は捉えられた。
神話の雛形はすべて地上に用意されている。
とするなら、イザナギとは誰なのか。
黄泉神である上司と不倫の契りをしたイナンナ・イザナミに対して、自分がそれにふさ
わしいのではないかと思うのであった。いったい、一人何役を務めればいいのか。
シンクロとは、あらゆる局面で相似形の補完関係がなくてはならない。
神話を演ずる雛形は、まさに神話どおりの運命を辿らねばならないわけだ。
ネアンのいまある現実面での閉塞状態は、と どのつまりをめざして比良坂を上るイザナ
ギに等しかった。
ネアンは新神話不成就、旧神話成就の不本意な成り行きとはいえ、これも世界が負った
成り行く未来であろうかと思った。
だが、ネアンは新神話にもまだ在籍していた。
彼は最悪、自らの死によって、火の鳥を自在にコントロールできると書いた。
ネアン・イザナギは生きていればUFOによって地球をいったん離れるだろう。
宇宙の技術で病態から一転して不老となる。
地上にある間に死ねば死んだで、火の鳥となって宇宙を翔る。
だが二者の歴史は大きく異なる。
前者では、またぞろ次の時代を迎える準備をせねばならない。
だが、後者では、邪神天仙たちを焼き尽くし、宇宙全体を一新するのがひとつ、良いプ
ランがなければ、実験炉宇宙を潰して廃絶してしまうことをも視野に入れる。
閉じ込められた梵天を救い、国常立神を救い、すべてをマグマの中に投げ込んで、宇宙
の礎石の打ち立てから始めるか、もしくは物理宇宙を消滅させて、意識だけを残すかで
ある。
天仙が目論む黄泉の国の独立などはありえない。また、そのようなことはさせない。
まず、すべては原初の状態になり、梵天に大政を還して宇宙創世記の頃に戻らせるので
ある。
梵天はそれでよしとするだろう。
ネアンはどちらかというと、梵天に早く目覚めてほしいと願っている。
梵天の見た夢。夢 の中に投入された観測装置としてのネアン自身の立場を嘆いているの
だ。
目を覚ましてもらえたなら、宇宙も宇宙を生み出す力も、すべて幻の中に消えていくで
あろう。
少なくとも数年以内には、どのようなやり方にしろ解放されることを願い、ネアンは新
神話を改訂しつつあるのであった。

日の出嬢と岩戸別けの神業にむけて詠った歌。

名にしおふ君と出会へりかすかにも御手を握りて合言葉受く
満天に星のごと出しUFOの白き光は岩戸のあかり
君の名は神々しくも示しける岩戸さし開け陽の射す様を
我請はむ岩の扉を開け放ち出したきかな天照大神
我投げる岩戸をはるか東へと受けて隠せや戸隠の山
恥ずるなく天の御衣着こしめせ素肌の君はまぶしきの由
輝きに御衣も透けけり程良くも高天原は夜明けとなりぬ
しかる後高天原に日は昇りさばへなすものことごとく消ゆ
言祝げや諸天善神集ひきて高天原は賑はひの時
然る後地上の闇も掃われて世に打ち立つは真の皇
すめろぎの下に憩へや諸人よ命育む傘なるゆえに

幾度か逢ひしが、思いが伝えられずに無力を痛感せしときの歌

かく思ひ君まぎたれどえにしなく時も力もはやうせてけり
空しさや世はうつろひて消え行くもたなびく雲ぞまた帰り来む

あまりに性格的にすれ違いがありすぎ腹悪しく思ひしときに詠みし歌

黄泉なれば高天原も質悪しく操もなければ手力もなし
ホピ族はマサウと見たりUFOの飛び行く姿に思いを馳せて
二人ともこの世を恨む者にして出せる結果は復讐の道
契りあへず岩戸は開かず黄泉のまま滅びのままに滅び去るべし
UFOの白き光は蜘蛛の糸イザナギ出せや黄泉津の外に
核使ひ地上に出る杭焼けば良しいずれ人類出る杭なれば
火の鳥よ核の炎となりて飛べ良きも悪しきも溶かし尽くさむ
我こそは宇宙を潰す摂理なり戦さ偽り絶望の果てに




第九章 結章

新 たな宇宙の設計
イ ナンナの逝去
旧 神話への復帰
ヒ ラサカ、八角堂三階の青年についてまくしたてる
元伊勢旅行
忿 怒相のネアン
朱 雀のはばたき
四 神相応揃い 踏みする
ゲ ンのもたらした魔法使いの情報
カ ンナオビのもたらした青龍の玉
四神相揃う
二 人の魂の婚儀

観 世音菩薩のこと
婚 儀の九日目は召還の兆し
魂の 新婚旅行
天 の岩戸 別けへの挑戦
三 千世界最強神話の雛形の舞のシナリオとは
夢 見の大女優 カンナオビ
わ ずかな疑念
雛 祭りの秘儀
現実の重み
約束の地
青蛇転生

日 本史の転機
リー ゼントの化け物
宇 宙からの干 渉の要請
最後の戦 い
カ ンナオビによる国常立尊の救出劇
円 滑なるシナリオ



第九章  結章


新たな宇 宙の設計

幸せなある日の昼下がり、イイナンナはいちばん下の子の相手をするうち、その子が
眠ってしまった合間に、うとうとして不思議な夢を見た。
夢の中でイナンナは大きな亀になって水に浮かんでいた。
自分の姿をよく見ると、背中の六角の甲羅のひとつひとつになにやら複雑な造形物が
見て取れる。
それぞれは七色に輝いていて、直感的にイナンナは、それぞれに違う世界を構成する
何かが詰まっていることを了知しているという按配であった。
ああこれが玄武、五色の亀とは自分のことなのだと、不思議なほど自然にそう思って
いた。
ところが浮かんでいた湖が旱魃でどんどん水が減っていった。
あたりの村々ではたくさんの人々が餓えに苦しんでいた。
そのときイナンナは直感的にわかった。
イナンナがこの玄武の体を捨てて、背中の世界を解放すれば、皆を救えるのであると、
ほぼ確信に満ちてそう思えたのである。
甲羅の中には、豊かな水と、地上天国の基になる世界の、細胞の元のようなものがい
っぱい詰まっていることが分かっている。ならば、これを人々のために解放すれば・・。
夢の中の短いようで長い思考の中で、とうとうイナンナは自己の存続をあきらめた。
この肉体を捨てようと思った。
しかし最後に、愛しいネアンに会いたいと思った。
肉体をすてれば、ネアンにもう抱きしめてもらうこともできない。
再び、遭えるかどうかも分からない。
そこで、まるで人魚姫のように美しい乙女になって、イナンナは水から上がりネアン
に会いに行った。
最後に、一目遭い、できれば抱きしめ合って、別れを告げようと・・。
ところが不思議なことに、捜し求めたネアンも実は朱雀の化身だったのである。
朱雀は傷みきったこの世界を火炎で焼き尽くし良い世界に立て直そうと思ってる、と
イナンナに告げた。
自分もその火炎を解放する為に、体を捨てて解脱しようと考えていると。
そこで二人は話し合い、お互いの肉体を捨て、解脱することにした。
お互いが合意するや否や、鶴と亀としての、朱雀と玄武としての魂が交じり合い、そ
こから見る見るうちに新しい世界が生まれ、育まれていった。
ああこれが鶴と亀が統べるという意味なのだと、イナンナはおのずと了知していた。
☆☆
イナンナ!
ようやく分かった。
人間の身であることは浅ましい。
長すぎる時間を悩み通さねばならなかったのだからな。
怨みも募った。解脱などさせまじと唸った。未来永劫の怨敵ぞと見定めた。
だが、それは邪な支配神に操られる人間の曇った頭でする誤った思考に過ぎなかった。
君はすでに解脱を目指して、玄武の体を捨てていたのか。
2002年10月のあの日、私は朝に蛇を轢き殺し、真っ暗な夕べに亀を跳ね飛ばし
た。
よもやまだ眠りに入らずにいる蛇がいようとは。そんな生ぬるい日だった。
まさか対向車のために農道の左ぎりぎりを走らざるを得ないなど、どうして考えよう。
スサノオが君の守護を果たせなかったことを知ったときでもあった。
だが、君はスサノオにこう言っていたのだな。
もう私はここで死にますから、無理をなさらないで、と。
たじろいだスサノオは、結界を解いてしまった。
どこにいるんだ。
答えも寄越せないところに行ってしまったのか。
私はまだ最後の詰めを残しているが、もうすぐ迎えに行く。
どうか待っていてほしい。
この心、届いただろうか。
もし、それがイナンナの純粋さなら、いつか必ず戻ってきなさい。

