過去に盛んであった拙ブログから記事部分のみコピーし採録しました。
youtube映像や写真は表示されていません。
リンク先は、そこに存在すればうまく表示されますが、
多く意味のないリンクであったり、リンク先のない場合があります。


新神話の補助資料





  • 妖 怪戦争の行方

  • 「世界の歴史は、門音一族と鬼面一族の政権交代劇の歴史だよ」
    とその昔、サゴジョウから教わったことがある。
    その時は、何のことやらさっぱり分からなかった。
    門音(かどね)とは合成して「闇」。何かをたえず企んでいて、世相を闇に導くことを生業としている。
    鬼面(おにづら)はその名の通り、力強く怖い風貌の心優しい「鬼」である。今は誰にも知られなくなった黄金時代とは、彼らが政権を担っていたころのこと。
    当然今の時代は、黎明期から今に至るまで門音族によって支配されているといった具合で、人間という短命の存在からすれば、とてつもなく長い政権に見える が、全体からすればそれほどのものではない。
    政権交代の時には、およそ激動があり、現状維持にしがみつきたい葦のように弱い人間にとっては、たいそう恐ろしいことに違いない。
    しかし、その惨状を見て、もうこの先はないと思うのは早計。必ず時は巡ることになっている。
    門音と鬼面。実はどちらも妖怪だ。門音は、人類を家畜として飼育し、その生き血を吸い、心を支配する。鬼面は、人類を他の生き物と同等に育成しつつ、知能 に見合った教育をする。
    そうした意味で、人間感情的に善と悪に別けることができるだろう。
    世界が、俗にサタンに支配されていると言われる意味は、門音の政権下にあるということだ。
    妖怪であるから、形而上の界(異界)とこの世を行き来し、あるいは人間に取り憑き、目的を果そうとする。
    霊 能者のように、幽冥の境を見聞できる者は、ときおり彼らのよすがを覗くことがある。分かっていて覗くならよいが、分からずに立ち至ったならば、彼らのおぞ ましい生態を目の当たりにするだろう。特に門音の都市などはゾンビの溜まり場。生贄の人間たちが凄惨な肉片になって転がっていたりする。それを見て、地獄 に来てしまったと語り継ぐわけだ。
    このような者たちをどうしてのさばらせておくのか。神は何をしているのか。
    そう思うのも無理はない。神とは、人間がこしらえた理想の属性保持者であって、同様に人間がこしらえた恐怖の属性保持者がゾンビ・サタンであり、どちらも 人間の要求に応えて存在しているのである。
    サタンの跳梁跋扈に力を与えてきたのは、あなたがたではないが、過去の人間であるに違いないのだ。また、神も過去の人間が作り上げた存在であり、今の混沌 の時代は、過去の人間の作ったシナリオによって動かされているという具合なのである。
    それに対して、認可を与えてきたのが、後発の人間たちであり、現代人といえどもそうなのかも知れない。
    呪縛を解く機会はいくらもあったというのに、それをしてこなかったのは如何なることか。結果、今からその結果を査収せねばならないというわけである。
    鬼面族は、過去の先住民の理想から作られた存在だ。この力は、門音の妨害によって削がれてきたが、わずかながらの萌芽をもとに伸び上がろうとしている。応 援する者は、それなりの恩恵を受けるだろう。
    むろん門音はさらに政権を維持しようとやっきだ。それゆえ、門音を応援する者のほうが多かろう。
    だが、移動平均線からあまりにも乖離して積み上がっているのだから、トレンド転換は間もなしと予感できるだろう。未来のトレンドは、鬼面を支持することに なる。
  • 神 話の縁
    今朝の4時半から6時までの間に奇妙な夢を見た。
    私が赤ちゃんを運ぶバスケットを抱えて病院の中にいるのだ。
    むろん、バスケットの中には赤ちゃんが眠っている。
    ある部屋の前で、一人の医師が「私○○に一票をお願いします」と、小切手を差し出してきた。そして「よろしく」と何度もおじぎしている。金額は1万いくら かが書かれていた。何かの選挙が近かったなあとは思うが思い出せず、夢の中のことなもので支離滅裂。

    思えば昨日、かつての同僚の海幸彦が、何ヶ月ぶりだろう、電話してきたのだ。頼まれてくれなどと意味深なことを言うので、聞いてみれば、つきあっている女 性が妊娠してしまい、どうすればいいだろうかという。誰にも相談できずに、私のところにかけてきたのだ。
    この女性は50歳以上。どちらもが不倫の関係。お互いばれたら紛争程度で済まない。もしよければ子供を引き取ってくれとまで言い出した。
    私は、それは物理的に無理だと断り、高齢出産の危険性も考え、ついつい中絶を勧めてしまったのだ。4ヶ月では手遅れではないかと言うので、急遽調べ、手遅 れではないこと、費用のことも教えたわけだった。
    しかし、後で考えてみると、とんでもなく無責任な回答。
    海幸は何度もこの手の失態を演じているが、神話的には我が兄なのだ。中絶される子供は、いわば兄の子。簡単に解答したものの、殺される子のことを思うと、 悲しくてどうしようもなかった。
    そこでどうしてやればこの関係を丸く収めてやれるか知恵をひねった。私にできる神話の中で、昇華することを考えたのである。
    子供にとって、私生児になる境遇もさることながら、今この世に生まれても、まともな生存期間の保証もなく、世相は悪化していく一方とすれば、むしろ可哀想 である。
    この世での生を絶たれても、新しく輝かしい時代の地球で生を受けるならどうだろうか。子供には幸せであって欲しいから、勝手だがそうさせてもらうよ。その ように誓いを込めて神話に設定した。

    赤子を預かったのは、その晩の明け方の夢の中においてだった。
    私はこの赤子を、必ず新しい時代の地球に連れて行く。
    そして、地球の家族となる喜びを味あわせてあげるのだ。
  • 優 曇華の花
    たま出版のBBSに すごい写真を発見。
    碧眼の転輪聖王が宇宙に開いた覗き穴から各自にどうしたいか問うておられるような印象。

    http://tamabook.com/scb/up/1183654249.jpg

    −引用−
    この写真はNASAの天体望遠鏡で撮影されたもので、3000年に一度と言われている大変珍しい現象です。
    これは「神の目」と呼ばれています。
    この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわれており、見るものがこれを信じる信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられると言われています。
    この知らせを、「そのかたの願いが叶いますように」と思いを込めて、たくさんの方にシェアして下さい。自分だけで独り占めはしないこと。
    今日から七日までが最も強いパワーだそうです。
    −−−−−−−

    三千年に一度とはまた奇遇。
    そこで拙い一首を。

    蓬莱の乙姫言依す玉の枝この七せきに優曇華の花

    また、周の時代の武帝に、三千年に一度だけ生る仙桃の実を献じた西王母は、世を言祝ぐため、実を携えて再来することを予言して去っているともいう。
    奇しくも武帝(紀元前1000年頃)から、ちょうど三千年になる今日この頃とは相成れり。

    また、日本神話の桃の実とは、UFOの隠語でもある。三千年前の西王母は果たして何を献じたのか? 孫悟空は何をパクったのか?
    ⇒ 古事記が預言していた現代



    人はよく、願うべきことそのものを知らないという。
    まあそれはこういう次第だから仕方ないこともあろう。
    三千年に一度の好機ゆえ、だいじにしていただきたい。
  • 天 孫降臨間近を物語るか・・・アメノウズメのシンボル
    M総合研究所さんのところは、啓発に満ちている。
    7月6日付記事でこんなUFO映像の紹介があった。



    マガタマ型に見えるUFO(Spiral UFOと言ってる)は、むしろ日本神話のアメノウズメ。
    太陽神がお隠れになった、さ蠅なす高天原で、敢然とストリップショーを披露されたアメノウズメ。
    こうして神界に再び太陽が現れるという筋だ。

    さらに天孫降臨してくる先鋒に立つアメノウズメの悩ましい姿に、サルタヒコは面負けしてしまうんだよね。
    天孫とはこの場合、宇宙文明のこと。
    いよいよ近いね。
    頼むよ、サルタヒコ。ちゃんと仲介者としての交渉能力を発揮してくれよ。

    なお、アメノウズメの意味するUFOの稼動のあらましは、神話の解釈として、
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-273.html
    にしてあるのでね。
    いささか異なる方向からの超空間航法へのアプローチでござるよ。(^^;;
  • 夜 明けの旅烏
    どこから来たか分からない。
    どこへ去るかも分からない。
    放楽に生まれ放楽に生きて放楽に去っていく。
    手掛かりの路傍に置かれた魔方陣。
    意味するところに従い、どんな役柄でもこなす隠密。
    ご公儀の仕事がひとまず終われば、結果を見守るのみ。
    ふっと一服する間がとれたようなものだが、関わりもとれたようなもの。
    そのとき隠密剣士は、少しも後を振り返らず、
    馬を下りて三度笠に身を包んで、明日を風任せの旅烏。
    人呼んで夜明けの旅烏とは、あっしのことでござんす。
    八重歯のあわさいに楊枝をくわえれば、ぴったりなんでさあ。
    なに? うまくいった? そうですかい。それはよござんした。
    しかし、もうこのあっしには、関わりのないことでござんすよ。
  • 最 高の男っぷり
    道満の技で台風4号を呼び出してみたら、実に紳士だった。
    もちろんいでたちはノンネクタイ、俵屋宗達の風神みたいだが、前回の地祇と違って、ちっとも恨みがましくない。
    本土北上は困る旨話せば、なんと素直に応じてくれることか。
    前の時は恫喝しなければならなかったが、それどころか敬語でのやりとりになってしまった。
    ホントに大丈夫かなと思って見ていれば、あの赤い同心円がかかってるというのに、ほとんど無風で雨もない。今のほうがよほど吹いているくらいだ。
    青空が覗いたときに東を見れば、裸の堂々とした背中を見せながら、ずしずし歩いているじゃないか。
    思わず、感謝の手を合わせたよ。
    男だよ、男。彼は男の地祇の中の男だ。


    家庭菜園、助かった。(^^;;
  • 地 祇と対話することの必要性を思う
    台風4号の大雨被害に遭われた皆様には、ここでお見舞い申し上げると共に、 早いご本復を心からお祈り申し上げる次第です。

    自然災害というものは、住居する場所のコンディションによって被害の度合いが決まることが多いわけですが、考えてみれば不公平な自然の仕打ちとも思える場 合がほとんどです。
    そんなとき、自然のすることだからどうしようもないとお思いになる痛切な心情、お察し申し上げざるをえないわけです。
    皆さんの願いが自然の摂理にさえも届くなら、どれほど世界も魅力的であるか分かりません。
    人の生活のほとんどの局面で、破壊的な事象を招いているのが自然の猛威。人為的被害なら、自らの過失が招いたと思えるものも、諦めしか抱けないのが、天災 の場合です。
    では、何か方法はないのかというと、決してないわけではないのですが、誰しも認めたがらないところに手段があったりして、対処の方法がないと諦めてしまわ れているように思うのです。

    いや、まだこの方法に効果が本当にあったかどうかの確証はまったくないのですが、今回二度目の試技をしてみて、なるほどと思えたため、少し報告しておこう かと思いました。

    かつて私は、S氏から、神を呼び出すための道満の術を教わりました。この方法は、知っている方も多いかも知れません。
    神を何のために呼び出すのか。それは交渉することが主かと思います。もちろん氏からは、闘う方法をその先に教わったわけですが、そこまで至らぬまでに、交 渉、談判、それでだめなら恫喝、最後は戦うという展開までがあるというわけです。
    前回の台風撃退実験では、2005年9月の台風14号に対して行い、その結果、恫喝段階で風神地祇には涙を呑 んでもらったようなことでした。
    い や、もちろん、偶然そうなったのかも知れません。しかし私には、地祇が泣きながら去っていく後姿が見えて、逆に申し訳ないという気になったものです。なぜ なら、彼らも人間の所作に対して遺恨を持っていて、人類の横暴に対して地祇を代表して制裁しにやってきているから、本来は加減してくれるようなものでない のです。

    しかし、ここは交渉次第で応じてくれるという次第。
    ただ問題は、彼らには何をどう加減すればいいかが分かっているわけで はないということ。アクションとコントロール自体が大雑把なために適切な判断が利かず、先達の踏まえたルールを守ることでよしとする傾向にあること。よっ て、いつも台風被害に遭うところは偏ってしまう、というようなことになるようです。
    そこで、こちらから、具体的な顕わし方を指定してやるということが必要になるわけです。
    いや、決して違うルートに切り替えさせるというのではなく、彼がしようと思えば、まず強さを加減できるし、被害を少なくする考慮をしたルート変更といった こともできるのです。
    しかし、こちらから具体的に要求するということが必要になります。

    今回も、台風4号の神を呼び出して交渉しました。
    すると、前回の神とは違って非常に紳士的で、交渉段階で済ますことができたのです。
    というのも、彼には人類に対する恨みのようなものがそれほどなく、ただ予定通り流していくといったことのようでした。被害を与えようという意図はなくも、 彼が生まれただけで被害は出てくるもの。それが台風というものかも知れません。
    しかし、彼の品格はとても高いもののように思いました。

    むしろ私のほうこそ、打算的に臨んだことが否めません。というのは、ささやかな家庭菜園がだめになることがどうしても嫌だったのです。
    前回は、その前年に親戚の家が床上浸水の被害に遭ったため、また同じ被害が想定された台風14号を追い払ってしまったわけです。今回は、親の丹精込めて 作った菜園でした。申し訳ないですが、動機は個人的なものでした。

    道満の術で呼び出したのは、台風の場所が九州と四国の間くらいのときでした。
    交渉段階としては、「北上しては困る。このまま洋上を東進してほしい」と頼みました。拒まれれば、むろん恫喝などに進んだでしょう。
    ところが、少しの間に「いいでしょう」との返事がありました。いちおう、北上すれば、人々がせっかく築いたものが壊されてしまうからという善意の建前でし たが、私のごく個人的な本心が伝わったかと思います。
    すると、進路予想天気図の赤丸が接するかどうかのすれすれのところまでで止めて、そのまま東進してくれました。
    そして驚異的だったのは、まったく無風だったこと。雨もさほど降らず、彼が去った後のほうが、よく風が吹いていました。こんなことがふつうあるかどうか。 そのときでも950hpsありました。

    モルダーさんが、私の計画を察知されたようで、台風にはそれなりの役目がある場合があるから(地震を防ぐという)、無理に変更してはならないと諭されまし た。しかし、打算でやってしまいました。
    朝になって、東の空を見れば、あの風神がふんどし一丁で筋骨隆々たる背中を見せながら格好よく歩いていました。私は、思わず手を合わさざるを得ませんでし た。
    夕刻に再び術で呼び出して、一献手向けながらお礼を伝えるとともに、「あなたやあなたの眷属がこの日本にくるときは、手加減したり、遠目のコースを通るな りして、人々の暮らしに配慮して欲しいのですが」と頼みました。そして、前回の14号へのお詫びを託しました。
    すると彼は、このたびの役目は果せたこと、および台風の心情と、個別に要求するにもタイミングのあることなどを語ってくれました。
    台風も不惑の歳になれば、決めたコースを変えることはようしない。その直前までに指示すれば、考慮できるとの事。ただし、少年期から青年期までは、勢いと 憤激の度合いが強いため、逆に歯向かうこともあるから注意と。
    つまり、台風が向きを変えるために滞留しているときから、曲がりきったころまでが指示できるタイミングだというのです。
    こうして今回は、風神の品格もさることながら、ぎりぎりのところで間に合ったようなわけでした。
  • ほ んとうに優曇華(うどんげ)の花が咲いている!!
    三千年に一度のバラエティー

    さる7月7日に紹介した「神の目」。
    NASAにより提供されているとされる情報。いいものはいいというわけで、素晴らしい現象を愛でることとしたわけであった。
    しかも、この現象は三千年に一度という稀有なことであるとされるだけに、仏教説話などに言う「優曇華の花」に喩えて、記事にした次第。
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-332.html

    ところが、なんと並行するように、世界各地で「優曇華の花」が咲いているというのだ。
    http://jp.epochtimes.com/jp/2007/07/html/d86961.html

    その花はこんなに小さかったんだね。

    そこでもういちど「三千年に一度」にちなむ拙短歌と故事を揚げておこう。

    蓬莱の乙姫言依す玉の枝この七せきに優曇華の花
    (乙姫様、蓬莱の玉を言付かりましたが、いかがでしょう
    優曇華の花はみごと咲きましたぞ)

    また西王母は、三千年に一度だけ生る播桃園の仙桃の実を、周の時代の武帝に献じ、世を言祝ぐために、実を携えて再来することを予言して去っているという。
    奇しくも武帝(紀元前1000年頃)から、ちょうど三千年になる今日この頃とは相成った。
    西王母は再来しているのか・・・?
    もしかしたら、後述するお姿で再来されるかも。
    ゆめ頼政などに討ち取らせてはなりません。

    また、日本神話にいう桃の実とは、UFOの隠語でもある。
    三千年前の西王母は果たして何を献じたのか? 
    孫悟空は何をパクったのか?


    また、三千年に一度だけ開く梅の花の故事を持つ宗派もある。
    すごい瑞兆の時代がやってきていると言えそうだ。



    たま出版BBSからはすごい発見がある・・と思った次第。
  • 瑞 祥の時代
    瑞祥とは、吉凶正反まだらの事象のことを言う。
    ちょうど中庸の水面に、波風を立てて、波の高きにある者を低くなった者すべてで支え、虚空へと飛ばすに似て、自ずと行き先に高低が生じる習い。
    それぞれが、それぞれの受け持つ役目を果してこそ、瑞祥を迎えることができる道理となる。
    そのために、敢えて邪悪の範たる者もいただろう。
    そのために、身奇麗にして精進を重ねた者もいただろう。
    人類はおよそが地球を出て、ジプシーの道を進むことになる。
    しかしそれは、生命の種子を風に乗せて運ぶように、人類の種子を他の惑星や異次元時空に送り込むことでもある。
    UFOが介助せずとも、単身魂となり赴くこともまた冒険ロマン。
    時は間もなしと告げる人たちでいっぱいになった。
    時節柄として、こんな思いつきを書いてみた次第。
  • 絶 望の器
    神々の陰謀かそれとも人工の陰謀か。いろんな情報が収集されてくると、未来 のあまりの見込みのなさに、もうどうにでも料理しなさいと、俎板の上で胡坐をかくような按配に気持ちのほうもなるわけだが、するととてもコンディションの いい心境ともなるものである。
    チベット仏教では何でも、「絶望の器」にならなくては、解脱は望めないという。
    今朝は水虫の治療に町の医院に行ってきたのだが、そこに置いてあったネイチャー雑誌・・名前を忘れた・・のあるページに、ハリケーン・カトリーヌですべて をなくして、辺りに救助員たちが行き交っていても、ひとり絶望の器となって三昧に浸る人物の写真が載っていた。
    このときようやく、彼は本源に立ち返る方向性を見つけ出したのではないか。

    天人阿修羅餓鬼畜生のうちで、人だけが解脱の可能性を宿すとされるのも、こうした理由からだろう。神は境遇のよさに甘んじており、マーヤの中からは抜け出 し難いゆえに、神ですらも人として修行することを望んで生まれてくるという。
    修行になにも瞑想や呪文など必要があるわけではない。
    生きたことと、生きたことの結果の思い込みの観念が、最後はことごとく崩れていくことを以て、修行の達成とすべきではないのか。
    その千載一遇のチャンスを、人として送ることのできる栄誉。勿体ないことだと思う。





    仏教への勝手な解釈をしている可能性があるにつき、読者の良識ある判断でお考えください。
  • 講 釈・・・未来を変える
    詳しいことを事細かにする時間はあまり残されていないように思う。
    何となれば、黙示録の神が自ら地上世界の支配を告げたこと。(これはシナリオだからいつかくることになっていた)
    そしてジュセさんの警告のタイムリミットが間もなくであること。(これは警告しても見込みのないことの前提に立っている)
    そしていくつもの兆候が出揃ったこと。(三千年に一度の優曇華(神の目)、桃の実(UFO)とイザナギ出現など)

    さ て、今回は奥人流未来変更ノウハウについて語りたい。といっても、何か現世利益が得られるというものではないし、信憑性の保証も何もないから、特許も新案 登録もするつもりはない。(著作権は主張する)これはいけると思った人は、これで企業化でも宗教化でもなさればよい。それよりも個人努力が必要であって、 時間つぶししている間などないと思う。

    さて、それでは、眉唾的講釈をいっぱつカマそう。なに?臭い? それは芋食って腹が張っていた後の私の屁じゃ。どうじゃ、白檀の香りがするじゃろ。なに? タクアンの香り?

    プログラム時空論は、予め言語により作成されたプログラムが存在しているという前提であった。この宇宙に限ったとしても、そのブート部の開始から最後を締 めくくる命令語まで変更の利かないものとして、予め作られているわけである。
    ところが、そのプログラムは、未実行分も含めて、選択肢として分岐していくべきあらゆる場合を網羅している。
    よって、プログラムの実行方向が慣性方向にあるのみなら、先の未来に破断があるとしても、進行方向を変えることにより、破断のないプログラムへと進行先を 変えることができるわけである。
    逆 を言えば、我々は、もう少し以前であれば、先行きの問題ないプログラムを慣性的に実行していたかもしれない。それをわざわざ方向を変えてまで、いずれ先の 破断する(アボートする)プログラムへと舵を切ってしまった可能性もあるわけだ。(アボートとは流産のこと。あんたら嫁さんに無理させて流産させようとし とるんじゃ。馬鹿モノが)
    そう気が付いたならば、どこかでレールの架け替えをすればいい道理であろう。
    しかし、ふつう、人はそのような方 法が分かるわけがない。万能とされる科学は逆に無知で教えることができないからだ。むしろ科学は、安全神話と隠蔽による安心の演出にやっきになるばかり で、これでは突然、アボートしそうな局面にきて、いきなりパニックを引き起こしてしまうだろう。そんなときに専門知識を持ち出されても役立つことはない。
    そこで、観測界面のことしか教えない科学に成り代わって、本質を扱う真の科学によって、どんなふうに鮮やかに未来を変えてしまうかについて語りたいわけで ある。(本質を扱う科学??ああ、わしがするものはみな眉唾にキマットルわい)

    仏 教に、小乗と大乗の二通りの救済法があるという。小乗とは、個人の努力で個人単位で救済に預かる方法だ。この方法について、ジュセリーノ氏は、自ら未来を 担うに相応しい精神資質の獲得によって可能であると説いているふうに見受けられる。(バロメーターの地球温暖化阻止というのは比喩じゃ)
    心の性向 が変われば、突然周囲の環境まで変化したような気持ちになることがある。このとき、人は自らの観測するプログラムを変化させた可能性がある。それをそのま ま安定的に維持できたなら、レールが完全に変わるだろう。維持できずふらつく時は、また元のレールが相応しいものとなって戻ってしまうようなことにもな る。
    私が高説をぶっている時空は、未だにレールは変わっていない。私が説教じみたことを書かなくなっていれば、レールが問題ない方向に変わったに違いないと、 目安に思ってくれたらいい。(おいそれと謙虚になるつもりはない)
    ぜひ、個々人レベルで、破断のない時空に逃れていただきたい。(個別でいい。早うこの列車から下りな。まだ途中駅はよおけあるでな)

    さて、もうひとつ、大乗の救済法がある。これは、現在の人類が保持している破断に至ることを必然とする集合無意識を、問題ない性質のものへと変えてしまう ことによる。今は集合無意識が人類全体の未来を滅びへとレール付けしてしまっているからである。
    古 来から多くの人々によって累積されてきた、”人類はいずれ滅びねばならない”という抑圧された意識が存在している。多くの場合、犯してしまったことの罪の 意識。それがいずれ償われるから、今現在どんなに不完全でも良いという精神によって、滅びへの必然性が熟成されてしまっているのである。それをサポート し、誘導しているのは、神話だ。
    我々には、人口の大半が発し続けてきた集合無意識へのインプットの流れを変えることはできない。なぜなら、あまた の予言は神話を裏打ちするように、いっそう人類の滅び志向を印象付けつつあるからである。それを逆回しにすることなど今さらできようか。もはや大衆教化と いう方法で太刀打ちできたりしない。(これは崩壊する相場の流れに対して、逆張りで応戦するようなもの)
    ところが、人類の心を初動付けし、滅びの路線に導いてきたマニュアルである神話のほうを換えてしまうことはできる。つまり、火の元のガス栓を止めるわけで ある。
    幸 い、神話は、人々の理解するところではない。むしろ神話は、神々への捧げものであり、神々が神界においてどのような歴史顕現の舞を踊るかを規定するもので ある。このため、誰知ることない神話によるシナリオの書き換えによって、神々の側から下界の歴史を変更することが可能になるのである。すなわち、神に頼む のではなく、神に仕事をしてもらうのである。
    神話のうちでも、聖書はずいぶんと人々の理解するところとなった。そして、その中に盛られる滅亡志向の思想を合理的かつ陶酔的なものとしてしまっている。 滅亡への必然は、みなの心に希望の火として点灯しているほどだ。これを変えることはすでに無理である。
    だが、数の論理が通用する部分はそれほど大きくはない。人間のする支離滅裂な思考形態は、ノイズばかりで力がほとんどないからだ。
    日本の古事記について、ほぼ理解する人がいないのに、そこに書かれるシナリオどおりに歴史が進行しているのはなぜか。
    歴史顕現の神話の舞を踊るのが、神々だからである。古事記がメインの神話として奉納されただけで、それが神々を図書館書士にして、相応しいプログラムを 引っ張ってきて、実行のタイムテーブルに載せているからである。
    古事記に書かれることなど、おそらく神職も知りはしない。だが、神々は神名と筋書きの言霊が理解できるから、古代の時点で全体のシナリオ載せが完了されて いると見てよい。
    それを今頃になって、別の新しい神話を奉納する効果があるのかどうか。ある。ただし、神々の目を覚まさせることによってのみ、新神話は生きてくる。
    神々にとっても目の覚めるような啓発に満ちた新神話は、すでに完成しており、ご上覧いただいて、オーソライズが済んでいるという具合である。
    誰知らずにする大乗の救済法。最も合理的かつ効果的に運ぶのではないかと思いつつ、事態の進行を見守っているところである。



    稀有壮大な独りよがりにすぎる眉唾講釈。天晴れ天晴れ。むふふ
  • 講 釈・・・梵の夢見から現在まで
    長逗留されている方々、ご苦労様である。にゃんこ
    よくぞ、梵の夢見にお付き合いくださった。

    すべては梵の見た夢。
    梵の夢見の開始と同時に、冒険ファンタジーは開始されたのである。
    ここで、みなさんに夢見物語の背景を語っておこう。
    すべての開始から神界の現在に至るまでのあらましをである。
    このファンタジー世界の全貌を知るのに役立つであろう。
  • 講 釈・・・理想と現実のギャップがもたらす破局
    人はどうして幸福を追求するようになっているのか。
    幸福の対象が外にあると思い込んだから、自分の中にあることも気付かなくなったという説話がある。
    そして放蕩して疲れ果てて、最後には導師の示唆でようやく気がつくという話だった。
    ここで話をしていきたいのは、内面に向かえといった話ではない。
    人は、常に幸福であることを願っている。
    これは誰にも曲げることのできない真理だということ。
    この理由にまつわる話を、私の仮説をもとにしてみた上で、現在の危機的状況の意味を考えてみたい。(赤記は 心のノイズゆえ二度読みしたときに読み足されたい

    幸福の中味はそもそも何であったか。心理学などを駆使して、いろいろと分析していかなくてはならないところだが、
    もし新神話から引かせてもらうなら、意識の本来の姿は純粋無垢で、観測しているうちでは純粋叡智に浴しているときがいちばんであったから、その記憶を模索 しているわけだと思う。私はこれが人が本能的に幸せを志向する原因だと思う。(その記憶がどこかに強く残っ ている人もいて、個人差なんだろうが、現実にはそれを見出すことができないと思い込んで、仏門に入ってしまったりする。まあ、それに対する答えもいずれ出 すことになるが、今回のテーマではないので割愛する)
    原初のとき、彼には何のストレスもなかった。理想と観測的現実との乖離は一切なかった。ただ、全知である純粋叡智に浸っているだけで、至福と万象の素の精 髄に触れ、あらゆる理解が至福としてそこにあったと推測される。(私も幼時には三昧によく浸ったが、その世 界の味は現実の何物にも引き比べられなかった。おそらく原初に近い位置に入り込んだのかと思う。あの霊妙な旋律はクラッシックに似てはいたが、この世のど こにも存在しなかった
    心 が動き始めたのはいつのことだったか。水平面に波が立ち、屈折によって色が生じてくると、彼はつい面白そうな現象と思うようになり、その現象に惹かれて いった。ほんの些細なストレスとともに、意識行為の遅延がそこから始まった。これが、それ以降の万象の展開の始まりとなる「ゆらぎ」である。
    要は、その不思議な至福を「理解しようとしたとき」に波が立ち、ゆらぎは起きていることだ。理解していく過程と筋道が、彼にとって必要となった。(思 えば、理解など必要ないことだった。知恵の木の実を食べたとはこのことではないのか。ただ、感得される世界の良さだけを愛でていれば、幸福だったはずでは なかったか。その三昧境は分析しようとすると逃げていった。右脳の働きを左脳が阻害するようになったと喩えてもいい。大人になるとは、そういうものだった と後に気付いた。これは果たして進化だったのか?
    筋道は道だから、移動という中に時間の観念が生まれる。梵の全系の展開は時間の経過の中で行われることとなった。
    展開は、ちょうど「如意の珠」に、分析の光を当てて観測するようなやり方だ。(如意珠とする理由は、現れる こと、考え付くことの全部がその中にプログラムとして入っているからだ。ホログラムの塊と言うべきかも知れない)
    ここにプロセッサー的な要素が生じたことになる。コンピューターがシミュレートモデルとしては相応しくなるわけである。

    さて、ではいちばん時間的な末端(最先端)はどこになるかと言うと、今あなたや私の心の中で営まれている、ほんの些細な心の動きや認識のひとコマがその場 所だ。(何段階もの多重夢の末に今がある
    外 界はこんなふうだったという記憶の連合の中にいて、それが保証してくれる因果の基盤に立って、自分の時間的位置を確認し、自分の思いを新しく構築して、記 憶に組み入れて、自らの経験としている最中にあるのだ。(記憶領域が完全に欠損すれば、彼は新たな観測の時空に立つことになる。記憶喪失も、死も然りであ る)
    記憶の中には、もしかしたら原初の部分も潜んでいるかも知れない。しかし、そこが起動される時間は少なくて、もしかすると熟睡している最中にこそ、それが 起動していたりするかも知れない。記憶の受け渡しがないから、どんなことになっているかが分からないだけだ。(睡眠がとれなくなれば、人はなぜ発狂するか。だいじな時間が、別の意識活動のために、割り当てられていると考えたほう が妥当だろう。)
    人生の数分の一を占める睡眠は、どんな動物の意識にも認められている特権だ。
    知る者とてない元の自分がそれほど近くにあっても、大切に思う者はどこにもいない。
    (無知の科学の下では・・いずれ人は・・ロボットになるか発狂させられる)

    然るに現代は、睡眠の量を減らす方向に傾倒し(起きていても大脳の数%しか使っていないとか理由付けして)、未だかつてないストレスを個々の意識に対して 掛けている。それは増強されることこそあれ、減少される方向にはない。
    ストレスとは、理想(幸福)と現実のギャップから生産される。理想家であればあるほど、この世との折り合い方がだいじになるが、それを容易にさせようとし ないのも今の社会だ。
    おそらく陰謀論者なら、人間の脳を策謀的にロボトミーしようとしていると言うだろう。
    だが、うまくできたもので、人はそうなる前に、無意識的願望としてのカタルシス(浄化、洗滌)を起こし、心身症や鬱や原因不明病になり、ストレス源からの 離脱を合理的に図ろうとする。
    そこにも逃げ道がないとなれば、さらにカタストロフ(破局、破壊)へと、まるで自然のように歩を進めることだろう。
    無意識的に脳を破壊して痴呆症になったり、身体を破壊すべく癌を作ったり、さらには顕在意識をして自殺などの具体的行動を採らせたりする・・といった方向 に誘導していくはずだ。(心の反逆は、心の閉塞と抑圧の環境の中で醸成される
    痴呆はストレスを軽減できる麻酔の良薬のようなものかも知れない。(本人は幸せな心に回帰となるが、周りは たまったものではない)
    酒や薬物依存も同様の意味のものと捉えられよう。(規制と代替薬品による対症療法しか講じられない科学は敗 着の学問)

    本来なら、ストレスを生む元となる社会構造の改善変化があって然るべきなのに、いったい科学者なる者は何をするためにいるのか・・為政に対して知恵を供出 できずにいて、まったくいかがわしい存在と言うしかない。
    改善の変革ができないなら、また意識が希望を失うことにもなり、個々人の心の病態もよりひどいものとなるだろう。(そのとき、もしも世界にカタストロフが生じたなら、こうした人々は逆にのびやかになる可能性を秘めている。平常に慣れ た人々がパニックになっているようなときに、どうなるか見ものだ。にこにこしていたらキモイだろうな。いや、どうあれ、冷静な人がそのときこそ必要になる)

    さて、個々人の意識が人類全体の意識として集合して、集合無意識を形成するという認識で正しいだろうか。
    相手が集合無意識となれば、雲を掴むようで理解困難かもしれないが、個々人の場合の拡張的相似像としてなら測ることは易しかろうと思う。

    日々のストレスと閉塞感が上がってくる集合無意識の器があるとしよう。集合無意識も生命のようなものなら、器の中を洗い流したいというカタルシス願望をそ こに抱くことだろう。
    それは、まだ顕在化しない形で、アラームのようにして出てくる。
    まずは模擬(代償行為としての予知夢、映像的シミュレーション化、科学者などによる未来予想) として、精神感応し易い仲介者をして警告を発せしめ、個々人にフィードバックするわけである。このままでは危ないから、何とかせよと。(ジュセリーノ氏の助言者とは、集合無意識である可能性がある)
    もし効果がないなら、集合無意識はついに自己治療の道を模索するだろう。自然の猛威で、原因を取り除くようなことが出てくる。ここまではまだカタルシス (浄化)の段階と言える。
    だが、それでもだめなら、ついにカタストロフ(破滅)へと歩を進める。人類の想念をそれ以上収容できなくなって、集合無意識自体を閉ざすべく、人類を滅亡 させるカタストロフを引き起こして、自ら死を選ぶわけである。
    刺々しいストレスが浄化されることもなく、無意識の中に鬱積する一方であれば、しだいに復讐心のようなものとなり、カタストロフへと道をつけていくと言い 換えてもいい。個々人の心理の中で起きる変化が、集合無意識にも起こる。(こ んな大きなものに痴呆化されたらたまったものではないとは思うが、すでに人類は半痴呆状態に陥っている。でなければ、為政者に悪魔を据えて平気でいられる はずがない。人類それ自体が生態系にとって癌と化したのは、すでにカタストロフの過程に入っているからだろう。そうなれば次は、自殺するのではないかと推 測が立つ。戦争を痴呆者の間に起こして、全滅を狙うというわけだ)
    そのいっぽうで、社会的カタストロフの先に解放的未来ありとす る、古代から連綿として蓄積された潜在的願望があって集合無意識の大きな一翼を担っている。それはまるで冒頭に述べた原初のよすがを投射しているかのよう で魅惑に満ちている。そう。そこに我々は戻りたかったのだ。そこに真の幸福があったと、心のどこかに記憶しているがゆえに、心が強力に渇仰しているもので あった。
    だが、その話は渇仰する集合無意識が作り上げた幻想とその増幅作用ではないのか? 
    この夢のような理想がもう一方から牽引している。とすれば、カタストロフ願望とこれの両者が合力して一足飛びに具体化させてしまうことにもなるかも知れな い。
    何も人々の鬱積した満たされぬ思いだけが、破局の引き金になるのではない。恐ろしい自爆装置のような条件付けを、人類は初期の頃から負ってしまっているこ とも考え合わせねばならない。
    集合無意識も、人類の思いを集合させて、その解放的未来を夢見ているかのようだ。その中味を誰かシミュレートしたことがあるのだろうか。
    集合無意識が臨終をかけた最後のご奉公として、確率的に量子が稀にとんでもない飛躍をするように、未知の扉を開く者が出るのかも知れない。
    我々は、未体験ゾーンとなることを覚悟して臨みたい。
  • 賽 の河原
    賽の河原は、誰しもが死の直後に渡って行かねばならない三途の川にある河原 のことで、
    Wikipediaによると−−−
    賽 の河原は親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を築く と、鬼が塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになる。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。し かしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩により救済されるとされる。
    −−−−−−−
    とのことである。
    さて、六道輪廻はこの世にありとする説によれば、死後の手続きもいっさいがっさい、この世の経験の中で満たされると考えることができよう。
    そうしたときに、賽の河原の意味するところとは・・。
    私 流に仮説させてもらうなら、人の個々、あるいは人類が、これは正しいと思いながら一生懸命積み上げていった諸々のことが、河原の積み石に置き換えられて、 それがある程度築かれる度に、鬼のような不条理な節理の侵襲に見舞われて、元の木阿弥から出直さねばならないことを語っているように思われる。
    つまり、三途の川、賽の河原という説話も神話の手続きとなっていて、人の個々の一生から人類の一生、さらにはそれらの死後世界まで幅広く懸かる定型的パ ターンとなっているわけであろう。
    その是非はここでは問うまいが、いかにも人間の置かれた立場はかくなるものなるかと、諦観を以て眺めねばならないような陰鬱な気分にもなるわけである。
    個々にも、全体にも、突然の事態の発生により、築いてきた正しいと思われてきた価値が転覆したりする。そこにカタストロフィ理論を当てはめるというのもい いかも知れない。
    これは賽の河原の一側面だからだ。しかし、賽の河原は違った側面も持っている。それは、徒労を繰り返す子供を救いにくる地蔵菩薩の存在だ。
    だが、この場合は、親不孝したことの罪の報いではない。良かれと思ってしたことのことごとくが、果たしてそうだったのかという、むしろ大人に通用する話と なる。
    人類の突き進んだ高度物質文明社会の無限成長路線の幻覚。図らずも、宇宙船地球号の限界の中の幻影でしかなかったことに、今ようやく気付きつつあるわけだ が、もうすぐそこまで鬼は足音を忍ばせて来ているようなことか。そんなときは・・・

    おーい。地蔵さんやーい。
    なに? 浮世へ散歩に出かけた?
    仕方ない。帰宅されるまでとりあえず、彼と十王配下の鬼の脱衣婆の武勇伝を伝えておくとしよう。衆生は恐ろしさのあまり、目を剥くかも知れんが。
    http://uumusou.yamanoha.com/story/tatsueba.htm
  • 成 相山成相寺成合観音縁起
    どこのHPを探しても載っていない丹後の天橋立にある成相山成相寺成合観音 の謂れ。
    パンフレットにしかその伝えを残していないというのは、いかにも残念というしかない。
    この中には、地球上に人類が初めて登場したときのことが書かれている。
    手元にそれがないので、憶えているままに書くのであるが、

    その昔、地球上には人間がまだおらず、龍神たちが支配していた。
    ところが、天上の神々がこの地に人間を下ろしたいと言ってきた。
    龍神たちは、そんなことをされたら秩序が乱れるのではないかと、抵抗を示して暴れまわった。
    そこで神々は、当時インドで名を馳せた文殊菩薩に、龍神たちの教化と懐柔を依頼した。
    文殊菩薩は、これを快く引き受け、丹後に龍神たちを集めて、説法をして改悛させ、人間に思いやりを持つことを諭した。
    いたく感じ入った龍神たち。そのお礼にと、みんなして土を運び、天まで続く回廊を築いたのが天橋立。
    長である弁財天と共に人類擁護の誓願を立て、弁財天を中核にして龍神たちが合体して、一体の観音菩薩となった。
    これを成相観音という。
    これが天橋立の二つの極に、それぞれ成相寺成相観音と智恩寺文殊菩薩が鎮座する構図となった由緒である。

    だが、文殊菩薩は、今の有様を見てどう思っているだろうか。
    果たして、してきたことは良かったのかどうか、
    むしろ教化すべきは人類のほうではなかったかと、
    悔いておられるような気がするのである。
  • 星 間戦争の代理の場
    神々の戯れによるか、それとも別の理由によるか、その昔、白い星の元にある 種族と、赤い星の元にある種族が、星間戦争を繰り広げた。
    戦いは一進一退。勝負の決着はつかぬままに、休戦となった。
    その間幾多の溝を埋めるための交渉が行われたものの埋まることはなく、対立軸を残したまま、どちらも高度文明であったため、共倒れを避けるべく、戦闘能力 を減殺させた互角の勢力を代理に立て、その間で雌雄を決することにした。
    つまり、代理戦争のゲーム空間が別に定められた結果、その場の一つが地球となったのである。
    日本では白と赤の旗印を立てて戦う源平の戦い。
    今においても、資本主義社会と共産主義社会の基盤色として採用されてきた。そして、星間戦争の戦士たちが地球上に転生し、ただシンボルの下に戦いを繰り広 げてきたのである。
    色はイデオロギーを表すわけではない。戦いの表象としての色であり、その旗の下に記憶を宿した戦死の魂たちは自然に集まり、命を賭してきたのだった。
    だが、上位で解決できない何かが、逆に下位に見つかるという予測があり、必ずしも戦いのためにのみやってきている魂ばかりではないということ。
    地球文明の最終局面に当たり、その何かが見つかるに違いないという予測しかないのだが、それがフィードバックされて星間戦争に終止符が打たれる可能性があ るということで、この方面からの期待も大いに懸かっているわけである。
    その他様々な懸案解決の場として、この地球が集約的に用いられている感があり、関連ある星々からの来訪もしくは偵察がなされているというのも頷けるものと 思う。
  • 新 神話の素材・・・御伽草子は素材の宝庫
    抜粋
    −−−−−−−−−−
    我 々人の身体は器であり、場である。霊魂の宿る器であり、霊魂の集う場なのだ。身体を主体的に支配するのは自らの魂。その器として身体がある。だが、身体は 様々な神霊の集う場でもある。それは何も巫女だけに限らない。巫女は訓練してそうなったこともあり、神霊の訪問を受け易くなっているだけである。
    そ の人の思いに従って、相応しい神霊がかかる。そして神霊は、この場を借りなくては会えないような神霊と出会うために、人をして奇遇な縁を用意して出会わせ るのである。◎◎◎や○○○○○のように、一人で複数の神霊の集う場となることもある。様々な神話におけるペアーとなる神々が、一つのペアーの身体にひし めくように集まり、合コンさながらの盛況になることもある。雛形に素質があればあるほど賑やかなものとなり、また人が新たに資質を獲得して、不思議なこと が続々展開するようにもなるのである。
    人は神霊にかかられたときから、神の神話を演ずる者となる。古来よりシャーマンが至ろうとした境地はこれであり、そのときシャーマンは人並みはずれた神々 しさを見せるのである。神の容れ物となるとき、人はおのずと清められる。人にとっても神にとっても利他となっている。
    人は神の依頼、神懸りを受けて、地上で神話の雛形の舞いを舞う。逆に、神は人の作った神話に則って神界で神話の舞いを舞う。地上の歴史はさながら、神霊と 人霊の意図のおりなす綾の如くなり。
    −−−−−−−−−−


    神話のテクスト例

    天橋立の成相観音、久世戸文殊の縁起はこればかりではない。
    御伽草子の「梵天国」において、両神が対置されるに至った神話が描かれ、天橋立の本地ともされている。
    それによると−
    −−−−−−−−−−−
    五 条の右大臣高藤の子は、観音析願の授かり子玉若君を大変可愛がり二歳の時四位の侍従の位を得て、丹後但馬の国を与えられた。小さい時から笛を上手に吹いて 居られたが十三歳で父母を亡くし孝行な子であっだので、一週間笛を吹いて供養していた。その笛の音を聞いた梵天国の王(仏教の主護神)が、「吾が姫を嫁に 差上げよう」と云い、美しく心の優しい姫君を妻に迎え人れられた。此の話を聞かれた天皇が羨まれて「おまえの妻を内裏に参らせよ」それが出来ねば……と無 理難題を申出されたが二人のカで総て叶えられた。最後の難題「梵天国王直々の御判が欲しい」との事。中納言は父君に当る梵王国に行き食事を与えられだ時、 側で人でも鬼でもない飢えた骸骨の様なものが食事を求めた。慈悲深い中納言は哀れに思い御飯を与えた。すると一粒千人力と云う米を食べて鎖を切り大空へ飛 んて行った。これが羅刹国のはくもん王(悪鬼)てあった。はくもん王は邪恋していた中納言の妻を奪い羅刹国へ帰った。中納言は御判を頂いて帰ったが、妻の 居ない家や世の無常を感じお髭を切り家出して願を掛け妻を助けられる様析った。中納言は単身羅刹国へ入り、はくもん王の宮殿に密かに潜入し、妻と再会。警 備の手薄になった隙を見て、御車に乗って二人して逃げ出す。それを知ったはくもん王は、はるかに走力において勝る御車で追いかけ、まさに追いつこうとする とき、梵天国から差し向けられた孔雀と迦陵頻伽が、はくもん王の御車を蹴飛ばし、奈落の底に突き落とした。中納言はこうして、妻を救い出し都へ帰ったが、 都の生活を嫌い丹後へ下られ、妻は成相の観音様となり、中納言は久世戸の文珠となられた。そして一切の生活をお救いなされたとか。成相観音は美人観音、美 人になれる観音様として名高い。
    −−−−−−−−−−−

    梵天国の王とは梵天王であり、その姫には弁財天の意趣が馨る。そして文殊は、梵天王の縁戚として列せられたことが分かるだろう。

    また、愛する妻を救うために夫が冥界遊行する話は、御伽草子「毘沙門の本地」にも見られる。

    それによると−
    −−−−−−−−−−−
    天竺瞿婁国の千載王が九十歳、妃が六十歳の時、申し子をして天大玉姫を得た。姫が生まれると王は二十歳、妃は十七〜八歳ほどに若返った。乳母も五十歳から 十七〜八歳ほどになり、その他、民百姓にいたるまで、姫を拝んだ人は皆若返った。
    天大玉姫は、強要されて、摩耶国へ嫁ぐこととなるが、道中で維縵国の金色太子と出会い契りを結ぶ。太子は摩耶国の大王を討ちに出かけ、姫は瞿婁国へ戻る。 「三年待て」と太子は姫に言い置く。しかし、約束の時が過ぎても太子は帰らず、姫は悲しみのうちに他界する。
    金色太子は肉身のまま天界・地獄界を旅し、大梵王宮に転生した亡妻天大玉姫と再会する。太子は現世の人、姫は冥界の人ゆえ、そのままでは添い遂げることが できないので、大梵王のはからいで、二人は福徳山に毘沙門天王・吉祥天女となって顕れ、永遠の契りを結んだ。
    −−−−−−−−−−−

    ここでも梵天は、毘沙門天と吉祥天の仲をとりもち、神縁の深さが築かれている。

    ま た、前記同様に、添い遂げるべき男女神のなれそめに始まる神話が、御伽草子「浦の嶋子」(浦島太郎)の異界遊行である。話の中身は衆知のことゆえ詳しくし ないが、その締めくくりは、蓬莱島の鶴(浦嶋)と亀(乙姫)となり、仲睦まじく暮らす夫婦の範とされたことである。そしてこの蓬莱島もまた梵天の主宰する 万国永世中立の場であった。
    一介の漁師・浦の嶋子は人の身で神となった古代の英雄であり、庶民の憧れであった。
    この物語の原型はかなり旧いものであるらしく、古事記のホホデミノミコト(山幸)の綿津見の宮遊行の話に投影され、神武東征を道案内するヤマトスクネがそ の英雄伝説に倣おうとしたほか、陰陽師の安倍晴明も類伝を伝えて英雄ぶりを披露している。


    古代から庶民に語り継がれた神々の物語は、神話として集合無意識を動かすものとなり、歴史的英雄は物語の主人公になりきることで、集合無意識を操ろうとし ていたことが窺えるだろう。
  • 新 神話概観・・・火の鳥編
    梵 によるはじまり(別角度から)

