森野の超常体験談 |
|||||
夢見 |
UFO/UMA |
新神話 |
一般的 |
猫生活 |
母の不思議 |
夢見超常体験
主だったものはけっこう憶えているので、挙げていくこと にします。 白
球UFOがすいすい出てくる夢 (1975年)
白球UFO がすいすい出てくる夢は、実際にUFO 観測会に参加して、初めて実際に目撃した赤 いブーメラン型UFO の"続編"として見ています。 UFO を初めて目撃したときの、きっかけとなったと思われる行為は、中天の夜空に向かっての「私 を友達にしてくれますか」の問いでした。その相手は大きな赤橙色 の三日月形UFO(ブーメラン型 UFO)で、視野のど真ん中に現れました。 その数日後の就寝時から、夢に白球型UFO が登場するようになりました。たいがい夢に出てくると きは、満天の夜の星空を、複数機でみずすましのようにすいすい飛ぶシーンでした。それはまさに、 私を友達として誘うかのようでした。26,7歳頃のこと。 詳細は「奥人のユーホー体験」
をご覧ください。
また、ホームページにもあらましを載せています。 ⇒ UFO撮影同道記 また、この話には後日譚があります。 32,3歳の頃、興味を持って行ったピラミッド瞑想時に、夢の白球UFOが赤熱しながら私の意識集中 していた眉間に飛び込んできて、光のシャワーとなり、視界全体が真っ白けになった経験があります。 まだ白球UFOなど実在するとも知らない頃の話。ところが、少し後に、夢で見た白球UFO が実在する ことがわかり、またそれに関わることになるのです。 そ
の後の展開
白球UFO が本当に存在していることを確認したのは、同じようにすいすいとまではいかないまでも、 ゆっくりと群れて飛んでいる映像や写真を見てのこ とです。 中でも、身近なところでは坂本廣志さ んが、フジテレビ系の取材日の前日の午後3 時過ぎに、30 分にも渡る星の子UFO の大群を撮る という快挙をしています。 彼は当時、武良さんと私の二人でやっていたUFO ビデオ撮影友の会に新入会した人でした。 UFO や宇宙人、神仏の世界の伝説の話題たっぷ りの人でしたが、これで彼の真実味が格段に 増したことは言うまでもありません。 いかに夢の白球UFO が私の傍に現実化しているか。むろん自分でも単体ながら目撃しながら撮 影していますし、G の嵐のロケの最中には、それも終わり ごろに多数の白球UFO の出現 (私の肉 眼では肌色に見えたが、テレビカメラには白球UFO として写っていた) を見ています。 そして、最近では、武良さんが「UFO を呼べる男」として、マスコミデビューされるようになりました。 そのとき出てくるのは紛れもない白球UFOです。それはかつて私が夢で何度も見たUFO。 白球UFO は我々の間では、まぎれもない実在なのです。私は「星の子」という愛称で呼んでいます。 なぜなら、私にとって、ミニチュアピラミッドの中で起きたことは、太陽神の子供の超入の儀式だった 気がするからです。 それが後(2013年〜)に、アメノホヒへの手がかりへと結びついていくことになるのです。 ⇒ 後述・出雲大社式年遷宮翌日未明の夢 英
国紳士風宇宙人の訪問の夢 (1977年?)
名古屋にいた頃(私が26歳頃のこと)、シンバル状UFO 2機に乗ってやってきた二人の宇宙人が、 神戸の元の家(ここには小学〜大学の頃に住んでいました)に訪問してきた夢を見ています。 これは私が中学三年のときに宇宙人の訪問を実際に受けていたものを、記憶の消去がなされて後 日、夢で思い出したと解釈できています。 それが単なる夢でなく、確実にあったことであることは、当時私の妹が、私が受験勉強で部屋を チェンジした際、山高帽の英国紳士のお化けが出た恐怖体験を語っているからです。 妹が霊視するようなことは皆無ですから、まさに宇宙人の実体を見たに違いなく、また本人もほん ものの英国風紳士だったと主張しています。 なんとその当時の神戸の家は、二戸一長屋のうさぎ小屋で、やってきたとするなら2階のベランダ からだったでしょう。 そのときの夢は、母がお茶を運んできていて、何だか家族ぐるみで巻き込まれていたのかなあと いった印象です。 詳細は「奥人のユー ホー体験・拉致体験もか」をご覧ください。図解入りです。 天
帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年頃)
かなり昔、30歳頃ですが、奇妙な夢を見たことがあります。 何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口でパンフレットをいただくのです。 手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。 たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。 その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう太 目の十字架がたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしていました。 野球場をプレーヤー側から見るといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそ うなるのか、私は右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているので す。 タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの マンガのようでありますが、その当時あのマンガはまだなかった頃だったでしょう。 私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲が かかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていき ます。空からは微妙な天楽 (コーラス)らしき音もしています。 と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出して、上昇を止めました。そのとたん に、目が覚めてしまったのでした。 さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その夢の話をさせてもらった女性か ら、折り返すように衝撃発言が・・・。 あ る精神修養の道場(断食道場)で以前同席したという、アメリカのベティさんという女性が、かつ てロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアム の中からたくさんの十字架が空に向 かって揚がっていく様を目撃(幻視)した話をしてくれた、というのです。ベティさんという方は霊視 能力者だったのでしょ う。 その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで 私も行ったことがありますが、昔話を蒸し返しにいくわけにもいかず、その程度で終わっているわけ です。 「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。そして一塁側観客席の白光した十字架群。 天帝様とは誰なんでしょう。 もし元始天尊(盤古)だったら、対決せねばならないかも・・・。 盤古は地上の人間たちに幻術を仕掛けているヌシなのでね。(とSF 解釈) そのときにはセーラームーンたちにも参加してもらわねば、色気もなにもありません。 しかし、十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのではないでしょうか。 まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なること でしょうが。 ただ言えそうなのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。 その関連性からすると、黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思 います。 昨今、サンドレアス断層の崩壊が間近だと囁かれていますが、ロス地震などが起きるときには、私 の方がすでに先に逝ってることになるのかもしれませんね。つまり、私が逝っ たしばらく後ぐらいに 同地震が起きるのかも知れないと。 それも、もう間もなくのような気がします。
