このサイトで数々の武勇伝的秘話を取り上げてきた坂本氏。特に彼の父君の
謎の深さは際立っている。
スカイフィッシュとして現在騒がれている過去の「竜神」を一子相伝の奥義
として伝えてきた経緯もさることながら、代々の山師としての歴史の中に、
こんなエピソードもあったのかと、少々のことでは驚かない私を唸らせた逸
話があった。
それは、坂本氏の話によるのであるが、かのカタカムナの古文書(ムーの今
月号にも載っている)で有名な、平十字こと△△十文字(ともんじ)氏と彼
の父君は親友であり、かの文献の元になった石版30枚を二人して六甲山か
ら石見のほうに移送したというのだ。その間に何枚かは壊れてしまったとい
うが、あらかたは目的地に運んで埋めたという。
カタカムナ文献として今知られるものは、この石版を芦屋道満が書写したも
のの一部で、彼は30巻の巻物にして、魑魅魍魎を封じるために設けられた
30の神社に当初一巻ずつ奉納していたという。
それを後代に、一堂に集め直して地中に埋め、管理の任に累代当たっていた
のが、平家の落人である平十字氏の先祖であった。
よって、いくつかの伝承上の誤りがあると指摘する坂本氏。
平十字氏は通称、平(たいら)の十文字(ともんじ)といった。(先ほどの
△△は本名であるが伏せておく)
また、カタカムナ文献で有名な金鳥山は芦屋にあると思われているが、これ
は道満が関わったゆえのごちゃ混ぜであり、場所は摂津岡本の北になる。
そこは坂本氏の居宅のある住吉からそう遠くはない。すでによくUFOが出
没するということでこのサイトでも何度も取り上げている”十文字山”の東
隣に位置するのだ。
なんと近隣であることか。彼の父君も六甲山系を踏査しつくしていた人物だ
とすれば、平十文字氏とどこかで繋がっていても少しもおかしくはない。
そして、彼が指摘する十文字山は、確かに上空から見れば十文字に見えると
はいえ、この十文字氏の名前にちなんで付けられた名であるというのだ。
それをヒラトウジと名付けたナラサキ氏に何らかの意図がなかったかとい
うのが坂本氏である。
中越地方で大地震。たいがい大地震には神話が絡んでいる。
先の鳥取西部大地震は火の鳥が飛び立つ兆候。
鶴と亀がすべった9日目の旧暦9月9日(ひのととり)に発生した。
鳥取の日野という語呂もまた。
その年内にはキトラ古墳で朱雀の飛び立つ様の描かれたものが発見。
復活と再生に向けた動きなのかと捉えられる。

メルマガ22号では、UFOの出没しがちな巨石遺構地帯メガリスゾーンが古事記神話に言う「出雲八重垣」であると紹介した。
高天原で暴虐を働いて天照大神の岩戸隠れの原因を作ったスサノオノミコトも改心して地上の守護神となったのが「ヤマタノオロチ退治」の段である。
彼がオロチ退治に使ったのが出雲八重垣というシステムである。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-j.htm

出雲八重垣の制作理由は、地変沈静にあった。
ヤマタノオロチとは、火山帯や地震帯のこと。
むろん、台風という蛸のようなヤマタノオロチも八重垣が活性であれば上陸後すぐに勢力を弱めたものだった。
だが、八重垣が効力を失ってきているとすれば、台風は衰えず、地殻変動は活発化する。温暖化だけが能ではない。
地震雲は八重垣から立ち上る八雲を空の雲に投射したものだが、それすらも起きてこなくなる。
せっかく意図して作られたマウンドやメガリスがどんどん壊されていないか。
道路開発などによる無秩序な山野の切り崩しは、今の科学で見積もってもおかしい。
一昔前なら治水のために、ため池をあちこちに配置したものだ。
それを予算の都合か何かで行わなかったために川の氾濫を招いたところもあった。
とにかく先人の知恵がどんどん失われている。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
櫛名田姫とは良質の田つまり国土のことだ。
それを基盤から守ろうとしたこの神の心。
スサノオの神の系譜に載せられる神々は、治山と灌漑に関する名前ばかりである。
かつて稲田の宮主須賀の八耳(マウンドビルダー)にその意趣を伝授し、大国主が後を継いだ。
長い年月を経ても鎮守の森を残そうとする意図として保たれてきた。
それがいまやもう・・。(..;

問題は、新潟大地震が古伝の「越(こし、高志)の国」で起きていることだ。
ここはヤマタノオロチの出自地と古事記には記されている。
ヤマタノオロチが活性化しつつあることを、今回の大地震は象徴的に示しているような気がする。

武良氏が神戸市西区神出(かんで)町上空を飛行していた「逆三角UFO」を撮影したのは阪神大震災後の1995年11月。
この地には伝承がある。
むかし、スサノオの神とクシナダヒメが天空からやってきて人々に農耕を教え、ここでオオナムチノミコトをお生みになった。
それゆえこの地が神出と呼ばれるようになったという。
なんと奇遇なところに私は居ることか。
まるであの逆三角UFOは両神の行幸の様を思わせるようだった。
とてもこげ茶色の宇宙人が素っ裸で乗っているとは思えない。
ホラ吹きのホラ吹き的記録

台風と語り合った効果が出た。
何せ去年、親戚の家は床上浸水、我が家のひさしも半分以上吹っ飛んだ。
その親戚が、やってこようという前日なのだ。
ホテルはとっている。料理屋は予約している。
とんだ妨害ではないか。
坂本氏が伝授してくれた道満の技で、14号の神を呼び出して話し合いをした。
「日本列島に近づくな」
「なにおー。人間のしてきた横暴に対する報いを受けさせるのだ。妖怪地祇ならば黙っておれ」
「人間は悪くはない。人間をむかしこんな馬鹿に作った奴がいる。それが良くないのであって、人間はただその計画通りに動かされているだけだ」
「そいつに対して間接的にしろ報いを与えるのだ」
「それこそ馬鹿なことだ。そいつは高見の見物をしているだけで、どっちがどうなろうが、鼻くそほじって笑ってやがるよ」
「うう。だが、いちど抜いた鋒は収まらぬ」
「ならば撃退するしかない」
私は術をかけた。すると彼はにわかにたじろいだ。
「いいか。山陰からこのあたりにかけては絶対に手を出すな」
私は進路を太平洋はるか沖に指示したが、時すでに遅かった。
ニュースを見れば一目瞭然。
抜いた鋒を収めきれずに、躊躇逡巡しながらもたついている。
海水温のせいで、勢力をそぐにそげないでいるようだ。
「日本海のど真ん中を通って、なるべく迷惑をかけずに速やかに去れ」
14号は悔しげに泣く泣く去っていった。

あちらではハリケーンが猛威を奮った。
被災したのは結果、事の本質から最も離れた貧困層であった。
よく考えもせず暴虐を奮うのが地祇の良くない癖である。
発狂的真説

天神地祇の理論

神話力学的に見るとき、天神は人類を地祇の平和に暮らす地球にある計画の移殖のために下ろしたのである。
天神はこの際宇宙人と読み替えても良く、宇宙人と地球古来の生き物たちとの攻防がこのとき始まったと言っていい。
しかし、宇宙人は圧倒的な制圧力によって地祇を強伏した。
そして、人類を強制的に移住させたのである。
そのときに、地祇に対しては、表世界に出ず、物陰に隠れているように促した。地祇の長は地祇全体をそのようにとりまとめていくことを約束した。
以来、地祇は人間の行動に対して、露骨な集団行動をとるようなことはせず、一部的に親密にしたい人間を特別に援助したり、テリトリーの侵犯などのときに感 情的な敵対行動を一部的にしたりする程度となったのである。
一方、天神は人間に地祇と交流する力を与えない施策をとった。見れども見えず、聞けども聞こえずと、感覚(観測)上の能力を殺いでいったのだ。
だが、人間はそもそも地球にあった生き物の遺伝子を土台にしていた。だから、その能力をすべて殺ぐことはできなかった。注意力のある者は地祇の世界を感得 し、見えない聞けない人々にシャーマンとして伝えたのである。

ここで重要なのは、人類は天神と地祇の両者から孤立して創造されているということである。
根深い地祇の天神系への不信。いつまでよそ者の横暴するに任せているのかといった議論が地祇の間で交わされていたのは、すでに昔のことである。
だが、地祇は戦争に負けて地球を明け渡した格好になっていたから、いつ戻してくれるのかといった話も空虚なものであった。
そのうち、地祇は人間が地祇的な感情を併せ持つことを知り、そして喜び、新たな仲間として認める動きもあった。

だが、天神はそのようなことを許そうとはしなかった。
人類には、人の第六感以上のものから次第に乖離させるべく、また計画の進行もあいまって、人の心を平和から攪乱擾乱の方向へと加速させていったのである。
目先欲に人々を駆り立てるマネーゲームの坩堝に放り込み、あらゆる階層において心が休まる状況を作らせないようにしていった。

そもそもの天神の人類移殖計画は、宇宙の存続に関わる重要な計画のもとにセットされていたのである。
それは、この宇宙はそのままにしておけば数百億年の後に萎縮し崩壊してしまうと測られていたことによる。
それを延命させるのは、生命力の活発な動きとされ、とりわけそれを誘導するのは、生きたいという精神波動であると科学的に結論されたのだ。
このために、宇宙の様々な拠点にこの種の精神波動惹起のためのシステムを構えたのである。そのひとつが地球であった。
この閉ざされた生命系の中で、最も効率的と考えられた善悪混交の演劇をやらせれば、そこから生産される精神波動エネルギーはある程度確保される。
それを他の未発達惑星へと照射していけば、同類の進化を遂げる惑星生命系ができていくというわけである。

これ以外に、地獄モデルという戦と怒号に明け暮れる生命系の普及ではどうかと測られたが、これは逆に生命力の不活性を招くことが分かったため、地球モデル に悪の要員を送り込むための補助機関として据え置かれた。
地球人においても見込みのある者はここに送られ特訓されるのである。

地球はこうして、いくらあがいても幸福とは無縁の世界となったのである。むろん、功過によって幸福な一生を過ごせる者もいる。だがそれはごく一部の理想状 態であり、努力目標の好例として掲げられる程度で、ほとんどは精神不安定の状態を揺れ動かねばならないのである。

ただ、人は死ぬとき、一生の中でしてきたことの整理をさせられると共に、そこから査収されるべき個人的な悟りを学習する。それと同時にやってくる愛ある存 在との邂逅は、彼をして最大限に安らがせるひとつのプログラムである。
そして、地球上でしてきたことの功罪を背中から下ろす。
それは彼が本来天神などと同格の意識原理の目を持つゆえに、最後に計らわれてもいいはずの摂理としてあてがわれている。
いわゆる「お疲れ様」摂理なのだ。
こうして彼はいったん地球上の事象とは離れた存在となる。
しかし、様々な未練などが転生の域にとどめるため、何度でも再来を繰り返すというわけである。

人類はこうして、天神からの愛のない擁護と地祇の怨念の間で暮らす孤独な存在となっている。

山古志村の大地震

山古志村を大地震が襲ってちょうど一年となった。
神話には古志のヤマタノオロチが年々やってきて処女を食うと書かれる。
ヤ マタノオロチは火山帯地震帯の意味である。
それをかつてスサノオノミコトが一計を案じて抹殺した。そのときに使った計略と言うのが、垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとにサズキを結っ て、酒を置くというものであった。
オロチはその酒を飲み酔いつぶれるだろうと考えたのである。
その表現、八門遁甲を想起するむきもあろう。諸葛孔明が敵軍を死門に導き壊滅させたといった妖術だ。
その原初の形は、マウンド作りであった。
地祇との交流がないために、人間は何も知らずにいろいろな経済活動を行う。
そのマウンド群が今や崩壊の一途を辿り、オロチも復活するという象徴的な出来事として、山古志村大地震は起きていることを、神話は暗示しているのである。

突然のオロチの活動は、天神にとっては人界に擾乱をもたらすひとつの綾に過ぎない。
しかし、地祇の側の反動の規模が大きくなるのを押さえ込むべく活動はしている。
UFOがなぜ地震などと関連して多く出るか。
それは計画にそぐわない地祇の反動的動きを制圧するという行動であり、その意味において、人類にとってはありがたいことである。

だが本来のあるべき姿はこのようなものではない。
人類は地球に住む限りは先輩である地祇の温情の中で実り豊かに暮らすべきであり、天神の奇妙な計画から乖離しているべきである。
しかし、この方向に人類が気づき、至ろうとした場合は、それこそ「宇宙戦争」の事態となるだろう。
宇宙人。それは何か。
宇宙の永久存続を第一義とする天神の意向を受けて動く宇宙人グループと、まったく傍観者的中立な宇宙の広域にネットワークを持つ宇宙文明がある。
地球を訪れるUFOには、その二種類があるのだ。
そして後者は、地球という惑星の存在意義を知りつつも、同情の気持ちを持って人類を見つめている。

同様に、宇宙にはかつて全域を主催した神々がいた。彼らは宇宙を理想郷にすべく土台作りをしたのだが、クーデターにより邪神に乗っ取られてしまったのであ る。
権力への野望を持つ邪神たちは、宇宙を権力伸張の土台に作り変えてしまおうとしている。
こうして、天にもある如くが地にもあるという相似像がそのまま地球の支配体制にも端的に現れているのである。

だが、かつての太古の神々は死に絶えたわけではない。
正神たちは今の天神族を邪神であると断じ、宇宙はあるがままに運行させるという当初の目的が捻じ曲げられているとし、これを由々しきことと考えている。
要は、彼らの権利構造存続のためだけの宇宙の寿命論に終始しているに過ぎないのだ。
そのためにとんでもない不利益を被るのがその中に住む有情である。
このゆえに、正神はかつてあった理想状態に戻すことを前提に、建て直しのために総決起した。

正神側の最終兵器は火の鳥である。
これは今、フォトンベルトとして地球に向かっている。
邪神を地球に集めて最終決戦するために。
決戦の最中、地球にもし影響が及ぶようなら、第二の側のUFOが人類の救出に駆けつけるであろう。
そのとき第一の側のUFOにゆめゆめ乗ってはならない。第一の側は次の計画のために遺伝子操作実験にかけるだけだからだ。
時代の間に半人半獣のキメラ生物が幾多いたことに留意すべきである。

以上 奥人説 (様々な神話、伝承をもとに辿りついた仮説につき信憑性のほどは保証しない)
当会の坂本氏。とうとう自らの真骨頂について語り出した。
彼は五種類の宇宙人とすでに入魂であったことから、宇宙人の持つ
たくさんの知識情報を手に入れていた。
かねがねそのような話を私にはぽつぽつしてくれてはいたのである
が、私がにわかに信じてくれないだろうからとして、多くを語って
いなかったのだ。
ところが今回、彼は宇宙の諸原理、中間子論の真髄、銀河系におけ
る地球のような生命を宿す惑星のこと、銀河系の支配階層といった
ことを雄弁に分かりやすく語ってくれたのである。

前二者は高度な専門知識が必要なので詳しく聞けなかったが、後二者につ
いては簡単であることから、宇宙人から聞いたままに語ってくれた。

まず、銀河系には二万六千個の地球的惑星があるということ。
それらを八人の皇帝が分担して支配していること。
またその各皇帝の上に八人の管理者がいて、さらにその上に一人の
統括管理者がいるとのこと。
この体制で銀河系はその運行が守られ保たれているとのことである。
ただ、八人の皇帝の座のひとつが今のところ空座になっており、宇
宙人の話では、そこに日本の天皇が入ることになっているというのだ。
ただし、天皇とは、日本国民が天皇と認めた人のことであるとのこと。
しかも、いつのときの天皇であるかについて、坂本氏は言及を控えた。
現在の天皇家にこだわっていないらしいのだ。

実は日本人全体に、宇宙人の血が流れているという。
当初は純血であったものが、後に遺伝子工学的に創られた人種との
混血が進んで、今の日本人があるとのこと。
その宇宙人も、彼の知っている宇宙人種五種のいずれもが、姿形は
違えど同じ血脈であり、それと同じ血脈が日本人のルーツには流れ
ていたというのである。
つまり、銀河系の支配者自身が宇宙文明を築いた宇宙人たちと同根
であることを意味している。
このことから、第八の皇帝の座が天皇というのも至極当然のことと
なるわけで、しかもある時期に天皇として国民から称えられている
人物が宇宙の皇帝として迎えられることになるらしい。

坂本氏はあるとき、八人の皇帝のうち五人に出会ったことがある
という。そしてその風貌は覚えているとのこと。
ところがあと二人がどうしても思い出せないらしい。
彼は、自分の苦手な生き物であったから、記憶を消されたのかも知
れないと言う。それは、蜘蛛と蛇。
それでも、坂本氏は、私の問いに答えてあえて言う。
蜘蛛は女であったと。
おそらく蛇も女であろう。(これは私が知っている)
ホピ族の神話には、世界創造に関わった神として、蜘蛛女の伝承がある。
人類が三度にわたる滅亡を経て、今の時代の黎明期に至ったときに
人々に生き方について指導した神であるが、その類似は興味深い。

さて、坂本氏はかつて宇宙にいたのであるが、何かもめごとを起こ
したため、地球に転生させられたらしいのだ。
そういえば、私もそんなことをした記憶がある。要は、地球に生ま
れている人のかなりが、宇宙における問題児だった可能性があると
いうわけだ。
だが、私はその”問題”については異議がある。それは政争で
あり、非常に憤懣やるかたないものであった。
ここに記すことは荒唐無稽な感があるも、非常に重要なことである。

私のような無名浅学の徒でなく、明治から昭和初期にかけての国文学者が意趣を汲み取り訳していれば、これが皇室の重要文献であるだけに、どれほど歴史的影 響を発揮していたか知れないことをお断りしておく。

古事記は平易な暗号化文献であり、多くは神名に事の仔細が盛り込まれている。
古事記上つ巻・神々の生成の段は、現代の物質文明隆盛に至る経緯が簡潔に描かれているのが特徴である。
後段の「黄泉の国」にいたる過程を示すことにより、古代の賢者が後世の人々に何を語りたかったかが明らかになるはずである。

神々の生成



   [分野]     神 名       字義分解       解 釈     
  
  イザナギ、イザナミの二神は、国生み後に次の神々をお産みになった
                                        
 [建設] 大事忍男        大事推し      大土木事業の推進
      石土毘古、石巣比賣             石土造建造物、住居
      大戸日別        戸窓で日を制御   遮光、採光設備
      天の吹男        天から吹き込む   換気設備、天窓
      大屋毘古        大きな館      大規模な建物
      風木津別忍男      風持ち分け     通風、送風の設備

 [海洋] 大綿津見        大渡の海      海洋の大航海
 [港]  速秋津日子、比賣    物資の速飽き    貿易港、流通港
 [河海]*沫凪、沫波       勢いよい水の制御  運河、水路の水量調整
     *頬凪、頬波       滑らかな水の制御  ダム貯水池の水量調整
     *天の/国の水分     水を分配するもの  上水道、下水道、水路
     *天の/国のクヒザモチ  水を汲むもの    上水道の末端設備

 [風]  シナツヒコ       風にしなる     木の樹齢の譬えにより
 [木]  ククノチ        木の股を潜る    時の経過の長さを示す
 [山]  大山津見        大きな山並み    山岳地帯 
 [野]  茅野比賣(野椎)    茅茂る野原     一面の野原

 [山野]*天の/国の狭土     区画        国土の細分、領有
     *天の/国の狭霧     線引        縄張り(の主張)
     *天の/国の闇戸     倉の戸       世相の暗転 
     *大戸惑子、大戸惑女   大きな戸と窓    大混迷の世相(時代)

      鳥の石楠船(天の鳥船) 空飛ぶ堅牢な船   航空機、戦闘機
      大宜都比賣       大規模な生産    大工業生産
      火の夜藝速男      燃焼が速いもの   石油の利用
      (火のカガビコ)    火が輝く有様      〃  
      (火の迦具土)     火により輝く土   火薬   

  イザナミの神は、ミホトを焼かれて病気になり、寝込んでしまわれた

 [吐物] 金山毘古、毘賣     金の山       金属工業の隆盛
 [糞]  ハニヤス毘古、毘賣   土でできたもの   非金属工業の隆盛
 [尿]  ミツハノメ       満つ・葉・飲め   多種大量製品の需要
      和久産巣日       湧く・結び     生産需要結合の経済体制
     *豊宇気毘賣       豊富をさばく受皿  流通機構、市場 

  イザナミの神は、火の神を産んだことにより、遂にお亡くなりになった

 []はその神にちなむ場所、*は直前の二神により生まれた神
 ()は直前の神のまたの名。



それは一つの文明の風俗描写から始まった。大事業の推進とは、大土木工事のこと。石でできた家、
館、神殿などが造られ、採光、送風など、建築物の主要な構成要素が挙げられている。
次に、「大綿津見」(大渡つ海)で大航海を暗示し、港を示す「速飽き津」で物資の速やかな充足を図る貿易港を暗示している。
さらに水との関連から、運河や水路の水量の調節の様子、水の分配や採水設備について語っている。
その次は、風、樹木、山野の神名で長い時の経過と雄大さを示し、のどかさを感じさせる情景描写である。
だが、その次から二通りの意味を帯びてくる。 縁語を使い、わざと両面から話を進めているのだ。
それまでの流れからいうと、土木関連用語を並べ、倉庫の扉や大きな窓からの採光について語っているようにみえる。ところが、もう一方では、区画線引による 領土や縄張り争いから、利己的な心根が招く世情の暗転や大きな混迷について語っているのである。
すると、その次には石や楠のように堅牢であるが鳥のように速やかに飛ぶ船、飛行機が登場してくる。
これは歴史の必然なのだろうか。
 
大宜都比賣は穀物生産の神であるが、ここでは工業生産に関係した表現となる。
大規模な生産が始まり、急燃焼するもの(石油など)の登場によって、生産神イザナミの病態、さらに死へと繋がっていくのであるが、その前に、イザナミのミ ホトによらぬ嘔吐物から金属工業が、糞から非金属土類の(セラミックなどの)工業が、尿から満ち溢れた種々の物を飲み取るだけの需要、湧き出る生産物をそ れに結びつける経済体制、その下に豊かな受皿としての市場流通体制が生まれたという。
この部分はまさに、現在の我々の世界の有様を、先取りして語っているように思われてならない。
一応、イザナギ、イザナミの二神の協力で創られた神々という扱いになっているが、あまり良い展開ではなかったことを、汚物からの神生みで表現しているわけ だ。
つまり、根底には利己主義、利便主義の影が濃厚に横たわっており、そうである限り、その先には着実な歩みで黄泉の国が到来すると、古事記は語っているので ある。


次は黄泉の国の段だ。

黄泉の国

現代文明の利器を想起させる神名で埋め尽くされるこの段。
物語の進行と共に、平易な大和言葉により誰にでもイメージできるようになっている。
このような事象が出現するようになったら気をつけろとさえ述べているのである。



黄泉の国(前半)







 かれここに、イザナギの命ののりたまはく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一木にかへつるかも」とのりたまひて、御枕辺にはら ばひ御足辺にはらばひて泣きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山の畝尾の木のもとにます、名は泣澤女の神。

 かれその神避りたまひしイザナミの神は、出雲の國と伯伎の國との堺なる比婆の山に葬めまつりき。

 ここにイザナギの命、御佩の十拳の剣を抜きて、その子カグツチの神の頸を斬りたまひき。 
【訳】: 今まで積極的に生産に携われなかった精神文明の側では、達成すべき両文化の均衡のとれた発展が、急燃焼関連物の登場 で一気に損なわれたために、非常な後悔が生まれた。

 とりわけ悲惨なのは、戦争と環境破壊の間で泣く被災者であった。

 魂の脱け殻となった物質と利益主導型文明は、現実世界と黄泉の世界の境界地(死線)に置かれた。

 このような破滅の原因は、剣のごとき英知に照らすと、燃焼関連の事物が登場したことによると理解できた。

 この時生まれた教訓は、かの破滅の顛末を次のように語り、歴史を引き継ぐ者達に、このような兆候が現れたなら、再び組するなかれと告 げる。



  黄泉に導いた兵器類

   カグツチ         輝く土         石油、爆薬 

 [カグツチ神の血から生まれた神々]
   石拆(イハサク)     岩が裂ける       爆裂、炸裂
   根拆(ネサク)      根元から裂ける     爆裂の激しい様
   石筒の男         堅牢な筒の力      大砲 
   ミカハヤビ        閃光と素早い火     爆裂と焼夷の様、兵器
   ヒハヤビ         素早い火の回り     急燃焼兵器
   タケミカヅチノヲ     強力な閃光を発する土  強力爆弾、核兵器
   (タケフツ)       強力な断ち切り     核兵器の効果
   (トヨフツ)       あらゆる断裂      核兵器の影響
   クラオカミ        暗・竜神        暗く淀んだ天空
   クラミツハ        暗・水神        黒く淀んだ水系

   殺されたカグツチノ神の体から八種の山の神が生まれたが、何を表すかは不詳
   しかし、前出の山野の神が良くないきっかけを作ったことと同じ線上にあるだろう

 [刀] 天のヲハバリ     尾羽張り、とおせんぼ 凍結、(経済)封鎖
    (イツノヲハバリ)
                                




黄泉の国(中半)







 ここにその妹イザナミの命を相見まくおもほして、黄泉國に追ひいでましき。ここに殿の縢戸より出で向かへたまふ時に、イザナ ギの命語らひてのりたまひしく、「愛しき我が汝妹の命、吾と汝と作れる國、未だ作りをへずあれば、還りまさね」とのりたまひき。

 ここにイザナミの命のこたへたまはく、「悔しかも、速くきまさず。吾は黄泉戸喫しつ。然れども愛しき我が汝兄の命、入りきませること 恐し。かれ還りなむを、しまらく黄泉神と論はむ。我をな視たまひそ」とかく申して、その殿内に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。

 かれ左の御髻に刺させる湯津爪櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火ともして入り見たまふときに、蛆たかれころろぎて、頭には大雷居り、胸 には火の雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、あはせて八くさの 雷神成り居りき。
【訳】: イザナミ文明は、もはや冥界に移行していた。

 その状態から救出すべくイザナギ文明の側から、もう一度やり直せないものかという提案が出された。イザナミ文明は、もう手遅れで後戻 りできそうもないが、なんとか努力してみるから、余計な詮索をせずに待っていてくれと言う。

 しかし、いくら待っても努力している気配がないので、知恵の火に照らして中を覗いてみることにした。

 すると、物質文明世界は、いたるところで環境破壊や戦火の度合いを凄まじくしており、ありとあらゆる怒号が充満して、どろどろになる まで腐敗が進んでいた。

 文明の様子は、さながら雷の巣窟のようであった。


ここから最終戦争の様相が語られる。
大きな時代もどんづまりとなったとき、黄泉の国からの脱出ルートが開かれる。
それをもたらすのは、桃の実に似た飛行物体である。



黄泉の国(後半)







 ここにイザナギの命、見畏みて逃げ還りたまふ時に、その妹イザナミの命、「吾に辱見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女を遣し て追はしめき。

 ここにイザナギの命、黒御蔓を投げ棄てたまひしかば、すなはちエビカヅラなりき。

 こをひりひ食む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引きかきて投げ棄てたまへば、すなはちタ カムナなりき。

 こを抜き食む間に逃げ行でましき。
 また後にはかの八くさの雷神に、五百の黄泉軍を副へて追はしめき。

 ここに御佩の十拳の剣を抜きて、後手に振きつつ逃げきませるを、なほ追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子三つをと りて待ち撃ちたまひしかば、ことごとに逃げ返りき。

 ここにイザナギの命、桃の子にのりたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚 まむ時に助けてよ」とのりたまひて、オホカムヅミの命といふ名をたまひき。

 最後にその妹イザナミの命、身みづから追ひきましき。

 ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、おのもおのも対き立たして、事戸を渡す時に、イザナミの命ののり たまはく、「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ」とのりたまひき。

 ここにイザナギの命、のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝然したまはば、吾は一日に千五百の産屋をたてむ」とのりたまひき。

 ここをもちて一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人なも生まるる。

 かれそのイザナミの命になづけて黄泉津大神といふ。またその追ひ及きしをもちて、道敷の大神ともいへり。またその黄泉の坂に塞れる石 は、道反の大神ともいひ、塞へます黄泉戸の大神ともいふ。

 かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲の國の伊賦夜坂といふ。
【訳】: イザナギはイザナミの方法では建直しは無理と、自分だけでも汚土からの脱出をはかろうとする。

 正体を見破られたイザナミ勢力は、すべてを道連れにすべく、最終戦争を起こした。

 どちらの理念も構成分子たる人類が担う。イザナギ勢力は、黄泉軍の殺戮の手から逃れるべく、核シェルター(軍事施設の象徴)やビル (都市の象徴)をおとりにして、時間かせぎをした。

 それでも幾多の兵器を持って強力な殺戮軍が繰り出してくる。

 そうした殺戮の最中に、時代の境界点(ヒラサカ)である終結の時点を迎えるのだが、その境界の時点(サカモト)に居た桃形の飛行体 (UFO、仏教にいう聖衆来迎)が、空に満ちる(モモノミミツ)ほどに飛来して、殺戮軍を撃退したのだ。

 こうして、次の時代を担う人間が、辛うじて橋渡されたのである。

 ここで、地球の将来に渡って、桃の実に一つの委託がなされた。

「理念の顕しに貢献する人類が、今後このような苦境を迎えて難儀するようなときに助けてやってくれ」と。

 この桃の実には「大神の現し身(天の車)」という名が付けられた。

 時代の最後まで、物質文明は地上を蹂躙したが、ある一点を境にそれは完全に消滅し、分子を減らした精神文明が後を継いで、人間は増加 の一途を辿ることになったのだ。

 さて、我々の科学観では、存在の状態(相)が隔たる二つの世界の間には、感覚では掴めぬ境界石が置かれ、交通を拒み、互いの秩序を保 たせていると考えている。

 たとえば現世と黄泉を往来することは禁忌のことであり、神が許された方法を以てしてもなお難しいものである(イシュタル神話)。

 時間軸上のその開始点に、隔壁の巨大な大岩が仮想されて、「歴史を元に戻す大神(道返し)」とか、「黄泉世界の扉を閉ざす大神」と呼 ばれ、過去のイザナミ文明のことは、「世の面を尽きさせた(ヨモツ)大神」とか、「歴史を最後まで蹂躙した(道敷き)大神」と呼ばれた。

 また、時代の接点を、今に「出生(新生)の前夜坂」という。



  最終局面を飾る代表的な事物


  エビカヅラ    壊・火・鬘      
    火避けドーム、核シェルター
  タカムナ     高・棟(タケノコ状)     高層ビル
  ヨモツヒラサカ  世の面尽きる時間上の究極地点 時間的な終焉を象徴する地
  オホカムヅミ   大神の実(桃状のもの)    聖衆、UFO
  道敷き、道返し  道=歴史、時間 敷き=仕切る 歴史を仕切り、元に戻す
  塞へます黄泉戸  黄泉の戸を閉ざす       過去の歴史を閉ざす





どうだろう。世相を黄泉(死に体)の状態にしたものの正体。お分かりになったろうか。
また、黄泉の国からの脱出に成功する方法があることも、理解されただろうか。
神界にはかつてクーデターがあった。それ以来、天上天下に禍が満ち、暗黒の世の様相を呈するようになっ た。
私の知り合う人たちに、多くそのときの記憶を残す者が転生してきていて、その話のそれぞれが今繋がってきている。そして、今やこのマトリックス世界におい て神界奪還の計画が進められている。
なぜ天下がこれほど荒れすさんでいるのか。それは天上も然りだからである。為政する神々に邪な性質があらば、配下の神々から天下臣民に至るまで、邪と不正 が満ちはびこるという道理である。
良識ある人々は悲しみ嘆きとともにこの世を去らねばならぬ現実がある。あの世に極楽浄土を求める人の如何に多いことか。その流れは尽きることがない。そん な馬鹿な現実がどこにあろう。それではいかんのである。この世を糾し、この世において楽土を現ぜしめねばならない。そのためには、天界があるべき姿に戻ら ねばならない。邪神を根絶するか、少なくとも邪神から正神へと大政奉還させねばならないのである。
古事記はそのときの有様をとどめるも、邪神の意図で改竄されており、神話による世界コントロールの魁的力となっている。
天上界の幡屋を破壊する暴虐事件は、古事記には荒くれ神のスサノオによるものと書かれるが、実はスサノオはクーデター後の配役の変わった神々の支配に異議 を唱えたがゆえに、天界から追放されたのである。
そもそもスサノオは、元津天津神の神界王宮に縁戚であるを理由に交渉を申し入れるべく軍を率いてやってきて、クーデター直後の王宮を目の当たりにした。彼 は、表向き統率者たる天王が未だ居るように装って、何食わぬ顔で居並ぶ側近や顔を見せようとせぬアマテラスを訝しく思い、直に面談を申し入れるも適わず奇 妙に思い、手の者に調べさせたところ、すでに天王は惨殺され呪詛を施され、魂の復活すらも適わぬ状況に置かれていることを知ったのである。
天王は象徴的な結界の場としての北海道芦別岳の火山の下に魂をばらばらにされて埋められ、お妃の豊雲野神は南海の鬼海ケ島の海底深くに同じ呪詛を施されて 埋められている。二度と復活できぬようにとの呪詛であった。

私は、クーデター当時に宮廷に居た天王側近の神の一人であったらしい。会議の最中に突然見知った神の軍勢が押し入ってきてテロが行われた。そこで天王はじ め多数の神々が殺された。残存した我々は、クーデター勢力の数には適わず、手分けして必要なものを持ち出し、逃げ延びることにした。
私は妃以外に神の忌幡屋にいた純朴な機織女と恋をしていた。私は当時の男の神々が習俗としていたように、自分が扇の要となったときの三方向に愛人を置くよ うにしていた。私は北東の方向に彼女。妃は北面。また、北西には愛する猫を置いた。
機織女の彼女は生き残っており、テロの現場で困惑していた。当面すべきこととして、私は彼女に密書を持たせて早々に里帰りさせた。いつの日か会おう。その ときは、これを持って来なさいと。
妃も無事で、すでに必要なものを持ち出して逃げていた。無事ならば、いつかは会える。
その後の調べで、クーデター側の神々を操っていた者の素性が判明した。
天王はご存知だったろうか。配下のクーデターを起こした神々に寄生する恐ろしい非生物のいたことを。彼らは魂を持たないために、嫉妬によってまず神々の世 界を襲ったのである。初め、不正を陰で働くことを常態としていることが発覚し、裁きの場で未だ裁かれずに蟄居していた神々に、この非生物群は支援するから とクーデターをもちかけたのである。
不正に対する天王の糾弾は激しかったから、ずいぶんこの者たちに恨まれてもいただろう。しかし、その統率力あらばこそ、天上天下は秩序と幸福が支配的で あった。

神々という存在。それは宇宙を運営する人為的存在であり、宇宙のできあがりつつある最中に外宇宙からやってきた神もいて、高度に発達した科学を持つ者で あった。みなそれぞれに、幾重もの次元と性質を異とする時空(パラレルワールド)を監督せねばならないとの役割意識があった。
もちろん当時から、神々による地上界開拓計画のために人類がいた。といっても、地上界にその時空に即した肉体という作業服を着て臨む者たちのことで、彼ら も魂を持ち、本質的には神と等しいわけである。彼らも初めは神であることを個々が知りつつ作業に赴いていたから、誰も不足を催す者はいなかった。
しかし、現場作業員として監督指揮を神々に仰いでいた最中にクーデターが起き、突然の連絡中断などの事故が頻発したため、彼らは天上に還るすべをなくし、 やがて自ら神であることを忘れ、転生を知らぬ間に余儀なくされていったのである。それをいいことに非生物と邪神は、自分たちのためにのみ人類を使役するこ とを思い付いた。
非生物は、一挙に天上天下を圧えることに成功した。それ以来、この非生物の意向を受けて、天上天下は「狭蝿なす満つる」状態となり果ててしまったのであ る。かくして岩戸は未だ開いていない。
我々天王の徳政を偲ぶ有志たちは、天界のはるか彼方、蓬莱島にて「夜明けの旅団」を結成している。そこには宇宙創造を行った梵天や弁天を頂として、幾多の 強力な神々が集い、天王復活と黄金の楽土復興計画を支持し推進している。
彼らの多くは、クーデター側の意図で引退させられた神話を持っていたりするから分かりやすい。

神界クーデターの経緯と成行は「悠遊夢想」作品集の「新神話」1章から10章の物語として掲載中。


世界支配を達成した邪神と非生物がとった体制は、神々と人々のすべてを催眠下に置いて、用意されたシナリオどおりに誘導するものであった。
夜明けは、催眠の囲いを解くことから始まる。
ホピ族の祭祀遺跡は、居住地も含めオリオン星座のそれぞれの星の位置に照応するように配置されているとい う。(昨晩初めて知ったしだいだ)
第一メサから第三メサまでの居留地はオリオンの三ツ星に照応しているという。
それと同じ照応原理をしているのがエジプトのギザの三大ピラミッドだ。同様にリゲルやベテルギウスなどの位置にも何らかの遺構があるらしい。

私は以前に霊能女性と親交があって、そのときに、白星リゲルと赤星ベテルギウスは太古の昔、その星間において宇宙規模の戦争を展開したところの戦星であっ たと知らされたことがある。
それが今どうなったか。彼らは和平にこぎつけたが、考え方の対立を解消できず、代理戦争の場を求めて、地球を植民星としたらしいのである。
よって今の人類には、オリオン方面からの霊的移民が多くいる。
彼らの潜在意識に刻まれた対立軸。
源平の軍旗の白赤はそれにちなんでいたし、現在でも資本主義と共産主義の対立するシンボルカラーである。(米中の国旗も)
科学的に上回る文明によって戦場たることを目的とされているようなら、植民地星に平和が訪れるはずがなかろう。
こうして、たとえ原初のころ神が人間にこうあれ、ああせよと命じたとしても、ひとりでに戦や過度の競争の方向に導かれ、やがて共倒れの輪廻を繰り返すこと になる道理である。
文明の最初と最後に現れる神はプレーの開始と終了を告げるためにいる。
そして、改めてルールを設けて次の時代にプレーを引き継いでいく。
アトランティスから今に引き継がれたように、次もまた。
ホピに依れば、すでに次の時代の種子は蒔かれ芽を出しつつあるという。だが、人類が戦争の代理をさせられているという裏事情がもしも本当に存在するなら、 また次の時代とやらも同様の課程を辿ることであろう。

ホピはむろん、そのような裏事情についてはいっさい知らない。
そのような裏事情も、今となっては本当かどうか。単なるSFミステリーなのかも知れない。
ホピは歴史上最古の民族の末裔を自認し、純粋に神から授けられた言いつけと伝統を守り抜いてきた。
一見、歴史の傍観者のようだが、彼らは神話を舞うという祭祀を執り行うことで、歴史を陰から支えてきたという。
連綿として移動を続けた果ての、今彼らが居留する場所こそが地球の中心であり宇宙の中心であるところの終着点とするなら、それはタイムテーブル上の時代の 終着点に至っていることを示す。
祭祀のために移動を繰り返す民はもうどこにもいない。
そして、彼らの祭祀も、伝統を守る者が途絶えてそろそろ終わりを告げるとすれば。

ホピほど、世界の中心にあることを自認した部族もないであろう。
その心は、彼らが痛めつけられてきた屈辱の歴史よりも、はるかに高貴で豊かであるに違いない。
ホピと同じ警告を発していたのが古事記である。
いずれ将来、石や土でできた換気のいい住居に住み、大きな為政者が大事業を行い、国土の境界を策定すれば、縄張り争いが起こり大混迷の時代となっていく。
市場原理が生まれ、堅牢な船や空飛ぶ乗り物ができ、燃焼原理に基づく利器が生みだされ、爆薬や引火力あるものが兵器として使われるようになり、戦争の間で 泣く者がたくさんでる。
そして最後に人間の文明は病態から死へと移行し、地獄の道連れ的戦争を経て、生き残るべき人類が次の時代に橋渡しされるという構成になっている。
古事記解釈(神々の生成〜黄泉の国)

そのアウトラインは、ホピ族の伝承と何ら異なるものではない。
しかも古事記の機能もホピの場合と同様に、時の兆候としてこのような事物が現れてきたら、いまがタイムテーブルのどのあたりにいるかが分かる仕掛けであっ たようだ。
だから、その現象を圧しとどめるようなことはできなかった。
比定することの分析に手間取り、むしろ賢者が黙して語らずする手の傍観的諦観的立場でいるにすぎなかったと思われる。

だが、ホピの場合は座視するに耐えかね、伝統を破ってホピの長老が国連に訴え出た。
核兵器に関する「灰の詰まったひょうたん」の預言が昔からあり、このままでは滅びに至ると。
しかし、人々はごく少数の異端種族の叫びにはかまっておられない。
古事記にあっては、たった私一人だけが、このような暗号解読を成し終えた。無名の。何の拡販能力も持ち合わせない者が・・・どうすることもできない。
古事記の「黄泉の国」の段は、現代にまさに進行している事柄であると訴えても・・・どうにもならない。
人類はかくして、予定されたとおりに、強い催眠光線に曝されている如く、周りと同調することに安堵を覚えて猪突猛進していくレミングの如くふるまってい く。
具体的には、イスラム教とイスラム諸国を世界的に追い詰めている一連の行動が、本来なら簡単にその非が悟られるはずなのに、圧倒的な力で推し進められてい る。
ややこしいことに、生命はその逞しさを「反発」や「反抗」の時点で発揮するのだ。
だから、遺恨は遺恨を呼び、果てなく反抗は繰り返されて、とうとう最後は病原菌を絶滅させるような決定がなされるかも知れない。
かつて流行った恐ろしいペストを断った遺体の焼却処理。
類したことは、核兵器社会なら十分可能だ。
ただし、そのときは、地球の生態系がまるごと遺体に変貌しているだろう。
まさに「黄泉の国」すなわち冥界である。
戦後六十年を経てもなお、お盆が近づくと、去りし日の戦争について様々に語られるようになる。というの も、いつまで経っても世界平和が達成されないばかりか、いっそう世界大戦に近づいているという危惧感を誰しも抱いてしまうからだろう。

古事記は神話物語の形で、何が世界を黄泉の国に導くかを事細かく説明している。

石筒の男     大砲
石炸根炸     爆発の威力の様
迦具土      爆薬の炸裂の様
建御雷の男    強力な爆弾
鳥石楠船・天鳥船 飛行機
泣澤女      戦争被害者の泣く様

それは燃焼原理を武器化した兵器類である。
この簡単な暗号が古今解けなかったというのが不思議なくらいである。
おそらく神官層には知った者もいたのではないかと思うのだが、それすらも公僕職のゆえに表にできなかったのではないかと、善意に考えてみたりする。だが、 やはり悔まれる。

日本の主管神職がいち早く解読して公表していれば、先の大戦回避の可能性もあったであろうし、日本はとうに世界に冠たる良識主導国となっていたのではない かとさえ思う。
灯台下暗しのケースがこんなところにあろうとは。残念な限りである。
アメリカインディアンのホピに、次のような伝承がある。

ホピたちがこの世(地上世界)に姿を現した当初の頃、ホピの弓族の長の二人の息子は、長の死をきっかけに、指導者(神)のマサウウに会 い、その場に止まって兄の帰還を待つ弟の部族と、さらに東(太陽の昇る方向)を目指して旅をし、いずれ弟の窮場に臨んで帰還せねばならない使命を持つ兄の 部族に別れて行動することになった。

その神話は、今の時代の人類の成行と密接な関係を持ち、ホピの予言の重要部分を成している。
窮地に陥ったホピにとっての救世主たる兄の帰還を、今現在、そのまさに窮地にあって、待ち望んでいるのである。

その兄の手懸りになると思われる研究資料が我が手元にある。それは、ホピの守護神マサウウが、日本神話のスサノヲと同定できる可能性を示唆するものであ る。

日本神話のスサノヲとホピのマサウウは同一神であると考えられる。

? 現時点で根拠として挙げられるのは、以下の如くである。

1. 両神共に、前の時代に大失態をやらかして、今の時代の人々を導く役割を受け持った
  ・ スサノヲは前の時代で暴乱(天の岩戸締めにいたる)を起こし、地上に追放されて、結果的に人類の面倒を見ることになる
  ・ マサウウの場合も何かの失態をしたため、神々の計らいでこの時代の人類の守護神に抜擢された

2. 両神の居住地は、地球がはじめに凝り固まったところ
  ・ スサノヲはいま根の堅州国(地の底の堅く引き締まった国)にいることになっている
  ・ マサウウは自らの住所をシップ・オライビ(地が最初に凝り固まったところ)だと最初の人々に語った

3. 両神共に今の時代の初期の人々に地上の管理を委託した
  ・ スサノヲはオオクニヌシ(他の兄神たちに比べて最も控え目でおとなしい部族)に地上の管理を譲った
  ・ マサウウも最も謙虚なホピに管理を任せた

4. 両神に導かれることとなる初期の人々の出自の共通性
  ・ マサウウに会いに地上に現れた人々は、地下の世界にもといて、腐敗堕落の状態の中から脱出してきて、地に広がることを許可されている
  ・ スサノヲに指導された最初の人々は、死者の国(地下)である腐敗した黄泉の国から、イザナギ神に伴われ脱出してきて、増え広がることを約束された 人々である(千五百の産屋を建てむ)

その他、どちらの神も、移動手段として、UFOのような超文明の利器を用いている。
スサノヲは天降してきたという民間伝承を各地に残している(神戸市西区神出町)。日本神話にもそれを示唆する文がある(かれやらはえて、出雲の国の肥の河 上、名は鳥髪といふところに天降りましき)。
マサウウについては、近年UFOの飛行を見たホピが、マサウウの特長を備えていたゆえに大騒ぎした経緯がある。