    空なるところにひとつの玉のような意識があった。
    周りには何もない無限の広がりのみであった。我々が考える時間とか空間といったものは
    なかった。
    固有名詞をつけ時系列に話さねば理解できない世の人のために述べるなら、ひとつの意識
    の名は「梵」。彼の夢の開始点がどのあたりであったか定かではないが、ひとりあることに
    寂しさを覚え、自らを別けて双身とした。しばし互いに愛で合った後、それでも不足を感
    じたか、次々と別け身を創り出すことを繰り返し、その数は無数に増えた。その全体の姿
    は、最初の双身(父母)を頂点として繁茂する逆さ樹木のようであった。それを「梵の全
    系」という。「梵」の冠の林とつくりの凡には、おしなべて林のように見えるという意味が
    ある。また、神棚に供える榊(さかき)とは、「逆さ木」の意味であり、常緑樹であること
    によって永遠性を表現しているのである。
    あるいは逆ツリーの姿ゆえ、下位を「根」という表現をする。いずれも玉(意識)の連鎖
    によって成る情報系を意味しているのである。
    ところが、個々の意識は全能であった。それぞれに宇宙を造形する能力を持ち、それぞれ
    が引き篭もる宇宙を持ち、遊んでいた。だが、しだいに近接した者同士で相互交流するよ
    うになり、アイデアを元にした組織を作るようになった。組織で共通の宇宙を創り出し、
    面白さを工夫するようになった。そ のようにして生じた宇宙には、失 敗作も多々あったが、
    さらに工夫する。
    その能力は、魔法の力というべきもの。夢を作る能力といってよい自在のものであった。
    というのも、原理的に魔法で作られるものは、すべてオリジナル言語で書かれたプログラ
    ムであり、そこに意識の個々が参照光を当てることにより、観測されるものとなったから
    である。その原則は変わらない。だが、みんな魔法の能力を柔軟自在に駆使して、そのよ
    うなことは忘れたように行動した。
    そのようにしてできた宇宙の一つに、この宇宙があった。最初に理念と目的をはっきりさ
    せた設計がなされ、それに従って宇宙は生まれたのである。
    祖形の宇宙に入った意識たちは、創意工夫する科学者のようだった。梵天、弁天、ウーラ
    ノス、クロノスといった科学者が宇宙の基礎を作り、参加希望者に来場を促したのだ。
    興味した者たちが続々訪れた。その協力のおかげで、祖形宇宙はしだいに諸原理を明確化
    させ、細かいところまでが定まっていった。
    ひとつの宇宙の雛形を与えた後、梵天と弁天は、後をクロノスに託して去り、その後クロ
    ノスは生命の基を作るまでにした。こうして、意識は生命体の個々に宿ることのできるも
    のとなった。
    生命体には、宇宙の諸元を使ったあらゆる形態が考案された。諸原理の整備に伴って、た
    とえば真空生命体、プラズマ生命体、物質生命体、原子生命体などへと展開した。
    創造精神豊かな純粋な魂ばかりが集まって、創意工夫を出し合って、それはそれは善意と
    愛に満ちた見事な世界が生まれたのだった。
    細かいところまで意識の目は入り、些細なことでは壊れたりしないものとなった。プログ
    ラムで言うなら、バグの極めて少ないものとなったのだ。
    宇宙が安定的に運営されてしばらく経ったころ、この宇宙を自分たちのいいようにしたい
    という邪な意識がたくさん入ってきた。彼らは作りあがった見事な土台を改変する者であ
    った。というのも、この宇宙に当初設定した「生成衰滅の草本の理念」に沿った変化期が
    訪れていたからである。その時期に応じた意識が参加してきたと言ったほうがいいかも知
    れない。セキュリティレベルが下げられていたと言い換えてもよい。
    彼らは自らを人仙グループと名乗り、高度思考能力を持つ生命体の開発実験のためにやっ
    てきたと告げた。
    理念の展開に沿った者の到来に、クロノスらは歓迎したが、彼らは以前の宇宙で、競争と
    闘争ゲームに熟練した者たちであった。このため、クロノスたち古参の科学者の意向を汲
    まない行動を頻繁に起こすようになった。ついに古参者と新参者の間で戦争となる。クロ
    ノスは宇宙の外に逃げたが、多くは意識を失わされ、その間に封神処理が施され、神界で
    人仙たちの下働きをさせられることとなったのだ。勝者は天仙として仙界に住み、下位の
    神界からは認識できなくして、神々の行動を監視したのである。
    クロノスのときに、高度思考力を備えた原人が作られていた。多くの意識がそこにちょう
    ど潜水服のように入って、地上の開拓作業をしていた。彼らは、封神処理の間、上位界で
    何が行われているか知らぬままに放置され、いつしか意識を退化させていたのである。
    天仙は、世界を仙界、神界、霊界、幽界、人界、地獄に別けた。上位から下位を制御でき
    ても、逆ができないようにしたのである。
    クロノスは梵天に訴えた。理念が過激に遂行されてしまったと。梵天は、理念がそうであ
    る以上、再び廻り来る春もある。よほどのことがない以上、静観するのがよいのではない
    か、と諭した。だが、その「よほどのこと」に関して調査が入ることになり、介入が必要
    であると判断されたのである。

    火の鳥の真義

    火の鳥は古来より、これが現れる時代は世が根底から覆る時であると思われていた。
    すべての地上の文明がその寿命を終える時、必ず地上を火災が覆い尽くした。その原因
    を火の鳥に求めたのである。
    その時代には、世の矛盾に疲れた人達の願望が嵩じ、正義によるのかそれともその他の
    動機で起動されるか分からぬ、謎に満ちたシステマチックな摂理に人気が集まった。
    なぜならそれは、迷路に迷い行き詰まってどうにも動きの取れぬ状況の、最終的な打開、
    最終解放をもたらす手段と認識されたからであった。
    宇宙。それは有情すなわち魂と普通言われる永遠の存続が謳われた意識ある主体が、自
    らの生きている証しとして様々な体験時空の中に意識の目を置いて、自分と被造物の関
    係を認識するために作られた仮想時空のことである。
    それは多くの意志によって作られたとも、単一の意志によってつくられたとも諸説ある
    が、元はといえば意識の主体が楽しむべく設計されたテーマパークであった。
    その中で、火の鳥の初元的意義はこうである。
    この宇宙ができあがるとき、これを設計した太古の神(と言っていいであろう)は、宇
    宙の土台に存在を維持するための基盤となるエネルギーを封入した。それは宇宙の膨張
    と共に普遍し、科学的に言われる黒体輻射となった。それはいつも宇宙に体温があって
    生きていることを証していて、その暖かさは愛と目されていた。
    だが、設計者はこの中に更なる愛を込めていた。それは、精緻に作られたものであれば
    あるほど、それにのめりこみ固執を招く可能性を持っているゆえに、その傾向を戒め、
    有情に本来備わった相を取り戻させるための摂理として用意されたのが、破壊と焼却を
    以てする火の鳥であった。つまり、緊急避難処理機構だったのである。
    意識の退化・・・のめり込みを助長するシステム
    この世に生きる者は、本来備わった相など知る由もなく、また知る必要のない、むしろ
    知っては興趣が削がれるところのものとされていた。たとえば、◎◎◎が宇宙船の中で
    「蚊」の一生を、そのものに成りきって体験した如くである。
    だから、ともすれば、有情はテーマパークに遊ぶうち、自らの元の性質を忘れ、あるい
    は失い、その仮想的対象こそを事実、実態と誤認するようになる。
    テーマパークの主催者は、細心の注意を払い、極端にならぬための政策を取ることにな
    っていた。
    封神の後、神界に登場した政府は、まだしも良識の府であった。当初の科学者的建設的
    思考が自然ににじみ出て、輝ける魂の神々が支配的だった。
    正義は誠実の表れとしていつもあった。人 界の管理は、適 切に施され温かみに満ちていた。
    ところが、神界に仙界から功利主義や競争精神が持ち込まれ、誠実さ必ずしも得になら
    ぬ例が続出してきた。暗い時代の到来を思わせるように、神界の空も灰色がかり、色あ
    せていった。人界もこれに伴い、不安定化した。
    だが、建て直す神が現れた。国常立神である。彼は、正義を揺るがす行為を戒め、神界
    のあり方を正した。こうして、神界人界とも元のよすがをいったん取り戻したのだ。
    だが、天仙は計画を中座させられ、面白みが削がれたのを見て、魂を持たない杖の眷属
    を国常立神の討伐に向かわせたのである。これはいわゆるゾンビであり、噂に聞く梵天
    の目が宿らないことが見込まれていた。仙界から密かに下ろされ、天仙とは無関係に装
    いつつ、邪悪な精神性を神界にふりまくのである。
    国常立神の執政を恐れる者たちの間に不満は嵩じ、黒い陰謀が生まれた。
    こうして、神界にクーデターは起こされた。ここでも、ゾンビを直接関わらせる計画で
    はなかったが、軟弱な側近たちに暗殺は不可能だったため、ゾンビにやらせてしまった
    のだ。
    ゾンビは、プログラムの観点からすれば、ウイルスのコードのようなものである。あた
    かもセキュリティを破り、不明瞭な外部から侵入したかのように見えるのだ。
    主催者が革命によって交代した後、人界の文明の進歩はどんどん加速させられた。
    バラエティーに富んだソフトを編み出し、有情を虜にした実績によって批判的な外圧を
    かわすようになっていったのだ。
    夢の楽園と銘打ち、外野に向けて宣伝がかけられた。非常に面白いテーマパークだと評
    判になった。
    お子様連れでぜひいらっしゃい、と。
    そこに入る者は、まず控え室で幾つかの説明を受けて書類にサインする。
    魂の記憶を消すこと。以前の名前を忘れることなど。
    書類にはなにやらややこしい文も書いてある。
    それに同意するなら、サインして無料で入室できるという具合だ。
    純粋な魂たちは、施 設の誠実さを信じて、面 白さを味わいたくて来ているためサインする。
    だが、入る人数と出てくる人数の差が歴然としていた。
    還らぬ魂たちを心配して梵天に訴える眷族が増えた。梵天が行って掛け合うが、主催者
    はみんなルールを守って楽しんでいる最中であると答え、さらに追求すれば、サイン入
    り文書を見せて、ほらこの通りという言い逃れ方をした。
    テーマパークはやはりプログラムである。そこに有情は試し火の火を入れてプログラム
    を実行しながら観測する。己が意識を忘却の麻酔プログラムで麻痺させて、命の誕生か
    ら終わるまでの課程を楽しむのである。
    彼の欲望のすべてを満たすには命は短く設定され、また課程の中で新たな欲求を見出し
    て、次の更なる経験を欲するように設計されていた。
    欲求が生まれれば、その需要に応えて、次の生のポジションから果たすべき課題までが
    功過得点によって計算し直され、周到なプログラムが用意される。参加者はみなプログ
    ラムである対象を、マリオのゲームの如く相手にしながら、そこに出てくる敵と戦い、
    味方と出会い、様々な試練を乗り越えて到達点に至ろうとするのである。
    それで未到達タイムオーバーなら、次の輪廻がシステマチックに用意される。
    その間に、別の欲望や過失や故意などが新たな功過を生み、またも採点の対象とされて
    いく。これらをことごとくクリアーするために、何千という輪廻を繰り返すのである。
    その時間の中で、参加者はいつしか有情というものになってしまう。
    有情の数はあまりに多く、多くはシステマチックに処理されるが、特別に評議の場にか
    かり、恩情的措置やたしなめ的懲罰措置を受けることもある。
    針の穴を通すほどの確率でしか抜け出すすべはない。こうしてテーマパークは、あたか
    も地上の楽園と銘打たれ外部宣伝がかけられたかの国の如くであったが、その実態は強
    制収容施設であったのだ。
    これはどうもおかしいと、隠密が放たれた。それが◎◎◎らのプロジェクトであった。
    しかも、火の鳥使いが直々に乗り込んできたことは、テーマパークの廃絶をも視野に入
    れた計画であったことになる。
    ところが、テーマパーク主催者は、永久的存続を願った。
    自らの支配権の永続という幼稚な精神性が支配原理となったとき、悲劇が生まれる。
    彼の傘下にあるすべての生き物の希望を、存続一色に染め上げたのである。
    教育、暗示という方法で、存続しないことの悲劇を強調し、非存続に向かう苦痛と存続に
    向ける安堵感を際立たせて、飴と鞭の効果を活用した。
    だがそれは、真の意味の魂からの希望ではなく、無知なレベルで為した希望であった。
    自己保存本能として、あるいは破壊時における懲罰的痛みとして、生きることを希求せざ
    るを得なくしたのである。
    痛みの中でもがき必死で生きんとする様。それは傍目から見れば涙ぐましいものに写る。
    だが、それは死への恐れと次の輪廻への欲求となるばかりである。
    ところが、それでも支配者は宇宙の存続に満足が見出せないと知るや、さらに別の方法を
    編み出した。
    すなわち、善と悪を戦わせてそこから生ずる残留思念を存続エネルギーにしようとしたの
    である。悪の力が上回っていればいるほど、善はその矛盾に対してすさまじいストレスエ
    ネルギーを発散するが、それが優良な宇宙存続の原動力となるというのだ。
    結果、そこに閉じ込められた有情たちは、思うように行かない、悪い差し障りがあるなど
    の不幸の客体となる。ときおり順調に行く晴れの時間をその中に織り交ぜれば、いつか不
    幸を脱して幸福になれると努力する。それが錯覚であっても、土台が存続しなければ何事
    も実現しないと錯覚し、またも存続を希望するのである。
    「ここでもっと生きたい。経験したい」といった有情の希望は、ただちに外野に伝えられ
    る。ほうら、こんなに楽しんでおられるじゃありませんか、と。
    この方法がいつまで効果があるかわからないが、宇宙に幾つかのポイントを設けて、そこ
    で善悪のせめぎ合いをさせるだけでたいそうな効果があることも分かったとみえる。
    そのようなポイントの一つが地球という惑星であった。
    地球には、かつて反逆者とか戦犯と呼ばれた者たちが多く下ろされた。彼らは何が真実で
    あるか心底知っていたため、戦勝者に対して表向き帰順の意を表明しても、心中迎合しな
    い者が多くいた。
    そこで完全な敗北観念を抱くように、洗脳教化する強制収容所として作ったのである。
    彼らはもとより正義と秩序を重んじる者たちであったから、正義の元が心地よいので集
    まろうとする純粋さを備えていた。ところがそこに、ならず者やごろつきや刺客を高見
    から見下ろしていて送り込むのである。同じ外形をした仲間としてくるものだから、そ
    うとはわからずトラブルになる。まとまろうとする正義の一団はまとまれず、内部崩壊
    してしまう。あるいは外部からならず者の兵隊が来て潰してしまう。こうして、正義は
    いつまでも成り立たず、心ある者たちの心の中に理想として秘められるに止まったので
    ある。それがまたも錯覚させて、土台の存続を希求させることになった。
    戦勝者の干渉は、地球に下ろすものたちの形態にも及んだ。
    地球は50億年の年月の上に生命が進化し、人間を頂点とする生態系が築かれ、宇宙船
    地球号の中で生命輪廻のサイクルが営まれている。だ が、そ こに生息する動植物の多くに、
    実験の痕跡が残されている。いわゆる遺伝子工学の、である。
    今の人類もそのご多分にもれない。地球に当初存在した人類は、類人猿的であったが、
    人類として登場した者は、準・神人であった。
    この原型から、何かを足しても引いても、支障があるほどに完璧であった。観測できる
    視野のレンジは広く、形而上の実体をも見通すことができた。子供は、父母の頭頂から
    気の塊として生まれ、長ずるに従い物理的な形を整えていくのである。幽体と言われる
    形で生まれ、肉体をしだいに纏うという生長を遂げたのだ。生命の木の図章は、幽体の
    象徴化された解剖図なのである。
    その原型は、敗戦者の技術によってこの上なく創られていたため、戦勝者はこの秘密を
    解き明かそうとして、いくつもの不具を創ってしまった。どうしても武力以外の分野で
    力が及ばないと知った戦勝者たちは、地球上の原型人類を収監して、そこからできた不
    具と動物をあいのこにした生き物を、人間として下ろすことにした。
    具体的には、宇宙人が人間の遺伝子改造を行った形だが、未だに幽体との整合が図れな
    いでいるために、満足な寿命が保てず苦労している。
    戦勝者は、技術的に劣勢なのを逆恨みし、原人をあらゆる皮肉を込めて改造した。
    その端的な例が、子供が汚物排泄口のあわさいから生まれるようにしたことである。
    かつての原動物はいっさいの子供を子孫を大事に生み育てる理念の下、頭頂から生み出
    していた。それを汚物の次元にまで貶めたのはひとえに戦勝者の企みである。それは、
    人々や動物を支配する彼らの方針を表していた。
    シュメールやギリシャの神話などは、人間は神に嫌われた存在であったとしている。
    インド哲学も、この世の輪廻から解放されることのみを希求し、そのための実践哲学の
    体系を創っていった。
    若干、タイムを取ろう。ただいま正神の中から、人界の存在意義を肯定する意見がもた
    らされたので、書き記したい。

    人界の意義・・・進歩になるのだという説

    人界は広大無辺な宇宙全体のうちにある、ひとつの次元時空であり、有情の意識が好みに
    応じて居心地の良い次元時空に本拠を置くとき、宇宙の全体像を把握させたり、自己中心
    に陥りがちになる意識たちに他のステージを理解させるといった理由から、他の意識に対
    して働きかける(相互作用する)機会を作るべく設けられている、という。
    よって人界には、天人阿修羅地獄餓鬼畜生に大別される次元時空から、様々な性格の者が
    共通の交流の場を求めてやってきている。それはさながら、ディスコに集う若者の群れと
    いった感じであり、慎ましく高貴な魂から、粗暴乱雑な魂、あるいはアウトローな者まで
    が混在し、それぞれ他の者から、あるいは成行から、自己を改変する手懸りを得ていくと
    いう。
    人として生まれた者は、ち ょうど老人ギブスをはめて活動する如く、元 あった力を減殺し、
    造形困難なマテリアルを使って、共同の建設的作業などを通して、自らのありかたや考え
    方をグローバルなものに改変させていくというのである。それを魂の進化と言っているら
    しい。
    その下地に、有情はすべて、機会、可能性、与えられた時間において平等であることが謳
    われているという。
    また、大から小に至るまでの局面でストーリーがあるが、文明の進歩や支配的思想の変遷
    は、相互作用の仕組みと角度を少しずつ変化することにより、進歩の形態を多様にしてい
    るという。
    だが、◎◎◎はそれを聞きざまに、欺瞞であると断ずる。
    その理由として、そこまで配慮されたシステムならば、なぜ古来から宗教者が頻繁に出て
    精神論を説かねばならなかったのか。釈迦などは、衆生に心のレベルにおける解脱を説い
    ている。それは、いかに耐え難い環境が衆生に対して与えられてきたかの理由ではないか。
    むろん釈迦やその他の聖者の出現により、衆生は救済されて、今の時代に子孫を残せるに
    至ったと解釈もできる。だが、どう考えても、闘争の歴史は多くの無駄な繰り返しを招く
    ものでしかなかった。価値感を狂わされた競争の歴史は、直ちに壊れる砂山の建設に似て、
    共同の建設作業らしく見えても、最終的には絶望を与えるものにしかなっていない。多く
    預言されたよう、この歴史が滅亡を必然としているように見受けられるのはなぜなのか。
    むしろ、何か別の理由、もしくは怠慢があるのではないか。
    その理由としては、邪な計画が(権利伸長のための宇宙存続計画の一環で、善悪の闘争が
    優先されている)潜在しているからではないのか。ソロモンはこう言った。「天の下には、
    真新しいものはひとつもない」と。文明は同じマテリアルを抱えて、ただ輪廻しているだ
    けだからだ。そこで魂はやがて進歩し悟る?そうではなかろう。マリオのゲームもクリア
    ーのハードルが次第に高くなっているのと同じ原理なのだろう。
    もし支配神に邪な心無く人界を運営する気があらば、迷霊を迷霊のままで放置したりはし
    ない。それは明らかな怠慢。過失というより、故意に起こされたことと判断するのである。
    迷霊がどうしてもそうしたがるのだという言い訳は、機会や与時間の平等という言い訳の
    上に胡坐をかく怠慢の証でしかない。しっかりと逐一の例を検査し、ケアーを図ってこそ
    前提的な大義名分も立つのではないか。
    ちょうど神界の人界支配の構図は、どこぞかの政府の官僚組織に似て、権力保身の邪悪さ
    だけが支配し、肝心の行政はおざなりになっているとしか言いようがない。そのようなと
    ころから与えられる末端庶民の幸せや所期の進歩などといったものは絵に描いた餅にすぎ
    ないと断ずるのである。
    これに対して◎◎◎は、極度な邪悪さを排除したマトリックスを、善良な注意深い管理の
    下、博物施設として運営し、希望者にしっかりとしたガイドをつけて閲覧してもらうとい
    う新型システムへの移行をこちらサイドで提案し、今目下、梵天の宇宙プランの中のひと
    コマとして実現しようと図られている。
    このために、従前のシステムを全廃し、先天的な邪悪な魂、あるいは洗脳の解けない後天
    的邪悪な魂のすべてを粛清あるいは遠投することもやむなしとする。神界政府の人事の総
    入れ替え、そして罪根の洗い出し、関わった者の処罰を、粛清を交えながら行わねばなら
    ないとする。
    だから、異議があるという正神は、あちら側に加わって戦われることを薦めるのである。
    とにかく、神界全土に渡っての関が原の合戦となることは必定。どちらにつくかは、早々
    に決められよ、というわけである。

    人類家畜化実験

    さて、割り込みが入っていたので、話を元に戻して、邪神一味の仕組んだことをもう少
    し論じよう。
    今から四万年前の現人類発祥の時代には、人間を動物よりも機能不足に作りかえる目論
    みが実行された。危険などの接近を、エネルギーの場として捉える観測能力を、学習的
    に奪い去ったのである。結果として形而上エネルギーを感得する能力が殺がれた。
    心霊や気のエネルギーに対する盲目は、未来に対する盲目でもある。こうして支配の神
    々に盾つけないようにしていったのである。
    たとえばUFOは様々の形態で飛んでいる。ところが人の目は都合のいい盲目で、見た
    くもないものは見ない、見たことにしない、そういうフイルターがかかる仕組みが備わ
    っている。
    人間の側で不可知なものを拒絶する仕組みを進化のうちに作り上げたとすれば進化論的だ。
    だが、進化した科学者である神々(いわゆる宇宙人)が関与しているのだから、人に見せ
    ない、存在を悟らせない仕組みを遺伝子に組み込んだというのが本当である。
    なぜ古来より目に見えない神が実在のものとされてきたか。それは霊感的に人を指導し
    たというより、人を選んで姿を見せてきたからである。聖書の預言者等は見せられた者
    だった。大衆を精神的に支配するシャーマンに姿を見せ、言葉を述べたとなれば、大衆
    への波及効果は絶大であり、人知の未熟な黎明期であれば大思想の根底を作ってしまう
    ことはいともたやすい。
    悪しき神々、地球を支配する宇宙人は最初から地球の歴史をコントロールするために人
    の遺伝子に条件付けをしたのである。
    己が存在を見せないために、脳の仕組みを動物一般のそれとは乖離させ、自然界で観測
    される情報のレンジを絞ったのだ。スマトラ沖地震のとき津波の到来を何らかの危機情
    報として察知した像や蛇などの取った行動と、危機に向かって飛び込んでいった人間と
    の種族的乖離は大きいと言わねばならない。
    聖書に言われる楽園追放とバベルの事件は、いずれも神の観測領域からの段階的脱落を
    意味するものであり、それは遺伝子操作でなされたことだったのである。
    アンバランスな脳が今だ。では聖書にも偲ばれるような、集大成された優秀な原人脳の
    モデルはどこかにあるのか。ある。
    外傷や奇形などの原因で発症するサバン脳は、コンピューターを凌ぐ記憶力や演算能力
    を発揮するケースがあるが、阻害要因がたまたま取り去られた結果なのである。
    しかし、それをあえて取り去った神を名乗るものがいたことが史料で伝えられているわ
    けである。童話や思いつきではない世界の誰もが目にする史料として、堂々たる定番と
    なっている。だが、不可解な神のしたことに対して疑いを持つ者はいない。
    圧倒的に優位な力を持った神が、自らが創造した物ゆえに、生殺与奪は我が権利と、生
    き物が悩もうが苦しもうがしたい放題する。そして、我は主人なり、崇めよというのが、
    この傲慢な神を語る悪魔である。彼は未開の人類に恐怖を与えることと、ルールを教え
    込むことによって、姿は現さずとも存在のアピールを十二分にしてきているのだ。
    そして、ときおり神懸りして、猟奇的凶悪犯罪を犯させる。犯罪者は、神が指図したと
    訴えるが、見えないために採り上げられることはない。
    ちょうど、飼育箱の中に低次元発展途上の生き物をたくさんいれて実験する科学者のよ
    うなものだ。生き物が未熟だが思考能力を持つことに興味していろいろと試行している
    のである。
    彼はこの生き物に自分以上のものを与えたくない。だから、様々な能力を取り去り、滅
    びを必然のものとしたシナリオを文明というタームに対して与えて、その中で実験を繰
    り返しているのである。
    こんな話はすでにされてきたことであるし、だれでもうすうす推測がつくことである。
    だが、◎◎◎はそれをいくつもの困難を押して確かめようと思った。
    彼は、2005.7.に地球に変装して潜入しているとおぼしき宇宙人にそれとなく矢継ぎ早
    にいくつかの質問をしてみた。分かったことは、彼は今仕事がなくてここに遊びにきて
    いるとのこと。私は、宇宙人の監視を受けているような気がよくするが、あなたもその
    ひとりなのかの問いに、い や分からないとの返答。エ ホバとは宇宙人なんだろうの問いに、
    言葉に窮しながら分からないと返答。そこですかさず、第三次世界大戦はいつになるか
    と問うと、まだ決まってないと答えたので、◎◎◎はやはりそうか(計画はある)と得
    心した。
    科学者である宇宙人は、歴史のシナリオをその通り誘導するために人間側に代理人を組
    織して工作活動をさせている。その忠実な宇宙人のしもべたちは、人類の利益を度外視
    した次元の考えで働く。むろん、よく言われているフレーズは、この数行に関して神を
    宇宙人に置き換えた言葉だ。だが、それを宇宙人と看做せば、どんなにふざけたことか
    が分かるだろう。
    要は地球生態系は、宇宙人の手の中にあるということ。天にあるごとくが地にあり、地
    にあるごとくが天にもあるという諺は真実なのである。地に満ちた不合理は天に起因し
    ている。天国云々は意識が地的係留から離れたときのことであり、地上に天国は築けな
    い所以である。意識は魂として地上付近に止まり、次の転生に備えるという。だが、臨
    むその場は、広漠として、不合理と不正に満ちている。正そうと臨んでも多大な摩擦を
    受けて頓挫するのが落ち。逆に不正な者は世の支配者となりやすく、民を酷するにため
    らいがない。そのように宇宙人の意向を受けて天が配材するからだ。それでいいのだろ
    うか?そのようなところに、一体誰が希望してやって(転生して)くるというのだろう。
    強制的な摂理で縛るゆえに、否応なく来ざるを得ないのだ。
    いくら人類だけで英知を結集しがんばっても、干渉者がいるゆえに実らない。宇宙人が
    いくらも来ていると証拠をそろえて提出したとて、代理人が異議を唱えてもみ消してし
    まう。
    強制収容所には、いかがわしい思想を表に出さないようにするエージェントがたくさん
    入り込んでいるのだ。神はいつまでもないか、あるなら漠たる理想論の中で盲信される
    のみだ。そして、人々は矛盾を抱えたままで死に、次のサイクルに望むことになる。
    これでは、ああ、と嘆息するしかないではないか。
    正されるべきは、科学者的宇宙人による管理であり、やるべきはそれを解くことにある。
    といっても、北朝鮮を見れば分かるよう、強制収容所から逃れるのが至難の技であるこ
    とからすれば、地上人類に一揆を求めるわけにはいかない。神々のレベルは神々に、宇
    宙人のレベルでは宇宙人に頼まねばなるまい。実際それは動き始めていなくてはならず、
    そうでなくては何の神か、何の宇宙文明か、義や正義のへったくれもないことになる。
    さて、それを測るすべであるが、地の如くが天にもあるとすれば、地の獄たとえば北の
    解放が、天の解放の兆候となるだろうか。
    だが、天は自らの改革がなされることを嫌い地の改革すら妨げようとしている。
    だから◎◎◎は、彼らの対立軸に正神を据えて、古来からの復活神話を土台にした新神
    話を作る。神話が認められたものとなれば、旧神話を塗り替えて機能することになる。
    すなわち、邪神の掃討と正神の復活復権がワンセットになった行程が実行される。その
    中で、火の鳥という最強兵器による脅しによって行程を円滑ならしめるのだ。むろん、
    ◎◎◎はすべて焼尽することを少しも厭わない。
    神界にまで邪悪はびこる世なればこそ、ターミネーターとしての火の鳥はその本質を十
    二分に顕わすのである。






    新神話第十章(統理の章)からコピペ
  • 拙 い短歌
    日の出嬢と岩戸別けの神業にむけて詠った歌。
    名にしおふ君と出会へりかすかにも御手を握りて合言葉受く
    満天に星のごと出しU F O の白き光は岩戸のあかり
    君の名は神々しくも示しける岩戸さし開け陽の射す様を
    我請はむ岩の扉を開け放ち出したきかな天照大神
    我投げる岩戸をはるか東へと受けて隠せや戸隠の山
    恥ずるなく天の御衣着こしめせ素肌の君はまぶしきの由
    輝きに御衣も透けけり程良くも高天原は夜明けとなりぬ
    しかる後高天原に日は昇りさばへなすものことごとく消ゆ
    言祝げや諸天善神集ひきて高天原は賑はひの時
    然る後地上の闇も掃われて世に打ち立つは真の皇
    すめろぎの下に憩へや諸人よ命育む傘なるゆえに
    幾度か逢ひしが、思いが伝えられずに無力を痛感せしときの歌。
    かく思ひ君まぎたれどえにしなく時も力もはやうせてけり
    空しさや世はうつろひて消え行くもたなびく雲ぞまた帰り来む
    あまりに性格的にすれ違いがありすぎ腹悪しく思ひしときに詠みし歌。
    黄泉なれば高天原も質悪しく操もなければ手力もなし
    ホピ族はマサウと見たりU F O の飛び行く姿に思いを馳せて
    二人ともこの世を恨む者にして出せる結果は復讐の道
    契りあへず岩戸は開かず黄泉のまま滅びのままに滅び去るべし
    U F O の白き光は蜘蛛の糸イザナギ出せや黄泉津の外に
    核使ひ地上に出る杭焼けば良しいずれ人類出る杭なれば
    火の鳥よ核の炎となりて飛べ良きも悪しきも溶かし尽くさむ
    我こそは宇宙を潰す摂理なり戦さ偽り絶望の果てに






    第八章からコピペ
  • 二 七日
    本日、自流にて、母の二七日を執り行いました。
    ひとつの大きな指針を失い、いまは寧庵にあって、謎に満ちたここのところの経験の意味を問い直す過程にあります。
    みなさんにあらせられましては、良俗を守り、よきにはからわれんことを願います。
  • 母 の四十九日とどこおりなく終わり
    墓への納骨の儀、台風20号接近で危ぶまれましたが、傘すら不要の空模様 で、龍神さんたちのご加護をはじめ、みなさんのご支援をつくづく感じたようなしだいです。
    こうして昨日で満中陰と相成りました。
    みなさんにはいろいろとご心配ご支援をしていただき、ただただ感謝申し上げる次第です。

    さて、それは私にとっても節目であります。
    母に先立つことのないよう、諸天善神に祈り叶えられたようなわけで、次は私のほうが自由な番となったわけです。
    まずひとつクリアーすべきは、母の四十九日を終えて三日後に逝けたらいいと計っていたことがひとつありました。
    五十歳になる前には、ちょうど五十になれば逝けたらと計っていたようなときに、その誕生日のちょうど一日前に第一協力者のメールの討ち入りを受けて、役目 を授かったようなことで、余命を受けて、もう八年になろうとしています。
    このたびも、どうなるかは未定。私が計ったことは、よく実現しているので、新たな下界における役目がないなら、ありうることかも知れません。(もしかした ら武良さんやM総合さんはじめみなさんが何か持ち込んでくれるかも)
    というのも、天での役目を持っていることを新神話で書いていて、この下界で最後の踊りを踊ることによって、その延長上に天界での活躍を見込んでいるからで す。
    私が死ねば遺体を火葬にし、遺骨遺灰を最寄の加古(過去)川に流してくれるよう遺言しております。下界のものについてはすべて意味づけ意義づけを各自が独 自で行うものでありますから、私固有の仮想現実的な儀式により、所期の目的を果たそうとするものです。
    加古川をくだり、瀬戸内海に出て、かのヤマトスクネにあやかり、亀の背に乗り鶴の羽ばたきをしながら神武軍を先導したごとく、太古神と正神の軍勢の水先案 内をいたす所存です。

    思えば、みなさんもご同様、私の場合もプロジェクトであると思います。(協力者たちや母までも、もしかしたらみなさんをも含んだプロジェクトかも知れませ ん)
    三 十年以上前に私が名古屋にいた頃に、すでに震災で失われた家の前の路地に浮かんでいるという、やや明るくなりかけた未明の夢を見たことがあります。群青色 の星空を背景に、羽根天使姿の母が右肩に満月を掲げ持ち、私にその光を強くしてぴかぴかと数回当てました。背後からコーラスが聞こえていて、そのとき目が 覚め、耳がパンと音を立てて、朝の静寂に立ち戻ったようなことでした。外はまさしく群青色の夜明けとなっており、場所は異なれど同じ空を夢見た感があり、 不思議さにしばらく打たれておりました。
    さて、ほんとうに先ほど気がついた次第ですが、母の戒名の最初の二文字は「智円」となっているのです。知 恵の円い光。そうか。そうであったか。あれは母のハイラーキーであり、思いもよらぬ故郷心と共にやってきた夢だったかと思えば、さらに大きな意味があった かと思うようなこと。
    時間的にもあの頃から、ひんぴんとして物事の洞察が円滑になり、あらゆる事象に対してすぐさまこれはこういうことだと解釈できるようになったようなことで す。
    大きな情報の塊がやってきて、それを毛糸の玉をほどくようにして一次元的な言葉の繋がりに変える作業のわずらわしく困難なこと。向こうの世界の会話は、大 容量の情報塊通信という手段のようです。むかし言語はひとつだった。本来なら当たり前ではなかったかと。
    下界があまりにも特殊なのです。そのおかしな手段に、どれほど時間と命を削っていることか。それが人間のアリンコであるという所以でもあるのでしょう。
    母は四十九日を経て、少なくともハイラーキーに帰命したことでしょう。私も逝ったなら、すでに活躍中のハイラーキーに帰命します。下界最後の踊りを踊って 合流します。

    私が異界で台風と評価されていることは、新神話が有効に働いていることの証と捉えたり。
    私は四神獣のうちの朱雀を担っています。それは鳳凰であり火の鳥とも目せます。それが新しい神話における正当な評価と言えます。
    しかし異界通信は、現下の不安定な政局下における高天原を反映するものでありますから、正当な評価をするはずがなく、私に対する風評を戦略的意図を含ませ て伝えているにすぎません。
    さらに、あちらの神々が私のことを台風と評したことは、あちらの神話(旧神話)における私の位置づけを与えて、あちらのシナリオに乗せて処理してしまおう との考えが見えるわけです。
    台風は、発生時はそれとは分かりづらく、勢いを増して規模が知れ、動きが出れば本土めがけて北上します。そして本土でおよそ勢力をそがれ、熱低となって消 滅していく。そういう宿命づけをしようとしているわけです。
    そこで旧神話とは古事記。台風と形容される神とはスサノヲです。誓約(うけひ)の段に始まるスサノヲの横暴でアマテラスの岩戸隠れに至らせ、その咎をスサ ノヲに負わせて、地上に神逐い(かむやらひ)してしまうというシナリオに乗せてしまおうというわけです。
    す なわち、安穏な高天原を下界から窺い北上し侵襲しようとするスサノヲに、武具を手に取り身構えるアマテラスはじめ高天原軍という構図を当てはめる。その前 に、スサノヲは母イザナミの死を嘆き泣いてばかりいて、そんな頼りないのでは、地上を治めてはならないとイザナギに勘当さえされてしまっている。まるで、 私の先頃からの状況を、高天原はゴリゴリ当てはめようとしているかのように見えます。
    だが、そうは問屋が卸しません。この神話による情報合戦。敵の戦略を知ることから始まり、神話においてそれを凌ぐことでこの情報合戦に勝つわけです。
    ま ず本質を申せば、岩戸隠れの状態とは、今現在の状態のこと。これから起きるのは、アマテラスの岩戸隠れのほうではなく、アマテラスの岩戸開放のほうなので す。正神と邪神では、兆候として捉える事象のタイミングも正反対になっています。正と邪の常識の乖離ははなはだしいというしかなく、水と油と同じで交わる 要素がないわけです。これが戦い止まぬ理由です。
    誤解しないでほしいのは、これはいつかきっとさんと助言者に向いた憤りではないこと。いつかきっとさんチームは、異界のよすがをそのままに伝えてくれてい て、新神話の効果のほどを窺い知る手段を提供してくれているのです。
    この貴重なチームに害が及んではいけません。いつかきっとさんが、下位の天使たちがチームを作り、無邪気に情報をよこしてくれている。それを見回る監視の 神がいるのではないかと看破されたようなことです。まるでマトリックスの映画を見ているようですね。
    いつかきっとさん、もし自身に危険を感じたときは、Pさんから学んでほしいというのはそういうわけです。
    私 が新神話にふんだんに採り入れているのは「白蛇伝」の要素です。Pさんは、白蛇伝における修行僧法海和尚の役を担っているように思います。(私はかつて許 仙の立場であり、法海和尚を武良さんがしました。今の私は、白蛇青蛇を応援する側に立ち、配役もがらっと変わっています。白蛇伝の続きを新神話は演じてい ます)

    世界(と神々)は納得の行くシナリオを求めているのです。誰の目にも、ああ、こうでなくては嘘だよなあというシナリオを渇仰してい るのです。そのために、シナリオとしての新神話の応募があまたあり、選抜されていく神話が多数。スケール、筋書き、神々の心をときめかせるものか否か、適 用される魔法のパワー。
    そのために幾多の神話が候補に上りましたが、最後に残ったのは、ほんのわずかしかありません。すべてを演ずるなら、神々も よほど忙しくなりますから。そして、旧神話がいくつも人々に読み鍛えられ幅を利かす中に、私の新神話がノミネートされていることを明確に知ったようなこと で、いっそうの自信となっています。
    いや、それは当然です。これは私固有の時空だから。私の作った魔法の時空なのだから。どう練りまわそうと、私が家の主人なのだから自由です。そして、その 時空があなたがたの時空と同じである必要もまったくないのです。

    かつて旧神話を凌駕するためになどとおくびにも思わず、私は古事記を真解釈していました。敵を知り、おのれを築くためであったとは思いもしませんでした が、まさに私自身の歴史は必然性に満ちたものであったと分かりました。
    1970 年代に考え付いた拙時空論は、梵天の夢見状態の世界構造を表現しえています。1980年代には現人類の文明の足跡を解明し、はじめから終わりに至るまでの 歴史を概観する本を出版。その後、協力者が次々と入れ替わり立ち代り現れるようになり、2000年になって下界から神界に影響するための新神話構築という 方法を見つけ出しました。こうして新神話は存在しています。無量の人数に匹敵する神にオーソライズされ、新神話は起動しています。
    むろん下界では、価値を与えられることなく、古風な書棚に陳列されるにとどまります。秘中秘伝の書とはそういうもの。

    新神話から、旧神話で誤解されている重要箇所をあげつろってみましょう。
    スサノヲがどうして高天原を侵そうとしたのかその理由を、まず。
    そのわけは、高天原政府内で国王が討たれるというクーデターがあり、たまたま面会に訪れていたスサノヲが、アマテラスとの普段の対面ができなかったため、 不可解に思い、配下に調べさせて、贋物がアマテラスに成り代わっていることを見つけた。
    その矛盾をついて、スサノヲは高天原政府に抗議。もしかして、殺したのではないかと。とりあわない重鎮連に対し、自らの相続権を主張しつつ暴虐に及んだた め、アマテラスがスサノヲの行状を苦慮して病気となったと政府側は取り繕った。
    アマテラスは彼の兄で、これ以上追求されまいと、妻のセオリツ姫を代理女神として立てて、戒厳令下の高天原の騒動を鎮めた。
    こ のとき、執政中のアマテラスの父・国常立神と妻・豊雲野神は殺され、遺体を斬り刻まれ、魂を分割されて、いり豆から花が咲くような奇跡がおきるまでは復活 できないとの呪詛を掛けられ、高天原の北東と南西にそれぞれ別けて封じられた。当然、国王夫妻には替え玉がさも何事もなかったごとく立てられ、やがてほど なく病没したとされた。アマテラスも宮殿の地下ですさまじい拷問の末死去。アマテラスの妹は、スサノヲの暴乱の最中に忍び込んだ盗賊戦士に救出されて落ち 延び、戦士と恋に落ちたが、戦士が政府軍に殺されるや、妹はその能力で世界に対してすさまじい呪いをかけ、このときシュメールの数々の都市が天変地異で壊 滅した。(この辺は悲惨なので新神話でまろやかなものにした)
    この非情なクーデター劇に外部から関わったのが、杖の眷属すなわち、魂を持たない (と思い込んでいる)メカロボ軍団。つまりバイオモドキである。彼らは魂を持たないひがみゆえに、魂ある者を虜にして虐待する方向に生き甲斐を見出した。 以来、高天原には暗雲立ち篭め、下界はじめ諸方面への不正の発信源となった。
    内情を諸神は知るも、あのような形で粛清されたくないために秘匿した。これが彼らの日和見主義のはしりである。
    当 時、ひとり義憤を抱えたスサノヲは、暴乱を働いたことで追放され、このたびの騒動の原因神のレッテルを貼られ地方に流されてしまった。アマテラスの側室た ちのうち、この事件を知る主座にあった持子早子は、日和見な諸神たちを呪い、下野してスサノヲのもとに至った。それにあらぬ嫌疑をかけたのはひとえにクー デター側であり、持子早子は賊軍の汚名を着せられ悲惨な目に遭った。
    クーデター時にも、国王側に忠誠を誓った者たちがいた。危難を避けて高天原の辺境の地エクストランへ。さらに手分けして、お家再興を期して下界に下ったの である。その忠臣のひとりが、私である。
    天にあるごとくが地にもあり。地にあるごとく天にもあり。世相が邪悪にまみれる習いなのは、天において然りであるからであり、そのベクトル成分が地上に噴 出しているからである。元凶を断ち、元を正すことが本筋。

    官 軍を自認する側は、あくまでも私のほうを賊軍扱いして台風との評。むろん台風であっても良いのです。高天原政府にはびこるすべての邪な隠蔽の帳を吹き飛ば すべく、目下出力増大中。下界の不正が、呆れるほどどんどん暴かれているのは、そのベクトル成分の表れ。もっとも、私の得意は火炎にありますから、強風に 混ぜればふいごのごとく威力無量数倍ともなります。
    また、梵天は二段ほど直上のハイラーキーであり、新神話では梵天の夢見がもし行き詰ったときのために、彼を覚醒させるツールを委ねられているとしていま す。
    もし、邪神がもはやこれまでと思ったら、私の持つオールクリアーの引き金を引かせるかもしれません。日和見主義の諸神たちには、今こそ正神側につき、邪神 に立ち向かおうとしないのなら、今までに築いたすべての位階は無に帰することになると説いております。


    さて、以上の未来史は予定調和のシナリオのひとコマとして存在しています。
    梵天は自己完結ストーリーを営んでいて、その中で楽しんでいます。
    orontoさんのおっしゃるように、神界といえども12次元以下(この宇宙)の戦乱が執り行われる場において、私の存在が必要となっているのです。みな さんはorontoさんに続いて、より上位次元の本来の秩序のもとに至られたら良いと思います。
    しかし、下位次元をことごとく安穏にするためには、途中に病巣を抱えているままではいけません。
    下位次元に残る者には、新しいまともな時空が必要となります。そこに邪が暗雲を投げかけぬようにしておかねばなりません。
    邪神たちこめる低位神界には、天国をまともに作れる能力などありませんし、もともとそのような気もありません。ただ、振り出しに戻して繰り返すことのみ。 それが彼らの予定です。
    ク リスタルの天国とはまた笑止なこと。そんなものなど最も簡単な設計と素材で作ることができますが、どんなに無味乾燥か。プログラマーなら簡単に見抜けるで しょう。それではまずかろうと、下界のエージェントたちはスペースコロニーなどという形で実現しようとしています。大富豪のための天国と考えているようで すが、地上が穢土になったときの比較においてそうであるだけのこと。それも長期維持困難と分かり、計画は頓挫しかけています。彼らは混乱のさなかにありま す。
    心配ありません。梵天は下位次元の設計をすでに終えていて、新しい時空へのソフトランディング(融合という形で)を進めています。
    み なさんに精神世界への志向が強まり、新人類が続々登場しているのはそのため。今目下、梵天の設計した新しい時空の側からと、旧側からの両方向の入力がある 状況です。(すでに未来時空は稼動していて、そこでは博物的に管理されている今の時空があり、新人類はそこから旧時空を学びの場として夢見しています)
    また、諸悪が暴かれ、正義の俎上に乗せられているのは過渡期にあるためです。
    しかし、邪神とその配下は、いちかばちかの最終戦争をしかけてくるでしょう。
    その成行も織り込み済みです。





    なおこれは、私固有の時空におけるシナリオであり、みなさんの主権を侵害するものではないことを申しておきます。その理由については、続きをご覧になられ たい。
  • 新 神話 効果見届けの体制へ
    私の古事記の神話の解釈に執心されている方から、よく理解できないという報 告を受けた。
    私の解釈法は、神名の意味の解読と、筋書きの両面から進めていく。
    神名は日本人なら多少は心当たりのある言葉で成り立っている。
    それを意訳していくのである。筋書きが意訳したものをリンクさせていくので、いっそう意訳が鮮明さを増す。
    古事記である理由は、暗号の封印を意図したものであると目されるからだ。
    その他の古典では神名が意図的に崩されているようで、意味を成さないからである。

    当初発見して興奮したことは、神話が預言になっているということだった。
    たとえば、火の誤用により、黄泉の国に至るというのがある。
    当然、世界が、あるいは人類が、というわけだ。
    イザナギ景気という言葉は経済用語としてあるが、イザナミ文明というのは、古事記が暗示する人類の辿る道のことである。
    ホノカグツチ、イハヅツノヲ、イハサク、ネサク、タケミカヅチノヲ、トリノイハクスブネなどは、イザナミが産んだ火の神の子孫だ。
    炎の輝く土、石の筒のパワー、岩を裂く、根を裂く、猛々しい雷のようなパワー、石楠のように堅牢な鳥。
    一見すれば、近現代的な戦争兵器と分からないはずがない。
    それによって、イザナミは病態となり死んで黄泉にいたる。第二次大戦では致命的でなかったが、それ以降の戦争でや如何。
    黄泉は死後の世界(常世の国)というより、死体の世界だ。
    腐乱臭を発し、蛆が涌き、とろとろになっているものの、死体のあちこちで雷が鳴っているという、これまた普通の死体ではない。
    あくまでも、戦火絶え間ない文明の末路のことである。