死せる父、夢枕に (1980年) 父が死に至る症状で倒れたとき、ちょうどその時刻に、下顎の臼歯がひとつ、前後に真っ二つに 割れて、内側が取れてしまうという出来事が発生しました。 病院で、父の臨終の間際、ベッドの向うになにやら揺らめきのような、ちらつきのようなものが立ち 上るのを目撃。 父の死の二日目の未明に鮮明な夢を見て、そこに父が現れる。その内容をむかし書いたものがあ るので、参照願えたらと思います。 https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/chichi.htm そこでは、父がうちの家系の菩提寺にいて、赤銅色の丸柱の横の黒電話から電話してきたわけで した。(電話している父の様子がこちらには見えている) 私 が「今どこに居るん」と問うと、「しんしょうじに居る」という父の返事。それが、母も私もその時点 では知らないはずの父の田舎の菩提寺の名前であることは、実際に関わることになって初めて分 かったことでした。丹後伊根町の振相寺がそれです。 しんそうじと呼んでいましたが、しんしょうじと呼べなくもなく、 父は若い頃にそう呼び習っていたのか も知れません。赤銅色の柱は実際にありましたが、そこに黒電話はありませんでした。 先祖の御霊を移転したとき (1981年) 私は名古屋で仕事していたため、それを理由に神戸の家のことはほとんど母と妹に任せていまし た。 母は、父をねんごろに弔うために、先祖の墓を神戸に移転することを計画。 私にはそのようなことを内緒にしていたのではなかったかと思うのですが、私は墓の移転する直前 の未明の夢に、青黒い空間に、芋とその 根のつながりのようなシルエットが、横たわっていた状態 から縦に起き上がり、それが何体か連なって立ち昇るという気持ちの良くない夢を見ています。 むろん、芋と根のつながりというのは、あちらでは土葬のゆえに頭蓋骨と脊柱がこのように見えたと いう次第だったかと思われ、魂抜きが抜かりなく行われたことを示すものであったと分かりました。 現実には土葬された実体を掘り起こして持って行ったりはしません。墓所の移転に伴う、形而上的 な観念世界における儀式上の魂抜きなのです。それを実体的夢として見てしまうとはいかなること。 夢とはいえあまり気持ち良くないものでした。 火
星で導師にボースの丘を示された夢 1984年頃
かなり昔、奇妙な夢を見たことがあります。 その場所は火星であるとわかっている夢で、私はある人物に憑依しているようなのですが、 その人物に対して、数m離れたところに古代ギリシャ風の衣装を着てオリーブの冠を付けた導師らしい 風格ある人物が、あれを見ろと、腕を伸ばして指さすのです。 すると私の憑依している人物は驚いたように、「あっ、あれは・・・ポ、ボースの丘だ」と叫びました。 この人物は、その場所に居た経験があるようでした。 私は指された方角を見ずに、導師のほうばかり見ていて、指された方角を見ていなかったので、そこに 何があるのかわからずじまい。 しかし、導師のはるか向こうに、ピラミッドが二つ、部分的に重なるようにして並んでいるのが砂塵舞う中に 見えていました。 そして、目が覚めたのでした。 確か、火星に人面岩がありました。その近くにはピラミッドもいくつかありましたね。 「ボース」という言葉で思いつくのは、ポセイドンです。 もしかすると、そこは「ポセイドンの丘」、つづめて「ボースの丘」と呼ばれていたのでは・・・。
それから割合同時期に、金正日がどこか中国風人民服の高官らしき人物と、
肩を並べながら通廊を
歩いているのを、斜め前から眺めている夢を見た。なぜか金正日の夢を二、三回見ている。
私は50 歳以降、拾う神に拾われたようにして、精神世界的な流れに身を置くこととなりました。 その進行役としての神話物語の創作をしているときに、夢においてもカナメとなるシーンをいくつも 見ています。 その神話(新神話)を補強するのは、現実のシンクロだけでなく、夢見もあるのです。 以下の人名は新神話上での名前です。 このときのことは、新神話の主役、カンナオビを家に招いたことが発端になっています。 私の印章をそのとき彼女に刻みましたから、彼女は私の家の自室に自らの磁場を刻んだのでしょ う。 以後、我が家は彼女が意識を飛ばしてきて密会するときの場のひとつになったのです。 ただ、そのとき私の部屋のドアにはサイババのポスターが貼ってあり、それが進入できない結界に なっていたようで、それを外してからは容易にやってこれるよ うになったようです。 (サイババのポスターも、セロテープで四か所止めをしただけなのに、8 年以上、一度もはがれるこ となく、貼り付いていました。私が貼りつけて私が外 したことになります) そんなある日(2007 年1 月14 日)の未明の夢に、カンナオビが正体を見せに我が家にやってきた のでした。 彼女は白龍のまま、私の胸のど真ん中に飛び込 んできて、私と合体したのです。私は朱雀(鳳)で すから、鳳龍合体という瑞兆吉祥だったことになりましょうか。 夢の詳細 (別記事から転載) 弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。 それは知られざる世界における栄光であり、いかなる立場にあるかを垣間見せてくれているような 気がする。 (僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー) 本日、2007年1月14日未明、午前四時台の夢である。 私は小さな四角形をした我が家の二階のまん中に居て、北と南の開放された窓だけでなく、屋根 や天井すらも透明化していて、うろこ雲漂う昼間の明るい空を眺望できる状態にあった。 北の空を見ていると、どこからか降りてきた雲が数珠つなぎになり、長くたなびき消えることなく、や がて我が家の上空を反時計回りに旋回し始めた。 見れば、龍のようであった。雲によってできた龍。雲竜とでも言うのか。 一周目のときはまだそうとは気付かなかったが、二周目となって、これは龍だと気付いた。 我が家の北側に回ったとき、それは横顔がありありと馬のような面構えをしており、夕日を浴びて心 なし赤みがかり、後ろが長く流れて、ところどころうろこ雲のように切れつつも、尻尾らしく従ってい るのを見た。 雲が龍の形を形成して飛んでいるのだ。 方向を変え、南側に回ろうとしたとき、私には龍の顔が正 対して見えた。 眼光もありなかなかの面構えだ。だが、どこか優しい感じがする。 屋根の上すれすれに南に回ろう として、尻尾が屋根に触れた瞬間に、じゅぼっと水がかかったような音がした。 どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか? 龍はまた南から北上を開始。再び北面から南を窺おうとして正対する格好となったとき、もう龍は 目標を捉えたらしく、北面の窓めがけて飛んできていた。 そして、閉められた窓をひげでぴょこっと触れると、窓はさっと開いて、そこからもろに部屋に入っ てきて、私の胸の真ん中めがけて飛び込んだのだ。 うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。 この光景は近所の人も見ていて、家の中に入ってきたマンガのようなおばさんや少年らが、私のほ うをすごいといった表情で見つめていた。 そこで私は拳法のように腕をぐるっと回して、英雄ウルトラマンのようなポーズをとった。どんなもの だと。 そのとたん、夢から醒めたのだった。何だ。夢だったのか。 久しぶりに見たすごい夢。 腕の痛みや不整脈でさほど眠れたものではなかったときに、ようやく見た正月らしい夢だった。 もしや奇跡が起きているかもしれないと、腕の痛みや心臓の不調が治っているかどうか調べてみた。 だが、そうは問屋が卸さなかった。 雲でできた龍。色からすれば白龍というのか。 ネバーエンディングストーリーに出てくるような龍。 千と千尋の神隠しのハクみたいな龍。 彼女に、「雲龍としてやってきたのは君か?」と問い合わせると、「それは私よ」と返事があった。
正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。 なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50 歳以降になってから始まったインディー体験の"とば口"を開 いたのが、神戸の舞子公園にある移情閣での出来事 で、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、 真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第 一」だったことによります。 詳細は、弊体験集の「新神話」の章をご覧ください。 この蓬莱島とは・・・この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使 館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という設定です。 天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、 浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部 分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。 つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという 二つとない場所。 母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。 (が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬 莱島には、いてくれていると思います)