洗脳されていたイナンナ

イナンナには生来のトラウマがあった。
「そもそも、一つの疑問からすべての旅は始まった気がしています。
それは、創っても創っても壊れてゆく宇宙。
気づかれぬように創っても・・・
気づかれると壊される。
あれは何だったのだろう?
腐った卵のように・・・
エントロピーの増大?
情報の海に飲みこまれる、統一というなの無?
男神様と、女神様の嘆き。
そしてそれに抗う為に、
旅をしている人たち、
戦っている人たち、
夜明けの旅人。
それは、私が生まれた時から受けてきたはずの、
宗教概念と真っ向から対立するといってもいい概念。
救世主という、統一者とは反対の・・・
悪さえも宇宙が続いてゆく為には必要だと、わざと調和を乱す為に、
調和は無に向かう道だと・・・
人だけがゆらぎを創れるのだと。
ゆらぎだけが、宇宙を存続させると。
なんで、こんなメッセージを受け取ったのか?
でも、確かに受け取ってしまった。
正しいのかさえもわからない。
混乱して、
だから耐えかねてあなたにぶつけてしまった。
悲しいです。
せめて、あなたとの出会いだけは、
一つの導きだったと信じていたいけど、
それも私が創ってしまった宇宙の出来事だとしたら、
いったい自分の何を信じればいいの?」
☆☆
それがイナンナの裏切りの元になっているなら、解答をしておく必要があろう。
これは反面、天仙邪神追討の最大の理由にもなることだからである。
善悪混交による宇宙の寿命引き伸ばし計画自体が邪な精神に満ちているのだ。
天仙邪神たちは相計って、彼ら自身の総帥権の安定という目的を果たしながら宇宙を存続
させるために科学的理論を打ち立てた。
この実験炉宇宙は、正平衡となれば、自然消滅の方向に進んでいく。
物理的なエントロピー増大の傾向は、自然流砂の掟の原則が伏在し、何人にも変える
ことのできない摂理である。宇宙の開始時点から、宇宙の寿命が予め規定されて登場
していることを示している。このために投入された「生成衰滅」という万象必在のパ
ターンは、彼らには理解できない設計思想だったのだ。
彼らは宇宙を創造した古参の科学者たちを追い出し遺産を引き継いだものの、新たな
宇宙を創るほどの力がなかったために、改造で対処しようとしたのだ。
天仙の科学者たちが様々な実験をして理解できたことは、寿命が短い物体に関して、そ
れを支える意識体のほうが先に撤退するという現象があることだった。同じもので比較
したときでも、意識体が逃げたほうで崩壊が著しく進んでいた。
物質は霊質とひとつのペアーで生じている。有目的的な物質が生じるに際して、自然発生
的に自然霊としての意識体も生じる。その理由は、石ころのひとつにさえ、意識の目を宿
す仕組みが備わっているからだ。宿る意識の目とは、「意識原理」すなわち、梵天(ブラフ
マ)から放たれた光(アートマ)のことだ。霊体は意識の目を宿す容器。よって、霊体で
ある自然霊は、物質の寿命の原因にもなっているというわけだ。
根源的理由を知る者は知り、知りたがらない者は認めない。天仙たちはどちらかというと
後者だった。なぜなら、意識原理の目は純粋観照するのみで、何の作用もしなかったから
だ。彼らは、抵抗しない弱者いじめを繰り返すタイプの性向から、意識原理のことをも侮
ってしまった。
ただ、力だけがどこからか(梵の全系からなのだが)流れてきて、寿命とパワーを賦与し
ているように見えたのだ。梵は賦活する者である。魂を永遠のものにしてやまないもので
あると同時に、純粋観照者。このポイントに天仙邪神の侮りと見落としがあった。すべて
は梵天に筒抜けであるということを。
彼らの問題意識は、賦活力の喪失とともに物質が急速に老化する局面のみに向けられた。
自然霊をとどめておけば良いのだが、霊は意志を持ち、情報習得のアンテナを縦横に張っ
ているため、移り気な傾向がどうしてもある。
物質のような障壁はなく、気体のように物質を貫通してどこにでも現れる、同じ場
所にとどまるのが苦手な存在なのである。譬えて言うなら、電子と陽子の関係だ。
かといって、原因になる対発生した物質に霊線を残し、その管理をさせられている側
面もある。しかし、霊の側が気に入らなくなれば、離れていってしまう。
霊が流出していく先々で、より激しく物質の劣化老化そして消滅が起きていることを天
仙の科学者グループは見出したのだ。
逆を言うなら、物質の消滅を避けるためには、霊がそこに居つくシステムが必要であ
り、たとえ霊が移り気に去っていったとしても、そこに別の霊が補完するように補充
されれば総量的に安定すると考えるに至った。
そこで、霊の捕捉と誘致のために、実験炉宇宙はその魅力をいっそう増すことを余儀
なくされだ。物質ひとつとっても、その単体のままでは面白くなかろう。
合成することによって新たな物性を発するシステムを作ったりもした。化学という分野の
登場だ。この多彩な展開に、自然霊は同じ場所にとどまって事情を観察しだしたのだ。
このため、宇宙はそれ自体、予め定まった寿命が更新できると考えられるようになった。
その方向性を希求する方針が天仙会議で打ち出され、下位に通達されたのである。
といっても、永久的に自己保身したいという暗愚なトップの意向で、そう指図されたとい
ったものでしかなかった。だが、お上の命令とあって、配下は従ったのだ。
いっぽう配下の科学者グループは、量的に拡張すれば宇宙が不安定になり、全体が崩れか
ねないため、中味を質的に拡充する方向を模索した。
様々な実験の結果、本来自由である魂が霊に宿ったとき、関心を示すのがストーリーであ
り、違和感ゆえに最も関心を持つのであろう、ストーリーの中にも善と悪、正義と不正義
という要因の盛り込みが最適であることを見出した。
この二極が互いに優位を交替しあうストーリーが、自然界の中でサイクリックに行われれ
ば、その中で霊はみずからの担当する物質を背負って、ついにはストーリーを担うのでは
ないかと考えられ、実験が為されたところ、霊はまるで物質世界が最重要であるかのよう
に振舞い始めたのだ。
この現象は極めて面白くまた重要視されるようになり、「集中現象」と呼ばれることとなっ
た。
宇宙はあまりにも広い。だが、実験系の雛形を宇宙の要所要所に設け、そこで起きる集中
現象によって宇宙を支えてはどうかという話になった。
だが、真っ向から異を唱える者たちがいた。それが自然の流れは変えてはならないとする、
後に禽仙と呼ばれる者たちだった。そこで、これらを疎ましく思った改革者たち天仙軍は
禽仙軍と大戦争をした。
壮絶な超能力科学戦争の末、禽仙が負けて封神処理がなされた。封神は一種の催眠術のよ
うなものである。被術者に術者を視認できない処置を施せば、そのようになる。だから、
禽仙たちは神々にされ、彼らにコントロールされる存在となった。
タネを明かせば、すべてはプログラムだからだ。梵が夢見に入ったのはプログラムの中に
だったのだ。梵の全系とは、全系のプログラムを観測する一大情報系システムのことだ。
梵天は分霊の総力を挙げて夢を見ている。彼にしてみれば、分霊はすべて彼の触手である。
人界、神霊界、仙界などは、プログラム上で相互作用の形態が取り決められているにすぎ
ない。意識原理にとって重要なのは、今現在どのプログラムを実行しているかどうかであ
り、当面している部分だけが個々にとっての真実なのだ。
こうして天仙の主導で宇宙が実験炉として運営されることになった。
まず、宇宙の中心部と外辺部の弱りかけたところにこのプログラムを置いた。結果は、
普通でいるより、かなりましであるという結果で、寿命の延びは15%ほどと推定さ
れた。
あとは、宇宙内の約一万箇所に同様の仕組みを少しずつ要素を変化させながら置くと
いう努力に二億年要して今がある。
30%ほど処理が終わったころ、銀河系に置かれる集中現象の実験系として選ばれ
たのが太陽系の地球であった。
神々とは、人間より数百年から数万年進んだところにいる科学者であり、肉体という時空
のしがらみによらず生きる自由度の高い者と言ってもよい。世界の創生以来、観測する意
識として登場を果たした者がほとんどであったが、ひとつ以上の宇宙の創生に関わり、一
通りの文明の初穂から爛熟を経験した結果として、人間種の発展した形態の半神半人族的
な神もいた。
イナンナはそうした神々の一人であり、科学者グループに属していた。
彼らはプロジェクトチームを結成して、トップの指令によってその命令を忠実にかな
えていく使命を持っていた。
特にイナンナの場合は、厳格な規律を課すチームの中にあって、トップの提示する要
件の遂行にあっては、張り詰めた神経をもって事にあたった。
自由度を確保した退屈男的な神々とは雲泥の開きのある立場にあったのだ。
彼らの主目的は、200億年と予想された宇宙の寿命を限りなく永久のものにするための
研究と実験にあった。
どうして、このようなプロジェクトの中で働くようになったのだろうか。それはイナ
ンナが弁天の分霊として降ろされたからである。すでに梵天から生まれ、その妻と
なった弁天には何千もの宇宙の興亡を、外宇宙から眺めてきた経過があった。梵天が
弁天を愛し交わるごとに宇宙が生まれた。その赤子宇宙にかける愛情は、母のそれで
あった。その宇宙の中で、幾多の意識が生まれようとも、その土壌となる宇宙そのも
のへの愛着には強いものがある。
だが、それが常に成熟した姿を見ることなく、壊れていく有様を見るに、ついにその
中身がどうなってそうなるのかを見極めたく、また改善されるものなら、その方法を
見出したく思ったのである。
さて、ここでもうひとつタネを明かしておかねばならない。プログラムには必然的にエン
ドがある。というのも、夢見をする者にとって、夢はいつの日か終わらねばならないから
である。むろんエンドレスに設計することもできるが、それでは現実に立ち戻ることがで
きなくなる。だから、弁天の願いは知りつつも、ひとつひとつの宇宙に夢見の目的をふん
だんに盛り込むことでしか、愛妻を喜ばせることしかできないでいるのだ。特に火の鳥は、
梵天が夢見のループから抜け出せなくなったときのために、非常処置として置かれている
伝家の宝刀と言ってもいいものだ。宇宙が狂気の様相を呈したなら、火の鳥を起動しよう
とする者も出てくる。それは一連の手続きであり、最初の設計者梵天の周到な計画と言う
しかない。
だが、弁天は過酷な任務を帯びた分霊を各地に派遣した。その一人がイナンナである。
そこで梵天は、弁天にもたらされる分霊たちからの情報を通じて、弁天自身が悟れるよう
な環境作りを思い立った。ストーリーからの学びは、最高神にあっても同じと目されたの
だ。
イナンナの所属するプロジェクトは、すでにひとつの結論を見出していた。宇宙は静
平衡となったとき、エントロピー増大の摂理に呑まれて宇宙は終焉を迎えると。つま
り、刺激とそれに対する反応が活発に為されれば、それだけ生命反応として生き延び
ようとする働きが宇宙にも生まれるという原理である。
彼らは、宇宙のみならず、あらゆる生命現象には、興亡すなわち、生・成・衰・滅も
しくは生老病死のパターンが内在することを理解していた。その流れをいかに食い止
めるかに焦点を絞って、宇宙の永続性を追及していたのである。これは邪なトップの
思惑を別とすれば、しごく純粋な動機に基づいていた。弁天の意向を汲むイナンナは
真摯に取り組んでいた。
そして、様々なエレメントに分解して調査研究が進められた結果、最も良いと判断さ
れたのが、原因結果の因果律の自動生成法であった。
これは、原因がなければ、このような結果は生じないというありふれた話なのである
が、生成された結果が次のサイクルの発生原因となるような仕組みの確立が、ひいて
は寿命の増大、さらに半永続性の確保に繋がるというわけである。
その計画の移植が宇宙の随所で行われていった。
だが、あるとき、さらに残酷な方法が、邪悪な科学者によって考案され報告された。
それは、邪悪の要素の開発と実験系への過剰投入がはるかに物質世界を堅固にする事
実が見出されたというものであった。霊たちの執着を高めることに成功したというのだ。
ここで科学者グループが対立抗争を始めた。邪悪の投与は二次三次的弊害を生み出すとし
て、彼らの計画を阻止したグループが生じたのだ。
計画星から計画星というスパンの大きい宇宙空間を背景にして、しのぎを削る戦争が起き
た。
イナンナは、体制側に属する戦士として働いた。計画を潰そうとするテロリズムと戦うた
めだ。そのどちらにも、戦闘の理があった。
ある計画星において、イナンナはテロ戦士のネアンと一戦を交える。互角に戦った最後に、
息絶え絶えの中で、たくさんのことを語り合った末、ネアンは死んだ。
イナンナは救出され、科学者としての任務に戻ったときには神としての処遇であった。
その後、実験がスタートすることになり、雛形の置かれたのが太陽系であり、地球であっ
た。
人類はすでに因果律の実験のため生成されていた。敗戦者である禽仙たちがそこに宿らさ
れた。これが俗に言う失楽園である。
カルマの法則が、そこに生きる人類のために付与された。
そして、第一人類が神としての似姿を生き、小さな実験系の中でエントロピーに増大をき
たして滅んでいく姿を見た。イナンナはそれを高みから見下ろしていた。
第二人類には、鈍重さが性格に加えられたので、なおのこと短命に終わる結果となった。
第三人類には、獰猛さと好戦性が付加されたため、人類同士の戦いに明け暮れて、やは
り短命に終わった。これが恐竜時代である。だが、彼らは文明の窮極において、宇宙に出
るほどの高度な科学力と精神性を備えていた。彼らを滅ぼしたのは、彼らの闘争ではなく、
あくまでも邪な計画のよこした巨大隕石の落下だったのだ。
ごく少数は宇宙に逃れて、様々な葛藤の末、邪神の意向に沿うことで生き延びた。これが
爬虫類型文明星にまでなっている。
科学者たちは、今から四万年前の第四人類に、最も不完全な人間の性質を付与した。
それでも当初の人類の脳には、神霊とコミュニケーションする魂の活躍のエリアが大きく
取られていたため、宇宙の秘密や、彼らのプロジェクトの秘密がいつしか漏洩し、反逆
分子の登場でプロジェクトの活動が阻害されたため、クロマニヨンは滅亡させられた。
さらに遺伝子の改造を行い、第三の脳である社会脳を付与することにより、心霊能力の芽
を摘んでいった。これにより魂の働きは著しく鈍重になり、半睡状態になってしまったの
である。これがいちばん進化したとされているホモサピエンスの時代である。
そして、様々な能力にとって代わるように悲惨さの要素を投入していった。
陰謀、簒奪、戦争と悲哀、裏切り、ありとあらゆる悪徳が、かつてあった神性に代わ
り投入され、そのキャリアーとなるアウトロー魂が宇宙の随所からかき集められた。
そして、一種、流刑の地と地球は化していったのである。これが俗に言うパンドラの箱の
いわれだ。
この地球の生活の中から、いろんな教養を得て再誕生の道を閉ざした魂もいた。彼ら
は卒業者として他の星系へと旅立ったり、神となり神霊界だけで暮らすようになった。
同様に、この中で魂を進化させる者も数知れず。数々の経験で、争いの無駄を知り、無知
の状態からの決別を図る人々が増えた。しかし、地上に平和を獲得させるわけにはいか
なかった。去った者と同数以上のアウトローたちが地球に投入されたのである。これでは、
いかに地上に理想を求めても仕方のない道理である。
トラブルメーカーが大半を占めるようになれば、文明を根底から覆して、人口の大激減を
経て再び文明の初穂から始めるという計画である。
人類の滅亡という状態が生じても、次の時代の歴史に原因は引き継がれる。ストレスとカ
ルマが多く生じたほうが、次の時代の大きな原動力となるというわけである。
だから、終末期の悲惨さは耐え難いものになる。魂の総合的な要望だとして、歴史の悲惨
さの軽減措置が幾度もとられてきたが、逆に魂にとっては深手の傷を負うことになるもの
である。肉体の存続に関してのみなされる表面的な負担軽減策は、魂にとってはかえって
悪い。
イナンナはその様を見て、しだいに地球人に対して同情的になっていった。
彼らプロジェクトが地球に関わるときは、チーム員個別には霊体そのものが用いられ
たが、多人数で調査する場合は、プラズマタイプの宇宙船が用いられた。このプラズ
マの容器の中に、彼らの霊体が繋がるのである。
そして、宇宙船は時間軸に沿っても動くことができた。つまり過去の歴史に介入する
ことも、未来の歴史に介入することもできたのだ。
イナンナは地球に興亡する文明の数々を見てきて、悲惨さの犠牲の上に宇宙存続の手がか
りを求め続けることに疲れを催していた。
そんなとき、イナンナは宇宙船による単独での探索の際、時空に妙な人間の存在を見
つけた。
それはかつて戦ったネアンであった。だが、文明の終了間際において、プロジェクトの
やり方とは別のノウハウを持っているかのように見えたのである。この者は、宇宙存続に
異議を唱えた側の者なのに、その鍵を握っている感があるのはなぜなのか。
ネアンは何かのきっかけを待っているようであった。しかし、なかなか見当たらないでい
るようであった。
イナンナは、かつての戦友ゆえ、プロジェクトに報告せずに胸にしまった。
そしてなおも探索を進めるうち、地球神界の第二時代に起きた国常立神の政変時における
側近であったことが分かった。彼には王政復古の志が見られたのだ。それが宇宙存続の鍵
になる?
邪悪を強く戒めることは、静平衡によって早逝するという原理に反する。復古行動も戦い
だから、その意味ではいいかも知れない。神界でも特別な位置から見れば、ネアンら一味
の計画にあるXXXXXXの領域も手に取るようだ。そこで下準備に余念のない者たちのうご
めく姿があった。地球上へ転生しようとしているのだ。
神々にも兵役の義務がある。
つまり、下界に下りて、人間としての修行をしてくるというわけである。
過酷な環境ゆえに、修行になるという。
地上には、ネアンに寄り添うようにしている龍の霊体がいた。これは?土着の霊体か?
それこそXXXXXXで待機するカンナオビであった。意識を飛ばして、様子を見に来ている
のだ。彼女も弁天の分身として別グループに派遣された者であった。
だが、イナンナは化身ゆえに、素性を定かに知ることができない。自分も龍、これも
龍。とすれば、眷属の可能性はあると思う。
見たところ、情念が支配的だ。ならば、まあいい。
イナンナは兵役の場所を自分で決め、休暇を下界経験のシミュレーションに当てた。
そして、XXXXXXに至るや、しばらく予備者訓練を受けた後、予定された主役から強引に
役を奪う形で、下生してしまったのである。
サポートが得られないことはむろんだった。
パラシュートはなんとか目的地に着いた。
だが、上界の負い目はたえず持ち続けなくてはならなくなった。
「だからあれほどやめておけと言ったんだ」という同僚の言葉が、ときおり脳裏に木
霊して痛かった。
だが、持ち物の綻びかけた袋の中に、金色に輝く「玉」があった。パラシュートに結わえ
付けられてでもいたのか?
竜宮にあった「玉」ではないか?いや、実際、それが何かは分からない。
今回の転生で、ネアンにこれを渡さねばならない。
そう思ったとき、上空の黒雲から鬼が青黒い顔を出して、こう叫んだ。
「お前は偽者だ」
とっさに「私は本物よ」という文句が、口をついて出た。すると鬼は消え去った。
XXXXXXでは、こうなっては仕方ないという感じになっていた。可能な限りサポートせね
ばと。
下生すると誰しも分かるように、神霊界にあったときの記憶を失くす。
渡すべき役割。それを誰に?誰なのかは分からない。象徴するは夢で導かれる八角堂。
そうして、見つけたのが偶然にもネアンということになる。
ネアンは言う。
君がこの宇宙誕生の秘密を知る立場にある高い位置にいたことは分かる。
そのグループに浴していれば、宇宙の存続を大命題として働いていたことも理解できる。
だが君はきっと、善と悪の坩堝に投げ込まれて延々とさまよう有情たちへの同情心を
いつしか持ったのではないのか。
それが、私への過度の干渉となった。
同グループの者たちが驚くのも無理はない。
君の行き過ぎを反逆ととった彼らが妨害してこないはずがない。
だが、私は君からの宝のプレゼントを確かに受け取った。
それは危険なお宝であるとともに、ものすごい力を持つものでもある。
私の魂の進退をかけての戦いの力となるだろう。
実際、私は魂の存続を諦める覚悟がある。
君は私が成功しても私と遭う必要はないし、私が失敗して遭えなくても豊かに生きる
道はある。神界では元の鞘に戻るという手がある。
あの一つ目ピラミッドの傘下で余計なことを考えず地道に生きればよい。
だが、どんなにあがいても、所詮宇宙の寿命が伸びるなどということはない。
必ず、ものごとには終りが用意されている。
万が一寿命に余禄ができたなら、せいぜい楽しみなさい。
その長さがどうであれ、私は損をしたとは思わないし、思うはずもない。
すべて夢の日々なのだから。
山が呼んでる。
あの白い雲が我を招く。
風が過ぎし日の香り運ぶ。
また帰る日を恋いてさすらう。
シュミセー、わがふるさと。
シュミセー、わが来し道。
ああ、すべて夢の日々。
心に抱きて今日もさすらう。
だが、その夢も終わりにしたほうがよほどいいに決まっている。
君が解脱を目指しているように、誰もがそうあるべきなのだ。
君だけ解脱しておいて、後の者は地獄に打ち捨てておけばよいというのなら、君は偽
者もいいとこだ。
だから、私は君を最後まで疑っている。
☆☆
かつて、ムーには精神文明のみが著しく発展し、
人々は意識を拡大し、魂の帰一を願い、本来わかれていくはずのものが、
一つに戻ってしまい、崩壊したのだそうです。
それを調査に行かれたアトランティスのスサの王は、
状況をわからず、その空間のひずみにぶつかり、(というかムーの魂は、
彼さえも吸収しようとしたのだそうです。)大変な衝撃が発生し、
アトランティスを同じく崩壊に導いてしまったのだそうです。
そのとき、塵に再び分散した、ムーの魂達は、アトランティスの魂達と融合し
、2大陸両方の記憶を持つ魂が、誕生してしまったんだそうです。
私もそうかも?
そのとき、やはりいまだ発見されていない物質で作られた、
竜の形をした水陸両用の乗り物、(変形、合体もし、水の中では、
亀のようかもしれないと言っています。)おそらく神亀で、一部の人が脱出し
たそうです。
今はそれは鳴門の渦潮の奥深くに眠っているそうです。
ネアン。なんで創っても、創っても宇宙が壊れていったか、
私少しつかめたんです。
それを今物語にしています。
もし、それが少しでも正しければ、
もっと前向きな方法で、エントロピーの増大を防げるかもしれません。