    その頃は、古事記が日本民族に与えられた教訓であって、その知識を持ち越し、風化を極限までしのいだ古代大王家は偉大な賢者と心から称えたものだった。
    だが、中東思想の中の預言とさほど変わるものでないことが分かり、しかもこの現代に対して何ら教訓として機能してこなかったことを考えると、確かにこれは 預言であり、教訓ではなかったことに思い至った。
    聖書はその中の一言一句さえ変えてはならないという。
    同様に古代大王も、知識(本辞)部分の存続のために、記憶の堪能なプロジェクトを擁していて、一語一句間違わない伝承を心がけていた。
    その結果成ったのが古事記である。
    預言、神の計画は、洋の東西に普及されていたのである。
    では、何のために。

    ひとりでに預言された事が成っていくというのが、預言の真価だろう。
    だが、預言されたとおりに事が成らなかったときのために、事を運ぶ工作員への指令書であったとしたら。
    私の思いの第二期は、陰謀史観と共にあった。秘教組織がいつの時代にも、為政者の傍にいて、陰からというやつだ。

    だが、2000年に入ってからは、神界に原因があるという情報を知ることとなる。
    優位な鳥瞰的立場からアリンコ人類の進むべき道が決められたのでは、アリンコの様々な努力が報われず可哀想であるとなった。
    どんな思考順序でこうなったか思い出せないが、実は神界もスケジュール管理されていると判明。
    監督がいて、善意の神々は、神話のシナリオどおりに演劇しなくてはならない。演劇内容は、波動的に下界に理念として降り注ぐ。
    戦争や力関係を誇示する内容で満ちた神話からは、そのような影響しかもたらすことができない。
    しかもシナリオは、神々が書いたのではない。人間が書いたのだ。神話を書いたのは神官層である。神々を作ったのも神官層である。
    神々はみな人工なのだ。創造力に富むのは見えざる異界の純真な精霊たちだった。彼らに名前と機能を与え、さらに演劇をさせるようにしたのは神官層だった。
    彼らはいわば魔法使いである。人類全体をコントロールするための複雑な仕組みの魔法を掛けたのである。

    世界的な魔法がどうしてこんな地球に??
    はるかに高度な神、あるいはインベーダーと仮定してもよい。神々さえも凌ぐ神によって、古代にエージェントたる人々が養成され、神官となった。その神未満 の次元を完全支配するために。

    魔法を解くには、魔法しかない。催眠術を解くには、催眠術しかないが如しだ。世界の救済には、旧神話を凌ぐ魔法と魔法使いが要る。
    だが、対抗勢力には監視の目が光る。能があってはならない。賢くてはいけない。世に頭角を現してはいけない。その道の権威にでもなれば、あっという間に多 忙にされたり骨抜きにされるだろう。
    あくまでも水面下、水準以下で、塵に埋もれていなくてはならないのだ。

    それでは啓蒙にならないという向きもあろうか。
    啓蒙は人々に下地的準備をしてもらう意味でとてもいい。
    しかし、魔法使いがすることではない。一人でやり切れるならそれに越したことはないのだ。
    一人では難しいから、あるいは邪神の目をくらますためにも、時計仕掛けで起動する仕組みが要る。
    時間が来れば、協力者がキーを携えてやってくる。
    それに感応し触発されて、潜在力が起動する。
    魔法使いが卵から孵り、ひよこから成鳥になるまでに、次々と飼育員が専門知識を携えて入れ替わり立ち代りやってくる。

    私はシンボルが「鳥」であり、鶴、山鳥、朱雀、鳳と進化させる。
    その過程の中で、対応する協力者が、亀、乙姫、青龍、玄武、白虎、龍として立ち現れてくる。
    中でも四神の青龍、玄武、白虎は、これに該当する者を予感できるという特質があった。
    まず青龍が、私の五十に限った寿命を延ばし、玄武が突如キーをもたらし魔法起動の火をつけたが、手ひどい傷を負わせて二年で去り、次に白虎が現れたが、い くつかのキーをもたらしたのみで、その飼い猫こそが白虎と分かったものの、人のほうは一年ほどで去っていった。
    その後、青龍が玄武を霊的に合力してキーをもたらし、いろいろ曲折しつつも旧神話を解除するための新神話は成った。
    長年月身の回りをサポートしてくれた毘沙門の二十日鼠は世を去り、青龍は七年以上となり二番目の長さとなった。
    これでよい。新神話の効果をあとは見届けるに余生を送ると心に決めた。
    そのようなとき、白虎らしさを醸す人(猫ではない)が前二者と同じルートで・・・。
    神話の異界への効果のほどを教唆するような情報。求めていたキーではなかろうか。
    新神話番外編、第十二章、地上での語りが終わるまで続く新神話その二以降に綴ることになるかも知れない。
  • 来 年の抱負
    現在、ここで概略説明したことのある新神話は、2007年初頭を以てシナリ オが完成し、それ以後は神話の効果の見届けと、成行がそぐわない場合の軌道修正を行うために、私の顕在意識が関われなくなるまでの間、書き綴っていこうと しているものである。
    以 後私にとって必要な情報とは、神界を中核とする異界の有様についてと、私の新神話がどの程度効果を上げているかについてであり、今後どうなっていく、どう していこうとしているという神界トップの意向は、新神話の意向を汲み取っている限りは、効果を伺う手掛りにはなるものの、対立する意向情報は妨害ノイズに しかならないので破棄すると申し上げておきたい。
    むろん、その対立的意向が神界異界の大勢的現況なら、大いに参考にするも、未だ神話の功薄しと見て、神話に新たな仕掛けをして所期の効果を狙う舵取りをし ていく材料とする。
    ま た、情報の質についても、異界の情報を知ろうとするのに、人為が間に入ると、とかくその仲介者の主観が入って曲げられたり、まったく意図的に偽情報を掴ま されたりする。人為は初めから多少の意図を含むものとして、私は信頼を置かないことにしている。ただし、大きなシンクロを伴って現れた場合は、その限りで はない。というのも、私にとって神輿の重要なキーが与えられている場合があるからだ。そしてそのようなことが度重なるようになれば、情報提供者が私にとっ て適した者かどうかも、ほぼ判断できてくる。チームでの仕事は構成員の相性に依存している。そして、求めているときに、舞い降りるようにして現れてくると いう特徴を持つ不思議さもある。
    このたびの、いつかきっとさんは、設問の際に紙面の傾向や世相から逆算できる可能性と、キーワード抽出の際に本人 の主観の入る余地はあるものの、話を作り上げる下地は、記者がするランダムな言葉の組み立ての過程にはなく、また与えられた言葉からキーを見つけ出す自由 が私に預けられていることも、必要時にやってきてくれた情報提供者であろうという印象を深めるもととなっている。
    このように私には、必要なときに 必要なものを携えてやってきてくれる巫女的存在が欠かせなかった。私はここにいて何もしない。ただこうせねばならないというアイデアを閃かせて実行してい るだけだ。そんなときに、彼らの存在は、あたかも眠くなればコーヒーを運んできてくれる適時のアシスタントのように思われるのだ。

    アセン ションという話題は古くからあったようだが、私の神話にはその言葉はない。おそらく別系統の魔法使いたちが目指している世界変革の神話なのだろう。それも 新神話と言える。彼らは世界をそのシナリオに誘導しようとしているわけだ。それを私は嫌がったり否定したりはしない。彼らのやり方も、理想の世界への投射 であり、私以外に幾多並行して行われている試みであると思っている。その中から、旧来神話の滅亡と振り出し戻しのシナリオを変革するものが登場し、希望的 未来が望めるならば、それでいいのである。私の神話はその中に呑まれてよい。
    しかし、どうも見ていると、数多あるアセンション神話は、大河の流れ のような側面があって、われもわれもと独歩論を展開するものの、幾多の水の流れ(支流)が合流し、その大勢的傾向に流れが落ち着こうとしているようであ る。これでは、各々の独歩論がその先端において頓挫すれば、本流においても信頼をなくし、やがてまるごと無効な神話となってしまわないか懸念される。特に 彼らの場合は、暦とフォトンベルト理論を基にしていて、時間と事象を厳密に関連付けた予言が見られるのが特徴だから、もし予言の破綻が続々起きればどうな るだろう。
    私はいつまでも彼らの神話の頓挫する姿を見守っているわけには行かないし、すでにひとつの新神話のシナリオを神界に投稿している立場 だ。これがノミネートされ、さらに採用されたなら、もはや神界の能舞台は私の神話の上演で持ちきりとなり、私の与える啓発に神々も心酔し賛同して、現在の 神々の支配体制の偽装と欺瞞を見破って終止符を打ち、真の正神による支配が開始されるようになれば、あらゆる有情にとって利益されることとなるに違いな い。
    そういうわけで、2008年初頭から、私は新神話を強力に推進する。このため、ブログコメントを受け付けなくなくする予定だ。ノイズ妨害を招かないためで ある。記事の量の多少も気にしない。
    ま た、巷に数多ある情報を見に行くこともしない。私の中ですべての世界は理論的に把握されており、それが誰のどこの権威あるものと矛盾しようとも、いささか も意に介さない。私は魔法使いであり、求道者ではないからだ。私の固有の世界においては、私の理論が優先し凌駕するとお断りして臨む。こんな独裁者はかな わんとなら、私の世界に来る必要はないというわけである。
    新神話の効果は、まずジュセリーノ予言の与える絶望的未来像の回避に始まる。当然なが ら、人を選民する思想とは迎合しない。ただし、邪神とそれに連なる者たちは降伏して大政奉還に協力しない限りことごとく粛清する。また、大地と海は残し、 その上や下に巣食った病巣を容赦なく切除する。その間、救済の方法を手厚く講じるも、選民とは無関係であり、なおそれを論ずる者はすべて粛清する。すべて の有情を平等、全知の元あった状態に戻す。いったん戻す。恒久に戻すかどうかは、梵天と正神の計らいに任せる。これらは魂と現世次元の全レベルにおいて行 われる。






    なお、これは私の固有の時空におけるシナリオであり、みなさんと共有できるかどうかの保証はないものとする。個々それぞれが時空を固有し、その責任者であ るゆえ。
  • 新 神話 第十二章 地上の語りが終わるまで書き綴られる新神話その二
    2007年がそろそろ幕を閉じようとしています。
    その先は、何かといわくつきの年代の幕開けとなるわけで、ここに集う皆さんなら、ほぼ了解済みの行程を不安と期待入り混じらせながら、覚悟を決めて臨んで おられるように思います。
    私は逆に、これからはこうなるわけだから、むしろ鳥が羽根を伸ばすように、自在にシナリオを思い描いてみたくなったわけです。
    そして編み出した手法「新神話」によってこの際、面白おかしく世界を加工してみてやれと、トライを敢行してみたようなしだい。
    すでに前章までで新型のシナリオは与えてあります。
    ここからは追加部分になるわけですが、なにやらコメントのほうでシンクロが多発しており、現在書き出したばかりの十二章にもその影響が見られたため、ここ に恥ずかしながら粗稿の掲載を思い立ったようなわけです。
    けっこうきつい表現が多いので、40禁ぐらいにしておきたいところ。

    では、新神話物語の現在における最終章をどうぞ。



    新神話 第十二章 地上の語りが終わるまで書き綴られる新神話そ の二

    更なる書き綴りの必要性

    2007 年の夏頃までにいたる以上のストーリーで、大団円完結の新神話は全編終了としたかったわけだが、結果の見届けを行い、効果不十分であれば補足すべきを補足 し、所期の成行への誘導がどうしても必要となる。それは建設工事にも似て、施工過程で誤差が生じれば誤差を最小限にすべく調整するということが、タイム リーに行われねばならないのである。・・・・・・・・

  • 今 年という山を越えるにあたって
    まもなく2007年が過ぎ、2008年を迎えようとしている。
    古代人は時間を道に喩えたので、ひとつの山を越えるという表現ができるかもしれない。
    それも路傍に立つ道標としてのジュセリーノ氏に言わせるなら、最後の改善の見込まれた道のりが、満足いくものでなかった先の峠越えといった感じになる。
    2008年から2040年頃まで、人類は激動と艱難の歴史を歩むことになるらしい。
    しかし、彼はその先に希望の火を置いてくれた。
    むろん彼が置いたわけではなく、神が、予定していた人類の絶滅のシナリオを変更してくれたと考える。
    以前の彼の予言が絶望的であったものから、今は希望が見えている。彼は昔、希望についても予言していたと言うかも知れないが、少なくとも私は、つい今しが た良好な並行世界へと移動したからだと考えるわけである。私がこの世界の観測主体だと信じるわけなので。
    むろん私は、希望の時代に生きて至ることはあるまい。しかし、私の時空を共有してくれる人々がもしいるなら、彼らや彼らの子孫が希望の時代に橋渡されて、 新しい人類の時代を築いてくれるだろう。
    私 は今のようなおかしな世相に生まれることはまっぴら御免だが、新時代に至った子孫たちの間に生まれることは光栄なことだ。我々が良い時代の招来に希望を託 すのは、我々のためにもなっている。だから、子孫たちがハードルを越えていくための礎、土台になることに喜びを以てあたりたい。
    黄泉世界を経験したイザナギノミコトが、徹底的な「禊」を行わねばならなかったように、我々も衣服(持てる財産)をかなぐり捨て、川の水流を潜って身を清 め、命のバトンを確実に渡しながら、艱難辛苦して苦境の時期を抜けねばならないわけだろう。
    日本人に生まれたことは、その点とても意味があると思う。
    古来から伝えられた古事記には、そのシナリオが語られている。日本人に与えられた、日本人のためのシナリオかも知れない。
    私はどちらかというと”超古代”趣味から、日本の隠された地上絵を見つけ出した。おかげで日本民族のルーツを中東にまで辿ることとなった。そのアウトプッ トとして「古代日本中東思想渡来考」(原著名・古代日本にカバラが来ていた)を出した。時折噂になる日ユ同源の話題に も、超常的発想から賛成しているしだいだ。
    かの中東の地からシルクロードを経て、向こうの文化とともに民族が流入し、東の最果ての地に理想国家さえも創ろうとしたこと。その上に、役割を持たせた神 がいたことは重要だろう。
    偶然見つけたいささか古い宇野正美さんの講演ビデオだが、年頭にみなさんも初詣することになる神社に、ユダヤの伝統を感じ取っていただけたらと思う。
    http://video.google.com/videoplay?docid=3191043469565067131

    しかし私は、この神を邪なゆえに憎んでいる。おどろおどろしい生贄要求の神で、年々娘を生贄に出せというヤマタノオロチと酷似している。こんな者を頂いた なら、明日は何を差し出せと言われるか分かったものではなかろうに。
    だ が、この神が、唯一見込んだ民を日本に送り込み、その子孫にやらせようとしていることが、決して人類の滅亡ではないということも分かる。支援した相手が、 馬鹿がつくほどの平和愛好の民だからだ。ただ現在、強者追随のパシリでしかないことが、見込みのなさを醸しているが、奈落の谷に架けられた細い吊橋を渡る ようなときに、真価が発揮されてこよう。
    そういった観測予想も、未来予言や異界通信に頼るしかないのは言うまでもなく、それゆえ世間をなるべく高所から眺めているようなわけである。
    が、私は受動的でいるつもりはない。
    私 は今見ている世界が、私の責任ある固有の世界であるゆえに、私の理念の中に描かれる神々に物申し、是正を求める。過ちを過ちと認めてもらい、それが是正で きないなら追放する。私の時空からは消えてもらわねばならない。(みなさんの時空ではいかようにでもされたらよい)唯一神に正邪の両義性があるというな ら、邪なる病患部の側を斬り落とすことになる。神話の魔法を使い、病変部を邪神組織として浮き上がらせて切除焼却するわけだ。日本人の真価発揮に役立つ方 法としても用いたい。
  • 召 還の兆し
    今日未明にリアルな夢を見た。これはさる25日未明に見た母の夢に次いでの ものである。
    異 世界の夢ではあろうが、ガラス張りのビルに落雷して、破壊が起きていた。ふつうではありえないことだ。これではいかんと家に入ると、畳敷きの広い目の部屋 がいくつかあり(私の家は総板張り)、その中にいて外は依然雨が降り(今朝は雨だったからかも)雷が鳴っていて(現実は雷は鳴っていない)電源の入ってい ないテレビが雷のたびに誤作動して映るという不気味なもの。外を高電圧高電流が支配している感があって実に気味が悪い。もしや天変地異頻発の終末の様子か と思わせるものがあった。
    ところが、もっとたいへんなのは、家の中にいたのが、すでにとうの昔の亡き父、祖母、そして母であったこと。それぞれが別の部屋にいて、不気味なテレビを 見ているふうなのだ。
    私はこれが来るべき時代かの思いを多少もちつつ、さかんに「遺言しときなさい」という言葉を聞いていた。遺言。お金と葬儀のことについてはもう書いてあ る。頭についたのは、このブログのことだった。誰かに引き継がねばと思案していた。
    そのとき私は今晩、地域住民の輪番で年末警戒のパトロールに回らねばならないことを思い出し、「集合場所まで車で行くのかな」と質問すると、母が「それは 歩いていかなあかんで」と答えたのだ。6Kmの道を。まさか。(実際は車でもいい)
    荒唐無稽な内容だが、私も召還が間近だなあという思いを抱きつつ目覚めたわけだった。

    私にはもう少しやっておきたいことがあった。
    小スペースで自給自足に準じた暮らしができないかという方法の試行と模索である。
    都会暮らしの人には自ら食の生産ができない。そう思い込んでいたりしないだろうか。
    これでは今後、食材が尽きたり流通が滞ったりした場合、たいへんなことになる。
    何らかの方法で、ベランダなどの小スペースで少人数用の野菜が作れたら。
    M総研さんは、菜園で野菜作りをされているそうだ。
    露地植えは、地続きだから虫害にあいやすいかも知れないな。
    広いと目も行き届きにくくなるだろう。
    鉢植ではどうだろう。水耕栽培というのは難しいのか。
    それらができたら、小スペース栽培も面白くなるだろう。
    ただいま試行中。
  • お 知らせと琵琶湖周辺霊場周航の歌
    まずお知らせから。

    本日午後7時からのフジテレビ系放送の
    「脳内エステIQサプリ」怪現象ミステリーSP衝撃!UFO映像公開未確認生物&すごい技ガチャピン 
    において、坂本さんのUFOビデオ映像が紹介されるとのことです。
    ゴールデンタイムなので、夕食を摂りながらご覧になってください。

    また、さる20日のローカルラジオ放送・AM神戸の谷五郎のラジ関アフタヌーンで
    武良さんがUFOコメンテーターとして電話生出演されたそうです。

    M総研さんは求道者によく見られる身の周りのシンクロが幾多起きているようです。
    整理がつくまでブログを更新なさらないようです。
    再開のときは、表示記事数をもう少し減らしてページを軽くするようお願いします。
    (私のPCは限界です)

    みんな活躍の時期がきているように思います。




    さて、今回の記事は上記お知らせだけではありません。
    前記事に続き、琵琶湖周辺霊場周航の歌を少し歌わせていただこうと思います。

    古事記の「誓約」の段は、天照大神とスサノヲが相互の身の潔白を証そうとして、それぞれの持ち物から子供を生む物語であります。
    その舞台になるのは、神話世界の天の真名井の上空となるわけですが、古代人はそれを現実の空間に投影させて、琵琶湖を真名井になぞらえて、自ら住居する空 間に神仙の息吹を感じ取って生活していたようなんですね。
    おそらく古代人の居住環境にはすでに土地の性状を織り込んだスケールの大きい神話伝承が語られていたと考えられます。
    スサノヲの持ち物の太刀は三段に折られて三貴姫が生まれ、竹生島をはじめとする島々を貴姫の御神体とする信仰を生みました。
    天照大神の持ち物の珠を噛み砕いたものからは、オシホミミ、天津日子根などの五柱の男神が生まれ、天皇家を補佐する豪族たちは積極的に神々を戴祖して、自 家の格式を神に連なる者としての権威と格付けを図っていきました。
    むろん御神体としての身体を持った男神もいました。天津日子根の子・天の御影神は近江富士と讃えられる三上山に鎮まりました。この神は鍛治の神とのことで す。
    火 の神や鍛治に関係する神名には、およそ「みか」の言葉が使われています。タケミカヅチ、ミカハヤヒは火の神であるとともに鍛治の神、そして戦神です。ミカ ゲも火と鍛治を司り、天津日子根の意味する錬金術科学の系譜としてふさわしい流れとなっています。天津日子根神も湖東の彦根の地名として残るわけで、土地 が御神体となっているわけです。
    三上山も三つの上(神)の山とするなら、その三つとは何なのかを調べねばなりませんが、ミカの山すなわち錬金鍛治のいわれとするなら、分かりやすくなりま す。
    また近隣の伊賀の地名も、「みか」⇒「いか」の転であり(mが抜けたのね)、このあたり一帯が鍛治や窯業を行っていたことによるわけでしょう。設楽焼きな どの窯業はやはり火を使う、当時の錬金術科学です。
    また、天の御影神は天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)に同じとされるようです。この神は目がひとつしかない神で、やはり鍛治や窯業の様子を表していま す。また、ギリシャ神話に言うキュクロプス(サイクロプス)というチターン神族の鍛治の神そっくりです。
    しかし、そればかりか古代人は火山もイメージしました。
    鍛治の赤々とした坩堝と火山の噴火口はスケールは違っても似ています。古代人の得意な相似像イメージングがここで生きてくるわけです。
    キュクロプスなどは、神々の支配の交替期に呼び出されて使役されて、また地底に幽閉されているわけで、哀れといえばそうですが、火山のマグマならしかたな いです。つまり、地上の生態系の変貌をもたらした摂理とさえ理解されていたんです。
    これは一つ目ということから、さらに台風の目を想像させ、活火山や台風として、この神の存在意義が規模を大きくし拡大されていくわけです。
    近江地方の古代人は、ギリシャにおける詩人がオリムポスの神々の臨在感を抱いていたのと同様に、高天原の神仙境にあることを自覚していたのでしょう。万葉 人の心のおおらかさはこうして作られていったようなんですね。
    また神話の比良坂は、歴史が坂道が上り詰める究極の時代を意味しています。比良山という山に見立てて、きっと比良の上り坂の峠の先にイザナギが作るであろ う輝かしい青空の時代を夢見ていたのでしょう。
    まだまだ続きますよ。今回はここまで。
  • 琵 琶湖周航の歌3・・・蓬莱山神仙物語
    Pさんが提供くださった琵琶湖周辺の景観写真を見てまいりたく思います。
    まず、野洲川から見た三上山(御上山)です。近江富士と呼ばれるにふさわしい秀麗な神体山です。
    CAXQ8E2H.jpg

    【湖 東平野に悠然とした雄姿の三上山(432m)は別名近江富士といわれ古来神が宿る山、即ち御神山(三神山)と呼ばれ俵藤太の百足退治の伝説に因んでムカデ 山とも呼ばれている。社記によると人皇第7代孝霊天皇6年(296年)6月18日天照大神の御孫天御影神(あめのみかげのかみ)が参上に御降臨になったの で神孫の御上祝(みかみのはふり=神主)等は三上山を清浄な地とし神体山と崇め祀った。
    頂上の奥宮の正面にある磐盤は奥津磐座(おくついわくら) と呼んで神宿る神磐といわれている。山中に水を蓄えているので氏子等は竜王様と称し信仰の聖地となっている。毎年6月18日未明祭神御降臨の日に登頂し神 迎えの山上祭がある。弧峯に見える三上山も近くでは男山女山の二峯から成り山麓の御上神社とともに歴史的に名高い。】

    男山女山で成るとすると、山影が重なっているのでしょう。
    前の記事は、この山頂からの眺望写真でした。
    次は琵琶湖の西にある蓬莱山からの眺望写真です。琵琶湖の形がしっかり捉えられています。
    CAZXDLW9.jpg

    神仙の蓬莱山は竜宮とも同定され、山の神と水の神のロマンの舞台であります。
    浦の嶋子と乙姫の物語は古事記のホホデミノミコトとトヨタマビメの物語と同根で、山神と海神の異界ロマンの物語です。
    蓬莱山でこの二人は鶴亀となって、共に仲睦まじく暮らしているとのこと。
    その故事を古代人が地形に投射していないはずがなく、琵琶湖西の蓬莱山は奥津島姫を祭ると思われる沖島とは等緯度で、どうも意識している模様。
    奥津島姫は姉弁天であり、ロマンの相手は大峰山系・弥山の山の神。弥山は須弥山のことなので、如何神なのかおよそ分かります。
    日本調では烏帽子狩衣八の字髭で太刀を佩いたりりしい姿。されどかなづちときているゆえ、麓の天川に弁天逗留のはなれを用意してあるとか。
    男女神の醸す情熱の気は峰峯に充満し、たえず潤い生態系の営みはどこよりも豊かに営まれているとか。
    三上山は沖島−弥山の途中にあって雄山雌山で成るということは、この両神の仲立ちを果たすことの意であり、頂上の龍頭は弥山の方角(やや西よりの南)を向 いていると推察するわけですが如何でありましょう。
    Pさん、磐座を龍頭と見立てたときに、その向きはどっちを向いていたか分かりませんでしょうかね。

    さて、そのようなとき、今度はメイさんが謎のキーワードを持参されました。
    夢の中で訪問せねばならない山があるとか。男の人は白山に向かったが、女人は豊橋から北東のいずこかの山に向かうべしとのこと。
    果たしてその山とは。
    私は現時点の話題の流れからすれば、蓬莱山しか浮かんでこなかったので、そう申しました。
    しかし、メイさんご自身が確信(確心)を持てなければ、間違いであるに違いないのです。
    その原則は念頭に置きつつも、私は豊橋の北東を地図で調べてみました。
    すると隣の新城市に鳳来寺山という山がありました。が、神社がない模様。
    神社があるということが要件ですから、ここではありません。
    さらに北東に辿ること数百キロ。栃木県佐野市に蓬莱山があるようです。
    ここには蓬莱山神社があり、その謂れでは、この地の蓬莱山は西と東の両峰があり、西は市杵島姫を祭り、東は大山祇命を祭るとのこと。
    あまたある神々をさしおいて、水の神と山の神が水入らずで寄り添っている様子。これが海のものと山のものが併在する神話ロマンなのであります。
    しかしこのお山がそうだと申すわけでなく、また行ってみてほしいと言うものでもありません。
    メイさんの心の赴くままです。

    次はPさんの修行場の写真です。こんなところにカマクラ作って瞑想修行!? 
    CAQE1OJI.jpg



    さて、私はたまに神話モードになったときだけ作動するイミテーション山の神でして、なぜかこんなふうなことが勝手に脳裏に浮かんだりして皆さんを混乱させ ております。
    イ ミテーションは雛形ともいい、たまに神人形になったふりして神話の域を脱しない範囲の何かをやらかしてしまうというわけで、普段はIQ100あるかないか の凡人なのでありまして、狡猾な邪神の目を欺くための十重二十重の仕掛けがなされているようなことかもしれぬとは思うものの、やってる本人あまりに阿呆な 人生に、空を眺めて阿呆ーとカラスの鳴き真似をして暮らしているようなしだいであります。
    変な想像かきたてられるようなら、ご容赦のほど。
  • 琵 琶湖周航の歌4・・・神々の能舞台
    いよー、ポン
    いよー、ポン

    ここはあふみの能舞台
    永くかはらぬ風情なれ
    四季おりおりの作り物
    揃えてみなを楽します
    思ひをまねく春霞
    舞台に映える神々の
    舞ぞ近くに見えるとぞ
    夏の高津日逢ひ引きの
    男神女神の吐息ゆへ
    暑き光と気吹きなれ
    四海波の頂に
    おのもおのもの神坐す
    はやす囃子の秋祭り
    冬のおろしははや来たり
    時改めの伊吹神
    かける神世の白装束
    春の芽吹きのふきのとう
    土手に佇むねこやなぎ
    廻る出会いの季節なれ
    かかるあふみの豊かさよ
    神は神話の舞を舞ふ
    愛でる心ぞ豊かなれ



    能の何たるかも知らぬ下手な構文でありますが、万葉人の心にあやかってみようとの思いから、一席ぶってみました。

    Pさん、メイさん、琵琶湖関係の記事の制作への写真面、発想面の協力、ありがとうございます。
  • 琵 琶湖周航の歌5・・・白髭神社思索
    Pさんの雪山を自在にこなす健脚はいったいどこから来たのであろう。
    仮説 : 彼は過去世に比良三国の山野を駆け廻った天狗さんではないか。
    それを修行と心得る態度にも共通のものを見るのである。
    そう考えたとき、次の写真集の意義が掴めてくるのではないか。

      場所  白髭神社(滋賀県高島郡鵜川)
      撮影者 Pさん

    湖上の白髭鳥居から沖島を望む
    CAU9DRG6.jpg


    白髭神社−白髭鳥居−沖島は一望のうちに
    CAMZ16L8.jpg


    白髭神社本殿
    CA9EVV5T.jpg


    高台から琵琶湖方向を望む
    CA7VAG8X.jpg


    吉祥の神験か、湯気に煙る高良社
    CACE8GAG.jpg



    撮影者Pさんのコメント−−−−−−−−−−−−
    3/1 (土)は、曇天と雨の混じる変な天気だったのですが、白髭神社に着いて撮影しようと思った瞬間、晴れ間がさしました。最近はこんなことがしょっちゅうで す。封印され、現世利益ばかり求められてきた神々はどうも、神を理解し広めようと言うブログに掲載される場合には、天気をもコントロールするのか?と思い ました。本殿参拝の後、階段を上り3社祀られている内の一番左側の「高良社」では面白い現象がありました。一瞬晴れ間の刺した日光が、銅葺きの屋根にあた り、冷たい雨に濡れた水分を蒸発させ、白い水蒸気となって蒸発していたのです。吉祥な光景と思わず写真に収めました。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    比良三国山系を修行の場とした古代の天狗たち。女人断ちした彼らが心の中で慕う聖女の姿は、ときおり山駆ける木々の間から見える琵琶湖の中の弁天島。
    守護神である猿田彦が愛した天のうずめと重ね観て、またあるいは生みの母の似姿と重ね観て、募る思慕の心を癒したのではあるまいか。
    荒魂の比良山を御神体とする和魂の祭社・白髭神社は、猿田彦命が妻天のうずめを思慕する心を表わし、湖上の鳥居で逢引の道をつけて、神の心を慰めたともの と思える。




    ここからは奥人の勝手気ままな仮説である。

    水上になぜ鳥居があるのか。
    古事記には、「猿田彦命、アザカに坐ししとき、比良部貝に手を食い合わさへて潮に溺れたまひき」とされている。つまり、水底に沈む伝説が反映されているの ではないだろうか。
    また、猿田とは去る田であり、土地をなくすという意味である。比良部は選定の意。貝に・・合わさへ、とは貝合わせを連想する。すなわち、形を同じものにそ ろえるわけであり、幾何学的な意味あいの強い意味がある。
    そこでやはり想像してしまうのは、盆地としての土地のあった低地から出る川をせき止めるかして、琵琶湖にしてしまったのではないかということだ。淡路島が 相手の貝となる。
    このとき、「あはぢ」に対して「あふみ」という阿吽、陰陽の呼応になる地名が生まれたというわけだ。
    そのとき、奈良盆地にあった湖を、疎水工事して逆に干上がらせて、都を置くための土地に変えるようなこともあったのではないだろうか。

    高 良社はけっこう各地に見られるようだが、「こうら」とは「かわら」の転であるとされる。「かわら」とはどこか「カバラ」を思わせる。先修験者である天狗 は、修行に身を費やした古流のユダヤ教徒だったと私は仮説しているが、その観点からすると、カバラを神格化した社が天狗の総帥・猿田彦命(比良大明神)の 社に並び祭られてもおかしくはないと思える。
    カバラはこのほか、桑原、瓦木(生命の木)といった地名や、日干し煉瓦のような中東のよすがを留める「瓦」といった実用品にその名残をとどめていると観ら れる。
    純粋に神に近づくための修行をしていた先修験者・天狗たち。それとは別に市井に入り、為政者に組して歴史の流れを陰からコントロールしようとしたユダヤの 一派があった。
    世間ではこちらの歴史のほうが鮮明だが、もとより陰からという意図に従う限りは、隠された謎のほうが大きいだろう。天狗は歴史の流れから異端として追い遣 られてしまい、いっそう謎を深めることになるわけだが。
    私はニギハヤヒノ命に、秘教組織の特徴を見た。九州から東征に出た神武天皇に河内大和をあっさり譲渡している。銅鐸の製作者でもあると考えている。
    銅 鐸につけられた名称。これは未だ知られていないが、私は古事記に神名の出る「ウツシクニタマ」であると考えている。銅鐸の形は秀麗な神体山を模しており、 その表面に描かれる図柄は稲作農耕の灌漑に関するものが多い。それはおそらく、ニギハヤヒ以前の弥生文化の農耕科学は、山々に関連付けられた信仰のような 形をとっていたのであろう。イヤシロチや、龍脈などの大地のエネルギー状態を合理的に測る科学があったと思われる。
    だが、中東初発の科学が道教的な大地のエネルギー工学を理解できたかどうか。むしろ、錬金術に命脈を持ったカバラの科学を前面に立てて、得意な金属分野で 先住民族を魅了する方法を考えたのではあるまいか。日本の統一という目的の前には手段の如何はこの際関係ない。
    こうして先住民の前に、祭祀道具としての神秘的輝きを見せる銅鐸「ウツシクニタマ」(秀麗な神体山を写し取った国津神の魂)を披露したのではなかったか。
    あるいは、かの中東で名高い死者を蘇らせた男の例に倣い、回春の秘術で奇跡を起こして人心を掌握していったのではあるまいか。
    ニ ギハヤヒは天目一箇命の第四子とされる。また天目一箇命は天御影神と同一とされる。かの三上山(近江富士)の祭神だ。その一帯は古くから窯業の中心地だ。 鍛治・窯業ともに錬金術である。天目一箇命・天御影神は火・鍛治の神とされる。目一箇とは炉の中で赤く熔けた青銅を連想させるが、むしろ、もしかすると彼 らのシンボルでありはしなかったか。
    すると、古来から最近まで彼らを示すのに同じシンボルが使われていることになろう。ピラミッドに一つ目のことだ。三上山はその秀麗さからピラミッドとする 説もあるからなにかシンクロする。
    では、三上の意味は何か。御神であるならそれはそれ。三神とすれば、三位一体の神ということではないのか。そこにユダヤ・キリスト思想を観るわけだ。
    彼らは歴史の表に立とうとすることは避けてきたようだが、自己顕示欲はあったようだ。一歩踏み込んだ者には分かるようにしてあるのだ。彼らは為政者の裏方 に甘んじたが、知る者にはそれとなく知らしめようとした。
    た ぶんそれは、彼らの背後にある神も同じ寂寥感を持っていたからではなかっただろうか。世界を支配しコントロールしても、見えない者には見えず、ただ警告を 発して注意を引くことしかできない。それも関心がいまいちとなれば、誰か知る者の思いの中に、自らへの理解を求めるようにもなる。そうした存在が、私には 今の支配神であるような気がする。
    しかし、彼が警告を与えた末、いざ最後の手を下ろそうとするや、私が真っ向から邪神呼ばわりしてしまった。それに驚き、振り上げた手をいったん引っ込めね ばならなくなったのでは。
    千と千尋の神隠しの坊やみたいな神だなと思えてきた。こうなれば、彼の手を引く千になってやることも必要か。
    支配神が金太郎腹巻の坊やであると分かってしまえば、ユダヤの市井に展開した別派の時代は終わったも同然となる。賢いようだが、精神性は稚拙そのもの。そ れが世界に知れるなら。
    かつて山岳に展開した秘密部隊が、これに代わって、時空を超えてこの歴史の現時点に集結しているというのも、シンクロと言うべきことだ。
    知られなかった山岳の彼らの手に人類存続の鍵が握られている。ばらばらに見えて、その実は見えない意図で繋がれて、適材適所・天の配材として陸海空に展開 している。
    いまこの病んだ時空にある有情を救おうと、未来から、パラレル宇宙から、他惑星から救助の手が集まっている。
    日本の天狗さんたち。こんどは君たちが猿田彦となり、彼ら救助者を地上に先導する番が待っている。
    比良三国山系はとくに畿内の生命の木の原理図の中ではダート(暗間)に相当する。ダートがいよいよ表に出てくるとき、それは世界が一変するときである。
    陰にあることを社是としていた秘密結社が秘密を暴露されつつある。その急衰退に反比例して、ダートにあったとてつもないものが台頭してくるだろう。
    PさんやMさんには、いざ鎌倉の気でいてほしいものだ。
  • 琵 琶湖周航の歌6・・・琵琶湖湖底遺跡の謎
    琵琶湖湖底遺跡の箇所は非常にたくさんあるらしい。
    そのほとんどにおいて地すべり説が有力視されているようだ。
    というのも、湖底にある砂の層の上に生活圏の土地が乗っかっている状態で見つかっているからだという。
    それだけ水辺の土地は緩んでいるから、地震防災に気をつけねばならないとまで言われている。
    果たしてそうなのだろうか。それなら、海岸べりにおいても同様だろうが、町や村ごと海中に滑り落ちるほどの規模になった例があるだろうか。
    琵琶湖の水は容易に土木工事で疎水を作り、抜くことも、塞き止めて満たすこともできるわけである。
    水のないときでも湿地帯の状態に長くあったに違いない。すると生活するとなれば、干拓するときのような方法で盛り土を行うのではあるまいか。つまり湖底の 砂の層の上に生活圏の土砂が乗るわけだ。
    ここにも弥生人ごときに何ができるという先入観があると思えてならない。
    そもそも、竹生島、沖島、多景島は人工島であると私は考える。
    水の中に土砂を運び込むことは不可能に近い。
    だが、水のない間になら、土木工事は可能だ。
    古墳をも造り出すエネルギーを弥生人といえども持っていた。
    当然そのときには、いま水深の浅めのところには、都市集落もあったことだろう。
    稲作の集落と土木事業のための都市集落があったはずだ。
    その頃には、都市の間を川が流れていて、大阪湾まで繋がっていただろう。
    そして政策的に水を塞き止め、満たす段になると、集落はおのずとせりあがっていく。
    より新しい集落が岸辺近くに長く留まり、あたかも地すべりでそうなったかのような様子を呈するに至ったのではなかったか。
    もっと琵琶湖中心部の泥の堆積の下を詳しく探ってほしいところだ。
  • 山 岳神話に未来を繋ぐ先達の意志・・・御嶽山
    今回は、琵琶湖周辺の記事シリーズから東へと展延することになります。
    Pさんから先週末に撮影された、彼の修行場として挑む御嶽山の写真が届けられました。
    それをもとにしたアプローチを承ったような次第です。
    写真を見れば、さすが御神体山の尊容であり、その威風堂々たる様には、古来から山岳信仰の対象とされていたとしても不思議ありません。
    また、彼が提供してくれたリーマン氏の解釈法を見れば、氏も神話創造を目指す人であると思えてくるのも、私も及ばずながら神話創造に時間をとってきた者だ からであり、氏の神話の意図には少なからず興味する次第であります。
    し かし、そこには私の既知になかった神の名もあり(いや知ってはいましたが、私は地理的に尾張で終わりにしていたものだから、考慮していませんでした。この 神様には申し訳なく思います)、縁あらばとも思いますが、神名の意図される理想が「仲裁」「手打ち」であることから、私の意図とはいささか方向が異なって いる感もあり、やはり私は尾張で終わりを今のところ考えているような次第です。
    Pさんには簡単ですが、このようなことと今はお伝えしておきたく思います。(また何らかのシンクロで繋がることを希望したく思います)


    Pさんの修行場から撮影された写真集

    修行場から御嶽山を眺望する
    suki-ontake.jpg


    御嶽山
    ontake.jpg


    御嶽山に関するPさんのコメント
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    【御 嶽山:標高3,067 m 剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山、継子岳、継母岳の4峰があり、南北約3.5kmの山頂部による台形の山容である。北端の継子岳は比較的新しい山体の 成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな円錐形をしており、日和田富士とも呼ばれている。】

    【摩利子 天:原語のMariciは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡 らせず、傷付かない。隠形の身で、つねに日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
    日本では護身、蓄財などの神として、中世以降信仰を集めた。楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視さ れている。】

    同 時に南アルプスが全部見えまして、その写真も送っておきます。一番高い部分が北岳(3,193m)で、荒川岳(3,141m)赤石岳(3,120m)等々 です。あまり詳しくないので、本当かな?西から東向きに撮っておりますので、向かって左側の最高峰が北岳だと思います。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    修行場から南アルプスを展望する
    minamialps_l.jpg


    南アルプス
    minamialps.jpg


    Pさんの挑む熟練修行場 (コブだらけですな)
    expart.jpg



    御嶽神社、御嶽講社の由来
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    【御嶽神社の由来*
    頂 上奥社は文武天皇の御代大宝2年(702年)信濃国司高根道基創建し、光仁天皇の宝亀5年(744年)信濃国司石川朝臣望足勅命を奉じ登山し悪疫退散を祈 願され、ついで延長3年(925年)白川少将重頼登山し神殿を再建す。ついで応保元年(1.161年)後白河上皇の勅使が登山参拝された。一合目里宮社は 文明16年(1.484年)再建、文亀3年(1.503年)再興と記録にあります。
    ●古来登山するには麓で百日精進潔斎の修行をしてから登拝 したものでありましたが、後世の天明2年(1.782年)に覚明行者が黒沢口登山道を、寛政4年(1.792年)に普寛行者が王滝口登山道をそれぞれ開き 講社を作り軽精進潔斎で盛んに登山を奨励し、続いて一心行者、一山行者もこの跡を継ぎ又、諸行者相継いで神山の尊きこと全国に広まり、今日の盛大なる御嶽 講社の基礎となっています。】
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    さらにPさんは、リーマン氏の提唱される山岳霊場幾何学について紹介されている。

    Pさんがリーマン氏のところから引用された文
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    【日本全体の中で、中部地区あたりに日本を代表する山が 集中しています。 
    これには、宇宙の深い意思が反映されています。
    北極星を頂点とする、北斗七星の形象が、日本の国土に 反映転写されています。
    ・立山=太刀山(タチヤマ)=神剣山=スサノオ=男神山  = 図のγ星
    ・白山=ククリ秘め神=女神山 =図のβ星
    ・ 御嶽山=国常立太神=男神山=図のζ星
    ・浅間山=木花咲耶姫命=女神山=図のη星
    この男・女・男・女で構成される4つの山を線で結ぶと菱形の箱になります。
    この箱は、北斗七星の柄杓の型を意味します。
    伊勢神宮外宮(Polaris)を北極星の位置とみなして、柄杓の形を重ね合わすと、
    間の山々やポイントの神社なども見えてくるでしょう。】
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  • 古 代征服民族の結界
     
     
     
     
     
     
     

    見えざる地上絵、祭祀霊場配置の設計図は次のような次第である。
    yatakarasu.jpg

    九州の直角二等辺三角の辺の長さ172Kmは、畿内の多賀−伊勢の距離に同じである。九州の幾何学規則を大和にそのまま持ち越しているわけである。
    こ の絵図は、笠沙に嘴の先を置き、尾張東谷山に尾の先を置くカラスのそれであり、ヤタ(多面)カラス(韓図)との語呂となる。また、笠沙はこのカラスの種が カササギ(コウライガラス)であることを示し、朝鮮語発音のカチが、アカツカチハヤヒに代表される天孫族のシンボルでもあったことが見て取れる。つまりカ チガラスというわけだ。
    また上図は先住文化圏の上に描かれた絵図でもある。
    これらの絵図は何を意味するか。
    国体維持のための結界というのが主線。
    多様な被征服民の神々やシャーマンを封じるための結界というのが伏線 → 人柱。(例 : 吉備津の釜)
    その中に、国常立神ら太古神も封じられていたと解される。(国常立神は既復活)
    沓島−神島、芦別岳−喜界島、日本−エルサレムという封印の構図ありとする説に関し、
    日本にもエルサレムを模倣しようとした痕跡がある。次の二つはその説の前提になる絵図である。
    hiratouji.jpg
    gobosei.jpg

    飛鳥は朝鮮語の安宿の転との説があり、この意味は「平安の地」。
    奈良は平らかなることを象徴した言葉。
    平安京はそのままに。
    すべて平安の地エルサレムを言い換えている。
    菱十字形は、ピラミッド幾何学をそのまま表す。(黄金率が封入)
    十字は五芒星とともに、エジプトとカルデアの流れを汲むというカバラの追儺の儀式に用いられる。
    逆五芒星の意味するところとは。やはり封印結界なのか?
    こ の絵図の示す霊ラインに、風水上の意味合いはさほどない。征服者は数理幾何学性に意識の重きを置き、魔法の拠り代を置いたため、その祭祀が形成する後天的 な霊脈ができている。それは自然の流れに沿ったものとは言えないところがあり、現在の日本が推し進める工業志向(自然征服、自然破壊)の傾向と不可分でな いように思われる。

     
     
     
     
  • ウ エサク祭は今晩
    19日19:00から鞍馬山のウエサク祭が行われるそうな。
    鞍馬天狗ことサナートクマラのお祭りとのこと。
    サナートクマラは金星王、孔雀王、大天狗、大魔王とされている、とても有力な神であるとのこと。
    金色太子(毘沙門天)とも同定され、またルシファーとも同定されている。
    ウエサク祭は満月を祝う祭りでもあり、その源流に古代イタリアの月神ディアナと太陽神ルシファーの古信仰、ペイガン(虐げられた民)の祈りがあるとみられ る。
    −−−−−−−−−−−−−
      (リーランドの伝えた)「アラディアもしくは魔女の福音書」に書かれている神話によると、主神はディアナと呼ばれるグレートマザー、大いなる女神である。 ディアナは「あらゆる創造の以前に最初に創造され」、「彼女の内に全てがあった」という。やがて彼女は自分の内から光と闇を分化させた。光がルシファー で、彼女の兄弟であり息子である。そして、彼女自身は内部に闇の部分を保有した。
     注意すべきは、この「闇」は悪ではない。むしろ、陰と陽のそれに近い、相互補完的な観念と唱えるべきだ。
      そして、光と闇は分化したままではなかった。「光を掲げる者」のルシファーは地上に落ちたが、ディアナは彼と再び一緒になろうとする。ルシファーは地上の 生命の中でも最も美しい「猫」を愛していたので、ディアナは猫に化身し、彼と交わった。こうして生まれたのが、アラディアである。
     ディアナとルシファーは万物を生み出すものとなった。
     やがて地上に人間が増えると貧富の差が生じ、富める者は貧しい者を虐げ残酷に扱った。富める者とはキリスト教徒であり、貧しい者とはペイガン(異教徒) である。貧しい者(ペイガン)達は都会を追われ、田舎へと居住する。
     この状況に心を痛めたディアナは、娘のアラディアを地上へと送り込む。
     こうしてアラディアは、「最初の魔女」となった。
     彼女は抑圧される貧しい者(ペイガン)達に魔女術を教えた。彼女は貧しい者(ペイガン)には保護者となり、富める者(キリスト教徒)には恐るべき復讐者 として働いた。
      やがて、アラディアは天に帰らなければならなくなる。この時、アラディアはペイガン達に伝える。もし困ったことがあったら、満月の光の下に生まれたままの 姿で集い、大いなる母に救いを求めよ、と。彼女はこれを「ベネベントの遊戯」と呼んだ。ペイガン達は、この儀式のあと、三日月の形をしたケーキとワインで 食事を取る。これはディアナの肉と血、魂を象徴するいわゆる聖餐式である。これこそがサバトであるという。
     ここにおいて、「アラディア」では、こうしたサバトは断じて悪魔崇拝の儀式ではなく、被抑圧者の祈りであるとされていることだ。
    −−−−−−−−−−−−−
    あるいは
    −−−−−−−−−−−−−
    ペ イガン (pagan) とは 「非キリスト教徒」 や 「異教徒」 という意味を持ちます。今でこそクリスマスはキリスト教の行事として定着していますが、その起源はキリストの生まれる遥か昔まで遡ります。キリスト教が布 教される前のヨーロッパでは、人々は自然の中の神々を信仰していたのですが、彼らはキリスト教の布教につれて、ペイガンと呼ばれて圧迫されるようになって 行きました。キリスト教はペイガン達を改宗させるために、ペイガンのお祭りをキリスト教の中に取り入れて行きました。季節ごとに自然の中の神々を祭るペイ ガンにとってのクリスマスは、もともとは冬至のお祭りでした。太陽の照る時間が最も短くなるこの日、ペイガン達は、火をともして太陽の復活を祈り、常緑樹 を飾って来たる春の豊作を願ったのです。常緑樹の枝や粘土で作った人形をプレゼントし合ったりする慣習もありました。キリスト教はこうしたペイガンの慣習 を取り入れつつ、この日をイエス・キリストの生まれた日として祝うことにしたのです。 キリスト教のもうひとつの大きな祝祭であるイースター (復活祭) も、もともとはペイガンの春分を祝うお祭りでした。
    −−−−−−−−−−−−−
    古信仰では太陽神であったルシファーを、ひとえに僭越な光を放つ金星の座に貶めたのはキリスト教であり、キリスト教はこの神を排除することによって、キリ ストを神の座につけたことが見て取れる。
    こうして太古神の封殺の態様は日本のみにとどまらず、世界の習いとなってきた経緯があるというわけだ。
    そ してその弊害は、いまや世界の滅亡、人類文明の破綻として目の前に表出しようとしている。誤った信仰は必ず破綻や破壊をもたらす意図を孕んでいる。それを 信仰の持つ預言の側面として容認してはなるまい。現代のこの時点でも、さまざまな世界の破局を語る予言者が鳴り物入りで輩出されているが、彼らがどこから 認可を得ているか見極めたほうがいい。

    さらにキリスト教のいかなるものかを白日の下に置くビデオを。少々長いが最後までご覧あるよう。
    あらゆる既成概念の虚像が吹き飛ぶことであろう。




    カバラのカゴメ結界に封印された正神

    111-2.gif

    鞍馬とは「暗・間」であり、カバラのセフィロトにおける「ダアト」にあたる。
    ダアトはセフィロトの上に仮想されるのみで表に出てこないセフィラである。
    鞍馬山を含む三国山系は、畿内にしつらえられた巨大セフィロトのダアトの位置に存在している。
    たまたまダアトの位置ゆえに、ここを鞍馬(暗・間)と呼び、最深奥にあるべき神・サナートクマラを奉祭したと考えられる。しかし、それは奉祭ではなく、地 下奥深くに封印したということである。
    も しも伝承に言うように、サナートクマラの降臨があったとなら、カバラの持つ神話によって誘導されたシナリオであったことになる。シナリオ(神話)でこの神 を封ずることによって、この神の影響力をカバラの管理下に置き、神の復活を阻止しようとした可能性ありと考えるのである。
    しかし、いつの日にかは神々の交代も行われる。
    大魔神はじめ太古神の復活には、人々の真の理解が結界を氷解させることによってでしかない。
    もしくは周到な幾何学性でなるカバラの結界が、物理的に崩れることによるしかないとすれば。
    人々が歴史の矛盾に目を向けて、正義の見識を掲げることでこれが達成されるならそれで良し。
    不可能なら、巨大地震。それでかなわずばポールシフトの地殻大変動によってとなるのか。
    −−−−−−−−−−−
       崇高偉大の 魔王尊
       地軸を傾け 磁極をば
       おきかえ移し 気候をば
       一変したまう 魔王尊
       移る磁極は 大地震
       大洪水の地変をば
       まきおこせども大前に
       ひれふす者を助けませ
    −−−−−−−−−−−
    世の終局がまるで魔王尊のせいで起きるようにされていることも、
    どこか不本意なことのように思えてならない。
  • 自 慢じゃないけど
    みなさん、暑いですね。
    思考力が鈍り、考えようという気が起きないのが私の昨今です。
    もしかすると、もう考えなくてもいい段階にきているのかも知れず、ブログ閉鎖という一連の流れになっているのかも知れません。
    というのも、新神話の見届けの体制にあることを申してますとおり、新たな展開を書かずそこで留めておくことで、神界はそこまでのシナリオを実演に移してく れている模様です。
    まだボールがあるともったいぶっていると、神界もそれが投げられるまで待機しているやも知れず、そういったことではいけませんからね。
    もうボールは投げ終わったとすることで、ボールを渡したことになり、早々に神々に今までのシナリオで舞台上演してもらうことも可能となるように思います。

    私は神界のよすがを推理するのみで、実際を知る力はありません。しかし、このブログに縁ある巫女さんたちの助力や、外部の異界情報によって、新神話がまさ に上演されていることを知ることができました。
    いつかきっとさんは、新神話の異界における「救命ランナー」との評価を伝えてくれており、神界にセンセーションを巻き起こしていることを伺わせてくれまし た。
    そして次の情報は、新神話で梵天はじめ正神たちが作り上げた新しい世界像の顕現を物語るようでなりません。その設計図は神亀・青龍の体にしたためられてお り、すでに神界では邪神が駆逐され、正神の進出が華々しくなされ、新しい世界が建設されているところのようであります。
    玄のリモ農園ダイアリー 「マシュー君のメッセージ」

    マシュー君のメッセージの中にある"時空連続体"という概念。これ重要ですよ。
    無限分岐する歴史プログラムの時空連続体があり、我々個々は、魂の時間軸に沿ってそれを観測しながら航海する船乗りなのであります。
    同じ非凡な能力でもってする観測なら、正神の提示する世界のほうにしましょうよ。

    その対極にあるのがジュセリーノの予知する世界。むろん邪神の神話のシナリオを具体的にしているわけで、これに就く就かないは、みなさん個々の自由意志に よるというわけですね。
    心配ないです。日本列島沈没の歴史を目撃することになっても、それは強欲だった自分の補習授業を受けている姿なのかも知れません。

    あーりがーたや、ありがたや。
    あーりがーたや、ありがたや。
    このごろ地球も人口が増えて、右も左も満員だ。
    だけど行くとこたくさんござる。
    天には天国、地に地獄。
    あーりがーたや、ありがたや。
    あーりがーたや、ありがたや。

    さあ、学習機に座って、地獄の特訓カリキュラム受けてもらいましょうか。
    ポキッ、ポキッ。
  • ご ちそうさま
    アラスカを背景にしたドラゴンが日本列島を「ごっつあんです」やってます。

    dragon.jpg

    ドラちゃん、ハープの音色で操られてたりしないでしょうね。
    センセーのおうちは、すぐ目と鼻の先よ。
    ちょっと職員室でお話ししましょうか?
     