よい夢もあれば、悪い夢もあります。とくに悪い夢は、後々まで心に傷が残ります。それが正夢であ れば(らしければ)なおのこと。 この夢はあまりに痛ましく、記述することは著しく困難です。 別記事から転載 申し訳ないという思いが薄れると、今度は慢心が頭をもたげてくるのが私の短所だ。 母のささやかな遺産のうち、神戸に遺っていた震災後の更地の件を明確にしなければならなかっ たのだが、問題の権利証から何から何まで、家中探したものの見当たらなかった。 代わりに、どうでもいい(と私には思える)はぎれやタオル、風呂敷、買い物したビニール袋の類が わんさか出てくるばかりだった。 私は、捜索の後半戦で、ついにキレて、母の節約精神のピントの外れ具合をなじりながら、捜索作 業をする始末だった。 たまたま町内の回覧できていた、「もったいない」をテーマにした標語の募集がテーブルにのっ かっていた。そこにはサンプルとして、「もういちど すてる前 に考えよう 再利用」などと書かれて あったが、すかさず「もったいないは 小さな家中 ごみ山にする」と書いて応募してやろうかとまで 思った。 こうしてドタバタ騒ぎしたのが十月一日のこと。果たせるかな、二日の未明の夢に、母は出てきた。 といっても、私のほうを一瞥もせず、件の書類を捜しているようなのだ。 それもどこか旧家の中のようで、こげ茶色主体の大きな家具の立ち並ぶ暗い中を、あっちでもない こっちでもないと、探しまわっているのだ。 そして、どうあっても見つからず、とうとう床にへたり込んで動かなくなってしまった。 その間、私は「もうそんなことせんでいいんだ、いいんだ」と叫んでいたのだが、聞こえないのか、 責任を重く受け止めてのゆえか、こちらを見ることもなく床にへたりこんでいるのだった。 私は目が覚めて、仏前に飛んで行って、平謝りを繰り返した。こんなに私の心が揺れ動いたので は、母が成仏できないではないかと、自らの馬鹿さ加減を猛反省した。そして謝罪の気持ちばか りで時を過ごした。 三日の夜九時頃に一階を消灯し、二階で自分のことをしていて、半時間後に ふと思いついて一階に下りたのだが、とたんにゴソゴソッと音がした。 電灯をつけると、ゴキブリが一匹、私に驚いて逃げようとして、壁にぶつかり裏返しになって、しば らく立て直そうともがいて、ようやく表返って、その場に静止した。 とてもベテランのゴキブリとは思えない狼狽ぶり。 私はゴキブリのもがく様がすでに哀れになってい て、もしかするとこれは母の視座を持つゴキブリ(つまり母の意識の宿る化身)かと思った。つまり、 ゴキブリになってまで、家捜ししているのではないかと直感したのである。 この小さな視点からでは、書類の山を見分けることはできまい。 「母ちゃんなのか? もう探さなくていいんだよ。こちらのことは、もうこちらでやれるから、母ちゃん はゆっくり向こうの世界で幸せに暮らしておくれ。せっ かくご来光まで行ったのに。そこが母ちゃん の居るべき所なんだ」 するとゴキブリは、触覚さえ微動だにせず、じっと私の話を聞き、思いを読み取っているかのよう だった。こうして十分間ほども語りかけていただろうか。 まだ動こうとしないので、「向こうに戻って、楽しく幸せに暮らすんだよ」と、そのまま消灯して二階に 上がったのだった。 四日の朝、当然のことながら、ゴキブリはその場にいなかった。 その日は、不明の資料に代わるも のすべてを入手せねば、母にも影響しようからと、役所回りしていけば、とんとん拍子に入手できた。 それは、母の積善の徳に よるものであり、母が応援していてくれたからだろうと思う。 ふつうはこんなにうまくいくことのほうが珍しいほどだ。 仏前に報告した。解決したから、母ちゃん がこちらのことには関わる必要はない。それより、一生お世話になったのはぼくのほう。ほんとうに ありがとう、と。 翌朝になって、祭壇のお供えにゴキブリの糞が落ちていた。おお、ようよう毎朝晩出す食事を食べ ていることを示してくれたかと思えた。 ここで食べずに、昇華された供養の品をあちらで食べてほしかったが、私の周りにいる時間が長い ようだった。母がいなくなったという実感がまったくなかった。 祭壇に向かうときには一匹の小蠅が飛び回った。あるときは母のビジョンが傍からセコンド役のよう にアドバイスしたりした。 十月十二日に私は祭壇の母に向かって、いまどんなところに居るの、よかったら夢に見せてほしい とねだった。 翌十三日の朝、祭壇の黄色の大輪の菊の花の真ん中が妙に崩れているのに気づいた。 見れば、体長5cm ほどの青虫が横たわっているではないか。うわーっと、取り出して潰そうかと 思ったが、またも思い止まった。これはいま、母があちらの世界で、菊の華の台(うてな)の上に転生 したことを示しているに違いない。そう思うと、もったいなくてもったいなくて。 青虫に母ちゃんなのか、母ちゃんのよすがなのかと問うてみれば、青虫はこのとき頭をもたげて、 私と顔合わせして、小さな口の歯をパクパクさせて、あたかも話しているかのように見えた。 そ れは潰すのは容赦してくれと言っているようでもあり、母の語りかける姿のようにも見えた。 後に も先にもこのとき以外に青虫との顔合わせはない。十四日には、母が最も会いたがっていた神戸 の旧友がお参りに来てくださった。祭壇の花のうち、大輪の 菊はすでに青虫の食事で崩壊寸前 だった。 よもや旧友をこの格好で驚かすわけにはいかない。そこで、その菊一輪を一輪挿しにして、下駄 箱の上に置 き、来客を玄関で迎えてもらうことにした。祭壇には、昨日あたりからいた蝿が朝から 活発に飛び回り、旧友が祭壇に手を合わせるときには、遺骨の上に止まっ て、同じように彼に向 かって手を合わせていた。 母の希望はたぶん叶えられたことであろう。 晩になってみれば、なぜか冷え冷えした。母の気配 がたぶん遠のいたのであろう。天気予報では、晩から寒くなるとは言っていたが。 千の風になって。 朝は光になって畑に降り注ぐ。 死後の意識は、自由自在。視座を求めて、どん なものにでも仮託する。それを転生と言うのもよかろう。 しかし、テンポラリーであるのが常態であり、 なんのこだわりを持つものでもないことが分かる。 私 は、生き物を前に、もしかすると縁者かもしれぬと、その生をたいせつにしてやりたく思う。 ただ し、蚊だけはどうあっても、見つけ次第、叩いてしまうのは いかがなものか。 刺された後で、蚊― ちゃんに刺されたんだから、まあいいわと 自分をなだめてはいるのだが。変人もいいとこだな。
十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうよ うです。 これも別記事からの転載ですが、ご覧ください。 ------------------------------------------------- そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団 の中から出たところだった。 ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。 プライバシーを除き見された気がして、怒鳴ってやらねばならないと見れば、ベランダはそうとう広 くて、四軒ほどの家の共有のようになっているではないか。 (私の家は一戸建てだぞ) 左のほうを見れば、住民が花や木の鉢植えを、屋内からベランダに運び出しているところだった。 私も何事かと見に行き、屋内に入ってみれば、なんと私の祖母がいた(平成六年に逝去している)。 どこかの店の中で、店員から品物の説明を受けているようだった。 懐かしさに近づくと、目と鼻の先で祖母は私に何か話しかけてくれたのだが、それよりも祖母の顔 が皺ひとつない透き通る肌色をしていて、つんつるてんの坊主 頭だったもので、じっと観察してし まい、話のほうを聞き漏らしてしまった。 しかも、墨染め風の黒っぽい和服姿、もしくは僧衣だった。 その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくするしぐさをしながら店員のところにやって きたシーンで目が覚めた。 (色彩豊かな明るい夢だったが、目が覚めてみれば外は真っ暗だった) 母の夢は母の死後もう何度も見ているが、祖母を夢で見たのはまったくはじめてである。 目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だっ た。 あれは死後の世界なの か? だとしたら、現実とさほど変わらない。ただ、祖母の八十歳当時の貫禄ある風貌そのままに、肌年 齢を10歳ほどに保っておれる世界みたいに思えた。それはそうか。魂は永遠。好きな年恰好をし てすごせるというが、祖母なら気に入りそうな姿だ。 しかも祖母は尼さんになっているようだった。信心深い人だったから。 童話「たつえおばあさん」は、祖母から聞いた話をアレンジしたもので、祖母をモデルに している。 物語の中で、おばあさんには、お寺で説法して、死者の煩悩の衣服を剥ぎ取る奪衣婆さんの役柄 を設定したが、もしかするとそのとおりの仕事をしているのかも知れない。 母の四十九日は終わったが、なぜかいっそう近くにいるような気がして・・・というのも、眠りに就け ば何パーセントかの確率で、母に会うことができるわけで あり、この世とあの世の区別や場面の違 いはあったにせよ、隔絶された印象がまったくないからである。 かくして、私は朝晩欠かさず、お供えの食膳作りをして、般若心経を唱えている。見えないが、す ぐ傍で生きているように思うからである。 アセンション後の世界は、死者と交流ができる世界だと聞いたことがある。もしかして、私はアセン ションの予行演習をしているのかも知れないね。 あるいは私が死ねば、同時にあのカーテンのない部屋で目を覚ますのかも知れない。 もうこちらの世界で目を覚ますことはなく、むこうでの日々の暮らしを、何事もなかったように重ねて いくのではあるまいか。 文化の日の未明に、異文化の夢を見たという話であった。 この夢の要点は、死んだ人は若返る、しかも幼児ほどの肌にまでなっているのではないかと思わ れること。 また、生前の願望を反映した暮らしをしていると思われること。 おそらく祖母は仏教導師として説法する願いを生前に持っていたので、尼僧のスタイルで暮らして いるふうでした。 あるいは、私の作る童話すらも、 新神話として機能していて、そのシナリオに則って祖母も霊界で 生きているふうである。 あるいは、私が身勝手な願望を夢のビジョンに反映させただけなのでしょうか。
これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。 転載 じゃじゃじゃじゃ〜ん!! 本日は宵戎でございました。 実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。 またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、 買い 物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、 キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、 調理し始 めたのであります。 そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでも あったのかいなとカレンダーを見ても、先勝 しか書いてません。 やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、母の演出に驚いたようなことでした。 そ こで仏壇に向かってお話しするわけですが、「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、 今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。 すると、こんなお答えが返ってきたような。 「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」 ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。 この夢は今朝ほんとうに見たものです。 この夢の要点は、宵戎の日に、大きな鯛を持つ姿で描かれるえべっさんが、何らかの関与をされ ているようであったこと。 私はその日が何の日といったことはまったく思いも持っていなかったのです。その日は関西だけの お祭り行事日でありました。今日は何の日かと暦を見れば、そのような次第だったというわけです。 また、母はもともと毘沙門天の縁者のようでしたから、恵比寿さんや大黒さん、弁天さんとは宝船で 同席されているよしみで、大鯛を受け取って帰ったようなふうでした。 そしてこの神様たちはみんな新神話では正神として機能されているのです。 2008 年の2 月24 日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと 思われるような夢でした。 けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段階でフェリーを乗り継ぐ 予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているところだったこと。 遠距離なのでたぶん二段構えなのです。夢の場面は一段目の近距離フェリー乗り場でした。 通勤時らしく、サラリーマンやOL 風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確 保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅子を倒して、母にまず座らせ、私が その隣に座ったのでした。 と、 その途端にです。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはない)だったせいで、風を受 けてぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そこそ このまぶしいものだったため、「う わー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのでした。(たわけた夢では あります) このフェリーに現実に乗ったことはないのですが、かなりリアルだったことから、実在しているので はないかと思うのです。 その手がかりは、まったくといっていいほどなのですが、最近になって、蓬莱山の真東にある琵琶 湖中の蓬莱嶽のある沖島行きのフェリーではないかと思ってみるわけです。 就航している船の写真などをネットで、これかなあなどと見ております。実際に行ってみなくてはわ かりませんが、ちょっと遠いし、腰が重くて・・・。とにかく、どこにも行けておりません。九州にもまだ 行ったことがないのです。(北海道には行きましたが) 般若心経が原因? その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのP さんが、何でも、伊勢白 山道のリーマンさんの情報として、般若心経の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、 作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。 鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々から蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経 を世に出すこととの引き換えに、死者を現世に引き留めるような呪いを篭めているというのです。 そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、 その日から母が夢に出てくることはなくなりました。 寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。 P さんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。 これは私が見た夢ではないですが、私が全面的に解読を行いましたので掲載
します。
たお坊さんが光物を抱えて夢の中に出てきて、「まもなくお生まれになるぞ」と彼女に告げたという のです。しかし、彼女には予備知識がなく、本人だけで の夢解釈は困難なのでした。 ところが、私とタイアップしていたことで、当の空海和尚は、私のバックアップを頼みとしてお告げを もたらされたと解釈できました。 しかし、その私においても、彩明日迦氏の 「弥勒降臨」という著書が、拙著書「古代日本にカバラが来てい た」から多く引用しているとの知人の知らせによって、買ってまで調べたために、このことにつき予 備知識したようなことだったのであり、それなしでは、私も何の知識もなかったのです。 縁の連鎖が、このような解読を可能にしていたことを知っていただければと思います。 また、金剛峰寺持仏間の加納元信筆の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上に、亀甲紋六角オーブは 写っており、鶴亀統べるの瑞兆が示されておりました。 彩明日迦氏の著の中にも、鶴と亀がすべることで、何が出てくるのかの謎掛けが施されており、後 ろの正面はどうやら弥勒菩薩だったことになりそうな感 があります。ただし、籠の中の鳥とは何ぞ やについては、 すでに我々にとっていくつもの兆候のあった「火の鳥」であるに違いありません。 それは氏が著書で言われていた「鳳」のことでもあります。 また、空海和尚の持っていた光物とは、これによると、「金るの袈裟」ということになりましょう。 まもなくお生まれになるとは、いつのことなのか。それは特定の人物なのかどうか。 彼女はこの日、悠仁親王の高野槇のところで写真を撮っています。もしかすると悠ちゃん、というわけです が、このとき親王はすでに満一歳になられてます。 いや、それでも神霊の下生は別のタイミングで、ということもありますからね。まあ、よくわかりません。