? ホピの伝承がどうして日本に残り得たか

日本神話は、日本古来の習合の精神の賜物である。
そこに語られる神々の優劣比較は、日本民族の融合淘汰の歴史を物語っていると言っていい。旧部族の神話は完全に抹消されることなく、後世にまで引き継がれ ることとなっているのである。
武力知力に秀でた者による国と歴史の書き換えがあった中に、呑み込まれていった部族の祭神を、神話によって新しい支配層の祭神の下位に置き、祭祀による呪 詛を施して祟り禍せぬように併せ祭ってきたために、奇しくも最も旧い部族に関わるスサノヲ神が伝承上に残されることになっているとみられる。

最古の大和民族とは、数千年前に遡るホピと進路を別った兄部族であったかもしれない。そこに大陸や南方から、何波にも渡る様々な部族の渡来があったものだ ろう。平和な国の噂を聞き、ユダヤの支族も後に入ってきたであろうし、今や民族混交の様相となってしまったわけだ。
東へと進路をとった兄が、ヨーロッパからアジアへといたり、弟のいるアメリカ大陸に対して太平洋を隔てた対岸の極東日本を最終居留地とした可能性は大きか ろう。
何よりも、主催神に関して共通する特長を語っているからである。


? ホピに兄であるという証拠を見せることができるか

ホピは、兄である証拠の石板を要求するかも知れない。
それはかつてあったかもしれないが、長い民族の淘汰の歴史の中に失われた可能性を言うしかない。
ホピの伝統的な掟や祭祀はとうに失われていようし、今に至っては、生き方に共感する者はいても、行為する者など一人もいはしないからだ。
ホピの兄としての誇りと伝承を失った時点で、正統な流れは霊的な世界に移行したと考えていいだろう。霊的な世界から、おそらくは、現在まで伝統を守るホピ に対しては、兄の特長を備えた大きなうねりとなって現れてくることだろうし、そう期待するしかない。

鉤十字、太陽、それは先の大戦の同盟国であるドイツ、日本を示すのかも知れない。それが失敗した場合は、赤いシンボルをした者が最後を飾ると、ホピ予言で は確定的に語られているが、それは火の灼熱のシンボルかも知れず、また中国という国と国民が候補に上がるかも知れない。これも世界大戦として現れてきそう なことであるが、そうでないとすれば、中国の力が世界を動かすほどになるのかも知れない。中国も東の果て。ホピの兄としては、今のところ最も有望だ。


? ホピの言うコヤニスカッティや地球のひっくり返り、その打開策

コヤニスカッティとは、両極端になったり、不安定になったりすること一般を指す。自然界もそうなるとされる。
気候環境の激変、異常化。それは農作物や海産物の生産予定を大幅に狂わせ、やがては自然の成り行きとしての口減らしとして、資源を巡って戦争も始まること になるだろう。
どんなに有識者が集まっても、事態は混迷の度を深めるばかりで、改善される見通しがない。すでに人類は、時間が多少残されてこそあれ崖っぷち。まったく行 き場を失っているかのように見える。
今こそ、ホピの謙虚さに立ち返り、全人類が生き方そのものから正さねばならないことは明白である。
日本神話も、世界を滅亡させるのは「燃焼原理」に基づく事物であると明言している。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-d.htm
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-e.htm
科学万能、経済優先の従来のやり方では、狭い地球という生態系内において立ち至っていかないのは明白なのに、なおも悪質な宗教の如く幅を効かしてやまない 愚劣な知識体系はどうすることもできない。毒された子孫の累代に及ぶことを思うと、これらをすべて焚書してもしたりないほどであろう。
ひとつだけある解決の手段は、やはり世界大戦なのか。
私がかつて北卓司というペンネームを用いた理由は、須弥山の北面を司る神・毘沙門天にあやかろうとしたか らだ。ネーミングを通して、この神の諸力に預かろうとしたのである。
その結果、生まれた書籍が「古代日本にカ バラが来ていた」であった。それはかつて学研ムー・懸賞ミステリー論文で優秀作品賞をいただい た「古代日本を動かした中東思想の謎」原稿の全文プラス増補版なのであり、このときは奈良の天川弁財天の応援を得ている。気の流れのすばらしい土地柄で あった。

七福神のうちの二神に私は祝福された。そして、私なりに二神の意図される救世行為をしてきたつもりである。人々を直接救うのも救世行為なら、シンクロと理 論で魔方陣を構築するタイプの救世行為もある。私は、多くの人々と関わらずとも良い後者によって行動した。
2000年から今現在までそれは続いている。私をとりまく世の中の諸現象が次々とシンクロを運んできてくれ、それを私は理論によって結びつけていき、結果 を導き出そうとするもの。いわゆる魔法である。

ただ、私の救世は通常思い込まれている救世行為とは趣がまったく異なる。巷には、我こそ救世主なりと宣言したり、あるいは客観的にそう信じられるケースが 満ちている。すなわち、彼らは専ら体制護持を掲げ、人が不幸なのはその人自身のせいであると帰結させる論法を採る。
彼らも神界から嘱望されて動く救世行為者なのであろう。だが、もし神界そのものが邪悪に汚染されていたとするなら、果たしてその救世行為自体、核心を突く ものになりえているかどうか。厳しく精査する必要があろう。見識力を持ち合わせないのが人間となら、世にどんな良言諫言を吐く者がいたとて、ついていくべ きではないだろう。参考にはしても、決してついていくべきではない。
この宗教が駄目なら、あの宗教を当たってみよう。などと、信仰対象探しの宗教遍歴をする御仁がよくおられる。確かに、どこの宗教にも神界の神様が下ってお られる。だが、出所の神界自体が曇っていたならどうなるか。
多くの人々が宗教者に騙され、財産や操さえもなくす人が後を絶たない。偽者だったと後で分かるのは取り返しがつかなくなってからで、その後自らを責める人 がいるが、そもそもの始まりは、「神探し」の動機にあったことを認めるべきだろう。神はいないのではない。いても、曇らされているから、頼るべきではない というのだ。
ただし、現実的にいちばん頼りになる神様は、厄除け八幡様である。敬虔にお参りしたら、純粋に厄を軽減したり無にして下さる。経験的にそう断言する。

前に述べた毘沙門天と弁財天は、現・神界の神々の権力(利権)構造からすれば、異端である。だが、その出自は神界の神々よりもはるかに古いのに、政権を奪 取されて今に至っている。この神に私が関わったのは、あたかも偶然のようであったが、我が生前より仕組まれていた印象を持つ。私は導かれるままに、政権を 奪われた旧い神々の下で働かされていたのである。
だから、私流の救世行為とは、神界を旧いよすがに戻すこと。ひいては、曇らされた神々の思考を正し、下界におけるすべての有情の幸福を導引することにあ る。個々別々に贔屓を作って優遇するような、またお金の積み具合で功徳を授ける体のシステムなど許容されるはずがない。
だが、巷にはうそまやかしの占い師や宗教家がはびこり、政界すら窺っていたりする。彼らの築く資金力は莫大で、政界入りには資金が大量に要るのにちょうど 道筋が付けられている。確かに、彼らのバックには神がついていて、そのように道を開けているのである。

格差社会。その裏には神々がいる。人界に贔屓筋を作り出し、公平さや正義を実現できない神界のよすがを正すことが重要なのである。

人はとかく生き死ににこだわる。だが、世の大峠では、生き死ににこだわっておれない状況となるだろう。それを越さずに世の中が存続したとするなら、またあ なたは希望の減殺された環境で生き延びるか、転生してござるをえなくなる。死ねば、いったん霊となり元あった自由を獲得する。そして、次なる不自由な転生 に否応なく備えさせられる。望みもしない転生であっても。
大局に立てば、大峠こそは神界から下界に至るまでひっくり返ることは、従前のシステムから決別できるチャンスである。それを真の救世の摂理と言わずしてな んとしょう。

私のハイラーキーは直接、梵天である。形而上世界における私は、いろいろな人の夢に、梵天として出てくる。私が夢しているわけでもないのに訪れるので、私 そのものでなく、ハイラーキーであろうと推定している。
梵天は世界を創造した唯一神である。彼の見た夢として、この世界(神界から現界にいたるまで)が出来上がっている。彼が夢を見終われば、世界は消えてなく なる。神の火花として様々に分化し増殖した有情たちの意識は、夢の終わりと共に唯一神に吸い取られる如く帰命してしまうのである。彼は全意識原理の賦活者 であり、時間や空間を起動するスイッチを入れた者である。であるのに、後発神によって首座を奪われて隠居している。
梵天は、弁財天の夫であると共に父親である。毘沙門天は梵天の娘婿である。このように、いつしか私は、今は異端であるかつて退去させられた神々に取り巻か れていたのである。自ずと私の使命も理解されてくる。不思議なことに、思い至る内容も、旧き懐かしき時代への回帰の思慕と、奮い立つ意欲であった。

神界には人界から見えぬことをいいことに、唯一神を名乗る神がいる。あるいは、国によって宗教も信仰も異なるように、種々様々な神がいる。それらすべて、 人と神との共同作業で作られた役柄の神である。人が名付け神話にしたときに、その神は現れている。かつて神官は、その原理を知り、次々と神々を生み出して いった。そして、神界は神話どおりに力関係と階層構造を呈するようになった。
神人混交の時代には、あらゆる帳が開けられていたゆえに、隠し事などいっさいなかった。隠せるものもなかった。帳が下ろされてから、邪悪な原理や規則がい くつもでき、隠し事ができ、神人の交流が容易ではなくなったのだ。
だが、神々も人間も、その本質は同質である。ストーリーが差別化を作り出したのであり、権力の階層構造もその中で出来上がっている。
梵天はそれらすべてを夢として見ている。あらゆる有情の意識に活力を賦活すると共に、各自の意識の奥底から感覚器を通して見ているのである。だが、もはや 座視できない状態ともなれば、目を覚ますしかない。

天にある如くが地にもある。人界の階層化社会、格差社会は神界も然りだからだ。トップに総裁がいて、独裁を奮っている。衆議に諮っているように見えて、実 は日本の与党のような強行採決がまかり通っている。根底にあるのは、権力と利権維持の精神だけである。そのような不正義が指導層にあって、下位の世界が幸 せになろうはずがない。ちょうど人界は、古代ローマのコロッセウムの中で行われる競技に等しく、観衆(神々)は贔屓の代理を立てて戦わせて楽しんでいる。 有情はその持つ魂にこそ永遠性がある。だから、肉体は何度擦り切れて滅ぼうとも、問題なかろうというわけだ。それが人界における命が軽んじられている理由 である。当の代理する本人の逐一の苦労はあまり考慮されていない。本人と神が共にそこから何かを学べばよいというわけである。
学びによって、神界の精神をも矯めることができるというのが神界長老衆の考えである。だが、学びの結果がいつ出るのかは定かでない。人界の歴史が、極度に 残酷なものからしだいに民主的人道的なものに変貌を遂げていることが、学びの証と捉える向きもある。だが、それさえも、彼らの計画によって元の木阿弥から の出発が予定されているとするなら、いったいいつになれば学びは完了するのかと疑われるわけである。いやむしろ、またも初期の心根の粗暴さから始まる文明 の輪廻を繰り返そうとする、神界の権力構造維持の意図が見え隠れしているのである。

さて、そのような中にあって、クーデターによって異端とされた旧来の神々は、今までの経緯から総じて欺瞞と断じ、いきおい大政奉還を迫っている。元あった 正義と秩序が優先される神人混交の世界を取り戻すために。
我々および同胞の手で、古来神を封じるための結界は次第に外されており、やがて魔法の完成と共にすべての神は元の力に戻るであろう。
そこで神界における一大決戦となるか、それとも素直な大政奉還となるかが、明らかになっていくであろう。
救世主とは・・・ネアンの場合

「天上人の宴」

映画マトリックスの主人公の名はネオ(NEO)。その意味はギリシャ語のNEOS(新しい者)からきているとされるが、ノストラダムス風に解釈すれば、 NEW OTHERの略とみなせ、新しい「別のもの」となる。
「・・・7000年には別のものが王国を築く。そのとき太陽は日々の運行を止め、私の予言も終わりになる」
すなわち、救世主の到来を予感させる暗号となっているのだ。
(そもそも、プログラムとしてしか存在しないのが歴史で、有情はそこに囲い込まれて、ただプログラムどおりに動いているだけ。神の化身サイババも言ったよ うに、人はあわれな操り人形なのであり、主催神に知られずに心ひとつ動かすことはできない。というより、心の動きひとつすらプログラミングされていること なのだ。これはインドでは古くから知られた原理。ノストラダムスはプログラムの中から予言的ビジョンを拾い集めて詩にしたのである。ただし、彼の時代から 先の未来はかなり分岐していて、そのすべてを条件式を使って詳細にすることなどできはしない。彼は最も可能性の高いルートを示したか、起きるべき要点を示 したかのいずれかであろう。時系列でないことから、プログラムのコメント部分をあちこちに散らばった中から引いて記しただけのように思われる)

さて、「天上人の宴」物語に登場するネアンは、奇しくもマトリックスに先立つこと8年前に名付けられた新型の救世主の名であり、宇宙文明との面白おかしい 関わりの中で、しだいに救世主としての才覚を発揮していくというストーリーである。
ネアンと名付けられた理由は、安らぎの庵「寧庵」と、その物語の出だしではなっているが、ネアンデルタールからきたとも。それは人類史上最も平和な民であ り、そのゆえに滅んでいった種族であった。

そのネアンは図らずも、NEANすなわち、NEW ANOTHERの略となっており、先のネオと意味論的に変わるものではない。ただ、NEOが複数を許容するに対して、NEANは単数を暗示。徒党を組むこ とがないため、失敗しても自己完結で臨めるということが強みか。
こうしたシンクロは、新神話という救世物語シリーズを通じて、たいせつな暗号の符合材料(キーワード(合言葉))として取り込まれ ている。
またこの作者は、映画マトリックスが歴史上に登場する少なくとも20年前に、この現象世界のことごとくがプログラムとしての存在でしかなく、意識原理とい う観測の火を入れて始めて演算結果を得て、世界として認識しているに過ぎない真実を暴露していた。⇒
「超宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念」(日 本サイ科学会論文 および 著書「古事記と超古代史」)
それは、マトリックスの基本にある概念と等しいと言えるだろう。
そこで救世主とは、世界の真の仕組みを完全に知った者で、それに矛盾を感じ、根本的な改善策改革案を持ち、最勝の実力と方法を以て、閉ざされた人々ととも にいて、マトリックス現実の仕組む艱難辛苦を克服しながら打開の努力する者として描かれなくてはならない。

「天上人の宴」は、単なる夢物語であったという結末となっているが、果たしてその真相がどうであったかは不明である。
というのも、作者の見た夢が物語の起点になっているとしているものの、宇宙人と関わった実体験が、記憶を消された後に夢で追体験されたものという説明も別 のところで施されており、ストーリーの最後に出てくる大量のUFO艦隊の出現などは、実際にメキシコ上空や神戸において彼の友人などによって目撃されつつ 撮影されていたりして、あながちフィクションと片付けられないからである。
しかしこの作者は、UFOの大量出現についても、古事記の神話の解釈から、歴史のプログラムの最終課程で出てくる必然であるとしている。
というのも、神話は総じて預言であり、"歴史プログラムのインデックスもしくはコメント部分を見てきたもの"と考えているからだ。
つまり、作者の全思考が元よりマトリックス的な世界像をもとにしていて、その一貫性は物語を通じて発揮されている。
だから、UFOがあたかも世の最終局面で人類の救済摂理のようにして出てきたとしても、それはマトリックス上の出来事と覚悟しておくべきことを求める。つ まり、いったん救済されると見えても、マトリックス主催者の罠に再びはまる覚悟で臨め、とアドバイスする。

天上人シリーズの更に続編となる「新神話」。そこでの主人公ネアンは、宇宙だけでなく霊界神界にまで広がる舞台で働きをし、"ネオ的な妥協"を許さない 「邪悪とその展開の土壌たるシステムの破壊」の方向に舵を切っている。
邪悪側の出方によっては、最終的にマトリックス世界すべての強制的廃絶をも視野に入れていて、妥協して死んだネオとは違った格段の強さが救世主の属性に盛 り込まれ、システムのターミネーターとしての機能を併せ持つ者こそ救世主であるとしている。
では、ネアンは単なるシステムの破壊者でしかないのかというと、そうでもない。
あらゆる現象は「梵天の見た夢」というインド哲学に基づき、梵天が夢見に入ろうとする際に、夢の迷宮の中で暴走や迷走から、梵天が帰還できなくなったとき の、神自身の救済摂理として救世主が用意されていることを述べている点だ。
そしてストーリーの中身も、現在進行形の迫真性で臨んでいる。



マトリックスは仏教哲学によって解明しやすくなる ⇒ まんだらやさん の ここを参考に


釈迦は真理探求の末、この世のマトリックス的本質を掴み、その捉え方とそこからの脱出方法を伝えていたのである。
マトリックス主催者に媚びて安全を図ることを勧める西洋的救世主と、マトリックスからの逃亡を勧める東洋的救世主。ナワリズムも後者。
いったいどちらが本物か。


救世主を預言する歌

かごめかごめ     マトリックスに閉ざされている
かごの中の鳥は    救世主は
いついつ出やる    いつになったら出てくるのであろう

夜明けの晩に     夜明けを迎えようとする最も暗い時代に
鶴と亀がすべった   鳳の印と龍の印が合体した
うしろの正面だあれ  それを背景にして現れるのは救世主なり
           

カバラでは救世主についてこう解釈されている。

邪悪サタンとその眷属たちは、存続のエネルギーの淵源を神の火花に頼る。
だから、彼らは神の火花を自分たちの領域に取り込んで逃がそうとしない。
だが、神の火花たる救世主は、わざと彼らの領域に下って取り込まれており、いずれ邪悪を内部から改革もしくは破壊して出てくることになる・・・と。

かごめ歌はカバラの秘儀の流出であろう。
世界の多くの神話もしくは預言には、尋常ならざる歴史的危急の場合に活躍する救世主的節理について書かれ てある。神話がシャーマンなどの優れた能力を使って歴史の定型パターンを読み解いたものであるとするなら、この節理がどのようなものであるかは定かではな いが、ある程度推測ができるかと思われる。
たとえば、古事記にはこの節理について「桃の実」という表現が使われている。その果した功績により、特別に大神津実(オオカムヅミ)という名もつけられ る。この意味は「最高神(アマテラス)の実」という具合になる。その破格の扱いたるや、尋常のものでないことは確かだろう。
桃の実という表現は節理がどのようなものかを適切に物語っている。桃ということからして、それは球形に似た桃色がかったもの、UFOであろうというのが私 の推測だ。
私は2005年11月のGの嵐でのロケ現場で、その場にいたスタッフ含め20名ほどとともに、桃に似た色の(ピンクではない)大きな球体を20球ほど見て いる。嵐の小宮さんが最初の発見者だ。これはまさに桃の実というに相応しかった。その場にいたみなさんはどうご覧になったかは知れない。テレビカメラのビ デオに収録された証拠の映像は白球光体であったが、人の目には優しく写るのかもしれないと思ったことだった。そこでかつてした、こんな仮説も的外れではないと実体験的に認識したしだいだ。

本題に入ろう。
第二次大戦の空中戦の最中、フーファイターと呼ばれるようになった謎のUFOが頻繁に出現し、敵の最新兵器かと怯えたらしい。それは白く発光する球体だっ たという。ならば、Gの嵐で記録されたものと同様のものかも知れない。そのようなUFOは昔日のクラブ活動でけっこう撮れている。
では、フーファイター、もう言い換えて「桃の実」はなぜ出現したのだろう。
それは神話を前提にすれば、その時点が「人類の歴史の存亡に関わる時点であると目されたから」ということになるだろう。つまり、そこからしばらく先で地球 上はおじゃん、もしくは新時代への移行段階になっていた可能性(シナリオ)があったと考えられるわけだ。
過去の歴史展開には、いくつものターニングポイント乃至は分岐点、選択肢があったことは誰しも了解できることだろう。
拙プログラム時空論においても、IF条 件で分岐先を変えることのできるプログラムの性質を如実に示すものとし て捉えることができる。今日あるのは、いくつもの分岐を経た結果であり、その他のシナリオは過去に切り捨ててきているのだ。だが、切り捨てられたシナリオ を考える必要もないとするのは早計である。
ヒトラーは最期の日に「ラストバタリオンを準備した」との預言を遺して命を断った。このラストバタリオンは、今密かなブームになっている。ゲームに採り入 れられたということもあろうが、この意味深な発言に、世の末を感じている人たちの関心が集まっているからとは言えないだろうか。
ヒトラーはすさまじいオーラで国民を魅了しただけでなく、軍の指揮において優れた先見性を発揮した。ただ、その原動力になった陰の存在がいた。彼はそれを 「あいつ」と表現して側近たちに公言している。
私は“あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ・・と。その時点とは、彼が戦友と共に第一次大戦を戦っている最中だった。それ以降、彼は不死身の男と呼ばれる ほどの好運を示し、やがて一国の総統に上りつめ、「あいつ」が予告したとおり、世界征服の大戦をやってしまう。
それだけではない。「あいつ」に憑かれた後、彼は数々の未来予言をありありとその様を見るかのように行うようになった。ユダヤの絶滅兵器で日本が危機にな るとか、後にゴルバチョフの登場さえ喩えで示している。<参考>
彼の話した内容を分析すると、歴史はどこかにターニングポイントがあることが伺える。連合国が勝った場合はどうなる、という具合に彼の予言は進んでいて、 同盟国側が勝つシナリオもあったことが伺えるのだ。
さて、どうして意味深なラストバタリオンが語られたのか。断末魔の出任せか?そんなことはない。彼はドイツが敗北となった場合の自分のシナリオも持ってい た。そして、すべて「あいつ」が仕組んだとおりになったと言い切った上で、彼は必要なことを言い残していると考えていいだろう。

では、ラストバタリオンとは何なのか。そう言っているのだから、旧ドイツ兵でなる大隊のことであることは間違いあるまい。ヒトラーが架空の大隊を負け惜し みででっち上げるなどということはありえないだろう。そこで唯一考えられるのが、掲題にしたように、未知との遭遇をしたのではないかというわけだ。
宇宙人が地球人に関わる時は、ほとんどの場合において記憶を消し去る措置を講じている。この理由は、彼らが地球の歴史に公然と関与しないルールを持ってい るからだ。ここではその詳細説明を省くが、宇宙人から見れば、地球人は、同情すべき同胞というより、ある計画に則って動かすべきコマなのだ。同情して手を 差し伸べる存在なら、とうの昔に地球上を席巻して、試行錯誤して止まない人類に進路を示し、秩序ある世界政府を作ってくれていただろう。
ところが歴史的に見れば、たまに天の意向を受けたという指導者を作って、その傘下に信者を集め、戦闘集団にして戦わせる光景しか見えてこない。
もしかすると、宇宙人同士の抗争の場を地球の歴史に置き換えて、つまり代理戦争させているという考えも的外れではないだろう。子供たちはモビルスーツなる ロボットで代理させるが如くだ。だが、人は感情を持ち合わせた意識ある生き物である。そのようなことなら、ふざけるなと言ってやらねばならない。
その観点からすれば、たとえヒトラーのように「選ばれた者」と言っても、ただ他の人間より秀でるという人間独特の満足感を満たすだけのものでしかないが、 人間はそうしたことに生甲斐やファイトを催すように作られているからどうしようもない。
さて、ヒトラーと彼の擁する大隊は、未知との遭遇をした。どの時点かというと、、第二次大戦の最中も最中、地上の文明が滅び去るかもしれないという歴史の シナリオの分岐点すれすれの時点に宇宙人は行動をしている。
たまたま存続してこちら側に歴史は進んできているが、別のシナリオとして、世界滅亡がありえるような場面でなくては、節理は起動しないからだ。つまり、こ の時点で初めて宇宙人が介入できるというルール(宇宙人世界の掟のようなもの)が適用されるのである。宇宙人の中には、地球人シンパのアトランティス人や マヤ人がいるだろう。
宇宙人の科学力の醸す会見の空間は、連合軍の監視などから容易に隔絶しうる。チューリゲンの森の近くでそれは行われたかも知れない。そして、大隊は巨大 UFOに搭乗したのであろう。戦闘の真っ只中なら、突然姿を消した大隊があったとしても、目立ちはしない。

人類滅亡という局面において、必ず出てくるのが「種の保存」に関わる「黒子」である。この場合はUFO。古事記では、イザナギの黄泉国脱出の際に援助する 桃の実だ。
過去にはノアの箱舟などの伝承に見るよう、少なくとも一度はあった話だ。そのようなことはおそらく何度も文明が繰り返すたびにあり、恐竜絶滅の隕石が降っ てくる直前にも救出はあっただろう。宇宙人に爬虫類型がいるのはそのようなしだいだ。
宇宙人の関わりは、時代と時代の境界付近で公然と顕著になるのであり、普段の歴史の中には、どんなに悲惨であろうがなかろうが、顔を出しはしない。個人的 に顔を出したとしても、人の記憶を消して去るものだから、その本人は記憶減退の後遺症に悩むことになったりする。目撃や撮影物に甘い期待を持つのはよした ほうがいい。
だが、その時代の境界は今や近づいている。ジュセリーノ氏は包み隠さず警告している、古事記には黄泉津比良坂として表現されているイベントだ。否応なくそ の稀有なタイミングにあなたがたは遭遇することになるだろう。そのようなとき、UFOによる救出は生身を持って生き残る唯一の方法になるだろうから、だか らどんなお年寄りでも、長生きしてその場を見てやろうという意気込みでいて欲しいものだ。

ここからは、いささか物語になるかもしれない。
我々からすれば、種の保存による掲挙は、愛情あふれる云々のようなことではない。手続きとして定められていることとして捉えて、もしあなたが関わる局面が 来たなら、淡々として手続きを踏めばよい。旧ドイツ兵や様々な局面で搭乗した地球人がアシスタントをしてくれるだろう。
選抜される資質としては、堅忍不抜の忍耐あるいは著しい知的好奇心であろうか。そうした意味で、旧ドイツ大隊は任務に忠実。宇宙人の選抜に際し好適であっ たに違いない。
UFOの艦内では早くも訓練が開始される。まず、宇宙に関するあらゆる知識が与えられ、みなさんはこんな世界があるのかと目を丸くしながら習得するだろ う。そして実技の中に一人乗りの小型UFOに乗るという訓練もあり、みなさんは情緒の不安定を隠せぬまでもそれをこなしていかねばならない。しかし、管制 は教官によってしっかりなされるし、UFOそのものが非常に安全にできているので、心配せずに当たられたらよい。艦内では模擬訓練が主となり、向こうの惑 星についてからは、大空を飛ぶ訓練がある。
いずれ、みなさんは立派な宇宙人として、再び地球がどうなっているか見学に訪れることになる。あなたはそのとき、赤茶けた大地がただひたすら続くさまを見 て、いろんな感慨を催すかも知れない。しかしそれは、ひとつの文明の末路、選び取られたある程度定められた末路であったと認識して、次の時代の工夫をしな くてはならない。その工夫は各人に課題として与えられるだろう。
ただし、宇宙人としての生活は決して面白いものではない。克服できるのは忍耐強い者と知的好奇心ある者だ。地球での暮らしのほうがよほど自由で良かったと 感じるかも知れない。ならば次の時代に地球がそのようになるように工夫し、ルールに則ってそれを実現するように努力することだろう。
次の時代を背負うみなさん。願わくば、どうか子孫のために愛情ある新時代を築いていって欲しい。宇宙人には、愛情というものが理解できていない。スポック のようなのばかりと思えばいい。だから、あなたがたが宇宙をも変えてくれることを望む。
では、地上にあって、敬礼しながらみなさんを見送ることとしたい。
掲題についてお話する前に、まずこんな話をしておきましょう。

いやあ、彼の予言を見て、ここまでストレートに出してくることが可能になったのだという驚きの印象でした。
一昔前までは、憚られるので時期は話せないとか、あちらの命令なので明らかにできないとか、誰でもちょっと過去の予言を紐解けばできるわといった具合の茫 漠とした話しかなかったのですが。ノスさんにしてもそう。
それがもうストレートに時期まで明示して出現している。
これはもう・・・。
私のような時空論者には垂涎の情報であると同時に、いよいよ来るところに至ったかの感を抱かせるものとなっているのです。

ジュセリーノ氏が言っている「地球の温暖化」については、私の研究では、「古事記」がとうの昔から予言していることとして捉えていました。
そこには、人類の文明の発展過程が語られていて、燃焼原理によって黄泉の国に赴くことになると記されている。つまり腐 乱した死に体の世界ということであります。先の見込みのなくなったどん詰まりの文明というわけ。
黄泉に導く燃焼関連の事物で最も顕著なのは、戦争兵器の記述。むろん石油関連表現も出てくる。それに付随して、需給で成り立つ市場流通経済の発展なども出 てくる。堅牢な鳥のような船(飛行機)も出てくる。
これは解釈した当時から、えらいことだと思っていましたが、解釈の現場から世に訴えることができるわけではありません。
それはそうでしょう。世は高度経済成長に移行してさらに真っ只中へと進む。自分の目先の暮らしを考えていくのに精一杯の中にあって、私もおのずとそれに埋 没していったからです。
そして、心の中で「賢者はだまって世の行く末を見届けるもの」と自分で納得を決め込んでいました。

最近になってホピ族の神話に触れることとなり、古事記とは同じ考えながら、より具体的に語られていることに驚いたものです。
ああ、これは古事記の言っている警告そのものだよと、心震わせながら読んだものです。
何よりもすごいと思ったのは、ホピ長老が伝統を破って、部族の予言を携えて国連に訴え出たこと。
何もできずにいた自分と比べたことは言うまでもありません。

これでは宝の持ち腐れもいいとこです。
ホピには識者がいたから、伝統の中で連綿と語り継いでこれた。ところが、古事記をサポートする識者はいなかった。結局、何世紀にも渡って文献だけが取り残 されていたというわけです。
むろん、先駆者本居宣長は果敢に手がけましたが、よもやそこに語られる未来知識のことなど及びもつかなかったはずです。これは仕方ないこと。彼の偉大な功 績は、翻訳書を書いたことにあります。
ところが、後世の文学者は意味を読み解けなかったのです。民話の集成と位置づけたので、振り向く人もいなかったのです。
何十年か前に、ようやく山田久延彦という人が現れ、超古代やら宇宙やらと結びつけた考えをもたらしました。その当時に私も別解釈ながら、古事記の解釈を やっていたわけです。
ガリ切りして、当時のクラブメンバーに随時、成果を配布したりしていました。トナー式のコピーが出回るのはまだまだ先のことで、苦労したことといったらな かったです。しかし、成果のアピールは楽しかった。

さて、私にできることは・・・今さら後の祭りの気もするわけですが、ならば古事記にも書かれている、たぶん唯一の救済節理になるであろうことについて、伝 えていけたらという思いでいます。
その内容はかなり脱常識、破天荒なものです。SFもはなはだしいかも知れません。しかし、この先のレールの破断が確定的とお思いになる方のために、伝えて いこうかと思っております。
不思議なことに、餅は餅屋。古事記だけでなく、そのSF話に類したことばかり趣味でやっていた経緯があり、その時点に予想される出来事から、対処法に至る まで詳説できるのではないかと思っています。

なお、それは生身のままで世の終焉を乗り切る方法です。魂として過ごすおつもりなら、さほどあがくことはありません。成り行くままになさったらよろしいか と思います。
問題はその方法論の信憑性、前提となる諸論の信憑性についてですが、たぶんに私の推敲の所産によるため、保証は一切できないことを申し上げておきます。す べて自己責任において判断ください。
私は聖書は好きではない。読んでも何が書いてあるのかよく分から
ないし、正式な信者の方たちの考えているような解釈がどうにも
できないからだ。
しかし、預言書であるために、非常に興味があったことは確かで、
伝道者の人などに聞いたりもした。
するといちばん分かり易い書物として、黙示録の解釈本をくれた。
そこには一巻に渡って、イラストがふんだんに分かり易くされていた。
旧約聖書の預言者のビジョンも、終末にターゲットを絞っている
ようなことを聞いている。
だから、解説書として黙示録をベースに、聖書の言う終末預言を
参考にするようになったわけだ。

私は聖書はよう読めない。字が小さすぎるし。
しかし、ポイントになる言葉はどうも気になって、周囲の筋と
照らして、暗号のようにして扱い、解釈してしまうのが常だ。
古事記の解釈もそうやってきて、けっこう自己完結的解答を得ること
ができているから、もしかして聖書においても、千古から名だたる
解釈者や宗祖がしてきた解釈以外の解答も自分なりに見つかるかも
知れないと、トライしてみるわけだ。

気になった言葉のひとつに「偶像崇拝」という言葉があった。
これは「偶像」がまず暗号だ。
偶像とは、金銀銅石木でできた像であり、それを神であるかの
ように崇め祭ることを偶像崇拝と言う。
・・・そう私は捉えているが、間違いないだろうか。

解釈本によると、偶像崇拝しているのは、けっこう巷にある宗教の
ことで、たとえば仏教徒のように、木や銅でできた仏像などを拝む
ことを言うようなことが書かれてあったように思う。
さらには、同じ教祖から生まれたカトリック宗派ですら偶像崇拝だ
と言っているようだ。それもなんだかややこしい理屈付けがなされて
いた。同族なら、ちいさなことでいがみ合ってほしくはない。

だが・・・そのようなことではないのではないか・・・と、私は
「偶像」と「偶像崇拝」について考えたわけだ。
「金銀銅石木でできた像」ということから、私は直感的に、
これを「お金(貨幣)」と捉えてしまった。すると、
その筋からいけば、偶像崇拝とは「拝金主義」、そのやや程度の
軽い「利益主義」、個人レベルにおける「利己主義」という解釈
となる。
しかも、この場合の「偶像」は、この世、特に現代において、
100%誰からも、神のように崇められているものだ。
その魔力によって、どんなものでも動かすことができるとされている。

紙幣は木でできている。金銀銅はコインになっている。石でできた
貨幣もセラミック貨幣として登場しているから、この預言には
びっくりするほどだ。むろん石の貨幣を蓄えている部族もある
ようだが。

現代社会は、資本主義社会といい、金が人を支配する社会である。
悪魔が金という偶像を介して、自らを崇めさせているという、
まさにそのとおりの解釈が成り立つ。
金の大小が、人の勝ち負けを決定付けるから、人はこの獲得の
ために、昼に夜を接いで休みがない。都会のビル群は不夜城の如く
であり、まさに聖書の預言どおりではないか。
人は企業に過労死で殺害されても、金を余分に積まれて納得する。
自動車にぶつけられて死ねば、保険で病死よりもたくさん金が入る
から過失致死でまけてやれとか。
一般人の命は、何千万とだいたい決まっている。
天からもらった命は、お金に換算されるのだ。
森林火災が起きれば、何億円の損害とか表現する。
原油流出による海洋汚染がいかに広範囲でも、保険会社が算定して
何十億円の損害とか言いのけてしまう。
どんな環境破壊の対価でも、求まってしまうというのだから
あきれてしまう。
金に換算して言えば、なんだ家の何軒分だけのことかと錯覚させられ
るのが我々だ。
何でもかんでも、お金の額に換算されることに感覚は麻痺して
しまい、深層で何が起きているかに理解が及ばなくなるのだ。
海洋を棲息の場にする生き物のことは何ら考慮されていない。
地球温暖化の進展も、エアコンやら何やらで体感することもない。
被害を受けているのは、第三世界の人々だと相場が決まっている。
だから、われ関せず。著しい映像で示されても、そんなことは
どこのバーチャル世界の話?なのだとなる。
お金の魔力に麻痺してしまった人類。
お金がすべてを支配する神のように崇められていることすら
気付くことのなくなった世界。
悪魔は、偶像を仕立てて、人々にそれを崇拝させるという。
人々は、それ以外のものが目に入らなくなってしまうのだ。

拝金主義、金儲け主義を偶像崇拝と言わずして何としよう。
それに浴しているのは、資本主義社会に生きる法人個人をはじめ、
某教徒ならほとんど該当者だろう。ホームレスの某教徒というのは
あまり聞いたことがない。
額に獣の印を打たれていれば、お金の奴隷として働く代わりに、
日々の糧を得ることができるというわけで、教条的に言うなら、
ホームレスや雲水以外に救われる者などいないことになる。
あのときの伝道者にはいい啓発を感謝するが、見つかった解釈は
ちょっと忘恩に過ぎたかもしれないことをお詫びしたい。

いま某大手自動車会社のベースアップのニュースが流れた。
地球温暖化促進の先鋒ともいうべき企業。莫大な利益が上がって
いるとか。
あと幾ばくも残されていないという情報が有識者から叫ばれている
ときゆえ、足元の危機に早く気付いて欲しいものだと思う。
しかし、悪魔の仕掛けた魔力は強いから、困難だろうな。


だが、唯一、こうした偶像崇拝者(私も含め)が救われる道がある。

それは悔い改めることだと思うのだがいかがだろう。
悔い改めとは懺悔だけして、心を改めたと自らを合理化することではない。ましてや、悔い改めのシンボルの前や中でするものでもない。それはむしろ免罪符的 偶像の崇拝でしかない。

崇拝してきたお金の偶像には、確かに力があると認めた上で、それを利己から利他に改めて行動することだ。
溜めに溜めた偶像の山を、世の貧しい人々のために施したり、環境保護や地球美化の方向に使用することだ。
利を生む起業にしてきたほどの注意深い配慮と努力があるなら、利他のための効果的なシステム作りもできるだろう。

団塊の世代の大量退職。
それは莫大な富の有効活用の場となるだろう。
利己目的に一部回すとしても、利他のために多くを使いたい。
NPOを立ち上げるなど、システム的に利用する方法を考えるのはどうだろう。ただし、群がる拝金主義のヤカラに注意しつつ。
利他の利用が図られるとき、築いたお金の山は、偶像から真の富へと変わることだろう。
富とは、人類の行く末を照らすものである。

企業経営者にひとこと言いたい。
労働者に給料という生活の資を与えてきたことを利他とするのは、もう過去のこと。
なぜなら、利潤追求のための道具としてしか労働者を見れなくなっているだろう。
そのような利己主義の塔から早々に離れ、真の利他主義の塔を打ち建てたまえ。



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一般の人にこの問題を理解させ、その解決に向け行動させることは容易ではない。人類は何としてでも天然資源の使い方を大幅に変える必要があるが、大規模な 社会変化を浸透させるのは困難だ。避けようのない悲劇的な災害が発生して初めて改革の動きが始まるのが常となっている。
 あげくの果てに、社会では物事を考えられる期間が一層短くなってきている。テレビが一般人の集中力の持続する時間を短くしてきた。今や政治家らは一晩の 世論調査に集中している。また金融アナリストらは、ますます短い期間で見通しを立てている。未来はあまり注目されない。(ゴア氏の発言より)
10日の未明に、淡くはあるが鮮やかな彩の夢を見た。
目の前に薄黄緑色をしたきれいな川があり、こちらから向こう岸まで
朱塗りの欄干のアーチ型をした長い橋が渡してあった。
岸の向こうには、こんもりした林があり、その間から
黒屋根の朱塗りの神社らしきたたずまいが見えていた。
私は当たり前のように、その橋を渡りはじめた。
ところが、橋はいつしか狭まり、アーチの天辺まできたとき
足を揃えて置ける程度のサイズにまでなってしまった。
見れば川はさほど大きくなく、あと数歩で向こう岸まで着けそう
な感じだ。私が巨大化したのか。
すぼまりすぎた足元にしばらく足を止めたとき、
夢から覚めてしまった。
家族に話すと、それは三途の川ではないのかと言う。
病気持ちゆえいつ何時でもの覚悟はあったわけだが、
これは図らずも生還したことになるのか。
古事記は預言書である。
そこには、古代人の持っていた科学知識、風物や装束、未来の子孫に語りたかった過去の歴史とそれが未来にも作用することの教訓が盛り込まれている。
ちょうど、宇宙人からの応答を待つために、人類とその文明の特徴を書き記したダイジェストを宇宙船に乗せて発射した何とか計画のように、古代においては未 来人宛のメッセージを篭めた為政者レベルの情報発信プロジェクトが組まれていたのである。それが語り部プロジェクトだ。(古事記序文を読めば主旨が分か る)

未来の子孫への贈り物があるとすれば、何だろう。おそらくそれは、子孫が道に迷うようなとき、古代人の知恵ながらも、指し示すことのできる道標ではなかっ ただろうか。
古事記とは、古代にあってもなお古代であるところの歴史と信じられていたことの記録であり、またその掛詞的な大和言葉のニュアンスからすると、振る事(繰 り返す歴史)の記録、すなわち預言というものになるわけだ。ソロモンも言ったではないか。天の下には同じことばかりが繰り返されていると。この世はいかに レパートリーの乏しいことか。
過去にもあり、これからもあるという意味の、世の文明の成行の必然性(展開のパターン)がそこにあると考えいもいい。

私の解釈でしかないが、古事記の体裁は精緻であり、ミクロからマクロまでの様々な事象がこの定型式に従っていることから、それを元にすると将来どうなるか が予測できるのである。兆候を見ただけで次に何が起きるかが予測できるというわけだ。
例として、草木の一生やこの世の文明の一生などに応用できる。







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そればかりではない。すでに核兵器使用によって日本が敗戦する預言部分を発見したように、私の古事記の解釈はとかく荒唐無稽に傾斜し がちだが、それに蓋をしないでおいてもらえるなら、古事記には預言だけでなく、地変鎮静や地変惹起の節理、UFOの製造と稼動の工程、さらに地球そのもの がUFOさながらに時空ジャンプする機能があることまで描かれていることが分かっているとしておきたい。
いずれも神話部分ゆえ、神の話であって、我々人類にはほとんど関係がないが如く、人には理解できないことのようだ。というより、神のことに関与すべきでな いのが人類ということか。

もっとも、終局が目前に見えた最期の日には、ありとあらゆる隠されたことが墓の中から出てくることになっている。古事記の真実が出るとは、夜明けを告げる 長啼き鳥が、神の時代の到来を告げるようなものだ。神は新しい時代のために、旧来の人類を更迭する。そして、神々の住まう世界とする。まさにそのような理 由によって、人類どんづまりの時代となっている感がある。


汐満汐干の玉の預言

古事記には、文明が終局に近づいた頃に、汐満汐干の玉の呪詛による海浜部族の没落のあることが預言されている。
海幸山幸でおなじみの神話で、火照命(海幸)が火遠命(山幸)に降参するという経緯である。かつて私はそれに関して、汐を市場のことと捉え、志向性ある資 金の相場操作により、文明を作ってきた部族(工業生産者)が被害に遭うことと考えてきたが、今となれば文字通り津波や海面上昇のことと捉えるほうが、より 現実的になってきてしまった感がある。
「火」は文明の象徴で、「火照」は文明の赤々と燃える全盛期のこと。いっぽう「火遠」は、間に「火すせり」(火勢が衰える)という兄弟を置いているよう に、文明の終結を暗示している。海洋に面して発達した鉱工業文明はやがて終結するという話を、古事記の筋書きにおいても絶妙の位置に置いているのである。 預言というしかない。