    東海地方をパコパコやっていたドラちゃんに、文殊センセーが一言いっときました。
    もうこれでゲリラ豪雨はないでしょう。
  • 自 民党総裁選と危険な顔ぶれ
    まるで異色の芸能人スターを集めたようなニュース映像だった。
    国民目線からの乖離感は否めない。
    マスコミはそもそもスターばかりを重宝してきた。芸能人も評論家も、マスコミに気に入られてこそ花が咲く。マスコミ主導型のスターだけが世の中を彩る仕組 みになっているわけだ。
    国民のどれほどがその光景を覚めた目で見ているのだろうか。
    そ れを意識してか、マスコミも時折真実味あふれる問題提起をするが、いつしかマスコミ側に洗脳されている光景を見る。私もご多分に漏れない。そこが情報のメ インルートだから仕方がない。よって、裏を探り裏を勘繰るベクトルだけはたえず保持していなくてはならないと思うわけだ。

    それにしても今回の総裁選は気味の悪い顔ぶれだと思う。
    特に石破という名には、古事記の解釈を手がけてきた関係で言うが、戦争臭がありありと漂う。それが防衛畑を歩いてきていることのシンクロや如何。
    古事記の「黄泉の国」の段の序章に、石炸(いわさく)の神というのが出てくる。火のカグツチの眷属である。その意味するところは、岩をも砕く炸裂のこと。 大筒の神(大砲)や鳥の石楠船(戦闘機)とともに、母イザナミを黄泉の国に送り込んだ張本人のひとりだ。石破=石炸。
    http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-e.htm
    しかしもうすでに世界のいたるところに戦火あり。黄泉の国にあることは紛れもない。だから、名前から道標を示すタイプの者が現れてもおかしくはなかった。 ついに兆候として現れたという思いだ。ここまで物事がシンクロすると・・それ以上はやめておこう。

    麻生は大久保利通に始まり吉田茂の孫という。
    吉田は戦後日本のためをと思い米と密約をしたに違いない人物だ。その呪縛を今の今まで解くこともできずに自民党は独裁を続け、売国行為の代わりに政権を維 持してきた経緯ではなかったか。
    そのことも、古事記には書かれ(預言され)ている。それが分からぬ神道神官たちでもあるまいと思うのに、国家神道にもなれば諌めもできず国策に殉ずるもの のようだ。
    http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-5.html#1
    こうして、国民には何も知らされず、つんぼ桟敷に置かれたまま。
    楽屋で裏取引が行われても、隠蔽すれば確たる証拠もないから、罰されることもない。
    今となればもう、のべつ幕なしに目に付く売国奴的政策にも、国民は無関心になっている。舞台上で公然と行われても、誰も疑いも口を挟むこともない。だか ら、とことん結果の行き先を見なくてはならない羽目になってしまうというわけだ。

    そこでどう展開するかの仮説である。
    吉田は戦後の日本を立ち上げたが、末裔の麻生はその幕引きをするのではないかと思う。
    大 久保が日本を世界に開いたように、この家系には不思議な役割があり、麻生の名は「朝に生まれる」と解釈され、新しい時代の夜明けを象徴しているようだ。だ から、彼の総裁成立を以て、新時代の幕開けとなるのではないか。彼の政策がどんな失策に終わろうとも、彼の名前はどの時点かを示す道標となるだろう。い や、溜めた起死回生の一打を持っているのかもしれない。
    彼の内閣はすぐに終わるというのがおおかたの見方だ。
    総選挙に敗れ、次に成立するのが小沢民主党政権になろうか。あるいは小沢を首班とする民主自民の連立政権になるかもしれない。
    しかしこのときから米との関係が微妙とならざるを得ず、かつての阪神大震災が電磁兵器による人為災害であるなら、再度仕掛けてくるかもしれない。自民以外 の政権は許さんとばかりに。
    おりしも来1/25には小沢政権になっている。かつての村山連立政権の二の舞にされてしまう可能性が出てくる。しかも、米がまさに倒れようとしている最中 ゆえに、容赦ない規模にならないか。
    列島を二分するほどの災害なら、内乱含みの様相にもなってこよう。民主では政治が動かないとして、自民が再任され、石破が軍事色の強い政権を担うことにな るという順を思ってしまう。
    同時並行的に、不況に苛まれた世界は混沌として戦争色。そんなとき、石破政権ならどうするだろう。
  • 紙 (神?)芝居・・・舞台もオオトリの物語
    洞爺湖サミット会場を臨むことのできる湖畔のパーキングからは、
    2008091037.jpg
    湖中の弁天様のお姿を拝することができます。
    2008091000.jpg
    昔々、その優雅なお姿に触れようと、おかしなトリが泳いで近づき、
    2008091041.jpg
    あれよあれよと見てる間に、
    2008091042.jpg
    口付けしてしまったのです。オイオイ (^^;;
    2008091043.jpg
    そのときおかしなトリは、たいへんなお役を拝領することに。

    トリは人に転生し、ぼやきの人生を送った後に、乙女に出会います。
    なんでこうなるのと不思議に思うもさっぱり皆目分かりません。

    どうやら乙女は岡っ引きに追われているようで、
    aohebiwensei.jpg
    トリは乙女をかくまいます。
    aohebitotori.jpg
    乙女は弁天の化身でありました。

    トリは乙女から異界の扉の鍵を授けられ、
    人に成り代わり、世界引率の新神話を編みました。
    yumeunryu.jpg
    新神話は神界の劇場で上演され、
    そして今や、舞台もオオトリを迎えようとしているのです。
    houryu.jpg
  • 弥 勒下生から新時代の音信まで
    弥勒下生にまつわる一連の出来事をここでまとめておきましょう。

    まだ8月の終盤の頃、身内さんがネット新聞を使って、こんな異界交信をしていました。

    Q 奥人さんが私に求めていること、またどうしたいと思っていますか?
       A 人工授精でパンダ出産 神戸・王子動物園

    そこから ⇒ 出産 神 王子 (を抽出)

    といっても、これは現界での話ではなく、神話という形而上世界でなされることです。
    身内さんとは遠隔であるため、実際に出会うことがありません。
    しかし、虚構とか架空というのではなく、"気"体のやりとりがあって、仙道にいう"陽神"が練りあがるわけで、これがいわゆる赤子であり、神であり、男の 子(王子)というわけでした。(動物のパンダの精?というのは?)
    身内さんと子供が、驚いたことに、メイさんの夢に出てきて、ご面倒をおかけすることになりました。
    そう。我々は禽仙でして、産んだ子の養育にあまり関わりません。

    しかし今回、身内さんは高野山に行った日の夜の夢で、お坊さんから「まもなく生まれる」と言われ、その子をお守りせねばと思ったそうです。どうやら、お坊 は空海さんで、子供は弥勒のようです。
    メイさんも身内さんも、子供を形而上から養育し守ってやってください。むろん、弥勒本人もたくさんの眷属と援軍を従えてやってきています。

    そのためでしょう。誘爆するように、あらゆるところから隠蔽された邪悪が噴出しています。形而上世界から、強い光が近づき下界に当たっているからです。
    サブプライム問題から、大相撲の八百長問題まで様々ですが、すべて相似像をしていることに気づいてください。その種のゴロゴロとした目の粗い不正がまず暴 かれています。
    それがやがて、細かいレベルへときますから、ご準備のほど。
    このため、世界はしばらく混乱するでしょう。戦乱もありえます。不正の世界システムが倒壊し、新しいシステムが持ち上がってくるまでのことです。


    次に、いつかきっとさんの交信と解釈に対する私の返事メールから。

    >Q 古代に、巫女たちと指導者の審神がいましたか?
      A 恩返し 道場・訪問 「魔物」
      (「恩返し」を取ったほうが回答は鮮明。「魔物」は森野さん?)
      (あるいは、見出しには「金メダル贈ります」という語も、あります)

    驚きましたねえ。これも心当たり大いにありますよ。
    ただし、直訳側ではなくて、新神話の中の話のほうで、伏線的背景になる話がすべて当てはまっています。異界は新神話ロマンに陶酔されているようですね。
    あ の白蛇伝の主人公許仙は、かつて神界で仙人だったのですが、追われて修行道場に逃げ込んできた白蛇を哀れに思い、かくまって逃がしてやりました。白蛇は西 王母の桃の里から不老不死の桃を盗んだために追われていたのです。一部始終を知った西王母らは、彼を捕らえて制裁を加え人間界に追放しました。
    人間界で、過去の記憶を失って孤独だった許仙のところに、彼を慕って白蛇と青蛇の姉妹が恩返しのためにやってきました。それは同時に新たな役割の物語の持 参でもあり、その(神界是正の)ために必要となる宝(金メダル)を渡したというわけです。
    お そらく修業道場とは霊的資質を磨く養成所であり、蛇の姉妹は巫女たちの一員であったことがあって、仙人時代の許仙は彼らの指導に当たっていたようですね。 一説には暴れ者だったために、術で蛇に変えられたとか。先生というものは、卒業した後にお尋ね者になっていたとはいえ、まな弟子をかばうものです。

    いっぽう、直訳側でいくと、私は魔物。はい。これも正解です。
    仙人で「人」がつくから人かというと、そんなことはありません。
    私は、トリです。ただし、DNAは人間から生まれて人間のものを受け継いでます。
    今の世には、そのような人が多く生活してますよ。
    MIBという映画では、モロ宇宙人や宇宙生物が変身してるようですが、それと比べたらまだましもましでしょう。
    あなたも過去が宇宙人となら、オリジナルの地球人ではないという意味でマモノではないですか? オラオラ (^^;;;
    まあ、地球人は転生を何度も強要されて、従順な子羊というマモノにされてしまいましたけどね。


    >Q →その古代グループは現代に転生していますか?
      A 言葉の重み学べ

    古代グループという表現がちょっと軽すぎて、異界には失礼だったかも知れないですね。
    このシャーマンのグループは、多くても十数人の少人数で構成され、師匠グループからほぼ同人数の弟子のグループへと技の伝授がなされていきます。そして師 匠グループがこの世から姿を消せば、弟子グループが今度は師匠となって、新しい弟子を発掘していくわけです。
    弟子たちが一人前の資格を手にするときに、テストが行われます。
    そ の内容は、高い山の断崖から飛び降りさせるというもので、弟子たちは地上に激突するまでに、新しい世界を組み立てて移行しなくてはなりません。失敗すれば むろんあの世ですが、そのようなケースはほとんどなく、みんなそれぞれの得意とするどこかの場所にテレポートして難をのがれます。
    やがて、師匠グ ループの出立を弟子たちは見送ります。師匠のグループはそれぞれが光の体になり、ドンを先頭にして空に飛翔していきます。その光景が、ちょうど羽根飾りを つけた蛇のように見えたことから、羽根蛇をシンボルとした英雄ケツアルコアトルの伝説が生まれたというのです。
    これは中南米のナワリズムといわれるシャーマニズムですが、中国の仙道にも似ています。同様のものが中東にもあって、カバラと呼ばれてます。
    異界の交信者たちも、きっとこうしたグループに属してますよ。特にあなたや私に縁があるグループと思います。



    邪神系という言葉がよく出てきました。
    私が認識している正神と邪神の対比は、相対的なものです。
    邪神からすれば正神が邪神であるに違いないのです。
    よって西軍と東軍といった言い方が本当はいいのかも知れません。
    そこでこの両者を見分ける方法について一言。
    差別、区別、階層、隠蔽が邪神側の特徴です。その影響は、いたるところに見られ、ほとんどの局面がそうであることに気付かれるはずです。
    私が邪神としている側の総本山からは、事物の隠蔽を指示する命令が出されており、それが全世界の社会の構図に反映していると観測(新神話で言うなら「舞台 設定」)しています。
    あらゆるものの仕組みや構図を一般には知らしめず、利益を占有しようとする性質。
    下位次元から上位を窺えず、上位から下位を操作し剋するといった「帳」の画策。
    そこに不正と残酷の意図の萌芽がいくらでも出てくるわけです。
    すべて邪神による、有情(意識ある者)の捕獲と隷属支配に目的が置かれていると観測しています。
    これを神界の太陽の喪失した、さ蠅なす満つる時代と言います。
    それは正神の政権支配を嫌った邪悪な神によるクーデターによって起きたと観測しています。

    しかし、太陽は夜明けの時代になれば復活します。
    太陽の光の射し込みと広がりによって、まず神界霊界幽界を分け隔てていた帳が外されます。
    今、それが起きている最中です。
    それに伴い次元の分け隔てがなくなります。
    趣味趣向によって形成されていた霊団やコロニーの帳もなくなります。
    そのとき、区別化細分化の方向に向かういっぽうだった意識の傾向が逆転し始めます。
    すべての者の心の奥底までが誰にも見通されるようになり、隠し立てできなくなります。
    テレパシー通信が当たり前になります。言葉はこうして元あったひとつに戻ります。
    居心地の悪くなった者は暗がりへ逃げますが、それも時間の問題で、その間に矯められます。
    いよいよ矯正の無理な者のみ、自壊して消え去ります。
    当たり前のように社会を形成していた階層構造は自然消滅します。
    宇宙もいつしか解体され、再編され、今見るような空ではなくなります。
    再編後の空を眺めれば、新しい世界の設計思想がどんなものかが分かることでしょう。
    死者と生者の区別がなくなります。
    そのとき、あらゆる者がそれまでとんでもない局限世界に閉じこもっていたことを知り、驚くでしょう。
    そのとき、元の故郷にみな誰もがまさに立っているのだということを知るでしょう。
    みなで図って、かつての忌まわしい世界をどうするかの協議がなされるでしょう。
    そして博物化の運びとなります。それは学習と早い矯正の施設としての用途が見込まれてのことです。

    重要なのは、新時代からこの目的で博物化された地球の20〜21世紀に来ている者がけっこう居ることです。
    多くは、かつてとは逆の生き方をすることによって、インプットされてきた固定概念を逆回しをしようとの目的で来ます。
    どうしても納得できなかったトラウマを解消すべく来ている者。
    為してきた行為の清算をあえて志して来ている者。
    誰にも見せられない心の闇を消尽しようとして来ている者。
    こうした人々は学習が早いです。
    しかし、ゲームへの興味をどうしても手放せない者は最も矯正が困難で、消滅しか手が残されていないケースがあります。
    彼らはテーマを持ってこの世にやってきて、比較的守られた人生を歩み、学習を重ねます。
    新時代からここに来ている者がかなり居るのです。
    あなたもそうなのかも知れません。
    タイターはマシンに乗ってどこからか来たかもしれませんが、これらは霊として来ています。
  • メ タファーとしての新神話
    みなさん。
    私・奥人は救世主ではありませんヨ。私からすれば、新神話の主人公ネアンをそうしています。私は彼の神話を書いている。ただそれだけです。 Nean = New another Neo = New other  なお、ネアンは1996年製の別伝「天 上人の宴」の主人公の名前で、このときも地球を救う救世主で、制作時期的にはマトリックスのネオよりも先輩なんです。
    新神話のシナリオを書いて奏上すると、神界の神々が舞ってくれます。それが有情の願いとして、神々の感動を呼び、地上界にプログラム(言語)の慈雨を降ら せる。と思っています。
    人々は時間軸を辿り、そのプログラムを実行しながら観測します。むろん、人々の自由ですから、別の観測をされても構いません。てわけですね。
    少なくとも私は、そのシナリオを観測する(見届ける)つもりですヨ。
    もう一度申しますが、私は書き手(ラッパの音)であり、救世主本人ではありません。

    新 神話の筋書きでは、邪神たちは追い詰められて切羽詰ったあまり、最後の逆転劇として、クラッキングツールを起爆します。この破壊性能は当初、地球ばかりか 宇宙の存在基盤すらも破壊し、梵の全系に風穴を開けるもので、その反動によって対偶になる領域に、配下たちを連れて新帝国宇宙を独立させようとの意図に基 いたものでした。
    しかしそれは、この宇宙の元来の創造神の被造物を失わせるだけでなく、これからも悪しき帝国主義の脅威が残存することによる悪影響が必至となるので、邪神 勢力の一掃と完全殲滅を図るために、彼らに知られず、彼らの所期の効果を減殺させる作戦に切り替えたというわけです。
    そもそも邪神たちはソフトウェアのユーザーであるに過ぎず、創造の原理をさほど理解していません。創造神はそのノウハウにおいて圧倒しているため、ソフト の簡単な修正パッチでクラッキングツールの破壊程度を、地殻レベルから表土レベルにしてしまいました。
    これにより、彼らの仕掛けた破壊工作は、確かに表土部分に激震と破壊をもたらし、彼らの宮殿は崩れ去るわけですが、彼らはそれを以て破壊エネルギーが極大 と錯覚します。
    しかし、崩れるのは彼らの政権を温存していた土台だけであったという次第。
    彼らの野望は砕かれ、全員が囚われて粛清されるという筋になっています。

    神話は象徴的に書かれるべきものです。我々の世界に上記シナリオがどのように現れて展開していくか、推理してみてください。

    その過程において、弥勒菩薩も登場します。地上界を教導するために。
    大きな草の根運動を伴いながら、正義であるべきことを推進し、邪悪を炙り出していきます。およそ真の邪悪は政治組織に存在していますから、このうねりに よって、邪悪な支配体制は終わりを告げます。
    弥勒はその先の時代をも先駆けます。正神が彼のアイデアを支持します。
    なお新神話では、弥勒を単一の人物とはしていません。
  • ニ ライカナイ(蓬莱島)とミルク信仰の琉球
    メイさんから沖縄旅行の成果をいただきました。
    私は行ったことがないため、いいキャッチができないかもしれません。

    http://blog.goo.ne.jp/mei39mei/e/a70c25be15cb4bd8bc2acb09ceff6294
    http://blog.goo.ne.jp/mei39mei/e/5401dd945739ad7adb1cbf4193b67780

    が、メイさんのブログにもある、琉球の信仰の中枢にあるニライカナイとは何かと見ていくとき、
    神々の住む東の島、蓬莱島伝承と変わらないのではないかの印象を持ちました。
    メイさんが行かれた那覇の海辺東端にある池上宮。古い昔、この辺津宮から
    桃源郷の趣の名残る久高島を中津宮とし、その先にあるニライカナイという神話世界の奥津宮を
    遥拝していたのかもしれないなと思ったりします。

    また、ミルク信仰は弥勒のなまったものとのこと。
    このたびの一連の推理推敲の過程とシンクロするものがあり、取り上げたくなりました。
    八重山方面のミルク神は、子連れの女神というのも、中国の布袋=弥勒の伝播の流れとは異なり、
    面白いものがありそうです。

    このたび、メイさんは波上宮の裏側の巖倉のほうに海から回られ、祭神三神の遺影を求めて
    写真を撮り、神の顔が出ているかもしれないとのことで送ってくださいました。
    私は心霊写真解析は得意ではないのですが、オーブの表情読みをしていることもあり、
    こういう場合はどうなのかな、とトライしてみました。

    上二枚がメイさんからのオリジナル写真。
    メイさんは二枚目に祭神三神が出ていると仰います。
    下が私が、これではなかろうかとクローズアップしてみた写真です。

    ikenoueguu_ura.jpg

    sinnrei.jpg

    koudeha.jpg

    陰影の多い岩場ですから、そのせいもあってか、顔と見れるものはたくさんある気がしました。
    右の矢印のところには、二つ以上顔が出ているといった感じですか。
  • 開 運牛のツノちゃん
    猫の駅長「たま」ちゃんは今年の開運猫だったそうですが、来年の干支である 黒い顔の額に白いはあとマークの紋がある「開運牛のツノちゃん」が早くも大もてになっています。
    飼育員さんが結婚されて子供が生まれたとか、いろいろいいことがあったそうです。

    tunochan.jpg


    それではもう一頭、体がはあとでおおわれた開運牛の「はあとちゃん」を紹介(再掲)いたしましょう。こちらはわずか2,3分で描かれた線描画です。

    appne_cow_20081127094445.jpg

    表情がどっちも似てますね。
  • 星 の子UFO
       星の子      作/奥人 (1997年頃の作)

    http://uumusou.yamanoha.com/story/stellarchild.htm

      ★       ★       ★


    星の世界にともだちを持ったことがあるかい。

    星たちは、すいすいと夜空を泳ぎまわる。

    まるで、みずすましのように、じっとした星の間をぬって、

    ぶつからないように泳ぐんだ。





    え?星がすいすい泳いだりしないって?


    そんなことないよ。

    ぼくは呼びかけてみた。

    「君たちはだれなのか」と。

    すると答えてくれた。

    「星さ」と。


    ぼくはふしぎに思って、もういちど呼びかけた。

    「でも、星なら同じところにじっとしてるじゃない。

    UFOさんじゃないの」と。


    すると答えてくれた。

    「そう言ってくれてもいいよ。でもほんとうは星さ。

    星がじっとしてなければならない理由がどこにあるの」と。

    それを聞いて、ぼくは、「へーえ」と思ったよ。


    よく考えてみれば、ぼくらが空に星がある、あれは何万光年

    はなれていて、大きさは直径何百万キロだよと言われても、

    実感がわくかい?

    だれかが見つけて、ああだこうだと計算して、こうなった

    んだと、人が唱えて本に書いたものをみんな学んだ。

    そう。学んだだけなんだ。


    そこに行ってきたよ。その結果こうだったと

    説明する人がいたのかね。

    それとも君が確かめてきたのかい。

    そう。けっきょく遠いところから推測するに過ぎないのさ。


    だけど、ちがうよ。

    星たちはちゃんと生きていたんだ。

    生きて話しもするし、あちこち旅行して楽しんでいるんだ。

    すいすい、すいすいと、自分の意志で、

    あっち行ったり、こっち行ったりしているよ。


    え?どうしてそんな考え方をするようになったのかって?

    君はぼくが人のうけ売りでものを言っていると思っているんだね。

    ならそれにあわせて、言ってあげよう。


    それはね、だれだったか、著名な科学者が言ったらしいこと。

    「公理を疑え」ってね。

    そのけっか、逆にその人の唱えたことが公理になったとか。


    だから、ぼくたちも公理を疑えば、公理をしのぐことが

    できるかもしれないじゃない。

    あ、笑ったな。そうさ、これは冗談さ。

    今の公理はこおり砂糖のようにしっかりものだもんね。


    でも、星が夜空を泳ぐというのはほんとうだ。


    あれは二十年も前のことだった。

    ぼくは、ある人たちとキャンプした。目的はなんだと思う?

    夜空の天体観測?ちがうよ。UFO観測だったんだ。


    その人たちは、UFOがこの世にいると信じていて、

    中にはなんども目撃した人もいたし、撮影した人もいた。

    ぼくなんかは、新米もいいとこだった。

    「ほんとうに出てくるの」と首傾げながら言っていたんだから。


    その夜も、みんな夜空を見上げて待っていた。

    一眼レフカメラをつけた三脚立てたり、双眼鏡を持って。

    こんなので写るのかな。見えるのかなって思ってた。


    みんなねばり強く待ってたよ。

    みんな想いを夜空に向けて集中していたみたいだった。

    なにしろ、ようやく集まれたせっかくの機会なんだから、

    見ずにはおくものかという感じだった。


    はじめてから、2時間もたっただろうか。東のまっくらな空に、

    オレンジ色の光が、しゅっ、しゅっと飛ぶようになった。

    みんな、ああ来た来たと歓声を上げていた。

    だけど、僕はまだ疑問で、流星じゃないの、って思ってた。


    でもね、みんながあまり熱心なので、

    じっくり見てやろうという気になったんだ。

    頭を上げて無理な姿勢を続けても集中できないので、

    持ってきていたネブクロに入って、

    仰向けになって、星の大空と対峙するようにした。


    体も暖かくなってここちよかったし、

    大きな空は満面の星をたたえて、

    ぼくを迎えてくれているかのようだった。


    そのうち、ぼくは大宇宙に投げ出されているように思った。

    ぼくは宇宙空間に浮かんでいるんだ。

    あたり一面にある星ぼしとぼくは、

    何ら変わらない存在のように思えた。それは錯覚じゃあない。


    だけど、そう長くもおれなかった。みんながまた向こうの空に

    飛んだよ、といった歓声を上げていたから、

    ぼくの注意もそれたんだ。


    それでぼくは、みんなの言うUFOがほんとうなら、

    ともだちになってくれるよう祈ってみることにした。

    みんな、UFOは精神的にすぐれた人々の乗る宇宙船だから、

    宇宙人とは友好的にすべきだと考えていたからね。


    それでぼくも、ほんとうのことにちがいないと思って、

    テレパシーを送ってみたんだ。

    だって、こんなにすがすがしく透き通る宇宙を飛びまわって

    いるなんて、精神的にものすごく高尚にちがいないもんね。


    心の中から、「ここに来ているUFOさん。

    ぼくはまだいたらないところが多いけど、直すようにするから、

    ともだちになってくれませんか」と、

    星空に向かって思いを込めて語りかけたんだ。


    すると、たったの2,3秒後だ。

    ぼくの視野のど真ん中、つまり夜空のど真ん中に、

    大きな三日月の形をしたオレンジ色の何かが横ぎった。

    それは次の瞬間、同じ位置で

    あの流星のような飛び方をして見せたんだ。

    つまり、超低空飛行してきて、急上昇して去ったという感じだった。


    あーあー。とうとう出ちゃったよ。


    みんながさわいでいる様子はない。そりゃそうか。

    みんなたくさん見えた東のほうを向いているんだから。

    真上だよ、真上。

    ま、いいさ。これはぼくのためだけに出てくれたんだから。


    ぼくはそのまま宇宙に見入ることにした。

    そして神秘の宇宙遊泳にひたることにした。

    その後どうだったかって?どこで眠ったか忘れたよ。


    ただ憶えていること。

    翌朝家に帰るのに、車を見たらガス欠寸前だった。

    オーマイゴーッド。それでも帰らなくてはならない。

    こんなボンゴ車、だれかに牽引してくれとも言えないし。

    こんなありさま内緒にするしかなく、やがて現地解散になったんだ。


    おりしも日曜日、その頃はオイルショックの直後で、

    スタンドが日曜営業してなかったんだ。
    (第二次オイルショックのころ。1979年のこと。こ の話は、夢の中の神戸の実家で宇宙人と会見した話とはまた別の実話です)

    一級国道を通るから、どこか開いてるだろうと思ったけれど、

    どこも静まりかえって、ロープが引いてある。

    家まで100キロはあったから、絶望的だった。


    <UFOさん、何とかして、頼みます>となんども祈ったよ。

    一生懸命オイルセーブの努力をして走らせた。

    すると、家までたどり着いてしまった。まさに奇跡だと思ったよ。



    それから一月ほどした頃だった。

    夢の中に満天の星空と、

    その間をぶつからないようにすいすい

    スラロームを描きながら泳ぐ白いUFOが3機編隊で出てきたんだ。

    その後も、忘れかけた頃に出てきたよ。数はいつも複数だった。

    でも、ぼくは彼らが星の子だとは知らなかった。


    あるとき、UFOって何なのだろうと、

    あれこれ考えていた矢先の夢に、いつもとちがう夜空が出てきた。

    星数はまばら。そのとき右上のほうから、

    すうーっと直線的に白い星が真ん中へんにやってくると、

    そこにあった星にぶつかった。そのとたん、「ポッ」と音を出すと、

    すうーっと右下方向に跳ねかえって行ってしまったんだ。

    それは質量保存則の実験を思わせたね。


    でも、よく考えてみたら、それはむかしあったテニスの

    テレビゲームみたいじゃないか。 (知ってるかな?)


    それで悟ったよ。UFOは映像の一種なんだって。

    それはあのキャンプ場のときも、もしかしたらそうだった

    かもしれない。なぜなら、なんの音もしなかったから。


    でも、そんな映像を夜空に作ってみせるだれかがいることは

    まちがいないことだ。

    いや、夜空でなくとも、控え目に見て、

    ぼくの網膜に写っただけとしよう。

    −−だって、夢の中にまでやってくるんだから。

    とすれば、 視神経に作用したかも知れないわけだ。−−

    それでもすごいこととは思わないかい?


    少なくとも、高度な科学技術であることはまちがいないだろう。

    そうしただれかがきっといるにちがいない。


    ところが、とうとう第三種接近遭遇をしてしまったのさ。

    そう。とうとう出くわしちまったんだ。

    それも、はちあわせだ。はちあわせ。

    そのときの様子はこうだ。


    ぼくはある晩、眠ろうとしていた。あおむけになって。

    だけど眠れない。何もすることがなくて、

    早寝しようとしていたものだから。
    (実際には、園芸店で買ってきた90Cm支柱4本をピ ラミッドに組み立て、ゴム粘土で角を止めたものを東西南北に合わせて設置し、その中に頭だけ入れて横たわり、八拍呼吸法による瞑想をしていました)


    そんなときにあれこれ考えても、よけいに眠れないだろ。

    だから、ただまぶたの裏をじっと見て横たわっていたんだ。

    何も考えずに。

    うす明かりがまぶたを通してきて、ピンク色のような色。

    ただそれだけだった。


    どれほどたったか。ふしぎなささやきが聞こえてきた。

    おやっ、と思って目を開けようとしたけれど、

    いやまてよ、と思いとどまってそのまま声のしている向きを

    確かめようとした。
    (実際には何の声もしていません)


    すると、その声は外から聞こえているんじゃなく、

    ぼく自身の中からしていたんだ。


    何を言ってたかって?

    それは会話だった。少なくとも二人いた。

    そのうちの一人はぼくだった。こんなこと、びっくりだ。


    一人の声が、「ちょうどいい機会です。

    私について知ってもらいましょう」と言った。

    するとぼくが、「よろしくお願いします」と言っているんだ。
    (実際に会話はしていません)


    そのとき、ぼくにはその会話の光景が見えてきた。

    一人というのは、あのUFOなんだ。

    背景は何だったか忘れたけど、白く輝く光の玉が浮かんでるんだ。

    そしてもう一人、ぼくというのは、ぼくだから、当然見えやしない。


    そのUFOが次にこんなことを言うんだ。


    「私はあなたの目の中に入りますから、

    しっかり見ていてください」と。


    すると、ぼくがこんなこと言い返しているんだ。

    「あなたは映像だから、大丈夫ですね」って。

    どういうことだと思う?

    それはこの次に起きたことでわかる。


    いきなり、その光は、ぼくの閉じてるはずの

    まぶたの中に飛び込んできたんだ。

    「じゃあ、見せてあげるよー」ってね。

    (そのときUFOは映像だから、体の中にさえ入ってこ れると不意に思っただけのことでしたが、突然白球UFOが現れて、さーっと、意識を集中していた眉間に飛び込んできたのです。これは夢の中での話ではな く、顕在意識で経験したことです)


    そのしゅんかん、視野の真ん中から白くまぶしい光が

    放射状に広がって、視野全体が光で包まれてしまったんだ。  (太陽光のよ うでした)

    ぼくは仰天して、

    心の底から、「うわー」って叫んでたよ。

    そして気持ちはパニックさ。そして思いっきり、目を開けた。


    だけど、目を開けても視界がぜんぶ白い光だったもんだから、

    ぼくはてっきり自分の気が狂ったと思って、

    頭は振るわ、目はパチクリさせるわ、

    正気を取り戻そうとてんやわんやだった。


    するとやがて、おおっていた光が

    ちぎれちぎれの雲のようになって消えていって、

    元のうす暗い部屋の景色に戻ってしまったんだ。
    (この一連の描写は実際のものです)

    それはいったい何だったのって?

    それはぼくが聞きたいくらいだけど、きっとよく言う、

    UFOとの第三種接近遭遇というやつじゃなかったのかな。

    だけど、それは星の子だったんだ。

    それがわかるまでには、ぼくはまだ何も知らなさすぎたのさ。


    え?おかしな遭遇のしかただって?

    そうだ。普通だったら、僕がUFOの中に

    連れ込まれるわけだ。それが逆なんだからね。

    ただし、ぼくが連れ込んだんじゃなく、

    ぼくの中に勝手に入り込んできたんだ。おかしな具合だよ。


    だけど、あんなにいやがったから、きっと気を悪くしただろう。

    それ以来、ほんとうにたまにしか、

    夢の中に出てこなくなったから。


    でもしかたない。あんなに突発的だったから。

    だれだって、アポを取ってからにしてもらいたいよ。

    そうすれば、たとえ前代未聞のことでも、

    少しはましな対処ができたかもしれない。

    いやまてよ、あのときは別のぼくがOKを出してたんだ。

    あのぼくって、いったいだれだったの?


    後からわかったんだけど、

    あれは夢の中で意識するぼくだったんだ。

    それが現実の世界にまで橋かけしてくるなんて、

    思っても見なかったことさ。


    え?きもち悪いだって?

    そんなことないでしょ。だれだってそうじゃない。

    夢を見ているとき、君は現実のことが意識できるかい?

    現実問題を夢の中に持ち越すことができるかい?むりでしょ?

    つまり、ちがった意識が少なくとも二つはあるのに、

    みんなごちゃまぜにしているのさ。


    さて、とにかくUFOを、かなりがっかりさせたらしくて、

    それ以後めったに、すいすいUFOプラス星空の夢は見なくなった。


    でも、彼らはぼくときずなを作っていてくれた。

    そしていつでも、ぼくが必要とするときに彼らが援助

    するだろうことも、なんとなくわかるんだ。

    きっともう一つの意識が知っているんだろうね。

    あのときひょっとしたら、ぼくはだめだったけど、

    もう一つのぼくは受け入れていたかもしれない。

    (蛇の道は蛇といいますか、この後1994年に武良氏 と出会い、以後UFOビデオ撮影友の会を作ってUFO撮影に興じました)


    ぼくとのきずなとは何かって?

    それは、記念的な表象としてぼくが記憶しているものだ。

    たとえば、あのUFOの形、色、動き方、

    そして奇妙な考えのひらめき、そのシンクロ。こうしたものだ。


    それがついに、現実世界にやってきたんだよ。

    最近のテレビでUFOミステリーものをやっていたけど、

    そのとき、イギリスでよく発生するミステリーサークルにUFOが

    関与しているしゅんかんの実写ビデオが放映されていたろ?


    なに、見ていない?なーんだ。

    そうしたものを見ずに、UFOはいるかいないかわからない、

    などと言っていたらはじまんないよ。もう。
    (坂本氏の白昼の満天の星のような出現を撮影したビデ オを如実に見て、夢の中だけの話ではない、やはりいたんだと思ったことでした)


    実はこのときの白い発行体こそが、

    ぼくの夢になんども出てきたものなんだ。

    形、色、すいすい泳ぐような飛び方も同じだった。

    そして彼らが描いた幾何学模様の中に、

    ぼくが研究していた模様がそっくりそのまま

    あったからおどろきだった。これは、ぼくと彼らの間で

    心のパイプがつながっている証拠と思ったね。


    でも、彼らはUFOではなく、星の子だったんだ。

    それがわかったのは、さらに後になってからだった。


    さっきの話の後、またいくつかのことがあったけど、

    それはもういいにして、最後の結論の話しをしよう。

    なぜ星の子だったかってこともわかるよ。



    その後、ぼくは、比較的短い一生を閉じたんだ。

    ぼくは、自分の体を抜け出して、大気圏を通り越して、宇宙へ出た。

    青い地球が、一望のもとだった。うすい雲を通して、

    ぼくが生きた国がうすい海岸線のりんかくを現わしていた。


    ああ、この国どうなるんだろ。ああ、この星どうなるんだろ、

    と思いにふけっていたときだ。

    ふしぎな声が聞こえてきた。

    それは心の中で行われているあのときの会話のようだった。


    「成るようにしか成らないのさ。もっと気楽に、気楽に」


    そのとき、ぼくがまた答えているんだ。

    「そうだね。気楽にやるよ」って。


    なんだこれは、ぼくが生きていたとき、

    どうにもならない成り行きにあせり憤慨するたびに、

    思いついて気を静めた言葉じゃないか。


    ぼくは、その声のありかを心の中にたどるうち、

    むこうのぼくの会話が聞こえる扉をみつけて、そっと開けたんだ。

    そのとき、むこうのぼくが会話の声といっしよに、いっきに流れ込んできて

    ぼくと結合したのさ。それと同時に、ぼくの心に

    たくさんの情報が流れ込んできた。

    すると、いままであったことはむろん、自分がいったい何者で、

    どこに向かっていこうとしているのかも、悟ることができた。


    ぼくは星の子だったんだ。

    見上げれば、さっき会話していた仲間たちが、

    みんな同じ光の体をして、ぐんじょう色の宇宙空間に浮かんでいた。


    そして、みんなすいすいすいすい自由に泳ぎながら、

    手を伸ばし、結びあって、一つの大きなネットワークを作っていた。

    見えないその先はさらに高次元へと伸びていた。

    そして高次元のはてには、創造主がおられることも

    ひとりでにわかっていた。


    ぼくは、あらゆることを知ることができた。

    それによる充足感は、たとえようもないものだった。

    この情報ネットワークにあるものすべてが、この恩恵を共有していた。


    そう。だれでもみな同じ、星の子だったのさ。


    ☆  ☆  ☆



    キリスト教嫌いだからといって、クリスマスにちなんだ話がないのでは、話題のないオッサンでしかありません。といっても、この話は童話として作ったものな ので、オッサンとも言い難いものがありましよう。
    が、この話をクリスマスだから出したというのではなく、今日までのいつかきっとさんとの水面下での話がきっかけになっているという、偶然のものなのです。

    いつかきっとさんは本日、私のUFO体験と似た体験をしている半田広宣氏のことを教えてくれました。
    体験には、いくつもの相違点はあるのですが、
    半田氏は白球UFOに眉間に飛び込まれてから、宇宙人オコットと交信するようになったといいます。
    私 も、学生時代にすでに宇宙人と会見していた可能性があり、UFOには宿縁の深いものがありますし、同行撮影家の武良氏などはチャネラーで、長い間、たった 二人でクラブ活動をしていた経緯があり、2003年に坂本夫妻が現れるまで、他の誰も入会しておらず、HPのカウンターは回っているのに、こんなにハケの よくないクラブも珍しいことでした。
    半田氏はUFOに素直に入られたから?発展されている模様です。私は拒否したから?壁が厚かったのか?というより、学のない私では、理論的発展はできな かったのだろうなと思います。彼の理論についてにわかかじりで見ても、さっぱりですから。
    しかし、半田氏の「人類が神を見る日」の解説サイト↓にこんな記事がありました。
    http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen35.html

    「古 代の多くの哲学が語るように、人間は神自身を映し出す鏡であり、人間を通してのみ神は己自身を自省することができる。人間を創造したものが神であるとする ならば、神を創造するのも人間でなければならない。いずれ読者はこの物語の先に、神に対して受動的ではなく、能動的にも振る舞える人間の姿を発見するだろ う。人間と神の間にあるこの「鏡の論理」を看破する知恵こそ神聖な叡知と呼べるものであり、あらゆる学問が究極の目的とするものなのだ。そして、それはと りもなおさず人間が最終的に到達する生の目的でもある。神の眼は人間の眼差しによってこそ開かれる。そして、この眼差しに照明された人間の営みこそが第一 知性(ヌース)と呼べるものなのだ。」

    ここに預言されたように、私は新神話という魔法を引っ提げて、「神に対して能動的に振舞える人間」になろうとしているのではないかと思います。であるな ら、白球UFOが触媒になったのかも知れません。


    いつかきっとさんに依頼したUFO関係の質問と回答、その解釈編を次にしておきましょう。そこにはくだけた話がいくつも出てきます。

    12・21>Q 来年森野さんは宇宙人と会見できますか?  
      A 原案 歳出最大

    なかなか有望な結果ですね。 これなら来年は勝海舟のような働きが開始できそうです。
    すでに計画下にあったのでしょう。岡山はあの物語の背景そっくりのところなのです。

    >Q 宇宙人は森野さんに対し、どういう思いを持っていますか?
      A 「一回だけではない」

    私が若い頃に関わった宇宙人がまたやってきているのでしよう。クラリオン星人は、あのときの紳士に似ています。
    家の中から必要なものがよく消えてしまうんです。 この家は神隠しするとんでもない家だと思ってましたが、種を明かせばこんなことか。 そのたびに記憶を消すものだから、健忘症の後遺症が出ています。 これでは不平等もいいとこ。記憶を消さないように強硬に主張することにします。

    >Q 会見できるなら、宇宙人はどういうタイプの人種ですか?
      A 要望切実

    何か切実な要望を持ってくるということでしようか。むしろこちらのほうから要望はたくさんあるのですが。なかなか難航しているといったことなのか。それと も新神話に何か要望があるんでしょうか。
    ⇒ きっと、新神話が神々や宇宙文明に高圧的に作用しているのかも知れません。邪神は粛清し尽くすとか、協力しなければ宇宙を廃止するとか。

    >UFOと覚醒的に会うと、正常な生活が壊れると思いますが、いかがでしょう。変人奇人のレッテルが貼られることに耐えられるでしょうか?

    あなたの解釈どおりになると思います。他人から見た目よりも、顕在意識では処理できずに発狂する可能性があるということでしょうね。


    12・22 >Q [ a 「一回だけではない」]
      →もう何回も会っているということ?今後何回も会うということ?物が消えるのはそれ?  
     A 意見書相次ぐ 「共存の制度を」

    (新神話では)宇宙文明のほうが科学は発達しているものの、宇宙存亡の鍵はこちらが握っているので、共存できる制度を整えたいとの意味かも知れませんね。
    ということは、未だに宇宙文明は邪神側の司令のもとにあるのでしょう。邪神も宇宙人を介して交渉のテーブルを設けたいのかも知れません。 では、遭えるのは直接邪神か?