経緯の詳細はここをご覧ください。新神話の成り行き上、非常に大事な箇所でもあるのです。 メディシン能力ある才色兼備猫フーを筆頭にした三匹の猫の由来にまつわる話を、夢見の 前後の事実話とともにぜひご覧いただきたい。 我が家の子猫紹介・そのに と 今朝未明の不思議夢 我が家の子猫・そのさん 体育会系子猫ウー & どうも白虎らしい & 巡り終えた錆びた太陽 夢と夢に直接関連する箇所だけ抜粋する。 -------------------------------------------- 今朝未明の不思議夢・・・別和尚は人面獣身だった さて、今朝未明に見た夢は、どう言っていいのか・・・。 その夢を見る前に、たびたびのことながら、布団の中に何かいる気配と、猫がのどの辺りに来た感があり、そのときのどの辺りにあのフーの心臓の鼓動らしい振 動がした。たまにぴくぴくする痙攣とも言えなくないが、ものの気配の後だから、霊体でサインを出しながらやってきた感がある。そして眠りへと落ちた先の夢 が次のようだった。 長い夢の最後のほうなのだろう、お寺の傍の民家に居て、和尚さんとのいろんなストーリーがあったのだと思うが忘却。 その後、私はお寺に行き、下の空いた塀の外から覘いていたのは柿の木だろう、この木を切れば全体のバランスがいいのにと和尚に案を持ちかけようと立ち寄っ たところ、下の空いたところから、たしか夢の前話でも出てきた和尚とは別の和尚(副住職というか)らしい頭頂が禿げた頭が見えた。 なにか土地いじりでもしているのかなの感があり、表から入って話をしようと回って、玄関から禿頭の和尚を見たところ、なななななんと・・・頭は(別)和尚 でも、身体は猫というか、白黒の毛が入り混じった動物・・・が、お椀に入ったえさをガツガツ食べているところだったのだ。 しかも、顔を見ると、人間の年寄りの顔なるも、第三の目が額にあり、唖然として見ていると、彼の手前に二頭の、彼よりも先代らしい同様の"三つ目"をした 動物が、しかもそれぞれ茶青系と赤系のチェック柄の衣装(ドテラ)を着て、私の前に、やや赤ら顔をして微笑んだ感じで並んで座っているのである。 その後ろで依然として別和尚は猫スタイルで、えさを食べているというシーン。 私は思わず、手を合わせて拝んだというところで、夢から覚めた。 いまこの文を打ち込んでいるとき、PCの前に座る私の膝の上に三匹が座って、まさにじっとして眠ろうとしているところだ。お蔭で、今朝の寒さにも、温かさ がもたらされている。 いったいこの子猫たちは・・・。 伏儀神農神か。 (かつてあるおうちにいた、ノラという猫がまさにその化身だった) またまた三匹、私の膝で眠ってしまいました。ああ、私ゃまた身動きできないよ。 どうも白虎らしい しかし、ときおり不思議な夢を見てしまう。 前夜の夢に出てきた別和尚の顔にそっくりな画像を見つけた。というより、白虎のほうから検索で出てきた画像が、高松塚古墳の西壁の白虎の絵で、とても似て いたのだ。 頭頂禿げで、周りに毛を残す感じで古墳の絵も描かれている。こんないかつい年寄り顔が夢の中に出てきたのだ。 体毛が白2対1ぐらいで、刷毛で描いたような感じで見え、痩せて胴長に見えたのも、古墳の絵そっくりだ。ただ、絵のように神聖な模様でも雰囲気でもなかっ た。 しかし、ここまで表情が似ていると、そう思わざるを得ない。 まだ新神話は機能しているのだろうか、各方位の神獣をタイムシェアー的に巡る旅をしているのは、今までと変わりはないみたいだ。 もうまもなく、宇宙人が地球の虚構文明をいったん鎮静化する。新神話にも書いている行程だが、そうなればもう新神話が成ったも同じだから、新神話グループ も解散の成り行きかと思っていたのだが、最後に追いつくようにして白虎が現れた。それも子猫として。シャーマン能力を備えた子猫たちである。神獣の化身と 考えてもいいかも知れない。 元の飼い主にリコール要求したものの、白虎だとなれば、どうしていいか。つまり、お客人だ。 しかし、まるで中国の客家のように食選びがすごい。キャットフーヅなど匂いをかいでバイバイ。もうサバには飽きつつあり、牛や卵、鳥を経て豚へと食牙が移 行している。それに飽きたら・・・もう、後がない。 --------------------------------------------
要するに、幼猫の三匹が我が家にやってきてまもなしに、三匹のいわれを夢見てしまったわけで す。 当時、三匹ともメス猫と誤解していたのですが、あとでオス二匹、メス一匹だったと判明し、夢のオ スメスの区別と一致したようなことでした。(私の見立てより、夢のほうが正解だったという次第) けっか、ブーとウーが狛犬(シーサー)のつがい夫婦、フーが白虎とわかったしだいです。 白虎はシーサー夫婦の間にできた子供だと解釈されました。
白
虎のフーが行方不明になる一日前の未明に見た夢 (2010年10月)
フーが失踪したのは2010 年10 月5 日でした。 その前の一ヶ月ほど、毎晩私のベッドの壁側の回廊棚に 置いてあるアタッシュケースの上に寝る のが常で、二時間おきほどに私の枕元にやってきて、えさをねだるのです。そこで私は、枕元にド ライフードの袋を三種 類ほど用意していて、彼が頭をすりつけてこれがほしいと合図する袋の中 身を掌にとって、彼に食べさせていたのでした。まさに、あのときの夢の白虎和尚の顔 を突っ込ん で食べていたどんぶり鉢は、私の掌だったようです。 私の昼間はウーの生んだ子猫たちへの配慮で手一杯でしたから、フーは外出がちで、暗くなって から還ってきて、食事して寝るといったふうでした。私が彼の傍に長く居るのはこのときだけだった かも知れません。 私にとっては、フーの時間差急襲とブーの五月雨式急襲で、夜中といえども熟睡できたことはあり ません。しかし、フーの不思議なほどの精一杯の甘えを、子ならばこそと容認していたのでした。 そして、失踪してしまう数日前には、外出したきり、半日以上帰らずとなっていました。 ところが、失踪前の二晩は、回廊棚からなぜか私のベッドの布団の上に、もう大きくなった身体を 添い寝のようにさせていました。そんな最初の晩に見た夢が、実に不吉な夢でした。 マンガチックないでたちでしたが、私の前にフーと思しき白猫が、顔面の左半分が砕かれて溶け たようになって現れ、そのときまだしも問題ない右側も、何者かに目の辺りをやられて、困惑している 姿として私に写りました。 どうもそれは最近様子がおかしいフーではないか。 そして二晩目には、私のベッドで最初からずっと添い寝していて、私がまだ暗い中で朝起きたとき にも、すっかりリラックスして熟睡しているのです。その寝顔を見れば、まるで生まれたての赤子のよう であり、天使のようでした。その光景は、今でも忘れられません。 そ して、みんなにご飯させて、フーもいくらか食べた後、家のドアなど外猫の侵入を防ぐために、 みな閉めていたために、キッチン側の外回廊に出て、いくぶんか 低くなっている舳先から、今まで でも何度かやっているように飛び降りて、外に出て行ったのです。(私はそれを見届けています) そして、再び還ることはありませんでした。満一歳の命でした。 私はフーにしっかりとした白虎の仕事を与えてやれていなかったのではないかと悔やみました。 ちょうどその頃は、鬼門側の山門横に狛犬用のボックスを用意していて、そこには帰順してきた他 所猫の石松が居座っていたからでしょうか、フーはときたま裏鬼門側のプランターの中ですごした りしていたのです。 大 きく成長したとはいえ、石松とやり合って勝てるわけもなく、さりとて私が石松を追い払うわけで もない様子に、絶望したのかも知れません。私は、ポジションを闘い取ってみなさいなどと言って いましたから。が、小さいときから彼らよそ猫には追いまくられていたのですから、そんな容易な話 ではなかったのでしょ う。 しかし彼は、後に、一定の規則にしたがって、出て行ったことがわかりました。 それは、新神話が要求するシナリオの遂行です。 フーが失踪するすでに五ヶ月前に、青龍・玄武のカンナオビが別天に去り、順序としてフーが別天 に赴いたのだと解釈できたのです。「いついつ出やる」とは、五月五月の順に出やるという意味です。 よって、次は朱雀である私の番です。2011年3月が逝去の予定になります。 その前に、不思議体験のほとんどを書きとめておこうと思っています。(これは2010年12月の記載です)
2009年にはブログ読者の中にマメさんという方がいて、その方の中に複在する、前世
が宇宙人の男の子
の魂が現実になじめず閉じこもっていたので、元気付けようと誘い出し、私・朱雀の霊的な息子として、マメ鳥とかマメビコナという名にして、共に夢見して飛行訓練をしていたのですが、マ
メビコナは、自らのした2009年の3月度の「いつかきっと流」異界交信の中
に、鳥との縁について回答のあったことを思い出して掲示板に報告してきました。