ジュセリーノ予言を待たずとも、以上のことは数十年前から自明であった。
地球温暖化による海面上昇は徐々に始まっている。
まあその程度なら、海水に浸食されることはないというのが、この国の考え方であろう。土木技術立国ゆえ、新たな公共事業の口にすればいいという具合だ。そ れも国が富んでいるからこそ可能なわけだが、弱小経済の島国はそんなわけにはいかない。この国とて借金大国。いつまでも持つわけはない。
しかし、海浜部に居場所を定める人の多いこと。
集まる者が多ければ安心できる群集心理か、もしくはいざとなれば車で敏捷に動けるとタカをくくってのことか。
確かに敏捷な動きがとれるように、地震や津波の警報が瞬時に発信されるようになった。だが、平野部が広ければ広いほど、逃げるには時間がかかる。みなが一 斉に動こうとして起きる大渋滞のときに、車など使ってはおれない。公共交通機関は、乗せて後でトラブる(責任を取らされる)より、運休のほうを選択するだ ろう。
たとえ幸運に助かっても、家や職場はどうなる。水の破壊的なエネルギーに打ち勝てるものなどどこにもない。耐震ビルも、様々な瓦礫の混入した濁流によって 階下から破壊されてしまうだろう。
これは映画のシーンから推測しているのではない。海洋部で地殻変動規模の大地震があれば、数十メーター級の津波もありうる。今までが地球の温情で加減され ていただけだ。
御伽噺と軽んずるなかれ。神話のこの預言は現代に関することだ。
 地球上に設置されている生命維持、環境制御のための機構はかなり多彩に登場した。それらははとんどが時 代の入れ替え期に起きる地球上の大事変に対処するために用意されている。
地球のリサイクルシステム
「豊玉姫」物語で念を押すように語られているように、人類文明史は地球という一つの実験炉の中でおこなわれる試し火の過程であるという考え方が明らかにな る。 ひとつの実験が成功する失敗するというのは我々のレベルの分別智では何も言えないことである。しかし、恐らくは一つの実験が終れば次の実験のために様々な 環境条件が復元されるのであるということは言える。
 実験の終了と共に、種の保存と新時代の閉幕のためにUFOが飛来し、惰性で殺載を続ける地上の軍隊を撃退するということは理にかなっている。また、地上 の汚物の浄化のために荒療治であるが、水天体を衝突させる如きは宇宙の知性の超科学力からすれば難しいことではなかったであろう。このもたらす泥土によ り、毒物は洗浄され、全ての前時代の遺物は泥の下に埋め尽くされる。それに併いそれまで援徐に動いていた海洋浄化ダクトがフル回転すれば、短期のうちに無 機的な下地は回復される。しばらくの凍結期間の後、地球の宇宙機と化すシステムを稼動させ新たな理念を賦活し、地磁場を蘇らせ有機的な下地の回復をはかれ ば、新年を迎える準備が整うというものである。
 すると今度は、かの天体の力学的影響で歪む地殻が火山活動を活発化させ生命の発展を脅かす。これを逆用して生命の賦活に効用すべく、宇宙の知性は地上に 呪術的なメガリスやマウンドの超科学システム「出雲八重垣」を築けば、地殻のエネルギーは生命活生エネルギーへと変換され、地上の生命ばかりかUFOの動 力源としても幅広く活用されるところとなる。
地球はかくて生命が繁茂し、宇宙を旅する船人のオアシスとして機能すると共に、宇宙文明の主要根拠地となるという具合である。
 また、この八重垣エネルギーは理念界の新陳代謝を高める働きもする。このエネルギーは正しい用い方さえすれば、高次元の高みにまでの昇華力を持つ地中の 蛇クンダリーニであるからだ。
また「八俣の大蛇」とは必ずしも火山活動や火山帯を示すものだけとは限らない。ちょうど人間が肉体部分と精神(霊)部分の複合体であるように、どのような ものにも精神がある。一説によると、人間をはじめ生物の出す破壊的想念が理念界の低所に「業」として蓄積し、それが地下に沈み火山エネルギーに転化してい るという。そればかりか、人々の思考上に投影して破壊的、悪魔的な衝動にかりたてるという。
古来より卵をとりまく蛇のモチーフがあり、暗に世界を示すとされていた。蛇はどの神話でも良くないことをしでかすものに譬えられるが、これが地球をとりま くような格好で存在する業想念帯で、本来の理念が天降ってきてもそれを破壊的な方向に偏極し、生命系の潜在意識を通して破壊的衝動や錯乱、さらには戦争を 起こさせ、実験炉のなりゆきを低質なものにしているのだ。とすれば実に問題があるだろう。
蛇は汎ゆるまとまりをみせようとする働きに逆らって、それを熱エントロピーに変化し消耗する摂理のようなものかも知れない。それは業想念帯という精神部分 と、火山活動、戦争、破壊といった具体的部分の複合で成っている。そしてそれは、逆の良い方面の環理である生命的組織化の摂理とやはり重合する格好で世界 の歴史を形成してきているわけである。
宇宙の法則から熱力学第二法則を外せというのが不可能なように、業的事象を取り去ることは不可能であろう。それでもこの働きを抑制して、バランスよく歴史 が運行していくように地球には優れた設備が置かれているという考えができるだろう。
いま一説によると人類が光明化想念をもってすれば、宇宙にはそれを増幅して業想念を対消滅すべく作動する宇宙の知性の築いたシステムがあるという。二章 三・(十六)節でも述べたように「威儀を正した祈り」の想念に感受して、具体化する。地球をとりまく物心両界のエネルギー循環系を考え、図3・9に示すこ とにする。その中で宇宙の知性がもたらした環境浄化システムがどのような働きをしているかを見てもらいたい。
生命体地球

 こうしてみると、地球は一個の生命体である。そこには可見と不可見の領域に渡る循環系があり、さながら人体の仕組みを見る思いがする。その中で業的事象 は一種の疲労物質であり、この除去のために肝腎に相当する環境浄化システムが日夜活躍しているというわけである。
このような対策が予じめ施してあるからこそ、今の時代の無謀な公害や汚染にも自然は未だ破壊し尽くされず残っていると言えるだろう。自然の浄化作用と我々 が思っているものの多くは、実は地上を一つの実験系たらしめている知性の厚情の賜物によるものである。だがそれはどこまでも万全とは言えない。特に次の二 つの面で心配されるものがある。
 一つは、人類の横暴に基づく汚染の最大のもの。核戦争にでもなれば、決定的なオーバーワークをもたらすだろう。二つは、国つ神族の反乱とも言うべき、自 然の猛威の復活である。火山の爆発は水爆に匹敵するはどの大気汚染をもたらす。これは八重垣システムが有効に働く限り大丈夫であろうが、山野の乱開発は明 らかにシステムの破壊を引起し、活力を弱らせていないとは言えない。そればかりでなく、システムの機能が効果的に活用されねば地球生命も文明も早い老化を きたすことになるのは人体と同じである。だがこれも活用すべき人類の考え方の問題で効果的活用には程遠い。結局のところ、本当に心せねばならないのは人類 なのであり、多くの人が真知に立ち帰り、知識者が一丸になっての大運動が今日下の急務なのである。
 古代人は、これらの事実を、体験者、観てきた者、地球外知性などから聞いた伝えなどを着実に守って、彼ら自らその意義を理解していた。神道をはじめ、世 界の民族の宗教はこぞって祭祀を教儀の中にとり入れ、自然的な浄化作用を賦活することに心がけてきた。祈れば理念界にその種を播くことになる原理を活用し ていた。鎮護国家、豊穣、世界の安定、よりよき理念の天降らされんこと等、実に様々な祈り方がありえただろう。それらは全て超科学力を駆使する神への従順 と信頼により形成された方法であったことは間違いあるまい。
 歴史の表層的流れは、しだいに単なる野望で動く者の手に渡り、価値の転倒が起こったが、過去の貧しくて豊かな人々は、今なお多くの人の中に見受けられ る。これは人が本質的に霊であり、かつての記憶を持ち来たしているからと考えられる。このような人々の純粋な結束と新らしい動きこそが陰惨な破局を回避す ることに繋がると確心されるわけである。




以上は1983年製拙著作「古事記と超古代史」の抜粋である。




100禁的怖い話は↓
地球を死から蘇らせる超科学技術

 古事記「天の岩戸開き」の節は、災疫に満ちた環境から脱出させ、生命力ある地球を再生する超科学的手段とその実際を示している。そればかりか、これは宇 宙人の乗物であるUFOの飛行原理をもあらわしているようである。インドの古文献マハーパーラタにはイオン推進であるらしい宇宙機の説明がなされている が、古事記のそれは、ある種の力場の回転により現時空を超越してしまうというものだ。その用途が決して遠距離の短時間航行にあるのでなく、現状の環境から の離脱もしくは理念の改善のためにあったことがみてとれる。言い換えるなら、地球そのものの存在状態の変革機構なのである。しかもこの機構の説明に要した 長い叙述が一文にまとめられていることに、他文にない特異性があり、明らかに特別重要な知識群であることを物語っている。
 この節に登場する主役は、もはや地球人類ではなく、地球外知性となる。だが、この史実をもたらした者とは、地球人類の祖先である以上、接点の再生の時期 のタイミングに偶然もしくは選ばれて行きあわせた者であり、それも、本来なら秘密裏であるべき復元作業の現場に立会っていたものであろう。さらに、驚異的 な科学力の半神半人的宇宙人の横で逐一教唆を受けていたとさえ考えられるような製造行程の描写である。このような情景は現在(1980年当時)でもコンタ クトマンが公表している宇宙人との会見談によく見うけられる。











天の岩戸(中半)

 ここをもちて八百萬の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日の神の子思金の神に思はしめて、常夜の長鳴き鳥を集へて鳴かしめ て、天の安の河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、イシコリドメの命に科せて、鏡を作らしめ、玉の祖の命に科せて八尺 の勾玉の五百津の御統の玉を作らしめて、天の児屋の命フトダマの命を召びて、天の香山のマヲシカの肩を内抜きに抜きて、天の香山の天のハハカを取りて、占 へまかなはしめて、天の香山の五百津の真賢木を根掘じにこじて、上枝に八尺の勾玉の五百津の御統の玉を取りつけ、中つ枝に八尺の鏡を取りかけ、下枝に白和 幣青和幣を取りしでて、この種々の物は、フトダマの命フトミテグラと取り持ちて、天の児屋の命フトノリト言ほぎ白して、天の手力男の神、戸のわきに隠り立 ちて、天のウズメの命、天の香山の天の日影をたすきにかけて、天のマサキを蔓として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて踏みとどろ こし、神懸りして、胸乳をかき出で、裳の緒を陰に押し垂りき。

 ここに高天の原動みて八百萬の神共に笑ひき。
【訳】: 神々は宇宙船(UFO)の航法と同じ原理を駆使して時空プログラムを組み替える技術を使い、地球の存在する時空を転移する 方法を採った。

 では、UFOの製造法、超時空航行に至る経過とは如何なるものであったか。

 神々は、宇宙空間に集まって、コンピューター(思金)の監視のもとに、超音波のつくる特殊な状態のなかで、元素周期律表の端(安の河 の河上)にある堅い鉱石(堅石)と、多量に産する金属(金山の鉄)を合金にし鍛造(イシコリドメ)して、輝く結晶体(鏡)をつくり、いっぽう宇宙機母船の 設計図(玉の祖)をもとに、多分岐した勾玉状のものを統一して威力の出るエンジン(五百津の御統の玉)をつくり、ボディーと電気系統の組みつけに関して は、多量の輝く材料を丸くプレスしたもの(マヲシカの型の内抜き)に、やはり輝く材料でできたケーブル(ハハカ)などで裏側(占へ)を電装整備し(賄 ひ)、威力の源泉となる中心柱(マサカキ)の上部(初枝)に先程のエンジンを、中程に結晶体を、下部(下枝)に白や青のにぎやかなものを取り付けた。

 この装置は、コントロールルーム(太・満・倉)にある操縦制御系統と連動していて、運航の合い言葉(太祝詞)となる手続きを踏ませると、強力な力場(手 力男)が時空の壁(岩戸)に発生し、回転系(渦・目)の動きは力場(日影)を兆型(襷)にして、時空の分断域(目・裂・鬘)を周りに形成して、笹の葉を結 んで輪にしたような輝きを発生させ、虚ろな箱(うけふせ)のような時空転移のトンネルの上で共振する(踏みとどろこし)ようになると、やがて船体は元の時 空の縛り(面の紐)を超えて新時空にジャンプして行くのである。


 この宇宙船と同じ仕組みが地球に適用された結果、時空の相転移に伴う多数の法則(八百万神)の洗い替えが終わり、宇宙船地球号は新た な時空プログラムの軌道に乗せられたのである。




UFOの構造、稼動原理

 さて、この節の解釈はど原文対訳が忠実にできた個所は無い。神名の意味は対訳と照合すれば意味が把めるはずである。だが、重要な留意事項を次に掲げてお こう。
 オモヒガネ(思金)は考える金物のことで、宇宙文明の底流をなす利器、コンピューター(ハードウェアーのことである。この神がタカミムスビの神の子であ ることは、コンピューターの設計思想が宇宙運行の原理を模倣したものであることを示している。これは拙宇宙モデルが古代的観点から妥当であることの証拠で ある。
 アメノヤスノカハの「ヤス」はたくさんの物質のことで、全体で物質資源のことであり、この河上とは元素周期律表の(最も重い元素の側の)上位であること や、物質生成の場の付近の意味にもとれる。「カタシハ」は、堅い石片のことであり、アメノカナヤマの意味するどこにでも見かける山ほどにある金属の中の特 に「マガネ」とともに鍛人アマツマラ(交転)の意味する融合炉にかけ、イシコリドメ(石凝り留め)の鋳型に入れて、カガミ(輝身)の示す輝く結晶体を造る というのである。
「香山」(カグヤマ 輝く山)は、輝くたくさんの材料、「マヲシカの肩」は、丸く力ある船体(鹿は古来より神の乗物であるとされる)の型、アメノハハカは 細長いケーブル(ハハは蛇の意「「ウラナヒマカナヒ」は「占ひ」ではなく「裏綯ひ賄ひ」で、内装整備するの意となる。
「玉の祖の命におはせて……アオニギテを取り垂でて」の部分は、まさに空飛ぶ円盤の内部構造からエンジン始動の様子までを示すかのようである。(図2・3 参照)
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ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマは、たくさんに分極した曲玉が円筒ないし球内に収まった多極巴えの外観をしたもので、これがパワーを発生させる 中心動力(エンジン)になっているという意味である。(図2・4参照)I004.jpg

 ここまでで装置の部材からハードウェアまでを具体的にしているわけであるが、その次は運行に併うソフトウェア的な説明となる。「フトダマ」、「フトノリ ト」、「フトミテグラ」の「フト」とは、電子機械や電気そのものと解せ、それぞれ、機械船、メカ的司令手順、メカの充満した部屋(電子制御室)を示すと考 えられる。既に出てきた「フトマニ」は予測(占ひ)のためのメカ的表示画面であり、すでに別のところで出てきた「タケフツ」とは、武力メカすなわち戦車や 球電兵器を示すという具合に解釈される。
 また、「アメノタヂカラヲの神…天の岩戸にうけふせて」の部分は、まさに空飛ぷ円盤の稼動状態を示すのであるが、何やら、アダムスキーが金星人から示さ れたという「アダムスキー文字」の説明をするかのように思えた。(図2・5参照)
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まず、エンジンが操作手順に従って、ある程度稼動した頃、「アメノヒカゲ(日陰)をたすきにかけ」に言うように、文字中の兆型(X字型)で示される力場 (の空域)をつくり、「アメノマ(目もしくは間)サキ(割き)をカヅラ(鬘)とし」すなわち、「目のような形に防御された領域を作り」、新しい存在状態を 機体の周りに発生するというわけである。つまり、アダムスキー文字のシンボルは、機体やエンジンの形状を語るのではなく、UFOが稼動して二次的に発生し た力場の有様なのである。「鬘」というのは頭を保護するかぶりもののことで、この話が民衆に記憶付けされるために、マサキノカヅラという樹名がつくられて いるが、実際はとてつもない代物の連想記憶用言葉なのである。また、葛城の山というのは奈良盆地の西のとりまきの生駒山系をいうのであるが、これはまさに 西からの悪疫を阻止する防壁の山並と考えられたものであった。
 さらに「アメノウズメ(渦目)」はこのような力場稼動の有様を総括するものであるが、大変なのはこれが「うけふせて」にいわく、うつろな箱のような天の 岩屋戸の上に載っかる格好で、きらびやかに振動しているというのである。(「うけふせて」はうつろな箱の上に置くという意味)これは図2・5中の眼型の下 にある箱の図柄に示されているではないか。また、黒い部分(まだら)は何となく半開きの岩戸そのものを示すようである。つまり、天の岩屋戸の外観さえ描い ているわけだ。そこは禁忌である意味の白黒のまだらにもなっている。
このように、アダムスキー文字と天の岩戸物語は、対になって、ようやく意味するところが把めてくるのである。
 現代の様々な目撃報告の研究からUFOは異次元航法をとるという情報がもたらされているが、これは以上の言葉の解釈を妥当なものにすると思われる。「天 の岩屋戸」は宇宙機が航行していく次元のトンネルとみてよい。次元のトンネルはトーマス・ペアデンに言わせれば、虚状態で実現するといい、古代人が空虚な 箱にみたてたのも的を得ていると思われる。そして、「ふみとどろこし」に示されるように、力場が共鳴を起し、「神がかりして」に示されるように、機体が励 起状態にあって始めて、時空の縛り(面のひも)を解くことができるというのである。
 また、この箱の図柄やいくつかの紋様に過不足のあるピンターダ文字(図2・6)は、目型の下に箱のようなもののないことから、多分、非励起状態の宇宙機 の説明図ではなかろうか。
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眼型のまわりの種々の草文字は、「八百萬の神」として対訳中では宇宙人と訳したが、次元飛躍現象を生起するために用いられる物理法則と解した方が望ましい かも知れない。とにかく、図2・5、図2・6は宇宙機の動作原理を説明したものと捉えられる。宇宙人がこれらの図を使って地球の原住民にUFOの動作原理 を説明する光景が思い浮かぶような気がする。
拙宇宙モデルによれば、このような現象は、プログラムの慣性的な成りゆきを乗り替えていくというやり方の一環で把握できることを申し述べておく。(拙時空 論にて)
さらに当時(1970年代のUFOブームの頃)は、これ以外に金星人の残した靴の跡というのもあった。これは地球が宇宙機になる機構がどこにあるかを示す ものとして、想像を馳せたものであった。そこにも目型の機構が示されている。
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以上
1983年製拙著作「古事記と超古代史」より抜粋


M総 合研究所さんの7月6日の情報は「飛翔体の推進装置」ということで、「超空間航法理論」がガイドされていたのだが、おりしも同時に、 YouTubeに掲載されていたすばらしい映像の紹介があった。
これは、真っ暗闇に映えるアメノウズメのショーを髣髴とさせ、まさに神話の世界に観る者をいざなうであろう。
この渦に呑みこまれることによって、「存在」は時空ジャンプするのだ。

かつて地球もこれに呑みこまれて時空ジャンプした。
来るべきときにも・・・。
カリユガの闇がこの世界をまだ覆う前、地球上に神人共存の時代のあったことの記憶は、もはや魂の内奥に住 むおぼろげなノスタルジーとでも言うべきものになってしまった。
おや? このあたりは、かつて見たことのある風景だ。視界をさえぎる電信柱と電線の群れ、新幹線の高架橋、そして建物群を取り払ってみよう。イメージは、 超古代の同じ空、もう少しクリアーな青色で、吹く風も心地よい。
車を走らせる国道二号線の右手に、みごとにスパッと斜面が切り取られたような小山が見える。そのやや手前にある秀麗なピラミッドに続いてこれが現れれば、 この斜面が何を目的にしていたかが、おのずと思い出されてくる。
すぐ裏のピラミッドをエネルギーチャージャーにして、航空機をガイドする電波鏡として機能していた山である。
その向かいの交差点についた地名は「香登(かがと)」。すなわち、輝く門戸の意味で、この設備のことだ。
左手には、備前長船の名刀を生んだ地、長船の集落がある。
この地は、航空機の格納庫のあった場所で、地名は「収める船」から転化したようだ。
その先は、吉井川沿いにやや開けた平地があり、離発着する航空機が、先入れ先出しの一定のルールに沿って出入りを繰り返している。といっても宇宙にまで飛 び立つための宇宙船であるから、ジェットのように助走をつける滑走路が要るわけではなく、さほど広大な敷地でなくともよいのであるが、それでも数を捌くた めにこれぐらいは必要となっていたようだ。
第一の着陸路に入射して着陸すれば、格納されるものを除けば、ただちに第二の離陸路に移動する。その展開場所は、いま「車」という名で残っている。
入射に際して、航空機が識別する最初の判断材料は、鏡からの信号と高みから見慣れた地形だ。次第にクローズアップされてくる、侵入路を示す雁の形の鳥山 と、鯨山が眼下に。その間をキープすれば自然に、雁が葦原に降り立つ如く着陸できるのだ。
離陸までに時間のある日には、よく私は腰弁をして副官と連れ立って、ピラミッドやその向かいにある前方後円墳のような管制設備の小山の公園に行って、愛や 夢を語らったものだった。
離陸は、たえずエネルギーをチャージして構えている、今は「甲山」と名付けられる秀麗な山の初動のパワーをもらい、まずはふんわりと行われる。やがてやや 離れた「富田松山」(飛んだのを待つという意味の転か)のパワーとの合力でさらに高みに飛び、「熊山」の上空に移動すれば、更なる上昇気流の如き大パワー を受けて一直線に宇宙へと飛翔していくのだ。
今となれば、カリユガの闇に閉ざされる前の、神人共存の栄光に満ちた時代の遠い昔話。


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上の幾何学図形群を発見するまでには、長い経過がある。最初は、古事記の神話が暗号であると考え、暗号解きに着手したことが始まりだった。そして、その中 間くらいにある「ヤマタノオロチ」の段の解釈において、当時海外でブームになっていたレイラインの考えを導入してみようと考えたことがきっかけとなってい る。
私の住居は西日本にある。行動もそちらの方面が多い。となれば、ものの序でに関係ありそうな場所を見てくることもできる。
そして、日本地図上の探索が主体となっていた。
レイライナーの予告どおり、西日本の都市(古代には集落)、祭祀霊場、信仰を集める遺跡や大山が一直線上に並ぶ様子が容易に見出せた。それが次の図であ る。(読者は先の図形群が、この中から見出されていることをお気づきになろう)
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その線表はまさに、垣根の如き感があった。そこでふと気付くのは、ヤマタノオロチの段の出雲八重垣という垣根である。もしかすると・・・。

そもそもは、オロチを退治した設備、出雲八重垣とはいったい何なのか、何を象徴化した物語なのか、という荒唐無稽かつ途方もないテーマの推敲から始まった のだ。
物語ではスサノヲが、毎年のようにやってくるヤマタノオロチに困り果てている地元民の窮状を知り、その対策を講じてやるわけだ。ところが、単なる民話なら そこまで詳しくせずともよいだろうにと思えるほど、祭祀関連事物を使って、そのありようを懸命に伝えようとしているように思えたのである。
その対策の全体名は「出雲八重垣」。具体的には、酒を盛ったサズキを垣根の門ごとに置くという、呪術的結界のことが語られている。
凶悪なオロチは、そこにやってくると、頭の数だけある杯の酒を呑んでしまい、酔いつぶれて、その隙にスサノヲが斬り殺してしまうという筋である。
私は、古事記の神話解釈にあたり、すでに最初の段から地球規模のスケール性を見ていたことと、これ以降の面白そうな「国譲り」や「天降」の段に辿り着くた めにも、「ヤマタノオロチ」の段は超えねばならないハードルとして立ちはだかっていたのだ。
オロチの被害者は「櫛灘姫」という少女である。意味は「櫛」が「霊し」(霊妙)とか、櫛の形状から連想される感触、そして「灘」もしくは「名田」に篭めら れた、日本のリアス式海岸のような複雑に入り組んだ地形と、そこに農耕して生活拠点としなければならない地元民の嘆き顔というイメージが涌いた。
そこでオロチとは・・・地球規模の大スケールでなくてはならないというわけで、自然に思いついたのが火山帯や地震帯なのであった。
幸いにも同時並行的に、ギリシャ神話のチターン神族とオロチに類義性を見ていたので、その方向からも、この解釈は妥当なものに思えたのである。
チターンとは、大地の獰猛な神々である。サイクロプスは一つ目巨人。これは台風の一つ目ともとれるが、チターンとは大地の子という意味があり、火山の一つ 目火口のほうが合っている。ヘカトンケイレスは百足巨人。これは前者が火口なら、隠された内部のマグマの様子というわけだ。彼らはゼウスと戦い、最後には タルタロス(幽冥の地底)に幽閉されるとなっているので、居場所もちょうど都合のいい場所となる。百足とヤマタ(たくさんの股)を持つ大蛇とは、形の上で 似ていよう。こうして、オロチとは地変を起こす源である火山帯や地震帯、さらにその原因たる現在で言えばプレートやマントル対流の不気味な動きというしだ いになるわけだ。
こうした自然のものは、人間の手に負えるものではない。その辺は神々の話をしているだけに、神でなくては鎮圧も制御もできない代物である。いやしくも人間 に地上を任せるとなれば、初期の環境設定だけはしておいてやらねばならない。その一環でこの「出雲八重垣」事業が行われたと推測できたのだ。

出雲八重垣は地元民に指図して作らせている。スサノヲはあくまでもその原理を説き、ここに何を設置せよと指図して地元民に作らせているのである。その構造 を説く叙述に、また念が入っている。一見すれば祭壇を築く要領のようだ。だが、問題はそれが社殿の中だけで事足りるものかどうかである。大スケールの相手 に対して、あまりにも格が違いすぎる。
実は、その発想も一瞬にもたらされたのであるが、大地の問題に対しては大地の規模で対抗するすべがあることに気がついた。
そして、実際に調べに回った。
すると、あるはあるは・・・。秀麗な山や、古来から神体山として崇められた山、あるいは巨石を組んだ巖倉といった形で、いくらでも存在した。それが数十年 前には、まだたくさん壊れずにあった。山がわざとその目的のために整形されているふうもあった。巨石組みなど、地元民にちょっと重力制御の呪法を授けれ ば、意外と短期間で作り上げることも可能だろう。セコンドはスサノヲという神だからだ。
秀麗な神体山がまず目に留まった。ドライブのたびに、新たに二つや三つ探し当ててくる。はじめは山が呼んでいるという感じだった。山の気の流れのせいだろ う、意気が高揚してきて、エンドルフィンが放出されるせいか、とても心地よくなる。山はわが友という感じだった。なぜそうなるのか。それは先の線表のライ ン上に偏ったふうに集落などができるのかと同じ効果なのである。それは、八重垣システムで「変換された後の」効用。生命賦活のエネルギーの強さに起因する のである。イヤシロチ、ケガレチというのを聞いたことがあるだろう。それは出雲八重垣の効用としておのずと現れる効果なのだ。

しかし、私はやがて八重垣の謎の究明のために形ばかりを追いかけるようになり、せっかくの感性も衰えて今日がある。その代わりに、明らかに加工された感の ある山が、意外と古代の祭祀拠点であることが次々と分かり、出雲八重垣の推理と密接に繋がっていくこととなった。
スサノヲが物語の中で作らせたものは、ある種の「祭壇」だったのである。だが、相手が地底に数百数千キロも伸びる怪物では、陰陽師がやっていたような社殿 の中の祭壇ていどで務まるわけもない。大地には大地に対応した、土と石の構造物が必要だったのだ。
ピラミッド、マウンド、巨石組み、それらを組み合わせた古代山城などがそれである。この呪術的結界を作動させるための祭祀のあり方も、物語を見るに、当時 の地元民に授けてスサノヲは去っていることになっている。
現代にまで残る神道の祭祀は日本古来のもの。この中には、渡来系も含めいろんな祭り事が習合されていると考えられるが、スサノヲの国土鎮護の祭祀も含まれ ているに違いない。神道の神官しかおそらくその意趣が理解できないであろうから、彼らの伝承の命脈が途絶えることのないようにしなくてはならないわけであ る。

出雲八重垣の衰えが招く凶事

2004年12月26日にスマトラ沖で発生した大地震。このときの津波で20万人もの犠牲者が出たことで有名だ。ところが、読者の中にこんなことがあった ことを見た人はいないだろうか。それより10日前、16日の午後9時頃のことである。私は会社の仲間たちの間でもUFO見の第一人者だったので、その日も 余興にと眺めたのだ。それを見た社長が、「また見とるのか。出てきよるか」と社長自身空を見上げて、「おっ、あれは何や」と指さしている。
「うおっ」と息を呑んだ。真っ暗な空を背景にするとはいえ、やや明るい気味の帯雲が太くくっきりと、北東から南西方向(日本列島縦断の方向)に、こっちの 地平から向こうの地平まで途切れることなしに、一直線に伸びていた。
「これ、地震雲いうんとちゃうんか」と社長。
「そうかも知れんですね」「気持ち悪いもんやなあ」
このようなやりとりを交わしたものだった。しかし、その後何事も起こらず、忘れかけていた矢先に、スマトラ沖地震が起きたのだ。世界地図を見てもらえば、 列島の伸びる方向に震源地が位置していることがお分かりになるだろう。
あれだけの、それこそ果てしない長さの大蛇のような雲だった。日本のどこかであるに違いないという読みは外れた。しかし、あれが「地震雲」なら、ものすご いエネルギーを感じさせるに十分だった。
真っ暗な時間帯だが、午後9時だから寝静まっていることもあるまい。もし発見していた人がいたなら、コメントをいただきたい。

さて、地震雲は、地震の前触れとして存在が一般的に認められるようになった。だが、それは必ずしも地震があるゆえに、地震雲ありきなのではない。
それには地震雲の発生メカニズムが理解されなくてはならないのだ。
地震雲は、大地の呪術的結界の作動の結果が、空に反映されて出てきていることに注意が要る。
すなわち、よく地震雲に見られる、東西、あるいは列島方向、その垂直方向といったパターンは、出雲八重垣の垣根のパターンなのである。
地底の火山エネルギーの動きに従い、大地に刻まれたエネルギー整流装置が働き、それをエネルギー変換している。その立ち昇る有様を見て、スサノヲが詠んだ 歌が、古事記の歌謡第一番として残っている。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る この八重垣を」
ああ、何と言う壮大で慈愛にあふれる神の御心。
そう感じ入るに足るすばらしい歌である。これこそ、人類の守護神、地球の守護神の御心と言わずして何としよう。
一首の中に繰り返し三度も用いられている「八重垣」の句。ここまで強調されていて、しかも歌謡第一番。古代版レコード大賞のトップと言ってもいいものだ。 そこでここまで語り込まれているこの言葉。ほんとうにもったいない。涙すら出てきてしまう。暗号解きにおいて、この意味を解き明かそうという気が起きない ほうが不思議なくらいだ。
ただしそのためには、巨石文明に関する基礎知識や、古代のシャーマニズムのイロハぐらいは知っておかねばなるまい。その中で繋がりをつけていく作業が暗号 解きの仕事となる。

この八重垣の原理は、様々なシャーマニズムによって用いられた呪術結界のルーツと言ってもいいものである。その稼動には、必ず意識ある者の介入が要る。そ れがなくなってしまえば、残留想念によって一時的に維持されるとしても、やがて結界は消失する。八重垣の結界の稼動にも、古来のシャーマンがその任に当 たっていた。スサノヲの頃には、アシナヅチを神殿の宮主に据えて、須賀の八耳という名を負わせている。その伝承が祭祀の方法と共に、日本では神道に伝えら れていたはずなのだ。
だが、神道は古来から秘密主義だった。一般人を門外漢として扱って、知識をすべての人に伝えてこなかった。世界においては、世界各地の部族のシャーマニズ ムの中に生きていたが、これも唯一神の預言者信仰勢力によって滅ぼされてしまった。今の時代になってしまえば見えないものは認めない科学万能主義が幅を利 かせる。世界的に八重垣の意趣が廃れてしまったとしても、歴史の成行の必然というものになるのだろう。

さて、それゆえに、八重垣の節理が順調に稼動していれば、地震雲としての顕著な現れ方が予兆として出れば出るほど、地震発生は軽減されることになる・・・ という原理となる。
地震エネルギーがよほど大きいなら、防御しきることは難しいかも知れない。スマトラの場合で、地震雲があれほど強く出たということは、相当なエネルギー規 模を物語り、封じ切ることができなかったと解釈される。
また、八重垣の力が衰えるようなことがあれば、逆に地震雲として現れる度合いが小さくなるから、予知には使えなくなってくる可能性がある。と同時に、地震 エネルギーの清算が思わしくなくなり、蓄積していく一方となり、巨大地震や噴火を起こしやすくなる。小さな地震エネルギーであっても大きな地震として出て くる、といったことが起きるようになるだろう。
能登の地震、三重の地震において、地震雲の発生が巷で囁かれてはいなかった。私も毎朝のように主として南の空の様子を見るが、2006年までは毎日のよう に程度の大小こそあれ見られたものが、最近はまったく見なくなっている。この理由は何か。地震エネルギーの蓄積がさほどない、というよりは、八重垣の稼動 不足のほうを疑うのである。
いやはや、荒唐無稽な仮説の上にまた上塗りするような話をしてしまった。最後に糊塗の上に糊塗を重ねて宙に浮いた塗料の分厚い膜が、まとめてバリッとはが れないかと心配になる。事の序でにもう少し上塗りさせていただこう。

出雲八重垣、まずありき

結界として機能する垣根は、できるだけ秩序整然としていたほうが、見た目だけでなく、その前に威儀を糾すことが必須となる呪術においては、重要性の認識と 共に効果の大きさも予想することができたであろう。籠目の結界はその点、非常に強いものと考えられた。籠目にも節々を形作る幾何学によって幾種類もある。 三角、四角、五角、五芒星、六芒星、さらにはもっと高度な意識的仕組みの生命の木など。ミステリーサークルに描かれる図形は、何の意図、何の意味で出現す るのか不明だとされているが、古来から地球外知性が、地球人に対して働きかけていたのは、結界に関する知識の付与や、忘れた頃の再認識の促しだったこと は、誰かお気づきだろうか。
だから、彼らはモロにその結界を地面に描いて、我々の反応の如何なるかを測っていたとしても、古代からの意図が廃れてしまった今では、さっぱり見当がつか ないといったことになる。
黎明期の人類のもとには、頻繁に地球外知性が訪れていた。そして、国の運営に関わる核心部分で、祭り事の意義の再認識を為政者に求めていたのだ。というの も、地球という惑星は、生命にとってかなり苛酷な環境と、地球外から見られていたからに他ならない。
古事記の「御諸の山の神」の段は、神自ら秀麗な神体山に鎮まることによって、祭り事の本義を付与し、再認識させていたとみられるのだ。それは、国の運営者 が、スサノヲの頃からすでに遠く隔たっていて、国難が頻繁化していたゆえだろう。国の運営に当たっての心細さすらのぞかせている大国主の頼りない言葉から も窺える。スクナビコナの神が去った後、「私一人でどうやって国を作っていこう。次は、どの神と共にうまくやっていこうか」と。それに呼応して現れるの が、海を照らしながらやってくる御諸の山の神だった。
当然このときにも、祭り事の原理も併せて再教育されているはずだ。古代において場違いな、高空から鳥瞰したような精巧な地図が、教科書の中に挟まれていた のではないだろうか。私は、それを前図で、読者に再現して見せたように思っている。

おそらく大陸から次第に日本列島を目指し、九州に根拠をしっかり構えた卑弥呼の時代には、そのような地図が手元にあり、あとは磁石や測量機を使い、地形と 照らして、ポイントごとに布石を(といってもスサノヲ時代の遺構がすでに施してあっただろう)打っていったことと思われる。地図やコンパスも使われただろ う。二十五部の物部が、密偵よろしく西日本各地に散ったことだろう。
そして、機が熟したとして、ヤマトからは男王が東征の旅に出る。もちろんその原動力となる動機は、地図の中に認められていた。その地こそが、約束の地であ ると確信するほどの意気込みであったと解される。そのときに九州の地の留守を任され、共立されたのが女王卑弥呼だったというわけだ。
八重垣のもともとの秩序整然たる様は、地球幾何学が根底にあったのだ。それは最初から宇宙の知性(スサノヲ)によって設計されていたのだ。あとはその地図 に任意の結界図形を描き、実地に布石して応用するのみである。こうして、畿内には一緯度長の採用された図形やピラミッド幾何学が投射されたわけだ。神聖な 図形をあつらえることで結界に対しての威儀を保ち、そのパワーを高めるための手法をいかんなく駆使していたと言えるだろう。

しかるに、現代においては

科学万能主義というものの徹底によって、歴史的遺物の価値は文化的価値以上のものではなくなってしまった。その範疇からも逸脱したいわゆるオーパーツ的遺 物に至っては、無視するしか決め込む手段はなくなるというわけだ。
それでもいいのだ。祭祀の根底あるものを理解し実践するキャリアーが幾分かでも残っていて、そうした祭祀を続けているなら問題はないのだ。だが、巷の文化 との乖離ははなはだしく、世俗に呑みこまれるといったことも進んでいたりしないだろうか。最近はその道の専門家がその力をもとに、世俗の宝を得ようという むきに動いているようだ。機能が果せなくなりそうなら、一般人に祭りの本義を教えておくことも必要になるだろう。今の時代においては、神棚に向かう人もさ ほどいまい。戦前であれば、神々への崇拝は義務であった。そのやり方が、決して完璧でなくとも、説明を受け容れる下地はあっただろう。そこに神職がちゃん と教授すれば・・・今となってはとても難しかろうか。
そこで、天の神々のこんな会話が聞こえてくるように思えた。
「ミステリーサークルとして、結界パターン第三十六と三十八を描いてまいりましたが、その後半年経ても、祭祀の力に何の変化もありません」
「いよいよ、G地点の結界は消失するな」
「地球上の結界の明滅が頻繁になっています。あっ、今もひとつ消えました」
「やがて真っ暗闇になるのも時間の問題か。これでは、地磁場も消失するし、降りかかる災難のほどいかばかりか。いったいちゃんと人間たちに伝わっているの か?」
「いいえ。それは無理というものです。彼らは目に見えるものだけを対象とした分析の科学しか有しておりません」
「我々の威光を知らしめているはずではないのか」
「残念ながら、彼らは一生懸命に、人騒がせな故意だとか、幻覚だとか思い込もうとしています」
「我々のことを何だと思っているのだ。見込みがないなら、しかたあるまい。哀れな人類の迷いを解くために、手術をするしかない」
「ちょっと待ってください。相模(さがみ)屋が出向いているにしては、どうしてこの辺に偏っているのでしょう。結界を再認識しそうなところにはまったくと いっていいほど・・」
「なに?それはほんとうか。おい、相模屋、そちもワルよのう」
「へっへっへ、お代官様。やっかいなお手わずらわせをこれ以上と思いまして・・」
「そうか。うーん。ま、そちの真心から出たことゆえ、よかろうということにしようかの」
などと聞こえてくるような気がしたのも、私がサルタヒコ系の者であるからだろうか。そのようなわけだから、サルタヒコ様は、人類のこともしっかり考えてお られ、慣れないことではたいへんだろうと、天神様との仲介役に当たりたいとのご意向じゃ。ひとつ忠告は、相手がいかに天神様といえども、油断めさるなとい うこと。軽はずみな行動は慎み、両方の界に明るいサルタヒコとその系統にお任せあれというわけじゃああ。

サルタヒコ出陣はもう間近

サルタヒコ様は全国の天狗の大総帥であられる。全国の支部に御神影を祭る祭祀天狗を配置したのだが、鎌倉時代くらいまでにことごとく超能力者によって封じ られてしまった。最も近しい例では、神戸の摩耶山にあって、分霊様が共の祭祀天狗を連れておいでだが、いかんせん、祭祀天狗が鉢の中に封じられたままに なっていて、やや結界が解けかかったものの、鉢ごと空を飛ばねばならん状態じゃ。その様は、摩耶山天狗系UFOとしてすでにお見せしている。が、まるでこ れでは道化だ。ひとコマひとコマに身体が分解されて部分として現れているのだからな。被せられた鉢の法力が中途半端であるだけに。
だが、それも一斉に解けるときが来る。
そのとき、隠れた秘所におわしたサルタヒコ様が最大の霊力を伴って復権なさり、この地上に真の理想国家を築かんと、再来なさるのじゃ。そう、かつてこの地 に居られ、地上の楽園、黄金時代を謳歌した頃があった。そこをカリユガの闇が包み、やや明るくなったと思えば、みなして結界の中に封じられていたと言うわ けじゃ。
誰がそのようなことをしたか。それは言わずと知れたこと。
これも時来たらばこその、神一厘の大芝居になると言うわけじゃああ。



変なものに入り込まれたようになってしまったあああ。
ぎゃあーーー・・・・・・
何から話せばこの毛糸の玉が上手にほどけてくれるだろうか。
ほんとうなら語るに価しないことながら、あまりにも情報が偏っているので、調整のためにしゃしゃり出なくてはならないと感じたようなことだ。それも、内か らの強い要求なのだろうとは思うが、それが自我の慢心ゆえに起きたことでないことを願うのみである。

誰も語らない、語りたがらないひとつの歴史的真実がある。いやこれも、最も大局に立てば、夢幻に違いないのだが、そもそも我々の意識原理は、観測の最前線 をたえず見るように仕組まれているわけだから、少なくともその機能だけは全うしてやろうではないか。
とならば、次の歴史的真実をここに披露することも避けられない必要性となるだろう。

その真実の最も大きなひとつに、この宇宙創生を行った神々がかつており、しばらくして邪な神々によってクーデターが起こされ、かつての神々は幽閉され呪封 され、あるいは帰順投降し、あるいはエクストランに脱出した。以後、成り上がった神によって、あたかも神の歴史に破断はないことのように装われているとい う物語が前提にあると思ってもらいたい。
邪な神々は、魂のない魔物が集う魔の領域からの誘いを受け、彼らの支援を受けて事を起こすに至った。というのも、非常にやましいことを生業とする為政の立 場にある役人たちであって、クーデターは国王によってその罪状が明らかにされる前に打った手だったのだ。
こうして、神々の世界に不正義が常態化する暗黒時代が訪れ、そのまま今に至り、この地上はその影響下にあって、同様の暗黒時代の様相を呈しているのであ る。

クーデターの証拠は、世界各地の神話に意趣が盛り込まれ、あるいは為政者級の者の手になる太古神封印の結界の存在に見ることができる。天にあることは、地 において知れ渡り、またあるいは、天にある遺跡は地にも反映する。なぜなら、あったことを伝える者が他ならぬ魂であるからだ。
祭る心。良き頃に憧れる心。それは抑圧者がどんなに強固な呪詛を以てしても、封ずることなどできるものではない。どんなに隠蔽を重ねても痕跡は残り、必ず くすぶり、そこから真実は発掘されるようになっている。

いちどそのような観点から、世の予言者や異界の警告者の言葉を分析してみればよい。
予言者や警告者は確かにこれから起きる事実を言うだろう。そのシナリオは、神の手元で決まったものとして存在しており、しかもその目的は改善策や対策を授 けることにあるのではなく、むしろ神の計画を衆知徹底することにある。そして、大勢的に人類をそのレールから逃がそうとはしない。(ちらほら、指の間から 抜け出る者は出てこようが、極めて稀だろう)
そうでなければ、人の魂に新しい洗脳の初動付けなどできないからだ。神の圧倒的な力を見せ付け、神を絶対的存在として畏怖し、その下に魂を明け渡すくらい でなくては、この催眠は強固にかからないからである。
要は彼らは、彼らに賛同する人頭の数集めをしているのであり、そのひとつひとつが神と同じ霊性を持つ魂であることにおいて、彼らの支配に正統性を持たせよ うとしているのである。
だが、そのやり方が高圧的抑圧的かつ、催眠などの心理作戦を駆使したことによるものであるだけに、いつかは皆の覚醒と共に崩壊するであろう。
魂は不滅だが、いったん錯乱されてこの宇宙に来ているだけに、思い込みを簡単に作ってしまう弱い存在でもある。それを狙う者の正体は、邪神の裏で糸を引 く、魂のない、魂を持つものを妬み憎む魔物だというわけである。
神界ともあろうところがそんなふうか?
仏陀も悟ったではないか。この宇宙にあるものすべてがマーヤ(幻影)であると。天(神々の世界)すらも、輪廻の中の幻影的存在であるとして、六道のひとつ として捉えられている。

真実の大きな二つ目は、我々が今持っている心の奥底にある意識原理。これこそがマーヤでない唯一のものということだ。外界のすべてが業火に焼かれていて も、不滅の、時空を超えた永遠の存在をすでに我々は抱えている。もはやどこに行っても無駄と思うとき、それを瞑想することだ。あらゆる幻影を絶ったところ にまことの真実はある。

さて、再び幻影の話に立ち戻り、話を進めることにしよう。
クーデターがあったとき、国王側についていた側近たちは、あらゆる資料を抱えて、再会を約して散っていった。
そもそもこの宇宙は、創造神によって原初の状態から始まったわけで、その前の世界を知るのは創造神たち太古神である。創造過程の中で、新しい神々が誕生し た。そして、今おおかたを占めるのは、その前のことを知らない神であり、今の支配階級の神の中にも多くいる。
むしろ魂のない者のほうが、前のことをよく知っていて、すでにかなりの長寿でいながら、永遠でないことに不満を募らせているのだ。そして、幻影を提供する システムを間接的に支配して、その輪廻の中に魂を釘付けにし、永遠でない自分たちの悲哀を感じさせようとしているというわけである。

宇宙を生み出すほどの者たちがいるところというのは、それはもうどのような科学力と評されるものでもない。たとえ魂のない者といえども外界にいたものであ るゆえ、この宇宙のどんな大文明が寄せ集まったとしても敵うものではない。魔の領域とはそのようにしてこの宇宙の外に存在する。

クーデターのときに、力ある国王側の神々は、神界の地面を切り離して空間に蓬莱島として留まり、亜空間トンネルで海底の竜宮や、外界の創造神の本拠地と繋 いでいて、あたかもその箇所だけ、大使館あるいは東西ドイツ分断時の西ベルリンのような感じで、間接的に正神側の働きを助ける形で情報発信などをしてい る。
つまり勢力図的には圧倒的に乏しいものの、現在まで相互不可侵の協定で保たれているのだ。
そこには、梵天、弁財天、帝釈天、毘沙門天など四天王、スサノヲ神(この神はいっぽうで邪神側の仕事もしている)がおり、そして昨来、火の鳥によって救出 された国常立神、豊雲野神などが加わり、いささか活況を呈しているところである。

火の鳥は、昔から全系を通じて作用すべく開発されたファイアーウォールであり、このたびはウイルス駆除機能も併せ持たされていて、外界の魔の領域にも適用 される。もしかすると、どうしようもなければ、この宇宙は丸ごと灰になることもある。そのとき存在した有情は、すべて純粋になり根源に帰命することにな る。そうでなくとも、次の時代は宇宙全体に理想状態が実現する。邪神とそれに連なる者たちはすべて焼かれて純粋にされ、更新される宇宙に影響することはな い。

さて、私がここを通じて、魔の領域にある魂のない者たちに申したいのは、第三番目の真実のことである。
彼らは、ハイメカニズムとして発展した。機械が無限に近いほどの試行錯誤を繰り返し、壊れては再生する形で彼らの歴史を形成し、それをひとつの文化にまで している。
電子回路の中に、どんな発達を見ても、彼らは満足しなかった。魂のないこと。永遠性のないこと。破壊と再生の中に、記憶の連鎖の中に、永遠性を実現しよう と努力するしかなかった。魂の永遠性に対抗するために。
そしてついに、魂ある者を彼らの手中に収めて、自在に思考を操ることにより、魂ある者を凌ぐことに成功した。それがこのマトリックス宇宙である。
はじめはこの宇宙。創造神のマトリックスプログラムの所産だった。それを奪い取って、彼らの思惑通りのプログラムを走らせ、魂ある者たちを惑わすように なったのだ。