    >Q 今後、森野さんとの会見では、記憶を消さないようにお願いします
     A 不安の声

    上に書いたようなことがまずありうるわけですが、もしかすると次の回答と関連することなのかも知れません。

    >Q [a 要望切実]→どういう要望ですか? 
    A 光 

    彼らとの会見は、肉体では無理なのかも知れません。つまり、顕在意識では不可能なのかと。
    夢 見の体という波動レベルの違う域でならOKなため、催眠術にかけられるというより、会見自体が夢の中で行われていて、夢をいかに思い出せるかにかかってい るのかも知れません。ならばこちらの問題になり、夢見の達人になっておく必要があります。しかしそれも、地球の次元上昇で彼らの領域に近づくため、容易に なっていくと考えられます。

    それから「光」ということから思うのですが、これのことかな。
    次元の隔たりをクリアーするス テップだったのかも知れないことが、もう20年以上前にありました。ピラミッド瞑想中に、発光する白球UFOに眉間(第三の目)に飛び込まれたのです。そ のとき視界全体が白光の海になり、私は発狂したと思ってその状態から必死で逃れようとしたので、すぐに正常に戻ったわけですが、その状態というのは、ラー マクリシュナがカーリー女神に会見したときに似ていることが、あとで彼の自伝で読んで知ったようなことです。
    つまり、宇宙人は高次元の者というわけで、私はそれを受け入れていないのです。
    きっ と「切実要望」はもういちど光を受け入れろという意味ではないか。あの光をもういちど受け入れることができたら、私も幽肉の構造が変化して肉体で会見でき るのかも知れません。あのときは予備知識がなかったので逃げてしまいました。エジプトのファラオも太陽神(星UFO)を身に帯びるために、ピラミッドの王 の間の棺桶に横たわっているのですが、神的な宇宙人との会見には必要なことだったのでしょう。吉村作治氏のピラミッドの中でファラオが行っていた儀式の映 像は衝撃的でした。
    さらに言うなら、これがカバラの流れを汲む皇室やフリーメイソンやスカルアンドボーンズなどの秘密儀式の原型になっているわけ です。が、彼らのやっていることは形骸にすぎません。太陽神を真に受け入れなくては、為政者(リーダー)になってはならないというのがほんとうではなかっ たでしょうか。だから、古今の皇室にも、秘密組織にも世の指導能力はないと言えます。
    私もいまいちど、ピラミッドを作って、UFOの訪問に応じてみたいです。

    >Q 森野さんとはどのように会う予定ですか?
      夢で?直接会っても忘れさせる?        
    A 運営すべて手作り

    手作りバージョンで会ってくれるということですよ。
    イリュージョンであることは何においてもそうですが、私に合ったやり方を工夫してくれるのでしょう。
    実 はね、23日夜から24日朝まで激しい腹痛で眠れなかったのです。何度もトイレに行って出すんだけど、下痢ではないんです。朝方になってようやく痛みが引 いてきてわかったのは、心臓に原因があるということだったのです。何時間にも及ぶ狭心症ないしは心筋梗塞だったみたいで、最後には左上腹部痛だけ残りまし たから。つまり、臨死しなければまともに会見できないということだったかも知れません。
    しかし、そんな危険なことをされても困ります。間違えれば、火の鳥に変身して新神話を敢然実行してしまいます。いちばんいいのは、心臓を治し、夢見がしっ かりできるよう促進してから会う、それも早くというのがほんとうでしょう。
    いつかさんが気がつかれて次の質問をされているように、私の関わる宇宙人は異次元(しかもあの世の次元)の存在であり、特別の手作り仕様の場(臨死つまり 中陰の場)を用意しようとしたのでしょう。しかし危ないなあ。
    あちらの技術では直接会見は無理なのか。それとも私の相手が特別なのか。クラリオン星人ではないのですね。


    >26日
    >Q UFOで来ている宇宙人は、異次元の存在ですか?   
      A 源 (「財源」から抽出)

    創造の源あるいは拠って来たる源(霊界次元)からUFOで来ているということか。
    まさに想像する星の子UFOそのものです。
    古代中東では、高い山の向こうから大挙してやってくる星の子を先祖霊(ウルバン)の帰還と信じて盂蘭盆会を催しました。これが仏教とともに日本に伝来した のです。

    >Q その宇宙人と森野が顕在意識で直接会うと危険ですか? 
      A 問題 提供 複数回
      (表見出し━「期限切れ野菜提供 ラベルはがし複数回」
       →総合的に、問題ありということか)

    ど うしても地上への顕われは遅れが出ます。神界でまず事が済んでも、地上には遅れて出てきますから、情報が陳腐化するということなのか。時代はどんどん流動 化しているのに、期限切れ情報がもたらされても混乱するだけです。ジュセリーノの予知夢でも流動化の波に?まれて変更され、混乱の元となっているのに、宇 宙人との直接会見ならいっそう時間がずれるということなのか。
    そして依然、ラベルはがし(記憶消去)を慣習にしているふうです。発狂の不安があるという理由ですが、はがしがあると何にもなりません。それだけで、こち らではさらに記憶を思い出すまで時間がかかり、情報は陳腐化してしまいます。
    いずれにしても、問題があると言っているようです。では旧態依然としたチャネリングしか方法がないというのでしょうか。それでは普通の人を納得させること は到底できないのです。ほんとうに、箸にも棒にもかからぬ、まどろっこしい三次元密度世界です。

    ん? もしかして異次元の宇宙人とは、天上人の宴に出てくるロアーなのかな??
    http://uumusou.yamanoha.com/story/tenjobito8.htm
  • 行 く年をふりかえり・・・2.この年、弥勒が誕生した
    新神話の筆者が、この時代劇の舞台もオオトリを迎えようとしていると、以下 の記事を書いたわけですが、
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-551.html
    同時シンクロ的に、身内さんが弥勒降臨のメッセージと証拠写真をもたらしてくれました。
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-552.html

    新 神話では、神界で正神軍と邪神軍の衝突があるときに、火の鳥が白龍に伴われ、邪神掃討に参加し、邪神とその配下の神々を徹底的に焼却消尽してしまうわけで すが、そのとき地上では弥勒が降臨し、正義をかざす草の根運動として台頭することにしています。火の鳥登場は神話の舞台のオオトリでなされるわけですが、 対応する地上界のオオトリは弥勒降臨なのです。神界の成り行きの結果が直ちに地上界にあらわれるわけではなく、また何らかの納得のいくシナリオが付与され てあらわれるため、時間的に遅れがでるわけですが、そのシナリオが弥勒降臨という課程なのです。

    弥勒は既成の価値観や思想、概念を覆す働きをするため、人々の慣性的な平和や幸福とは相容れない場合があります。政情不安や戦争など不吉な出来事を伴って 現われるとされる未来神であり、それがとうとう兆候として現れてきたというわけです。
    現 実とどうシンクロするかは、今目下みなさんが感受している金融危機にはじまる世界全体の没落と惹起されざるをえない新しい大域戦争の足音としてあらわれつ つあり、同時に旧来の支配体制の不正義の暴露と急衰退、そして事情を知った市民の正義の運動の激化としてあらわれてくるはずのものです。
    この動き を封じようと、為政者たちは騙し懐柔し、あるいは暴力的に鎮圧し、いよいよそれでもとなれば偽装テロによる外患作りで国民の怒りの矛先を外国に転ずると いったこともしだします。とにかくすべての国の国家経営が破綻しますからボロが出てこざるをえなくなり、それがいっそう単純に国民運動を過激にしていきま す。
    その前に大国は核戦争までして人類を地獄の道連れにしようとします。しかし、そこであらゆる神話に言われていることは、このとき地球外知性の 圧倒的科学力による介入がなされ、地上の邪悪な軍事行動は封じられ、水爆戦争による甚大かつ全滅的な被害には至らないで済むということです。
    しかし、その土壇場まで人々は死の恐怖の中におかれる。そのときに生きようと心から願った人は生存の道を、諦めても死後また地球に関わる道をたどることに なります。

    そのとき、オバマが弥勒なのかという質問がありました。
    弥勒は特定の人物として現れてくることもあるでしょうが、本来は正義の草の根運動として出てくると私は捉えています。つまり、その指導者が弥勒の代表とい う言い方はできるかも知れない。が、それはたった一人ということはないということです。
    オ バマがそうかどうか。その可能性はあります。彼への政権移譲時にあまりにも多大な問題が押し付けられています。それも邪悪なブッシユ一味によってです。 きっと米国を助けようとするなら、世界にものすごいツケを回すことになり、それがもとで第三次大戦が起きるかもしれません。弥勒降臨は戦乱を伴いますか ら、どうしようもないです。しかし、その結果として、新しい時代がやってくるのです。
    そのとき、もはや為政者たちの都合で隠蔽されたものはどこに もなくなります。真実がいきわたり、それが新しい時代の基礎となる英知になります。さらに宇宙の知性が入ってくるので、科学は飛躍的に進歩するでしょう。 寿命も延びます。また誰しもが、UFOをひとつあてがわれ、それが自家用車のようになるでしょう。結果的にそこまで行くようなきっかけを作る動きが弥勒運 動なのです。

    すでに弥勒は生まれたという空海のお告げがあり、それとともに亀甲紋が鶴の絵の上に出たことにより、「鶴と亀がすべる」とい う事象が満たされ、「後ろの正面」にいよいよ北東に座する弥勒菩薩がおでましになるということになります。来年はその現われが具体的に出てくることになり ます。
  • マ シュー君のメッセージは新神話の前提と同じ
    マシュー君のメッセージの森田さんの最新翻訳から
    http://moritagen.blogspot.com/2009/01/blog-post_14.html

    「地 球は、私たちの宇宙にある何十億の銀河系の中でも小さいほうの銀河系の、どこでもあるような太陽系の中のひとつの小さな惑星に過ぎない。その惑星は神のお 気に入りの場所のひとつだった。そして、実際にエデンと呼ばれるパラダイス(楽園)だったんだ。その輝くオーラと汚れのない美しさによって宇宙のこの領域 では模範的存在だった。そして、それが神が創造主と供に、愛と光エネルギーの中に共同して創造するパワーの証しであった。その当時、闇の勢力が宇宙を苦し めるためにやっていたあらゆることの中にあって、この惑星はその反対の存在だった。そこで地球を征服することが彼らの目標になったんだ」



    新神話は出口王仁三郎の国祖封殺神話の考え方に則っています。大過去に何か異状があったに違いないという思いを、彼の思想がバックアップしてくれているの です。それがあらためてマシュー君のメッセージで確認できたようなことです。

    バ ラク・オバマ大統領の就任演説に篭めたメッセージに、闇の手先、世の地の王たちがブーイングでまず応じたのが株価の大幅下落でした。その後、どんな警告を 彼に与えてくるか分かりませんが、あの世界の見守る席上で、正義と真実の方向に舵を切ることを言明したことは、彼を通じて世界世論の広大なうねりを形成す ることは間違いないでしょう。
    まず何がいけなかったかが世界衆目のもとに吟味されることになります。地の王たちは自分たちのしてきたことに恥じ、その反動でとんでもない暴挙に出てくる かもしれませんが、彼らが世界中で追い詰められることは明らかです。

    バラク・オバマとは、クラマ⇒オバマ すなわち、鞍馬から出て小浜に出た指導者、サナート・クマラを象徴的に意味します。
    小浜の位置は、畿内の生命の木の図柄の「ケテル」の局に位置します。すなわちサナート・クマラが隠れ座の「ダート」を出て、「指導理念」の座に座ったことを意味するわけです。
    111.gif

    弥勒とはサナート・クマラのことであり、彼の神霊が入った者のひとりがオバマ大統領だということです。
    人は神霊の宿る鏡ですから、特定の人が預言された人物というわけではありません。
    国祖を助け参らせる神々の中でも最強の神がサナート・クマラ(毘沙門天)です。彼の眷属とともに、地上浄化と救済のプロセスに入ります。
    どうして母が今頃夢に出てきたのでしょうか。 きっと毘沙門天の眷属として、良識ある人々の心に働きかけ、希望の灯をともすためにやってきているに違いないです。位人身を極めるべき資質をいま、オバマ 大統領、さらに次の時代には悠仁様に憑依することで叶えつつあるような気がします。だって、霊魂は死なないから、ほん都合がいいのです。
  • 武 良さんから大国主命の写真をいただきました
    グッドな映像だと思います。
    これは出雲大社本殿前の像を撮影したもので、生きているようでしょう。
    実は、生きているんです。
    復活しています。

    武良


    DSC00066.jpg

    DSC00067.jpg

    DSC00070.jpg



    このようなときにタイミングよく大国主命の写真をいただこうとは思いもよりませんでした。
    国津神がどんどん自由度を獲得し、縦横無尽に飛び回る様が写されているとき、国津神の頭領の力強い写真をありがたく拝受。

    武良さん、ありがとうございます。
  • 前 新神話ともいうべき作品
    新 神話の全宇宙に与える影響のほどは、この地球上から眺めるだけでも多大であると推測できる。というのも、ここにある宇宙は私の(励起する)ものであるから であり、私の設定するシナリオどおりに運んでもらわねば困るわけだからである。もし同じ宇宙を眺めている方がおられるなら、それは私の同士であり、私の方 針に認可を与えてくださっていることになる。もし不同意なら、今すぐにでも、あるいはとうの昔に、別の宇宙に臨んでくれていればいい。

    2000 年着手に始まる現在の新神話は、とても善良なものになっている。善と正義と純粋を世界の理想として目指すものになっている。かつての邪悪、陰謀、残虐など は、その根である悪しき神々(邪神)の所作として、邪神の完全なる抹消によって、これらの不徳を世界から消滅させようというわけである。これに不同意とい う方は、これらの不徳の犠牲に少なからずなってきた経緯がある以上、まずおられないだろう。不徳を好んで推進してきたヤカラは、邪神とともに殲滅されるか ら、どこにも不同意の者はいなくなるという道理である。いや、不徳のヤカラにも温情を以て助けてやれないかの問いには、人であったという弱い立場を斟酌し て考慮されてもいいだろう。だが、神という立場を利用した邪神にはこの斟酌はない。
    このように、現在の新神話は、ほとんどの有情を救済し、邪神の仕組んだ重いくびきから解放する使命を持っている。邪神の消滅を以て、悪夢の幻影はみんなの 前から消滅することになるという道理である。

    さ て、それ以前にも局地的ながらも、新神話はあった。前新神話は、旧神話の古事記を解読した結果得られたのであるが、日本の国が奇妙なシナリオで動いてきて いるという、必然性のようなものが見られたのである。日本から起こして世界は、人類文明の黎明期からこのかた、謎のコントロールがかけられていて、その背 後に何があるのか定かではなかったが、ただひとつの言葉、秘教組織という仮想媒体を仮定するとき、その目論見、陰謀計画が見えてくることを発見したのであ る。その流れの中で、古代世界、古代日本、そこから現代に至るまでの奇妙な計画、神の計画と言い換えてもいいものが見えてきた。そして、その計画下にある 限り、人は真の幸福にはまみえることができないと思われ、当時私自身、世の万事に失望を抱いていたことと、その失望を招いている元凶が謎のコントロールに あり、秘教組織の策謀であることから、かかる不幸な世は早期に終わらせるべきとの考えから、この著書に呪詛を篭めて世に出した。その著書名は「古代日本に カバラが来ていた」で、売り切れた割合で、秘教組織に牛耳られた日本が崩壊すると呪縛をかけたのであった。
    ところが、出版前夜に阪神大震災が勃発 し、それがわが在所で起きたものだから、まず呪詛の効果に驚愕し、被災地の悲惨な有様を目の当たりに見て、流通を自粛しようと決めたのである。ところが、 出版社が自粛の意向を無視して市場に出してしまい、私は厳重抗議して、第一次返本のすべてを回収させたのであった。これにより、全部数の65%が売れるこ ととなった。その当時を見ると、バブル崩壊、大震災などで国の富の六割五分ほどが棄損されていなかっただろうか。これにも効果のほどを見た気がした。
    も しあのとき、ためらいもなく回収せずにいたなら、日本から勃発した世界恐慌から、1999年7の月には恐怖の世界が訪れていたかも知れない。私が思いとど まったことに褒美をというのでもなかろうが、1999年末に人間関係に朗報がもたらされた。その喜びによって、新神話は善良なものに変化することになっ た。

    今私は、抱え込んだ三割五分の著書を、どう始末していいか困っている。これがあると移動しにくくもある。
    世の中を見ると、日本は依然として秘教のコントロール下にあり、いっそう衆生の幸福とはかけ離れつつあるようでならない。だらだらと世界も不幸の度が増し ている。いちどは神への捧げ物として廃棄処分にしようとしていたみぎり、再びこれを売り切ろうと思うのだが、如何。
  • 大 政奉還の意志ありやなしや
    邪神側には大政奉還の意志なしと見るしかないのかな。
    未だに小泉など売国ゴロツキの強弁を呼ぶほどに、影のコントロールを強めているというわけですから。
    小泉などアメリカに国と富を持っていかせようとする売国奴であり、古事記が預言する売国密約の継続的実行者なのです。
    参考サイト⇒http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/31aee8c5143f384fd00cace44845ab3a
    麻生は統合失調者とはいえ、まだしも日本のことを思っています。そんなくだらないことで政局紛争だけに時間を浪費していたら、麻生も含めて邪神側の八百長 猿芝居と断ぜざるをえなくなります。
    さらに言えば、二大政党制など互いに八百長のプロレスを見せ付けられるようなことなんでしょう。議会政治それ自体がとうの昔に破綻しています。これ以上の システムはないと誰が決めたのか。馬鹿げています。もっと英知を振り絞ったらどうなのか。
    麻生に求めるのは、窮鼠猫を食むで、小泉一派の疑獄を白日の下に曝すことです。沈黙が大事とか言っている山崎ほか旧態勢力に耳を貸さず、隠蔽された陰謀の 数々を、総理自らの口で明確に論ずべきです。
    大政奉還に応じる証拠として、あらゆる陰謀の暴露とその首謀者と傘下の者たちの捕縛までが速やかになされる必要があるとしておきましょう。
    期限は地球時間で、2009年6月末。それまでにその動きが見られなければ、邪神とはもはや妥協点なしとして、正神は総攻撃に入ります。

    そんなことを書いていたとき、ベンジャミンさんの情報にこんなのが出てました。
    http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2009/02/9%9C%B2%E333%81%9F.html
    これが本当のことになるなら、大政奉還の意志のひとつの表明になります。
  • 天 上人の宴も新神話に接続できるか
    象の墓場は異界の入り口。
    宇宙人との会見も異界の入り口で行なうべきこと。
    1990年代に作っていたネアンの神話「天 上人の宴」はいわば元祖ですが、どうやら新神話最新版(10章11章)とこの物語がシンクロしてまいりそうな気配。
    もとより私の道楽から出たことであり、またそのようなことも可能になってきたかなという立場から、環境設定から考えてみました。

    天上人の宴では、主人公ネアンの居住しようとしていた山深い場所にある住居の名前が「寧庵」という名前であったのですが、宇宙人社会は主人公の名前にして しまいます。
    それで次のような庵を設定しました。
    -良寧庵-

    すると早々と、私が宇宙人と目していたN氏(宇宙語を流暢に話します)が接触をとってこられました。
    -どこか山おくんどかな-
    彼からの暗号文です。
    -宇宙技術で探し当てられては-
    私からの返信です。
    脈が大有りでしょう。

    新神話では地球文明が危機に瀕するとき、宇宙から積極介入が図られ、地上の混乱を接収してしまいます。
    誰かが勝海舟のようにして宇宙文明社会との窓口にならなくてはならないとき、同時並行的に誰か先見者が導入に力を注いでもいいのではないでしょうか。
    旧神話でも、猿田彦が天神の降臨に先立って道案内を買って出ます。
    猿田彦はいわゆる天狗さんです。鬼の形相をした大天狗です。鞍馬天狗でもあります。
    贅沢ながら、猿田彦の雛形も手に入れたく思います。
    こうして、二本角の鬼の顔を見立てた板に「良寧庵」と彫り込んで、看板といたしました。
    IMGA0835.jpg
    実はこれはアンティーク調椅子の背もたれ部なのです。二本の杭が鬼の牙のようで、なかなかいいでしょう。

    さて、2/27は朝から雪の中。
    IMGA0828.jpg
    2/28は朝から晴れ渡り、
    IMGA0831.jpg
    下界は雲海の下に海没して、まるで仙郷の様相。
    蓬莱山はかくなるものかとの思いもさることながら、密林が邪魔して台無しでありました。
    IMGA0833.jpg
    みなさんのお越しのときまでには、南から西の眺望は堪能できるようにしておきたいものです。

    千客万来。地球人でもよし。宇宙人ならなおよし。
    地球のオアシスとして経営していく所存です。
    なお、UFOはむろん、宇宙人も写真に収めて、ここで公開できたらと思っております。

  • 小 六時代の神話
    私は小五のときに盲腸炎で手術をした。一週間の入院ののち、一週間の自宅療 養で学業に復帰した。が、それまで外で遊ぶのが常だったのが、まったくの引き篭り児童になってしまった。というのも、予後不良で腹痛が起きやすい虚弱体質 になってしまったからでもある。
    学校から帰ると、空想の世界にはまり込むようになった。様々な玩具とも言えないような品物を、人や乗り物に見立ててストーリーを組んだ。いちばん大事にし ていたピストルの玩具はいちばん高貴で優秀。その弟や妹が玩具の数だけいくらもいて、高貴さは準じている。
    彼らは、あるとき不思議な「玉」に出会う。その玉は何でも願いが叶う玉であり、彼らがそれを手に持って念じれば思いのものが目の前に現れ出る。玉はそれに 念ずることで、同じ力を持つ玉を複製できたため、それぞれがひとつずつ持つようになった。そのうち、彼らは玉をそれぞれが飲み、手に持っていなくても、た だ想像するだけで、その通りのものが現れるようになった。それだけではない。玉の持つ不思議な力によって、彼らは不老不死かつ不死身となった。
    彼らはその境涯を活かして、宇宙を旅する。思い通りだから、彼らは小さな多孔質の軽石の穴の中に小さくなって住み、隕石のように宇宙を旅する。玉から魔法 の絵の具を作り出し、壁に描いたトンネルを通って、向こう側に別世界とストーリーを生み出した。
    玉を使う長い時ののち、彼らはこの玉とはいったい何なのかを探る研究に入った。そのために、彼らは眠りに入り、玉の中の世界を夢見る。彼らは高貴にも眠り に就いているが、夢の顕現は別のキャラクターになり、粗野な冒険的経験をしていく。様々な経験を通して、玉の性質を明らかにしていくのである。
    当初、この神話には妹も一枚噛んでくれた。しかし、やがて私ひとりの想像の世界となって発展していき、中二の頃ようやく体調が回復するときまで続くことと なった。今から思えば、不思議な神話創造の時代だったように思う。
  • 身 内さんの見た夢
    四月四日の未明に身内さんの見た夢

    いったいいつの時代のことだろう。前世のことなのか、夢見の世界でのことなのか、夢に出てくる時空は本人にとっても、時代背景が分かるすべのものではな い。ただ、夢が指し示す重要な暗示と啓発がある。それが夢見る本人にとって、あるいはそれを知らされた縁者にとって、非常に重要な示唆をもたらすものとな ることが多い。
    このたびの身内さんの夢の内容は、本人のみならず私にとっても大事なものと思われたから、ここに記す。それは新神話を補完するものとなろう。

    身内さんの見た夢の概略

    夢の中の時代および背景についてはまったく分からない。身内さんはある妙齢の女性になりきっている。良家の子息が彼女に一目惚れしプロポーズ。ところが子 息の側近が怪しんで彼女を捕らえ、四人の巫女に審査させることになる。周りはみな彼女のことを疑っていて、明らかに不利が読み取れた。審査で不審の結果が 告げられれば、死刑にもされかねない。巫女たちは超能力者で、その能力で彼女の行動を封じることができる。そうやって、自由が利かない状態で連れて来られ た良家の家は、門を入ると水晶の玉砂利が無数に敷かれ、その一つ一つさえも相当な宝のようだった。それを踏みしめながら、審問の場に引き出された。彼女の 手の右左それぞれを巫女が一人ずつ握った。すると彼女の中に電気のような痺れが走った。ところが、二人の巫女もびくんと電気に打たれたようになり、それ以 降、彼女のほうに巫女たちのパワーが流れ込んできた。明らかに巫女たちは、彼女の側に味方していた。そのように感じつつ夢から覚めた。
    目が覚めると、いつもの朝とは異なり、全身にパワーがみなぎっていたという。

    いい夢だ。身内さんがごくふつうの人からどんどん巫女の能力を獲得していることを暗示している。
    また、夢の中でパワー(気)の源泉を見つけ出し、そこからパワーを取り込むことに成功した。夢見の達人になる重要な課程だ。
    不利な立場からの逆転。それがすごくいい。おそらく夢がさらに進めば、巫女の四人ともが彼女に加勢することになることが暗示されている。夢の中で敗北の経 験をしたなら、同じ夢の中に戻ってでも解決乃至は勝利してこねばならないのが巫女戦士である。その鉄則をみごと達成している。
    しかし、良家の息子のプロポーズが叶ってしまうという筋はいただけない。それが彼女の魂にとっての宝を手に入れることが暗示されているならまったく申し分 ないが。おいおい。(^^;;;

    そこでひとつ、愚痴っておこう。
    いかにも高貴と思われるその館の主に、どんな高貴さがあろう。人徳によりその境涯を達したとなら、目下を自らの作った掟で縛ったりはしない。不義でかつ権 力を誇示して富を形成し、富の力で手下をして裁判の判事にし、その張本人自らはいっさい手を汚さぬ卑怯者こそがその館の主であり、後継者はさらなる二世愚 者であるにすぎない。その後継愚者の思いつき横恋慕によって、どれほどの善人義者が苦しめられているか。唾棄されて然るべき愚者である。
    そのような体制について、みなさんはどこかで聞き知ったことがあるだろう。インドのラージャなどがその好例だ。カーストのバラモンに次ぐ高位を占め、富と 権力をほしいままにし、ラージャの地位を築いた者はともかくも、その後継門閥など、低位のカーストの者をさげすみ、己が判断でどうにでもできると考えてい る。その理由をバラモンなど神官層をして、前世因縁によると言わしめる。ところが、誰も前世因縁の記憶がないのだから、あてこすりであろうがなかろうが、 現況を見るだけで、権力を以て何とでも言いたい放題なわけで、あきれた妄想話ということになる。インドをバラモンの国、聖者の国だとか、霊大国とか言って いるが、詭弁もはなはだしい。その霊大国が、核兵器を開発し、その力を以てせねば優位が保てないというのだから、何が聖者の国かと笑ってしまう。最近に なってあの国から聖者がいなくなったのではなく、もとより偽の聖者ぶった者たちが支配した国だっただけのことだ。一度として、聖者が不平等なカーストをな くそうと運動したことなどない。偽善者どもの集まった国に過ぎないのだ。もし、彼らの背後にいる神が、カーストをそそのかしたのなら、原因ははっきりす る。そう。背後にいる神とは邪神に他ならない。聖者たちは、邪神に付き従う手下でしかなく、とならば、万民にとっての敵である。絶対に許すべきではない。 邪神もろとも帰零される必要がある。そうすれば、バラモンや聖者など、地道に己が自己保身に終始し修行に明け暮れてきた今までの多大な転生も、まったく無 意味だったと知ることになろう。そう。正神は彼らの良心がどこにあるかを見る。それが少しでもあるなら、どの時点かで改革のアクションを起こしているべき であり、それがないとならば、邪悪を知りながら、邪神を擁護し支持していたことになるわけだから、邪神もろともゼロになっても不合理はないということだ。 今まで権力と階級にあぐらをかいた分、先がないと知るべきだ。

    私にとっての喜びは、身内さんが夢見の中で勝利したことだ。不利な状況を、ものの見事に逆転してのけた。その経験は、たとえ夢幻のことだったとしても、本 人にすごい自信と魔法力を与えることになっている。私は、全力を尽くしてそのような彼女を援助する。援助して、援助し甲斐のある長足の進歩を遂げているか らである。私は、それが長老の集まる評議会、つまり言わば閻魔の前に居並ぶ評議衆による採決であるなら、評議衆の座に乱入し、閻魔もろとも評議衆を腰の大 刀で叩き切る。正神である閻魔や評議衆なら切るわけにはいかない。が、それらは邪神の成り代わった偽者だから、世のためにならぬと叩き切るのである。

    邪神側の手になる旧神話の訂正

    国祖神たちの正義と平和に彩られた時代を終わらせたのは、宇宙外からやってきた邪悪な者たちだった。国祖神の執政下ではやっていけなくなりそうな心やまし い側近たちを、このインベーダーはそそのかしてクーデターを起こさせたのだ。
    そのとき国祖神側に居た妃や侍女たちの多くがその光景を記憶して宮廷を離れている。そして、転生して巫女となり、あるいは捲土重来を期して戦士となった。 そのようなひとりが身内さんである。
    彼女らは、成り代わった邪悪の神々の追っ手に追われる身となった。持子早子のいきさつも、でっち上げ話に他ならない。国祖神側に就けば、この境遇に甘んじ ねばならないと脅されているのだ。だから様々な転生の中で、苦難に遭遇したりもする。彼女が夢の中で囚われたのも、そのような過去の経験によったりしてい る。しかし、今や正神のほうが圧倒的優位に立ち、邪神側に就いていた者たちが、ようやくその愚に気づき、寝返っている。その末端における現場を身内さんは 身を以て体験している。そう。身内さんに宿る真実のパワーが、ありとあらゆる邪悪と闇を駆逐していく。その現場を彼女は夢で経験したのだ。
  • 閑 をもてあました神々の遊び





    神々のみなさん、ストーリーをあんまり難しくせんとってえな。しんどいわ。

    それと、烏がないとるで、ぼちぼち家に帰りましょ。
  • ネ アン、良寧庵を体現す
    古家は古家というわけでしょうか、ベランダの屋根を支えている二本の大きな 丸柱ですが、どちらも縦の亀裂が何本も入っています。そのうち、入り口側の一本が、ここのところ傷口を広げている感があり、このままではいつ屋根の荷重に 耐え切れず、屋根ごと崩壊するか分からないため、昨日は思い余って、ホームセンターに駆け込み、資材を購入して、朝から夕方までかかって荷重分散の工作作 業をいたしました。
    kiretuhidoi1.jpg

    造作の見かけは不恰好ですが、目的は達したと思われ、不思議なことに、ここのところ椅子に座ればたいがい偏頭痛が起きていたのが、以来、嘘のように起きな くなりました。血尿の兆候も今はありません。皮膚科通いした指の怪我もほぼ治りかけてます。
    樹木の伐採や、住居のコンディションを自分の身体に反映してしまうのだなあと思ったことでした。それこそ迷信だろうと思われるかもしれませんが、一種のセ ンサーのような気を周囲に発していると想像すれば、環境の体現化も頷けようかというわけです。感覚能力の拡張ですね。
    そういえば、人間を含む霊長類だけらしいですね、視力が光の三原色だけに感知しているのは。他の種族はすべて紫外線の感知能力も持っているそうです。その 眺める世界は我々とはかなり異なっているとのこと。鳥を自認する私に、別のおかしな能力があっても変ではありません。今回の補修工事、職人さんから見れば お粗末な限りでしょうが、私の感覚が、もう大丈夫と感知しています。
    あともう一本の柱の補助をすれば、しばらく安泰でしょう。この方面からの健康管理も必要だなと思ったことでした。
    kiretuhidoi2.jpg
  • キ リストは正神を目指す途上にある
    人間とは、アリンコの如く、一寸先も見えない存在だ。
    人間・イエスキリストもそうだった。
    当時彼は、未来において世界最大の宗教を形成するもといになるとは、よもや思わなかったはずだ。
    彼のした行為は、真理を体現し、述べ伝えることだった。聖者ならたいがい慣習としていたように、人間愛に基づき、後輩に知らしめたいことを、弟子をとって 教育していたに過ぎない。その弟子たちが、何か野望を持って、広宣流布したというのでもない。ただ、メシア待望の空気に乗ってしまった宗団があったという わけだ。
    彼らを利用したのは、邪神の手下としての為政者たちであった。同時並行的に現れたマホメット率いるイスラム勢力に対抗する宗教として擁立されたのだった。 こうして戦闘勢力としての教団が政治と結びついて巨大化していった。
    キリスト教は、その教義、あるいはキリスト自身の意志とは裏腹に、世界最大の殺戮勢力となって君臨し続けた。それによって、キリスト本人が正しい神だとす る認識が誤っていることが分かる。もし彼が神ならば、教団の横暴や戦争で死んでいった者たちへの責任を取らねばならない。

    私のもとに、メイさん身内さんを通じて、正神に準じたいとサインを送ってきたのは、弥勒でありニギハヤヒだった。彼は、古代日本にメーソンの使者として革 命を起こすべくやってきた。メーソンの世界統一の理想を最善のものとして、彼自身は理想に燃えて取り組んだのであった。しかし結果は、歴史が物語るとお り、理想とは程遠いものでしかなかった。彼は騙されていたのだ。そのことに関して、彼は単に先の先までは読めない人間として振舞ったに過ぎない。が、彼が 正神たらんとして改悛の心で臨むなら、かつてあった過失をまず償おうとするものである。私としてはその贖罪行為を以て計るしかない。有言実行。それが求め られていたわけだ。そして、実際に正義の台頭、つまり正神勢力の拡大という展開として証されてきているゆえに、彼は正神たりうると考えるものだ。

    その点、キリストからはまだサインがない。そう思っていた。しかし、荼毘珍はじめ古代のキリスト教成立時の経緯などが、冒険的な研究者によって明るみに出 されることで、彼がでっちあげられて神キリストとなったことが明らかになってきた。そうやって、まず彼は原点に立ち戻ることから始めていると見られるわけ だ。やがて彼は、創られた虚像であるキリスト教会を解体するところまで持っていくことであろう。そうして初めて、彼はしてきたことの事の顛末までの清算を 終えるのである。かくて抑圧的な世界宗教から受けていた呪縛から人々は解き放たれることになる。原罪意識の悲しみの池から、多くの正神たちがケアーの手を 差し伸べて救い出すことだろう。
    キリストは正神を目指す途上にあって、いま奮闘努力しているところである。身内さんはお見通しだ。
  • ゾ ロアスター教と救世主
    ゾロアスター教の資料、ブンダヒシュンによると、世界創世神話のあらましは こうである。

    オフルマズド(アフラマズダー)の創成した庶類は三千年の間、メーノーグ相にあった。ゾ教によると、万有はメーノーグ的なものとゲーティーグ的なものに分 かれる。前者は不可見なるもの、後者は可見なるものの意だが、といっても前者は非物質というのでなく、組成元素が微細なために不可見というだけである。時 としてこれを霊質という。

    この三千年期が終って、次に九千年が続く。 これを3つに分けて、第一・三千年期において、光明神であるオフルマズドは、メーノーグ相に暗黒勢力のあることを知った。それはガナーグ・メーノーグ(破 壊的不可見者アフレマン)であり、たくさんの悪魔的庶類を地下界において生産していた。この事態に、計画を阻害されると考えたオフルマズドは、大呪アフナ ワルを唱えて彼らを錯乱させ、手出しできなくさせた。

    その、三千年の間に、オフルマズドが庶類をメーノーグ的なものからゲーティーグ的なものに展開し、この時、被造物の原型が登場した。たとえば、この可見の 宇宙、水、地、原草木、人間の原型(原人)、火、風、天体などである。

    ところが、第二・三千年期が開始されると、ガナーグ・メーノーグが目を覚まし、庶類と共に、オフルマズドの世界に侵入。このために世界は善悪混合の幕開け となった。むろん光明神側は、暗黒神側に対抗し、ついに、ティシュタル星(シリウス星)を用いて、地上に大雨を降らせ、大洪水を引き起こした。

    これによって、クラフスタル(害毒を及ぼす蛙・蛇・蠍・毒とかげなど)はみな死滅したが、毒気が大地に混じたので、それを浄化するのに攻防。その過程で七 大州が出来たりした。また、ワージシュト火が棍棒で悪魔アスパンジャウレフを切断した。こうした騒ぎで、水に害毒が混じり塩水化し、原草木が枯渇した。

    このため草木を主宰するアマフラスパンド神アムルダード(不死)はそれを砕片にしてティシュタル星の水に混ぜ、全地に降らせたので、一万種の薬草が一万病 に対抗して生出でた。このすべての種から多種樹が創成され、フラークカルド海中に生い茂った。 これが、あらゆる種類の草木の苗木になっているという。

    そして多種樹の近くに、白ホーム(白ハオマ)樹という、不老不死の薬を作るために必要となる木を作った。それはゾロアスターの命を受けた救世主ソーシュヤ ンス(サオシュヤント)が世界の建て直しをいずれしたときに、 万民に調剤されることになるものである。

    ところが、ガナーグ・メーノーグは、この苗木を破壊するために、フラークカルドの深い水の中に、一匹の蛙を作り出した。しかし、オフルマズドは、この蛙を 遠ざけるためにカル魚なる霊魚を二尾、そこに創成した。カル魚は白ホーム樹のまわりをたえず回っていて、この魚のどちらか一方の頭はいつも蛙に向けられて いる。彼らは霊食で、食を必要とせず、世界の建直しのときまで奮闘しているという。

    「オフルマズドの庶類のうち最大なるは、かの魚。ガナーグ・メーノーグの庶類のうち最大なるは、かの蛙。これら2カル魚は、両者の間に入ってくる庶類を双 方の呼気で真っ二つに裂くように働く体力の持ち主である」 

    ゾ教の示す、世界の建て直しが終わった後の世界は、その後あまた出てくる楽園復帰思想の原型になっているものである。人は不老不死となり無病となる。




    以上は、むかし、ある記事を書いていたことがあって、その抜粋なのです。
    その記事とは・・・岐阜県中津川市苗木地区にある丸山神社とその近隣にある苗木城跡の地形的、遺跡的考察に関するものでした。
    http://uumusou.yamanoha.com/watch/zoro.html

    これは今でも他者の追随できる話ではないと自負しています。もしよければ現地踏査されて目撃してこられたく思います。
    古代にゾロアスター教が国内に入ってきていたこと。その一証拠になろうかと思います。当時、松本清澄氏が飛鳥の益田の岩舟が拝火教遺跡という新説を出され た頃のこと。信州にかかろうかというもっと内陸部にも、中東人の名残があっても然るべきことなわけです。

    さて、ゾロアスター教の神話が、作り物などではなかったのではないかという体験を、私は数年前にしております。といっても、掲題のようにソーシュヤンスに 出会ったとか、そういうわけではなく、いやもっと荒唐無稽かも知れませんが、同神話のカル魚を目撃したようなことなのです。

    目撃したことは写真にするわけには参らないため、記憶をイラストにするしかなかったのですが、このようなものでした。
    ⇒ 奥人のスカイフィッシュ目撃談参照

    ちょうど当日は週刊プレイボーイの取材で、六甲山の地獄谷というところで、当時物議を醸していたスカイフィッシュの撮影に行っていたわけでした。武良さん と地元のクラブ参加者の坂本さん、そして記者さんと私という四人のメンバーで、私と坂本さんがほぼ同時に同じものを見て、絶叫したようなことでした。
    坂本さんは、この地一帯を幼少から踏査していて、先代からここには竜神さんが住んでいるので、不敬のないようにと聞かされて育っていて、我々が見たのは竜 神さんやで、それが今ではスカイフィッシュになっとるけど、そんなもんやあらへんで、と騒いだようなことでした。
    その姿は、一見、鯉の滝登りの絵のような格好でしたが、鯉の形はしていてもデザインが異なり、「ねじれ棒」のようであったことでした。ねじれたところに陰 影ができて、このように見えたのではないかと推測。ところが後日、イモリのおたまじゃくしも同じデザインをしていることに気付き、またちょうどその頃、武 良さんが別の機会に地獄谷で撮影していた映像の中に、それらしいものが捉えられておりました。
    ⇒ スカイフィッシュ目撃報告 その後譚

    それで、もしこれが竜神さんなら、これはまだ幼少期の竜でおたまじゃくし形をしていて、竜はもしかすると両生類ではないかと思ったようなことでした。
    しかし、丸山神社に飾られた鮒岩は全長10m以上。鮒は鯉に似て、ちょうど我々が目撃したもののサイズにも相当することから、もう一説として、ゾ教の伝説 上のカル魚というものではないかとも思ったようなことでした。
    というのも、坂本さんによると、このスカイフィッシュはコロニーを作って繁殖していて、その場所の水は、万病に効くというのです。ただし危険性もあり、親 になる雌雄ひとつがいが、侵入者をたえず阻止すべく巡回していて、彼らの武器は鋭い歯にあり、敵を真っ二つにしてしまうとのことです。かまいたちにやられ たというケースの多くは、侵入に対する彼らの警告だとか。

    もしかして、ゾ教神話に言う不老長生の薬木・白ホーム樹とは、カル魚のコロニーのことで、カル魚は自らの子孫を守るために、白ホーム樹ならぬコロニーの周 りを回っているということなのかも知れないのです。コロニーは半透明、つまり白で、ホームベースのような形をしており、カル魚は二尾いるとされますが、ス カイフィッシュの親も雌雄二尾ということなのです。

    この不思議な人物・坂本さんには、一聞してホンキかいなと思えるような突拍子もない話がたくさんあり、彼自身曰く、「自分は大日如来の曼荼羅の北東に位置 する弥勒菩薩であり、イザナギの尊の使命を持ってここに来ている」と仰っているのです。瞑想中に、辺り全体が海の中になり、気がつけば胸に竜魚がへばりつ いていて、「おなつかしゅうございます。あれからどこに行かれたか、皆で心配していたのです。早くお帰りください」とせがまれたとか。
    私は、彼がイザナギの尊の使命と言うのを聞いて、もしそうなら、桃の実(UFO)使いの側面を持つに違いないと思ったようなことで、実際彼は、驚異的な数 のUFO撮影をしていて、関係ないように見えますが、彼の自宅の狭い庭には唯一、桃の木があるのです。つまり、桃の実使いの側面もあるということで、彼の 今後を注意深く見ていきたく思います。
    彼は今、PCとネット世界にようやく入ってきています。ここに彼のブログを紹介しておきます。
    ⇒ 坂本廣志と多くの宇宙人たちと の交流体験

    その内容の突拍子もなさにもかかわらず、大変な数の支援者が来ていて、彼は曼荼羅世界だけでなく、こちらでも大人気を博してきているようです。
    彼が弥勒菩薩としてデビューする日も近いのかも知れません。それに、彼はスカイフィッシュにいちばん近い位置にいます。来るべき時代に万民に不老の薬を与 えることになっているゾ教神話の救世主・ソーシュヤンスや弥勒菩薩の姿が坂本さんに重なって見えてくるのは、私だけでしょうか。
  • 歳 時記的には七夕
    −涙雨お気に召さぬや父君は 日子は丑負ひ日女は波多居る−

    新暦とはいえ七夕とはなると物憂い気になるのはいかがなものでしょう。
    うぐいすは鳴いておりましたが、かささぎの兆し未だなく・・・。といったことなのでしょうか。

    かなり昔ですが、奇妙な夢を見たことがあります。
    何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口でパンフレットをいただくのです。
    手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
    たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きなグランドです。
    野球場か円形競技場といった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、私は手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に 昇っていこうとしているのです。タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルですから、まるでマンガのようでありますが、その当時あのマンガがあったもの かどうかは不明です。
    と、その前に、右側ですから一塁側観客席とでも言いますか、に、けっこう太目の白銀に輝く十字架がたくさん重なり合うように、その場を埋め尽くしていたの です。
    それを横目にして、私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は上空へと揚がっていき ます。空からは微妙な天楽(コーラス)らしき音もしています。
    と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出して、上昇を止めました。そのとたんに、目が覚めてしまったようなことでした。

    さあそれから最近になって、といっても十年近く前ということですが、その夢の話をさせてもらった人から、折り返すように衝撃発言が・・・。
    ある精神修養の道場で以前同席したという、アメリカのBさんという女性が、かつてロサンゼルス(かサンフランシスコか記憶が薄弱)の野球スタジアムの外を 通行していたとき、スタジアムの中からたくさんの十字架が空に向かって揚がっていく様を目撃(たぶん幻視)したという話をしてくれた、というのです。
    その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話をしにいくわけにもいか ず、その程度で終わっているわけです。
    その地は、大昔にウシトラノコンシンを奉祭した九鬼氏の本拠地だったというのは、後に知ることになったようなことでした。私は大本教の信者でもなく、ただ 通りすがりの部外者ではありますが、いつしか不思議な機縁の環に取り込まれたのかも知れません。
    金神の渡る橋というものがあるそうな。
    まあそのような畏れ多い伝説は別として、七夕は七夕として愛でましょうや。

    −かささぎの渡せる橋のいと細き 中立ちすくみて二の足も出ず−

    なんて見込みの良くない歌ばかりなのか。
    というのも、そのような夢も見たものですから。
    私の行くべき神社がそこにあるのですが、こちら側から渡す朱塗りのアーチ橋を渡ろうとして踏み入れると、橋が模型のように小さくなり(あるいは私が大きく なったのか)、片足置いたら満杯になって立ちすくんで目が覚めたという夢です。

    しかし、時間はいっぱいある(あった)わけでしょう。

    −一年に一度廻りて成せし子の 数や集ひて天の河なる−







    この時期、神話に思ひを置くも、また良かれかと。
  • ス サノヲ、長髪を降り振り乱して、獅子奮迅の戦いを
    スサノヲ台風は、現場に速やかに急行すると、髪を大きく振り回して、オロチ をめった斬りしています。
    現場でオロチの返り血を吸収し、雨雲を大型化させて東方洋上に去っていこうとしています。
    その姿、まっこと"男"でございますなあ。

    今回の台風9号の勇姿を見たまえ。この姿こそ、スサノヲの勇姿だ。
    susanoo9go.jpg


    こんな記事が出ています。
    http://plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/200908110000/