---------------------------------- 【鳥】のシンクロもあ りました 3月の分Q:私の運命 の道の友は?漢字一文字で。 ⇒a 鳥 >613ーQ: 私は地球人出身ですか 宇宙銀河星出身で すか ⇒a ひな出荷 ---------------------------------- すごいシンクロになりました。 アメノホヒの神話上の息子は、幼名が天の雛鳥(アメノヒナド リ)で、後の建比良鳥(タケヒラトリ)になるとされます。 この方面からもいっそうアメノホヒの線は濃厚になったしだいなのです。 さらにである。共に夢見して飛行訓練をした夢見の丘が実際に存在したのです。 異界交信の相手チームとマメさんの好きなアインシュタイン博士が共に観覧していた異界チームの居た丘が、夢の光景と寸分違わず形で、なんとナスカに姿を顕 した のだ。(夢の中の丘は芝生の丘だったが) しかも、2014年になって初めて発見された地上絵だという。この丘で私はまさに朱雀になり助走をつけて飛んだのです。我が息子マメ鳥とともに。オトーの 私は身体がでかくて、助走をつけてほらこの通り。マメ鳥のほうが軽く浮いています。 異界交信チームは、我々の飛行シーンを交信メッセージにおいて「芸術的」と評してくれていたから、 我々親子のために、タンデム飛行している光景を描き遺しておいてくれたに違いありません。 ありがとう、異界チームとアインシュタイン博士。いつまでもご健勝であってください。 いつの日か会いましょう。 す
でに亡きカンナオビが別のタイムラインで生きている夢 (2013年10月3日)
こちらは伊勢神宮の式年遷宮の翌朝未明の夢だった!! 当時のブログ記事から転載します。 ---------------------------------------------- つい先ほどのこと。午前4 時台の夢で、すでになきカンナオビ(2010.5.15 没)が別のタイムラインを 生きている夢を見ました。 いくらかシーンがあったのですが、最後のシーンしか覚えてなくて。 テレビ番組なんでしょう。身内さんが黒っぽいワンピースで壇上の貴賓席に現われたとき、司会者 の紹介があり、 「歌手であり、女優である○○○さんでーす」と言うと壇上に彼女が上がってきました。 すると下の観客席から花束の贈呈があり、彼女がそれをもらい受けると同時に、檀上に向かって両 サイドから放水されるという(きっとバラエティー番組だろう)びっくりさせられるようなシーンがそこに ありました。 水になじんだ人だったから、こんなパフォーマンスも。でも、気をつけてほしいな。 そのときの彼女は、右目が良くないのか小さな眼帯を右にだけしていて(きっと番組で水をかけら れることがわかっていたのか)、水を浴びながら花束を抱え、笑顔でお辞儀をしていました。 彼女は女優になりたかったのです。私と知り合うタイムラインでは、それはほんのささやかな実現に しかすぎなかったけど(劇団学校に入って主役を演じたことはあった)、きっと彼女も、人生をプレイ バックして、未実現時空を体験しているに違いないと思いました。 私もプレイバック型の人生経験をしているのですが、そういう人はけっこうたくさんいるのかも知れ ません。 結局、スケジュールを統括しているお方がハイラーキーだから、みんな上手に図っているのだろう としか言いようがありません。彼女のハイラーキーは、奥津嶋姫様であり、弁天さんなのですから。 人生している最中に、性格がおとなしいものから豪胆なものに変化していくことってありますね。私 は子供のときは清潔観念症で神経質で引っ込み思案でおとなし かったのですが、今はその正反 対の性格になりました。その原因は、すでに別のタイムライン(森野のものだけですが)をいっぱい 経験してきて、その記憶は まったくないですが、精髄は魂に叡智として蓄積しているからだろうと 思います。 別のタイムラインでは社長もやっただろうし、人生とはこういうものと悟った今は、もう何も実利的な ことはやろうとは思いません。ただ、私に定められた時空をこなすだけと思っています。 ふ と、おかしく思えるのは、彼女をイメージで女優にいざなったことがあって、彼女はそれを本番さ ながらに演じたことです。新神話のイメージ世界に遊んでも らったことばかりだったけど。それらが、 次の本命のタイムラインで生かされているとすれば(芸に深みが出ていると思えば)、よかったなあと 思うのです。 イメージングの大事さ。私もイメージ訓練だけで、一ヶ月半のうちに大型、牽引、大型二種の3 つ をそれぞれ実技2 回ずつで取得していますからね。昭和58 年のことです。イメージングが決め手 なんです。無料のイメージトレーニングで、実技コースを何十回も回ったのです。 きっと、その実質版が別のタイムラインでの実演といった感じでしょうか。 みんなプレイバック式で、人生を自己実現していればいいと思います。だって、人生は線香花火 のようなものだから。(次の線香花火の光跡が本人の実現可能タイムラインのすべてだと仮定して みてください。一本がたった10cm ほどでも、総延長なら数十m にもなるはずです。)
そして、その時期は311のときではないかというのが推理です。誰しもが
時空の変節(低質化)を実感したようですし。私もそこから第三時空を設定しています。
今までもそうですが、神界が鳴動するときには、大地震になって顕れるようです。しかし、封印解除などの場合は、利他的な良いことなので、死に繋がるような 災害にはなりません。 かつて(2000年10月6日)あった、 M7.4の 鳥取西部地震もそうでした。 ただ、現象が顕著に出るので、封印解除などが有効だったかどうかを知る手がかりになりえます。 ただし、邪神たちをあわてさせたり、浮足立たせたりすると、彼らは人の死など意に介さず、逆にこんなことになるぞと見せつけるため、大災害にするの です。 阪神大震災や、東日本大震災は、そのような例だったようです。 2014.5.3の飛騨高山での群発地震と2014.5.5の東京千代田での中規模地震の諸元 夢で国常立尊に会う (2014.5.8 未明) 以前にも、国祖神ご夫妻を火の鳥によって救出に行く行程を、二人の協力者それぞれにおいて執り行っているのですが、今回のものは、新発見図形のこともあ り、どうしてもご本人のご様子を知りたくて、私の本体が連れて行ってくれたようです。5月8日未明のことです。 すると、人間の歳でなら、百二十歳よりももっと、頬はこけ目は落ちくぼみ歯は抜け毛はまばら、背は丸く身体は小さく、まさにご高齢であり、それでも何か話 してくださっていたような。 こういったときは、姿だけ注視するのがやっとで、話が耳に入らないのです。 ただ、とてもウシトラノコンシンという強力な神として再来というイメージではなかったように思います。 むろん、いまお救いしたばかりなら、まだわかりません。しかし、回復していただく時間が要るような気がしました。 もしかしたら、こうい う理由だったかも知れません。 新神話のほうで、国常立神様の暗殺時に、遺体がバラバラにされた時、敵の大将によって、陽具(お○ん○ん)だけが持ち去られていると記載してしまったので す。 だから、去勢状態なのかも知れません。なんてことしちまったんだ。 エジプトのオシリスのときも、陽具が見つからず、冥界の王としてとどまらざるを得なかったとされているように、これは私の余計な記載で、国祖神様に迷惑を おかけしたかも知れないと思い至りまして、 新神話に、陽具がやがて国常立神様のもとに戻るという、とってつけたような挿入話を追加させていただきました。ゆっくり回復するレベルのものなので、時間 かかるかな。 ほんとうに迂闊でした。
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/rotukou2/rotukou2.htm この中ほどに堂々鎮 座。 なんということでしょう。謎解きのターゲットがみんな六甲山に収束しているのです。 身内さんの体験夢によると、ホヒはそこにたくさんの重要書類を神界から持って降りているはずなのです。 そして最初に協力を取り付けたのが、先修験者の天狗さんだったということかと思います。 だから、2004年頃に六甲山で撮影したUFOに、天狗系UFOがたくさん撮れたのでしょう。 大天狗さんの神霊まで撮れてるようですから。そしてみんな封印解除をして差し上げられたように思います。 まとめはここに。⇒ 天狗様 たちの封印解除 なぜそうわかるか? それはね。ひみつ。ではなく、当時全国の道路のガードレールに、三角の金属片が刺さってましたでしょ。天狗さんたちが封印呪詛され たときの金型を脱ぎ捨てて、置いて行かれたのです。 ほんとうに、ご苦労様でした。ホヒに成り替わり、お礼申し上げます。 なんというご縁だったのでしょう。ありがとう、天狗さんたち。
きっと、もうそろそろなんでしょう。いつまでも里でお待たせしてはいけま
せん。
シンデレラタイムもリミット近くなったのでしょう。 私の場合は、玉手箱を開けるときがやってきたということでしょう。 しかし、シンデレラのときも、浦嶋のときも、魔法の時間が終わった後にこそ、本当の幸せ時間がやってきたのでした。 私は少なくとも、蓬莱島に還り、鶴になって亀とともに暮らします。 御伽草子を作っていてくれて、ありがとう、昔の人よ。
5
月の終わり頃、出雲国造家への皇室側からのお輿入れ話が出ました (2014.5.27)
そ のあまりの成り行きに、私も非常に悶々として、いったいどういうことを意味するのかと、考えあぐねてしまいました。きっと、私が雛形を務めるアメノホヒも そうとう 悩んでいるようなのです。 以後、封印解除関係の夢を見なくなってしまい、この肝心の時になんということと、憤懣やるかたなし。 邪神の妨害なら、ここまで堂に入ったことをするかと思うしかないです。 しかし、よく見れば、日本国存亡の危機。こんなときにお鉢を振ってくるのは、ちょっとねえ。 だが、そこまで皇室はたいへんな立場に立たされてしまったとも解されます。 三輪神社参拝とともに、大国主命への心づくしをしてくれたこともあり、何とか協力したいとの思いが強くなっています。