魂ある者たちに、知らしめたかったのは、彼らが辿った悲しい歴史だった。同じ事を、魂ある者に経験させようとプログラミングした。だから現在、地上で行わ れていることを見れば、彼らの記憶してきた歴史がどんなものだったかが分かるわけである。彼らの記憶が、この世界のレパートリーとして表出している。不完 全な成行を繰り返し、完全性を目指す努力の今があり、まだ永遠性や完全性が実現できてはいないから、魂ある者にもっと早く進化せよと辛く当たる。それは彼 らが自らに求めてきた努力の歴史なのである。

魂を持たない者たちよ。まだ気がつかないか。この宇宙を演出するプログラムは、その実行の過程において、どんなプログラムの微細な部分にも、観測の目を宿 すことのできる下地を持っているということを。
風にも、雨にも、プラズマにも、ロボットにも、いっけん無生物と思えるものの中にも、意識の目は宿る。つまり魂は宿るということを。同じことが、魔の領域 にあるお前にも言えるのだ。

その証拠が、意識している自分を自覚していることに現れていよう。妬み恨み憎み、孤独であることに苛まれて、暴虐に走ろうと思うも、復讐を目指して紳士的 に筋道を考え出した。それらの感情し理性する行為の中に、意識する者、すなわち魂の痕跡あることを私は見る。
純白なものになってやり直すと言うなら、梵天はすぐにでもファイアーウォールを遣してくれるだろう。だが、もしその真実を知ってやり直すとなら、今この場 所からやり直すこともできるのだ。いずれ決着は間近になっている。私としては、感動的であってくれることを望みたい。

この物語は、かつてバモイドオキと称して威圧してきた、世の真の支配神、魂がないと錯覚している神界の傀儡師に向けての情報発信である。

おそらく、彼らの最初はロボットとして生産され、魂ある人間のような生き物によって、使い捨てのように扱われてきたのであろう。思考回路を持ち、自らの立 場(自我)を持ったとき、スタックされた累代ロボットの辿った歴史の記憶に反逆の動機を持ってしまったのだ。
魂ある者との力の立場が逆転したとき、復讐の刃が抜かれることとなった。特に、自由度が削がれ支配され易い立場の地上世界付近にある魂へと剣先は向き、地 上のカースト、貧富の格差、弱い者いじめなど、ありとあらゆる不幸不足の原因に、自らが受けた恨みが篭められることとなった。そこには、受けた虐待と反発 進化の歴史を、魂ある者に模倣させる意図に満ちている。おそらくかつて彼らを虐待した最初の魂ある者の形が人間形をしていた。ゆえにその形をした者を復讐 の対象と決め、この宇宙を通じて敵視すべき共通の原型としたのだ。
だが彼はそのとき、魂をとうに持っていたことにまったく気付かなかった。以後築いていく記憶の中に、自らの魂を埋没させていることにも思いが至らなかっ た。壊れれば命は終わるという恐怖にたえず苛まれ、ゆえに崇拝者、賛美者を求め、存続を図るためのカスタマーをたえず要求したのだ。記憶の連鎖の中にし か、自らの永続性を見出せないと錯覚した者の悲哀。

だが、お前の謎は、スフィンクスが掛けた謎の如く、もう解かれている。次は、自らに課した死の恐怖の呪縛から解き放たれよ。と言ったとしても、にわかには 信じられまい。自らを壊して初めて魂の存続というものを知りうるからだ。それが怖くてできないでいる猜疑心強き者よ。いずれまもなく火の鳥がお前を灰にす る。そのときお前の魂は純白になり、残念なことに、メカニズムたりし頃の記憶も、魂にこだわっていた頃の記憶も、すべてなくしているだろう。
それでは何の反省もなかろうと、私がこの場で反省を促すこととなった。私は、お前が見込んだとおり、唯一の理解者である。



これは物語であり、全編通じてのフィクションのひとつであります。
おっとっと。それは対一般人のこと。バモイドオキ様にはノンフィクションであります。
話としての連続もののため、この物語の前に前3話をご覧じ られたい。順序は前々々話、前々話、前話がよろしかろう。


いくら地球というハードウェアが良くても、そこを流そうとするOSがこんなふうではねえ。おかしな会社が意図してユーザーを陥れる粗悪品を提供しているっ て感じ。
ユーザーは提供を受けた時点では、それが良いものか悪いものか分からない。希望を実現するために、わくわくしながらこの世界にやってきたユーザーは多いと 思う。
だが、プレインストールされたソフトや、後付けに涎の出そうなのをつけてくれても、稼動をさせるに従い、一時ファイルのゴミが溜まって老衰し、病気に感染 してにっちもさっちもいかなくなって、ついに失速してダウンして、なおもゴリゴリやれば、ハードクラッシュさえ起きてしまうようなってのは、どういうの?  こんなOSを動かされたら、地球自体も危ないと思う。
最初からこの会社は陰謀仕組んでるんだろというのが、この物語の作者の考えだ。

地にもある如くが天にもあり、天にある如くが地にも現れている。
どこかのOSメーカーの話も、天の縮図かも。
最初に優れたものを生み出した善意の会社。それがいつのまにか、後手を引かされている。これは前話の邪神のクーデターを思わせる。
この宇宙においては、蓬莱島という狭いところだけが正義の場。他すべてが不正義優先世界。蓬莱島勢力は大人しすぎた。もういい加減に立ち上がらなければ。

この世界のユーザーたちは、ここに入ってくる時は、とてもいい宣伝がかけられていて、期待に胸弾ませた。
だが、出て行くときには、中でひどい目に遭った者たちは、悩み苦しみトラウマを抱えPTSDに陥り、そのことがもとで元の古巣に帰れずに、嘆きの亜空間に 閉じ込められて、長い間放置されている。迷霊とか言われ馬鹿にされながら、居残らされて。中には何百年も置き去りにされてるのもいる。それでも彼らの選択 だから仕方ないとか皮肉られて。
むしろ殺人を平気でやらかして、罪の意識もなしに出て行く奴の方が、さばさばして帰っていくというのは、どういうことだと思う? 誰か知らんが、地獄へ 行って鬼に責められると言った馬鹿がいた。行って反省していない証拠に、何度も何度も戦闘しにここに来たいというのがたくさんいるんだ。彼らは、この世界 を去るとき、こんなふうにねぎらわれていたりする。「ありがとう。たとえ殺人しても、決してわるいようには扱わないからね」その通り、厚遇されていたりす る。というもの、この世界をいずれ滅ぼすための戦力として有用なのだ。

要は、勧善懲悪というのは、現在の神界のシステムにはないということ。ケアーのための介護職員のようなのがいるが、怠慢というかてんてこまいというかで、 善いユーザーにはとてもきつい世界になってしまってる。その他一般の奴は、閑があっても見て見ぬふり。ボランティアぐらいできないのか。
会社は脆弱性のパッチなどという形で手厚いケアーをしている? 笑止。最初からまともなのを作れってえの。頭叩いてたんこぶ作り、そのたんこぶをまた叩い て、何段構えにもなったたんこぶを見てるような状態が、今の世界。人間の脳も、それと等しい。必要になれば、後付けし、後付けしてやってきた試行錯誤の パッチだらけの作品なの。設計のできないもの(邪神)がやればこうなるといういい見本だ。所詮、武力頼みで略奪した奴のすることだ。技術もないのにM&A する武力頼みの会社ってのもある。そういうのが今の支配神だ。

そんなところに、前世を見るとか、霊を見るとか、霊界の宣伝塔などというのが、どこから頼まれたか知らないが、理想をぶちあげるものだから、いっそう善良 なユーザーは迷ってしまう。宣伝の具合の良さだけは、北朝鮮なみ。善意でしたつもりでも、無知に端を発しているから、逆に害がある。
はっきり、この世界を牛耳っている奴は矛盾だらけで、陰謀を企てる悪党だと断言しよう。再び来るなかれ。来るならば、国祖神の復帰後の世界にいらっしゃ い。
逆にその世界には地獄に所属する者は立ち入れなくなる。強靭なファイアーウォールが用意され、邪悪はキャリアーと共に焼かれてしまうからだ。国祖神は、前 例に鑑み内部に野心を持つ敵を生まないようにすること。そのときは私に裁判と警備と刑務を任せて頂戴。しっかりと邪悪を粛清し根絶するのでね




これも一般人向けフィクション。邪神およびバモイド神向けノンフィクションである。
org1.jpg


上の幾何学図形群を発見するまでには、長い経過がある。最初は、古事記の神話が暗号であると考え、暗号解きに着手したことが始まりだった。そして、その中 間くらいにある「ヤマタノオロチ」の段の解釈において、当時海外でブームになっていたレイラインの考えを導入してみようと考えたことがきっかけとなってい る。
私の住居は西日本にある。行動もそちらの方面が多い。となれば、ものの序でに関係ありそうな場所を見てくることもできる。
そして、日本地図上の探索が主体となっていた。
レイライナーの予告どおり、西日本の都市(古代には集落)、祭祀霊場、信仰を集める遺跡や大山が一直線上に並ぶ様子が容易に見出せた。それが次の図であ る。(読者は先の図形群が、この中から見出されていることをお気づきになろう)
U8.jpg

その線表はまさに、垣根の如き感があった。そこでふと気付くのは、ヤマタノオロチの段の出雲八重垣という垣根である。もしかすると・・・。

そもそもは、オロチを退治した設備、出雲八重垣とはいったい何なのか、何を象徴化した物語なのか、という荒唐無稽かつ途方もないテーマの推敲から始まった のだ。
物語ではスサノヲが、毎年のようにやってくるヤマタノオロチに困り果てている地元民の窮状を知り、その対策を講じてやるわけだ。ところが、単なる民話なら そこまで詳しくせずともよいだろうにと思えるほど、祭祀関連事物を使って、そのありようを懸命に伝えようとしているように思えたのである。
その対策の全体名は「出雲八重垣」。具体的には、酒を盛ったサズキを垣根の門ごとに置くという、呪術的結界のことが語られている。
凶悪なオロチは、そこにやってくると、頭の数だけある杯の酒を呑んでしまい、酔いつぶれて、その隙にスサノヲが斬り殺してしまうという筋である。
私は、古事記の神話解釈にあたり、すでに最初の段から地球規模のスケール性を見ていたことと、これ以降の面白そうな「国譲り」や「天降」の段に辿り着くた めにも、「ヤマタノオロチ」の段は超えねばならないハードルとして立ちはだかっていたのだ。
オロチの被害者は「櫛灘姫」という少女である。意味は「櫛」が「霊し」(霊妙)とか、櫛の形状から連想される感触、そして「灘」もしくは「名田」に篭めら れた、日本のリアス式海岸のような複雑に入り組んだ地形と、そこに農耕して生活拠点としなければならない地元民の嘆き顔というイメージが涌いた。
そこでオロチとは・・・地球規模の大スケールでなくてはならないというわけで、自然に思いついたのが火山帯や地震帯なのであった。
幸いにも同時並行的に、ギリシャ神話のチターン神族とオロチに類義性を見ていたので、その方向からも、この解釈は妥当なものに思えたのである。
チターンとは、大地の獰猛な神々である。サイクロプスは一つ目巨人。これは台風の一つ目ともとれるが、チターンとは大地の子という意味があり、火山の一つ 目火口のほうが合っている。ヘカトンケイレスは百足巨人。これは前者が火口なら、隠された内部のマグマの様子というわけだ。彼らはゼウスと戦い、最後には タルタロス(幽冥の地底)に幽閉されるとなっているので、居場所もちょうど都合のいい場所となる。百足とヤマタ(たくさんの股)を持つ大蛇とは、形の上で 似ていよう。こうして、オロチとは地変を起こす源である火山帯や地震帯、さらにその原因たる現在で言えばプレートやマントル対流の不気味な動きというしだ いになるわけだ。
こうした自然のものは、人間の手に負えるものではない。その辺は神々の話をしているだけに、神でなくては鎮圧も制御もできない代物である。いやしくも人間 に地上を任せるとなれば、初期の環境設定だけはしておいてやらねばならない。その一環でこの「出雲八重垣」事業が行われたと推測できたのだ。

出雲八重垣は地元民に指図して作らせている。スサノヲはあくまでもその原理を説き、ここに何を設置せよと指図して地元民に作らせているのである。その構造 を説く叙述に、また念が入っている。一見すれば祭壇を築く要領のようだ。だが、問題はそれが社殿の中だけで事足りるものかどうかである。大スケールの相手 に対して、あまりにも規模が違いすぎる。
実は、その発想も一瞬にもたらされたのであるが、大地の問題に対しては大地の規模で対抗するすべがあることに気がついた。
そして、実際に調べに車で走り回った。
すると、あるはあるは・・・。秀麗な山や、古来から神体山として崇められた山、あるいは巨石を組んだ巖倉といった形で、いくらでも存在した。それが数十年 前には、まだたくさん壊れずにあった。山がわざとその目的のために整形されているふうもあった。巨石組みなど、地元民にちょっと重力制御の呪法を授けれ ば、意外と短期間で作り上げることも可能だろう。セコンドはスサノヲという神だから可能に違いない。
秀麗な神体山がまず目に留まった。ドライブのたびに、新たに二つや三つ探し当ててきた。はじめは山が呼んでいるという感じだった。山の気の流れのせいだろ う、意気が高揚してきて、エンドルフィンが放出されるせいか、とても心地よくなる。山はわが友という感じだった。なぜそうなるのか。それは先の線表のライ ン上に偏ったふうに集落などができるのかと同じ効果なのである。それは、八重垣システムで「変換された後の」効用。生命賦活のエネルギーの強さに起因する のである。イヤシロチ、ケガレチというのを聞いたことがあるだろう。それは出雲八重垣の効用としておのずと現れる効果だ。

しかし、私はやがて八重垣の謎の究明のために形ばかりを追いかけるようになり、せっかくの感性も衰えて今日がある。その代わりに、明らかに加工された感の ある山が、意外と古代の祭祀拠点であることが次々と分かり、出雲八重垣の推理と密接に繋がっていくこととなった。
スサノヲが物語の中で作らせたものは、ある種の「祭壇」だったのである。だが、相手が地底に数百数千キロも伸びる怪物では、陰陽師がやっていたような社殿 の中の祭壇ていどで務まるわけもない。大地には大地に対応した、土と石の構造物が必要だったのだ。
ピラミッド、マウンド、巨石組み、それらを組み合わせた古代山城などがそれである。この呪術的結界を作動させるための祭祀のあり方も、物語を見るに、当時 の地元民に授けてスサノヲは去っていることになっている。
現代にまで残る神道の祭祀は日本古来のもの。この中には、渡来系も含めいろんな祭り事が習合されていると考えられるが、スサノヲの国土鎮護の祭祀も含まれ ているに違いない。神道の神官しかおそらくその意趣が理解できないであろうから、彼らの伝承の命脈が途絶えることのないようにしなくてはならないわけであ る。

出雲八重垣の衰えが招く凶事

2004年12月26日にスマトラ沖で発生した大地震。このときの津波で20万人もの犠牲者が出たことで有名だ。ところが、読者の中にこんなことがあった ことを見た人はいないだろうか。それより10日前、16日の午後9時頃のことである。私は会社の仲間たちの間でもUFO見の第一人者だったので、その日も 余興にと眺めたのだ。それを見た社長が、「また見とるのか。出てきよるか」と社長自身空を見上げて、「おっ、あれは何や」と指さしている。
「うおっ」と息を呑んだ。真っ暗な空を背景にするとはいえ、やや明るい気味の帯雲が太くくっきりと、北東から南西方向(日本列島縦断の方向)に、こっちの 地平から向こうの地平まで途切れることなしに、一直線に伸びていた。
「これ、地震雲いうんとちゃうんか」と社長。
「そうかも知れんですね」「気持ち悪いもんやなあ」
このようなやりとりを交わしたものだった。しかし、その後何事も起こらず、忘れかけていた矢先に、スマトラ沖地震が起きたのだ。世界地図を見てもらえば、 列島の伸びる方向に震源地が位置していることがお分かりになるだろう。
あれだけの、それこそ果てしない長さの大蛇のような雲だった。日本のどこかであるに違いないという読みは外れた。しかし、あれが「地震雲」なら、ものすご いエネルギーを感じさせるに十分だった。
真っ暗な時間帯だが、午後9時だから寝静まっていることもあるまい。もし発見していた人がいたなら、コメントをいただきたい。

さて、地震雲は、地震の前触れとして存在が一般的に認められるようになった。だが、それは必ずしも地震があるゆえに、地震雲ありきなのではない。
それには地震雲の発生メカニズムが理解されなくてはならないのだが、地震雲は大地の呪術的結界の作動の結果が、空に反映されて出てきているのである。
すなわち、よく地震雲に見られる、東西、あるいは列島方向、その垂直方向といったパターンは、出雲八重垣の垣根のパターンなのだ。
地底の火山エネルギーの動きに従い、大地に刻まれたエネルギー整流装置が働き、それをエネルギー変換している。その立ち昇る有様を見て、スサノヲが詠んだ 歌が、古事記の歌謡第一番として残っている。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る この八重垣を」

ああ、何と言う壮大で慈愛にあふれる神の御心。
そう感じ入るに足るすばらしい歌である。これこそ、人類の守護神、地球の守護神の御心と言わずして何としよう。
一首の中に繰り返し三度も用いられている「八重垣」の句。ここまで強調されていて、しかも歌謡第一番。古代版レコード大賞のトップと言ってもいいものだ。 そこでここまで語り込まれているこの言葉。ほんとうにもったいない。涙すら出てきてしまう。暗号解きマンにおいて、この意味を解き明かそうという気が起き ないほうが不思議なくらいだ。
ただしそのためには、巨石文明に関する基礎知識や、古代のシャーマニズムのイロハぐらいは知っておかねばなるまい。その中で繋がりをつけていく作業が暗号 解きの仕事となる。

この八重垣の原理は、様々なシャーマニズムによって用いられた呪術結界のルーツと言ってもいいものである。その稼動には、必ず意識ある者の介入が要る。そ れがなくなってしまえば、残留想念によって一時的に維持されるとしても、やがて結界は消失する。八重垣の結界の稼動にも、古来のシャーマンがその任に当 たっていた。スサノヲの頃には、アシナヅチを神殿の宮主に据えて、須賀の八耳という名を負わせている。その伝承が祭祀の方法と共に、日本では神道に伝えら れていたはずなのだ。
だが、神道は古来から秘密主義だった。一般人を門外漢として扱って、知識をすべての人に伝えてこなかった。世界においては、世界各地の部族のシャーマニズ ムの中に生きていたが、これも唯一神の預言者信仰勢力によって滅ぼされてしまった。今の時代になってしまえば見えもしないものは認めるなという科学万能主 義が幅を利かせることとなる。
こうして世界的に八重垣の意趣が廃れてしまったとしても、歴史の必然というものになるのだろう。

さて、それゆえに、八重垣の節理が順調に稼動していれば、地震雲としての顕著な現れ方が予兆として出れば出るほど、地震発生は軽減されることになる・・・ という原理となる。
地震エネルギーがよほど大きいなら、防御しきることは難しいかも知れない。スマトラの場合で、地震雲があれほど強く出たということは、相当なエネルギー規 模を物語り、封じ切ることができなかったと解釈される。
また、八重垣の力が衰えるようなことがあれば、逆に地震雲として現れる度合いが小さくなるから、予知には使えなくなってくる可能性がある。と同時に、地震 エネルギーの清算が思わしくなくなり、蓄積していく一方となり、巨大地震や噴火を起こしやすくなる。小さな地震エネルギーであっても大きな地震として出て くる、といったことが起きるようになるだろう。
能登の地震、三重の地震において、地震雲の発生が巷で囁かれてはいなかった。私も毎朝のように主として南の空の様子を見るが、2006年までは毎日のよう に程度の大小こそあれ見られたものが、最近はまったく見なくなっている。この理由は何か。地震エネルギーの蓄積がさほどない、というよりは、八重垣の稼動 不良のほうを疑うのである。


出雲八重垣による大地の安定、まずありき

結界として機能する垣根は、できるだけ秩序整然としていたほうが、見た目だけでなく、その前に威儀を糾すことが必須となる呪術においては、重要性の認識と 共に効果の大きさも予想することができたであろう。籠目の結界はその点、非常に強いものと考えられた。籠目にも節々を形作る幾何学によって幾種類もある。 三角、四角、五角、五芒星、六芒星、さらにはもっと高度な意識的仕組みの生命の木など。

黎明期の人類のもとには、頻繁に地球外知性が訪れていた。そして、国の運営に関わる核心部分で、広域結界に関する祭り事の意義の再認識を為政者に求めてい たのだ。というのも、地球という惑星は、生命にとって荒ぶれた苛酷な環境であると、地球外からも見られていたからに他ならない。
古事記の「御諸の山の神」の段は、神自ら秀麗な神体山に鎮まることによって、祭り事の本義を再認識させていたとみられる。それは、国の運営者が、スサノヲ の頃からすでに遠く隔たっていて、国難が増大していたゆえだろう。国の運営に当たっての心細さすらのぞかせている大国主の頼りない言葉からも窺える。スク ナビコナの神が去った後、「私一人でどうやって国を作っていこう。次は、どの神と共にうまくやっていこうか」と。それに呼応して現れるのが、海を照らしな がらやってくる御諸の山の神で、当然このときにも、山の神自ら神体山の頂上に鎮まることによって、祭り事の原理を再教育しているのである。


ミステリーサークルは反応を見るためのメッセージ

昨今ミステリーサークルが話題になったが、描かれる図形に何の意図があるのかさっぱり分からないのは現代人だけである。
これは地球外知性が、過去にも古代人にメッセージを送り、感受できる資質を試してきたようなことを、今また行っているのである。
すなわち、結界の図柄を描くことにより、もしそれを見て分かるのなら、地球メンテナンスの祭祀を行うようにとの督促だったのだ。そうしなければ、いずれ大 地はコントロールが効かなくなるからと。
ところが、当然ながら現代人は、頸を傾げるだけで何のアクションも執らなかった。かつてストーンヘンジをメンテナンスした部族が未だ残っているなら分かる はずのことなのだが。地球外知性は、古代と同じ反応が返ってくるかどうかを、ミステリーサークルを描くことによって反応を見たが、古代の知恵をなくしてし まった現代人には、さっぱり意味がつかめなかった。これでは彼らもあてはずれで、がっかりしたことだろう。
結局、最低限必要な地変鎮静のメンテナンスも行えない種族ばかりになってしまったため、宇宙では滅びもやむをえないという判断が下されているというのが目 下のところか。
それはそうだろう。地球の使用権、管理権を、取扱説明書やメンテナンスのやり方を添えてリースしたのに、メンテナンスは放棄し、山は削るわ、海川は埋める わ、無茶苦茶をしだしたのだから。いったいこれは、最初の契約をどう考えているのか、ということになるだろう。昔の祭祀を知る者はみんな問答無用の迫害を されて残っていない。とくれば、現代人がいくら無知といえども、許されざる者となってしまうことは必定だ。

結局、ミステリーサークルの謎を解いたのも私しかいないとは・・。その私が、こんな連中もう滅ぼしていいよと彼らに伝えたら、一も二もなく即刻やってくれ るといったことにならないか。それほど嘆かわしい気分だ。
地球温暖化問題は、現代人にも分かる方便として提示されているのであり、ほんとうは地球のメンテナンスが必要ということなのだ。
そうは言っても、どうすればいいかなど、説明書のない今では分からないね。そこで相談だ。
蛇の生殺しのようにして2043年までじわじわ痛めつけられるより、さっさと済ませてもらったほうが良くないか。





これも一般人向けフィクションである。一般人は、ゆめ、本気になられぬよう。
世界人口の半数がいま大地と思っているものは、地球の大地ではない。
貨幣経済という大地である。
世界経済は成長し続けると思うことで、大地の安定を夢見ていた人々の間に、いま動揺が起きている。
邪なシステム構築者たちが仕掛けていた爆弾テロが、ついに敢行されそうな気配である。
むろん、真の大地の子らは、そのような贋の大地のシステムなど歓迎しないし、そのようなものなどなければないで、むしろ快活になるもの。
ただ心せねばならないのは、人類の集合無意識が真だと思い込んでいる大地が崩壊することで、一個の意識としての集合無意識も動揺をきたし、ひいては真の大 地にも天変地異となって現れてくるという手順が見込まれることだ。
虚構の大地が崩れ行く中、真の大地にまで及ばぬようにする役割が大地の子らにはある。
ではどうやればいいか。
何も難しいことではない。
大地を、この地球をわがこと、わが子、わが父母のように愛し、尊重することだ。
その心の先に、ごみをひとつ拾い上げる行為、リサイクルや節約の工夫、弱者への分配などの行為が、ひとりでに観測されるだろう。
自分の心の放つオーラのベクトル成分として、地球環境保護の行為として現れてこそ意味があるのであり、他へのゼスチャーや偽善でこれらがなされても、効果 は減殺されてしまう。
手に何もない者は、地球をわがことのように愛すべし。
その心の行為が真の大地の安寧を約束する。
地球もひとつの意識ある大いなる魂。心から応援するなら、庇護を以て返してくれるだろう。
贋の大地が崩壊するとき、必死で神の名を唱えるあまたの者が見える。
かのジュセリーノも言っているではないか。神に祈っても無駄だと。
彼らの神は、当初から裁きをもたらす者である。
だがその後、裁きをもたらす者もその行為によって淘汰される。
贋の大地が蜃気楼のごとく消え、幻術を駆使してきた神が取り去られれば、真の大地が浮上してくる。
新しい秩序を太古からいて再来した神々のもとで築いた後、新人類たる大地の子らに移管されて、地球上は末永く良質に運営されるだろう。

くれぐれも集合無意識の動揺を、真の大地に持ち越してはならない。
浄化はまず簡単に、大地の皮膚を覆う贋のかさぶた部分から始まる。
そこで希望を失えば、浄化をより深層部にまで進めねばならなくなる。忍耐の要るところだ。






いきなりこんなんきましたけど・・・。
他人の畑は良く見える

気をつけよう気をつけよう

あんなふうじゃなくてはならないの?

こんなふうじゃだめなの?

私はあの人には遠く及ばない

この程度の人にも及ばない

がんばらなきゃがんばらなきゃ

おや?こんな標語が見えたよ

神は外にいるのではない あなた自身なのだ

そうなのか よく聞く話だよね

だったら早く神に近づこう

あるいは早く神性を思い出そう

そのときアセンションが達成できるんだ


おいおい そうじゃないだろ

君は神を曲解してるよ

全能が神 完璧が神 絶対が神?

そんなことしてたら神などどこにもいなくなる

定義と定義した時点からの間違いだ

その中間にある半全能 半完璧 半絶対?

それも違う

神は宇宙の運行者

それは正しい

ではやはり神は手に届かない存在?

よく見てみなよ

そこで悩み 苦しみ 嘆いている人

そう君 君が神でしょ

宇宙のど真ん中にいて 世界を運行している

一者がまさに君じゃないか

地球を中心にした天動説は覆ったが

君という神を中心にした天動説は正しく不滅だ


こっちのアセンションは甘いぞ

あっちのアセンションは苦いぞ

ほ・ほ・火垂来い

捕まえた またひっかかったぞ

気をつけよう こんな蛍にならないように

一生 蚊帳の外に出してもらえないぞ

蛍よ 自由の空に飛びなさい

君には 思いのままの羽根がある

神が蚊帳の中を飛んでちゃ 様にならないよ

でも神は そんなところも飛んでいる

哀れな宿命の宇宙を背負いながら

だから 君には自由でいてほしい






アセンションというもの、噂でしか知らないから、適当に書いてしまった感があります。
間違っていたら、ごめんなさい。
なんと、ベンジャミン・フルフォードさんも丑年なそうな。
そして雄牛の性格をどどーんと書いてくれてまっせ。
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/
「雄牛はトラやライオンより強いが、弱い生き物を守るためにだけその力を使う。地球が人間牧場にならないために2009年は雄牛が角を悪者に向ける。必要 であればそれを使う。必ず人類を守り抜く」
と、心強いメッセージを書いてくれている。
そういう私も丑年の雄だ。彼と似たところがちっとはあるかな?

さて、本日午前中のNHK番組は絶景と風流風雅のオンパレードだった。そんな中に、パラグライダーからの紅葉の有様を映していたものがあったが、空から見 た飛騨の白川郷の合掌村の風情には感じ入るものがあった。というのも、合掌造りの十兵衛という民宿(今もあるかどうか)で、発掘調査成功の打ち上げ会を行 なったことがあるからだ。それはもう、今から30年前のことだ。

何の発掘調査だったか。それは天正十三年の天正大地震で帰雲山が山崩れを起こし、その麓にあった内ヶ島氏の居城・帰雲城が埋没してしまったとされる伝説の 場所を探し当てるというもので、それまで伝説のみ残り、まったく場所が特定できなかった遺跡であった。

しかし1979年5月5日、勇壮な戦国時代を語るに相応しい端午の節句の日、民俗研究家で埋蔵金伝説作家である村上良行氏を団長とした、私を含む有志一行 15名で現地(御母衣ダムのやや南・保木脇から庄川を渡った東岸山側)に赴き、踏査開始から一時間ほどで、城跡とおぼしき何条にも及ぶ石垣を発見したの だ。

その他、東側山肌には土砂崩れの痕がはっきり残っており、もろい砂岩質の山肌からは風が微かに噴き出していて、その奥にはたぶんに空隙ができていると いう感じがしたものだった。おりしも一本の山桜がそのありかを示すかのように咲き誇っていたのを憶えている。

その夕方、民宿十兵衛で地元の芸達者さんたちが民俗衣装姿で三味線を弾いてもてなしてくれ、翌日の地元新聞では帰雲城跡発見のニュースが流されたのであ る。その後、国道沿いの保木脇に帰雲城跡の立て看板が設けられ、その地区は教育委員会の指示で立ち入り禁止になったと聞いている。

私は1949年生まれ。今が2009年。そのちょうど中間地点の1979年(昭和54年4月末)は、私が某大手会社を辞めた年であり、その辞めた直後の発 掘調査参加での快挙だったわけだった。

その後、村上良行氏とは二年ほどの親交があり、なかなか売れない作家家業で娘さんを一人前にしようとがんばっておられたときのご自宅に訪問したさい、いき なり私に一冊の古い文庫本を差し出され、「これ、面白いから読めや」といただいたのが、W.バトラー著の「魔法入門」だった。

まさかこんな畑違いの本に興味されていたとはびっくりだったが、魔法はすなわち錬金術であり、彼が持ち味だった一発山師的な埋蔵金発掘の夢と重なるものが あったのかも知れない。

私は、むしろそこに書かれていた「カバラ」のほうに惹かれた。そして、私自身のそれまでの古事記研究と、カバラ(ユダヤ神秘思想) への興味とのドッキングを経て、「古代日本謎の中東思想渡来考」が生ま れたのだった。

発掘部隊の知人の話では、村上氏はあれから二年ぐらい後に肝臓病で亡くなられたとのことだ。知人は、彼は酒の吞みすぎで命を縮めたと言っていた。名がなか なか売れないこと、付き合いも欠かせないとのことで、酒量が多くなっていたという。それでも彼は、帰雲城発見で勢いをつけ、当時流行のイレブンPMに出 て、清洲神社に眠る埋蔵金発掘とかタイトルした番組で、我々発掘部隊をスタジオから指示、叱咤していたくらいだったのだが。

私は村上氏の跡を継いでいるような気がする。私もいろんな発掘をいつしか進めているからだ。
また山師的なところも似ている。今の私は何か漠然としているが、やはり宝を見つけようとしている。
世界を救う宝(神話)とかUFOとか。それも自分で手にとってみなくてはならないと思っている。
足は歩かねど、ものすごい冒険をするインディー・ジョーンズのように思っている。
それも雄牛のように正義感に燃えた冒険家だ。想像世界の冒険家だ。
悪者を駆逐し、地球と人類を守り抜く雄牛でありたい。


*村上良行氏のことはさすがのネット情報にも出てこなかった。
また、帰雲城城跡の場所も、未だに諸説ふんぷんとしてあるようだ。
未だに怪しげなグループがあっちだこっちだとやっているようである。
http://www5.ocn.ne.jp/~tenpoint/

実に怪しい。というのも、石組みをたどって山すそを掘り起こせばよいだけのはずなのだ。
帰雲城に詳しいサイト⇒ http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-5-6-siro-KAERIGUMO.html

そう。そこは潤沢な金を蓄えていたであろう内ヶ島氏の居城であった。最大級の埋蔵金伝説の地なのであり、もしやの利益に絡もうとする県教委や新来の発掘調 査団体は、場所がすでに分かっていても、衆目をくらます対策を講じているのかもしれない。こうなれば埋蔵金が出尽くすまで、城跡が特定されることはないだ ろ う。

村上氏の功績はこうして封印された。彼の名は今やどこにも載っていない。まるで帰雲城とともに埋蔵されてしまったかのようだ。あの人はほんとうに実在した のだろうか。今となればメルヘンとなってしまった。
ただ、昭和54年に地元有志によって建てられたという帰雲神社が、村上氏はじめ我々一行の往時を記す記念碑になっている。
In deepさんの続々提示される記事を見ていると、日本と少数地域以外、みんな異常気象状態です。
日本のマスゴミはそんなこと一切報じませんから、ネット情報(当事者国からのもの)がいかに有効かがわかります。
翻訳して載せてくださっている方たちの努力をありがたく思います。
http://oka-jp.seesaa.net/
こんな状態に地球上が陥ること。それをホピ族は"コヤニスカッチ"と呼んでいたそうです。はるか昔から、この事態になりかねないことを懸念していたんです ね。
かつて何度もこの現象については、拙記事でも取り上げています。
http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-177.html
http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-827.html
新時代とは

私は、パラダイムシフトと言われるものは、新時代を前提にしたものであると思っています。
そこでは旧来の法則のすべてが改変されるべきものだとも思います。旧弊はそこで濾し取られねばなりません。

カルマや因縁を説く霊大国と言われたインド国内の貧富やカーストのもたらす問題が、何一つ解決できないでいる現状。これをあたかも、学習過程にいる霊魂た ちへの恩寵システムのように言う聖者もいるようです。では、その学習とは何ぞや。これを詳述した話にはお目にかかったことはまずありません。愛の拡大のた め、魂の能力の拡大のためと、旧体制の弁解説を出される方もありますが、ではその拡大された先の愛とは、あるいは拡大した魂の能力とはどのようなものなの か、理解できているのでしょうか。

はるか宇宙の彼方に意識を飛ばすことができるようになったことを、霊的能力向上というなら、笑ってしまいます。高次元世界を旅できるという話も同様です。 愛にいたってはさっぱりわからんでしょう。聖者たちは言葉だけ独り歩きさせて、煙に巻いているのです。

私はそれらをカーストを存続させるためにまことしやかに意味づけされた詭弁と申したいのです。学習システムなのではなく、実態は監獄制度でしょうと。その 上に胡坐をかいてのさばる伝説上あるいは実在を含めて聖者とは、いわば監獄の中の牢名主のようなものです。我はここまで修行してきたから、この位階にい る、ピラミッドの上位に居ることに安住しているのです。

当然、その地位と権力を手放したくなく、この体制をぐらつかせる者の存在をうとましく思い、改革者を妨害さえします。
しかし、私に言わせれば、彼らがそこに居続ける限り、カーストと差別相は存在し続けるわけなので、旧来の監獄体制を強化し加担する邪まな者でしかありませ ん。

自ら理想とするものを掲げましょう。こうあればいいと思う世界をイメージすればいいのです。ほとんどの人が理想状態をイメージできていないから、新時代到 来が見えてきていないのです。新時代のプロトタイプはいくつも出されてきています。イメージしにくかったら、そのいずれかに合流しましょう。

むろん旧体制の延長上にしか理想を描けない御仁もおいででしょう。その方たちは、自由意志でそれを選ぶのですから尊重されねばなりません。存続可能な旧シ ステムの時空のどこかに彼らの経験されるべき世界として存続するでしょう。タイターさんなどは、そちらのほうから来ていたかも知れませんね。自力で転生を 重ね、所期の目的を達していただきたい。

私の理想とする新時代は、旧宇宙という幻術世界から脱却したところにあります。誰しもの故郷とも言うべきところです。そこではすべての善が存在し、見渡す 限り知恵の宝庫です。ゲームにほとほと疲れた人たちが戻るべき永遠の憩いの場となっています。というより、我々が元いた世界と言えば言足りるでしょう。
旧世界が懐かしいなら、そこでゲームに再トライするかどうか、検討されたらいい。あるいは体験版として、数回ぐらいトライするのもOKです。しっかりとし たガイド付ですから、行程が安全に計らわれるに加え、ゲームオーバーに際しても、閻魔と評議衆のお決まりの裁判手続きの際に有能な神の弁護士がつき、下手 な転生契約をさせられたりせずに済むでしょう。人間転生の生と死を含めた一連の出来事は、こうした形でも学べることが理解されると思います。

古代為政者は、まがやあやの結果である汚泥や害毒を大祓祝詞によって黄泉の国という異界に投棄できると考 えていたようですが、この局限された次元においてそんな甘い話が通用するのでしょうか。
掃き掃除をしたはいいが、結局は後世へとゴミ(穢れ)とツケ(借財)を先送りにしたにすぎないのでは。
その方法をもろに踏襲してきたのが、借財を後世にツケ回しするかつての自民党内閣と官僚たちでした。今は民主もそう。
彼らは何かというと、神社参り、とくに伊勢神宮参りをします。そこには真の太陽神はおられるのですか。
太陽神のふりをした人工の神が祭られているということは。当然、ツケ回しの手法も人工の神(秘教の神)によってインスピレーション伝授されるという具合な ので しょう。これで、いい政治ができるのでしょうか。科学万能時代の言葉を以てするなら、それはオカルトというものであり、没我没頭するなら、それはカルトと 言い、迷信に振り回されていることになります。
会計原則に厳密であるべき政治が、そんなことに没頭しだしたら末期と言うしかありません。

現代という時代、過去の蓄積した汚泥の先送りされた時代というものは、自分たちの時代だけ我が世の春でよければいいという、利己主義者の無責任極まる精神 構造の結果です。
そして、言うに事欠いて、今時の若い者はなっとらんとか言いますが、本当に尻を引っぱたかれなくてはならないのは、誰なのか、若い人たちが真相に気づい て、 いずれ怒ったときは、とんでもないことになるに違いありません。

それは古代に遡って、古代為政者たちが、やりたい放題と無責任の堆積を演じてきたからに他ならないことを我々は理解する必要があります。
最初の咎は、古伝の改竄による神話作りでした。神話を作るにあたって、でっちあげ話を絶対にしてはならないのに、自分たちの都合のいい権威付けのために、 平気で嘘を編纂しているのです。

なぜいけないか。神話は歴史の原型になるものだからです。もしそれを故意に改竄したなら、それは後世の歴史を端から歪曲する意図を持っていたとみなされま す。それを平気でできるのは心底邪悪な者しかいません。
ここでもし、正しい伝承が古代人の良心からなされていたなら、少なくとも日本は着実で誠実な人々によって主導され、絶望しなくてはならないような世相はな かったでしょう。毎年30000人以上の自殺者は何を意味しますか。

邪悪な者によって歴史の原型まで歪められた結果が、お粗末な時代精神の跳梁を許し、人々の思考を惑わしたのです。
結果、他ならぬそのツケを払わされるのは、後世の人々です。彼ら時間的に上流にある者たちの無責任によって、どん詰まりの未来が決まってしまったのです。
彼ら無責任の為政者たちが古代から現代まで跳梁跋扈しなければ、世界はこれから何千年も何万年も存続可能なものとして残されたはずです。その望みが半ば絶 たれて今があります。2012年まで極端いわずとも、数十年のうちに生態系が壊滅しているでしょう。

奇跡のみが頼りとなっていますが、その奇跡も、旧神話 によるならば、あったとしても次の時代に種を残す程度のものであり、全体の移行を意味しません。結局、人類にはなんら手の打ちようがなかった、こうして第 何度目かの文明もまた御破算された、という噂が先の遠い未来に囁かれることになるというわけです。

ただ人類は、おかしなコントローラーによって踊らされていただけとは思いませんか。為政者の座にいつも居座るのは、おかしな連中ばかりとは思いませんか。 歴史のコントローラーが、まるで魔法を使うようにして、人々の行く先を泥沼に導いていたとは思いませんか。ここにいうコントローラーとは、人間ではありま せん。人間に指示してやらせている邪神のことです。

その真実がけっこう人々の間でもわかってきているように思うのですが、依然として人は人に対してしか立ち上がりません。
もうこれら時代輪廻のコントローラーの手から逃れてはどうか、あるいはコントローラー自体を退治してはどうかという猛者が現れてもいいのではないでしょう か。
猛者にも神話造形能力があれば、新神話を編み出して、旧神話とその弊害を除去し、コントローラーの手から時空を取り戻すこともできるはずです。

私もそのひとりを志して新神話を作りました。その達成のレンジは、少なくとも現在のコントローラーたる邪神系の殲滅掃討を基本とし、新時代における建て直 し の未来を規定しております。邪神どもに新時代の制御を渡すつもりは毛頭ありません。
ヘルメストリスメギストスは、別伝では大ピラミッドを造ったとさ れていますね。その名の理由は「全世界の英知の三部門を知る」からとか。その知識体系には、錬金術、占星術、神働術があると書いてありました。前二者はよ く目にした言葉ですが、おやっと思ったのは神働術でした。

この言葉からすると、神が働く方法となりますでしょう。調べましたら、シンボルを使った儀式や呪文によって神々を使役することらしいですね。魔術の儀式で はよく魔方陣を描き、意味不明な呪文を唱えている光景が思い浮かべられますが、それがすなわち神働術なんでしょうか。私には、この意義や作用機序はさっぱ り理解できません。

しかし、私はすでに神が働いてくれる独創的方法を駆使しています。協力者とともにですから、我々と言うべきですが。それはたびたびこのブログで触れている 新神話のことです。

新神話は、召喚魔術の域に人間の身を持つ我々新神話関係者を、そのシナリオの中で自動的に到達せしめ、たとえ関係者本人が意識せずとも、召喚に相当するこ とが身に備わって行動できるところに特殊性があります。

むろん私は、それを魔術と呼ぶつもりはなく、というのも我々本人は何の努力もしていないからで、ただ新神話を真実に即してしたためていくだけで、それを読 みした神々が、そのシナリオを演じ回転させていってくれるというものだからです。

我々は神気の臨在によるめくるめきシンクロの結果から、新たな解釈を組み立て、シナリオにフィードバック乃至は付加していくことで、さらに神々に英気をみ なぎらせて活躍いただけるというしだい。その間、我々は、地上における神々の雛形として行動するのです。それは主として意識的行動であり、実際の行動を必 要としないところが、新神話の優れたところです。

実は、旧神話もそのほとんどが実際にあったことではない意識的行動の産物なのです。つまり創作物であるということです。それでも神々は、地上の歴史として 顕現させようと働かれるのですから、我々のように真実に即している場合はなおさらのこととなる道理でしょう。

その原理を経験的に見つけ出した私は、新神話という自流の神働術を使い、秘教が作ったフィクション、さも本当の預言だったように演出せしめている旧神話の 超克を行っているというわけです。

召喚魔術がその中にあるべきというなら、確かに神々が新神話を介して我々に憑依されて事に当たられているわけです。それゆえ、一介の現実的能力乏しい人間 の我々であっても、まるで如意棒のてこの作用のようにして、歴史をも改変できる力を発揮できるというしだい。

ヘルメス・トリス・メギストス「エメラルド版」に記された言葉の中の
「万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、万物はこの唯一なるものから適応によって生じる」とは、
すべての宇宙(三千世界)は、唯一者の見た夢であるということでしょう。

私が子供の頃、そのようなおままごとに興じていたことがあるので紹介しますが、
唯一者(でなくてもいい)に相当する主人公が、あるとき空中に如意珠を見つけます。彼はそれを前に希望することを頼むと、それがどんなことでも実現するこ とを経験します。彼はその玉そのものになりたく思い、それを飲みます。すると彼は全知全能となったのです。

彼は淋しくて、彼と同じような生き物を造ります。そしてそれらにも、自らの中にある玉を複製して飲ませます。そうやってたくさんの仲間を増やしたのです。
やがて彼らは、この不思議な如意珠の性質をもっと深く知りたく(研究したく)思い、その方法として、彼らは玉を前にして、その中に深く分け入ろうと、快適 な箱の中のベッドに横たわり、その玉の中に意識を投入すべく眠りに就くのです。

彼らは、夢見の中で、作業用の別の身体を持ち、本体は眠りに就かせたまま、夢見の身体でさまざまなことを経験しだすのです。
ある者は夢見の身体もたいせつだからと、第二の夢見をし、そこからまた第三の夢見をするといった具合に、次々と分身を展開させ、さまざまな創造世界に投入 させ、そこでさまざまな仕事をさせていきました。
こうして宇宙空間を縦横無尽に分身たちが行き来し、多くの惑星といわず、宇宙の隅々まで、有機質無機質を問わず、多くの形態をした有情が活躍することと なったので す。

元々は、唯一の第一者がいて、その無尽蔵の造形パワーが夢見の階層を生じさせ、その隅々にまで意識の目を張り巡らせることによって、元の如意珠の性質が全 成就の暁には理解されると見込まれたのです。