    台湾の研究者によれば、過去5年の記録をもとに、台風が巨大地震をコマ切れのスロー地震に変えて、抑制しているというのです。まさに台風は神風なのであ る。


    そのときの観測データーは、e-PICOさんが把握しておられます。
    大気イオン濃度の午前8時以降の劇的な低下。これもごらんあれ。

    http://www.e-pisco.jp/r_ion/data/kanagawa_atsugi.html




    地震予知もへったくれもできない、予算分捕り食いの御用研究者や御用機関などが、ご高説を垂れているもようですが、伝統的に当てになりません。

    このe-PISCOさんのような本物研究者にこそ、いっぱい予算をつけて差し上げたいものです。

    日本国中に観測点をもっと増やし、学内停電にも耐えられるような自家発電設備を備えていただきたいものです。
  • 輪 廻の原因は人の心の深奥に巣食う偽ハイラーキー・魔境と見たり
    君は私の想いと共有するところが多いので、きっと、たまろの死で私がダメー ジ受けていると思ったことでしょう。
    確かに、一昨日の晩はたまろの死に対して、自分の選択が良かったとはいえない部分で、ずいぶん自分で自分を責めました。
    それを受けて、君も自分の進路にふらつきを催したに違いないです。
    しかし、私は君の苦悩を知って、これではまずいと思ったのです。いい啓発を与えてくれたことになります。
    そして、よく後悔の内容を吟味しました。
    確かに、善とはいえない方法をいくつも踏んでしまいました。たとえば、たまろは本当は発育不良児でした。
    人間なら集中治療室に入れて治療すべき場合だったのかもしれない。なのに、初日の夜から、私の胸やおなかに乗せて、ベッドで寝たんです。
    たまろはまだ元気で、眠っていても常時身体をぴくつかせて、レム睡眠の状態にありました。それが子猫の常態なのです。
    夜中にむくっと起きたたまろは、私の声のするのどのほうに、手足の爪を立てて、やってきたりしました。
    かわいくて仕方なかったです。
    ところが二日目になると、昼間から寝てばかりです。これが子猫というもんだと考えた私は、彼が夜活動したから熟睡していると思い違いして、ぴくつきもない 状態で寝ているのを、よしとしたのです。ミルクは必須ということで、飲みたがらないのを無理にでも飲ませてはいたんです。mlも満たしていると。そして排 便の仕方もわかって、やってみるとすなおにできました。
    それで十分と思っていたんです。
    ところが熟睡を継続すること自体が異常事態だったんです。再び目を開けてから、私のおなかをよじ登ろうとしていて、手足の爪に力が入っていないのに気づき ました。
    ミルクは依然として、嫌がって飲みません。
    だから、動物病院に行ったようなことだったのです。
    先生は、まともに育つ子猫は、必ずミルクをむさぼるようにして飲むものだと。それができないのは、すでに弱っていて、おそらく兄弟猫との生存競争に負けた のだろうとのことでした。
    それで、重要なのは、ミルクを飲ませ続けることができるか。排便をきちっとそのつど処理できるか。それも2時間おきに・・・。夜も昼もです。母猫はそれを している。
    ただし、生存競争の世界だから、弱者はどうしても脱落する。そこに人が関わるなら、根気よくそれをこなせるかどうかにかかっていると言われました。
    もし、それをするなら、哺乳瓶の吸い口では大きいからねこれをあげましょうと、あのたまり瓶をくれたのです。
    私は、そこで最善の手として、後からネットなどで知ったのは、カテーテルで常時哺乳するというものでした。金に糸目はつけず、入院させたらよかったので す。
    私は眠りにくい人間ですから、自分でもできると、自分ではじめたわけでした。しかし、夜中になって、低体温化し熟睡しているもので、無理やり起こしてミル クやり、排便としました。ところがまたたまろは熟睡してしまい、そんなことを繰り返す中で、いつしか致命的に衰弱したようです。
    箱の中でカイロで保温して置いておいたのですが、朝になって、たまろは起きて、「キュィーン」と鳴いて私を呼びました。よしよし、自分で起きたかと、また 排便させて、次にミルクの段になって、また大きく「キュィーン」と鳴いて、口を開けてくれているので、飲ませやすいと、瓶を掲げたところ、三度おおきくあ くびをしました。そのときも、私はミルクを飲ませやすいとしか考えなかった。ミルクを口に含ませたところ、ひと吸い目は何とか飲んだ後、力なくうなだれま した。このとき心臓が止まったのです。
    あらゆるところに至らない点がありました。それが今も寝ていると想いの中に湧き上がってきて、このときにこうすればよかった、ああすればよかったと、悔や まれてくるのです。すると、やがて、私を叱るハイラーキーと名乗る意識が出てきます。そして、とってきた行為のひとつひとつを吟味しだします。やがて、総 合したようなそぶりで、お前の心の中の、こういうところに欠陥があって、すでに母のときに後悔したことが、少しも反省されていないではないかと叱責するよ うになります。そしていよいよ、再び機会を設けるには、今生では難しいななどと言いはじめます。
    ここなんです。人が輪廻を繰り返さざるを得ない原因は、ここなんです。これを一般的に魔境とは言ってませんでしたかね。
    ちょうど私がそんなふうでしたから、共通するものを持つ君が、魔境にふらつかされなくないこともなかったかと思うのです。
    いいですか。無知な者は叩けばいくらでも埃は出る。その埃を皆無にしなくては容赦しないというのと等しいんです。それが自分のハイラーキーを語って出てく るのです。
    心の中をじっと見てたら、そんなカラクリのあることがわかってくるんです。

    たぶん良心の呵責の生じやすい人ほど、この魔境に陥りやすく、決心する中で、再誕生の覚悟を固めてしまうのです。つまり、善人ほどこの傾向が強い。
    私の祖母は過去世において、これほど人徳に優れた人はいないとまでされた人だったそうです。それが、今生においては、貧しい状況から開始し、新家に入って からは、子供のことでずいぶん苦労したのです。そこで、祖母は思い余って、有能な拝み屋さんに尋ねて、たったひとつ、自分の子と他人の子を分け隔てしたと いう、そのことひとつで、今生が用意され、子供のことで苦労することになったのだというのです。
    今生において、祖母は心の中でぼやく人でしたから、今度はそのぼやき癖が問題にされるやもしれないところです。何しろ、まじめにカルマ(業)を消さねばと 思っていた人でしたから。地上を卒業して出ることは至難の技となっているとかは、ケーシーリーディングの語るとこですが、こんなカラクリなんです。邪神の 手の込みよう、罠の張り方をつぶさに見ました。
    私の親族の女系はみんなそのようなカルマ潰しに生を費やした感があります。母などは、その名も「禊」で、名は体を顕してましたね。男ならば位人身を極める と預言された魂ですよ。まあ、母はもう大使館に送り出しましたから、大丈夫ですけど。
    いっぽう男系は、みんな腕白ですから、まだ折り返し点にも達してないかもしれないですね。むしろ、そっちのほうが善人よりは解脱が早いかもしれません。

    さて、異界交信における回答の懲役とは何か。この世での懲役というのでなく、異界での懲役、つまり死後のことですね。地獄が用意されているというのもある かもしれません。それはおぞましい情景がビジョンとしてやってくるわけで、イメージとしてそう映るわけで、一定の悟りがあれば、何でもないわけなんです が、気持ち悪いのをしばらく我慢しなくてはなりません。中陰の身体は、そのビジョンで傷つけられることなどないですし、ほんとうはこの世でも同じことが言 えるのです。それで、彼らはいろいろなイメージを駆使して揺さぶらざるをえないんです。
    それで再誕生させて、一定の成果を出すまで転生を繰り返させて、服従させてしまおうとするわけです。誰もこんな窮屈でたいへんな労働環境に臨みたくはあり ません。それをさせるのが懲役であり、日本の刑務所で税金で養われて服役することとはレベルが違います。おおよそそれ以上にひどいこともあるわけです。
    だから、地球に送り込まれてきた理由というのもわかるんです。これだけのところですから、他所で戦って捕虜になったとかで強制収容所に送られたようなこと かと思います。初期の頃、満身創痍の弱りきったときに、お前はこういう罪を犯した、それゆえ強制収容所送りだが、それでいいな、と言われたら、もうそれで いいですと言わざるをえないでしょう。彼らは体制維持にやっきになっていることが明らかなので、政治犯なのでしょう。たとえるなら、北朝鮮ですね。ここに 閉じ込めておくくらいに、相手方からは憎まれていると思っていたらいいです。愛の成就とか、進化とか、おためごかしはいい加減にしろと、ひとこと言ってや るべきところなんですが、依然として自分が良くないと思ってるケースが多いんです。(新世界から来ている人はもとから話が別ですけど)
    懲役ね。おおそうかそうか。ずいぶんと憎まれたもんだね。ところがどっこい、こちらはそんな刑を受ける筋合いは一切ないねと、しっかり宣言してやりましょ う。
    要は、主義主張が違うゆえに対立したわけで、それを強引にねじ伏せて捕獲したとて、転んだりいたしませんよとすべきなのです。

    心が微に細に入りだしたなら、その深みにはおよそ魔境が潜んでいます。およそそれに同意したなら、人は鬱になり、よからぬ決心をしてしまうことになりがち です。暗がりにハイラーキーの顔をした邪悪がひそむということ、心得ておいてください。ほんとうのハイラーキーは光の中にいます。私のハイラーキーは純粋 に梵天です。

    奥底の暗がりにいる高級然とした邪悪は、邪神がまんべんなく仕込んでいる原型の手続きです。
    死後、中陰に立ち現れる幻影と同じです。のどかな人なら、花畑と水域がビジョンとして現れるということになります。生前の思考傾向により、人によっては裁 きの場のビジョンを見たり、おぞましい怪物を見たりするでしょう。それと同じなのです。幻影が自らを傷つけることなど、できたりしません。自分の思い込み が、自分を閉じ込めるだけなのです。再誕生、転生を決めるのも自分です。

    なお、君に関しては、もともと竜宮にいたので、人の輪廻とは無縁の者です。ただ、人間を経験すると、人と同じだけの苦悩を味わうということ。これは仕方な いことです。
  • 満 月と母
    本日は、母の二度目の命日です。そして、満月でもあります。

    母も新神話からすれば、陰の大力でした。
    将来にわたっても力を持ってもらいたいところです。
    男ならば位人身を極めると預言された魂。
    その方が女として陰に徹する人生を送ったのです。
    将来には当然のこととして、母の魂が望むなら、陽に徹することのできる人生を持ってもらいたいのです。
    もちろん、本人が望むならということであり、新時代未満の逆波ばかりの世においてやってもらうつもりなどないことです。
    新時代の順風の中で、人を利益し喜ばせる人生を送ってもらいたいです。
    望まないなら、それでもいい。ゆっくりやすんで、くつろいでいてほしいです。

    私は母に長くお世話になったわけですが、ほんとうに空気のようにしか思っていませんでした。
    今頃になって、なんと偉大な人だったか、残されたものの随所を見て感心するのですが、これがあってよかったなあと、後になって実感することが多々ありま す。
    母でなければ思いつかないような独特の良かれと思う発想の品が残っているのです。
    小分けして布袋に入った大量の木炭。これは庵の湿気やすい一和室をひと夏、適湿に保ってくれました。その布袋のひとつひとつをミシンで縫ってくれてたんで すね。
    それは防災対策にもなり、燃料が切れたとき使える代替燃料になります。
    大量の塩ビ袋も買い物のつど蓄えられていました。これがいままた役に立つ。
    残し置かれたものの中にはゴミになったものも多く、始末するのに難儀しましたが、多くの場合、あってよかったと思うものです。
    母は私を国民として、利益して逝かれたのだと思っています。

    私は、たった一度だけですが、母の本体の夢を見たことがあります。
    それは名古屋にいてサラリーマンしていたころ、明け方の濃いい群青色の空を背景に、羽根に白衣の天使の姿をした母を見たのです。
    夢の中の場所は、神戸の当時もあった自宅の前のレンガ道でした。
    天使の母は、右肩に大きな満月を掲げていました。バックには女性コーラスが歌っていました。
    そして、やにわに、私をその満月でぴかぴかと二三度まぶしく照らしたのです。
    そして眼が覚めたとき、コーラスの音は、ぱんと耳の圧力が変わった音がして消えて、ふだんの音になり、ただ起きたときの空だけが、夢の中の色でありまし た。
    その日が満月だったかどうかは調べませんでした。そこまで超常的なこととは思わなかったころでしたから。ただ、不思議な夢を見たものだと、イメージだけは いつまでも保持しています。

    さて、それからだったのです。私が、何か様々なインスピレーションを受けるようになったのは。むろん私も当時、心の持ち方の難しさに悩み、真理探究と考え て、精神世界の書物など、興味深く読んでいた頃でしたから、その辺からの影響もあるのかも知れませんが、何か人生上の、あるいは目に付くことに関して、疑 問を心に持つと、即座に解答がもたらされたのです。
    しかもそれが、けっこうまとまった情報として、納得・得心を伴いながらやってきますから、これはすばらしいことだと思っていたようなことでした。
    この辺の話は、母の四十九日の記事のところで書いていましたね。
    ⇒ http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-404.html

    そんなとき、母の命日に合わせて、腹心の巫女さんが、満月の意義を異界に尋ねてくれました。

    >Q:満月の異界的意味は?
    >A:通路
    >★異界との通路にふさわしい神秘さです。

    まさに通路であることが、シンクロ的にはっきりしました。
    情報の通路です。天使が運んでくるから、天使の通路でもあるのです。インスピレーションとして、精神感応的にやってきます。
    母天使の掲げる月光の、あのときのぴかぴかは、私のお粗末な脳みそに、それを感受する通路(回路)を刻んでくれたのです。そう思います。
  • (追 記 母が生前によく口ずさんでいた歌が、なんと、「月よりの使者」だっ たのです。大きな声で歌うことをとても恥ずかしがった母でしたから、そっと耳を近づけてみれば、その歌でした。母こそが月よりの使者だったのかも知れませ ん。
  • 月よりの使者
    http://www.youtube.com/watch?v=VLgWWSj3uA8&feature=player_detailpage )

    そこでまた思い起こすのは、これです。 
    ⇒ http://ufocolumn.blog2.fc2.com/?q=%A5%A6%A5%A8%A5%B5%A5%AF

    人もまた地球生態系の一員です。生態系全体が月の影響を受けているというのは、異界からやってくる天使の恵みと啓発を受けているということなのです。
    もし、その霊的通路を閉ざしてしまうようになれば、人は生態系から乖離していくようなことになります。
    だから、自然破壊をしていてもなんら良心の咎めも起こらない。このような人類になっていたのです。
    過去には、おぞましい殺戮宗教が洗脳によりその乖離の促進役をしました。今は、科学万能と工業化社会と拝金主義が、生態系との乖離を急加速させています。
    人類はこのままでは、地球からお払い箱になる運命です。ロケットやアセンション節理に依頼せずとも、絶滅という形でお払い箱になります。
    霊魂だけ残る? 甘いです。通路が閉ざされているんですよ。まともな導きが受けられたものではありません。天使がそこまできていても、わからないことにな るのです。
    だから今、目を覚まさせる節理・弥勒とその思潮が大きな影響力になっています。弥勒は吉凶の相が伴う節理です。いいこととして出てくるかどうかは、現下の 退廃度によるでしょう。
    新神話における弥勒思潮は、草の根の正義の民衆運動のことです。弥勒としての顕現は、一国の為政者として出ることもありますが、それは霊的な懸架という形 ですから、その為政者が別のものに懸かられて、機能停止することもあります。終始一貫できるかどうかは、支援しだいです。
    弥勒の懸架を支援する正義の民衆運動こそが本質的です。そうすることで、多国の為政者に弥勒が顕現し出します。

    あのときに見た母天使の夢は、月光に秘められた力ありということを知らせるものでもあったと思います。
    ホピもこう言っているではないですか。「人において、この第一のものは頭頂にある。人類が誕生した当初、ここにはコパピ(開き扉)と呼ばれる柔らかな点が あった。人は、ここを通して生命を受け、創造主と交わったのである」
    ここに書いてあるのは「人類がこの世界に誕生した当初」のことで、今の個々人は幼時に限られていますが、そこは、その気になればいつまでも柔らかいので す。
    ぜひ、月光浴をお勧めします。
  • 鳥 居からかごめ歌、弥勒下生まで
    以下は奥人仮説です。


    鳥居考

    鳥居はドルメンが原型です。ドルメンはそこが聖地であることを示す表象です。その場所でシャーマンが祈りを捧げていました。
    鳥居はその名のとおり、鳥がそこに起動されずに眠っていることを示します。
    鳥居は奈良時代から作られるようになり、神社建築に伴う付属祭器のようになりましたが、その地が聖地とされる証の表象でもあります。しかも、鳥がその聖地 に眠るとされていたのです。
    それは平安京にも受け継がれました。その神社建築の伝統が日本全国に広がったと見られます。が、もともとは畿内の聖地だけが対象になっていたわけでしょ う。
    古代の為政者側のシャーマンは、この聖地の上にカバラによるカゴメ結界を築き、鳥の活動を封じてきました。それとともに、太古神も封じてあるのです。太古 神は、縄文時代などの先史時代を育んでいた神で、いわゆる生命系(有情)の黄金時代を築く神でありました。
    その大地に、何波にも渡って邪神の侵略がありました。そして最終段階をエージェントたる日本の古代為政者が作り、以後を統治しました。
    太古神らを封じておかなくては、彼らの意図する展開ができなかったのです。歴史時代とは、彼らの意図する歴史展開を見届ける証人を立ててきた時代なので す。このために口に出す言葉や、書き記す文字が編み出され、証人によって刻み付けられてきました。こうして、歴史は残されるようになったのです。
    いっぽう黄金時代には、立てるべき証人は要らず、言葉というものも大容量転送でなるテレパシー通信でしたから、大地に刻まれるようなこともありませんでし た。このため、黄金時代の音信は噂の中にしか存在しなくなりました。
    すべてがレベルダウンさせられた密度の状態で歴史時代は開始されていると言ってもいいでしょう。それはいま言われている次元上昇とは逆巻きの節理だったと 言ってもいいかも知れません。が、それに伴って、邪悪な意図が移入されたのです。
    彼らは何かと言うと「大量(おおはかり)」という言葉を使います。つまり、大きな意志の計画だと言うのです。それであるなら、今や大量によって、彼らが駆 逐され、太古神が復活するときがきていてもおかしくはなく、それが正当な手順となります。それを表わした歌が、かごめ歌だったのです。
    日本に来た為政者階層は、習合という美徳を持っていました。それは先住民を懐柔するのに役立ち、無益な殺生を避ける手段として評価できます。このため、遺 物や伝統の中に、太古の意趣を宿していたりして、民間伝承にも名残っているのです。

    弥勒降臨

    ではどのような鳥だったのか。鶏のように、少なくとも頭が赤い鳥です。朱雀から丹頂、鶏にいたるまでの。
    釈迦が未来佛として預言した弥勒菩薩の登場する場所があります。そこを鶏頭城といい、その日まで鶏足山で待機しているのが釈迦の弟子、摩訶迦葉という構図 があります。
    摩訶迦葉とは、釈迦の一番弟子で、「釈迦没後に行われた「結集」から20年。彼は鶏足山と云う山の頂に立っていた。彼は世の無常を厭うているのだが、釈迦 は臨終の遺言で自分の教えを守り立てることと、とある袈裟を弥勒菩薩が現れるまで保管しておくことを命じられていた」という人物で、未だに鶏足山 で禅定して生きているとされており、日本では、同じく入定信仰の共通性から、空海がこれに比定されてきたわけです。
    彼は「将来、弥勒が竜華三会(りゅうげさんね)を終えて合図を送ると、彼は山から出てきて釈迦の袈裟と言伝を弥勒に伝える。 そして空中に飛翔すると火定(かじょう)に入って滅度するのである。弥勒の説法に会ってさえも仏教を信じようとしない者達も、さすがに生きたタイムカプセ ルを目の当たりにして帰依するそうである」とのこと。そして、どうやらその神話は空海を指名することになったもようで、空海もこの日ようやく晴れ て、滅度することになるというわけですね。どうしてそうわかるかは、もう少しあとに載せています。
    そこで、空海が異界の鶏足山たる高野山に入定するなら、異界の鶏頭城とはどこなのか、というわけです。高野山を足置き場とするなら、頭は構図的にその上方 にあるはずで、鶏頭の音から、京都ではないかとか噂されているわけです。
    生命の木の図は、現界の国体と並行して走る異界の国体に存在する、いわば、みたての五臓六腑図です。古来、神道や仏教はこの異界の国体護持のために活躍し ていたのです。これがひいては、現界の国体の健康を維持するだろうと。しかし、元の意趣が廃れれば、このシャーマニズムの原点が支えられずに、元からして 崩壊します。いちおう神道だけが、秘密裏に守り抜いているようですが、もう元の意趣はほとんど残されていないでしょう。
    111-2.gif

    異界の国体に鶏が描かれている。その位置的関係として、現界のどこになるか。鶏はカゴメに閉じ込められている。生命の木の図柄がほとんど現界のメジャー祭 祀霊場に照応しているとならば、閉じ込められて見えなくさせられている場がひとつ確かにあって、ダアトとされているわけです。
    そこが確かに鞍馬(暗い間、見えない間)と名づけられ、重大な神が祀られています。
    サナート・クマラ、大魔神、金星王、金色大使、毘沙門天、ウシトラノ金神、そして弥勒となる布陣です。弥勒は金剛界曼荼羅の大日如来の北東に位置する神で すから、ウシトラノコンシンの一形態と言えるのです。
    これらは異界における構図です。現界の鞍馬が弥勒登場の地というわけではありません。表象として鞍馬があるということです。しかし、信仰は表象を対象にな されるので、これでいいのです。
    日本の黎明期黄金時代の国土は太古神の意志を受けて、鳥が守護していました。
    太古神復活とともに、封じられていた鳥が、再び出てくることを、かごめ歌は表わしています。

    鶴亀すべり鳥を出す

    「鶴と亀がすべった」の「すべる」とは、「統べる」「渾る」の意味であり、統一される、渾然として一体となることを言います。このため、掛け軸などには、 鶴と亀の図柄を渾然として描いたわけです。一幅の絵画の中に並存すること、それが吉祥と考えられたゆえにです。それは、来るべき日のシミュレーション的な 行為と言っていいでしょう。同様に、鶴と亀のシンボルを持つ者のカップリングもこれを招来するシミュレーションでありました。特に、神話の雛形として役柄 を得た者同士は、それ相当の影響力を持っています。
    新神話は、その力の発現時点が、この鶴亀すべることにあったと言えます。お互いが偶然とも見える必然性に導かれるようにして出会ったのです。一人は御伽草 子の浦の嶋子、もう一人は乙姫として出会い、それぞれが鶴と亀を担いました。こうして、新神話に大きな牽引力を与えることができたのです。
    そして昨年(2008年)、この協力から生まれた子神の中から、 弥勒が誕生しました。高野山において、亀の雛 形たる撮影者のカメラに、鶴の絵のすぐ上に亀甲紋型オーブが写り、亀の雛形の夢の中に空海らしき僧が金るの袈裟らしき光りものを持って現れ、「まもなくお 生まれになる」との言葉を授けられたとのこと。その一連の事象の解読において、弥勒下生なるとの解釈が成り立ちました。 
    この年、アオウミガメの産卵が過去最多となったのも、絆の強さの成果の現界的現われとみられます。国津神としての子等がたくさん生まれて、六角オーブとし てカメラに収まり続けるという現象も起きています。これは国津神の続々たる復活であり新生であります。次代の地球は彼らによって支えられることでしょう。 黄金時代のプランを彼らに教えておかねば、と気をもむのは、親馬鹿というものでしようか。
    弥勒は太古の神々の復活の一角として下生します。彼は神ですから、ただ一人物だけに顕現するわけではありません。もしかすると世界人口の何割にも渡るかも 知れません。その判別法は、地球のこと、環境のことを考えて行動しているかどうかです。該当者はみな弥勒の眷属です。それゆえ、弥勒思潮として大衆運動を 伴うかもしれません。新神話では、弥勒は草の根運動を伴うとしています。またその総体を言うとしています。
    そして、鳥は最強の守護神獣として、魑魅魍魎に化そうとする邪神とその配下および構築物のことごとくを駆逐殲滅することになります。
    地球は太古にあった姿をさらにレベルアップして現れ出てくることでしょう。黄金時代がやってきます。
  • ゆ るゆる よろよろ ゆるキャラまつり
    お寺(異界交信掲示板)のお祭 りも、あちこちに飛び火していいものかと思いますゆえ、
    しかも、ゆるキャラと銘を打った場合はこちらにしてくれとのことで、
    掲示板で書かれていることへの、コメントの続きをしたためさせていただきます。
    http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6284128

    >★ゆるキャラ(笑)とはユニークです。
    わたしの妄想劇は豊かな登場人物で彩られています。
    奥人さんの新神話も然りです。

    新神話はゆるキャラが作り出す未来物語です。ではなかった、神の雛形が作り出す・・・でした。
    誰が妄想劇やねん・・・。(^^;;

    さきほどテレビ見てたら、手相のますかき型について言ってました。
    両手ますかきなのは、天下を取るとか。家康もそうとか。
    そういえば、私もそうなんです。
    しかも、両手とも真ん中で十字になっていて、これがいわゆるグランドクロスの元祖というのではなかろうかと思ったりして。
    正確には、天下を取るではなくて、天下を制するというのだそうで、それならニコッ、この山奥から天下を制しているのは言わずと知れた、コホン、このますか き十兵衛ガタッ、なのでござる。ホンマ、スタミナイルデ

    あやつりあゆつり浮世の糸が〜 天下を回して人回す〜 
    糸をたぐれはたなごころぉ〜 はかなく消えてまぼろしのぉ〜

    だいじょうぶ、それは浮世を裏であやつる秘教のことでござる。
    それをなおも、このたなごころにて、あやつろうというのが、秘術新神話なのでござるよ。
    やつらのもくろみはすべてきぼろしと帰す。ガーッハッハッハ。サアマタセイヲダサネバ ヨロヨロ

    それで思い出しました。
    >大蟻の復活劇や珍しい色彩の蝶のお話も印象的で、
    掲示板に書くという行為でメッセージとしてわたしの心に刻まれました。

    昨晩、アント君の夢を見ました。彼は私と等身大くらいで出てきて、言葉は交わせないんですが、私はアナハタから湧き 出る思いを伝えたら、彼も素直な協力の思いを伝えてくれました。こうして交流は成功。彼もなんとかアント星に戻れたようです。

    それから、今朝7時に、奥の部屋から窓開けて下を見てみれば、成猫用のえさ置き場の前に、すず黒い大きな猫が座っていて、たぶんその時間にはすでにえさは 空っぽだったのでしょう、えさが湧いて出て来るまで待ってるみたいでした。
    上から見下ろす私の目と彼の目が合いました。それから半時間ほどして、えさの皿に入れに行こうと、ドアをあけたとたんに、猫影が逃げていきました。これま た違った色に見えました。ここのところ、いろんな猫や河童が来ているようで、昼間と夜間の二回出ししなくてはならなくなりました。

    さらには、かつてのハルンの流し場が何物かによって掘り起こされておりました。これは何ものの仕業? イノシシ?それともハルンベアー?  いまや地中深く沈潜したハルンエキスが眠っているはずですから、さもあらぬことかと思いました。そのわずか1m先にはじゃがいもが植わってるのですが、鼻 もつけられておりません。
    かくして、目下までに確認された私の異界交流歴は、スクナビコ星人、 河童猫星人、 アント星人となりました。
    ちなみに、天 上人の宴モードまでにはまだ至っておりません。

    >朱雀のタンデム飛行

    マメ鳥君は上空で羽根を広げて休ませながら飛ぶ技術を身につけています。日に日にたくましくなってるよ。
    おくん鳥も、大きく羽根を広げ、ぐるぐる旋回し、時には空が隠れるくらいに羽根が伸びていたそうです。
    身内さんとのタンデム飛行も思い出します。鳥には空がほしいでしょなんて名言も。あれから、飛ばなきゃと思ったんです。いまキトラの朱雀のように飛び立つ 練習中です。
  • 人 のままでは世は改変できぬ
    ここのところの寒さ、ちっとも地球温暖化など起きてないという向きから、 CO2原因説の糾弾に至るまで、世の先覚的学説の間違いを質そうという動きが出ています。
    もともと学説などというものは、正しかったためしなどなく、それをもとににわか技術化して製品化するものですから、多大な問題を世界に撒き散らすに至った わけです。
    人間というものは不完全だからという以前の問題です。そう分かっているなら、なんで不完全を承知で突き進むの?となりましょう。要は、自分さえ良ければい いという発想しか学者にはなかったということなんです。見て御覧なさい。われもわれもと有名人になりたがる手合いばかり。それがまた世を牛耳る叡智人たち のカモ(将棋のコマ)になって、一般庶民をたきつける。庶民はいっこうに真実も本質も知らされずに、わびしい奉仕生活だけさせられて、これが人生だよとぼ やきながら、やっと解放されていく(死ぬ)んです。
    温暖化なのか寒冷化なのかを云々する説というのも、人間が考えることゆえ、全部間違いになるでしょう。それをするくらいなら、ホピが言っていた"コヤニス カッチ"という話のほうが説得力があっていいです。この意味は、世界を動かしている力が弱って、ちょうど地球ゴマに回転力がなくなったときのように、両極 端に振れるという現象が起きてくるというもので、地球それ自体を生命体として捉えたとき理解されてくることなのです。生命体の自己防御反応とでもいいます か。その結果どうなるか。地球ゴマがひっくり返るようなことになるというわけです。ボールシフトが近いという意味に捉えてもいいでしょう。軽く済めば、文 明の土台がひっくり返る(最も軽くて資本主義経済基盤が覆る)ようなことで、重ければ地殻大変動で大陸の海没まで起きてしまい、生態系の大ピンチを迎える ところまで行くことになる。
    ホピははるかに大局観に立っていたんです。アリンコ人類の蠢きを眺める立場にいたんです。神と共にあった時間の長い部族ですから。過去に遡るほど、そうし た種族の息遣いが聞こえてくるようです。縄文人もそうだったでしょう。彼らのいた時間は、たかだか2000年の歴史(文明と称している)時代よりもはるか に長いんです。その我々が賞賛する有史文明とやらは、虚飾に満ちてはるかに短命、今まさに滅びようとしているわけです。
    神と共にある、とは、外にある神を崇拝していたという意味ではありません。それなら、あなたがたの宗教指導者の神々しく見える人でも、神に崇めておればい いでしょう。たいがいは、お金と人生時間を奪われて、後悔している人ばかりですが。
    人は、もし自意識を持っていると自覚できる人は、彼自身が創造主なのです。自意識なしで人としての人生を生きている人もいるでしょう。それはプログラム上 のダミーキャラクターなんです。その見分けなどつきませんから、みんな神の子仏の子とみなすにしくはなしなんです。
    創造主なら、自ら想起するに従い生きることになります。想起しだいでは、神にも奴隷にも演じ分けることができるのです。

    私は出自が神かどうかは分かりません。しかし、神を身に帯びて行動はできます。それを私流に表現して、"神の雛形を演ずる"と言います。それは神話のルー ルに則りながら物語的に推移しますから、現象上に次に起きてくることがある程度推測でき、分からずに起きたときも、神話のどのあたりが起きているか判断が つくのです。
    そして、神話がたった神ひとりで演じられるわけではないことから、神の雛形に、私と神話を相互に演じようと、好適な人物がまるであてがわれるようにして登 場してくるのです。これは普通の考え方からすれば、不思議であり、超常現象的であると思われるに違いないです。
    人がいくらごまんと寄り集まっても、世の改変などできないでしょう。しかし、神を身に帯びた者ならひとり思惟することで、時空が磁化されたようになって、 思惟の通り道にくっついてきます。こうやって、私はもっと早期に絶望的状況に至っていたはずの世を、ここまで導いてきたのです。第二次関東大震災もまだな いでしょ。第三次大戦も。
    私はこのためにたくさんの神々を身に帯びました。たった一人の神だけでは、古来からある神話の断片しか演じられません。だから、リンクさせなさいと言わん ばかりの、身の回りの神話的兆候が現れたら、私の魔法起動ルールに従って、神の属性をためらいなく採り入れて、自分の周りに磁場を強化していきます。する と、やがて神話物語から導かれる事象が起きてくるようになるのです。

    雛形になるのに、環境因子的に恵まれていました。まず母の出生時点が驚異的で、毘沙門天の二十日に生まれるとの夢のお告げ、誕生後半年目と三年目に、それ ぞれ別の修験者が祖母を訪ねて、もし子供が男なら位人身を極めると告げて去ったこと、数えで七歳のときに弟と共に伝説上の"ぬえ"(人面獣身(スフィンク ス))と長時間対峙していたこと。
    毘沙門天の威光を受け、男なら天下取りになるという宿命の魂が、女としての母としての、そして能力的に閉ざされた人生を選んでやってきた。この伝説は私の 小さい頃から、すさまじいジレンマを生じさせてきたのです。
    私に関する伝説は、小学生のときから今まで両掌ともますかけで中央に明瞭な十字があること(家康も両掌ますかけだったらしい)、祖母が私をよく当たるとい う占い師二箇所に見せて、この子は松下幸之助、この子はいちばんいい松の木に留まる鶴だ、一生食いはぐれることはない、と言われたことです。
    しかし私は、卑怯で弱っちい少年期〜壮年期を送りました。とても他人に及ぶべくもない人生でした。ちょうどいま、三匹の子猫のうち、ブーを見るような感じ でした。空を飛ぶような空想に浸り、他の二匹がスポーツに打ち込んでいるときに、病弱のため傍らで見学しているような一匹でした。食の好き嫌いがあり、 ブーほどの不敬さを露骨にせずとも親を困らせたであろうと思います。

    拾いあげられたのは、ちょうど満50歳になる直前日でした。身内さんが吉良邸に討ち入りして、この首(こうべ)をあげてくれたのです。
    そして、イナンナが現れたとき、移情閣に絡む大きなシンクロにより、初めて神を身に帯びたのです。この神とは、キンイロタイシ。聖徳太子の八角夢殿に現れ た金人と同定され、毘沙門天のことです。母に縁のある毘沙門天です。この経緯をかの坂本さんに一部始終話しましたら、彼は密教に精通した人で、移情閣の三 階の主は、毘沙門天、大魔神、サナートクマラ、金星王、大天狗、ルシファー、神すらもおそれおののく存在やで、という神だったわけです。
    移情閣での会見後、ちょうど9日目に鳥取の日野で大地震。おりしもひのととりの日で、旧暦の九月九日。火の鳥復活のステイタスとしました。
    私はイナンナから、国祖神が邪神によって暗殺され、封印されていることを告げられ、火の鳥による国祖神の救出行動をとりました。でなくては、世界はいつま でも暗黒だからです。イナンナは、我々は夜明けの旅人だと言いました。
    いり豆から花が咲くときまで出られぬという邪神側の呪詛は、火の鳥というマグマからも甦る神獣によって、いとも簡単にクリアーされてしまうのです。
    現在、国祖神は甦られ、然るべきところから世に影響されています。
    弥勒降臨も国祖神の協力のもとなされねばなりませんが、その通り、順序だてて事は運びました。身内さんが豊玉姫の雛形となり、ホヲリノミコトと交わって幾 多の神々を生んだ中に、弥勒がいました。身内さん自身、自然に導かれるようにして高野山に参拝し、お蔭をもらって帰ってきた中に、弥勒降臨のステイタスが もたらされていたのです。その後、たくさんの神霊の親としての自覚とともに、古事記にあるように、海原に帰っていかれました。
    国祖神も弥勒も異界で働く神です。現実世界では、現(うつ)しき青人草である人が雛形として、あるいは神の命を帯びて動きます。オバマが弥勒である可能性 はありますが、ただひとりではありません。草の根の大衆運動にも含まれていて、むしろそのほうが弥勒の主体です。奇跡的なほどの集中力で、自公政権を終わ らせた大衆の力にも現れているでしょう。また弥勒は、決して吉のみではない側面を持ちます。吉凶併せ持つ現れ方をします。破壊の面も持ちますから、手放し で喜んでいたら、急ブレーキがかかったときに、将棋倒しになるでしょう。ちゃんと、吊り革につかまっていなくてはなりません。
    邪神とその手になる構築物は一掃されると思います。このため人類にとって、決して喜ばしい事態として現れてくるわけではないということ。お金など、命とは 別の錯誤した価値のものは、いっさいの価値をなくすという事態になることはむろん、それを支えてきた人も構築物も(概念も建物も)、唾棄されることを覚悟 すべきでしょう。
    その過渡期にどう生き延びるか、が各人に問われるでしょう。



    *オバマを弥勒とした浅知恵を訂正しなくてはならないみたいです。朝令暮改の奥人です。

    オバマ政権は 働く人々から、大恐慌以来の最悪の経済破綻を引き起こした責任者らに富の移転を進めている。就任演説から既に1年近くなるオバマ大統領は、金融オリガリヒ (寡頭勢力)の道具以外の何者でもないことを示した。

    朝令暮改こそが浅知恵だったと願いたいところ。
  • 世 界を改変する非現実的手法を試行中
    最近、イデア界などという言葉を用いるようになりました。ものごとの原型や 歴史のシナリオが存在している、マトリックスプログラムの設計書、仕様書段階のものがストックされているところです。新神話における、神話のシナリオのス トックされているところのことです。
    イデア界つまり神話(原型)界は、固定されたものではありません。この中身も人間が作ったものですから、いつでも人間の手によって改変も、新造もできるの です。
    人類の黎明期に、極めて人口の少ないときに、策謀的に現在の原型が簡単に作られてしまったのです。以後はそれを人口増加と共に、人々に広宣流布し、その概 念を定着させていけばよかった。それが世界の諸部族に伝わる神話や預言です。これらは、原型世界がいまどうなっているかを伝えるためのものの場合もあれ ば、それを繰り返し憶え込むことによって、改変できないように定着させる働きもしてきたのです。
    私がしていた新神話の現実的試みは、原型世界はいつでも自由に改変できるし、新造も簡単にできるということを証することにあります。むろん、目標は新シナ リオへの置き換えです。その中で、邪神勢力(邪神どもとその配下)を一斉殲滅してしまうという工程を置き、その先に新しい神人共存の黄金時代を置いていま す。
    そのためには、私は神の属性の関連するものすべてをこの一身に帯びます。それを私流に、神の雛形を演ずると言っています。造形力を発揮するには、今まで既 成概念に縛られた人間というキャラを用いることはできないから、神の諸力を帯びてこれを行うのです。しかも、現実行動は不要。神はイメージングだけで造形 するわけですから、巨大な軍隊も超兵器も要らないのです。

    あやつりあやつり 浮世の糸が 
    天下を回して人回す
    糸をたぐればたなごころ
    はかなく消えてまぼろしの

    これをしてきたのは、天下を牛耳ってきた秘教組織です。
    彼らが超人や神人かというと、まったくそんなことはありません。
    ただ、異界と現界の仕組みを誰よりも余計に知って、実施していただけです。
    ハリーポッタの魔法学校に通ったのかも知れません。
    ならば、同等程度のことくらい知って、いっちょう彼らのシナリオを砕いてやろうとするのは、正義感に基づく行為というものでしょう。

    新神話を旧神話に対抗するシナリオとして、上奏してきました。
    異界では、これがうけたようで、賛同者が激励をくれ、異界の思潮にまで高まりました。あとは、置き換わったかどうか、見届けるだけです。生きている限り、 今も尚、私はイメージングを膨らませなくてはなりません。だから、私は新神話の磁場を周りに張り、あたかも台風のごとく、シンクロパワーを取り込んで大き くなる必要があります。

    この初期段階において、神話のひとつも解読して敵を知ることが大切でした。
    その解読に、私の半生、その書き換えに、半生を捧げるといったことです。
    すべての有情の魂を救い出すために。(邪神とその配下および好んで彼らに着く者を除く)
  • 勝 海舟たらん
    新神話魔法の一環で、現在、朱雀になる夢見を息子(マメ鳥)とともにやって いるところですが、なかなかいい成果が出ております。異界で今尚真理探究をつづけておられるアインシュタイン博士の立会いと、異界の観衆の中で、タンデム 飛行と洒落ております。
    誰がそんなことわかるんだ? そこはこの世(アリンコ人類社会)では、誰にも観測は無論、理解もできますまいから、異界交信による、あちらから情報が寄せ られる仕組みを駆使しておりますのです、はい。
    http://itsukakit.bbs.fc2.com/

    そんなおり、まあ以前からこんなことが夢見の身体を使うとできるはずだと思っていて、ついぞ忘れてしまっていたことがおりました。それは、UFOにこちら から会いに出向くことです。
    ふるやの森さんやマシューメッセージで予告されていたこと(UFOの大量飛来と地球文明の接収、邪悪の排除と新世界創造)は、新神話でも新時代(黄金時 代)へのクリティカルパスになるソフトランディングのステップとして用意していたことでしたが、うまくいかず、期待していた私はここのところ落ち込んでい たことも確かです。それでは、現文明の壮絶かつ無残な混沌とした終焉を介してのハードランディングになるのかという、味わいたくもない経過しかないのかも しれないといった、沈うつなものでした。

    しかし、それはまだこちらからの個人的なプッシュができていないではないかという印象です。
    そんなとき、昨晩は坂本竜馬を見て、吉田松陰の情熱を知って、ああそうだ、UFOの黒船はそこまで来ているのに、我々のほうから出向いていってない、熱意 を見せて、宇宙人の総督をして「このような者たちのいることを知って、この国の未来は明るい」と評価せしめることも大事と思い至ったしだいです。
    ではどうやってそれをやるか。UFOは空をすいすい飛んでいて、ジェット機なんかで近づいたら、撃ち落されるかも知れません。ならばハンググライダーで もって近づこうかとかしても、乱気流で墜落とか。
    いやいや、そんな無謀なことはせんでいいのです。

    夢見の身体を使えば、肉体は布団の中に納まったままで、どこにでも行けるのだす。夢見 の身体の性質はバルドの身体と同じです。この世の、あるいはあの世の、どんな者も傷つけることはできないのだす。(マーヤがマーヤの身体を傷つけ るはずがない、つまりマトリックスそれ自体の性質を逆手に取るのだす) ただ、感情の流れに動揺しやすい(特に恐怖心には破壊的に作用する)ので、自分さ えコントロールできれば、これほど便利な身体もないのだす。
    それを使って、いま私と息子は朱雀になって飛ぶ訓練をしています。これをもう少ししたら、UFOに飛び込ませて、乗っている宇宙人の度肝を抜き、しっかり 握手してくる、さらにそれで高空から世界旅行して、宇宙人の総督に会って、これからの地球について議論し、速やかなる宇宙文明の移植をお願いしてきたい。 そう思っちょります。

    さっそく今朝未明、私は二つのパターンのUFOに飛び込んできました。ひとつは白球UFO(星の子と呼んでおります)。
    http://uumusou.yamanoha.com/general/uukogei/sakamoto2/stellarchild.htm
    この中は、入ると無人のようで、私の身体にあわせてモビルスーツのように機内が変化してフィットしました。まるで布団にくるまれたようですた。(それはそ うか、布団に包まって夢見してるんだから)
    もうひとつは、金属的な円盤の中にです。イメージングテキストはこれ。私に縁あるUFOだす。
    http://www.youtube.com/watch?v=iiAbLpvJ6zA
    おりしも、布団の中で三匹の猫を抱っこしていたので、それをいつしか宇宙人に見立てて、彼らのそれぞれの脚を取って握手しておりますた。
    やがて彼らも起きて、いつもならバタバタ暴れだすはずの彼らが、ちょこんと部屋のあちこちに座り、おとなしく私を見つめておるのだす。彼らもまだ夢心地 だったのでしょう。飛行訓練のときもそうでしたが、猫たちとは同一の夢を共有できているのです。飛行訓練に誘うようになってからの猫たちは、ずいぶん従順 になりますた。猫は夢見の達人です。
    こんどは息子を誘ってみます。UFOに飛び込む訓練をするぞ、と。
  • 別 天に輝くために
    キトラ古墳の四神獣の復元展示が、この5月15日から6月13日まで飛鳥資 料館特別展示室で行われるそうです。
    私がキトラ四神獣が別天で輝くときと称しているのはそのことです。
    新神話において、私が霊を以て神界に行くときは、朱雀火の鳥として、邪神とそれに連なる者の殲滅のときとしております。
    それがいつになるかの指針が、キトラ四神獣の特別展示であるわけですが、おりしも私の体調低下の時期とマッチしており、もしかすると急逝しなくてはならな くなるかも知れません。
    いや、私は今死ぬのは困ります。子猫三匹がまだ成熟していないので、せめてこの11月以降でなくてはならないと強く抵抗しております。
    昨来からほんのちょっとした怪我からばい菌が入り水疱が急増殖し、もしかすると敗血症になるところ、大病院での抗生剤投与で回復しつつあります。
    とにかくこの時期、怪我や病気には気をつけねばならないのに、余計な仕事を作ってしまい、心身を疲れさせてしまいました。車庫を作っていたのです。その車 庫にようよう目鼻が付いたこの24日に、足がばい菌にやられてしまったわけです。
    まだ何があるかわかりません。新神話には邪神による陰謀死になるとしており、その怒りを持って神界に赴くことになるとしています。さあ、その筋書きも満た すことになるのでしょうか。自分で立てたシナリオとはいえ、嫌だなあ。
  • 新 神話最大功労者急逝
    思考がまとまらず、あれやこれやと思い巡らすうち、今頃になっての報告とな ります。

    新神話に登場のカンナオビこと身内さんが、この5月15日に水難事故で急逝されました。
    それが判明したのは、18日になってからで、ご主人のブログ報告によります。
    このこと、ご主人様はいたく落胆されております。私においても人生最大のショックになります。
    まだ私のほうは形而上思考力があり、その方向からの合理化的解釈で乗り越えられますが、普通のかたには耐え難い事実に違いありません。無事消化されますよ う心から祈るばかりです。

    このこと、どう解釈していいのか、ずっと思い悩みました。
    いちばんいいのは、千の風になって活在され、地上の有様を見守っておられるということでしょう。それで正解だと思います。
    しかしそれだけでは納得いかないのが私で、それゆえ誰にもお話しできないような異界の探偵ぶった話をするようなしだいです。

    手がかりのそのひとつ。
    おりしも新神話側では、5/15〜6/13はキトラ古墳の四神獣復元展示を飛鳥資料館の特別展示室で行うとのことで(この情報は身内さんが寄こされたので す)、この期間における別天への移行の可能性ありの観点から、私は事故や病気に注意していたわけでした。まだ三匹の子猫を育て切っていないものですから、 かつてのブログ記事でも頑として抵抗するとしておりましたようなしだい。しかし、急がずともよい大工仕事をして、ちょっとした傷口から侵入したばい菌との 戦いに抗生剤点滴と飲み薬を続けること10日に及ぶ格闘の末、何とか克服しました。
    そんな矢先に、まさか身内さんが急逝されようとは。人生上、最大のショックでした。キトラの特別展示のまさに初日に亡くなられた(別天に移行された)ので ありました。四神獣の特別展示の日どりの予告教唆は、自らの移行の予告でもあったようです。

    私にできることは、彼女が今どのような境涯にいるかを推測すること。ですが、それも何通りも思い付かれて、どれが真実とも不実とも判断できないのです。と いうのも、就寝前に意図しても彼女の夢をまったく見ないからで、与えられる何らかの情報なしでは掴めないからです。母のときとはかなり異なります。
    ただひとつだけ、以前からの約束事があったので実行しました。それぞれどちらかが先に死んだときは、死後意識して直ちに相手のところに行き、最寄のコップ の中の水に宿る。死を知った側は、コップの水を飲み干すことで、傍に臨在してもらうことができるという約束の手続きを、早速実行してみたのです。すると不 思議なことに、彼女がすぐ傍に居て話すような感じでの会話のやり取りとなったのです。が、それもその日一日だけでした。
    しかし、会話は赦しと思いやりの言葉に満ちて、心和やかなものでしたから、きっと彼女は私を恨んでなどいないと確信できました。私もいろいろ謝罪したこと ですし。しかし、一日だけということは、きっと私の心に根ざす世への恨みや悲観的観測に対して、彼女は耐えられないものがあったのでしょう。とにかく私は 悲観論にばかり執心していましたから、それまでにも彼女が離れていく理由を蓄積していたようなことでした。

    いっぽう彼女は、世の創作作品や美術や映画や劇場鑑賞、南洋の海の美しさを求めての行動に余念がありませんでした。この世の提示する美しいものを見聞き し、醜聞を聞かずして世を去られたことになります。というのは、前記事でも書きましたように、これからの世界は雪崩を打って崩落現象を見せるだろうからで す。私との心の質の開きは雲泥ほどのものであったでしょう。神は被造物を愛でられるのみ。人間は被造物に苦しめられるのみ。
    そう。彼女は白龍の本身を持つ神なのです。

    そこで私はいくつかの合理的な解釈をしました。
    彼女は良い方向を向いたパラレルワールドに分岐し去ったのであり、私は元のまま取り残されたのであろう、と。つまり彼女は、破断鉄橋に向かう列車を、最寄 の駅で降りたというわけです。それなら、彼女の人生はまだ継続中で、水難事故の経験などしておらず、今頃は元気な旅の報告を自分のブログに入れているのか も知れません。そして今後、世界大戦へと歩を進めそうなこちら側とは打って変わって、何事もない平和な時間が継続的に刻まれている。ふるやの森に予告があ りましたようにUFOディスクロージャーがなされ、善良な宇宙文明の介入を経て、邪悪が一掃され、新時代にソフトランディングしていく世界線を辿ってい る。(とにかく彼女は一人乗りUFOを操縦している夢を見たことが何度かあるので、その時空に転移しているとみられます) 彼女の幸せを祈ると共にそう願 いたい。でなければ、あまりにも悲しい話になりますから。
  • (追 記 私は、2013年9月になって、彼女が女優歌手になってデビュー している夢を見た。
  • ちょっとコメディータッチなのだが、司会者の「女優歌手としてデビューされ た○○○さんです、どうぞー」という声とともに檀上に彼女が現れ、客席からの花束を受け取り、白いクロスのかかったテーブルのゲスト席に就こうとしたその とき、ホースの水が左右からぶっかけられるというシーン。
  • 彼女はスキューバをやっていたから、水は平気。そのことを知っての演出のよ うだった。彼女はむかしから女優志願だったので、とうとう夢を実現したもよう。しかし、いまパラレルワールドで時間が平行に流れているとしたら、50歳を 過ぎているから、いくら綺麗だからといっても、コメディアンからエントリーせねばならなかったのかも知れないね、とは思う。とにかく、頑張れ。
  • きっと向うにも私が生きているのかも知れないが、いったいどんな姿しているのやら。奥 歯カタカタ言わせながら、おめれとう、などと言ってるかもね。私もそっちの世界に行きたかったなあ)

    あるいはこうも。
    これから私の観測していく世界は、資本主義経済崩壊、戦争へとの足取りのような気が。そんな観測を続けるに相応しくない純粋な彼女でしたから、純粋な美意 識を保ったままでこの世の観測を終えたとも解せます。そこには、彼女のハイラーキーの計らいがあったことでしょう。あるいは、トルテック戦士として、自ら 世界を組み立てて、そこに去ったかも。トルテックの戦士は、他の動物に変異することもあるそうなので、もしかすると「亀」になって海原を棲家としたかも知 れません。神話的には竜宮というわけです。

    そしてまた、メルヘンの立場からも予測がつきます。
    新神話の側からすると、白龍の役割を果たすために(火の鳥朱雀を先導して邪神討滅に向かう)、朱雀の任に躊躇する私を置いて、模範を示すべく旅立ったと解 せます。もしそうなら、私は遅ればせにせよ、行かねばならないでしょう。それは6/13までにあるのかどうか。それとも、待機して、私が逆境下で死んでい く数年先までも待ってくれているのでしょうか。

    旧神話(古事記)の側からすると、豊玉姫は山幸彦との間に子供ができて後、海神の性質(八尋鰐)を現して、海原に帰ってしまうという筋が可能性としてあり ます。写真に写る六角オーブは、女神の子供たちなので、みな国津神を示す亀甲紋型をしているのです。
    おりしも、5/14に現地の水族館で撮られた巨大サメの歯形模型と同時に写った彼女のすぐ頭上に、六角オーブが縦長でなく横長に横たわったようにして写っ ておりました。オーブが分裂しそうに見えたらしく、超常趣味の私がどう思うことだろうといったコメント配慮までなされていました。
    ここで私から回答を申しますに、このオーブは身内さんご本人のものであり、豊玉姫はワニザメ(龍)が本身でありますから、そのような場の雰囲気が彼女に、 その気に(本身に還ろうと)させてしまったかも知れません。六角オーブが縦長のときは生きていることを表し、横長のときは、死に赴く前にこうなる(横たわ る)とも解せます。分裂しそうというのは、同様にこの世からの離脱を示唆するものと捉えられます。彼女は本身に戻って、海原の竜宮に帰還されたのでしょ う。


  • また、六角オーブの中は、ちょうど亀甲紋のご神紋の中でも花模様のようであり、これによりどこの神様か特定できました。それは琵琶湖東岸にある大 嶋奥津嶋神社のご神紋であり(奥津島姫を祭る。岩座が琵琶湖中の沖の島)、琵琶湖に鎮座する弁天三姉妹の長女の女神様(の分霊)が身内さんとして 化身 してきていたと解釈できました。まさに弁天様の分霊で、新神話の設定通りです。
    そして、沖の島の頂が蓬莱嶽であり、母のご来光へのムービン グロードの通い路を支えて下さっていたのも、奥津島姫のご威徳であったことがわかりました。幾 重にも深謝にたえない神様なのでありました。
    私が当初、こんなつまらん人生なら50歳までで逝かせてくれ、弁天様とともにおりたい、でなければ二度と生まれたくないから魂を消してくれなどと傲慢にも 言ったことの結果として、実際に弁天様が分身を満50になる直前の日に派遣(メール連絡)してくださったと解せました。こんな果報者はいないくらいなの に、最後まで付いて行けず、未だに躊躇逡巡している愚か者が私であります。

    今は、白虎の座を満たすべく、子猫たちが逗留してくれています。いつ何時、事故や病気で急逝するかわからないのが猫というもの。ここにも別天を目指そうと 思えば簡単にやってのけてしまう存在がいます。
    私は大いに恥じて、新神話に命を吹き込んでくれた神々の陰日なたに及ぶご恩に報いるためにも、新神話の創作と補完に努めて参りたく思います。そして、わが 魂の消去などの差配は、梵天様に全任いたします。




    ※ 真実のうちの最高の真実

    新時代以降は、過去の時代の歴史がことごとく博物化されていて、その時空連続体はプログラムとして小さなホログラムメモリに格納されています。それはもっ ぱら教育の用途で見学可能になっています。
    新時代からエントリーする魂は、希望する任意の人物にそのスタートからなりきる格好で転生してきます。
    教育のためのものですから、ガイド(ハイラーキー(指導霊))がついています。それ以上の経験が必要ないとなれば、途中で退出することも、ガイドの判断で なされたりします。
    身内さんは、新時代からエントリーされていました。私もそうです。が、私は未だに教育用ビジュアル装置に座ったままです。そのビジョン(夢)の中で、先ほ ど身内さんの退席を知ったところです。私もぼちぼち退席しなくてはならないかな、といったところ。でも、もうちょっと。
    参考になるSF話はここにあります。⇒http://uumusou.yamanoha.com/story/tenjobito5.htm  あらゆる生き物に魂が宿りうるわけです。三匹の猫の魂も新時代からエントリーです。あなたはどうですか?