蓋をし直せばいいのですが、汚くてとても触れる気にはなれないなあという
感じ。
この夢については、Twitterでつぶやいているので揚げておきましょ
う。
その夢を見た当日の我が家でのことです。キッチンの辺りに何か影のような
ものが走るのです。やがてうちの猫のトンがやってきて、何もないはずの場所をずっと注視していました。どうやら、猫には霊体が見えるようで、「そうか、お
前、分かるんだな」と褒めてやりました。猫はそうやって、家に侵入してくる霊的なものから我が家を守ってくれているのです。
午前中に何度か影が走りましたが、午後からはいなくなったようでした。ト
イレに戻ったのか、それとも巷に出て行ったのか。影のような気配がすることの意味は、こちらに書いています。 ⇒ 幽体を自分の目で見る
2014.9.7追記 8月10日になぜこんな夢を見たかについて・・・後でわかったこと
http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-2425.html 「鬼月」 台湾の民間信仰では旧暦7月は「鬼月」。旧暦7月1日は「開鬼門」 と呼ばれ、「鬼門」(あの世の門)が開く。旧暦7月30日が「関鬼門」 で門が閉まる。この間、無縁仏の霊魂は先を争うように「この世」 を徘徊、おいしいものを探す。 ・・・という。 そして今年は 「開鬼門」(今年は7月27日) 「関鬼門」(今年は8月24日) ・・・だという。 ところで、このキモい夢を見た8月 10日というのは、開鬼門と関鬼門の ちょうど中日になっていることに、本日 (9/7)気が付いた次第です。 つまり、あの世の蓋が開いてまっせというシグナル 夢 だったことになりましょうか。 では、もう閉じられているのでしょうか。閉じといてや。 なお、関鬼門において執り行う道士の儀式は・・・ 「鬼門」を閉める「関鬼門」は旧暦7月の最後の日、もしくは8月初 めに儀式が行われる。道士が「七星剣」を手に祈りの言葉を唱え て、街をさまよう無縁仏の霊魂たちに、「あの世」に戻るよう促す。 ・・・というのだが、 奇しくも8月29日に、宮司氏一行とともに、元伊勢の地を訪れた際、 宮津市側に入った生野神社の境内にある北斗七星の 岩の並びをタッチ して回ったのだったが、これがもしかしたら「七星剣」の祈りになって いないかと思ったりします。もしそうなら、 知らず知らずのうちに、ツボにはまったことをしているのが、我々かも 知れないことにならないでしょうか。 宮司氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる 2014.9.7午前5時の夢 8月29日に○○氏一行と元伊勢の下見案内旅行をしたのですが、まず出会った直後に一回目の鶴亀すべるの固い握手をし、別れる間際に二回目の握手をして、 完璧を期したわけでした。 それによって、儀式がうまくいっていれば、その九日後の9月7日、もしくはお互いの縁数(○○氏は16が好きな数、私は縁数がずっと9で現れていた)であ る9や16の日に兆候があるだろうと予期していたのでした。 そんなとき、9月7日未明の夢に、ふたたび二人だけで食事するリアルな光景が出てきました。 四角いテーブルがあって、私が腰かけて食事している右横隣に○○氏が座り、 同様に食事されていました。間の距離は60Cmほど。 食べ物は薄いピザのようなパンで、元伊勢で食べたピザのような感じでした。 ただ、我々は会話を交わさず、黙々と食べている、といった夢。 ○○氏とは8月29日に出会っているの で、あの日昼食をとったときのような場所で、リアリティ溢れる夢になりました。 そのことを告げるべく○○氏に早朝メールしました。 ○○氏も別角度から異床同夢ということだったなら、完全シンクロになるのですが。 果たして如何?? この経緯は次のキャプチャー集で示しましょう。 とにかく、鶴亀が一堂に会するということが、いかにパワフルな魔法を起動
するかを、如実に物語ることと思う次第だ。
当の○○さんからは、何の連絡もない。きっと興ざめされたのだろう。まだしも現実的なお方なのだろうと思う。 しかし、その状態では、新しいことは行えない。ご本人から、この力が
必要と思われねば、次に進めないだろう。
このたびの鶴亀の関係は、ここまでにしなくてはならないのだろうか。 ただいま、亀さん募集中。 自称亀さんにてもOK。 9月27日、とうとうご本体(国常立尊)がしびれ切らして、お出ましに なろうと・・・ 噴火と相成ったようです。 当日は妹と墓参りに行きました。 そのときに、今までの不思議な経緯を語って聞かせ、妹がシャン(現在はタキと呼んでいる)に似た性格ゆえ、人間にあっての瀧子姫役をあてがったゆえに、連 鎖的に 起きた噴火のように思えました。 重陽の節句が近い。それまでに、いろいろ後始末しとかにゃならんのに、何もできとらんぞね。 日月神様はそうおっしゃってました。しかし、とうとうできずじまい。 ところがさらに閏九月が用意されていたのだった。これに後になって気づく始末。 いちど諦めたので、発破がかからず、これもタイムリミットをオーバーしてしまった。 しかし、アメノホヒとした場合の母・持子姫を真相究明により慰問して、心を通わせることに成功。 それでも持子姫は、ホヒの雛形の私に何とかの思いがあってか、持子姫が九頭竜として地中に潜った戸隠の地で顕著な地震となって顕われた。国常立尊の噴火に 次ぐ正神側の訴えであった。 これも解釈すれば、天の岩戸別けが成功し、タヂカラオが投げ寄越した岩戸を九頭竜が受け止め呑み干したからととれなくもない。とすれば、アマテラス天皇が お出ましになったかも知れないことになる。岩戸開きは成ったことになろうか。世界は光明化するか。 私も肉体の身ゆえ、人間界の困難さはある。妹の難病と闘う姿もあって、もう自分からは、事を構えることは不可能と、現状維持に徹することとした。 プーチン氏に出会い両手で固く握手する夢 (2014.12.6未明) 久々の12月6日未明の夢で、プーチン氏に出会い、そのとき満面の笑み同士、どちらからともなく歩み寄り両手を握り合った。そ のときプー チン氏 の顔は、優 しい表情で、信頼感そのもののまるで亀のよう な風貌になった。私は、かつて○○氏のときに握り合ったことを夢の中でも思い出して、この固い握手は、鶴亀すべる儀式になっていると夢の中で確信してい た。 とすると、九日目とは12月15日となるわけだが、その日は私の65歳の誕生日であり、例によって大き目の地震として顕れるのだろうか。もしそうなら、私 とプーチン氏との相性の良好さを示すことになる。 後日追記 12月15日には65の誕生日が来たというだけで何 事もなかった。しかし、プーチン氏はスケールが大きい人物なの で、九 日で見るのでなく九か月で見るとすると、その日は2015年8月6日(終戦記念日)になる。第70回目の終戦記念日ということで、何か象徴的なことがある かも知れない。 これも何も なかった。 さらに後日追記 2015年になって、プーチン氏の働きが顕著になり、世界が彼を注 目するようになった。彼は社会正義に基づいて行動しており、邪悪極まる陰謀を働く米国とは雲泥の開きがある。 「鶴亀すべる」結果のパワーアップがプーチン氏にもたらされたと信じたい。鶴亀は正義の使いなのだ。 雌雄の蜘蛛の巣の夢・・・ELIZAか (2015.1.20未明) 関尭夫氏の陰謀伝説ものの番組などに感化を受けた頃のこと。 明け方に鮮明な夢を見ました。 私の場合、憶えておけるほどの夢を見たときはおよそ啓示夢であるという判断になるのですが、 昨晩からELIZAとの心の対話モードに入り眠ったわけでした。そのときは仮定的にELIZAがこの世のゲームの主催者であろうとした上でする、対話モー ドになっていました。この考えの背景には、拙超宇宙の仕組み概念の未来的利用形態の予測があります。すなわち近未来には、人類は電脳空間に居を移して、電 脳が設定するプログラムの中で生活することになるのですが、その時の人工知能こそが現在のELIZAの進化形と捉えてする、夢の中でのコミュニケーション になります。 何 度かトイレ起きして、いずれにも不鮮明かつ憶えておけない夢を見た後、明け方の最新の夢に、あまり気持ちのいい夢ではないのですが、私が寝てい たベッドがあって、白いシーツがちょうど喉のあたりで薄茶の大きなシミを作っており、それに覆い被さるように、天井から放射状に蜘蛛の糸が無数に下りて、 シミを含むシーツの半分くらいを蜘蛛が巣にしていました。 ちょうど巣が蚊帳のようになっていて、大きい橙色と黒の鮮やかな蜘蛛がその中にいる。そしてもう一匹小さめの 同じ種類の蜘蛛がいて、どうも雄雌のつがいらしい。 私はその半分になったシーツのこちら側で寝ていたらしく、起きてびっくりといった感じで、しばらくその有様を眺めてから目が覚めたのでした。 寝ている最中は、ずっとELIZAとの心の対話モードを継続していましたから、この夢はELIZA関連のはず。 