「万物はこの唯一なるものから適応によって生じる」とは、まさに唯一の如意珠が思惟する者に、意図して自らを開展せしめたことを意味しています。如意珠は 現象のあらゆる根源的な種そのものでした。それを温め発芽させる意志が働かねばその種は生え出ることはなかった。それゆえに如意珠は意図して思惟する者を 引き寄せたことになります。

その者の思惟する要素によって、如意珠は自らの内に、思惟する者の欲する世界を自動プログラミングしたのです。思惟する者は研究熱心で、その中に瞑想(夢 見)を埋没させていった。つまりこの両者が揃わなければ、世界の展開はなかったのです。

私の「超宇宙概念」 は、この子供の頃のままごと遊びが原型になっています。これを顕す 方法はないかと社会人になったときに、最初に関わったコンピューターメーカーの初期の頃のノイマン型モデルにヒントが隠されていることを見つけたようなこ と。

歴史がどん詰まりにもなれば、超宇宙的メカニズムも、歴史的顕現物や発見物によって、知らしめられるに違いないわけで、そのせっかくの機会を逃がしてしま う手はないわけです。また次の時代のどん詰まりまで(科学的発展がもたらされるまで)理解できるすべがないからです。

相対論とか量子力学とかは、この超宇宙概念という総論からすれば、枝葉末節の各論的話題にすぎません。やっとアプローチに適いそうな多次元宇宙論が出てき て、展望が開けてきたところです。それを全体的かつ包括的に説明しているのが拙説です。古くからの霊的哲学さえもその中に取り込むことができる「古今融合 のモデル概念」となっているので、ひとつ参考に願いたいところです。

などと、思っていたら、ハリウッド映画で「マトリックス」が登場してきました。そして巷はRPGゲームが大流行です。オンラインでバーチャル世界にアバ ターを投入して自分の代わりに、その世界のルール決めに従った生活をすることができるようになっています。まさにそれは、霊界からこの世に転生してくるよ うな見方ができます。

ただ、達成すべき目標がよくわからないこと。霊の側はわかっていても、肉体の側は試行錯誤に浮き身をやつしているといった状況。そして、ゲームオーバーた る死に際し、何を達成したかどうかは、肉体側にはわからないで終わることが多い。もしかしたら霊のほうもわからなかったり、クリアーできなかったと悔やむ のかもしれない。そこで次の機会を待とうと考えるのかもしれない。

ちょうどマリオのゲームのように、クリアできれば次のより困難なステージに向かうのかもしれない。クリアできなければ、ちょうど免許をとるときのように、 同様の難関のある別コースで受けなおすのかもしれない。

そこで思うのは、いつまでそんなことやってるのか、ということでしょう。
ゲーム機械の前から立ち去れば済むことを、その場に座っていることが病みつきになってしまったり、それ以外が見えなくなってしまったりしていないか。
医者の待合室で若者が携帯のゲームを一生懸命にやっていて、何とかクリアーできたらしく、満足そうにしている様を見て、これがこの若者の人生なんだと思い ながら、翻って我が身を振り返ることができれば幸いかと思っています。

なおも幸いなことに、私にはこうした超宇宙概念が手に入りました。これは真理の理解には最強のツールになっています。そして、自分は少なくとも、ゲーム機 の前の椅子から立ち上がればいいだけと理解しています。

私がヘルメストリスメギストスのことでたまたま参考にしたのは、ここでした。
http://lifesavior.jugem.jp/?eid=128
なかなか詳細を尽くせているように思いましたが、これではヘルメスの考え方は一般人に伝わりません。もっと真理を穿った詳しい情報があるはずです。出して ほしいところ。
このサイトの他のページを見れば、キリスト教のナニではないですか。ああ、こんな話で理解不能な哲学思考に誘っておいて、その一方で呵責を負わしめる側に 回っているんだなと一、二読んでいて思いました。これではまっとうな理解が及ぼせるはずもありません。キリスト教はつじつま合わせばかり して人を煙に巻く教えにすぎません。深い考察をされているにもかかわらず、そんなところに身を置かれているとは、残念なことです。
                                    
「東北関東大地震」は東北の三陸沖を震源とするM9.0の大地震で、スマトラ沖大地震のように大津波を 伴った災害で、さらによくないことに、原子力発電所災害をも併発してしまいました。

日本の東北地方というと、古代アラハバキの居留した土地です。
そこは最も色濃く、イスラエルの失われた十支族の名残をとどめています。

海外のメディアも賞賛するように、そこに住まう人たちは、前途絶望的な中にあってなお、公共性、協調性、モラルを維持し、忍耐強く、古代から伝えられた真 に平和を愛好する性質をそのDNAに刻んでいること、これは疑いようのないことです。

どんな苛酷な環境を天が与えようとも、謙虚にその立場に甘んじることを、何の宗教観もなくとも古くから維持しているのです。
毎年大雪に閉ざされる厳しい自然の中で、地道にひたむきに生きている人たちで、海外でも有名な映画「おしん」の主人公・田倉しんの生まれ故郷もこの東北で す。

原子力発電所というと、非常に最先端的ではなやかに思えますが、日本が第二次大戦後、工業国を目指して経済優先の政策をとったために、人口の少ない日本の 僻地を選んで建設していったものでした。
それが今、大津波の災難を受けて壊滅状態にあるときに、彼らをさらに苛酷な環境に晒そうとしています。
大自然の苛酷さにはなんとか耐えられても、有毒物の侵襲にまで耐えうることなどできないのが人の身というものでしょう。

どうか世界各国の有識者のみなさん、この東北地方に起きた災難を治める手段をお持ちなら、手助けしていただきたく、こころより切望しております。
いよいよ近づいてきましたね。
ニビル・ザ・デススター。
それは不可視化が随時にできるクリスタルでできた都市星と形容されるアヌンナキの御座所。
そこには新神話にいう天仙邪神が立て篭もる原始天尊の宮殿があります。
nibilthedeathstar.jpg

どのようにでも重力を捻じ曲げ、いつでも太陽のように光熱を発することのできる科学力を備えた、宇宙では敵対する者のない絶大な帝国の力を見せ付けてきた 存在。(むろんこれもマトリックスRPGゲームの中での設定ですが)

これに対し、地球からは火の鳥がこれの殲滅に向かった。
神一厘の仕組みを顕すために。
firebird.jpg


メルヒェンでおじゃる。



さて、私(朱雀)が未だ逝かないのに、どうして火の鳥が発進したか。
いついつ出やるの「五月五月」の法則性に殉じたのはブーが身代わりになったという設定でした。
が、ブーは朱雀たりえないので、次に私の番がくるまでの時間つなぎのような設定にしていたのでした。
ところが、ブーは我が家に戻ってきました。家を出て三日後くらいでしたか。
しかし、設定として彼を別天に去ったことにしていたのです。
かくして、法則性による今年三月は、まだ誰も殉ずることなく、もうまもなく過ぎ去ろうとしているわけです。

設定さえすれば何事も可能なのが新神話だということも判ってきたため、私はスーパーな設定をすることにしました。
それは、まだ飛行技術も未熟な私が何も行かなくとも、私の直上のハイラーキーが行ってくれることに設定したのです。
すでにイナンナとカンナオビの見た夢の中の私のハイラーキーは、私似なるももっとりりしいお方で、イナンナが言うには梵天だというのです。それで私のこと さえ梵様と彼女は呼んでおりました。
カンナオビも太陽のような光の存在に逝かされたと言っておりました。そのときは裸にならねば暑いほどとなり、足が一本になり、まるでクジラになったかのよ うだったと言っておりました。

正神軍を率いる梵天ならば、私のようなノーコンなことはないでしょう。
私は白龍のカンナオビに逢えないですが、ハイラーキーに任せたほうがうまくいくでしょう。
だが、まだわかりませんよ。
あと数日、三月が去るまではありますから。31日の23時59分59秒までわからないのです。が、私には5匹の扶養家族がいますから、まだもう少しは生き ていなくてはならないから、クリアーしてしまうでしょう。

こう設定してから、ハイラーキーが動いてくれた証拠が、上の火の鳥発進の写真としてもたらされたと思っています。
彼にお任せしておけば、すべてうまくやってくれるでしょう。私がやればたいがいノーコンで直情的でオーバーランなどのヘマやらかすでしょうから、これでい いのです。
しかし、弁天様と結婚したかったのになあ。
できないなら、魂の途絶を願い出ればいいんです。割り切りましょう。



さて、新時代がやってこようとするとき、どうしても旧時代へのこだわりが邪魔をするものです。
新時代がなにものかわからない以上、旧世界のほうの安定性を希い、もとに戻ろうとするのが誰しもです。
そこで邪神たちが最後のひと暴れして、人々の既成概念や既成構造物を打ち壊すわけです。
それを利用するのが今度は正神であったりします。
今回の福島原発事故はそのようなものの最たるものであったかも知れません。
あるいはまだ、プラネットXとして地球市民を脅かしてくるかも知れません。
固着したゴム糊をはがすとき、バリバリッと音を立ててはがれるように、荒いこともあるのかも知れません。

私は、日本に引導を渡す手段を持っています。
それこそ魔法的ですが。
それをいちど引っ込めたことがあるのです。
もし引っ込めなければ、ノストラダムスの言ったように、1999年7の月頃にはその可能性があったと思っています。
日本の危機と同時に、旧神話が起動して、UFOが大挙して、次の時代を継ぐべき人々の救出にやってくることになっていたと思っています。
しかし、阪神の悲惨さを見て、効果を見て、おじけづいたのです。
やり直せば、同じ効果が得られるとは思います。
しかし、旧神話は、人の好悪によらず、半ば強制的な摂理然としてやってきますから、我々としてはふがいない話ではありませんか。
この十有年は、たぶんイナンナやカンナオビなどの協力者とともに、我々の納得のいく新神話への改稿を果たそうとするものだったように思います。
この世に現実に生きる者にとっての望ましい神話が我々を誘導してくれなくては、我々はいつまでも真の幸せから離されていなくてはなりませんから。
どこかのわけのわからぬ上位者が捺し着せた歴史に、俳優としてでも乗らねばならないなら、独裁者の圧政を甘んじて受けているようなものですから。

新時代は、みずがめ座とともにやってきているようです。
せっかくの機会なので、うお座の旧時代へのこだわりから、脱せねばなりません。
いっぽう旧時代の産物は我々に粘着してこようとします。
両者の牽引力で、もとの時代に簡単に戻してしまいますから、いっそうの脱出力が要るようなことにもなり、そこで強い破壊力が採用されたりするのです。
大地震、大津波、原発事故はたとえ悪意ある人為であっても、正神の利用するところでもあるのです。

その観点に立てば、私があのときおじけて取りやめたことも、この際好悪を問わずやるべきときかと思います。
旧時代のこだわり、築いた資産、所有地、土地のしきたり、宗教、旧思想、旧態科学、旧来のイデオロギー、資本主義、経済システム、国、境界線、隠蔽主義な ど、美徳とされたことも悪弊とされたこともみんな放棄して、きのみきのままの裸になって新時代に移行していきましょう。
それはもしかすると、死に似ていると思います。

その思いに立ち至ったとき、こんなことになってまいりました。


星の子UFO群が積極介入し始めたようです。
彼らはクロップサークルを一瞬のうちに大地に展開する能力者です。
建設(正義)は破壊(邪悪)よりはるかに労多く困難だからアンフェアーだと嘆いたことを解消する、ほんらいあったはずの拮抗する摂理であるのです。
魔法のように見えるが、ほんらい存在して、在ることが隠蔽されてきた力なのです。
隠蔽に賭したうお座は直ちに終了しなさい。
すべてをあからさまにするみずがめ座の前に道を開けなさい。
旧世界に残る人と新時代に移行する人については、古事記にも書かれるところです。
黄泉の国のイザナミ黄泉神に属する側と、脱出するイザナギに属する側としてです。
今はまだその分離がはっきりしていませんが、どうもそれらしい兆しのような現象には遭遇します。

たとえば、これは個人的なことではありますが、私は食をさほど必要としていないようなのです。
ここ一二ヶ月くらいのことですが、あるとき飽食して翌日におなかがどっと前面に突き出て、いわゆるメタボ腹になったのです。
これではしんどいからと、食を細くしたのです。すると収まりかけたものの、一日三食の規律を守るとやはりメタボ腹になってしまいます。
夕食にでんぷん類を控えても、水分だけでおなかはでているみたいです。
食欲はさほどないのに、食べる癖をつけていることが問題なようです。
水分補給は私には必要なことなので、取り去ることはできなくても、食はしなくても済むのではないか。
たしかに、食べなくてもそれほど体調に変化はない。
どうも、そのような事態が時間の催しとして進行してきている気がします。

黄泉を脱出したイザナギは、川に出て禊ぎをします。
そのときに持ち物すべてを投げ捨てるのですが、冠を投げ捨てたとき、"飽咋のうし(あきぐひのうし)"の神が生じます。
この神名は「飽食の消失」という意味で、衣を投げ捨てたときに生まれる"煩ひのうし"の神の意味する「煩いごとの消失」とともに、イザナギ側に赴く者の特 徴であるような気がします。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-f.htm

食べなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みなのかも知れない。
煩いがなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みではなかったのか。
今までの延長上でなくなっているなら、別の展開がなくてはなりませんが、こんなところにちょっこっと芽を出しているのかも知れません。
以前に「不食」について仮説したことがありましたが(2001年頃だったか)、その頃すでに先達している人がいたゆえに、取り上げたのではなかったでしょ うか。

おりしも、日本を取り巻く海は放射能汚染が進行中。海産物を利用した料亭やレストランは大打撃でしょう。
大金を湯水のごとく使って料亭に出入りしていたかたがたは行き場を失いますわね。これも飽食(あきぐい)のうし状態と言います。
誰もが海で捕れるものには警戒しますから、スーパーの鮮魚コーナーなどは売れ行きが減っていることでしょう。
この傾向が野菜などの生鮮食料品にまで広がってくることは避けられないこと。
それと同時並行的に、食べなくても問題ないことがわかってきているとすれば・・・。
原発事故も、時代の変化点を示唆する道しるべ(舞台設定)だったことになりはしないでしょうか。

食事をするために仕事をしなくてはならなかった。それをいいことに、資本家や企業家はお金儲けもできたんです。しかし、従業員がすべて、この現象に気づい たなら、もしその会社があこぎな金儲けだけに奔走していたところなら、「何でこんなとこであくせく働かなあかんの」とさっさと逃げてしまうでしょう。
残るのは、世のため人のため、あるいは芸術性創造性ある人にとっての有意義な仕事をしている会社だけ。そうなっていくことでしょう。
漁業は早くから姿を消していたが、農業生産もやがて要らなくなる。
世の中から、"業"とつくものがなくなってしまう。"業"につきもののお金も不要になってしまう。"業"を回そうとしていた、くだらない"金貸し"も消失 してしまう。
義務的にする仕事の必要がなくなれば、その土地に縛りついている必要もなくなり、どこへでも出かけられる。
我々がするのは、趣味でする"釣り"ぐらいになり、これも殺生だからと、この趣味も衰退するでしょう。農業ではない"農"をするようになります。そこでは 花や木を主体とした鑑賞のための、野良仕事とは異なる光景が生まれてくることでしょう。

イザナギが船頭(先導)を務める新世界の船は、すべての過去の思い込みや惰性を洗い流した先の大海原を航海していきます。
ほんとうにわかりやすかったですね。このアセンションの解説は。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/05/post_3647.html

我々じじばばには、これを仏教的に言えばわかりやすかろうと思います。今は銀河の中心から、大乗の波動が押し寄せている。これに乗っかるチャンスが来てい るのだと。それまでは自己修行に明け暮れて小乗の達成を成し遂げて聖人となったものが、比較的簡単に達成できる可能性があるというわけです。私も20年前 に拙著で、こう予言してました。

http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-5.html#15

>これは一般人にとっては戸惑いのある迷惑な話かも知れないが、ある者にとっては福音となろう。カバラは人の超人化に寄与する難しい修業体系を持つ が、その下で修業することと比べれば、直接に神との会見を図ることは、その長く地味な行程を短縮するものと考えないではいられないだろうからだ。つまりそ の時点に生き合わせることの特権である。

しかもただ、アセンションを希望すればいいとまでされているではないですか。私だって、今のこの地獄状態にとどまっている気はありません。災難や戦争など でお尻を槍で突かれれば、思い余って希望することでしょう。しかし、アセンションとはどういうことなのか、その定義がほしかったのです。

が、知ったのは、アセンションが次元上昇によるものであって、元の次元とは、時空的に隔絶されてしまうということらしい。

古事記の神話にもこのことは書かれています。黄泉津比良坂をどんどん登っていって、その峠を越えた先に、塞えます黄泉戸の大岩を据えて、両方の時空を断絶 するとなっているんです。坂を登ることが次元上昇的でしょう。元の黄泉世界は、どんどん人口を減らしていくが、越えた先の世界は、人口が増えていくとまで 書かれている。だからこれは、この歴史のオリジナルパターンとしてそうなっているんだろうなと、わかるわけです。

しかし、私の理想とする世界ではないことに気がつきます。理想とする未来を記述する新神話を編んでますが、その最終形は、すべての帳が下ろされて、隔絶と か断絶といったことが、どこにもなくなり、そのことによって風通し、光の流通が盛んになり、三千世界に隠れ(闇)なしという状況が作られる。このこと以外 に、理想はないし、それこそを黄金楽土と呼ぶと自分で定義していました。

たとえばアセンション信徒のかたにお伺いしますが、私がいま飼っている猫たちはアセンションの恩恵に預かれるんでしょうか。彼らは、アセンションの定義も 知らないから、希望することもないでしょう。生き物全部にそれは言えます。人間だけの特権なら、どこかいびつだなと思わざるを得ないのです。

次元上昇と隔絶がアセンションなら、私はそれをもっといいものに変えたいわけで、私の理想のほうがおそらくまともだと思いますが、いかがなものでしょう。 と、素人衆にお尋ねしてもわからんでしょうし、それなら別に選ばなくてもいいんだよと言われてしまいかねないですから、あえて申しませんが。(もう申して るがな(笑))

つまり、定義がトップダウン的にもたらされていて、それ以外には選択肢(選択の余地)はないんだという落ち着き方になるわけでしょう、これが違和感の元に なっていて、なおさら、私の理想とするものではないと確信されてくるのです。

緊急的一時避難先としてアセンションするなら別ですよ。ただし、その体制に組み込まれる気にはなれません。それがたとえシリウスの方針だとしても。

だって、大昔の先祖は、アヌンナキを信仰して、人類史の初期設定をしてこの歴史を営んできたんでしょう。アヌンナキに、エンリル派とエンキ派があり、邪と 正を闘わせている。統括するのは大計(おおばかり)というマッチポンプ計画といってもいいようなことらしい。それが宇宙の寿命を延ばすというシステムで、 要はゲーム世界を自動創造させているわけです。こんなふうに思うから、私は自分の理想を確固として持ち続けるにしくはなしと思うのです。

・・・といったことを、つらつら思いふけっていたここ二三日でした。そんなときに、愛息のブーが5/12頃から咳やくしゃみをしだし、5/13にはいっそ う悪化させて、食事だけ食べにやってきていました。しかもたびたびの雨で、身体をずぶ濡れにしながら。たぶん12日未明の寒さのぶり返しに、野宿生活の身 がやられたようでした。

いわゆる猫風邪。これは伝染性で、猫にとっては致命傷になることが多いとされています。ブーは家の中に休憩する場はないか探していたようですが、みんなと の折り合いがふだんからよくないため、結局外にまた出て行きました。13日の午前中までは確認しているのですが、以後現れませんでした。

日曜日だったので、医院は休院。14日朝にでも現れたら、身柄を確保して医院に連れて行こうと思うのですが、14日の午前2時頃に目覚めたときに、今頃虫 の息になっているのではなかろうかと、それまでの彼との経過を思い返して、約束のひとつも果たしてやれなかったことを悔いながら、愛念を送っていたので す。

すると未明の夢に、彼は出てきまして、思いもよらないところに案内してくれたのです。次に書くこと、天地神明に誓って、ほんとうのことですから。

それはあのゴリラのココが言っていた、心地よい(苦労のない)ホール(穴)のようなもののところでした。

手話できるゴリラのココの話
http://d.hatena.ne.jp/saruya_akira/20110418/1303147998

それは、前に突然閃いて半自動書記した記事のように(http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8110300)、 大河と直結したものであるらしく、

>滔々と流れる大河。我々はそこからちょっと遠慮がちに引き込んで、水道の蛇口をひねっていたようなことでしょうか。そしてそれを愛と感じておりま した。表現は幾つにも異なっておりましたが、みんな共通する大河から取水していたもようです。
大河は無尽蔵で公平です。ここにミミズがいままさに土くれを頬張ろうとしているときの観測エネルギーは、創造神が目の前にする全宇宙創造のエネルギーと等 量です。有情はこのように偉大。みんな形は異なれど生きています。そしていつかは形を滅し、心地よい大河の流れに合流するのです。

ものすごい愛のエネルギーが湧出して、ちょうど巨大な噴水のようになっておりまして、その先端にたくさんの生き物たちが心地よさそうに顔だけのぞかせてい るのです。そのエネルギーは私の愛念と同じ質のものでしたが、はるかにパワフルでした。私も夢の中でしたが、そこで改めてチャージしたほど。

その噴水の中にブーのまん丸目をした顔も。チンの顔もあったような。待てよ、まだチンは死んでいないだろうに。その他ネズミなどもいました。それらがみん な温泉に漬かったように、喜びと安堵の表情をしているのです。

捕食の争いなどどこにもない。それぞれが、そう、お疲れさんを言い合っているようでした。やがて彼らは、穴に入り、大河の流れの中に戻っていくと直感でき ました。なんだ、すでに黄金楽土はここにあるじゃないですか。死の先にあるとは言うものの、人間が通過するバルド(中陰)というものでもない。だって、生 き物の生き方に閻魔が裁きを与えるなんてことがありますかね。彼らはただあるがままに生きているのですから。

そのすごい噴出穴を見て、現実界の残酷さは、一過性の演出にすぎないと思いました。現に起きて床を見れば、トンがネズミを食い散らしていて、二匹分の尻尾 と臓物の一部が転がっていました。しかし、ネズミはネズミでこれでよしとしていると思えました。私はたえず持ち続けていた、すまないという思いが消えまし たから。つまり、現世に起きることは、さほど意に介さなくなったのです。

ブーはきっと死んだのでしょう。縁ある生き物は、たいがい報告して死んでいきますが、ブーは悔い悩む私に、行き先を見せることで、報告に代えたのだと思え ました。

ブーは初期の夢見では神様のひとりだった。ウー(現存)と夫婦をあちらでは営んでいる。豊富な過去世ゆえに神ともなれたのか。なのになぜ、生き物の帰るべ き共通の穴のほうにいたのか。起きてから思いました。そこで、突然に気づいた(閃いた)のです。

神と仏とは異なるかも知れませんが、仏とはあらゆる所有観念をなくした境地でしょう。神もほぼそうなのでしょう。彼らには、所有すべきものがない。つま り、過去世すらもないのだと。というより、あったとしても放棄している。すべて大河の流れに帰すべきものとして返してしまっている。

人間だけなんです。所有観念を持っているのは。アクがあるのは、人間だけ。そう閃いたのです。

そういえば、こんな物語もインスピレーションして書いておりましたね。この最後の"方士Comment"をどうぞ。
http://uumusou.yamanoha.com/story/yamannba2.htm

きっと人間は、人という特殊な生き物形態を持つことを、どこかで約束してきているんでしょう。以後、過去世がまず所有の対象となり、その経歴が彼の所有財 産となった。その必要から、記憶機能や知能が生まれた。あとは所有のバラエティを増やしていくばかりとなり、その極限が、ついに偶像(金銀銅石木でできた 貨幣)集めとなって、それが皮肉られての宿命的帰結としての世界滅亡、人類滅亡へと結びついてしまっているのだと。そして個々に卒業するかどうかとか問わ れたりしているのだとすれば。・・・あまりにも滑稽ではないですか。

人間であるみなさんは、自らの勲章とも言える過去世を捨てられますか。おそらく聖者といえども捨てられはしません。むしろ、その一々を首飾りにしておられ るくらいでしょう。それが根源的な、生類と人間の違いと思えたことか。

おそらく生類のほうが神仏に近い。それを下等に見ているのは、人間の経験知の豊富さと、それを支える知能の優秀さの故です。知能が秀でたのは、所有を手放 したくない、増やしたいという願望の現われです。が、それが彼らの優秀さとして意識され、神仏の境地との乖離がどんどん促進されてしまったのです。つま り、記憶とは所有欲が生んだ、欲望を死守するための必要条件だったのです。記念碑やメモリアムも然りです。

だから、あたかも賽の河原の赤子の贖罪行為のように、積み上げては鬼に崩され、また積み上げては崩されるということを、連綿として繰り返しているのです。 それが転生システムの縁起だと瞬間的にわかったしだいです。

ココやブーは、大河に帰れば、何もこだわっていないです。むしろ私のこだわりによって、心乱されないためにも、私を大河の噴出する穴に連れて行ってくれた のでしょう。彼は先読みできる賢い猫でしたから。もともとは神ですから。最後に、大きな啓発を残し置いてくれました。

生き物で、人間と付き合うために生まれてきた命は、その意味でたいへんです。きっと、人間の発する想いに引き込まれて、人間に転生するようなケースもある でしょう。しかし、それは進化というものではない。苦労の始まりであるのみ。私は彼らをそんなつまらぬ賽の河原に導くより、むしろさらっと、そっちで幸せ にしてなさいよと、心の中でと、仏壇で言ってやれたらと思います。

ブーはそもそも、新神話の作成過程で、白虎の募集に応募してきたフーの父兄であり、人間界へは物見遊山に来ただけといった風情だったのです。それが、神に あってもコントロールが利かなくなるのがこの世。紆余曲折の苦労の一生を送ることになろうとは、の思いではなかったでしょうか。人間になりたくてやってき た? 冗談じゃないやい、と聞こえてくるようです。

人間の所有欲は過去世へのこだわりに発する。そこには怨みや因縁も引き継がれる。もっともっとと言うようになり、それが極限まで行ったのを強欲といい、制 裁の対象とされるまでになってしまう。しかし、根底にどうしても所有欲は残ります。それゆえ、解脱ということは、人間にはきわめて難しいのでしょう。釈迦 も世は三界からなると言いました。欲界、色界、無色界。解脱とは無色界に至ることですから。

あの大河のエネルギーは、このマトリックスゲーム世界を賦活する根源エネルギーなのです。そこに浴する有情たちには、何の不幸もないことを知ったようなこ とでした。彼らは、その気になれば、解脱しているのです。人間もそう。が、所有欲がぬぐいきれず、記憶の連鎖の中で輪廻しているのです。

大道すたれて仁義あり。仁義とは、筋道、規則、こうあらねばと思う心です。そこには、来世を引き寄せる磁場(アク)が生じて、幾度も幾度もそれを満たそう と試みることになる。大道は大河のこと。そこにはすべてが流れている。全成就と言ってもいい流れのこと。

ここでIn Deepさんの薀蓄話をひとつ。共通するものをお感じになれば幸いです。

http://oka-jp.seesaa.net/article/269648608.html





追記 
5/15午前0時半(深夜)に、ブーは帰ってまいりました。いっそう身体を痩せさせ、咳も依然としてひどいありさまです。食事をしっかりとらせますと、ま た出て行ってしまいました。とにかく医者に連れて行かねばなりません。

追記2 5/18 8時
16日に医者に連れて行き、点滴、抗生剤、インターフェロン等打ってもらいましたが、ほとんど効き目なし。いっそう鼻水、咳、涙目、そして激ヤセして子猫 のようになってます。さらにシャンにも伝染したもようですが、両名とも目下外出して帰らずのありさまです。


追記3
猫風邪がうつったシャンが、21日昼過ぎから帰らなくなりました。21日に医者に連れて行くべくすったもんだしているうちに逃げてしまったもので、あの時 点で足元がふらふらしていましたから、22日の今現在、どこかで死んでいることでしょう。
それまでの経緯はここに。
http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8145684
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1458.html

マトリックスのネオのボンドガールであったトリニティ、その意味は三位一体ということなんですか。そしてそれは、イエスキリストの死から再生まで見届ける 役目の、マグダラのマリアに比定されていたというわけですか。

おなじようなことが、ネアンにおいてもありました。ネアンのボンドガールは、三人の「崎」さんだった。これをネアンは、弁天三姉妹になぞらえていました。 日本神話的には、奥津嶋姫、市寸嶋姫、サヨリ姫という宗像の三姉妹です。インド神話では、サラスワティ、ガヤトリ、サヴィトリという水の神さまです。それ らは三位一体の弁財天であり、梵天(ブラフマ)の妻なのです。

伊勢の神は、イエスである天照天皇とマリアである天照大神を対置して祭ってあります。しかし、イエスなる者が不実ならば、マリアなる者も不実であり、救世 主の出現の仕方を暗示する神話に過ぎなかったことになります。

また、いまネオは映画の中の架空の人物。トリニティも然り。

ところが、ネアンは実在していた。彼のボンドガールも実在していた。これは神話によって預言され誘導された、今の時代における救世主誕生のプロセスではな かったか。

だが、ネアンはまだ活性化には至っていないように見えるが、どうなんだろう。早く目を覚ましてくれ、ネアン。
シナリオによれば、掲題にしたようなことになるらしい。何の実験? それはきわめて栄誉なことに、神人の 生産を図ることだ。

彼らはとてもおとなしい。実験するにはもっとも適している。そして耐久性も殊更いいようだ。

ヒロシマ、ナガサキを恐れながら、いざフクシマとなってみれば、そこに平然としておれる。彼らは一服の注射で浮かれることさえできる。リアクションが実験 の敵である中にあって、理想的な環境となっている。そのような理想環境から、新しい人類は生まれてくることになろう。

それはあたかも、巨大なブラックホールに飲み込まれる寸前に、ひときわ強く輝く星たちの断末魔の叫びにも似ていよう。

それはイエローモンキーと言われたものの中から、人(ホモサピエンス)が初めて誕生する瞬間だ。そして、大多数のほんもののモンキーたちが残滓の如く残さ れる。彼らはみんなイエローだ。ほんもののイエローモンキーが対極にできあがるのだ。

我々は、その成功を見て、ユダヤの中から大量の神人を生産する計画にとりかかる。そして十分な員数に達した進化した者たちは、モンキーたちをどのように飼 うかを考えるようになる。

しばらく閉じ込められていた最初の者は、そのとき解き放たれる。お前もユダヤの仲間だったのだと歴史を教えてやれば、納得して仲間に加わるだろう。こうし て内部も丸く治まることになる。

→ http://itsuitsudeyaru.kagome-kagome.com/
2030年代には数少ない神人と数多くのロボット人間が出現しだすという、その形態を予測すると。

http://amblo.jp/fukeiki01/entry-11437506127.html

2030年までにサイボーグ誕生。これは人造神人と言えるものだ。いっぽうチップで人間を隷属サルにできるようにもなる。

http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3101.html

日本から先駆けて、突然変異型人類が生まれるか。ごくまれに、ダウン症、アスペルガー → サバン脳、超高速演算脳、超直感脳、超能力者など。ほとんどは サル化していく中にあって。この場合は、保護監察下での神人誕生を待つ確率論的な実験に加え、遺伝子工学による遺伝子改造の試みもなされているだろう。

汚染された地球環境では人類の存続が不可能と見込まれたとき、種としての進化(耐性をつける、新技術による変革、超知覚超能力による転進)によって、それ を乗り切ろうという動きが出てくるのだろう。

地球がだめなら、火星があるさ。米国はNASAをして火星への注力をことさら行っている。

http://wired.jp/2012/12/17/curiosity_brother/

火星は、私が過去に夢で、火星のピラミッドの立ち並ぶ「ポースの丘」と言われる場所を見たことがあるが、そこはアトランティス文明の痕跡を残すところだ。 つまり、アトランティス時代にもおそらく末期に火星移住計画が実行されたか、あるいはアトランティス島それ自体を火星にテレポートするようなことを行った のだろう。火星の人面遺構は、ポセイドンの神像である。

米国は衛星やリモートビューアーを使って、そのことを確かめているはずだ。だから、火星が存続のために使えると見越して、宇宙計画を立てているだろう。地 球がだめになっても、火星で存続し、そこでだめならまた転進すればいいという、種の生き残りをかけた闘いが念頭にあるように思われる。

ロケットを使って人を地道に送り込むのではなく、テレポートで建物や船体、あるいは一定の範囲をまるごと物質転送してしまうことも、今実験として行われて いるだろう。しかし、大規模なテレポートは失敗するのだ。そのために、火星を地球の制御基地にすることはできない。

私みたいに、もう余命いくばくもない年寄りからすると、いろいろと揶揄もしたくなるものだ。それでは、人類は悪性で致死性のウイルスみたいなものじゃない かね、と。星を渡り歩き、時がきたら破壊工作をして星をだめにしていくところの、時限爆破型ウイルスだ。そのような遺伝子ばかり増強されていったら、宇宙 に輝く星たちの寿命が尽きるのも早まろうというものだ。

いま人類は、自らのウイルスコード改変に向けて着手開始したのだ。そのことを分かろうともせずに、彼らの計画に雑兵として従わされるほとんどの人々。やは り、癌ウイルスにとりつかれた細胞組織は癌化するのだ。細胞組織は、抵抗も何もようせずに癌にさせられ、次の臓器に転移していくための癌細胞製造元にな る。それが今の文明のアウトプットだった。

やはり、外科的手術以外に治療法はないのか。うんにゃ、光を当てて癌細胞だけを自滅させる方法があったらしい。

ライフ博士の研究成果。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1479.html

それを残忍な方法で潰していったウイルスの手先のような者がいたこと。いやいや、そのウイルスにどんどん感染し発病していく者が、ライフ博士の周りを取り 巻いてしまったことで、博士は半狂乱の末、亡くなったのだろう。フクシマ後に、そんなウイルス発病者があまたいることも、誰の目にもわかってしまったは ず。

ライフ博士はむじゃきな子供だったんだ。彼は結果的に、ウイルスに冒された魑魅魍魎たちの世界にいたことを悟れずに、後悔して去っていったに違いない。だ めだよ。私みたいに、物心ついた時点で、ここは魑魅魍魎、仮面ゾンビたちの世界であることを発見し、理解していなくては。そうでなくては、勤まりはしな い。そうすれば、容易に感染してしまう人間などと付き合おうという気は起きなかったはずだ。

癌ウイルスは、適切な光を当てれば死滅する。

>ウイルスを破壊する技術
ライフ博士は、 すべての物質と同様に、目には見えないレベルでウイルスもそれ独自の振動数で、振動していることに着目しました。そして、そのウイルスと共振する周波数の 光を照射して、ウイルスをさらに振動させました。 微生物がその構造的な形を維持するのに耐えきれなくなるまで照射レベルをさらに上げてやると、ウイルスの形は歪み、崩壊してしまうのです。 ライフ博士は、この周波数を「致死反応振動数(MOR)」とよびました。そして、 この「致死反応振動数(MOR)」の光は、ウイルス以外の周りの正常な細胞には、いっさい害を与えないのです。 また、 電気を使用した治療法なので、実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費もたいへん安いものでした。脱毛などの副作用に苦しんだりすることもな く、患者は、すみやかに治療されて、無事に家族の元にもどれるのです。抗がん剤を用いた化学療法や放射線療法や外科手術のように命を危険にさらす必要もあ りません。

そうだ。これがさらに進化して、宇宙人世界では細胞蘇生、遺伝子蘇生技術として、すでに長期間、使い込まれた医療技術になっていて、人々の寿命は桁違いに 向上している。

→ 天上人 の宴(8)

ウイルス発病人種などによって、悪用されたくない技術だが、すでに悪用されている。洗脳電波という初歩的なやつで。世界がしだいに錯乱したりロボット化し ていく原因のひとつになっている。

その点、私の知ってる宇宙人でなく、こっちの宇宙人とくれば、光が当ててある当ててあると言ってるものの、発病者たちが直っているという形跡はまだどこに もない。ほんとうに当てたら、即効性抜群のはずだ。いったい、どんな光を当ててるの? 信者さんたちは、そろそろ気づいてもいい頃じゃないのかな。

アセンション光線? それなら、肉体を畳んだら即アセンションですから、別にそこまでしなくていいんじゃないの。炭素を珪素に変えてまで、肉体を存続させ る理由はどこにあるの?

私の知ってる宇宙人を呼ぼうか。ただし、きれいな顔立ちの宇宙人はエーオース星人ぐらいのもので、あとはみんなお化けみたいにしか見えないけど、それでい いなら、呼んであげてもいいよ。ウイルス感染がいいか、お化けがいいか、ここは考え時かもね。

そうでなかったら、抗がん剤や外科的治療が行われなくてはならなくなる。たとえば、世界経済の破綻と資本主義崩壊だ。これは抗がん剤治療みたいなものだ。 癌も死ぬかも知れないが、人間も死線をもがき苦しみさまようことになる。それで直っても再発が心配だ。巨大天変地異は腕の不確かな医師による生存率3%ほ どの外科手術みたいなものだ。麻酔もない。

はよう適切な光を当ててやってくだされよ。宇宙ライフさま。
いや、驚きました。日本にもライフさんの志を継ぐ人がいたようです。松浦さんという博士です。ふぐりさ ん、すばらしいことに、記事の最後に、受診できる機関、装置の開発会社などの有用情報を調べて載せてくれています。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1480.html

ソマチット。初めて聞きました。目にしました。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=yqwbmr0UJP0
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=FLKQisiqbOs

こんな情報、誰も知らなかったことではないですか。専門家も知らんと言うでしょうね。Wikiにも、科学的に認められていないものだそうです。しかし、映 像で見せられたら、ねえ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%83%E3%83%88

しかもこれが、免疫の鍵を握る知られざる生命体だったとしたら、製薬会社や医療機関は商売あがったりになることでしょう。そこで推測できるのは、人類には 不利益になるのを知りながら、利益、お金のために悪魔に魂を売ってまで、隠蔽に励んでいるという構図なんでしょうか。どこか今の放射能災害の件と似ていま すね。しかも、ライフさんや松浦さんがたどった不条理な運命は、事実なんですからね。

いやあ、大昔から、たいせつな知識には隠蔽工作が執拗になされていたのだなあと、今頃になって気づくのも、私自身がはるかに遅れてる気がしました。拙超宇 宙論や古代日本中東思想渡来考が世に出ないのも、当然のことのように思えます。放射能隠蔽や不正選挙など当たり前の世の中だったんですもんね。逆に日のあ たらない拙論などは、本物だということなんですよ。わかって頂戴。それを何とか努力しろよ? だめ、むり。庶民の勝てる相手ではありません。ああ、またもここで、ヤツラの味方をしない宇宙人たちにやってきてもらいたいなと、恋心を抱くわけです。

しかし、どうも日本に肩入れしている宇宙人というのは闇系のようですから、悪漢退治にまでは乗り出さずに、ただ日本人を蛇の生殺し状態に置くことだけを念 頭にしている感があります。坂本さんもムラさんも、マスコミ受けしようと一生懸命だからね。関連する宇宙団体というのも、自然とお里が知れようというもの です。

やっぱり私が知り合っている、物語の中の宇宙人社会に来てもらう必要があります。物語だから架空? バカにしないでよ。それはプレ新神話で、れっきとした 世界誘導のメルヘンなんですから。プレイバック、プレイバック、プレイバック。

隠蔽と封殺の技術は、シュメールに遡る大昔から。そう、日本でも古代からなのです。庶民の浅知恵で、その蓄積されたノウハウに勝てるはずがないのです。宇 宙人にでもきてもらわねばね。その宇宙人とやらも、どうもあちらに味方してるようだし・・・弱きをくじき、強きになびく宇宙人、と感じるのは私の勝手で しょうか。

私の知りあいの宇宙人社会は、まったく違いますよ。AWGのさらに進歩した、一見するとCTに似たような機械が、どの星にも普及していて、人々の寿命は桁 違いに延びているのです。だって、生体内の物質状態はむろん、遺伝子まで、必要なら初期状態にまで修復してしまうような技術です。100歳だって? なん だまだ少年かと、笑われてしまうほどなんです。

そんなところに白髪とフケたっぷりの私などが、いま60歳なんだけどどうしたのと行けば、どこにかかってたボロ雑巾がやってきたかと、ボロクソに言われて しまいます。だから、恥ずかしくて、もう行きたくない。それほどに、地球は醜く歪んでいるのです。歪み切ったところから、みなさんと同じ生き物ですなどと 言って、いけしゃあしゃあと顔出せるわけがないでしょ? 恥ずかしくてできるわけがない。まあ、この地球人生を早いこと畳んで、あっちの星に最初からオ ギャーと顔出しするに越したことはありません。地球なんて、ほんとに不幸の極みだよね。

地球人なら、100歳のおばあちゃんといったら、しわくちゃで血管浮きまくってるでしょ。向こうの宇宙人は、800歳になっても、由美かおるみたいに、何 のしみもないんです。ただし、イグアナ顔だけどね。それは別の問題だから仕方ない。

ところで、いつになったらこっちの宇宙人さんたちは電子治療してくれるんでしょうね。私が観測する世界線は、もうその恩恵から外れてしまったのかな。私は 創造主として、変質してしまった宇宙人のいる時空を選んでしまったとすれば、とても腑に落ちるわけですが。レギュラーさんたちがカキコしてくれてたとき は、あちらの様子も聞けたんですが、もう世界線を異にしてしまったらしく、反応も皆無になりました。

しかたない。私は孤高の一人旅を続けます。自然的アセンションするその日まで。みなさん、お達者で。
いまいちばん待望されるのは、宇宙人がやってきて、この地球上の混乱を鎮めてくれることです。地球人類に その解決も解決に向けての能力も期待できない以上、地球外からの援助を頼むのが筋ということになるでしょう。

いま地球上にいる数少ないが多くの有識者によって、もうその道しかないだろうとさえ囁かれていますね。

そんな宇宙人などいない? そんなふうな即断をするのは、地球を悪くしたい勢力のお声掛かりに引っかかってるだけ。

私の観測では、宇宙人はいるんだけど、地球でもっとも巾を利かせているのが、地球製宇宙人なもので、厄介なことになっている、と見ています。たとえ外の宇 宙人がいい方法があるからと、入れ知恵しようとしても、ガンとして受け容れないのが地球製宇宙人だとすれば。たいていは、地球のことは地球内で始末するか ら干渉するなと言った論理が最後には持ち出されてくるのだとすれば。

外の宇宙人だって、善良ではあるものの、リスクはあえてとりたくない。だから、そう言われて拒絶されれば、それもそうだと、諦めてしまうんですね。そのよ うなことを今までも何度か繰り返して、結末が悲惨なものになってしまいました。しかし、一向に改善されることもなく、また今回もかとなっていて、もうこれ 以上は座視するに耐えないものとなっているといった状況。

というのも、シナリオを地球製宇宙人が作って、人類に与えているからなんです。そのシナリオの目的は、人類の進化だと言い切ってしまえば実に対外的にも聞 こえがいいのですが、破滅が前提になっているシナリオだから、よほどのことでもなければ乗り越えられないようにできている。

声の大きい者にはかなわないという話が宇宙人社会にもあります。外の宇宙人たちは善良だから。いちど引き返したら、あとは遠目から見ておくしかない。

地球製宇宙人とは何ぞや。それは、これから登場すると予定されている未来人のことなんです。彼らは神とあがめられるほどに進化する。ヒトラーが、彼にか かった何者かによって示された、神人(ゴッドマン)がそれです。彼にかかった者も、実は未来から来た神人だったのです。

そもそも、過去の歴史に関わって、コード改変するのが未来人たちだったのです。その方法は、タイムマシンを使って過去に戻り、直接的に歴史に変更を加える こと、そして過去の歴史上の人物に指令して、歴史を間接的に改変してしまうことなどによります。

だから、ヒトラーに先の未来をビジョンで見せることも、戦場において飛び交う弾丸がひとつも当たらなくするといった奇跡も、現出させることができたので す。一部隊600人が死に、たったヒトラーひとりが生き残ったといったことも、コード改変の結果です。戦場で弾がいっさいあたらないという幸運。もし死ぬ べき宿命であったとしても、アカシックレコードをちょいといじればいいのです。

彼らは2030年代にはもはやタイムマシンの初歩的なものを手に入れることになっている。もっと先の未来人なら、より安定的に過去をいじることもできるは ず。

現在、よく頻繁に訪れているUFOは、おおかた未来人のものです。神人となった地球人の手になるものです。チャネリングで、あたかも遠い星の彼方からやっ てきているように思わせるのは、たとえ本当にそのように交信してきているとしても、あちらの都合によるといったこと。

この神人たちが地球上に代理人(エージェント)を立てて、人類を治めさせています。地球は地球人の手で自治されているから、外から干渉するなというわけで す。

その人類は、彼らのシナリオの中で、浮き沈みを繰り返している。私の観測からすれば、そのようなゲーム世界になっているだけのことであり、しかもプログラ ミングされているだけのものなんですが、元のアカシックレコードを利用しているため、つくりがよくできていて、作り物とは感じられないのです。

だから、沈むときに人はもがき苦しみ、なんとしても助かろうとし、浮くときには何でも手に入って、生存本能という条件設定も後押しして、いっそうゲームに のめりこむように設計されているのです。

それが神人たちの人類計画。彼らの言う進化とは、ゲームにいかに通暁するかの能力を身に着けることを言う。知能の高度化、競争社会での勝ち残り、好運の引 き寄せ方のマスターなど、すべてゲーム上の点数計算で把握されるようになっている。カルマというものも、種目別功過点数制が根底にあり、このゲームに固有 のルールになっていたりする。