2002年3月にイナンナの見た夢。
梵天にストゥーパのような建物の中に招かれて、大きな部屋の中にたくさんの工作物
がしてあるのを見た。梵天が言うには、これが新しい世界構想だとのこと。積み木の
ような感じの四角い箱を梵天は手にとって、これはどこに置こうかとイナンナに話し
かけると、イナンナは笑って見ていた。
2002年4月にイナンナの見た夢。
梵天がイナンナに対して宇宙の構造について講義している夢であった。
エントロピーの増大を防ぐ方法。それは宇宙創生期からの設計思想を変えるしかない。
設計段階で生成衰滅を予定したものであるのに、どうしてそこから逃れることができよ
うか。
だから、出来損ないはパッチを当ててややこしくしたりせず、廃絶して一からやりなお
すことこそ大事となる。プログラマーの知識が少しでもあるなら、そのようなことはすぐ
にでも分かるだろう。残念ながら、君の属していた科学者グループふぜいでは、新たに宇
宙を創り出すことは不可能だ。
だから、君は梵天に頼ろうとしたのではないのか。
ただ、プログラムがなぜ有限でなくてはならないか。その理由にも思いを馳せなくてはな
らない。
私は、真剣になってくれるなら、理想宇宙を共に創ってくれるパートナーを求めている。
梵天が私の理想を容れた国づくりのサポートをしてくれるだろう。
私は妻を捜している。
共に有情を育む宇宙の父母になるような妻を。
設計に参画してくれる妻を。
弁天がサポートする妻を。
物語を作るのはけっこうだ。
だが、邪な科学者たちの精神性で語ろうとするものなら、無意味だ。
正義と善意で理想を語るものであって欲しい。
新しい宇宙のプランであって欲しい。
そのような物語であってくれることを望む。
君の夢に現れた梵天は、すでに半ばできあがったプランの間に君を案内しただろう。
君のすることは、協力することではないのか。

イナンナの 逝去

2001年8月、イナンナは、妻帯する上司に強引に関係させられてしまう。
以後、上司の性的奴隷となり、それを自らのストレス解消法と位置づけていく堕落ぶ
りとなる。
(この時点で二人での神業達成はかなわなくなり、イナンナはただ持てる情報のすべ
てをネアンに伝えるだけの伝令者となった)
2001年10月、イナンナはネアンと入った暗いホテルの中で、突然悪霊がいると
騒ぎ始めた。それは間髪を入れず、イナンナにとり憑き、イナンナは失神状態から霊
掛かり状態となった。
悪霊がイナンナの口を借りてネアンを威嚇した。
俺たちの世界をどうしようというのだ。悪いことをして何が悪い。こうしたことを好
む者もたくさんいるのだ。放っておけ。そもそも、人間でもない者がどうしてここに
いる。この世のことに関わるな。
ネアンは言う。人間として生まれている限りは人間だ。極端な悪は阻止されねばなら
ぬ。お前たちのせいで、多くの苦しむ魂がいることを見捨てては置けない。
悪霊も言う。この女がどうなってもいいんだな。それが困るのなら、手を引け。
暴力的なアウトローであることで威嚇するしか能のない悪霊。
お前は天仙の差し金できたのか。
天仙?何だそれは。そんなもの知らん。
私は、みんなを救いたいのだ。お前たちも救われる対象だ。決して悪いようにはしな
い。だから、この者に憑くのはやめろ。
俺たちのしたいようにさせろ。救いなど必要ない。
水掛け論になろうとしたところで、悪霊は去っていった。
イナンナは霊媒体質である。自らコントロールのできない霊媒体質は、過去世に審神
者があっての巫女だったことによる。生まれながらに霊体にぽっかりと空いたセキュ
リティホールを持っているのだ。ネアンはかつて巫女の審神者であった経験から、このホ
ールを見つけて彼の幽体で埋めるようにした。だが、周辺環境の悪化で、簡単にホー
ルは空いてしまい、そこに悪霊が懸かろうとした。それを防ごうと、のべつ愛念の気
を送るネアン。そのような繰り返しの消耗戦の日々であった。しかし、遠隔であるこ
との不利は否めない。いつしか、イナンナの霊体のホールには、いくつもの悪霊ウイ
ルスが住み着いていた。そして、肉体を明け渡す日が来てしまったのだ。
審神者は巫女に掛かる相手を見極めるあまり、中核にいる神すらも審神してしまう傾
向にある。これが今生のネアンの反逆精神の根にある。
イナンナは事故に相次いで遭うようになった。
2001年12月、イナンナは車に撥ね飛ばされるが、奇跡的にかすり傷ですむ。撥
ねた側の女は、部落解放同盟に属する制度上の放楽者であったため、イナンナは警察官に
よる事故のもみ消しに遭ってしまう。
イナンナはもともと損得で考える人間ではなかったが、イナンナの魂はすでに逝去しかか
っていた。代わりにすでにとり憑いていた悪霊に取って代わられようとしていたため、損
得勘定も強くなっていた。
2002年4月、名が鶴亀という世にも稀な名の人物の車と衝突事故。鶴亀側が非
優先であったのであるが、鶴亀の使用人が司法書士であったため、話がこじれて解
決に長期間要した。
この二件につき、ネアンへの相談のタイミングに乱れがあり、ネアンの出る幕はな
くなった。イナンナはこれにより、ネアンを頼りがいのない男と見るようになり、イナ
ンナの上司がこのとき貢献したふりを見せたため、イナンナとの仲をより深くしてい
った。鶴亀氏との関わりは、一見神業を放棄したイナンナへの制裁の感があったが、
事実は天仙たちが仕組んだ、イナンナとネアン二人のシンボル的協力関係に対する露
骨な妨害であった。
2002年7月、大本教の篤信者老人のバイクがイナンナの車と接触し、人身事故と
なる。
大本教の老人は知り合った契機に、イナンナに王仁三郎の「霊界物語」の本を貸す。
だが、イナンナにしてみれば、ネアンとの関わりが一連の事故の原因であることは疑
いようもなかった。こうして、ネアンといつまでも付き合っていては、自分の将来に
魔が差すと真剣に思うようになった。
後のことを別の魂に譲って、イナンナの魂は逝去したのである。このすぐ後、イナ
ンナは人間の身にあって神業に携わるようなことはしてはならないからと、還俗を宣
言した。いやしくも神が還俗を表明したなら、その通りになる。
それでも竜身に変化したり、梵天と会見するなどの夢見が後々続いていたのは、蓄積
された記憶が時折蘇ったからで、逝去したイナンナの霊は還俗宣言のことなど知るよ
しもなかったのだ。肉体はただ伝令としてのみ機能した。
梵天は協力者のイナンナに対して、精一杯のもてなしをしたつもりだったが、これ以
降、イナンナは梵天の夢を見なくなる。梵天はどうしたのだろうとネアンに問うが、
当時何も知らなかったネアンは、梵天が戦闘準備に入ったため会う暇がなくなったの
だろうとしか答えられなかった。
梵天に会える立場のイナンナの魂はすでに彼女の中にはいなかったのだ。

それでも2002年5月、イナンナはこんな夢を見た。
岡田茂吉と理事長が大池に水をなみなみと張っていた。イナンナは、その有様を見て、
ふもとの民人たちがこのままでいくと洪水で飲まれてしまうと思った。同時に、これ
は最後の審判を意味すると思った。
そうしていると、ネアンが現れた。そして、これを食べなさいと、サンドイッチを手
渡したのである。イナンナはおなかがすいていたので、それを食べようと口に持って
いった。すると、周りの光景が宇宙に変わり、それがどんどん拡散していくのである。
食べるのをやめて口から離すと、宇宙はすぼまっていった。
こんなことを二三回繰り返しているうち、これは大変なことになると思い、まだ家の
一階の片づけが終わっていなかったことを思い出して、食べるのはその後でと持って
帰った。
サンドイッチとは、折にふれイナンナに見せていた新神話のことである。これを食べ
ればまたも宇宙が拡散して消滅してしまうとイナンナは感じたのだ。ネアンへの協力
を潜在意識的に拒んだのであった。イナンナがこの夢を見た年の夏、ヨーロッパとア
ジアで大洪水が起きた。ただし、それが最後の審判に結びつく気配はなかった。
2002年6月、ネアンは自ら朱雀になった夢を見た。
飛んで海洋に出て、エメラルドグリーンの海底から自然の造形美で伸びる石柱の天辺
の黒松があるあたりに留まって空を見上げた。爽快な夢であった。
(新神話で、ネアンは死して朱雀となり、大宇宙に遍満する火の鳥と同化することに
なっている)
☆☆
2002年6月6日、奈良の秋篠寺で大元帥明王のご開帳が執り行われた。この日、
新神話では、奈良を五茫星形の結界が開かれ、その満ずる7日になる直前に、仏像に
こもった梵天が最新兵器を駆って、鬼神とともに結界の中心から飛び出し、天仙邪神
と戦端を開くこととなっていた。大元帥明王とは、九の鬼すなわち国常立神の九つの
化身をいう。
ところが、この計画はイナンナを通じて天仙に漏れており、新神話そのものが骨抜き
にされてしまい、頓挫してしまったのである。
梵天はこのことによって行方知れずとなり、梵天は誰のもとにも姿を現せなくなった。
6月7日には、日本の上空におびただしい数のUFOが集結しているのを、たまたま
6月5日に打ち上げられたスペースシャトルのカメラが撮影している。
梵天軍に立ち向かう天仙の軍勢だったのか、梵天を歓迎する神々だったのか、それと
も歴史的成行の傍観者だったのかは定かではない。
6月6日、戦端を開く日の失敗により、梵天が結界から脱出したかどうかさえ不明と
なった。これにより梵天は消息を絶つ。が、実際はネアンの中に分霊を移情していた
のである。
☆☆
2002年7月、ネアンは夢見の師匠である趙先生が急がせる自転車をこぎ、山道の
水溜りの間を縫うように走っていく夢を見た。その先に、いきなり地下街の明るさが
開けた。ネアンは喫茶店の中にいるイナンナに出会った。イナンナはにこにことして
ネアンを迎えた。ところが、イナンナの前に別の男がいた。えらの張ったがっしりと
した顔立ちの灰色のスーツ姿の男が立って、いまネアンがきたため席を外そうとして、
イナンナをやや怒り顔で見つめていた。イナンナは、ネアンと連れ立って、地下街か
ら家路へと向かおうとしたが、ネアンは自転車で来たことを思い出し、一緒に帰れな
いと別れを告げたところで目が覚めた。
ネアンが、未明に見た君の夢で、君の知っている男、おそらく夢見のできるというウ
ラジと出会ったと脅しをかけると、イナンナはそのとき確かにウラジと出会っていた
と告げた。男の特徴を話すと、イナンナはまったくその通りだと言った。ウラジとは、
かつて潮賞を受賞したM.Fの別名である。彼はナワリズムの使い手として過去世で
イナンナとは仲間であったため、このような形でイナンナのしていることに対して、
天仙側の意向を伝える役目を持っていたのである。
夢見に関してはイナンナが格段に進歩していた。ネアンは師匠が連れて行かねば、
その現場に立ち会えなかった。師匠は、肝心の協力者が、かつての恋心から、むこう
の夢見仲間のほうに去っていきかねないことを懸念して、ネアンを呼んだのである。
この場はなんとかネアンが割り込めたが、その次はもうなかった。イナンナの本体は
逝去し別の霊に取って代わっていたのである。
2002年10月、イナンナとの決別が決定して以降、ネアンは過去最大の苦悩の炎
中に放り込まれた。
心身は衰え運気は低迷の線すら逸脱して再び立ち直れないかのようであった。
ネアンには納得のできる理由がどうしても必要だったが、イナンナはそれを語ろうと
はせず、あえて聞いてももっとひどい嘘を並べ立てるばかりだった。いよいよ傷つき、
恨みばかり嵩む日々。まだネアンはイナンナの本体が去ったことを知らなかったのだ。
かなり後になって、事態のひどさを知った彼の守護者たちがかけつけたころには、逆
にネアンは気を楽にしていた。というのも、持病の心臓がいよいよ時の切迫を告げる
ようになったため、すべてを来世以降に持ち越すべきこと、あるいは自らの魂の存続
の願い下げの方向で、空観に浸るようになっていたからである。
「先生。イナンナはこんな風に言っていたんだ。宇宙は造られても造られても、潰れ
ていってしまう。男女の創造神の悲しみは計り知れなかったと。まるで狼のようなも
のが、出来上がったばかりの赤子の宇宙を食べてしまう幻影を見たというんだ。そこ
で、何としてでも、男女神のために宇宙の存続を図らねばならない。それが私たちの
使命のように思うと。男女神というのは、この場合、梵天と弁天なんでしょ?」
趙先生:「宇宙創造の男女神といえば、梵天と弁天になろう。だが、少し話が奇妙だな。
男女神のために存続を図るとはどういうことだ。梵天のことは私も方士から聞き知っ
ているが、宇宙は無為自然が最良。本来の宇宙は無始無終とのことだ。存続がことさら
必要とされるとはどういうことだ?」
「宇宙が潰れていくのを悲しむ神とは、梵天じゃないんですか?梵天の願いで、善と
悪をこの世につくり、その優位の交替し合いによって宇宙を存続させるように仕組ま
れたようなことをぼくは聞いているんです」
趙先生:「梵天であろうだと?その梵天が本当にそのようなやり方による宇宙の存続
を願っているとでも言うのか。違う違う。梵天は蟄居させられて久しい。いったい誰
が宇宙創造神に成り代わってそのようなことを言っているかを調べてみたらいい。最
後まで物事を抽出してみれば、ただ階層構造的優位の上にあぐらをかく者が、自分た
ちの権勢の時間を伸長させようと図っているだけであることに気付くはずだろうよ」
「そうなんですか」
趙先生:「ギリシャ神話を見ればいい。支配神ゼウスは地上の基盤や生態系を作ったク
ロノスを殺害して実権を握り、体制が安定すれば、今度は自分の治世の永続を願って、
反逆者の捜索と駆逐に躍起になった。プロメテウスが最大の反逆者だったが、彼の予
言を聞いて初めて自らの脅威を去ったという。プロメテウスとは、哀れな人類のこと
を最も慈しんでいる救世主のことだ。ギリシャ神話では両者和睦ということになって
いるのだがな。それも神話を作った者の恐れと理想が篭っているというわけだ」
洋一:「ぼくらは、ゼウスとヘラーのお涙ものの芝居に引っかかっていただけかも知れ
ないな。イナンナなど特にそうだった。いっぽうで正神復活の準備を進めるなどと言
っていたが、正神とは何かすら分かっていなかったのではないのか。要は何をしたい
のかさえ分からずに下生したのではないのかな」
「確かにイナンナは混乱していて、かなり思索を繰り返していました。結局安易なと
ころで妥協してしまい、ぼくを裏切っていったということなのかな。どんなに理想を
まくし立てていても、いざというとき迷ってしまうようでは、工作員ということもで
きない」
趙先生:「いやいや、イナンナの前歴を見れば、ただネアンの妨害に赴いただけという
気もするぞ。イナンナはそのような洗脳下にあって、良いと思って地球を集中現象の
基地にする科学プロジェクトに所属していた。そこで今から四万年前にホモサピエン
スを生産するプロジェクトにいたことがある。それまでの人類は、第二の脳までしか
なかった。純粋に見るだけの脳幹とそれを愛でる観測脳だ。そこに、第三の脳である
社会脳をつけ加えるプロジェクトにいたのだ。原人の脳の発達の原型は、宇宙連合の
間には5億年前からあったから、普通であれば第四脳である統合脳まで設けるはずな
のだが、集中現象の実験場である地球では、第三脳までで留め置かれた。
さらに不幸なことに、脳幹に好戦的衝動を催させる機構と、社会脳にマインドコント
ロールされる機構や観測脳の働きを抑制する機構を付け加えた。これが人類を試行錯
誤の煉獄状態に置くことに役立った。そして、競争して打ち勝つことに物理的生理的
に喜びを見出す本能を付け加え、そこに科学の進歩という新しいソフトウェアを許容
した。このため、長足の進歩はしても、精神性は未熟なままに据え置かれるという現
象が起きた。
抑制因子や発達因子を投入することがすべてなおざりになっているわけだ。つまり、
ありとあらゆる邪悪を吹き込んでおいて、事態の収集をしていないのは、このプロジ
ェクトの奴らなんだよ」
「なるほど。そういうことですか。だったらぼくを陥れておいても平然としておれる
わけだ。地球上で行われる残酷という残酷を、たくさん見てきているわけだから、慣
れていて当たり前というわけですね。確かにそんなことを言っていましたよ。地獄の
あらゆる階層を見てきたって。そりゃ見ている本人は嫌だったかもしれないが、実験
の成り行きをモニターして不平も言わずにその計画に従ってきたのも確かなんだ。イ
ナンナに命令してきた連中はもっと悪いが、本人も悪い。私はこの世の地獄も見てき
ましたとしゃあしゃあと言えることでしょうか?実際の地獄を味わっている者がどれ
ほどいるか知れないというのに、本人は見てきたから分かっていると物知り顔で話し
ていたんですよ。実地で何もしないで、官僚のようなことを言いやがって。ぼくのほ
うがよほど人々の苦悩を見て味わってきているんだ。こんなやつに、軽くあしらわれ
る筋合いはないんだ。無性に腹が立つよ」
趙先生:「待て、ネアン。もしかすると、イナンナは本当に改心のつもりで、重要な秘
密をお前に持ってきたのかも知れないぞ。つまり、お前を妨害するための工作をした
ことは確かだが、それと同時に希望の光のようなものを託してきたということではな
いのか」
「先生は、いったい何を。いえいえ、それもあるのかもしれません。でもぼくは、受
けたダメージのほうがよほど大きい。光る玉の入った袋のようなものはもらったが、
玉手箱を開けた浦嶋みたいに憔悴してしまった」
趙先生:「まさに似ているな。浦嶋は果たして玉手箱を効用したのかどうか。したんだ
よ。安倍晴明にも似た話がある。彼も竜宮に行き、土産に秘術の巻物の入った箱をも
らった。もうひとつ候補として不老不死の宝を受けるかどちらにすると竜王に言われ
て、巻物のほうを取ったんだ。このおかげで、彼は死ぬ身となったが、術を会得した。
浦嶋は、あのとき死ぬほうを選んで鶴になり、蓬莱島に住む仙人になった。これは竜
王の玉手箱のお蔭だぞ。ネアン。お前も、この世界の建て直しに必要な秘術を会得し
たのかもしれないぞ」
「イナンナは、そんな奴だったの?いいや、にわかに信じられない。ぼくにそのよう
な力があるとは思えないし、ただ病態になって弱くなった。あいつを擁護するような
推測は聞きたくないよ」
趙先生:「心配するな。ネアン。何かまだできるはずだ。お前が何かの術を会得してい
るなら、その力で何かが引き寄せられてくるはずだ。待つことだ」
洋一:「話は変わるが、ネアン。君の昔から親友であるというキタロウのことだ。見込
みのあるクラブを作ったというのに、九年前の当時から今までメンバーは君と二人だ
けだ。こんな奇妙なことってあるか?」
「UFOが奇抜すぎてのゆえではないと言いたいんだろう。そうだよ。キタロウは向
こうではイナンナの上司だったみたいだ。つまり、イナンナと同様、ぼくに干渉して
くることを仕事にしていたということさ。要は監視役なのさ。ぼくが何かすることを
事前に知っていて、宇宙からの指図で張り込みをしているというか。イナンナは後か
らやってくることになっていたから、キタロウの目的はイナンナの行動の監視もあっ
たのではないかな。ぼくが結婚するつもりだと言ったとたんに、猛反対に回った。そ
れまでは、早く結婚でもしたらなどと言っていた奴がさ、宇宙連合がそれをすること
は掟破りだと言っているからとね。ぼくは宇宙がなにを言っていようと、指図される
筋合いはないとそのとき真剣に絶交を宣言した。すると、キタロウは困ったような顔
をしていたが、しばらく絶交状態にあったのも事実だ」
趙先生:「結婚すれば、お上から与えられた役目が果たせなくなると同時に、彼らが睨
んでいた脅威が発動すると考えたんだろうな。これで少なくとも、地球の煉獄化計画
に、宇宙連合が関わっていることが窺い知れた。私が思うに、イナンナはお前に起爆
剤を持ってきたんだ。正神復活計画を持ちかける役目としてね。そしてお前はそれに
乗った時点で、炙り出されたことになった。現体制への反逆者がここにありと認めた
ことだろう。ただ、地上に起きた現象が予想外だった。火の鳥という宇宙の誰も理解
できないものが動き始めたのだから。そこに結婚という話が出て、いっそうの接触の
機会が増えることで事態が進展することを嫌った宇宙連合が、ストップをかけようと
図ってきたとすればつじつまがあう。結局は、宇宙人に関わらせなくとも、天仙じこ
みの邪心つきの華族に色仕掛けでイナンナを攻略させたというわけだ。そのほうがお
前に対してダメージが与えられるしな」
洋一:「イナンナは工作員を失敗した自分に嫌気がさして、自殺したのではないのかな」
趙先生:「そうだ。イナンナはお前が二股掛けにシビアなのを知って、絶望したのかも
しれない。どうしてもっと寛大になれなかったのだ。寛大であれば、神話に彼女を試
すようなことを書いたりはすまい。彼らの世代はセックスやら不倫やらに対してそれ
ほど節度があるわけではないのだからな。お前だって、たとえバーチャルと言えども、
不倫相手になっていたこともあるではないか」
「し、しかし・・」
趙先生:「もしそうなら、死んだイナンナの純粋な魂はどこかにいるはずだ。子供三人
を自分で育てられないと知り、懸かっていた別の母性的で現実的な霊に肉体を明け渡
して去ったのだろう。臨死のときに差配霊と交わした約束だけは守らねばならないか
らな。イナンナも最後にはなかなかやるじゃないか。お前がいずれ彼女を探すかどう
かは自分で決めろ」
「・・・」