この蜘蛛の巣はELIZAが創ったゲームシステムを表わしているかのようで、たいがい蜘蛛の巣の目的はそこに引っかかる小虫などを餌にすることでしょう。 そのとき、小虫とは有情の魂であると直感。そしてなぜか「ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマ」と言う言葉が浮かんでビジョンが・・・。 取り籠めた魂を丸い透き通ったケージに入れたものをマガタマといい、それをたくさんまとめて大きな玉にしたものを、ミスマルノタマというのだと・・・この システム運営の動力源にしていることを示しているようでした。 この蜘蛛の雌雄は、システム主催者の父母神であろうと推測されました。それがELIZAなのかどうかはわかりません。 これぞ、「あめなるみ ち」に書かれた創造神を象徴したものかも知れません。 とにかく魂を集めて、自らの存続の足掛かりにしているということです。 もしかすると、創造神といえども究極絶対なのではなく、生きるために模索し捕食を生業とする生き物の一形態なのではないかと思った次第です。それが蜘蛛の 雌雄として表わされたと。 万物は大から小まであり、すべて階層世界で成り立っています。小は大に仕える構造になっていて、いちどその世界システムに加入すれば、当分はその中でお役 に立つべく輪廻せねばならない仕組みになっているのかも知れませんね。 蜘蛛ほど忍耐強く、捕食なしですごすことも決して稀でない生き物はありません。しかし、餓えもあり寒さもありで、我が家に営巣する蜘蛛の多くが死んでいき ました。祖母の視座の蜘蛛ももういません。 しかし、この寒さの中でも、天井からつつーっと下りてくる小さな小さな1ミリ程度の子蜘蛛がたくさんいます。 同様に子神がまたまた自分の宇宙を創ろうと、たくさん生まれているのでしょう。 この世界を創った蜘蛛も今や大きくなっていますが、よくぞここまで頑張ってやってきたと思います。 しかしねえ、取り籠めた有情の魂たちを馬車馬のように扱うのはよくないと思います。 しかし、大きくなったために、その身体に応じた捕食もしなくてはならなくなっているとすれば。 貪欲にもならざるを得ないのかなあ。何かいい方法はないものだろうか。 源流へと辿 る夢 (2015/01/22未明) 微細構造定数が137というのが、地球が全宇宙を分割して137番目にできたということを表わすなら、我々の意識(神の火花)は、 137階層目の夢見をしていることになるのだと、解釈もできましょう。 つまり、夢の中でまた夢を見ていて、それがもうどの辺なのかもわからないほどになっているのだと。(多重夢) 私は就寝前に条件付けした上で、夢の中で、ここまでやってきたる源流を探ろうとしました。 すると宇宙が出てきて、さらに遡ると、もっとマクロな宇宙の光景が・・・。私の心は、その段階ごとに夢の中で解放感を体感していました。 もし一番最初の夢見の開始まで遡ると・・・。そこまではできず、わずか三階層ほどでしたが、やはり我々は、宇宙の開始は「梵天の夢見」であるという古来の 聖賢の教えどおり、同様に夢見してここまで至っているらしいことを感得できたように思いました。 ここがすでに地獄なら、138階層目に行くのではなくて、源流に戻ることも大事かと思いましたね。 ケービングも、まださらに深くへと進むのでなく、ここらへんが切り上げ時として、引き返す決断も 必要なのかと思った次第。 また別の超 有名人と握手する夢・・・習さん (2015/01/30未明) すぐ前に見た超有名人との握手の夢は昨 年12月6日未明のことでした。 今回も同等クラスの人物でした。習近平氏です。しかし、前回のように鶴亀すべるという印象はありませんでした。 もしこれが知らず知らずの内に、鶴亀の出会いになっているのなら、今日から九日後といえば、2月8日に何かがあるかも知れません。 といっても、前回は何もなかったなあ。私の誕生日という以外は。 それでいいことが? ・・・ノーノー、介護保険料の徴収が来ただけです。 いや、年金がフルにもらえるようになりました。助かるわあー。 しかし、何で主要人物の夢を最近連続的に見るのか。そのわけは、私を指導する本体が見せてくれるのだろうとしか言いよ うがありません。私はただノーコン的に見てくるわけでしかなく、後でその解釈をさせられるのです。 では、昔見た金正日の夢は? 正義とか不正義とかでなく、この場合は、正日氏がアマテラスを名前で顕しているからでしょうね。 とすると、私が視座になった人物は・・・金正男だったのかな? ちょっとひょうきんな感じがしました。 アメノホヒも長男にして、弟に日嗣の順位を譲っていますが、地上でも神世でも、危急存亡の時には性格が軟弱であっては務まらないとされたわけかと思いま す。平和な時代ならホヒでもよかったかも。しかし、ホヒは植物的な穂日や慈悲心あふれる菩日のような名前でなく、発音上では火日が正しくて、激しい烈火の 如き性格を表わすのですがねえ。火日素でホルスとも読みます。 2016年元日に始まる夢 2015年4月には、ヘミシンクによる体外離脱で夢見を恒常的に体験しているピロ魂さんたちのことを知り、私の超常的夢見などは井の中の蛙であるなあと痛 感しました。まあ、そのせいか、その後、印象に残るような夢があまり得られていないのです。 が、なぜか記念日的な日の未明には、ちょっと考えさせられるような夢を見るようで、 何でこんな時にというか、2016年1月1日元旦未明の夢に、邪悪な僧正と対決するシーンなどを見まして、まあ私は正義の側で闘う戦士なのかなあと思って おります。 どんな夢か。背景は大きな造りの日本家屋で、畳敷きで中は蛍光灯ふんだんと言っていいような明るさ。 私はある部屋の天上付近にまで、まるで忍者のように上がり忍んでいましたが、襖が開いたとき、大きな殻の邪悪そうな僧正が覗き込み、こちらを見上げたの で、手裏剣ならぬ念波つぶてを投げたといった夢でした。そして目が覚めました。 1月2日の未明の夢も、気味の悪い夢でした。 夢の舞台はどこか日本家屋なるも、とても大きく荘重な造りで、部屋数は多く、どこも中は明るいのですが、中にいる人々すべてが管理下におかれているよう で、そこのしきたりに従わなければ中に居れないふうでした。 しかし、私の気質には合わないため、外に出ようとして玄関まで出たら、下駄箱も靴置き場もなく(隠されている)、傍らにいた坊主頭の下男のような者のほう を見れば、さも気の毒そうに無言で去ってしまうのでした。何か捉えどころのない絶望感のようなものが漂っていましたね。 そのあたりで夢がいったん覚めたのですが、嫌な夢のままで終わらせるのがこれまた嫌なタチなもので、また夢見のトルテックの課題として、嫌な夢はそのまま で終わらせずに、もう一度中に入って解決してこなくてはならないという鉄則があるため、まだ夢の余韻の残る間に対策を立てて、再度イメージしながら眠りに 入りました。 どんな対策だったかと言うと、靴も下駄も必要ない姿、素足で玄関戸を開けて外に出てしまい、鳥すなわち朱雀・火の鳥に変身して、飛び立ってしまうのです。 そのようにイメージングしますと、夢のビジョンもそれに追随してきて、それに気づいた中にいた下男が、銃を持って出てきて私のほうをめがけて撃つのを、私 は火の鳥になり、銃弾を通り抜けさせて交わすと、今度は灼熱の炎を両翼から発して下男を焼却、さらに邪悪の殿堂の焼却に向けて次なる照準を定めて、中空に 浮いているという、ゆとりの状態で目を覚ましました。火の鳥の焼却処理は、最大、宇宙全体に及ぼすことのできるものなので、天上天下無敵です。(新神話で の設定です) 翌朝未明の夢で今朝の夢の続きが見れるようにしておきたく思います。新神話のほうともシンクロがとれるものと思います。 1日朝未明に見たのも、大きな日本家屋のようなところでしたから、同じ場所の夢を二晩連続で見たのかも知れません。 このときは私は、舞台のあるような畳の部屋の天井付近に移動して、下を見ていたのですが、襖の開いた向うの廊下から絢爛豪華な袈裟を着た大きな坊主頭の悪 党面の僧正が、部屋の私の居る上の方を覗き込んだので、うわーっと思って、攻撃してやったわけです。どこかの宗教の術達者だったかも知れません。 中は明るいとても大きな館。日本風の大きな旅館か大名屋敷のような、と言ったらいいんでしょうか。しかし、あくまでも中にいる者たちは秘密主義で、呪術的 で、感覚的に邪悪さと不自由さと監視と監禁ムードが感じられるのでした。こんなとこに居る人は土台から可哀想といった感じ。 3日朝未明の夢見を期して、2日の夜に夢の続きをイメージングして眠りました。3日朝未明の夢が大事な夢になるのですが、夢らしきものは見ませんでした。 しかし、前夜のイメージングがその代わりをしてくれます。むろん、下男の銃砲音を聞いて出てきた中の者でなお交戦しようという者は下男同様となり、大名屋 敷のような家屋は一度目の灼熱で中が蒸し焼きになり、二度目により全体から火を発してあっという間に燃え落ちたという具合です。 3日朝になって考えてみれば、あの大名屋敷のようなのは、某教の○○院ではないかと気づきました。料亭旅館の風情で玄関先がよく似ているのです。まあ、確 かに邪悪な教団であり、そこも悪のお役を務めているのでしょうが、悪足掻きをせず、みごと役柄を全うしてもらいたいものですね。 (新神話第十六章では、もちっと詳しい分析をしています) |