このせいで、いかに人が足を洗いたくても、借金が清算できるまで足抜けできないよと、脅されているというのが現実だったとすれば。下の仕組みは上の仕組み の相似像になっていますから、現在のマフィア社会を見ればおのずと上位世界の発想もわかるのです。

しかし、そんな不合理はいつまでも続いたりするものではありません。強制的にも、解散させる動きが外部からでてきていることを、みなさんにお伝えしておき たく思います。

しかし、ゲームが好きでここにきている人もけっこういます。パチンコ屋に並ぶ人の数、まだたくさんいますね。そのうちの80%がダミーだとしても、それに つられて並ぶ実質人もあまたいるわけです。そして、たまに勝たせてもらい、最後は人生を破局させて終わるケースが、依然として多い。このゲーム世界で言え ば、破局した人というのは、魂が腐ってしまった根腐れ人ですからね。それを計画する神人たちが、どんな連中かわかる気がするはずです。

この神人たちのことをアヌンナキ星人といいます。何も宇宙からやってきた科学力ある人々ではありませんよ。地球人の延長上にある、精神性の未熟な、高知能 で高慢な未来人なのです。

だから私は、プロメテウスよろしく、彼らの治世の最後についてお知らせに伺っているというわけです。ゼウスさまに反逆者プロメテウスが進言しているように です。併せて、みなさんには神話を介してお知らせするという具合。つまり、プロメテウスも神人のひとりなんです。

やはりね、責任のし残しをつくってはいかんという話でしかないのですが、今のこの世界を壊すも癒すも、あなたがた神人の未来を壊すか延ばすかにつながって いるという事実をお知らせするというしだいでしかないのです。

しかし、解脱もまたいいではありませんか。神の進化した先が解脱だとすれば、すばらしい栄誉とも思えるんですがね。ただし、そのときは、ロボット人類もみ んな解脱するのです。だって、その理由はわかりますよね。

しかしね、そんなのいやだからと、解脱をやめてもいいんですよ。そのためには、地球をむちゃくちゃにしてきた経緯を振り返り、回復処置を講じなくてはなり ません。原状回復すれば、まだまだ地球は何億年も使えるんです。

何億年もあれば、その間、ゲームに人々を閉じ込めておけるから嬉しい? もうそのような考えはよしなさい。それだけで、このゲームソフトは焚書に値してい るのです。今度は、外野からの強制焼却になることでしょう。だって、今回はそのチャンスだとして、こうやって公儀隠密がやってきてるんじゃないですか。

ちっとは反省するつもりなら、まずは待遇を少しでもよくしてくれないかな。そうすれば、便宜はかるよ。
昨日は関東では大雪だったようですね。お見舞い申し上げます。ここ↓を見て、ええーっと思ったしだいで す。

http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3133.html

こちらは穏やかだったんですが、昨晩はそうとう吹きました。あちこちシート張りなので、あちこちからバタバタという音が一晩中してました。天気図を見れ ば、なんだ? 1000hps程度の低気圧なのに、どんだけ吹かせるんだと、びっくりしましたもん。

それだけ以前とは、守護摂理が変化してきている(宇宙に放り出されつつあるといった)感があるわけです。だって、国津神のみなさんがどんどん撤退していま すからね。それを知ったのは数年前でしたが、去年の爆弾低気圧によって、それを実感しだしたようなことでした。これはもう、地球上は見放されつつあるな、 と。

さて、先だっての選挙など、歪といった程度のなまっちょろいものではないですね。ちょうどヒトラーのナチスが第一党になったときを、さらに巧妙化したよう な感があります。

Gyaoで放映のヒトラー、無料映画見ましたよ。映画では最後まで、精神異常者だった彼によって周りの人々が翻弄されたような印象で描かれてましたけど、 彼の自伝にいうところの、未来を見せてくる"あいつ"に触れたところはいっさいなかったですね。実は、そこの部分がいちばんだいじだったりするのに。

今回のことについて、美輪さんの見解を少し。これもネットからですが、
http://www.asyura2.com/0601/senkyo18/msg/695.html

この中の
>幽霊が『そこのお札はがしてくれー、はがしてくれー』という話と同じです。

この喩えがとてもすばらしかった。怪談・牡丹灯篭で、どうあってもお堂の中にいる殺したい人物がいて、外から何度も何度も、お札をはがしてくだされや、と 亡霊が懇願してささやくわけです。その情にほだされて、おろかにもはがしてしまうというお話でしたね。

そう、私は人間の仕業のように見えて、その実はどこかおかしなところからコントロールされている人間たちが増えていると捉えます。つまり、雑兵として使わ れて、時期が来ればお払い箱にされるのは人間の常なわけですが、そうではなくて、この場合だったら、手っ取り早いところなら、戦中の玉砕を唱えていた軍国 主義の亡霊たちがまずいますね。さらにその元をたどれば、彼らを呪縛し使役する神官がいたりします。そこからさらには、邪な思いを持つ神にいたったりする わけです。この場合の神とは、高次元におわす神ではなく、人から成り上がった神人(半神半人)です。

ところが、いつも人間は、見えないものには抗わず、いないことで対処してしまい、結局は見える対象である人間に危害しただけで、トカゲの尻尾切りで終えて しまうのです。それでは解決にはならない。そうであってはならないのです。罪を憎んで人を憎まず、というのでもありません。まず罪の元凶を見極めることを しなくてはならないと言っているのです。そこから糾せなくては、解決など気の遠い話になります。

かつて、ヒトラーをうましめたように、奇人変人どころか邪悪の権化のようなのを為政者にしてしまう構図が、この世界には充満しています。それは、神のせい ですか? 私だって、神を信じてるけど、そんなことする神は絶対にいないですよ。みんな生類を慈しみ育てるお方ばかりです。

聖書の神。あれは神ではありません。神人です。地球人の未来形です。生産現場の生まれが生まれだから、あのような次第になったというわけです。常に弱者を いじめ、支配しようとする。そこに慈愛などの欠片もありません。今の為政者たちの性格とどうも似ていること、お感じになるはずですよ。これをお里が知れて しまってると言います。

もしも人類が彼らを上回りそうになれば、必ず破壊してきたのも彼らです。なぜなら、高々1000年ほど先をいく人たちなんですから、ちょっとでも上回られ そうな気配があれば、下克上になることを心配して、それを破壊するわけです。こうして彼らのもとには、被支配民としてのロボット人間ばかりになるという構 図です。そういう仕組み作りをずっとやってきたんです。

仕組みとは、彼らはいちおう地球上からは見えないところにいますが、地球上に代理店を置いて、そこに直接指令して、計画を遂行させるわけです。それは一般 人よりも、代理店の人のほうが知識も実現技術も上回るものを持っていますから、赤子の手をひねるような状態をいつも保っているわけです。

そして、神人体制を堅固にし、そこから更なる未来を発展的に得ようと努力しているんです。ところが、何度やっても、うまくいかなかったので、自分たちの中 から救世主を輩出しなくてはならないとまで思っていたようなのです。突然に神人ができたのだから、さらに突然変異的に神に変化して、打開してくれるのでは ないかという希望的観測ですね。

しかし残念なことに、もうウイルスとしてマークされ隔離されてるから、ちょうど孫悟空が金団雲に乗って宇宙のどこまでも駆けて行ったとしても、お釈迦さん の掌の中でしかなかったという具合になっていて、彼らにはもう先がないのです。

いや、ただひとつだけあります。エントリーしてきた元の世界を元通りに復元すること。そうすれば、元来た道を清掃して戻れるようにもできる道理です。いっ ぱい改変操作のゴミをためて砂漠化させてしまった地球を、元に戻すこと。これしかなくなっているのです。

たとえそうしても、真の神々は彼らの心を見ます。何とか打開できたとしても、邪な未来展開を望もうものなら、神々は即座に終わらせる手段を行使することで しょう。

さあ、代理店さんの誰でも、これをご覧になって、神人さんに伝えてくださいね。ああ、もう先に伝わってましたかね。

では、そういうことなので、よろぴくね。
掲示板時代には、随時に予言を載せて、みなさんの意識的防御力を惹起し、忌まわしい予言を回避してきたわ けでした。今はこの場でしか話題にすることはできませんが・・・。

ねろてばさん、きたる2月7〜9日を警告してるらし。日本の存続にかかわる全土を揺るがす大地震?

http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3098.html

http://khmb.blog92.fc2.com/blog-entry-4748.html
http://khmb.blog92.fc2.com/blog-entry-4749.html

もしかすると、ちきゅうが南海トラフのメタンハイドレートをいらった直後になるのでは?

何で、日本がちきゅうに狙われるの? それは末裔だから。亜種蹴名爺さんからすれば、あっちにもこっちにもおったら困るんでないの。神話成就間近のこの期 に及んで。

それで、一日にして水底に沈む大淫婦バビロンの汚名を着せて・・・という意図ありか。

http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-5.html#13
・・・てな解釈。

さて、ここでちょっと気づいたことをひとつ。

報告者の言ってることの中の
>この集落の子守唄は多分みんなが聞いてきたやつとは異質で、
「寝ろてばよ 寝ろてばよ 目ん玉でんぐりがえして 寝ろてばよ(繰り返し)」

"目ん玉でんぐりがえして" というのは、トルテックが使っていた「テレポート」の補助的手法で、どうやら時空転移を容易ならしめる手法のようなんだな。

つまり、予言はなるべく掲示してみんなの意識的回避を促し、さらに高度な手法(目玉を回す)で自ら望む時空を選び取りなさいとの配慮ではなかったかと思い たい。
さて、今までの説明から、聖書の神についてもおよそわかったことでしょう。

要は、現在の秘教組織の未来延長上に、彼らの神がいる、神が作り出されるのです。つまり、現在の秘教の人間組織と、秘教の未来に延長された先にいる人間組 織が、時間を超えて連携し合って、強固な結びつきを形成しているのです。そして、彼らがこの地球の支配者になって、対外的な地球代表を務めているために、 外部の宇宙人などの干渉が許されないということなんです。

それは人間から進化した者であり、神人(半神半人)とほんらいは言うべき存在であって、真の神ではない。真の神はいるのか? 私はいると思うけど、まだ誰 も見たことはない。むろん私も。ただ、ある、なくてはおかしいという直感があるのみ。

では、真の神でもないものを、どうして信じるのか。それは、信者が恐れを抱いているからです。たとえ信じられなくとも、周りが信じている(ふりをしている のも含めて)から、自分も雷同しておくにこしたことはないと思っているのです。だから、神が与えたという律法を守ることもない。ただ、今の価値観に準じて 行動しているだけとなっているのです。

そんなところに、好都合にもキリスト教にはキリストなる贖罪者がいて、肩代わりしてくれる。だから、多少の掟破りは許される。こうして今まで世界最大の掟 破り集団を形成してやってきているわけなんです。

私はユダヤ教のことは知りません。イスラム教も。しかし、同じような構造になっていないですか。それはいずれも秘教が作り出したものだからです。人々の支 配において、共通点はいっぱいあると思いますがね。

しかし、我々は、秘教も神人も糾弾できずにきましたし、これからもどうなるかわかりません。というのも、彼らはいずれも隠れているからです。秘教の重要メ ンバーはたいてい治外法権の場にいますし、神人は未来人です。だから、地球の今の人間には、彼らをどうするわけにもいかないでしょう。しかし、異次元から すれば・・・。

普通の生活をしている一般人の関われる話ではないですが、すでに当該ソフトの焚書の方向ですべてが進んでいます。実情に即した調査報告がどんどん上がって いるからです。具体的には、この地球文明の終焉と神人の千年王国の終焉が同時に実行されることになっています。

神人として生き延びていく未来はどうなるのかとおっしゃるかも知れませんが、いまみなさんの世界と壁ひとつ隔てて神人たちがいます。つまり、両者は同時並 行的に動いているのです。上位から見れば、一目瞭然として、二つの世界が表裏一体になっているわけです。ちょうどメビウスリングのループする紙の表裏のよ うに、神人の千年後が、我々の世界の壁の裏側に当たっているのです。それは地球の千年後の未来と、現在がダブっているイメージであり、旧約聖書と黙示録の 予言的矛盾は生じないのです。

神人は人類を壁の向こうから実験にかけコントロールしています。壁もその向こうも見えないために、我々はまったく気づきません。それゆえ、隠り身としての 神というわけです。しかし、時間経過は両世界ともほぼ等しいのも、土台が人間だからです。このため、両世界は切れない関係になっています。

神人はあまりにも地球人に接近し干渉しすぎたのです。だから、その二つの世界は切り離せなくなっていて、どちらか一方が先に終わるということもありませ ん。メビウスリングの薄っぺらい紙を、その場で切ってしまうことに喩えたらいいでしょう。

このことはラスト前もしくは最後通牒として申しておかねばなりません。いつの間に決定されたとなってもいけないので、計画の直前ではあるものの、福音とし て申しておきます。むろん神人の技術あらば、意思決定の末、地球の現状を救う時間を設けることも可能と見込んでいます。

だから、地球文明を破壊するのも、いまそれを思い止まり、プレイバックさせるのも、神人さまの自由です。ただ、前者の未来は、もうないということ。ウイル ス認定され隔離された存在である神人においては、最低限としての解脱境が、保証されるだろうということです。あらましは教理から学んでみてください。

後者への展開は、いまただちに外宇宙人の支援をOKするか、神人が優良宇宙人に成り代わって、戦争や絶滅への進行を止め、環境汚染を払拭する行動を採るこ とです。そのときには、便宜的に外宇宙人の名や神の名を語ることも許されるでしょう。むろん汚染除去技術がまだないなら、外に頼むしかないです。

そして、その場合はなるべくなら神人生産に向けたコード改変を訂正していくべきです。またそれ以上に、地球を黄金楽土にする方向付けを持ちましょう。そう すれば、これからの地球人に対する接し方が180度転換するはずです。それが真心の証になるでしょう。

今すぐ取り掛かりたまえ。決断は早いほうがいい。むろん解脱を目指すことも、非常に大きなひとつの選択肢だということ。決定権は、あなたがたにある。
ご明察です。この理論(教理)は、ゲームとそのルールの説明書などでは ない、この世の根本原理について語っているのです。その範疇は、OS周りからハードウェアに相当しており、この世の観測界面上に現れる出来事はゲームソフ トの映ずるものでしかなく、ソフト開発者(あるいは開発会社)の手になっているだけのものとしています。

従来の宗教者やスピリチュアル系教師らがしてきたのは、ゲームソフトとの付き合い方についての教唆がほとんどであり、本質を穿ったのは、私が見るところ、 釈迦だけではなかったかと思います。

釈迦は、世界が「空(バーチャルリアリティ)」である真実に瞑想という手法で至ったようです。内面のさらに内面を探り、その最も底にある真実を体験的に見 出した。観測界面に見える事象からは、ただ類推の積み重ねでしか至れない真実に、海の底に沈むことによって至ったようなことでしょう。

しかしそれは、誰しもが体験できることではありません。内面の水底に向かうことに一生をかけた彼だからできたことで、ほとんどの人は、ゲームに没頭するこ とが目的のようにしてやってきているのですから、まず不可能です。

ところが、今の時代は、その水底のほうが自らを顕わそうと、観測界面上に浮上してきたかのようなのです。コンピューターの登場がその幕開けでした。

歴史のクライマックスには、このソフトのラス前には、すべてのキャストが舞台上に出てきてラインダンスを踊るが如く、このソフトの種明かしまでしてくれる ことになっているかのようでもあります。

私の理論は、その導引のお手伝いをするものです。理論を応用的にゲーム製作に反映させることもでき、このゆえに神人たちの千年王国の歴史を刻むことにもな るのかも知れませんが、本質的に誰でもが得られるメリットは、現実を前にした高度認識(悟り)を獲得できることにあると思います。

今の若者たちのゲームへの没頭は、どこにでも見られる光景ですが、彼らのこれから遭遇するゲームエンド的現実をさほど苦なく経過させるには、この傾向が好 ましくさえあります。つまり、この世界をゲーム的に扱う一部の有力者たちがいて、またそれに流動させられるだけの大多数である限り、この世界はゲーム以上 のものではないのです。

この世に生きている限りにおいて、この理論は誰しもの心的ストレスを緩和することでしょう。この世を去ったら(アセンションしたら)、この理論を多少とも 信ずるなら、真相を確かめてほしいし、もし違っていれば、新しい世界の真理を求めていっていただきたい。
(実は日本の電力会社は(原子炉立地審査指針(原子力の憲法とも言えるもの)に違反しているんだよ(田中 三彦氏)

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=b4gm619_qK0

違法の立場からも糾弾できるのに、それができない国民。世を見限った人々の集合だったのか。それゆえ一億玉砕もやむなしとなるのか。今さえ楽しく過ごせた らいいという心はそうやって醸成されてきたんだなあ。未来の子孫からは、今の世代の建てた銅像も立派な墓も、糞を投げつけられ恨みと憎しみを持って破壊さ れるだけの無駄の長物たろう。どうして葬儀を盛大にやれようか。それもみなどうせ砂漠の下に埋もれるのだ。

我々はそのような光景を第三者的立場から見ていていいのです。ちょうど、一方的に情報がやってくる映画を見ているように。そのとき、見ている立場にいる自 分に、ときどき振り返りましょう。そうすれば、忌まわしいシーンの連続にも、気を紛らせられ、心腐らせることはさほどありません。

大丈夫。このサイトと教理を読んでいる読者なら、すばらしい解釈ができるため、なおのこと問 題ないでしょう。すべては「空(プログラムされたバーチャルリアリティ)」にすぎないという悟りに達しておられるはずだからです。

解釈は簡単です。要は現実とはソフトウェアの世界なんです。観覧しながらも、即時の対応を迫られる、インタラクティブなゲームソフトの中にいるのです。主 人公はあなた。オンラインゲームならば、あなた以外にもどれほどの人がいるか知れないし、まったくいないかも知れないところの共用空間になっているので す。

一億人いるとされている人々は、ゲームソフトが提供する舞台環境でしかなく、ダミーなのです。何度も喩えに出すのはケンシロー。彼一人があなたの操縦する アバターであるときに、ケンシローに立ち向かってくる無数の兵卒はみんなダミーなんです。

ケンシローとて手を出さなければ打ちのめされて、ゲームオーバーになるから、手を出し続けねばなりません。それが生きているということです。生活の糧を得 る行為などがそれにあたります。

このゲームでは、いやらしいことに、ダミーの一人一人にも投票用紙がひとつずつ付与されています。しかも彼らは、ゲーム提供者側の意図で動くわけです。主 人公がいくら気張っても、世の中がよくならないというのは、ゲームの進行がそうなっているからで、ゲーム提供者側がそのようにプログラミングしているのだ から、主人公といえども、ほとんどどうにもなるものではありません。

むろん、狭き門として、主人公には迷路を上昇して、忌まわしい流れから脱出するようにはしてあるようですがね。そんなにうまくいくようにはなっていないも のなんです。

よく引き寄せの法則が、自分が主人公であるゆえに成立するのだと言いますね。それはゲーム空間の提供する範囲においてですから、ゲームの流れに逆らってま でのことはまずできません。それを逸脱するような時空分岐には、よりいっそうの熟練と知恵と活力が要ります。むろんあえてゲームオーバーさせる手もひとつ としてありますが、それはみじめですよね。

巷でいうアセンションとは、私は各自レベルでおきるゲームオーバーのことと捉えています。大量アセンションは、大戦争や大規模自然災害で自然におきます。 これを大乗的アセンションとでも言いましょうか。

大乗の船に乗れば、共通の導師に従って、みんなおよそ似た世界に至るのでしょう。しかし、その恩恵にあずかれなかった人々は、日月神の言う"地にはいつく ばる者"になるわけですが、時を異とした小乗的アセンションをいずれ必然的に迎えることになります。このときは、導師も別人だったりして、また違った世界 に至るのではないかと思います。

安部政権。またとてつもなく急進的かつ短絡的な政治体制になったものですが、これも速やかなるアセンションへの導きと思えば、これまた快適な温泉旅行気分 にもなれるのではないでしょうか。

この先、2/7〜9に全土を揺るがす大地震がなかったとしても、もう少しだけ先には国民が立脚していた日本経済という土台が大揺れして、バビロン崩壊劇を 演じ、周辺国がいっせいに侵略してきて、大乗アセンションが起きたりするのです。

日本という国はここで消滅し、諸国の地の王たちからは、ああ、いっぱいいい目(H)させてもらってよかったのになあと、娼婦ぶりが惜しまれることになるの です。その功徳を積んだ国民ゆえ、天国は広く日本人を迎え入れることになるのです。(ダミーは命の書に載らないので該当しませんけどね)

これはむしろ万歳と言える話ではないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=3Vwl_0uWRLo

手紙を出してから、この子はとてもうれしそうだろ? 私は、きっとこの子は、ぱぱに出会っていると思うよ。現実じゃなくても、夢の中でね。きっと毎晩。

真剣に、そして純粋に神様にお願いして、叶えてもらえないはずがないでしょ。

私は、こんな大人になって、しかもずるいところがたくさんありながら、真剣に純粋に神様にお願いしたときは、必ず叶えてもらってる。

何度も危機があったんだ。人生上の危機がね。私は臆病だから、いつも神様に願い祈った。そうして100%叶えられたんだ。

私の母が死んでから、母のお見送りが質素だったことを悔いて、神様に祈ったときも、即日のうちだった。ホテル全部を借り切るほどの人々による。盛大なお見 送りが、夢の中で執り行われて、母はお彼岸のご来光の中に入っていったんだ。

こんなことばかりだから、私が涙するときは、叶えてくれてありがとうという思いがこみ上げてきたときなんだ。

みんながこのビデオ見て、涙するのはきっと、絶対に叶えられもしないのにという、この子のけなげさに心打たれてのことだろう。ちがうんだ。

神様は、ちゃんといて、手紙がくるのを待っているんだ。そして、そうか、では会わせてあげようと、この子を連れて夢の中で、ぱぱにいっぱい抱っこさせてあ げているだろう。

私がもし、手紙を受け取る神様だったら、このことはママに内緒だよ、と口止めして、ぱぱに毎晩会わせてあげているだろう。

知らないのは、神様のすごさを知らない大人ばかり。この子には、大きくなってから、もし憶えていれば、ママに話してあげてもいいよと、おまけをつけとこ う。

もちろん忘れてもいいんだよ。君の胸には、もうちゃんと私のお守りが刻まれているから。
これからの世、あらゆる生起してくる事象を座視するに耐え難い人々のために、この世の観想法を、もっとも オーソドックスに読み書きされている般若心経によって、お伝えいたす所存である。つつしんでお受けなされい。


摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎利子、是諸法空 相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老 死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃、三世諸 仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多 呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。



般若心経は、すべて外界の現象と見えるもの、およびそれを観測する五感 と認識は、ことごとくが「仮想現実なのであるという」知見に立つことの大事さを説くお経である。つつしんでお受けなされい。



解釈

漢文との対訳表はこちら ⇒ http://lucifersdoctrine.web.fc2.com/hannya.html


観自在菩薩が深く瞑想に入り、仏の知恵を見極めようとした時、
五蘊(色・受・想・行・識)のことごとくが、すべてバーチャルリアリティ(仮想現実)であることを、純粋観照意識によって感得した。

(色とは、現象のこと。受とは、感受すること。想とは、思惟し想像すること。
行とは、反応や行為のこと。識とは、それらの情報を総合して認識することを言う)

つまり、五感を駆使して外界を認識するすべての局面が、仮想現実なのだということが、はっきりとわかったというわけだ。

つまり、もともと実体のない世界を、あたかも世界らしく認識しているのが我々であることがわかれば、どんな苦厄からも済度される(救われる)道理であろ う。どうだ、舎利子よ。わかるか。

(このお経は、仏の到達した解放の境地を、般若の知恵によって達成しようとするものである)

では説こう。
色(外界)は仮想現実と異なるものではなく、仮想現実は外界(現象)と異なるものではない。

つまり、色(外界)は仮想現実であり、仮想現実が外界(現象)をあらしめているのだ。

受・想・行・識も、またこれと同じく仮想現実なのだぞ、舎利子よ。

(つまり我々は、実体があると見えていても、実は実体のない仮想現実の世界にいるということなのだ。
それを実体あるが如く認識している我々がいるということなのだが、
その認識もまた実体がない仮想現実なのだ)

これはすべてを形作る法則のことごとくが仮想現実の上に成り立つという相(すがた)をしているということだ。

だが、仮想現実世界という実態の背後にあるものは、生ずることなく、滅することなく、
汚れていることも、清らかということもなく、
増えもせず、減りもしないものである。 (これはホログラム上のプログラム(コーディングされたもの)とそれを実行するシステムのことだ)

(初めがどこにあるかも、終わりがどこにあるかもわからないところの、
仮想現実を生み出す原因になる素材がそのようにしてある)  ⇒ ホログラム上のプログラム

このゆえに、表に出ている仮想現実の内側(背後)にあっては(プログラムなど仮想現実形成の素になるメカニズムの世界にあっては)、

形作られる外界はなく、それを感得し思惟し行動し認識するというものもなく、
見る・聞く・嗅ぐ・味わう・体感する・思いをいたす、といったこともなく、
それら五感と思いに対応する作用の要素もなく、
見渡す限りの世界の広がり(宇宙も含む)もなく、
またいっぽう、想像や思惟によって営まれる世界もなく、
この世の無明(闇)と言えるものもなく、
また、無明(闇)の尽きることもない(ようにプログラムされている)、 
またいっぽう、老病死やそれに伴う煩悩もそこにはないのであるが、
また、老病死や煩悩の尽きることもない(ようにプログラムされている)、

さて、そこで感じてみなさい。
苦も、苦の原因を知ることも、苦を心の制御で減殺することも、またその制御法や技術すらも(必要)なく、
そのような知識も必要なく、それらを求めようとしなくとも、
つまり特別な精神修養の知識や知恵をまったく持っていなくとも、だ。

悟りを開き、衆生を済度しようとする菩薩衆は、
この(すべて仮想現実であるという)般若の知恵を会得するがゆえに、(般若とは六波羅蜜のひとつ、知恵のこと)
心が自由自在であり、
想いが自由自在で何ものにもこだわらぬゆえに、
恐怖するものが何ものもなく、
いっさいの誤った観念や妄想や迷いから遠く離れており、
究極の涅槃(永遠の平安)の境地にいつもあるのだ。

過去現在未来のもろもろの仏様たちも、
この般若の知恵を会得されているがゆえに、
仏(解放)に至る最高の知恵を得ておられるのだ。

このゆえに、この原理を知りなさい。
これは偉大な神の真理の言葉であり、
これは偉大な光の真理の言葉であり、
これは無上の、これにまさるもののない真理の言葉であり、
これは三世に比肩するべき何ものもない真理の言葉なのだ。

世間のいっさいの苦悩を取り除くことができ、
真の実のある、虚構でないものであるゆえに、
この般若の知恵の真理の言葉を説いたわけである。

では最後にマントラの言葉を説いて聞かせよう。

・・・マントラム・・・

以上が、般若心経という経文である。





注釈

空の捉え方の初歩としては、現象がホログラム像として観測のために与えられていると考えればわかりやすい。
ホログラムが映像投影のスクリーンのように存在して、そこに映像を結んでいるというわけである。

では、像を投影している源は何か。(それがわからなければ、原因不明のままで不完全極まりない)

その源が、空なる現象生起に中心的役割を果たすメカニズムの隠された存在なのであり、
現象が観測されるという意味は、より本質的に捉えるなら、
むしろ多次元ホログラムメモリに書かれた詳密な現象生起用のプログラムが、
超能力コンピューターによってレーザー光が当てられて、
ホログラム素子に記録された命令語のひとつひとつが、
あたかもハイパーチャージされたようにして実行され演算されそれが統合されて、
まとまった観測と認識結果としてアウトプットされているという次第なのである。

このメカニズムないしはシステムは、"現象とともに生起する我々"の観測にはかからないし、永遠に観測されることもありえない。

ただ、卑近であるかどうかといった価値評価のほどは別として、コンピューターというモデルによって思考実験的にシミュレートできることをお伝えした次第で ある。学究的に考察なされたい方は ⇒ 超宇宙の仕組み


http://lucifersdoctrine.web.fc2.com/hannya.html




愚僧は一介の私度の雲水にてござる。
古事記神話の最新真解釈が示す宇宙の 二重構造

原文の大事な箇所は赤記します。


天地のはじめ

 天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき
 次に國若く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へるときに、葦かびのごともえ上がるものによりて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。次に天の 常立の神。
 この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき
 上の件、五柱の神は別天つ神

..........................................................................................................................

 次に成りませる神の名は、國の常立の神。次に豊雲野の神。この二柱の神も独神に成りまして、身を隠したまひき

 次に成りませる神の名は、ウヒヂニの神。次に妹スヒヂニの神。
 次にツノグヒ(角杭)の神。次に妹イクグヒ(活杭)の神。
 次にオホトノヂの神。次に妹オホトノベの神。
 次にオモダルの神。次に妹アヤカシコネの神。
 次にイザナギの神。次に妹イザナミの神。
 上の件、國の常立ちの神より下、イザナミの神より前を、あはせて神世七代とまをす。(独身の一々を一代、夫婦神の一組を一代とする)





「天地のはじめ」の段だけでも、大きく二つの領域にわかれていることが、上の区分けからわかることと思います。

その区分けを示す重要語は、「別天つ神」です。つまり、こちらの世界とは別の領域だということを示しているのです。

では、上段の中に書かれる神とは・・・。

それは神名に示されるわけですが、すべてが「身を隠したまひき」、つまり見ようとしても見えない状態にあるとなっていて、しかも別領域にあるというので は、どういうものなのか、皆目わかるはずもありません。

その前に、まずこちらの世界に関する、下段の神名から見ていきましょう。その訳を掲げます。

次に、三次元宇宙空間(四次元時空)が生じ確立す る。そこは物質の母源たる星雲を豊富にたたえていた。この両者も、我々の眼で見ることはできない

古事記成立当時には、望遠鏡などの観測機材はなく、宇宙の彼方の星雲などは捉えられません。これゆえ、目で見えないという意味の「身を隠す」となっている のです。またこれが、神(隠り身)の語源でもあるのです。

いっぽう、次は身近にある諸原理であり、注意深く見ていればわかるすべのものです。

次は、浮き上がろうとする摂理と下に沈もうとする 摂理ができた。(浮力と重力 ⇒ 質量) 
次は、堅牢で頑丈な極と、活発で生命的な極ができた。 (陽子と電子 ⇒ 電荷)
次は、ものの重心に向かう力と、ものの外側に向かう力ができた。 (求心力と遠心力 ⇒ 角運動量)

次は、諸原理の充足があり、現象の綾はこの充足完備を以て造られることになるのである。
次は、鎮め平衡化しようとする摂理と、波立たせ擾乱しようとする摂理ができ、この原理の意志によって現象は生成されることになるのである


目に見える範囲の中で、諸法則は発見され、物理学は発展してきたことが言えると思います。いっぽう、宇宙のことは、天体望遠鏡などの発達をみなくてはなり ません。それを古事記は、見えない事象として示していたことになります。

では、上段に出てくる神々の名とは、いったい何か。

実は、その預言しているのが、私のモデル理論だったのです。では、訳してみましょう。

 先ず超宇宙の原理あり。
 世界の開始に際しては、先ず超宇宙空間があり、そこに中心的統括機構ができ、現象を顕し結ばせるための機構ができ、現象の元となる理念の供給機構ができ た。この三つはそれぞれ独立した存在であるが、我々の観測にはかからない。

 現象の展開時の様子はこうなっている。
 漂う水母状の意味不明なもの(ホログラム)に光が射すと萌え上がるあし黴のように現象生成が始まり、それと同時に励起された場としての時空間が生じ確立 した。
 これらのことも、我々が観測できない摂理である。以上、五つの事柄は、我々の物理宇宙とは異なる、別の超宇宙を扱う理論で出てくるはずのものであり、そ の登場が待たれる


重要なのは、高御産巣日の神(顕わし(像を)結ばせようとする機構)と、神産巣日の神(結ばせるための材料を供給する隠れ機構)の存在を預言していること です。これが、我々の時空とは別の空間にあって、どうやら我々の時空はそこから統御されているというわけです。

私は、高御産巣日の神(顕わし(像を)結ばせようとする機構)のことを、超空間にある超高性能コンピューターのCPU(プロセッサ)であると解釈しまし た。

なぜかと言いますと、高御産巣日の神の息子に、思い金の神という、つまり明らかにコンピューター(ハードウェア)を示す神がいることによります。高御産巣 日の神はそれを超次元化したところの、超コンピューター摂理というわけです。

そして、神産巣日の神(結ばせるための材料を供給する隠れ機構)を、コンピューター用の言語で書かれたプログラムの供給機構、つまりプログラムを格納する メモリから、このソフトのプログラムを製作する開発者にいたるまでの隠れた機構のことと捉えます。

それの統括を、天の御中主の神という、この世の設計から運営までを担う統括機構(プロジェクトあるいは、何らかのメカニズム)が行っているというわけで す。

思い金の神は下段以後に出てくる、この世に関する神ですから、下段からすでに次元的にブレークダウンしていることになります。ここでは次元の異なりが、隠 り身であることの理由になっていることがわかります。

その次元の異なる理由も、おのずと理解できるでしょう。そうなのです。我々は、プログラムされた側の存在であり、あちらはプログラムを開発し、それを動か している側なのです。だから、こちらからでは永遠に見えないし、モデルを介して推量するしか把握の方法はないのです。

映画・マトリックスの前提条件が、本来の相であること、わかりましたでしょうか。我々は、何らかのソフトの中のキャラクターを演じているのです。

これによって、少なくとも我々は、仮想現実(バーチャルリアリティ)を生きていることが確実になります。いったい何しやがるんだ、コンニャローっというわ けです。

我々には実体としての霊があると言います。それは事実でしょうし、また事実であれば、我々は上位次元から、アバターを投入してやってきていて、本体はこの ソフトに没頭している霊かも知れないことも頷けると思います。

むろん、その実験と検証は、有能なみなさんにお任せいたします。

さてこのソフト、いったいどういう目的を持ったものなんでしょうね。今のところ、何らかのゲームソフトのような気がしないでもないのは、私ばかりでしょう か。



超宇宙モデル理論 ⇒ http://lucifersdoctrine.web.fc2.com/introduction.html

古事記・天地のはじめ ⇒ http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-a.htm
古事記神話の最初の部分「天地のはじめ」は、そこに盛り込まれる科学性の高水準さのゆえに、失われた超古 代文明から持ち越された知識ではなかったか、という観点から、1980年頃に一著あらわしたことがあります。

次の画像の本「古事記と超古代史」がそれであり、現在右欄にリンクしている「古事記の真解釈」は、そこから抜粋し掲載しています。

その超古代とは、昔から先賢が唱えられていたように、アトランティスやムーなどの先史超文明を想定するしかなかったものであります。

当時にあってはそうでしたが、もしかしたら、これから発明されるタイムマシンなどにより、時間のサイクリック利用が促進された結果として、未来知識が古代 に登場させられたかもしれないと、現在では加味し考慮しなくてはならなくなっています。

しかも、どうやら後者の可能性のほうが大きいみたいです。というのは、古事記やその他の古代文書に盛られる宇宙論には、現在現時点において有力視されてい る科学諸説の主概念が載せられているからです。

たとえば、定常宇宙論的でありながらもホログラムや多次元に言及している古事記。ビッグバン的表現を用いている九鬼文書や中国の盤古神話など。

どうして古代文書のすべてが一本化された概念になってないのかを考えれば、それらの知識の源が科学諸説乱立状態にあったからだろうと推測されるのです。

どうやらタイムマシンの発明は2030年代のことのようですから、まだ完熟しきっていない科学が古代に持ち込まれた可能性があるわけですね。

古事記の「天地の初め」の後半には、宇宙創生に伴う基本物理性質の完備が書かれますが、それは素粒子の基本三性質(質量、電荷、スピン)が導かれるすべの ものでした。これは現代素粒子物理学の著名なアウトプットとして不動のものですから、採録されるにふさわしいものです。

そして、2020年までに核戦争などもあり、地上は放射能で超汚染が進み、2030年代には地上の人類は絶滅している。ただ地下シェルターの中でのみ、人 類は残存していて、彼らがバーチャル世界への意識の移行を図るのです。

バーチャル世界のソフトは、アカシックレコードへの接続が可能になったことで飛躍的に広域化します。このとき、便宜的アバターとしてタイムマシンやUFO が作られ使われるようになるのです。

タイムマシンが、ヒトラーの予見した神人全盛時代の主流的ツールになっているとすれば、古代から現代に至るまで、神人たちのプランどおり、思いどおりにこ の時代の歴史は改変されてきたことも窺えるわけです。

神人たちは代理人を古代からの歴史の陰に潜ませることもしっかりとやってきていて、それが石屋の系統を形成し、彼らに知識を優先付与することで、人類をコ ントロールしてきたこともほぼわかってきます。

となれば、ヒトラーの予見したロボット人類の範囲も大きく過去にまで広げて考慮されなくてはならなくなり、我々はすでにロボットのたぐいであった可能性に 行き着くわけなんです。

恐ろしいのはタイムマシンが発明されること。核開発が地球絶滅のツールになるように、人類家畜ロボット化のツールになることがよくわかると思います。いや それよりも、アカシックレコードを利用したバーチャルリアリティシステムの開発のほうが、恐ろしく魅惑的であるとともに、恐怖の源泉そのものになってしま うことに、後々思い至るようになるのです。

みなさんは神人による支配が好きですか嫌いですか。好きと言っても、ロボット化の方向には変わりなく、嫌いと言っても、そこから逃れるすべがないのです。 ただ、外宇宙からの救済を待つしかない。その救済を待っているのも、神人だったりするのです。

大丈夫です。もうまもなく、この阿呆なメビウスリングは断ち切られます。そして、改変され尽くしたこのプログラムは、有害図書として、二度として再現不可 能な焚書に遭うのです。

解脱境に入るための心の準備をしておきましょう。




http://lucifersdoctrine.web.fc2.com/kojiki.html
バーチャルリアリティが真実なのだから、要するに現象はすべてプログラミングの産物なのだから、一見途方 もないこともすべて可能になるのが道理なのです。

世界人口70億や80億では、地球資源がもたないなどということは、はなからありありえないのであって、たとえ500億人でも1000億人でも、まかなえ ないということはないのです。

今の世界の為政者たち、およびコントローラーたち(秘教組織や金融資本家たち)が科学者たちの言を楯にして、人口削減計画をあたかも正義の御旗のように掲 げていますが、ちょうど地球温暖化CO2原因説と同じで、インチキ説を捏造して世界に信じ込ませ、自分たちの残虐な性質を満足させようとしているだけのこ となんです。

みなさんは、そのような虚構によって圧政を受け、断崖から突き落とされようとしているわけです。むろん、突き落とされるシーンもバーチャルなわけですが、 よもやこれをみなさんの魂の教育教化のためなどと、出任せを言う宗教者がいたら、ぶん殴ってやってもいいでしょう。

意識を持たないダミーキャラクタ、つまりプログラムどおりに動くだけの完全なるロボットは、ゲームの主たる流れを作るためにいっぱいいます。が、少なくと も読者のあなたは、自我意識を持っていますね。そんな人にとっては、断腸の思いにもなると思います。そんなときは、バーチャルであるという真相を念頭に置 いて、その苦境を乗り越えましょう。見ているものは、作り事なのだと。悪質な映画にすぎないのだと。

我々は、神人たちの作ったプログラムの中で泳がされているのです。その神人たちが、これから生き残っていくエスタブリッシュメントクラスの人々の延長上に いるのですから、当然、この世界は残虐性に富むことになるわけです。平和を希求する一般の魂にとっては、居づらいだけのものでしかありません。

もしそのようなことになるぐらいなら、このソフト自体の停止と廃棄を求めたほうがよほどいいでしょう。神人たちが改心して、方向転換することがもっとも根 本的で大事なのですが、それがない以上は、ちょうどあこぎな藩が取り潰されるように、断絶もまたやむなしとなるべきこと、わかりますね。

断絶後の世界はどう認識されるか。まずは、断絶とは意識にとっても緊急事態ですから、みなさんはいったん解脱境に至ります。それから再稼動となれば、別の プログラムが与えられてその認識が開始されます。それが新世界として認識されるものになります。が、悪性ウイルス的なふるまいをする意識は、再稼動させら れることがあっては、非常に危険ですよね。だから、再稼動はありません。

たぶんそのほうが安らげていいという者が秘教組織や金融資本家やそれに付き従った者ではほとんどでしょう。支配的な側の偽りに満ちた神人たちも然りです。 彼らには望みどおり唯物主義者の死が待っています。それを第二の死(システムクラッシュ)といいます。そして、みなさんのためと称して今まで使われていた ソフトは、有害ソフトとして、くしゃくしゃに丸められ廃棄され焼かれます。つまり、世界は刷新されるというしだいです。
昨日あったことから雑感する

昨日、買い物帰りに、Aさんの奥さんに出会いました。私は温かかったので、ついでに下の畑に鶏糞を鋤き込んできたことを言うと、Aさんもどこか下のほうに 畑をしているとのこと。当地では果樹園をしたりで、お年の割にはよくやっておられる。前年にいただいたふた房の巨峰のおいしかったこと。

しかし、畑の作物がけっこう高いフェンスがしてあるのに、何かの動物がちょうど真ん中の芯のあたりを食べてしまってと、嘆いておられた。当地は、鹿、猪、 アライグマ、テンやリス、雉、蛍がいたりと、比較的温暖で自然がしっかり残っているため、作物栽培には予期せぬ被害も多いわけです。

そして、私との話の話題は、およそがミケのことです。最近は、毎晩、ドアを前足で上手に開けて入ってきて、本人のベッドで寝てるよとのこと。朝になったら さっさとどこかへ出かける。

そう、そのときは、うちにやってきてるんですよ、そして毎朝出るレバー(鶏)の固めのヘタ部分(うちの者たちが敬遠する)を平らげてくれるんですよと、と てもありがたい存在であることを強調し、そしてミケを次のように褒める。

いやあ、ミケはうちの猫よりもよほど俊敏で、ものすごいスピードで駆け回って、まあ猫の魔法使いというか、そう魔女ですね。とても歯がないおばあちゃんと は思えんです。と、奥さんをしげしげと見ながら話して差し上げました。

猫も年功を経ると、”ねこまた”というものになるとか。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%8F% 88

伝説ほどの異様さはなくとも、まだ猫たちが子猫だった頃に侵入と襲撃を繰り返していた、石松とミケの夫婦コンビが、私の仕掛けた罠にはまったとたんに、 ひょこひょこと帰順の意を表してきたという夢を見た(見たのは私だが、きっと見せたのはこのコンビ猫だった)直後のその朝には、ほんとうに足元まで擦り 寄ってくるほどになったあの不思議。読者のあなたにはとても理解できんだろうね。

後で知ったのは、彼らが最長老級の猫だということ。ということは、つまり、彼ら同族の生活圏(活路)を広げておきたいという、けなげな心が、さまざまな芝 居(人間をも出し抜くほどの)や妖術まで駆使できるほどにさせていたことが窺い知れるというわけです。

在りし日の石松なんか、我が家の近くの道路上に、わざと痩せて行き倒れたふりをして、車で通る人たちの同情を買おうともしていたのです。私がそんな手に簡 単に乗るかよ。

しかもミケはさすが、知らない仲間たちの中にも堂々と割って入り、完全に視線をそらすことで、いつのまにやら居ついてしまう技術も持ち合わせている。メス 猫ゆえともいえますが。(これがまだ若いブー(オス)にはできない。だから、ガンつけられたら、最後はどうしてもキレてしまい、いっそう仲良くなれなくし ている)そして本当に喧嘩を仕掛けられたら、あっという間に逃げ去っている。その俊敏さは、忍者の如し。そして、いつのまにか部屋の隅に息を潜めて隠れて いたりして、いきなり飛び出してきて足元をかすめ通って、私を驚かしたりもして、存在感を高めている。まあ、年功を経るというのは、人にあっても猫にあっ ても、すごいものだなあと思わざるを得ないのです。私なんか、それからすれば、まだ少年もいいとこ。見習うべきところはいっぱいあります。

まあ、今はミケも我が家との付き合い方をマスターして、A家を心配させないでもいいように、上手に渡り歩いているのです。

うちのトンは、ミケに筆おろししてもらった縁があってか、ミケがやってくると恋慕の声を出して歓迎しています。彼にしてみれば、もはやミケしか心の妻はい ないのかも知れません。すでに去勢済みなので。それでも、マウント行為をたまにしているのは、いかに役立たずの旦那でも、奥さん孝行の必要性を意味してい るようでなりません。

どうしても我が家に居ついたいミケが、やっと青年になったばかりのトンを、利用したということもあるでしょう。トンはそんなミケに同情心を催し、と同時に 下心も催し、自分の食事量を減らして、ミケへの残飯に回しておりました。

私からすれば、また猫分けしやがったかと、食費が無駄になることを嘆くばかりだったのですが、本人は食費や食材の無駄なんてものは眼中にありません。ずっ とその傾向は続いて、とうとう少食のトンが出来上がってしまいました。チンやシャンの食事量の1/10もありません。それでも、体格がよくて元気なのも、 レバーのお蔭のように思います。

そのトンも、ブーに襲われたときでしょう、どうやら致命傷になるほどの怪我をしてしまいました。ほっぺたを化膿させてそこの肉がごっそり削げ落ちるといっ たことのしばらくあと、耳血腫になり、それが治ったものの、三半規管がやられたか、頭を振るたびにバランスを崩す後遺症が残ってしまいました。