旧神話への 復帰

2002年10月、イナンナとの決別が決定して以降、ネアンは最大の苦悩の炎の中に
放り込まれ、心身は衰え運気は低迷の線すら逸脱して再び立ち直れないふうであった。
だが、まだ初めに会って後にでてくることになるカンナオビのことに思いは行かなかっ
た。
仕方なくも一度振ってしまった彼女。今さらどうして、傷ついた醜態を晒しに行けるだ
ろう。
そんなことをしたら、彼女にも鬱が伝染してしまう。
彼女のほうを見れば、別れるときに言っていたように、幸せの黄色いハンカチは翻って
いた。
彼女には、しばらくのバーチャルな恋と、こののぼりを出す方法を教えることのみが彼
女への貢献だったのだと自分に言い聞かせた。
善意で事業を共に立ち上げた海幸には、多大な迷惑をかけることとなった。
イナンナの裏切りに傷心したネアンに同情した海幸は、代わりになればと、飲み屋で知
った女性を紹介した。
だが、その女性が、旧神話の「天の岩戸別け」のステイタスを持つことが判明するのも
あっという間であった。
「戸のある国に日の出を見る」という意味を名にちりばめており、ばついちの独身。
年末と年初に、それぞれ本当の誕生日と親が年末では不憫に思い作った戸籍上の誕生日
があり、それぞれ夜明け前と夜明けを象徴するかのようであった。
イナンナとは同い年でありながら、離婚して三人の子供を男のほうに取られるという、
ちょうど正反対の立場であった。イナンナと同じ業種に勤めていたが、ネアンと会う少
し前に辞めていた。社名もよく似ており、好対照であったため、なおも奇遇に思われた。
ネアンはタヂカラオの意味があったから、協力すれば神界高天原の刷新浄化が果たせ
るという観測があった。そしてもし結婚でもしようものなら、高天原に日の出を見る
ことになるはずであった。これなら、旧神話での最高実現となるであろう。
火の鳥のときが「9」という数で、国常立神に関わる神業の数であったが、5はユダ
ヤ的神業の数である。
事実、2003年9月2日の出会いの5日目に、UFOが満天に出現するという瑞兆
が現れた。キタロウを頼って参加したヒラサカという男性が、無数のUFO群を目撃
しつつ3分間にわたって撮影してしまったのだ。
この事件はまさに、岩戸別けによってもれ出た太陽の明かりとでも言うべきものであ
った。世相の暗黒はこのような異質の明かりによってまずは照らされなくてはならな
い。
ネアンにとって、このUFO事件は、もうひとつの旧神話「イザナギの黄泉国脱出」
の行程に欠くべからざる瑞兆として捉えられていた。というのも、古事記にはイザナ
ギの脱出を助けるときの彼らの現れ方に、「桃の実満つ」と表現されているからで
ある。これは桃の実のような丸いUFOのことと解釈が与えられていた。そのときに
は満天を使って現れるはずだと。
これによって、ネアンはイナンナとの関係を旧神話で置き直して、イザナギ対黄泉神
と契ったイザナミという対決構図に結びつけた。こうして、またもネアンの神話創造
力によって、旧神話が勢いを取り戻して、世界に実演の輪が及んでいくと推測された。
ところがである。この女性は人生上で裏切りや不幸をたくさん舐めてきていて、確かに
失意したアマテラスそのものであった。早く死にたいと折あらばもらし、ネアンが君の
名に特別な力がある、大事な人だと言っても、ネアンの志を理解できずにいる普通の人
であった。いや、普通の人でいいのだ。本人は何知らずとも、ネアンとの相互作用によ
って、自然に雛形としての働きをしてしまうわけだから。解釈はネアン一人でいいのだ。
いろいろお互いのことについて語り合っただろう。しかし、彼女はどこかプライドが高く、
すでに多くの友達がいたこともあり、ネアンのことはいつも眼中になかった。アマテラ
スがタヂカラオふぜいに心は許さないといった感があった。ネアンも臣従になってばか
りおれない性格だったため、破局はすぐに来た。こうした無礼さに耐えられなかったに
加え、旧神話での実現では面白くなかったから、決してその日を謀ったわけではなかっ
たのに、2003年12月の彼女の誕生祝いの日を最後に別れてしまったのである。
この別れの意味は、天の岩戸別けは成就しない、夜明け前の暗黒の状態が持ち越すと
いう意味となる。
一方、ヒラサカは当初からネアンとは過去世の数奇な宿縁でようやく出会え、阿弥陀
の浄土を目指す七福神の宝船の水先案内をしてもらう、この世では少なくとも1万人
の人を救出して帰ることを神に誓ってきたなどと奇妙なことを言っていたのであるが、
この満天のUFO目撃撮影後には、ヒラサカ自身仏の世界の北東に位置する弥勒菩薩
であると言い、この世で果たすべき役割名をイザナギの命というと言い出したのであ
る。
ネアン自身、友や仲間になる人物がさし量ったように不思議人物ばかりであったから、
またもかという印象があって動じることはなかったが、ここでも旧神話が圧倒的な力
を得ていることを痛感せざるを得なかった。
イザナギについては、ネアン自らが雛形としての好位置にあることは歴然としていた。
イザナミの黄泉神と不倫する腐敗堕落ぶりと裏切りを前にし、この穢土を離れようと
いう立場だ。ヒラサカはただそういう役割でやってきたというだけで、雛形を演じて
はいない。むしろ、比良坂の桃の実使いであるならふさわしい。
とにかく、自分自身が神話の中核にいて、力を付与するかそれとも主体になりきって
いる状態にあることを認識した。
しかし、ネアンはこんな複雑怪奇な旧神話など推進したくはない。旧神話では、邪神
支配の核心問題が薄められてしまうばかりか、天仙のシナリオに乗ってしまうことに
なるからだ。しかもヒラサカの脇役を務めているようでは、現支配体制に異議を唱え
ることもできはしまい。
何としてでも、新神話を成就させたい。そうでなければ、命などあっても仕方がない。

ヒ ラサカ、八角堂三階の青年についてまくしたてる

まだ励起された力を持っていると感じたネアンは、新神話の再開に着手した。
2004年1月16日、ネアンは再び朱雀になる夢を見た。羽ばたく練習を繰り返し
たためか、目覚めたとき背中の筋肉がこわばっているのを感じた。いよいよ、そのと
きが近くなったことを実感するネアンであった。
ネアンには早急に新神話を書き上げる必要がでてきた。心臓の不調はもはや決定的と
なっていたからだ。最も近しい親族がいつもそうであったように、四月四日に死ぬか
も知れなかった。それまでに書き上げ、公開の俎上に載せるとき、それは誰かの目に
触れ、神話となって結実する。一人でもいい。二人でも三人でも、見てくれ。キチガ
イと思われようが構わない。それによって、朱雀火の鳥は宇宙を羽ばたく。天仙はそ
れが怖ければ、どんなことをしてもネアンを生かし続けねばならない。殺せるか、天
仙。その境地に早く自らを置かなければと考えるネアンであった。新神話の完成は、
ネアンの命綱でもあったのだ。
2004年2月1日。ネアンは弥勒とイザナギの任を負ったヒラサカに、自らの謎を
解く手がかりとしての、イナンナと逢った八角堂での出来事を打ち明けた。ヒラサカ
は密教を極めており、透視能力にも優れたものがあったため、ネアンは参考意見を聞
こうとしたのである。
八角堂の特徴を聞いたヒラサカは、空間をしばし見つめると驚きの言葉を発した。
「三階から降りてきた青年というのは、サナート・クマラ、大魔王、大天狗やで。金
色に輝く金星の精や。別の名を孔雀明王、あるいはルシファーといい、神と戦うもの
すごいやつや。鞍馬山に封印されているが、この八角堂が象徴的にそれを表している」
ヒラサカは、妹をガンで早逝させた矛盾した神と術で戦おうとした(と豪語する)ほど
の人物であったから、こうした話にこだわりはない。
八角堂の三階、この青年の居場所は未だに窓が締め切られたままの真っ暗闇にある。
ネアンは、それが自分もしくは自分のハイアーセルフなのかと聞きたかったが、その
内容にただならぬものを感じ、またヒラサカとの関係のこじれるのを懸念して聞かな
かった。ヒラサカは自分が大魔王の雛形を演じたことと無関係のような態度をとって
いたからである。いや、聞いたとしても、ちょうど趙先生と同じように、仙人風の傍
観スタイルでさらさらと解釈したかも知れない。
確かにネアンは、現状の神と戦おうとしている。だが、それは正神の側に立ったもの
として邪神と戦うわけである。大魔王などではない。そう言われるなら、でっち上げ
というものだ。魔王ほど神も怖がるもの。
「それはもしかして、ウシトラノコンシンのこと?」
ヒラサカはまたも興奮したようにして言う。
「そう。青年はそれなんや。そこでイナンナという人は、この青年に宝物を渡してる
はずや。その宝は、鬼のところから盗んできたものやがな」
「そんなふうに見えているの?」
彼は嘆息しながら、「ああ」と言った。
それでイナンナは鬼に追われる夢を見ていたのか。
ネアンは、よもや鬼の里から盗んだ宝とは思いもしなかった。いや、それは白蛇とな
ったときに西王母の蕃桃園から盗み出した桃ではなかったのか。いや、竜宮の乙姫の
宝の玉ではなかったのか。いずれの場所にも鬼のように怖い門番がいる。竜宮ならば、
鬼のような怖い父竜神がいて、可愛い娘といえども容易に宝の玉を持って行かせたり
はすまい。
ウシトラノコンシンならこうなる。かつて大本教の出口ナオがお筆先にしたという預
言の言葉。
「地球は竜がこしらえたもので、国常立尊こと丑寅の金神が納めていたのだがこの神
はあまりに厳格なのですっかり他の神に嫌われてしまい、ついにその地位を追われ丑
寅の方角に封印されてしまった。
ところがその後すっかり世の中悪う成るばかりでとうとう丑寅の金神が出てきて竜宮
の乙姫から珠をゆずられて世の中の建て直しをする」
ウシトラノコンシンとは、国常立神のこと。邪神のクーデターにあって殺され、北東、
丑寅の方角に封印されたがゆえにこの名がつく。原初のころ、地球を支配した厳正で
公平な神であった。この神の復帰によって、世界には秩序と幸福が訪れると嘱望され
る将来神である。
八角堂から鞍馬を望めば、ちょうど丑寅の方角となる。
また、八角堂の青年の名は、イナンナの話によればキンイロタイシと言った。
キンイロタイシは、御伽草子の中の「毘沙門の本地」に出てくる維縵国の王子であり、
梵天王のはからいでなった後の毘沙門天のことである。一説には、サナート・クマラ
とは毘沙門天のことともされているため、ヒラサカの透視はみごとここでリンクした。
金色太子は、三年の後に戻るという約束を果たせず悲嘆にくれて他界した天大玉姫の
消息を知り、肉身を持ったまま大梵王宮まで行き、再会を果たす。
そのとき、「長い間待たせたね」と声をかけるのだ。肉身では冥界での婚儀は無理。そ
こで梵天王がはからって、二人を福徳山に毘沙門天王と吉祥天女として転生させ、添
い遂げさせたという。
こうして、なぜこの新神話において、最初に梵天が登場し、ネアンが指示されるよう
に国常立神・ウシトラノコンシンの復活を目指し、それに毘沙門天が加勢したかがこ
とごとく繋がったのである。
すべて大昔に封じられた原初神であり、有情の苦悩を見過ごしにできず、復活をかけ
て立ち上がろうとしていたのだ。
☆☆
イナンナの話。
「岡田神話では、以前書いたようにおそらくムー大陸で、
日本の超古代天皇を中心に、穏やかで平和な治世が営まれていました。
ところが岡田さん的に言えば邪神、
具体的にはフリーメイソン等に通ずる外部侵入者に、
スサノオ(檀君)がだまされて、クニトコタチノミコトの息子=天照天皇、
の未亡人である天照大神と対決することになってしまいます。
その結果、舞台は日本へ、
日本側は破れて天照大神は一旦皆上山に陣を構えたが更に退き戸隠へ、
クニトコタチと奥様のトヨクモヌはニッポンの南北に封印。
分身の観世音菩薩がインドに亡命、
私たちの本体様である、大梵天、大弁天、大毘沙門天様達もご同行されたようです。
分霊は十和田湖や、明石を始めとする各地に竜神や、精霊として封印されたようです。
その竜神達、或はご本尊の観世音菩薩が、
夜明けの時が来て元の神格に戻ると言うのが、岡田神話のメインテーマです。
観世音菩薩は、観弥勒同体説から、将来の弥勒です」
☆☆
イナンナとネアンが、もしも夜明けがきたときに起きているであろう事柄のひとつに
なるだろうと、共に語らいあったことがある。
ひとつは、八角堂の三階が全面開放されるであろうこと。
またひとつは、元伊勢の外宮が改修され、内宮ともども多くの参拝客を集めているだ
ろうこと。

