森野の超常体験談
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  • 猫との生活による不思議体験

  • この世界は、どんな境遇にあっても、学ばせてくれるものであるようです。
    私は、昔から人間社会が嫌いで、心臓の調子もよくなかったため、老齢になってから仕事をやめて転地療養のつもりで山奥に篭ったのですが、猫ならば手間もか からず好きになれると思って飼い始めたのが今から五年前のことでした。

    猫ゆえに純粋無垢だろうという先入観もありますし、何よりもその可愛らしさには癒されますから、にべもなく知人に頼めば、ちょうど生まれたところの猫がい るから、一か月ほど母猫に授乳させてから持って行ったげる、というわけで、オス一匹だけ所望したのでしたが、知人は生れた三匹みんな持ってこられたのでし た。

    一匹でいいのにとは思ったものの、ここまで遠路連れてこられた以上は、みんな置いていったらいいということになり、以来、猫飼いが始まりました。

    ところが、やってきて一週間ほどのとき、よほど私は不思議(超常)に磁化されているらしく、この連れてこられた三匹の由来に関する夢を見てしまったので す。

    それは、ここをご覧いただければありがたいのですが、彼らは神獣の白虎とそのご両親(の化身)だったのです。
  • http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/8/
  • http://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/9/


当時私は新神話と名付ける独創神話長編物語を作っておりまして、その中で四神獣揃い踏みという工程を設定していたわ けでした。玄武と青竜はそれぞれ人物として現れたものの (私は朱雀の役だったので三はすでに揃っていた)、白虎に該当する人物がなかなか現れなかったと きに、なんとなんと、それが猫としてやってきたのです。

しかも、白虎には父兄 (たぶん両親) が付いていて、子と父兄ともどもが三匹として現れたとしか言いようのない展開になりました。
このときほど、まあそれまでもそうでしたが、新神話の実力のほどをまざまざと思い知ったのでした。
神々は、新神話によっても、しっかりと神楽舞を舞われている。
スタッフが足りなければ、猫に化身してまで、と。

古事記や日本書紀の神話で神楽を舞うのはオーソドックスなことで、従来から行事化されて千何百年と繰り返されていますよね。
しかし、神々も、同じシナリオの繰り返しにそろそろ飽きてこられているのかもしれません。
そんなとき、新神話に注目が集まったようで、交信巫女さんによると、神界では好評の様子です。
特に宮廷女官の間では、密かなベストセラーになっているようす。

神話にすることを目的に据えて、新神話を書くとき、不思議にも神々が次々と立ち合いに来られるようなことになりました。
しかも、物語の中に、わざわざ化身して出演しに来られるのです。
あるいは、普通人のはずの彼女がいつしか、新神話に磁化されたかのようにして、神々の役がぴったりしてくるのです。神がかかられているのかもしれません。
それを物語の中では、神の雛形を演ずると表現しています。

むろん、対する私も神の磁場を帯びたようになって、その神として演ずるわけなので、まさに実生活を通しながら、神楽を舞っているような格好になっているわ けです。
彼女らも、また猫たちも、私も、現実生活という神楽の舞台で舞を舞っているのです。

神といっても、新神話の神は全能の神というのではなく、神話級の神であり、人間味丸出しの弱みも持ち合わせます。
選択判断の局面では悩みもします。そして選択が誤ることもしょっちゅうです。
新神話で書いて規定すること以上の綾が生じるのが、現実というものですから。
特に地上世界は、神すらも予期せぬことが起きてきます。それがこのゲーム世界の魅力でもあるのでしょう。
  • いきおい波乱万丈の展開になります。その波乱のたびに、神々は化身としても困難を抱えた身になられるので、ほんとうに面白くてお られるのかどうか、気になるところではあります。

    失敗の数のほうが多く、それでも神々は支援しに来てくれるという、不思議な展開なのです。
    それだけ、私の正義感を信頼して、やってきてくれていることを感じております。痛感しております。
    その意味では、私は果報者もいいとこであり、神々には感謝、感謝の連続なわけです。
  • よって、ほんとうに期待に応えて、みんな幸せにしてあげたいのがやまやまなんですがねえ、そうもいかない。

    女性は巫女ということになりましょう。私のような男は・・・巫女を束ねる審神者(サニハ)という感じかもしれません。
    というのも、彼女らがもたらしたキーをもとに、推理の連関を築き上げ、ひとつのぶっといリング(環)にまでしてしまうわけですから。
    むろん、猫として来てくれた者たちも、キーを携えながら、この世を舞台にした神話を共演してくれているのです。

    ここでは、猫たちからたくさんのことを学べ、また彼らが世の雛形になって、様々な苦労を負うことで、私の新神話の展開に綾を与えてくれています。


  • 猫社会を通してさえわかる世の中の正邪と仕組み (地域の猫社会にさえ現出する世の正邪)

  • この世は、あらゆるところに相似像を刻み付けているようで、私が管理する我が家の猫たちと取り巻く猫社会を見ただけで、十分にこ の世の仕組みから裏社会まで一望できる気がする次第です。
  • それは猫だけかもしれないし、生き物の全般がそうなのかもしれないのですが、人間社会と何らかわるところがないという印象です。
  • このため、猫を擬人化してでも迫真の物語が編めるほどなのです。

  • そのとき、私は、彼らにサービスする、いわば神の役目を自認します。つまり、神の目から見たときの、彼らの生態が観察できるので す。というより、否応なく観察させられるのです。

  • すると、神の目から見た時の、人類の営みも相似的に理解できてきます。そこには、正邪あり。邪のバックには秘教的な長老衆がいた り。正しい側は、邪悪の波状攻撃に遭い、精神的苦労を重ねているという具合です。
  • まさかと思うかもしれませんが、俗称ユダ猫組織があるのです。少なくとも、ここには。

  • まだ若いうちの猫たちは、体格のしっかりした他所猫の襲撃に遭い、戦々恐々たる有様。子猫だからという手加減がない。とても、神 々の物見遊山で済まされるものではない。とんでもない世界に来てしまったなあ。
  • また、猫社会における礼儀など、幼くして来た彼らには不明も多く、どうしても攻撃対象にされてしまう。いわゆるいじめが存在し、 神であらねばならない私は、彼らを襲撃から守るのがやっとというありさま。

  • つまり、彼らの神(私)は、意志疎通さえ満足に図れないところの、ただ飯盛りだけの機能の、彼らの自然界の一部でしかない存在な のかも知れません。我々の神様もそんなふうだったら、たいへんだよ。

  • わからないなりにも、わかってくることを折に触れ実感してきました。そのタイムリーな情報記事を、当時の掲示板やブログ記事のま とめものから、ご覧になってください。(掲示板もブログもいまはありません)