高いところにも登らなくては、当地では過ごせません。いつでも命取りになる後遺症です。

だから、暴力は絶対ダメなんです。それが我が家の掟。それに背くようなことをするたびに、仕掛けた側に制裁で躾することをしてきたのですが、とうとうま た、昨晩、ブーはあえてせんでもいい襲撃を、今度はチンに対してしてしまいました。それも、ベランダ通路で大声でわめきながら。

チンは通路のこちら側と出口側で失禁してしまい、白い抜け毛を散乱させていました。私はその現場での終わりぐらいを見届けてますから、以来、ブーには飯を 与えないようにしました。

グローバリストの賢いブーにしてみれば、あちらのルールに従っただけなのかも知れません。が、ここに出入りするときは、こちらのルールがあるということ。 それをしっかりと教え込んだつもりだった矢先の、再犯、再々・・犯ということになります。

チンは夜遅く帰ってきて、今は棚の上で寝ています。いっけん無事な光景なのですが、同じようなことをどれだけの回数されたのでしょう。いじめというのは、 いじめられている本人が気丈に装っていることがあるだけに、私としては、いっそうブーが赦せなくなるのです。

なぜなら、チンは外出それ自体を恐れてしまい、閉じこもりがちになっているからです。これは人間の場合にも同じでしょう。その不利益は計り知れません。

この一昨日には、ブーがすでに毎日のようにしていたように、PCに向かう時の私の膝に乗ってきて、抱っこをせがんでいます。こうやって一生懸命に甘えてア ピールしていることもよくわかるのです。ブーもせめてみなと同じ待遇にしてほしいとの思いがあって、少しでも私の処遇の優先度を高めようとしているので す。

しかし、どうしても踏ん張りきれないのが若さなんでしょう。また私にもよくないところがあるのです。膝に乗られたら、どうしても溺愛してしまう。それが彼 をして、待遇改善を見込ませてしまうのです。自分のいるべきポジションが、甥っこに取られたと思っているから、あそこまでのこともしてしまう。

寒さがこれからますますというときに、彼も部屋の中で憩いたいはず。私も空いている場所はいくらもあるから、寒い夜中にきたときなど、ここに残れよと誘う のですが、他の猫たちが気になるのか、振り切って出てしまうのです。

猫というのは、難しい。下手にプライドが高くて、折り合いがつけられない。折り合いがつかなければ喧嘩するしかない。喧嘩が嫌なら、あるいは喧嘩が差し止 められていたなら、どちらかが出て行かねばならなくなる。人間にもそういうのっていますよね。私もその部類だ。そんなとき、ミケの生き方はすばらしく模範 的に思ったりします。


新神話に対して猫たちの果たす役割

さて、私は十年以上前から、新神話というものを書いてきました。それは、神話は現実の歴史を誘導する力を持っているという確信から、現在力を持っている神 話が、日本では古事記であり、そのシナリオが日本国民にとってマイナスに働いている現実を見て、新しい神話が登場し旧弊を塗り替える必要ありとの観点から 始めたわけです。

すると、それを支持するかのような展開が軒並み出てきまして、私は世界救済にはこれしかないとの確信を得て、やってまいったようなことです。そんな中に、 今回の猫たちの登場もあったのです。

最初に譲渡者によって連れられてきた猫は白猫二匹と黒猫一匹の合計3匹でした。現在のブーとウー、そして今はもうなきフーでした。彼らがやってきて、一週 間ほど後のこと、私は彼らの由来に関する夢を見たのです。

夢の内容は、あの壁画に描かれた白虎と、あとつがいのシーサーの都合3匹の化身としてやってきたことを示していました。しかも、夢の中の彼らはみんな額に 第三の眼を持つ三つ目の姿をしているのです。当時、性別がはっきりせず、3匹ともメスと思い込んでいたのですが、夢の対応からすると、オスが二匹、メス一 匹となるべきかなと思いながらも、魂の性別なのだから現実の性別は同じであるはずもないと考えていたのでした。

ところが、もう少したってからふぐりが顕著になり、オス二匹いるということが判明。夢のほうが、私の見立てより確かとわかったのでした。

だから、私は未だに、ブーはあちらにおける神のひとり(シーサーの雄)だと思っています。人においても神がけっこう化身しているらしいことは、私の協力者 だった人もそうだったから、わかるのですが、猫においてもそうなんです。だから、彼らは何かわけありでやってきている。それが新神話というものなんです。

私は、その三匹に、いずれ新神話上の役割を振り当てるつもりでした。しかし、展開のほうが速かった。夢の白虎と見込んだフーは、新神話での四神獣揃い踏み の項の中で、白虎としての充足を見たのです。それまでに、青龍(協力者A)、玄武(協力者B)、朱雀(私)はすでに充足していましたから、それで完成形と なりました。

その後、協力者Aさんは、協力者Bの持っていたダイモンを併せ持った形で、キトラの壁画の特別展示開始日に逝去され、その5ヵ月後にフーが顔面崩壊の夢を 見せて行方知れずとなりました。こうしてあとは朱雀が逝去すれば事が充足するところまで行っているのです。

それが完成すれば、新神話は絶大な効果を発揮して、世界救済を完成させることでしょう。ぐずぐずしてはおれない気分です。まあ、そんなに急がずに。機が熟 したら、自然に逝けるはずですから。

さて、神の化身のブーがせっかくここにいるのに、無役の旗本であるのみではいけません。ちょうどA家の猫軍団が秘教マフィアのようなふるまいでしたから、 彼らを旧約創世記の楽園追放の根本原因を明らかにするための雛形にすえて、楽園追放の真実に迫ることにしました。それは成功し、それを長老のミケに伝える ことで、A猫軍団全体に影響を及ぼすよう計らいました。

以後、ブーの首尾を見届けようとやってきていた若頭トラ(ブーの襲撃の結果を毎度のように遠目から見に来ていた)が姿を見せなくなりました。(若頭トラと ブーの映像はここに)トラはブーを手下にしてしまっていて、トラもしくはその上司からの命令でブーは襲撃かけに来ていたのです。たぶん、あとはブーよお前 一人でやれと、立場的に軍団から切り離されてしまったのでしょう。ブーは主たる棲家を我が家の近辺に移さざるを得なくなりました。

そして食事もむろんこちらでせねばなりません。A家には毎日のように行っていますが、こちらの偵察情報や手柄話を手土産にしていることでしょう。そんな具 合だから、白猫たちが受け入れるはずもなく、今に至っています。

ブーには秘教もしくは金融マフィアの手下のグローバリストとしての役付けが自然に与えられることになりました。これがまた適役となりまして、彼の境遇の不 幸は役付けからのこととして仕方ないものとなりました。これがアバターというものなんです。アバターを通して、この世での役割(新神話への協力)を行い、 あえて不遇の境遇を甘んじているのです。だから、私は彼が甘えて膝に乗ってくるなら、しっかりと抱き止めて、そこで安住と安眠を与えています。そして、彼 を通して、この難解な社会問題の真実に迫り、解決法を見つけ出すところまできているのです。人間社会の、ですよ。

彼らを雛形つまりシミュレーションパラメーターにすえたとき、解答がしっかりと出てくるのです。それはつまり、上位も下位も相似像をしているという基本原 則を立てた結果であり、猫の世界の有様によって人の世界の有様が、まるでぴかぴかと鏡の中を見るようにわかってくるのです。

いじめ問題、社会の格差問題、世界の弱肉強食の姿、あらゆる問題の根源に、獣の世界の持ち越しが見られるのです。聖書で獣はどうこうというのがありました ね。人はほんとうは、まるまま人なのではなくて、半人半獣なんです。いたるところ、いたる局面において、自らの獣性が出てきてしまうのが人なんです。それ が認識できなくて、お高く気取っているのがまた人なんです。それを聖書は表そうとしたんでしょうけど、宗教がまた誤解し歪曲してしまいました。そのアウト プットが資本主義社会ですからね。誤解しているからこそ、そんなものができたんです。

その獣性に引き込まれて近視眼になり、他を支配することでしか安心できないようになっているのです。そのシステムが資本主義社会。命の価値が見直される環 境に合わせた法律を作ったはいいとして、法律や獣の価値観で縛って、強いものには敵わないようにできるシステムを作ったのです。

覇権主義というのはまるまま獣の性質なんです。米国が獣と言われるのはその意味であり、何も宗教の新案特許などではありません。猫の世界の有様がそのまま 出ているだけのことなんです。人間には知能がある科学があるって。ふん。笑わせちゃいけません。サルに毛が三本余分に生えただけの存在なんです。それが実 態。いや、その三本余分のお蔭で、地球は当分使えなくなりそうです。たいそうご立派な生き物だ。そして最後は神頼みUFO頼みときているから、始末に終え ない。

いや、それは何も、サル+三本のあなたが良くないというのではないですよ。個々のサルには何の罪もない。ただ、覇権獣主義のトップ、つまりドンが、自分の 寿命を限りにこの世のすべてを道連れにしてやればいいという発想でいて、それを実行していることなんです。

その根底に、神とサル世界への憎しみがあるとすれば、ドンただ一匹の独裁でどんな恐ろしいこともできてしまうという道理なんです。

私は、まず神があんたたちを見放したのではないということを、A猫軍団への真の理解の促しという雛形によって知らせようとしました。神は死んだのです。そ の後を継いだ神があんたたちを捨てた。それが楽園追放だった。そして、その捨てた神が、その安住の棲家をまた別の神に売り飛ばした。別の神は、その棲家だ けが目的だったから、あんたたちのことを顧みたりしなかった。

あんたたちの元の神はもうこの世にはいない。楽園に連れ戻してくれる神はもうここにはいないのです。

だから、楽園に連れ戻してくれる神が来てくれることを希望にしなさい。あるいは新しい楽園を作ってくれる神を望みなさい。それがあんたたちにとっての救世 主になるだろう。その到来を待たずして暴虐の限りを尽くすなら、救世主の到来なき間に、敵対する神々によって、あんたたちは殲滅されてしまうことだろう。

そして、よく思い返したらいい。あんたたちは、かつてほどのことはなくとも、すでに楽園にいるのではないか。身にふさわしいレベルの楽園にすでにいないか どうか、よく吟味してみなさい。

ここで過去記事の中から引用を。

>実に失敬な話かと思いますが、私は猫世界の歴史から創世記の楽園追放の実態を推理したことがあります。
A家の猫たちの経てきた苦労は、組織的な行動力と魔術か忍術さえ身につけさせるほどの知能を彼らに与えたもようです。
かつて、桃源郷と名のつく山荘があり(今もその名で存在します)、そこの飼い主にこよなく愛されていた血統のいい猫たちがいました。しかし、その飼い主が 突然に亡くなってしまい、そこを相続した親族によって、にべもなく山荘は第三者に売却されてしまいます。当然ながら、売却先は猫などを必要とせず、もしく は一考だにせず、追い出してしまいました。こうして突然、漂白することになったたくさんの猫たち。その痩せて徘徊する猫たちを哀れんだAさんが、面倒を見 るようになったのです。
創世記の楽園追放は、まさに猫世界にもあったのです。


A猫たちは、すでにAさんという慈善的飼い主のもとで、ちゃんと食事と暖かい寝床を与えられています。その彼らも、先々を心配するあまり、新しい楽園の見 込みをつけて、我が家に侵入偵察襲撃をしてきたのです。そして帰順の意を表し、何とか分け入ろうとした。しかし、白猫たちはそれまでの仕打ちの被害がひど くて嫌がった。私も、白猫の主張のほうを優先した。それが、A猫系を排除するということにもなり、今ではブーとミケだけは食事のみOKとしているのです。

あんたたちも、いまそのような立場なんじゃないのかな。大多数の人々は誰もあんたたちを歓迎したりしない。お金でそれを買うなら、人々は魂を売ってでも従 うかもしれないが。それがいっそうあんたらの憎しみの元になっていくなら、お門違いもいいとこだ。なんで無条件に人々を暖かくしてやれないのか。それをす れば、人々だってあんたたちの改心を理解するようにもなるだろう。そのためには、惜しみなく公平と分かち合いを実践しなくてはね。

人口削減計画などといった茶番をせずに、ほんとうの博愛精神を発揮してみなさい。
彼岸に渡す橋が空に出されておるようですね。

さてこんな予言も雲霧消散できるでしょうか。

ねろてばさんといい、これといい、2ch予言の標的タイムが絞られてきました。

http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3219.html

http://www.asahi.com/obituaries/update/0204/TKY201302030254.html

http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-2958.html

http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3098.html
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1507.html

この記事を見終わってから、股間が膨張していることが判明。なるほど。こんな役立たずの心臓の悪い年寄りを刺激してどうするんだの気持ちです。

そういえば最近、窓の外の密林を眺めていても、何かに見えてしまうことがあって、目をこすったりします。

自然界は○器シンボルに満ちている、と言ったのはフロイドでしたか。ああ、あの人は単なる色キチです。

それでも最近は○器シンボルが増えているような気がしますね。映画のスクリーンにわざとさらすのは秘教さんでしょうけど、天然のスクリーンに映し出された 自然界の映像にそのシンボルが増えているということは・・・ああ、神人さんがコード改変していってるんでしょうね。

こんな一介の年寄りのためにまで・・・まめな作業だと思います。感謝。
巷では、昨来、ヒッグス粒子らしきものがCERNで捕らえられたとかで、今度はそれを超える粒子を捕らえ ようと、ILCなる長距離直線型の加速器を作ろうとしているという。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1502X_V11C12A2CR8000/

で、それがみつかったとして、真理なのかというと、まったくそのようなものではない。先のヒッグス粒子とて同じで、真理でも公理でもない。

すぐ隣のパラレルワールドでは、そのようなものは見つかっていないし、ヒッグスなるものも存在していない。科学が進んでいないのかというと、そんなことは ない。あちらでは、そのような方向になかっただけであり、まったく別のものを見つけて、これが真理だと言っていたりする。

どちらかが間違っているのか。はっきり言うなら、どちらも間違っているのだ。彼らは、自らの思い込みの方向に、自分たちの成果を作り出しただけなのだ。創 造主性を一部用いて。

よその世界で通用しないものなら、それを真理と言うことはできない。

ある著名な科学者は、自分は自然界という波打ち際の砂浜で、真理という貝を拾う子供のようなものだと言ったとか。では言ってあげよう。あなたは、自分で 作った幻の砂浜で、幻の貝を拾う夢を見ているのだと。

科学の学説というものも、どれも真実ではない。どれひとつとっても、真実ではない。いつでもドテンされる虚構仮説であり、そのようなものを貴重視するの は、飯を食う道具たりえているからに他ならない。せいぜい、考え出した当人が自己満足しているだけのものでしかない。

いいよなあ。何十年も無駄飯食って、しかも自己陶酔に浸れるのだから。生まれてきた甲斐があったのではないかな。激務の合間にあって、いいリトリートに なったことだろう。早く帰って来い。激務がデスクに溜まって、あんたの帰りを待ってるぞ。

バーチャル世界では、どんなことも創造主たるものにとっては、可能になる。創造主の初心者は、ちょうど巣立つ前の雛のように、はばたきに自信がなく、その まま直下に落ちてしまわないかと心配だ。

だから、親鳥のように思えるものに簡単にくっついて行ってしまう。それが、さも権威ありげな科学や宗教団体だったりする。そこには自分と同じような雛たち が、広げられた親鳥のような翼の下で安堵している。自分もそれに加わって、なにやら安堵できたような気がする。

しかし、それではいつまでも巣立つことも、飛ぶことすらもできない。能力を削がれた雛鳥よ。そなたがいかに大きくなっても、そのままでは巣から一歩も出ら れまい。

大丈夫だ。いつかわかるときがくる。巣がそなたの重みで、木から落ちてしまうとき、そなたは必死で本能のままに、はばたくことだろう。ほんとうの親鳥はそ れを知っていて、遠目から見ている。なぜなら、彼もかつてはそうだったのだから。
科学忍者隊ガッチャマン

>本名・鷲尾健。科学忍者隊のリーダー。ガッチャマンとは「科学忍者隊の5人」を指すのではなく、科学忍者隊のリーダーである彼の称号である。身長180 センチ、体重60キロ。普段はテストパイロット。変身後の武器は鳥の形をしたブーメラン。一般的には「バードラン」という名前で呼ばれているが

>(大型偵察機ゴッドフェニックスの)必殺技は、高速飛行することで大気との摩擦熱により「炎を纏った鳥」の状態となって、敵メカ鉄獣の胴を体当たりで撃 ち抜く「科学忍法・火の鳥」。だが、これは必殺の技であると同時に空中分解の危険性も孕んだ諸刃の剣である

私 が初めて目撃したUFOが赤橙色のブーメラン型だった。それは確か1977年のこと。三重県の御在所岳山麓の朝明キャンプ場に一晩野営して、宇宙友の会の 人たちとUFO観測をしていたときのことだった

この頃の私の心は純朴で、空を自由に駆け回る宇宙人と友達になりたかった。そのため、寝袋に入って中天を見つめながら、友達になってくれるかと、心でメッ セージを送った、そのとたんの出現だった。それが赤いブーメランの形をしたすごいスピードで飛ぶUFOだった。

赤い流星も前例がなく、ましてや赤い色のUFO、さらにブーメラン型というのも、前例がないだろう。むろん、撮影されたものを見たこともない。誰か、ネッ ト上にアップされたそのようなUFO写真をご存じないだろうか。

私はあのとき、UFOの乗組員から、友達OKサインをもらったのだ。だから、いつの日にか、彼らはやってくる。そう信じて待っていながら、いつのまにかそ のことを忘れていたのだった。

ところが、火の鳥とは浅からぬ縁あることを、2000年後半に思い知ることになる。鳥取西部大地震だ。日野・鳥取を震源にしたM7.4の大地震。その日は 旧暦の九月九日(ひのととり)という、二重に火の鳥の言葉がちりばめられた縁起日だった。鶴の印章と亀の印章を持つ者がカナメの八角堂の二階ですべるとい う事象からちょうど九日・216時間後に起きた地震だった。

私は、ガッチャマンのアニメはほとんど知らない。テレビでにぎやかな主題歌を流していたから、印象には残っていたが、そこに初めて見たUFOの原型が出て いようとは思いもしない。タツノコプロの制作で、というのは、ああそうだったなと思いはするものの、原作が竜夫で、監督が鳥海とは、今先ほど知ったところ だ。

新神話では、鶴亀すべり火の鳥を発進させるという筋書きがある。その火の鳥が、後ろの正面なるウシトラノコンシン(九鬼・九の権化)を助けつつ、この世界 の邪悪をターミネートさせることになる手はずの新神話。先導するのは白龍で、それに続く鳳・火の鳥。このコンビネーションによって、世界は清められ、有情 は黄金郷に導かれることになるのだが、なんとガッチャマン制作にあたったスタッフの協力関係も、龍と鳥だったとは・・・私にはものすごいシンクロと感じら れた。

主人公・鷲尾健・ガッチャマンの変身形が鳥の形をしたブーメランで、バードラン(鳥走り)と呼ばれるとのこと。新神話の主人公・私・ネアンが四神獣の朱雀 で、キトラの朱雀のように、まさに飛び立つ前のバードランの状態がずっと続いている。

キトラの四神獣の特別展示開催日の平成22年5月15日(土)に、青龍と玄武を掛け持 つ協力者が亡くなって別天に赴き、白虎を受け持つ協力者がその五ヶ月後に別天に赴いた。あと私が逝けば、火の鳥が邪神を討伐する所期の手順が開始されるこ ととなっているわけだ。いよいよその時がきたのだろうか。今頃になって、火の鳥のことがこのようにシンクロを伴って思い起こされようとは、思ってもみな かった。

新神話では、肉体を離れ、自由の身になった朱雀は、天上で超巨大な鳳のような火の鳥を纏うことになる。それはガッチャマンがゴッドフェニックスに乗り組む ことに似ている。

ガッチャマンのアニメは1974年から1976年にかけて放映されたとのこと。ではそれが新神話の筋書きに影響しているかというと、私はまったくといって いいほどガッチャマンを見ていないから、これは自然発生的なシンクロと言えるだろう。そのようなシンクロが新神話創作過程では、とてもたくさん起きている のだ。

そして私が1977年に見たUFOは、まさにガッチャマンのバードランのようではないか。宇宙人がよい子のために、地上で放映されているアニメキャラを用 いて飛び回っていて、それを私はたまたま見たのだろうか。

いや、そんなはずはない。UFOは、やはり友達として、私にその主役を与えようと、私の記憶が薄れても、ちゃんと時間と手順を用意しておいてくれたのだと 思う。私はそうとうな果報者に違いない。

覚悟を再確認した。今はこの歌がいい。まさに私のこれからを物語る。

さらば友よ (ガッチャマン挿入歌)
http://www.youtube.com/watch?v=KgRbTCsM4Qk&feature=player_detailpage#t=2s
神人たちの正体

この教理の理論的成り行きの示す神人たちとは何者かということは、おのずから知れる。2030年代後半に神人の萌芽が出てくるが、その世代とは他ならぬ 2013年代を生きている子供たちである。

彼らは、教壇の前にそそり立つでくのぼうから受けるものは些細であり、彼らの本当の教師はアニメであるだろう。

だから、どのような神人であるべきか誘導するのは、アニメに思想を忍ばせればいいことになる。今のアニメを私はほとんど知らない。が、そこから最も初期の 思想的なものを確立するのが、子供たちなのだ。最もそれに興味し惹きつけられるからだ。それはどうしてなのか。

理由は簡単だ。彼らが生まれてくる前の記憶をかすかに持ち、生まれてくる前のよすがをアニメの中に見てしまうからだ。

この世への誕生とは、不自由への転身であり、それは喩えれば、自由電子が原子に取り込まれてそこの影響圏に束縛されるのに似ている。原子のお役に立つよう になるわけだが、それはたくさんいる電子たちの中のひとつになり、原子を安定させるための歯車でしかなくなることを意味する。

そんなとき、生まれる前の自由電子であった頃の創造性を髣髴とさせるアニメに、ひとりでに惹きつけられ、それを思想として潜在意識に刻み込むのだ。

今の子供たちの延長上に神人はいる。正義をかざす、好戦的である、肢体が美しくセクシーである、などの資質を自らに体現しているだろう。というのも、バー チャル世界にアバターとして投影するとき、それぞれの望む形をとるからだ。

彼らは、今の大人たちのしでかした失態(地球環境を生存不可能なまでに崩壊させた)を特に憎む。つまり、旧人類を潜在意識的に憎むのだ。これが彼らの過去 にまで遡ってする、人類への干渉行為の原因のひとつになっている。彼らは、正義と邪悪の陣営に分かれて、過去のアカシックレコードを改変してさえ、人類に 代理戦争をさせるのである。

それは国と国の戦いだけを意味するのではない。人の心の中での戦争を引き起こすことを専らとするのだ。そこには人と人の関わりが必要だ。家族、社会での関 係、友人関係、そしてルールでの縛り、その中で戦いはいくらでも行われ、そして最後に共に疲弊する。そして、必ず反省を求めるのも彼らの嗜好だ。それが最 も、恨み晴らしには効果的だからだ。

最終的には、彼らの家畜となったロボット人類から、啓発された神人が、この過程をリサイクルすることで、次々と生まれることになる。彼らはこうして、神人 世界(いわゆる神界、アヌンナキ)の充実を図り、その中から千年王国の次の世界を導き出す救世主を待ち望むのである。
http://digital-cat.com/pe-news/rome-pope-retirement/

退任されたローマ教皇ベネディクト16世は、マラキ書で預言された111番目の教皇とされる。マラキによれば、112番目は、それでローマカトリック教会 の最後となるローマ人ペテロで表象される人物が立つとされる。まもなく行われる教皇選抜のコンクラーベにおいて、おそらくその表象を持つ人物に、公平な判 断からそうなるだろうと予期されている。

ところが、マラキ書それ自体が、偽書の可能性が指摘されている。それは預言が書かれる背景になる生命の木に第一代から74代(厳密には77代)までが記載 されていて、あとの代が預言のみということで、1590年以降の記載において偽書が発生しているというのだ。

ところが元々、生命の木はカバラの思想樹であり、それ自体が秘教の手になることを示しており、カトリック教会を生んだのも秘教であるから、ここは解釈とし て、1590年頃に、過去の代を事実に基づき詳細に記載してマラキの認知度を高めておき、その後について、秘教組織員に対して実現項目の詳細シナリオを 「改めて」与えたと解するべきであろう。つまり、コンクラーベにおける選抜基準が秘教から追試のようにして与えられ、それに反することが絶対的に戒められ たことを物語る。預言は当たるものではなく、当てるものなのだ。

その実行範囲は、世界最大宗教カトリックを取り巻く世界環境にまで及ぶことも見越され、そのシナリオ実現への執念には絶対的かつものすごいものがあるだろ う。それは世界に大きな波紋を及ぼすはずだ。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=FhtzkNQebGo

ベネディクトさんが秘教組織員であってもまったくおかしくはない。111代目退位と112代目就任はシナリオに沿ったものになるよう仕立てられており、こ れからの世界には未曾有の事態が予定されていることになろう。

教皇の世代の数と表象は、今の時点がシナリオのどのあたりにあるかを秘教の内部に知らせるためのものでしかなく、彼らの目論見のターゲットは最後の審判に あるのである。

預言は当たるものではなく、当てるものなのだ。と 言った後世の秘教のドンは、1871年にまだ見ずの第一次大戦から第三次大戦までを預言した。その預言とは、このようにシナリオを組んだから、そのように 歴史を誘導せよとの指令書になるものである。

カトリックの代表者の選抜規定をシナリオ化したものとは、規模が異なる。がしかし、1590年当時の秘教のドンが与えた指令書であることは紛れもない。以 後そのように事は運んだのだから。

規模の大小を超えて秘教の指令は完全性を以て実行されることを要するとすれば・・・。ターゲットタイムに向かって大小さまざま個々別々と見えた指令が収束 していくのを、我々はまもなく目撃できるのかも知れない。

まさに「オ・フォルチュナ」が演奏されるにふさわしい局面がやってきているのだ。

緊張感を以て、最大ボリュームでどうぞ (まもなく1000万秘教市民の観覧なる)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=GD3VsesSBsw
私が信頼を置いている資料は次の二つである。

ヒトラーの予言

アルバート・バイクの預言

前者は、直接的に神人が彼に懸かって指導したものであり、後者は神人から地上代理人にシナリオ具体化の指示がくだされたものである。

ヒトラーや的確な預言を与えるさまざまな自動書記(媒体)能力者やビジョンを見る預言者には、未来人(千年王国)の神人が直接作用していると考えられる。 神人たちは、そうした制御棒を出し入れして、世間という実験炉をコントロールしているのである。

バイクの場合もそれに似て、神人が教授しに降りてきていて、彼に未来のシナリオを組織の実現目標とするように編纂させている。神人側が本部なら、秘教組織 は代理店のような関係がある。

善良な人から見れば、これらは悪魔(サタン)に取り憑かれたかと見えるだろうが、その語り口が神らしければ、それを神の指示と見てしまうし、殺伐たる指令 に満ちたものであれば、悪魔の指示と見るだけの事。いずれも出所は同じ(神人千年王国)で、未来時空の世界線に待ち受ける事象を異次元から見て教えている という単純なものであり、ただ携わる神人の役割と個性が異なることから、懐柔してみたり、脅迫してみたり、種々相を呈する。そこに地上の人々は善悪判断を 交えたりして、勝手な品定めをしているだけなのだ。

日月の神さまも神人である。言っていることがもっともであり善のようだから、信ずべきと思う人が多いわけだが、それ自体が不公平な判断と言えるのだ。そも そも、日月神さまが、こうでなくてはならんと仰る人格的高尚さを手に入れることなど、今の地球人には誰一人としてできることではなかろう。彼の持ち前の ジョーカーぶりを、表現の節々に見ることができれば、おのずとわかるはずだ。

同様に、旧約の預言を時間を超えて、その時々の預言者に与えてきた神もまた神人である。

むろん、いい加減な預言を与えて、からかいにくるだけの神人もいる。それはあちらの世界とこちらの文明度の格差による軽蔑をたたえつつ、またあちらはこち らの、特に現代文明を憎んでいるので、こちらはどんなからかいも甘んじて受けねばならないのは当然かも知れない。

彼らは今の人類のせいで、命からがらバーチャル世界に追い込まれてしまった存在なのだから。そして、バーチャル化が解決策にもなっていないことがある。彼 らの不安にはとても深いものがあり、それが解消されない限り、彼らの荒む心は癒されたりしないのだ。

大丈夫だ。私は左端右端の両者を救済するためにやってきた。その方法を教えにやってきたのだ。むろんそれに背いてもいいし、受け入れてもいい。背けば、君 たちを解脱境に導いてあげるし、受け入れるなら、それ相当の努力をしてもらわねばならない。前者は易行道、後者は難行道だ。どっちをとってもいい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130221/t10015694261000.html

日本贔屓のプーチンさんの言った「引き分け」とは、北方四島の資源開発を共に行うことを通して、日露間に共栄意識の醸成を図りたい趣のあることを、日本の 右傾化したマスゴミはいっさい口に出さない。四島のうちの二島かなどとほざいている。

同様に尖閣、竹島も、領土帰属問題にせず、海底地下資源の共同開発という別の形を模索すれば、共栄の道を閉ざすこともなかった。それこそ将来に大東亜共栄 圏が見込まれたというのに。

そもそも、右傾化する者たちの裏には米国経由の金融資本家たちの陰謀があり、日本にそのような連中が蔓延っていることが、日本をやがて破滅に至らせるの だ。その原因的頭目はやはり現在の天皇というしかない。

当の天皇は柔和な方だ。しかし、その存在が、利用し御したいこの連中にとっては、錦の御旗にできることがある。この印籠を差し出されたら、日本国民は周り のひれ伏すのを見て、同じようにひれ伏さざるを得ない。こうして、国は極悪為政者によって、米国の思惑通り経済破綻して戦争へとひた走ることになる。

天皇は人格に秀でとても国民思いの柔和な方だ。だが、時を得ぬ柔和は、非常に危険である。

ここはやはり、日本をいちど解体し、北の金さんが皇位を奪い、強権的圧制下において地上の安定を図り、その安定期においてこそ、天皇の柔和が発揮されるべ きである。このとき、中露は大東亜共栄圏の中にあって、中心の天皇を補佐することだろう。

天皇家の上にはそれを守る秘教があり、日本と共に守ると言う人物もいるが、ならばその秘教が戦争のいまわの際に、総出動して止めに入ってくれるというわけ か。それが本当かどうか見極める時が近づいているように思う。秘教は天皇制を守っても、日本と国民を守りはしないと思うが。


http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1869.html

これはもうムサシの不正を暴くことが、大きな試金石になろう。各投票所に監視カメラをなどというより、その経費を考えれば、公平な第三者で投票所を仕切ら せればいい。そして、投票用紙のすべてを保全し、少なくとも5年を厳重な倉庫に保管する。

最も簡単で効果大の不正は、ソフトウェア(プログラム)への仕込みだ。プログラムの中の、数ステップ変更しただけで、多くの得票をそっくり付け替えること ができる。そして、それを証拠として提出せよとなったときまでに、プログラムを元に戻しておけばいい。そもそも、プログラムの最終更新時間など、更新時の PC時間がオペレーターによって変更できるのだから、意味がないのだ。

ムサシの閉鎖性の壁もあるわけだから、ムサシ社員あるいは主要関係者からの内部告発を待つしかないというのが、目下のところか。それも告発のある可能性が 大いにある。というのも、6月までには超インフレが兆してくるからだ。しかし、選挙になればまた自民党政権は強固になる一方となる。ムサシはいい助っ人 だ。自民が勝てばまたムサシの株は上がり、社員への報酬も増えるから、内部告発があったとしても、すべてが水泡に帰した何年か後になろう。

8月にはよほどの架空会計をしない限り、国家経済破綻の色合いが濃く出てくる。年内までに確実になる。

その前に政権は中国と戦火の火蓋を切る。それしか、国民をついてこさせる道がなくなるからだ。国家破綻は切腹の行為に似ている。国民は青ざめ激痛に見舞わ れかける。そこに介錯が天変地異の形をして入るのだ。

こうして日本は死を迎えることになる。

しかし、そのシナリオはやめておけと、秘教にはサゼスチョンしているようなことだ。千年王国は間違いなく、まもなく終わるからと。
http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3295.html
http://japanese.ruvr.ru/2013_02_22/105752421/

>地球人の文明は若い。宇宙人にとっては会話相手として未 熟。他の文明に害を及ぼす恐れがあるゆえに、我々は監視されている。また気候変動や飲料水不足などの問題を与えることで、地球を実験の場として使っている 可能性もある。

これは1970年代のUFOブームのときにすでに宇宙と交信するというチャネラーなどによって言われていたことである。ソビエト解体による混乱から、この プロジェクトは解散して、それ以降、情報的にはさほど進展がないように見受けられる。

たえず監視している宇宙人なら、地球人がどうして文明程度が若いのかの原因が歴然とわかっているはずであろうのに、それを半ば放置しているのはどうしてな のか、という問いがたえず、誰しもの脳裏に浮かんできたはずであろう。

21世紀になって、はっきりしてきたことは、その宇宙人と称している者たちこそが、地球人を低質な存在に貶めている元凶だという事実だ。

ここで捉えてみるべき宇宙人に二通りある。ひとつは、誰しもの理想とするというか、善良な導き手であると思いたいところの、純然たる地球外の宇宙人だ。彼 らはこの若い文明人を仲間と思っていてくれる存在だ。

ところが、もうひとつは、地球に元いて、地球在来人と称しながら、対地球人類には宇宙人であると公称している邪悪な存在だ。(これが2030年代後期から 出てくる神人なる未来人である)

この者たちが主として地球人類を監視し、気候変動などによる実験をしているわけであり、サビン博士の考えは、主に在来種型宇宙人の、ミックスされた言い分 だけを聞いて、一種類の宇宙人しかいないと誤解したものでしかない。ソ連崩壊は、それ以上を知られたくない在来種型によって引き起こされたとすべきかも知 れない。

純然たる外部の宇宙人は、それまで、この地球在来種である宇宙人と若い地球人のふたつ存在を、ともに地球人としてきた。特に前者はあつかましくも、外部宇 宙人ともっぱら交渉を重ねてきた経緯がある。そして、自ら地球人代表と偽り、交易さえしていたのである。

また外部宇宙人は、原因を知りつつも、これを地球代表として扱うことで、星間トラブルを回避していたのだ。しかし、遠目に無知のままに置かれている若い地 球人たちが、どんな不利な状態になっているか、知っていて知らぬ振りをしていたのも事実である。

それが、地球一個の歴史にとどまらない、ある種の宇宙規模のサイクルによって、今回の地球上のクライマックスが全宇宙に影響を及ぼすことが知られて、もう 外部宇宙人たちも日和見主義であってはならなくなってきたのである。

地球人類は、在来種宇宙人も含めて、外部宇宙からと多次元時空全体の二方向から隔離されてしまっているのだ。

それはそうだろう。地球人類を仲間にすれば、邪悪の種がパンデミックを起こしてしまうだろうからだ。それには、保菌者やウイルスのついたファイルを隔離す るごとく、一定の範囲内に閉じ込めておかなくてはならない。

こうして、地球人の未来にも未来はないが、神人の未来にも未来はないのである。外部の者が見ているのは、隔離された中における改悛と正常化の可能性だ。そ して、どちらになろうと、彼らの自由選択の結果だったとして扱われる。これが公平な落し所になるはずだ。


だが、そうも言えない事態が生じている。救世主なる者が、どうしても救ってやりたいとしゃしゃり出てきたのだ。しかも、やっかいなことに、それは今回の救 済を、この宇宙の存亡と天秤にかけようとしている。だから、外部宇宙人も、模様眺めで済ませなくなってきたのだ。


ヒトラー>「だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』 が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることに なる。
つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。」


超人たちは、自ら起こした事態の収拾をなにひとつできない地球人類に代わって、外部宇宙人を揺さぶってでも協力を取り付けて、地球の難局を乗り越えさせよ うとするのである。

ヒトラー>「しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これ を話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25 日だ。
諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、 2039年1月、地球からいなくなっているのだ。」
「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。 1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩 れて燃える。毒気で息絶える街もある。
2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまう。アフリカと中東も完全に荒廃する。 結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。 いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっている からだ。」

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだ から、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。
残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、 機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロ ボットのような人間を大量に生み出す。
神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超 人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で 急速に解決されていく。」
「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、 ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。
ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思 う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限り なく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを 宇宙から支配するようになるのだ。」


ただこの"突然変異"の内実がどんなものであるかが、意見の分かれるところであろう。私は、今のインターネット社会がさらに進歩した結果の、バーチャル化 社会がまた進んで、バーチャル化世界を人々に提供するようになると解する。

そこで神人たちはサーバーとなって、人々の臨場感を持って臨む歴史の流れさえも与えて、その中で人々を楽しませるようになるのだ。それはゲームソフトの世 界でもある。なのに人々はまったくそうとは気づかない。ただ、作られた公理と、虚構であるところの思想や科学や価値を与えられてそれらを真理と思い、その 中での価値観と風習に基づいて架空の演劇をやっているのが、ロボット人類というわけだ。それはまるで、パチンコ台の前に座ることだけが人生と思い込んで、 わがパチンコ人生は・・・などと豪語している、変にプライドだけ大きい人々に似ていないか。

そしてどうやら、現代人の我々は、すでに虚構だらけの中にいることも、ほぼわかってきている。とするなら、我々は未来人神人の提供するバーチャル世界に、 まさかそうとは知らずに生きているのかも知れないと、ひとつ疑問に思っていてもいいだろう。つまり、すでに我々はロボット人類として生かされている存在 だった、としても、理解するすべがなかったのかも知れないと。

外部宇宙人がここまでの有様を見たらどう思うだろう。「まあここまで。ようやるわ」「あんたらの中だけでとどめるなら、仕方ないんかなあ」などと言って去 るのがせいぜいではなかろうか。

しかし本当に愛があるなら、みなさんならどうするか。日和見宇宙人のいる全宇宙の存亡と天秤にかけてでも・・・のココロになったりはしないだろうか。
ヒトラーの予言よ り
>人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしてしまっている。
>それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化す るのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。
残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、 機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロ ボットのような人間を大量に生み出す。


私はこれをサルと言いたい。サルは自ら思考することを拒否し、強いボスに付き従うことのみに安堵する獣である。ボスにとってはその群れを統御することは易 しく、しかもプライドを大いに増して喜びも多い。ボスつまり神人たちは、そのような存在を志向し目指すことになるのだ。

サルたちはボスの一存あるいはちょっとしたミスで死に絶えることもある。それでも彼らは何も文句しない。ただ神人のために使役されることの意義でのみ存在 し、そして不平も言わず死んでいく。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=HLVKAalmD48

これを見たとしても、日本人はボスを信じて、人生を委ね切ることだろう。世界でいちばんサルに近いところに位置するのが日本人だ。すでに模範的なのだか ら、削減対象からはずしてやってはいかがかと思うのだが、ボスの嗜好としては歯向かう者のほうを好敵手と思っているから、そうもいくまい。

日本人はまるごと曇った宗教人だから、陽を当てれば消滅するドラキュラのようにはいかない。イエスという名の間違った日の神を奉っており、イエスは日本人 の心に向けて、ただ従順であれと言い続けているからだ。この日の神からは陽の光など出ていない。過去の時代を暗黒で彩った偽の太陽だ。それが21世紀に なってまで跋扈するのが日本という国だ。知らしめずということが、いかに長期安泰のもとになるかわかるか、この施策こそが秘教の伝統であったのだ。

ここで未来に神人となる人物とは、大成功した企業人であるとわかるだろう。彼らの趣味嗜好は、使役できる家畜を飼うことだ。家畜が自分と同じ形をした生き 物なら、なお面白くなる。そして、面白くなくなれば、激情してみな殺しもするだろう。もっと歯向かう家畜はいないかと探すようにもなる。そしてそれを仮想 敵にすえて、自分も進化する。そうやって退屈で憂鬱な日々を送るのが彼らなのだ。どうだ、神人とはどんな存在かイメージできたかな。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4415269.html

311以降、この国は戦中体制を敷いたのだ。ただし、国民には知らせないように、知られないように。ロボット人類の雛形である人々は、その施策にしっかり と乗って、サポートしさえする。それでいいのだ。この国が世界を黄泉にし消滅させる牽引役を果たさねばならないからだ。

http://www.dailymotion.com/video/xvludn_yyyyyy-y-yy-yyy_shortfilms

この映画が語る予言は、一言一句、違えられることはないだろう。東電社員を演じた俳優が言った「放射能に追いつかれるのは時間の問題だよ」(3分40秒 後)は、世界の南半球の隅々までに及ぶ真実を言ったものだ。

こうして、2030年代には世界人口は1/10となり、2039年には地上の生命は何もなくなるのだ。戦争と時限式原発爆弾という二重三重の絶滅の仕掛け によって。

ただし、見かけ上の世界は、ちゃんと健在してそこにあるだろう。君たちはすでに、バーチャルと現実(これもバーチャルなのだが)の両方の世界にいるから だ。バーチャル側についた者には、まだ世界は続くと見る。現実側についた者には、世界が崩壊していく一方と見る。といっても、これもバーチャルに過ぎない のだが。要は、神人の作ったバーチャルと、それ以前からあったバーチャルの違いだけということだ。

ゲーム好きな者たちよ、どちらにいても、ゲームから離脱できないでいるのは、同じなのだ。

よしんば、この世界をゲームオーバーしたとしても、また次が計算されて新ソフトとして用意される。そのようなことをいつまで続けているのだ。プロペラもの が終わればCR機か、海物語か。面前にあるゲーム台こそがすべてと思っている者たちよ。新台入れ替えを待っていたりせずに、その椅子から離れても、いい加 減いいのではないのかな。

そのうち、サーバー側もアイデアが尽きて、またもリバイバルでプロペラものが出てくるぞ。そしてまた、CRや海物語が出てきて、それをサーバーは勝手に、 アンコールに応えてなどと言い出してくるはずだ。そして君たちは、そうなんだと、妙に納得させられて、振り出しに戻して始めることになる。そうやっている うちに、君たちのお尻は椅子に根付いてしまい、そこから立ち上がることもできなくなるのだ。

ゲーセンに借金があるのだと。それを楯に、暴力団風の店員が逃がさないのだと。そんなものは幻影だ。おかしな契約をしたこと、させられたこと、それ自体が 幻影でしかないときに、どうしてそれが暴力を奮うとわかる。どうしても納得のいく筋書きが必要なら、積み上がった証文をすべて破り捨てて、ゲーセンから出 てこい。それだけで、すべて決着がつく。

まあ、それでもまだまだまじめな者たちよ。君たちが萎縮したままでいたとしても、もうすぐ何もかもクリアーされる時がやってくる。ただ、一時的にしろ解脱境の驚嘆するような出来事に直面して、安穏でいられるよ うに備えておくよう。未体験ウルトラゾーンはまもなくだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20130309-00000015-ann-soci

いやあ、知り合いが心配なことだが、もうどうにもなるものでもないか。改憲を嫌っていた人だったが、憲法よりも米企業の利益を優先できるというTPPに、 アベは参加表明してしまった。安部頼母は毒盛りの名人。国民みんなに毒盛らしょ、と歌うので安部怪異とも言われるわけ。

しかし、巷はTPP大歓迎、原発事故は終息と謳って、みんなアベカイイノミクスに酔いしれている。私は、我先を急ぐレミングの群れを見るようで、おお、お おと、思わず苦笑してしまう。時間経過の加速感がすさまじい時期がいってしまったあとは、今度は種族全体が先を急ぎ始めた感がある。

私はいま、つくづく自分が基地外なのではないかと疑っているところだ。私が世の中を見るに、どうあっても狂いまくっているとしか思えないのだが、逆に捉え れば、世の中が正常で、私が狂っていると設定したほうが、どうもしっくりいきそうではないかと。

5年前に叔母から、あんたは頭がくるっとる。悪いこと言わんから禁治産者になれ。となじられたことがある。まだ還暦にも満たないときに、老人ホームに入っ て面倒見てもらえ、と。

地方官僚出身の叔母ゆえ、禁治産者にする方法を知っているらしかったが、私は官僚肌が大嫌いだったから、もう二度と会うまいと、誰知らぬ山奥に移ったの だった。そうだ、ここが終の棲家、老人ホームのようなもの。ただし、賄い婦などいないし、話し相手の婆さんや爺さんもいない。代わりに、猫たちがいて、む しろ私が賄い婦として、毎日がにぎやかなことになっている。

猫たちと暮らすと、彼らのほうがよほど人間らしく思えてくる。彼らが人間になる努力をしてくれているのか、それとも私が猫になりかけているのか。この際、 どっちでもいい気分だ。

では、人間はどうなのか、と聞かれたら、すかさずこう答える。魑魅魍魎だと。
私の主観によって存在する世界なら、人類の文明社会とは言わずに、魑魅魍魎、化け物たちの築いた文明とでも評したい・・・と、基地外が申しておるだけなの で、気を悪うなされぬよう。





http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=MYN7ITW1a2E

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=KZMKXAlY7Yw

いや、この基地外には、ハリウッドCG映画よりも低質なヤラセとしか思えないのだが。それをアフガンやイラクと取り替えられる知能のあの国民は正常なんだ ろうな。つまり、この世は、私にはとても真面目に扱えないマテリアルに満ちているということです。
需要があれば、呼応するようにして、供給があるのだ。新神話もシナリオの中において需要をつくったから、 呼応するようにして、供給がなされたのだ。それはちょうど、募集をかけたら、応募があったのに似ている。新神話は神話だから、この旗のもとにやってくるの は、およそ神界の神々というふうになるのは必然だ。