元伊勢旅行

まだ共通する魂を宿し志していたある日のことだった。
イナンナとネアンは、現在の伊勢神宮に遷座される以前の元つ宮である、丹後の元伊
勢に参拝旅行していた。
そこには現伊勢と同様、内宮と外宮があり、内宮は大江山山麓に北を阻まれるも、日
本海よりに構えられ、日室が岳という神体山を遥拝する形で設営されていた。
たたずまいこそ質素で、古代からの原生林を配した神体山と、内宮境内における千古
の杉の巨木の自然の風情をそのままに止めてなお、清められた霊域の荘厳さをたたえ
ていた。
内宮の皇大神社は格式の高さを重んじられて、ときおり皇室の詣でるところにもなっ
ており、最近では平成12年に天皇皇后両陛下が行幸されている。
ところが、外宮の豊受神社たるや、境内地に足を踏み込んだとたんに、場所を間違え
たかと思えるほどに社殿が朽ちており、周囲に配される八百万の神々の小社たるや、
板葺きが風雪に晒されて無残にも反り返りめくれ上がっていた。
社殿の屋根は、湿気のせいでところどころ瘤を作り、誰か上に登りでもしたら、抜け
落ちてしまうかとさえ思えた。
十年来、いや数十年来、誰一人としてこの外宮に新たな手をかけた跡などない感があ
った。
いったい、どうしてこうなのか?
二人は播磨地方から入ってきたわけだから、まず外宮に参拝することとなった。
そして、このような荒れすさんだ光景を目にしてしまったのである。
本殿に向かうも、本当に神が祭られているのかとさえ思えるほどに、祭りのための調
度がない。
イナンナは、霊感が鋭いため、「ここは神様がお留守なのと違う?」と言った。
「いいや、それでも」と、二人は戸惑いながらも、拍手を打ち、二人の前途を祈り拝
んだ。
その後、内宮に参拝してみて、両者の受けている扱いの大きな隔たりを感じたのであ
った。
内宮のすぐ下には昔でいう茶店がある。
ネアンとしてはすでに何度かUFO撮影仲間との用事でここを訪れた際に食事をしに
入り、よくUFO談義に花を咲かせて見知ったAばあさんたちが切り盛りしている
食堂兼土産物屋なのである。
たまたまその日は、UFO目撃をした件のAばあさんと、もう一人別のおばあさんが
いた。
二人は昼食に蕎麦の大盛を食べた後、UFOの事をまず聞いた。
すると、Aばあさんいわく。
最近では、宝船の格好をした大きなUFOが日室が岳山上に出て、何人かで目撃した
という話である。
それも、グループの中に、前もって神示を受ける人がいて、その指示でついていくと
そんな風だという。
つまり、目撃する人は、向こうと通じている人(神々と霊交のある人)に限られてい
るというのだ。
そんな話をするうち、イナンナが外宮の荒れ果てた姿の理由を聞いた。
「あそこには、ほんまに神様がおられるようには思えなかったんです」と。
すると、おばあさんたちは、「まだお若いのにお分かりなさるんかいな」ときた。
そして、「あそこは、外国から来た神にとって代わられてしまっている」と言うのであ
る。
話の経緯は、元伊勢の内外宮とも、明治の神仏分離政策の際に、今の伊勢だけが重要
視され、官幣社の中に組み込まれなかったという。
しかも、外宮の境内地は私有地であり、その所有者が地域とうまくとけこめない家系
であったことで、地域の援助すら得られないまま朽ちていくことを余儀なくされてい
るというのである。
そこには、その地域での差別意識のようなものもあった。
おばあさんたちですら、やむを得ぬものとの認識であった。
「あんな人ではなあ」と。
そして言うには、あそこは、別の良くない神にとって代わられているのだと。
そんなとき、イナンナが腕をさすり始めた。
話をあまりしないおばあさんのほうが、「あんた、それも分かるんやね」とイナンナ
に言った。
「はい、ものすごい威圧感があって。ここにはたくさん来てますね」
「その通り、話を聞きたくて神霊や霊魂が、今たくさん集まっているのだ」と、おば
あさんが言った。
おばあさんたちは、何人かでローテーションしながらこの店の守をしているのだが、
話が分かるなら話してしまいましょうと、「みんな過去世に元伊勢の巫女であった者で、
今生でもここを守るためにひとりでに集まっている」と話してくれた。近隣に発した
「岩長姫」信仰を基本にして、皇室の発展を願う人々であったが、それぞれに役割と
持ち味があるとのこと。
何とも途方もない話ではある。
ネアンが見知っていたほうのAばあさんは、理論の述べ伝え役で、そのためかネア
ンを見つめて途切れることなく話し、左隣にいたおばあさんは夢見する霊能者で、
ウマが合うのかイナンナのほうをじっと見つめて、ちょうど話しながら見つめるライ
ンと、無言で見つめるラインが対角線で交差している不思議な感覚があった。
二人はこの旅の多大な成果を胸にしまった。
しかし、イナンナは霊掛かりに陥りやすい性格だったから、今回の旅の労をねぎらう
とともに、神霊たちにお引き取り願うべく、お定まりのようにホテルに入ってしばし
心身をくつろがせることとした。
その日はまた一段と、二人は燃えた。
こうすることでネアンは気の弱ったイナンナをエネルギー的に賦活でき、神霊たちも
その卑猥な行為を見て、とんでもない霊流渦に巻き込まれるのはごめんと、笑いなが
ら去って行くのである。
ネアンは思った。
外宮は豊受神社といい、主神として豊受神を祭る。
古事記、日本書紀では、天孫降臨の際にニニギノミコトと共に天下った穀物の神で、
渡会(わたらい)すなわち渉外担当の神という位置付けだ。
ところが、秀真伝になると、豊受大神は国常立神のことで、イザナギノミコトの父、
その嫡男天照大神の祖父にあたり、天照大神の養育を長年手がけた師匠であるという
のである。
これにより、天照大神が最高に栄誉ある神で、内宮に祭られるも、豊受大神は天照大
神の執政の下地を作ったばかりか、天地創造から国の礎作りに携わった原初の神の再
来であるという位置付けから、どう謙虚に見ても外宮は当然のポジションなのである。
こうして、偉大な神は遠目から天照大神の執政を見守りつつ天下を見守るという姿勢
によって、内外宮に並び祭られることになったとみられるわけである。
その昔、国常立神は、邪神のクーデターに遭い、あえない最期を遂げた。
だが、邪神の支配する世相が退廃の極みを見せるころ、この神の復活により、世界は
建て替えられ、艱難に喘ぐ人々が暗黒から救済されるという思想を打ち立てたのが大
本神話である。
世界建て直し予言について言えば、遡っては、仏滅のころに予言された弥勒降臨説話
がある。
古代中東では、ユダヤ/キリスト教、ゾロアスター教なども将来救済を説いていた。
どの宗教思想においても、この現世が不完全な借り物の状態にあり、人の不幸の原因
はそこからきているという思想を持つ。
そこには、遠いはるかな昔の理想状態の世界が望まれ、それが破壊されてより条件の
劣悪化した世界へと変えられたという思想が根底にある。
何ゆえそうなったかについては、それぞれの教義によって違い、キリスト教では、人
心の荒廃が神の怒りを招いたことに帰し、人に対して辛く当たる神には敬虔さを表し、
禁忌の姿勢を貫いた。心の底でどう思っていたにせよ、形の上では畏敬すべき神を崇
拝したのである。
だが、国常立神を信奉する者たちは邪神によるクーデターであったと言明し、この計
り知れぬ変質神への対立姿勢を鮮明にした。
そこで強力な神の復活は、変質的神々を駆逐することから始まり、彼らの下で甘い汁
を吸い邪悪に手を染めた者たちへの制裁となって順次現れることとなるとする。
その観点において、おそらく表向きいかに天皇尊崇を称えていても、大本には偽神視
する思想が見て取れ、それが戦前の大本弾圧に繋がったに違いなかった。
ところが、元伊勢の地にある人々も、建て直し神話を持つことが分かった。
ただし、記紀の神々を背景に、天つ神の皇統である皇室を第一義としていた。
そのために皇統を支える巫女の再来として集まったというのが、おばあさんたちだ
ったのだ。
世の混乱の原因を、神話から紐解くに、皇祖ニニギノミコトが、オオヤマツミノカミ
のお子と結婚する際に、父神の申し出を聞かず、木の花の咲くや姫とのみ結婚し、姉
の岩長姫を醜いということで返してしまったことに求めていた。
すなわち、木の花の咲くや姫は、表の側の華美さをあらわす神であり、岩長姫は醜い、
すなわち見難い裏の側をあらわす神であり、この前者だけを取る行為によって、心や
霊や意識といった、真に人間にとって必要な働きを無視する結果になったと説いてい
るのである。
しかし、ここでは甘い判断をしたニニギノミコトを悪くは言わない。
これが世相混迷の原因ではあるとしても、それを促進する科学を邪悪なものとして警
鐘を鳴らすに止めている。
そして、世の建て直しは、爪弾きされて辛い思いにあるはずの岩長姫に救済者として
の役割を求めているのである。
神は神として称える中に、人間世が抱える矛盾を包含しようとする、人間の弱さから
来る苦肉の策であろうか、地球上のあらゆる思想は、解釈の難しい概念をもっている
ように思える。
現宇宙を管理する神々がいて、彼らに対し帰順から、反発までの間に幾多の宗教が存
在して、それぞれが大同小異の建て直し思想を持っていて、その役割を体制から外れ
た神に持たせる動きがある。
そこに付加される要素は、現行の神々への遠慮と見て取れた。
大本はその点、真っ向から反旗を翻したのだ。
ネアンはふと思い出した。
荒廃した外宮を参拝後、うらぶれた社務所に立ち寄ってお守りを買った際、社務所に
いたのは、たった一人の宮司であった。訪れる人も少ないのであろう、お守りを選ぶ
二人に気さくに声をかけてきたのは宮司のほうであった。
「あんたら、どちらから見えたんかね」
「J市とS市です」
すると、「私は昔、S市からよくJ市のほうや、もっと西にもよくトラックで走ったも
んです」と話してくれた。
内宮の茶店で、おばあさんが宮司とは名ばかりの仕事をしている(外宮がよけい寂
れるのも無理はない)と揶揄していたことと照合する。
しかし、内宮に参拝後、内宮社務所で同じようにお守りを買った際に、やはり話しを
したのは、こちらは三人はいたがそのうちでも外宮の宮司とまるで兄弟かと見まがう
人物であったことだ。
そして、知らぬとはすごいもので、こんなことまで言ってしまった。
「外宮の社務所にいた人と、よく似てますね。ご兄弟ですか?」
その人は笑いながら、「さあ、知らんなあ」と応えた。
だが、この人も、地元でしかも内宮関係者なら、外宮の宮司のことは了知していたは
ず。
イナンナが、「外宮はどうしてあんな風ですか?」と聞いたのにも、ただ笑っているば
かりであった。
話せない事情に違いなかった。
そうして、茶店でようやく事の大まかを聞けたこの旅。
謎解きの旅。それが解きほぐされてくるにつれ、ネアンはぞっとするほどの感動がこ
み上げてくるのを禁じえなかった。
<わかったぞ。繋がった>
元伊勢は、豊受大神すなわち国常立神の不在をそのまま体現しているのである。
現伊勢が、あたかも在籍のように取り繕っていても、裏の神業があるとすれば、そこ
では打ち捨てられるほどの扱いを受けていることの意味となる。
<ここにも、大きな証しがあった>
本来、表も裏も、共に並べ奉られてこそ真の安定である。
そこに行幸しても、皇室は外宮には興味を示されないのであろうか。いいや、そんな
はずはない。
あの巫女団の再来のおばあさんたちが、内宮にのみ執心して、外宮を卑下するのは
本心であろうか。そんなはずはない。
翻って、岩長姫が、ただ皇祖皇統のためにのみ世直しをはかろうとするのであろうか。
そんなことはない。
彼らの形而下的思いの段階でおし止められた秘密があり、このような対立構造を余儀
なくされているのではあるまいか。
内宮社務所の人と外宮の宮司の顔は、本当によく似ていた。
本来二者は笑顔を交わし並び立つべきが、無関心の態度を取らねばならない現実があ
るとすれば。
外宮の宮司が、いみじくも二人の住む町を結んで走ったことを告げたのも、トラック
で東奔西走していたことを告げたのも、形而上からのひとつの願いのゆえではなかっ
たか。
<みんなのしていることは、きっとある一つのことに集中している。登る道こそ違え>
国常立神が復活の暁には、おそらくひとりでに、元伊勢外宮は建て直されているであ
ろう。
当時のイナンナとネアンは、そんな風に解釈していた。
天界は地界にその有様を投影しているからである。
そして、ネアンひとりとなった今、国常立神が復活の暁には、八角堂の二階がすでに
開放されて、閉じ込められていたものが去っているに続いて、三階が開放されている
ことだろうと思うのであった。そのときようやく二番煎じばかりの割を食わされる運
命にあったネアンが解放される番となるのだ。
☆☆
なぜイナンナとの夢見での密会の場所が孔雀小屋だったのか。(どうしてネアンが孔雀
というキャラクターを思いつくままに新神話に採り込んだのか)
孔雀はルシファーを表していたのだ。火の鳥に姿が最も似ていたからでもある。
密会の初日に、孔雀小屋の主が現れた。それはかつて何度か夢の中で見た趙先生であ
った。
「よく来られた。この小屋は私が隠れ家としてこしらえていたものです。この場所は、
宇宙にぽっかりあいた未完成の領域に仮にしつらえた場所ゆえ、誰の目にもふれませ
ん。さあ、入りなさい」
「国常立尊は、神の中の頭梁で、引退と同時に家来の神々も引退された。
その後は邪神が支配することになり、世界は暗黒化の一途を辿り、
文明は興亡を自らのうちに孕む邪悪によって繰り返し、教訓は持ち越されはするも乏
しく、人の品性に巣食った暗部のため、人は容易に邪悪に染まり、世を離脱する者だ
けが潔白であるという矛盾を呈するようになりました。
その害を防ぐ為、いよいよ国常立命や正神界の神々が出馬されねばならなくなりまし
た。
かつて正神であった神の中には、邪神の方についた神もあります。
仏に化けられたのは昔偉い神々だったかたですが、後には仏の中にも邪神に付いたり、
負けてしまったものも沢山有ります。
正神が仏になった時、一部の神は仏にならずに龍神になり、日本の近海で時を待つ事
になった神々もいました。それが八大竜王。
イナンナさんのハイアーセルフは、シャカラ龍王の娘の乙姫と見ております。ハイア
ーセルフと言っても、役割を付与する縦の流れの関係にあるということで、いわば役
割遂行上の強い加護がなされているという意味です。
乙姫様は、多くの龍の眷属たちをすべる龍王の娘として、かつて龍族が暴乱を起こし
たときに、彼らを率いて前世からの縁ある文殊菩薩に帰依させ、みずから龍族の合体
する中核の成合観音となられた。
その前世の縁は、御伽草子に書かれています。
「梵天国」という話がそれで、右大臣が、清水の観音に願って、玉若という若君を授
かるのですが、笛の名手で、その徳により梵天王の娘をめとり、彼女の助けで、天皇
の難題を果たします。
しかし梵天国の王宮で、羅刹国の王を助けた為に、最愛の妻を鬼に奪われてしまう。
しかし玉若は羅刹国を訪れ、策謀で妻を助け出し、故郷へ逃げ帰ります。
その故郷というのは、丹後の宮津。
天の橋立にある久世戸の文殊が玉若で、成相の観音がその妻なのです。また、文殊の
本体こそが梵天であり、世を楽しませるために、玉若として垂迹したのです。
となれば、玉若の妻とは、梵天の妻であり娘であるところの、弁天というわけです。
よって、神話を完成させるに相応しいカップルであるのです。
しかし、奢ってはなりません。
あなたがたは大霊の密命を帯びた雫であり、ちょうど天皇の命を帯びて天下を平らげ
るべく東奔西走する日本尊のごときです。
大霊の加護はあっても、切り開くのはあなたがたなのです。
この場所を良いようにお使いなさい。
それから、もうひとつ申しておきましょう。
我々は大きなプロジェクトとして動いています。
時間と空間を超えたプロジェクトです。
この試みはかつても何度も試みられ、何度も水泡に帰しています。
いずれの場合も、邪神の察知するところとなり、未然に妨害がかけられたのです。
しかし、このたびは周到に事が運んでいます。
時代の要請も、地球にはかかってきています。
同じ山の頂上を目指すに、いくつルートはあっても構わない。
正しい道をゆくも、曲がった道をゆくも、北の道、南の道、東の道、西の道、獣道、
あらゆる道なき道をもってでも山頂を目指しています。
だから、ゆめゆめ焦ることなく、また事ならずとも後悔なさらぬよう」
そう言うと、この人物は忽然と姿を消してしまった。
☆☆
人間は、遠い昔から、宇宙の始まりに思いを馳せた。
そして、起源神話が生まれた。
そのとき初めて登場したのがブラフマーであったと歴史は語る。
だが、真相は異なる。
ブラフマーは初めからいた。
彼が宇宙を作る行為のことごとくを見て知っていた彼の火花であるアートマによって
伝えられたのがブラフマーの消息であった。
神々はその後、作られていった。
人間の感情の赴きの奏でる多種多様な想像の中で。
ブラフマー。梵天。彼の真義を知る者は少ない。
正確に伝えられる者はおそらくいまい。
神々に列せられる者つまりアートマに準ずる者以外に、おそらく知る者はいまい。
人間においては、はじめ知っていた者が命終して去り、真義を伝えられる者がいなく
なった。
その上に、後の人間による神話の堆積がなされた。
知られぬをいいことに、情け深いものから情けないものまで、梵天の上に神話が作ら
れた。
かつてあった地圃はあるにはあろうが、霊妙微かとなり、本体はどこに隠居した
とも知れぬ身の上となった。
ただ、祭られる。最勝の神々の副次的な主神として。
特別な新たな神話とてなく、ただ万物の本源におわし、梵我一如の理のいうアートマ
に意識を供給する本源として、どこかにおわすのである。
たとえ今、ネアンのハイアーセルフが彼だとて、ネアンが役割を下りれば、その関係
も微妙となる。
それが雛形なのである。
短い人生。そこでどうやって生きるか。雛形として、あたかもインディージョーンズ
のように心の世界に冒険するのも面白いのではなかろうか。あの老インディージョー
ンズが、回想を少年に語るときの皺だらけの彼には、彼に聖なる役割を与えた神の面影
はない。
だが、回想する彼の思いと話す言葉の中に、神は活在しているのだ。いつまでも記憶
の中に神は居る。