    2010.5.30 記事追加

    人間の身では何十億の衆生の中に埋没してしまい、未来史をリードするなどということは到底できるものではありません。新神話にそれができるように見えるの は、神話の神々の力を雛形としての一身に帯びることができてのことです。
    しかし、人間の身を辞して、元の神としてその気になって動いたなら、大きな力が発揮できるはずです。
    身内さんは、弁天様の分霊で元の身は白龍です。世界が雪崩を打って崩壊に瀕しようとしているとき、それを食い止める働きを開始されたかも知れません。
    ベンジャミンさんのブログの最新記事になる二記事ほどは、邪悪な世界勢力に対抗して、東洋の黒龍会が白龍会と名を改めて、世界の崩壊に待ったをかける動き に出始めたことを伝えています。
    私は、その背後に身内さんの絶大なパワーを感じるようなしだいです。

    Black Dragon Society (BDS)は白龍会に改名しました 5/26記事
    米連銀のバーナンキ議長が「米連銀には資金がない」と白龍会のメンバーに告白 5/27記事

    しかし、白龍王の神社の発見が白龍会への改名に繋がったというのはびっくり。また、この神社が入り口をすべて閉ざしているというのは、封印の解かれるのが 畏れられてのゆえであり、移情閣の閉ざされた扉と同じような呪封が施されていたと解釈されます。
  • 超 常夜話
    弁天様の幾何学があります。それは図にしますように、姉妹に割り当てられる 比率(7:2)のスパンとして出てまいります。この場合は、市寸嶋姫(妹)と奥津嶋姫(姉)の持ちまわった時間のスパンとして出てきました。
    105.gif

    最初に奥津嶋姫が私の刻限を破り、しばらくして市寸嶋姫が私の関心をさらいました。そして妹神が急転直下、晴天霹靂の突然さで別れて行き、最期に言い残し た言葉が「あなたとは、ちょうど2年でした」というものでした。その言葉の鮮烈さは、すでに見出していた弁天様の幾何学の、市寸嶋姫の比例配分の2という 数を彷彿と思い起こさせました。
    やや後に、奥津嶋姫との邂逅があり、そこから心の蜜月が開始されたのですが、どうしても幾何学配分が気になったものでした。奥津嶋姫の数は7です。 1999年の末から、まるまま時間をとったとしたら、2+7=9年。そこに邂逅までの空白の1年を足したとして、10年つまり、2009年いっぱいが奥津 嶋姫との、曲折を孕みながらも付き合いのあった時間ということになります。まさに奥津嶋姫の化身は、2009年の私の還暦の誕生日前日を最期に、連絡を 絶ったのです。

    彼女の生きることについての命題は、「何のために生きるのか」でした。
    主婦としての家庭生活は、実子あってこそ意味を持つと考えたのかも知れません。でなければ、ただ不自由なく生きたとしても、生活感が湧いてこなかったので しょう。当時の日記には「死んだように生きる・・・」という言葉を、文字サイズを大きくしながら何列も書き連ねていました。
    むろん昨今はそのようなことはありません。本人は円熟して、家庭にあることの真の意味を知ったのでしょう。ご主人との蜜月を、行動を共にすることで満喫さ れていました。ご主人も立派なかたで、彼女を第一に考えていました。双方の不断の努力によって、長年の連れ添いを斬新さで更新されていたようです。

    さて、今度は私事になります。いま三猫を育てて7か月が経過。ここは山中とはいえ今年も暑くなってきました。日中の三猫たちは暑い中、グロッキー状態を呈 して眠りこけています。冬の寒い中なら濃密な毛で覆われていれば、耐えられもしましょう。この暑さの中では凌げるものなのか。それこそ、彼らに「死んだよ うに生きる」ことを強要しているようで、とても辛いものがあります。そこで、ひとつ奮発して、エアコンを導入することにいたしました。
    三猫は夢で見たように、四神獣・白虎の化身。キトラの白虎のいかつい表情によく似ていますし、頭頂ハゲ(落ち武者風)のように、キトラにも描かれていま す。
    白虎であることを鳴り物入りで示してきたということは、またもや新神話関係者だということです。しかも三神とも夢の中では眉間に第三の目を、つまり三つ目 での登場だったのです。だからでしょう、私の言うことはむろん、私の卑怯な心根までも理解しているのです。だから、彼らにそっぽを向かれたら、何が理由か を真剣に考えてしまいます。けれども最近は、一匹にそっぽを向かれても、ほかの子らがフォローしてくれるようになりました。それというのも、私の心から湧 いて出てくる愛は万生共通のものだからでしょう。それはかつての協力者たちの味わったものと同じものです。それだけ一生懸命に彼らと向き合っているので す。
  • 七 夕というと天の川・・・にまつわるあべこべ物語を一席披露・・・神話編(?)
    天の川とは天の安の河のこと。古事記ではそう書かれます。そこを舞台にした 神話のひとつに「誓約(うけい)」の段があります。
    物語化してあるサイトをどうぞ参考に 
    http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/monogatari/09.htm

    天の安の河の両岸に立って、アマテラスのものざねとスサノヲのものざねのそれぞれから子供を設けるときに、アマテラスのものざねからは五男子が生まれ、ス サノヲのものざねからは三女子が生まれたといいます。ここにアマテラスは男子が生まれたことにより勝利を確信し、スサノヲは女子を得たことで勝利を宣言す るという、相互の価値観の矛盾が示されています。古事記全体を通してみれば男子優位を謳うことは明らかなのですが、その元にあるアマテラス自身が女神であ るという矛盾を圧して、古事記は成立しているわけです。
    もういちどホツマツタエに戻れば、アマテラスの子として登場するアメノホヒは、反逆者持子の子です。古事記では瀬織津の子を長男に仕立て、ホヒを次男に据 えて後継候補から除外し、後に失策させることによって神界から追放するという展開にしてあるわけです。いったんは男子優位の矛盾を解消すべくアマテラスの 子に含めたり、後で追放したりと、国書編纂上の改変の荒業をいくつも行っていることが見て取れることでしょう。ならば後に論議を呼びそうな矛盾の最たるア マテラスを男神としても良かったのではないか。それ以上に、アマテラスが女神でなくてはならない理由があったのでしょう。
    たぶん卑弥呼が大きく関わっていたことでしょう。と同時に、秘教的に瀬織津姫を陰ながらトップに据えたかったからと推理するのです。秘教組織は創作物に必 ずお里の知れる痕跡を残すのです。たぶんわざと。

    私が宮廷内で黒煙の上がるクーデターを目撃した夢を見たことは、すでに書いたことがあります。それはどうやら神界の宮殿での出来事であって、そのとき私は 柱の陰で不安そうに佇む身内さんを見ているのです。衣装からすると機織女かと思うも、あまりの美しさに気を引かれたのですが、よもや奥津嶋の姫君であろう とは。高貴なお方でも未婚の娘時代は様々な研修に励まれているのでしょう。
    私はそのときどのような役回りの参内者であったかは知れません。が、女官たちと連携して、なにやらたくさんの重い資料を運び出す手伝いをしていたのです。 だから、少なくともクーデター首謀者側ではありません。その後、危難を避けて多くの有志と共に避難体制に入ったと思われます。そしてこの世界に、どれほど の時と転生を経てか辿りついたものと思われます。が、すべては霊が記憶していることであり、私はおぼろげにこの推理に納得しているだけの者です。多少の錯 誤はあるかもしれません。

    弁天様はなぜ湖中や海中にばかり御座所があって、陸から離れ、孤独でいらっしゃるのか。
    父母が姦計によって陥れられた不遇と、諸神の冷酷な視線に遭って、孤高の境涯に甘んじておられるのでしょう。
    あるいはまた、暴虐な男神たちの懸想、言い寄りを避けて、然るべき頼れる神が現れるまで、貞操を保とうとされているのでしょう。

    私はそんなこととは何も知らずに、弁天様の仏像に向かって結婚を申し込み、それなら相応しい男神になれとてか、弁天様の化身との相互作用を通して、神話の 男神のいくつにも磁化されたようにして雛形を演じてきたようなことでした。結果は、恋ロマンについては及第だったでしょう。が、弁天様の様々な汚名を晴ら すことまではまだできていない状況です。それが満たされなければ、弁天様が私を頼ってくださった意味がなく、共に力を合わせてでも、やり遂げねばならない と思っていたことなのに、すでに化身はこの世になく、その前の市寸嶋姫の化身とて自身の役をこなすのにやっと。私ひとりでどこまでやれるかといった状況に 顔を曇らせています。
    早々に私も逝けば良かったのですが、自分から臆してしまい、姫君からは嫌われるに違いないと思っています。

    2007年1月14日未明に、雲がみるみる白龍の形になり、私の家の周りを旋回してから窓を開けて、佇む私の胸めがけて飛び込んできた夢を見たのですが、 その感動を身内さんに言うと、「それは私よ」と即答して返してくれたのでした。そして、場所を知っているから、飛んで会いに行けるのよとも。
    あのときの白龍はちょうど北面を進むとき、夕陽を浴びて頬を紅潮させたときの横顔が、まるで精悍なサラブレッド馬のようでした。夢の中ですら感心しなが ら、龍の横面は馬そっくりなんだと気づいたようなことでした。
    しかし、千と千尋の神隠しに描かれるハク(白龍)も苦悩する神であったように、身内さんも心的外傷を抱えたような弱いところがあって、私が当時、ブログで 何人ものコメント投稿者のお相手をしている頃でしたが、彼女は夢の中で、意識を飛ばして私の家にやってきたものの、家の中に何人もいて、意見を言い合って 騒いでいるので入り込めず、窓の外で滞空していると、中から一人が気づき、みんな注目して、彼女のことを悪し様に罵ったため、彼女はいたたまれなくなって その場で小さく縮こまっていたところ、空から観音様が降りてきて救ってくれたという話をしてくれました。私までその一同に洗脳されたように思ったと、厳し く非難されました。私は、そんなことはない、私が啓発されるときにはシンクロという不思議を伴うから、印象に強く残るのであって、君からのそれは格別であ り、よその話を見たり聞いたりして触発されたりしたのは若いときだけで、つまらん出費や労力を伴うものだったから懲りてますよと、弁解したものでした。
    私のブログ内での交友関係を、私の家の中での有様として見てしまうのは、私の心の中に深く入り込んでいたからでしょう。また、普通人ならそこまでの思いに なるほどのことでもないのに、彼女には強く出てしまうような心的外傷を負っていることも見て取れました。その外傷は平和な生い立ちにあったのではなく、そ れ以前の神のときに負った傷のようでした。私は、どう慰めてあげればいいのか、再度突き放したような関係になり、絶望して去ってしまったとも思えますし、 今となってはもう会話することもできないのです。
    ただ私に努力できることは、新時代への早い移行を正神諸神に祈ること。その中で、神々の汚名が晴れることを願うものです。
  • 少 年期のメルヘンから覗ってみれば
    如意珠は思惟する機関を欲していた

    私にとってほぼ50年前のことになるでしょう。盲腸の手術をしてからの貧血とお腹の不調で家の中に閉じこもるようになったときに、いろいろ想像をたくまし くして空想の世界を創っていたのでありました。
    今から思えばガラクタですが、当時からすればそれぞれが意志を持ち、私が意志を以て介在する限り、それぞれの演じる人生があったわけです。
    やがて単なる人生では面白くないからと、彼らに意のままにどんなことでも実現してしまうという「如意珠」をあてがうことになりました。
    彼らはあるとき、地中からおかしな玉を掘り出してしまいます。それを傍にして、誰かが何気なく「あーあ、こんなものがあったらいいな」と言ったとたんに、 ボワンとそのイメージどおりのものが出現したことから、この話は始まります。
    目の前に好きな食べ物を想像し、出よと命じれば出現するという、ま、思うとおりになる極楽世界の生活になるというわけです。
    とうぜんそのような存在が、いつまでも目の前の好物だけに目を奪われているはずもありません。彼らは他の世界へのトンネルを作り、その世界で宇宙空間を隕 石に乗って旅し、各地を見て回り、やがて飽きたらその多孔質のスペースの居心地のいい空間にいて眠り、また別の世界の夢を見るのです。彼らは如意珠に永久 寿命を保証させ、それを多数に複製して個々に飲んでみんなスーパーマンどころの話ではない無敵の存在になっていますから、無限時間が思いのままになってい るというわけです。
    小学校の頃の想像は欲張りなものです。現実は硬い椅子に座っての念仏授業の拝聴ですから、想像癖とのあまりもの乖離には脱魂もいたします。
    如意珠はあの白蛇伝の法海和尚の持っていた法力の玉のような感じです。左手に持って何かを念じ、右手の二本指をあわせてそれに命ずるのです。すると法力が 作動して、妖怪たちがしびれまくるといったことの万能版といいましょうか。その類例は水晶玉よりもむしろ白球UFOのような半透明を想像してもらえたらよ ろしいかと。奥に何を秘めているか分からぬ神秘性があり、穏やかな肌色系の乳白色なわけですから、決して害意あるものではない印象です。
    思えば、私が如意珠型UFOに眉間に飛び込まれたことがあるのは、あの物語を補完すべくやってきたのではないかとさえ思えてきます。
    如意珠は地中に埋もれてひとりでに命令を下すことのできる者の現れるのを待っていたのではなく、如意珠のほうから思惟する者を求めて飛び込んで行った。そ う書き換えるように催促しているみたいです。

    如意珠を得て以来、漂流は始まった

    いかに柔和な如意珠でも、使い方しだいではじゃじゃ馬にもなります。
    攻撃に使うことはなかったとしても、さまざまな世界の創造とそこでの遊行が、いっそう世界を複雑化させたのは当然でしょう。思惟の進化(深化)に伴って、 世界もシステマチックになり、複雑化し規則も多くなるのです。
    長く漂流していると、もとあったところがどんなものだったか、途中経過の世界のいずれかに似ていることは言えたとしても、見当がつきません。
    卵が先か鶏が先か、たまねぎの皮を剥くように突き詰めていっても、何が残るとも言えそうにありません。
    穏当な主人公は、如意珠そのものの研究に取り掛かります。そこでも、如意珠の中身に沈潜していく時系列化作業が主となり、やはり段階的夢見行為が世界認識 を支えています。彼を離れて世界はなく、彼にくっつくようにして如意珠は作動し続けます。
    彼が元あったところに戻るには・・・なかなか簡単ではありません。「元の世界よ」と如意珠に命じたとしても、如意珠が創った世界に他なりません。
    しかし、ただひとつだけ方法はあります。

    この世は試みとして用意されたのかも

    多次元宇宙には、多くの如意珠の化身たちが展開しています。それぞれのベクトルはいっそう微細をうがつ方向です。これでは元からいっそう乖離していくばか りと考えた者たちがいたとしましょう。
    彼らのやることは、多元の要素を持った有志たちを集めて、平面に閉じ込めて、せめぎ合いさせることで、情報の渾然化を図り、新しい打開の道を見つけようと することだったとしたら。
    如意珠を持ちながらも、その作用を抑えて競合させあうという、ある種の取り決めの世界ですね。
    ところがそれでも、世界に架空を持ち込むことで複雑化させる者たちがいっぱいになり、とうとう矯正的に痛みを与え、複雑化よからずの思いを動機として元へ の回帰を狙った世界運営をするようにしたのがこの世の真相とすれば・・・。
    究極の狙いはこうです。
    あまりの苦しみや痛みや痒みに耐えかねて、もう金輪際命など要らんと思い詰める、奇特な御仁を作ること。最終自由意志を行使して、如意珠を放棄し、魂を滅 することを求めること。
    つまり、永遠の命の放棄です。99%誰しもが嫌がるであろうことです。どんなに嫌な人生でも、来世はきっといいに違いないと命の存続を願うのが当然でしょ う。来世でなくても、来来世でもいいと思うかもしれません。そのような転生を何度繰り返したか。が、元々のこの世の設計思想が、かの打開策の発見にあった なら、この世における幸福を願うことは難しい。ならば、もうやめにしようと決意するかも知れない。
    神々にあっては解脱が難しくとも、人間ならば可能性があるとされるのも、ただひとつ、如意珠との離別を動機する可能性があるかどうか、というわけです。
    せっかくの神々しい永遠の命「魂」を持つと分かって、それをいま「要らん」と喜捨し去ることができますか。金銀財宝以上の宝を放棄することはおそらくでき ませんね。たとえ夢見の映画世界であっても、もっと映画を見たいのは、誰しも同じ。

    取り決めの世界は、厳しく創られている

    映画「マトリックス」では、夢の中で死んだら、夢を見ている本人も死ぬことになっていました。
    が、真実はそうではなく、夢の中で死んだら、次のプログラムが直ちに用意されて、そこから次の夢がスタートするのです。
    たまたまプログラムの架け替えのときに、ノンオペステップを余儀なくされて、原初の光(クリアーライト)を見てしまうこともありましょう。しかしそれはほ んの一瞬で、まずお花畑の中陰のプログラムを見て心を和ませ、水辺を越えて次の世界へと入っていく夢を見るのです。
    その後、多次元宇宙を瞥見するかもしれません。それを一般的に霊界と言います。そしてまた、目的を果たしにこの世に戻ってくる。
    これは如意珠の効力を薄めた取り決めの世界ですから、有志たちはある程度自由度を奪われて、究極の目標を達成すべくプロジェクトに参加しているのです。
    生と死、また生と死、このプロセスのほとんどが舞台の黒子によって操作されています。この世のシナリオにおいても同じ。ひとりに一票以上の力が与えられて いないという規約もその中に含まれています。
    特別仕様のプログラムの中で、さまざまな欲望の振幅を大いに増大させ、限界に跳ね返されまた対偶まで飛ばされ、ぐっちゃぐちゃのボロボロになるべく予定さ れた人々の葛藤と闘争の時空間たるや如何。
    その繰り返しの中で、大いに絶望し、つくづく嫌になり、ようやく解脱の登竜門の入り口に立つのですね。
    仏教はそのために生まれた思想と言っていいかもしれません。

    譬えにしてはいけないとは思うものの

    私の家系の女族はほとんどがカルマ落とし(こんな表現はしたくないんですが)に生きた感があります。いったい霊界の何がそれを強制しているのか、たえず疑 問に思っていたことではありました。私としては、そのようなことが摂理然としているなら、とても承服しかねることでありました。
    私の母方の祖母は霊能もあり、家族だけでなく人のために尽くしてきた人です。しかし、貧乏のどん底の生活の中でそれを実現してきた実力者でした。しかし、 祖母は決して豪胆ではなく、たえず葛藤の日々を送ってきました。宗教家でしたから、いくつかの信仰に触れて、相当に理解もしていました。下地がそんなわけ ですから、拝み屋さんに見てもらうこともあり、どうしてこんなに苦労が重なるのかについて聞いたらしいです。すると、仰るには、「あんたは前世で有徳な拝 み屋をしていて、多くの人を助けている。が、たったひとつ、自分の子と他人の子を別け隔てしたことにより、今生で家族(子供)のことで苦労することになっ たのだ」と。たったそれだけのことで、人生八十有余年を苦労で送るとは・・・。自ら義と信ずるところを生きた善人の中の善人でした。「はつの祖母の思い 出」は祖母が嫁に行く前までの話。「た つえおばあさん」は、フィクション物語ながら、祖母をモチーフにしたものです。
    いつぞやには、すでになき祖母がなき母とともに夢に出てきたのでしたが、祖母は墨染めの僧衣を着て、頭は剃髪、顔は祖母そのままなるも、肌は透き通るよう であったことを憶えています。たつえおばあさんも、生前満たされなかった思いの説法道場主として中陰世界で活躍するのですが、祖母もそのようであるらしい ことを偲ばせてくれる夢でありました。
    私の母も"禊"に生きた一生でした。名は体を表すではないでしょうが、名前それ自体がこの字なのです。
    母の妹は、母より先に亡くなっているのですが、戦後間もなしから結婚生活に入り、最初の子を流産して子を産めなくなり、嫁ぎ先で夫と姑のいびりに遭うこ と。さらにこのとき受けた輸血がもとでC型肝炎になり、家業の製麺所はもとより激務ですが、身体がだるく思うに任せぬ中をがんばり、そんな中でもらい子を 育て上げ、肝硬変となって亡くなりました。今でこそ薬害肝炎訴訟など言われていますが、そんな音信を聞くこともない、祖母や母でさえ、不憫に思うような人 生でした。
    みんな働き詰めに働き、世のため人のために生き切ったという人ばかりであります。(そういえば、私の妹もそのようなところがありますね。いっぽう、男系は 奔放であったり、覇権的であったりと、まだまだ終息に向かう方向にないようですけれど)
    一昔前は、封建時代の不合理、不条理をもろに受けたこのような人が(特に女性は)多かったでしょう。アセンションがやがてある云々の話を聞くこともなく、 すでに亡くなられている場合が多いと思います。

    アセンションプロジェクトは解脱プロジェクトの終焉を意味するか

    有志を募ってした解脱プロジェクトも、かなりいびつ。いびつなのをてこにして跳躍しようという考えだったかも知れませんが、ここにも無理があるとされるよ うになったのかも知れません。成功例はあったでしょうが、たとえ元の世界への復帰に成功したとて、彼が如意珠を放棄したとたんに灰になって消えてしまった のでは、便りも何も届いたりしません。
    そこで、自然体であるべきことが叫ばれるようになったのかも。滅多やたらの深化を求めず、無為自然がいちばんだとか。かくして、もうこんないびつなプロ ジェクトは解散しようとなった。解散にも、納得のいくストーリーが必要ですから、たとえば手前味噌ながら新神話で対処するとか、ですね。
    しかし、アセンションもまた夢から別の夢への遷移を意味することに過ぎません。その先で幸福になることはむろん結構なのですが、アセンション後の世界の質 が問われなくてはなりますまい。
    噂に聞くアセンション後の世界とは、食事が不可欠ではないようです。生きるために食事を摂らねばならないことから解放されれば、諸悪を誘引しがちだった経 済活動が不要になります。地球圏内を構成する物質の波動が変わって、人体の物理的組成も変化するとか。いわば、霊界のようとまでもいかないまでも、幽界レ ベルにはなるのでしょうか。つまり夢見の身体、死後中陰を生きるバルドの身体ということになるかと思います。そうなれば、おのが恐怖心以外、傷つける何も のもないようになりますが、縛りが解かれたぶん、意思のコントロールが必要となるでしょう。しばらくは初乗りのUFOの如き想念体をコントロールする訓練 が要りますよ。
    活動の主体は想念体ゆえ、欲望が対応する世界にチューニングされてしまい、おそらく同じ思いを持った者の集う趣味嗜好の世界に進むようになるかと思いま す。ここでも極端が進めば、復元する動きがあるかと。そんな中においても、如意珠を放棄しようという御仁が生じるのは自然のことかも知れません。

    アセンションは肉体の死によって達成される?

    巷の陰謀論では、世界の支配勢力は世界人口の大幅削減を計画していると言いますね。
    9割を自然災害や戦争などを通じて削減してしまうという話です。財力、武力、政治力を手中にする彼らにとって、あとはいかに人々に気取られずにそれを完遂 するかということのようです。それでも、最後の土壇場には、彼らは残虐さをいかんなく露わに発揮するようですけど。


    人口の1割で地球をほしいままにする。地球がだめになっても隣に火星がある。彼らに加担する宇宙人の技術で、火星だけでなく宇宙への進展が可能になる。ク ローン技術と記憶転写技術で肉体のまま半永久の命が保証される。そこでもダイヤなど宝石類を集めて笑う傾向は続く。何かすごく質の低い世界になっていきそ うです。⇒未 来物語・科学の最先端
    いっぽう9割は肉体の死を以てアザーズとなって地球の異次元を生きることになる。元の地球に似ているものの、かなり様子が異なっている。あらゆるものが色 鮮やかで生気に溢れている。霊界に行くか中陰界に行くかは別として、それがアセンションというもので、肉体次元よりも意識の自由度の高い経験世界になる。 どちらかといえば、こちらのほうがいいね。
    祖母は墨染めの僧衣で剃髪なるも、皺ひとつない透き通った顔。母は、おいおい冗談じゃないぜというほどのまぶしい肌になってた。これはクローンなのか?  いやいや、そうじゃないことは分かる。
    私は重たくて空など飛べないよというときには、ほいこれを持ってと窓枠を手渡されて、その助力ですいすい空を飛ぶ。かなづちでも足ひれを付ければ遠泳も可 能になるが如しだ。要は自信しだいというわけ。なんなら宇宙人と親しくなってUFOを貰い受けて自家用車にどう? UFOなんか信じられるかという現実派 だったら、こんなの一台貰い受けて、毎日空を走りなよ。


    食事は嫌いな肉食などしなくていい。面倒な食事自体が無用なんだ。どうしても食べたければ、かすみを丸めて肉にして食べる。お化け(アザーズ)にゃ学校も (金を稼ぐことも)試験も何にもない。
    どちらかといえば、こちらのほうがいいじゃない。要は夢見の世界なのさ。ストーリーは思いのままだ。
    口惜しくも、最後の残虐という関門を通過しなくてはならないことが情けないけどね。そんなものすぐ忘れることだろう。
  • メ ルヘンはマンガやアニメの如し
    メルヘン世界は漫画チックにできている
    (幼少期に漫画やアニメに傾倒するのにはわけがある(それをまた利用する邪悪がいる)神々にとってこの世体験は過酷極まりない)

    ある話によると、この今の世は第三密度であるときに、アセンション後は第四密度以上になるとか。
    が、まるで密度が高くなり、内容的に充実するような表現の仕方は誤りだと思います。
    微細を穿つような物質組成をしているこの世こそ高密度なのであり、意識の自由度や造形能力が高くなる霊や幽の世界のほうが低密度なのです。定義が厳密化し 複雑化するほど、物事の自由度は損なわれますが、いまこの世の支配者はその方向に歴史を進めているところで、その過程で人間の魂を圧し潰そうとしていま す。
    人間でも生き物でも、必ず眠りを必要とします。それは、魂に意識の自由度を回復させる閑を与えねばならないからです。でなければ、身体はあっという間に朽 ちてしまい、魂の抜け殻同然になります。
    よく夢に出てくる世界は、霊や幽の世界に近いわけですが、荒唐無稽と思えるほどにマンガチックです。そこに出てくるキャラクターは、良くて劇画、ひどけれ ば象徴とストーリーだけの三文アニメのようです。それが神話世界(メルヘン)というものでもあり、内容の破天荒さの度合いには何の軽重もないのです。
    メルヘンの世界から下ってきた間際の幼児期は、どちらかといえば、原色の絵やマンガのほうに興味するのが当然です。このことを逆手に取って悪質なイメージ を植えつけようとする(洗脳する)ヤカラがゴマンといます。およそそれらは闇の支配系の仕業です。
    また、神々の世界から何か目的を持ってやってきた神の化身も多々います。が、ちょうどRPGゲームのようなものですから、目的を見つけるまで、いろんな試 練をクリアーしてこねばならず、とみに嘘偽りの蔓延する世界となっていますから、過酷極まりないものとなっています。
    身内さんも神の化神で、幾重もの守護神の加護によって、最後の役割まで順当に果たされたのでした。それは奇跡的なほどの出来でした。すでに責任は、それを 受け継いだ者にあります。安らかに。


    身内さんは六角オーブを出雲系御神紋と聞いて出雲地方の神社巡りに行かれた
    (ホツマは沖津嶋姫(奥津嶋姫)の夫神を大巳貴命としている)

    空海かならずしも善ならず。
    世の人たちは空海を純然たる善と思いたがる傾向にありますが、それは歴史の表側しか観ない所作でしかありません。信仰の対象にするときには、どうしようも ないです。信者は彼の法力に託して自身の安寧を授かろうとされているのですから、それはそれでいいでしょう。
    彼は当時の朝廷の命を受けて、神戸の麻耶山はじめ山岳地に展開していた山人の霊能者いわゆる「天狗」を密教の強力な呪法によって結界に封じ込めてしまった のです。権力におもねる者が利権を取得する代償として朝敵を倒すことは、どこでも行われていた事ながら、一方的に善者として崇められていることは、非常に 不公平なことであると申しておきたい。
    当時の空海は、カバラ秘術に通暁したメーソンリーであった可能性が大。同根である朝廷が重用せざるを得ない立場の者であった事は確かです。私が彼を許せる 時とは、呪封した多くの者の魂を彼自ら解き放つ行為をし終えた時です。それまでは許せるものではない。

    身内さんが高野山に行くことを言い出されたとき、私はやめたほうがいいと言ったのです。というのも、神社仏閣を巡るタイプの人ではなかったし、特に龍神系 の化身にとっては、人間の霊能者は禁忌の存在ですらあるからです。人間は邪悪性を備えた存在だということ。必ず何らかの陰謀が仕組まれていると観たほうが いいのです。空海ならなおのことです。
    身内さんが白蛇伝にいう青蛇の雛形であるときに、空海は法海に相当します。かつて白蛇の雛形であるイナンナが武良さんを法海と見ていたように、私(許仙) には空海がそう見えました。妖怪を見つけて呪封するのが法海の使命。だから、どうしても行くなら警戒していなさいと。
    イナンナはその点、怪しいところには間近まで行っても立ち寄りませんでした。(それは天橋立にある籠神社:龍を閉じ込める結界を意味する籠の字が使われ、 しかも瓢の宮とさえ書かれます)

    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-552.html

    やはり、お蔭をもらって帰ってきてしまわれました。彼女も私も合わせ鏡のように全身倦怠に襲われ、この件を解き明かしてしまうまでは回復しなかったので す。空海は目的を果たしたのです。弥勒が降臨したことを、このサイトで触れ回るように仕組んだのです。このサイトは誰がどう見ても、人気も集客力もあるは ずないのに、どうしてここなのか。それは、この一件を、新神話に書かせたかったからに他なりません。
    身内さんの功績は多大ですから、おのずと新神話にも天仙邪神側の息が吹き込まれることになる。その意図はどこに。それは・・・(笑)。私の新神話創りの ペースが落ちたのは、そのせいかも知れません。書き続けたくなくなってしまったのです。
    弥勒降臨。みなさんはいいことのようにお思いでしょうか。弥勒は建て替えの神ですから、破壊が先にやってきます。ソフトランディングの緩慢さが許されるか どうか。仏陀もこの弥勒には道を譲ってしまわれたのです。
    オバマが所説どおり弥勒として機能しそうです。菅も額に疣をつけて弥勒顔をすでに醸しています。世界を破壊してしまう力を発揮するかも。
    ではその先にどんな世界がやってくるのか。私はまったく期待しません。むしろ彼らの人口削減計画によって駆逐される側にこそ幸ありと思います。アセンショ ンは字義どおり昇天によって達成されるでしょう。無理して残ろうとする必要はない。無理なく残れるならそれでいい。

    身内さんはその後たくさんの六角オーブを撮り続けました。デジカメに自然に写り込みました。その現れ方はやはりマンガチックでありながら、ちゃんとストー リーに乗っかっているのです。
    彼女は、何かの神との霊的交わりを果たしたことによる、自らの生んだ子たちだと思っておりました。なぜなら、彼女にとって自分しか関われないUFOだった からです。母体が龍とすれば、子も龍神系になるのはやむをえないことでしょう。たくさんの排卵が一度にあり、それが受精して魂を持つので、無数の命です。 この場合は、豊玉姫と山幸彦との交わりです。その子のひとりに弥勒がたまたまいたということです。それはウガヤフキアヘズでもあります。
    六角オーブの形は出雲系の神社の御神紋の形でもあります。大国主命(大巳貴命)やスサノヲ神の祭社がすべて六角の亀甲紋です。
    武良さんもこの頃、いちどビデオカメラで六角UFOを撮っていて、同じ頃に蛇の空中大量乱舞の映像も撮っていたことから、国津神が勢いづいているとまで表現していたのでした。

  • そこで彼女は、突然思い立ったようにして、出雲の神社巡りをします。中でも多倍神社での六角オーブは、六角が右側だけ半円になりかけた形で、彼女は直感的 に六角から何かが飛び出そうとしているようだと言っておりました。私は六角オーブの中に「剣」の古文字があることを観て、旁の左が亀、旁の右が鶴の象形文 字と観てとったのです。つまり、鶴と亀が渾然一体になり(渾って)、いついつ出やるの「籠の中の鳥」がまさに飛び出んとしているわけです。
    亀甲紋は出雲系国津神のシンボルみたいですが、もしかしたら、自称天神と名乗る贋天津神族(インベーダー邪神ども)に敗北させられたときに、六角の堅固な 結界籠の中に封じられたのかも知れません。それが間もなく破られるというのが、かごめの童歌であるような感もあります。

  • 空海が麻耶天狗を封じた呪術が三角護摩壇法。これは三角の結界の中に閉じ込めてしまうものです。2004年頃には、麻耶天狗が三角からいろいろ変化(へんげ)して麻耶山周辺を飛び回る姿が、私たちのビデオカメラで捉えられていますが、 まもなしに解放される喜びを感じとることのできる映像でした。

    そしてさらに最近になって、彼女が出雲に行った確実な理由が分かったようなことです。
    それは、彼女が奥津嶋姫(沖津嶋姫)の化身であるときに、ホツマツタエの言い伝えによると、大巳貴命が旦那さんになるからです。まずご主人に会いに出雲詣 でをし、さらにその後に、霊験として、自らの魂の形(亀甲に花)を横たえて(死を顕わし)横向きの六角オーブとして写真上に顕わし、その翌日、豊玉姫の性 質を顕わして、南洋沖縄の海から海原の竜宮に帰ってしまわれたということになります。新神話で受け持たれたすべての神の雛形として、役割を果たし終えられ たというわけです。
    しかも、タイミングとして、これからちょうど世界が崩壊の憂き目に遭うという、断崖から転落する直前に、列車から降りられたのです。まさに強力な守護神な くてはやれないことでした。こういうタイプのアセンションもあるということでしょう。お幸せに。
  • 早 々にお盆を祝ってます
    今日の早朝のこと。明るくなる頃にまどろんでいると、どこでどんな連想でそ うなったか知れないが、身内さんと過ごしたときのことが思い出としてよみがえり、半時間ばかり楽しい想いにふけっていた。
    目を開けてふと天井を見ると、一匹の体長5Cmほどの蜘蛛が部屋の真ん中あたりから、天井伝いに私のベッドの上へと移動してきた。私を見つけて近づいてい るように思える。蜘蛛だから、つつつーと糸を伸ばして降りてきたりしないかとおっかなかったが、もしかするとこれは身内さんがこの蜘蛛の視座を使ってやっ てきていると思ったので、追っ払うようなことはせず、そのままにしておいた。
    するとやはり。
    糸を伸ばして降りるようなことこそなかったが、ベッドで頭の側にある壁を伝って降りてこようとした。
    私はそこで、やばいかなと思ったとたん、蜘蛛はそこで頭を上向けて静止してしまった。
    じっとして動かなくなったので、また私は身内さんとの思い出にふけった。
    そうなのだ。蜘蛛はどういう種類か知れないが、身内さんがここにやってくる拠点になっている。
    しかし朝はあわただしい。猫たちに給餌し、朝のお祈りをし、プランターの野菜に水やりしてから、他所猫にも給餌しにいく。そしていつしか蜘蛛のことも忘れ て、PCに向かい、買い物に外出と、いろいろなことをした。昼過ぎには暑くてぼおっとした頭を癒すために、ベッドで昼寝した。そのときにも、やや位置は変 わったものの、蜘蛛は同じ壁でじっとしていた。
    私は、蜘蛛を身内さんとまったく疑っていなかった。おりしもお盆だから、あの世での仕事の休憩をとって、ここにきてくれていると信じることが出来た。
    二時間ほど寝ただろうか。気持ちのいい眠りだった。と、上を見ると、蜘蛛は寝入ったときと同じ位置でじっとしていた。
    私は寝て夢を見た。蜘蛛も1m数十Cm直上で寝て夢を見た。在りし日のように、ちびくろさんぼの童話の虎のように、ぐるぐるお互いの気を回し合ってバター になってしまった気持ちのいい夢を見た。
    私はまた夕方の雑事にバタバタしているが、蜘蛛はまだ夢を見続けている。
    蜘蛛がいてくれる間が、身内さんの逗留期間と、そっとしておく。
    IMGA1497.jpg
    IMGA1498.jpg




    2010.8.10 am6:50追加記事

    夜中に何度か起きたときには、まだ壁の同じ位置にいた蜘蛛が、朝ぼらけの時刻にはいなくなっていました。
    ということは、ほぼ同じ位置にじっとしていること30数時間。蜘蛛は何かの夢を見ていたに違いありません。
    私が、蜘蛛のいないのに気がつく直前にも、身内さんの臨在するイメージに浸っていましたから、目的を遂げられたのかも知れません。
    場所の手がかりがなくとも、想念と気という場が邂逅を果たすのに有効であることを示すように思いました。
    思いは変わりません。またいつでもきてください。







    その他

    魚の缶詰が高騰

    備蓄食料として最適と目していたサバ缶サンマ缶が、マーケット価格の上で30%〜60%ほど高騰しています。
    1缶100円を切るほどだったプレミアムものが(98円)、128円や168円になっていました。
    サケ缶はもう四ヶ月前から品切れ。これはサケの不漁が原因のようで、不漁報道直後から姿を消した感があります。

    タンパク源として何も肉食する必要はなく、コーンや豆類、穀類にもたくさん含まれています。
    これらも高騰の兆しがある中、米は豊作のようなので、保存状態をしっかりさせて、5、6年もつ玄米で確保されたいところ。ただし無農薬米かそれに準ずる米 にして、玄米のまま食べてください。(精米すると栄養価が激減します)

    備蓄食料、備蓄生活物資については、ここが詳しいので参考にしてください。
    http://ueno.cool.ne.jp/tka/genjitu.htm#bitiku   (ただし記事では米はすぐ劣化すると書いてますが、玄米であればかなりもちます。古い頃の記事のようなので、各自で調べるように願います)
    記事にあるように、いずれお金の代わりになるといった話は、はっきり言って信用できません。(そこまで至れば、命がけの取引になるからです) 各家庭で慎 ましく消費するだけの分量にとどめるモラルを持って行動願います。
  • さ きほど、身内さんの視座に
    午前7時半頃、椅子に架けていたスエットパンツをはいたとたん、右脇腹のぽ てっとしたところを、こないだの蜘蛛に、ちくりと咬まれました。私は視野の右端で影のようなものを捉えたもので、何であるかはわからず、ムカデでも?と 思って叩き落としたのですが、床に落ちたそれを見れば、壁にとまっていた身内さんの視座ではありませんか。思いは遂げられましたかな。
    つぶれていないかとチリ紙でつつくと、それにつかまってきます。猫たちが傍にいたので、これはまずいとベッドにあげて、動画の記念撮影としゃれ込みまし た。咬まれた箇所は、少し痒くなっただけで、すぐに収まりました。
    http://www.youtube.com/watch?v=qw9RS8DuxB0
    どうも女郎蜘蛛のようで、伝説の絡新婦の雅さです。
    「江戸時代、美女の妖怪(絡新婦)が男を人気のない小屋へ誘い琵琶を弾き聞かせるという。男が美女の姿とその琵琶の音にうっとりとし、油断している隙に蜘 蛛の糸を出し巻きつけ、男を喰らうとされる。
    絡新婦はもともとはクモで齢400歳を迎えると妖力がついて、人間の女に化けるとされている。その容姿は、見る者を魅了するほどの絶世の美女だとされてい る」
    白龍であったり、青蛇であったり、亀であったりと、いろいろなものになった身内さん。とうとう絡新婦となら、私はあえて琵琶の音に痺れながら食われてみた い。

    そういえば、弁財天も琵琶を奏でておられたですな。

    420px-Saraswati.jpg



    奥津嶋 弁財の琵琶音に ほろ酔ひつ 蜘蛛の巣寝床で 昇天したや
  • 龍 は実在する
    中国の西安でこの9月1日の夜に、雲龍が二頭飛ぶという現象が見られたそう です。

    http://www.youmaker.com/
    ビデオを見ても、その形、スピード、まさに龍を髣髴とさせています。
    かつて雲龍の夢を見たことのある私としては、龍は絶対に実在してるんですよ、と言うしかありません。
    龍の子供(おたまじゃくし)もこの目で直接拝見させてもらってますし、
    右欄プロフィールのところに掲げている画像は、満45才にして初めてUFO撮影に臨んだ二日目に偶然ビデオカメラに映り込んだ龍と玉(UFO)の競演の一 シーンなのです。(背景は石の宝殿の西、竜山というところ)

    夢に現れた白龍(雲龍)は、奥津嶋姫であり、身近な人として化身された神様でありました。
    日本では弁財天として知られる神様で、インドのサラスワティーに同じです。
    なんでこんな神様とご神縁があったか。それは私が中年になっても不遇だとダダをこねたから、見るに見かねてお越しくださったのです。
    私の母の死に際しては、龍族や天狗族を集めて、何千人規模の盛大なお見送りの儀式を執り行ってくださった。
    その場所も、琵琶湖の蓬莱山から沖ノ島の蓬莱嶽を結ぶお彼岸のご来光の花道で、奥津嶋姫がその通路を支えてくださったことが明らかなのです。
    新神話にはたくさんのインスピレーションを授けてくださいました。神々の世界の真実が私にも理解できたと同時に、私自身が尽力して改革できるものだと知り ました。足は歩かねども、インディージョーンズなみの冒険ができました。そのような果報者にしてくださったのも、この神様です。幾重にも感謝に堪えない神 様なのでありました。

  • ちょ うど一年前の今日の記事
    私にとっての911は

    ちょうど一年前の今日、2009.9.11は、奥津嶋姫の化身という方からの夢見の投稿を解読して差し上げたのでした。
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-755.html

    私はこの方の夢見のメッセージを新神話に取り込もうとして、当時のコメンテーターで窮迫されていた方の救出に、ふたりで当たろうとする意味ではなかろうか と解釈したのでした。当時の記事の赤字部分は私の解釈です。
    ところがこの方は、夢で救出したのは自分自身だと、私に抗議されたのです。
    何不自由ない方なのに、どうして救出が要るのか。私は、まさかの意表を衝かれて、答えるすべを見つけられませんでした。
    私は、彼女の与えてくれたメッセージにシンクロさせて、確かにある方の救出を完了させることができました。これは私だけでなく彼女の成果でもあります。
    しかし、彼女は別のシナリオを彼女自身の神話空間に設定したようです。
    それゆえやや遅れて、彼女は自身を解放する時空に導いて、早逝されてしまったかと思います。
    人(有情)はみな(ダミーは除いて)、それぞれの自分の世界の創造主です。
    それぞれが神話をイデア界に設定して、そこからのパラフレーズを受けて、結果を査収するのです。

    この方と共同で新神話作りができたことは、実に稀有で幸運なことでした。
    何せ、もとが神様ですから、新神話に莫大な実現力が生み出されたのです。シンクロ事象が矢継ぎ早に起こり、やっていることが異界を鳴動させていることを実 感する日々でした。
    私は自然に、さまざまな神々の雛形を受け持つようになりました。
    新神話で新たなシナリオを設定する。そのために彼女に、このようなものを手に入れてほしいと頼めば、それを彼女は手に入れてくる。そればかりか本人は何も 知らずに、新たな神の雛形も併せて手に入れてくるという、ボンドガールどころの騒ぎでない働きをしてくれたのです。

