私は出雲大社式年遷宮の翌朝未明に
アメノホヒの視座になった夢を見た



 
夢の中で見たことのあらまし

 これは私の数ある超常的夢見体験のひとつであり、ここから抜粋して掲げる次第で す。


  • 出 雲大社で寝ていた夢を見たようだ・・・それも神界の出雲大社   2013.5.11未明

    出雲大社の60年ぶりの式年遷宮の執り行われたのが2013年5月10日。その翌日未明に(3時頃から4時頃にか けて)不思議 な夢を見ました。

    私は妹からもらったダウンシュラフ(寝袋)にここのところ寝ていたのですが、これがとても軽くて暖かく快適なので す。午前3時 頃に 毎度のようにやってくる猫の ウーに起こされ、眠いながらもトイレ起きすることになり、また眠りについてからの夢だったのですが・・・

    快適な薄布をとると、そこは灯火がともる板張りの部屋で、10畳ほどの広さがあったでしょうか。私はそこで一人で 寝ていたので す。 所々開いた間仕切りの向こうの通路に、歩いて通過していく人の姿がありました。一人だけでしたが、なんと髻(みずら)を結い、こ のようないでたち(もう少し簡素だったが)をした男の人なのです。(今まで夢で、みずらを結った人を見たことなどなかった)

    そして、横に連なる部屋のほうを見ると、間仕切りで仕切ってあるため広範囲は見ることができないのですが、隙間の ようなところ か ら、なんとこちらは平安調の衣装を着た長髪の女性が向こうのほうを向いた状態で座り、私の起床に気がついたか、こちらに顔だけを向け、お歯黒をつけている からか、ちょっとぞっとするような微笑でこちらを見ているのです。それでもなんだか、すでに亡きカンナオビの顔に似ています。彼女の部屋のほうには、たく さんの人がいる感じです。

    私は夢の中の自分が何者なのかはわかりません。それから外に出て見やれば、そこは昼間で、なんとものすごく太くて 古い角柱で 造られた神社なのだとわかりました。そ れも、けっこう大きな一枚岩とも思える岩盤の上に建てられていて、でこぼこした岩から直接、柱が出ているふうで、無骨な年輪と黒ずみが、いかにも築造の古 さを物語るようでした。

    岩山の下は境内地でフラットで広く、けっこう多くの人たちが、境内と岩山、そして神社にいました。が、そこにはみ ずらを結った 人は おらず、みんな黒いスー ツ姿をしていました。

    私は、岩山を下りたり上がったりして、何か用事をしていたようなのですが、何をしていたものかわかりません。た だ、たくさんの 人が 集まっているなという印象だ けなのです。誰とコミュニケーションをとるわけでもありません。

    神社の夢を見たことは何度かあるのですが、社殿の中で寝ていたというのは初めてのこと。また、よく夢で見たことの ある朱塗の神 社 のようでもありません。いったい何 なのかなとネットを見てみれば、どうやら昨日、出雲大社の式年遷宮が執り行われたらしいことを知ったのでした。

    とすると、私は出雲大社にいたのか? 私は出雲大社にお参りしたことがないので、わからないのです。寝床でまとっ ていたのは、 衾とい うも のだろうか。ダウンシュラフさながらに快適だった。(当たり前か。こちらで感じているままに夢の中でも感じているわけなので)

    とすると、あのみずらを結った人とは、大国主命(大己貴命)かも知れません。すると平安調の女性は、もしかして奥 津嶋姫だった の か。(記紀には別伝が書かれるが、ホツマツタエにはこの二神は夫婦であるとされる) 奥津嶋姫は私と最も縁のある神様で弁財天であり、目下、新神話におい て協力してくれる神様なのです。

    私は部屋で寝ていたとすると、お客だったのだろうか。ならば新神話はまさしく活きていることになります。私は国津 神シンパです か ら、大国主命とも大いに縁が あるのです。

  • そうだ、みずらの人は、まさしくこの人だったよ。(Wikiから採録) しかし、お顔がも少し優しかったか。

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  • 2007年9月22日に、母が盛大なお見送りをしてもらったと するなら、誰が主催してくれたのだろうか。
    それはムービングロードを下から支えてくださった沖島の奥津嶋姫弁財天で あるに違いない。
    当時はカンナオビも健在で、私とは相思相愛だったことから、彼女の本体であられる奥津嶋姫様が、気を利かせてくれたのだ。
    弁財天様は龍族を束ねておられる。ちょっと号令をかけられれば、数千体くらいの龍の皆さんは参集されるのだろう。

    2010年5月にカンナオビは逝去し、本体の奥津嶋姫様は、ご主人である大国主命のおられる出雲大社におそらく還られたのだ。
    カンナオビの顔にどこか似ていたのも無理はない。私にそうとわかるように、在りし日の面影を残し置いてくださったのだろう。
    しかし、平安時代の衣装とお歯黒で臨まれるとは、ちょっと驚いた次第。

    奥津嶋姫様のおられた緞帳の向うには、何人もの国津神の方々がおられたようだった。
    私だけ、緞帳によるものとはいえ、一室が与えられて寝所にしていたというのは、大事な賓客待遇と言えなくもない。
    では、私はいったい誰なんだろう。何らかの神?  いや、雛形ということでじゅうぶん満足しているのだが。

  • え えー、では言っとこう。それは大国主どんのもとに出向しとる

    ア メノホヒ じゃ、なかろうか。

以後しばらく、中郎冠者として登場します。











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