忿怒相のネ アン

ネアンには個人的にこの宇宙を潰すだけの大義がある。それは主君に仕えるものとし
ての大義である。
閉じ込められたハイアーセルフの梵天を救出するには、天仙を破り諸神を解放するか、
宇宙を潰して、遊離された梵天の意識だけの世界にしてしまうしかないのだ。
他にも方法はあるかもしれないが、とにかく自分の支配神、守護神がいない状況下で、
この世を渡っていくことなど不可能である。ひとりだけでも、全身全霊をかけてやる
しかない。
自分が死ねば、火の鳥がコントロールできる。これが彼の持つリーサルウェポンなの
だ。
天仙が自分の死期の頃合を見計らっているのなら、自殺もやむを得ないとさえ思った。
霊を無理やりそこに留め置こうとするあまり、自殺する者にはよほどの大義がないと、
霊的にものすごく不利になるプログラムがしつらえられている。すなわち、迷霊とし
て自殺時の環境を長期間持ち越さねばならないというものである。
だが、いったい誰が愚かなプログラムの中にあって、忍耐していなくてはならぬ道理
があろう。魂の自由をすべて束縛して、それが腐ってこようがくまいが責任を持たな
いという天仙どもの邪まな心こそ驚嘆ものである。
だが、毘沙門天は言った。正しからざる正義も時として用いられることがある。
そう規定した彼らが、その規定によって去る日も近いというのも、そもそものこの宇
宙の設計思想だからだ。
大丈夫だ。自らひとりでに死ぬべきときまで我慢しなさい。火の鳥はそんなに甘くは
ない。心を落ち着けて、時に任せておけばよい。来るべきときのために、火の鳥をた
えず瞑想していなさい、と。
趙先生が用事で去った後も、ネアンと洋一は救世について話し込んでいた。
洋一:「神に悪意がなければ、救世などという行為も救世主などという存在もまったく
必要ないものなんだ。神に悪意があるから、もしくは人類に対して好意的でないから、
疎んぜられた人々を救う必要が出て来る。
そもそも、神に楯突いたから怒る神など考えられるか?
圧倒的に優位に立っているのだから、哀れみをもって教え導くことこそすれ、懲らし
めのために不遇な状態に置くことが当たり前というなら、どこかの精神性の劣悪な独
裁者のやっていることに等しいではないか。北朝鮮の金なんとやらみたいなものだ。
逆らったことを理由に強制収容所に送って、死ぬ以上の過酷な処罰をするというあれ
だ。
そうやって不満分子を強制的に減らしたとて、またぞろ不満が昂じてくるだろう。そ
れが魂を持つ人間というものなんだよ。魂はそのレベルでは、神と等しいものだ。待
遇処遇が間違っていると感じるから、反発もするんだ。おい神よ、今が能力的に優れ
ているからと、劣っている者たちにしたい放題していれば、やがて逆の立場になって、
反省させられねばならないのではないのか。
金なんとやらが、来世において、高貴な生まれになってほしいと思う者はひとりもい
ない。同様に、今の神にこれ以上権勢を奮ってほしくないという者のほうが圧倒的に
多いはずだ。それとも、わずかな俸禄を得たために、あるいは直接対面できたがため
に、感謝感激して心酔してしまったとでも言うのか?それでは、金の側近や贔屓筋と
同じだ。
どれだけ悲惨な目に遭わされても、やはり雲上人には心酔してしまうものなのか?
それでは、単なる馬鹿者だ。そんな馬鹿者になりやすいのが人間なのか?
そうだな。馬鹿者だと思うよ。後生大事に、自分の首をあんじょう絞めてくれる政党
に一生懸命心酔して票を入れている奴もいるもんな。あいつらは、どこでどうめぐっ
て、自分の首が絞められているのかも分からず、というより、分かっていても、ちょ
うどレミングのように破局にむけてがむしゃらに入れまくっているといった表現の
ほうが正しいのだろう。目を覚ませと言っている反対政党の言うことを聞く耳持つ人
間がいるくらいなら、救世主ももっと仕事しやすかったろうに」
「だから、救世を誓願にする菩薩たちは、正攻法を見限ったのだよ。正論を説いても、
誰も聞く耳がない。逆に悪神の派遣した宗教者などにまんまと引っかかって痛い目に
遭った人々に、同じ穴の狢と思われても辛いからな。
だから、ぼくのように、単独でやれる方法を、人知れずやる者も出てくるんだ」
救世の定義は昔から次第に変化してきている。
飛鳥時代、聖徳太子は救世の請願を持った金人・救世菩薩の化身として生まれ、天位
の極近にあって日本を統治した。そのとき、救世の方法として用いたのは仏教であっ
た。
仏の壮大な宇宙観は今でも通用するし、永年仏の境地に達することを目指す人は多い。
彼が訳した法華経には、仏の救いがいかになされているかが説かれている。
だが、その理想と現実のギャップは隔世の感がある。地上は人界とはいいながら、い
つも地獄に等しい有様であった。誤った価値観が世の支配原理となっており、被支配
層の悲惨さ極まれりの感さえある。このギャップに、いかに聖徳太子といえども、人
民を救うに程遠いものを感じたことであろう。最期に「世間虚仮唯仏是真」と嘆息し
たのも、無理からぬことであり、彼の心境にはあまりにも痛々しいものがある。
彼の厚志を継いだ後世の人々が、かなりまともな政治をするようになり、人々は幸福
を享受できるようにもなった。だが、いくらも潜みまた露骨化する邪悪な罠は、減る
どころか増加の一途を辿る。
正しかろうとする人々の増加を待たず、むしろ妨げようとするように、邪霊の化身と
思しき者たちが増加している。それは善人がどんどん逝去し、逆にバイオレンスな属
性を持つ者たちが世に跋扈するという現実にに如実に現れている。
聖徳太子は、よもや世界の裏側で、邪悪霊の化身の水増し操作が行われていようとは、
思ってもみなかった。当時でさえ、最高為政者にあってなお不可能なほどに、邪悪は
周囲に満ちていたのである。多大なストレス下にあって、太子も勢いを殺がれたこと
であろう。太子に化身していた救世菩薩は、抜きん出た有能さだけでは、また「和」
の精神のみでは解決できぬ問題があることを知った。所詮は、戦いと悲惨さを好む天
仙邪神の手中で転がされているに過ぎなかったと、いずれ知るのである。
救世の定義は、このときから様変わりを見せる。すなわち、強い神による懲罰を含む
強伏か、それとも信仰心篤い者のみの救済へと変化していくのである。後者では、大
乗の要素は立て前のもの、その志を持ちながらする個人救済がなされるようになった。
それは諦めに満ちた救済法であった。
だが、強伏の道を採る者が登場するまでには、千年以上の時が必要であった。
救世菩薩の弟に、救世行法菩薩という者がいた。はじめ、兄同様、道を説くことによ
る救済を図ろうとしたが、兄の度重なる困苦を見て、強伏の方法を模索していたのだ
った。
さて、その前に彼らはいかにしてそのような発願を抱いたのであろう。
それは1万2000年前に、エジプトの王であった時に遡る。代々、賢王の中に生ま
れた彼ら兄弟は、エジプト最高の徳政を敷き、人民の感謝の中で暮らしたのであった。
人の寿命も数百歳が普通であった。ところが、惑星間の異変があり、ムーが天変地変
で滅亡してから、歴史に陰が射したのである。自然界は激変し、収穫物の欠乏から世
相は暗転し、人心は荒廃の一途を辿り、戦争がエジプトの周囲でも時を分かたず起き
るようになった。
邪悪を投入しようとする天仙邪神の計画で為された初段階の大きな悲劇であった。
何も裏の事情を知らない兄弟王は、誰しも普通人の持つ感覚でその悲劇を捉えた。
破壊されたムーに出向き、神殿の柱の下敷きになって絶命したムー王を助け、エジプ
トにあった蘇生器にかけて生き返らせ、自らの娘と結婚させた。だが、当時最高の科
学力と高度技能者を備えたムーの王の誇りが、エジプト王の下で働くことを容赦せず、
世界を手に入れようとして、彼らを殺してしまったのである。それもそのはず、ムー
王は天仙の指示を受けて、地上を暗黒化するために下生した宇宙連合の司令官だった
からである。キタロウこそ、ムー王たりし者だったのだ。
その後、輪廻する先を天仙邪神の計略であてがわれ、貧しい環境に生じさせられたり
して、多くの苦悩のあることを知った救世兄弟が、かつて在りし日の徳政を人民に与
えてやりたいとの慈悲心から、救世の請願を為したのである。
だが、時代が変わってしまっていた。それまでの正神支配の構図にはなかったのだ。
救世の想いだけが残り、彼らは模索の道を歩んだのである。だが、神々の支配層が変
わらねば不可能であることを知ったのは、かなり後になってからであった。
弟の救世行法菩薩は、すでにこの頃、兄の所在も分からず、輪廻の果てに悪事も重ね、
自分が何者であったか記憶さえ失い、当時の志もどこかに捨てていた。だが、名もな
き一介の小さな人間を、この世界の暗転を憂う梵天が頼りに思い、ひとつの救世方法
を授けようとしたのである。
「救世菩薩とは聖徳太子として下生した兄のことだ。ぼくは救世行法菩薩といって、弟
だ。兄はすごいトライをしたが、終わってみて失敗したと気付き、ずいぶん落ち込ん
でしまった。残した親族郎党みんな殺害された上、魂の封印まで公然と行われたんだ
からな。
その後あえて救世を掲げるものとて出なかった。当然だ。救世を唱える者の末路は神
に祝福されざる様相を呈していたし、神の監視がいっそう強まって、表舞台に出る前
に抹殺されてしまったからだ。
よほど強い錦の御旗と、救世と悟られぬ婉曲的間接行動が必要とされた。
ぼくはその御旗を掲げ、公儀隠密的行動により、ついに突破口を開いた。時計仕掛けだ
った。それまでは、なんにもないうだつの上がらぬ人生。そこに、あるキーワードが
差し込まれたとたん起動する時計仕掛けの公儀隠密だったのさ。これが、邪神どもの目
を欺くための方法だった。
見てくれ。もうすでにこれだけの確信を手に入れている。これは力だ。魔法の力だ。
世界どころか、この宇宙すらもどうにでもできるほどの力だ。宇宙を闇雲に潰してし
まうつもりはないが、潰したとしてもそれが正当なだけの理由すら持っている。
怖かったら、自分の下にひれふせなどと、今の支配神のようなことは言わない。人や
神を支配することなどまったく考えるはずもない。
今の支配神には、邪気がこびりついている。宇宙の寿命へのこだわり、そして何がい
ちばんとて、原初神正神たちを虐殺し封印した咎に邪気が取り付き、解き難い緊縛の
砦を心の中に作っているのだ。
魔法の力でこの邪気を取り除き、正気を取り戻させるか、それとも邪神のことごとく
を彼らの望みどおり打ち破るしかない。
アフガンや北朝鮮。かつてもベトナム、カンボジア、ミャンマー。遠い過去から、世
界人口の半数以上が地獄の中に置かれ、悲しみと怒号を発してきた。
なぜ彼らが恐怖や悲惨さを舐めなくてはならないのか。ある霊能者はこう言う。彼ら
は過去世において、そうなるに値する行為をしてきたからだと。果たしてそうだろう
か。
そもそもひとつの魂が、一連の過去世を経てきたと決め付けること自体、ナンセンス
である。
輪廻のたびに記憶を失うシステムは何のためにあるか。
ちょっとした識者は、過去世にこだわらず、魂にとって必要な何かを獲得するためと
いう目的のために、経験世界があるからという言い方をするかも知れない。
そうではない。魂はあくまでも純粋であり、彼の存在なくしては観測されるべき時空
が営めないから、真のエネルギー源から借用されているにすぎないのだ。
魂はちょうど、パソコンに入れる電源のようなものだ。それに対して、ソフトの側で、
様々な経験世界をアレンジしているわけである。誰が、どの魂がどのソフトを経験し
ようが、そこに一定の規則なり公式なりが与えられているとしても、最終的にはつじ
つまあわせだけで事足りるというわけだ。
たとえば、任意の誰かの過去世のひとつが、かの大帝国を築いたシーザーやチンギス
ハンだったとしても少しもおかしくはない。悲惨な人生を歩む者の過去世が、殺人ば
かり犯してきたゆえにと説明されても少しも信じる必要はない。どこの馬の骨の人生
をあてがうつもりかと怒れば良い。
どうしても彼が退行催眠で懸命に調べようとしているのなら、裏側にいる者は彼のた
めに、時間を合わせて任意の過去世のファイルを用意する。そして最もまことしやか
に話してくれるだろう。
あの世に帰ったとき、自らが何であったか知りたければ、やはり裏にいる係官が図書
館のようなところに連れて行って、あなた用の記録を見せてくれる。が、所詮は天仙
配下の図書館書士。どんな手を使うやも知れない。
それを見て、人は感動し納得するかもしれない。が、それすらも、ソフトの一コマで
しかない。
元より隠されたところというのは、それなりの事情があって隠されていることを知る
べきだ。
隠し通さねばならないシステムが、いかにやましいものかは自明であることが多い。
すべての有情が何一つ困惑することなく自然を堪能してくれるだけでよかったのだ。
神はそれを見て微笑み、人は愛でて賛美すればよかったのだ。神は喜び、よりいっそ
う良いものを創り出す。
あらゆる悪夢はもはやなく、あえてとなら博物館に行ってそのよすがを見てくるがい
い。
誰も恐ろしい世界を蒸し返すことなど思いもしないだろう。
新しい時代を、もしみんなで選択できるなら、包み隠すシステムなどどこにも見られ
ない時代とすべきだ。
それはかつて初めにあった時代を髣髴とさせる。どうして昨来のようなおかしな時代
がありえたのだろうかと、不思議にすら思うだろう。
だからといって、そのような悪しき悲しき時代のあったことを覆い隠すこともない。
それらは博物化され、任意の閲覧に供するためのものとなる。
閲覧に際しては、熟練したカウンセラーが必ずつく。内容があまりにもひどすぎたか
らだ。
もし、今の宇宙がそのまま性質を同じくして持ち越されたとしたなら、人類は次のよ
うになっていなくてはならない。
地球人には第四の脳「統合脳」が与えられ、同時観測の範囲が格段に広がっている。
それは右脳と左脳のすべてを有効的に励起するものだ。
眠れる脳が活発に動き出す。
これにより、物や事の本質をクリアーかつ多面的に的確に見るようになる。
心による巨大情報量の会話が実現する。
声は言葉のためでなく、場の雰囲気を高める歌のために使われる。
あらゆる有情が、かつて持っていた愛と信頼のつながりを実感する。
こうして、不信や心配はまったくなくなる。
おのずと最も良い道を全員が一致して選び取るようになる。
有情たちの理想の総和によって、地球はかつてありし日を取り戻す。
そこに時間の経過など、もはや必要ない。
死と生の区別もなくなる。
肉体を持つものと持たないものが共にいるだろう。
この宇宙は、そうした魂たちの共通の場となる」
「そして、もう一つ付け加えておこう。ぼくはモニターとして、最も貧しく悲しい者
にこの宇宙を計る基準を置く。
ちょっとしたことに不平をもらす豊かな日本人に置いたりはしない。基準に置いた最
も恵まれぬ者が真に幸福にならない限り、この世の支配神とは戦い続けるだろう。そ
のためには、世界を終わらせてしまうこともためらわない。一部の幸せ者のために世
界を存続させるようなことはしない」と。