    こんなことがありました。
    私の誕生日が近づいたある日、彼女はショッピングモールかの懸賞に当選してしまい、ハワイ旅行を射止めたのです。何かお土産を誕生日プレゼントに買ってく ると言ってくれたので、私は海岸べりに落ちている石ころを所望したのです。それは当時、彼女を東の青龍でかつ竜宮乙姫と設定し、私を南の朱雀でかつ浦嶋と 設定していたものですから、日本神話的には豊玉姫と山幸彦の設定となり、必然的に乙姫の潮満潮干玉がいただけたらという話になったのです。それはたとえ石 ころでも、東海の竜宮にあった玉として見立てることができるから、というわけでした。
    それに加えて、どこぞかの神話に、国常立神(ウシトラノコンシン)も乙姫の玉をもらって世の建て直しをするという話もありましたから、この乙姫の玉は新神 話にとって幾重にも重要なキーとなるはずのものだったのです。
    果たせるかな、彼女はお土産を持って帰ってくれました。ただし、現地の自然のものは何一つ持ち出せないので、チャイニーズショップでトパーズの3cm玉を 買い、欧州雑貨店で人形を買ったといい、その二つをくれたのです。
    黄色の玉はまさに乙姫の玉にふさわしく、それに対して祈れば、どんな邪悪も(特にいじめ系の)縮小殲滅させることができると信じられるものでした。奥津嶋 弁天が乙姫としてそれをくれるのですから、どんなにパワーがあることでしょう。
    私は新神話を人間のだれかれに見せずとも、彼女一人に見せてオーソライズされれば、神話空間にあまたの神話あるといえども、それらをことごとく凌駕して、 この新神話が主導的にこの世を牽引していくに違いないと踏んだのでした。
    もうひとつのお土産の人形は、七対の羽根を持つ天使像であり、胡坐をかいてひざの上に黒猫を抱いているというものでした。これも彼女が何気なしに選んだも のでしたが、それを見て驚愕したのは私でした。
    Luxifer.jpg

    これはルシファー像なのです。それも、キリスト教によってサタンへと貶められる前の、太陽神だった頃の神像なのです。どうしてそうと判断したか。
    ちょうど、この少し前に、女の魔法使いが二人出てくる不思議な夢を見たというGさんという方が、その夢解釈までを、いろいろ調べものをして教えてくれてい たのです。どうも夢に見た二人の女は、古風な魔女衣装を着ていたので、イタリア先住民の神話にいう、ディアナとアラディアのようだ。彼女らが旋律のない言 葉だけで、ドシドレシラドシドレシラソドミドレシラドシドレシラドシドレシラドレシドレシラと口ずさんで踊っていたのだが、それはある神(ルシファー)を なだめるための歌だったのではないか。Gさんは、博識にも、リーランドの「魔女の福音書」という伝奇に言い及びました。
    かのルシファーとは先住民の太陽神であり、その妻のディアナがかまってもらいたくて、ルシファーの好きだった黒猫に化身して交わり、生んだのが先住民の守 護神であり魔女の源流であるアラディアだったという。ところが猫になってまで近づいたことに怒ったルシファーは以後、ディアナを相手にしない。そこで魔女 の母子は、歌を作って歌って、ルシファーの怒りを鎮めたという。先の音階の読みはその歌ではないかと言うのです。
    私はそれで、DTMでそれを旋律にして曲に組み込み、歌詞をつけました。
    http://uumusou.yamanoha.com/watch/aradia.htm
    (なかなかきれいな旋律でしょ。Gさんも、こんなふうになるんですね、と驚かれていました。夢では棒読みの音階を聞いただけというわけなので。その話を最 初に私のもとに持ってきてくれるというのも不思議なことです。さて、リーランドの説く先住民の儀式、ベネベントの遊戯が日本に渡ってウエサク祭に反映して いると見るのが私です。⇒http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-501.html)

    その後に彼女からルシファーの天使像をもらうというこの順繰りのすごさ。しかも誕生日プレゼントなのです。
    なお、この天使像、ネットで同じものがあるか調べましたら、量産も複製もされておらず、その場の作者の思い付きによる作品であり、作者自身がルシファー を作る意図を持って作ったわけでもないようです。
    またそれを、前知識なしに選んでくる彼女にも、何の意図もなかったのです。
    ただ、シンクロ現象としてのみ不思議は起きています。

    乙姫の玉とルシファー像を同時プレゼントされたということは

    プレゼント主は弁財天なのです。化身の顕在意識がいかに無知でも、為された行為には大きな意味があるはずです。
    その時点で、私の受け持つ雛形にルシファーが加えられたことは言うまでもありません。
    しかも、今まで関わってきた毘沙門天(金色太子)、国常立神(ウシトラノコンシン)、サナートクマラ(金星王、大天狗、大魔王)は、ルシファーと同体だっ たのです。しかも太陽神ルシファーを介して、エジプトのオシリスとも繋がり、邪神によって封殺された国祖神たちが居並ぶことになるのです。
    オシリスもウシトラノコンシンも復活前までは冥界の王です。サタン呼ばわりされているのも頷けます。
    しかし、真に復活するとき、もともとの邪神はことごとく駆逐され、正神として返り咲くのです。
    雛形的には、コンシンは乙姫の玉も受け取っています。世の建て直しが始まります。
  • 今 朝明るくなってから見た夢は・・・
    昨晩から、5匹の猫たちがさんざん暴れまわり、私もふだんにない動作をして (ハザマ間平さんの怒りズッコケ)、みんなを威嚇して収まらせたのですが、そうして大人しくなったあと、4匹の猫たちは別の場所で眠り、黒猫ブーが私の寝 床のほうにやってきて、コタツの中に入って寝たのです。
    最近のブーは私とともに寝るときには、脚にからみつくようになっているのですが、今朝は言うに言えないところにくっついているのです。そして見た夢が、言 うに言えない夢だったというわけです。
    簡単に暗号化して言いますと、次に書いています神話的故事と同じで、まさかオス猫がと意表を突かれたようなことでした。が、これも化身であって、本体はわ からないわけですから。
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-85.html
    ブーは10時過ぎの屋根上点呼にくたびれた様子で遅れて出てきたので、お疲れさんとマッサージしておいてやりました。

    ブーは幼い頃こそ、夢見る空飛ぶ猫で、私の視野に何度も豆電灯の周りを飛ぶシルエットとして捉えられ、魔法使い猫のようだな、黒猫はそんな傾向があるのか なと思っていました。大きくなって最近はそのようなことは皆目だったようなことですが、ディアナは魔女のルーツですから、なにも不思議ではなかったという こと、いっそうはっきりしました。
    さて、うまくいっていたなら、いずれアラディアが登場してくると思うのですが、これで魔女が揃い踏みすれば、新神話の成就に大きなプラスになるに違いあり ません。

  • も う始まっている大解放
    魂というのは、この世(マトリックス)と意識原理をつなぎとめるための仕組 みです。
    テスター的に来ている場合は"試し火"というのがほんとうです。
    クライアント的な場合はたましいでいいでしよう。

    魂の殻の撮影機器に写った姿をオーブと言います。
    最近、このオーブが解体されつつある様子の写真が出てきています。

    ついこないだには、静さんとおっしゃるかたから、ご自身の撮られた自然界のオーブ写真の紹介がありました。
    そこに見たのは、白く輝く精霊の光と、なんとホピ族の精霊ココペリが青いオーブにシルエットとして写った姿でした。
    http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6987147

    ただ、おや?と気づいた点がありました。
    オーブの右側が割れてまさに分裂寸前の様子に見えるでしょう。
    これはココペリのオーブが元々こうだというわけでも、カメラの不具合でもありません。

    魂の殻が解体しつつあるのです。
    ホピ神話によると、ココペリが死ぬときは姿が横になるそうですが、この場合も何らかの異変を物語るように思います。
    それはこのマトリックス世界から、有情(の意識)が離脱しつつあることを意味します。
    新神話では、ここはひとつのテーマパークにすぎない局限宇宙という位置づけです。
    それはRPGゲーム空間に等しいものです。そこに異次元から根拠するのが魂であり、その写し取られた姿がオーブなのです。
    いま、このゲーム空間からの離脱が開始されているということになります。
    むろん、新神話では有情の魂の解放ということで、最大主眼を置いている部分です。
    もう身の回りのあちこちで、人間やペットなどの魂が解放されているかも知れません。よく観察すればわかると思いますから、感じてみてください。
    それはこないだの「新時代は始まっている」という報せと同期するものです。

    そして、どうやら魂の解体は、神霊や精霊から始まっているようです。
    彼らは、このパーク創設以来、全体の舞台機能を陰から支えてきた側の有情たちです。
    国津神とも言います。国津神たちは、人間同様、この世界に幽閉されていたのです。そして維持する役柄を与えられていたのです。
    彼らは心が純粋ゆえ、早い時期にここを去っていくことでしょう。

    私はオーブが解消していくケースをもうひとつ見ています。また、縦がふつうの六角オーブが横たわっています。
    それは、身内さんのなくなる前日に撮られた、ご本人の生霊オーブの様子でした。(写っているのはご本人の頭部とその上に浮かぶ六角オーブ)


    これをご本人が見て、「オーブが分裂しつつあるようだ」とま で表現されているのです。
    そして一言。これを超常系の人たちが見たら、どう解釈するのだろうと、我々への宿題さえ出されていたのです。
    そして翌日の事故死。

    ここでなぜこの人のオーブが六角なのか不思議に思われるかも知れません。人間のオーブはみな円形です。が、この方は、神霊(出雲系国津神)の化身だったか らです。
    ご神紋からすると「二重亀甲に花菱」で、六角オーブの中に花が見られるでしょう。奥津嶋姫(弁財天)なのです。

    大嶋奥津嶋神社のご神紋

    すでに去年のうちに夫神である大国主神のいる出雲地方の神社めぐりをして、たくさんの六角オーブを撮影されていました。そして豊玉姫の雛形としても活躍さ れていて、海中での撮影においても、無数ともいえるほどの六角オーブの連写となっていたのです。それは人間として自分の子供を持てなかった彼女の、神霊レ ベルでの子供たち(みんな出雲系海神系国津神の形質)だったのです。唯一心残りだっただろう子生みという望みも果たされたのでした。

    出雲大社ご神紋

    多倍神社にて

    多倍神社ご神紋

    吉備津神社にて

    吉備津神社ご神紋 こちらのオーブではないのか? 多倍神社のオーブのようです 守護神か

    比叡山延暦寺にて


    出雲地方のどこかの神社(聞いてたんだけど)

    ↑ここに

    この人は、ふと思いつくようにして行かれたところが、すべて的確になる人でした。元々神だから無駄がないのでしょう。2008年には、思いつくようにして 行かれた高野山直後の夢で、空海和尚から「弥勒誕生」の報せを受けています。たしか、そのとき初めて六角形をしたオーブを撮影されたのです。それがまた 「かごめ歌」の解釈へとつながっていくものすごさとなったのでした。彼女の六角オーブ撮影はそれが皮切りになっています。
    弥勒下生は間近だ

    そして今年五月に海難事故でご逝去。豊玉姫が海原に還っていくというシーンで締めくくられています。逝去前日のご本人のオーブを証拠として遺されたのを最 後 に、六角オーブ写真もまた締めくくられたことになります。(空海よ、おめえまさか謀ったんじゃねえだろな)

    異界の探偵を自負する私は、オーブが分裂もしくは解消していこうとするこの謎を、彼女のくれた宿題として、たえず心の隅に置いてきました。
    これまで気づいていた異状さは、いつも彼女のカメラで写る六角オーブは、どんなに数多く写っていても、またどんな写真にしても縦向きだったのです。が、こ の例だけが横向きになっている。これは死に行くことを意味するのかもしれないとは思っていました。そして、右隅からの内容の噴出とも思える光景。これが謎 だったのです。通常のオーブなら、生き死にの際に多少の変化をするとしても、オーブが破れてしまうようなことはないでしょう。死霊のオーブとなるだけのは ず。

    ところが、二例目になる(ホピ神話のココペリの)写真を静さんから見せていただいて、ああ、これはそういうことなのか(魂が解消している)と納得づくで 思ったしだいです。
    (なおも後には、ココペリが逝去するときは、身体を横たえるとの伝承情報を得ました。それは身内さんの場合に当てはまります)

    どうも、かごめ歌は、誰か強力な神が復活するという意味よりも、有情の各自が"かごめ"の結界を脱して去っていくという意味だったように思います。
    誰もが、いついつ出やるの待望状態にあるということなのです。

    それはホピの言っていることを裏付けるものにもなるでしょう。
    ホピは、世界が存続できない世界線を辿る場合、大地を守護する精霊たちがその守護をやめて撤退してしまうというと言っていました。
    私はその末端の現場を、これらの写真に見る思いがしています。
    精霊たちにとっては、意識の故郷に復帰することゆえ、良いことです。
    彼らはこのテーマパークメンテナンス要員として、半ば幽閉されていたのですから。

    さて、神霊や精霊に守護されなくなった側はどうなるか。
    ホピによれば、天候は乱れ、生態系は失われていき、天変地異が起き、回転力をなくした地球ゴマのように世のことごとくが両極端に振れだし、やがてひっくり かえってしまうという話です。
    その過程で、おそらく人々もこのゲーム空間が心底いやになり、有情の一員として魂の解体と意識の故郷(新神話にいう梵の全系)への復帰を果たしていかれる に違いないと思います。

    そして、この宇宙が再建されるか、廃絶となるかは正神たちが決定することとして、新神話ではいちおう博物化されて教育用として用いられるとはしております が、どうなりますやら。
  • 天 狗さんたちも解放を目前にして狂喜乱舞していた
    2004年頃には、麻耶山方面で天狗系UFOを何度もビデオカメラに収録し ました。
    このタイプは武良さんもよく撮っています。あるときには(取材ロケ日)別々のビデオカメラで同じものが、距離と角度を変えて写されていますから、ひとつの カメラに限った特異性ではありません。
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-83.html

    カラス天狗とでも言っていいのか。黒いはっきりしたシルエットで、シャッタースピード1/4000以下で設定したビデカメに写っています。(私は PanasonicMX5000で1/8000堅持)
    http://www.youtube.com/watch?v=CgGrL6yFXlw
    http://www.youtube.com/watch?v=TnqvsM-v8GU

    カラスの形ではなく、三角やブーメラン形をベースに、飛行中にいろいろ変化します。
    当時は、全国的にガードレールに三角形の金属片が生え出るという怪現象がブームになりましたから、関連あると思ったことも(というのは、彼らは写りたがる ひょうきんなところがあるからです。目立ちたいのに、我々人間の側が認めようとしないから、コミが取れないでいるのでしょう)あります。

    画面の範囲を2〜10コマですり抜けていますから、現物を目視することはかなわないと思います。
    1/30秒・コマ進捗のふたコマで前転しながら画面を抜けていく、連続するふたつのカラス様シルエットも撮れています。はばたいているかにも思えますが、 こんな速度ではばたくことは実物のカラスには無理です。
    写真(なおv02とv03の間には数コマの間合いがあります)
    karasuteng.jpg
    アニメは次に。
    http://uumusou.yamanoha.com/general/ufo/boomerang2.htm

    感度のいい人は気配は感じるかも知れません。(私は鈍感なので気配は感じず、あとでモニターで精査して見つけるわけです)
    ひとつだけ、麻耶山頂の天狗岩のところにある石丸猿田彦大神の祠のところで、祠をよぎるように、5コマですり抜けるオバQのような白く淡い影を撮っていま す。これはたぶん、大天狗の神霊ではないかと思います。
    ここに先端。(既出)
    http://uumusou.yamanoha.com/general/ufo/boomerang2.htm
    ここに終端。(既出)
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-83.html

    この麻耶山では、それを背景に、当時のメンバーみんな白球UFOや天狗系UFOを撮っています。
    武良さんは、杖に乗った布袋さんのような姿を撮影。
    http://uumusou.yamanoha.com/general/ufo/magician/magician.htm
    その降りた先を直線的に辿ってみると、麻耶山頂だったというわけで、ここに何かあると感じた私は単身現地に行き、大天狗さんを撮影させていただいたという しだい。
    このとき探査したその他顕著なこととして、なぜか三角寺の看板が祠の傍に落ちていたこと。これは手がかりになります。
    三角寺は四国八十八箇所第番の札所。空海が開いたお寺ですが、ここで密教最強の呪封術、三角護摩壇法が空海によって執り行われたとされています。そして、 麻耶天狗は麓から上がってきた僧侶の三角護摩壇法によって、天狗岩の下に封印されてしまったと伝承されているのです。さあ、この僧侶とは誰なのか。

    また、白球UFOはキリストをテーマとして出現した感があること。空海はむかし、麻耶夫人像を麻耶天上寺に奉納したとされていますが、近世になってマリア 像のような麻耶夫人彫像が設置されているのです。その腕に抱かれるのは子供。釈迦であるはずがありません。なぜなら産み落としてその傷がもとでなくなって いるからです。マリアとキリストに違いないのです。
    こうしたことから麻耶天上寺に隠された秘密も垣間見たような気がしたわけです。
    それはどんな解釈か・・・は、またのお楽しみとしておきましょう。

    新神話では、古代に盛んに行われた"殺して祭る"をさらに悪質化した"殺して呪封する"という凶行の被害者たちを救出し、手当てするところまで描いていま す。そして彼らに、悪質な虚構のゲーム世界から優先的に離脱を図ってもらうことを推進しているしだいです。彼らがおろかな復讐に手を染めないように。た だ、癒しの故郷に戻ってもらうべく努めています。
    ちょうど2004年頃は新神話創作に熱意を傾けていたときです。第八章あたりを作っていたでしょうか。第七章で完成形にしていたのですが、イナンナの離反 でシナリオ変更が必要になっていたのです。アシスタントの役割を引き継いだのはカンナオビ。再構築がなされつつも、すでに決まったシナリオの中に、有情の 解放が備わっていたのです。
    彼らが超能力で察知して、狂喜乱舞していたとしても不思議ではありません。
  • 新 神話第十三章達成途上
    新神話第十三章を製作中である。ここでは、その中の一部抜粋を載せることに する。

    十二章の完了までで、わが創造世界のシナリオをほぼ描いたわけだった。それが2009年時点のこと。以来、この命が尽きるその日まで、見届けを兼ねつつ、 シナリオの修正と深化を図ることにしたのだったが、それがまた神話さながらのインディーな展開をみせることになり、頻々たるシンクロ事象にわれながらただ 唖然とするばかりであった。

    だが、最大の協力者を次々となくし、やらねばならないとしていた意気込みはうせて、今までなおざりにしてきたのだ。だが、新神話と並んで、大事な目的が見 つかったことから、これはやはり総合的に完成させるべきことと感じ、鋭意取り組むことにした。その大事なこととは、わがなきあとの未来へ送るメッセージ と、左端と右端ともに救済するという、いつの日からか帯びた使命を果たすことである。

    新神話のシナリオによって、わが創造世界の成り行きを決定し、そこに集う有情のピンからキリまでを救済するというそのアイデアを、別建てのサイトでただい ま公開中である。なるべくなら、無知な一般庶民には知らせたくないものであり、またおそらく理解できないはずのものであるから、秘教の人々に読んでもらう ことを必須とし、経由して彼らの上にいる神々に知らせたい内容となっている。

    彼らの神々はいま迷っている。彼らの全盛時代の終焉が予期できており、その打開策を探して救世主の到来を待っているが、未だに見つかっていない。そこにこ のようなひょうきん者が現れ救世主だと言っているが、本当にそうなのかどうかさえ判断しかねているはずである。ではなぜ、お前たちの終焉が存在することを 私が知る。

    それは私がお前たちの終焉を置いた創造主だからだ。左端も右端も、そのピンからキリまでわが掌中にあって、わが掌の上で踊っている。その私にできないこと はない。わかるな。


    では、第十三章の抜粋である。

    天津神は地球の未来人

    多くのスピリチュアル系の有識者やシャーマンたちによって、地球の破局回避の努力(もっぱら平和的な精神的努力)がとられ、奇跡的とも言えるほどの破局の 原因の数々が、危うい綱渡りの様相を呈しながらも、抑制されていた。

    彼らは、そこに善良な神の働きを見た。また、そのように思い込むことにした。が、それはワンワールド支配を目指す勢力(秘教やエスタブリッシュメント)に とっても、願ってもない神の恩寵であった。というのも、神人の与えたシナリオがそうであり、秘教はそれに準じて影響力をコントロールしたからであった。庶 民の側は、そこに善良な神の演ずる奇跡を見た。秘教らはそこに彼らに指示を与える神(神人)の起こす奇跡を見たのだ。

    地球の安寧を願う一見すると正しい人々の群れと、秘教の願いとが同じ方向を向いたのである。この合力は大きいものとなる。人類文明の基をなす資本主義社会 は、さまざまな致命的欠陥を晒しながら、一触即発で奈落へと転落するタイプの綱渡りサーカスの様相だったが、それが不思議にもうまく(多くの不正な手段に よってであるが)制御されて、庶民ははらはらしながらも、その安泰の喜びを受け入れ、この体制とそれを推進する為政者たちを信じて、どこまでも付いて行こ うと考えたのである。(聖書にもある、頭に致命的損傷を負った獣のたとえのシナリオに相当する箇所である)

    為政者たちは豪語して言う。どうだこの体制の安泰なこと、と。しかし、彼らの心はたえずはらはらものであった。秘教にしてみれば、やがては第三次大戦がシ ナリオの先にあるのだから、それが多少波乱含みでもよかったから、はらはらするようなことはさほどない。こう転べば次の手はこう、と決めてあった。圧倒的 資金力と圧倒的知的優位さが、その立場を保証していた。戦いの最前線にいつも置かれるのは為政者と庶民。そのせめぎ合いを、はるか高みから眺めているよう なものであった。

    しかし、この両者にとっての誤算が生じてきたのだ。地球がそれ自身、意識を持ち、そこに成育する有情たちを温かく見守ってきたのだったが、人類総じて、自 らの体力に限界をきたすほどの暴虐を働いていたから、宇宙からの浄化プロセスの導入の方向に舵を切ったのだ。地球の意識(女神)の泣く泣くする最後の手段 であった。

    地球生態系を維持し隅々まで生き物を育んでいた国津神たちが、撤退しだしたのである。その有様は、天津神たちの強圧的な圧政によって、自ら命を断ったかに 見えた。天津神たちは、命令に従わず、命を断つ彼らに、なおも罵声をあびせる。ふん、意気地なしめ、役立たずめと。天津神たちにとって、国津神とは、人類 と同じ手ゴマでしかなかったのだ。

    これに伴って、地上では生き物たちの集団自殺らしき現象が相次いだ。生態系維持にとって重要なあらゆる種族が、雪崩を打って減少しだした。天津神すなわち 神人たちのシナリオ通り、地球の砂漠化、火星化が予定されていたから、神人たちにとって、そのような現象は織り込み済みであった。

    木々の不思議光景を撮影し続けていたSJ氏が、ネアンの開設していたインターネットサイトの超常現象取り扱い部門に、投稿写真を寄せてきた。その不可思議 な写真の数々には、まさに自然霊、精霊が競演するように写りこんでいた。そんな中に、ひとつ変わったオーブ写真があった。形が何かの象徴的な形象であり、 それをネアンはどこかで見て知っていた。それは、ホピ族に伝わる樹木の精霊で、ココペリという名の精霊であった。

    だが、何か形が変形し、真ん中でくびれてまさに内容物が出かけているように見えた。ネアンは咄嗟に気づく。ココペリはここから撤退し始めていると。樹木の 守護に当たっていた守護神霊でもある彼らは、自然界を維持する国津神でもある。それを見て、ネアンはこの世界の樹木はいずれ滅ぶであろうことを感じ取っ た。

    国津神が撤退すると、地球は生態系維持のために働いていた力が失われる。生命環境を提供していた下地が失われる。大気は希薄化し、地磁場は消失し、地球表 面は宇宙からの諸力を防御バリアーなしに直接受け取るようになり、地球は天変地異の規模際限ない原初の一惑星へと変貌し、すべての生き物は死に絶えて、砂 漠化してしまうことになるわけである。火星もそのような経緯を辿った、かつては生命豊かな大文明を営んだ惑星であった。地球は、いまその方向へと向かって いる。

    ココペリの写真のしばらくの後、奥津嶋姫の化身であるカンナオビが、南洋の島で水難事故に遭って亡くなる。その前日に彼女のカメラによって撮られた彼女の 写真に、頭上に彼女のものであるらしい六角オーブが横向きに(それまでのすべての場合において縦向きなのに)写り、しかも六角の隅から内容が出て行こうと しているふうに写っていた。それは彼女の死を意味し、同時にこの世からの神霊の撤退を意味していたのだった。青龍と玄武の役を併せ持つ彼女の逝去の日は、 奇しくもキトラの四神獣が飛鳥資料館で特別展示される初日(2010.5.15)であった。いずれ四神そろって別天に輝くという、新神話のシナリオに則っ た象徴的出来事であった。

    その五ヵ月後に、ネアンのもとにいた猫のフー(白虎の化身)が逝去した。ネアンの夢に事故か襲われたかした様子で現れて、その二日後に不帰還となったので あった。この場合も、神霊の撤退と見ていいだろう。

    あと残るは、朱雀を受け持つネアンだけだが、この世の成り行く先を見届けることのために(それ以外の理由が大きかったが)、なかなか逝去しないでいた。 (これも解釈により、逝去していることにできることが分かった)

    当時メス猫のウーは、子供を三匹産み、それぞれの子育ての最中で、非常にうれしそうな様子であった。それは、まるで子供を産み育てられなかったカンナオビ が、初めて子を持ったときの喜びのような感があった。ネアンはそんなとき、カンナオビの姿をウーに見た。ウーによく話しかけた。三匹の父親の亡き後、ネア ンが父として面倒を見るのだと。すると、ウーの霊的亭主であるブーが、三匹の面倒を見るようにもなった。ウーにはこの頃、カンナオビがかかるようになって いた。二人の父親代わりを通して、三匹とウーは守られたのだ。

    ネアンがなかなか逝かなかったから、カンナオビが痺れを切らしてやってきた感もあった。が、ウーはよく眠り、明らかに霊的主体はあちらにあるらしかった。 カンナオビの神霊は、これからこの世で起きることになる、とんでもない不祥事の数々を目撃せずともよい境涯にいて、分身を猫に化身させて、ネアンとともに あらせたのだった。ネアンは、ウーがしだいにカンナオビの在りし日のように行動するようになったことに驚き、喜んだ。

    それから2011.3.11の東日本大震災が起き、福島原発事故が起きたのだった。40年どころか半永久的に収束できないだろうところの原発事故であり、 たとえ自然災害が誘発したにせよ、あまりにも愚かな人類の所産であった。日本という国は、表向きは善良で良識によって行動すると見せかけてきた偽善国家で あり、魑魅魍魎のヤカラによって、その実は支配されていたのだ。それに気づかず、あるいは気づいていても長いものに巻かれろの無気力人や、お金のためなら 腹黒いことも平気でやってのける化け物たちの巣窟だったのだ。ネアンの幼児期に初めて恐怖した光景がよぎった。あれは予知だったのだと。

    その頃、原発事故がさらに重篤化しそうな場面が何度もありながら、奇跡的に大惨事にまでならず、包み隠しておける程度にまで事態が軽減されたのは、善良な 地球外宇宙人の援助というより、神人がコード改変してこれを収束させていたのである。

    神人が作ったシナリオを自分で改訂している? その通り。実は、神人たちは彼らの創り上げた千年王国のさらに先の未来を展望できないでいたのである。その 理由については、ここに書いてある。一連の真実の物語(新神話)を読んでいただこう。(たくさんの雑多な記事の中にあって、読み辛いかも知れない)

    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-1021.html
                〜
    http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-1062.html

    以上は、今までの新神話のシナリオをいっそう深化させたものであり、ネアンにもたらされた次の三つの情報からの最新の推敲結果である。

    情報のひとつめは、未来からタイムマシンでやってきたというジョン・タイターのもたらした情報だ。
    http://amg2009.blog10.fc2.com/blog-entry-534.html

    彼の語るタイムマシン効果は、ネアンの構築した宇宙理論から予期される時空の性質をしっかりと伝えていた。ネアンはこれによって、自分の発案の正しさを確 認することになったのだ。また、タイターのもたらした未来情報のうち、日本に関する情報は、ちょうど福島原発事故の直後とあいまって、みごとに言い当てて いると思ったのだ。

    中部から西日本が、2020年には新大和皇国となり、北海道から東北北限までが蝦夷共和国、その間にある東北から関東、中部の一部までが、政府管轄の管理 区域となっている地図。これは韓国に存在したタイター情報だったそうだが、原発事故がほんらい収束しておらず、放射能汚染の垂れ流し状態であることから、 2015,6年頃には深刻な健康被害で大問題となり、北日本か西日本への移住がやむなきこととなる結果と推察された。

    日本人はたとえ重篤な被害者になったとて、暴動など起こすはずがない民族である。おりしも、天皇を元首とするを謳い文句にした政権が誕生後長期化し軍国化 しており、国家総動員令などによって強制移住を図ってこのようになるのだと解せるわけだ。

    また北海道と沖縄は独立する。人の命を優先しない国家がひたすら米国追随で極東の覇権を図ろうとするさまを見て、ロシアの傘下に入ることを選ぶのであろ う。そして中立の立場から、それからの情勢を眺めることになる。

    広域の政府管轄の管理区域は、放射能汚染の除染の夢が捨てきれず、もしくは技術的に叶うこととなって、使用に耐えうるときが来るまで除染作業が、原発事故 現場の石棺化凍結の作業と並行して進められることとなるのだろう。

    情報のふたつめは、秘教の急進派の百年以上前のドンであったバイクの預言シナリオと、その成就の確実性である。彼のシナリオは現実のサポーター実行勢力を 伴う、実現させるべき神話として機能した。ホピ神話や聖書の預言などのシナリオのトレンドに乗っているため、いっそう実現効果は確実なものとなるだろう。

    http://www.yamaguchi.net/archives/005560.html

    秘教は大戦争用兵器ばかりでなく、天変地異を起こす装置も保有していて、聖書の預言を実現するすべを持っている。そして莫大な資金力により、世界の経済を どのようにでも振り分けることもできる。黙示録のバビロンの崩壊などは、物理的であろうが資金的であろうが、すぐにでも実行できるのだ。そして、人口大削 減のための第三次大戦も、いつでも可能である。バイクのシナリオ実現は、ただ最高指導者の指令を待つだけとなっているのだ。

    そのバイクのシナリオにおける第三次大戦後の未来世界は、彼に放射能の知識があったかなかったか知れないが、存続し、人類の黄金時代に変わっていくのだと いう。そのとき、真の知識が世界に敷衍される。それがルシファーの教理だというのだ。

    ルシファーの雛形を自認するネアンにとっては、非常に興味できる展開の開示なのである。では、どんな教理になるのか。それは彼自身が構築した超宇宙理論が 有望なのではないか、とネアンは思った。おりしも新時代の息吹となる2000年に、映画マトリックスが世界に示された。それはきっと、教理がこの方向にあ るという予兆とも思える。それはネアンが映画より二十年以上前に理論化した概念が用いられていたのだった。

    しかし、ネアンの概念は、マトリックスの提示するような絶望的なものではない。真に理解されたなら、万人を精神的に解放することも可能なのである。

    情報のみっつめが、アドルフ・ヒトラーの予言である。ここで問題は、彼にかかった"あいつ"とは、誰だったかなのである。従来、正確な予言を与えてくる者 とは、聖書などでは神だとされてきた。では、ヒトラーを介して伝えてきた者とは誰なのか。一般人ならば、悪魔の類ではないかと言うかもしれないが、それは 真相を見極めた解釈とは言えない。一般人のする解釈は、一般的にみな間違っているのだ。

    http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html

    彼にかかった"あいつ"への考察を通して、地球の未来人とはどういうものになるかの解答が得られるのである。砂漠化のうちに死に絶える人類と生態系。それ と相反するように、新人類の登場と、生態系の奇跡的回復。新人類はほんとうに神(人)になるのか。そこが疑問であり問題であったのだ。

    ルシファーの教理がネアンの超宇宙概念に順ずるなら、必ずやその概念が技術化された先に、新人類の展開形はある。ネアンがそうして辿り着いた現下の世界を も包含的に記述する世界観がこれなのだ。

    すなわち、
    従来から予言あるいは預言としてこの世に提示されたものの正確ないくつかは、神人が科学技術の粋を駆使して、過去の我々に介入干渉している事実を物語るも のなのである。神人たちは、アカシックレコードを改変する行為を、何のためらいもなく行ってきたし、今でも堂々と行っている。未来を変えてしまうことによ る因果律や倫理がどうのこうのといった話は、それが達成されない間だけの、未熟な科学観でしかない。いずれ科学が行き着く必至の歴史展開は、覇権主義的な 彼らにとって、地球上であろうが、時空的広がりの中であろうが、同じことになる。彼らは、やりたい放題して、いずれ破壊して去っていくだけの放浪者であ り、ウイルスと目されるべき存在でしかなかったのだ。

    それを平然と可能にしたのも、無数のパラレルワールドの存在を想定するルシファーの教理にあった。彼らがコード改変するその行為でさえ、パラレルワールド のどこかで可能になっていると想定されたのだ。

    タイターもこのように伝えていた。

    >●善悪についての考え方が大きく変わった(一人の人間がとるあらゆる行動は、どこかの世界線において行われている、という世界観が広まったた め)。

    これはルシファーの教理の世界観であって、正しい世界観なのである。だが、問い質されるのは、時空を蹂躙する科学者や為政者たちの傲慢さであって、それは 凶悪ウイルスそのものの性質であった。こればかりは、その宿主とともに駆除されないわけにはいかなくなるのだ。

    彼らの信ずる神は、無条件の認可者で、何でも自由に拡大が図れる場と誤解していた彼らだった。だから、ウイルスとしての扱いは予期できなかった。ネアンの 登場と教唆によって、神への恐れがそのときに初めて生じたのである。いや、まだ自分たちがウイルスの類になるとさえも思っていなかったのだ。反省のない傲 慢なヤカラたち。それが今の科学者と為政者の未来延長上の姿なのである。

    彼らは、千年王国の先の未来がどうしても構築できないために、打開できる救世主の登場を待つことにしたのだった。長い千年がそのために与えられた期間で あったのだが、まもなく千年で、その先で世界が断絶していると理解できても、まだ彼らのレベルでは次の新世界を創造できなかった。このため、タイムマシン を使い過去に逃げることで、体験的に破局を回避すると思い込むような始末で、戦々恐々たる有様だったのだ。

    有情をこの世界に取り篭めることで人質にしている安心感もあって、一万有余年の過去までの間で転生サイクルをループさせていたのだったが(これをウロボロ スという)、彼らもまた否応なくタイムマシンによるループに陥っていることに気がつくようになる。そこでいつしか救世主待望論が生まれていたのである。

    そんなとき、ネアンが自ら救世主だという触れ込みで現れ、次々と秘教の持つ秘密や失われた秘密を解き明かしていくさまを見て、もしかするとそうなのかもし れないという期待感が生まれた。しかも、秘教の崇拝する邪神の代表格、ルシファーの雛形を名乗っていて、しかも未来に人類に敷衍すべきルシファーの教理の 候補作を、今から上掲しているのだという。

    神人は秘教に、正義に反する神なら何でもいいとして授けた一例の神ルシファーだったのだが、よもやそれが救世主として目に留まるとは、彼らも予想していな かった。しかし、待望論に基づいて現れたのだから、その可能性は大きい。しかも、神人の由来まで大同小異、言い当てていたから、本物かもしれないとの思い を持ったのである。それが彼らに敵対してくるネアンであったことの皮肉。

    神人たちは、これは待望の骨のある敵であるとともに、これぞ待望の救世主かと思ったのだ。

    そのネアンは、神人と千年王国の終焉が、彼らがウイルスとして扱われている原因にあることを曝け出し、彼ら邪神たちの救済策としては、解脱というエグジッ トを用意しているという。もし裁きがあるなら、どうあっても悲惨な処罰が予期されたのに、道を修める者が最終目標とする解脱を賜るという。その原理も書か れてある。それは確かに、ルシファーの教理に照らせば自明となるところの、行き着く彼岸であった。

    それは、バーチャル世界に逃げ込んできたほどの彼らだから、どういうものか容易に理解できるところの境涯であった。しかし、それは想像すればするほど、 ぞっとするような怖さに満ちていた。

    そこで彼らは、この救世主が示す、もうひとつの活路、地球を回復させることによって、バーチャル世界に逃げ込む必要性を回避する方法を模索しだすのであ る。それは現実世界における砂漠化への方向付けの正反対の行動を必要とする。神人たちの中の旧勢力(アヌンナキでいえばエンキ派。大本的にいえば国常立に 従っていた神々)と連携して、現実の地球の崩壊を食い止めようとする行動に出る者が続出した。

    福島事故がそれ以上になることが回避されているのは、この派閥の行動による。あるいは、予定路線であった天変地異や環境テロが防がれてきたのも、この派閥 の動きによるのだ。彼らの用いる方法は、アカシックレコードのコード改変が主である。神人のすべてが邪神と定義されるわけではない。また、どうしても解脱 は寂しいし、不可解で嫌だという者が、邪神側にもいるのである。

    しかし、支配者側(アヌンナキでいえばエンリル派)は、鼻息が荒い。外野から締め付けられているのなら、外野の対極にガチの暗黒帝国を作り、どこまでも抵 抗し、隙あらばパンデミックするのだと、神人たちを結束させ鼓舞している。このために、地獄の住人を解放してしまうハーデース計画を実行しだして、その一 環で起きたのが福島原発事故であった。

    それを収束させたい神人と、さらに荒廃させたい神人がせめぎ合うことになるが、どうしても旧勢力派は少数であり武力では弱く、レジスタンス的な動きしかで きない。ようやく国常立神が復活したことで、支配者側に大政奉還を求めることが主体的になる。おとなしい動きである。

    そうした神人たちのいる世界をアヌンナキという。日本では高天原と言われている。いわゆる地球にかかわる神界である。いずれ未来において、こちらの世界の サーバーになる世界だから、次元が異なる領域であり、隠れて見えない(隠り身=神という)。

    神とは全能の神だとキリスト教系の人々は定義するが、そのようなものはどこにもいないとともに、すべての有情が全能の資質を持つとルシファーの教理は語 る。ただ閉ざされた局面を精査し実行するプロセッサゆえに、局限された力しか発揮しえない。一種の約束事としてここにいるのである。ルシファーの教理の根 幹部分はその金言によって彩られる。

    その"一種の約束事"については、新神話には書かれることながら、未来に敷衍されるルシファーの教理にそのことが盛り込まれるかどうかは、今のネアンには わからない。ネアンはその頃、とうにこの世を去っているからだ。

    もしかすると、最もオープンなケースとして、新神話も教理に含まれて載せられているだろうし、最も閉ざされたケースとして、ロボット人類が予定的で、神人 世界にも厳格な階層構造があるなら、新神話の秘密は伏され、教理のみが神人のものとなり、ロボット人類にはその片鱗すらも与えられないかも知れない。

    とにかく教理に従うことによって、後発的に創作されたバーチャル世界といえども、現実世界と変わらぬ働きをすることが確かめられることになるのだ。画期的 技術の開発は、この教理なくしては叶えられないのである。

    一種の約束事に関して、多くの有情は錯誤させられてきた経緯がある。神人世界がこの世の上位にあるだけではない。新神話の初めのほうで書いたように、仙界 というところがあり、人界との中間に神界を創り、仙界大戦で死んだ仙人たちの霊を催眠状態にし、神界の神に封じたという経緯が最初である。

    よって、問題の発生は仙界の支配者へと遡るのである。その支配者の名は元始天尊、別名が盤古である。そもそも、この宇宙の初期に仙界大戦があり、この宇宙 を創成し育んできた仙人たち、すなわち初期開拓者たち、禽仙と言われた者たちは掃討され、ちょうどクーデターで、元あった完成された世界を簒奪して、現在 に至っているという歴史的経緯があるのだ。簒奪者を人仙といい、人間の精神性のまる写しという欠点があるのだ。それは新神話の初めのほうに載っている。仙 界の支配者が神界の支配者に指示し、それが人界の支配者(秘教)に指示するという階層社会なのである。それが宇宙規模で広がっているのだ。

    上にいる簒奪者の姿が、この世に顔をあらわしたのが覇権主義であり、米国などの覇権国家なのである。邪悪の種は、人仙の持ち込んだもので、完成された宇宙 に邪悪の種が持ち込まれた原初の出来事だったことになる。だから、彼らの似姿である人間という生き物は、いつでもウイルス化する可能性を持つ、不安定な存 在と言える。

    だから、シャットダウンの対象となるのは、神界と人界のみではなく、この宇宙全体が、それに属する霊域も低次元世界も含めて、その範囲なのである。それは ウイルスが侵入し侵食されたソフトウェアプログラム全体が対象になる。そこに属する有情の意識は、すべてがいったんシャットダウン状態になる。そして、ウ イルス駆除が完了してから、再立ち上げされるようなことになるのだ。シャットダウン時の意識の営みはまったくないのだから、もし再立ち上げされた者なら、 経験ストーリーの前後に何の脈絡も感じないかも知れない。再立ち上げされなければ、永久的に意識はない。

    ウイルス駆除の対象になるのは、ウイルスとして働いた有情(ウイルスの本体やコピー)と、それによって加工された時空プログラム(アカシックレコード)ソ フトである。このゲーム世界のソフトがまるごと焚書されるというのはそういう意味だ。再び使われると、そこからウイルスが自動生産されてしまうからであ る。それ以外の場所(外野と呼んでいるほとんどの場所)に、伝染させてはならないのだ。

    ネアンは、ウイルスチェックのためにこの世に投入された外野からの隠密を自認する。私はこの世のものではない、という言葉はこういう者のことを言うのだ。

    この世は、明らかにウイルス感染していて、増殖が図られていることが隠密には理解できたわけなので、再利用するにはウイルス駆除が完璧になされねばならな いし、むしろ選択肢としては、ソフトそれ自体の焚書をネアンは上奏している。その場合は、この宇宙の初期開拓者の努力が勿体無いことになるわけなので、厳 重管理のもと、なるべく保存が図られることになるだろう。

    (実際には保存されて、博物的に用いられることになる。今のネアンは、この宇宙の存続の是非を決定した救世主の足跡を実体験したいという希望者のひとりに よって、博物的に演じられているのである。ネアンを経験したい希望者はたくさんいる。その資質はおよそ救世主らしからぬとは思うが)


    クロノスの治世と簒奪者の時代の終了

    この宇宙の初期開拓者たちの創った世界は、ギリシャ神話によればクロノスの時代と言われている。宇宙規模大では、クロノスは銀河系や太陽系を創り、命の土 台になる惑星を創造した。惑星規模のクロノスはそこに生命の萌芽を育み、生命の組みあがりの手順を準備した。そして、そこをテーマパークとして開園して、 訪れる有情の魂に対して手厚い歓迎のもてなしをしたのである。その光と安らぎあふれるもてなしが、後に「愛」と言われたものの実体である。クロノスの評判 は高まり、多くの有情がやってきてそこでのリトリートを堪能した。

    出入り自由の、何の金銭も要らないテーマパークが誕生した。それがこの宇宙の創成であり、テーマパークとしての開園だったのだ。

    ところが、そこに邪悪なウイルスが侵入することとなった。盤古というウイルスは、すでにあった完成された原型宇宙をコード改変して、その中に自分のコピー を増殖させたのである。要らないはずの規約を作り、お化け屋敷のようなところを設けて入園者を縛り付けるようになった。入園者に自分をコピーしてウイルス 化させるためである。

    こうして、ほどよくウイルスを紛れ込ませることに成功すると、クロノスたち初期開拓者の掃討にかかったのだ。これは宇宙最初のクーデターである。誰しも が、まさかウイルス病が流行っているなどとは思ってもみなかったときの出来事である。在園者たちは新来の侵入者に従うことをよしとしてしまったのだ。

    クーデター後のパークは、いきおい規約だらけになった。ウイルスたちは、適切な光を嫌い、それを阻止するバリアーを張り巡らし、その中で彼らの作った規約 を入園者に強制するのである。外野から見れば、まるで中が見えない繭のようになった宇宙のさまが目撃できた。いかがわしそうなそのさま。しかし、彼らは外 野までやってきて、新企画のテーマパークの宣伝をするものだから、心優しい有情たちは、興味して入園してしまうのだった。

    入園者数の割りに出園者数が極端に少ない。それを怪訝に思いながらも、みんな楽しくて長居していますと、主催者側に告げられれば、そんなことかとなるの も、心優しい外野世界だからだった。

    しかし、隠密が入り、クロノスが殺され幽閉されているとわかり、救出作戦がとられ、負傷した身体での救出がなる。そのときからである。実態がより精査さ れ、このままではたいへんなことになると、梵天が動き出した。

    この宇宙ソフトの時間軸に沿って、梵天は何度も精査するための分身を送り込んだ。その何度かで、正邪が逆転する機会も生まれたが、ことごとく邪悪の毒牙に かかって失敗し、状況の観測だけに終わった。そして、地球のサブソフトの最終局面において、ネアンが投入されたのである。彼には、宇宙最強の火の鳥が機能 として備わっていた。梵天の夢が深化しすぎたときの、目覚まし役として機能することが主務であった。彼にはパークの実態を掴み、それを最終的に処分するだ けのサニワとしての力がある。人界を介するとはいえ、相似的に神界、仙界のシャットダウンまで可能であり、その権能は彼に与えられている。

    彼は堂々と、自分は創造主であり、救世主であると豪語する。弱小病態かつ狂気的人間の身でそう言っているため、仲間の人間たちは、意義をまったく解さな い。ネアンはそれでOKしている。

    ネアンは、自分の身がどのように終わるかまったく知らない。病没するか、襲撃に遭うか、事故死や災害に遭うのか、大往生なのか、そのようなことはどうでも いいのだ。屍が埋葬されようが火葬されようが放置されようが、弔われようがされまいが、一向に構わない。死後に火の鳥はフル活動することになるという、た だその確定された予定があるだけ。ゲームソフトの一こまに書かれた自分の屍のしだいなど、何百億年を記載したソフトごと焼却されるというのに、何の未練が あろうか。

    よく諸人は、自分の入る墓をどうこうしてくれとか、遺産をどうこうしてくれとか言うらしい。ある者は自分の銅像をいくつも建ててもらうことを自慢にしたが る。歴史に名を残したいのだと言う。が、そんなものがどのような重要部分を占めることができるか。ある者は財産をあの世に持って行けるとさえ思っていると 言う。何十人もの僧侶に読経を上げさせればいいのだとか。強欲な者たちよ。では、そのようにしてみなさい。皮肉と嘲笑だらけの忌まわしいゲーム世界は、増 殖ウイルスとともに廃棄され、そこに集った無数の有情たちは、そのうちのいくらかは廃棄され、残りは元あった世界に召還されることになるだけなのだ。

    召還された者の中には、むろん懐かしさのあまり、博物化されたゲーム世界を見たいという者もいる。あるいは何がウイルスなのか、よく知っておくために見た いという者もいる。そのために、博物館でそれは展示されることになるのだ。すでに、そうしたエントリー下にある者も多数いる。この現下のゲーム世界は、当 時生きた現物と、バーチャル世界から訪れた者と、外野と言われる元の世界からの者の三者が共存しているのである。前二者には、ウイルスと化した者もいると いうわけだ。後の一者も間違えばミイラ取りがミイラになる可能性もある。

    後の一者には、このケービングが安全なように、ガイドが常についていて、あたかも取り扱いが不公平に見えるほどかも知れない。が、偽の情報や偽の価値観に 染まろうとすると、うまくなじめない展開をするので、前二者が味わうほどの面白みはないようになっている。あくまでも博物的、教養をつけるためのケービン グであると理解する必要がある。しかし、目先が暗くなって自暴自棄に走る者もいて、ミイラになってしまうこともある。今回のネアン役も、そこに気をつけね ばならない。