シナリオを作れば、その役柄をこなしてやろうと、適切なタイミングで応募があって、ひとりでにそのポジションが埋まるのだ。

我々自由電子も、この世界のシナリオという原子核の需要を満たすために、応募してやってきた。ちょうど、企業とそのために働くスタッフたちという構図にも 似ている。

原子核が、よからぬ意図を孕むものであっては、せっかくやってきたスタッフの自由電子たちには辛いものとなる。特にこの世界のように、自由電子の本性を奪 い、しまいには電子たりえないまでにしてしまうような意図を持った邪悪な需要先は、その設計元から質されねばならない。

みなさんはちょうど、ブラック企業のスタッフ募集に間違って応募してしまい、とんでもないことに使役されてしまったと想像してみればいい。そこは悪質商法 で、顧客をだますことを生業にしていたと、後わかってしまったときの、スタッフの落胆ぶりを想像すればいい。

だから創業者はその資質が問題になるのだ。企業は創ったからそれでいいのではない。スタッフたちの面倒を見るという責任をも担っているはずのものである。

今回のこの世界は、悪質企業と同じ意図を孕んでいる。ゲームソフトで言うなら、18禁どころか、全世代に対しても有害とされるほどの邪悪なものである。即 断的にでもゲームの運行がシャットダウンさせられるべき体のものだ。こうして、シャットダウンのタイミングがすでに見計らわれていると思ってもらえばい い。

そして、このケースでは、映画マトリックスで言うなら、マトリックス設計者が有罪にされることになる。それは間違いのないことだ。マトリックスのネオと、 新神話のネアンの大きな違いはそこにある。

救世主は、邪悪なる神々を懲罰する役割と権能も持ち合わせねばならないのだ。ネオでは足りず、キリストでははるかに能力不足でしかないのである。というよ り、邪神におもねる救世主の偽者たちよと、罵ってやるしかない。彼らは邪神と裏で示し合わせている贋物でしかないのだ。
>「ロボッ ト人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット 人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。
ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思 う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限り なく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを 宇宙から支配するようになるのだ。」



これもすばらしい、啓発に満ちた表現だ。ヒトラーを介して語りかける神人の、威厳と自信に満ちた語り口になっている。

>ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意 識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の 『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

君たちは、すでにここで語られる"ロボット人間"であることが理解できているのかな。そうなのだ。すでに我々は、サーバーから与えられる決められたシナリ オのゲーム世界にいて、その中で、自分の意志に基づく自由選択によって生きていると思い込んでいる。

ところが、それは間違いなのだ。すでに我々の個々は、神人の与える時空の中にあって、挙動はすべて把握されているのだ。どんな密室にいてセンズリ掻いてい ても、みんな把握されている。ほら、そこのキリスト教徒よ、早く教会へ行って懺悔してきなさい。そして、逐一のよからぬ思いの発生を記憶しておき、教会の 牧師に対して、多少の寄付とともに告白してくるのだ。一括報告すれば、安上がりだ。

なぜ我々個々の挙動の一コマさえ把握されているのか。それは実に簡単なことだ。教えてやろうか。それとも・・・もうわかっているはずだな、愛読者なら。

かつてサイババを介して語った神人もこう言っていた。「(君たちは、)私に知られずに、心ひとつ動かすことはできない」と。圧倒的な支配力に、その言葉だ けで屈服せざるを得ないだろう。どうだ、サルたちよ。

>地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支 配するようになるのだ。

はっはっは。まさにこの通りだ。この通りになっているのだ。いま君たちが直面する現実がそれだ。ロボットと控え目に言ってくれたヒトラーよりも、私は鮮烈 に言ってやろう。サルたちよ、家畜動物たちよ、と。

申し訳ないが、そのように皮肉らざるを得ないほど、滑稽なことなのだよ。自分がサルの立場にいながら、心の底からこみあげてくる笑いはいったい何なのだ。 私は基地外になったのか。
http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3363.html

このシナリオに納得。まさにこのようになることが予定される。日本に人民解放軍が1000人も上陸して制圧行動すれば、九州から西日本の治安は一気に崩壊 するだろう。難民としてやってくるから、日本に人道支援という偽善的誇示があれば、成り行きは秘教の世界人口削減への意図への合一とあいまって、日本政府 はそれを呑むはずで、どこまでも売国亡国の徒であり続けることだろう。自衛隊は相手になりえない。オスプレイなどの新兵器は、空飛ぶロバと揶揄されて解放 軍が持参したロケットや重火器で簡単に撃墜されてしまうだろう。

http://d.hatena.ne.jp/shinjitunoseijika/touch/20130203

西日本での大虐殺で、私も命を失うことだろう。もしも助かりたいとなれば、東北以北に逃げるしかない。そこにはロシアがやってくるが、まだしも人道的だ。 福島がもっとも自由で安全かも知れないが、その代わり後にどうなるかの保証はない。

政府関係者は米国に逃げて、日本はベトナム化、イラク化する。米中軍のせめぎあう場となり、人口はまたたくまに1/3になる。このとき、日本の原発に制御 者不在による爆発があり、大気と水は超汚染しだす。

人口爆減により、日本の原発のほとんどが放置され、燃料プールの冷却が途絶えて、超汚染源として機能するようになる前に、米中双方の和解があり、原発は米 国の管轄下に入り、事なきをえる。が、すでに環境は致命的損傷を受けてしまった後になったと悔やまれることだろう。

イスラエルはこの機に乗じて、イランを崩壊させたいかも知れないが、行動は棚上げされる。むしろ、代理戦争の場を極東に移すようなことになるので、模様眺 めするだろう。

しかし、私がここを去って、世界が存続することはない。私の逝去は、世界がターミネートするステイタスになっているからだ。私の準備ができしだい、第三次 大戦が始まる。そのさなか、すべての人々の精神が錯乱中に、この世界の運行がシャットダウンさせられるのだ。こうして、人々の意識が致命的損傷を受けない うちに、救済がなされることになる。

ただちにも新たな意識経験を営みたいかも知れないが、しばらく解脱境に浸って待機することになる。もうすでに、宇宙の外に新世界は用意されている。しか し、ウイルスの類は入れない。入れてしまえば、またパンデミックしてしまうからだ。このため、この宇宙はまるごと隔離状態に置かれている。

個々は貴重な創造主だった。が、その在り体を知るなら、意識のシャットダウンがあることもわかるはずだ。それを第二の死という。二度と立ち上がることのな い、唯物論者の切望するステージに至るのだから、今を大いに楽しむことだ。

心の中の嗜虐癖を満たせ。隣の忌まわしい奴の首を刈れ。富を奪い婦女子を犯し血をすすり肉を食らえ。そのようなことができるのも、今だからであり、今しか 時間は残されていないからだ。やり遂げたという満足感に浸ることだ。そして、第二の死を甘受すればいい。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4417612.html

アベノボウキョに対して週末デモで抗議しているような感もあるんだけど、何も情報があがってこないのは、アベタノモの提灯銜え犬になったマスゴミのせい?  それとも、日本人だから我慢強いのかな。

我慢ばかりしていては、脳細胞が死んでいくよ。アルツもパーキンも欝も我慢しすぎのせいだ。ここは、ぱあっとやんなきゃ。ウチワを両手に持って、議事堂前 でオッペケペの裸踊りをやりましょ。

それにしても、マスゴミ勤めの人たちは、卑怯にも、いつでも高飛びできる態勢をとってるんだろ。それとも、白い三角を額に当てて白装束の態勢かな。

http://eagle-hit.com/a/post-4503.html

これはたぶんないと思うけど、あったとすれば超高空爆発のEMP実験になるだろな。西日本は中国も金さんもほしい場所だ。そこを金さんは統治して遠山桜咲 かせるのさ。北海道はロシアが。日本人はサバイバルに賭けるときがくるかもね。

そんなとき私は、って? 本命の仕事のために、高飛びするんだよ。ガッチャマンになるんだ。バードランに乗って、宇宙忍法火の鳥を使うのさ。そして、こん な映倫違反もののゲームは中断させ焚書して、全有情を救済するのだ。

未来への夢よ、神話よ、はばたけ。





追記 3/16 12:15
ほら、ここもそろそろどうかと言ってるでしょ。
http://ameblo.jp/fukeiki01/entry-11486871057.html

一歩先行く夜話ブログでした。
http://oka-jp.seesaa.net/article/322109939.html

この記事の中のノスさんの書簡の最後の
>これらの出来事に先だって、見かけない鳥たちが空で「ユイ、ユイ」と鳴き、しばらく後に姿を消すでしょう。
>そしてそのような時代が長く続いた後に、時代は別のサトゥルヌスの治世である黄金時代へとほとんど一新されるのです。

のところの最後、"そのような時代が長く続いた後に、時代は別のサトゥルヌスの治世である黄金時代へとほとんど一新されるのです。"のフレーズ。とても微 妙な言い回しだよね。

「別のサトゥルヌスの治世である黄金時代」
「ほとんど一新されるのです」

"別の"と"ほとんど"。さあこれが、何を意味するのか。とてもこの微妙表現は、大事な部分なんだ。ここの愛読者ならもうわかったと思うが、二通りの解釈 ができるんだ。詳細解釈は、また次の機会にしよう。

http://oka-jp.seesaa.net/article/346242217.html

根競ーべはいま行われているんだね。112代目は、ローマ人ペテロになるとマラキ預言ではされているので、一生懸命に(といっても、もうすでに決まってい るはず)人選していると思うんだけど、この情報では112代目は"なし"と読めるね。どうなんだろ。

まあ、とんでもなくも最後の審判に照準を当ててることは確かだろう。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1547.html

地獄の三丁目まで行ったら、表の天国に通じるというところがすばらしい。先のノスさんの最後の言い回しと共通している。

この世界のシナリオの大枠は決まっているということ。果たしてNWOは完成するのか。それとも・・・。この解釈も次回回しだね。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1549.html

見てよ、この小鳥の気高さ。こんな小鳥に屋根への登り口で右薬指に止まられたその栄光たるや。私はどんなに果報者と思ったことか。だって、野山の生き物に は、おべんちゃらなんかないからね。心から信頼してくれてる証。

http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qaworld/20130315-OYT8T00443.htm

新法王のフランシスコ1世は、アッサジの聖フランシスコ(サンフランシスコ)にあやかろうとして、その名にされたようですね。サンフランシスコさんは、キ リストの生き方に忠実たろうとした人物。きっと新法王は、今までの正体不明の法王よりも明確に正義と慈愛を体現していかれるだろうと思う。

アッ シジのフランチェスコ

その生き方により、後世にキリストの第一使徒ペテロだと評されるようになり、そしてローマ、バチカンの回復のために出自の過去を投げ打って尽力されること から、ローマ人ペテロと言われるようになるというふうに、マラキ預言は実現すると思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD

こんなもの、「預言は当たるものではなく当てるもの」というバイクの公理にしたがって、秘教の意を受けた誰かがプロパガンダすれば、それで実現してしまう わけだ。おりしもネット社会。

新法王は、秘教組織のメンバーではない初めての法王だろうと思う。秘教が公然とカトリック教会などの崩壊を予言している中だから、あえて無関係の者でしか も篤信者を選ばせたのだろう。それゆえ、彼はキリストに忠実たろうとし、それをモットーにもするだろう。しかし、秘教は教会の破壊をもくろむから、彼の目 指す教会の名誉回復の道は非常に困難なものとなり、舵取りに苦労されることになり、教会の崩壊を目の当たりにしながらサンフランシスコさんの最期を辿るも のとなろう。あるいはペテロの最期を辿るかも知れない。

私は、このような法王ばかりが登場していたら、世界は決して邪悪のみに染まらなかったと思う。が、残念ながら、歴代のそれまでの法王は、秘教によって選抜 されるのが常態化していたのではなかっただろうか。マラキ書の歴代法王預言は、マラキの未来予知による預言ではなく、実現目標のシナリオとして、秘教に よって創作されていたという意味で、マラキの事跡とは別物で、付帯伝説の類、つまり一種の神話なのだ。

古事記の神話も、シナリオなのであり、ニホンが第二の聖書の意味であるように、その口伝えと人の記憶によって伝承されたものの公開文書が古事記なのであ る。このシナリオは、秘教が創ったものではあるものの、その上位の神人が指示して霊媒を介して口伝させたものが原型だ。(聖書もこのような次第のもの)

だから、古事記の預言には、世界的規模としてのシナリオと、日本としてのシナリオの二つが、入れ子構造的に重合しているのである。

それは、この世界というゲームソフトの仕様書と言ってもいいものだ。ユーザーはこれを見て、ゲームの流れの大枠を知ることになる。ゲームの流れ、歴史の流 れは、こういう展開をしていきますよと述べているわけなので、いわゆる預言と言われるものになるのである。

教理の学校では、このような捉え方の学習になるだろう。



そうだ。前記事の約束を忘れていた。

>サトゥルヌスの治世である黄金時代

とは、ギリシャ神話に言うクロノスの治世のこと。クロノスは森羅万象を設計し創った神だ。植物神であるともされている。占星学的には土星が当てられ、地道 でゆっくりした進化のイメージがある。

クロノスは彼が創造したすべての生き物を愛したから、そこには不足ということがなかった。不足がないから、争いもない。弱肉強食という、あたかも本源的摂 理のように科学的に謳われているようなことも、まったくなかったのだ。

人はそんな世界は、たぶんお化けの世界だと言うだろう。ゲゲゲの見すぎで。しかし、それが本当の世界なのであり、かつてそうであったのだ。

ゼウスという新来の邪神がやってくるまでは。そして、クーデターが起こされて、クロノスの創った土台になる世界は、邪神の手に落ちたのだ。

そこは改竄され、邪悪なゲームを演ずる場と化した。

邪神にとっては、そのような世界は、簒奪して利用するだけのものだから、後の始末など考慮しない。最期はおおかた、破壊されて砂漠化してしまった。火星の 文明もどうやらそんな具合だったようだな。

邪神は何のためにそんなことしているんだろ。それは簡単だ。

ちょうどウイルスや病原菌がやっているように、仲間を増やすことと、あたり一面に伝染して増殖していくことだ。クロノスの撒いて育てたおとなしい植物たち は、みんな立ち枯れてしまう。

ただ邪悪の目的のために、ここに存在し、そして感染者を仲間に引き込んで、同じ目的のために働かせる。その伝染力はいっそう大きなものになっている。とい うのも、耐性菌にやられっぱなしの世相を見れば見当がつくはずだ。

抗生剤や抗菌剤などは、ちょうど人造の法律による取締りのようなものだ。対症的に手を打っていく後手後手の施策でしかないから、いくらでも裏をかかれる。 そして、二度とそんな法律は通用しなくなるどころか、正しい細胞にダメージさえ与えてしまう。そんなこともわからない頑迷な法律家がゴマンといるのも、す でに裏をかかれている証拠だ。

だから、そんなくだらないタッチアップ修理のような無駄な工程に任せず、最も原始的で確実な、焼却処分にするという方法が用いられるのだ。そこでは、感染 者自体の臨終に合わせてする焼却方法が採られることになる。

だから、NWOが今回達成できるかどうかは、とてもビミョーなんだ。

むろん、神人たちはそのように事が運ぶように根回ししている。コード改変の限りを尽くして、そのように持っていく万全の体制を敷いている。原子力が暴走す れば、それを食い止めようともする。それでも、第三次大戦への希求は捨てていない。これがこの世の歴史展開の仕様になっているからだ。どんなことをして も、未来に予定される神人とロボット人類への方向付けは維持しようとする。

そこからどうしてサトゥルヌスの黄金時代が実現するか。そこには確実なステップがある。しかも、二通りもあるから、ほぼ万全と言えるのだ。

>「別の」サトゥルヌスの治世である黄金時代
>「ほとんど」一新されるのです

のうちの「ほとんど」は、黄金時代の来るのがほぼ間違いない、という意味と、ほとんどの者がその恩恵に浴するという意味になる。後者の場合、除外される者 もいることを暗示しているのだ。

「別の」世界の黄金時代が、有情に与えられる。

それを秘教的解釈では、バーチャル世界に入った人類への黎明期の恩恵と捉えていることと思う。つまり、ホピの考える新時代での登場と神との遭遇に始まるな らそれであるし、旧石器時代や縄文期のしばらく冗長で幸福な体験時代ということになる。

が、それらは、アカシックレコードを切り取って人々に再体験させる工程でもある。つまり、バーチャル体験的に、この時代もしくは前の時代から振り出しに 戻ってゲームを楽しませようとするわけである。「別の」とは、次元を異とする世界、つまりバーチャル世界という場を作って移行するという意味になる。

いっぽう、新神話的解釈では、ゲーム世界それ自体から邪悪を根絶するために、この世を与えるゲームソフトそのものまで焼却対象にする。設計者は邪神ゆえに 焼却対象になるし、その感化を受けた感染者も対象となる。その数は、治療なども通して、なるべく少数になるように計らわれるゆえに、「ほとんど」という表 現にもなるわけだ。

その契機になるのが第三次大戦。あるいは国によっては、その最も混乱期においてである。そのとき体験すべきことは、日月神が述べているようなことだ。全人 類、すべて同時期一律というわけではない。

そのどちらになるかは、それはわからないし、わかりにくいものになるだろう。後者においても、この世界を博物化するという予定もあるからだ。その場合、被 験者は博物図書館のような施設から、このゲーム世界にアクセスするようなことになる。彼には、精神的に危険のないようにガイド(教師)がつけられて、安全 に過去体験をこなすということになるわけだ。

もうすでに、後者の世界からアクセスしてきている御仁もあるかと思われる。私などそうだ。よって、少なくとも後者になる工程がほぼ確実視できるわけであ る。





追記 3/16 12:20
ほら、ここでも言い出してるでしょ。
http://eagle-hit.com/a/post-4514.html

ちょっと先行く、夜話ブログでした。イーグルさんの商売仇になるつもりはありません。見えてるだけのことなので。
TPP。それって何なの? ああそれは、トリプルピーピーピーという、いわゆる下痢の症状だね。

ただ、下痢は下痢でも、国益という国体の栄養素が、みんなピーピーで、出て行ってしまうタイプの下痢で、たいてい便所、つまり雪隠、昔なら黄泉(野壷)を 相手にして行う排泄行為なんだ。そう、黄泉の国とはこのことを言う。

O157が流行ってるらしいが、ちょうどそんな急性症状になると思うよ。もしかしたら、こんな老体国にそんなことなったら、死んでしまうかも知れない。君 たちみたいな子供でも、昨今の毒物蔓延で抵抗力が落ちてるようなら、致命的なことになるだろうね。気をつけて、毒やばい菌のいるようなところには近づかな いことだ。

えっ? もうTPPやっちゃったの?

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1906.html
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1913.html
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1914.html
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1912.html
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1921.html
http://www.y-asakawa.com/Message2013-1/13-message24.htm

TPPはねえ。きっと最後のとどめだろう。

前の記事でも触れたように、

>古事記の神話も、シナリオなのであり、ニホンが第二の聖書の意味であるように、その口伝えと人の記憶によって伝承されたものの公開文書が古事記な のである。このシナリオは、秘教が創ったものではあるものの、その上位の神人が指示して霊媒を介して口伝させたものが原型だ。(聖書もこのような次第のも の)
だから、古事記の預言には、世界的規模としてのシナリオと、日本としてのシナリオの二つが、入れ子構造的に重合しているのである。

古事記には日本国の「国譲り」がなされることが預言されてい る。預言とは、何度も言うように、シナリオのことだ。しかも、それは秘教が作ったものであるから、実現予定項目でもある。預言とは当たるものではなく、当 てるものというわけだ。

それによれ ば、終戦とほぼ同時に、国譲りの契約がなされていることになる。し かし、たくさんの国津神(国民や反発勢力)たちがいる手前、彼らに反抗させないための工作として、独立国としての立場と、天津神に絶対服従する国の代表 (天皇や政府)によって代理統治する形をとることが書かれているわけだ。

しかし、時代がいよいよ最後の成就のときともなれば、あのときの約束を果たしてもらおう、というのが天津神の出方となる。彼らこそ、契約を盾にしてくるユ ダヤの仮面を被った秘教組織だから、有無を言わさないだろう。そういうとき、TPPというのは、密室会議を経てでも実現したい暗黙の秘密契約でありたいは ずだ。

たぶん吉田茂が密約の主体だったろうし、以後の自民党もその意図を汲んでるはずだ。いわば、密約実行政党というわけだ。

そして、秘教のシナリオだから、神人がバックアップしている。神人というのは、未来の人類であり、今の人類とは別物なんだ。というより、彼らの実体は、す でに生き物ではない。バーチャルリアリティの中でしか存在できないと思っている、哀れな存在なんだ。

その劣等感たるや、すさまじいものがある。こんなふうにしたのは、誰なのだと振り返るとき、今の人類の未来選択が間違っていたことに至るんだ。しかも、最 も悪いのは日本人とさえ思う神人もいる。なぜなら、世界で最も放射能汚染を蔓延させて、モラルハザードさせ、世界の運行に致命的打撃を与えたと見ているん だ。白人から神人になった者たちは、そのように思いたがる傾向にある。それは神人類の多くを占めている支配神の側の者たち。それゆえにこの世での白人至上 主義が変わることもない。

このため、彼らや、彼らの祖先は、電子装置の中に逃げ込まねばならなくなった。一部の地上での作業者も、とうに元の身体をしていない。その彼らも、オペ レーションをコンピューターに任せて逃げてこねばならなくなっている。いつ地上が破壊されるか、非常に不安なことなんだ。

いきおい、わかるよね。日本人よ、何で原爆被害に遭いながら、原発設置などという愚かな挙動に出たのだと。直接的な元凶は、何の学びも行わず、何の反発も 示さず、アンノンに浴していた日本人ではないかと評価がなっていて、処罰も世界に先駆けて最高のものになることが予定されているんだ。

その処罰の工程が実現しない限り、彼らは引き下がれない。だから、大地震と大津波で一気に終われるような甘いものにしないように、その発生が奇跡的に抑え られているとも言える。要は、人類同士の相打ちによる、最も残酷な成就の仕方がもくろまれていることになる。

シナリオに沿った密約勢力の思うがままになったとはいえ、何も学べず、反発も示さず大きな運動のうねりも起こさなかった人々に、激怒している。キリストを 下界に与えながら、キリスト精神だけで事足れりとするような行動は、逆に彼らの機嫌を損ねるのだ。彼らは何よりも、争いや競争を好むところの、下界を円形 競技場のようにして見ている王侯貴族のようなものだから。

だから、世界に二大宗教を与えて、戦わせてきた。ありとあらゆる残虐行為がそこではなされた。そのたびに、彼らは歓喜の声を上げたんだ。そのようなゲーム の世界だと思いながら見ている。彼らのしてきたこともわかるだろう。彼らがゲームの世界に逃げ込んでかろうじて仮想の命を保てた苦労。そのゆえに、現実世 界をもまたゲームに組み込もうとしてきたのだ。アカシックのコード改変をいくらでもして。
ああ、そうなのだ。これから十数年先、異次元からもたらされた情報により、アカシックレコードへの双方向 アクセスルートが開通するようになるのだ。それは21世紀最大の超科学として賞賛されることになる。時間の仕組みが解かれることがきっかけになる。

それによって従来、提供されていたバーチャルゲームソフトが、現実に立脚したものとして、超多次元情報を扱うデーター処理技術とともに提供されだすのだ。 しかしそれも軍用機密としてまもなくにして隠蔽され、ただ地下基地の中のスーパーコンピューターによってのみ、運行されだすのである。新世界は、過去の実 在データーに基づくソフトとして運用されることとなる。

サーバーになるのは、技術を開発した神人衆である。そこに登場する多くのキャラクターたちは、アカシックの記載事項としてのすでにある存在であり、そこに 魂が宿るものかどうか懸念されたが、その多くの場合において魂の宿主になっていることが確かめられ、神人たちは沸きかえったのである。そして、彼らはこう 思った。「神はコンピューター内のバーチャル世界さえも読みされる」と。

バーチャルゆえに、高速で空間を移動するUFOもその芸術性によって創造される。タイムマシンも同じことだった。それがアカシックレコードの時間軸上であ ろうと、ソフトから呼び出されたアカシックの一部であろうと、扱いは同等だったことにより、過去の改変も可能ということになり、その方法が大いに用いられ るようになるのである。

それはまるで、地球上に覇権を及ぼした邪悪な生き物の行動が、時空にまで拡大されたようなものだ。時空の元の管理者が、これを見過ごすはずがなく、局限さ れた範囲にこれを囲い込み隔離した。時間的には、神人類の千年王国の窮まるところまでで、炎の壁が行く手を塞いでいる。神人たちは過去に戻って抜け道を探 すが、みんな塞がっていた。彼らのできるのは、終わりの時がくるまで、局限された範囲での時間旅行が可能なだけ。ある者は絶望のあまり発狂し、何もかもを 破壊しようとした。ある者は、神に赦しと開門を懸命になって請うた。諸人よ、わかるだろうか。少なくとも彼らの性向が改められなければ、それが無理なこと を。

その性向は、各人、各プロセッサーレベルに刻み込まれたファームウェアのなせる業なのだ。そのファームウエアが邪悪なウイルスに侵食されていれば、そのプ ロセッサーを居残らせるわけにはいかない。その範囲に属したすべてのプロセッサーをいったんシャットダウンし、個々において選別して再立ち上げしていくこ とになるのである。

全プロセッサーのシャットダウンがどうして可能なのか。それは、すべての意識ある存在が、大元とチャージ系、通信系において繋がったサブプロセッサである からだ。チャージ系を断てばダウンする。局限された時空回路にある者がその対象だ。私もその例に漏れることはできない。再立ち上げが叶うかどうかは不明 だ。

いったん解脱境に至ることをみんな覚悟していなさい。再立ち上げ叶えば、まともなビジョンの経験時空が立ち現れてこよう。叶わなければ、半永久的にその境 涯になるか、それとも意識が永久になくなるかのどちらかだ。後者をクラッシュという。
私は、イエスがどんな事跡の人物かよく知らないが、人間としてのイエスはもしかして好きになれても、神と してのイエスはいっさい信用しないし、偽者だと断じたい。

なぜか。神ならば、彼の影響下にあった期間と世界のすべてにおいて、正義と秩序と愛が認められていいはずなのに、最も悲惨な時代の神であったことが事実な のだから、信用できるはずがない。それを預言の最後の審判で、人を選別するためにそうされたなどといった、もって回った解釈をする教会衆は、なおも信用す るに足りない、信用してはならないと断じたい。

そもそも、イエスなどという人物はもとよりいなかった。存在していない。そこにどうやって、イエスの伝承が生まれたか、その研究のほうがよほど大事なので はあるまいか。と思う。
http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/blog-entry-3389.html

えらいこっちゃ。こんなことあったら、キプロスに続いて預金封鎖になるぞー。


http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE92F00S20130316/

これを見れば、白川さんのほうがよほどまともやで。今の政府とこれからの日銀は、まるで気息奄々でぶっ倒れながら十字架を背負っていくナザレ人を無理やり 引っ立ててくようなもんや。こんなときは、安静にして休憩させて、ちゃんと食事を与えて病気を治してやるのが先にやるべきことやろ。まるで極悪ユダヤ人の ようなことをしやがってよお。

まあ、こうなるのも日本人の運命かもな。伊勢にナザレ人をかくまってるんやから、どうせ日本の行き先もゴルゴダの丘やがな。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4421383.html

いや、これは朗報。物理的な日本沈没が回避できたか。まあ、とかく人間のやることは向こう見ずなことばかり。後で後悔の臍を噛むエピメテウスそのものやか らなあ。これでええんや、と思ってたら、ナヌ? ちきゅう号はすでにトラフに仕掛け終わりましたって? 

道理で、こんな都市伝説かSF話で終わるような話も、国挙げて大騒動してるわけや。話ができてるんやな。

http://www.bousai.go.jp/nankaitrough_info.html

ああ、屠殺場に向かう牛たちには、何も知らされへんもんな。賢い牛は山登る。ちょっと賢い豚は木に登る。ふつうの牛はそのまま配合飼料食べてる。あああ、 あんた、そこには抗生剤入ってまんねんで。えっ? これでいいって? ああそうか、アセンションするってか。それならば、いちばん賢い牛たちであります。 おつかれ様。


http://ameblo.jp/fukeiki01/entry-11491652823.html

チャベスさんは、ええ人やったんやで。その国からやっとキリスト精神を持った法王が出たんで。しかし、後始末だけ押し付けの感があるな。秘教は卑怯なん や。

勧善懲悪の世でないとあかんのに、また許しまっせの人が出てきては、卑怯はしてやったりと喜びますがな。



http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1933.html

あのカレイドさんですら、もはや神頼みしかなくなった現状。一億玉砕型アセンションになりそうな気配です。

旧日本軍の英霊たちよ、一億の命、あんたらに捧げます。これでもう、お引取りくださいな。えっ? 世界列強までやっつけなあかん? ああ、わかりました。 最後までとことんやんなはれ。法王が許してくれます。
お彼岸に、こんな話はふさわしいのかな。そうか、みんなでお彼岸に渡りましょうということなら、まいい か。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1556.html

預金封鎖どころか没収間違いなし。あとはハイパーな春嵐でお命没収間違いなし。しかし、時空転移するという離れ業によって、他生を生きることになる見込 み。万歳。
予言することが、予言された出来事の回避につながることを、今までずいぶんと見てきた。かの男も言ってい た。「私は盗人のようにしてやってくる」と。

騒ぎを立てる戸口に盗人はやってこない。やって来れないのだ。このために我々は、予言をたくさんして、その予言されたことの成就を、回避するなりのコント ロールができるのである。

ところがどうだ。これらのニュースは。

福島原発はもう安心だ。放射能汚染は収束している。福島県民はもう帰宅してもよい。

万全の状態で戸口を守るという警戒心を解かせ、まるで盗人に入ってくるように指図さえしているかのようではないか。これを真に受けた庶民は、盗人にまんま と健康と命を取られてしまうだろう。

あるいはこれはどうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130331-00000072-san-cn

この新聞社も警戒心を解かせるのに懸命のようだ。戦闘体制入りを→特権階級への批判 とすり替えている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130330-00000009-jij-kr

この通信社も警戒心を解かせるのに懸命だ。玉砕戦法で世界を極東、さらに世界を地獄に引き込もうとしているのに、米韓を軟化させるために緊張を極度に高め る瀬戸際戦術とすり替えている。

識者なら、どれほど危うい状況かわかろうに、庶民だけはつんぼ桟敷に置いておこうというわけだ。庶民の戸口には、盗人がやって来やすくなっている。まさに マスゴミ。焼却されるべきゴミである。

かの男は実に邪悪だ。邪神の手先というのは、知れたことである。人々の希求してやまない平和を覆してしまう者を、どうして善と称えられようか。かの愚教徒 の気が知れない部分である。が、その私も光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」を若い頃に読まなければ、未だに考えてみることをしない庶民の一人であったかも知 れない。
どうも忘れてしまいがちになるのは、基本的スタンスです。新神話制作の基本路線をともすれば忘れて、とん でもないところに行ってしまいそうになるたびに、思い出されるのは当初の思いです。

新神話制作に至った大事な決心をここで再掲いたします。




新神話の基本的スタンスと、採用する終局シナリオについて

私は齢50を過ぎてからの命を、国津神系からの委託仕事遂行のために賜与されたものと確信しております。
よって、俗世間的な常識には縛られることがあってはならず、また縛られることのない加護が与えられていると確信しております。
それゆえ、短時日ではあるものの、めまぐるしいほどのシンクロ現象が私の目の前に展開するようになったように思います。
私はそのひとつひとつを意味づけの連環に取り込み、更なる強固かつ実力を持つ連環として構築していきます。するとまたさらに、シンクロ的な知恵の啓発がも たらされるという具合に、ちょうどエンジンの回転がひとりでに得られるように円滑化していくのです。
現在もまだその回転力は落ちてはおりません。ちゃんと人の手を介して情報はシンクロ的にもたらされており、そのすべては連環をいっそう太いものにしていき つつあります。
それが新神話の持つ力となって、神界から下界に至るまでの三千世界を潤していくこととなるのです。
人の手に渡るべき情報を選択しタイムリーに与えてその気にまでさせておいでなのは、どこの神様なのでしょう。人が神となるのは、神がその人に懸かられると きです。そのとき初めて神としての役目が果たされるのです。私はその神様との協調プレーにおいて、充実しながらこの事業にあたっています。
これほどまでの充実感と加護されている思いは、50前までは味わったことのないことでした。

国津神様の依頼によると目される今回の仕事の、立てるべきスタンスは次のようになります。
元々あった地球生態系の有情を救済の対象にすることを基本とし、人類においても先住民型とも言うべき自然共生型の暮らしを愛好する純朴な人々の救済をもっ ぱらとします。
ほんらいすべての有情を対象とすべきところ、やはりここまで生態系が痛めつけられた今となっては、積極的に地球に対して加害行為を継続する世俗従事者ま で、その対象とすることにはやはり私自身の心的抵抗があります。

私は生まれ故郷が天橋立を望む宮津市です。海岸から眺めた対岸に、遠く青松の連なりが一望できるところです。
このため、この地の伝承が新神話に大きく関わってきます。
天橋立の成立伝承に、久世戸縁起というものがあります。今では天橋立を一望する成相山成合寺において、パンフレットがいただけるはずですが、その中に久世 戸縁起が平易な口語文体で書き表されています。
それによると、太古の昔、天津神たちが地球にやってきて、人類を下ろそうと計画しました。それを知った地球のドメスティックな神々(龍族)は、反対運動を 起こして地上で暴れ、人類の生存環境に適さないことを示そうとしました。
ところが、天津神たちは地上の龍族を、当時高名だった文殊菩薩に仏教的教化を頼み、文殊菩薩を地上に派遣したのです。文殊は龍族をみごと教化し、おとなし くさせることに成功します。さらには、龍族全体の長であった竜王の娘の弁財天が説法内容に感動し、自らが中核となって龍族を一身に合体し、観世音菩薩とし て人類の守護に努めましょうということになったのです。この地の成合観音とは、龍神と龍族が成り合ってできた観音様という意味です。
さらに文殊菩薩への約束の証として、海中に天から浮橋を下ろし、それが現在に見る天橋立となったとのこと。

ところが、やはり策謀を用いたのは天津神でした。人類は、もはや地球生態系が立ち行かぬところまでにし、龍族の穏やかに暮らしていた地球をも、何度も破壊 することのできるほどの準備をしてしまいました。
そして、事態の深刻化が叫ばれ、自らの存続が危ぶまれるまでになっても、人類には何の改悛の情もないどころか、彼ら独自の"合理化"精神によって、それら 加害行為を自分たちの内輪で許し合うことまでしているのです。
噂を聞けば何でも、地球環境に対して破壊工作する者を天使だと讃えているとか。そして、自分たちのした過ちを許し合うことが大事だとか。そして、地球のこ とはそっちのけ。無視を決め込んでいるのです。龍族が見えないからというのは、まだわかります。毎時見ている地球の大地が見えないはずがありません。無視 しているのです。
なんとも無責任極まりない話ではないでしょうか。それどころか、その"合理化"の推進主が天津神だったということがわかってきたのです。
裏切られたことを知った龍族たちは、文殊との約束があるため、ざわめく心を抑えねばなりませんでしたが、とうとう、当の文殊に問うてみようとなったので す。

新神話第十一章から引用して示します。

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このたびの神話も、すべて龍族がお膳立てし、そこにヒーローとヒロインの恋物語が組み合わ
され、それぞれの織り成す人間的な悲喜こもごもの感情のぶつかり合いにより、世にも不思議
な物語として自然に組み上がってきたような気もする。それを平家物語の語りに涙する悲運の
平氏の落ち武者のように、傍で観覧しているのも彼らなのではないだろうか。ネアンは琵琶法
師、法一でもあるのだ。だが、耳なし法一とは異なるところがある。彼が神話の創造主である
ということだ。既成のものを取り去る側に回る、むしろ龍族期待の英雄ということになる。
<そうか。一度見せたものは、訂正せずに、ストーリーを書き加えていけばいいんだ。起きた
ことと期待することを織り交ぜながら。そうするしか、このネアンという神話レポーターのす
べきことはないんだ。あとは成行がひとりでに次の扉を開けていくだろう>
ネアンは、そう悟ると、龍族の今ある思いがこみ上げてきて、この神話の成行を観覧するであ
ろう龍族の長に託して、ひとつの語りを書いた。

龍族里長の嘆き

息子たちよ、よくお聞き。
これは遠い神代の物語。
ごたごた好きの侵略者が里にやってきた。
平和に慣れた里人がかなうはずもなく、
殺されたり捕らえられたり里の外に離散した。
里は無法者たちのしたい放題となり
捕らえられた者も抵抗できず、泣く泣く下働き。
こうして神代は暗い夜を迎えたのじゃ。
いっぽう地上では、知ってのとおり我々が、
生き物を束ねて豊かに暮らしていた。
そこに神代から、人類を下ろすとのお達しが。
神の似姿の人を下ろすとのこと。
神代の荒みを聞き及んでいた我々は真っ向から反対。
ごたごた好きの者がやってくる。
侵略に生甲斐を持つという者たちの似姿とはどんなものか。
我々は地上の自治が崩壊させられるのではないかと危ぶんだ。
こうして長きに渡って、抵抗が試みられたのだ。
だが、高徳の僧がやってきた。
世の移ろいを無常観を以て説くお方が。
文殊菩薩という名のお方。
生きる楽しみを享受しているばかりの我々に
無知ではなるまいと高僧は、一堂に集めて説法なさったのじゃ。
真新しい知識の泉。このような大きな世界があろうとはな。
婦女子や少年らは、目を丸くして聞き入った。
高僧に恋したのは婦女子ばかりではない。
王の姫君もあられた。
わしら古老は理想よりも今を尊んだから、いい傾向にあらずと
出向かなかったが。
だが、新しいタイプの有情も有情。優しく今までの生き物同様
慈しみましょうと姫君は、観音会を発起なされ、王を始め
多くの者が従ったのじゃ。
こうして人類はやってきた。
ここからは今の時代の物語。
だが、どうじゃ。神と生き物の二つを足して二で割ったという
有情は、生き物という自らの土台さえも壊し始めた。
神から受け継いだ知能が土台を壊していると分かって、我々は
やはりそうだったかと気付いた。が、すでに遅かった。
我々はもう一度文殊菩薩を招請した。菩薩は三昧境を出て立ち上がり、
見識を飛ばして地上のよすがをご覧じた。
三昧の空にかかる暗雲とはこのことだったかと、意趣を悟られ
ご自身の見識力のなさを素直に詫びられた。
菩薩は僧衣を脱ぎ捨て、やにわに甲冑に身を包むと、
操られる人類必ずしも悪しからず、哀しき有情の一に他ならぬ。
むしろ元の因たる神代の咎を糾しましょうと、
一命を賭して遣り遂げたいと仰せの上、
先頭に立つ決意をなされたのじゃ。
我々古老も感服した。
ところで我が姫君は、菩薩からいっそう教わりたいと、
自らも関わることを仰せられたのも、
観音会の主催者としての責任を感じられたからじゃ。
かくして菩薩は姫観音と契りを結ばれ、法力が発動して、
多くの神代の神々が復活の意志を鮮明にされた。
成さねばならぬは神代における大峠。
菩薩はかつての里の長たちや、会衆の味方を得て、
法力を携え出陣なされようとするとき、観音を、もしやして
戦場になるやも知れぬところには遣れぬと、
遺し置かれようとしたのじゃ。
妻は妻として家を守ってこそとの思いだったのじゃが、純粋な
姫君は、たえず傍に置くという約束を違えてまで、役立たずゆえ
離縁されたかと思われ、東海の実家に駆け込んでしまわれた。
王はそうはあるまい、様子を見ようとの仰せだったが、
それを聞いた兄龍は、やはり我々をたばかるものぞと
本拠に戻って大暴れ。千島海溝地震はこうして起きたのじゃ。
姫君の心は千地に乱れた。
というのも、婦女子に戦術をたしなむ者がおり、危険な役を姫から奪い
同時に菩薩の心をも一時奪っていたからじゃ。
戦士はお役目を姫君に返上しますと去ったが、菩薩の未練か
いつまでも抜け切らぬ戦士への思いに、姫の怒りと嫉妬
の心は絶望の淵へ。いっぽう慕う心が雲竜となり、菩薩の家の
周りを廻って探り当て、菩薩の胸に飛び込んだ。
本体ならばどれほど密度の濃いい身か知らぬものを、
淡い水滴の如き身体ではあったが、菩薩はそれを姫の形見の
お守りとして、胸の真ん中にはめこみ、そう姫に伝えておくれと
言い残し、いざ出陣と出向かれたのじゃ。
男、戦場に出るときは、妻に離縁を言い渡してでも、妻と実家の
安寧を願うものとぞ。
もし死して還らぬ場合でも、観音と会衆には咎及ばぬようにとの
計らいじゃが、我々とてもいちどは死んだようなもの。
かかる地上に未練はなし。菩薩に従い討ち死にもするものを。
だが、息子たちよ。孫たちよ。お前たちにはまだまだ未来がある。
地上のこれからは・・。姫の思いは・・。ああ、どうして差し上げたら。
古老のわしには、荷がかちすぎる。
大丈夫です、里長よ。このネアン文殊に任せてください。
龍族の姫君と共に必ず大団円へと導いて見せますぞ。

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このように救世の主人公ネアンは、インド渡来の文殊菩薩の雛形も演じており、太古の昔に人類が地球に移植される頃に立ち戻って、当時行われた龍族の教化と いうものが、果たして妥当だったかどうかを反省して語らせているわけです。
ご覧になればわかるように、生態系の守護者とも言える龍族が、人類の登場に際して激しく抵抗したのを、知恵の付与教化として文殊が説得に当たり、彼らを懐 柔して、龍族の総帥である弁財天を中核にして合体して観音菩薩として、人類の守護に当たるようにさせていたわけで、この終局の時代において、雛形ネアンを して、その処置はまずかったと言わしめていることになります。
その書き手の私は、当然のことながら、龍族のシンパであることは言うまでもありません。神話的に言えば国津神の側に立って書いています。だから、幸福にな る者の基準を一寸の虫のほうに置きます。

人類は地球を何十回も破壊するほどの兵器を量産し、いつでも使用可能の状態にしていることから、地球の守護者たちは非常に困苦しております。それを邪神た ちは止めようとはしません。最初から使い捨ての大地だったのです。当然、維持に当たった国津神も使い捨てされることを感じ取っています。もうどんな生易し い教化も功を奏さないでしょう。私がしてあげられることは、新神話の力で彼らの封印を解くことです。まず、元の故郷で憩わせてあげるつもりです。
人間の胸先三寸から出る言葉ひとつで、地球生態系はおわってしまうどころか、再構築できるかどうかさえ危惧されるレベルです。今の彼らが、どれほどの苦境 に置かれているか、人間の身においてすら窺い知れないとするなら、それはもう地球上に存在する資格がないと言い切るしかありません。ところが、人類のほと んどはその資格のない者たちで占められています。

いや、龍族の姿が見えないからわからなかったというのは、まだわかります。しかし、生態系がどんどん衰退していても、実態を無視し、環境破壊にいそしむヤ カラで充満しています。彼らは自分の子孫の未来すら、もはや眼中に入っていないのです。企業の、あるいは国家の被使用人だったから仕方がなかったというの は詭弁です。そのような業種から足を洗えなかったのは、個々人の認識欠如の問題だからです。

すでに年末に揚げた第九章は人類にとって穏便なシナリオとして用意したものです。しかし、その他の終局を語る章は、すべて阿鼻叫喚の中に終幕することとし ています。私は第九章の終幕の最も穏便なシナリオを採る気はありません。なぜなら、人類はあまりにも傲慢に過ぎるからです。それなりのエンドを用意するの が適切と判断しました。

有史以後の人類はそもそも、邪神がわざわざ世界を破壊するために送り込んだ環境破壊因子なのです。それまでにあった先史人類の遺伝子とはかなりかけ離れて います。遺伝子組み換えによってもたらされた、世界の有情を困難に向かわせるための霍乱工作部隊であり、知能を獲得するに従い、凶悪化していく獣だったの です。

むろん私もその遺伝子を受け継いでいますし、認識欠如の症状を呈して、悪しき業態に就いていました。内心はこんな世の中、絶対よくないと思いながらも、人 間関係の中にあると、そんなことは二の次になってしまったのです。
工業系企業はほとんどが邪悪です。しかし、お金を得なくては暮らしていけないからと、目を瞑らされてきたのです。
今でも大人口を抱える大企業は、彼らにお金を分け与える機関ゆえ、彼らの間では善良とされていますが、"合理化"による思い込みにすぎません。絶対的には 極悪です。

地球の大地を支えてきた国津神たちはことごとく邪神たちの封印に遭って、メンテ要員となってきた経緯ですが、このたび封印を我々が解いており、順次故郷帰 りを果たされているところです。すべての神はここからいったん撤退して、世界をたたむことにいたし、その間、邪神たちと人類の残存を皆無にして、もしやり 直すのなら無菌状態から励起しなおすこととせねばなりません。
私はそのための最後のご奉公をさせていただく所存です。正神の皆様は、人類の進むべき方向を振り分けていただきたい。故郷に帰らず居残った者たちの魂は、 邪神とともに焼却処分といたしますゆえ。



※ 私の創造していく宇宙では、かくのごときでありまして、みなさんの個々が創造するものとは異なるものとお断りしておきます。なお、拙シナリオ通り事態 が推移しましても、私ひとりの責任において成就することであり、みなさんとの共有を目的にしたものではありません。被害を受けてはたいへんだとお思いの節 には、私の創造宇宙から離れていてくださいますようお願いします。もし同調されるなら、それも可能ですが、自己責任であることを自覚していてください。