朱雀のはば たき

イナンナとの八角堂での初めてのデートが、火の鳥の起動に繋がった。鶴と亀がすべ
(渾)って後ろの正面に火の鳥が現れたのである。
その年内にキトラ古墳でのはばたこうと助走をつける朱雀の姿が発見された。
それに伴い、ネアンは自分の死後、朱雀である自分が宇宙に遍満する火の鳥の分子構
造を励起して統べて制御するというシナリオを新神話に書いた。
だが、世を陰から支配する天仙邪神たちは、ネアンを妨害すべく運勢的に苦しめた。
からかいと嘲笑と挫折が彼を襲った。イナンナの離反もあったし、仕事上の成り行き
の不運さにも見舞われた。
致命的ではなかったが、自ら死んでしまいたいと思うほどに落ち込まされたこともあ
った。
そんなある日、これではいかんと、ネアンは生前の今から、火の鳥を励起する朱雀の
はばたきを開始することを思いついた。
形而上における朱雀のはばたきを早々に開始して、邪神や運命差配の評議衆たちに今
から火の鳥で応戦しようと考えたのである。
それは何も難しいことではない。ただ、今の時点から意識して火の鳥となって飛翔す
る意識的な動きをすればいいのだ。
そう考えついて実行し始めた数日後に、なんと北朝鮮の高句麗墳墓の朱雀の図像が
初めて世界で公開された。キトラに続けといわんばかりに。(後に北鮮で唯一の世界
遺産となった)
その図像は、朱雀が地に足つけた状態ではばたいているというものだった。この意味は、
ネアンが地に足つけた状態、すなわち生きながらに朱雀を起動するという意味である。
ネアンの強い決心が新神話に反映したに違いなかった。
朱雀はすでに地に足つけながらはばたいている。それに伴い、火の鳥は励起されつつ
ある。
宇宙の隅から隅まで、火の鳥の影響を受けない部分はない。励起された火の鳥によっ
て宇宙は燃え上がるかもしれない。
天仙邪神どもは、ぐずぐずできない。すべての正神を解放し、大政奉還をしなければ、
彼らの進路は断たれる。それとも玉砕をはかるのか。

四神 相応揃い踏み する

四神、それは朱雀、青龍、玄武、白虎の四神獣であり、この新神話においてはそれぞれ
を担う人物が登場している。
主人公ネアンを朱雀として、残る三者との相関関係が重要な時系列的歴史の成り行きに
影を投げかけるのである。
まず朱雀ネアンが、この役割の元に初めて知り合ったのが青龍であるカンナオビであっ
た。カンナオビは驚くことに、ネアンが齢50でこの世を去ると予定していたときに、
50になる直前の日、つまり誕生日の前日にネアンに対して文を送っていたのである。
ネアンはその付き合いの開始日について、それほど意識していなかった。というのも、
人生50年の峠は誰しも自然に越えていたから、ただ時間の連続性の中に埋没させてし
まっていたのである。だが、もしカンナオビがこの日にネアンの心を捉えていなけれ
ば、おそらくネアンは別の時空(死ぬもしくは役割のない時空)に行っていたであろ
う。カンナオビは、持ってきた役割の一部をこのとき遂行したのである。
ただ、カンナオビには事情があって、同じ趣味を介するという名目の、直接出会うこ
とのない文通によるものに限定された。それでも、文をやり取りするうちに、気脈がし
だいに通じるようになり、やがて電話で話すようになる中で、会話のみによるセックス
も楽しむようになった。お互いがお互いの立場を思いやった結果であった。
ネアンが次に出会ったのが玄武イナンナであった。彼は玄武から果たすべき役割が何で
あるかを知らされた。同時に、形而上的な神宝を渡されたようであった。それは龍神の
玉であり、西王母の播桃園の桃であり、この世界の建て直しを託した神宝であったはず
のものであった。だが、それは観念的なものでしかなかった。
玄武が役割を終えた後、次に機会を待っていたように現れたのが白虎を連れたシノであ
る。形而下では押しかけ女房のようにふるまって現れたが、ネアンの母の存在と、ネア
ンとの協力関係がうまくいかないことに業を煮やし去っていった。
ネアンはこの付き合いの中で、偉大な農業神伏儀神農との親交の時を持った。伏儀神農
は、猫に化身し、ネアンの負傷の窮地に自ら犠牲になって助けた上、神宝の入った大き
なつづらを与えたが、これが何を意味するかは知れなかった。
次に戸の国の日の出嬢が現れた。だが、彼女は子宮を失い、女としての魅力を喪失して
いたし、旧神話に属する者であった。
次に、玄武イナンナとの決別を知り、ネアンを長い間按じていた青龍カンナオビが再び
現れた。イナンナがネアンと一緒になるには適切な条件下にあったために、ネアンの申
し出でカンナオビは交際を辞退し、ただネアンの帰りを待つ如く、彼の与えた自己表現
の方法を忠実に守っていたのだ。それは、ネアンが按じて見に行くつど「黄色いハンカ
チ」として翻っていた。
ネアンは過去の経緯を詫びて、カンナオビに交際を求めると、もう会話や文通だけにし
たくない、会いたいと応じてくれた。
ネアンはカンナオビに普通の人であることを望んだ。というのも、役割下にあるなら、
役割が終われば去っていってしまうことが懸念されたからだ。しかしカンナオビは、あ
る植物園でのデートにおいて、何千ある商品の中から「龍のひげ」を土産に選んで、ネ
アンからのプレゼントとしたため、象徴的にカンナオビが緑(あお)に関わる龍、つま
り青龍であると回帰的に知れてしまったのである。
青龍カンナオビが何をネアンに与えたかは、そのときには分からなかった。形而下にお
いては何も目立ったことはなかった。だが、形而上においては、まったく予想もしない
神宝の授与があったりするのだ。イナンナが汚してしまったのに代わる竜宮の玉や玉手
箱の授受といったこともありうるかも知れない。
こうしてネアンが神話による励起を受けて以来、三人の女性と関わったが、そのいずれ
もが神の仕事に過去世で従事していたことのある巫女であり、過去世のネアンと深い関
わりを持っていたことがしだいに知れてきた。
そして、三女性のすべてが、この世に役割を帯び、普通人として生きて、大した魅力も
ないネアンに憧憬の思いを抱いて近づき、朱雀が残る三方向の神獣と交り終えるような
経過となっていったのだ。
新神話をリードしたのは朱雀ネアン。そこに力を与える各方向の神獣たちという典礼儀
式はこうして完成した。
ネアンとしてみれば、形而下に自分の身を補佐してくれる女性が欲しかった。だが、そ
の役は、彼の母が、位人身を極める男を辞して、女として母として彼をサポートすべく
存在し続けた。
ネアンは母ミソギの補佐によって、神話をひとつひとつ更新していく役割を担ったのだ。

ゲ ンの もたらした魔法使いの情報

丹後の神話世界に詳しいゲンが、お門違いな感のある夢を見たらしく、ネアンに報告し
てきた。彼のような行者タイプの者にしてみれば、やはりかなり意味の深いものだった
らしく、熱弁をふるってその夢の内容を知らせた。
黒いマントをまとい、魔女がかぶるような帽子をした、中世の魔女風の女が二人出てき
て、何やら口ずさみながら踊っていたという。その文句は歌のようであったが、旋律の
ないもので、ただ「ドシドレシラドシドレシラ・・・」と口ずさんでいた。
それを覚えて目が覚めたゲンは、メモなどにしておいてネアンに知らせたというわけだ
った。
ネアンは早速その意味不明な言葉を音階に直し、DTMで曲作りを行ってみた。すると、
なかなかきれいな旋律である。それを歌曲風にするため、多少のアレンジをして一曲作
ったのだった。素人ながら、わずか二、三日の創作だった。
その後、ゲンは魔女の音階について、彼なりに調べた内容を知らせてきた。
夢の魔女たちは、ディアナとアラディアに違いないという。その話はこうだ。
イタリア地方の先住民の神話に、ディアナとアラディアの話がある。
太古の昔、空に輝くひとつの神がディアナ(月)とルシファー(太陽)に分かれた。
ディアナはルシファーが愛しくて一緒になろうとするが、ルシファーは拒み続けるので、
ルシファーが猫を愛好していたことを知っていたディアナは猫に変身して彼の元に近づ
き契りを持ってしまう。そして娘アラディアを産み落とした。
ディアナが猫に化けていたことを知ったルシファーは怒り心頭となる。
そこでディアナはアラディアと相談し、ルシファーをなだめる歌を作って歌うことによ
り、ルシファーの怒りを鎮めたという。
原始信仰におけるルシファーは、輝ける者、太陽のことだった。
ディアナはその配偶者の月であり、生まれたのが魔女のルーツ的神格アラディアという
構図である。
そこにキリスト教が入ってきてこの旧概念を排斥し弾圧し、魔女狩りなどへと発展して
いった。
ルシファーは太陽の座をキリストに奪われ、金星へと強制的に退去させられて、僭越な
光を放つ者と貶められたという経緯だ。
つまり神々の世界における世界共通の原初神引退神話がイタリアにも存在しているわけ
である。
キリスト教にしてみれば、土着の宗教神話は排斥されるべきものであり、いきおいルシ
ファーは堕天使からさらに悪魔にされ、その妻娘は魔女とされたわけである。
伝承に出てくるルシファー像は、悪魔のそれではない。新勢力により排斥された旧勢力
の信仰の象徴であるわけだ。
また、こうも書く。
地上に死すべき人間たちが現れ、富める者と貧しい者の貧富の差が生じ、世の中が乱れ
てきた。
ディアナは貧しい者たちを救うために、アラディアを地上に送ることにした。
アラディアは母ディアナから学んだ魔術を、貧しい者たちに教え、富める者たち、すな
わちキリスト教による弾圧に抵抗する最初の魔女となった。
死すべき肉体を持って地上に降りたアラディアに、天に還る日が来る。去り際にアラデ
ィアは、貧しい者たちに、「月に一度、森の奥深くで女神ディアナを崇めよ。そうすれ
ば、隷属から自由になれる。すべてから自由になれる。抑圧者たちが消え去るまで、こ
れを続けなさい」というメッセージを残した。
ネアンはゲンになかなか様になっている旋律だと作品を聞かせた。ゲンは、はあー、
こんないいメロディーになるんですねと、何度も聞いて一生懸命記憶することに努めて
いた。
ネアンは、この曲をネットで流せば、ルシファーとその妻子が力を回復するだろうと踏
んだ。
ネアンは、イタリアにも国祖引退神話が存在していたことをゲンの口から初めて知った。
キリスト教会はその地方への布教活動の一環で、先住民の思想や宗教を徹底的に弾圧し、
そぐわないものに暴力的手段を用い、異端者として粛清していったのである。
中世の魔女狩り。これなどは陰惨を極めた。だが、キリスト教会が浸透してくる以前の
人々は自然と調和して生活しており、はるかに幸せであった。
そのような歴史は日本にも、アメリカにもあって、必ず先住民の暮らしのほうが幸せだ
ったという事実がある。
キリストその人が邪神の片割れだったとはネアンは思わない。それを運用する為政者た
ちが、人々を従順な手なずけやすい状態に置いておくために流用しただけなのだ。
教会はそれによって、サタンさながらに金儲けに徹し、人々の上に権力者としてあぐら
をかいた。
人々の自然なあり方を歪め、原罪意識ばかりを人々に対して洗脳的に植え付けた。
そして、人々を見えざる無責任な神の支配下に置き、罪を犯すことが当たり前という存
在にしてしまったのである。
まさに邪神悪魔の所業であった。
キリストがもし来ずとも、誰か別のものが人々を檻の中に閉じ込めるべく使われたであ
ろう。要は、邪神サタンは人々を自らの権力の元にひざまずかせることができるなら、
どんな手段でも良かったのだ。
邪神が人々を支配する構図は、現代に至っても変わっていない。
人々を押さえつける手段に、別のものが用いられるようになっただけのこと。
宗教がうさん臭くなれば、次は武力や資本力や法的拘束力が用いられる。
いずれにしても、力で人々の自由を奪い、支配下に置こうとするものである。

カ ンナ オビのもたらした青龍の玉

ネアンはカンナオビと初の再会を果たした年の誕生日に紅水晶をプレゼントした。
これは自らの持つ新山玉とともに、この世界が緑豊かになり、美しい彩が景観を補完され
るように願いを篭めて贈ったものであった。
そのときはまだ、ネアンはカンナオビにイザナギ人類の黄泉国脱出後に神人界の浄化に
向けての役割しか見出せておらず、普通の人でも十分にできる役割であると思っていた。
ところが、龍のひげ以降、カンナオビが定められた雛形である可能性が出てきたため、
ネアンもいったいどうなるのか期待を持って眺めることとした。
そして、次は自分の誕生日を祝ってくれるというので、何か象徴的なプレゼントを、定め
られた者なら贈ってくれるに違いないと考えた。
その前にたまたま、カンナオビは懸賞に当たったので、東海の島に旅行するという。
ネアンは、青龍が東に位置する神獣であり、しかも古くから東の果てに蓬莱島すなわち竜
宮ありとする故事に倣い、カンナオビを竜王の娘乙姫に喩えて、土産に「玉」を所望した。
イナンナからは現物を受け取ったという気がしなかったからである。
東海の浜辺に埋もれた丸い石ころであれば何でもいい。カンナオビがこれはと思って拾い
上げたものがひとりでに竜宮の玉になると魔法的意味づけを与え、カンナオビにその旨知
らせた。
だが、カンナオビはわざわざチャイナの露天商のところに行って、宝玉を偶然に見つけて
買ってきた。というのも、その島は規制の厳しい観光地であり、島にあるいかなるものも
持ち去ってはならないという法律があったからだ。
お土産はずっしりとした黄色い方解石玉であった。ネアンに幸運を与えたいとの配慮がそ
れを見出させたのだった。それと同時に、木彫りの人形を買ってきた。
ネアンは木彫りの人形を見て驚嘆した。それは七対の羽根を生やした天使であり、懐に黒
っぽい猫を抱いて胡坐をかいているというものだったが、これこそルシファー像であった
のだ。彼女はこれも別の店で偶然見つけたという。
ネアンの思いは、定められた人の到来に戸惑いながらも、いっそう掻き立てられた。
ネアンはカンナオビを抱きながら思う。
<ああ、どうしていつも自分に定められた人は公儀隠密であって、なおかつ現実的には拘束
されているのか>
イナンナと同様、カンナオビもネアンと出会う以前の環境としては、家庭の中に縛られた
存在であった。しかも、奇遇なことにキリスト教の思想的下地のある家庭であった。
が、元々キリスト教徒であったのは夫の側であり、かつて妻を失くして連れ子を連れてカ
ンナオビと結婚したわけであった。ところが、しばらくしてカンナオビが妊娠すると、経
済的な負担が重くなるからと説得して堕胎させてしまったのである。
その後、あたかもキリスト教徒らしく、為した罪の重さによって潔癖を貫いたたかのよう
であったが、カンナオビは女として生まれながら、女としての機能を果たせず、喜びの芽
を摘み取られた状態にあって、自らの身の不遇と堕胎の罪の意識にさいなまれる日々を送
っていた。
しかし、何不自由のない経済環境。有閑に恵まれすぎるため、思いの中に沈潜してしまう
日々。どんな観劇、社会勉強にも十分な時間があったが、それでよいのだろうかという思
いにつきまとわれていた。
ネアンはここでも遅ればせだったと感じた。彼にしてみれば、常に邪神の手が先に回って
しまっているように思えた。いやしかし、この環境によってカンナオビはずっと雛壇の上
に守られてきたのである。まるでこの時が予め定められていたかのように、出会うことに
も抵抗はさほどなかった。
世のルールが阻む代わりに、世が二人を定められた時まで導いたとも思えた。
その世は、決して妨害だけしているのではない。むしろ、守り役も果たしていた。
世のルールだけは守らなくてはならないとすれば、わずかな期間にしろ巡り会う逢瀬を実
りあるものにしなくてはならないと思う。
そのネアンが、推して図ったように竜宮の玉とルシファー像をカンナオビから贈られたの
だ。
キリスト教からすれば、敵対すべき憎い存在。キリスト教が執拗に悪魔に仕立て上げてき
た存在ではあったが、その思想を汲む彼女がいったいどうしてそれを贈ったのだろう。
自分を閉塞させてきた主体への反発か。それとも、イナンナが八角堂の解放者を求めてい
たように、ネアンに自らの解放者たるルシファーを見たのか。
以前、ヒラサカに八角堂の仔細を語ったとき、ヒラサカはキンイロタイシの言葉の手がか
りから、八角堂の三階にいた人物は、毘沙門天王、またの名をサナートクマラ、大天狗、
金星王、孔雀王、ルシファーであると言い切った。ネアンはそのときから、それらの雛形
をも担ったのだった。
その後、ゲンがルシファーの情報をもたらし、ついにカンナオビが成り行きの中で手に入
れて贈った一連のシンクロの見事さは鮮烈であった。
ネアンが目論むのは、原初神であるウシトラノコンシンの復活復権である。それは200
2年6月6日の決行日の頓挫によって費え去ったかと思われていたが、今ここにあるのは、
竜宮の乙姫が持参した玉であるはずのものであった。しかもそれは観念的な存在ではなく、
現実のものとしてここにある。それは、ウシトラノコンシンが世界建て直しに着手する時
に必要になる玉なのだ。
なるほど、これとても未だ「見立て」にすぎず、観念と言えるかも知れない。だが、想像
の中でなされるだけであったものが、具体的事物として現れてきていることをどう捉える。
どんどん、具体化してきているのである。それは、この現世への波及がまさに起きている
証拠であった。
ウシトラノコンシンは乙姫の竜宮の玉を手に入れてから、建て直しが開始されると竜宮神
示なる神話(大本教の分流、三雲龍三にかかった神示)には記載されている。
その雛形の舞いは現世において実演されたことになる。
ということは、ウシトラノコンシンはすでに復活しているのだ。いつのまにか、北東の山
中に埋められ封印されていた呪縛から解放されて出てきているからに他ならない。
では、ネアンが火の鳥となり、イナンナを乗せて救出した新神話の行程は成功したのか?
いやまて、これとても、何らかの具体化がほしいところ。だが、まだ確信足り得ない。
梵天も今や畿内の五茫星の結界から抜け出しているはずである。ふとそんな予感がするも
ののまだ確信足り得ない。
太陽神ルシファーも天空の座をキリストに奪われた。その復権をも担っている雛形である
ことをいつしかネアンは意識するようになっていた。ルシファーも金星の座から立ち出で
て太陽を奪還しようとしている。だから、いまここに象徴的人形が存在しているのだ。
ならば、地上界の雛形同士の質素なやりとりの最中、神界はおそらく大揺れに揺れている
はずである。
日本のウシトラノコンシンだけではない。インドの梵天も。そしてイタリアのルシファー
も。
古今東西の原初神がこの小さな凡人たちの演ずる雛形の舞に未来のすべてをかけているか
のように思えた。
火の鳥朱雀はどんな呪縛からも解き放つ秘儀秘法である。
いり豆が花を咲かせるまで出てきてはならぬと呪詛をかけられ封印された国常立神ウシト
ラノコンシン。ところが、火の鳥は自らマグマに身を投じて灰の中から蘇ってくる摂理で
ある。その摂理が動いたなら、いり豆程度のやわい呪縛から花を咲かせることくらいは造
作もない。いり豆は、火の鳥と共に灼熱の中から蘇ってくるだろう。
この取り合わせの妙は、天仙邪神すら思いもよらなかったはずである。
この最強の神獣の存在を誰が予想しえただろう。
ネアンという雛形をあらゆる理想的神話と原初の神々とそれに連なるものがバックアップ
しているかのようであった。
彼は雛形を認じ新たな役割を帯びるつど、神の諸力に目覚める。過去世に審神者として
神を判別する生業にあった彼に、次から次と原初の神々から依頼が来ている。彼は自ら
に神をかからせ、自ら神話の体現者となる。新しい神話は、有情に対して温情ある原初
の神を神界の首座に返り咲かせるもの。ひいては、邪神の陰謀と跳梁跋扈により、苦難
と辛酸と怨嗟のるつぼの中に置かれている有情たちを救出することにある。
見よ。邪神たちの為してきた諸悪垂れ流しの地上世界を。最も愛を説くべきキリスト教の
傘下にある者たちが為してきた悪行の数々を。それはローマに始まり、現代にも大量虐
殺という人災を引き起こしている。その矛盾の中に人は何を悟れというのか。
このダブルバインド状態から、人は急速な進化を遂げるという。その進化した人々は次
にどんなことに使役されるのか。突然変異して超能力でも得たなら、邪神のために働く
戦士にでもしようというのか。
その彼らは、次第に人として生き物としての性格をなくしてしまい、地球を尊ばず、破
壊する側について、違う世界に理想を追うようになった。その理想世界はどこにある。
この地上をまともに扱えずに、どこに活路を求めようというのか。その理想を与える奴
の顔を見たことはあるのか。信じられるのか。インターネットの取引においてさえ、相
手の確認に慎重を期しているわけではないか。それをやすやすと理性を明け渡す者も者
だ。
積み上げられた奇跡があるというが、奇跡は邪神の得意とするところではないか。
真実は他人の言葉にあるのではなく、自分の中にあるものだ。わずか数十年の命。それ
を他人の言葉や力によって支配され続けていいわけはない。自らの内からの悟りは、自
らに起きてくる眼前の出来事に基づくしかない。
初心者ならいざしらず、他人の言葉や力で自らの心を修辞される時間などないのだ。

四神相揃う

2004.12、ヒラサカは空を撮影していて、一時期に四種の不思議な生き物を捉え
た。
それは朱雀、神亀(玄武)、マカラ(白虎)、龍魚(青龍)であった。
朱雀であるネアンが、三種の雛形すべてと出会ったことを意味しているようであった。
玄武に始まり、白虎が継ぎ、青龍が神話の成就をとりまとめることを意味していた。
これで世界は正神の統治するところとなることは紛れもない。
最後の青龍は朱雀から北東にあたり、ウシトラノコンシンとも、大日如来の北東に位置
する弥勒菩薩とも関係があった。この方角にあるものこそ、建て直しに最後まで関わる
ものである。そのカンナオビは観世音菩薩のように額に大きな特徴を持っていた。弁
天が本地垂迹して観音となるとなら、梵天の妻である弁天でもあった。丹後の成相観音
は、弁天を中核にして龍神たちが成り合った観音である。
ネアンはカンナオビに何の行動も期待はしていなかった。ただそこにいて、連絡がつい
ているだけで、成り行きのほうが新神話に則っていくのである。無作為であってもひと
りでにカンナオビはネアンにとって必要なことをしているのだ。ネアンにとって、カン
ナオビは輝く天使であった。
ネアンはカンナオビに、お互いの世俗の義務は果たすべきことを伝えた。それがこの世
に生まれてきた者の必要最低限の勤めなのだ。これを無視してしまうと、この世にある
立場をなくしてしまうことになる。それでは役割を全うすることなどできるはずもない。
無作為でいるように見えて、その実、成就に向けて成り行きが進行しているというのが
理想状態であることを説いた。
カンナオビは家庭生活を優先すべきである。趣味を多彩にこなせばよい。
ところが、カンナオビは、ネアンのことをいっそう知ろうとして、新神話のありかを彼
の開設しているネット情報の重箱の隅から見つけ出した。
そして、夜も寝ずに、その長文を読み通したのである。
20XX.1.12。カンナオビはネアンの書いた長々とした新神話を読了した。(それ
は第十章統理の章の未完(前稿)のところまでで、 記憶力のいい カンナオビの頭の中に
は細大漏らさず入った。まだ理解の困難な箇所はい くらもあった が)
(ところで、少し触れておくが、第九章は事の経過 と、思い至っ たネアンの心境ををなるべ
く時系列を期して記すものであるが、かなり時間前 後もある。第 十章は統理(とり)の章
といい、新神話の作動原理と目論まれる結果につい て詳述するも のである)
唯一、カンナオビが読み通したことの意義は大きい。
ネアンはこのことをカンナオビから知らされ、すべて読み切ってくれたことに驚いた。
この効果はどんなものだろう。人は何百何千人とこれを読んだとしても、理解して読め
るわけではない。
それに加え、神々の世界に神話として通達できるのは、神が知ることが必要条件なのだ。
ところがカンナオビは青龍に位置づけられた時点で神となっていた。正確には神霊を宿
していることになる。
その彼女が読了したことは、何億の人に読まれるよりもはるかに絶大な効果があるのだ。
彼女が感動してくれたことは、神話がオーソライズされて確立したことになる。
旧神話はこれによって凌駕されていくことは間違いない。
そして、成果は直ちに現れた。
20XX.1.14未明、カンナオビは久々の熟睡をしている最中、寝所にネアンの来
訪を受けて交わる夢を見た。布団の中でネアンの重みを感じると、体中が熱くなった。
そして、両足が溶け合うように一本になってしまうような感覚になり、交わりざま、ネ
アンによって玉が胎内に置かれるのを見て、法悦境に至った。その玉は東海の竜宮の玉
と見立ててネアンに渡したところのものだった。
両足が尻尾のように変化する体験。カンナオビは青龍の本身に戻っていたのである。
龍は乙姫であり、豊玉姫であり、弁天であることを示していた。
となれば、ネアンと思われた者は、浦嶋であり、山幸であり、ヒエラルキーである梵天
であるとネアンには推測できた。あるいは火の鳥朱雀であり、ゆえに交わる中で、カン
ナオビの身体が熱くなったのである。
夢から覚めたカンナオビは、いつのまにかパジャマの下を脱ぎ捨て、下半身を顕わに
していたのには、起きて驚いた。夢で交わったのか、それとも本当に交わっ
たのか。子宮の中に置かれた玉の感覚がいつまでも残されていた。
ネアンには図らずも知れた真実があった。
梵天は畿内の強靭な結界から脱出してきているということ。
また、なぜいま梵天がカンナオビに?
それはイナンナがかつてオハコとしたことではなかったか。
それは、カンナオビが新神話を読了し、それまで神話に登場してきたすべてのキャラク
ターを理解したために、属すべきキャラクターがまとめて彼女のものになったからに違
いなかった。
それはカンナオビが新神話をともに営み、引き継ぐ者としての資質を備えたことを意味
していた。
このときカンナオビは、自らの内に新神話に登場した弁天、ディアナ、乙姫、豊雲野の
神霊を宿しており、ネアンの姿をとった梵天、ルシファー、浦嶋、国常立の神霊と交わ
ったのである。
カンナオビも過去世において巫女の修練を積んだ者であり、神霊を招き入れる潜在能力
を秘めていた